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白上しらかみ佑吉ゆうきち

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白上しらかみ 佑吉ゆうきち(しらかみ ゆうきち、1884ねん明治めいじ17ねん12月19にち - 1965ねん昭和しょうわ40ねん1がつ24にち[1])は、日本にっぽん内務ないむおよ警察けいさつ官僚かんりょう官選かんせん県知事けんちじ旧姓きゅうせいはやし陸軍りくぐん大臣だいじん首相しゅしょうつとめたはやしずくじゅうろう実兄じっけい

経歴けいれき

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石川いしかわけん出身しゅっしんちち石川いしかわけん士族しぞくはやしつとむろう富山とやまけん礪波となみぐん首席しゅせき書記しょきときに、どうぐん出町でまちげん砺波となみ)で三男さんなんとしてまれる。そのちち上司じょうしぐんちょう)でのち山口やまぐち県警けんけい部長ぶちょうとなった白上しらかみ俊一しゅんいち[2]養子ようしとなる[1][3]だいよん高等こうとう学校がっこう卒業そつぎょう1910ねん7がつ東京とうきょう帝国ていこく大学だいがく法科ほうか大学だいがく政治せいじ学科がっか卒業そつぎょう同年どうねん11がつ文官ぶんかん高等こうとう試験しけん行政ぎょうせい試験しけん合格ごうかく内務省ないむしょう入省にゅうしょう警視庁けいしちょう警部けいぶだい一部いちぶ警務けいむ勤務きんむとなる[1]

1910ねん12月、警視総監けいしそうかん官房かんぼう文書ぶんしょ審査しんさ係長かかりちょうけん高等こうとう外事がいじがかりちょう就任しゅうにん以後いご警視庁けいしちょう警視けいし新橋しんばし警察けいさつ署長しょちょう日比谷ひびや警察けいさつ署長しょちょうこうじまち日比谷ひびや警察けいさつ署長しょちょう京都きょうと警視けいし長野ながのけん理事りじかん富山とやまけん警察けいさつちょう朝鮮ちょうせん総督そうとく高等こうとう警察けいさつ課長かちょう欧米おうべい各国かっこく出張しゅっちょう1920ねん6がつ)、京畿けいきどう警察けいさつちょう千葉ちばけん内務ないむ部長ぶちょう警視庁けいしちょう官房かんぼう主事しゅじ内務ないむ書記官しょきかん警保きょく保安ほあん課長かちょうけん内務ないむ監察かんさつかんなどを歴任れきにん[1]

1924ねん10月、鳥取とっとりけん知事ちじ就任しゅうにん政府せいふ方針ほうしんしたが整理せいり緊縮きんしゅく実施じっしするが、教育きょういく振興しんこう産業さんぎょう振興しんこう土木どぼく事業じぎょうについては配慮はいりょおこなった[4]1926ねん9月、富山とやまけん知事ちじ転任てんにん電力でんりょく開発かいはつ推進すいしん射水いみず中学校ちゅうがっこう氷見ひみ中学校ちゅうがっこう開設かいせつなどに尽力じんりょく[3]売薬ばいやく海外かいがい進出しんしゅつブラジルへの移民いみん政策せいさく実現じつげんさせた。1927ねん5月17にち島根しまねけん知事ちじ転任てんにんしたが、「地方ちほうかん政府せいふ使用人しようにんでも政党せいとうやとにんでもない。富山とやまけんたいするあいけん至情しじょう無視むしするような異動いどうにはおうぜられぬ」という理由りゆうで、翌日よくじつ18にち依願いがんめん本官ほんかんとなった[5][6]同年どうねん8がつ文部省もんぶしょう実業じつぎょう学務がくむ局長きょくちょう就任しゅうにん1928ねん6がつまで在任ざいにん退官たいかん[1][7]

1929ねん4がつから1931ねん7がつまで東京とうきょう助役じょやくつとめた。在任ざいにんちゅう東京瓦斯とうきょうがす増資ぞうし問題もんだい賄賂わいろけたとの嫌疑けんぎ裁判さいばんとなり、1934ねん4がつ東京とうきょう地方裁判所ちほうさいばんしょ有罪ゆうざい懲役ちょうえき10ヶ月かげつ)となり、その大審院だいしんいん上告じょうこく棄却ききゃくされ懲役ちょうえき6ヶ月かげつ有罪ゆうざい判決はんけつ確定かくてい下獄げごくした[1]。これによりしたがえよんしつ[8]くんさんとうおよ大礼たいれい記念きねんあきら大正たいしょう/昭和しょうわ帝都ていと復興ふっこう記念きねんあきら褫奪ちだつされた[9]

戦後せんご1951ねん8がつまで公職こうしょく追放ついほうとなった[1]。その恵比寿えびす食糧しょくりょう運送うんそう会社かいしゃ会長かいちょうつとめた[10]墓所はかしょ渋谷しぶや千駄ヶ谷せんだがやみずえんてら

親族しんぞく

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脚注きゃくちゅう

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  1. ^ a b c d e f g 日本にっぽんきん現代げんだい人物じんぶつ履歴りれき事典じてん』272ぺーじ
  2. ^ 人事じんじ興信所こうしんじょへん人事じんじ興信録こうしんろくだい8はん、1928ねん、シ109ぺーじ。『日本にっぽんきん現代げんだい人物じんぶつ履歴りれき事典じてん』272ぺーじでは「白上しらかみたすくいち」。万延まんえん元年がんねん4がつせい1929ねん2がつ13にちぼつ
  3. ^ a b 新編しんぺん日本にっぽん歴代れきだい知事ちじ』432ぺーじ
  4. ^ 新編しんぺん日本にっぽん歴代れきだい知事ちじ』764ぺーじ
  5. ^ 新編しんぺん日本にっぽん歴代れきだい知事ちじ』788ぺーじ
  6. ^ 北日本きたにっぽん新聞しんぶん』2020ねん10がつ19にちづけ31めん知事ちじ逸話いつわ<11> けん異動いどう反発はんぱつ そく辞任じにん』より。
  7. ^ 日本にっぽん官僚かんりょうせい総合そうごう事典じてん:1868 - 2000』197ぺーじ
  8. ^ 官報かんぽう 1936ねん11月16にち さんろくさんぺーじ
  9. ^ 官報かんぽう 1937ねん1がつ13にち さんぺーじ
  10. ^ 朝日新聞あさひしんぶん』(東京とうきょう本社ほんしゃ発行はっこう)1965ねん1がつ25にち朝刊ちょうかん、11めん訃報ふほうより。
  11. ^ 白上しらかみ謙一けんいち『ほんのはなし』(教養きょうよう文庫ぶんこ)P.109
  12. ^ 白上しらかみ謙一けんいち『ほんのはなし』(教養きょうよう文庫ぶんこ)P.76

参考さんこう文献ぶんけん

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  • 歴代れきだい知事ちじ編纂へんさんかいへん新編しんぺん日本にっぽん歴代れきだい知事ちじ歴代れきだい知事ちじ編纂へんさんかい、1991ねん
  • はたいくへん日本にっぽん官僚かんりょうせい総合そうごう事典じてん:1868 - 2000』東京大学とうきょうだいがく出版しゅっぱんかい、2001ねん
  • はたいく彦編『日本にっぽんきん現代げんだい人物じんぶつ履歴りれき事典じてん東京大学とうきょうだいがく出版しゅっぱんかい、2002ねん