(Translated by https://www.hiragana.jp/)
立川太郎 - Wikipedia コンテンツにスキップ

立川たちかわ太郎たろう

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
立川たちかわ太郎たろう

立川たちかわ 太郎たろう(たちかわ たろう、1884ねん明治めいじ17ねん4がつ14にち[1]1960ねん昭和しょうわ35ねん7がつ31にち[2])は、衆議院しゅうぎいん議員ぎいん立憲りっけん政友せいゆうかい)、弁護士べんごし

経歴けいれき

[編集へんしゅう]

広島ひろしまけん安佐あさぐんさん入村にゅうそん現在げんざい広島ひろしま安佐北あさきた)に立川たちかわおの太郎たろう長男ちょうなんとしてまれる。1912ねん明治めいじ45ねん)、東京とうきょう帝国ていこく大学だいがく法科ほうか大学だいがく政治せいじ卒業そつぎょうし、警視庁けいしちょう警部けいぶとして警務けいむ勤務きんむした[1]1915ねん大正たいしょう4ねん)に警視けいし昇進しょうしんし、大塚おおつか警察けいさつしょ牛込うしごめ警察けいさつしょ神楽坂かぐらざか警察けいさつしょ京橋きょうばし警察けいさつしょ署長しょちょう歴任れきにんした[1]1818ねん大正たいしょう7ねん)、本庁ほんちょう復帰ふっきして監察かんさつかん就任しゅうにんした[1]1920ねん大正たいしょう9ねん)、警視庁けいしちょう退職たいしょくして弁護士べんごし開業かいぎょうした[1]

1922ねん大正たいしょう11ねん)に牛込うしごめ会議かいぎいん当選とうせんし、1926ねん大正たいしょう15ねん)には東京とうきょうかい議員ぎいん選出せんしゅつされた。そのあいだ東京とうきょう帝国ていこく大学だいがく法科ほうか大学だいがくどく法科ほうかふたたまなんでいる[1]

1928ねん昭和しょうわ3ねん)、だい16かい衆議院しゅうぎいん議員ぎいんそう選挙せんきょ出馬しゅつばし、当選とうせん以後いご4かい連続れんぞく当選とうせんたした。

その日本にっぽん紡績ぼうせき会社かいしゃ多摩川たまがわ水力すいりょく電気でんき株式会社かぶしきがいしゃ取締役とりしまりやくつとめた[3]

脚注きゃくちゅう

[編集へんしゅう]
  1. ^ a b c d e f 昭和しょうわ日本にっぽん人物じんぶつへんp.317
  2. ^ しんてい政治せいじ家人かじんめい事典じてん
  3. ^ 人事じんじ興信録こうしんろく

参考さんこう文献ぶんけん

[編集へんしゅう]
  • 大典たいてん記念きねん 昭和しょうわ日本にっぽん東京とうきょう毎夕まいゆう新聞しんぶんしゃ、1929ねん 
  • 人事じんじ興信所こうしんじょへん人事じんじ興信録こうしんろく だい13はん 下巻げかん人事じんじ興信所こうしんじょ、1941ねん 
  • しんてい 政治せいじ家人かじんめい事典じてん 明治めいじ昭和しょうわ日外にちがいアソシエーツ、2003ねん