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にえ

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』

にえ(にえ)とは、かみまたは天皇てんのうきょうする食物しょくもつ総称そうしょうおよびその制度せいど

概要がいよう

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にえ律令りつりょう制度せいど導入どうにゅうされる以前いぜんからあった日本にっぽん独自どくじ制度せいどといわれ、かみなどにそなえる「神饌しんせん」(しんせん)と、天皇てんのう食膳しょくぜんきょうされるために諸国しょこくから進上しんじょうされる食物しょくもつをさす2つの場合ばあいがある。かみ首長しゅちょう新穀しんこく共食ともぐいするしん嘗(にいなめ)に関係かんけいしている。 名称めいしょう初出しょしゅつは、古事記こじきにえもち之子ゆきこであり、神武じんむ天皇てんのう東征とうせいのおり、はち咫烏先導せんどうにより吉野よしのかわかわしり河口かこう)、現在げんざい五條ごじょうあたりへはいったところで、

ときに筌(うへ)つくりてさかな(うを)ひとり、なんじてんかみ御子みこ、「なんじ(な)だれ(たれ)そ」ととえひたまへば、「ぼく(あ)くにしんにえもち之子ゆきこ(にへもつのこ)いいふ」とこたえへ曰(ま)しき〔此はおもね陀(あだ)のやしなえ(うかひ)の(おや)〕[1]

という箇所かしょにあたる。

また、『肥前ひぜんこく風土記ふどき』には、けいぎょう天皇てんのうときおもねくもり祖先そせん一人ひとりであるおもねくもりひゃくそく土蜘蛛つちぐもだいみみらをち、天皇てんのう処断しょだんしようとしたが、だいみみらは命乞いのちごいをし、あわび(あわび)などを献上けんじょうしたという伝承でんしょうもある[2]

にえ制度せいどは『古事記こじき』・『風土記ふどき(ふどき)』の伝承でんしょうのなかにしるされており、上述じょうじゅつ箇所かしょにもあるように、おうへの服属ふくぞく儀礼ぎれい一種いっしゅで、征服せいふくしゃ側々そくそく征服せいふくしゃ食物しょくもつ供出きょうしゅつし、献上けんじょうするものである。おうは、山野やまのかわうみ産物さんぶつべることで、領有りょうゆうけん確認かくにんするわけである。律令りつりょうぜん段階だんかいで、国造くにのみやつこたちが礼物れいもつとして進上しんじょうするにえと、朝廷ちょうてい日常にちじょうてき食料しょくりょう消費しょうひされるにえ制度せいど成立せいりつしていた。「調しらべ」(みつき)」が繊維せんい製品せいひん中心ちゅうしんとするのにたいして、にえうみやま産物さんぶつであり、さかなかい鳥獣ちょうじゅう果実かじつなどの生鮮せいせんひん加工かこうひん中心ちゅうしんとなっている。

律令りつりょう制度せいど整備せいびにともない、とりわけ国家こっか財政ざいせい天皇てんのう財政ざいせいとを統合とうごうした養老ようろうれいのもとでは、「にえ」の名称めいしょう消滅しょうめつするが、ふるい「にえ制度せいど一部いちぶは「調しらべ(ちょう)」のざつぶつなどのなかまれ、のこりがれい規定きていからはずれた制度せいどとしてのこされた。諸国しょこくからのみつぎおさめぶつ(『延喜えんぎしき』の諸国しょこくれいみつぎにえ)と、大膳だいぜんしょく(のちに内膳ないぜん)に所属しょぞくしたにえなどのみつぎおさめぶつ(『延喜えんぎしき』の諸国しょこくみつぎすすむにえ)とに改変かいへんされている。調ちょうふくめにくい生鮮せいせん食品しょくひんのこされたというせつと、服属ふくぞく儀礼ぎれい伝統でんとうてきのこされたとするせつの2つがある。律令りつりょう規定きていされなかった理由りゆうとしては、律令りつりょう範囲はんいえた「天皇てんのう」の食物しょくもつであったためだともいう。そのため大蔵省おおくらしょうではなく、みや内省ないせい事務じむ管掌かんしょうし、収納しゅうのう場所ばしょ内膳ないぜん大膳だいぜんしょく)あるいは内裏だいりにえ殿どの(にえどの)であって、皇室こうしつ家産かさんてき色合いろあいがられる。

延喜えんぎしき』の規定きていによると、「としりょう」のにえ節句せっくうたげようの「ふしりょう(せちりょう)」のにえ10日とおかごとにみつげすすむする「しゅんりょう(しゅんりょう)」のにえがあり、木簡もっかん(もっかん)によると、つきごとにみつぎしんされる「つきりょう」のにえもあったことがかる。その内容ないようさかな貝類かいるい海藻かいそう中心ちゅうしん動物どうぶつにく果物くだものがあり、即応そくおうせいぶしせい対処たいしょしたことがうかがわれる。

にえ荷札にふだ平城ひらじろみや平城京へいじょうきょう、そのほか、藤原ふじわらきょうおよび地方ちほう官衙かんが(かんが)からおお出土しゅつどしている。荷札にふだとしてのにえ木簡もっかんには個人こじんめいしるされてはおらず、くにぐんさとめいまでしか記載きさいされていない。しる場合ばあいも「海部かいふ(あまべ)」の集団しゅうだんめいしるされており、調しらべいさおが「せいひのと」、平民へいみん成年せいねん男子だんし負担ふたんであったのにたいし、にえ負担ふたんしたのは、「下総しもうさこく海上かいじょうぐん(うなかみぐん)すいうら」・「長門ながとこく豊浦とようらぐん都濃つのしま(つのしま)」・「常陸ひたちこく那賀なかぐんさけれつ埼(さかつらさき)」・「阿波あわこく板野いたのぐん牟屋うみ」のような、うらしま・埼・うみなどを拠点きょてんとする特定とくてい集団しゅうだん対象たいしょうとしている。提供ていきょうされたものも、すずき(すずき)・たい(たい)・あじ(あじ)・あかぎょ(あかうお)・さめ(さめ)・チヌ・いわし(いわし)・さば(さば)・さけ(さけ)・烏賊いか(いか)・腹赤はらか(はらか)・水母くらげ(くらげ)・氷魚ひうお(ひうを)・ねんぎょ(あゆ)・ふな(ふな)・ます(ます)・おもねべいぎょ(あめうお)・カサメ・かむな(=やどかり)・蠣(かき)・いそ蠣(あらかき)・うみ細螺きさご(しただみ=喜佐古きさご)、貽貝いがい(いがい)・からしにし(からにし=ながにし)・ツビ・深海ふかうみまつ(みる)・昆布こぶ海苔のり・モズクなどがあげられる。

集団しゅうだん成員せいいんにえじん(にえひと)としょうする特権とっけんてき集団しゅうだんで、平安へいあん時代じだい後期こうき活動かつどうした。

にえ制度せいど消滅しょうめつしたのちも、中世ちゅうせいこうじん(えひと)、網引あびき(あみひき)、鵜飼うかい(うかい)などの供御くごじん(くごにん)のような、天皇てんのうむす集団しゅうだん存在そんざいしている。

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ 古事記こじきちゅうまき神武じんむ天皇てんのうじょう
  2. ^ 肥前ひぜんこく風土記ふどき松浦まつうらぐんよしみしまじょう

参考さんこう資料しりょう

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関連かんれん項目こうもく

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