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銀河ぎんが (列車れっしゃ)

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
銀河ぎんが
銀河(2000年8月 根府川駅 - 早川駅間)
銀河ぎんが(2000ねん8がつ 根府川ねぶかわえき - 早川はやかわえきあいだ
概要がいよう
くに 日本の旗 日本にっぽん
種類しゅるい 寝台しんだい急行きゅうこう列車れっしゃ
現況げんきょう 廃止はいし
地域ちいき 東京とうきょう神奈川かながわけん静岡しずおかけん愛知あいちけん岐阜ぎふけん滋賀しがけん京都きょうと大阪おおさか
運行うんこう開始かいし 1949ねん9月15にち[1]
運行うんこう終了しゅうりょう 2008ねん3月14にち
運営うんえいしゃ 日本にっぽん国有こくゆう鉄道てつどう国鉄こくてつ)→
西日本旅客鉄道にしにほんりょかくてつどう(JR西日本にしにほん
東日本旅客鉄道ひがしにほんりょかくてつどう(JR東日本ひがしにっぽん
東海旅客鉄道とうかいりょかくてつどう(JR東海とうかい
路線ろせん
起点きてん 東京とうきょうえき
終点しゅうてん 大阪おおさかえき
営業えいぎょう距離きょり 556.4 km
列車れっしゃ番号ばんごう 101・102
使用しよう路線ろせん JR東日本ひがしにっぽん東海道本線とうかいどうほんせん東海道とうかいどうせん (JR東日本ひがしにっぽん)
JR東海とうかい東海道とうかいどう本線ほんせん東海道とうかいどうせん (静岡しずおか地区ちく)東海道とうかいどうせん (名古屋なごや地区ちく)
JR西日本にしにほん東海道とうかいどう本線ほんせん琵琶湖びわこせんJR京都きょうとせん
車内しゃないサービス
クラス A寝台しんだいB寝台しんだい
就寝しゅうしん 開放かいほうA寝台しんだい(1号車ごうしゃ
開放かいほうB寝台しんだい(2 - 8号車ごうしゃ
技術ぎじゅつ
車両しゃりょう 24けい客車きゃくしゃ宮原みやはら総合そうごう運転うんてんしょ
EF65かたち電気でんき機関きかんしゃ田端たばた運転うんてんしょ
軌間きかん 1,067 mm
電化でんか 直流ちょくりゅう1,500 V架空かくう電車でんしゃせん方式ほうしき
最高さいこう速度そくど 110 km/h
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銀河ぎんが(ぎんが)は、日本にっぽん国有こくゆう鉄道てつどう国鉄こくてつ)および、その分割ぶんかつ民営みんえいこう東日本旅客鉄道ひがしにほんりょかくてつどう東海旅客鉄道とうかいりょかくてつどう西日本旅客鉄道にしにほんりょかくてつどうが、東海道本線とうかいどうほんせん東京とうきょうえき - 大阪おおさかえきあいだ運行うんこうしていた寝台しんだい急行きゅうこう列車れっしゃである。また、最後さいごの『寝台しんだい急行きゅうこう』でもあった[2]列車れっしゃめいは、天体てんたい銀河ぎんがちなんでいる。

ほんこうでは、東京とうきょうえき - 大阪おおさかえきあいだ運転うんてんされていたそのきゅう行列ぎょうれつしゃについても記述きじゅつする。

概要がいよう

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銀河ぎんが」のイラストマーク

1949ねん昭和しょうわ24ねん)9がつ東京とうきょうえき - 神戸こうべえきあいだで、これまで一等いっとうしゃとうしゃのみで組成そせいされた夜行やこう急行きゅうこう列車れっしゃである15・16列車れっしゃに「銀河ぎんが」の愛称あいしょうあたえて運転うんてん開始かいししたのがはじまりである[1]列車れっしゃさい後尾こうびには特急とっきゅう列車れっしゃみの行灯あんどんしきテールマークけられた[1]

しかし戦前せんぜん名士めいし列車れっしゃなぞらえた豪華ごうか編成へんせいかたきとなって利用りようなやみ、戦後せんご混乱こんらん当時とうじはまだ混雑こんざつする列車れっしゃおおなかでがらがら状態じょうたいはしっていたため非難ひなんびることになり、わずか9にちの9がつ24にちにはさんとうしゃ連結れんけつするようになりテールマークもはずされた。

1976ねんころより運行うんこう距離きょり営業えいぎょうキロ556.4 km)から特急とっきゅう列車れっしゃかんがえられたが、東京とうきょうえき - 大阪おおさかえきあいだでは有効ゆうこう時間じかんたい問題もんだいからさほど所要しょよう時間じかんわらないことから「たんなる値上ねあげ」ともられかねず、また繁忙はんぼう運転うんてんされていた「銀河ぎんが」の臨時りんじ増発ぞうはつ列車れっしゃ座席ざせきしゃ中心ちゅうしん編成へんせいされていたこともあり、急行きゅうこう列車れっしゃとして存置そんちされた。

2000年代ねんだいはいってからは車両しゃりょう老朽ろうきゅう利用りようきゃく低迷ていめいつづき、2008ねん3月15にちのダイヤ改正かいせい廃止はいしされた[3]。JR西日本にしにほん廃止はいしした理由りゆうを、新幹線しんかんせん飛行機ひこうき高速こうそくバス整備せいびされるとともに、格安かくやす宿泊しゅくはく施設しせつえたことにより、宿泊しゅくはく設備せつび列車れっしゃ競争きょうそうりょくがったためとしている[4]

運行うんこう概況がいきょう

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14けい座席ざせきしゃによる臨時りんじ銀河ぎんが51ごう

東京とうきょう大阪おおさかともにあさ7前後ぜんこう到着とうちゃくするダイヤであったため[4]、ターミナルから距離きょりのある場所ばしょでもあさいちばんから活動かつどう可能かのうであった。途中とちゅうえき停車ていしゃ時間じかんおおめにとることなどで到着とうちゃく時刻じこく調整ちょうせいしていた。列車れっしゃ番号ばんごうくだりが101列車れっしゃのぼりが102列車れっしゃであった[1]

運転うんてん開始かいし当初とうしょは1往復おうふくであったが、1968ねん10月に東京とうきょうえき - 大阪おおさかえきあいだ運行うんこうされていた寝台しんだい急行きゅうこう明星みょうじょう」が統合とうごうされて「銀河ぎんが」は2往復おうふくになった[1]。また、急行きゅうこう「なにわ」の廃止はいしにより、全車ぜんしゃ座席ざせきしゃ大阪おおさかえき発着はっちゃくぶし列車れっしゃも1往復おうふく設定せっていされていたが、1975ねんに1往復おうふく特急とっきゅう列車れっしゃ変更へんこうされて以降いこうは、廃止はいしされるまで定期ていき列車れっしゃは1往復おうふく運転うんてんされていた[1]

1998ねん7がつからは臨時りんじの「銀河ぎんが」81ごう・82ごうのダイヤを利用りようして、285けい電車でんしゃ「サンライズエクスプレス」による寝台しんだい特急とっきゅうサンライズゆめ」が運転うんてん開始かいしし、しばらくは運転うんてん重複じゅうふくしないように考慮こうりょされていたが、そのは「サンライズゆめ」に変更へんこうされた。

停車駅ていしゃえき

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東京とうきょうえき - 品川しながわえき - 横浜よこはまえき - 大船おおふなえき - 小田原おだわらえき - 熱海あたみえき - 〔沼津ぬまづえき〕 - 〔富士ふじえき〕 - (静岡しずおかえき) - 〔名古屋なごやえき〕 - (岐阜ぎふえき) - 米原まいばらえき - 大津おおつえき - 京都きょうとえき - 新大阪しんおおさかえき - 大阪おおさかえき

  • ( )はくだ列車れっしゃのみ停車ていしゃ、〔 〕はのぼ列車れっしゃのみ停車ていしゃ

使用しよう車両しゃりょう編成へんせい

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廃止はいし編成へんせい
銀河ぎんが
大阪おおさか
東京とうきょう
号車ごうしゃ番号ばんごう   1 2 3 4 5 6 7 8
座席ざせき種別しゅべつ EG A B B B B B B B
車両しゃりょう形式けいしき カニ
24かたち
[* 1]
オロネ
24かたち
[* 2]
オハネ
25かたち
[* 3]
オハネ
25かたち
オハネ
25かたち
オハネ
25かたち
オハネフ
25かたち
オハネ
25かたち
オハネフ
25かたち
  • 7・8号車ごうしゃ増結ぞうけつされる場合ばあいがあった。
凡例はんれい
A=開放かいほうしきA寝台しんだい
B=開放かいほうしきB寝台しんだい
EG=電源でんげんしゃ
  1. ^ カニ24かたちは「トワイライトエクスプレス塗装とそう車両しゃりょう充当じゅうとうされることがあった。
  2. ^ オロネ24かたちは0番台ばんだいまたは100番台ばんだい
  3. ^ オハネフ25かたち使用しようされる場合ばあいもあった。

機関きかんしゃ東日本旅客鉄道ひがしにほんりょかくてつどう(JR東日本ひがしにっぽん)の田端たばた運転うんてんしょ配置はいちEF65かたち電気でんき機関きかんしゃ牽引けんいんした。スーパーエクスプレスレインボー牽引けんいん指定してい機関きかんしゃ充当じゅうとうされることもあった。特急とっきゅうではなく急行きゅうこうのため、機関きかんしゃヘッドマーク装着そうちゃくされなかった。

客車きゃくしゃはJR西日本にしにほん宮原みやはら総合そうごう運転うんてんしょ配置はいちされる24けい客車きゃくしゃ7りょう繁忙はんぼうには9りょう)が使用しようされた。全車ぜんしゃ寝台しんだいしゃ編成へんせいされ、開放かいほうしきA寝台しんだいB寝台しんだいのみを連結れんけつし、個室こしつ座席ざせきしゃ連結れんけつされなかった。

A寝台しんだい開放かいほう段式だんしき定員ていいんは28めいで1号車ごうしゃとされ、喫煙きつえんしつおよび更衣ころもがえしつがあった。1号車ごうしゃ以外いがいはすべて段式だんしきのB寝台しんだいで、定員ていいんは32めいまたは34めいであった。車内しゃない販売はんばい営業えいぎょうしていなかった。

電源でんげんしゃカニ24はトワイライトエクスプレスいろ車両しゃりょう連結れんけつされることがあり、ごくまれにEF65かたちレインボーしょくとの組合くみあいわせもられた。

なお、廃止はいし使用しようされた24けい客車きゃくしゃなどはタイ国有こくゆう鉄道てつどうから譲渡じょうと依頼いらいがあり、日本にっぽんから輸送ゆそうして使用しようされている。日本にっぽんからタイ王国おうこくおくられた客車きゃくしゃは100りょうえているといわれている[5]

過去かこ使用しよう車両しゃりょう

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夜行やこう急行きゅうこう列車れっしゃとしては、従来じゅうらい10けい客車きゃくしゃふくめた旧型きゅうがた客車きゃくしゃこちらのひょうでは「はがねせい制式せいしき客車きゃくしゃ該当がいとうする)がもちいられることがおおく、当然とうぜんながら運行うんこう当初とうしょよりそれらがもちいられた。

しかし、たとえば運行うんこう当初とうしょでも当時とうじでは東海道とうかいどう山陽本線さんようほんせんでのみもちいられたきゅう一等いっとう寝台しんだいしゃ"マロネ40・41かたち客車きゃくしゃ"[1]や、旧型きゅうがた車両しゃりょう末期まっき1970年代ねんだい中庸ちゅうようには座席ざせき指定していしゃとしてかつての特急とっきゅうようさんとうしゃスハ44・スハフ44もちいるなど、編成へんせいをつぶさにると夜行やこう急行きゅうこう列車れっしゃのそれとは差異さいがあった。

1976ねん2がつ20日はつかから使用しよう開始かいしした20けい客車きゃくしゃ[1]当時とうじまだ寝台しんだい特急とっきゅうとしてもちいられていたため、特急とっきゅう列車れっしゃよう車両しゃりょう急行きゅうこう列車れっしゃ転用てんようされるはつれいとなった。また、これ以降いこう急行きゅうこうよう寝台しんだいしゃとして主流しゅりゅうであったオハネ10けい寝台しんだいしゃえが20けい客車きゃくしゃ格下かくさげするかたちすすめられるようになった。

その、1985ねん3がつには14けい客車きゃくしゃえられたが、1ねん8ヶ月かげつの1986ねん11月には24けい客車きゃくしゃ再度さいどえられた[1]

一時いちじ向日むこうまち運転うんてんしょ所属しょぞく581・583けいへの置換ちかん検討けんとうされ、イラストりマークや方向ほうこうまく準備じゅんびされたが、最終さいしゅうてきには見送みおくられた。

担当たんとう乗務じょうむいんしょ

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運転うんてんかく自社じしゃせんない担当たんとうしていた。

  • 車掌しゃしょう

ぜん区間くかんJR西日本にしにほん大阪おおさか車掌しゃしょう担当たんとうしていた[6]

利用りようじょうきょう

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東京とうきょう大阪おおさかむすしゅたる交通こうつう機関きかんである東海道新幹線とうかいどうしんかんせん航空こうくう会社かいしゃ各社かくしゃ最終さいしゅう便びんよりおそ時間じかん出発しゅっぱつし、翌朝よくあさ新幹線しんかんせん始発しはつ列車れっしゃるよりもはや時間じかん東京とうきょうえき大阪おおさかえき到着とうちゃくできることから、これらの空白くうはく時間じかんたいめる存在そんざいひとつとして有力ゆうりょく選択肢せんたくしとなっていたが、国鉄こくてつ分割ぶんかつ民営みんえいの1987ねん当時とうじに8わり程度ていどあった乗車じょうしゃりつも、2007ねんには4わり程度ていどまでんでいた[4]

東京とうきょうえき - 大阪おおさかえきあいだという以前いぜん夜行やこう列車れっしゃでも需要じゅよう見込みこめた区間くかんや、上記じょうきとお新幹線しんかんせんはしらない有効ゆうこう時間じかんたい利用りようして移動いどうできるメリットがあった。東京とうきょう大阪おおさかをB寝台しんだい利用りよう移動いどうする場合ばあい、「のぞみ」の普通ふつうしゃ指定していせき移動いどうした場合ばあい運賃うんちん料金りょうきん合計ごうけいがくとほとんどわらないことがりで、利用りようしゃそうはビジネスきゃくおお利用りようしていた[7]

2000年代ねんだいはいってからは夜行やこう列車れっしゃ衰退すいたい影響えいきょうゴールデンウィークぼん年末年始ねんまつねんし[8]など一部いちぶ期間きかんのぞけば低迷ていめいしており、2006ねん平均へいきん乗車じょうしゃりつは40%きょうであった[9][4]乗車じょうしゃりつ低下ていかした要因よういんとして、東海道新幹線とうかいどうしんかんせん早朝そうちょう深夜しんや運行うんこうされるようになったことや、ツアーバスふく夜行やこうバス普及ふきゅう、ホテル宿泊しゅくはく料金りょうきん価格かかく破壊はかいなどといった影響えいきょうによるビジネスきゃく利用りよう減少げんしょうがあった[7][4]。このため晩年ばんねん減車げんしゃ余儀よぎなくされ、A寝台しんだい・B寝台しんだいとも開放かいほうしき寝台しんだいのみで寝台しんだい特急とっきゅうには連結れんけつされていた個室こしつ寝台しんだいがなかったことや、車両しゃりょう老朽ろうきゅうもありぶし列車れっしゃ臨時りんじ列車れっしゃ)への格下かくさげや廃止はいしせつもたびたび浮上ふじょうした。

2008ねん3がつ中旬ちゅうじゅんのダイヤ改正かいせいで「あかつき」「なは」とともに廃止はいしになる見込みこみと一部いちぶ報道ほうどう機関きかんによってほうじられたのち存続そんぞくもとめるこえがあり、大船おおふなえき東海道とうかいどうせんくだりホームには利用りよううながすポスターも掲出けいしゅつされたことがあった。

東京とうきょうたい大阪おおさか夜行やこう急行きゅうこう列車れっしゃぐん

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明星みょうじょう

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1948ねん7がつに「銀河ぎんが」につづいて、東京とうきょうえき - 大阪おおさかえきあいだ運転うんてん開始かいしした急行きゅうこう列車れっしゃ運転うんてん開始かいし当初とうしょ臨時りんじ列車れっしゃで、列車れっしゃめい付与ふよされていなかった。翌年よくねん1949ねん9月に定期ていき列車れっしゃされたが、「明星みょうじょう」の列車れっしゃめい付与ふよされたのは1950ねん11月であった。1956ねん3がつさんとう寝台しんだいしゃ連結れんけつされるまでは座席ざせきしゃのみの車両しゃりょう運転うんてんされており、同年どうねん11がつからはとう寝台しんだいしゃ連結れんけつされるようになった。

1961ねん3がつに「金星きんせい」が運転うんてん開始かいししたことにより寝台しんだい列車れっしゃされたが、東海道新幹線とうかいどうしんかんせん開業かいぎょうにより利用りようきゃく減少げんしょう列車れっしゃ愛称あいしょう統合とうごうもあり、1968ねん10月に「銀河ぎんが」へ統合とうごうされて廃止はいし[1]

彗星すいせい

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東京とうきょうえき - 大阪おおさかえきあいだで1949ねん9がつから1964ねん9がつまで運転うんてんされていた夜行やこう急行きゅうこう列車れっしゃ運転うんてん開始かいし当初とうしょ列車れっしゃめい付与ふよされていなかったが、車両しゃりょう設備せつびが「銀河ぎんが」といためか関西かんさいでは「流星りゅうせい」の列車れっしゃめいばれていた。1950ねん11月に正式せいしきに「彗星すいせい」の列車れっしゃめい付与ふよされた。

1956ねん11月に「出雲いずも」が東海道本線とうかいどうほんせんない単独たんどく運転うんてんとするために「彗星すいせい」は不定期ふていき列車れっしゃ変更へんこうされたが、1957ねん10月に全国ぜんこく夜行やこう急行きゅうこう列車れっしゃ先駆さきがけて寝台しんだい列車れっしゃされた。1962ねん5月からビュフェしき食堂しょくどうしゃオシ16がた「サロンカー」連結れんけつされていた。

月光げっこう

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1953ねん11月から1965ねん9がつまで東京とうきょうえき - 大阪おおさかえきあいだ運転うんてんされていた夜行やこう急行きゅうこう列車れっしゃで、「月光げっこう」の運転うんてん開始かいしにより東海道とうかいどう本線ほんせん夜行やこう急行きゅうこう列車れっしゃは4往復おうふく増発ぞうはつされ、慢性まんせいてき輸送ゆそうりょく不足ふそく解消かいしょうされるようになった。座席ざせきしゃ運転うんてん開始かいし当初とうしょから連結れんけつされていたが、東海道とうかいどう本線ほんせんでも電車でんしゃ運転うんてんおこなわれるようになると、1961ねん10がつ座席ざせきしゃ連結れんけつりやめられ、寝台しんだい列車れっしゃとして運転うんてんされるようになった。

あかつき

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混雑こんざつ慢性まんせいしていた東京とうきょうえき - 大阪おおさかえきあいだ急行きゅうこう列車れっしゃ混雑こんざつ緩和かんわ目的もくてきとして、1958ねん10がつから1961ねん9がつまでと、1962ねん6がつから1964ねん9がつまで運転うんてんされていた急行きゅうこう列車れっしゃである。

運転うんてん開始かいし当初とうしょはすべて座席ざせきしゃ不定期ふていき列車れっしゃであったが、1959ねん9がつ寝台しんだい列車れっしゃされて毎日まいにち運転うんてん不定期ふていき列車れっしゃとなった。1961ねん10がつに「銀河ぎんが」「月光げっこう」「金星きんせい」が一斉いっせい寝台しんだい列車れっしゃされたため、「あかつき」が廃止はいしされたが、ビジネスマンから快適かいてき寝台しんだい列車れっしゃ人気にんきたかかったため、1962ねん6がつ不定期ふていき列車れっしゃの「だい2ろくかぶと」が寝台しんだい列車れっしゃされて「あかつき」に改称かいしょうされて復活ふっかつした。それでも「あかつき」は不定期ふていき列車れっしゃのままであったが、1962ねん10がつにようやく定期ていき列車れっしゃされ、東海道新幹線とうかいどうしんかんせん開業かいぎょうする1964ねん10がつ廃止はいしされるまで運転うんてんされていた。

金星かなぼし

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1961ねん3がつ東京とうきょうえき - 大阪おおさかえきあいだ運転うんてん開始かいしし、定期ていき列車れっしゃとしてはじめて電車でんしゃ運転うんてんされる夜行やこう急行きゅうこう列車れっしゃであった。「なにわ」と共通きょうつう運用うんようであったため、153けい運用うんよう効率こうりつたかまり、以降いこう客車きゃくしゃ運転うんてんされている夜行やこう急行きゅうこう列車れっしゃ寝台しんだい列車れっしゃすすめられることになった。1961ねん10がつ客車きゃくしゃ同時どうじ寝台しんだい列車れっしゃおこなわれ、東京とうきょうえき - 京都きょうとえきあいだでは、くだりは観光かんこう団体だんたい専用せんよう列車れっしゃと、のぼりは「出雲いずも」と併結運転うんてんされていたが、その単独たんどく運転うんてんになることはなく、1965ねん10がつ東海道とうかいどう本線ほんせん夜行やこう急行きゅうこうとしての「金星きんせい」は廃止はいしされた。

いこま・よど・六甲ろっこう

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「いこま」「よど」「六甲ろっこう」はいずれも1961ねん10がつ東京とうきょうえき - 大阪おおさかえきあいだ運転うんてん開始かいしした急行きゅうこう列車れっしゃひるぎょう1往復おうふく夜行やこう1往復おうふくがいずれも153けい12りょう編成へんせい運転うんてんされていた。なお、「いこま」の夜行やこう列車れっしゃ不定期ふていき列車れっしゃであった。

1962ねん6がつには「よど」「六甲ろっこう」は夜行やこう列車れっしゃ廃止はいしされて1往復おうふくになり、「いこま」は1965ねん10がつ毎日まいにち運転うんてん臨時りんじ列車れっしゃとして夜行やこう列車れっしゃの1往復おうふくのみの運転うんてん変更へんこうされ、東海道とうかいどう本線ほんせん座席ざせき夜行やこう急行きゅうこう列車れっしゃ削減さくげんすすめられていった。1965ねん10がつに「よど」「六甲ろっこう」が廃止はいしされ、最後さいごまでのこった「いこま」についても1968ねん10がつ廃止はいしされた。

列車れっしゃめい由来ゆらいは、「いこま」が大阪おおさか奈良ならけん府県境ふけんきょう位置いちする生駒山いこまやま、「よど」が大阪おおさかわんながそそ淀川よどがわ、「六甲ろっこう」が神戸こうべ東西とうざいつらなる六甲山地ろっこうさんち最高峰さいこうほうである六甲山ろっこうざんである。

1963ねん10がつから1964ねん9がつまで東京とうきょうえき - 大阪おおさかえきあいだ運転うんてんされていた夜行やこう急行きゅうこう列車れっしゃ東海道新幹線とうかいどうしんかんせん開業かいぎょうによってわずか1ねん廃止はいしされた。

当時とうじ寝台しんだい急行きゅうこうは、寝台しんだい料金りょうきんはらっても快適かいてきたびをしたいという要望ようぼうつよかったが、線路せんろ容量ようりょういちはいでこれ以上いじょう増発ぞうはつができる状態じょうたいではなかったため、「なにわ」の1往復おうふく削減さくげんして「すばる」が運転うんてんされていた。

列車れっしゃめいは、おうし散開さんかい星団せいだんであるプレアデス星団せいだん和名わみょう由来ゆらいとなっている。

沿革えんかく

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夜行やこう急行きゅうこう列車れっしゃ整備せいび

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1956ねん12月1にち時点じてん編成へんせい[10]
銀河ぎんが
神戸こうべ
東京とうきょう
1 2 3 4 5 6
AB B C とく とく
7 8 9 10 11 12 13
さん さん さん さん さん さん さん
凡例はんれい
=とうしゃ
A, B, C=寝台しんだい種別しゅべつ
とく=特別とくべつとうしゃ座席ざせきしゃ
さん=さんとうしゃ
さん=さんとう寝台しんだいしゃ
=荷物にもつしゃ
  • 1947ねん昭和しょうわ22ねん
    • 6月21にち東京とうきょうえき - 大阪おおさかえきあいだに、急行きゅうこう103・104列車れっしゃ運転うんてん開始かいし戦前せんぜん海外かいがい渡航とこう観点かんてんから[よう出典しゅってん]神戸こうべえき発着はっちゃくとなっていたが、占領せんりょうのため大阪おおさかえき発着はっちゃくでの運転うんてんとなった。
    • 7がつ急行きゅうこう103・104列車れっしゃが11・12列車れっしゃ変更へんこう
  • 1948ねん昭和しょうわ23ねん7がつ1にち東京とうきょうえき - 大阪おおさかえきあいだで、急行きゅうこう2017・2018列車れっしゃ運転うんてん開始かいし
  • 1949ねん昭和しょうわ24ねん
    • 9月15にち:ダイヤ改正かいせいにより、11・12列車れっしゃが15・16列車れっしゃ変更へんこうされ、急行きゅうこう銀河ぎんが」として運転うんてん開始かいし[1]東京とうきょうえき - 大阪おおさかえきあいだで、急行きゅうこう17・18列車れっしゃ運転うんてん開始かいしどう区間くかん急行きゅうこうは3往復おうふくになる。
  • 1950ねん昭和しょうわ25ねん
    • 10月1にち:ダイヤ改正かいせいにより、「銀河ぎんが」の運転うんてん区間くかん東京とうきょうえき - 神戸こうべえきあいだ延長えんちょう[1]急行きゅうこう17・18列車れっしゃが15・16列車れっしゃ変更へんこうされる。
    • 11月8にち急行きゅうこう2017・2018列車れっしゃに「明星みょうじょう」、急行きゅうこう15・16列車れっしゃに「彗星すいせい」と命名めいめいされる。
  • 1953ねん昭和しょうわ28ねん)11月11にち東京とうきょうえき - 大阪おおさかえきあいだ急行きゅうこう月光げっこう」が運転うんてん開始かいし
  • 1956ねん昭和しょうわ31ねん
    • 3がつ20日はつか:「銀河ぎんが」にさんとう寝台しんだいしゃ連結れんけつ開始かいし[1]
    • 11月19にち東京とうきょうえき - 大阪おおさかえきあいだ急行きゅうこう「なにわ」が運転うんてん開始かいし
  • 1958ねん昭和しょうわ33ねん)10がつ1にち東京とうきょうえき - 大阪おおさかえきあいだ不定期ふていき列車れっしゃとして急行きゅうこう「あかつき」が運転うんてん開始かいし
  • 1959ねん昭和しょうわ34ねん)9がつ22にち:「あかつき」が廃止はいし

急行きゅうこう列車れっしゃ増発ぞうはつ

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1960ねん10がつ1にち時点じてん編成へんせい[10]
銀河ぎんが
神戸こうべ
東京とうきょう
1 2 5 6
いちAB いちB
7 8 9 10 11 13
ゆび
凡例はんれい
いち=一等いっとう寝台しんだいしゃ(A, B=寝台しんだい種別しゅべつ
=とうしゃ
=寝台しんだいしゃ
ゆび=座席ざせき指定していせき
=荷物にもつしゃ
  • 1960ねん昭和しょうわ35ねん)6がつ1にち東京とうきょうえき - 大阪おおさかえきあいだ急行きゅうこう「せっつ」が運転うんてん開始かいし
  • 1961ねん昭和しょうわ36ねん
    • 3月1にち東京とうきょうえき - 大阪おおさかえきあいだ急行きゅうこう金星きんせい」が運転うんてん開始かいし
    • 10月1にち:ダイヤ改正かいせいにより、つぎのように変更へんこう
      1. 銀河ぎんが」の座席ざせき緩急かんきゅうしゃとう寝台しんだい緩急かんきゅうしゃ交換こうかんされ、寝台しんだい列車れっしゃになる。
      2. 「せっつ」が1往復おうふく増発ぞうはつされ、2往復おうふくになる。
      3. 金星きんせい」が電車でんしゃから客車きゃくしゃ寝台しんだい列車れっしゃ
      4. 東京とうきょうえき - 大阪おおさかえきあいだで「いこま」「やましろ」「よど」「六甲ろっこう」が運転うんてん開始かいし
  • 1962ねん昭和しょうわ37ねん
    • 6がつ10日とおか東京とうきょうえき - 大阪おおさかえきあいだ不定期ふていき列車れっしゃとして急行きゅうこう「あかつき」が運転うんてん開始かいし。「彗星すいせい」にビュフェしゃオシ16かたち連結れんけつ
    • 10月1にち:「あかつき」が定期ていき列車れっしゃ変更へんこう。「やましろ」が廃止はいし
  • 1963ねん昭和しょうわ38ねん)10がつ1にち東京とうきょうえき - 大阪おおさかえきあいだ急行きゅうこう「すばる」が運転うんてん開始かいし電車でんしゃ運転うんてんされていた夜行やこう急行きゅうこうだい2なにわ」を客車きゃくしゃのうえ寝台しんだい列車れっしゃとしたもの。
  • 1964ねん昭和しょうわ39ねん)10がつ1にち東海道新幹線とうかいどうしんかんせん開業かいぎょうによるダイヤ改正かいせいにより、つぎのように変更へんこう
    1. 彗星すいせい」「あかつき」「せっつ」「すばる」が廃止はいし
    2. 廃止はいしされた「彗星すいせい」のオシ16かたちが「銀河ぎんが」に連結れんけつ開始かいし[1]

東海道とうかいどう本線ほんせん唯一ゆいいつ寝台しんだい急行きゅうこう銀河ぎんが」として

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1975ねん3がつ10にち現在げんざい編成へんせい[10]
銀河ぎんが
大阪おおさか
東京とうきょう
1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13
B A B B B B B B B B B ゆび ゆび
凡例はんれい
A=A寝台しんだい
B=B寝台しんだい
ゆび=普通ふつうしゃ座席ざせき指定していせき
  • 1965ねん昭和しょうわ40ねん
    • 3月:「銀河ぎんが」のとう寝台しんだいしゃ2りょうはずスハ44・スハフ43かたち連結れんけつされる。
    • 10月1にち:ダイヤ改正かいせいによりつぎのように変更へんこう
      1. 金星きんせい」「よど」「六甲ろっこう」が廃止はいし
      2. 「いこま」が1往復おうふく削減さくげんされて、1往復おうふくになる。
      3. 銀河ぎんが」の運転うんてん区間くかんが、東京とうきょうえき - 姫路ひめじえきあいだ延長えんちょうされる。どう区間くかん運転うんてんされていた急行きゅうこうはりま」の廃止はいしともな措置そち
  • 1968ねん昭和しょうわ43ねん)10がつ1にちヨンサントオのダイヤ改正かいせいにより「明星みょうじょう」が「銀河ぎんが」に統合とうごうされて廃止はいし[1]。「銀河ぎんが」は2往復おうふくになる[1]。「なにわ」が廃止はいし
    • なお、従来じゅうらいの「銀河ぎんが」は上下じょうげとも「銀河ぎんが」2ごうとなり、「明星みょうじょう」は上下じょうげとも「銀河ぎんが」1ごうとなった。
  • 1972ねん昭和しょうわ47ねん3月15にち:ダイヤ改正かいせいにより「銀河ぎんが」は東京とうきょうえき - 大阪おおさかえきあいだ運転うんてん統一とういつ[1]。また、上下じょうげとも「銀河ぎんが」1ごう東京とうきょうえき - 紀伊きい勝浦かちうらえきあいだ急行きゅうこう紀伊きい」と併結運転うんてん開始かいし[1]
  • 1975ねん昭和しょうわ50ねん3がつ10日とおか:ダイヤ改正かいせいにより「銀河ぎんが」の1往復おうふく廃止はいし[1]
  • 1976ねん昭和しょうわ51ねん2がつ20日はつか:「銀河ぎんが」が20けい客車きゃくしゃ[1]
  • 1980ねん昭和しょうわ55ねん7がつ25にち:「急行きゅうこう」の文字もじのみだったテールマークから、列車れっしゃめいとイラストがはいったテールマークに変更へんこうされ同日どうじつ大阪おおさかはつより提出ていしゅつ[11]客車きゃくしゃ急行きゅうこう列車れっしゃとして絵入えいりテールマークの復活ふっかつとなる。
  • 1984ねん昭和しょうわ59ねん2がつ1にち:ダイヤ改正かいせいにより、東京とうきょうえき到着とうちゃく時刻じこくが9だいから6だい変更へんこう大阪おおさかえき発車はっしゃ時刻じこく若干じゃっかんはやまるが、途中とちゅうえきでの「瀬戸せと」や「出雲いずも」4ごう待避たいひがなくなる。
  • 1985ねん昭和しょうわ60ねん3月14にち:ダイヤ改正かいせいにより「銀河ぎんが」が20けい客車きゃくしゃから14けい客車きゃくしゃえられる[1]
  • 1986ねん昭和しょうわ61ねん11月1にち:ダイヤ改正かいせいにより定期ていき銀河ぎんが」が14けい客車きゃくしゃから24けい25かたち客車きゃくしゃえられる[12]
  • 1991ねん平成へいせい3ねん3月16にちダイヤ改正かいせいにより、担当たんとう車掌しゃしょう東日本旅客鉄道ひがしにほんりょかくてつどう東京とうきょう車掌しゃしょうからJR西日本にしにほん大阪おおさか車掌しゃしょう変更へんこう[よう出典しゅってん]
  • 2001ねん平成へいせい13ねん3月3にち:ダイヤ改正かいせいにより1りょう減車げんしゃされる。
  • 2008ねん平成へいせい20ねん3月15にち:ダイヤ改正かいせいにより「銀河ぎんが」は廃止はいしされる。
銀河ぎんが最終さいしゅう編成へんせい
大阪おおさか
東京とうきょう
くだ編成へんせい(3がつ14にち東京とうきょうはつ
所属しょぞく 宮原みやはら総合そうごう運転うんてんしょ
号車ごうしゃ 電源でんげんしゃ 1 2 3 4 5 6 7 8
客車きゃくしゃ形式けいしき カニ24
11
オロネ24
102
オハネフ25
133
オハネ25
158
オハネ25
196
オハネ25
251
オハネフ25
131
オハネ25
160
オハネフ25
132
機関きかんしゃ 東京とうきょう大阪おおさか EF65-1114(田端たばた
のぼ編成へんせい(3がつ14にち大阪おおさかはつ
所属しょぞく 宮原みやはら総合そうごう運転うんてんしょ
号車ごうしゃ 電源でんげんしゃ 1 2 3 4 5 6 7 8
客車きゃくしゃ形式けいしき カニ24
104
オロネ24
6
オハネフ25
150
オハネ25
191
オハネ25
161
オハネ25
207
オハネフ25
47
オハネ25
167
オハネフ25
46
機関きかんしゃ 大阪おおさか東京とうきょう EF65-1112(田端たばた

登場とうじょうする作品さくひん

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脚注きゃくちゅう

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u 鉄道てつどうジャーナルだい21かんだい6ごう鉄道てつどうジャーナルしゃ、1987ねん5がつ、15-33ぺーじ 
  2. ^ 寝台しんだいしゃ連結れんけつした夜行やこう急行きゅうこう列車れっしゃ自体じたい銀河ぎんが廃止はいしも「はまなす」、「きたぐに」がのこったが、いずれも全車ぜんしゃ寝台しんだいしゃではないため、寝台しんだい急行きゅうこうではなかった(それらに寝台しんだい列車れっしゃであることをあらわす『流星りゅうせいマーク』はいていない)。
  3. ^ 2008ねん3がつダイヤ改正かいせいについて (PDF) - 東日本旅客鉄道ひがしにほんりょかくてつどうプレスリリース 2007ねん12がつ20日はつか
  4. ^ a b c d e さよなら『銀河ぎんが』-りゆく寝台しんだい列車れっしゃのライバルとは - Business Media まこと
  5. ^ 芦原あしはらしん『さらばブルートレイン! 昭和しょうわ鉄道てつどう紀行きこう講談社こうだんしゃ、2008ねん、p.193。
  6. ^ 鉄道てつどうジャーナル鉄道てつどうジャーナルしゃ、2006ねん10がつごう
  7. ^ a b 銀河ぎんが」:しまれラストラン 高度こうど成長せいちょうささえたブルトレインターネットアーカイブ)- 毎日新聞まいにちしんぶん 2008ねん3がつ14にち
  8. ^ み? 3月廃止はいし寝台しんだい急行きゅうこう銀河ぎんが前年ぜんねん32%急増きゅうぞう(インターネット・アーカイブ) - 産経新聞さんけいしんぶん 2008ねん1がつ7にち
  9. ^ くブルトレ…のこるは7ほん JRダイヤ改正かいせい - 産経新聞さんけいしんぶん 2007ねん12がつ20日はつか
  10. ^ a b c 三宅みやけ俊彦としひこ寺本てらもと光照みつてる時刻じこくひょうる〈国鉄こくてつ・JR〉列車れっしゃ編成へんせいJTBパブリッシング、2011ねんISBN 978-4-533-08344-0
  11. ^ 鉄道てつどうファンだい20かんだい10ごう交友こうゆうしゃ、1980ねん10がつ、110ぺーじ 
  12. ^ 鉄道てつどうジャーナルだい21かんだい1ごう鉄道てつどうジャーナルしゃ、1987ねん1がつ、14ぺーじ 

参考さんこう文献ぶんけん

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関連かんれん項目こうもく

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