(Translated by https://www.hiragana.jp/)
防衛食容器 - Wikipedia コンテンツにスキップ

防衛ぼうえいしょく容器ようき

この記事は良質な記事に選ばれています
出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
ぼう14の記載きさいがある防衛ぼうえいしょく容器ようき(うみねこ博物はくぶつどう 所蔵しょぞうひん

防衛ぼうえいしょく容器ようき(ぼうえいしょくようき)とは(防衛ぼうえい食器しょっき[1][2]防衛ぼうえいしょく[3]ともばれる)、だい世界せかい大戦たいせんなか金属きんぞくるい回収かいしゅうれい金属きんぞく供出きょうしゅつ)により、食料しょくりょう貯蔵ちょぞうする缶詰かんづめ代用だいようとしてつくられた陶磁器とうじきせいの「特許とっきょ真空しんくう容器ようき[4][5]大量たいりょう製造せいぞうされたものの、なかれる食糧しょくりょう不足ふそくしたためそら容器ようきのみが大量たいりょうのこったといわれている[6][7]容器ようき現物げんぶつがそのままの姿すがたあるいは破片はへん修復しゅうふくされた姿すがたのものがおお現存げんそんし、博物館はくぶつかんなどに収蔵しゅうぞうされているほか、オークション出品しゅっぴんされるケースもある[7][8]

製作せいさく背景はいけい[編集へんしゅう]

防衛ぼうえいしょく[編集へんしゅう]

容器ようき表記ひょうきされていることから「防衛ぼうえいしょく」という語句ごく本稿ほんこうべる容器ようきふくんだものをすこともあるが、もともと「防衛ぼうえいしょく」とは、戦時せんじでの避難ひなん貯蔵ちょぞう食糧しょくりょうすことがおもである[9]

戦時せんじちゅうかれた資料しりょうによれば、炊事すいじによりてき存在そんざいられることなく、けむりしたりをおこしたりすることなく、冬季とうき凍結とうけつなつ腐敗ふはい影響えいきょうされず、食生活しょくせいかつたもつためのものとされ、このような条件じょうけんたした長期ちょうき保存ほぞん可能かのう食品しょくひん防衛ぼうえいしょくといい、缶詰かんづめ瓶詰びんづめ携行けいこうできる乾燥かんそうした食品しょくひんふくまれる[10]

そのほか防衛ぼうえいしょく条件じょうけんとしては、どくガスに汚染おせんされないこと、運搬うんぱん携帯けいたい便利べんりなこと、破壊はかいさせられないこと、最小さいしょう空間くうかん最大さいだいりょう貯蔵ちょぞうできること、栄養えいよう価値かち十分じゅうぶんであること、(容器ようきないの)全部ぜんぶべられること、種類しゅるいおおいことなどがげられている[11]

本稿ほんこうにおける容器ようき表面ひょうめん表記ひょうきされている「防衛ぼうえいしょく」や「国民こくみんしょく」の名称めいしょう東条とうじょう英機ひできによる命名めいめいであるという資料しりょうがある[12]

金属きんぞく供出きょうしゅつ[編集へんしゅう]

1941ねん昭和しょうわ16ねん)8がつ金属きんぞくるい回収かいしゅうれい公布こうふされた[13]公布こうふの2ねんまえ1939ねん昭和しょうわ14ねん)6がつ時点じてん東京とうきょう刊行かんこうしていた『市政しせい週報しゅうほう』には金属きんぞくせいママ事務じむよう消耗しょうもうひん回収かいしゅうしるされており、この時期じきから金属きんぞくるい不足ふそくはじまっていた[14]

陶磁器とうじき輸出ゆしゅつ戦争せんそうきたことにより激減げきげんし、国内こくない需要じゅよう輸送ゆそう原材料げんざいりょう確保かくほ困難こんなんになっていた。陶磁器とうじきぎょう自主じしゅてき転業てんぎょういられるケースもおおく、のこるには戦争せんそうむすけた需要じゅようこしが必要ひつようだった[15]

代用だいよう陶器とうき[編集へんしゅう]

金属きんぞく供出きょうしゅつ対象たいしょう家庭かてい使つかにち用品ようひんふく多岐たきにわたり、本来ほんらい金属きんぞく素材そざいつくられる製品せいひん代用だいようとして陶磁器とうじきつくられたものがおおくあった。これらは代用だいよう陶器とうき陶製とうせいだい用品ようひん)などとばれた[16][17]おも代用だいよう陶器とうきには、おろしがね[18]たんぽ[18][19]、たばこ[18]地雷じらい[18][19]手榴弾しゅりゅうだんよんしき陶製とうせい手榴弾しゅりゅうだん[19][1]貨幣かへいとう[20][21]ガスコンロ[19]テーブルタップ[22]電球でんきゅうソケット[22]羽釜はがま[23]洗面せんめん[23]アイロン[17]などがあったとの記録きろくのこっている。

とくなべやコンロは疎開そかい生活せいかつ必需ひつじゅひんとして、また空襲くうしゅう罹災りさいみんへの救援きゅうえん物資ぶっしとして食料しょくりょうとともにさきおくられた[24]

つぼつめ[編集へんしゅう]

材料ざいりょうであるブリキ調達ちょうたつ困難こんなんになり、缶詰かんづめ製造せいぞう同様どうよう影響えいきょうけ、金属きんぞく以外いがいでの素材そざい使用しようして食料しょくりょう長期ちょうき保存ほぞんするための容器ようきつくられる構想こうそうがった[25]

1941ねん昭和しょうわ16ねん)ごろ「真空しんくう食品しょくひん普及ふきゅう協会きょうかい」を設立せつりつしたみなみ金作きんさくが、試験しけんてき瀬戸せと陶器とうきで「つぼつめ」をつくらせた。量産りょうさんするにあたり岐阜ぎふけん笠原かさはらまち(のちの多治見たじみ)の工場こうじょうなどで製作せいさくおこなわれた。「真空しんくう食品しょくひん普及ふきゅう協会きょうかい」は支援しえんしゃ意向いこうで「国民こくみん食糧しょくりょう株式会社かぶしきがいしゃ」となったころ、みなみによれば「Aというおとこ」が支援しえんしゃよりおくまれ、ともに事業じぎょうすすめることとなった。Aというおとこ相当そうとうのハッタリ東条とうじょう首相しゅしょうにもったり、べつ大臣だいじんいだったり羽振はぶりをかせたという人物じんぶつだったという。Aは容器ようきができていないうちから缶詰かんづめやから注文ちゅうもんまえきん請求せいきゅうしていたことからみなみ衝突しょうとつし、みなみ退社たいしゃ退社たいしゃまえ1942ねん昭和しょうわ17ねん)には「つぼつめ」はできており、全部ぜんぶで5まんはこはあったという[25][注釈ちゅうしゃく 1]

1943ねん昭和しょうわ18ねん)ごろ、日本にっぽん防空ぼうくう食糧しょくりょう株式会社かぶしきがいしゃ社長しゃちょうである小沢おざわせんななろう缶詰かんづめ瓶詰びんづめ代用だいようとなる陶器とうきせいの「つぼつめ」を東条とうじょう内閣ないかく[注釈ちゅうしゃく 2]政府せいふのバックアップのもと、容器ようき生産せいさんパッキンようゴム配給はいきゅう当初とうしょ缶詰かんづめ統制とうせい会社かいしゃ略称りゃくしょうにちかんみつる)にびかけた。ほどなくして生産せいさん配給はいきゅう体制たいせいめぐってにちかんみつるだい日本にっぽん防空ぼうくう食糧しょくりょう株式会社かぶしきがいしゃ対立たいりつのうしょうしょうにより2しゃ役割やくわりめられ、生産せいさん計画けいかくのうしょうしょうめ2しゃ意見いけん必要ひつようおうじてくことと、製品せいひん集荷しゅうか配給はいきゅうにちかんみつるおこなうこととなった[27]

防衛ぼうえいしょく容器ようき[編集へんしゅう]

他方たほう地方ちほうへの食糧しょくりょう輸送ゆそう容器ようきとしてまた貯蔵ちょぞう食糧しょくりょう容器ようきとして活用かつようできればとのおもいから、名古屋なごやせらさかえ合資ごうし会社かいしゃ(のちのせらさかえ陶器とうき)の当時とうじ社長しゃちょうである水野みずのいちは、ぐんすすめでだい日本にっぽん防空ぼうくう食糧しょくりょう株式会社かぶしきがいしゃ連携れんけいして、長期ちょうき保存ほぞん可能かのう缶詰かんづめ同等どうとう性能せいのうたせた陶器とうきせい容器ようき開発かいはつテストをかえった[28][注釈ちゅうしゃく 3]

完成かんせいまでにおおくの試行錯誤しこうさくごがあった[7]。ふたと容器ようき長時間ちょうじかん密着みっちゃく維持いじつづけるように、ふたのと容器ようきせっする部分ぶぶんとつせんれるさい、どのようになんほんれればよいか、細工ざいくかえおこなわれ[29]、1943ねん金属きんぞく缶詰かんづめ同様どうよう食料しょくりょう保存ほぞん可能かのうなものが完成かんせいした[30][31][注釈ちゅうしゃく 4]

せらさかえ合資ごうし会社かいしゃ製品せいひん[1]だい日本にっぽん防空ぼうくう食糧しょくりょう株式会社かぶしきがいしゃ統括とうかつ[32]石炭せきたんめぐまれた有田ありた地方ちほう有田ありた陶磁器とうじき会社かいしゃなか支店してんもう[7]有田ありた陶磁器とうじき会社かいしゃ専務せんむ取締役とりしまりやくであるむく露地ろじよしみはち[注釈ちゅうしゃく 5]経営けいえい委嘱いしょくし、佐賀さがけん藤津ふじつぐん久間くまむら現在げんざい嬉野うれしの)の工場こうじょうだい日本にっぽん防空ぼうくう食糧しょくりょう会社かいしゃ九州きゅうしゅう工場こうじょうとして、鹿島かしま波佐見はさみまち下請したう工場こうじょうつく終戦しゅうせんまで管理かんり運営うんえいになった[31][34]ほか、美濃みのでも製造せいぞうされていた[7][35]久間くまむらではやく100まん製造せいぞうされ、戦後せんご軍事ぐんじ物資ぶっし放出ほうしゅつされたことでそら容器ようきのみが市場いちば出回でまわった[34]結局けっきょく製品せいひんには大変たいへん苦労くろうともなぐんからも期待きたいされていたが、中身なかみ食糧しょくりょう調達ちょうたつ困難こんなんになり終戦しゅうせんたずしてそらのままの容器ようき大量たいりょうのこして使命しめいえた[6]佐賀さがけん嬉野うれしのにある塩田しおだまち歴史れきし民俗みんぞく資料しりょうかんによれば、塩田しおだ町内ちょうない土蔵どぞうにはすうまん防衛ぼうえいしょく容器ようきねむっているという[34]

流通りゅうつう遺跡いせきからの出土しゅつど[編集へんしゅう]

容器ようき自体じたいは12まん5せんケースが21都道府県とどうふけん配布はいふされ、食料しょくりょうめられる用意よういがあったとされているが、食糧難しょくりょうなん終戦しゅうせんによりおおくはからっぽのままだったという。製品せいひんされたものはかく都道府県とどうふけん食糧しょくりょう営団えいだんおくられていた[36]

防衛ぼうえいしょく容器ようき出土しゅつどされた場所ばしょには、鹿児島かごしま大分おおいた長崎ながさき東大阪ひがしおおさか阪南はんなん東京とうきょうみなと日野ひの板橋いたばしなどがあり、かつて省庁しょうちょうぐん施設しせつがあった場所ばしょからの出土しゅつどおおいが、ぐんによる放出ほうしゅつ以降いこうのものは墓地ぼち花入はないれなどにに転用てんようされていた[37]出土しゅつどさいきた青森あおもりけんさいみなみ奄美あまみ大島おおしま清水しみず集落しゅうらく確認かくにんされている[38]

防衛ぼうえいしょく容器ようき仕様しよう[編集へんしゅう]

湯飲ゆのちゃわんのような形状けいじょう容器ようきに、パッキンがついたふたが付属ふぞくしている。おおきさにはややばらつきがあるものの84ミリメートル×84ミリメートル×97ミリメートルのサイズと表記ひょうきされたものがある[39]容器ようきなか食糧しょくりょうれたのち、パッキンがついたふたをして密閉みっぺいし、圧力あつりょくバサミでふたと容器ようき密着みっちゃくさせた状態じょうたい[6]熱湯ねっとうにつけたのち冷水れいすいやし、なか真空しんくう減圧げんあつ状態じょうたいにした[7][32]さきのとがったはりくぎなどを使つかって、ふたの中央ちゅうおうのくぼみにあなをあけて空気くうきれることでひら仕組しくみになっていた[40]。くぼみは釉薬被膜ひまくじょうのもので外気がいきさえぎっており、かるくだけで開封かいふうできるようになっていた[34]容器ようき食品しょくひんれ、からふたをして密着みっちゃくさせ外気がいきれないようにするのが技術ぎじゅつのポイントであった[28]

ふたつのタイプ[編集へんしゅう]

ふたの内部ないぶ四角よつかどの受箱があるタイプとないタイプがあり、さきのとがったものでふたにあなをあけるとき、ふたの欠片かけらなか食品しょくひんちないように受箱があったとかんがえられている[41]ばこがあるタイプは瀬戸せと歴史れきし民俗みんぞく資料しりょうかん現在げんざい瀬戸せとぞうミュージアム)に所蔵しょぞうされている実物じつぶつのみで確認かくにんできており、ほかのれいでは確認かくにんできていない。受箱があるタイプは瀬戸せと地方ちほうのみでわずかな期間きかんしかつくられていなかったのではないかという仮説かせつてられている[42]

中身なかみ[編集へんしゅう]

なかれられた食品しょくひんには、福神漬ふくじんづけ佃煮つくだにコーンビーフ肉類にくるいイワシなどの魚類ぎょるい昆布こぶまめなどがある[22][35][43][44]

また1944ねん昭和しょうわ19ねん)の『防空ぼうくうしょくつぼつめ製造せいぞう規格きかく』にはにく野菜やさいさかな野菜やさい味付あじつけのさかな塩漬しおづ野菜やさい防空ぼうくうづけ)、野菜やさいいものクリームうどんの7しゅがそれぞれのレシピとともに記載きさいされていた[36]

表記ひょうき[編集へんしゅう]

おおくは表面ひょうめん以下いかのような表記ひょうきがあり、「ぼう〇〇(数字すうじ)」の分類ぶんるい記号きごうしるされている。地域ちいきあらわ統制とうせい番号ばんごう後述こうじゅつ)がしるされているものもある[43][45]文字もじいろにはこんけいみどりけいちゃけいなどの種類しゅるいがある[38]

ぼう〇〇(数字すうじ)」の表記ひょうき統制とうせい番号ばんごう一種いっしゅではあるが防衛ぼうえいしょく容器ようきのみに使用しようされた[46]

本体ほんたい防衛ぼうえいしょくぼう〇〇)だい日本にっぽん防空ぼうくう食糧しょくりょう株式會社かぶしきがいしゃ 社長しゃちょう小澤おざわせんななろう謹製きんせい
【ふた】(ぼう〇〇)特許とっきょ眞空しんくう容器ようき矢印やじるしノクボミヲはりデツクトぶたレマス」[注釈ちゅうしゃく 6]

ぼう〇〇の部分ぶぶんには以下いか数字すうじしるされているもの現物げんぶつ確認かくにんされている[38][7][43][48][49][50][注釈ちゅうしゃく 7]

  • 1、2、3、5、7、8、10、12、13、14、15、18、表記ひょうきなし

画像がぞう[編集へんしゅう]

「うみねこ博物はくぶつどう所蔵しょぞうひん


ほかの表記ひょうき[編集へんしゅう]

  • 国民こくみんしょく(3) 日本にっぽん国民こくみん食糧しょくりょう株式会社かぶしきがいしゃ[51][注釈ちゅうしゃく 7]

統制とうせい番号ばんごう[編集へんしゅう]

戦況せんきょう悪化あっかともない、1942ねん昭和しょうわ17ねん)には企業きぎょう整備せいびれい発令はつれいされ[53]陶磁器とうじき業界ぎょうかい影響えいきょうけ、資源しげん節約せつやく観点かんてんから燃料ねんりょう使用しようについても制限せいげんもうけられた。生産せいさんする陶磁器とうじき種類しゅるい制限せいげん窯元かまもと統合とうごうがあり、窯元かまもとめい生産せいさんひんしるすことを禁止きんしした。これらの生産せいさんひん統制とうせい陶器とうき[54]窯元かまもとめいわりとして地域ちいきあらわ漢字かんじ窯元かまもとあらわ統制とうせい番号ばんごう記載きさいされ[20]防衛ぼうえいしょく容器ようきにも統制とうせい番号ばんごうしるされているものがある[注釈ちゅうしゃく 7]

特許とっきょ[編集へんしゅう]

容器ようきには特許とっきょ表記ひょうきがあり、せらさかえ陶磁器とうじきママ合資ごうし会社かいしゃ社長しゃちょう水野みずのいちろうママ)が特許とっきょった[58]、という資料しりょうがある、他方たほうみなみ金作きんさく谷川たにがわというおとこ特許とっきょっていた陶器とうきのツボでつぼつめと、缶詰かんづめだい用品ようひんについてかたっている[25]。しかしながら、せらさかえ合資ごうし会社かいしゃ関連かんれん水野みずのいち、あるいは缶詰かんづめ関連かんれん特許とっきょおお取得しゅとくしている谷川たにがわ良太郎りょうたろう特許とっきょ7けん[59]について調しらべた範囲はんいでは、防衛ぼうえいしょく容器ようきそのものの特許とっきょ申請しんせい取得しゅとくなどのデータは確認かくにんできず、また、容器ようきのどのてん特許とっきょ対象たいしょうなのかもはっきりしていない。

防衛ぼうえいしょく容器ようき仕様しよう一番いちばんちか特許とっきょとしては、1940ねん昭和しょうわ15ねん)11月16にち出願しゅつがんされ1942ねん昭和しょうわ17ねん)10がつ30にち特許とっきょった、日高ひだかあきらによる発明はつめいの「貯蔵ちょぞう食品しょくひんつぼつめ方法ほうほう」がある。この特許とっきょではぶたはブリキせいではあるものの、磁器じきなどのつぼ密閉みっぺいするためのもので、詳細しょうさい説明せつめいにおいては、磁器じき性質せいしつうえがたぞろいになってもパッキングごと加熱かねつすることによって気密きみつせいたもてるとしていることから、以下いか一部いちぶ引用いんようする[60][注釈ちゅうしゃく 8]

ほん発明はつめいは、磁器じきせいそのほか加熱かねつ急冷きゅうれいえうる傾斜けいしゃないしゅうこうゆうする広口ひろくちつぼに、うちえきとともに食品しょくひん適量てきりょうめ「ゴム」または適当てきとうなる「パッキング」をめたるさらじょうブリキせいぶたを該傾斜けいしゃこううちはましてかりぶたほどこし、押圧金具かなぐ装着そうちゃくしてかるさえたるものを加熱かねつ内容ないようぶつ含有がんゆう気泡きほう放出ほうしゅつせしめ、うちつめ膨張ぼうちょうによりぶたと該液との空隙くうげき空気くうき排除はいじょし、これをし押圧金具かなぐだっして完成かんせいする貯蔵ちょぞう食品しょくひんつぼつめ方法ほうほうかかわり、その目的もくてきとするところは簡単かんたんなる操作そうさによりつぼぶた大気たいきあつりょくにより機密きみつにしつぼつめせんとするにあり
特許とっきょけんしゃ発明はつめいしゃ日高ひだかあきら代理人だいりにん 弁理べんり 清水しみずおさむそといちめいとくあかり153408 発明はつめい性質せいしつおよ目的もくてき要領ようりょう
磁器じきせいそのほか類似るいじ広口ひろくちつぼがりじょうそのくちかたちまったただしいかたちにならず(中略ちゅうりゃくほん発明はつめいは「パッキング」をめたるさらじょうブリキせいぶた広口ひろくちつぼ傾斜けいしゃこううちめしかりぶたほどこぶたの押圧金具かなぐをもってかるさえたるつぼを70℃に加熱かねつし、内容ないようぶつ含有がんゆう気泡きほうおよび内容ないようぶつ膨張ぼうちょうによりぶたとの隙間すきま空気くうき排除はいじょまた希薄きはくとなしてし、押圧金具かなぐをもってぶた口内こうない密着みっちゃくせしめ、さらに加熱かねつ殺菌さっきんほどこしてこれを水中すいちゅう投入とうにゅうするひとし適宜てきぎ方法ほうほうにて冷却れいきゃくいて前記ぜんき金具かなぐして完成かんせいするものなり。しかるがゆえに当初とうしょ70℃の加熱かねつによりこれをみつけだ急冷きゅうれいすれば内容ないようぶつ縮小しゅくしょうとう内部ないぶあつ状態じょうたいとなり大気たいきの押圧りょくけるとともに、該加ねつは「パッキング」を柔軟じゅうなんならしめつぼうちくちかべ不正ふせいがたおうるなり、これを押圧するにより該口に緊着して完全かんぜん気密きみつ状態じょうたい保持ほじるものにして缶詰かんづめ遜色そんしょくのなきものとす(後略こうりゃく)。
特許とっきょけんしゃ発明はつめいしゃ日高ひだかあきら代理人だいりにん 弁理べんり 清水しみずおさむそといちめいとくあかり153408 発明はつめい詳細しょうさいなる説明せつめい

はん世紀せいき開封かいふうじつしょく[編集へんしゅう]

食品しょくひんめられることがなかったそら容器ようきおおのこっていることもあり、開封かいふう現物げんぶつつかるまで、缶詰かんづめ瓶詰びんづめのような密閉みっぺい状態じょうたいながたもたれにくく、ふたが自然しぜんはずれてしまうなど貯蔵ちょぞう容器ようきとしては機能きのうてき疑問ぎもんがあったとおもわれていたが[27]1993ねん平成へいせい5ねん9月、日本にっぽん缶詰かんづめ協会きょうかい研究所けんきゅうじょ1944ねん昭和しょうわ19ねんせい開封かいふう防衛ぼうえいしょく開封かいふうされた。開封かいふうひんは1944ねん当時とうじ神奈川かながわけん横浜よこはま神奈川かながわ食品しょくひん研究けんきゅうしつつくった試作しさくひんのひとつで、神奈川かながわけん農業のうぎょう総合そうごう研究所けんきゅうじょ保管ほかんされていた[61]

開封かいふうさいしては、ふたと容器ようきあいだ天然てんねんゴムが完全かんぜん固着こちゃくしていたため、刃物はものはなした。そう重量じゅうりょうは613グラムで内容ないよう重量じゅうりょうは293グラムだった。計測けいそくされた真空しんくうは25cmHgと非常ひじょうたか[注釈ちゅうしゃく 9]製造せいぞう真空しんくう不明ふめいであるもののたか密封みっぷうせい保持ほじしており、はん世紀せいきちかくが経過けいかしたとはおもえない状態じょうたい食品しょくひん保存ほぞんされていた。内容ないようぶつ大豆だいず、ニシン、昆布こぶ醤油じょうゆ味付あじつけで、実際じっさいしょくすることができ、いちじるしい変色へんしょくもなく、くずれもなく、原料げんりょうのひとつである身欠みかきニシンには発酵はっこうしゅうがあり非常ひじょう塩辛しおからかったが、全体ぜんたいてきにはあじには異常いじょうはなかった。また、内容ないようぶつうえには透明とうめいセロファンがかぶせられており、開封かいふうさい陶器とうきへん混入こんにゅうしないようにするためのものとおもわれる[注釈ちゅうしゃく 10]。このセロファンはカニかんなかでカニをつつんでいるパーチメント同様どうようのものであった。日本にっぽん缶詰かんづめ協会きょうかいは「常温じょうおんはん世紀せいきにわたって貯蔵ちょぞうされていた容器ようきが、内容ないようぶつ品質ひんしつ保持ほじつづけていたことは驚異きょういてきである」と結論けつろんづけ、その開封かいふうにあたって官能かんのう評価ひょうか内容ないようぶつ分析ぶんせきおこない、保存ほぞんせい実証じっしょうするデータとした[63][注釈ちゅうしゃく 11]

背景はいけい関連かんれんした人物じんぶつ[編集へんしゅう]

防衛ぼうえいしょく容器ようきぐん関連かんれん納入のうにゅうされていた背景はいけいがあるため、日本にっぽん生活せいかつ用品ようひん陶磁器とうじき配給はいきゅう統制とうせい株式会社かぶしきがいしゃ日本にっぽん工業こうぎょう陶磁器とうじき配給はいきゅう統制とうせい株式会社かぶしきがいしゃなどの陶磁器とうじき配給はいきゅうをコントロールする統制とうせい会社かいしゃ流通りゅうつう経由けいゆされていなかった。戦争せんそう末期まっきではぐん意向いこうにより政府せいふによる配給はいきゅう機構きこう無視むしされていた[65]

商工しょうこうしょう陶磁器とうじき試験しけん所長しょちょう秋月あきづきとおるは1943ねん時点じてん最近さいきん陶磁器とうじきせい容器ようきめた食料しょくりょうひん店頭てんとうられるようになったき、また陶磁器とうじき容器ようき金属きんぞくよりもよわおもいが、さび発生はっせいせずたい酸性さんせいがあり、ガラスのようなとおるひかりせいもないことから、決戦けっせん体制たいせいにおける完全かんぜんなる食糧しょくりょう貯蔵ちょぞう目的もくてきたすことを期待きたいしているといている[66]

ぐん官公庁かんこうちょう施設しせつからの出土しゅつどおおいことや配布はいふ状況じょうきょう戦後せんご容器ようきとしての使用しよう状況じょうきょうから、防衛ぼうえいしょく容器ようきつくられた目的もくてきは、国民こくみんのためというよりもぐん官公庁かんこうちょうなどにけての流通りゅうつうおもだったのではないかとかんがえられている。また戦時せんじちゅう流通りゅうつうとはことなり、戦後せんご物資ぶっし放出ほうしゅつによりそらのままの容器ようき広範囲こうはんいひろまったとかんがえられる[67]

政治せいじがく研究けんきゅうしゃ橋本はしもと文三ぶんぞう1945ねん昭和しょうわ20ねん6がつごろ農林省のうりんしょう食糧しょくりょう管理かんりきょく仕事しごとをしていた時期じきがあり、当時とうじ課長かちょう防衛ぼうえいしょくという陶器とうきりのかんづめ自宅じたくってかえっていったとしるし、食糧難しょくりょうなんのさなかにおける役人やくにん役得やくとくについてしるしている[68]

ほんのすうねん期間きかん製作せいさくされえていった防衛ぼうえいしょく容器ようきについて、平成へいせい5ねん開封かいふうひん実際じっさいべた阿部あべ四郎しろう戦争せんそうとしひょうしている[69]

1948ねん谷川たにがわ良太郎りょうたろうにインタビューした小谷おたに道夫みちお

原子げんしばくだん航空こうくうせんけた日本にっぽん軍閥ぐんばつとこれを人達ひとたち科学かがく尊重そんちょう実際じっさいにどの程度ていどであったか(中略ちゅうりゃく発明はつめいかすみちでなくたんなる金儲かねもうけの道具どうぐとして利用りようされたにぎなかった

しるしている[70]

小沢おざわせんななろう[編集へんしゅう]

二・二六事件ににろくじけん赤坂あかさかこうらく

防衛ぼうえいしょく容器ようき社長しゃちょうとしてしるされている小沢おざわ小澤おざわせんななろうは、1905ねん明治めいじ38ねん3月1にち[71]福島ふくしまけん石城せきじょうぐん上遠野かとおのむら(のち遠野とおのまちげんいわきまれで東京とうきょう高等こうとう工科こうか学校がっこうまなんだ[72][注釈ちゅうしゃく 12]

法律ほうりつ事務所じむしょ勤務きんむ[71]1938ねん昭和しょうわ13ねん)にはだい日本にっぽん防空ぼうくう食糧しょくりょう株式会社かぶしきがいしゃ前身ぜんしんである日本にっぽん防空ぼうくう食糧しょくりょう株式会社かぶしきがいしゃ設立せつりつした[73]

1939ねん昭和しょうわ14ねん)に企画きかくいん赴任ふにんし「物資ぶっし動員どういん計画けいかく」の策定さくていおこなった田中たなかさるいちによれば[74]小沢おざわ資材しざいブローカーとして陸軍りくぐん糧秣りょうまつしょうからはらげによってれた食糧しょくりょうつぼれ「ぼうそらママしょく」と名付なづけて全国ぜんこくることで非常ひじょう裕福ゆうふくになり、開戦かいせんまえ会食かいしょくにおいて田中たなか小沢おざわ印象いんしょう裕福ゆうふくさにおいてみぎるものがない商人しょうにんともいうべきぐん利権屋りけんや表現ひょうげんしており[75]企画きかくいん連中れんちゅう臆病おくびょうという小沢おざわ開戦かいせんのぞんでいるようにしるしている[76]

1940ねん昭和しょうわ15ねん)ごろから児玉こだま機関きかん関与かんよしはじめ、東条とうじょう英機ひでき側近そっきんとなる[77]。 1941ねんごろにだい日本にっぽん防空ぼうくう食糧しょくりょう株式会社かぶしきがいしゃ戦後せんご日本にっぽん国民こくみん食糧しょくりょう株式会社かぶしきがいしゃ』と商号しょうごう変更へんこう[注釈ちゅうしゃく 13][79]日本にっぽん製塩せいえん株式会社かぶしきがいしゃ設立せつりつして社長しゃちょうとなる[80]

1943ねんに、二・二六事件ににろくじけん反乱はんらん部隊ぶたい宿所しゅくしょとして使用しようしていた赤坂あかさか料亭りょうていこうらく』をのち[81][77]だい日本にっぽん防空ぼうくう食糧しょくりょう会社かいしゃ本社ほんしゃとし[36][注釈ちゅうしゃく 14]終戦しゅうせんべいぐん売却ばいきゃくした[77]

1947ねん昭和しょうわ22ねん4がつ25にちだい23かい衆議院しゅうぎいん議員ぎいんそう選挙せんきょにおいて、福島ふくしま3にて民主党みんしゅとうより出馬しゅつばした小沢おざわは3当選とうせん定数ていすう3)[82]昭和しょうわ22ねん時点じてん日本にっぽん国民こくみん食糧しょくりょう株式会社かぶしきがいしゃなど20すうしゃ統率とうそつしていた[79]

1948ねん昭和しょうわ23ねん昭和電工しょうわでんこう事件じけんにより失脚しっきゃく。のち国際こくさい真珠しんじゅ(かぶ)社長しゃちょうなどになり[71]、1966ねん昭和しょうわ41ねん12月4にち死去しきょした[77]

みなみ金作きんさく[編集へんしゅう]

1891ねん明治めいじ24ねん)11月まれ。徳島とくしまけん徳島とくしま出身しゅっしん徳島銀行とくしまぎんこう中外ちゅうがいしゃ日本にっぽん料理りょうり講習こうしゅう普及ふきゅうかい設立せつりつ大正たいしょう11ねんより缶詰かんづめ普及ふきゅう協会きょうかい勤務きんむし「罐詰かんづめ時報じほう」の創刊そうかんたずさわる[26]

谷川たにがわ良太郎りょうたろう[編集へんしゅう]

谷川たにがわは1948ねん時点じてん東京とうきょう大田おおた在住ざいじゅう発明はつめい[70]みなみ金作きんさくにより谷川たにがわというおとこ特許とっきょっていた陶器とうきのツボでつぼつめ[25]言及げんきゅうされている人物じんぶつである。谷川たにがわは1948ねん6がつ6にち小谷おたに道夫みちおによるインタビューで、小沢おざわせんななろうかれた陶器とうき真空しんくう罐詰かんづめ自分じぶん発明はつめいであるとしている[70]。また谷川たにがわ小沢おざわせんななろう署名しょめいがある巻紙まきがみをとりだし、以下いかのようなはなしをしたと小谷おたにしるしている[70][注釈ちゅうしゃく 15]

当時とうじ小沢おざわ東条とうじょう首相しゅしょうからこの防空ぼうくうしょく罐詰かんづめ実施じっしするためにしたかねは、じつはちひゃくまんえん以上いじょうにのぼるといわれているが、谷川たにがわへの実施じっし謝礼しゃれいはなんとこのがくせんぶんいちにもたっしない小額しょうがくでしかも小切手こぎって送付そうふしてた。もちろん谷川たにがわはその非礼ひれい憤慨ふんがいして即座そくざ返送へんそうしたので、言訳いいわけ国士こくし気取きどりの文句もんくいておくったものである

防空ぼうくうしょく関連かんれんする社名しゃめい変遷へんせん[編集へんしゅう]

小沢おざわせんななろうによるもの

  • 1938ねん昭和しょうわ13ねん) - 日本にっぽん防空ぼうくう食糧しょくりょう株式会社かぶしきがいしゃ
  • 1941ねん昭和しょうわ16ねん) - だい日本にっぽん防空ぼうくう食糧しょくりょう株式会社かぶしきがいしゃ商号しょうごう変更へんこう
  • 1945ねん昭和しょうわ20ねん) - 日本にっぽん国民こくみん食糧しょくりょう株式会社かぶしきがいしゃ
  • 時期じき不明ふめい - 小澤おざわ食品しょくひん株式会社かぶしきがいしゃ容器ようき現物げんぶつ表示ひょうじ

みなみ金作きんさくによるもの

  • 1941ねん昭和しょうわ16ねん)ごろ - 真空しんくう食糧しょくりょう普及ふきゅう協会きょうかい真空しんくう食品しょくひん協会きょうかい[26]
  • 国民こくみん食糧しょくりょう株式会社かぶしきがいしゃ

せらさかえ合資ごうし会社かいしゃ水野みずのいち[編集へんしゅう]

せらさかえ合資ごうし会社かいしゃ1896ねん明治めいじ29ねん設立せつりつ

防衛ぼうえいしょく容器ようき制作せいさく社長しゃちょうであった水野みずのいち1886ねん明治めいじ19ねん)に岐阜ぎふけん土岐ときぐん妻木さいきまち(のちの土岐とき妻木さいきまち)にまれ、1908ねん明治めいじ41ねん)に陶磁器とうじき会社かいしゃ水野みずの商店しょうてん設立せつりつ、「瀬戸せと家康いえやす」とばれたせらさかえ合資ごうし会社かいしゃ支配人しはいにんである加藤かとうさんろう長女ちょうじょはると結婚けっこんむすめ婿むことなる。1919ねん大正たいしょう8ねん)には加藤かとう水野みずの代表だいひょうとし、水野みずの商店しょうてんせらさかえ合資ごうし会社かいしゃ合併がっぺいしてせらさかえ合資ごうし会社かいしゃ屋号やごうのこる。1929ねん昭和しょうわ4ねん)には守山もりやまに、1934ねん昭和しょうわ9ねん)には瀬戸せとせいすえ工場こうじょう建設けんせつ戦前せんぜん欧米おうべいけの輸出ゆしゅつひん中心ちゅうしんだった[83]戦中せんちゅうには防衛ぼうえいしょく容器ようきのほかよんしき陶製とうせい手榴弾しゅりゅうだん製造せいぞうし、1945ねん昭和しょうわ20ねん)8がつ終戦しゅうせんまでつくつづけた[84][85]

水野みずのいち1963ねん昭和しょうわ38ねん)にがんで死去しきょ[86]水野みずの死後しごせらさかえ合資ごうし会社かいしゃは1967ねん昭和しょうわ42ねん)にせらさかえ陶器とうき株式会社かぶしきがいしゃとなる[87]武者小路むしゃのこうじ実篤さねあつ言葉ことばである「なかよきことうつくしき哉」とかれたさらとく有名ゆうめい[83]。「Seyei」「セーエー」などの表記ひょうきがある[88]2014ねん平成へいせい26ねん)に破産はさん手続てつづきがられた[89]

収蔵しゅうぞう展示てんじ[編集へんしゅう]

1999ねん時点じてんで、防衛ぼうえいしょく容器ようき所蔵しょぞう収蔵しゅうぞうしている、または展示てんじをしていたことがある施設しせつ以下いかとおりである[46]。なお施設しせつめいは2021ねん現在げんざいのものを表記ひょうきする。

また、2000年代ねんだいはいってから企画きかく展示てんじなどをおこなった施設しせつ以下いかとおり。

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ 発言はつげんみなみ回想かいそうによる90さいときのものである[26]
  2. ^ 前述ぜんじゅつみなみうAなる人物じんぶつ同一どういつであるかどうかははっきりしない
  3. ^ 小沢おざわ注文ちゅうもんぬしだという資料しりょうもある[15]
  4. ^ ただし発明はつめい谷川たにがわによるという資料しりょうもある
  5. ^ むく露地ろじは、1947ねん昭和しょうわ22ねん)から1963ねん昭和しょうわ38ねん)にかけて有田ありたまち町会ちょうかい議員ぎいん当選とうせんしている[33]
  6. ^ 「フタヲトルニハくぎデ クボミニあなヲアケ」「フタヲルニハくぎデ クボミニあなひらけケ」「フタヲトルニハクギデ クボミニあなヲアケル」などの表記ひょうきゆれがある[47]
  7. ^ a b c d リンクさき表示ひょうじされる画像がぞうによる出典しゅってんふく
  8. ^ 原文げんぶん適宜てきぎ句読点くとうてん追加ついかしてみやすくした
  9. ^ 2018ねん改正かいせい防衛ぼうえいしょうによる牛肉ぎゅうにく味付あじつけ缶詰かんづめ仕様しようでは、内容ないようりょうが170グラムをえる缶詰かんづめで26.6kPa(19.95cmHg)とさだめられており、防衛ぼうえいしょく容器ようき開封かいふう真空しんくうはこの基準きじゅん数値すうちじょうではえていた[62]
  10. ^ 仕様しようセクションにて記載きさいした、ふたの内側うちがわあなをあけるさいすえへんちないように受箱があるタイプのものと[28]、ないものが存在そんざいする理由りゆうとして、内容ないようぶつうえにセロファンをかぶせることでふたの細工ざいく必要ひつようなくなったとかんがえられる
  11. ^ 缶詰かんづめでは、イギリスで北極ほっきょく観測かんそくたいよう114ねんまえ缶詰かんづめ開封かいふうされべた記録きろくのこっている[64]
  12. ^ 大衆たいしゅう人事じんじろくだい19はん東日本ひがしにっぽんへん、90ぺーじでは「そつぎょう)」と記載きさい
  13. ^ 資料しりょうによれば、日本にっぽん国民こくみん食糧しょくりょう株式会社かぶしきがいしゃだい日本にっぽん防空ぼうくう食糧しょくりょう会社かいしゃ前身ぜんしんであるという記述きじゅつがあるが[78]、この記述きじゅつは「国民こくみん食糧しょくりょう株式会社かぶしきがいしゃ」のあやまりであるとおもわれるため、ここでは後述こうじゅつ裁判さいばん記録きろくとき系列けいれつ
  14. ^ ほかの資料しりょうでは目黒めぐろ雅叙園がじょえん本社ほんしゃ事務所じむしょいていたという記述きじゅつがあるが、社名しゃめいが「だい日本にっぽんぼうまもるママ食糧しょくりょう株式会社かぶしきがいしゃ」と記載きさいされており[15]、ほかの資料しりょう齟齬そごがあることや、どうれい資料しりょうられる「防衛ぼうえい食糧しょくりょう表記ひょうき間違まちがいである可能かのうせいおおきいため、「阿部あべ四郎しろう1990」と「斎藤さいとう1973」の記載きさい
  15. ^ 原文げんぶん適宜てきぎ句読点くとうてん追加ついかしてみやすくし、きゅう字体じたいしん字体じたいあらためた

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ a b c 防衛ぼうえい食器しょっき”. 会館かいかん日々ひびのこと. 2021ねん4がつ17にち閲覧えつらん
  2. ^ TOTOひゃくねん だい3しょう 戦時せんじ体制たいせい苦闘くとう” (PDF). TOTO. 2021ねん4がつ24にち閲覧えつらん
  3. ^ 福井ふくい県立けんりつ博物館はくぶつかん”. ki43.on.coocan.jp. 2021ねん4がつ23にち閲覧えつらん
  4. ^ 伊藤いとう克司かつし 丹羽にわ邦男くにお岐阜ぎふけんひゃくねん山川やまかわ出版しゅっぱんしゃ、1989ねん8がつ29にち、254ぺーじISBN 4634272105 
  5. ^ 常設じょうせつてん資料しりょう目録もくろく (2016ねん4がつ展示てんじ資料しりょう更新こうしん)p15” (PDF). 戦争せんそう平和へいわ資料しりょうかんピースあいち. 2021ねん4がつ15にち閲覧えつらん
  6. ^ a b c 三井みつい 1979, p. 226.
  7. ^ a b c d e f g 軍用ぐんよう食器しょっき防衛ぼうえいしょく容器ようき【うまかすえ】2”. www.umakato.jp. 2021ねん4がつ15にち閲覧えつらん
  8. ^ Aucfree だい日本にっぽん防空ぼうくう食糧しょくりょう 2015ねん06がつから2021ねん04がつ”. Re株式会社かぶしきがいしゃ. 2021ねん4がつ17にち閲覧えつらん
  9. ^ 日本にっぽん罐詰かんづめ協會きょうかい 1941, p. 31.
  10. ^ 中澤なかざわ 1944, p. 8.
  11. ^ 神谷かみやはじめはく 1941, p. 27.
  12. ^ 瀬戸せと歴史れきし民俗みんぞく資料しりょうかん 1994, p. 34.
  13. ^ 金属きんぞくるい回収かいしゅうれい 昭和しょうわ16ねん8がつ30にちみことのりれいだい835ごう | 日本法令にほんほうれい索引さくいん”. hourei.ndl.go.jp. 2021ねん4がつ20日はつか閲覧えつらん
  14. ^ 郷土きょうどしつだより” (PDF). 東京とうきょう中央ちゅうおう区立くりつ京橋きょうばし図書館としょかん. 2021ねん4がつ20日はつか閲覧えつらん
  15. ^ a b c 小出こいで種彦たねひこ 1964, p. 214.
  16. ^ 近代きんだい資料しりょうしつ展示てんじえをおこないました”. 大村おおむら歴史れきし資料しりょうかん. 2021ねん4がつ19にち閲覧えつらん
  17. ^ a b 陶製とうせいだい用品ようひん”. 多治見たじみ. 2021ねん4がつ20日はつか閲覧えつらん
  18. ^ a b c d しがけんバーチャル平和へいわ祈念きねんかん - 収蔵しゅうぞう展示てんじ人々ひとびとらし】|滋賀しがけん”. 滋賀しがけん平和へいわ祈念きねんかん. 2021ねん4がつ17にち閲覧えつらん
  19. ^ a b c d 企画きかくてん:「戦時せんじ代用だいようとしての陶器とうき戦争せんそうちゅう金属きんぞく不足ふそく陶器とうき地雷じらいしゅりゅうだん ふじみ埼玉さいたま”. 毎日新聞まいにちしんぶん. 2021ねん4がつ17にち閲覧えつらん
  20. ^ a b 九州きゅうしゅう歴史れきし資料しりょうかん収蔵しゅうぞうひんオンデマンド解説かいせつシート” (PDF). 九州きゅうしゅう歴史れきし資料しりょうかん. 2021ねん4がつ17にち閲覧えつらん
  21. ^ No.339 戦争せんそうとわたしたちのくらし18 | アーカイブズ | 福岡ふくおか博物館はくぶつかん”. museum.city.fukuoka.jp. 2021ねん4がつ17にち閲覧えつらん
  22. ^ a b c てつりない !! -てつ代用だいよう陶器とうき配電はいでん用具ようぐ”. www.kobayasi-riken.or.jp. 2021ねん4がつ17にち閲覧えつらん
  23. ^ a b 人々ひとびとらし|供出きょうしゅつ札幌さっぽろ平和へいわバーチャル資料しりょうかん”. www.city.sapporo.jp. 2021ねん4がつ17にち閲覧えつらん
  24. ^ 三井みつい 1979, p. 224.
  25. ^ a b c d 真杉ますぎ 1981, p. 67.
  26. ^ a b c 真杉ますぎ 1981, p. 69.
  27. ^ a b 阿部あべ四郎しろう 1985, pp. 58–59.
  28. ^ a b c 三井みつい 1979, p. 225.
  29. ^ 小出こいで種彦たねひこ 1964, pp. 214–215.
  30. ^ a b c 萩谷はぎや 2018, p. 69.
  31. ^ a b 焱のさと有田ありた歴史れきし物語ものがたり 太平洋戦争たいへいようせんそう開戦かいせんから終戦しゅうせんまで 松本まつもとげん”. web.archive.org (2021ねん4がつ7にち). 2021ねん4がつ17にち閲覧えつらん
  32. ^ a b c 資料しりょうかん通信つうしん 68ごう” (PDF). ふじみ. 2021ねん4がつ17にち閲覧えつらん
  33. ^ 有田ありたまち編纂へんさん委員いいんかい 1986, p. 318-319.
  34. ^ a b c d 小松こまつ 1999, p. 69.
  35. ^ a b 岡山おかやまじょう三之外曲輪跡出土 防衛ぼうえいしょく容器ようき”. 岡山おかやま. 2021ねん4がつ17にち閲覧えつらん
  36. ^ a b c 阿部あべ四郎しろう 1990, p. 427.
  37. ^ 小松こまつ 1999, p. 69-71.
  38. ^ a b c Ishimaru, Eriko (2022-03-31). かすみ地区ちく出土しゅつど防衛ぼうえいしょく容器ようきとその特徴とくちょう. Hiroshima University Museum Archaeological Research Section Bulletin for Excavation and Study (13): 1–38. doi:10.15027/52384. https://ir.lib.hiroshima-u.ac.jp/00052384. 
  39. ^ 物資ぶっしりょう詳細しょうさい”. www.ritsumei.ac.jp. 2021ねん4がつ17にち閲覧えつらん
  40. ^ 早乙女さおとめ勝元かつもとでみる戦争せんそうとくらし百科ひゃっか 3 うばわれた平和へいわなくらし』日本にっぽん図書としょセンター、2001ねん3がつ25にち、27ぺーじISBN 4820565621 
  41. ^ 阿部あべ四郎しろう 1985, p. 59.
  42. ^ 小松こまつ 1999, pp. 77–78.
  43. ^ a b c d きゅう帝国ていこく陸軍りくぐん軍用ぐんよう食器しょっき広島ひろしまみなみ) | 安芸あきくにから”. www.akinokuni.jp. 2021ねん4がつ17にち閲覧えつらん
  44. ^ みなと戦争せんそう p36” (PDF). みなと. 2021ねん4がつ17にち閲覧えつらん
  45. ^ 防衛ぼうえいしょく容器ようき 江戸えど東京とうきょう博物館はくぶつかんデジタルアーカイブス”. www.edohakuarchives.jp. 2021ねん4がつ17にち閲覧えつらん
  46. ^ a b 小松こまつ 1999, p. 76.
  47. ^ 小松こまつ 1999, p. 71.
  48. ^ boeisyoku. “ぼうのやきもの”. ぼうのやきもの. 2021ねん4がつ15にち閲覧えつらん
  49. ^ 物資ぶっしりょう詳細しょうさい”. www.ritsumei.ac.jp. 2021ねん4がつ15にち閲覧えつらん
  50. ^ boeisyoku. “ぼうのやきもの”. ぼうのやきもの. 2021ねん4がつ15にち閲覧えつらん
  51. ^ 国民こくみんしょく(3)の国民こくみんしょく容器ようき : ぼうのやきもの”. web.archive.org (2021ねん4がつ14にち). 2021ねん4がつ15にち閲覧えつらん
  52. ^ 2の国民こくみんしょく容器ようき : ぼうのやきもの”. web.archive.org (2021ねん4がつ14にち). 2021ねん4がつ15にち閲覧えつらん
  53. ^ 軍用ぐんよう食器しょっき【うまかすえ】1”. www.umakato.jp. 2021ねん4がつ18にち閲覧えつらん
  54. ^ 萬古ばんこしょういき 特別とくべつてん 32 代用だいよう陶器とうき統制とうせい陶器とうき – ばんこグランマの館長かんちょうブログ〜ばんこのさと会館かいかん”. 2021ねん4がつ18にち閲覧えつらん
  55. ^ richouken04. “防衛ぼうえいしょく容器ようきいろいろ・その2”. どきのかけら~統制とうせい陶器とうき. 2021ねん4がつ15にち閲覧えつらん
  56. ^ hizenyaki. “こえのやきもの”. こえのやきもの. 2021ねん4がつ15にち閲覧えつらん
  57. ^ 萩谷はぎや 2018, p. 70.
  58. ^ 阿部あべ四郎しろう 1990, p. 426.
  59. ^ 日本にっぽん罐詰かんづめ協會きょうかい 1943, pp. 40–41.
  60. ^ とくあかり153408”. 特許とっきょ情報じょうほうプラットフォーム 特許とっきょ実用じつよう新案しんあん照会しょうかい(固定こていアドレス). 2021ねん4がつ24にち閲覧えつらん
  61. ^ 阿部あべ四郎しろう 1994, p. 183.
  62. ^ 防衛ぼうえいしょう仕様しようしょ改正かいせいひょう 牛肉ぎゅうにく味付あじつけ缶詰かんづめ” (PDF). 防衛ぼうえいしょう (2018ねん6がつ26にち). 2021ねん10がつ24にち閲覧えつらん
  63. ^ 日本にっぽん缶詰かんづめ協会きょうかい 1994, pp. 71–76.
  64. ^ 缶詰かんづめくさらない!」はホント? 缶詰かんづめ協会きょうかいいてみた! フレッシャーズ”. マイナビ学生がくせい窓口まどぐち フレッシャーズ. 2021ねん4がつ25にち閲覧えつらん
  65. ^ 萩谷はぎや 2018, pp. 115–116.
  66. ^ 秋月しゅうげつ 1943, p. 21.
  67. ^ 小松こまつ 1999, p. 78.
  68. ^ 橋川はしかわ文三ぶんぞう新装しんそうばん 増補ぞうほ 日本にっぽんなみ曼派批判ひはん序説じょせつ未來社みらいしゃ、1995ねん8がつ25にち、264ぺーじISBN 4624600932 
  69. ^ 阿部あべ四郎しろう 1994, p. 182.
  70. ^ a b c d 発明はつめい推進すいしん協会きょうかい 1948, pp. 24–25.
  71. ^ a b c 大衆たいしゅう人事じんじろくだい19はん東日本ひがしにっぽんへん帝国ていこく秘密ひみつ探偵たんていしゃ、90ぺーじ
  72. ^ 衆議院しゅうぎいん事務じむきょく 1947, p. 35.
  73. ^ 小松こまつ 1999, p. 68.
  74. ^ 田中たなか 1974, pp. 19–20.
  75. ^ 田中たなか 1974, p. 176.
  76. ^ 田中たなか 1974, p. 175.
  77. ^ a b c d 斎藤さいとう伊知郎いちろう 1973, p. 312.
  78. ^ 小松こまつ 1999, p. 75.
  79. ^ a b 東京とうきょう高等こうとう裁判所さいばんしょ 昭和しょうわ28ねん(を)4ごうの2 判決はんけつ (Westlaw 1959WLJPCA 12260015)
  80. ^ 東京とうきょう地方裁判所ちほうさいばんしょ 昭和しょうわ32ねんとくわ)276ごう 判決はんけつ (Westlaw 1965WLJP04100002)
  81. ^ 田中たなか 1974, p. 173.
  82. ^ 小沢おざわせん七郎しちろう | 衆議院しゅうぎいん選挙せんきょ結果けっか | 国会こっかい議員ぎいん白書はくしょ”. sugawarataku.sakura.ne.jp. 2021ねん4がつ17にち閲覧えつらん
  83. ^ a b 業界ぎょうかいじんのおはなし”. nagoya-toujikikaikan.org. 2021ねん4がつ22にち閲覧えつらん
  84. ^ 久保田くぼた 2008, pp. 3–9.
  85. ^ せらさかえ陶器とうき株式会社かぶしきがいしゃ せいえいとうきかぷしきがいしゃ”. 鶴田つるた じゅんひさしょうはなし (2011ねん6がつ25にち). 2021ねん4がつ20日はつか閲覧えつらん
  86. ^ 久保田くぼた 2008, p. 11.
  87. ^ せらさかえ陶器とうき株式会社かぶしきがいしゃ せいえいとうきかぷしきがいしゃ”. 鶴田つるた じゅんひさしょうはなし (2011ねん6がつ25にち). 2021ねん4がつ20日はつか閲覧えつらん
  88. ^ 久保田くぼた 2008, p. 12.
  89. ^ SEYEI”. RETRO BANBII. 2021ねん4がつ20日はつか閲覧えつらん
  90. ^ 愛知あいち名古屋なごや 戦争せんそうかんする資料しりょうかん 企画きかく展示てんじ戦争せんそうしょく米穀べいこくをめぐる統制とうせい食糧しょくりょう事情じじょう~」を開催かいさいします! - 愛知あいちけん”. www.pref.aichi.jp. 2021ねん4がつ25にち閲覧えつらん
  91. ^ アンカーコップと防衛ぼうえいしょく(1940年代ねんだい”. 容器ようき文化ぶんかミュージアム. 2021ねん4がつ25にち閲覧えつらん
  92. ^ 戦後せんご70ねん記念きねん企画きかくてん戦争せんそう城陽じょうよう」 | 城陽じょうよう”. www.city.joyo.kyoto.jp. 2021ねん4がつ25にち閲覧えつらん
  93. ^ 大村おおむら近代きんだい資料しりょうしつ(プラットおおむら5かい”. www.omura-dejihaku.jp. 2021ねん4がつ25にち閲覧えつらん
  94. ^ 岡山おかやまじょう三之外曲輪跡出土 防衛ぼうえいしょく容器ようき”. 岡山おかやま. 2021ねん4がつ25にち閲覧えつらん
  95. ^ 発掘はっくつされた戦争せんそう痕跡こんせき | 福岡ふくおかミュージアム情報じょうほう(美術館びじゅつかん博物館はくぶつかんとう)”. f-museum.city.fukuoka.lg.jp. 2021ねん4がつ21にち閲覧えつらん
  96. ^ 戦時せんじちゅうだい用品ようひん”. 大津おおつ歴史れきし博物館はくぶつかん. 2021ねん4がつ21にち閲覧えつらん

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • 小松こまつ, あさひ西海にしうみ考古こうこ 創刊そうかんごう 防衛ぼうえいしょく容器ようきかんするいち考察こうさつ西海にしうみ考古こうこ同人どうじんかい事務じむきょく、1999ねん4がつ30にち 
  • 三井みつい, ひろさん概説がいせつ近代きんだいすえぎょう日本にっぽんすえぎょう連盟れんめい、1979ねん4がつ 
  • 萩谷はぎや, 茂行しげゆき戦時せんじ陶磁器とうじき産業さんぎょうにおける製造せいぞう流通りゅうつうへの考察こうさつ戦時せんじ統制とうせい製品せいひん-」『京都きょうと造形ぞうけい芸術げいじゅつ大学だいがくだい7かん34319おつ京都きょうと造形ぞうけい芸術げいじゅつ大学だいがく、2018ねん 
  • 橋川はしかわ文三ぶんぞう新装しんそうばん 増補ぞうほ 日本にっぽんなみ曼派批判ひはん序説じょせつ未來社みらいしゃ、1995ねん8がつ25にちISBN 4624600932 
  • 田中たなか, さるいち日本にっぽん戦争せんそう経済けいざい秘史ひしじゅうねん戦争せんそうにおける物資ぶっし動員どういん計画けいかく概要がいよう』コンピュータ・エージしゃ、1974ねん12月20にち 
  • 久保田くぼた, 厚子あつし日本にっぽん洋食ようしょく(3)ノリタケときそったせいすえしょのモダンデザイン(せらさかえ陶器とうきへん)」『岡山県立大学おかやまけんりつだいがくデザイン学部がくぶ紀要きようだい15かん岡山県立大学おかやまけんりつだいがくデザイン学部がくぶ、2008ねん 
  • 伊藤いとう克司かつし 丹羽にわ邦男くにお岐阜ぎふけんひゃくねん山川やまかわ出版しゅっぱんしゃ、1989ねん8がつ29にちISBN 4634272105 
  • 早乙女さおとめ勝元かつもとでみる戦争せんそうとくらし百科ひゃっか 3 うばわれた平和へいわなくらし』日本にっぽん図書としょセンター、2001ねん3がつ25にちISBN 4820565621 
  • 瀬戸せと歴史れきし民俗みんぞく資料しりょうかん へん戦争せんそうとやきもの : 特別とくべつてん」、瀬戸せと歴史れきし民俗みんぞく資料しりょうかん、1994ねん8がつ