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黒姫くろひめ伝説でんせつ

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黒姫くろひめりゅうから転送てんそう
黒姫山くろひめさん信濃しなのまち
黒姫山くろひめさん地図ちず

黒姫くろひめ伝説でんせつ(くろひめでんせつ)は、長野ながのけん北信ほくしん地方ちほうつたわる民話みんわ黒姫くろひめ物語ものがたり(くろひめものがたり)とも。

信濃しなの奇勝きしょうろく』・『日本にっぽん伝説でんせつ叢書そうしょ』の記述きじゅつ

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高梨たかなしかん中野なかの
高梨たかなしかん地図ちず
よんじゅうはちいけ湿原しつげん山ノ内やまのうちまち
よんじゅうはちいけ湿原しつげん地図ちず
地獄谷じごくだに温泉おんせん山ノ内やまのうちまち
地獄谷じごくだに温泉おんせん地図ちず

信濃しなの奇勝きしょうろく』には「岩倉いわくらりゅうへび高梨たかなしたかなしけ息女そくじょかけそうけさうしてかのうかたきあだほうむくいためみずわざわいさいをなせし」とある[1]。すなわち、岩倉いわくらりゅうへび高梨たかなし姫君ひめぎみおもいをせるがみのらず、仕返しかえしとして水害すいがいをもたらした[2]、というのが物語ものがたり大筋おおすじである。1917ねん大正たいしょう6ねん発行はっこうの『日本にっぽん伝説でんせつ叢書そうしょ 信濃しなのまき』によれば「高梨たかなし息女そくじょ」の黒姫くろひめといい、りゅうへびつうじて黒姫山くろひめさんむとされる[3]本書ほんしょに「岩倉いわくら」のだい収録しゅうろくされた物語ものがたり要約ようやくして以下いかしる[3]

くつ野川のがわ上流じょうりゅう岩倉いわくらりゅうへび黒姫くろひめおもいをせ、小姓こしょう姿すがたけてひめもとへとかよった。こうしてひめき、岩倉いわくらにさらってしまおうとたくらんでいたが、不審ふしんおもったほか小姓こしょう尾行びこうされ、ついに正体しょうたいられてしまう。りゅうへびいかり、その小姓こしょうどくきかけてなせてしまうが、これをきっかけにりゅうへび悪巧わるだくみはひろられるところとなった。
りゅうへびおもどおりにならない仕返しかえしに、よんじゅうはちいけみずとして高梨たかなし一族いちぞくやしてしまおうとくわだてた。これに気付きづいた地獄谷じごくだに山神さんじんは、恩顧おんこのあった高梨たかなし人々ひとびとまもるべく、えたぎらせた地獄じごくちてくるみず蒸発じょうはつさせてしまった。りゅうへびはあわててみずもどしたが、すでおそく、大沼池おおぬまいけ岩倉いわくらいけ琵琶池びわいけ、ほか4いけたす程度ていどみずしかのこっていなかった。

なお、「くつ野川のがわ」は『天保てんぽうくに絵図えず』にもえるかわであるが[4]現代げんだい地図ちずでは「夜間瀬川よませがわ」にわっている[5]

下高井しもたかいぐん』・『信濃しなの伝説でんせつ』の「黒姫くろひめ物語ものがたり

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1922ねん大正たいしょう11ねん発行はっこうの『下高井しもたかいぐん』には「黒姫くろひめ物語ものがたり」として収録しゅうろくされている[6]1925ねん大正たいしょう14ねん発行はっこうの『信濃しなの伝説でんせつ』の「黒姫くろひめ物語ものがたり」にも同様どうよう記述きじゅつえるので、要約ようやくして以下いかしる[7]

高梨たかなし摂津せっつもりせいもりには、せいよりゆき黒姫くろひめという2人ふたり子供こどもがいた。容姿ようし端麗たんれい美人びじんであった黒姫くろひめは、せいもり寵愛ちょうあいをその一身いっしんあつめていた。そんな黒姫くろひめのもとに、狩衣かりぎぬた20さいほどの青年せいねん近付ちかづくようになる。家臣かしんたちがかれらえようとするもえず、おこったせいもりみずかひめ寝室しんしつまえかまえた。深夜しんや姿すがたあらわした狩衣かりぎぬ青年せいねんたいし、せいもりみなもと頼朝よりともからさずかった名剣めいけんりかかった。しかし、かたな狩衣かりぎぬそでっただけで、つよふうのぼくろくもなかに、青年せいねん姿すがた見失みうしなってしまう。
これ以来いらい城下じょうか毎晩まいばん暴風ぼうふう見舞みまわれるようになり、町人ちょうにん百姓ひゃくしょうあいだ不安ふあんひろがった。岩倉いわくらりゅう黒姫くろひめしたって近付ちかづいたが失敗しっぱいし、そのはなしみみにした竜王りゅうおうによって岩倉いわくらからされ、さらに城下じょうか一帯いったいみずうみえてうつもうとしているとうわさされた。人々ひとびとなか黒姫くろひめ自身じしん犠牲ぎせいにしてでも民衆みんしゅうすくおうと決心けっしんした。はじめはこれをゆるさなかったせいもりであったが、あるばん夢枕ゆめまくらった湯殿ゆどの権現ごんげん説得せっとくされ、ひめ外出がいしゅつみとめた。
しろ黒姫くろひめ越後えちごこくとの境界きょうかい付近ふきん白髪はくはつおう出会であう。おう岩倉いわくら毒蛇どくへびがこのやまにもうつもうとしているので、退治たいじするためには黒姫くろひめ名剣めいけん必要ひつようだとい、退治たいじしたあかつきにはこのやまひめあたえるとげた。ひめ名剣めいけんと、自身じしん黒髪くろかみおきなわたした。おういけけんかみむと、いけなかりゅうへび姿すがたあらわれた。けんをのみんだりゅうへびたおれ、いけみずあかまった。やまほうりゅうへびのようなくろくもこり、暗闇くらやみのなかかみなりこおりったかとおもうと、黒姫くろひめ姿すがたえてしまった。そのやま現在げんざい黒姫山くろひめさんつたえられている。

『みすゞかる信濃しなの』の「黒姫くろひめ伝説でんせつ

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くま温泉おんせん山ノ内やまのうちまち
くま温泉おんせん地図ちず

1941ねん昭和しょうわ16ねん発行はっこうの『みすゞかる信濃しなの』に黒姫くろひめ伝説でんせつかんする記述きじゅつがあるので紹介しょうかいする[8]物語ものがたり大筋おおすじ下高井しもたかいぐん』・『信濃しなの伝説でんせつ』の「黒姫くろひめ物語ものがたりとほぼ同様どうようであるが、黒姫くろひめ父親ちちおやせいもりではなくもりよりゆきとしていたり、洪水こうずい黒姫くろひめながされている(直接的ちょくせつてき描写びょうしゃはないが、「ながされた黒姫くろひめことを悲んできょつた」という記述きじゅつられる)など、いくつかの相違そういてんがある[8]

高井たかいぐん日野ひのしろ高梨たかなしまさしもりには嗣子ししがなく、2番目ばんめおとうとであるもりよりゆきこういだ。もりよりゆき長子ちょうしせいよりゆき、そのいもうとくろひめである。黒姫くろひめあまたの美人びじんで、高梨たかなし親戚しんせきである長尾ながお為景ためかげ上杉うえすぎ謙信けんしん父親ちちおや)のすすめで足利あしかが義尚よしなお室町むろまち幕府ばくふだい9だい将軍しょうぐん)の侍女じじょになる予定よていであった。
えいただし3ねん1506ねん)のはる黒姫くろひめ寝室しんしつ近付ちかづ一人ひとり美少年びしょうねんあらわれる。報告ほうこくけたもりよりゆきは、その少年しょうねんらえるよう家臣かしんらにめいじるもげられてしまう。もりよりゆきみずかうまってい、名剣めいけん少年しょうねん片腕かたうでとした。するとそらあらしとなり、30かしょあまりのいけ決壊けっかいし、日野ひのじょうながされてしまった。うわさでは、岩倉いわくら硯川すずりかわくろりゅう黒姫くろひめしたってとおったものの、名剣めいけんによって本来ほんらいちから発揮はっきできず、そればかりかきずわされてしまったことで竜王りゅうおういかりにれ、岩倉いわくらわれたうっぷんをらそうとしている、ということである。
真山まやまじょう撤退てったいしたもりよりゆきは、風雨ふううおさまったところで人々ひとびと救出きゅうしゅつさくこうじた。領内りょうないでの酒造さけづくきんじて米穀べいこく確保かくほするとともに、佐久さくからも食糧しょくりょう調達ちょうたつした。せいよりゆき祖先そせん盛光もりみつ信仰しんこうしたという湯殿山ゆどのさん神社じんじゃ参拝さんぱいし、ゆめのおげによりくろりゅう居場所いばしょをつきとめる。一方いっぽうもりよりゆきゆめなかにはながされたはずの黒姫くろひめあらわれ、名剣めいけんほっした。黒姫くろひめもりよりゆきから名剣めいけんさずかると、やまなかいけひそくろりゅう退治たいじし、そのときながれた赤川あかがわとなった。そのやま黒姫山くろひめさんばれるようになり、美女びじょみずうえうた姿すがたや、雨乞あまごこたえてあめらせるといったこともつたわる。

くろりゅう住処すみかとされる「岩倉いわくら硯川すずりかわ」について、現在げんざい国土こくど地理ちりいん地図ちず参照さんしょうしても志賀高原しがこうげん周辺しゅうへんには「岩倉いわくら」を確認かくにんすることはできないが[9]、「硯川すずりかわ」という川名かわなについてはくま温泉おんせん付近ふきんにて確認かくにんすることができる[10]

信濃しなの民話みんわ』の「黒姫くろひめ物語ものがたり

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大沼池おおぬまいけ大蛇おろち神社じんじゃ山ノ内やまのうちまち
大沼池おおぬまいけ地図ちず

1957ねん昭和しょうわ32ねん発行はっこうの『信濃しなの民話みんわ』に収録しゅうろくされた「黒姫くろひめ物語ものがたり」は、中野なかの中町なかまち綿貫わたぬき市郎いちろう松谷まつやせつによるはなし作家さっか松谷まつやみよさいはなしたものである[11]内容ないよう要約ようやくして以下いかしる[11]

はる高梨たかなしまさしもり黒姫くろひめとも家臣かしんれて花見はなみかけた。さかずきげているといちひき白蛇しろへび姿すがたあらわし、黒姫くろひめせいもりうながされて白蛇しろへびにもさかずきけてやった。そのよる黒姫くろひめのもとに狩衣かりぎぬ小姓こしょうあらわれて求婚きゅうこんする。かれ昼間ひるまひめからさかずきいただいたものだといい、その気高けだかうつくしいように、ひめしんかれた。
数日すうじつ、その小姓こしょう黒姫くろひめよめにもらおうとせいもりのもとをたずねた。せいもりからても立派りっぱ青年せいねんではあったが、みずからを大沼池おおぬまいけあるじくろりゅうであるとはな小姓こしょうたいし、人間にんげんではないものに黒姫くろひめとつがせるわけにはいかないと破談はだんにした。それから毎日まいにちのように小姓こしょうしろたずねてるようになって100にちせいもり小姓こしょう試練しれんす。しかしそれはせいもり仕掛しかけたわなであり、いためつけられた小姓こしょう正体しょうたいをさらし、おこってよんじゅうはちいけみずとそうとあらしんだ。
黒姫くろひめ小姓こしょうひど仕打しうちをしたせいもりめ、黒雲くろくもかってあらししずめるようさけび、かがみたかげた。するとくろりゅう姿すがたあらわし、黒姫くろひめせてのぼった。洪水こうずいてた下界げかいなげかなしむ黒姫くろひめに、くろりゅうゆるしをうた。それからにんともやまいけへとうつみ、そのやま黒姫山くろひめさんばれるようになった。

松谷まつや戦時せんじなか疎開そかいさきであった中野なかのに、民話みんわ採集さいしゅう目的もくてきとして再訪さいほうしている[12]当地とうち老人ろうじんからは、洪水こうずいのなかひめだけがのこったというはなしや、ひめヒョウタンって大沼池おおぬまいけりゅうのもとへとついだというはなしかされ、かれらはこうしたはなし黒姫くろひめ伝説でんせつ由来ゆらいだろうと証言しょうげんした[13]。また、黒姫くろひめ中野なかの祇園祭ぎおんまつりわせて帰省きせいし、たった3つぶでもあめらせるともつたわる[13]水害すいがいくるしめられた経験けいけんおお世代せだい黒姫くろひめを「けにえ」ととらえているのにたいし、若年じゃくねんそうは「あい民話みんわ」ととらえており、松谷まつや黒姫くろひめ伝説でんせつのテーマのうつわりをかんじたという[13]

この物語ものがたりは「大沼池おおぬまいけくろりゅう」のだいテレビアニメまんが日本にっぽんむかしばなし』で放送ほうそうされ、どうさくDVDだい48かん収録しゅうろくされている[14]演出えんしゅつ水沢すいたくわたる、文芸ぶんげい沖島おきしまくん美術びじゅつ山守やまもり正一しょういち作画さくがはスタジオ・アローが担当たんとうした[14]。また、テレビアニメ『ふるさと再生さいせい 日本にっぽんむかしばなし』では「黒姫くろひめりゅう」のだい2014ねん平成へいせい26ねん7がつ6にち放送ほうそうされた[15]

黒姫くろひめ伝説でんせつ関連かんれんする作品さくひん

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脚注きゃくちゅう

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  1. ^ 信濃しなの奇勝きしょうろく まき27ページ(かっこない引用いんよう)。
  2. ^ 信濃しなの奇勝きしょうろく まき』27ページ。
  3. ^ a b 日本にっぽん伝説でんせつ叢書そうしょ 信濃しなのまき132 - 134ページ。
  4. ^ 国立こくりつ公文書こうぶんしょかんデジタルアーカイブ『天保てんぽうこく絵図えず 信濃しなのこく』より(2014ねん8がつ8にち閲覧えつらん)。
  5. ^ 地理ちりいん地図ちず電子でんし国土こくどWeb)」より(2014ねん8がつ8にち閲覧えつらん)。
  6. ^ 下高井しもたかいぐん353 - 356ページ。
  7. ^ 信濃しなの伝説でんせつ52 - 57ページ。
  8. ^ a b 『みすゞかる信濃しなの73 - 79ページ
  9. ^ 地理ちりいん地図ちず電子でんし国土こくどWeb)」にて「岩倉いわくら」をキーワードに「地名ちめいとう検索けんさく」を実行じっこうしても、つかるのは和歌山わかやまけん橋本はしもとにある岩倉いわくらのみであった(2014ねん8がつ26にち閲覧えつらん)。
  10. ^ 地理ちりいん地図ちず電子でんし国土こくどWeb)」より(2014ねん8がつ26にち閲覧えつらん)。
  11. ^ a b 信濃しなの民話みんわ』45 - 51ページ。
  12. ^ 講談社こうだんしゃ現代新書げんだいしんしょ 370 民話みんわ世界せかい』23 - 24ページ。
  13. ^ a b c 講談社こうだんしゃ現代新書げんだいしんしょ 370 民話みんわ世界せかい』33ページ。
  14. ^ a b 大沼池おおぬまいけくろりゅう」『まんが日本にっぽんむかしばなし DVDだい48かん』(NCID BB11386669)より。
  15. ^ テレビ東京てれびとうきょうあにてれ ふるさと再生さいせい 日本にっぽんむかしばなし これまでのおはなし」より(2014ねん9がつ20日はつか閲覧えつらん)。
  16. ^ a b c 野田のだ純子じゅんこ/プロフィール・メンバー紹介しょうかい」より(2014ねん8がつ9にち閲覧えつらん)。

参考さんこう文献ぶんけん

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関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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