(Translated by https://www.hiragana.jp/)
AMAKUSA1637 - Wikipedia コンテンツにスキップ

AMAKUSA1637

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』

AMAKUSA1637』(あまくさ1637)は、赤石あかし路代みちよによる日本にっぽん漫画まんが作品さくひん

隔月かくげつかんプチフラワー』(小学館しょうがくかん)にて2000ねん7がつごうから2002ねん5がつごうまで連載れんさい同誌どうしが『月刊げっかんフラワーズ』としてリニューアルされたのにともな移籍いせき、2002ねん6がつごうから2006ねん3がつごうまで連載れんさいされていた。ぜん57単行本たんこうぼんぜん12かん文庫ぶんこばんぜん7かん

あらすじ

[編集へんしゅう]

1995ねんはやゆみ夏月かづき宮本みやもとまさしのぞみ阪神はんしん淡路あわじ大震災だいしんさい罹災りさい夏月かづき瓦礫がれきからかばって宮本みやもと背中せなかきずうが2人ふたり震災しんさいびることができた。

2000ねんせいフランシスコ学園がくえん生徒せいとかいメンバーでだい仲良なかよしの夏月かづきたち6にんは、修学旅行しゅうがくりょこう船上せんじょうにいた。長崎ながさきおき航行こうこうちゅうふね突然とつぜん大波おおなみまれてしまう。ました夏月かづきがいたのは、寛永かんえい14ねん1636ねん)の熊本くまもと大矢野島おおやのしま夏月かづき島原しまばら天草てんぐさらん直前ちょくぜん江戸えど時代じだいタイムスリップしていた。

自分じぶんより3にちはやおなとうき、益田ますだ甚兵衛じんべえという男性だんせいたすけられていた英理えり再会さいかいした夏月かづきだったが、前年ぜんねんくなったという甚兵衛じんべえ息子むすこ時貞ときさだ間違まちがえられてしまう。時貞ときさだ、いわゆる天草あまくさ四郎しろうは、歴史れきしじょうその時期じきんでいるはずのない、ありない事実じじつだった。

一揆いっき史実しじつでは失敗しっぱいわり、女子じょしども関係かんけいなく3まんにんぬことがかっている。それがかっているからこそ、夏月かづき天草あまくさ四郎しろうとして一揆いっきひきいる決心けっしんをする。これ以上いじょう人々ひとびとなせないために、「天草てんぐさらん」を「天草てんぐさへん」にえるために。

辿たどりついた時期じきちがえど生徒せいとかいメンバー全員ぜんいんがタイムスリップしており、時々ときどきつうじる携帯けいたい電話でんわなどでも安否あんぴたしかめ、メンバー全員ぜんいん一揆いっきまえ天草てんぐさ集結しゅうけつする。

なつらは史実しじつらん鎮圧ちんあつするために派兵はへいした九州きゅうしゅう有力ゆうりょくはん肥後ひごこく熊本くまもとはん肥前ひぜんこく佐賀さがはん筑前ちくぜんこく福岡ふくおかはん一揆いっきぜい加勢かせいしてくれるか、もしくは鎮圧ちんあつ派兵はへいしないよう要請ようせいすべく各国かっこく行脚あんぎゃ、また「へん」の旗頭はたがしらとして豊後ぶんごこく配流はいるされていた松平まつだいら忠直ただなお協力きょうりょくあおぐ。こまったひとるとたすけずにはいられない夏月かづき行動こうどうもあって、かく藩主はんしゅ松平まつだいら忠直ただなおとの面会めんかいおおむ良好りょうこうわり、薩摩さつまこく薩摩さつまはん島津しまつ光久みつひさとも筑前ちくぜんこく知己ちきる。

島原しまばらはん松倉まつくら勝家かついえ愛妾あいしょうちょうあたえられた食糧しょくりょうなどをみんあたえていたこと、ちょうしん長崎ながさきおとこ堀江ほりえ栄司えいじ)にあることにいかり、年貢ねんぐおさめられない農民のうみんにんともども水牢みずろうちょうれる。

農民のうみんたちもいよいよ我慢がまん限界げんかいとなり、もどった夏月かづきらの指揮しきしたちょうにん救出きゅうしゅつする。にん新生児しんせいじ一命いちめいめ、われて夏月かづき新生児しんせいじに「ゆかり」(「自由じゆう」から)と名付なづける。

唐津からつはん藩主はんしゅ寺沢てらさわけんだか富岡とみおかしろたところを、城代じょうだいとして八塚やつか直純なおずみが「らん首謀しゅぼうしゃよんろうをとらえた」として面会めんかいし、殺害さつがい史実しじつでは落城らくじょうしなかった富岡とみおかじょう一揆いっきぜいのものとなる。藩主はんしゅ仇討あだうちちとりくへい水軍すいぐんとをした唐津からつはんであったが、りくへい通路つうろとなる小城おぎはん佐賀さがはん遅滞ちたい工作こうさくもあって進軍しんぐんおくれ、単独たんどく富岡とみおかしろ攻略こうりゃくをしかけた水軍すいぐんはオランダせんデ・ライプごう協力きょうりょくもあって撃退げきたいされる。

そのまもりをかためる島原しまばらじょう夏月かづきらは少数しょうすうでハンググライダーをもちいて天守閣てんしゅかくり、松倉まつくら勝家かついえのみをとうとする。いちまるのがれた松倉まつくら勝家かついえだったが、脱出だっしゅつようかく通路つうろから夏月かづきらに侵入しんにゅうされ、ついにたれる。

島原しまばらじょう落城らくじょう徳川とくがわ家光いえみつるところとなり、板倉いたくら重昌しげまさそう大将たいしょうとして鎮圧ちんあつぐん派遣はけんされてくる。小城おぎはん藩主はんしゅ鍋島なべしまもとしげるはいちはや一揆いっきぐん参戦さんせんし、佐賀さがはん鍋島なべしま光茂みつしげ鍋島なべしま勝茂かつしげおくれて一揆いっきぐんくわわる。福岡ふくおかはん藩主はんしゅ黒田くろだ忠之ただゆき福岡ふくおかはんへい後方こうほうからうごかさず、小倉こくらはん藩主はんしゅ小笠原おがさわら忠真ただざねみずからがやりって島原しまばらじょうめるも戦死せんし小笠原おがさわら忠真ただざね一揆いっきぐん得体えたいれぬちからに、家老がろうだいはね内蔵ないぞうすけ小倉こくらじょう堅守けんしゅめいじて、いのちったことで、小倉こくらはんへい撤退てったい

らぬ細川ほそかわ光利みつとしげん板倉いたくら重昌しげまさ直接ちょくせつ指揮しきり、1がつ1にちから再度さいど島原しまばらじょうめがはじまるが、板倉いたくら重昌しげまさ銀次ぎんじ狙撃そげきされ戦死せんしする。

細川ほそかわ忠利ただとし死亡しぼうし、その弔意ちょうい夏月かづき単身たんしん熊本くまもとはんおとずれたことで、細川ほそかわ光利みつとし一揆いっきぐんへの加勢かせい決意けついする。

かくはん統合とうごうした一揆いっきぐん小倉こくらじょうせまるなか、あおいもんはたかかげ、松平まつだいら忠直ただなおあらわれ、それを薩摩さつまはん島津しまつ光久みつひさ一揆いっきぐんへの参加さんか表明ひょうめいする。

籠城ろうじょうする小倉こくらじょうすくうため、徳川とくがわ家光いえみつみずからがぐんひきいて西にしかうが、九州きゅうしゅう情勢じょうせいった農民のうみん日本にっぽん各地かくち一揆いっきこしていた。

夏月かづき家光いえみつとオランダせんデ・ライプごう船上せんじょう会談かいだんおこなう。みずかたわけでもない「奇跡きせき」をしんじない家光いえみつであったが、突如とつじょちゅうかび消失しょうしつしたデ・ライプごうて、認識にんしきあらためる。ほとんどのものはデ・ライプごうからのがれることが出来できたが、春日野かすがの英理えりおおかみのウルだけがふねのこされ、姿すがたした。

春日野かすがの英理えりは「現代げんだい」にもどってきたが、そこはもとの「現代げんだい」ではなかった。風力ふうりょく太陽光たいようこう発電はつでん主力しゅりょく電気でんき自動車じどうしゃ普及ふきゅうした「現代げんだい日本にっぽんには原爆げんばく投下とうかなどもおこなわれていなかった。せいフランシスコ学園がくえん生徒せいと会長かいちょう英理えりであり、はやゆみ夏月かづきらは歴史れきしなか名前なまえのこすだけであった。

変更へんこうされた歴史れきし
九州きゅうしゅう松平まつだいら忠直ただなおをトップとしたみなみ幕府ばくふとして独立どくりつするも、徳川とくがわ幕府ばくふきた幕府ばくふ)とは平穏へいおん外交がいこう関係かんけいきずかれる。みなみ幕府ばくふ鎖国さこくしなかったこともあり、しょ外国がいこくとの交流こうりゅうもあって科学かがく技術ぎじゅつおおいに発展はってんしている。きた幕府ばくふ開国かいこく主導しゅどうけんった。
天草あまくさ四郎しろう後事こうじ不明ふめいで「フランシスコの5聖人せいじん」とばれるよんろう協力きょうりょくした5にん功績こうせきかたられている。
  • 八塚やつか直純なおずみ - 松平まつだいら忠直ただなお補佐ほさとしてみなみ幕府ばくふ重鎮じゅうちんとなる。結婚けっこんはしなかったが、孤児こじ多数たすうそだてた。
  • 堀江ほりえ栄司えいじ - 発明はつめいとして多数たすう発明はつめいのこす。つまきくとのあいだどもが5にん長女ちょうじょには「英理えり」と名付なづけている。
  • 安芸島あきのしまひじりかおり - 海外かいがいとの交易こうえき尽力じんりょくする。
  • 宮本みやもと武蔵むさし - つま夏月かづきとも剣術けんじゅつ道場どうじょうひらき、多数たすう剣士けんしそだてた。
  • えり - 後事こうじ不明ふめい銀次ぎんじ生涯しょうがい、えりをさがしていたという。

登場とうじょう人物じんぶつ

[編集へんしゅう]

主要しゅよう人物じんぶつ

[編集へんしゅう]
はやゆみ 夏月かづき(はゆみ なつき)
せいフランシスコ学園がくえん生徒せいと会長かいちょう以下いかの5にん一緒いっしょ中等ちゅうとう高等こうとう通算つうさん5年間ねんかん生徒せいとかいメンバーとして学園がくえんをまとめる。生徒せいと会長かいちょうとして生徒せいとたちから絶大ぜつだい支持しじていた。居合いあいどう白鳳はくほう(はくほう)りゅう宗家そうけむすめで、剣道けんどう高校こうこうチャンピオン。高校こうこう卒業そつぎょうコロンビア大学ころんびあだいがく留学りゅうがく予定よていだった。
くなった四郎しろうふりふたつで、島原しまばら天草てんぐさみんからはデウスさまつかわされた天使てんしだと勘違かんちがいされる。普通ふつう女子高じょしこうせいとしてそだってきた自分じぶんが「デウスの使つかい」を名乗なのることに抵抗ていこうおぼえる。
宮本みやもと まさしまれ(みやもと まさき)
生徒せいとかいふく会長かいちょう夏月かづきとは恋人こいびと同士どうしで、唯一ゆいいつ剣道けんどう自分じぶんった相手あいて高校こうこう卒業そつぎょうはW大学だいがく進学しんがく予定よていだった。
夏月かづきより7ねんはや江戸えど時代じだいく。タイムスリップで記憶きおく喪失そうしつになり、浜辺はまべうしなっているところをおつうにたすけられ、けん腕前うでまえ見込みこまれ、小倉こくらはん軍師ぐんし宮本みやもと武蔵むさしとしてつかえ、おつうとは恋人こいびとになる。
八塚やつか 直純なおずみ(やつか なおずみ)
生徒せいとかいふく会長かいちょう学園がくえんで2番目ばんめ秀才しゅうさい父親ちちおや運輸うんゆ大臣だいじんであったが汚職おしょくにより失脚しっきゃく周囲しゅうい距離きょりくなか、わらず接触せっしょくしてくる夏月かづき好意こういいだく。ゲイだが例外れいがいてき夏月かづきのことはきだった。高校こうこう卒業そつぎょう夏月かづきおなじくコロンビア大学ころんびあだいがく留学りゅうがく予定よていだった。
夏月かづきよりやく8ねんはやくタイムスリップし、唐津からつはん藩主はんしゅ寺沢てらさわけんだかられ、きるために夜伽よとぎ相手あいてもしながら、きびしい切支丹きりしたんりをすることで信頼しんらい富岡とみおかしろ城代しろだいとなっていった。村人むらびとたちからは「切支丹きりしたんりの“大鷹おおたかわか”」とおそれられている。
春日野かすがの 英理えり(かすがの えり)
風紀ふうき委員いいんちょう全国ぜんこく模試もしトップで、学年がくねん首席しゅせき東京大学とうきょうだいがく進学しんがく予定よていだった。あたまはいいが大人おとなしい性格せいかくんだほん内容ないようすべ記憶きおくできる能力のうりょくつ。
夏月かづき太陽たいようのような存在そんざいで、本心ほんしんでは夏月かづき特定とくていひとのものになってしまうのさえいやだとおもっている。天草あまくさ四郎しろうとしてきる決意けついをした夏月かづきまもるとしんちかう。かつて演劇えんげき脚本きゃくほんいたさいあさったほん知識ちしき総動員そうどういんし、らん敗因はいいん考察こうさつ対抗たいこうさくる。
堀江ほりえ 栄司えいじ(ほりえ えいじ)
生徒せいとかい書記しょき学年がくねんいち小柄こがら夏月かづきより5ねんはや長崎ながさきく。機械きかいきで色々いろいろ発明はつめいひんつくって夏月かづきたすける。歴史れきしえてしまうことに抵抗ていこうおぼえ、20世紀せいきかえることをのぞんでいたが、たたかいの前夜ぜんやきく祝言しゅうげんげ、あいちかう。
安芸島あきのしま きよし(あきしま せいか)
生徒せいとかい書記しょきコギャル素行そこうわるかったが夏月かづきわるように(音響おんきょういからという理由りゆうで)聖堂せいどううたってたところ、「天使てんし歌声うたごえ」をシスターに見出みいだされる。高校こうこう卒業そつぎょうドイツ声楽せいがく留学りゅうがく予定よていだった。タイムスリップ、オランダ商船しょうせんたすけられる。メンバーのなかでは一番いちばん信心しんじんふかく、マタイの福音ふくいんしょなども暗記あんきしている。うつくしいうた一揆いっきぐんをまとめる。

一揆いっきぐん

[編集へんしゅう]
銀次ぎんじ(ぎんじ)
銃撃じゅうげき名手めいしゅ終盤しゅうばんは「山田やまだぎん」を名乗なのる。
英理えり夏月かづきへの気持きもちに気付きづくが、自身じしん英理えりへのおもいをめる。
もりはじめのき(もり そういけん)
島原しまばらいち軍師ぐんし
ちょう(きちょう)
松倉まつくら勝家かついえ愛妾あいしょう本名ほんみょうきく(きく)。贅沢ぜいたくらしをしながらもしんたされていなかった。夏月かづきさとされ、える農民のうみんたちに食糧しょくりょうあたえる。かちめとられるまえ栄司えいじを「おあにさま」としたっていた。のち栄司えいじむすばれる。
松平まつだいら忠直ただなお(まつだいら ただなお)
家光いえみつ従兄じゅうけいもと越前えちぜん藩主はんしゅ暴君ぼうくん乱行らんぎょう汚名おめいせられ豊後ぶんご配流はいるになった。表向おもてむきは仏門ぶつもんはいり“いちはく”(いっぱく)を名乗なのっているが、キリシタンである。一揆いっき参戦さんせんしようと、かんしたところをつかまり、さらなる遠地おんちへと配流はいるとなる。その輸送ゆそう途上とじょううみ遭難そうなん死亡しぼうしたとされたが、幸運こううんにもかくれキリシタン三ツ島みつじま漂着ひょうちゃく一命いちめいめていた。柳生やぎゅう十兵衛じゅうべえわれて、一揆いっきぐん小倉こくらはんへい激突げきとつ直前ちょくぜんりょうぐんむように登場とうじょうする。
よんろういもうと外見がいけんている女中じょちゅう姿すがた夏月かづきとして最初さいしょ出会であっているため、四郎しろう女性じょせいであるとはらなかった数少かずすくない人物じんぶつ

しょ大名だいみょう

[編集へんしゅう]

小城おぎはん鍋島なべしまはん黒田くろだはん熊本くまもとはん一揆いっきぐん加勢かせい薩摩さつまはん忠直ただなおまもるという名目めいもく一揆いっきぐん寝返ねがえる。

肥前ひぜんこく
松倉まつくら勝家かついえ(まつくら かついえ)
島原しまばら藩主はんしゅ
鍋島なべしまもとしげる(なべしま もとしげ)
小城おぎはん藩主はんしゅけんうですぐれ、家光いえみつ兵法ひょうほう指南しなんやくだった。母親ははおや身分みぶんひくかったために家督かとくげずにいる。しんやさしい青年せいねんみんからもしたわれており、次期じき藩主はんしゅのぞまれてもいて、げんしげる光茂みつしげとにかれてあらそ要因よういんともなっている。
毒矢どくやおそわれ、負傷ふしょうしたところを夏月かづきたすけられる。
おい光茂みつしげとの仲違なかたがいを解消かいしょうさせてくれた夏月かづき恩義おんぎかんじ、勝茂かつしげ光茂みつしげさきんじて一揆いっきぐんくわわる。
鍋島なべしま勝茂かつしげ(なべしま かつしげ)
げんしげる父親ちちおや光茂みつしげ祖父そふもとしげがわ光茂みつしげがわとにれる家臣かしんたちを中立ちゅうりつ立場たちば見守みまもっているが、あらしるのをち、みずか行動こうどうしようとはしないタイプだった。
鍋島なべしま光茂みつしげ(なべしま みつしげ)
勝茂かつしげまごげんしげるおい腹違はらちがいのおとうと鍋島なべしま忠直ただなお)。佐賀さがはん藩主はんしゅ。なお、げんしげる小城おぎはん藩主はんしゅに、光茂みつしげ佐賀さがはん藩主はんしゅになるよう指示しじしたのは徳川とくがわ家光いえみつ
にわとりをいじめていたところ(本人ほんにんけん修行しゅぎょう主張しゅちょう)を夏月かづきとがめられ、空中くうちゅう両断りょうだんする夏月かづきけんうでと、「(くにおさめるには)じょうではなくしたみん)をよ」というちち忠直ただなおおな言葉ことばなつがつからき、夏月かづきけん師匠ししょうしたう。
げんしげる光茂みつしげとのなかたがいはぜん佐賀さがはん藩主はんしゅすじ龍造寺りゅうぞうじものによる謀略ぼうりゃくであったが、夏月かづきらの活躍かつやくにより事態じたい究明きゅうめい解決かいけつおこなわれた。
寺沢てらさわけんだか(てらざわ かたたか)
唐津からつ藩主はんしゅわかころキリスト教きりすときょう信者しんじゃだったが、かみだけがひとうえつというおしえはいずれまくはん体制たいせいるがすと気付きづき、キリシタン弾圧だんあつ移行いこうした。
肥後ひごこく
細川ほそかわ光利みつとし(ほそかわ みつとし)
熊本くまもとはんしゅ嫡男ちゃくなん女癖おんなぐせわるそうなあそにんタイプ。
おおかみ退治たいじむらおとずれたところ、さきむらおとずれていた夏月かづき武蔵むさしせいまれ)がすでおおかみ退治たいじずみだったことをり、夏月かづき家来けらいにとのぞむが「ともだち」ならばとことわられる。
その、「へん」を成功せいこうさせるために九州きゅうしゅうしょ勢力せいりょくめぐ夏月かづきらと会談かいだんし、未来みらい子孫しそん細川ほそかわまもる)がくにのトップにったことをらされる。
せいこうらによれば、どことなく細川ほそかわまもる熙にているとのこと。
細川ほそかわ忠利ただとし(ほそかわ ただとし)
熊本くまもと藩主はんしゅ光利みつとし父親ちちおやらん勃発ぼっぱつ病床びょうしょうせており、島原しまばらじょう攻略こうりゃくせんのさなかにいきる。
じん左衛門さえもん(じん すけざえもん)
熊本くまもとはん藩士はんし史実しじつでは天草あまくさ四郎しろうったとされる人物じんぶつ光利みつとしとの会談かいだん旅立たびだとうとする武蔵むさしこえをかけ、いをのぞむ。
筑前ちくぜんこく
黒田くろだ忠之ただゆき(くろだ ただゆき)
福岡ふくおか藩主はんしゅあそきで武芸ぶげいぎらいと有名ゆうめいまくはん体制たいせい疑問ぎもん野心やしんでもある。
栗山くりやま大膳だいぜん(くりやま たいぜん)
福岡ふくおかはん家老がろうおさなころから忠之ただゆきてきただけあって、そのうつわおおきさも性格せいかくもよくかっているが、現状げんじょうではけっしてかなうことのない野望やぼうを諫めることではんみんたちをまもろうとする。夏月かづきらに説得せっとくされ、いわゆる黒田くろだ騒動そうどう未然みぜんふせがれた。
一揆いっき鎮圧ちんあつのための派兵はへいまえ忠之ただゆきから真意しんい一揆いっきぐんへの加勢かせい)をけられたさいには、「忠之ただゆきゆめごとまもる」として協力きょうりょくやくする。
薩摩さつまこく
島津しまつ光久みつひさ(しまづ みつひさ)
薩摩さつま藩主はんしゅほんさくにおいては光久みつひさちち島津しまつ家久いえひさ一揆いっききるまえ、1937ねんちゅう死亡しぼうしており、藩主はんしゅとなっている。
いちはや情報じょうほう戦局せんきょく見極みきわめた側室そくしつのおべに一揆いっきぐんへの参加さんか打診だしんされ、史実しじつよりもはるかにおおい1まんちょうへいみずかひきいて出陣しゅつじん
べに
光久みつひさ側室そくしつ架空かくう人物じんぶつ

幕府ばくふぐん

[編集へんしゅう]
徳川とくがわ家光いえみつ(とくがわ いえみつ)
さんだい将軍しょうぐん
柳生やぎゅう十兵衛じゅうべえ(やぎゅう じゅうべえ)
いえこうから天草てんぐさ不穏ふおん分子ぶんしを「るにりないものならころせ」とめいじられる。いえこうから自由じゆうになりたいとしんのどこかでおもっている。
左目ひだりめみずかきずつけたものであるが、これは家光いえみつ寵愛ちょうあいのがれるため。武芸ぶげいうでたかく、作中さくちゅう十兵衛じゅうべえ匹敵ひってきするのは四郎しろう夏月かづき)、武蔵むさしくらい。
板倉いたくら重昌しげまさ(いたくら しげまさ)
幕府ばくふぐん総帥そうすい
小笠原おがさわら忠真ただざね(おがさわら ただざね)
豊前ぶぜん小倉おぐら藩主はんしゅ母親ははおや家康いえやすまごたる。
だいはね内蔵助くらのすけ(おおば くらのすけ)
小倉おぐらはん家老がろう小笠原おがさわら最期さいご命令めいれいで、小倉こくらじょうまもかためる。
小笠原おがさわら家光いえみつ指示しじで、伊予いよこくうつりふうとなる。

その

[編集へんしゅう]
長崎オランダ村ながさきおらんだむらのプリンス・ウィレムごうのレプリカ。
おつう
武蔵むさし宮本みやもと)の許嫁いいなずけ天草てんぐさった武蔵むさし辛抱強しんぼうづよつづけるが、武蔵むさしがデウスの使つかいとんだといううわさき、いてもってもいられなくなる。
武蔵むさし恋人こいびと・おつう」は吉川よしかわ英治えいじ小説しょうせつ宮本みやもと武蔵むさし』で創作そうさくした人物じんぶつであるが、夏月かづきなどは実在じつざい人物じんぶつだとおもっている。
ヤン
オランダせんデ・ライプごう船長せんちょうせいこうあいしている。デ・ライプごう実在じつざいふねであるが船長せんちょう名前なまえについては赤石あかし創作そうさく
デ・ライプごう長崎オランダ村ながさきおらんだむらのプリンス・ウィレムごうのレプリカがモデルとなっている。
クーケバッケル
平戸ひらどオランダ商館しょうかんちょうせいこう一揆いっき成功せいこうしたさいかれて協力きょうりょくするようになる。

TV出演しゅつえん

[編集へんしゅう]

2013ねん8がつ13にちBS-TBS放送ほうそう日本にっぽん歴史れきし探訪たんぼうライバルたちの光芒こうぼう」「天草あまくさ四郎しろう」VS「徳川とくがわ家光いえみつ」のゲストに作者さくしゃ赤石あかし路代みちよが「天草あまくさ四郎しろうがわのゲストで出演しゅつえんした。「徳川とくがわ家光いえみつがわゲストは加来かく耕三こうぞう司会しかい高橋たかはし英樹ひでき[1]

書誌しょし情報じょうほう

[編集へんしゅう]

赤石あかし路代みちよ 『AMAKUSA1637』 〈小学館しょうがくかんフラワーコミックスぜん12かん

  1. 2001ねん03月26にち発売はつばいISBN 4-09-134343-0
  2. 2001ねん11月26にち発売はつばいISBN 4-09-134344-9
  3. 2002ねん05月25にち発売はつばいISBN 4-09-134345-7
  4. 2002ねん10がつ26にち発売はつばいISBN 4-09-134346-5
  5. 2003ねん04がつ24にち発売はつばいISBN 4-09-134347-3
  6. 2003ねん10がつ25にち発売はつばいISBN 4-09-134348-1
  7. 2004ねん02がつ26にち発売はつばいISBN 4-09-134349-X
  8. 2004ねん09月24にち発売はつばいISBN 4-09-134350-3
  9. 2005ねん01がつ26にち発売はつばいISBN 4-09-137489-1
  10. 2005ねん06月24にち発売はつばいISBN 4-09-130155-X
  11. 2005ねん11月25にち発売はつばいISBN 4-09-130244-0
  12. 2006ねん04がつ26にち発売はつばいISBN 4-09-130426-5

赤石あかし路代みちよ 『AMAKUSA1637』 〈小学館しょうがくかん小学館しょうがくかん文庫ぶんこぜん7かん

  1. 2010ねん2がつ13にち発売はつばいISBN 978-4-09-191475-0
  2. 2010ねん2がつ13にち発売はつばいISBN 978-4-09-191476-7
  3. 2010ねん3がつ13にち発売はつばいISBN 978-4-09-191477-4
  4. 2010ねん3がつ13にち発売はつばいISBN 978-4-09-191478-1
  5. 2010ねん4がつ15にち発売はつばいISBN 978-4-09-191057-8
  6. 2010ねん4がつ15にち発売はつばいISBN 978-4-09-191058-5
  7. 2010ねん5がつ15にち発売はつばいISBN 978-4-09-191059-2

脚注きゃくちゅう

[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク

[編集へんしゅう]