『ROMANTIC 1990 』(ロマンティック・ナインティーンナインティ)は、日本 にっぽん の音楽 おんがく ユニット であるCOMPLEX の2枚 まい 目 め のオリジナル・アルバム 。
1990年 ねん 4月 がつ 18日 にち に東芝 とうしば EMI のイーストワールドレーベルからリリースされた。前作 ぜんさく 『COMPLEX 』(1989年 ねん )よりおよそ1年 ねん ぶりにリリースされた作品 さくひん であり、3曲 きょく を除 のぞ いて作詞 さくし はすべて吉川 よしかわ 晃司 こうじ が担当 たんとう 、1曲 きょく を除 のぞ いて作曲 さっきょく はすべて布袋 ほてい 寅泰 ともやす が担当 たんとう 、プロデュースは前作 ぜんさく に引 ひ き続 つづ き布袋 ほてい が担当 たんとう している。
レコーディングは日本 にっぽん 国内 こくない で行 おこな われたが、一部 いちぶ セクションのみイギリス のアビー・ロード・スタジオ にて行 おこな われた。前年 ぜんねん の時点 じてん で、吉川 よしかわ と布袋 ほてい の音楽 おんがく に対 たい する価値 かち 観 かん の違 ちが いから確執 かくしつ が生 しょう じており、レコーディングは両者 りょうしゃ が顔 かお を一切 いっさい 合 あ わせずに行 おこな われた。本 ほん 作 さく は六 ろく 四 よん 天安門 てんあんもん 事件 じけん やベルリンの壁 かべ 崩壊 ほうかい および東欧 とうおう 革命 かくめい など、当時 とうじ の世界 せかい 情勢 じょうせい に吉川 よしかわ および布袋 ほてい ともに影響 えいきょう を受 う けた結果 けっか 、世紀 せいき 末 まつ や1990年代 ねんだい の幕開 まくあ けを意識 いしき したコンセプト・アルバム となっている。
本 ほん 作 さく からは先行 せんこう シングルとして「1990 」がシングルカット されている。また、本 ほん 作 さく はオリコンアルバムチャート にて最高 さいこう 位 い 第 だい 1位 い を獲得 かくとく 、売 う り上 あ げ枚数 まいすう は40万 まん 枚 まい を超 こ えたため日本 にっぽん レコード協会 きょうかい からプラチナ認定 にんてい を受 う けている。本 ほん 作 さく を受 う けたコンサートツアーの終了 しゅうりょう 後 ご に行 おこな われた東京 とうきょう ドーム公演 こうえん 「ROMANTIC EXTRA」を最後 さいご にCOMPLEXは活動 かつどう 休止 きゅうし となったため、最後 さいご のオリジナル・アルバムとなった。
自身 じしん が望 のぞ む活動 かつどう と事務所 じむしょ との体制 たいせい が大 おお きく異 こと なっていたことを理由 りゆう に渡辺 わたなべ プロダクション から独立 どくりつ した吉川 よしかわ 晃司 こうじ と、海外 かいがい 進出 しんしゅつ やデヴィッド・ボウイ との共演 きょうえん を求 もと めてBOØWY 解散 かいさん 後 ご にソロ・デビューを果 は たしていた布袋 ほてい 寅泰 ともやす は、1988年 ねん 12月 がつ 10日 とおか に新 しん ユニットとなるCOMPLEX の結成 けっせい を発表 はっぴょう する。その後 ご COMPLEXは1989年 ねん 4月 がつ 8日 にち にデビュー・シングル「BE MY BABY 」、4月 がつ 26日 にち にはファースト・アルバム『COMPLEX 』をリリースした。オリコンチャート においてはシングルおよびアルバム両方 りょうほう で最高 さいこう 位 い 第 だい 1位 い を獲得 かくとく 。その後 ご アルバムを受 う けたコンサートツアー「COMPLEX TOUR 1989」を、1989年 ねん 5月 がつ 10日 とおか の群馬 ぐんま 県民 けんみん 会館 かいかん 公演 こうえん を皮切 かわき りに9月24日 にち の香川 かがわ 県 けん 県民 けんみん ホール公演 こうえん まで35都市 とし 全 ぜん 42公演 こうえん 実施 じっし [10] 。ライブ時 じ には線 せん を引 ひ いたようにファンが分 わ かれる現象 げんしょう が起 お きており、吉川 よしかわ は「まあ、ファンにしてみれば、納得 なっとく いかないのも当然 とうぜん かもしれないけど」と述 の べている。また吉川 よしかわ と布袋 ほてい のファン同士 どうし が喧嘩 けんか している場面 ばめん もあったと述 の べている。
ファースト・ソロアルバム『GUITARHYTHM 』(1988年 ねん )のリリース後 ご から周囲 しゅうい の自身 じしん への視点 してん がシビアになったと布袋 ほてい は述 の べており、「布袋 ほてい はつまんないことやっちゃダメ」と忠告 ちゅうこく を受 う けることがあったとも述 の べている。しかしその状況 じょうきょう に息苦 いきぐる しさを感 かん じていた布袋 ほてい はコンセプチュアルな作品 さくひん を制作 せいさく することへの欲求 よっきゅう もあったものの、やんちゃな自身 じしん を気楽 きらく に表現 ひょうげん したいとの思 おも いからCOMPLEXを結成 けっせい したと述 の べている。布袋 ほてい 曰 いわ くCOMPLEXは音楽 おんがく 的 てき 評価 ひょうか も売 う り上 あ げも上々 じょうじょう であり、またBOØWY末期 まっき に拒否 きょひ していたメディア出演 しゅつえん も積極 せっきょく 的 てき に行 い っていたという。後 のち にB'z 所属 しょぞく の松本 まつもと 孝弘 たかひろ と知 し り合 あ った布袋 ほてい は、松本 まつもと から「ヴォーカルの稲葉 いなば と、COMPLEXのライヴに行 い きましたよ。圧倒 あっとう されました。あのままCOMPLEXが続 つづ いていたら、俺 おれ たちなんか何 なに もやれなかったですよ」と言 い われたと自著 じちょ 『秘密 ひみつ 』の中 なか に記 しる している。しかし好調 こうちょう な活動 かつどう の中 なか で布袋 ほてい は「答 こた えのない命題 めいだい 」を抱 かか えていたと述 の べており、周囲 しゅうい の人間 にんげん から「COMPLEXは確 たし かにカッコイイよ。でもさ、布袋 ほてい が一番 いちばん やりたいことって、コレだったの?」と問 と われることや、「布袋 ほてい さぁ、BOØWYを復活 ふっかつ しろよ……」と懇願 こんがん されることもあったと述 の べている。友人 ゆうじん として吉川 よしかわ に信頼 しんらい を置 お いていた布袋 ほてい であったが、自我 じが の強 つよ いアーティスト同士 どうし でもあり、音楽 おんがく 制作 せいさく においては仲 なか の良 よ さだけでは共同 きょうどう 作業 さぎょう が不可能 ふかのう になっていったと布袋 ほてい は述 の べている。布袋 ほてい によれば吉川 よしかわ はCOMPLEX以前 いぜん のキャリアのまま自分 じぶん 自身 じしん を表現 ひょうげん することに重点 じゅうてん を置 お いていたが、布袋 ほてい は名前 なまえ は知 し られずとも自身 じしん の制作 せいさく 曲 きょく が誰 だれ かの耳 みみ に届 とど けばいいという考 かんが え方 かた であったために両者 りょうしゃ の間 あいだ に意識 いしき のズレが生 しょう じていたと述 の べている。一方 いっぽう で吉川 よしかわ はバンド演奏 えんそう に対 たい する憧憬 どうけい があったことから布袋 ほてい とユニットを組 く んだと述 の べた上 うえ で、「隣 となり の芝生 しばふ は青 あお く見 み えるというパターンだったのかも知 し れない」と述 の べた他 ほか 、「巡 めぐ り合 あ わせが良 よ かったから、実現 じつげん した。いや、巡 めぐ り合 あ わせがとんでもなく悪 わる かったから、実現 じつげん したのかも知 し れない」とも述 の べている。
もうこの二枚目 にまいめ の時 とき は、スタジオに二人 ふたり でいなかったんだよね。布袋 ほてい 君 くん の場合 ばあい 、デモ・テープでほとんど作 つく ってくるし、デモ・テープと本 もと チャンがあまり変 か わらないんだよね。ただスタジオでマルチで録 ろく るっていうだけで。だから別 べつ にいいんじゃないのっていうので、歌 うた 入 い れの時 とき とかも彼 かれ はいなかったの。
吉川 よしかわ 晃司 こうじ , 月刊 げっかん カドカワ 1993年 ねん 3月 がつ 号 ごう
吉川 よしかわ によれば本 ほん 作 さく はイエロー・マジック・オーケストラ のように完全 かんぜん な分業 ぶんぎょう 体制 たいせい で制作 せいさく が行 おこな われたという。本 ほん 作 さく 制作 せいさく 時 じ には吉川 よしかわ と布袋 ほてい で意見 いけん がかみ合 あ わず、吉川 よしかわ は布袋 ほてい に全権 ぜんけん を委任 いにん し自身 じしん は歌唱 かしょう 可能 かのう な曲 きょく の選曲 せんきょく のみを行 おこな っている。すでに関係 かんけい が破綻 はたん していた両者 りょうしゃ であったが、アルバムを1枚 まい リリースしただけで完結 かんけつ するのは格好 かっこう 悪 わる いという考 かんが えから、本 ほん 作 さく においては両者 りょうしゃ が全 まった く共同 きょうどう 作業 さぎょう を行 おこな わないというユニットとしての活動 かつどう ではあり得 え ない方法 ほうほう で制作 せいさく が進 すす められた。レコーディング・スタジオにおいても両者 りょうしゃ が揃 そろ うことはなかったが、布袋 ほてい が制作 せいさく するデモテープ は本番 ほんばん のレコーディングと大差 たいさ がないことから問題 もんだい ないと判断 はんだん され、歌 うた 入 い れの際 さい にも布袋 ほてい は不在 ふざい であったと吉川 よしかわ は述 の べている。
本 ほん 作 さく はアルバム全体 ぜんたい で一 ひと つのテーマになるような方向 ほうこう 性 せい で、世紀 せいき 末 まつ や1990年代 ねんだい の幕開 まくあ けなどの壮大 そうだい なテーマを掲 かか げた作品 さくひん として制作 せいさく が開始 かいし された。当時 とうじ 、中華人民共和国 ちゅうかじんみんきょうわこく における六 ろく 四 よん 天安門 てんあんもん 事件 じけん やドイツ におけるベルリンの壁 かべ 崩壊 ほうかい 、東 ひがし ヨーロッパ圏 けん での東欧 とうおう 革命 かくめい など世界 せかい 的 てき 事件 じけん が勃発 ぼっぱつ しており、ニュースを見 み ていた吉川 よしかわ は「いても立 た ってもいられない状態 じょうたい 」に陥 おちい っていたと述 の べている。当時 とうじ 吉川 よしかわ は「画面 がめん の向 む こうで人 ひと がいっぱい死 し んでるのに、何 なん で六本木 ろっぽんぎ をパンチラ姉 ねえ ちゃんが歩 ある いてるんだ? 変 へん だね」という感想 かんそう を持 も ち、その影響 えいきょう から制作 せいさく されたのが本 ほん 作 さく 収録 しゅうろく 曲 きょく の「MODERN VISION」であったと述 の べている。吉川 よしかわ は本 ほん 作 さく に向 む けて10曲 きょく 程度 ていど 制作 せいさく していたものの、布袋 ほてい がすでに全体 ぜんたい の流 なが れを構想 こうそう していたために布袋 ほてい 主導 しゅどう で制作 せいさく が行 おこな われることが決定 けってい し、「MODERN VISION」のみ布袋 ほてい が制作 せいさく を望 のぞ んだことから本 ほん 作 さく に収録 しゅうろく される運 はこ びとなった。布袋 ほてい は10数 すう 曲 きょく をすでに制作 せいさく 済 ず みであり、吉川 よしかわ によればプログレッシブ・ロック を思 おも わせる曲 きょく やガット・ギター が挿入 そうにゅう されている曲 きょく もあり、リフ の良 よ さから吉川 よしかわ は「おおっ、格好 かっこう いい!」と当時 とうじ 発言 はつげん していたと述 の べている。吉川 よしかわ はボーカルであるために歌 うた を中心 ちゅうしん に考 かんが えた結果 けっか 、ギターがバッキングのようになってしまうところを、布袋 ほてい はギタリストであるために歌 うた の合間 あいま を縫 ぬ って自分 じぶん を前 まえ に出 だ す表現 ひょうげん を行 おこな わなければならないことから、上手 うま くギター演奏 えんそう を曲 きょく 中 ちゅう に入 い れ込 こ んでいることを吉川 よしかわ は「そこが美 うつく しいなと思 おも うよ」と述 の べた他 ほか 、「音 おと の作 つく り方 かた っていうのが、布袋 ほてい 君 くん から学 まな んだいちばん大 おお きなものだね」とも述 の べている。吉川 よしかわ は「このアルバムは結構 けっこう 好 す き」と述 の べた上 うえ で、特 とく にリフによって構成 こうせい されている「GOOD SAVAGE」および「DRAGON CRIME」を最 もっと も好 この んでいると述 の べている。
「ROMANTICA 」
インストゥルメンタル 曲 きょく 。
「PROPAGANDA 」
「LOVE CHARADE 」
アウトロのコーラス部分 ぶぶん の歌詞 かし はブックレットには記載 きさい されていないが、布袋 ほてい は後年 こうねん 「Love is always in the air but never when you want it there. Love is always in the air but when it's true it's forever.(愛 あい は空気 くうき のような存在 そんざい なのに 欲 ほ しいからと言 い って手 て に入 はい らない 愛 あい は空気 くうき のような存在 そんざい だから それが本当 ほんとう の愛 あい なら永遠 えいえん に続 つづ く)」という内容 ないよう であると明 あ かしている[18] 。
「1990 」
本 ほん 作 さく 収録 しゅうろく 曲 きょく で最初 さいしょ に完成 かんせい した曲 きょく でありシングルカットされているが、本 ほん 作 さく に収録 しゅうろく されている音源 おんげん はシングル・バージョンとはアレンジが若干 じゃっかん 異 こと なっており、アウトロ の演奏 えんそう 時間 じかん も長 なが くなっている。詳細 しょうさい は「1990 」を参照 さんしょう 。
「BLUE 」
「MODERN VISION 」
デモテープの段階 だんかい ではレッド・ツェッペリン の楽曲 がっきょく 「移民 いみん の歌 うた 」(1970年 ねん )を意識 いしき して政治 せいじ 的 てき にニュートラル、かつナンセンスな解釈 かいしゃく で作 つく るつもりであったが、布袋 ほてい の手 て によりテーマ性 せい および日本人 にっぽんじん 好 この みなアレンジ が施 ほどこ された。本 ほん 作 さく 収録 しゅうろく 曲 きょく は後年 こうねん 吉川 よしかわ のソロライブにおいて演奏 えんそう されているが、COMPLEX活動 かつどう 休止 きゅうし 後 ご しばらくは本 ほん 曲 きょく のみライブにおいて演奏 えんそう されることがあり、ライブ・アルバム『GOLDEN YEARS VOL.II 』(1993年 ねん )にライブ音源 おんげん が収録 しゅうろく されている[19] 。また、後 のち に吉川 よしかわ とDISCO TWINS によるコラボレートユニット「DISCO K2 TWINS」のシングル「Juicy Jungle 」(2006年 ねん )においてセルフカバー が収録 しゅうろく されている[20] 。
「THE WALL 」
前年 ぜんねん に発生 はっせい したベルリンの壁 かべ 崩壊 ほうかい がモチーフになっている。「ニュースを見 み てて、いてもたってもいられなくなってベルリンに行 い き、そのまま現地 げんち で書 か いた曲 きょく 」と布袋 ほてい は語 かた っている。吉川 よしかわ の歌唱 かしょう 部分 ぶぶん は前半 ぜんはん のみで、後半 こうはん は外国 がいこく 人 じん のトークなどが挿入 そうにゅう され、インストゥルメンタルのような構成 こうせい になっている。
本 ほん 曲 きょく において布袋 ほてい は、フェルナンデス より提供 ていきょう された試作 しさく のフレットレスギターをレコーディング中 ちゅう に使用 しよう している。
「NO MORE LIES 」
「GOOD SAVAGE 」
「HALF MOON 」
インストゥルメンタル曲 きょく 。
「DRAGON CRIME (East & West) 」
本 ほん 曲 きょく のサブタイトルは、ベルリンの壁 かべ 崩壊 ほうかい をモチーフにしていることから名付 なづ けられた。
「MAJESTIC BABY 」
「AFTER THE RAIN (朱 しゅ いChina) 」
本 ほん 曲 きょく のサブタイトルは、六 ろく 四 よん 天安門 てんあんもん 事件 じけん をモチーフにしていることから名付 なづ けられた。
本 ほん 作 さく は1990年 ねん 4月 がつ 18日 にち に東芝 とうしば EMI のイーストワールドレーベルからCD およびCT の2形態 けいたい でリリースされた。本 ほん 作 さく からは先行 せんこう シングルとして「1990 」がリリースされた。ジャケット写真 しゃしん や歌詞 かし カードにおいて吉川 よしかわ および布袋 ほてい の写真 しゃしん は一切 いっさい 使用 しよう されておらず、それぞれの経歴 けいれき (布袋 ほてい の場合 ばあい はBOØWY 時代 じだい 含 ふく む)の中 なか でオリジナル・アルバムにおいては初 はじ めてのことであった。CD盤 ばん の初回 しょかい 限定 げんてい 版 ばん はアルミ製 せい のケースになっており、またジャケット等 とう のアートワークとして使用 しよう されているコンピュータグラフィックス は立花 たちばな ハジメ が担当 たんとう している。
本 ほん 作 さく はオリコンアルバムチャート において、最高 さいこう 位 い 第 だい 1位 い の登場 とうじょう 週 しゅう 数 すう 15回 かい で売 う り上 あ げ枚数 まいすう は47.7万 まん 枚 まい となった。CD盤 ばん はその後 ご 2012年 ねん 10月 がつ 10日 とおか にデジタル・リマスタリング が施 ほどこ されたSHM-CD として再 さい リリースされた[21] 。
本 ほん 作 さく を受 う けたコンサートツアーは「ROMANTIC 1990 TOUR」と題 だい し、1990年 ねん 5月 がつ 9日 にち の群馬 ぐんま 県民 けんみん 会館 かいかん 公演 こうえん を皮切 かわき りに8月 がつ 8日 にち の日本武道館 にほんぶどうかん 公演 こうえん まで30都市 とし 全 ぜん 53公演 こうえん が実施 じっし された[22] 。同年 どうねん 11月 がつ 8日 にち には最終 さいしゅう 公演 こうえん となる「ROMANTIC EXTRA」を東京 とうきょう ドーム にて実施 じっし する[23] 。しかし東京 とうきょう ドーム公演 こうえん を最後 さいご に、COMPLEXとしての活動 かつどう は休止 きゅうし となった。すでにツアーは終了 しゅうりょう していたが、最後 さいご のライブを希望 きぼう した吉川 よしかわ は布袋 ほてい に対 たい して東京 とうきょう ドーム公演 こうえん を打診 だしん したものの、布袋 ほてい は2枚 まい 目 め のソロ・アルバム『GUITARHYTHM II 』(1991年 ねん )の制作 せいさく 準備 じゅんび に入 はい っていたためにこれを拒否 きょひ 。しかし吉川 よしかわ は「いいじゃん。君 くん はドーム やったけど、僕 ぼく はやったことないんだよ。ドームはちょっとやりたいんだけどね」と布袋 ほてい を説得 せっとく し、布袋 ほてい 側 がわ のスタッフも賛成 さんせい したことから実現 じつげん する運 はこ びとなった。同 どう 公演 こうえん に関 かん して吉川 よしかわ は、布袋 ほてい との気持 きも ちは一緒 いっしょ ではなかったために「バンドでありながら、知 し らんぷりしてライヴをやるってのは、初 はじ めての体験 たいけん で。でもなかなかおもしろかった。これはこれでおもしろいんだって、思 おも いながらやりましたね」と述 の べている。
打 う ち上 あ げの席 せき において吉川 よしかわ は布袋 ほてい に対 たい し「一緒 いっしょ にやらなかったら、友達 ともだち でいられたかもしれないね」と話 はな し、「じゃあ、元気 げんき でね」と告 つ げた後 のち は一切 いっさい 会 あ っていないと1993年 ねん 時点 じてん で述 の べている。後年 こうねん 吉川 よしかわ は布袋 ほてい を嫌 きら いになった訳 わけ ではなく、勉強 べんきょう させてもらった部分 ぶぶん もあると感謝 かんしゃ の念 ねん を表 あらわ した上 うえ で離婚 りこん した妻 つま のようなものであると述 の べている。また後年 こうねん 布袋 ほてい はCOMPLEXを結成 けっせい したことに対 たい する後悔 こうかい の念 ねん を表明 ひょうめい しており、最 もっと も後悔 こうかい していることについて「あいつといい友達 ともだち だったのに、COMPLEXをやれることで離 はな れちゃったなぁ…ということなんだよね。もしやらなかったら今 いま でも肩 かた 並 なら べてその辺 あたり で酒 さけ 飲 の んでる友達 ともだち 同志 どうし でいたかもしれないしさ」と述 の べている。吉川 よしかわ は活動 かつどう 休止 きゅうし の理由 りゆう について「友達 ともだち 同士 どうし ってのとビジネスのつきあいが、違 ちが うもんだったってことかな」と述 の べた他 ほか 、「瞬間 しゅんかん 的 てき な熱量 ねつりょう はすごかったけど、だからこそすぐ燃 も え尽 つ きてしまった。駆 か け落 お ちした瞬間 しゅんかん に完結 かんけつ した、みたいな感 かん じ。でも解散 かいさん とは言 い ってなくて、休止 きゅうし ということになっていた。“急死 きゅうし ”のほうが近 ちか いかも知 し れないですけど」と述 の べている。一方 いっぽう で布袋 ほてい も「あいつと俺 おれ は一緒 いっしょ に音楽 おんがく を作 つく るふたりではなかったなあ…と思 おも いますね」と吉川 よしかわ と同様 どうよう の意見 いけん を述 の べた他 ほか 、布袋 ほてい は「事務所 じむしょ が別々 べつべつ だったり、何 なに か俺 おれ らが見 み えないところでもうまくいかなくなっていったしね…」とも述 の べている。
専門 せんもん 評論 ひょうろん 家 か によるレビューレビュー・スコア 出典 しゅってん 評価 ひょうか CDジャーナル 肯定 こうてい 的 てき [27] [28]
音楽 おんがく 情報 じょうほう サイト『CDジャーナル』では、COMPLEXに対 たい して「下世話 げせわ さ満点 まんてん 、そのくせロック的 てき なみえ切 ぎ りのかっこ良 よ さにも事欠 ことか かないという、希有 けう なプロジェクト」であると評価 ひょうか 、1作 さく 目 め と比較 ひかく して「はるかにしぶいところに手間暇 てまひま かけて、それでも仇 かたき 花 はな 的 てき な華 はな やかさを失 うしな わないのはすごい」と指摘 してき した上 うえ で「奇跡 きせき のスター・アルバム」であると称賛 しょうさん [27] 、また2012年 ねん の再 さい リリース盤 ばん のレビューにおいては、音楽 おんがく 性 せい に関 かん して「緻密 ちみつ に練 ね られた楽曲 がっきょく を吉川 よしかわ が華 はな やかにセクシーに歌 うた い、絡 から みつくように布袋 ほてい のギターが縦横 じゅうおう に舞 ま う」と表現 ひょうげん した他 ほか 、「トリッキーなギター・プレイと華 はな やかな歌声 うたごえ 、そして緻密 ちみつ なサウンドが一体 いったい となった作品 さくひん だ」と述 の べた上 うえ で「ロマンティックでハイパーなロックに浸 ひた れる名作 めいさく 」と絶賛 ぜっさん した[28] 。
CDブックレットに記載 きさい されたクレジットを参照 さんしょう 。また、1曲 きょく 目 め および10曲 きょく 目 め はインストゥルメンタル となっている。
SIDE ONE # タイトル 作詞 さくし 作曲 さっきょく 編曲 へんきょく 時間 じかん 1. 「ROMANTICA 」 布袋 ほてい 寅泰 ともやす 布袋 ほてい 寅泰 ともやす 2:05 2. 「PROPAGANDA 」 布袋 ほてい 寅泰 ともやす 布袋 ほてい 寅泰 ともやす 布袋 ほてい 寅泰 ともやす 3:52 3. 「LOVE CHARADE 」 吉川 よしかわ 晃司 こうじ 布袋 ほてい 寅泰 ともやす 布袋 ほてい 寅泰 ともやす 5:47 4. 「1990 」 吉川 よしかわ 晃司 こうじ 布袋 ほてい 寅泰 ともやす 布袋 ほてい 寅泰 ともやす 5:24 5. 「BLUE 」 吉川 よしかわ 晃司 こうじ 、布袋 ほてい 寅泰 ともやす 布袋 ほてい 寅泰 ともやす 布袋 ほてい 寅泰 ともやす 5:30 6. 「MODERN VISION 」 吉川 よしかわ 晃司 こうじ 吉川 よしかわ 晃司 こうじ 布袋 ほてい 寅泰 ともやす 4:23 7. 「THE WALL 」 布袋 ほてい 寅泰 ともやす 布袋 ほてい 寅泰 ともやす 布袋 ほてい 寅泰 ともやす 3:40 合計 ごうけい 時間 じかん :
30:41
SIDE TWO # タイトル 作詞 さくし 作曲 さっきょく 編曲 へんきょく 時間 じかん 8. 「NO MORE LIES 」 吉川 よしかわ 晃司 こうじ 布袋 ほてい 寅泰 ともやす 布袋 ほてい 寅泰 ともやす 4:00 9. 「GOOD SAVAGE 」 吉川 よしかわ 晃司 こうじ 布袋 ほてい 寅泰 ともやす 布袋 ほてい 寅泰 ともやす 3:18 10. 「HALF MOON 」 布袋 ほてい 寅泰 ともやす 布袋 ほてい 寅泰 ともやす 2:15 11. 「DRAGON CRIME (East & West) 」 吉川 よしかわ 晃司 こうじ 布袋 ほてい 寅泰 ともやす 布袋 ほてい 寅泰 ともやす .5:16 12. 「MAJESTIC BABY 」 吉川 よしかわ 晃司 こうじ 布袋 ほてい 寅泰 ともやす 布袋 ほてい 寅泰 ともやす 4:03 13. 「AFTER THE RAIN (朱 しゅ いChina) 」 吉川 よしかわ 晃司 こうじ 布袋 ほてい 寅泰 ともやす 布袋 ほてい 寅泰 ともやす 5:48 合計 ごうけい 時間 じかん :
24:40
CDブックレットに記載 きさい されたクレジットを参照 さんしょう 。
藤井 ふじい 丈 たけ 司 し – キーボードプログラミング
山木 やまき 秀夫 ひでお – ドラムス (2,3,5,13曲 きょく 目 め )
宮脇 みやわき 知 とも 史 し – ドラムス(9曲 きょく 目 め )
浅田 あさだ 孟 はじめ – ベース (2,3,5,13曲 きょく 目 め )
BAnaNA – キーボード(5,7,11曲 きょく 目 め )
花田 はなた 裕之 ひろゆき – アコースティックギター (13曲 きょく 目 め )
ジェーソン・“ファット・ホーンズ”ブルーアー – ブラス 、ブラスアレンジメント(7,11曲 きょく 目 め )
GS・スティーブンス – ブラス(7,11曲 きょく 目 め )
ジェイソン・マクダーミド – ブラス(7,11曲 きょく 目 め )
クリス・ローレンス – ブラス(7,11曲 きょく 目 め )
キャロル・ケニオン – バックグラウンドボーカル(3,11曲 きょく 目 め )
キャロル・トンプソン (英語 えいご 版 ばん ) – バックグラウンドボーカル(3,11曲 きょく 目 め )
布袋 ほてい 寅泰 ともやす – プロデューサー
マイケル・ツィマリング – レコーディング・エンジニア 、ミキシング・エンジニア
カラム・リーズ – アシスタント・エンジニア
トリスティン・パウエル – アシスタント・エンジニア
伊藤 いとう 康宏 やすひろ – アシスタント・エンジニア
菅谷 すがや 憲 けん (東芝 とうしば EMI) – A&R ディレクター
関口 せきぐち 光信 みつのぶ (TOY BOX) – A&Rディレクター、マネージメント
高橋 たかはし かずみ (IRc2) – マネージメント
富樫 とかし 巧 たくみ (7's) – マネージメント
すももざわしげき (IRc2) – マネージメント・スタッフ
なかたけんいち (7's) – マネージメント・スタッフ
チャート
リリース年 ねん
最高 さいこう 順位 じゅんい
登場 とうじょう 週 しゅう 数 すう
売上 うりあげ 数 すう
規格 きかく
出典 しゅってん
日本 にっぽん (オリコン )
1990年 ねん
1位 い
15回 かい
47.7万 まん 枚 まい
CD, CT
2012年 ねん
86位 い
1回 かい
0.1万 まん 枚 まい
SHM-CD
[30]
国 くに /地域 ちいき
認定 にんてい 組織 そしき
日付 ひづけ
認定 にんてい
売上 うりあげ 数 すう
出典 しゅってん
日本 にっぽん
日本 にっぽん レコード協会 きょうかい
1990年 ねん 4月 がつ
プラチナ
400,000+
[4]
^ 女性 じょせい バックグラウンドボーカルおよびホーンのレコーディングのみ行 おこな われた。
1月 がつ 2月 がつ 3月 がつ 4月 がつ 5月 6月 がつ 7月 がつ 8月 がつ 9月 10月 11月 12月