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HURRY UP MODE

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
『HURRY UP MODE』
BUCK-TICKスタジオ・アルバム
リリース
録音ろくおん
ジャンル
時間じかん
レーベル 太陽たいようレコード
プロデュース
専門せんもん評論ひょうろんによるレビュー
BUCK-TICK アルバム 年表ねんぴょう
HURRY UP MODE
(1987ねん
SEXUAL×××××!
(1987ねん
EANコード
EAN 4988002532919
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HURRY UP MODE』(ハリー・アップ・モード)は、日本にっぽんロックバンドであるBUCK-TICKの1まいオリジナル・アルバム

1987ねん4がつ1にち太陽たいようレコードよりリリースされた。作詞さくし作曲さっきょくはほぼ全曲ぜんきょく今井いまい寿ひさし担当たんとう一部いちぶきょく櫻井さくらい敦司あつし作詞さくしおよび作曲さっきょく担当たんとうしている。群馬ぐんま県立けんりつ藤岡ふじおか高等こうとう学校がっこう在籍ざいせきしていた生徒せいとたちを中心ちゅうしん結成けっせいされたBUCK-TICKのファースト・アルバムであり、プロデュースはBUCK-TICKおよび太陽たいようレコードの主催しゅさいしゃであるサワキカズヲが担当たんとうしている。

レコーディングははじめにデモテープ作成さくせいのためにメンバー自己じこ負担ふたんによって4きょくだけ先行せんこうしておこなわれ、のちにサワキプロデュースのしたやく2週間しゅうかんという期間きかんうち100あいだ使用しようしておこなわれ、メンバーはあいだもないほどにきびしい環境かんきょう遂行すいこうされることとなった。また、ほんさくリリースと同日どうじつにイベントライブ「BUCK-TICK現象げんしょう」が豊島としま公会堂こうかいどうおこなわれ、およそ800にん動員どういん様々さまざまなレコード会社かいしゃから注目ちゅうもくあつめるにいたった。

ほんさくリリースまえどうレーベルからシングル「TO-SEARCH」がリリースされているが、ほんさくには収録しゅうろくされていない。ほんさくはインディーズばんにおいて「ころせシノ調ちょうベ」というサブタイトルが存在そんざいしたが[2]ビクターインビテーションからリリースされたリミックス・アルバム『HURRY UP MODE (1990MIX)』(1990ねん)においてはサブタイトルは記述きじゅつされていない(後述こうじゅつ)。

群馬ぐんま県立けんりつ藤岡ふじおか高等こうとう学校がっこう通学つうがくしていた樋口ひぐちゆたかは、高校こうこういちねんあきいち学年がくねんじょう先輩せんぱいからさそわれて今井いまい寿ひさし実家じっかおとずれることとなった[3]今井いまい実家じっか煙草たばこであり、同級生どうきゅうせいはじめとした様々さまざま人間にんげん出入でいりし学校がっこう始業しぎょう時間じかんまでの時間じかんごすことが恒例こうれいとなっていた[4]今井いまい部屋へやにはたくさんの漫画まんがほんやレコードがいてあり、今井いまい趣味しゅみであったイエロー・マジック・オーケストラセックス・ピストルズディスチャージなどの先鋭せんえいてきなバンドのきょくながされていた[4]今井いまい高校こうこういちねんとき友人ゆうじんからりたカセットテープはいっていたRCサクセションいたことから、日本語にほんご歌詞かし面白おもしろさや独特どくとくなボーカル、生身なまみのバンドサウンドに興味きょうみち、幼馴染おさななじみのアラキとともにバンド結成けっせい決意けついする[5]

一方いっぽう同校どうこう通学つうがくしていた星野ほしの英彦ひでひこは、小学校しょうがっこう時代じだいからつづけていたため高校こうこうにおいてもサッカー入部にゅうぶしてプロを目指めざしていたものの挫折ざせつし、以後いご帰宅きたくとなり退屈たいくつ日々ひびおくっていた[6]。そんなおり、1さい年上としうえであった今井いまいはじめようとしていたバンドに加入かにゅうしないかという打診だしん同級生どうきゅうせい樋口ひぐちから星野ほしのたいしてされた[7]樋口ひぐち担当たんとう楽器がっきベース決定けっていしており、星野ほしの漠然ばくぜんギター担当たんとうしたいともうていた[8]。さらに今井いまい同級生どうきゅうせいであった櫻井さくらい敦司あつしは、同校どうこう生徒せいととは馴染なじもうとせず他校たこう生徒せいと社会しゃかいじんとなった年上としうえ人間にんげんともにする時間じかんおおく、今井いまいとはまった接点せってんがない状態じょうたいであった[9]。しかし櫻井さくらいあそ仲間なかま傷害しょうがい事件じけんこしたことで仲間なかま離散りさんすることとなり、同級生どうきゅうせいから今井いまい実家じっかさそわれたことではじめて接触せっしょくつこととなった[10]。さらに樋口ひぐちあにであるヤガミトールは「SPOTS」というバンドに参加さんかしてすでにコンテストなどに出場しゅつじょうしていた[11]櫻井さくらい徐々じょじょにバンドに興味きょうみはじめ、ドラムス担当たんとう希望きぼうしていたことからヤガミのいえでドラムプレイの練習れんしゅうはじめることとなった[12]。しかし全国ぜんこく大会たいかい落選らくせんしたことをけに「SPOTS」は解散かいさんし、ヤガミは音楽おんがく活動かつどうからとおざかることとなる[13]

バンド結成けっせい準備じゅんび出来できていたものの、高校こうこう3ねんふゆわりにかってもまだバンド活動かつどう始動しどうしておらず、櫻井さくらいによる「とりあえず、バンドをやってみよう」という一言ひとこと1984ねん3がつにようやくバンド活動かつどう開始かいしされることとなった[12]結成けっせいから1かげつにイベントライブへの参加さんか検討けんとうしていたメンバーは、周囲しゅういBOØWYTHE MODSばかりをコピーしていたことから、ザ・スターリンのコピーバンドを目指めざすこととなった[14]活動かつどう開始かいしたって今井いまいはバンドめい考案こうあんし、当初とうしょはザ・スターリンのコピーバンドであることから「THE NOTALIN」を提案ていあんするも樋口ひぐちつよ反対はんたいされたため[15]漢字かんじはいっていてみないやがられる名前なまえとして「非難ひなんGO-GO」(ひなんごうごう)という名前なまえ提案ていあんする[16]。その今井いまい制作せいさくした「PLASTIC SYNDROME I」をけとしてオリジナルきょく中心ちゅうしん演奏えんそうするようになり、同年どうねんなつにバンドめいを「BUCK-TICK」と変更へんこうすることとなった[17]活動かつどう拠点きょてん東京とうきょううつしたBUCK-TICKであったが、今井いまい制作せいさくする独特どくとくなメロディラインをボーカルであったアラキがうたいこなすことが出来できず、同年どうねん10がつ居酒屋いざかやでのはないのせき方向ほうこうせいちがいからアラキが脱退だったいすることが決定けってい[18]。それと同時どうじ櫻井さくらいがボーカルへの転向てんこう熱望ねつぼうし、けたドラムスのパートを樋口ひぐちがヤガミを熱烈ねつれつ説得せっとくしたことからBUCK-TICKへの加入かにゅう決定けっていした[19]

録音ろくおん制作せいさく

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アニイ、ユータが、そろそろおとろくってみようっていだして。とにかくなんにもわかんないから、もうスタジオ・ライブ方式ほうしきで。1にち4きょく、TDまで全部ぜんぶわらせて。そのそのときは、こんなものかなとおもったけど……ヘタです。ちょうヘタ(笑)。
今井いまい寿ひさし,
SHAPELESS BUCK-TICK[20]

東京とうきょうでライブ活動かつどうつづけていたBUCK-TICKであったが、動員どういんやしてさらに注目ちゅうもくあつめる方法ほうほうはないかと検討けんとうかさねられた[21]どう時期じきに、インディーズけい音楽おんがくDOLL MAGAZINE』の「新人しんじん紹介しょうかいコーナー」に掲載けいさいされたことからチケットのきがかくだんびたことをまえ、「自主じしゅ制作せいさくでレコードをつくったらどうだろう」とメンバーから提案ていあんされることとなった[22]。その提案ていあんけ、ヤガミの伝手つて利用りようした結果けっか格安かくやすの10まんえんでレコーディングが可能かのうとなり、1986ねん5月にヤマハ日吉ひよしセンタースタジオにてリリースのてもないままにレコーディングが開始かいしされた[23]。レコーディング当日とうじつである5月18にちには、「PLASTIC SYNDROME II」「TO-SEARCH」「ONE NIGHT BALLET」「SECRET RAECTION」の4きょくがレコーディングされた[23]。この4きょくかんして、今井いまいはライブでの演奏えんそうまったおな方法ほうほうでレコーディングをおこなったことをべたうえで、当時とうじはそれなりに満足まんぞくしていたが後年こうねんになって演奏えんそう下手へたであるとみずかみとめている[20]

同年どうねん7がつには太陽たいようレコードの主催しゅさいしゃであるサワキ・カズヲから「メンバーにいたい」とコンタクトがられることとなった[24]。サワキはライブハウス「屋根裏やねうら」でのライブにおいて、べつのバンドをていたがBUCK-TICKのライブを興味きょうみ連絡れんらくをしてきたという[24]。サワキはBUCK-TICKメンバーの名前なまえ生年月日せいねんがっぴかれたかみて「来年らいねんきみたちはれるよ。まちがいない」とべ、BUCK-TICKの個性こせい将来しょうらいせいつよっていた[24]同年どうねん9月21にちにはシングルリリースが予定よていされたが1かげつ延長えんちょうされ、10月21にち太陽たいようレコードよりBUCK-TICKとしてはつとなるシングル「TO-SEARCH」がリリースされた[1]

そのほんさく本格ほんかくてきなレコーディングがはじまり、1987ねん1がつ21にちから2がつ4にちまでのやく2週間しゅうかんうちにヤマハ日吉ひよしセンタースタジオにておこなわれた[1]。レコーディングは時間じかんてきにも相当そうとうきびしく、2週間しゅうかんでおよそ100あいだあいだに13きょくがレコーディングされた[25]。この期間きかんはメンバー全員ぜんいん櫻井さくらいいえまりみ、ほとんど合宿がっしゅく状態じょうたい録音ろくおんされた[26][27]。ヤガミは自著じちょ『1977』(2018ねん)において、「2週間しゅうかんちかく、日吉ひよしのスタジオまでかよいでレコーディングしたんだ。ひるごろからはじめて、よるおそくまで作業さぎょうして、わったらくるまでみんなをおくって、また午前ごぜんちゅうむかえにまわるっていう」、「あっちゃんはヴォーカルだけじゃなく、運転うんてんもがんばってたね」とべている[28]ほんさく太陽たいようレコードとの契約けいやく以前いぜんにレコーディングされた4きょくとほぼ同様どうようのスタイルで録音ろくおんおこなわれており、すべて一発いっぱつろくりで若干じゃっかんダビングの要素ようそくわえられた程度ていどであると今井いまいべている[29]

1987ねん4がつ1にち太陽たいようレコードからLPCDの2形態けいたいでリリースされた。また、インディーズばんにおいては「ころせシノ調ちょうベ」というサブタイトルが存在そんざいした[注釈ちゅうしゃく 1][2]。CDばんにのみ、6きょくと7きょくには「VACUUM DREAM」「NO NO BOY」の2きょく追加ついか収録しゅうろくされている(にLPばんとのおもちがいとしてはジャケットの文字もじやメンバーの位置いちちがっていたり、LPばんの1きょくのPROLOGUEが2きょくのPLASTIC SYNDROME TYPE IIとして収録しゅうろくされており、トラックけがされていない、など)。また、日本にっぽんのインディーズレーベルにおいて、単独たんどくアーティストとしてははじめてCDの形態けいたい発売はつばいされた作品さくひんでもある[26]当時とうじメンバーはだれCDプレーヤー所有しょゆうしておらず、CDばんくことができなかったと樋口ひぐちべている[30]

1990ねん2がつ8にちにはリミックスがほどこされた『HURRY UP MODE (1990MIX)』がリリースされている(後述こうじゅつ)。2008ねん5月21にちにはオリジナルばん忠実ちゅうじつなバージョンがかみジャケットおよびデジタルリマスター仕様しようさいリリースされたが、追加ついかぶんの2きょく収録しゅうろくされていない。のちにビクターよりさいリリースされたのちも、ミックスのちがいやCDばんのみ収録しゅうろくされている2きょくボーナス・トラックのためか、いまだにオークションなどで高値たかね取引とりひきされている。

プロモーション

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ほんさくのプロモーションとして、メンバー全員ぜんいんはレコードてんめぐあたまげながらレコードをいてもらうよう要請ようせいすることなどをおこなった[31]。メンバーとともにプロモーションを手伝てつだったスタッフの一人ひとりである浅見あさみ繁男しげおギャランティー現物げんぶつ支給しきゅうであり、ほんさくを10まいから20まいほどサワキからわたされたという[31]。そのサワキはほんさくリリースと同日どうじつ豊島としま公会堂こうかいどうでのイベントライブを開催かいさいすることをBUCK-TICKにたいして提案ていあんした[26][31]。ライブには太陽たいようレコード所属しょぞくアーティストが出演しゅつえんすることになっていたが、メインでの出演しゅつえんはBUCK-TICKとなっていた[26]。しかしメジャーデビューをしていないバンドが1200にん聴衆ちょうしゅう集客しゅうきゃくできるかというてん問題もんだいされ、成功せいこう疑問ぎもんされるなかのバンドは出場しゅつじょう次々つぎつぎ辞退じたいしていた[26]。またサワキのもとにも「無謀むぼうだ」「失敗しっぱいするのはみえみえだ」などの非難ひなん言葉ことばげかけられた[26]

そのサワキのアイデアによりステッカー作戦さくせん実行じっこうされ、黒地くろじしろきの文字もじで「BUCK-TICK現象げんしょう 4がつ1にち 豊島としま公会堂こうかいどう」とだけかれたステッカーを若者わかものあつまるまちちゅうところかまわずけられた[32][31]結果けっかとして、渋谷しぶや原宿はらじゅく中心ちゅうしん電信柱でんしんばしら歩道橋ほどうきょう公園こうえんなどいたところに、前述ぜんじゅつのステッカーが3000まい以上いじょうりつけられた[33]。ステッカーのけはローディーてき役割やくわりのスタッフがおこなっていたが、見回みまわりを強化きょうかしていた警官けいかん発見はっけんされスタッフ1めい現行げんこうはん逮捕たいほされる事態じたいとなった[32]前売まえうりチケットのきは400まいほどであり、チラシや雑誌ざっしへの告知こくち、レコード会社かいしゃへの招待しょうたいじょうなどあらゆるプロモーションをおこなったがチケットのきは頭打あたまうちとなっていた[34]。しかしライブ当日とうじつにはリハーサルの段階だんかいから続々ぞくぞくひとあつまりはじめ、当日とうじつけん通常つうじょうであれば20〜30まい程度ていどのところ400まいれるという異常いじょうきとなった[34]結果けっかとして動員どういんすうは800にんとなり満員まんいんにはいたらなかったが、ホール1かい部分ぶぶんくす聴衆ちょうしゅう確保かくほできたうえに、BUCK-TICKに注目ちゅうもくはじめたレコード会社かいしゃ関係かんけいしゃ観覧かんらんていた[33]。レコード会社かいしゃ関係かんけいしゃ無名むめいのバンドが突然とつぜんホールクラスで800にん動員どういんしたことにおどろき、そのなかでもビクター音楽おんがく産業さんぎょうが「BUCK-TICKをヴィジュアルアーティストとしてっていきたい」と打診だしん当時とうじ新人しんじんのデビュー作品さくひんはスタジオミュージシャンが演奏えんそうするという戦略せんりゃくられることもおおなか、ビクターのディレクターは「おれまかせろ!」とべバンド自身じしん演奏えんそう許可きょかするなど豪快ごうかいひとであったためにシンパシーをかんじたメンバーは契約けいやくわすこととなった[35]

ほんさくのリリースと同日どうじつ豊島としま公会堂こうかいどうにて「BUCK-TICK現象げんしょう」とだいしたライブがおこなわれたのちほんさくけた「HURRY UP MODEツアー」が5月13にち前橋まえばしラタン公演こうえんから5月28にち横浜よこはまセブンスアベニュー公演こうえんまで、ライブハウスを中心ちゅうしんに10都市としぜん10公演こうえんおこなわれた[36]どうツアーにおいて、さかいのライブハウスでは地元じもと出身しゅっしんのバンドとたいバン形式けいしきでライブがおこなわれたが、聴衆ちょうしゅうはほとんど地元じもとのバンドを目当めあてにていたため、メンバーが必死ひっし演奏えんそうしてもだれようともせず完全かんぜん無視むし状態じょうたいであり、東京とうきょうでは知名度ちめいどがっていたが地方ちほうではまった知名度ちめいどがないことを痛感つうかんしたとヤガミはべている[37]

6月16にちには渋谷しぶやライブインにて「BUCK-TICK現象げんしょうII」とだいしたライブを実施じっし[38]同年どうねん9がつ20日はつかの「高崎たかさきビビホール」公演こうえんから11月3にちの「前橋まえばしアクター」公演こうえんまで「BUCK-TICK現象げんしょう TOUR」とだいしたはつ全国ぜんこくライブツアーを19都市としぜん19公演こうえん実施じっし、さらに12月11にちには「BUCK-TICK現象げんしょうIII」とだいしたはつだいホール公演こうえんとなる日本にっぽん青年せいねんかん公演こうえん実現じつげんした[38][36]

収録しゅうろくきょく

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ぜん編曲へんきょく: BUCK-TICK

Aめん
#タイトル作詞さくし作曲さっきょく時間じかん
1.PROLOGUE ATSUSHI
2.PLASTIC SYNDROME TYPE IIHISASHIATSUSHI
3.HURRY UP MODEHISASHIHISASHI
4.TELEPHONE MURDERHISASHIHISASHI
5.FLY HIGHHISASHIHISASHI
6.ONE NIGHT BALLETHISASHIHISASHI
合計ごうけい時間じかん:
Bめん
#タイトル作詞さくし作曲さっきょく時間じかん
7.MOON LIGHTATSUSHIHISASHI
8.FOR DANGEROUS KIDSHISASHIHISASHI
9.ROMANESQUEHISASHIHISASHI
10.SECRET REACTIONHISASHIHISASHI
11.STAY GOLDHISASHIHISASHI
合計ごうけい時間じかん:
トラックリスト
ぜん編曲へんきょく: BUCK-TICK。
#タイトル作詞さくし作曲さっきょく時間じかん
1.PLASTIC SYNDROME TYPE IIHISASHIATSUSHI
2.HURRY UP MODEHISASHIHISASHI
3.TELEPHONE MURDERHISASHIHISASHI
4.FLY HIGHHISASHIHISASHI
5.ONE NIGHT BALLETHISASHIHISASHI
6.VACUUM DREAMHISASHIHISASHI
7.NO NO BOYHISASHIHISASHI
8.MOON LIGHTATSUSHIHISASHI
9.FOR DANGEROUS KIDSHISASHIHISASHI
10.ROMANESQUEHISASHIHISASHI
11.SECRET REACTIONHISASHIHISASHI
12.STAY GOLDHISASHIHISASHI
合計ごうけい時間じかん:

きょく解説かいせつ

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  1. PROLOGUE
    アルバムのイントロになにかあったほうがいいとおもい、櫻井さくらい鼻歌はなうたつくった(CDばんはPLASTIC SYNDROME TYPE Ⅱと完全かんぜんつながっており、トラックされていない)[27]
  2. PLASTIC SYNDROME TYPE II
    1986ねん10がつ21にちにリリースされた、インディーズでの1stシングル「TO-SEARCH」に収録しゅうろくされているバージョンとちがうが、大差たいさはあまりない[27]
  3. HURRY UP MODE
    ドラムはティンバレスをかさねてろくっている。作曲さっきょくしゃ今井いまいは、荒々あらあらしいアフロ・ビートのようなかんじをやりたいとおも作曲さっきょくした[27]
  4. TELEPHONE MURDER
    櫻井さくらいは「めずらしく単純たんじゅんなロックンロールっぽいかんじ」とかたっている[27]
  5. FLY HIGH
    作曲さっきょくしゃ今井いまいは、作曲さっきょく当時とうじへんなメロディーラインにしたいことばかりかんがえ、息継いきつぎのことをかんがえずうたひとのことをかんがえていなかったとかたっている[27]
  6. ONE NIGHT BALLET
    イントロのピアノはいの素人しろうといている[27]
    • VACUUM DREAM
    CDばんにのみ収録しゅうろくされている(6きょく)。
    • NO NO BOY
    CDばんにのみ収録しゅうろくされている(7きょく)。
  7. MOON LIGHT
    櫻井さくらいはじめて作詞さくししたきょく少年しょうねん少女しょうじょよろこびそうなメルヘンチックなロマンスみたいなものをいた[27]
  8. FOR DANGEROUS KIDS
    はじめてスカのリズムを採用さいようしたきょく。コーラスはスタッフが全員ぜんいんうたっている[27]
  9. ROMANESQUE
    櫻井さくらいがドラムス担当たんとうだった時期じき全員ぜんいん練習れんしゅうしていて試行しこう錯誤さくごしてできたきょく冒頭ぼうとうにシンバルのぎゃく回転かいてんおとれている[27]
  10. SECRET REACTION
    1985ねん11月8にち新宿しんじゅくJAMにておこなわれ、初代しょだいボーカルのアラキが脱退だったいするまえのライブにて最後さいご演奏えんそうされたきょく。テンポのおそきょくつくりたかったがまだバラードができる力量りきりょうがなくこのようになった[27]
  11. STAY GOLD
    メロディーからつくり、カッティングの荒々あらあらしさをれた[27]

スタッフ・クレジット

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参加さんかミュージシャン

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  • Sawaki - プロデューサー、マネージメント
  • BUCK-TICK - プロデューサー
  • みなと雅行まさゆき - レコーディング・エンジニア
  • Nishimura - レコーディング・エンジニア
  • スティーブン・ライスト - ナレーション
  • セリア・E・ファーノン - 翻訳ほんやく
  • 田中たなかのぼり百代ももよ - カバーデザイン
  • 塚田つかだまもる - 写真しゃしん撮影さつえい
  • OJIMAMUSHI - サンクス
  • ちゅうもち - サンクス
  • Donbey & Irikura Fumiko - サンクス
  • Azami - マネージメント

リリース履歴りれき

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No. 日付ひづけ レーベル 規格きかく 規格きかく品番ひんばん 最高さいこう順位じゅんい 備考びこう
1 1987ねん4がつ1にち 太陽たいようレコード LP
CD
LEO-009 (LP)
LEO-009-C (CD)
- CDばんのみ2きょく追加ついか収録しゅうろく
2 2008ねん5月21にち ビクターInvitation CD VICL-62545 - 追加ついかきょくなし、かみジャケット仕様しようデジタルリマスター音源おんげん

HURRY UP MODE (1990MIX)

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『HURRY UP MODE
(1990MIX)』
BUCK-TICKリミックス・アルバム
リリース
録音ろくおん
  • 1989ねん
  • サウンドスカイスタジオ(リミックス)
ジャンル
時間じかん
レーベル ビクター音楽おんがく産業さんぎょうInvitation
プロデュース BUCK-TICK
チャート最高さいこう順位じゅんい
BUCK-TICK アルバム 年表ねんぴょう
あくはな
(1990ねん
HURRY UP MODE (1990MIX)
(1990ねん
Symphonic Buck-Tick in Berlin
(1990ねん
EANコード
テンプレートを表示ひょうじ

HURRY UP MODE (1990MIX)』(ハリー・アップ・モード ナインティーン・ナインティ・ミックス)は、日本にっぽんロックバンドであるBUCK-TICKの1まいのアルバム『HURRY UP MODE』のリミックス・アルバム

1990ねん2がつ8にちビクター音楽おんがく産業さんぎょうInvitationレーベルよりリリースされた。インディーズレーベルである太陽たいようレコードからリリースされたオリジナルばんとはミックスがことなり、またオリジナルばんCDにのみ収録しゅうろくされていた2きょく収録しゅうろくされていない。

アルバムのジャケットひとしに『1990MIX』の記載きさいいが、BUCK-TICK公式こうしきサイトにおける表記ひょうきしたがほん項目こうもくではどう表記ひょうきもちいる[40]

1990ねん2がつ8にちビクター音楽おんがく産業さんぎょうInvitationレーベルより、CDおよびCTの2形態けいたいでリリースされた。ほんさくはインディーズ時代じだいのマスターをリミックスしたものであり、当初とうしょすうきょくしんろくろくなおすというあんもあったが、「むかしむかしなんだからその当時とうじ雰囲気ふんいき大事だいじにして」というメンバーの意向いこうによりえもなく、おもてい音域おんいきのレベルをげるというリミックスのみでリリースされた。当時とうじほんさくがリリースされた理由りゆうとしては、ファンのつよ要望ようぼうほかにもLSD使用しようによる麻薬まやく取締とりしまりほう違反いはん容疑ようぎ今井いまい寿ひさし逮捕たいほされたことからの復活ふっかつけた時期じきでもあったため、もう一度いちど初心しょしんかえってさいスタートという部分ぶぶんもあったことから、演奏えんそう下手へたでありクオリティもひく状態じょうたいであるが、どう時期じき自分じぶんたちをっていてほしいというメンバーの意向いこうつよかったことが要因よういんとなった。しかしうら事情じじょうとして、ほんさくがあまりにもたかいプレミアムがきすぎ、それを利用りようした犯罪はんざい行為こういちか事件じけん多発たはつするという状況じょうきょうにメンバーがむねいためていたということもおおきな要因よういんとしてあげられる[27]

2002ねん9月19にちには、ビクターエンタテインメントのHAPPY HOUSEレーベルから比留間ひるませい監修かんしゅうによるデジタルリマスターはんがリリースされ、初回しょかい限定げんていばんにはジャケットサイズのオリジナルステッカーが付属ふぞくされたほか、ボーナス・トラックとして「MOON LIGHT (unreleased version)」および「THEME OF B-T」の2きょく追加ついか収録しゅうろくされた。

チャート成績せいせき

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『1990MIX』はオリコンチャートにてはつ登場とうじょう1獲得かくとく登場とうじょう回数かいすうは10かい枚数まいすうは21.2まんまいとなった。この枚数まいすうはBUCK-TICKのアルバム売上うりあげランキングにおいて7となっている[41]2022ねん実施じっしされたねとらぼ調査ちょうさたいによるBUCK-TICKのアルバム人気にんきランキングでは17となった[42]

収録しゅうろくきょく

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ぜん編曲へんきょく: BUCK-TICK。

Aめん
#タイトル作詞さくし作曲さっきょく時間じかん
1.PROLOGUE ATSUSHI
2.PLASTIC SYNDROME TYPE IIHISASHIATSUSHI
3.HURRY UP MODEHISASHIHISASHI
4.TELEPHONE MURDERHISASHIHISASHI
5.FLY HIGHHISASHIHISASHI
6.ONE NIGHT BALLETHISASHIHISASHI
合計ごうけい時間じかん:
Bめん
#タイトル作詞さくし作曲さっきょく時間じかん
7.MOON LIGHTATSUSHIHISASHI
8.FOR DANGEROUS KIDSHISASHIHISASHI
9.ROMANESQUEHISASHIHISASHI
10.SECRET REACTIONHISASHIHISASHI
11.STAY GOLDHISASHIHISASHI
合計ごうけい時間じかん:
2002ねん初回しょかい限定げんていばん
#タイトル作詞さくし作曲さっきょく時間じかん
1.PROLOGUE ATSUSHI
2.PLASTIC SYNDROME TYPE IIHISASHIATSUSHI
3.HURRY UP MODEHISASHIHISASHI
4.TELEPHONE MURDERHISASHIHISASHI
5.FLY HIGHHISASHIHISASHI
6.ONE NIGHT BALLETHISASHIHISASHI
7.MOON LIGHTATSUSHIHISASHI
8.FOR DANGEROUS KIDSHISASHIHISASHI
9.ROMANESQUEHISASHIHISASHI
10.SECRET REACTIONHISASHIHISASHI
11.STAY GOLDHISASHIHISASHI
12.MOON LIGHT (unreleased version)ATSUSHIHISASHI
13.THEME OF B-T ちゅうもち
合計ごうけい時間じかん:

スタッフ・クレジット

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  • ATSUSHI - ボーカル
  • HISASHI - ギター
  • HIDE - ギター
  • U-TA - ベース
  • TOLL - ドラムス
  • みなと雅行まさゆき - レコーディング・エンジニア
  • NISHIMURA - レコーディング・エンジニア
  • 山口やまぐちしゅう - リミックス・エンジニア
  • 田中たなか淳一じゅんいち(ビクターインビテーション) - ディレクター
  • SHAKING HANDS INC. - マネージメント・オフィス
  • サカグチケン - アート・ディレクター
  • 塚田つかだまもる - 写真しゃしん撮影さつえい
  • サワキカズヲ - スペシャル・サンクス

リリース履歴りれき

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No. 日付ひづけ レーベル 規格きかく 規格きかく品番ひんばん 最高さいこう順位じゅんい 備考びこう
1 1990ねん2がつ8にち ビクター音楽おんがく産業さんぎょうInvitation CD
CT
VICL-3 (CD)
VITL-3 (CT)
1
2 2002ねん9月19にち ビクターエンタテインメント/HAPPY HOUSE CD VICL-60985(初回しょかいばん
VICL-60965(通常つうじょうばん
99 デジタルリマスターばん監修かんしゅう比留間ひるませい
初回しょかいばんのみボーナストラック2きょく収録しゅうろく、オリジナルステッカー封入ふうにゅう

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ ころせシノ調ちょうベ」というタイトルは、のちセルフカバー・アルバム『ころせシノ調しらべ This is NOT Greatest Hits』(1992ねん)において使用しようされた。

出典しゅってん

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  1. ^ a b c LOVE ME 1989, p. 57- 「BUCK-TICK STORY CapterIII--1985.11.→1987.4.」より
  2. ^ a b HISTORY”. BUCK-TICK 2022-23|DEBUT 35TH ANNIVERSARY YEAR|SPECIAL SITE. Lingua Sounda. 2023ねん11月12にち閲覧えつらん
  3. ^ LOVE ME 1989, p. 20- 「BUCK-TICK STORY CapterI--1982.4.→1984.7.」より
  4. ^ a b LOVE ME 1989, p. 21- 「BUCK-TICK STORY CapterI--1982.4.→1984.7.」より
  5. ^ LOVE ME 1989, p. 22- 「BUCK-TICK STORY CapterI--1982.4.→1984.7.」より
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参考さんこう文献ぶんけん

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外部がいぶリンク

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