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古文こぶんかんとめ

维基百科ひゃっか自由じゆうてき百科ひゃっかぜん
1934ねん出版しゅっぱんてき线装《古文こぶん观止》

古文こぶんかんとめ》,きよしひと吴楚ざい吴调こう叔侄两人选编ちゅう释的一部いちぶ文言もんごん散文さんぶん选集,へんせん此書てき目的もくてきせいこうむやしなえ而裨後學こうがく”,作為さくいじゅく訓蒙くんもう讀本とくほん,也是きよ以来いらいさい流行りゅうこうてき散文さんぶん选本いち古文こぶん观止なり书于清康きよやすさんじゅうよんねん(1695ねん),づけしるし问世以来いらいりゅう传甚广,雅俗がぞくども赏,かげ非常ひじょう广泛。书中选编りょう上起かみおこし东周しもいたり明代あきよてきひゃくじゅうへん散文さんぶん作品さくひん,其中绝大多数たすう古文こぶん,个别为散文中ぶんちゅうてき经典作品さくひん作品さくひん题材わたる及史传、さく论、ゆう记、书信、笔记とうゆかり古文こぶん观止にゅう作品さくひん题材广泛、代表だいひょうせいきょう、语言簡潔かんけつえきあかりへんはば短小たんしょう精髓せいずい言辞げんじ优美,いん而一经出版しゅっぱん便びん非常ひじょう流行りゅうこうなり为文言文げんぶん教学きょうがくてき经典教材きょうざいいたりこんざい大中おおなかはな地區ちく中學ちゅうがく文言もんごんぶん教材きょうざいちゅう,仍有很多篇章へんしょうよし此書輯錄。

编歷

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かんじゅうねん(1676ねん),じょうけんざいふくしゅう教授きょうじゅ學習がくしゅう古文こぶんじょ參與さんよせんへん古文こぶんかんとめそとかえどうしゅう炯、しゅう燦一おこり採用さいようしゅ熹《つう鑒綱からだれいへんいち歷史れきし普及ふきゅう讀本とくほん——《つな鑒易ろく》。まさるしょく調ちょうこう,也是嗜古がく而才ひと一生いっしょうてき主要しゅよう經歷けいれきざい家鄉かきょうどう叔父おじいち道教どうきょうしょくれへんせん古文こぶんかんとめゆうねんはつただためきゅう童子どうじこう古文こぶんへんりょういち講義こうぎ後來こうらい逐年ちくねんこう授,たい古文こぶん見解けんかい越來ごえくこしふかし講義こうぎえつへんこしきよし,以致「好事こうじしゃしゅろく」而去,「さと先生せんせい讀後どくごゆうかんどめ歎,すすむ們「づけ剞劂以公於世」。這樣,們才「輯平これしょ業者ぎょうしゃ若干じゃっかんくびためいちしょしょ稿こうへんこのみそくよせ往歸こんよび和浩かずひろとく)請きょうしん閱。きょう祚,はくなりごうとめむらためじょうけん伯父おじかんいたりりょうこう總督そうとく時任ときとうかんぐんふくみやこみつる「披閱すう」,以為此書於初がく古文こぶんしゃだいため有益ゆうえき

かんさんじゅうよんねん端午たんごぶし(1695ねん6がつ16にち),きょう祚為しょ做序,且「亟命づけしょなしなつめ」,いん此就ゆうりょう古文こぶんかんとめ最早もはやてきこくほん

释名

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古文こぶん出自しゅつじとうだい文人ぶんじん韩愈倡导てき古文こぶん运动あずか六朝りくちょう时期流行りゅうこうてきこんぶんそく骈文しょう对的概念がいねん古文こぶん运动ぬし张恢复先しん两汉流行りゅうこうてき质朴自由じゆう、以散ぎょう单句为主てきぶん风,かんいよいよまた提出ていしゅつ有道ありみちそくゆうぶん」、「ぶん以載どうてき思想しそうざい中国ちゅうごく文学ぶんがくうえ产生りょう极大かげ响。きさきらい古文こぶんなり为文言文げんぶんてきだいしょう古文こぶん观止虽然以古文こぶん为名ごうただし并不排斥はいせき骈文,一些精彩的骈文如《阿房あほう宫赋とう也收录在文集ぶんしゅうちゅう

观止てんひだりてきさつ观周乐”いち节:吴国公子こうしさつざい鲁国观《韶箫》きさき,赞叹どう:“观止矣!わかゆう乐,われ敢请やめ。”ゆび韶箫おん水平すいへいてき顶峰,欣赏过之きさき便びんさい欣赏其他おん乐了。

二吴将文集取名“古文こぶん观止”ゆび文集ぶんしゅう所收しょしゅう录的文章ぶんしょう代表だいひょう文言もんごんぶんてき最高さいこう水平すいへいがく习文言文げんぶんいたり此观とめ矣。

版本はんぽん

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  • 古文こぶんかんとめ》,すわえざいくれ調ちょうこうへんせん清康きよやすさんじゅうよんねんおつ[1695]鐫版。
  • 古文こぶんかんとめ》,おうぶん校勘こうかん上海しゃんはい中華ちゅうかしょきょくみんこくねん[1916]。
  • 言文げんぶん一貫いっかん古文こぶんかんとめいちかん上海しゃんはい文明ぶんめいしょきょくみんこくじゅうねんさんがつ初版しょはんじゅういちねんはちがつじゅうさんはん
  • ぞう批古文觀もんかんとめ》,上海しゃんはい文明ぶんめいしょきょくみんこくじゅうよんねん[1925]。
  • 新體しんたいこう註古文觀もんかんとめいちかんちくいわおりゅうさい註釋ちゅうしゃく上海しゃんはい世界せかいしょきょく石印せきいんほんみんこくじゅういちねん(1932)[1]
  • 言文げんぶん對照たいしょう詳細しょうさい註解ちゅうかい古文こぶんかんとめ》12かん,曹國ほこさき譯註やくちゅう香港ほんこん : 萬象ばんしょうみんこくさんじゅうさんねん[1944]。
  • 《攷正古文こぶんかんとめ》,姚稚しょう譯註やくちゅう上海しゃんはい : 春明しゅんめい書店しょてんみんこくさんじゅうななねんいちがつ
  • こうせい古文こぶんかんとめ》,重慶たーちん:ふく,蓉版みんこくさんじゅうろくねん[1947]。
  • 古文こぶんかんとめ》,上海しゃんはい國學こくがく研究けんきゅうしゃ出版しゅっぱんみんこくさんじゅうろくねん[1947]。
  • 古文こぶんかんとめ》,香港ほんこん:まん出版しゅっぱんみんこくさんじゅうはちねん[1949]。
  • こうかたり註譯古文こぶんかんとめ》12かんそうあきら如註やく臺北たいぺい世界せかいしょきょくみんこくよんじゅうねん[1953]。
  • 言文げんぶん對照たいしょう詳細しょうさい註解ちゅうかい古文こぶんかんとめ》12かん,曹國ほこさき譯註やくちゅう臺北たいぺい : だい中國ちゅうごく圖書としょみんこくよんじゅうはちねん[1959]。
  • 古文こぶんかんとめ》,北京ぺきん中華ちゅうかしょきょく出版しゅっぱん :しんはなてん北京ぺきん发行しょ发行, しん1はん,1959ねん
  • 新譯しんやく古文こぶんかんとめじゅうかんしゃ冰瑩とう註譯、ちょう孝裕たかひろちゅうおと臺北たいぺい三民書局民國六十年[1971]。
  • 古文こぶん观止》,たけふもと书社出版しゅっぱん ,1982ねん

篇目へんもく

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古文こぶん观止录文ひゃくじゅうへんあきら时间序列じょれつぶんじゅうかん

まきいち しゅうぶん

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へん 篇目へんもく 作者さくしゃ 出處しゅっしょ 名句めいく 備註
いち ていはくかつだん ひだりおかあきら ひだりでんかくれこう元年がんねん くだり不義ふぎ必自斃。

おおやけにゅう而賦:「だい隧之ちゅう,其樂也融とおる。」きょういずる而賦:「だい隧之がい,其樂也泄泄。」
及黃いずみあい也。

きょう叔段みだれ
しゅうてい交質 ひだりおかあきら ひだりでんかくれこうさんねん しんじよしちゅうしつ無益むえき也。あかりじょ而行,よう以禮,雖無ゆうしつだれのうあいだ?苟有明信あきのぶ:澗溪ぬま沚之,蘋蘩薀藻さいかたみ筥錡がまうつわ,潢汙ぎょうにわたずみみずこも於鬼しん羞於王公おうこう。而況君子くんしゆいこくしんじぎょう以禮,また焉用しつ?《ふうゆうさい蘩〉、〈さい蘋〉,《みやびゆうくだりあし〉、〈泂酌〉〉,あきらちゅう信也しんや。」
さん いし諫寵しゅう ひだりおかあきら ひだりでんかくれこうさんねん 愛子あいこ教之のりゆき以義かたどるおさめ於邪。
よん 臧僖はく諫觀ぎょ ひだりおかあきら ひだりでんかくれこうねん
ていそうこう戒飭かいしょくもりしん ひだりおかあきら ひだりでんかくれこうじゅういちねん れいけい國家こっかてい社稷しゃしょくじょみんじん後嗣こうししゃ也。もとけい而伐ふく而舍とく而處りょうりょく而行そう而動,るい後人こうじんいいれい矣。
ろく 臧哀はく諫納かなえ ひだりおかあきら ひだりでん桓公かんこうねん
なな はり諫追すわえ ひだりおかあきら ひだりでん桓公かんこうろくねん ところ谓道,ちゅう于民而信于神也。
はち 曹劌論戰ろんせん ひだりおかあきら ひだりでんそうこうじゅうねん 肉食にくしょくしゃひなびのう远谋。

おっと战,いさむ气也。いちさくさい而衰,さん而竭。

ちょうしゃくたたかえ
きゅう ひとし桓公かんこうすわえめいこごめかん ひだりおかあきら ひだりでん‧僖公よんねん きみしょ北海ほっかい,寡人しょ南海なんかいただ風馬牛ふうばぎゅうあい及也。
じゅう みや諫假どう ひだりおかあきら ひだりでん‧僖公ねん 辅车しょうくちびるほろび齿寒。 かりみち
じゅういち ひとししも拜受はいじゅ胙》 ひだりおかあきら ひだりでん‧僖公きゅうねん
じゅう かげあめおいたいはたはく ひだりおかあきら ひだりでん‧僖公じゅうねん
じゅうさん ぎょ論戰ろんせん ひだりおかあきら ひだりでん‧僖公じゅうねん
じゅうよん てらじんぶんこう ひだりおかあきら ひだりでん‧僖公じゅうよんねん
じゅう かい不言ふげん祿ろく ひだりおかあきら ひだりでん‧僖公じゅうよんねん
じゅうろく てん犒師》 ひだりおかあきら ひだりでん‧僖公じゅうろくねん
じゅうなな しょくたけ退すさしん ひだりおかあきら ひだりでん‧僖公さんじゅうねん しんたけし也,なお如人;こんろう矣,無能むのうため也已。」

ほろ夫人ふじんちから及此。いんじんちから而敝不仁ふじんしつ所與しょよ不知ふち;以亂えきせいわれ其還也。」

はたこくすすむこく崤之せん
じゅうはち あしなえ哭師》 ひだりおかあきら ひだりでん‧僖公さんじゅうねん ろう以襲とおしょ聞也。勞力ろうりょく竭,とおしゅ備之,不可ふか乎?所爲しょいてい必知つとむ而無しょ,必有もとこころ且行かつゆき千里せんり,其誰不知ふち?」 はたすすむ崤之せん

まき しゅうぶん

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  • まきしゅうぶん,录《ひだり传》かく篇章へんしょう
へん 篇目へんもく 作者さくしゃ 出處しゅっしょ 名句めいく 備註
いち ていつげちょう宣子のぶこ ひだりおかあきら ひだりでんぶんこうじゅうななねん
おうまご滿みつるたいすわえ ひだりおかあきら ひだりでんせんこうさんねん ざいとく不在ふざいかなえ といかなえ中原なかはらてき典故てんこ
さん ひとしくにはずかしめいのち ひだりおかあきら ひだりでんなりこうねん
よん すわえかえりすすむ ひだりおかあきら ひだりでんなりこうさんねん
りょしょうぜっはた ひだりおかあきら ひだりでんなりこうじゅうさんねん
ろく こまささえ不屈ふくつ於晉》 ひだりおかあきら ひだりでんじょうおおやけじゅうよんねん
なな 祁奚請免叔向 ひだりおかあきら ひだりでんじょうおおやけじゅういちねん
はち さんつげ范宣けいぬさ ひだりおかあきら ひだりでんじょうおおやけじゅうよんねん
きゅう 晏子不死ふしきみなん ひだりおかあきら ひだりでんじょうおおやけじゅうねん
じゅう さつかんしゅうらく ひだりおかあきら ひだりでんじょうおおやけじゅうきゅうねん
じゅういち さん壞晉かんかき ひだりおかあきら ひだりでんじょうおおやけさんじゅういちねん
じゅう さんろんいんなにため邑》 ひだりおかあきら ひだりでんじょうおおやけさんじゅういちねん
じゅうさん さん卻楚ぎゃくおんな以兵》 ひだりおかあきら ひだりでんあきらおおやけ元年がんねん
じゅうよん かわたいれいおう ひだりおかあきら ひだりでんあきらおおやけじゅうねん
じゅう さんろんせいひろしたけし ひだりおかあきら ひだりでんあきらおおやけじゅうねん
じゅうろく もとこしなり ひだりおかあきら ひだりでんあいこう元年がんねん こくおさむこし國之くにゆきせんおっと勾踐えつこくめつ國之くにゆきせん踐復こく

まきさん しゅうぶん

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へん 篇目へんもく 作者さくしゃ 出處しゅっしょ 名句めいく 備註
いち まつりこう諫征けんえびす 國語こくご
召公諫厲おうとめそし 國語こくご ぼうみんくち,甚于ぼうかわ
さん じょうおうもと請隧》 國語こくご
よん たんひね必亡》 國語こくご
てんろんまつ爰居》 國語こくご
ろく さとかわだん罟匡くん 國語こくご
なな たかしきょうろんろういっ 國語こくご おっとみん劳则おもえおもえ则善こころなまいっ则淫,いん则忘ぜん,忘善则恶しんせい
はち 叔向ひん 國語こくご
きゅう おうまごろんすわえたから 國語こくご
じゅう しょ稽郢ぎょうなり於吳》 國語こくご
じゅういち さる胥諫もとこししげる 國語こくご
じゅう 春王はるおう正月しょうがつ おおやけひつじだか おおやけひつじでん
じゅうさん そうじん及楚じんたいら おおやけひつじだか おおやけひつじでん 君子くんしじんやくそく矜之;しょう人見ひとみじんやく則幸のりゆきこれ
じゅうよん 使さつらい聘》 おおやけひつじだか おおやけひつじでん
じゅう ていはくかつだん于鄢》 こくはり こくりょうつたえ
じゅうろく おそれすすむめつなつよう こくはり こくりょうつたえ 脣亡そくかん
じゅうなな すすむけんじこうころせ世子せいしさるせい れい·だんゆみ
じゅうはち 《曾子易簀えきさく れい·だんゆみ
じゅうきゅう 有子ゆうここれげん夫子ふうし れい·だんゆみ
じゅう 公子こうしじゅうみみたいしんきゃく れい·だんゆみ
じゅういち もりあげ觶》 れい·だんゆみ
じゅう すすむけんじ文子ふみこなりしつ れい·だんゆみ 美哉みや焉!美哉みや奐焉! ちょうたけしちょう孤兒こじ下宮したみやむずかし

まきよん はたあやすわえ

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へん 篇目へんもく 作者さくしゃ 出處しゅっしょ 名句めいく 備註
いち はたれんよこせつしん 戰國せんごくさく 貧窮ひんきゅうそく父母ちちはは富貴ふうきそく親戚しんせきかしこ懼。人生じんせい世上せじょういきおいくらいとみあつぶたゆるがせ乎哉!” 縱橫じゅうおうごうたてれんよこ
司馬しばろんしょく 戰國せんごくさく よく富國ふこくしゃつとむこう其地;よく強兵きょうへいしゃつとむとみ其民;よく王者おうじゃつとむはく其德。”
さん 范雎せつしんおう 戰國せんごくさく 遠交近攻えんこうきんこう
よん 鄒忌諷齊おうおさむ諫》 戰國せんごくさく 吾妻あづましゃわたしわが也;わらわしゃかしこわが也;きゃくしゃよくゆうもとめ於我也。”
かおせつひとしおう 戰國せんごくさく 晚食ばんしょく以當にく安步あぶ以當しゃ無罪むざい以當とうと清淨せいじょう真正しんせい以自おそれ
ろく 馮諼きゃくはじめ嘗君 戰國せんごくさく ずるうさぎゆうさんくつ,仅得めん其死みみいまくんゆういちくつとく高枕たかまくら而卧也。” はじめ嘗君馮諼ずるうさぎさんくつ
なな ちょうたけしきさきといひとし使つかい 戰國せんごくさく
はち そうからしろんこうしん 戰國せんごくさく “见兔而顾けん为晚也;亡羊ぼうよう而补ろう为迟也。”
きゅう さわせつちょうふとしきさき 戰國せんごくさく 今本いまもとあらためためさわりゅう
じゅう 魯仲れんよしみかどしん 戰國せんごくさく かれしんしゃ,棄禮而上くびこうくに也,けん使其士,とりこ使其民。かれそく肆然而為みかど而遂せい於天のりれんゆう東海とうかい而死みみわれしのぶ為之ためゆきみん也!”
じゅういち 魯共こうげん 戰國せんごくさく
じゅう からせつしんりょうくん 戰國せんごくさく
じゅうさん から雎不はずかしめ使命しめい 戰國せんごくさく わか必怒,ふくしかばねにん流血りゅうけつ天下てんか缟素,今日きょう是也これや。”
じゅうよん らくあつしほうつばめおうしょ 戰國せんごくさく
じゅう 諫逐きゃくしょ こん逐客以資敵國てきこくそんみん以益讎,內自きょ而外じゅ怨於諸侯しょこうもとめこく不可ふかとく也。”

泰山たいざん土壤どじょう能成よしなり其大;かわうみ择细りゅうのう就其ふか王者おうじゃ却众庶,のうあかり其德。”

じゅうろく 卜居ぼっきょ こごめはら すわえ
じゅうなな そうたまたいすわえおうとい そうたま すわえ

まき 漢文かんぶん

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  • まきぶん,录《ふみ篇章へんしょう
へん 篇目へんもく 作者さくしゃ 出處しゅっしょ 名句めいく 備註
いち みかど本紀ほんぎさん 司馬しば 史記しき 好學こうがくふかおもえこころ其意,かたむずかしため淺見せんけん寡聞かぶん道也みちや。”
項羽こうう本紀ほんぎさん 司馬しば 史記しき てんほろびわが用兵ようへいつみ也!
さん はたすわえさい月表げっぴょう 司馬しば 史記しき
よん 高祖こうそ功臣こうしんこうしゃ年表ねんぴょう 司馬しば 史記しき
孔子こうしさん 司馬しば 史記しき 天下てんか君王くんのういたり于贤じん众矣,とう时则荣,ぼつ则已焉。孔子こうし布衣ふい,传じゅうせい学者がくしゃ宗之むねゆき天子てんしおう仡侯,中国ちゅうごくごと六艺者折中于夫子,谓至圣矣!”
ろく 外戚がいせきじょ 司馬しば 史記しき
なな はくえびす列傳れつでん 司馬しば 史記しき
はち かん列傳れつでん 司馬しば 史記しき “仓廪实而れい节,衣食いしょくあし而知荣辱。”
きゅう こごめげん列傳れつでん 司馬しば 史記しき “舉世みなにごわがどくしん,眾人みなよいわがどく醒,以見。”

やすのう以身察察,受物汶汶しゃ乎!やすし赴湘りゅうそう於江ぎょ腹中ふくちゅうやすのう皓皓こうこうしろ,而蒙世俗せぞく塵埃じんあい乎!」

「滄浪みずきよし兮,以濯われえい;滄浪みずにご兮,以濯われあし。」

すわえ
じゅう 酷吏こくり列傳れつでんじょ 司馬しば 史記しき
じゅういち ゆう列傳れつでんじょ 司馬しば 史記しき
じゅう 滑稽こっけい列傳れつでん 司馬しば 史記しき “乐极则悲,万事ばんじつきしか。”

飞则やめいち冲天ちゅうてん鸣则やめいち鸣惊じん。”

じゅうさん 貨殖かしょく列傳れつでんじょ 司馬しば 史記しき
じゅうよん ふとしおおやけ自序じじょ 司馬しば 史記しき おっと《诗》、《书》隐约しゃよくとげ其志おもえ也。むかし西伯さいはくかかわ羑里,えんじしゅうえき》;孔子こうしやく陈、蔡,さく春秋しゅんじゅう》;こごめげん放逐ほうちくちょ《离骚》;ひだりおか失明しつめい,厥有《くに语》;孙子膑脚,而论兵法ひょうほう韦迁しょくせい传《吕览》;韩非しゅうしん,《说难》、《愤》;《诗》さんひゃくへん大抵たいてい贤圣发愤これしょ为作也。此人みなゆうしょいく结,とくどおり道也みちやじゅつ往事おうじおもえ来者らいしゃ。”
じゅう むくいにんしょうきょうしょ 司馬しば 知己ちきようおんな为说おのれよう。”

“祸莫憯于よくとし,悲莫つう于伤しんぎょう莫丑于辱さき,而诟莫大ばくだい于宫けい。”

ひと固有こゆう一死いっしあるじゅう泰山たいざんある轻於鸿毛,ようこれしょおもむき异也。”

所以ゆえん隐忍苟活,はこ粪土ちゅう而不しゃ,恨私しんゆうしょ不尽ふじんひなぼつ而文さいひょう于后也。”

いにしえしゃとみ贵而めい灭,不可ふか胜记,ただ俶傥非常ひじょう人称にんしょう焉。盖西はくかかわ而演《しゅうえき》;なかあまやく而作《春秋しゅんじゅう》;こごめげん放逐ほうちく,乃赋《离骚》;ひだりおか失明しつめい,厥有《くに语》;孙子膑脚,《兵法ひょうほうおさむれつ韦迁しょくせい传《吕览》;韩非しゅうしん,《说难》、《愤》。《诗》さんひゃくへんだい氐圣贤发愤之しょ为作也。此人みなゆうしょいく结,とくどおり其道,じゅつ往事おうじおもえ来者らいしゃ。”

きわむ天人てんにん际,つう古今ここん变,なり一家いっかげん。”

まきろく 漢文かんぶん

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へん 篇目へんもく 作者さくしゃ 名句めいく 備註
いち こうみかどもとめけんみことのり かん高祖こうそ ぶた聞王しゃ莫高於周ぶんはくしゃ莫高於齊おさい桓,みなまち賢人けんじん而成めい
ぶんみかど百姓ひゃくしょうみことのり 漢文かんぶんみかど
さん けいみかどれいせんせきおさむしょくみことのり かんけいみかど
よん たけみかどもとめしげざいこととうみことのり かんたけみかど ぶたゆう非常ひじょうこう,必待非常ひじょうこれにんうまある奔踶而致千里せんりあるゆうぞくるい而立じりつ功名こうみょう
しんろんじょう 賈誼 “及至はじめすめらぎ,奋ろくせいれつ长策而御宇内うだい,吞しゅう而亡诸侯,くつ至尊しそん而制ろくごう,执敲扑而むちむち天下でんか四海しかい。”

仁義じんぎほどこせ,而攻もりいきおい也。”

ろく 治安ちあんさくいち 賈誼
なな ろんあわ疏》 あきら 貧生ひんせい不足ふそく不足ふそくせい於不のうのうそくちょちょそく離鄉りきょうけいみん如鳥じゅう,雖有高城たかぎ深池ふかいけいむほう重刑じゅうけいなお不能ふのうきん也。
はち 獄中ごくちゅうじょうはりおうしょ 鄒陽
きゅう 上書うわがき諫獵》 司馬しばしょう
じゅう こたえ蘇武そぶしょ きゅうだいりょうせん ひと相知おうち相知おうちしん
じゅういち 尚德なおのりなるけいしょ みちゆたか
じゅう ほうまごかいむねしょ 楊惲 みち不同ふどうあいためはかりごと
じゅうさん 光武みつたけみかど臨淄ろう耿弇》 かん光武みつたけみかど 有志ゆうししゃごと竟成。”
じゅうよん 《诫兄子せこいむあつししょ うま とらなりはん类狗。”
じゅう 前出ぜんしゅつ師表しひょう しょかずらあきら “亲贤しん,远小じん,此先汉所以兴隆也たかや;亲小じん,远贤しん,此后汉所以倾颓也。”

しんほん布衣ふい,躬耕於南,苟全せいいのち亂世らんせいもとめ聞達ぶんたつ於諸こう。”

“奖率さん军,きたじょう中原なかはら,庶竭驽钝,攘除奸凶,兴复汉室,还于旧都きゅうと。”

じゅうろく こう出師すいしひょう しょかずらあきら “汉贼两立,おう业不へんやす。” あきらせい文人もんとみとめため此文偽造ぎぞうてき

まきなな ろくあさからぶん

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へん 篇目へんもく 作者さくしゃ 名句めいく 備註
いち 陳情ちんじょうひょう ひそか “茕茕孑立,形影けいえいしょうつるし。”

にちうす西山にしやま,气息奄奄えんえん人命じんめい危浅,あさ虑夕。”

がらすとり私情しじょうねがい乞終やしなえ。”

なまとう陨首,とう结草。”

らんていしゅうじょ 王羲之おうぎし 夫人ふじんあいあずか俯仰ふぎょういちせいあるしょ懷抱かいほうさとるげんいちしつ內,あるいんよせしょかこつけ放浪ほうろう形骸けいがいそと。雖趣しゃまんことせい不同ふどうとう其欣於所ぐう,暫得於己,かいしか自足じそく不知ふちろうはたいたり。”
さん 歸去來ききょらい とうふかしあきら 歸去來ききょらい兮,田園でんえんはたかぶらえびす不歸ふきすんで以心ためがたやく,奚惆悵而どく悲?さとるやめ往之諫,知來ちらいしゃおいじつ迷途其未とおさとしこん而昨。”

“倚南まど以寄傲,审容ひざえきやす。”

欣欣きんきん以向荣,いずみ涓涓而始りゅう。”

よん ももはなげん とうふかしあきら といこんなんせい,乃不知ふち有漢うかん無論むろんすすむ。”
やなぎ先生せんせいでん とうふかしあきら こう讀書どくしょもとめ甚解,まいゆう會意かいい便びん欣然きんぜん忘食。”

戚戚于贫贱,汲汲きゅうきゅう于富贵。”

ろく きた山移やまうつりぶん あなやや
なな 《諫太むねじゅうおもえ疏》 ちょう “怨不在ふざいだいかしこおもんみじんふねくつがえふねしょむべふかまき,奔車くちさく,其可ゆるがせ乎!”
はち ためじょたかしぎょう討武曌檄》 駱賓おう “一抔之土未乾,ろくしゃくなんたく?”

“请看今日きょういきちゅう,竟是谁家天下てんか!”

きゅう 滕王かくじょ おう もの华天たから,龙光しゃうし墟;じん杰地灵,じょ孺下陈蕃榻。”

“落霞あずか鶩齊秋水しゅうすいどもちょうてん一色いっしょく。渔舟唱晚,响穷彭蠡滨;かり阵惊かんこえだん衡阳うら。”

“时运齐,いのちます。冯唐えきおい广难ふう。”

ろうとうえきたけし,宁移白首しらくびしん;穷且えき坚,坠青うんこころざし。”

“勃,三尺さんじゃくほろいのち一介いっかい书生。无路请缨,とう终军弱冠じゃっかんゆう怀投笔,慕宗悫之长风。”

じゅう あずかかん荊州しょ 李白りはく なま不用ふようふうじまん户侯,ただしすなおいち识韩荆州。”

しろ,隴西布衣ふい流落ながれおちすわえかんじゅうこう劍術けんじゅつ,徧干諸侯しょこうさんじゅう成文せいぶんあきられき抵卿しょう。雖長不滿ふまんななしゃく,而心萬夫ばんぷ。”

じゅういち はる夜宴やえん桃李とうりえんじょ 李白りはく おっと天地てんちしゃ萬物ばんぶつ逆旅げきりょ光陰こういんしゃひゃくだい過客かかく。而浮せいわかゆめため歡幾なに?”
じゅう とむらい古戰場こせんじょうぶん はな “无贵无贱,どう为枯こつ。”

くだ矣哉,终身夷狄いてき;战矣哉,暴骨すな砾。鸟无ごえ兮山寂寂せきせきよるせい长兮风淅淅。魂魄こんぱく结兮てん沉沉,鬼神きじん聚兮うん幂幂。”

蒼蒼あおあおふけみんだれ父母ちちははつつみ攜捧まけかしこ其不ことぶきだれ兄弟きょうだい?如足如手。だれ夫婦ふうふ?如賓如友。なま也何おんころせなにとがめ?其存其歿,いえ聞知ぶんちひとあるゆうごとはたしんじはたうたぐ。悁悁しん寐見ぬの奠傾觴,哭望天涯てんがい天地てんちため愁,草木くさき淒悲。ちょうさいいたり精魂せいこんなに?”

じゅうさん 《陋室めい りゅう禹錫 やま不在ふざいだかゆうせんのりめいすい不在ふざいふかゆうりゅうそくれい。”
じゅうよん 阿房宮あぼうきゅう もりまき ろくおう畢,四海しかいいちしょくさん兀,阿房あほうくつがえあつさんひゃくあまりさと隔離かくり天日てんじつ。驪山きた構而西にしおりちょくはし咸陽。二川ふたがわ溶溶,流入りゅうにゅうみや牆。五步一ごふいちろうじゅういちかくろうこし縵回,簷牙だかついばめかくだき地勢ちせいかぎこころ鬥角。”

めつろくこくしゃろくこく也,しん也。ぞくしんしゃはた也,天下てんか也。”

しんじんひまあい,而使きさきじんあいきさきじんあい而不鉴之,また使つかいきさきじん而复あいきさきじん也。 ”

じゅう 原道はらみち かんいよいよ 博愛はくあいいいじんぎょう而宜これいいよし而之焉之いいどうそく乎己,まち於外いいとくじんあずかよしためじょうめいみちあずかとくため虛位きょいみちゆう君子くんし小人こども,而德ゆうきょう有吉ありよし。”
じゅうろく はら毀》 かんいよいよ いにしえ君子くんし,其責おのれ也重以周,其待じん也輕以約。”
じゅうなな 麟解》 かんいよいよ 麟之所以ゆえんため麟者,以德以形。
じゅうはち ざつせついち かんいよいよ
じゅうきゅう ざつせつよん かんいよいよ ゆう伯樂ばくろうしかこうゆうせんさと千里せんりつねゆう,而伯たのしつねゆう。”

まきはち からぶん

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  • まきはちからぶん,录韩愈文章ぶんしょう
へん 篇目へんもく 作者さくしゃ 名句めいく 備註
いち せつ かんいよいよ “师者,所以ゆえん传道受业かい惑也。ひとなま而知これしゃ,孰能无惑?惑而从师,其为惑也,终不かい矣。”

读之不知ふち,惑之かいある师焉,ある焉,小学しょうがく而大遗,われ见其明也あきや。”

“圣人无常师。”

弟子でし必不如师,师不必贤於弟子でし,闻道ゆうさききさき,术业ゆう专攻,如是にょぜ而已。”

進學しんがくかい かんいよいよ “业精于勤,あら于嬉;ゆきなる于思,毁于ずい。”

“业患不能ふのうしらげ,无患有司ゆうし不明ふめいぎょう患不能成よしなり,无患有司ゆうしおおやけ。”

“贪多务得,细大捐。焚膏以继晷,つね兀兀以穷ねん。”

“抵排异端,攘斥ふつろう。补苴ひび,张皇かそけすがめ。寻坠绪之茫茫ぼうぼうどくつくりさがせ而远绍。さわ百川ももがわ而东かいきょう澜于既倒きとう。”

“沉浸醲郁,含英咀华,さく文章ぶんしょう,其书满家。うえ规姚、姒,浑浑无涯;しゅう《诰》、いん《盘》,佶屈きっくつ聱牙;《春秋しゅんじゅう》谨严,《ひだり》浮夸;《えき而法,《诗》せい而葩;逮《しょう》、《骚》,ふとししょ录;うんあい如,同工どうこう异曲。”

さん 圬者おううけたまわぶくでん かんいよいよ
よん いみなべん かんいよいよ
そうしんろん かんいよいよ
ろく こうじゅうきゅうにちふくじょう宰相さいしょうしょ かんいよいよ
なな こう廿にじゅうきゅうにちふくじょう宰相さいしょうしょ かんいよいよ
はち あずか于襄しょ かんいよいよ
きゅう あずかひねきゅうことしょ かんいよいよ
じゅう おう科目かもくあずかひとしょ かんいよいよ
じゅういち おくはじめ東野とうのじょ かんいよいよ 大凡おおよそものとく其平则鸣。”
じゅう おくすなおばんたにじょ かんいよいよ
じゅうさん おくただし邵南じょ かんいよいよ
じゅうよん おく楊少いんじょ かんいよいよ
じゅう おくいし處士しょしじょ かんいよいよ
じゅうろく おくぬる處士しょし赴河ぐんじょ かんいよいよ
じゅうなな まつりじゅうろうぶん かんいよいよ われねんよんじゅう,而视茫茫ぼうぼう,而发苍苍,而齿きば动摇。”

“孰谓しょうしゃ殁而长者そん强者きょうしゃ夭而病者びょうしゃぜん乎。”

げんゆう穷而じょう不可ふか终。”

じゅうはち まつり鱷魚ぶん かんいよいよ
じゅうきゅう 柳子りゅうこあつ墓誌ぼしめい かんいよいよ

まききゅう からそうぶん

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へん 篇目へんもく 作者さくしゃ 名句めいく 備註
いち 駁復讎議 やなぎはじめもと 忘讎,孝也たかやあい義也よしや
きりふうおとうとべん やなぎはじめもと
さん やなぎはじめもと
よん へびしゃせつ やなぎはじめもと “悍吏われ乡,さけべ嚣乎东西,隳突乎南きた。哗然而骇しゃ,虽鸡いぬとく宁焉。”

“呜呼!孰知赋敛どくゆう甚於へびしゃ乎!”

たねじゅかく橐駝でん やなぎはじめもと えいさだ革新かくしん
ろく あずさ人傳ひとづて やなぎはじめもと
なな けいじょ やなぎはじめもと
はち ながしゅう韋使くん新堂しんどう やなぎはじめもと
きゅう 鈷鉧潭西しょうおか やなぎはじめもと ながしゅうはち
じゅう 小石こいし城山しろやま やなぎはじめもと ながしゅうはち
じゅういち 進士しんしおうさんもと失火しっかしょ やなぎはじめもと
じゅう まていん おう禹偁
じゅうさん おかたけろう おう禹偁
じゅうよん しょ洛陽らくよう名園めいえん かく
じゅう いむ先生せんせい祠堂しどう 范仲淹
じゅうろく たけろう 范仲淹 “嗟夫!尝求じんじんしんある异二しゃ为。なに哉?以物以己悲。きょ庙堂これだか,则忧其民;处江湖こうこ远,则忧其君。进亦忧,退すさまた忧,しか则何时而乐耶?其必曰:‘先天せんてん下之したの忧而忧,きさき天下でんか乐而乐’乎!噫!ほろ斯人,われ谁与归!”
じゅうなな 諫院題名だいめい 司馬しばひかり とうこころざし其大,しゃ其細;さき其急,其緩;せん國家こっか不為ふためはかりごと
じゅうはち ぜにこう
じゅうきゅう 袁州しゅうがく
じゅう 朋黨ほうとうろん おうおさむ 同心どうしん而共济,はじめ终如いち,此君とも也。”
じゅういち たてしゅうろん おうおさむ 信義しんぎぎょう於君,而刑戮施於小じん

われ見上みあげ交相ぞく以成此名也,烏有うゆう所謂いわゆるほどこせおんとくあずかおっと信義しんぎしゃ哉?しかふとしむねほどこせとく於天,於茲ろくねん矣,不能ふのう使小人こども不爲ふため極惡ごくあく大罪だいざい,而いちにちおんのう使如歸,而存信義しんぎ。此又不通ふつうこれろん也!

じゅう しゃくえんじ詩集ししゅうじょ おうおさむ

まきじゅう そうぶん

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  • まきじゅうそうあや,录欧阳修、さん文章ぶんしょう
へん 篇目へんもく 作者さくしゃ 名句めいく 備註
いち うめきよし俞詩しゅうじょ おうおさむ
おく楊寘じょ おうおさむ
さん だい伶官でんじょ おうおさむ “呜呼!盛衰せいすい,虽曰天命てんめい,岂非人事じんじ哉!”

“《书》曰:‘满招损,谦受えき。’忧劳以兴こくいっ以亡自然しぜん也。”

おっと祸患つね积于ゆるがせほろ,而智いさむこま于所おぼれ,岂独伶人れいじん也哉!”

しんだい
よん だい宦者でんろん おうおさむ しんだい
相州あいしゅうひるにしきどう おうおさむ
ろく 豐樂ほうらくちん おうおさむ
なな よいおうちん おうおさむ よいおきな不在ふざいしゅざい乎山すい间也。”

しか而禽とり山林さんりんらく,而不知人ちじんらく人知じんちしたがえ太守たいしゅゆう而樂,而不知ふち太守たいしゅらく其樂也。」

はち 秋聲しゅうせい おうおさむ ほしがつこう洁,明河みょうが在天ざいてんよん无人ごえこえざい树间。”
きゅう まつりせき曼卿ぶん おうおさむ
じゅう 瀧岡たきおか阡表 おうおさむ “呜呼!为善无不报,而迟そくゆう时。”
じゅういち かんなかろん まこと 賢者けんじゃ悲其,而憂其國おとろえ必復ゆう賢者けんじゃ,而後ゆう以死。
じゅう べん奸論 まこと ことゆう必至ひっしゆうかたしか
じゅうさん 心術しんじゅつ まこと ため將之まさゆきどうとうさきしん泰山たいざんくずし於前而色不變ふへんおうしか鹿しかきょう於左而目まどかしか以制利害りがい以待てき。”
じゅうよん ちょうえきしゅう畫像がぞう まこと
じゅう けいしょうただあつ至論しろん 以賞,以無しょうしょう乎仁;以罰,以無ばつばっ乎義。

春秋しゅんじゅうよし立法りっぽうげん,而責じんひろし

おうためし所作しょさぶんいち
じゅうろく 范增ろん もの必先くさ也,而後蟲生むしょうじん必先うたぐ也,而後讒入

ごうそくとめごうそく

じゅうなな とめこうろん これしょ谓豪杰之,必有过人节,人情にんじょうゆうしょ不能ふのう忍者にんじゃ匹夫ひっぷ见辱,拔剑而起,挺身ていしん而斗,此不足ふそく为勇也。天下てんかゆう大勇たいゆうしゃ卒然そつぜん临之而不惊,无故而不いか,此其しょはさみしゃ甚大じんだい,而其こころざし甚远也。” ちょうりょう
じゅうはち 賈誼ろん 非才ひさい难,しょ以自ようしゃ实难。惜乎!贾生,王者おうじゃ,而不能ふのうよう其才也。夫君ふくんこれしょしゃ远,则必ゆうしょまちしょ就者だい,则必ゆうしょにん。”
じゅうきゅう 鼂錯ろん 天下てんか患,さい不可ふか为者,めい为治ひら无事,而其实有测之忧。すわ观其变,而不为之しょ,则恐いたり不可ふかすくいおこり而强为之,则天狃于平之ひらのやす,而不われしんおもんみじんじん君子くんしごう杰之,为能出身しゅっしん为天はんだい难,以求なり大功たいこう。”

いにしえたて大事だいじしゃおもんみゆうちょうざいまた必有坚忍不拔ふばつこころざし。”

まきじゅういち そうぶん

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へん 篇目へんもく 作者さくしゃ 名句めいく 備註
いち うえうめただしこうしょ
ちん 使つかいてん而雨たまかんしゃとく以為襦;使てん而雨だまひだるしゃとく以為あわ一雨ひとあめさんにちだれちからみん太守たいしゅ太守たいしゅゆう天子てんし天子てんし曰不しか造物ぞうぶつ造物ぞうぶつ以為こうふとむなしふとしそら冥冥めいめい不可ふかとく而名,われ以名われてい。」
さん しのげきょだい
よん 超然ちょうぜんだい 凡物みな有可ゆかかん。苟有かんみな有可ゆからく怪奇かいきえらうららしゃ也。 貶至しゅうどき應其おうごおとうとわだちところあや
づるてい
ろく いしがねやま こと见耳闻,而臆断おくだん其有无,乎?
なな うしおしゅうかんぶんこうびょう 匹夫ひっぷ而爲ひゃくせい一言ひとこと而爲天下でんかほう

ぶんおこりはちだいおとろえ,而道ずみ天下でんかおぼれちゅう犯人はんにんぬしいか,而勇だつ三軍さんぐんそち

軾緬ふところかんいよいよ而作
はち 校正こうせいりくにえそうすすむ劄子
きゅう ぜんあかかべ 月出つきで於東おひがし山之上やまのうえ徘徊はいかい於斗うしあいだ白露しらつゆ橫江よこえみずこうせってんたて一葦いちいこれしょ如,しのげまんごろ茫然ぼうぜんひろしひろし乎如馮虛ひょうきょ御風ぎょふう,而不知ふち其所とめ飄飄ひょうひょう乎如遺獨立どくりつ羽化うか登仙とうせん

于是饮酒乐甚,扣舷而歌うた曰:“かつらざお兮兰桨,击空あかり兮溯りゅうこう渺渺びょうびょう兮予怀,もち美人びじん兮天一方いっぽう。”きゃくゆう吹洞箫者,うた而和。其声呜呜しか,如怨如慕,如泣如诉,おん袅袅,绝如缕。まいかそけ壑之せんみずち,泣孤ぶね嫠妇。

驾一かのう扁舟へんしゅう,举匏だる以相ぞくよせ蜉蝣かげろう于天びょう沧海いちあわあいわれせい须臾,羡长无穷。はさみ飞仙以遨ゆうだき明月めいげつ而长终。不可ふか乎骤たく遗响于悲风。

きゃくまた知夫ちぶすいあずかつき乎?逝者如斯,而未尝往也;盈虚えいきょしゃ如彼,而卒莫消长也。盖将其变しゃ而观,则天不能ふのう一瞬いっしゅん其不变而观之,则物あずかわがみな无尽也。而又なん羡乎?且夫天地てんち间,ものかくゆうぬし,苟非われ所有しょゆう,虽一毫而莫取。おもんみ江上こうじょうきよし风,あずかやま间之明月めいげつみみどく而为ごえぐう而成しょくこれ无禁,よう竭,造物主ぞうぶつしゅ无尽ぞう也,而吾あずかこれしょども适。

貶至しゅうどき所作しょさ
じゅう こうあかかべ 山高やまたかがつしょう水落みずおち石出いしで 貶至しゅう所作しょさ
じゅういち さんえんじゅどうめい
じゅう ほう山子やまごでん
じゅうさん ろく國論こくろん わだち 「以地ごとしんなおだきたきぎすくいたきぎ不盡ふじん不滅ふめつ。」これへんまことところうつしてきしかさんまことわだちかくうつしゆうろく國論こくろん》,いん可能かのう混淆こんこう
じゅうよん うえ樞密すうみつかんふとしじょうしょ わだち ぶん不可ふか以學而能,以養而致。
じゅう しゅう快哉かいさいてい わだち せい於世,使つかい其中自得じとくはたなに往而やまい使つかい其中ひろししか以物きずせいはたなにてき而非かい わだち貶時所作しょさあずか其兄〈超然ちょうぜんだいやく莫同みな貶時所作しょさ
じゅうろく よせおう舍人とねりしょ 曾鞏
じゅうなな おくはじむやすなまじょ 曾鞏
じゅうはち 讀孟嘗君でん おうやすしせき おっと鸡鸣いぬとう其门,此士所以ゆえんいたり也。
じゅうきゅう 同學どうがくいちしゅべつかた おうやすしせき
じゅう ゆう褒禪やま おうやすしせき 于是ゆう叹焉。これにん观于天地てんち山川やまかわ草木くさきむし鱼、鸟兽,往往おうおうゆう,以其もとめおもえふか,而无不在ふざい也。おっとえびす以近,则游しゃ众;险以远,则至しゃしょう。而世伟瑰あや非常ひじょう观,つねざい于险远,而人これしょ罕至焉。
じゅういち たいしゅううみりょうけんぬし簿もとくん墓誌ぼしめい おうやすしせき 固有こゆうはなれぞく獨行どっこう其意,ののしそしわらいあなどこまはずかしめ而不悔;かれみな衆人しゅうじんもとめ,而有しょまち於後しゃ也,其齟齬固よろしわかおっと智謀ちぼう功名こうみょう,窺時俯仰ふぎょう,以赴ぜい利之としゆきかい,而輒不遇ふぐうしゃ,乃亦不可ふかかちすうべんあし以移萬物ばんぶつ,而窮於用せつときはかりごとあし以奪三軍さんぐん,而辱於右武之たけゆきこく,此又なんせつ哉?

まきじゅう 明文めいぶん

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へん 篇目へんもく 作者さくしゃ 名句めいく 備註
いち おく天台てんだいひねにわがくじょ そう
閱江ろう そう
さん 司馬しばぬしろんぼく りゅうはじめ 昔日せきじつこれしょ无,今日きょうゆう为过;昔日せきじつ所有しょゆう今日きょう无之不足ふそくいちひるいち,华开しゃ谢;いちはる一秋かずあき物故ぶっこしゃしん激湍げきたんした,必有深潭しんたんだかおかした,必有浚谷。
よん うれ柑者げん りゅうはじめ 金玉きんぎょく其外,败絮其中。 はら收錄しゅうろく於《いくはなれちゅう
深慮しんりょろん ほうたかし おもんばか天下てんかしゃつね其所なん,而忽其所えき;備其しょかしこ,而遺其所うたぐしか而禍つねはつ於所ゆるがせなか,而亂つねおこり不足ふそくうたぐこれごとあに其慮しゅう歟?ぶたおもんばかこれしょのう及者,人事じんじむべしか;而出於智りょくこれしょ及者,てん道也みちや
りょう之子ゆきこ於病;りょうみこ之子ゆきこ於鬼。かれ岂工於活じん而拙於活おのれ哉?乃工於谋じん而拙於谋てん也。
ろく ゆずるろん ほうたかし
なな 親政しんせいへん おう
はち みことけいかく おうまもるひとし 经,つね道也みちや。其在于天谓之“いのち”,其赋于人谓之“せい”,其主于身谓之“しん”。こころ也,せい也,いのち也,一也かずや通人つうじんぶつ,达四海しかいふさが天地てんちわたる古今ここん,无有乎弗,无有乎弗どう,无有乎或变者也,つね道也みちや。其应乎感也,则为恻隐,为羞恶,为辞让,为是非ぜひ;其见于事也,则为父子ふし亲,为君臣くんしん义,为夫妇之别,为长ようじょ,为朋友之とものしん恻隐也,羞恶也,让也,是非ぜひ也;亲也,义也,じょ也,别也,信也しんや一也かずやみなしょ谓心也,せい也,いのち也。
きゅう ぞうほこら おうまもるひとし われ于是えきゆう以信人性じんせいぜん天下てんか不可ふかひと也。
じゅう 瘞旅ぶん おうまもるひとし
じゅういち しんりょうくんすくいちょうろん とうじゅん
じゅう むくいりゅういちたけしょ そうしん
じゅうさん くれさん かえり有光ありみつ
じゅうよん 滄浪てい かえり有光ありみつ
じゅう あおかすみ先生せんせい文集ぶんしゅうじょ かやひつじさる
じゅうろく しょう如完璧歸ちょうろん おうさだ
じゅうなな じょぶんちょうでん 袁宏どう
じゅうはち にん墓碑ぼひ ちょう 嗟夫!だい阉之みだれ,缙绅而能不易ふえき其志しゃ四海しかいだいゆう几人欤?而五人生于编伍之间,もと闻《诗》、《书》训,激昂げっこうだい义,蹈死顾,また曷故哉?

よしかんのりいまこう爵顯一旦いったん抵罪,あるだつ以逃,不能ふのうよう遠近えんきん,而又ゆう翦髮もりもん佯狂ようきょう不知ふちしょこれしゃ,其辱じん賤行,にん輕重けいちょうかたなに如哉?

評價ひょうか

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  • 古文こぶん观止》选了かず记事散文さんぶんちゅうてき许多めいへん,受到しょう人的じんてき批评。ただし也有やゆうじん认为,这种批评ゆるがせ视了《古文こぶん观止》てき选材标准,ゆうへん颇之处。[らいみなもと請求せいきゅう]
  • 鲁迅评论どう:“评选てき本子もとこかげ响于きさきらいてき文章ぶんしょうてき力量りきりょうしょうてきおそれ怕还远在名家めいかてき专集うえわがおもえ,这许研究けんきゅう中国ちゅうごく文学ぶんがくてきじん们也该留意りゅういてき罢。选本しょ显示てき往往おうおう并非作者さくしゃてき特色とくしょくたおせ选者てき眼光がんこう。”
  • かつきょうてきろう师李诚(安徽あんきしょうぶん研究けんきゅう管理かんり员)斥《古文こぶん观止》为“むら书”,转而给かつきょう开出《昭明しょうめいぶん》《文辞ぶんじ类纂》《经史ひゃくいえ杂钞てき书单[2]

まいり

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参考さんこう资料

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  1. ^ 按:がらすひしげけい贈與ぞうよ國家こっか圖書館としょかん藏書ぞうしょ
  2. ^ かつきょう. つい忆李诚先生せんせい. 安徽あんき报. 1997ねん5がつ17にち. (原始げんし内容ないようそん档于2017ねん2がつ20日はつか). 

外部がいぶ链接

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