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想定そうてい

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想定そうてい梵語ぼんごasaṃjñi samāpattiともえとしasaññā samāpatti),またわけ無想むそうさんはちそこ印度いんど宗教しゅうきょう修行しゅぎょう禪定ぜんじょうてき境界きょうかいいちざい此境かいちゅうじょりょうしんてき思想しそう認知にんち活動かつどう使つかい五蘊ごうんちゅうてきそう停止ていし佛教ぶっきょうしょうしんじ修行しゅぎょう想定そうていとくせいいろかい無想むそうてんあずか滅盡めつじんじょうごうしょう無心むしんじょう佛教ぶっきょうはた它列為心いしん不相應ふそうおう行法ぎょうほういち

概論がいろん

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ざい五蘊ごうんちゅう心的しんてき認知にんちあずかおもえ維等作用さようたたえためそうSaṃjñā),其主よう作用さようため認知にんちいた外界がいかい事物じぶつゆう不同ふどうてきそう[1][2]そうSaṃjñā),じょう否定ひていあたまa-,ため無想むそう,以無想むそう進入しんにゅうとういたり samāpatti),しょうため想定そうてい

修行しゅぎょう禪定ぜんじょう最初さいしょてきはつぜんぜんさんぜんよんぜんあずか所有しょゆうじょうよしためそうてき作用さようかえざいみなしょうためゆう想定そうてい經由けいゆ禪定ぜんじょう修行しゅぎょうかんそう』如病如癰如箭,以作意さくいとおはなれそう使つかいそう停止ていし進入しんにゅうてき這個三昧ざんまい境界きょうかいしょうため想定そうてい[3][4]よしためざいじょうちゅうこころあずかしんしょほうみな活動かつどうあずか滅盡めつじんていごうしょう無心むしんじょう[5]

想定そうていげんおこり於外どう沙門しゃもん修行しゅぎょう想定そうていてき果報かほうざいとうせい無想むそうてん[6]。這個修行しゅぎょう法被はっぴ佛教ぶっきょう吸收きゅうしゅうしんいち使あずかそう停止ていしたたえためめつ想定そうていある滅盡めつじんじょう[7]釋迦牟尼しゃかむに於老ねん曾以想定そうていらいげんなる疾病しっぺい延長えんちょう壽命じゅみょう[8]

佛教ぶっきょうみとめため想定そうていため外道げどう追求ついきゅうてき最高さいこうていさかいただし佛教ぶっきょう聖者せいじゃ追求ついきゅうてき最高さいこう目標もくひょういんため想定そうてい解脫げだつ[9]なま無想むそうてん佛家ぶっけみとめためはちなんこれいちよし壽命じゅみょう雖約ゆうひゃくこうただしさわ於見ふつ聞法。許多きょたがい道修どしょういた一念いちねんせい進入しんにゅう禪定ぜんじょうなか,以為就是解脫げだつおさむていさかいてき眾生,後世こうせい多生たしょう於此てん終日しゅうじつざい一念不生的定境中。有無うむほう修行しゅぎょうふつ法的ほうてきさわむずかし

考證こうしょう

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しるし順法じゅんぽうみとめため佛教ぶっきょうろんざい佛教ぶっきょう時期じきゆかりあいしん三昧ざんまい進一しんいち細分さいぶんそうそうしょじょう滅盡めつじんじょう無想むそう有情うじょうあずか想定そうていとう據出きょしゅつ定時ていじてき差異さい區分くぶん滅盡めつじんていあずか想定そうていてき不同ふどう想定そうてい分化ぶんか出來できてき時間じかん較晚[10]

よし於「そうかずそうつうかりいんさん三昧ざんまいなかてきあい解脫げだつもんゆうかいわけため無想むそう解脫げだつもん」、「想定そうてい」。學者がくしゃ楊郁ぶんみとめためさん解脫げだつもんちゅうてきそう(animitta)ためかんしょくとう五蘊ごうん無常むじょう乃至ないしそらあずか無想むそうてんていさかい無想むそう」(asaṃjñi)、ところさとし不同ふどう[11]

註釋ちゅうしゃく

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  1. ^ げんわけおもね達磨だるま俱舍ろんまき4:「おもえいい於境差別さべつしょう。」
  2. ^ げんわけしなるいあしろんまき1:「そううんなにいいぞうせい。此有さんしゅいいしょうおもえだいおもえ無量むりょうそう。」
  3. ^ 顯揚けんよう聖教せいきょうろんまき1:「想定そうていしゃいいやめはなれへんきよしよくはなれ上地じょうちほっ觀想かんそう如病如癰如箭,ただ無想むそうてん寂靜じゃくじょう微妙びみょうよし無想むそうてんおこり出離しゅつりおもえ作意さくい前方ぜんぽう便びんつね現行げんこう心心こころごころほうめつせい。」
  4. ^ しるしじゅん大乘だいじょうこう五蘊ごうんろんこう》:「想定そうてい怎麼修行しゅぎょう呢?『以出離しゅつりそう作意さくいためさき』。修行しゅぎょうにんなんいちしゅじょう,它都ゆういち方便ほうべん想定そうてい本來ほんらいいちしゅ外道げどうてきじょうさとしとく眾生一切いっさいてき苦惱くのうついきわむそこてきびょう,就是わが們色、受、おもえくだり、識的這個『そう』。そうなり問題もんだい所在しょざいみとめため修行しゅぎょう要求ようきゅう解脫げだつようりょう生死せいし,就不ようおこり這個『そう』。所以ゆえん這個修行しゅぎょうてき方法ほうほう,以出離しゅつりそうてき作意さくいため方便ほうべん,就是作意さくい不要ふようおこり這個「そう」,以離這個『そう』做方便びん麼,以這樣子ようす修行しゅぎょう,慢慢慢慢實現じつげんりょういたるいたてき時候じこう,『そうおこりりょうおもえ佛法ぶっぽううらてき心心こころごころしょほう相應そうおうぎょう上面うわつらこう受、おもえさわ作意さくいおもえ這五種叫遍行心所,ゆうしゅあまねぎょうしんしょ,就有こころ識,如果ぼつゆうりょうてきばなしこころ識也就沒ゆうりょう麼,這個そうぼつゆうりょうてき時候じこう,受、さわ作意さくいおもえ眼識がんしきみみ識、はな識、した識、識、意識いしき一切いっさいおこりりょう所以ゆえんそうぼつゆうりょうてきばなし一切いっさいまえろく識的しんしんしょ現前げんぜんりょういたりょう這種境界きょうかい,就到りょう想定そうていてき境界きょうかい所以ゆえん,『以出離しゅつりそう作意さくいためさき』。『出離しゅつりそう』就是停止ていし這個おもえはなれひらき這個おもえおこり這個おもえ出離しゅつり這個おもえとめいき這個そう。以這一種いっしゅてき作意さくいおこりさき注意ちゅうい思惟しいわがようはなれ這個おもえようはなれ這個おもえ,以這いちためさき結果けっか所有しょゆう恆行つねゆきてきしんしんほうめつ」。おさむていおさむいた這個境界きょうかい所得しょとくいたてきさけべ做無想定そうてい不相應ふそうおうぎょうてきいちしゅ。 」
  5. ^ 大智たいちろんまき47:「無心むしん三昧ざんまいしゃそく滅盡めつじんじょうある想定そうていなに以故?ふつ自說じせつ因緣いんねんにゅう三昧ざんまいちゅうしょしんしんすうほうくだり。」
  6. ^ げん奘譯《俱舍ろんまき5:「若生わこう無想むそう有情うじょうてんちゅうゆう法能ほうのうれい心心こころごころしょめつめいため無想むそうじつゆうぶつのうさえぎ未來みらい心心こころごころしょ法令ほうれい暫不おこり如堰江河こうが。此法一向いっこうじゅくはてだれじゅくいい想定そうてい無想むそう有情うじょうざい何處どこきょざいこうはていいこうはててん中有ちゅううだかかちしょ,如中あいだしずかおもんばかめい無想むそうてん。」
  7. ^ しるしじゅん大乘だいじょうこう五蘊ごうんろんこう》:「おさむじょう佛法ぶっぽうゆうりょうたねじょう一種いっしゅさけべゆう想定そうてい一種いっしゅさけべ想定そうていおこりはつおさむてきはつぜんぜんさんぜんよんぜん乃至ないし於一直到無所有定,さけべゆう想定そうていみやこゆうそう』。ゆうそうてき,就有いち印象いんしょうさいいた上面うわつら,就叫想定そうていぼつゆうそうてき三果みか聖者せいじゃいた阿羅漢あらかんふつめつ想定そうてい,受、そうめつりょう,這是最高さいこうてき境界きょうかい。」
  8. ^ ながおもね含經》まき2:「於後夏安居げあんごちゅう佛身ぶっしんやましなま,舉體みなつうふつねんごと:『わがいまやましなま,舉身つう甚,而諸弟子でし悉皆しっかい不在ふざいわか涅槃ねはんのり非我ひがよろしこんとう精勤せいきん自力じりき以留壽命じゅみょう。』……ふつつげおもねなん:『われやめろう矣,ねん且八じゅうたとえ如故しゃ方便ほうべん修治しゅうじとくゆうしょいたりまたしか,以方便びんりょくしょうとめことぶき自力じりき精進しょうじんしのぶ此苦つう不念ぶねん一切いっさいおもえにゅう想定そうてい我身わがみやすかくれゆう惱患。』」
  9. ^ げん奘譯《俱舍ろんまき5:「またもと此定ただ生得しょうとくしょ聖者せいじゃ,以諸聖者せいじゃ於無想定そうてい如見じょけんふかあならくにゅうゆえ。」
  10. ^ しるしじゅんそら探究たんきゅうだいいちしょう:「あいしん三昧ざんまいえんじそうそうしょじょう(及報しょ),滅盡めつじんじょう以外いがいかえゆう無想むそう有情うじょう(asaññasatta)、想定そうていあいしん三昧ざんまい作意さくい一切いっさいしょう,也就おこり一切いっさいそう。《長部おさべだいえんけいたて七識住與二處,二處是無想有情處與非想非非想處。想定そうていあずか滅盡めつじんてい相似そうじ所以ゆえんしたがえおこり定時ていじてき差異さい,而加以分べつ。七識住與二處,綜合そうごうおこりらいめいためきゅう有情うじょうきょ長部おさべなみなしけいせつ傳說でんせつちゅうてき世界せかい起源きげんせつ,其中『いんろんしゃしたがえ無想むそう有情うじょう死沒しぼつ而來せいてき所以ゆえんせついん而有。想定そうていあずか無想むそう有情うじょう可能かのう外道げどうゆう類似るいじ無想むそうてき修驗しゅげんあずか傳說でんせつ佛法ぶっぽうためりょうようきゅう以應ゆうてき解說かいせつさいしたがえあいじょう滅盡めつじんてい中分なかぶんよんぜんこうはて天上てんじょう。這是成立せいりつようおそいち些。」
  11. ^ 楊郁ぶん. 初期しょき佛教ぶっきょうそらほうせつ及義せつ」(した. 中華ちゅうか佛學ぶつがくがくほう. 1992, 5 [2019-03-18]. (原始げんし内容ないようそん于2019-09-05).