Fate/dragon’s dream
伝承
ヴォルスンガ・サガ。それは、ヴォルスングという勇士の一族の物語。
ヴォルスングは、貴族と魔術の神オーディンの子孫として生を受けた。
彼の妻はフリョーズといい、戦乙女(ヴァルキューレ)でありながら巨人の血を引く娘だった。
その間に、11人の子供が生まれた。長男をジークムントといい、長女をシグニーと言う、双子の兄妹であった。シグニーは美しく、また、巨人族の血の故か、強い予言の力を持っていた。彼女は、一族の辿る恐ろしい運命を始めから知っていたという。
そんなシグニーを、ヴォルスング一族と長く対立してきたシゲイル王が娶りたいと言った。父ヴォルスングは、長年の対立がそれで解消されるならと、その話を受ける。シグニーは、気が進まなかったが父の言いつけにしたがった。
婚礼の席、どこからともなく現れた片目の老人が、ヴォルスング家の館の柱となっているりんごの木に一本の剣を突き刺して言う。
「この剣を引き抜いてみよ。引き抜けたものに、この剣を差し上げる」
ヴォルスングも、シゲイルも、全員が試したが、誰一人として剣を抜けなかった。しかし、最後に挑んだジークムントは、あっけなく剣を引き抜いてしまう。
「ワシがその剣を三倍の重さの黄金で買い取ろう」
シゲイルが言ったが、ジークムントはそれを拒む。シゲイルは恨みに思いながら、感情を隠し、今度は自分がヴォルスングの一族を我が城に招待しようといった。
しかし――それは卑劣な罠だった。
ヴォルスング一族は、ジークムントとシグニーを残し、シゲイルに殺されてしまったのである。
二人はシゲイルに復讐を誓い、純粋なヴォルスングの血を得るため、兄妹で交わり、子を成した。
そうして生まれたシンフィヨトリという息子とともに、ジークムントはシゲイルを殺そうとする。一度は生き埋めにされかかるも、入り口をふさぐ大岩を神の剣で真っ二つにして脱出し、ついに二人はシゲイルを殺す。
――しかしシグニーは、一度は夫となった人を追って、シゲイルの館を包む炎の中に消えていった。
その後、さまざまな紆余曲折の末、ジークムントはリュングヴィ王と、ヒヨルディースという娘を賭けて争った。その戦争のさなか、突如戦場に槍を持った片目の男が現れ、ジークムントの神の剣を破壊してしまった。
この男こそ、ヴォルスング家に神の剣を与えたオーディンであったのだ。
なぜオーディンはジークムントから自ら与えた剣を奪ったのか……。彼の宮殿ヴァルハラにジークムントを呼ぶためだったのか、それとも、近親相姦という禁忌を犯したものに神々の未来と栄光を任せるわけにはいかなかったからなのか。
――その真意は定かではない。ジークムントは神の寵の証たる剣を失い、敵の刃に倒れる。だが、この時既にヒヨルディースのお腹には子供がいた。その子供の名がジークフリートである。
「――ジークフリート……。神と巨人の血を引く英雄……」
「彼の冒険が始まる前に、もう一つだけエピソードがあるんだ」
話は天界へ飛ぶ。神々の世界ではある騒動が起きていた。オーディン、ロキ、ヘーニルの三人の神が、巨人族の一人を誤って殺してしまい、賠償を迫られたのである。
オーディンはロキに黄金を見つけてくるように言いつけた。ロキは滝に隠れていた小人アンドヴァリを捕らえ、彼が隠していた財宝を全部巻き上げてしまった。
腹を立てた小人は、「この黄金を手にしたものは、みな死に絶える運命となる」という呪いをかける。それがラインの黄金……呪われたニーベルンゲンの宝の誕生だった。
呪われた宝を賠償として送られた巨人の家を、早速悲劇が襲った。長兄ファフニールが父を殺して黄金を独り占めにし、竜に姿を変えて守り始めたのだ。この時、それを欲しがるも手を出せなかったのが、弟のレギン――ジークフリートの養父である。
レギンは竜となった兄の守る黄金を得るために、破壊されたジークフリートの父の剣を鍛え直し、彼に与えた。今までレギンの与える剣はジークフリートがみな一振りで折ってしまっていたのだが、この剣は鍛えあがるや否や、自らを鍛えた金敷を真っ二つにしてしまったという。
こうして、魔剣グラムは復活したのだ。グラムを手にしたジークフリートは、手始めにリュングヴィ王を倒して父の敵討ちをすることを考える。
母の弟であるグリーピルという男のもとに予言を授かりに訪れた時、彼は自分が短命であるということを知らされるが、
「運命を受け入れよう」と納得し、むしろ意気軒昂として敵討ちに出向いたという。
リュングヴィを倒し、敵討ちを成し遂げたジークフリートは、いよいよ竜退治に赴く。オーディンの助言を得、ファフニールが川に水を飲みに出てきたところを待ち伏せし、心臓に剣を突き立てたのである。
「なんと……たったそれだけで、あの最強の幻想種を倒したというのですか」
「心臓を一突きだったっていう話よね。そういえば、あのジークフリートも奇襲戦法が得意みたいだったわね」
レギンは竜の心臓をあぶって食べさせてくれとジークフリートに頼むが、実はこのとき、黄金のためにレギンは彼を殺してしまうつもりだった。
焼き加減を見る為、心臓に触ってみたジークフリートは、指についた血を脂とを舐めとる。その時、ジークフリートは突然、小鳥たちの声を聴くことができるようになった。
「レギンはジークフリートを殺してしまうつもりなのに、ジークフリートはバカだね」
養父の陰謀を知ったジークフリートは、一太刀の元に眠り込んでいたレギンを切り捨てる――。
「――いくら陰謀を企てていたとは言え、育ての恩ある養父をあっけなく殺してしまうとは――」
「そこがジークフリートの恐ろしいところよ。殺す気なら殺す。生まれながらにして、彼は妥協を知らない戦士だった。飾り気のない強さ、素朴な豪勇。荒々しい北欧の戦士気質の英雄だったのよ」
レギンを殺したジークフリートは、呪われたニーベルンゲンの宝を全て手に入れ、莫大な財を得る。愛馬グラニと旅を始めた彼は、しばらくして燃え盛る炎に包まれた山に出た。その山の頂上で、鎧に身を固めた女性が眠っているのを発見する。彼が鎧を切り裂くと、女性は目覚めた。
彼女こそがジークフリートの運命を決めた女性。――オーディンの命に背き、その咎で封印されていた戦乙女、ブリュンヒルドだった――。
「ブリュンヒルド――」
「オーディンの使役する、戦士の魂の運び手……戦乙女『ヴァルキューレ』の一人ね」
「――――」
ジークフリートとブリュンヒルドは互いに一目で恋に落ちた。彼はブリュンヒルドの元に必ず帰る誓いをし、彼女にニーベルンゲンの指輪アンドヴァラナウトを与え、旅に戻る。
そんなジークフリートに、ライン川下流を治めていたギューキ王の一族が目を留めた。ギューキの子供達には、グンテル、ハーゲン、グットルムという三兄弟と、クリームヒルトという美しい姫がいた。彼はあの卓絶した勇者を、クリームヒルトの婿として迎えようとしたのだ。
ギューキの妻、グリムヒルドは魔術を使い、忘れ薬をジークフリートに飲ませる。これにより、ジークフリートはブリュンヒルドの名と、交した誓いを忘れ、クリームヒルトと結婚してしまう。
「――なんという卑劣な……! 真実想い合っていた二人を私利私欲のため引き裂くとは――」
「お、落ち付きなさいってセイバー」
「あ……申し訳ありません。つい……」
「いいけど……あなた結構、登場人物に感情移入するタイプ?」
「セイバーがそんなだと、この先を続けるのが怖いな」
「い、いえ。――是非続けてください、シロウ」
一方、クリームヒルトの兄のグンテルは、ブリュンヒルドに恋をしていた。ジークフリートはグンテルとブリュンヒルドを結婚させるため、グンテルに姿を変え、ブリュンヒルドが結婚条件として出した試練を越えてみせる。
グンテルとしてブリュンヒルドから結婚の約束を取り付けたジークフリートはこの時、かつてブリュンヒルドに与えたアンドヴァラナウトの指輪を抜き取り、代わりにグンテルからの指輪を送る。ブリュンヒルドは泣く泣く、グンテルの妻となりギューキの城へ留まることになった。
だが、婚礼の席でついにジークフリートはブリュンヒルドの名を、かつての誓いを思い出す。……しかし彼は、自分達二人を襲った悲劇の運命を受け入れ、苦しみながらも、騒ぐことはなかったという。
「――――」
「……あの……怖いんだけど」
「我慢しなさい。――私も意外に思ってるんだから」
ある日のこと、クリームヒルトとブリュンヒルドの間でいいが起こった。どちらが貴いか――女同士の見栄の張り合いは、しかしクリームヒルトがつい口を滑らせ、ジークフリートとグンテルの秘密、求婚にまつわる偽りを喋ったことで、最悪の悲劇の引き金になる。
クリームヒルトは、ジークフリートから受けとっていたアンドヴァラナウトの指輪を見せたのだ。
怒り狂ったブリュンヒルドは、グンテルかジークフリート、どちらかを殺すまで収まらぬと激しく取り乱し、ジークフリートに詰め寄った。ジークフリートは答える。
「かつて予言されたように、私達はどちらも長くは生きられまい。だがお前には生きて、グンテルを愛してほしい。かつての想いを取り戻してからは、私もずっと苦しんできたのだ。お前と添い遂げられなかったことに、耐えてきたのだ」
だが、ブリュンヒルドは言う。
「一つの館に二人の夫はいらぬ――」
「――当然でしょう。忘れていたならいざしらず、彼はその手で運命を変えようとしなかった。――何を今更」
ふん、とセイバーが言う。
「あら、そう? 彼は運命に抗うことを放棄したんじゃなくて、その必要を感じなかっただけじゃないかしら」
「ちょ、遠坂」
「では凛は、クリームヒルトの肩を持つと?」
「まだ話には出てきてないけどね。サガはともかく、ニーベルンゲンの歌のクリームヒルトは私、好きよ」
「ふ、ふたりとも落ち付けって。とりあえず最後まで話させてくれ、もうちょっとなんだから」
ブリュンヒルドは夫グンテルに言った。全てを失いたくないならばジークフリートを殺せ、と――。
グンテルの弟、ハーゲンはそれを止めるが、グンテルは知恵遅れの弟グットルムの理性を魔術によって奪い、ジークフリートの寝室を襲わせる。寝込みを襲われたジークフリートは致命傷を受けるが、咄嗟にグラムを投げ付け、グットルムを真っ二つにした。
夫の鮮血のなかで悲しみに泣き叫ぶクリームヒルト。その眼前で、ブリュンヒルドは笑っていた――。愛憎の中、ブリュンヒルドもまた、自らに刃を突き立て、真実愛した男を焼く炎の中に、消えて行ったのである――。
「ここまでがジークフリートを巡る物語。んで、この後は、ニーベルンゲンの呪いによってギューキ一族がどういうふうに滅亡するのかって話に、なるん、です、けど……」
……さっきからセイバーと遠坂の間に妙な緊張感が走っているような――。ふぅ、と遠坂が息を吐いた。
「典型的な悲恋悲劇の物語よね。結局、ギューキ王の一族は、ジークフリートの遺産、ニーベルンゲンの財宝を狙うフン族の王によって滅亡する。でもその莫大な黄金を、ギューキの一族は既にライン川に沈めていて、フン族はそれを手にすることはできなかった。――以後、ニーベルンゲンの宝は、ラインの黄金と名を変え、ラインの乙女と呼ばれる精霊によって守られ続けたらしいわ」
「――なるほど。女性泣かせの英雄なのですね」
……こころなしかセイバーはこっちを見ながら喋っているような。気のせいだよな。
「しかし……竜を殺したということは、やはり素質はあったのでしょう。あれは普通、殺すことなどできるはずもない存在ですから」
「竜、ね。もうこの世界にはいないって言われてるから、私もよく分からないけど……。――最強の幻想種。数多の怪物や魔物と呼ばれる存在の中でもっとも高位に君臨する王、か。
――あ、そうそう。ニーベルンゲンの歌では、ジークフリートと竜にまつわる話が一つだけサガと違うのよ」
遠坂は、あ、お茶がない、などと言いながら話を進める。俺は急須を持って立ちあがった。
「凛、それは?」
「ニーベルンゲンの歌のジークフリートは、不死なのよね。……んー、不死っていうと言いすぎだけど、ファフニール竜を殺したときにその血を全身に浴びて、肌が剣を通さないほど硬くなってるの。だからどうやっても傷つかなかったらしいわ。
でも、背中の真ん中に菩提樹の葉がついていて、そこだけは血を浴びなかった。そこが唯一の急所だったの」
「……」
「結局、その急所に槍を刺されて死んじゃうんだけどね」
ずずーっと新しく淹れたお茶をすする遠坂。
「へぇ、それだったら寝室を襲撃されても死ぬことはなかったのにな」
竜の血による不死か……。……ん? あれ? なんか……違和感があるぞ……? ……はて。
「……竜の血による不死……まさか」
セイバーがうつむく。
「ん? どうしたの?」
「……凛、先ほどの戦闘のことですが。彼は、なにか魔術を使っていたようなのですが、分かりませんか」
「魔術? ――いいえ、気付かなかったけど。少なくとも彼が魔術を行使してたって感じはなかったわね。あの剣にかけられてた炎くらいかな。――でも、あれってなんの言葉だったのかしら……。
あ、でも待てよ、そういえばガンドがレジストされた、ような――――……うそ……」
「私は、二度ほど剣を弾かれました。……まさか、とは思いますが……竜の血の力を」
「ちょ、ちょっと待て、ひょっとしてあの波紋みたいな――?」
遠坂がガンドを当てた時。セイバーが懐に飛びこんだ時。波紋のような空気の広がりが一瞬見え、――ジークフリートは無傷だった。
「――そんなの」
「魔術を使っていた気配もなく、凛の魔力を跳ね返し、私の剣も――」
「ちょ、ちょっと待ってくれ。だってセイバーの剣が跳ね返されたのは、あいつの竜殺しとしての特性なんじゃないのか?」
い込んで訊ねる。だって、そうじゃなかったら、そんなの――
「違います。確かに彼は竜殺し――自身に向けられた竜の魔力の大部分をキャンセルしてしまう。私は基本的に常に魔力を放出して戦っています。移動、攻撃など、ほとんど全てに魔力放出による補助がついている。それらを制限したら、私の運動能力はこの身体が本来持つ能力まで落ちてしまう」
そういえば、昔三人で新都を遊んで回った時、バッティングセンターで、公平にするためセイバーに魔力を制限してもらったことがあった。あの時、セイバーの筋力は普通の女の子なみまで落ちたような――。
「ということは、つまり……」
「――はい。彼の前では、私はただすばしこく、剣技に秀でただけの、……この外見通りの存在に過ぎません。それでも立ち回りの速度は落ちませんが、いかんせん消耗させるための攻撃には威力が少なすぎる。……相手が使っている全魔力を打ち消すことは、彼といえどできないようですから、防戦に回ればまだなんとかなりますが……。
しかし、グラムの力がまだ未知数です。あれは卓絶した竜殺しの魔剣《ドラゴンスレイヤー》――もしあの剣が本気になったら、私はあるいは――」
セイバーが沈痛な面持ちで続ける。
「――防御、移動のための魔力まで削がれ……避けることも受けることもできず、防御の上から切り伏せられるでしょう」
「そ、そんな……!」
――セイバーの言うことは、恐らく本当だ。
あの時、エクスカリバーの衝撃を「切った」のは紛れもなくグラムの力だ。
ジークフリートは、自らに放たれたエクスカリバーの斬撃を竜殺しとして消せるだけ消して、消せ切れない分をグラムで真っ二つにした。分かたれた衝撃はジークフリートの両脇を掠め、鎧だけ砕き――霧散した。
それが、エクスカリバーを凌いだ一幕。直撃したように見えたが、グラムがそれを「切って」いたのだ。
「でも、グラムを出したってことは、ジークフリートの消せる魔力にも限界があるってことよね。で、エクスカリバーはそれを上回っている、と」
「彼がグラムを用いず、かつ直撃すれば、おそらく私の聖剣でも彼を倒すことはできるでしょう。倒し切ることはできないかもしれませんが、少なくとも勝機は必ず掴めるはず」
ジークフリートほどの英雄が、剣を手放し、かつ直撃する――そんな状況が、果たしてあるのだろうか。しかも、そこまでしても、必殺とはならないかもしれない――――なんてこった。そこまで――ハンデがあるのか――
「そして、それがさっきのシロウの疑問への答えです。私が打ち消されるのは魔力だけです。剣それ自体による斬撃は変わりません。非力といえど、剣で切られれば人の肉体は傷つきます。私は速度では上回っていましたから、不意をついて心臓を一撃すれば勝てる……はずだった」
公園での、あの一撃。あれは、セイバーにとってみれば、勝負の一撃だったということか……。
「……残念ながら、急所を狙ったものの避けられました。ですが、致命傷とはいかなくても痛手を与える一撃ではあったはず。それが――」
謎の波紋によって弾かれた。そして……それは、遠坂にも魔術として感知されなかった。ということは……
「何か別の力が、ジークフリートを守っている……」
「はい。そして、今の話を聞いた限りでは、それは――」
竜の血による不死の力である可能性が高い――!
「そんなの……反則じゃない……」
遠坂が呟く。その目は、見せつけられた戦力差に呆然としていた。
「――予定変更。明日は私の家で竜について調べるわ。セイバーも知ってる分は教えて。明日、日が昇ってる内に、少なくても竜の不死についてできるだけ調べましょう。アインツベルンはその後。いい?」
セイバーと同時に頷く。それしかないだろう。竜殺しのジークフリートと、竜殺しの魔剣グラムの組み合わせだけでも勝機がほとんどないのだ。この上、竜の血による鉄壁の防御など追加されたら、もうどう転んでも俺達に勝ち目はない。
気がつけば、もう夜中の1時を回っていた。さすがに今日はもう襲撃はないだろうが、現状で解散するのも不安だ。だ、だけど、いくら非常時とはいえ「今日泊まっていくか」とは……。
「というわけで士郎、今日からしばらくまた離れの客間に泊まりこむわね」
「え!? あ、い、いや別になにもやましいことなんて考えてないぞっ!? だ、だからその、今日は、う、家に……って、え? え?」
かーっと顔が赤くなっていくのが自分でも分かる。遠坂はくっくっと笑いながら
「え、何? やましいこと考えてたんだー衛宮くん?」
なーんて追い討ちをかけてきやがった。
「あ……あ、ぅ」
「さて、それじゃ私はお風呂使わせてもらってすぐ寝るわ。明日は早いんだから、士郎もセイバーも早く寝なさいね」
赤くなったり青くなったりしてるであろう俺を置いてけぼりに、遠坂はそれこそ勝手知ったる自分の家とばかりに居間を出ていってしまった。
「私も睡眠をとろうと思います。シロウも早く寝るようにしてください。それと」
セイバーは立ちあがりながら言う。
「先ほどは、ありがとう。……それでは、おやすみなさい、シロウ」
「……ああ、おやすみセイバー」
薄暗い天井を見上げながら、今日を反芻する。脳裏に浮かぶのは、あの魔剣と、白い勇士のことばかりだった。
魔剣グラム。神によってもたらされ、勇者を選定するその出自から見れば、セイバーの剣に勝るとも劣らぬ神聖な剣のはずである。しかし、余りにも多くの英雄の血を吸い、ただの一人の例外もなく持ち主に破滅をもたらし続けたその経歴は、どこからどうみても魔剣と呼ぶにふさわしいものだ。
――ジークフリートが炎の封印を解いたその瞬間、はっきりと視えたあの剣の本性。あの剣は、恐ろしい。何かとても、原初的な恐怖を呼び覚ます。
――ジークフリート本人よりも、なにか得体の知れない雰囲気を撒き散らしていた。
『切られる』
そう、最初に感じたのがそれだ。まるで自分がバラバラに解体されるような感覚。ありとあらゆる『切断』を凝集させたその力。それらを以って、進むべき道をも「切り」開く剣――――考えないようにしていたことがある。
あの剣を見たことで、そんなことを思い出してしまった。英雄となった未来の自分。理想に破れ、磨耗しきった心で、俺という偽善を否定したエミヤという男のこと。
――もし。もしあいつが。……自らの内より溢れ出した、究極の一を持っていたら。
――助けなければならない。そんな強迫観念に囚われながら、それでもがむしゃらに前へ進もうと
――あの炎のなかで一度死んだ心。それがたとえ、他者より与えられた偽りの願いだったとしても。その果てにある真実を、辿り着けぬ理想郷を。美しいと感じたから、信じることができたのではなかったのか。
それゆえ、お前の持つ『究極の一』は
――
究極の偽物《フェイク》
――
『無限の剣を含む世界《アンリミテッド・ブレイド・ワークス》』であるのだから――
「……」
白い英雄。彼は、何故あんなもの《グラム》を持っていながら、澄んだままでいられるのだろう。あの男には、危険が感じられない。圧倒的な威圧感と、何者を前にしても動じない姿勢は、相対したものには確かに恐怖をもたらすだろう。
――だが、それは、死を感じるが故の恐怖ではない。かつて、バーサーカーやギルガメッシュを前にしたときに感じたような、逃れえぬ死の気配というものが、あの男の与える恐怖からは感じられない。
それは、きっと。
あの英雄は、『純粋』だから。
揺らぐような信念などない。なぜなら、最初から『それ』しかない。
それほどの純粋な意志。
それが返って、恐怖のもととなる。なぜなら、そこまでの純度を持った意志というものを、普通の人間は持ち得ないからだ。彼は聖杯を求めると言った。
ならば、それは絶対だ。彼を止めるには倒すしかない。さもなければ必ず彼は聖杯を手にするだろう。他の結末はあり得ない。
そして、もしも倒されたそのときには、彼は笑いながら消える。
「――――」
予感とは、こういうことを言うのだろうか。魔剣グラム、竜殺しジークフリート。
――何かが、きっと変わる。
NEXT