Fate/dragon’s dream
Interlude 2-1
――風が吹く。新都の雑踏を見下ろすビルの屋上で、一人の男性が街を見下ろしていた。
白でまとめられた服。風になびく金髪。しなやかな筋肉によろわれた体躯に、見るものをハッとさせずにはおかせない端整な顔立ちは、いっそアンバランスとさえ言える。
――誰が知ろう。
この男こそジークフリート――最強の竜殺しと名高い、北欧最大の英雄である。アース神の長オーディンの直系にして、巨人族の血をも併せ持つ存在。その獲物を探るような青い瞳は、まっすぐに眼下の一点を見つめていた。
「――気に食わねぇな」
あたりにその声を聞くものは誰も居ない。それでも構わぬと言わんばかりに、彼は呟く。
「あそこだけ片付けたばっかの戦場跡みてぇだな……霊脈の凝集点だってのに不吉な」
その視線が捕らえるのは、冬木中央公園。前々回の聖杯戦争終焉の地であり、聖杯から溢れ出した呪いの泥による火災が発生した場所であった。
そんなことをジークフリートが知るはずもないのだが、彼の目はまるで過去に起こったことを見ているかのように険しかった。
「――それにしても尋常な呪いじゃねぇ、か」
水底に沈められた莫大なラインの黄金。ハーゲンはそれを手に入れることなく封じた。その後、この黄金は長くに渡って行方不明となるが、ジークフリートは死した後も、神々さえも蝕む呪いから離れることはできなかった。
ジークフリートという英雄の辿った運命は、ニーベルンゲンの財宝とあまりに密接に関わりすぎていたためであろう。すでにその災いは、ジークフリートという英雄を定義する一要素にさえなってしまっている。
もっとも、彼は頓着しなかった。そんなものは英霊となった今はもちろんのこと、生きていた時代ですら、意識したことがない。
かの呪いは、呪いを呼ぶ。運び来るは破滅の足音。そのことごとくを、彼は、愛剣と、そして竜の置き土産と共に切り開き、自らの運命としてきた。
それゆえ、彼は呪いに対して極めて敏感な嗅覚を持っている。その双眸は、もう10年も経つ場所に、未だこびりつく聖杯の中身――この世全ての悪《アンリ・マユ》――の気配を見ていた。
「――ヤツは確か……聖杯はサーヴァントの魂を回収する器……っつってたか、ファフ?」
途端。ジークフリートの身体から深青の霧が立ち上る。霧は英雄の横手に集まり、何かの姿を形作っていく。
――聖杯は、サーヴァントの魂が「英霊の座」に戻ろうとする力を集め、根源への孔を開ける装置、と言っていたな――
低い、地の底から響くような不吉な声が響いた。霧はいつしか、恐るべき姿をした、巨大な竜の頭をとりつつあった。
「――オイ」
――クク、どうしたシグ。昨夜は聖剣の一撃に臆したか。
それはよい。我も、竜の力を持つものが貴様を脅かすを見ると胸がすくわ――
ククク、と、霧が笑う。その霧に、ジークフリートは一歩踏み出すと
「遊んでんなクソトカゲッ!」
ドゲシッ!! 無造作に、ヤクザキックを繰り出した。
「わきゃあっ!?」
青い竜の頭をした霧のなかから、小柄な人影が蹴り出される。
「いったーい!! いきなりなにするのよぅ!!」
黄金の滝のように肩へ流れる長い金髪。透けるように白い肌。深い藍色のワンピースをまとい、同じ色のカチューシャをつけた少女が、涙目でジークフリートを睨んでいた。お尻をさすりさすり、恨みがましく口をヘの字に曲げる。
一見普通の女の子に見えるが、よく見るとおかしなものが目に付く。腰のあたりから伸びる太い尻尾。ウロコあるそれは、どう見ても恐竜や、大型の爬虫類のそれである。
少女の姿をとるそれは、竜が自らの血を用いてかけた呪である独立法鎧、『闇を抱く竜のまどろみ《ファフニール》』の制御システム。その名を、父竜の名を継ぎ、同じくファフニールという。幻想の結晶たる竜種だからこそ成し得た、他に類を見ない「生きた宝具」――その希少な例が、彼女であった。
「るせぇ、そんなに痛くねぇよ。ったく、そもそも昨夜のはてめーのせいだろうがファフ。もうちっと気合いれて仕事しろってんだ」
少女はムッとした顔で立ち上がった。自分の背丈を更に倍したあたりにあるジークフリートの顔を見上げて言う。
「なによぅー、あたしだってちゃんとがんばったじゃない。フィンの一撃なんて直撃したとこでどうってことないだろうけどさ、あの竜のサーヴァントが最後に飛び込んできたときは痛かったでしょ?」
フン、と鼻息荒く抗議する少女。
「それに、シグが竜にやられる分には別にいいんだもん。第一あたしの魔力は同族に効かないなんてこと、シグはよく知ってるでしょうが」
「心構えの問題だ心構えの! 何が『あーコレあたしムリだからあとよろしく』だ! ちっとは主をだなぁ、護る気迫ってもんを――」
「バッカじゃないの? 誰が主よ誰が! いっつもいっつもあっちからこっちから余計な面倒引き込んで。護る方の身にもなりなさいってのよ。シグはにぶちんさんなんだから、あたしがいなかったらすぐ血まみれになってひーこら言うに決まってるんだからねー」
「――て……てめぇ、言うにことかいて――! マトモな竜だったらぶった切ってやるところだぞこの寄生爬虫類!」
青筋立てて詰め寄るジークフリートに、笑いながら後ずさるファフニール。
「きゃあぁぁ~ショウジョギャクタイハンタイ! ちかよるなペド野郎~」
「………………ぃよぅし、よく言った。い~い覚悟だファフ。バツとして今日の晩メシは生野菜フルコースに決定。ははは、どうだ嬉しいだろう」
それを聞いた途端、ファフニールの顔色が服装と同じほど青くなる。
「え、えぇぇぇ!? ちょ、ちょっと待ったシグ、ごめん、ごめんなさいぃぃ」
「ニンジンの丸齧りか、ピーマンをそのまま食うか。キャベツっていうのもいいかもな。なにしろ野菜はたっくさん食わねぇとハラ減るからな」
「い、いやぁぁぁぁ~~……ううぅぅあたしが悪うございましたわようぅぅう……野菜なんて嫌いだよぉ~」
「分かりゃいいんだ分かりゃ」
「ううぅ……なんで味覚まで共有してんのよぉお~……。親父様ももっと別の、即効性ある呪いにしてくれればよかったのにぃぃぃ……」
ファフニールは床にがっくりと手をつき、よよよと泣き崩れる。それを満足げに見て、ジークフリートはふんと両手を組んだ。
「ま、いい。なーんかキナ臭いんだがな……。どっかで聞いたような話じゃねぇか。まさかとは思うが……。――考えすぎか。今の世で、しかもこんな極東で、あんなものが伝わっているはずもないしな。
とりあえず今日明日で他にいるはずのサーヴァントを探す。他にそれらしいもの、探知したかファフ」
「えぐっ……ん、ありがと……ううん、あたしが見た感じではいなかったよ。同族の魔力だったからあの人は見つけられたけど。普通のサーヴァントの気配だったらシグのほうが敏感じゃないの?」
無言で差し出されたポケットティッシュから一枚取り出し、ちーんと鼻をかむ竜の少女。
「ま、そうだがな。そういやアルトリアがおかしなことを言ってたか。聖杯戦争はもう終わったとかなんとか」
「あたしたち、もしかして思いっきりはずしちゃったとか」
「終わってんなら別にそれに越したことはねぇさ。だが、この身がここにある限り、少なくとも聖杯とやらが起動してんのは確かだ。それに、サーヴァントは一人確認した。いざとなったらアルトリアをぶっ殺せば、追っかけて魂の回収場所を探知できる。
……ま、どっちみちやっこさんは狩るがな。しばらく暴れさせて手間を省かせるか。あんだけ上物の獲物だったら放っておいても他に取られるってこたないだろうし」
「他の人たちは災難だよねぇ。シグなんて呼び出しちゃってさ」
「知るかよそんなの。んなことより分かんねぇのはアイツだ。マスターってのは魔術師じゃなかったのかよ。あんなもんでも『魔術師』に入んのか?
それになんで『聖杯はサーヴァントの魂を集めるための器』だとか『もともとは根源へ通じる孔』だとか、オレらに知らされねぇ事情まで知ってやがる? あまつさえ『しばらくここで調べることがあるから私は放っておいて独自で動け』だぁ? 令呪まで使って訳分からんな」
「でも大丈夫なのかな? サーヴァントってマスターやられちゃったら消えちゃうんでしょ?」
「消えるっつーか、ヤツの話だとゆ……聖杯の中とやらに行くんだろ。あんまり気分いいもんじゃねぇからどっちにしたって御免だが」
「じゃあ、放っておいたらマズいんじゃない? なんか結構本格的な魔術師の家っぽかったし、狙われたりしないかな? せっかく出て来れたんだからもうちょっと遊びたいなー」
「ヤツが大丈夫っつってんだから何か考えがあるんだろうよ。令呪使われてるから場所の記憶もトンでやがるし。
ま、そのうち思い出すだろ。その前に連絡が入るかもしれねぇ。ヤツの言うとおり例の教会をねぐらに独自で動いた方が効率よさそうだ。あそこも霊脈の凝集点だから、いざとなったら霊体になっときゃまずバレねぇ」
「でもなんか改修工事しててどんちゃんうるさいじゃない。外装だけみたいだからあたしたちが暮らす分には問題ないけどさー」
「いちいちゼータク言ってんじゃねぇよ。台所がつかえるだけありがたいと思え。それに、あの工事のおっさんたちには暗示かけておいたから多少は静かになるだろ。っつーかオレ達メシ食う必要なんかほんとはないんだぞ? 知ってたかファフ」
「だったらなんでわざわざ野菜なんて食べるのよ!! 意味ないじゃない!!」
がぁーと吼えるファフニールをジークフリートは面白くもなさそうに眺めた。
「もちろん駄竜の躾のためだろうが」
ガックリと肩を落とすファフニールを尻目に、ジークフリートは歩き始める。
「――ま、とりあえず動くとするか。いくぞファフ」
「シグ」
「あん?」
歩き始めた英雄の背中に、少女が声をかけた。
「晩御飯は焼肉がいいなっ」
――Interlude out
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