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ガトリング砲 - Wikipedia

ガトリングほう(ガトリングほう)、ガトリングじゅう(ガトリングじゅう)またはガトリングガンは、1861ねんアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく発明はつめいリチャード・ジョーダン・ガトリングによって製品せいひんされた火器かき一種いっしゅ

ガトリングほう
1865ねんがたガトリングほう
種類しゅるい 速射そくしゃほう
はら開発かいはつこく アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく
運用うんよう
配備はいび期間きかん 1862ねん-1911ねん
配備はいびさき オーストリア=ハンガリー帝国ていこく
イギリス帝国ていこく
カナダの旗 カナダ
フランスの旗 フランス
日本の旗 日本にっぽん
ペルーの旗 ペルー
ロシア帝国の旗 ロシア帝国ていこく
アメリカ合衆国の旗 アメリカ
関連かんれん戦争せんそう紛争ふんそう 南北戦争なんぼくせんそう, 太平洋戦争たいへいようせんそう, べい西にし戦争せんそう, にち戦争せんそう,戊辰戦争ぼしんせんそう
開発かいはつ
開発かいはつしゃ リチャード・ジョーダン・ガトリング
しょもと
重量じゅうりょう 77.2 kg (ほう弾倉だんそう弾薬だんやくのぞく)
全長ぜんちょう 107.9cm
銃身じゅうしんなが 67.3cm
要員よういんすう 4にん
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複数ふくすう銃身じゅうしん人力じんりき外部がいぶ動力どうりょく電気でんき油圧ゆあつ)で回転かいてんさせながらきゅうだん装填そうてん発射はっしゃはいさいかちのサイクルをかえして連続れんぞくてき発射はっしゃする。

固有名詞こゆうめいしとしての「ガトリングほう」はガトリングが発明はつめいしてアメリカで製造せいぞうされ、20世紀せいき初頭しょとうまで使用しようされた連射れんしゃ可能かのう銃砲じゅうほうを、広義こうぎにはどう時代じだい他国たこくでそのレプリカとして製作せいさくされた火器かきす。より広義こうぎにはそれと同様どうよう連射れんしゃ構造こうぞう機関きかんほう機関きかんじゅう)の総称そうしょうとして、「ガトリングほう(Gatling gun)」という呼称こしょうもちいられている。20世紀せいき後半こうはんあらわれた外部がいぶ動力どうりょくしきのものは「rotary cannon」、「rotary autocannon」ともばれる。以降いこう機関きかんじゅうほう)の形式けいしきとしての「ガトリングほう」についても記述きじゅつする。

歴史れきし構造こうぞう

編集へんしゅう
 
ミトラィユーズほうフランス軍事ぐんじ博物館はくぶつかん所蔵しょぞう

原始げんしてきじゅう時代じだいから、多数たすう銃身じゅうしんならべて斉射せいしゃするアイデアが存在そんざいし、ガトリングほう登場とうじょうした時期じきにもミトラィユーズほう日本にっぽんでは「蜂巣はちすほう」とんだ[1])としてられる砲身ほうしんの「斉射せいしゃほう」が存在そんざいしていた。しかし、斉射せいしゃほう構造こうぞう複雑ふくざつすぎたため信頼しんらいせいひくく、普及ふきゅうしなかった。

ガトリングほう発明はつめいされた当時とうじのアメリカは、欧州おうしゅうして軍事ぐんじてき後進こうしんこくだったため、依然いぜんとして戦列せんれつ歩兵ほへいしき歩兵ほへい運用うんようつづいており、てきへい密集みっしゅうした陣形じんけいんでかってくる存在そんざい認識にんしきされていた。こうした密集みっしゅうしたてきへいたいしては、大砲たいほうから霰弾などの対人たいじんだんびせる攻撃こうげきむかしからおこなわれていた。そこで、ガトリングのアイデアは、銃身じゅうしん環状かんじょうならべて回転かいてんさせ、金属きんぞく薬莢やっきょう使用しようするのちそうしき閉鎖へいさ機構きこうきゅうだん機構きこうをこれにわせたものであり、それまでの斉射せいしゃほうとはまったことなる構造こうぞうの「連発れんぱつほう」だった。

ガトリングほうには複数ふくすう砲身ほうしん環状かんじょう配置はいちされ、人力じんりきでクランクを回転かいてんさせると、連続れんぞくしてきゅうだん装填そうてん発射はっしゃはいさいかちのサイクルが進行しんこうする構造こうぞうであり、射撃しゃげき斉射せいしゃではなく連続れんぞくしておこなわれた。銃身じゅうしん複数ふくすうにしたことで、1ほんたりの発射はっしゃ頻度ひんどひくくてむため、のち開発かいはつされたたん砲身ほうしん機関きかんほう機関きかんじゅう欠点けってんであった、過熱かねつによってしょうじる様々さまざま問題もんだいライフリング急速きゅうそく磨耗まもう弾頭だんとう周囲しゅういからのガスれによる作動さどう不良ふりょうなど)が発生はっせいしにくい構造こうぞうになっている。一方いっぽうで、砲身ほうしんのためおも設置せっち操作そうさには複数ふくすう兵士へいし必要ひつようで、小型こがたほうみのサイズとなり軽便けいべんさにけるという欠点けってんがあった。

初期しょきのガトリングほうは、真鍮しんちゅうせい薬莢やっきょうもちいる弾薬だんやく普及ふきゅうしていなかったため、かみつつんだなまりだま鉄製てつせい薬莢やっきょうおさめた専用せんよう弾薬だんやく一緒いっしょ販売はんばいされていた。1862ねんかたでは、固定こていしき弾倉だんそうかみつつんだなまりだん内蔵ないぞうするてつせい薬莢やっきょう実包じっぽうをバラで投入とうにゅうするきゅうだん方式ほうしきであった。その各種かくしゅ金属きんぞく薬莢やっきょうしき弾薬だんやく普及ふきゅうはじめると、これを使用しようするタイプが製造せいぞうされるようになり、1865ねんかたからは口径こうけい0.58インチの真鍮しんちゅう製薬せいやくさいかち実包じっぽうをバネをもちいずその自重じちょうとしきゅうだんするはこがた弾倉だんそうしきわり、これ以外いがいにも必要ひつようおうじて上部じょうぶから実包じっぽう次々つぎつぎ装弾そうだんクリップしきもあり、各国かっこく輸出ゆしゅつされるようになった。

ぜんそうしき小銃しょうじゅう主流しゅりゅうだった南北戦争なんぼくせんそう当時とうじ、ガトリングほうつ200はつ/ぶん連射れんしゃ速度そくど驚異きょういてきであり、1866ねんぐんによって採用さいようされる以前いぜんから、セールスエンジニアが戦場せんじょうにガトリングほうみ、実際じっさいてきへいみなみぐん)をってせる実戦じっせん参加さんかデモンストレーションがおこなわれた。

 
1876ねんがたガトリングほう米国べいこく国立こくりつ公園こうえんきょく所蔵しょぞう

初期しょきのガトリングほう射撃しゃげきちゅう射手しゃしゅ一定いってい速度そくどでクランクをまわさないと弾丸だんがんまりをこしやすく、また回転かいてん速度そくどげすぎると、過熱かねつによる部品ぶひん破損はそん危険きけんがあった。このため1893ねんには電動でんどうモーターにより一定いっていのペースをたもって射撃しゃげきできるタイプが開発かいはつされたが、当時とうじのモーターやバッテリーはまだ重量じゅうりょう過大かだい信頼しんらいせいひくく、さらに重量じゅうりょうし、かえってあつかいがむずかしくなってしまった。時代じだい航空機こうくうきようとしてまれわったガトリングほうでは、部品ぶひん精度せいど材質ざいしつ改善かいぜんされ、外部がいぶ動力どうりょくのため不発ふはつ発生はっせいしても強制きょうせいはいさいかちして射撃しゃげき持続じぞくできるという利点りてんがあった。

しかし、南北戦争なんぼくせんそう双方そうほう使用しようしたエンフィールドじゅう代表だいひょうされるミニエーしき小銃しょうじゅう強力きょうりょく殺傷さっしょうりょくが、戦列せんれつ歩兵ほへいしき歩兵ほへい運用うんようすたれさせると、歩兵ほへい密集みっしゅうしてかってくる存在そんざいから、散開さんかいしながら接近せっきんしてくる存在そんざいわってしまい、機動きどうせい軽便けいべんさにけるガトリングほう野戦やせんでは徐々じょじょ有効ゆうこうせいうしなってしまった。また、射手しゃしゅはクランクをまわして操作そうさするために射撃しゃげき姿勢しせいたかく、狙撃そげきけやすいという問題もんだいもあった。ガトリングほう威力いりょく発揮はっきできたのは、てきへい突撃とつげき仕掛しかけてきたさい拠点きょてん防衛ぼうえいよう海戦かいせんにおいてであり、敵艦てきかん甲板かんぱん掃射そうしゃして乗組のりくみいん殺傷さっしょうしたり、せっふなばた攻撃こうげき仕掛しかけてきたてきむかつのには大変たいへんてきしており、イギリスロシア帝国ていこくは、植民しょくみんでの海賊かいぞく撃退げきたいようにこれを活用かつようした。

機動きどうせい射手しゃしゅ防御ぼうぎょ問題もんだい解決かいけつするため、イギリスのエジプト駐留ちゅうりゅうぐんでは、四方しほう鉄板てっぱんおおった装甲そうこう列車れっしゃせて使用しようしていた。また、「キャメルガン」の名称めいしょう駱駝らくだ背中せなかせられるほど軽量けいりょうしたことをアピールしたタイプや、ドーナツがた弾倉だんそう使用しようするものや銃身じゅうしん短縮たんしゅくさせた“ブルドッグ”とばれたタイプも登場とうじょうした。

やがて、マキシム機関きかんじゅうブローニングじゅう機関きかんじゅうといった、たん銃身じゅうしん軽量けいりょうじゅう機関きかんじゅう出現しゅつげんすると、大型おおがたおもいガトリングほう一挙いっきょ旧式きゅうしきした存在そんざいとなった。また、燃焼ねんしょうカスが大量たいりょう発生はっせい銃身じゅうしんあたりの連射れんしゃすう限界げんかいひく黒色こくしょく火薬かやく褐色かっしょく火薬かやく実包じっぽうから、清掃せいそうしでも連射れんしゃすう比較的ひかくてきおお無煙むえん火薬かやく実包じっぽうへのえもおおきく寄与きよしている。

これらのたん銃身じゅうしん機関きかんじゅうは、発射はっしゃ反動はんどうやガスあつといった内部ないぶ動力どうりょく利用りようしているため、ガトリングほうよりも小型こがた軽量けいりょうでありながら、ベルトきゅうだん機構きこうによって長時間ちょうじかん持続じぞく射撃しゃげき可能かのうであり、とくにマキシム機関きかんじゅうは、みずタンクで銃身じゅうしんおおって冷却れいきゃくする構造こうぞうとなっており、19世紀せいき水準すいじゅんつくられたガトリングほうよりもたか工作こうさく精度せいど製造せいぞうされ、信頼しんらいせいたかく、ボーア戦争せんそうにち戦争せんそうだいいち大戦たいせんたか戦果せんかげた。そして、なお重量じゅうりょう過大かだいであったじゅう機関きかんじゅうから、一人ひとり携行けいこう射撃しゃげき可能かのうけい機関きかんじゅうたん機関きかんじゅう登場とうじょうした。

ガトリングほう1950年代ねんだい航空機こうくうきよう機関きかんほう後述こうじゅつ)として復活ふっかつしたほか、手回てまわしきのガトリングほうはアメリカのしゅうによっては法的ほうてき規制きせいされる自動じどう火器かきには該当がいとうしないため、22LRだんもちいたミニチュアのガトリングほうが、手軽てがるにフルオート射撃しゃげきたのしみたい人々ひとびとけて市販しはんされている。

日本にっぽんにおけるガトリングほう

編集へんしゅう

日本にっぽんでは戊辰戦争ぼしんせんそうにおいての河井かわい継之助つぐのすけひきいた長岡ながおかはんへいが、ガトリングほう実戦じっせん使用しようした記録きろくがある[2]河井かわい戊辰戦争ぼしんせんそうにおける獨立どくりつとくぎょう目指めざし、先進せんしんてき軍備ぐんび整備せいびつとめて軍制ぐんせい改革かいかくおこない、スイスのファーブル・ブランド商会しょうかいからガトリングほう入手にゅうしゅした。当時とうじスネル兄弟きょうだいなどの欧米おうべい武器ぶき商人しょうにん欧米おうべいでは旧式きゅうしきとなった銃器じゅうき販売はんばいしていたが、当時とうじ最新さいしん兵器へいきであったガトリングほう日本にっぽんに3もんしか存在そんざいせず、そのうち2もん長岡ながおかはん所持しょじしていたことになる[3][4][5][6][7][8][9]

戦場せんじょうでは河井かわい自身じしんもガトリングほうって応戦おうせんしたとつたえられており、攻撃こうげきけた当初とうしょしん政府せいふぐん部隊ぶたいおおきな損害そんがいしたとされるが、その効果こうか局地きょくちてきなものでわり、野戦やせんにおいてガトリングほう使用しようした河井かわい目論見もくろみは、コストパフォーマンスわる結果けっかわった。

幕府ばくふ米国べいこくから購入こうにゅうし、しん政府せいふいだ軍艦ぐんかんきのえてつ」に搭載とうさいされていたガトリングほうは、1868ねん同艦どうかんたい榎本えのもとぐん軍艦ぐんかん回天かいてんまる」の乗員じょういんせっふなばた攻撃こうげきをかけたさい反撃はんげきもちいられたとされているが、『薩藩海軍かいぐん』にはきのえてつ乗組のりくみいんであった山県やまがた小太郎こたろうの「『ガトリングほう』にあらず、小銃しょうじゅうをもって射撃しゃげきせり」という発言はつげん記載きさいされており、実際じっさい使つかわれたかどうかは不明ふめいである。

1874ねん4がつ北海道ほっかいどう開拓かいたく使がアメリカから2てい購入こうにゅう、8がつにはユリシーズ・グラント大統領だいとうりょうから明治天皇めいじてんのうたいし1てい贈呈ぞうていされている。

その発足ほっそくした日本にっぽん陸軍りくぐんでは、台湾たいわん出兵しゅっぺい[10]西南せいなん戦争せんそう[11]でガトリングほう実戦じっせん投入とうにゅうされたこと記録きろくされている。

西南せいなん戦争せんそうのち記録きろく途絶とだえ、台湾たいわん総督そうとく反乱はんらん鎮圧ちんあつよう常備じょうび[12]していたことや、にちしん戦争せんそうにち戦争せんそうきよしぐんぐん使用しようしていたものを日本にっぽんぐん鹵獲ろかく[13]した記録きろくなどが散見さんけんされる。

1920ねんニコラエフスクパルチザン占領せんりょうされ日本人にっぽんじん居留民きょりゅうみん駐留ちゅうりゅう日本にっぽんぐんがロシアじんとともに殺戮さつりくされたあまみなと事件じけんさいには、中国ちゅうごく海軍かいぐんから日本にっぽんぐん砲撃ほうげきのためにパルチザンに貸与たいよされたガトリングほう日本にっぽん領事館りょうじかん攻撃こうげき利用りようされた[14]

航空機こうくうきよう火器かきとしての復活ふっかつ

編集へんしゅう

戦闘せんとうしゅ武装ぶそうは、最初さいしょからたん銃身じゅうしん機関きかんじゅう機関きかんほう主流しゅりゅうであった。高速こうそく飛行ひこうする物体ぶったいおなじく高速こうそく飛行ひこうする物体ぶったい正確せいかく射撃しゃげきすることはきわめて困難こんなんであり、多数たすう弾丸だんがんをばらまくことで命中めいちゅうりつたかめるのが必然ひつぜん選択せんたくであった。戦闘せんとう黎明れいめい当時とうじは、すでにガトリングほう陳腐ちんぷした兵器へいきであり、戦闘せんとうへの搭載とうさいなどかんがえられもしなかった。

しかし、1930年代ねんだいからぜん金属きんぞくせい軍用ぐんよう普及ふきゅうすると、防弾ぼうだん能力のうりょく付与ふよおこなわれるようになり、戦闘せんとう搭載とうさい機関きかん銃砲じゅうほうはこれに対応たいおうすることがもとめられた。これにたいして、おもえいべいしょう口径こうけい機関きかんじゅう多数たすう搭載とうさいすることで対処たいしょしたが、搭載とうさい位置いちはなれた機関きかんじゅうせんを、目標もくひょうぶつ集中しゅうちゅうさせるには、その射程しゃていかぎられるという問題もんだいがあった。おもドイツ機関きかんほうだい口径こうけい対応たいおうしたが、弾丸だんがん速度そくど軌道きどうめんで、ひいては命中めいちゅうりつしょう口径こうけいじゅうおとるという欠点けってんがあった。同時どうじ軍用ぐんよう速度そくど高速こうそくし、そのてんでも命中めいちゅうりつ低下ていか問題もんだいであった。

1940年代ねんだいなかばからジェット機じぇっとき実用じつようされると、プロペラの干渉かんしょう問題もんだいくなったため、戦闘せんとうにおいては胴体どうたい部分ぶぶん多数たすう機銃きじゅう集中しゅうちゅう配備はいびするようになり、せん問題もんだいについてある程度ていど解決かいけつがなされたが、まだ不十分ふじゅうぶんであった。同時どうじ軍用ぐんよう高速こうそく構造こうぞう強化きょうか一層いっそう進展しんてんしたため、あらたな対処たいしょせまられた。

だい世界せかい大戦たいせん末期まっきにドイツで開発かいはつされたリヴォルヴァーカノンは、有効ゆうこう解決かいけつ手段しゅだんおもわれた。砲身ほうしん単一たんいつであるが発射はっしゃ速度そくど従来じゅうらい機関きかんほうすうばい向上こうじょうし、しょう口径こうけい機関きかんほう多数たすう装備そうびするのと同等どうとう効果こうかを、命中めいちゅうりつ低下ていかなしで達成たっせいするものである。戦後せんご欧米おうべい諸国しょこくひろ普及ふきゅうした。

 
ガトリングほう発展はってんがたであるM61 バルカン
 
A-10サンダーボルトII搭載とうさいされたGAU-8・30mmガトリングほう、アヴェンジャー(対地たいちよう

この趨勢すうせいなかアメリカ空軍くうぐんは、リヴォルヴァーカノンよりたか発射はっしゃ速度そくどもとめて、ガトリング方式ほうしき着目ちゃくもくし、陸軍りくぐん博物館はくぶつかん倉庫そうこにあった骨董こっとうひんのガトリングほう電動でんどうモーターをけたものを作成さくせい実験じっけんおこない、期待きたい以上いじょうおおきな発射はっしゃ速度そくど弾丸だんがん集中しゅうちゅうてき着弾ちゃくだんによる強力きょうりょく破壊はかい効果こうか確認かくにんした。有効ゆうこうせいみとめられたガトリングほうは、ゼネラル・エレクトリックしゃせいM61/M61A1「バルカン」(製品せいひんめいべいGE製品せいひんだが商標しょうひょう登録とうろくはスイス・エリコンしゃ)として完成かんせいし、現在げんざいいたる。

M61/M61A1「バルカン」や同種どうしゅ機構きこう外部がいぶ動力どうりょくしき自動じどう火器かき短時間たんじかん実包じっぽう大量たいりょう消費しょうひするため、きゅうだん機構きこうベルトコンベヤーのような構造こうぞうをしている。 たん銃身じゅうしん機関きかんじゅう採用さいようされているリンクベルトはガトリングほうでは弾薬だんやく消費しょうひのスピードがはやすぎるため、張力ちょうりょくえられず使用しようできないことから「レールきゅうだん」(ほう弾倉だんそうチューブつなぎ、そのなか弾倉だんそうない砲弾ほうだん電動でんどうモーターでおくす)方式ほうしきもちいられる。

反面はんめん、ガトリングほう根本こんぽんてき欠陥けっかんである重量じゅうりょう過大かだい構造こうぞう複雑ふくざつさによる信頼しんらいせいひくさ、またM61が使用しようする20mmだん一発いっぱつあたりの破壊はかいりょくひくさ、そして「ちょう高速こうそくジェット機じぇっとき同士どうし空戦くうせんでは、ガトリングほう回転かいてん作動さどうはじめてからきゅうだん発射はっしゃされるまでのほんの一瞬いっしゅんあいだでさえ、おくれをとって勝敗しょうはいけてしまう」欠点けってん指摘してきされている。そのため欧州おうしゅう戦闘せんとうにおいては、20mmだい~30mm口径こうけいのリヴォルヴァーカノンが現在げんざい採用さいようされている。

ミサイル万能ばんのうろんと「バルカン」

編集へんしゅう

M61 バルカン開発かいはつから10ねんほど経過けいかしていたベトナム戦争せんそう当時とうじには、アメリカ空軍くうぐん戦闘せんとうにガトリング形式けいしき自動じどう火器かき搭載とうさいされたすくなかった。また、当時とうじ製造せいぞうされたF-4をはじめ一部いちぶ戦闘せんとう初期しょき設計せっけいでは機関きかんほうるい搭載とうさいされていなかった。

これは当時とうじ流行りゅうこうした「航空機こうくうき高速こうそくして機銃きじゅう機会きかいはなくなり、こう精度せいどしたミサイルによりその必要ひつようもなくなる」という戦術せんじゅつ思想しそうもとづくミサイル万能ばんのうろん影響えいきょうによるもので、航空機こうくうきまれる機関きかんじゅう機関きかんほう対地たいち攻撃こうげき用兵ようへいとしてとらえられるようになっていた。

だが、実戦じっせんはじまると、ミサイル万能ばんのうろん楽観らっかんてきであったことが以下いかのような事例じれい確認かくにんされた。

ミサイルの命中めいちゅうりつ信頼しんらいせいひく
技術ぎじゅつてき過大かだい評価ひょうかとベトナムの高温こうおん多湿たしつによる品質ひんしつ低下ていか
実際じっさい携行けいこうされるミサイルのすくなさにくわえ、運用うんようコストのたか
最大さいだい8はつのミサイルを搭載とうさいできるでも、戦術せんじゅつじょう都合つごう使用しようミサイルがコストぞうまねくなどの理由りゆうもあって最大さいだい積載せきさいりょうまで満載まんさいされることはまずなく、きよし々4〜6はつしか搭載とうさいされていなかった。戦闘せんとう使用しようしなくても、出撃しゅつげきもちいられたミサイルは帰還きかん整備せいびようするためである。またミサイルは重量じゅうりょうがあるためおお積載せきさいすればそれだけ航空機こうくうき運動うんどう性能せいのう低下ていかしたほか、よりおおくの燃料ねんりょう消費しょうひした。さら空母くうぼ航空こうくうだんでは、航空こうくう母艦ぼかん場合ばあいせま飛行ひこう甲板かんぱんじょうでの事故じこ防止ぼうしのため使用しようのミサイルをかんまえ投棄とうきせねばならなかった。
アメリカぐん当初とうしょ交戦こうせん規定きていでは「視程していがい攻撃こうげき」を禁止きんし
目視もくしまえのレーダー捕捉ほそくのみによる攻撃こうげきゆるされなかったため、結果けっかてきによる目視もくし回避かいひされる機会きかいやした。
任務にんむじょう問題もんだい
せいそら戦闘せんとうばくげき護衛ごえい任務にんむである以上いじょう、そのまることが要求ようきゅうされた。きたベトナムがわはミサイルをぜんたま発射はっしゃしたのちかえることができたが、アメリカがわにはそのような作戦さくせん行動こうどうゆるされなかった。
機関きかんほう有効ゆうこうせい
実際じっさいには機関きかんほうよう照準しょうじゅん装置そうち飛躍ひやくてき進歩しんぽしており、高速こうそくした戦闘せんとう同士どうし戦闘せんとうでも、十分じゅうぶん能力のうりょく発揮はっきできた。攻撃こうげき搭載とうさいする機関きかんほうですら、たい戦闘せんとう自衛じえい戦闘せんとう予想よそうがいおおきな効果こうかげたことが確認かくにんされた。
戦術せんじゅつ想定そうていあやま
想定そうていことなり実際じっさいドッグファイトときは、ちょう音速おんそく飛行ひこうはあまりおこなわれず、音速おんそくやそれ以下いか速度そくどおこなわれている。

こうしてたか連射れんしゃ性能せいのうつガトリング形式けいしき自動じどう火器かきそら対空たいくう兵器へいきとしての地位ちいもどした。アメリカ空軍くうぐんさい新鋭しんえいF-22Aステルス戦闘せんとうにも、砲身ほうしん延長えんちょう機関きかん改良かいりょうおこなわれたM61A2が搭載とうさいされている。航空機こうくうき搭載とうさいきわする携行けいこうだんすうは、全力ぜんりょくてば1ふんたずにくす程度ていどたますうやく600〜700はつ程度ていどF-4F-14F-15EF-16F/A-18、F-22とう)だが、ごく一部いちぶ機体きたいやく1,000はつ搭載とうさいできた(F-105、F-15C)。

きゅうソ連それんでも1960年代ねんだい以降いこうGSh-6-30 30mmガトリングしき航空こうくう機関きかんほうもちいられたが、対地たいちロケットだん対地たいちミサイルをおぎな対地たいち掃射そうしゃようであり、これは現在げんざいでもある程度ていど継続けいぞく使用しようされているが、搭載とうさいしている機種きしゅ減少げんしょうしている。そら対空たいくう機関きかんほうとしては1970年代ねんだいなかばまでは23〜37ミリのだい口径こうけいガストしき機関きかんほう2〜3もん装弾そうだんすうかく100はつ程度ていど)を搭載とうさい、それ以降いこう機関きかんほう一貫いっかんして30ミリたん砲身ほうしんGSh-30-1搭載とうさいすう一門いちもん携行けいこうだんすうは100〜150はつ)がもちいられており、MiG-31をのぞいてはそら対空たいくうようとしてガトリングほうもちいることはかった。

今日きょうのガトリングしき機関きかんほうは、前述ぜんじゅつそら対空たいくう機関きかんほうとしての用途ようとくわえ、その速射そくしゃせいから、海上かいじょう対空たいくう兵器へいきとしてのCIWSや、そら対地たいち兵器へいきとして攻撃こうげき攻撃こうげきヘリコプターなどにも搭載とうさいされ、活用かつよういきふたた拡大かくだいしている。

種類しゅるい

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アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく

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GAU-8 アヴェンジャー
口径こうけい30mm - 7銃身じゅうしん対戦たいせんしゃ攻撃こうげきよう開発かいはつされ、A-10攻撃こうげき搭載とうさいCIWS一種いっしゅであるゴールキーパーにも使用しよう
GAU-12
口径こうけい25mm - 5銃身じゅうしんAC-130ガンシップひとし搭載とうさい
GAU-19
口径こうけい12.7mm - 3銃身じゅうしん
 
UH-1N搭載とうさいされたGAU-17ミニガン
GAU-17 M134 ミニガン
口径こうけい7.62mm - 6銃身じゅうしん空軍くうぐんでの名称めいしょうはGAU-2B/A。ヘリコプターのドアガン車載しゃさい機銃きじゅうとして使用しようされる。歩兵ほへいによる運搬うんぱん運用うんよう目指めざして、より小型こがたのXM214「ミニミニガン」または「マイクロガン」とばれる5.56mm NATOだんはんミニガンも試作しさくされたが、じゅう本体ほんたいだけで12.25kg、弾薬だんやく装備そうび重量じゅうりょうでは30kgをえるものであった。本来ほんらい2めい運搬うんぱんじゅうけられてじゅう機関きかんじゅうとして運用うんようされる火器かきであり、また弾薬だんやく以外いがい駆動くどうよう大型おおがたバッテリーが必要ひつようで、映画えいがのように個人こじん手持てもちで保持ほじ射撃しゃげきするのは不可能ふかのうである。(→XM214ないしM134項目こうもく参照さんしょう
GAU-22/A
口径こうけい25mm - 4銃身じゅうしんF-35Aひとし搭載とうさい
M61 バルカン
口径こうけい20mm - 6銃身じゅうしん戦闘せんとうよう開発かいはつされ、のち海軍かいぐんCIWSであるファランクスシステムにも使用しよう
M197
口径こうけい20mm - 3銃身じゅうしんAH-1 コブラひとし搭載とうさい。M61の系列けいれつ

ソビエト連邦れんぽう・ロシア連邦れんぽう

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GSh-6-30
口径こうけい30mm - 6銃身じゅうしんMiG-27搭載とうさい。また、海軍かいぐんのCIWSであるAK-630コールチク(カシュタン)もちいられているAO-18機関きかんほうのベースにもなっている。
GSh-6-23
口径こうけい23mm - 6銃身じゅうしんSu-24MiG-31搭載とうさい
YakB-12.7
口径こうけい12.7mm - 4銃身じゅうしんMi-24DやMi-24Vに搭載とうさい
GShG-7.62英語えいごばん
口径こうけい7.62mm - 4銃身じゅうしんガンポッド装備そうび

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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出典しゅってん

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  1. ^ 陸軍りくぐんしょうだい日記にっき にちしん戦役せんえき
    明治めいじ27ねん9がつ12にちいたり明治めいじ28ねん4がつ2にち
    だい1ぐん 戦闘せんとう詳報しょうほう
    分捕ぶんど兵器へいき弾薬だんやく取調とりしらべ明細めいさいひょう 名称めいしょう 個数こすう 七珊知米突克慮伯野砲 同山どうさんほう しょう口径こうけいかつおもんばかはくしき山砲さんぽう ガットリング@発砲はっぽう どう蜂巣はちすほう 七珊知米突野山砲榴弾 どう榴発だん どう霰弾 しょう口径こうけい山砲さんぽう榴弾りゅうだん しょう口径こうけい山砲さんぽうとんがたま 火薬かやく
  2. ^ 歴史れきしうごかした兵器へいき武器ぶきすごはなし』149ぺーじ
  3. ^ 河井かわい継之助つぐのすけ生涯しょうがい』、pp.175-176
  4. ^ 展示てんじひん紹介しょうかい河井かわい継之助つぐのすけ記念きねんかん(2018.9.3アクセス)
  5. ^ 河井かわい継之助つぐのすけ福島ふくしまけん観光かんこう交流こうりゅうきょく観光かんこう交流こうりゅう(2018.9.3アクセス)
  6. ^ 河井かわい継之助つぐのすけ 北越ほくえつ戦争せんそう長岡ながおかじょう奪還だっかん 信念しんねんつらぬ武士ぶしどう産経さんけいニュース(2018ねん4がつ30にち)-2018ねん9がつ26にち閲覧えつらん
  7. ^ 長岡ながおか歴史れきし事典じてん』、p.65
  8. ^ 鈴木すずきそうすすむ日記にっき慶応けいおう4ねん5朔日さくじつじょう(『河井かわい継之助つぐのすけでん、p.278』)
  9. ^ 歴史れきしへの招待しょうたい14』、pp.8-9、p.17、p.29
  10. ^ 単行たんこうしょところしげる始末しまつきのえいぬよんがついちだいさつ
    蕃地ばんち事務じむきょく 明治めいじ7ねん4がつ7にち
    陸軍りくぐんしょう御中おんちゅう 開拓かいたく使 カツトリンクほうてい附属ふぞくひんトモ代価だいかべつつう洋銀ようぎんななせんななひゃくじゅうどるじゅうセントがいみぎかい入方いりがたづけ入費にゅうひきんじゅうななえんきゅうじゅうきゅうぜに洋銀ようぎんじゅうどるななじゅうセントしょうかけこうゆうゆう前書ぜんしょななせんななひゃくどるあまりぶんかい約定やくじょう致シこうマデ@テ払出はらいだし相成あいなこうあいだしょうかい相成あいなこうハ丶直ニウオルスフオール商会しょうかいはらい下相おりあいなりこうさまそんこうとう使つかいえつこうテモささえこれこう此段及御掛合かけあいこう也 カツトリングほう二挺砲台大薬価付精算 いちインチ弾丸だんがんカツトリングほう一挺并附属品 代価だいかせんどる よんじゅうカリブル弾丸だんがん直径ちょっけいカツトリングほう一挺同断右十二函入 代価だいかせんひゃくどる よんじゅうカリブルはりどうせい弾丸だんがんいちまんはつ 捨函 代価だいかさんひゃくきゅうじゅうどるさんせんはちひゃくきゅうじゅうどる 相場そうばたがえふんげん ひゃくきゅうじゅうよんどるじゅうぜに〜」

    単行たんこうしょところしげる始末しまつきのえいぬよんがつさんだいななさつ
    蕃地ばんち事務じむきょく 明治めいじ7ねん明治めいじ8ねん
    明治めいじななねんよんがつじゅうななにち横濱よこはまぼたんそだてせんニテゆいやく 日本にっぽん政府せいふ名代なだいトシテどう政府せいふためごく上品じょうひんはやごうガットリング炮実まるカリブルすうじゅうまんガットリンクごうじゅうまんよせヘキむねヲシ、エ、ジファウルブラント商社しょうしゃ一命いちめいシタリはやあいあたい米國べいこく元価げんか船積ふなづみりょう運送うんそう手数料てすうりょう并海じょう危険きけんりょうヘ其上シエジファウルブラント商社しょうしゃ口銭こうせんトシテごうふんあずかフヘシ 前記ぜんきごう非常ひじょう事件じけんアルノそとやくしょ調印ちょういんにちヨリやくケ月かげつうち横濱よこはまニテ引渡スヘシ 前記ぜんきごう注文ちゅうもんスルニハ電信でんしんもちいフルニヨリ電信でんしんりょう日本にっぽん政府せいふニテはらえもどスヘキごと シエンファーウルブラント 大蔵おおくらきょう大隈おおくまいのちいんテ シダップリユリゼンドル 証人しょうにん イエムヒライ」

  11. ^ 陸軍りくぐんしょうだい日記にっきだい日記にっき ほうこう 3がつ 陸軍りくぐんしょうだい1きょく
    陸軍りくぐんしょう 明治めいじ10ねん3がつ4にち
    ほうだいきゅうじゅうはちごう カットリングもん以下いか福岡ふくおかおくづけみなみせき出張しゅっちょうさき福原ふくはら大佐おおさヨリ別紙べっし通電つうでんほうゆうこうづけさるえつつうおくこう哉此だんしょう伺候しこう明治めいじじゅうねんさんがつよんにち 砲兵ほうへいほんしょうつつみ陸軍りくぐん大佐たいさ大築おおつき尚志ひさし 陸軍りくぐんきょう殿どの代理だいり陸軍りくぐん少将しょうしょう西郷さいごう従道つぐみち殿どの 伺ノどおり ただし臼砲きゅうほう二門榴弾百発焼弾百発木管属具共並ニカットリングほう二門弾薬六千五百発至急送達可致事 さんがつにち

    陸軍りくぐんしょうだい日記にっきだい日記にっき 砲兵ほうへい工兵こうへい方面ほうめん 5がつ 陸軍りくぐんしょうだい1きょく
    陸軍りくぐん大佐たいさ 大築おおつき尚志ひさし 明治めいじ10ねん5がつ 陸軍りくぐんしょう
    りくだいせんひゃくななじゅうごう かぶとだいななじゅうよんごう 至急しきゅうほうひゃくろくじゅうはちごう だいさかささえしょうヨリ電報でんぽうづけべつこれどおり昨夕さくゆう大坂おおさかささえしょうヨリ電報でんぽうゆうこうづけとうしょう在庫ざいこひん取調とりしらべこうしょいち舶用はくようブロートヱルぞくひんどももん一同いちどうだん信管しんかんどもよんひゃくはついちガットリング車台しゃだいぞくひんどもいちもんどうたままんはつクルツプ榴弾りゅうだん信管しんかんども千発右之通有之候ニづけさるえつこれどおり船便せんびん次第しだいおくかたけいさる哉此だんしょう伺候しこう明治めいじじゅうねんがつ廿にじゅういちにち 砲兵ほうへいほんしょうつつみ陸軍りくぐん大佐たいさ大築おおつき尚志ひさし 陸軍りくぐんきょう殿どの代理だいり 陸軍りくぐん少将しょうしょう井田いだゆずる殿どの ついなおまた只今ただいまべつおつしるしつうヱンヒールもんはり及ヒかわいちもんさるえつこうまたさるえつこれどおりしょうおくさる哉此だんモ添テさるしんこう也 伺之どおり がつ〜」

  12. ^ 陸軍りくぐんしょうだい日記にっき みつだい日記にっき 明治めいじ39ねん
    内務ないむ次官じかん 吉原よしはら三治さんじ 明治めいじ39ねん3がつ22にち
    陸軍りくぐんしょう 内務省ないむしょう
    みつ受第いちよんごう 内務省ないむしょう ガツトリシグ機関きかんほう弾藥だんやく貸与たいよけん ほうみつだいななごう 回答かいとう 次官じかんヨリ内務ないむ次官じかんしげるかい警備けいびようトシテはんいんちガツトリング機関きかんほう弾藥だんやく台湾たいわん総督そうとくかしきょうづけだいかぶとだいさんいちごう照会しょうかいおもむき了承りょうしょうみぎ来意らいいつう該弾やくまんはつ兵器へいきほん工廠こうしょうヨリどう総督そうとく送達そうたつセシメラレこうじょう承知しょうち相成あいなたび 兵器へいきほんしょういたる はんいんちガツトクング機関きかんほう弾藥だんやく みぎしげるかい警備けいびようトシテ台湾たいわん総督そうとく支給しきゅうかたけいフヘシ ただしほん軍事ぐんじ兵器へいき弾藥だんやくヨリつかまつばらいフヘシ みつはつだいきゅうごう 内務省ないむしょうだいかぶとだいいちごううち 客年かくねんじゅうがつじゅうろくにちづけみつはつだいはちいちごうヲ以台湾たいわん総督そうとくかしきょう相成あいなたび機関きかんほう及同弾藥だんやくうちガツトリングはんいんちじゅうれん機関きかんほうしげるかい@@うえてき@ノモノヘ@ニゆうこうしょなおとう貸与たいよセラレタルどう弾丸だんがんだんせんはつとめマリ爾来じらい@@うえ該砲使用しようスルニ@@弾丸だんがんささえ〜」
  13. ^ 陸軍りくぐんしょうだい日記にっき 明治めいじ27ねん27、8ねん戦役せんえき戦況せんきょう情報じょうほう
    作成さくせいしゃ名称めいしょう 大本営だいほんえい 児玉こだま少将しょうしょう 9がつ26にち 陸軍りくぐんしょう
    きゅうがつじゅうろくにち 九月二十四日午後三時十五分平壌発野津師団長ヨリひだりむくいアリ 平壌ぴょんやんニテ分捕ぶんど大砲たいほうよんろくもんよん〇ノあやまナラン)ないかつしょ野砲やほうよん山砲さんぽうろくもんガットリングほうろくそとてきあんしゅうざんおけケル野砲やほうよんもんごうシ〜」

    陸軍りくぐんしょうだい日記にっき 明治めいじ35ねんまいりだい日記にっき 1がつ
    砲兵ほうへい会議かいぎ議長ぎちょう有坂ありさか成章しげあき 明治めいじ35ねん1がつ9にち
    まいりだいななごう 砲兵ほうへい会議かいぎ ガツトリング機関きかんほう下渡げどけん 大臣だいじん 総務そうむ長官ちょうかん 機密きみつ課長かちょう 主務しゅむ課員かいん 庶務しょむ課長かちょう 主務しゅむきょく 決裁けっさい 参事官さんじかん 主務しゅむ局長きょくちょう 主務しゅむ課長かちょう 主務しゅむ課員かいん 受領じゅりょう いちがつじゅうよんにち ゆいりょう いちがつじゅうにち 提出ていしゅつ年月としつき 明治めいじ ねんじゅういちがつ 立案りつあんきょく番号ばんごう ほうさんだいななごう 連帯れんたい局長きょくちょう 連帯れんたい課長かちょう 立案りつあんきょく校合きょうごうしゃ 指令しれいあん 伺之どおり いちがつじゅうにち 兵器へいきかんたちあん いち米国べいこくせい口径こうけいじゅういちみつ ガツトリング(ゆうつつ機関きかんほう 一門いちもん ただし戦利せんり兵器へいきだいいち審査しんさ報告ほうこくだいひょうちゅうだいろくこうノモノ みぎ砲兵ほうへい会議かいぎ下渡げどかたけいフヘシ 陸軍りくぐんしょう送達そうたつ おくおつだいよんきゅうごう いちがつじゅうにち まいりだいななごう

  14. ^ ちん抜談、ちん鐸記、伊藤いとう秀一ひでかず和訳わやく『ニコラエフスクの回想かいそう』ロシア研究けんきゅう23 (1975ねん収録しゅうろく

参考さんこう文献ぶんけん

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  • 国立こくりつ公文書こうぶんしょかん収蔵しゅうぞう資料しりょう
  • 外務省がいむしょう外交がいこう史料しりょうかん収蔵しゅうぞう資料しりょう
  • 防衛ぼうえいしょう防衛ぼうえい研究所けんきゅうじょ収蔵しゅうぞう資料しりょう
  • 月刊げっかんアーマーモデリング創刊そうかんごう 『イラスト通信つうしん 日本にっぽん最初さいしょ機関きかんじゅう』(ちょこう義之よしゆき
  • 小林こばやし良夫よしお関野せきの邦夫くにお『ピストルとじゅう図鑑ずかん池田いけだ書店しょてん
  • 今泉いまいずみ鐸次ろう河井かわい継之助つぐのすけでん』(目黒めぐろ書店しょてん、1931)
  • NHK「くガトリングほう」『歴史れきしへの招待しょうたい14』(1981)
  • 安藤あんどう英男ひでお河井かわい継之助つぐのすけ生涯しょうがい』(新人物往来社しんじんぶつおうらいしゃ、1987ねん
  • 長岡ながおか教育きょういく委員いいんかい長岡ながおか市立しりつ中央ちゅうおう図書館としょかん長岡ながおか歴史れきし事典じてん』(長岡ながおか、2004)

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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