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サイパン丸 - Wikipedia

サイパンまる(さいぱんまる)は、日本郵船にっぽんゆうせんうち南洋なんよう航路こうろ貨客船かきゃくせんである。うち南洋なんよう航路こうろは、南洋なんよう諸島しょとう居留民きょりゅうみんにとって生活せいかつ必需ひつじゅひん補給ほきゅうし、生産せいさんぶつ出荷しゅっかする重要じゅうよう航路こうろであった。それにもかかわらず旧式きゅうしきせん中心ちゅうしんだったところへ就航しゅうこうした新鋭しんえいせんが、本船ほんせんであった。太平洋戦争たいへいようせんそうなかにアメリカ潜水せんすいかん撃沈げきちんされたが、やく400にん乗客じょうきゃくおおくを無事ぶじ避難ひなんさせて、死者ししゃいちわり以下いかおさえた。

サイパンまる
基本きほん情報じょうほう
ふねしゅ 貨客船かきゃくせん
クラス サイパンまるがた貨客船かきゃくせん
船籍せんせき 大日本帝国の旗 大日本帝国だいにっぽんていこく
所有しょゆうしゃ 日本郵船にっぽんゆうせん
運用うんようしゃ 大日本帝国の旗 日本郵船にっぽんゆうせん
建造けんぞうしょ 三菱重工業みつびしじゅうこうぎょう長崎造船所なかざきぞうせんじょ
母港ぼこう 東京とうきょうこう/東京とうきょう
姉妹しまいせん なし
信号しんごう JIKK
IMO番号ばんごう 41672(※船舶せんぱく番号ばんごう
建造けんぞう期間きかん 275にち
就航しゅうこう期間きかん 2,592にち
経歴けいれき
起工きこう 1935ねん9月16にち
進水しんすい 1936ねん3がつ10日とおか
竣工しゅんこう 1936ねん6月16にち[1]
最後さいご 1943ねん7がつ21にちかみなり沈没ちんぼつ
要目ようもく
総トン数そうとんすう 5,533トン[1]
全長ぜんちょう 116.42m[2]
垂線すいせんあいだちょう 115.00m[1]
はば 16.40m[1]
かたふか 10.15m[1]
たか 24.99m(水面すいめんからマスト最上さいじょうはしまで)
8.22m(水面すいめんから船橋ふなばし最上さいじょうはしまで)
14.93m(水面すいめんから煙突えんとつ最上さいじょうはしまで)
喫水きっすい 6.5 m[3]
ボイラー 重油じゅうゆせんもえかん
しゅ機関きかん 排気はいきタービンさんれんなりレシプロ機関きかん 1[3]
推進すいしん 1じく[3]
最大さいだい出力しゅつりょく 4,500IHP[3]
ていかく出力しゅつりょく 3,200IHP(計画けいかく[2]
最大さいだい速力そくりょく 16.8ノット[1]
航海こうかい速力そくりょく 13.0ノット[1]
航続こうぞく距離きょり 14ノットで11,000かいり
旅客りょかく定員ていいん 一等いっとう:31めい
とくさんとう:85めい
さんとう:262めい[3]
合計ごうけい:422めい[2]
たかさはべい海軍かいぐん識別しきべつひょう[4]より(フィート表記ひょうき)
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以下いかトン数とんすう表示ひょうじのみの船舶せんぱく日本郵船にっぽんゆうせん船舶せんぱくである。

日本郵船にっぽんゆうせんうち南洋なんよう航路こうろ

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だいいち世界せかい大戦たいせん結果けっか南洋なんよう諸島しょとう国際こくさい連盟れんめい委任いにん統治とうちりょうとして日本にっぽんたくされた。1922ねん南洋なんようちょう開設かいせつされると諸島しょとう開発かいはつ一層いっそうすすめられ、人員じんいん物資ぶっし往来おうらい増加ぞうかする傾向けいこうにあった。日本郵船にっぽんゆうせん日本にっぽん南洋なんよう諸島しょとうむす航路こうろ開設かいせつしたのは、委任いにん統治とうちりょうになるまえ1917ねんのことである[5]航路こうろ神戸こうべあるいは横浜よこはま起点きてんに、小笠原諸島おがさわらしょとう父島ちちじまサイパンとうトラック諸島しょとうポナペクサイジャルート環礁かんしょういたひがしまわりせんと、サイパンとうからかれてテニアンとうロタとうヤップとうパラオオランダりょうひがしインドダバオマナドいた西にしまわりせん航路こうろ構成こうせいされていた[6]ひがしまわりせんは、日本にっぽん領内りょうないのみを航行こうこうする航路こうろとしては、おそらくさい長距離ちょうきょり航路こうろである。その往来おうらい増加ぞうか対応たいおうして諸島しょとう東西とうざいむす航路こうろなどが順次じゅんじ開設かいせつされていった[5]。この航路こうろでは、往路おうろでは食糧しょくりょう燃料ねんりょう生活せいかつ必需ひつじゅひん各種かくしゅ機械きかいはこばれ、帰途きとには諸島しょとう産出さんしゅつコプラ砂糖さとうマニラ麻まにらあさなどが日本にっぽんはこばれていった。諸島しょとう人々ひとびとにとっては、この航路こうろ船舶せんぱく一種いっしゅの「宝船たからぶね」であり、来航らいこうするたびに歓迎かんげいしていた[7]

サイパンまる就航しゅうこう

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この航路こうろ就航しゅうこうしていた船舶せんぱく山城やましろまる(3,606トン)や近江おうみまる(3,582トン)、たい安丸やすまる(3,135トン)、てん城丸しろまる(3,165トン)など、明治めいじ時代じだいすえから大正たいしょう時代じだい建造けんぞうされた主力しゅりょくめていた[8]昭和しょうわ時代じだいはいって、人員じんいん物資ぶっし往来おうらいさらなる増加ぞうか対応たいおうして、新鋭しんえい貨客船かきゃくせん建造けんぞうすることとなった。そのだいいちせんとして建造けんぞうしたパラオまる(4,495トン)につづいて建造けんぞうされたのがサイパンまるである。

サイパンまるは1936ねん6がつ16にち三菱重工業みつびしじゅうこうぎょう長崎造船所なかざきぞうせんじょ竣工しゅんこうした。船体せんたいさき竣工しゅんこうしたパラオまるよりも1,000トンおおきく、船客せんきゃく定員ていいんもパラオまるより若干じゃっかんおおかった。サイパンまるおよびパラオまるは、さんれんなりレシプロ機関きかんから排出はいしゅつされた排気はいきガスタービンまわし、出力しゅつりょく方式ほうしき採用さいようしていた[3]ふねめいかんしても、海外かいがい地名ちめい国名こくめいふねめいれるさいには、たとえばあるぜんちなまる大阪おおさか商船しょうせん、12,755トン)などのように、平仮名ひらがな漢字かんじ表記ひょうきにすることがおおかったが[9]、サイパンまるとパラオまるかんしては片仮名かたかな表記ひょうきであり、「片仮名かたかなまる」の表記ひょうきすくなくともだい世界せかい大戦たいせんまえ日本にっぽん船舶せんぱく名前なまえとしては数少かずすくない存在そんざいであった[10]

サイパンまるひがしまわりせん投入とうにゅうされたパラオまるつづいて竣工しゅんこうただちに西にしまわりせん投入とうにゅうされたが、1937ねんからのにちちゅう戦争せんそうさいし、青島ちんたお日本人にっぽんじん居留民きょりゅうみん引揚ひきあげのため同年どうねん8がつに、日本にっぽん政府せいふ一時いちじ傭船ようせんされた[11]。そのは1941ねん9がつ3にちから6にちまで日本にっぽん海軍かいぐんはだか傭船ようせんになった時期じき[12]のぞけば通常つうじょう航路こうろ就航しゅうこうつづけ、これは太平洋戦争たいへいようせんそう開戦かいせん基本きほんてきにはわらなかった。わったてんえば、航路こうろ船舶せんぱく運営うんえいかいによる運営うんえいになったこと、航路こうろたいするてき攻撃こうげきそな不定期ふていき運航うんこうになったこと[7]輸送ゆそう船団せんだん加入かにゅうすること[13]帰途きと船客せんきゃく引揚ひきあしゃいたこと[14]げられた。1942ねん時点じてんで、8がつ5にちにパラオまるが、12月28にち近江おうみまるがそれぞれ戦渦せんかにより沈没ちんぼつしていた。

終末しゅうまつ

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1943ねん7がつ15にち、サイパンまるはく剌西しかまる大洋たいよう興業こうぎょう、5,860トン)輸送ゆそうせん3せきとともにオ505船団せんだん編成へんせいし、水雷すいらいていばとだい18ごう掃海そうかいていだい10ごう駆潜艇くせんてい[15]特設とくせつ掃海そうかいていだい7たままる西にし大洋たいよう漁業ぎょぎょう、275トン)の護衛ごえい佐伯さえき出港しゅっこうした[16]。サイパンまるには船客せんきゃくほか味噌みそ醤油じょうゆ石炭せきたん雑貨ざっかなどわせて3,270トンがまれていた[17]。16にち正午しょうごだい18ごう掃海そうかいていだい7たままる船団せんだんから分離ぶんりし、だい18ごう掃海そうかいてい佐伯さいきへ、だい7たままる宿毛湾すくもわん泊地はくちかった。船団せんだんりからの台風たいふう翻弄ほんろうされ、低速ていそくりょくすすまざるをなかった。船客せんきゃく大半たいはん船酔ふなよ見舞みまわれたが、それでも避難ひなん訓練くんれんはみっちりおこなわれた[13]

7がつ21にち、オ505船団せんだん北緯ほくい1629ふん 東経とうけい13357ふん / 北緯ほくい16.483 東経とうけい133.950 / 16.483; 133.950のパラオ北方ほっぽう980キロの地点ちてんかった。1230ふん船団せんだんはアメリカ海軍かいぐん潜水せんすいかんハダック (USS Haddock, SS-231) の攻撃こうげきけ、サイパンまる船尾せんび魚雷ぎょらい命中めいちゅう。サイパンまる推進すいしん脱落だつらくしてメインマストがれた。つづいて1238ふんに2ほん、1245ふんに3ほん魚雷ぎょらい命中めいちゅうし、サイパンまる船尾せんびより沈没ちんぼつしていった。サイパンまる乗組のりくみいんみずからのいのちかえりみず船客せんきゃく避難ひなん誘導ゆうどうつとめた結果けっか、2めい犠牲ぎせいしゃしつつ船客せんきゃく422めいのうち389めい救助きゅうじょすることに成功せいこうした[12]。これは、船酔ふなよいの船客せんきゃく多数たすういたにもかかわらずみっちりおこなわれた避難ひなん訓練くんれん賜物たまものでもあった[18]

こののち山城やましろまるたい安丸やすまる沈没ちんぼつ。やがてギルバート・マーシャル諸島しょとうたたかマリアナ・パラオ諸島しょとうたたか南洋なんよう諸島しょとう日本にっぽんからはなされ、航路こうろ消滅しょうめつした。

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ a b c d e f g 木津きづ,235ページ
  2. ^ a b c 日本郵船にっぽんゆうせん戦時せんじふね じょう』,292ページ
  3. ^ a b c d e f 野間のま山田やまだ,235ページ
  4. ^ Saipan_Maru
  5. ^ a b 日本郵船にっぽんゆうせん戦時せんじふね じょう』106ページ
  6. ^ 日本郵船にっぽんゆうせん戦時せんじふね じょう』106、366ページ、野間のま山田やまだ,84ページの航路こうろ
  7. ^ a b 日本郵船にっぽんゆうせん戦時せんじふね じょう』366ページ
  8. ^ 日本郵船にっぽんゆうせん戦時せんじふね じょう』193、348、366ページ、木津きづ,171、172ページ
  9. ^ 国名こくめいれいとしては亜米利加あめりかまる大阪おおさか商船しょうせん、6,307トン)など
  10. ^ には、たとえば南洋なんよう郵船ゆうせんのサマランまるがた貨客船かきゃくせん3せき片仮名かたかな表記ひょうきである。
  11. ^ 青島ちんたお居留民きょりゅうみん引揚ノけん
  12. ^ a b 日本郵船にっぽんゆうせん戦時せんじふね じょう』296ページ
  13. ^ a b 日本郵船にっぽんゆうせん戦時せんじふね じょう』294ページ
  14. ^ 日本郵船にっぽんゆうせん戦時せんじふね じょう』193ページ
  15. ^ 防備ぼうび戦隊せんたい戦時せんじ日誌にっし』によればだい10ごう駆潜艇くせんていではなくだい4ごう駆潜艇くせんていとなっているが、同艦どうかん当時とうじバリクパパンにて停泊ていはくちゅう
  16. ^ #こまみや (1987) p.77
  17. ^ 日本郵船にっぽんゆうせん戦時せんじふね じょう』293ページ
  18. ^ 日本郵船にっぽんゆうせん戦時せんじふね じょう』295ページ

参考さんこう文献ぶんけん

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  • はつ広田ひろた外務がいむ大臣だいじん青島ちんたお居留民きょりゅうみん引揚ノけん』(1 昭和しょうわ12ねん8がつ16にち) アジア歴史れきし資料しりょうセンター レファレンスコード:B02030583400
  • 防備ぼうび戦隊せんたい司令しれい昭和しょうわじゅうはちねんなながついちにちいたり昭和しょうわじゅうはちねんなながつさんじゅういちにち 防備ぼうび戦隊せんたい戦時せんじ日誌にっし』(昭和しょうわ18ねん6がつ1にち昭和しょうわ18ねん11月30にち 防備ぼうび戦隊せんたい戦時せんじ日誌にっし戦闘せんとう詳報しょうほう(3)) アジア歴史れきし資料しりょうセンター レファレンスコード:C08030368300
  • 財団ざいだん法人ほうじん海上かいじょう労働ろうどう協会きょうかいへん復刻ふっこくばん 日本にっぽん商船しょうせんたい戦時せんじ遭難そうなん財団ざいだん法人ほうじん海上かいじょう労働ろうどう協会きょうかい/成山なりやまどう書店しょてん、1962ねん/2007ねんISBN 978-4-425-30336-6
  • 日本郵船にっぽんゆうせん戦時せんじふね じょう日本郵船にっぽんゆうせん、1971ねん
  • 木津きづ重俊しげとしへん世界せかい艦船かんせん別冊べっさつ 日本郵船にっぽんゆうせん船舶せんぱく100ねん海人あましゃ、1984ねんISBN 4-905551-19-6
  • こまみやしんななろう戦時せんじ輸送ゆそう船団せんだん出版しゅっぱん協同きょうどうしゃ、1987ねんISBN 4-87970-047-9 
  • 野間のまひさし山田やまだ廸生へん世界せかい艦船かんせん別冊べっさつ 日本にっぽん客船きゃくせん1 1868~1945海人あましゃ、1991ねんISBN 4-905551-38-2
  • 山田やまだ, 早苗さなえ (1997). 日本にっぽん商船しょうせんたい懐古かいこNo.211 (さんぢゑごまるあきらまる,サイパンまる)”. ふね科学かがく 50 (2): 15. https://zousen-shiryoukan.jasnaoe.or.jp/wp/wp-content/uploads/item/funenokagaku/funenokagaku-vol50-02.pdf.