匁 もんめ (もんめ)(記号 きごう :mom)には、以下 いか の二 ふた つの用法 ようほう がある[ 1] [ 2] 。
日本 にっぽん の尺貫法 しゃっかんほう における質量 しつりょう の単位 たんい である(明治 めいじ 時代 じだい 以降 いこう )[ 3] 。明治 めいじ 以降 いこう 、1 匁 もんめ は正確 せいかく に 3.75 g である。
江戸 えど 時代 じだい の銀 ぎん 目 め すなわち銀 ぎん の通貨 つうか 単位 たんい である(江戸 えど 時代 じだい 以前 いぜん 、主 おも に江戸 えど 時代 じだい )[ 4] [ 5] 。江戸 えど 時代 じだい 以前 いぜん も匁 もんめ は両 りょう の分量 ぶんりょう 単位 たんい としての量目 りょうめ の単位 たんい に違 ちが いなかったが、当時 とうじ の文書 ぶんしょ に現 あらわ れる「匁 もんめ 」は、多 おお くの場合 ばあい 貨幣 かへい 単位 たんい としての匁 もんめ であった。
江戸 えど 時代 じだい に両替 りょうがえ 商 しょう で用 もち いられた後藤 ごとう 分銅 ふんどう 貳 に 拾 ひろえ 両 りょう (200匁 もんめ :749.07 g), 拾 ひろえ 両 りょう (100匁 もんめ :374.62 g)
「匁 もんめ 」は日本 にっぽん 固有 こゆう の、かつ日本 にっぽん 独特 どくとく の民間 みんかん の質量 しつりょう 単位 たんい の呼称 こしょう であり[ 3] [ 6] 、「匁 もんめ 」の文字 もじ は一般 いっぱん 的 てき には日本 にっぽん 独自 どくじ の国字 こくじ とされるが[ 2] 異論 いろん (後述 こうじゅつ )もある。中国 ちゅうごく では匁 もんめ に相当 そうとう する単位 たんい は「銭 ぜに 」である[ 3] [ 7] 。
江戸 えど 時代 じだい では両 りょう の1/10に相当 そうとう する分量 ぶんりょう 単位 たんい であったが、1891年 ねん (明治 めいじ 24年 ねん )の度量衡 どりょうこう 法 ほう により貫 ぬき の1/1000の分量 ぶんりょう 単位 たんい と規定 きてい され、メ め ートル法 とるほう に準 じゅん じて正確 せいかく に3.75 g とされた。現行 げんこう の計量 けいりょう 法 ほう でもこの換算 かんさん 値 ち が維持 いじ されている[ 8] が、単位 たんい 名称 めいしょう 「もんめ」は「真珠 しんじゅ の質量 しつりょう の計量 けいりょう 」にのみ限定 げんてい して使用 しよう することができ、それ以外 いがい の商 しょう 取引 とりひき における使用 しよう は禁止 きんし されている。
日本 にっぽん でも明治 めいじ 時代 じだい 以前 いぜん は銭 ぜに (戔、せん)と呼 よ ばれ、中国 ちゅうごく 語 ご 圏 けん では現在 げんざい も銭 ぜに (中国 ちゅうごく 語 ご : 錢 ぜに /钱 拼音 : qián チエン)と呼 よ ぶ。また、いくつかの国 くに ではまた別 べつ の呼 よ び名 な をする。それらの単位 たんい についてもあわせて解説 かいせつ する。
10匁 もんめ ・10銭 ぜに は両 りょう (りょう)に、160匁 もんめ ・160銭 ぜに (例外 れいがい あり)は斤 きん (きん)に、1000匁 もんめ は貫 ぬき (かん)に等 ひと しい。
中国 ちゅうごく と韓国 かんこく での単位 たんい 名 めい は「銭 ぜに 」であり、日本 にっぽん でも近代 きんだい 以前 いぜん は銭 ぜに と呼 よ んでいたが、古 ふる くからの用例 ようれい もあり大内 おおうち 家 か 壁書 へきしょ の文明 ぶんめい 16年 ねん (1484年 ねん )の条項 じょうこう に「匁 もんめ 」の名 な が現 あらわ れた[ 9] 。大内 おおうち 家 か 壁書 へきしょ には、「金銀 きんぎん 両目 りょうめ 御 ご 定法 じょうほう 之 の 事 こと 」の項目 こうもく に「こがねしろがねの両目 りょうめ の事 こと は、京都 きょうと の大法 たいほう として、いづれも、一両 いちりょう 四 よん 文 ぶん 半銭 きなか にて、弐 に 両 りょう 九 きゅう 文目 あやめ たる処 しょ に、こがねをば、一両 いちりょう 五 ご 匁 もんめ にうりかう事 こと 、そのいはれなし。」と記 しる されている[ 10] 。
五 ご 匁 もんめ 銀 ぎん 。文字 もじ 銀 ぎん と同 どう 品位 ひんい で量目 りょうめ は5匁 もんめ (約 やく 18.7 g)あった。
上記 じょうき は文明 ぶんめい 16年 ねん (1484年 ねん )に室町 むろまち 幕府 ばくふ により金 かね 一 いち 両 りょう が公定 こうてい された当時 とうじ の文書 ぶんしょ であり、この金 かね 一 いち 両 りょう 4.5匁 もんめ は京目 きょうめ と称 しょう した[ 11] 。鎌倉 かまくら 時代 ときよ 後期 こうき 頃 ごろ より金 かね 一 いち 両 りょう は4.5匁 もんめ 、銀 ぎん 一 いち 両 りょう は4.3匁 もんめ とする慣行 かんこう が生 う まれ[ 12] 、銀 ぎん 1両 りょう =4.3匁 もんめ とする秤量 ひょうりょう 銀貨 ぎんか の単位 たんい が用 もち いられるようになったが[ 4] 、江戸 えど 時代 じだい まで分銅 ふんどう の表記 ひょうき は「戔」であった。江戸 えど 時代 じだい の「匁 もんめ 」の用法 ようほう は専 もっぱ ら銀 ぎん 目 め によるものが多 おお い[ 13] [ 14] 。1765年 ねん に鋳造 ちゅうぞう された五 ご 匁 もんめ 銀 ぎん に「文字 もじ 銀 ぎん 五 ご 匁 もんめ 」と、通貨 つうか 単位 たんい として初 はじ めて「匁 もんめ 」の文字 もじ が貨幣 かへい に入 はい った[ 15] [ 16] [ 注釈 ちゅうしゃく 1] 。
1871年 ねん の新 しん 貨条例 れい では日本 にっぽん 量目 りょうめ の比較 ひかく 表 ひょう では「戔」とされており、貨幣 かへい 略図 りゃくず 并品位 い 量目 りょうめ 表 ひょう に「匁 もんめ 」の名 な が現 あらわ れる[ 17] 。1891年 ねん の度量衡 どりょうこう 法 ほう で法的 ほうてき にメ め ートル法 とるほう を基準 きじゅん とした「匁 もんめ 」が登場 とうじょう した[ 18] 。日本 にっぽん においても正規 せいき の名称 めいしょう は明治 めいじ 初期 しょき まで「銭 ぜに 」であった[ 3] 。
読 よ み「もんめ」は、一 いち 文 ぶん 銭 ぜに の質量 しつりょう であることから「文目 あやめ 」(もんめ)と呼 よ んだことに由来 ゆらい する。「目 め 」は、「秤 ばかり の目 め 」の意味 いみ から転 てん じた、質量 しつりょう を意味 いみ する接尾 せつび 辞 じ で、「目方 めかた 」と同 おな じ意味 いみ である。「匁 もんめ 」の文字 もじ は「文 ぶん 」と「メ」を組 く み合 あ わせたものであるとする説 せつ があり[ 2] 、また「銭 ぜに 」の異字 いじ である「泉 いずみ 」の草 くさ 書体 しょたい に由来 ゆらい するともされる[ 3] [ 19] 。
漢字 かんじ 「匁 もんめ 」は本来 ほんらい 「銭 ぜに 」の異体 いたい 字 じ として中国 ちゅうごく で使用 しよう されていた字 じ で日本 にっぽん の国字 こくじ ではないとする見解 けんかい もあるが[ 20] 、字書 じしょ 類 るい に載 の っていない上 うえ に日本 にっぽん で「もんめ」の漢字 かんじ として本来 ほんらい の銭 ぜに を圧倒 あっとう して使 つか われたために、しばしば国字 こくじ の例 れい としてあげられる。
もんめ(日本 にっぽん の計量 けいりょう 法 ほう 上 じょう の名称 めいしょう )
編集 へんしゅう
匁 もんめ は真珠 しんじゅ の質量 しつりょう の単位 たんい として商 しょう 取引 とりひき 上 じょう 、国際 こくさい 的 てき に使 つか われているので、日本 にっぽん の計量 けいりょう 法 ほう において、「真珠 しんじゅ の質量 しつりょう の計量 けいりょう 」にのみ使用 しよう することが認 みと められている法定 ほうてい 計量 けいりょう 単位 たんい である[ 21] 。これは真珠 しんじゅ が日本 にっぽん の特産 とくさん 品 ひん であったことによるものである。この場合 ばあい の単位 たんい 名 めい は平仮名 ひらがな 表記 ひょうき の「もんめ 」であり、漢字 かんじ 表記 ひょうき の「匁 もんめ 」ではない。その単位 たんい 記号 きごう は"mom"と定 さだ められている[ 22] 。「もんめ」は英語 えいご などでは"momme"と綴 つづ られている。なお、国際 こくさい 単位 たんい 系 けい においては、「もんめ」の単位 たんい は認 みと められていない。
英語 えいご では mace (メイス)と呼 よ び、これはマレー語 ご の mas からオランダ語 ご の maes を経由 けいゆ した借用 しゃくよう 語 ご である[ 23] 。マレー語 ご の mas はさらに、サンスクリット の māṣa (マーシャ)に由来 ゆらい し、これはインド のベンガル地方 ちほう の質量 しつりょう の単位 たんい マーシャ māsha (≒0.972 g)の語源 ごげん でもある[要 よう 出典 しゅってん ] 。
香港 ほんこん 英語 えいご では広東 かんとん 語 ご 由来 ゆらい のtsin [ 24] 、シンガポール英語 えいご では閩南語 ご 由来 ゆらい のchee [ 25] とも言 い う。
江戸 えど 時代 じだい の銀 ぎん 目 め において20匁 もんめ 以上 いじょう のとき、10匁 もんめ 単位 たんい (10匁 もんめ の整数 せいすう 倍 ばい )の場合 ばあい には、匁 もんめ の代 か わりに「目 め 」(め)と呼 よ ぶことがある[ 9] 。例 たと えば30匁 もんめ は三 さん 十 じゅう 目 もく 、300匁 もんめ は三 さん 百 ひゃく 目 もく とも呼 よ ぶ[ 4] 。ただし、10匁 もんめ 単位 たんい でない場合 ばあい はこの表現 ひょうげん はせず、たとえば、27匁 もんめ を27目 もく のようには言 い わない。また、この「x十目 じゅうもく 」中 ちゅう の「十目 じゅうもく 」あるいは「百 ひゃく 目 もく 」は10匁 もんめ ・100匁 もんめ に等 ひと しい独立 どくりつ の単位 たんい ではなくあくまで10匁 もんめ ・100匁 もんめ の別 べつ の表現 ひょうげん なので、たとえば232匁 もんめ を二 に 百 ひゃく 目 もく 三 さん 十 じゅう 二 に 匁 もんめ などとは言 い わない。
1 ⁄10 銭 ぜに は分 ぶん (ふん)、1 ⁄100 銭 ぜに は厘 りん (りん)、1 ⁄1000 銭 ぜに は毛 もう (もう)となる(1 ⁄10 匁 もんめ 等 とう についても同様 どうよう )[ 6] 。この場合 ばあい 、割 わり の用法 ようほう と同 おな じであり、基本 きほん 単位 たんい 「両 りょう 」を十 じゅう 割 わり として0.1割 わり を1分 ふん 、0.01割 わり を1厘 りん とするため、見 み かけ上 じょう は両 りょう の1 ⁄100 が1分 ふん 、1 ⁄1000 が1厘 りん となる。匁 もんめ は1割 わり に相当 そうとう し、両 りょう の補助 ほじょ 単位 たんい である。「分 ぶん 」を「ぶ」と読 よ まず「ふん」と読 よ むのは、金貨 きんか の通貨 つうか 単位 たんい である一 いち 分 ふん (ぶ)との混同 こんどう を避 さ けるためである[ 注釈 ちゅうしゃく 2] 。これは質量 しつりょう の単位 たんい であるがゆえの例外 れいがい であり、これに対 たい したとえば1 ⁄10 寸 すん の「分 ぶん 」は「ぶ」と読 よ む[ 注釈 ちゅうしゃく 3] 。
唐 とう 代 だい の開 ひらけ 元 もと 通宝 つうほう 10枚 まい の質量 しつりょう が24銖すなわち1両 りょう に相当 そうとう したことから、1枚 まい あたりの質量 しつりょう を「銭 ぜに 」と呼 よ ぶようになった[ 26] 。それ以来 いらい 現在 げんざい にいたるまで、10銭 ぜに = 1両 りょう の関係 かんけい が保 たも たれている。
ただし、開 ひらく 元 もと 通宝 つうほう のような鋳造 ちゅうぞう 銭 ぜに は規定 きてい の質量 しつりょう があるとはいえ、鋳造 ちゅうぞう による大小 だいしょう あり一様 いちよう でないため貨幣 かへい そのものが分銅 ふんどう 代 か わりになったわけではない[ 27] 。
現在 げんざい の定義 ていぎ (市制 しせい )では1銭 ぜに =5gである。
近代 きんだい の中国 ちゅうごく では、実用 じつよう されていない単位 たんい であるが、メ め ートル法 とるほう での10gに当 あ たるデカグラム(dag)に「銭 ぜに 」の字 じ を当 あ て「公 おおやけ 銭 ぜに 」と称 しょう していたことがあった。
概 おおむ ね「銀 ぎん 一 いち 匁 もんめ 」相当 そうとう の慶長 けいちょう 豆板銀 まめいたぎん (右 みぎ : 3.768 g)および、ほぼ一 いち 戔(匁 もんめ )の寛永 かんえい 通 どおり 寳 たから (左 ひだり : 3.740 g)。古 こ 寛永 かんえい 、文 ぶん 銭 ぜに 、耳 みみ 白 しろ 銭 ぜに などは一 いち 戔を基準 きじゅん に造 つく られたが、実際 じっさい には鋳造 ちゅうぞう に伴 ともな う大小 だいしょう があり3.0 gを切 き るものから4.5 gを超 こ えるものまである。
銀 ぎん 一 いち 匁 もんめ 札 さつ 。備後 びんご 福山 ふくやま 藩 はん (享 とおる 保 ほ 15年 ねん )。
質量 しつりょう 単位 たんい としての「銭 ぜに 」が日本 にっぽん に伝 つた わり、日本 にっぽん では「文目 あやめ 」の意 い から「もんめ」とも呼 よ ぶようになった。「匁 もんめ 」は主 おも に金銀 きんぎん の量目 りょうめ の単位 たんい として使 つか われ、江戸 えど 時代 じだい の丁 ちょう 銀 ぎん ・小玉 こだま 銀 ぎん は「匁 もんめ 」を単位 たんい とする目方 めかた 通用 つうよう の秤量 ひょうりょう 貨幣 かへい であり、丁 ちょう 銀 ぎん の方 ほう は五 ご 百 ひゃく 目 もく 包 つつみ の形態 けいたい として使用 しよう された[ 28] 。この様 よう な秤量 ひょうりょう 銀貨 ぎんか の掛目 かけめ (実測 じっそく 値 ち )が通貨 つうか 単位 たんい として使用 しよう され、商品 しょうひん の値段 ねだん は必 かなら ず銀 ぎん 目 め で建 た てられた[ 5] 。1609年 ねん (慶長 けいちょう 14年 ねん )に金 きむ 1両 りょう =銀 ぎん 50目 もく (匁 もんめ )、1700年 ねん (元禄 げんろく 13年 ねん )に金 かね 1両 りょう =銀 ぎん 60目 もく とする御 ご 定 てい 相場 そうば が公布 こうふ されたが、実態 じったい は市場 いちば 経済 けいざい による変動 へんどう 相場 そうば であった[ 29] 。
1665年 ねん (寛文 ひろふみ 5年 ねん )に度量衡 どりょうこう の「衡」が統一 とういつ され、両替 りょうがえ 商 しょう で用 もち いられる分銅 ふんどう は後藤 ごとう 四郎 しろう 兵衛 ひょうえ 家 いえ のみ製作 せいさく が許 ゆる され、これ以外 いがい のものの製作 せいさく および使用 しよう は不正 ふせい を防止 ぼうし するため厳禁 げんきん とされた[ 30] 。この分銅 ふんどう は「両 りょう 」を基本 きほん 単位 たんい としており一 いち 両 りょう から三 さん 十 じゅう 両 りょう (または五 ご 十 じゅう 両 りょう )があり、その補助 ほじょ 単位 たんい 「匁 もんめ 」に相当 そうとう する小 しょう 分銅 ふんどう の単位 たんい 表記 ひょうき は「戔」である。秤量 ひょうりょう 銀貨 ぎんか の通貨 つうか 単位 たんい は日本 にっぽん では銀 ぎん 一 いち 両 りょう といえば銀 ぎん 4.3匁 もんめ のことを指 さ し[ 11] 、43匁 もんめ は「銀 ぎん 一 いち 枚 まい 」と称 しょう し献上 けんじょう 銀 ぎん ・被 ひ 下 した 銀 ぎん は丁 ちょう 銀 ぎん に小玉 こだま 銀 ぎん を掛 か け足 た して「枚 まい 包 つつみ 」とするのが江戸 えど 時代 じだい 以前 いぜん からの習慣 しゅうかん であった[ 31] 。また小判 こばん の通貨 つうか 単位 たんい の「両 りょう 」との混同 こんどう を避 さ ける意味 いみ から銀 ぎん の単位 たんい は「匁 もんめ 」および「貫 ぬき 」が用 もち いられた。すなわち、掛目 かけめ が伍 ご 両 りょう (5両 りょう )の丁 ちょう 銀 ぎん は銀 ぎん 50匁 もんめ (銀 ぎん 50目 もく )と表 あらわ した。
「銀 ぎん 一 いち 匁 もんめ 」の価値 かち は丁 ちょう 銀 ぎん の銀 ぎん 品位 ひんい によって異 こと なり、例 たと えば目 め まぐるしい改鋳 かいちゅう が行 おこな われた宝永 ほうえい 年間 ねんかん 以降 いこう 、数 すう 種 しゅ の銀 ぎん が混用 こんよう された正徳 まさのり ・享 とおる 保 ほ 年間 ねんかん では商品 しょうひん 相場 そうば に銀 ぎん の種別 しゅべつ の相場 そうば が併記 へいき されることもあった[ 32] 。例 たと えば、享 とおる 保 ほ 3年 ねん 11月 がつ 頃 ごろ (1718年 ねん )、肥後 ひご 米 べい 1石 いし に付 づけ [ 33]
日本 にっぽん において金貨 きんか の貨幣 かへい 単位 たんい として認識 にんしき されている「両 りょう 」は「両目 りょうめ (量目 りょうめ 、りょうめ)」というように本来 ほんらい 質量 しつりょう の基本 きほん 単位 たんい であり、金 かね 一 いち 両 りょう は量目 りょうめ 1両分 りょうぶん の金 かね が基準 きじゅん にあったが、度重 たびかさ なる改鋳 かいちゅう により時代 じだい の変遷 へんせん とともに金 かね 一 いち 両 りょう は1両分 りょうぶん の金 かね から乖離 かいり して次第 しだい に名目 めいもく 化 か が進行 しんこう し、イギリス のポンド も同様 どうよう に貨幣 かへい 単位 たんい と質量 しつりょう 単位 たんい が乖離 かいり していったのであったが[ 34] 、「匁 もんめ 」については慶長 けいちょう から安政 あんせい に至 いた るまで江戸 えど 時代 じだい を通 とお して銀貨 ぎんか の掛目 かけめ [ 注釈 ちゅうしゃく 4] として維持 いじ され独立 どくりつ した貨幣 かへい 単位 たんい としての名目 めいもく 化 か はなかったとの見方 みかた もある[ 16] 。一方 いっぽう で、「銀 ぎん 一 いち 匁 もんめ 」は銀 ぎん そのものの含有 がんゆう 量 りょう 一 いち 匁 もんめ ではなく、それも改鋳 かいちゅう による品位 ひんい 低下 ていか の度 たび に名目 めいもく 化 か の度合 どあ いを高 たか めたとする見方 みかた もある[ 4] 。すなわち「匁 もんめ 」は銀 ぎん の重量 じゅうりょう でなく、「貨幣 かへい の単位 たんい 」であったというべきである[ 4] 。
銀 ぎん 札 さつ は本来 ほんらい 銀 ぎん の預 あずか り証 しょう であり、引替 ひきか え用 よう 銀 ぎん 準備 じゅんび の下 した 、つまり額面 がくめん と等価 とうか の丁 ひのと 銀 ぎん への兌換 だかん を前提 ぜんてい に発行 はっこう される名目 めいもく であったが、実際 じっさい には災害 さいがい など藩 はん の財政 ざいせい 逼迫 ひっぱく の度 たび に多発 たはつ されることが多 おお く、正 せい 銀 ぎん の額面 がくめん としての銀 ぎん の掛目 かけめ と藩札 はんさつ の額面 がくめん との間 あいだ に乖離 かいり が生 しょう じるのが普通 ふつう であった。宝永 ほうえい 4年 ねん 10月 がつ (1707年 ねん )に幕府 ばくふ は一旦 いったん 、銀 ぎん 札 さつ 発行 はっこう を禁 きん じ、流通 りゅうつう している銀 ぎん 札 さつ を50日 にち 以内 いない にすべて正 せい 銀 ぎん (丁 ちょう 銀 ぎん ・小玉 こだま 銀 ぎん )に引 ひ き替 か えるよう命 めい じたが、例 たと えば紀伊田辺 きいたなべ においては銀 ぎん 札 さつ 一 いち 貫目 かんめ は正 せい 銀 ぎん 二 に 百 ひゃく 匁 もんめ に替 か えると布告 ふこく される始末 しまつ であった(『田辺 たなべ 旧 きゅう 事 こと 記 き 』)[ 35] 。
また、特 とく に江戸 えど 代 だい 後半 こうはん はしばしば丁 ちょう 銀 ぎん が払底 ふってい し、代 か わりに匁 もんめ 銭 ぜに 勘定 かんじょう が行 おこな われるなどの名目 めいもく 化 か もあった[ 36] 。さらに、南鐐 なんりょう 二 に 朱 しゅ 銀 ぎん など計 けい 数 すう 銀貨 ぎんか が台頭 たいとう し始 はじ めた文政 ぶんせい 3年 ねん (1820年 ねん )には「四 よん 十 じゅう 三 さん 匁 もんめ 銀 ぎん 」と「五 ご 十 じゅう 目 もく 銀 ぎん 」と呼 よ ばれる名目 めいもく 貨幣 かへい 鋳造 ちゅうぞう が提言 ていげん されたこともあった。これらは「五 ご 匁 もんめ 銀 ぎん 」とは異 こと なり額面 がくめん 通 どお りの量目 りょうめ は無 な く、出目 でめ 獲得 かくとく を目的 もくてき とした額面 がくめん としての「匁 もんめ 」の名目 めいもく 化 か を狙 ねら ったものであったが実現 じつげん には至 いた らなかった。これ以降 いこう 「匁 もんめ 」は、あたかも質量 しつりょう 単位 たんい であり貨幣 かへい 単位 たんい として名目 めいもく 化 か することは無 な かったかのような印象 いんしょう を後世 こうせい に与 あた えるようになったと思 おも われる[ 16] 。また、丹波 たんば 福知山 ふくちやま 藩 はん でも幕末 ばくまつ に30匁 もんめ の1/9程度 ていど の量目 りょうめ 12.3 g(3.3匁 もんめ )の「銀 ぎん 三拾 さじっ 匁 もんめ 」、およびさらにその半量 はんりょう の「銀 ぎん 拾 ひろえ 五 ご 匁 もんめ 」を試 ためし 鋳 い している[ 37] 。幕末 ばくまつ に徳島 とくしま 藩 はん は阿 おもね 州 しゅう 通 どおり 寳 たから 「拾 じつ 匁 もんめ 銀 ぎん 札 さつ 」や「壹 いち 匁 もんめ 銅 どう 札 さつ 」の銅貨 どうか 、土佐 とさ 藩 はん は土佐 とさ 官 かん 券 けん 「十 じゅう 匁 もんめ 」などの銅貨 どうか を試 こころみ 鋳 い しているが、何 いず れも貨幣 かへい の量目 りょうめ (質量 しつりょう )とは無関係 むかんけい である[ 38] 。
慶應 けいおう 4年 ねん /明治 めいじ 元年 がんねん 5月 がつ 9日 にち (1868年 ねん 6月 がつ 28日 にち )の布告 ふこく により、貨幣 かへい 単位 たんい としての銀 ぎん 目 め は使用 しよう が停止 ていし され(銀 ぎん 目 め 廃止 はいし 令 れい )[ 4] [ 39] [ 40] 、直前 ちょくぜん に銀 ぎん 相場 そうば は暴落 ぼうらく しこの日 ひ の大 だい 坂 さか における仕舞 しまい 相場 そうば である金 かね 1両 りょう =銀 ぎん 219匁 もんめ 4分 ふん 9厘 りん [ 注釈 ちゅうしゃく 5] は銀 ぎん 目 め 廃止 はいし 時 じ の銀 ぎん 手形 てがた を金 きむ 手形 てがた に直 なお す場合 ばあい の標準 ひょうじゅん 両替 りょうがえ 相場 そうば となった。これを以 もっ て江戸 えど 時代 じだい の金銀 きんぎん 相場 そうば は終結 しゅうけつ した[ 5] [ 41] 。正貨 せいか である丁 ちょう 銀 ぎん ・小玉 こだま 銀 ぎん (五 ご 匁 もんめ 銀 ぎん も含 ふく む)については、慶長 けいちょう 銀 ぎん 1貫目 かんめ は金 かね 89両 りょう 、政 せい 字 じ 銀 ぎん は1貫目 かんめ は金 かね 12両 りょう 3分 ふん 3朱 しゅ に換算 かんさん されて引換 ひきか えられ、その他 た の品位 ひんい の銀 ぎん も含有 がんゆう 量 りょう に応 おう じて引換 ひきか え価格 かかく が提示 ていじ された(明治 めいじ 元年 がんねん 十 じゅう 月 がつ 十 じゅう 日 にち 太政官 だじょうかん 達 たち )[ 42] 。銀 ぎん 目 め 廃止 はいし の直前 ちょくぜん に、銀 ぎん 目 め 手形 てがた 所持 しょじ 者 しゃ の多 おお くが廃止 はいし に伴 ともな い銀 ぎん 目 め 手形 てがた が無効 むこう になると誤解 ごかい し正貨 せいか との交換 こうかん を求 もと めて両替 りょうがえ 商 しょう に殺到 さっとう する取 と り付 つ け騒 さわ ぎ となったため、大 だい 多数 たすう の両替 りょうがえ 商 しょう が支払 しはらい 不能 ふのう となり閉店 へいてん に追 お い込 こ まれ、江戸 えど 時代 じだい に高度 こうど に発達 はったつ した信用 しんよう 組織 そしき は壊滅 かいめつ 的 てき 打撃 だげき を被 こうむ った[ 43] [ 44] 。正貨 せいか である丁 ちょう 銀 ぎん ・小玉 こだま 銀 ぎん の両 りょう ・分 ふん ・朱 しゅ 単位 たんい の貨幣 かへい による引換 ひきか えは明治 めいじ 7年 ねん (1874年 ねん )9月 がつ に終了 しゅうりょう し、その後 ご は丁 ちょう 銀 ぎん ・小玉 こだま 銀 ぎん は貨幣 かへい としての機能 きのう を失 うしな い、新 しん 貨(円 えん ・銭 ぜに ・厘 りん )による交換 こうかん は認 みと められず、地金 じがね として取 と り扱 あつか われた。
盛岡 もりおか 八 はち 匁 もんめ 銀 ぎん 判 ばん 。幕末 ばくまつ の地方 ちほう 貨幣 かへい であり、量目 りょうめ は正味 しょうみ 8匁 もんめ (約 やく 30 g)ある。銀 ぎん 八 はち 匁 もんめ ではなく、一 いち 朱 しゅ 銀 ぎん 16枚 まい の量目 りょうめ に合 あ わせて金 かね 一 いち 両 りょう として通用 つうよう させる試 こころ みであったが、一 いち 分 ふん 銀 ぎん 4枚 まい の量目 りょうめ には足 た らなかったため、実際 じっさい には一両 いちりょう で通用 つうよう したかは不明 ふめい である。
この当時 とうじ の目方 めかた の単位 たんい としての1匁 もんめ は、分銅 ふんどう や定位 ていい 貨幣 かへい を実測 じっそく して推定 すいてい すると、現在 げんざい のメ め ートル法 とるほう を基準 きじゅん とした3.75 gよりやや小 ちい さく、近世 きんせい を通 つう じた平均 へいきん 値 ち で3.736 gであり、江戸 えど 時代 じだい 終盤 しゅうばん にやや増加 ぞうか して3.75 gを超 こ えた。狩谷 かりや 棭斎 は、「清 きよし の人 ひと が持 も ってくる分銅 ふんどう を日本 にっぽん のものと計 はか り比 くら べても厘 りん 毫 の違 ちが いも無 な い。」また明 あきら 、宋 そう 元 もと 、唐 とう の衡(1銭 ぜに =3.73 g)から変化 へんか していないと述 の べている[ 46] 。貨幣 かへい の量目 りょうめ から、後藤 ごとう 家 か の分銅 ふんどう も中国 ちゅうごく の分銅 ふんどう を原器 げんき として模倣 もほう したものと推定 すいてい され、江戸 えど 時代 じだい の1匁 もんめ は3.73 gと見積 みつも られる[ 9] 。
銀 ぎん 目 め 以外 いがい の「匁 もんめ 」の用法 ようほう として、金座 きんざ において金銀 きんぎん 地金 じがね などの量目 りょうめ を表 あらわ す場合 ばあい に用 もち い[ 47] 、金貨 きんか の品位 ひんい は44匁 もんめ の純金 じゅんきん に銀 ぎん を加 くわ えて全体 ぜんたい の量目 りょうめ を76匁 もんめ 7分 ふん とした場合 ばあい の品位 ひんい (44/76.7 = 573.7/1000)は「七 なな 十 じゅう 六 ろく 匁 もんめ 七 なな 分 ふん 位 い 」と表現 ひょうげん された[ 48] [ 49] [ 50] 。また、各地 かくち 金山 かなやま ・銀山 ぎんざん からの産出 さんしゅつ 量 りょう や運上 うんじょう 高 こう なども「貫 ぬき 」や「匁 もんめ 」で表 あらわ される。これに対 たい し、鉄 てつ や鉛 なまり などの卑金属 ひきんぞく 、銅山 どうざん から産出 さんしゅつ される銅 どう 地金 じがね の重量 じゅうりょう は「斤 きん 」の単位 たんい が用 もち いられた[ 51] 。
秋田 あきた 封 ふう 銀 ぎん や秋田 あきた 銀 ぎん 判 ばん 、盛岡 もりおか 銀 ぎん 判 ばん など、幕末 ばくまつ 期 き の地方 ちほう 貨幣 かへい の「匁 もんめ 」表示 ひょうじ の銀貨 ぎんか は正味 しょうみ の量目 りょうめ を表 あらわ し、秤量 ひょうりょう 銀貨 ぎんか の銀 ぎん 目 め を意味 いみ するものではなく、一 いち 分 ふん 銀 ぎん や一 いち 朱 しゅ 銀 ぎん の量目 りょうめ に合 あ わせて二 に 分 ふん や一 いち 両 りょう などの通用 つうよう 価値 かち を定 さだ めたものである[ 38] 。
明治 めいじ に入 はい り、銭 ぜに は圓 えん (円 えん ) の1 ⁄100 の補助 ほじょ 貨幣 かへい の単位 たんい として使用 しよう することとなったため、明治 めいじ 4年 ねん (1871年 ねん )の新 しん 貨条例 れい では質量 しつりょう の単位 たんい には戔(匁 もんめ )が単位 たんい 換算 かんさん 表 ひょう や貨幣 かへい の量目 りょうめ 表 ひょう に現 あらわ れ(ただし、第 だい 二 に 次 じ 大戦 たいせん 前 まえ までは銭 ぜに も併用 へいよう されていた)、1戔(1匁 もんめ )=約 やく 3.756521 g (86.4/23 g)と定 さだ められた[ 17] 。その後 ご 、単位 たんい 換算 かんさん の便宜 べんぎ を図 はか るため、1891年 ねん (明治 めいじ 24年 ねん )の度量衡 どりょうこう 法 ほう により、1貫 かん = 正確 せいかく に15 ⁄4 kg 、すなわち3.75 kgと定 さだ められ、匁 もんめ は貫 ぬき の1 ⁄1000 と規定 きてい されたので、正確 せいかく に 1匁 もんめ = 3.75 g となった。貨幣 かへい の量目 りょうめ に「匁 もんめ 」が公式 こうしき に採用 さいよう されたのは明治 めいじ 30年 ねん (1897年 ねん )の貨幣 かへい 法 ほう からであり、「匁 もんめ 」単位 たんい は昭和 しょうわ 8年 ねん (1933年 ねん )にメ め ートル法 とるほう 表記 ひょうき に変更 へんこう されるまで用 もち いられた[ 52] 。
日本 にっぽん の計量 けいりょう 法 ほう における扱 あつか いは、匁 もんめ #もんめ(日本 にっぽん の計量 けいりょう 法 ほう 上 じょう の名称 めいしょう ) のとおりである。なお、匁 もんめ の1000倍 ばい である「貫 ぬき 」( = 正確 せいかく に3.75 kg)は、非 ひ 法定 ほうてい 計量 けいりょう 単位 たんい であり、「真珠 しんじゅ の質量 しつりょう の計量 けいりょう 」の場合 ばあい であっても商 しょう 取引 とりひき における使用 しよう が禁 きん じられている。
量目 りょうめ が匁 もんめ 表記 ひょうき となった貨幣 かへい 法 ほう では、大正 たいしょう 5年 ねん (1916年 ねん )の貨幣 かへい 法 ほう 改正 かいせい において補助 ほじょ 貨幣 かへい である1銭 ぜに 青 あお 銅貨 どうか の量目 りょうめ が「一 いち 匁 もんめ 」と規定 きてい され(大正 たいしょう 5年 ねん 2月 がつ 24日 にち 法律 ほうりつ 第 だい 8号 ごう )、大正 たいしょう 9年 ねん (1920年 ねん )の改正 かいせい では10銭 ぜに 白 しろ 銅貨 どうか の量目 りょうめ が「一 いち 匁 もんめ 」と規定 きてい された(大正 たいしょう 9年 ねん 7月 がつ 27日 にち 法律 ほうりつ 第 だい 5号 ごう )[ 52] 。現在 げんざい の日本 にっぽん の五 ご 円 えん 硬貨 こうか の質量 しつりょう は政令 せいれい (昭和 しょうわ 24年 ねん 8月 がつ 1日 にち 政令 せいれい 第 だい 290号 ごう ・昭和 しょうわ 34年 ねん 6月 がつ 1日 にち 政令 せいれい 第 だい 209号 ごう )で3.75 gと規定 きてい され、ちょうど1匁 もんめ に相当 そうとう する。
現代 げんだい の釣 つ り のおもり では、「~号 ごう 」という名称 めいしょう が用 もち いられるが、その号 ごう 数 すう については、割 わり ビシ・ガン玉 だま ・アユ玉 だま などの例外 れいがい を除 のぞ いて、1匁 もんめ に相当 そうとう する3.75gを1号 ごう としている。
法令 ほうれい で量目 りょうめ が一 いち 匁 もんめ と規定 きてい された補助 ほじょ 貨幣 かへい
大正 たいしょう 5年 ねん 改正 かいせい 1銭 ぜに 青銅 せいどう 貨幣 かへい
大正 たいしょう 9年 ねん 改正 かいせい 10銭 ぜに 白銅 はくどう 貨幣 かへい
明治 めいじ 期 き 以降 いこう に、従来 じゅうらい の匁 もんめ (または戔[ 注釈 ちゅうしゃく 6] )の質量 しつりょう の値 ね はメ め ートル法 とるほう によるグラムに関係 かんけい づけられたが、その経緯 けいい は次 つぎ の通 とお りである。
明治 めいじ 4年 ねん 5月 がつ 10日 とおか (1871年 ねん 6月 がつ 27日 にち )太政官 だじょうかん 布告 ふこく 第 だい 267:新 しん 貨条例 れい 中 なか 、1戔= 3.756574 g[ 53] 。 この値 ね は、法規 ほうき 分類 ぶんるい 大全 たいぜん 第 だい 1編 へん 政体 せいたい 門 もん 制度 せいど 雑 ざつ 款3 貨幣 かへい 紙幣 しへい 附 ふ 貨幣 かへい 1 に載 の せられている[ 54] 。
明治 めいじ 4年 ねん 9月 がつ 13日 にち (1871年 ねん 10月 がつ 26日 にち )太政官 だじょうかん 布告 ふこく 第 だい 462:1戔= 3.756521 g[ 55] 上記 じょうき の明治 めいじ 4年 ねん 5月 がつ 10日 とおか 太政官 だじょうかん 布告 ふこく 第 だい 267中 ちゅう の値 ね が訂正 ていせい された[ 56] 。
明治 めいじ 24年 ねん (1891年 ねん )3月 がつ 8日 にち 法律 ほうりつ 第 だい 3号 ごう 公布 こうふ 、明治 めいじ 26年 ねん (1893年 ねん )1月 がつ 1日 にち 施行 しこう 度量衡 どりょうこう 法 ほう 1匁 もんめ = 3.75000 g [ 57] [ 58]
大韓 たいかん 帝国 ていこく 時代 じだい の1902年 ねん に伝統 でんとう 的 てき な単位 たんい とメ め ートル法 とるほう との対応 たいおう が規定 きてい されたが、1909年 ねん には日本 にっぽん 式 しき の度量衡 どりょうこう 法 ほう が定 さだ められ、このときに日本 にっぽん の「匁 もんめ ・貫 ぬき 」ももたらされた。ただし匁 もんめ の読 よ みは朝鮮 ちょうせん 語 ご で銭 ぜに を意味 いみ する「ドン(돈 )」であった。したがって1ドンは3.75 gにあたる。
1964年 ねん に度量衡 どりょうこう はメ め ートル法 とるほう に統一 とういつ されたが、貴金属 ききんぞく や漢方薬 かんぽうやく の計量 けいりょう において慣用 かんよう 的 てき に使 つか われている。
香港 ほんこん では、1884年 ねん の香港 ほんこん 法例 ほうれい 第 だい 22条 じょう で2 ⁄15 オンス (約 やく 3.779936 g )と定 さだ められた。現在 げんざい はメ め ートル法 とるほう へ換算 かんさん して丸 まる めた 3.77994 g とされ[ 59] 、漢方薬 かんぽうやく の処方 しょほう などで使 つか われている。
一方 いっぽう 、貴金属 ききんぞく 取引 とりひき には金 きむ 衡錢 (mace troy ) が使 つか われていて3.7429 gとされている[ 59] (「金 きむ 衡」とはトロイオンスなどの「トロイ」の訳語 やくご だが、金 きむ 衡錢自体 じたい はトロイオンスとは関係 かんけい ない)。
マカオ も香港 ほんこん と同様 どうよう である。
東南 とうなん アジアのいくつかの国 くに では、銭 ぜに に当 あ たる単位 たんい が現地 げんち 語 ご の単位 たんい 名称 めいしょう で呼 よ ばれている。名前 なまえ は違 ちが うが、いずれも、両 りょう に当 あ たる単位 たんい の1 ⁄10 である。
シンガポール では、チー (chee ) = 1 ⁄10 タヒル (tahil ) ≒ 3.78 gで[ 61] 、香港 ほんこん の銭 ぜに とほぼ同 おな じである。
マレーシア も、シンガポールと同様 どうよう である。
インドネシア では、チー (ci ) = 1 ⁄10 テール ≒ 3.86 gである。
フィリピン では、マース (mas ) = 1 ⁄10 テール ≒ 3.622 gである。
^ 江戸 えど 時代 じだい 初期 しょき 鋳造 ちゅうぞう と考 かんが えられている加賀 かが 花 はな 降 くだ 銀 ぎん は量目 りょうめ 100匁 もんめ だが、「百 ひゃく 目 もく 」と表記 ひょうき されている。『日本 にっぽん 貨幣 かへい 収集 しゅうしゅう 事典 じてん 』p81.
^ 銀貨 ぎんか の「分 ぶん 」との混同 こんどう を避 さ けるため、金 かね 一 いち 分 ふん を「一 いち 歩 ほ 」と書 か いて区別 くべつ する場合 ばあい もある(草間 くさま (1815). )
^ 長 なが さの基本 きほん 単位 たんい は「尺 しゃく 」でありこれを十 じゅう 割 わり として同様 どうよう に0.1割 わり が1分 ふん である。寸 すん は尺 しゃく の補助 ほじょ 単位 たんい で1割 わり に相当 そうとう する
^ 天秤 てんびん による質量 しつりょう の実測 じっそく 値 ち 。両替 りょうがえ 屋 や の天秤 てんびん は主 おも に丁 ひのと 銀 ぎん ・小玉 こだま 銀 ぎん の質量 しつりょう を計 はか る目的 もくてき のものである。
^ 『新 しん 稿 こう 両替 りょうがえ 年代 ねんだい 記 き 関 せき 鍵 かぎ 巻 まき 二 に 考証 こうしょう 篇 へん 』は「二 に 百 ひゃく "九 きゅう 十 じゅう "匁 もんめ 四 よん 分 ふん 九 きゅう 厘 りん 」と記 しる しているなど誤植 ごしょく による異同 いどう がある。
^ 明治 めいじ 4年 ねん 5月 がつ 10日 とおか (1871年 ねん 6月 がつ 27日 にち )太政官 だじょうかん 布告 ふこく 第 だい 267では、「銭 ぜに 」の異体 いたい 字 じ である「戔」を用 もち いている。
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質量 しつりょう の単位 たんい
キログラム (SI 単位 たんい )
グレーン
常用 じょうよう オンス
常用 じょうよう ポンド
匁 もんめ
斤 きん
貫 ぬき
1 kg
= 1
≈ 15432
≈ 35.274
≈ 2.2046
≈ 266.67
≈ 1.6667
≈ 0.26667
1 gr
= 0.00006479891
= 1
≈ 0.0022857
≈ 0.00014285
≈ 0.0172797
≈ 0.000107998
≈ 0.0000172797
1 oz
= 0.028349523125
= 437.5
= 1
= 0.0625
≈ 7.5599
≈ 0.047249
≈ 0.0075599
1 lb
= 0.45359237
= 7000
= 16
= 1
≈ 120.96
≈ 0.75599
≈ 0.12096
1 匁 もんめ
= 0.00375
≈ 57.871
≈ 0.13228
≈ 0.082673
= 1
= 0.00625
= 0.001
1 斤 きん
= 0.6
≈ 9259.4
≈ 21.164
≈ 1.3228
= 160
= 1
= 0.16
1 貫 かん
= 3.75
≈ 57871
≈ 132.28
≈ 8.2673
= 1000
= 6.25
= 1