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四万十川 - Wikipedia

四万十川しまんとがわ

高知こうちけんながれる河川かせん

四万十川しまんとがわ(しまんとがわ)は、高知こうちけん西部せいぶながれる一級いっきゅう河川かせん渡川どがわ水系すいけい本流ほんりゅう[2]全長ぜんちょう196km、流域りゅういき面積めんせき2186km2[1][注釈ちゅうしゃく 1]四国しこくうち最長さいちょうかわである。本流ほんりゅうだい規模きぼなダムが建設けんせつされていないことから「日本にっぽん最後さいご清流せいりゅう」、また柿田かきたがわ長良川ながらがわとともに「日本にっぽんさんだい清流せいりゅうひとつ」とばれる。名水めいすいひゃくせん[3]日本にっぽん秘境ひきょう100せんにもえらばれている。

四万十川しまんとがわ
四万十川しまんとがわ岩間いわま沈下ちんかきょう付近ふきん
水系すいけい 一級いっきゅう水系すいけい 渡川どがわ四万十川しまんとがわ
種別しゅべつ 一級いっきゅう河川かせん
延長えんちょう 196 km
平均へいきん流量りゅうりょう -- m³/s
流域りゅういき面積めんせき 2186[1] km²
水源すいげん 入山にゅうざん高知こうちけん高岡たかおかぐん津野つのまち
水源すいげん標高ひょうこう 1,336 m
河口かこう合流ごうりゅうさき 土佐湾とさわん高知こうちけんよんまんじゅう
流域りゅういき 日本の旗 日本にっぽん 高知こうちけん

地図

地図
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四万十川しまんとがわ佐田さた沈下ちんかきょう付近ふきん
四万十川しまんとがわ中半なかば休憩きゅうけいしょ付近ふきん

四万十川しまんとがわには支流しりゅうふくめて47の沈下ちんかきょうがあり、高知こうちけんでは生活せいかつ文化ぶんか遺産いさんとして保存ほぞんする方針ほうしん1993ねん決定けっていしている。

地理ちり 編集へんしゅう

高知こうちけん高岡たかおかぐん津野つのまち入山にゅうざん(いらずやま)を源流げんりゅうとし、けん中西部ちゅうせいぶぎゃくSえがくように蛇行だこうしながらおおくの支流しりゅうあつめ、よんまんじゅう太平洋たいへいようそそぎこむ。河口かこう附近ふきんでは「渡川どがわ」という名前なまえであるため、水系すいけいめいは「渡川どがわ水系すいけい」となっている。

清流せいりゅう2つの名前なまえ 編集へんしゅう

河川かせんほううえでは1928ねんから1994ねんまで「渡川どがわ(わたりがわ)」が正式せいしき名称めいしょうだった。「渡川どがわ」の名称めいしょう古来こらい関係かんけいふかかった九州きゅうしゅうかって「向川むかいがわ現在げんざいめい中筋川なかすじがわ)」、「渡川どがわ」をわたって中村なかむらよんまんじゅう)の市街しがい、そのうしろに「後川うしろがわ」という位置いち関係かんけい語源ごげんとなっており、「四万十川しまんとがわ」は渡川どがわ上流じょうりゅう支流しりゅう四万川しまがわ中流ちゅうりゅう支流しりゅう十川そがわ名称めいしょうであった。

1896ねん明治めいじ29ねん)のきゅう河川かせんほうにより、1928ねん昭和しょうわ3ねん11月1にちに「渡川どがわ」を法律ほうりつじょう公式こうしき名称めいしょう採用さいよう1964ねん昭和しょうわ39ねん)のしん河川かせんほうでも「渡川どがわ」だったが、1994ねん平成へいせい6ねん7がつ25にちに「四万十川しまんとがわ」と改名かいめいされた。河川かせんほう一級いっきゅう河川かせん名称めいしょう変更へんこうはこれがはじめてで、これは「四万十川しまんとがわ」が「日本にっぽん最後さいご清流せいりゅう」として全国ぜんこくてき有名ゆうめいとなり認知にんちされているという実情じつじょうによるところがおおきい[4]

流域りゅういき概要がいよう 編集へんしゅう

 
佐賀さが堰堤えんてい通称つうしょう家地川いえじがわダム)
 
若井わかい沈下ちんかきょう若井わかい大橋おおはし下流かりゅう
 
四万十川しまんとがわにかかる沈下ちんかきょう佐田さた沈下ちんかきょう
 
四万十川しまんとがわきょうあか鉄橋てっきょう

入山にゅうざんからながかわは、山間さんかんいながら周辺しゅうへん小川おがわあつめてだんだんふとおおきなながれになってゆく。やま清水しみずあつめたかわ清流せいりゅうにふさわしい透明とうめいみずをたたえて窪川くぼかわ盆地ぼんちはいる。窪川くぼかわ盆地ぼんちでは周辺しゅうへん田圃たんぼうるおすが、窪川くぼかわえきちかくではよんまんじゅうまちうち下水道げすいどうながみ、清流せいりゅうとはいがたい状態じょうたいになる。その四万十川しまんとがわよんまんじゅうまち家地川いえじがわ佐賀さが堰堤えんてい通称つうしょう家地川いえじがわダム1937ねん竣工しゅんこう)という発電はつでんようダムつつみだか8.0メートルと小規模しょうきぼで、魚道ぎょどうととのえられていることから正確せいかくには堰堤えんてい)でみず半分はんぶんちかくをかれてしまう。とく上流じょうりゅう水量すいりょうすくない時期じきはダム直下ちょっか川底かわぞこからみずえてしまい、かわくなることもある。→ダムのみず黒潮くろしおまちながれる伊与木川いよきがわ伊与喜いよきがわ)へ放流ほうりゅうされている。ただ、このダムの存在そんざいにより、よんまんじゅうまち下水げすいふくんだみずがほとんど下流かりゅうながれず、しも流域りゅういき清流せいりゅうたもっている要因よういんとなっていることも事実じじつである。

一旦いったんほそくなった四万十川しまんとがわは、よんまんじゅうまち田野々たのの梼原ゆすはらがわ合流ごうりゅうする。梼原ゆすはらがわ水量すいりょう豊富ほうふ支流しりゅうであり、四万十川しまんとがわ本流ほんりゅう清流せいりゅう様相ようそうもどす。ただ、梼原ゆすはらがわには津賀つが発電はつでんしょ下道げどう堰堤えんてい都賀つがダム1944ねん竣工しゅんこうつつみだか45.5メートル)というダムが存在そんざいする。合流ごうりゅうてんすこ下流かりゅうにはとどろきばれる落差らくさおおきい急流きゅうりゅうがある。つづく、よんまんじゅうまち昭和しょうわには最大さいだい中州なかす三島みしまがあり、キャンプじょう整備せいびされているほか、なつからあきにはアユりょういとな人々ひとびと姿すがたられる。またテナガエビが名産めいさんであり、りょうおこなわれるが、激減げきげんしている。四万十しまんとまち十川とうかわでは、4がつ下旬げじゅんから5がつ上旬じょうじゅんにかけてはこいのぼりかわわたしがおこなわれている(昭和しょうわ49ねんからはじめられ、こいのぼりのかわわた発祥はっしょうである)。

よんまんじゅう西土佐にしとさ江川崎えかわさき愛媛えひめけんはしはっする広見川ひろみがわ合流ごうりゅうさら川幅かわはばひろげ、ゆったりとした雰囲気ふんいきをかもしだす。江川崎えかわさきには温泉おんせんカヌー施設しせつがあり、ここから下流かりゅうはカヌーがい、あちこちにキャンプじょうられる。四万十川しまんとがわ流域りゅういきみずおおく、支流しりゅう以外いがい随所ずいしょから常時じょうじきれいなみず供給きょうきゅうされている。

江川崎えかわさきからすこくだると目黒めぐろがわ合流ごうりゅうする。この目黒川めぐろがわ上流じょうりゅうにはすべりゆか渓谷けいこくがあり、川底かわぞこなめらかな岩盤がんばん特徴とくちょうで、紅葉こうよう時期じきには観光かんこうきゃくにぎわう。

下流かりゅうよんまんじゅう市街しがいはしながれ、川幅かわはばひろくなり、満潮まんちょうときには海水かいすい遡上そじょうする。

国土こくど交通省こうつうしょうづくり郷土きょうどしょう四万十川しまんとがわ関連かんれんでは「渡川どがわだい緑地りょくち」で昭和しょうわ63年度ねんど(ふるさとにめぐみをあたえるかわ)、「渡川どがわ」で、平成へいせい年度ねんど生活せいかつささえる自然しぜんみず)、「黒尊川くろそんがわ」で平成へいせい年度ねんど自然しぜんとふれあう水辺みずべづくり)、「四万十川しまんとがわ共存きょうぞんするツルのさとづくり事業じぎょう」で平成へいせい26年度ねんど、「流域りゅういき住民じゅうみん主体しゅたい四万十川しまんとがわ環境かんきょう保全ほぜん地域ちいき活性かっせい活動かつどう」で平成へいせい28年度ねんどと、それぞれ受賞じゅしょうしている[5]

沈下ちんかきょう 編集へんしゅう

四万十川しまんとがわ沈下ちんかきょうは、本流ほんりゅうに22ほん支流しりゅうふくめると47ほんある。鉄筋てっきんコンクリートづくで、欄干らんかんがなく、通常つうじょう水位すいいより2-3mうえにかけられている。台風たいふう大雨おおあめときには沈下ちんかすることで、流木りゅうぼくなどが橋脚きょうきゃくなどにかかって滞留たいりゅう水圧すいあつがかかりきょう全体ぜんたい破損はそん流失りゅうしつするのをふせいでいる。

沈下ちんかきょうかわ周囲しゅうい山並やまなみのかもすのどかな景観けいかんは、四万十川しまんとがわ代名詞だいめいしにもなっており、しばしばこのまれてうつしざいにもなっている[6]

まぼろし電源でんげん開発かいはつ計画けいかく 編集へんしゅう

1950年代ねんだいまで、日本にっぽん電力でんりょく供給きょうきゅう水力すいりょく発電はつでんによるものがおおくをめていたため、冬場ふゆば渇水かっすいには慢性まんせいてき電気でんき不足ふそくなやまされていた。こうした背景はいけいから四万十川しまんとがわ流域りゅういきでも、だい規模きぼなダムと複数ふくすう発電はつでんしょ建設けんせつがセットで計画けいかくされた過去かこがある。具体ぐたいてきには梼原ゆすはらがわダム、秋葉あきはがわダム、渡川どがわダムを建設けんせつして相互そうごみず調節ちょうせつおこないながら、松葉まつばがわダムから久礼くれ発電はつでんしょ引水ひきのみずして発電はつでん(16まんkw)、境川さかいがわダムから興津おきつ発電はつでんしょ引水ひきのみずして発電はつでん(10まんkw)をおこなうものである。なお、それぞれの発電はつでんしょ排水はいすいは、四万十川しまんとがわもどさずに直接ちょくせつ土佐湾とさわんなが計画けいかくとなっていた[7]

四万十川しまんとがわ源流げんりゅうもり 編集へんしゅう

入山にゅうざんきたふもとひろがる四万十川しまんとがわ源流げんりゅうのを中心ちゅうしんとした森林しんりん四国しこくカルスト県立けんりつ公園こうえん指定してい区域くいきにあり、四万十川しまんとがわ源流げんりゅうもりとして水源すいげんもりひゃくせん指定していされている[8]

山岳さんがく 面積めんせき(ha) 標高ひょうこう(m) 人工じんこうりん(%) 天然てんねんりん(%) おもしゅ 制限せいげんりん 種類しゅるい 流量りゅうりょう(m3/にち)
入山にゅうざん 215 740 - 1336 20 80 スギヒノキモミアカマツツガブナコウヤマキ 水源すいげんかんよう保安ほあんりん保健ほけん保安ほあんりん学術がくじゅつ参考さんこうりん 流水りゅうすい四万十川しまんとがわ 1まん5000

樹齢じゅれい200ねんちか自然しぜんりん国有こくゆうりん管理かんりする針葉樹しんようじゅりん人工じんこうりんしげる。源流げんりゅうvだにきざ岩肌いわはだ森林しんりんみどり清流せいりゅう石灰岩せっかいがんしつ岩肌いわはだ渓谷けいこく形成けいせいしている。

所在地しょざいち
高知こうちけん高岡たかおかぐん津野つのまち大字だいじ船戸ふなと(データは指定していねん1995ねん平成へいせい7ねん)7がつ

おも支流しりゅう 編集へんしゅう

漁業ぎょぎょう 編集へんしゅう

四万十川しまんとがわ水質すいしつ日本にっぽん有数ゆうすう清流せいりゅうで、ふるくからりょうさかんにおこなわれてきた。天然てんねんウナギアユゴリチチブ、ヌマチチブ)、ツガニ(モクズガニ)、テナガエビなどの魚介ぎょかいるいのほか、青海苔あおのり産地さんちとしてられている。四万十川しまんとがわかわりょう生計せいけいてているひとおおいことでも日本にっぽん有数ゆうすう河川かせんといえる。

アユ 編集へんしゅう

四万十川しまんとがわ全国ぜんこく屈指くっしのアユの産地さんちであり、かつては四万十川しまんとがわのアユ漁獲ぎょかくりょう高知こうちけん全体ぜんたいの6わり以上いじょうめ、そのため高知こうちけんのアユ漁獲ぎょかくりょう全国ぜんこくだい1記録きろくすることもめずらしくなかった[9]1986ねんまでに漁獲ぎょかくりょうを6,000tだい後半こうはん記録きろくしながら推移すいいし、いったん減少げんしょうしたものの増加ぞうかして1991ねんには935tでピークをち、その漁獲ぎょかくりょうらし2004ねんには50tまで激減げきげんした[10][11]。2004ねん8がつには、この事態じたい危機ききかんった四万十川しまんとがわ中央ちゅうおう漁協ぎょきょう岡山おかやま静夫しずお代表だいひょう理事りじ)などの漁師りょうしらが「四万十川しまんとがわにアユをとりもどすシンポジウム」をひらき、アユの保護ほごさく検討けんとうした。アユの入荷にゅうかりょう流域りゅういきべつ比較ひかくでは、流域りゅういきによって減少げんしょう傾向けいこうことなり、もっと入荷にゅうかりょうおおかったしも流域りゅういき幡多はた公設こうせつ市場いちば中村なかむら)のみが顕著けんちょで、かつ回復かいふく傾向けいこうがみられていない。アユの激減げきげん理由りゆうには、ダム建設けんせつによる汚染おせんかわ砂利じゃり採取さいしゅ現在げんざい禁止きんし)、うみりたアユの稚魚ちぎょ海水温かいすいおん上昇じょうしょうんだ、じん漁師りょうし増加ぞうか漁具ぎょぐ発達はったつによる乱獲らんかくなどと、それらがふくあいてきからっているとかんがえられているが[9][12]橋下はしもと克彦かつひこ砂利じゃり採取さいしゅによる河口かこうからちゅう流域りゅういき川床かわどこ荒廃こうはい、とりわけ河口かこう付近ふきん浅瀬あさせ産卵さんらんじょう、ふじょう減少げんしょう流域りゅういき全体ぜんたいヒノキスギといった針葉樹しんようじゅ植樹しょくじゅによる山林さんりん保水ほすいりょく低下ていかたまごちアユの乱獲らんかくげている。砂利じゃり採取さいしゅには、漁協ぎょきょう許可きょか保証ほしょうきん見返みかえりとなる金銭きんせん必要ひつようであるが、この場合ばあい漁協ぎょきょうかならずしも四万十川しまんとがわかわりょう専業せんぎょうとするものではない。砂利じゃり採取さいしゅあとは、法律ほうりつもどしが義務付ぎむづけられているが、やま使つかうため、泥水どろみず発生はっせい川床かわどこ小石こいしおおうことでアユのえさとなるこけえず、えさ不足ふそくおちいる。また、ちアユはれをなしてながれをくだり、つめたいみずこのむが、その噴出ふんしゅつこうやまがふさぐ。こうしたことと天候てんこう不順ふじゅんかさなり、漁獲ぎょかくりょう激減げきげんにつながったと橋下はしもと結論けつろんけている[11]

テナガエビ 編集へんしゅう

四万十川しまんとがわ生息せいそくするおもテナガエビは、ミナミテナガエビ、ヒラテテナガエビ(ヤマトテナガエビ)、テナガエビのさん種類しゅるい四万十川しまんとがわでのテナガエビるい年間ねんかん漁獲ぎょかくだかは30トン前後ぜんこうあり、ウナギや藻類そうるいいでおおく、漁師りょうしにとって重要じゅうよう水産すいさん資源しげんとなっている。高知こうち県内けんない主要しゅよう8河川かせん比較ひかくすると、四万十川しまんとがわが30トン前後ぜんこうなのにたいし、の7河川かせんは2トン以下いかすくない。

ミナミテナガエビとヒラテテナガエビは両側りょうがわ回遊かいゆうおこなたねで、河川かせん孵化ふかした幼生ようせい河口かこうしお場所ばしょ、またはうみまでくだり、ややエビとなってかわ遡上そじょうしてくる。その期間きかんやく1ヶ月かげつ。テナガエビは『汽水域すいいき』と『河川かせんせい水域すいいき湖沼こしょう』に分布ぶんぷする2つのグループがあり、『汽水域すいいき』のテナガはミナミとヒラテ同様どうよう孵化ふか遡上そじょうをするが『河川かせんせい水域すいいき湖沼こしょう』のテナガは、たまごなかでゾエアまで成長せいちょうしてから放出ほうしゅつされ、おやエビとおな環境かんきょうそだつとかんがえられている。

ながれちょう196kmの四万十川しまんとがわながれのなかで、テナガエビさんしゅりゅうほど分布ぶんぷ以下いかとおり。

  • ミナミテナガエビ - 河口かこうから江川崎えかわさきまでの範囲はんい河口かこうから50km。
  • ヒラテテナガエビ - 不破ふわから大正たいしょうまでの範囲はんい河口かこうから100km。
  • テナガエビ - 不破ふわよりしも流域りゅういき河口かこうから8km。

伝統でんとう漁法ぎょほう 編集へんしゅう

四万十川しまんとがわでは、以下いかのような伝統でんとう漁法ぎょほうおこなわれてきた。

しば
テナガエビスジエビウナギさかな
いたままのえだたばね、水中すいちゅうしずめる。なんにちくとえだ隙間すきまにテナガやウナギ、カニ、さかなとうくので、しばけをげ、おおきなもううえるうと、獲物えものちてくる。
コロバシ
テナガ、ウナギ
テナガようとウナギようがあり、現在げんざいではしおせいつつじょう仕掛しかけを使つかう。テナガようみち10×40cmくらい、ウナギようみち4×70cmくらいのもの使つかい、くちにはもどし、出口でぐちにはあみってあるので一度いちどはいればられないようになっている。セルビンとおな原理げんり
石黒いしぐろ
ウナギ
きしちかくに1.5mほどのすりばちじょうあなり、そのなかに20cmくらいのいし隙間すきまつくりながら、2、3だんげる。さらにそのうえに5~10cmくらいの小石こいしをピラミッドじょうむ。こうしてできたいしやまを『石黒いしぐろ』とぶ。満潮まんちょう石黒いしぐろ解体かいたいし、がこもう獲物えものむ。
ゴリガラ曳
ヌマチチブ
四万十川しまんとがわ流域りゅういきではハゼのチチブ、ヌマチチブの稚魚ちぎょを「ゴリ」とぶが、そのゴリをねらった漁法ぎょほうである。サザエ貝殻かいがらなんひゃくるしたロープをりょうはしひと上流じょうりゅうから下流かりゅうけてき、サザエのひかりおとおどろいたゴリをあみんで漁獲ぎょかくする。ゴリは佃煮つくだにたまごとじにして賞味しょうみする。
アユ
夜間やかんいた松明たいまつ(たいまつ)を川面かわもちかくでりながらあみあゆむ。同時どうじかい水面すいめんはたき、おとおどろいてげようとするアユがあみにかかる。

よんまんじゅうあつかった作品さくひん 編集へんしゅう

遅咲おそざきのヒマワリ〜ボクの人生じんせい、リニューアル〜』は、四万十川しまんとがわ舞台ぶたいとしたテレビドラマである。

斎藤さいとう惇夫あつお児童じどう文学ぶんがく作品さくひんガンバとカワウソの冒険ぼうけん』(また映画えいが作品さくひん)は仁淀川によどがわ四万十川しまんとがわ舞台ぶたいのモデルとしている。

ドキュメンタリー 編集へんしゅう

友好ゆうこう河川かせん 編集へんしゅう

隅田川すみだがわと、1989ねんより友好ゆうこう河川かせんである。

並行へいこうする交通こうつう 編集へんしゅう

道路どうろ 編集へんしゅう

鉄道てつどう 編集へんしゅう

脚注きゃくちゅう 編集へんしゅう

注釈ちゅうしゃく 編集へんしゅう

  1. ^ 2187km2とする文献ぶんけん存在そんざいする。
    海津かいづただしりん(1982)愛媛えひめけん地形ちけい地域ちいき区分くぶん.『愛媛えひめけん地域ちいき区分くぶん地域ちいき設定せっていかんする研究けんきゅう』.愛媛大学えひめだいがく地域ちいき社会しゃかい総合そうごう研究所けんきゅうじょ報告ほうこく, Ser.A.18.5-15.

出典しゅってん 編集へんしゅう

  1. ^ a b 国土こくど交通省こうつうしょう すい管理かんり国土こくど保全ほぜんきょく 日本にっぽんかわ - 中国ちゅうごく - 四万十川しまんとがわ 2019ねん10がつ17にち閲覧えつらん
  2. ^ 渡川どがわ水系すいけい河川かせん整備せいび基本きほん方針ほうしん - 国土こくど交通省こうつうしょう河川かせんきょく
  3. ^ 四万十川しまんとがわ - 名水めいすいひゃくせん Archived 2011ねん9がつ26にち, at the Wayback Machine. - 環境省かんきょうしょう
  4. ^ 渡川どがわ水系すいけい河川かせん整備せいび基本きほん方針ほうしん P4.
  5. ^ 国土こくど交通こうつう大臣だいじん表彰ひょうしょう づくり郷土きょうどしょう - 国土こくど交通省こうつうしょう
  6. ^ アサヒカメラ」2012ねん9がつごう 76P-78P あめ沈下ちんかきょう 椎名しいなまこと朝日新聞社あさひしんぶんしゃ
  7. ^ 四万十川しまんとがわ電源でんげん開発かいはつ計画けいかく 年間ねんかんじゅうおくキロ 規模きぼ信濃川しなのがわ匹敵ひってき」『朝日新聞あさひしんぶん昭和しょうわ25ねん11月2にち3めん
  8. ^ 四万十川しまんとがわ源流げんりゅうもり - 水源すいげんもりひゃくせん - 林野庁りんやちょう
  9. ^ a b 2-2 がわ生物せいぶつ水産すいさん資源しげん - 四万十しまんとまち役場やくば”. 2020ねん5がつ30にち閲覧えつらん
  10. ^ あずま健作けんさく四万十川しまんとがわにおけるアユの長期ちょうきてき漁獲ぎょかく変動へんどう近年きんねん特徴とくちょう」『水産すいさん増殖ぞうしょくだい58かんだい3ごう日本にっぽん水産すいさん増殖ぞうしょく学会がっかい、2010ねん、401-410ぺーじdoi:10.11233/aquaculturesci.58.4012020ねん6がつ1にち閲覧えつらん 
  11. ^ a b 『Bises』2005ねんふゆごう NO,39 橋下はしもと克彦かつひこあやうし、最後さいご清流せいりゅうよんまんじゅうがわ
  12. ^ 日本にっぽん共産党きょうさんとう2004ねん10がつ11にち(月)げつ「しんぶん赤旗あかはた”. 2020ねん5がつ30にち閲覧えつらん
  13. ^ NHK特集とくしゅう 土佐とさ四万十川しまんとがわ清流せいりゅうさかなひとと~”. NHK. 2022ねん4がつ4にち閲覧えつらん
  14. ^ NHKクロニクル 1983ねん9がつ12にち 総合そうごう 番組ばんぐみひょう”. NHK. 2022ねん4がつ4にち閲覧えつらん
  15. ^ NHK特集とくしゅう土佐とさ四万十川しまんとがわ清流せいりゅうさかなひとと〜」”. NHK (2021ねん5がつ4にち). 2021ねん5がつ6にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2021ねん5がつ6にち閲覧えつらん

関連かんれん項目こうもく 編集へんしゅう

外部がいぶリンク 編集へんしゅう