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月の兎 - Wikipedia

つきうさぎ(つきのうさぎ)は、「つきうさぎがいる」という伝承でんしょうられる想像そうぞうじょうウサギ中国ちゅうごく日本にっぽんではたまうさぎ(ぎょくと、Yùtù、ユートゥー)、つきうさぎ(げっと[1]、Yuètù、ユェトゥー)などとばれる。たいとなる存在そんざいにいるとされる)にはきむがらす(きんう)がある。

つきかげ模様もよううさぎえる様子ようすしめした
つきうさぎ仙薬せんやくつくる。18世紀せいき清朝せいちょう皇帝こうていふくにある図柄ずがら
タイチャンタブリーけんけんあきら

概要がいよう

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つきかげ模様もよううさぎえることから、「つきにはうさぎがいる」という伝承でんしょうアジア各地かくちふるくからいいつたえられている。また、うさぎよこえるかげうすうすであるともされる。このうすについては、中国ちゅうごくでは不老不死ふろうふしくすり材料ざいりょう手杵てきねってこなにしているとされ、日本にっぽんではもちをついている姿すがたとされている[2]餅搗もちつもちづき望月もちづきけたともぞくわれている。

2021ねん発表はっぴょうのJAXAによる研究けんきゅうでは、書物しょもつ美術びじゅつひんえがかれたつきうさぎうす形状けいじょう変化へんかから、日本にっぽんつきうさぎもちをついているとかんがえられるようになったのは、1700年代ねんだい前半ぜんはん(江戸えど中期ちゅうき)ごろではないかと推測すいそくされている[3][4]。これは、江戸えど時代じだい初期しょきになると、日本にっぽん書物しょもつ中国ちゅうごく書物しょもつとよくきねうす使つかうさぎえがかれるようになること、また、18世紀せいき初頭しょとうからえがかれたうさぎうすが、日本にっぽん伝統でんとうてきなくびれたかたち変化へんかしていくことによる[3][4]。そのため、つきうさぎもちをつく理由りゆうとして、うさぎ掲載けいさいした中国ちゅうごく由来ゆらい書物しょもつ元禄げんろく以降いこう日本にっぽんおお出版しゅっぱんされ、人々ひとびとあいだひろまったためではないかと推測すいそくしている[3][4]戯作げさくしゃ式亭しきてい三馬さんばが1804ねん出版しゅっぱんした『狂言綺語きょうげんきご』のなかにある「もちおばあ団子だんご」というこう告文こくぶんには、「とおからんものは,もちをつくうさぎのみみにもけ」という一文いちぶんがあり、19世紀せいき初頭しょとうにはうさぎのもちつきが一般いっぱん社会しゃかい浸透しんとうしていたことがうかがいれる[3]

中国ちゅうごく戦国せんごく時代じだい紀元前きげんぜん5世紀せいき紀元前きげんぜん3世紀せいき)の詩集ししゅうすわえてんといではつき夜光やこう)についてかたっている箇所かしょに「夜光やこうなんとく そくまたそだて 厥利維何 而顧うさぎざいはら」というぶんがあり、「顧菟こと」というかたりもちいられている。ただしこのかたり解釈かいしゃくについては聞一おおが「てんもんしゃくたかし」(『清華せいかまなぶほう』9(4)、1933)でヒキガエルのこととするなど異説いせつがある。おうたかしろんせつへんなかでは「つきなかうさぎとヒキガエルがいる」という俗説ぞくせつについてかたっている。

古代こだいインドの言語げんごサンスクリットではシャシン(śaśin、「うさぎをもつもの」)、シャシャーンカ(śaśāṅka、「うさぎしるしをもつもの」)などのかたりつき別名べつめいとして使つかわれる。

日本にっぽんにおけるつきうさぎ描写びょうしゃされたふるれいには飛鳥あすか時代ときよ(7世紀せいき)に製作せいさくされた『天寿てんじゅこく曼荼羅まんだら』のつきえがかれたものなどがある[2]鎌倉かまくら室町むろまち時代じだい仏教ぶっきょう絵画かいがとしてえがかれた『十二天じゅうにてんぞう』ではにちてんつきてん持物もちものとしてのがつなかがらすうさぎえがまれている作例さくれいもみられる[5]

満州まんしゅう現在げんざい中国ちゅうごく東北とうほく)ではあき満月まんげついわう「中秋ちゅうしゅうぶし」に「つきあきらうま」とよばれる木版もくはんりがかべられたりするが、そこにうさぎきねをもった姿すがたえがかれていた[6]

ミャンマー仏教ぶっきょう絵画かいがなかにものなかには孔雀くじゃくつきのなかはうさぎえがかれており、須弥山しゅみせん中心ちゅうしんとした世界せかいかんしめした仏教ぶっきょう絵画かいがなどをつうじて各地かくちえがかれていたこともうかがえる[7]タイでもつきにはうさぎんでいるという伝承でんしょうがあり、絵画かいがなどにもられる。同国どうこくチャンタブリーけんけんあきら参考さんこう)にられるうさぎも、つきうさぎをデザインにはいしたものである。

アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくでもこの伝承でんしょうられ、人類じんるい史上しじょうはつ月面げつめん着陸ちゃくりくをするまえアポロ11ごう宇宙うちゅう飛行ひこうNASA管制かんせいかんつきうさぎ言及げんきゅうした記録きろくのこっている[8]

仏教ぶっきょう説話せつわ

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つきになぜうさぎがいるのかをかた伝説でんせつにはインドつたわる『ジャータカ』などの仏教ぶっきょう説話せつわられ、日本にっぽん渡来とらいし『今昔こんじゃく物語ものがたりしゅう』などにも収録しゅうろくされおおかたられている。その内容ないよう以下いかのようなものである。

さるきつねうさぎの3ひきが、やまなか力尽ちからつきてたおれているみすぼらしい老人ろうじん出逢であった。3ひき老人ろうじんけようとかんがえた。さるあつめ、きつねかわからさかなり、それぞれ老人ろうじん食料しょくりょうとしてあたえた。しかしうさぎだけは、どんなに苦労くろうしてもなにってくることができなかった。自分じぶん非力ひりきさをなげいたうさぎは、なにとか老人ろうじんたすけたいとかんがえた挙句あげくさるきつねたのんでいてもらい、みずからの食料しょくりょうとしてささげるべく、なかんだ。その姿すがた老人ろうじんは、帝釈天たいしゃくてんとしての正体しょうたいあらわし、うさぎ慈悲じひぎょう後世こうせいまでつたえるため、うさぎつきへとのぼらせた。つきえるうさぎ姿すがた周囲しゅういけむりじょうかげえるのは、うさぎみずからのいたさいけむりだという。

この説話せつわ登場とうじょう人物じんぶつたちは、天体てんたいしめし、それぞれは「つき(この場合ばあい太陽たいよう)」(さる)・「ほしシリウス)(この場合ばあいつき。ただし、これはうさぎのぼつきではない)」(きつね)・「金星かなぼし」(うさぎ)・「太陽たいよう」(老人ろうじん帝釈天たいしゃくてん)であり、老人ろうじんひかり弱々よわよわしくなった冬至とうじまえ太陽たいよう帝釈天たいしゃくてんひかりもどした(=若返わかがえった)冬至とうじ太陽たいようである、という解釈かいしゃくもなされている。また、このうさぎはお釈迦様しゃかさま人間にんげんとしてこのまえ修行しゅぎょうしている姿すがただったというせつもある。

アメリカ先住民せんじゅうみん民話みんわ

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同様どうよう伝説でんせつメキシコ民話みんわにもられる。メキシコでもつき模様もよううさぎかんがえられていた。アステカ伝説でんせつでは、地上ちじょう人間にんげんとしてきていたケツァルコアトルかみたびて、ながあいだあるいたためにえとつかれにおそわれた。周囲しゅうい食物しょくもつみずもなかったため、にそうになっていた。そのときちかくでくさべていたうさぎがケツァルコアトルをすくうために自分じぶん自身じしん食物しょくもつとしてしだした。ケツァルコアトルはうさぎ高貴こうきおくものかんじ、うさぎつきげたのち地上ちじょうろし、「おまえはただのうさぎにすぎないが、ひかりなかにおまえ姿すがたがあるのでだれでもいつでもそれをておまえのことをおもいだすだろう」とった。一般いっぱんにケツァルコアトルは金星きんぼししんであるとかんがえられているが、この民話みんわ場合ばあい徐々じょじょひかりうしなっていく太陽たいようしんであるとかんがえられる。太陽たいようしん金星きんせいしん置換ちかん可能かのうなのである。

べつメソアメリカ伝説でんせつでは、だい5の太陽たいよう創造そうぞうにおいてナナワツィンかみ勇敢ゆうかんにも自分じぶん自身じしんなかとうじてあたらしい太陽たいようになった。しかしテクシステカトルほうなかとうじるまで4かいためらい、5かいめにようやくみずからを犠牲ぎせいにしてつきになった。テクシステカトルが臆病おくびょうであったため、かみ々はつき太陽たいようよりくらくなければならないとかんがえ、かみ々のひとりがつきうさぎげつけてひかりらした。あるいは、テクシステカトル自身じしんうさぎ姿すがたみずからを犠牲ぎせいにしてつきになり、その姿すがた投影とうえいされているともいう。

ネイティブ・アメリカンクリーはまたべつの、つきのぼりたいとおもったわかうさぎ伝説でんせつつたえる。づるだけがうさぎはこぶことができたが、おもうさぎづるにつかまっていたためにづるあしいまるようにながびてしまった。つき到着とうちゃくしたときにうさぎづるあたまのついたあしさわったため、づるあたまにはあか模様もようのこってしまった。この伝説でんせつによれば、れたよるにはつきなかうさぎっているのがいまえるという。

創作そうさくぶつ

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上記じょうきのようなつきうさぎんでいるという伝承でんしょう説話せつわ影響えいきょうから、日本にっぽん文芸ぶんげい演芸えんげい絵画かいが音楽おんがくなどの創作そうさくぶつには、つき生活せいかつしゃとしてうさぎもちいた作品さくひんおおられる。

唱歌しょうかうさぎもちうす」(うさぎ の もちつき)(『幼年ようねん唱歌しょうか1912ねん)では、もちつきをしているつき世界せかいうさぎたちが登場とうじょうして、大福餅だいふくもちをつくっている様子ようすえがいている。

うさぎのほか、古代こだい中国ちゅうごくではつきには蟾蜍ひきがえるせんじょヒキガエルのこと)がんでいるとされていた[9]前漢ぜんかんうま王堆漢おうたいかんから出土しゅつどした帛画のように、中国ちゅうごく製作せいさくされた模様もようなかにはつきにいるものとしてうさぎとヒキガエルをおな画面がめんないおさめて登場とうじょうさせているものもられる[2]

つき模様もようについて

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2012ねん10月29にち産業さんぎょう技術ぎじゅつ総合そうごう研究所けんきゅうじょつき周回しゅうかい衛星えいせいかぐや」の収集しゅうしゅうデータを分析ぶんせきしたところ、つきうさぎかたちは39おくねん以上いじょうまえ[10]巨大きょだい隕石いんせき衝突しょうとつによりプロセラルム盆地ぼんちができ、こんにち地球ちきゅうからえるつきうさぎ巨大きょだい隕石いんせき衝突しょうとつによってできたものと証明しょうめいされた[11][12]

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ "【がつうさぎ】げっ-と". 日本にっぽん国語こくごだい辞典じてん だい2はん. 小学しょうがくかん.
  2. ^ a b c 足立あだちやすしたまうさぎのはなし」 『日本にっぽん彫刻ちょうこく研究けんきゅうりゅう吟社ぎんしゃ 1944ねん 547-551ぺーじ
  3. ^ a b c d 庄司しょうじ大悟たいごつきのうさぎはいつどのようにしてもちをつきはじめたのか」地質ちしつ文化ぶんか だい4かん だい2ごう 42-56 (2021) (PDF).
  4. ^ a b c つきのうさぎはいつどのようにしてもちをつくようになったのか 宇宙うちゅう科学かがく研究所けんきゅうじょ 研究けんきゅう情報じょうほうポータルあいさすGATE (2022ねん2がつ3にち掲載けいさい)、2023ねん9がつ8にち閲覧えつらん
  5. ^ 特別とくべつてん 密教みっきょう美術びじゅつ神奈川かながわ県立けんりつ金沢かなざわ文庫ぶんこ 1991ねん 81、93ぺーじ
  6. ^ 平岩ひらいわかんひろし身辺しんぺんとり」 『動物どうぶつ文学ぶんがく特輯とくしゅうだい88輯 1942ねん12月 白日はくじつそう 44ぺーじ
  7. ^ 岩田いわた慶治けいじ 監修かんしゅう『アジアのコスモス+マンダラ』 講談社こうだんしゃ 1982ねん 34-35ぺーじ ISBN 4-06-200285-X
  8. ^ Woods, W. David; MacTaggart, Kenneth D.; O'Brien, Frank. "Day 5: Preparations for Landing". The Apollo 11 Flight Journal. National Aeronautics and Space Administration. Retrieved 9 October 2017
  9. ^ 淮南ワイナンつきちゅう蟾蜍ひきがえるげっちゅうせんじょ嫦娥じょうが伝説でんせつ参照さんしょう
  10. ^ ニュース交差点こうさてん:科学かがく がつのうさぎがた模様もよう巨大きょだい隕石いんせき衝突しょうとつあと - 毎日まいにちjp、2012ねん10がつ30にち閲覧えつらん
  11. ^ "がつのうさぎ"は巨大きょだい隕石いんせきあと - NHK NEWS WEB、2012ねん10がつ30にち閲覧えつらん
  12. ^ つきのウサギは巨大きょだい衝突しょうとつまれた 「かぐや」データで判明はんめい - AstroArts、2012ねん10がつ30にち閲覧えつらん

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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