自由 じゆう 主義 しゅぎ は、西洋 せいよう の哲学 てつがく 者 しゃ や経済 けいざい 学者 がくしゃ の間 あいだ で人気 にんき が高 たか まった啓蒙 けいもう 時代 じだい に明確 めいかく な運動 うんどう となった。自由 じゆう 主義 しゅぎ は、遺伝 いでん 的 てき 特権 とっけん 、国教 こっきょう 、絶対 ぜったい 君主 くんしゅ 制 せい 、王権 おうけん 神授 しんじゅ 説 せつ 、そして伝統 でんとう 的 てき な保守 ほしゅ 主義 しゅぎ の規範 きはん を議会 ぎかい 制 せい 民主 みんしゅ 主義 しゅぎ と法 ほう の支配 しはい に置 お き換 か えることを目指 めざ していた。自由 じゆう 主義 しゅぎ 者 しゃ はまた、重 じゅう 商 しょう 主義 しゅぎ 的 てき 政策 せいさく 、王室 おうしつ 独占 どくせん およびその他 た の貿易 ぼうえき 障壁 しょうへき を撤廃 てっぱい し、自由 じゆう 市場 いちば を促進 そくしん させた[ 12] 。哲学 てつがく 者 しゃ ジョン・ロック はしばしば自由 じゆう 主義 しゅぎ を確 たし かな流派 りゅうは として創設 そうせつ したと信 しん じられており、各人 かくじん は生命 せいめい 、自由 じゆう および財産 ざいさん に対 たい する自然 しぜん の権利 けんり を有 ゆう し、政府 せいふ は社会 しゃかい 契約 けいやく に基 もと づいてこれらの権利 けんり を侵害 しんがい してはならないと付 つ け加 くわ えた[ 13] 。イギリスの自由 じゆう 主義 しゅぎ の伝統 でんとう は民主 みんしゅ 主義 しゅぎ の拡大 かくだい を強調 きょうちょう してきたが、フランスの自由 じゆう 主義 しゅぎ は権威 けんい 主義 しゅぎ の拒否 きょひ を強調 きょうちょう しており、建国 けんこく と結 むす びついている[ 14] 。
1688年 ねん の名誉 めいよ 革命 かくめい [ 15] 、1776年 ねん のアメリカ独立 どくりつ 、1789年 ねん のフランス革命 かくめい の指導 しどう 者 しゃ たちは、王位 おうい の専制 せんせい 政治 せいじ の武力 ぶりょく による打倒 だとう を正当 せいとう 化 か するために自由 じゆう 主義 しゅぎ 哲学 てつがく を用 もち いた。特 とく にフランス革命 かくめい 後 ご 、自由 じゆう 主義 しゅぎ は急速 きゅうそく に広 ひろ がり始 はじ めた。 19世紀 せいき はヨーロッパと南 みなみ アメリカの国々 くにぐに で自由 じゆう 主義 しゅぎ 政府 せいふ が設立 せつりつ されたが、アメリカでは共和 きょうわ 主義 しゅぎ と並 なら んで確立 かくりつ された[ 16] 。ビクトリア朝 あさ のイギリスでは、自由 じゆう 主義 しゅぎ は人々 ひとびと を代表 だいひょう して科学 かがく と理性 りせい に訴 うった えて、政治 せいじ 的 てき エスタブリッシュメント を批判 ひはん するために使 つか われた[ 17] 。19世紀 せいき から20世紀 せいき 初頭 しょとう にかけて、オスマン帝国 ていこく と中東 ちゅうとう の自由 じゆう 主義 しゅぎ は、タンジマート やアルナダ などの改革 かいかく 時代 じだい 、ならびに世俗 せぞく 主義 しゅぎ 、立憲 りっけん 主義 しゅぎ 、ナショナリズム の台頭 たいとう に影響 えいきょう を与 あた えた。これらの変化 へんか は、他 た の要因 よういん と共 とも に、イスラム教 いすらむきょう 内 うち に危機 きき 感 かん を生 う み出 だ すことに繋 つな がり、それは今日 きょう に至 いた るまで続 つづ き、イスラム復興 ふっこう につながった。 1920年 ねん 以前 いぜん 、古典 こてん 的 てき 自由 じゆう 主義 しゅぎ の主 おも なイデオロギー 的 てき 反対 はんたい 派 は は保守 ほしゅ 主義 しゅぎ であったが、自由 じゆう 主義 しゅぎ は新 あたら しい反対 はんたい 派 は からの大 おお きなイデオロギー的 てき 挑戦 ちょうせん 、すなわちファシズム と共産 きょうさん 主義 しゅぎ に直面 ちょくめん した。しかし、20世紀 せいき の間 あいだ 、自由 じゆう 主義 しゅぎ 的 てき な民主 みんしゅ 主義 しゅぎ が二 に 度 ど の世界 せかい 大戦 たいせん で勝利 しょうり を収 おさ めるなど、自由 じゆう 主義 しゅぎ 的 てき 思想 しそう も特 とく に西 にし ヨーロッパでさらにいっそう広 ひろ がった[ 18] 。
ヨーロッパと北 きた アメリカでは、社会 しゃかい 自由 じゆう 主義 しゅぎ (米国 べいこく では単 たん に「自由 じゆう 主義 しゅぎ 」と呼 よ ばれることが多 おお い)の確立 かくりつ が、福祉 ふくし 国家 こっか の拡大 かくだい における重要 じゅうよう な要素 ようそ となった[ 19] 。今日 きょう 、自由 じゆう 主義 しゅぎ 政党 せいとう は世界中 せかいじゅう で権力 けんりょく と影響 えいきょう 力 りょく を行使 こうし し続 つづ けている。しかし、自由 じゆう 主義 しゅぎ には、アフリカとアジアで克服 こくふく すべき課題 かだい がまだある。現代 げんだい 社会 しゃかい の基本 きほん 的 てき な要素 ようそ は自由 じゆう 主義 しゅぎ のルーツを持 も っている。自由 じゆう 主義 しゅぎ の初期 しょき の波 なみ は憲法 けんぽう 上 じょう の政府 せいふ と議会 ぎかい の権限 けんげん を拡大 かくだい しながら経済 けいざい 的 てき 個人 こじん 主義 しゅぎ を広 ひろ めた[ 12] 。自由 じゆう 主義 しゅぎ 者 しゃ は、言論 げんろん の自由 じゆう や結社 けっしゃ の自由 じゆう 、陪審 ばいしん 員 いん による独立 どくりつ した司法 しほう 裁判 さいばん および公判 こうはん 、貴族 きぞく の特権 とっけん の廃止 はいし など、重要 じゅうよう な個人 こじん の自由 じゆう を尊重 そんちょう する憲法 けんぽう 上 じょう の秩序 ちつじょ を求 もと め、確立 かくりつ した[ 12] 。最近 さいきん の自由 じゆう 主義 しゅぎ 思想 しそう と闘争 とうそう の後 のち の波 なみ は、市民 しみん 権 けん を拡大 かくだい する必要 ひつよう 性 せい によって強 つよ く影響 えいきょう された[ 20] 。自由 じゆう 主義 しゅぎ 者 しゃ たちは、公民 こうみん 権 けん を推進 すいしん するためにジェンダー と人種 じんしゅ 的 てき 平等 びょうどう を提唱 ていしょう し、20世紀 せいき の世界 せかい 的 てき な公民 こうみん 権 けん 運動 うんどう は両方 りょうほう の目的 もくてき に向 む けていくつかの目的 もくてき を達成 たっせい した。ヨーロッパ大陸 たいりく の自由 じゆう 主義 しゅぎ は、穏健 おんけん 派 は と進歩 しんぽ 派 は に分 わ けられ、穏健 おんけん 派 は はエリート主義 しゅぎ になる傾向 けいこう がある一方 いっぽう 、進歩 しんぽ 派 は は普遍 ふへん 的 てき な参政 さんせい 権 けん 、普遍 ふへん 的 てき な教育 きょういく 、財産 ざいさん 権 けん の拡大 かくだい などの基本 きほん 的 てき 制度 せいど の普遍 ふへん 化 か を支持 しじ している。時 とき を経 へ て、穏健 おんけん 派 は はヨーロッパ大陸 たいりく の自由 じゆう 主義 しゅぎ の主要 しゅよう な後見人 こうけんにん として進歩 しんぽ 派 は と取 と って代 か わった[ 14] 。
リベラル、リバティ、リバタリアン 、リバティーン などの言葉 ことば は、すべて「自由 じゆう 」を意味 いみ するラテン語 らてんご のliberにその歴史 れきし を辿 たど ることができる[ 21] 。リベラルという言葉 ことば が最初 さいしょ に記録 きろく されたのは1375年 ねん のことで、自由 じゆう に生 う まれた人間 にんげん にとって望 のぞ ましい教育 きょういく という文脈 ぶんみゃく でリベラルアーツ を説明 せつめい するために使 つか われていた[ 21] 。この言葉 ことば が中世 ちゅうせい の大学 だいがく の古典 こてん 的 てき な教育 きょういく と結 むす びついた初期 しょき の段階 だんかい では、すぐに様々 さまざま な意味合 いみあ いが生 う まれた。リベラルは早 はや くも1387年 ねん には「自由 じゆう に与 あた えられる」という意味 いみ になり、1433年 ねん には「気力 きりょく のない」、1530年 ねん には「自由 じゆう に許 ゆる される」、16世紀 せいき と17世紀 せいき には「拘束 こうそく から解放 かいほう される」という意味 いみ になり、しばしば蔑称 べっしょう として使 つか われるようになった[ 21] 。16世紀 せいき のイングランド では、リベラルは、誰 だれ かの寛大 かんだい さや軽率 けいそつ さを指 さ すときに、肯定 こうてい 的 てき な属性 ぞくせい と否定 ひてい 的 てき な属性 ぞくせい を持 も つことができた[ 21] 。ウィリアム・シェイクスピア は、『空騒 からさわ ぎ 』の中 なか で、「下品 げひん な出会 であ いを告白 こくはく する」リベラルな悪女 あくじょ のことを書 か いている[ 21] 。啓蒙 けいもう 主義 しゅぎ の台頭 たいとう とともに、1781年 ねん には「狭 せま い偏見 へんけん から解放 かいほう された」、1823年 ねん には「偏見 へんけん から解放 かいほう された」と定義 ていぎ されるようになり、この言葉 ことば はより肯定 こうてい 的 てき な意味合 いみあ いを持 も つようになった[ 21] 。1815年 ねん には、英語 えいご で「自由 じゆう 主義 しゅぎ 」という言葉 ことば が初 はじ めて使 つか われるようになった[ 22] 。スペインでは、政治 せいじ 的 てき な文脈 ぶんみゃく でリベラルという言葉 ことば を使 つか った最初 さいしょ のグループであるリベラレス[ 23] は、1812年 ねん 憲法 けんぽう 施行 しこう のために何 なん 十 じゅう 年 ねん にもわたって戦 たたか った。1820年 ねん から1823年 ねん にかけての「トリエニオリベラル 」では、フェルナンド7世 せい はリベラル派 は から憲法 けんぽう を守 まも ることを誓 ちか うよう強制 きょうせい された。19世紀 せいき 半 なか ばまでには、リベラルは世界中 せかいじゅう の政党 せいとう や運動 うんどう の政治 せいじ 用語 ようご として使 つか われるようになった[ 24] 。
時 じ が経 た つにつれ、リベラリズムという言葉 ことば の意味 いみ は、世界 せかい の様々 さまざま な地域 ちいき で多様 たよう 化 か し始 はじ めた。ブリタニカ百科 ひゃっか 事典 じてん によると、「米国 べいこく では、自由 じゆう 主義 しゅぎ は、フランクリン・D・ルーズベルト 大統領 だいとうりょう の民主党 みんしゅとう 政権 せいけん のニューディール 計画 けいかく の福祉 ふくし 国家 こっか 政策 せいさく に関連 かんれん しているが、ヨーロッパでは、制限 せいげん された政府 せいふ と自由 じゆう 放任 ほうにん 主義 しゅぎ の経済 けいざい 政策 せいさく へのコミットメントに関連 かんれん しているのが一般 いっぱん 的 てき である」という[ 25] 。その結果 けっか 、アメリカでは、以前 いぜん は古典 こてん 的 てき 自由 じゆう 主義 しゅぎ と結 むす びついていた個人 こじん 主義 しゅぎ と放任 ほうにん 主義 しゅぎ 経済 けいざい 学 がく の考 かんが え方 かた が、リバタリアン思想 しそう の新興 しんこう 派 は の基礎 きそ となり[ 26] 、アメリカの保守 ほしゅ 主義 しゅぎ の重要 じゅうよう な構成 こうせい 要素 ようそ となっている。
ヨーロッパやラテンアメリカとは異 こと なり、北米 ほくべい のリベラリズムという言葉 ことば は、ほとんどが社会 しゃかい 自由 じゆう 主義 しゅぎ を指 さ している。カナダの支配 しはい 的 てき な政党 せいとう は自由党 じゆうとう であり、米国 べいこく では民主党 みんしゅとう が通常 つうじょう リベラルと考 かんが えられている[ 27] [ 28] [ 29] 。
古典 こてん 的 てき 自由 じゆう 主義 しゅぎ (Classical liberalism )とは、ジョン・ロック やジョン・スチュアート・ミル などのイギリス の啓蒙 けいもう 主義 しゅぎ 時代 じだい の政治 せいじ 哲学 てつがく を源泉 げんせん とする思想 しそう である。彼 かれ らはホッブス の社会 しゃかい 契約 けいやく 論 ろん をもとに個人 こじん の生命 せいめい (Life )、自由 じゆう (Liberty )、財産 ざいさん (Property )の3権利 けんり を自然 しぜん 権 けん として主張 しゅちょう し、以前 いぜん の神学 しんがく から決別 けつべつ した形 かたち で社会 しゃかい のあり方 かた を説 と いた。初期 しょき の自由 じゆう 主義 しゅぎ は王政 おうせい のイギリスで主張 しゅちょう されたもので、必 かなら ずしも民主 みんしゅ 主義 しゅぎ を主張 しゅちょう するものではない。この場合 ばあい の自然 しぜん 権 けん とは政治 せいじ 的 てき 権利 けんり はともかく個人 こじん の権利 けんり として、国王 こくおう であろうとも犯 おか すことのできない最低限 さいていげん の権利 けんり を論 ろん じるものであった。その後 ご のフランス などの革命 かくめい 思想 しそう において民主 みんしゅ 主義 しゅぎ 、平等 びょうどう 主義 しゅぎ 、共和 きょうわ 主義 しゅぎ 、世俗 せぞく 主義 しゅぎ などの要素 ようそ が先 さき に述 の べられた3権利 けんり の維持 いじ には不可欠 ふかけつ であるとの主張 しゅちょう が加 くわ わる。個人 こじん の自由 じゆう の尊重 そんちょう 、平等 びょうどう な個人 こじん の観念 かんねん 、寛容 かんよう 、法 ほう の尊重 そんちょう 、権力 けんりょく の分立 ぶんりつ と議会 ぎかい 制度 せいど 、市場 いちば 経済 けいざい の承認 しょうにん といった価値 かち 観 かん を主張 しゅちょう する思想 しそう ともいえる。
特 とく に、前者 ぜんしゃ の最初 さいしょ 期 き の自由 じゆう 主義 しゅぎ をもって古典 こてん 的 てき 自由 じゆう 主義 しゅぎ という場合 ばあい はレッセ・フェール (放任 ほうにん される自由 じゆう )を強調 きょうちょう する思想 しそう となり、個人 こじん 主義 しゅぎ の哲学 てつがく ・世界 せかい 観 かん に基 もと づく市場 いちば 経済 けいざい 社会 しゃかい と、政治 せいじ 体制 たいせい として最小限 さいしょうげん の政府 せいふ (小 ちい さな政府 せいふ )を理想 りそう とする「夜警 やけい 国家 こっか 」を主張 しゅちょう する。古典 こてん 派 は 自由 じゆう 主義 しゅぎ 経済 けいざい 学 がく は、利己 りこ 的 てき に行動 こうどう する各人 かくじん が市場 いちば において自由 じゆう 競争 きょうそう を行 おこな えば、その意図 いと しない結果 けっか として(「見 み えざる手 て 」)、公正 こうせい で安定 あんてい した社会 しゃかい が成立 せいりつ すると考 かんが える思想 しそう (→アダム・スミス )である。経済 けいざい 的 てき 自由 じゆう を重視 じゅうし する立場 たちば から、英語 えいご 圏 けん ではEconomic liberalism (経済 けいざい 自由 じゆう 主義 しゅぎ )やMarket liberalism (市場 いちば 自由 じゆう 主義 しゅぎ )とも呼 よ ばれる[ 注釈 ちゅうしゃく 1] 。一方 いっぽう で後者 こうしゃ の後期 こうき の自由 じゆう 主義 しゅぎ の場合 ばあい は、放任 ほうにん される自由 じゆう という観点 かんてん とは逆 ぎゃく に政府 せいふ によって保護 ほご される権利 けんり という観点 かんてん に立 た ち、国民 こくみん の生活 せいかつ 水準 すいじゅん を守 まも る目的 もくてき での累進 るいしん 課税 かぜい や保護 ほご 主義 しゅぎ 、さらには公共 こうきょう 機関 きかん においての宗教 しゅうきょう 的 てき 服装 ふくそう を禁止 きんし など、自由 じゆう との表現 ひょうげん と矛盾 むじゅん するように見 み えるものである。これは日本語 にほんご に明確 めいかく に翻訳 ほんやく されていないLiberty がどのように解釈 かいしゃく されるかでその政策 せいさく 的 てき 意味 いみ が変化 へんか することもあげられる。
近代 きんだい 自由 じゆう 主義 しゅぎ (モダン・リベラリズム、英 えい : Modern liberalism , Reform liberalism )は、自己 じこ と他者 たしゃ の自由 じゆう [ 注釈 ちゅうしゃく 2] を尊重 そんちょう する社会 しゃかい 的 てき 公正 こうせい を指向 しこう する思想 しそう 体系 たいけい のことをいう[ 30] 。レッセフェール (自由 じゆう 放任 ほうにん )を基本 きほん 原理 げんり とする古典 こてん 的 てき 自由 じゆう 主義 しゅぎ や自由 じゆう 至上 しじょう 主義 しゅぎ とは異 こと なり、それが人々 ひとびと の自由 じゆう をかえって阻害 そがい するという考 かんが え方 かた が根底 こんてい にある。現代 げんだい において個人 こじん の自由 じゆう で独立 どくりつ した選択 せんたく を実質 じっしつ 的 てき に保障 ほしょう し、極度 きょくど の貧富 ひんぷ 差 さ における経済 けいざい 的 てき 隷属 れいぞく や個人 こじん の社会 しゃかい 的 てき 自由 じゆう を侵害 しんがい する偏見 へんけん や差別 さべつ などを防 ふせ ぐためには、政府 せいふ による制限 せいげん や介入 かいにゅう をなくしたりする(無 む 政府 せいふ 資本 しほん 主義 しゅぎ 、リバタリアニズム 、新 しん 自由 じゆう 主義 しゅぎ )のではなく、政府 せいふ や地域 ちいき 社会 しゃかい による積極 せっきょく 的 てき な介入 かいにゅう も必要 ひつよう であるという考 かんが えに基 もと づく。
「公正 こうせい 」とは、ジョン・ロールズ によれば「立場 たちば 入 い れ替 か え可能 かのう 性 せい の確保 かくほ 」を意味 いみ する。これは人々 ひとびと に「社会 しゃかい のどこに生 う まれても自分 じぶん は耐 た えられるか」という反 はん 実 じつ 仮想 かそう を迫 せま るものであり、機会 きかい 平等 びょうどう と最小 さいしょう 不幸 ふこう を主張 しゅちょう する。ロールズの格差 かくさ 原理 げんり では、格差 かくさ ないし不平等 ふびょうどう の存在 そんざい は、それをもたらす職務 しょくむ につく機会 きかい が平等 びょうどう に開 ひら かれており、かつ、それによって社会 しゃかい で最 もっと も不遇 ふぐう な人々 ひとびと の厚生 こうせい が図 はか られない限 かぎ り、その存在 そんざい は公正 こうせい ではないものとされている。
よって、近代 きんだい 自由 じゆう 主義 しゅぎ は積極 せっきょく 的 てき 自由 じゆう に基 もと づく自己 じこ 決定 けってい を推奨 すいしょう し、国家 こっか による富 とみ の再 さい 配分 はいぶん または地域 ちいき 社会 しゃかい による相互 そうご 扶助 ふじょ を肯定 こうてい する。すなわち、市場 いちば 原理 げんり 主義 しゅぎ では大 だい 企業 きぎょう が利益 りえき を最大 さいだい 化 か する一連 いちれん の行為 こうい のために、失業 しつぎょう 問題 もんだい や構造 こうぞう 的 てき 貧困 ひんこん や環境 かんきょう 問題 もんだい などさまざまな弊害 へいがい ・社会 しゃかい 問題 もんだい が生 しょう じ、それは古典 こてん 的 てき 自由 じゆう 主義 しゅぎ の「意図 いと に反 はん して」人々 ひとびと の社会 しゃかい 的 てき 自由 じゆう をかえって阻害 そがい しているとし、古典 こてん 的 てき 自由 じゆう 主義 しゅぎ を修正 しゅうせい する思想 しそう である[ 注釈 ちゅうしゃく 3] 。
日本語 にほんご では消極 しょうきょく 的 てき 自由 じゆう を重視 じゅうし する古典 こてん 的 てき 自由 じゆう 主義 しゅぎ とのニュアンスの違 ちが いを表 あらわ すため、また、混同 こんどう を避 さ けるためにあえて自由 じゆう 主義 しゅぎ ではなくリベラリズム と呼 よ ばれることが多 おお い。英語 えいご 圏 けん ではSocial liberalism (社会 しゃかい 自由 じゆう 主義 しゅぎ )と表現 ひょうげん される。社会 しゃかい 的 てき 自由 じゆう を重視 じゅうし することから、社会 しゃかい 民主 みんしゅ 主義 しゅぎ との親和 しんわ 性 せい がイメージされることも多 おお い[ 31] 。ただし、事後 じご 的 てき な社会 しゃかい 保障 ほしょう としての福祉 ふくし 国家 こっか 論 ろん を主張 しゅちょう した社会 しゃかい 民主 みんしゅ 主義 しゅぎ とは異 こと なり、個人 こじん 主義 しゅぎ に信頼 しんらい するロールズのリベラリズムでは、人的 じんてき 資本 しほん を含 ふく む生産 せいさん 手段 しゅだん の広範 こうはん な分散 ぶんさん 的 てき 保有 ほゆう の事前 じぜん 的 てき な制度 せいど 的 てき 保障 ほしょう が主張 しゅちょう されている[ 32] 。
「
政府 せいふ は、
共同 きょうどう 体 たい 一 いち 人 にん ひとりのメンバーを
強力 きょうりょく な
権力 けんりょく でつぎつぎと
押 お さえ
込 こ み、
都合 つごう よく
人々 ひとびと の
人格 じんかく を
変質 へんしつ させたあと、その
超越 ちょうえつ 的 てき な
権力 けんりょく を
社会 しゃかい 全体 ぜんたい に
伸 の ばしてくる。この
国家 こっか 権力 けんりょく は
細 こま かく
複雑 ふくざつ な
規制 きせい のネットワークと、
些細 ささい な
事柄 ことがら や
征服 せいふく などによって
社会 しゃかい の
表層 ひょうそう を
覆 おお った。そのために、
最 もっと も
個性 こせい 的 てき な
考 かんが え
方 かた や
最 もっと もエネルギッシュな
人格 じんかく を
持 も った
者 もの たちが、
人々 ひとびと を
感銘 かんめい させ
群集 ぐんしゅう の
中 なか から
立 た ち
上 あ がり、
社会 しゃかい に
強 つよ い
影響 えいきょう を
与 あた えることができなくなった。
人間 にんげん の意志 いし そのものを破壊 はかい してしまうことはできないが、それを弱 よわ めて、捻 ね じ曲 ま げて、誘導 ゆうどう することはできるのだ。国家 こっか 権力 けんりょく によって人々 ひとびと は直接 ちょくせつ その行動 こうどう を強制 きょうせい されることはないが、たえず行動 こうどう を制限 せいげん されている。こうした政府 せいふ の権力 けんりょく が、人間 にんげん そのものを破壊 はかい してしまうことはないが、その存在 そんざい を妨 さまた げるのだ。専制 せんせい 政治 せいじ にまではならないが、人々 ひとびと を締 し め付 つ け、その気力 きりょく を弱 よわ らせ、希望 きぼう を打 う ち砕 くだ き、消沈 しょうちん させ、麻痺 まひ させる。そして最後 さいご には、国民 こくみん の一人 ひとり ひとりは、臆病 おくびょう でただ勤勉 きんべん なだけの動物 どうぶつ たちの集 あつ まりにすぎなくなり、政府 せいふ がそれを羊 ひつじ 飼 か いとして管理 かんり するようになる」
— アレクシ・ド・トクヴィル 『アメリカのデモクラシー 』
「われわれの
選良 せんりょう を
信頼 しんらい して、われわれの
権利 けんり の
安全 あんぜん に
対 たい する
懸念 けねん を
忘 わす れるようなことがあれば、それは
危険 きけん な
考 かんが え
違 ちが いである。
信頼 しんらい はいつも
専制 せんせい の
親 おや である。
自由 じゆう な
政府 せいふ は、
信頼 しんらい ではなく、
猜疑 さいぎ にもとづいて
建設 けんせつ せられる。われわれが
権力 けんりょく を
信託 しんたく するを
要 よう する
人々 ひとびと を、
制限 せいげん 政体 せいたい によって
拘束 こうそく するのは、
信頼 しんらい ではなく
猜疑 さいぎ に
由来 ゆらい するのである。われわれ
連邦 れんぽう 憲法 けんぽう は、したがって、われわれの
信頼 しんらい の
限界 げんかい を
確定 かくてい したものにすぎない。
権力 けんりょく に
関 かん する
場合 ばあい は、それゆえ、
人 ひと に
対 たい する
信頼 しんらい に
耳 みみ をかさず、
憲法 けんぽう の
鎖 くさり によって、
非行 ひこう を
行 おこな わぬように
拘束 こうそく する
必要 ひつよう がある。」
— トーマス・ジェファーソン 、1776年 ねん (法律 ほうりつ 学 がく 全集 ぜんしゅう 3『憲法 けんぽう 』pp.90)
自由 じゆう 主義 しゅぎ の哲学 てつがく 的 てき 、思想 しそう 的 てき 源流 げんりゅう をさかのぼると、17世紀 せいき イギリスのジョン・ロック (1632年 ねん - 1704年 ねん )の思想 しそう に行 い き着 つ く。ロックは、人間 にんげん は生来 せいらい 自由 じゆう で可能 かのう 性 せい に充 み ちた生 い き物 もの であり、いかなる人間 にんげん にも自 みずか らの自由 じゆう な意思 いし と選択 せんたく で生 い きることが認 みと められていると主張 しゅちょう した。この権利 けんり は「自然 しぜん 権 けん (Natural Rights )」として個々 ここ の人間 にんげん に生 う まれた時 とき から備 そな わっているものであり、誰 だれ からも妨害 ぼうがい されることはない。人間 にんげん は誰 だれ もが、個人 こじん の自由 じゆう な意思 いし に基 もと づいて自 みずか らの判断 はんだん で思想 しそう も宗教 しゅうきょう も生 い き方 かた や生活 せいかつ のスタイルも自由 じゆう に選 えら ぶことができると主張 しゅちょう した。当時 とうじ 、市民 しみん の生活 せいかつ に強力 きょうりょく な王権 おうけん で干渉 かんしょう し、人々 ひとびと の財産 ざいさん までその一存 いちぞん で奪 うば うことができた絶対 ぜったい 主義 しゅぎ 政府 せいふ の国家 こっか 権力 けんりょく に対抗 たいこう する思想 しそう としてロックが生 う み出 だ した主張 しゅちょう が、リベラリズムの始 はじ まりであると言 い われる。
ロックはさらに、この個人 こじん の自由 じゆう に生 い きる権利 けんり を実際 じっさい に行使 こうし するためには、専制 せんせい 的 てき 権力 けんりょく 者 しゃ や独断 どくだん 的 てき な政府 せいふ 政策 せいさく 、政治 せいじ 制度 せいど や社会 しゃかい 制度 せいど の一方 いっぽう 的 てき な主義 しゅぎ や主張 しゅちょう 、イデオロギー などによって勝手 かって に奪 うば われてしまうことのない自分 じぶん の「財産 ざいさん 」を所有 しょゆう する必要 ひつよう があると主張 しゅちょう した。ロックによれば、当人 とうにん の所有 しょゆう 物 ぶつ となるのは身体 しんたい を用 もち いて自然 しぜん 界 かい の共有 きょうゆう 物 ぶつ から切 き り離 はな されたものであるとされた[ 注釈 ちゅうしゃく 4] 。また、この自己 じこ 所有 しょゆう は自己 じこ の身体 しんたい に対 たい する所有 しょゆう 権 けん にその原型 げんけい を有 ゆう するものとされた。この立場 たちば からは、当人 とうにん の所有 しょゆう 物 ぶつ をその同意 どうい を得 え ないで使用 しよう することはいわば奴隷 どれい 化 か と同等 どうとう であって正義 せいぎ に反 はん するとされた。
そして、自由 じゆう な政治 せいじ と経済 けいざい 体制 たいせい のもと、自由 じゆう な市民 しみん による自主 じしゅ 的 てき な合意 ごうい によって制定 せいてい される「法律 ほうりつ 」と、自由 じゆう な意思 いし を持 も つ個人 こじん どうしの自発 じはつ 的 てき で主体 しゅたい 的 てき な裁量 さいりょう によって結 むす ばれる「契約 けいやく 」によって初 はじ めて、各人 かくじん がこの「所有 しょゆう 権 けん 」を保障 ほしょう され、自分 じぶん 自身 じしん や自分 じぶん が自由 じゆう に生 い きるために必要 ひつよう な自分 じぶん が占有 せんゆう できる財産 ざいさん を得 え るのだと主張 しゅちょう した。「政府 せいふ 」の真 しん の役割 やくわり とは、こうした個人 こじん の権利 けんり を「守 まも る」ことに限定 げんてい される。これを破 やぶ ってその国家 こっか 権力 けんりょく を乱用 らんよう し人々 ひとびと の自由 じゆう を奪 うば った時 とき には、市民 しみん が抵抗 ていこう 権 けん ・革命 かくめい 権 けん を行使 こうし しその政府 せいふ を交代 こうたい させる権利 けんり を持 も つのだと主張 しゅちょう した(社会 しゃかい 契約 けいやく 説 せつ )。
スコットランド の古典 こてん 派 は 経済 けいざい 学 がく (classical economics )の学者 がくしゃ であるアダム・スミス はロックに続 つづ いて、個人 こじん の利己 りこ 心 しん がその意図 いと しない結果 けっか として社会 しゃかい 全体 ぜんたい の利益 りえき をもたらすという「見 み えざる手 て 」の議論 ぎろん を展開 てんかい した上 うえ 、そのために、政府 せいふ の干渉 かんしょう や介入 かいにゅう 政策 せいさく を受 う けない、自由 じゆう な経済 けいざい 環境 かんきょう (自由 じゆう 市場 いちば )における自由 じゆう な経済 けいざい 活動 かつどう が必要 ひつよう だと説 と いた。
このイギリスの自由 じゆう 主義 しゅぎ (リベラリズム)の思想 しそう が18世紀 せいき にアメリカに渡 わた り、米 べい 3代 だい 大統領 だいとうりょう トーマス・ジェファーソン らアメリカ建国 けんこく の中心 ちゅうしん 人物 じんぶつ たちであるファウンディング・ファーザーズ(建国 けんこく の父 ちち 達 たち ) によってアメリカ建国 けんこく の国家 こっか 思想 しそう として引 ひ き継 つ がれた。彼 かれ らは、巨大 きょだい な国家 こっか 権力 けんりょく で人民 じんみん を縛 しば り付 つ けたイギリスの政府 せいふ 支配 しはい 体制 たいせい に対抗 たいこう してイギリスを離 はな れ、新天地 しんてんち アメリカに王権 おうけん にも専制 せんせい 政府 せいふ 権力 けんりょく にも統制 とうせい を受 う けない、独立 どくりつ した市民 しみん による自発 じはつ 的 てき な人々 ひとびと の自由 じゆう な市民 しみん 社会 しゃかい の設立 せつりつ を目指 めざ した。建国 けんこく 後 ご に建国 けんこく の父 ちち 達 たち は人民 じんみん の基本 きほん 権 けん を守 まも るために権利 けんり 章典 しょうてん を制定 せいてい した。だが、この権利 けんり 章典 しょうてん は憲法 けんぽう の制定 せいてい 当初 とうしょ にはなく、後 のち に、「修正 しゅうせい 条項 じょうこう 」としてアメリカ合衆国 あめりかがっしゅうこく 憲法 けんぽう に追加 ついか された。
その後 ご ジョン・スチュアート・ミル のように自由 じゆう 民主 みんしゅ 主義 しゅぎ の方向 ほうこう で対応 たいおう していく流 なが れ(レオナルド・トレローニー・ホブハウス 、アレクサンダー・ダンロップ・リンゼイ、アーネスト・バーカー 、ジョン・デューイ )に対 たい して、とりわけ20世紀 せいき の前半 ぜんはん になると、新 しん 自由 じゆう 主義 しゅぎ 論 ろん (グレイのような論者 ろんしゃ は「古典 こてん 的 てき 自由 じゆう 主義 しゅぎ の復興 ふっこう 」として取 と り扱 あつか う)が台頭 たいとう してくる。代表 だいひょう はフリードリヒ・ハイエク である。
近代 きんだい 自由 じゆう 主義 しゅぎ の成立 せいりつ とその後 ご
編集 へんしゅう
19世紀 せいき 後半 こうはん から20世紀 せいき 前半 ぜんはん にかけて、ホブハウス、デューイ、ルヨ・ブレンターノ 、トーマス・ヒル・グリーン 、ジョン・メイナード・ケインズ 、ベルティル・オリーン といった人 ひと たちによって哲学 てつがく 的 てき ・経済 けいざい 学 がく 的 てき な視点 してん から、自由 じゆう 放任 ほうにん 主義 しゅぎ を放棄 ほうき し、時 とき には国家 こっか による介入 かいにゅう も容認 ようにん するべきであるとする根拠 こんきょ と方法 ほうほう が次第 しだい に理論 りろん 化 か され、こうした思想家 しそうか の影響 えいきょう を受 う けた自由 じゆう 主義 しゅぎ 者 しゃ たちはニューリベラル (new liberals )と呼 よ ばれ影響 えいきょう 力 りょく を増 ま していく。
かれらは階級 かいきゅう 間 あいだ の融和 ゆうわ 不可能 ふかのう な対立 たいりつ や中央 ちゅうおう 集権 しゅうけん 的 てき な統制 とうせい を是認 ぜにん しない一方 いっぽう で、古典 こてん 的 てき 自由 じゆう 主義 しゅぎ 者 しゃ のように自由 じゆう 競争 きょうそう が市場 いちば における「神 かみ の見 み えざる手 て 」のように最大 さいだい 多数 たすう の最大 さいだい 幸福 こうふく を自動的 じどうてき に実現 じつげん するとは信 しん じず、政府 せいふ によって、各人 かくじん の社会 しゃかい 的 てき 自己 じこ 実現 じつげん をさまたげ、市場 いちば や社会 しゃかい における相互 そうご の欲求 よっきゅう の最適 さいてき 化 か や調整 ちょうせい のメカニズムを阻害 そがい する過度 かど の集中 しゅうちゅう や不 ふ 公正 こうせい などの要因 よういん を除去 じょきょ することが、まさしく「自由 じゆう 」の観点 かんてん から言 い っても必要 ひつよう だと考 かんが えた。
なかでもケインズは「自由 じゆう 放任 ほうにん の論拠 ろんきょ とされてきた形而上学 けいじじょうがく は、これを一掃 いっそう しようではないか。持 も てる者 もの に永久 えいきゅう の権利 けんり を授 さづ ける契約 けいやく など一 ひと つもない。利己 りこ 心 しん がつねに社会 しゃかい 全体 ぜんたい の利益 りえき になるように働 はたら くというのは本当 ほんとう ではない。各自 かくじ 別々 べつべつ に自分 じぶん の目的 もくてき を促進 そくしん するために行動 こうどう している個々人 ここじん は、たいてい自分 じぶん 自身 じしん の目的 もくてき すら達成 たっせい しえない状態 じょうたい にある」と述 の べ[ 33] 、アダム・スミス に由来 ゆらい する「見 み えざる手 て 」に信頼 しんらい する自由 じゆう 放任 ほうにん 論 ろん からの脱却 だっきゃく を求 もと めるとともに、具体 ぐたい 的 てき には不完全 ふかんぜん 雇用 こよう 均衡 きんこう からの脱却 だっきゃく のための経済 けいざい 政策 せいさく が、政府 せいふ によって実現 じつげん されることを求 もと めた。
こうして、大 だい 恐慌 きょうこう を代表 だいひょう とする「市場 いちば の失敗 しっぱい 」やニューディール政策 せいさく などを経 へ たアメリカでは、民主党 みんしゅとう などに代表 だいひょう されるように、自由 じゆう を実質 じっしつ 的 てき に実現 じつげん するためには、その現実 げんじつ 的 てき 制約 せいやく となっている社会 しゃかい 的 てき 不 ふ 公正 こうせい を政府 せいふ によって是正 ぜせい しなければならない、というアイザイア・バーリン によって分類 ぶんるい された「積極 せっきょく 的 てき 自由 じゆう 」を重 おも んじる(他 た からの不干渉 ふかんしょう というのにとどまらず実質 じっしつ 的 てき な自己 じこ 決定 けってい 、自己 じこ 支配 しはい が達成 たっせい されなければ、形式 けいしき 的 てき 自由 じゆう には意味 いみ がないという)思想 しそう がリベラルの中 なか で優勢 ゆうせい となった。
^ アダム・スミス は、見 み えざる手 て は著書 ちょしょ において1度 ど しか使用 しよう しておらず特 とく に重要 じゅうよう 視 し もしていなかったという主張 しゅちょう がある一方 いっぽう で、個人 こじん の経済 けいざい 的 てき 自由 じゆう の追求 ついきゅう は社会 しゃかい の福利 ふくり 厚生 こうせい に貢献 こうけん するとの記述 きじゅつ は何 なん 度 ど も展開 てんかい されるとの反論 はんろん が存在 そんざい する。
^ ロールズの第 だい 1原理 げんり では、各 かく 個人 こじん は、他者 たしゃ の自由 じゆう と両立 りょうりつ しうる限 かぎ り、基本 きほん 的 てき な自由 じゆう を平等 びょうどう に享受 きょうじゅ するとしている。
^ なお、政府 せいふ ではなくローカル共同 きょうどう 体 たい などの中 なか 間 あいだ 集団 しゅうだん による再 さい 分配 ぶんぱい と相互 そうご 扶助 ふじょ を主張 しゅちょう する思想 しそう としてアナキズム がある。
^ この労働 ろうどう の果実 かじつ としてのロック的 てき な所有 しょゆう 権 けん は実際 じっさい の歴史 れきし では特 とく に不動産 ふどうさん の場合 ばあい においては稀 まれ であった。
^ 価値 かち 多元 たげん 論 ろん をきわめて強 つよ く解釈 かいしゃく したジョン・グレイ は、固定 こてい 化 か できない「自由 じゆう 」という論争 ろんそう 的 てき 概念 がいねん の追求 ついきゅう は、多様 たよう な自我 じが や差異 さい の存在 そんざい と真 ま っ向 こう から対立 たいりつ するものであるとして、自由 じゆう 主義 しゅぎ はイデオロギー 化 か できないという考 かんが え方 かた を示 しめ している。ことにロールズの自由 じゆう 主義 しゅぎ 契約 けいやく 論 ろん は「社会 しゃかい 的 てき 基本 きほん 財 ざい 」、すなわち自由 じゆう の追求 ついきゅう を前提 ぜんてい に据 す えた議論 ぎろん であり、それゆえにロールズが示 しめ す「無知 むち のヴェール」を纏 まつわ った「閉 と じた社会 しゃかい 」に対 たい して、自由 じゆう を是 ぜ とする「開 ひら かれた社会 しゃかい 」の優位 ゆうい 性 せい を前提 ぜんてい とするこの議論 ぎろん の進化 しんか 論 ろん 的 てき 性格 せいかく を、グレイは論理 ろんり 的 てき に破綻 はたん していると結論 けつろん している(ジョン・グレイ,2001,『自由 じゆう 主義 しゅぎ 論 ろん 』,ミネル みねる ヴァ書房 ぁしょぼう )。
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