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饗宴 - Wikipedia

饗宴きょうえん』(きょうえん、古希こき: Συμπόσιονシュンポシオン: Symposium)は、プラトン中期ちゅうき対話たいわへんの1つ。副題ふくだいは「エロースἔρως、erōs)について」[1][2]

構成こうせい

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パレロン位置いち中央ちゅうおう
 
ダイバーのはかフレスコえがかれたシュンポシオン。
 
饗宴きょうえんアンゼルム・フォイエルバッハ描画びょうが1873ねん

登場とうじょう人物じんぶつ

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後代こうだい話者わしゃ

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  • アポロドロス - アテナイ南方なんぽう旧港きゅうみなとパレロン出身しゅっしんのソクラテスの友人ゆうじん崇拝すうはいしゃ激情げきじょうとしてられ、ソクラテス臨終りんじゅうさいには大声おおごえわめいたようが『パイドン』にえがかれている。
  • 知人ちじんグラウコン[3]
  • 友人ゆうじん

回想かいそう話者わしゃ

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時代じだい場面ばめん設定せってい

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紀元前きげんぜん400ねん[4]ころアテナイ。アポロドロスは友人ゆうじんに、紀元前きげんぜん416ねん[4]にあった饗宴きょうえんはなしおしえてほしいとせがまれる。

アポロドロスは、ついこのあいだも、べつ知人ちじんグラウコン)からそのはなしをせがまれたことをかしつつ、その饗宴きょうえん自分じぶんたち子供こどもころのかなりむかしはなしであり、自分じぶん直接ちょくせつそこにいたわけではないが、そこに居合いあわせたキュダテナイオンのアリストデモスというソクラテスの友人ゆうじん敬愛けいあいしゃから、くわしいはなしいてっていること、また、その知人ちじんにパレロンの自宅じたくからアテナイ市内しないまでのみちあるきがてら、かたってかせたので、はな準備じゅんびはできていることをべつつ、アリストデモスがべたままに、回想かいそうかたられる。

紀元前きげんぜん416ねん、アテナイの悲劇ひげき詩人しじんアガトン悲劇ひげきのコンクールではつ優勝ゆうしょうした翌日よくじつ、アガトンの邸宅ていたくでの祝賀しゅくが饗宴きょうえんまねかれているソクラテスが、なりをととのえているところに、アリストデモスはくわし、一緒いっしょについていくことになった。アガトンの邸宅ていたくくと、すで友人ゆうじんたちたかっており、ちょうど食事しょくじをするところだった。食事しょくじえ、エリュクシマコスが今夜こんや演説えんぜつときごそうと提案ていあん論題ろんだいを「エロース」に設定せっていし、順々じゅんじゅん演説えんぜつおこなっていくことになる。

翌朝よくあさ、ソクラテスがかえるまでがえがかれる。

内容ないよう

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対話たいわへんおおきくみっつの部分ぶぶんにわかれる。

  1. エロース賛美さんび演説えんぜつ - エリュクシマコスの提案ていあんで、あいかみエロース賛美さんびする演説えんぜつおこなうこととなる。パイドロス、すうにん省略しょうりゃく)、パウサニアス、エリュクシマコス、アリストパネス、アガトンがじゅん演説えんぜつおこなう。
  2. ソクラテスの演説えんぜつ - ソクラテスは自分じぶんせつではなく、マンティネイア出身しゅっしん婦人ふじんディオティマいたせつとして、あいきょうせつかたる。
    あい(エロース)とは欠乏けつぼう富裕ふゆうからまれ、その両方りょうほう性質せいしつそなえている。ゆえに不死ふしのものではないが、かみてき性質せいしつそなえ、不死ふし欲求よっきゅうする。すなわちあい自身じしん存在そんざい永遠えいえんなものにしようとする欲求よっきゅうである。これはみずからにたものにみずからを刻印こくいんし、さい生産せいさんすることによっておこなわれる。このような生産せいさんてき性質せいしつをもつあいにはいくつかの段階だんかいがあり、生物せいぶつてきさい生産せいさんから、他者たしゃへの教育きょういくによるさい生産せいさんへとかう。あいしんによいものである(ソピアー)にかうものであるから、愛知あいちしゃ(ピロソポス)である。あいがもとめるべきもっともうつくしいものは、永遠えいえんなるイデアであり、のイデアをもとめることがもっとすぐれている。大海たいかいたものは、イデアを驚異きょういたされる。これをもとめることこそがもっとも高次こうじあいである。(以上いじょう、ディオティマのせつ
  3. アルキビアデスの乱入らんにゅう - ソクラテスの信奉しんぽうしゃであるわかいアルキビアデスが登場とうじょうする。アルキビアデスはすでにっており、ソクラテスが自分じぶんをいかにあいさなかったか、自分じぶんがソクラテスをあいしゃ[5]にしようとしていかにこばまれたか、また戦場せんじょうでソクラテスの態度たいどがいかに立派りっぱなものであったかをかたる。これはいままで抽象ちゅうしょうてき展開てんかいされてきたあい体現たいげんしたひととして、プラトンが肖像しょうぞうえがこうとした部分ぶぶんといえる。

アルキビアデスの乱入らんにゅうのあと饗宴きょうえん混乱こんらんし、夜通よどおさわいだのちみなが宴席えんせき寝静ねしずまったところに、ソクラテスはみだれることもなく、体育たいいくじょうく。

導入どうにゅう

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紀元前きげんぜん400ねんころのアテナイ。アポロドロスは友人ゆうじんに、かつてアガトン、ソクラテス、アルキビアデスとう饗宴きょうえんでエロースについての演説えんぜつおこなったはなしきたいとせがまれる。アポロドロスは、ついこのあいだも、知人ちじんグラウコン)にたのまれてはなしをしたばかりなので、準備じゅんびはできていること、また、このはなし自分じぶんたちがまだ子供こどもころはなしで、そこに居合いあわせたソクラテスの友人ゆうじんアリストデモスからかされたはなしだと前置まえおきしつつ、はなしはじめる。

回想かいそう導入どうにゅう

編集へんしゅう

紀元前きげんぜん416ねんのアテナイ。悲劇ひげき詩人しじんアガトンが悲劇ひげきのコンクールではつ優勝ゆうしょうした翌日よくじつ、アリストデモスは、沐浴もくよくえてくついたソクラテスに出逢であう。アガトンの自宅じたくでの饗宴きょうえんばれているのだという。そして、アリストデモスも一緒いっしょについてくことになった。

アガトンの自宅じたくくと、すで友人ゆうじんたちたかっており、給仕きゅうじたちがあわただしく食事しょくじ用意よういをしていた。アガトンがアリストデモスに、ソクラテスはどうしたのかたずねると、アリストデモスは先程さきほどまで一緒いっしょだったのにと不思議ふしぎがる。給仕きゅうじそとくと、となりいえ玄関げんかんまえったままかんがんでいるという。アリストデモスは、いつものことだからはなっておけばいいとう。

みな食事しょくじはじめ、なかんだころに、ようやくソクラテスがやってた。みな食後しょくごさけはじめると、パウサニアスが、昨日きのうさけぎたので多少たしょう休養きゅうようしい、どうしたら気楽きらくさけめるかとう。アリストパネスも賛同さんどうする。エリュクシマコスがアガトンにうと、アガトンも賛同さんどうした。エリュクシマコスは、酒豪しゅごうのアガトンがそううなら好都合こうつごうだし、医術いじゅつてきにも酩酊めいてい有害ゆうがいなので、今日きょう演説えんぜつをご馳走ちそうときごすことを提案ていあん一同いちどう賛成さんせいする。

エリュクシマコスは、パイドロスからよくかされる「あいかみエロースが、詩人しじんたちから無視むし疎外そがいされぎている」という意見いけんいにし、エロース賛美さんび演説えんぜつみぎまわりでいちにんずつっていこうと提案ていあん一同いちどう賛成さんせいする。

最初さいしょ演説えんぜつは、パイドロスがけた。

パイドロスの演説えんぜつ

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パイドロスは、

  • エロースは、カオスなかからガイアとも出現しゅつげんした、原初げんしょしん最古さいこかみである。
  • エロースは、我々われわれ人間にんげんとっうごかす最大さいだい福祉ふくし源泉げんせんである。
    • とくに、パイデラスティア少年しょうねんあい)にかかわる双方そうほうにとって、うつくしくきる源泉げんせんとなる。
  • 結論けつろん、エロースは、かみ々の最年長さいねんちょうしゃであり、人類じんるいにとってもっと権威けんいのある指導しどうしゃである。

といったむね演説えんぜつおこなう。 つぎに、の2 〜 3にん順々じゅんじゅん演説えんぜつおこなったが、アリストデモスはわすれてしまった。

つぎに、パウサニアスが演説えんぜつした。

パウサニアスの演説えんぜつ

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パウサニアスは、

  • パイドロスが「エロース」を無差別むさべつに、一緒いっしょくたにしてあつかってしまっているのはよくない、そこには区別くべつがある。
    • 「エロース」と「アプロディーテー」(あいかみ)は一体いったいてき関係かんけい
    • 「アプロディーテー」には、「ウーラニアー」(てんおんな[6]という異名いみょう性格せいかくと、「パンデーモス」(まんにんけのかみ[7]という異名いみょう性格せいかく区別くべつがある。
      • 「パンデーモス」(まんにんけのかみ)としてのあいは、「まんにんけ」のとおり、またゼウスディオーネーという男女だんじょ両性りょうせいからまれ、もう一方いっぽうの「ウーラニアー」よりおそまれた年少ねんしょうであるその出自しゅつじ性格せいかく反映はんえいして、凡俗ぼんぞくな「肉体にくたいたいするあい」(肉欲にくよく)であり、たましいをかえりみず、少年しょうねんにも、婦人ふじんにもけられる。
      • 「ウーラニアー」(てんおんな)としてのあいは、ウーラノス男根だんこんからまれた年長ねんちょうとしてのその出自しゅつじ性格せいかく反映はんえいして、男性だんせいのみに、そのつよさと理性りせいのみにけられる。
        • パイデラスティア少年しょうねんあい)においても、この区別くべつ(「肉体にくたい」をあいするか、「たましい」をあいするか)がある。
        • この関係かんけいが、「たましい」のために、その「とく」「智慧ちえ」のためにむすばれるとき、アテナイではノモス(慣習かんしゅう)においても、ほまれとされる。
        • したがって、「とく」をうながす「ウーラニアー」(てんおんな)としてのエロースは、うつくしく、価値かちがあり、の「パンデーモス」(まんにんけのかみ)としてのエロースとは区別くべつされつつ、特権とっけんてき賛美さんびされるべきである。

といったむねの、プロディコス弟子でしらしく言葉ことば概念がいねん区別くべつにこだわった演説えんぜつ披露ひろうする。 つぎはアリストパネスのばんだったが、しゃっくりまらず、わりにエリュクシマコスがさき演説えんぜつおこなう。

エリュクシマコスの演説えんぜつ

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エリュクシマコスは、

  • パウサニアスのエロースには種類しゅるいある(「ウーラニアー」(てんおんな)と「パンデーモス」(まんにんけのかみ))という意見いけん同意どういする。
  • 前者ぜんしゃ節制せっせい調和ちょうわをもたらし、後者こうしゃ放縦ほうしょう不和ふわをもたらす。
  • エロースは人間にんげんたましいうちにのみ存在そんざいするものではなく、そのあらゆる事物じぶつうち存在そんざいする。
  • 医術いじゅつ体育たいいく農業のうぎょう音楽おんがくぶし天体てんたいうらないじゅつなど、あらゆることにエロースは最大さいだい威力いりょくっている。

という主旨しゅし医者いしゃらしい演説えんぜつおこなう。

アリストパネスの演説えんぜつ

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つづいてアリストパネスが、

  • 世人せじんはエロースの威力いりょくまった理解りかいしていない、エロースは人間にんげん最大さいだいとも助力じょりょくしゃ苦悩くのう医者いしゃである。
  • 原始時代げんしじだい人間にんげんおとこおんな男女だんじょ両性りょうせい具有ぐゆう)の三種さんしゅがあり、それらはいずれも背中合せなかあわせでたい一身いっしんおとこおとこおんなおんな男女だんじょ)だった。
  • かれらはちから気概きがいつよかみ々に挑戦ちょうせんしたので、ゼウスによって半分はんぶんられ、かおきも反対はんたいにされた、その切断せつだんめんしぼこん(あと)がヘソである。
  • こうして半身はんしんとしての我々われわれ人間にんげんたがいにもとうようになり、そのかつての完全かんぜんたいたいする憧憬どうけい追求ついきゅうがエロースとばれているものである。
  • したがって、このかみしたがっていれば、本来ほんらい自分じぶんもどれる最良さいりょう愛人あいじん見出みいだすことができる。

という主旨しゅし喜劇きげき詩人しじんらしい演説えんぜつおこなう。

アガトンの演説えんぜつ

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つづいてアガトンが、

  • これまでの演説えんぜつしゃはエロースがもたらす副次的ふくじてき福利ふくりばかりをたたえうつくし、エロースの性質せいしつ自体じたいかたらなかったので、まずそちらをさきおこなう。
  • だいいちにエロースはすべてのかみうちもっとうつくしい。
    • エロースはかみ々のなか最年少さいねんしょうしゃつね青年せいねんともにいるし、もし太古たいこよりかれがいたならふる神話しんわかみ々のあらそいはしょうじていないはずだから。
    • またエロースは柔軟じゅうなんである。かみ々と人間にんげん心情しんじょうたましい、それも比較的ひかくてき柔和にゅうわなそれに宿やどるから。
    • またエロースはしなやかである。いずれのたましいなかにもしのるし、優雅ゆうが物腰ものごしをしているから。
  • だいにエロースはすべてのかみうちもっとすぐれている(とくっている)。なぜなら強制きょうせいによらず、まんにん万事ばんじにおいてすすんでエロースに奉仕ほうしするから。
    • 国家こっか君主くんしゅたる国法こくほうしたがう「公正こうせい」、快楽かいらく情欲じょうよく支配しはいする「自制じせい」、勇敢ゆうかんアレースすらあいによっておさえつける優越ゆうえつした「勇敢ゆうかん」をっている。
    • また「智慧ちえ」もすぐれている。エロースは巧妙こうみょうなる詩人しじんで、何人なんにん詩人しじんにしてしまうほどの芸術げいじゅつてき創作そうさくにおいてすぐれた創造そうぞうしゃである。
    • 一切いっさい生物せいぶつ創造そうぞうにも関与かんよし、射術しゃじゅつ医術いじゅつ予言よげんじゅつアポローン音楽おんがくムーサ鍛冶たんやじゅつヘーパイストス機織はたおりじゅつアテーナーかみ々と人類じんるい統治とうちにおけるゼウスみなかれ弟子でしであり、かつて「アナンケー」(必然ひつぜん)に支配しはいされていたかみ々の世界せかいもエロースがはいてその「たいするあい」によってはじめて秩序ちつじょちあらゆる善事ぜんじ発生はっせいするにいたった。
  • このようにエロースはみずかうつくしくすぐれたものであり、ものにもまたおなじような長所ちょうしょをもたらす。
  • エロースは平和へいわしずけさ、休息きゅうそく熟寝うまいしたしみをもたらし、会合かいごう祝祭しゅくさい円舞えんぶきょう牲を先導せんどうする。柔和にゅうわ好意こうい慈悲じひ歓喜かんき温柔おんじゅう華麗かれい優雅ゆうが憧憬どうけい欲求よっきゅうをもたらすうつくしくすぐれた指導しどうしゃ

という主旨しゅし演説えんぜつおこない、聴衆ちょうしゅう喝采かっさいける。

ソクラテスとアガトンの問答もんどう

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最後さいご演説えんぜつしゃであるソクラテスは、これまでのさん演説えんぜつが、対象たいしょう真実しんじつなどおかまいなしにかんがえつくかぎりのうつくしい語句ごく付与ふよして自分じぶんたちをたたえするものにみせかけているだけだと皮肉ひにくい、そうしたさん演説えんぜつはしたくないしできないといいだす。そして自己流じこりゅう真実しんじつかた演説えんぜつおこなうことと、演説えんぜつまえにいくつかアガトンに質問しつもんする許可きょかる。

ソクラテスはアガトンと以下いかのような合意ごういともな問答もんどうおこなう。

  • エロースの性質せいしつは「あるもの」へとかうあい欲求よっきゅうである。
  • その「あるもの」とは、「自分じぶんたないもの、自分じぶんけているもの」である。
  • 他方たほうで、エロースは「よし」にたいするあいである。
  • ゆえにエロースは「いていて、それをっていない」。
  • また、「きもの」は「うつくしい」。
  • ゆえにエロースは「きものもいている」。

ソクラテスの演説えんぜつ

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つづいてソクラテスは、かつてマンティネイアMantineia)のディオティマという女性じょせいいたはなしという体裁ていさいで、当時とうじのソクラテスとディオティマの問答もんどう再現さいげんした演説えんぜつはじめる。おも内容ないよう以下いかとおり。

  • エロースの性質せいしつについて
    • エロースはしくもくもなく、またみにくくもわるくもないなかあいだてきなもの。
    • ゆえにエロースはかみではなく神霊しんれい(ダイモーン)である。
    • エロースは人間にんげんかみ々のあいだ介在かいざいし、通訳つうやく伝達でんたつ結合けつごうになすうおおくの神霊しんれいひとつ。
    • エロースはちちポロス術策じゅっさくかみ)とははペニヤ窮乏きゅうぼう)のあいだまれ、アプロディーテー随伴ずいはんしゃぼくとなった。
    • エロースは両親りょうしん性質せいしつぎ、貧乏びんぼうこつきたないえしであり、またうつくしいしゃぜんしゃせする勇敢ゆうかん猪突ちょとつてきごうきょう非凡ひぼん狩人かりゅうどであり、つねさくをめぐらし、知見ちけんプロネーシス)の追求ついきゅう熱心ねっしんであり、生涯しょうがいつうじて愛知あいちしゃ(ピロソポス)であると同時どうじ比類ひるいなき魔術まじゅつ毒薬どくやく調合ちょうごうしゃ・ソフィストである。
    • またエロースはなきしゃかみ々)でもほろぶべきしゃ人間にんげん動物どうぶつ)のようでもなく、ときにはいちがつうちはなき・き・が、術策じゅっさく成功せいこうすればふたたまれかえる、しかし取得しゅとくしたものはえずせてしまうので、困窮こんきゅうすることもなければ富裕ふゆうになることもなく、(満足まんぞくした)智者ちしゃでも(満足まんぞくした)無知むちしゃでもなく、智慧ちえ無知むち中間ちゅうかんにいる。
  • エロースがもたらす利益りえきについて
    • うつくしいものいものをあいすることは、それが自分じぶんのものになり、幸福こうふく(エウダイモーン)となることを欲求よっきゅうしている。
    • これはまんにんてはまることであり、人間にんげんは「きものを永久えいきゅう所有しょゆうすること」をあいもとめしているとえる。
    • そうしたエロース(あい)を熱心ねっしん追求ついきゅうし、熾烈しれつ努力どりょくしめものが「すすみち行動こうどう」は、「肉体にくたいじょう心霊しんれいじょううつくしいもののなかに、生産せいさんすること」である。
      • あらゆる人間にんげん肉体にくたいにも心霊しんれいにもはいしゅっていて、一定いってい年頃としごろになると生産せいさんすることを欲求よっきゅうする。
      • 生殖せいしょく懐胎かいたい出産しゅっさんもその一種いっしゅであり、生産せいさんよくはいしゅあふれているものは、うつくしいものたいして強烈きょうれつ昂奮こうふんかんじる。
      • そうしたいとなみはほろぶべきしゃ人間にんげん動物どうぶつ)にとってのほろびざるもの、一種いっしゅ永劫えいごうなるもの、不滅ふめつなるものとなるのであり、あい目的もくてき不死ふしであるともえる。
      • 生殖せいしょくとはふるものわりにあたらしいもののこしてくことであり、それはどういち個体こたい新陳代謝しんちんたいしゃ同様どうようである。
      • これは肉体にくたいのみならず心霊しんれいにおいても同様どうようであり、気質きしつ性格せいかく意見いけん欲情よくじょう歓楽かんらく悲哀ひあい恐怖きょうふ個人こじんなかしょうじてはめっするをかえすし、知識ちしきもまた忘却ぼうきゃく消失しょうしつ)と復習ふくしゅう再生さいせい)によって保持ほじされる。
      • このようにして一切いっさいほろぶべきしゃ人間にんげん動物どうぶつ)は維持いじされてくが、それはどういち不変ふへんということではなく、自分じぶん同種どうしゅほか若者わかもののちのこしてくということであり、そういう仕方しかたによってほろぶべきしゃ人間にんげん動物どうぶつ)は不死ふしあずか(あず)かる。
    • 肉体にくたいうえ旺盛おうせい生産せいさんよくもの婦人ふじんかい、をこしらえることで不死ふしおも幸福こうふく未来永劫みらいえいごう確保かくほしようとするが、知見ちけん(プロネーシス)やそのあらゆる種類しゅるいとくあふれた、心霊しんれい生産せいさんよくものは、それを生産せいさん継承けいしょうできるようなうつくしいものもとめる。肉体にくたいのみならずたましいうつくしいもの非常ひじょう歓迎かんげいし、とくおこないについての弁舌べんぜつ滔々とうとうびせてこれを教育きょういくしようとする。
    • その結果けっか、この「よりうつくしくより不死ふし子供こどもとく)」を共有きょうゆうする両者りょうしゃは、肉親にくしんよりもはるかに親密しんみつ共同きょうどうねん強固きょうこ友情ゆうじょうによってむすけられる。
  • あい現象げんしょうよし
    • この目的もくてきかってただしいみちすすもうとするものは、まず最初さいしょひとつのうつくしい肉体にくたいあいし、そのなかうつくしい思想しそうみつけなくてはならない。
    • しかしつぎには、ひとつの肉体にくたい肉体にくたい姉妹しまい関係かんけいにあり、あらゆる肉体にくたいどういち不二ふじであることをさとり、ある一人ひとりたいする熱烈ねつれつ情熱じょうねつ見下みくだすべきるにらないものとしてますようにしなくてはならない。
    • そのつぎには、心霊しんれいじょう肉体にくたいじょうよりも価値かちたかいものとかんがえるようになることが必要ひつよう。そして職業しょくぎょう活動かつどう制度せいどうちにも見出みいだし、それらすべてのたがいに親類しんるいとしてむすびついていること、肉体にくたいじょうにはわずかな価値かちしかないことをみとめなくてはならない。
    • そのつぎには、学問がくもんてき認識にんしきかい、認識にんしきじょうをも看取かんしゅすることができ、一人ひとり人間にんげんひとつの職業しょくぎょう活動かつどうとかに愛着あいちゃく隷従れいじゅう狭量きょうりょうひととなることがなくなるようにしなくてはならない。
    • そしてあいみち極致きょくちちかづくとき突如とつじょとしてしょうずることもめっすることもすこともることもない独立どくりつ自存じそんして永久えいきゅう独特どくとく無二むにの「よしそのもの」をとくする。
    • そこに到達とうたつしてこそ人生じんせい甲斐がいがあるのであり、「しんとく」を産出さんしゅつするに成功せいこうしたとえるし、かみ不死ふしなるもの)のともとなり、不死ふしとなる特権とっけん賦与ふよされるにふさわしい。
  • 以上いじょうのディオティマのはなしいて、ソクラテスは説得せっとくされた。そしてこのたからるために、エロース以上いじょう助力じょりょくしゃ見出みいだすことはむずかしいし、ひとみなエロースを尊重そんちょうせねばならない。ソクラテス自身じしんあいみちたっと熱心ねっしん練習れんしゅうしているし、他人たにんにもその勧告かんこくをしている。またいつまでもエロースの偉力いりょく勇気ゆうき微力びりょくおよかぎさんする。

以上いじょう演説えんぜついて、一同いちどう賞賛しょうさんした。

アルキビアデスの乱入らんにゅう演説えんぜつ

編集へんしゅう

するとそこにアガトンをいわうためにぱらったアルキビアデスが従者じゅうしゃたちとともおくれてやってた。アルキビアデスはみなむかえられ、アガトンにいわいのリボンく。そのかえってソクラテスをつけおどろいてさけぶ。

アルキビアデスはソクラテスにもリボンをき、みなさけすすめる。エリュクシマコスがアルキビアデスに今夜こんや経緯けいいつたえ、エロースさん演説えんぜつをするよううながすが、アルキビアデスはわりにソクラテスさん演説えんぜつをするといいだす。

アルキビアデスは、表面ひょうめんてきよそおいとことなりソクラテスの自制心じせいしん勇敢ゆうかんさがいかにはなはだしいものであるかを、自分じぶんがどんなに誘惑ゆうわくしてもとせなかったことや、ポティダイアのたたかでの活躍かつやくれいし、賞賛しょうさんする演説えんぜつおこなう。

演説えんぜつえてアルキビアデスとソクラテスとアガトンが雑談ざつだんをしていると、大勢おおぜいぱらきゃくがやって家中いえじゅう大騒おおさわぎとなり、解散かいさんとなった。

終幕しゅうまく

編集へんしゅう

翌朝よくあさ回想かいそうしゃである)アリストデモスがますと、ソクラテスとアガトンとアリストパネスの3にんがまだきていて、大杯たいはいまわしてみながら議論ぎろんをしていた。

喜劇きげき悲劇ひげきどう一人物いちじんぶつつくることは可能かのうか、しん芸術げいじゅつてき悲劇ひげき詩人しじん同時どうじ喜劇きげき詩人しじんでもあるか」についての議論ぎろんで、ソクラテスは肯定こうてい、アガトンとアリストパネスは否定ひてい立場たちばだった。しかしソクラテスの議論ぎろん容認ようにん余儀よぎなくされる段階だんかいになって、アリストパネスとアガトンはねむりにちてしまった。

ソクラテスは2人ふたり寝付ねつかせてからったので、アリストデモスがいていくと、ソクラテスはいつもとおリュケイオンき、沐浴もくよくしてからいちにちそこでごし、夕方ゆうがたになってから家路いえじについた。

論点ろんてん

編集へんしゅう

「エロース」と「のイデア」

編集へんしゅう

ほんさくは、あいかみエロースにけられたさん演説えんぜつとおして、エロースに多様たよう意味いみ解釈かいしゃく付与ふよされていき、最後さいごのソクラテスの演説えんぜつによって、それが人間にんげんが「むなしい現象げんしょうてき無常むじょうなま」をだっして、超越ちょうえつてき恒常こうじょうてきな「イデア」への到達とうたつ(と「かみ々」への近接きんせつ)をうながす、「愛知あいちしゃ哲学てつがくしゃてきあい」のちからへと昇華しょうかされる、というはなしはしらとなっている。

ソクラテスに先行せんこうする演説えんぜつ

本編ほんぺんないで、ソクラテスに先行せんこうしてエロースのさん演説えんぜつおこなった演説えんぜつしゃは、(記述きじゅつ省略しょうりゃくされたすうめいのぞくと)5めいである。その要旨ようし以下いかとおり。

  • パイドロスは、エロースを「パイデラスティア少年しょうねんあい)」と関連付かんれんづけた。
  • パウサニアスは、エロースを「たましいへのあい」と「肉体にくたいへのあい」にけた。
  • エリュクシマコスは、エロースを「様々さまざま技術ぎじゅつ職業しょくぎょう」と関連付かんれんづけた。
  • アリストパネスは、エロースを「しんのパートナー」を見出みいだちからとした。
  • アガトンは、エロースを「世界せかい万事ばんじぜん秩序ちつじょ内的ないてき欲求よっきゅうをもたらした、もっとうつくしくすぐれたかみ」とした。
ソクラテスの演説えんぜつ

最後さいごのソクラテスは、先行せんこうする演説えんぜつ内容ないようを、批判ひはんてき継承けいしょう統合とうごうさい構築こうちくしながら、「のイデア」へと到達とうたつするための「愛知あいちしゃ哲学てつがくしゃてきあい」の演説えんぜつへと昇華しょうかさせた。

まずソクラテスは、エロースを「天上てんじょうかみ」ではなく、人間にんげんなまった「神霊しんれい(ダイモーン)」とした。「神霊しんれい(ダイモーン)」としてのエロースは、あたかも「人間にんげんせいいとなみ」やその内部ないぶの「欲求よっきゅうそのもの」を体現たいげんするかのように、発生はっせいしては消失しょうしつし、獲得かくとくしてはうしない、をかえしている。

そんなエロース(欲求よっきゅう)にうながされながら、人間にんげん現象げんしょう生成せいせい消滅しょうめつとしてのそのうつろな生命せいめいいとなみをつむぎ、つないでいるが、そんな人間にんげんのエロース(欲求よっきゅう)が本当ほんとう渇望かつぼうし、もとめているものは、そんな現象げんしょうてき生成せいせい消滅しょうめつてき自分じぶんたちには欠落けつらくしている「ぜん (それ自体じたい/そのもの) の獲得かくとく永久えいきゅうてき所有しょゆう」「不死ふし現象げんしょう無常むじょう喪失そうしつからの脱出だっしゅつ、その超越ちょうえつ克服こくふく)」としての幸福こうふくならない。

そしてそれは、エロース(欲求よっきゅうあい)の対象たいしょうである「よし」にたいする認識にんしきを、愛知あいちしゃ哲学てつがくしゃてき成熟せいじゅく高度こうどさせてき、「のイデア」に到達とうたつすることで達成たっせいされることになるのであり、そこにこそ人間にんげん本当ほんとう甲斐がいや、エロース(欲求よっきゅうあい)の本当ほんとう意味いみ存在そんざいしている。

以上いじょうが、その論旨ろんしである。

こうした「エロース」と「のイデア」を、愛知あいちしゃ哲学てつがくしゃ)のいとなみをかいして関連付かんれんづける発想はっそうは、中期ちゅうき対話たいわへんパイドロス』でも反復はんぷくされる。

(ちなみに、なぜ、愛知あいち哲学てつがく)をおこない、「イデア」に到達とうたつすることが、現象げんしょう生成せいせい消滅しょうめつというありかた克服こくふくして「不死ふし」「かみ々のとも」となることになるのかについては、ほんさくつづく『パイドン』『国家こっか』『パイドロス』でくわしくべられることになる。すなわちそうじてえば、愛知あいち哲学てつがく)をおこない、知恵ちえ実在じつざい探究たんきゅうし、かみ々にたものになろうと努力どりょくしてきたたましいは、死後しごかみ々のいる天上てんじょうへと(いちはやく)帰還きかんできるが、そうでないたましい地上ちじょうまり、肉体にくたいへの寄生きせい転生てんせい現象げんしょう生成せいせい消滅しょうめつてきなありかた)をかえすことになるからだと説明せつめいされる。)

人間にんげん起源きげん

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エロースにかんする演説えんぜつでは、ソクラテスのどう時代じだいじん文体ぶんたい思想しそうがさまざまに模倣もほうされている。とく有名ゆうめいなものは、アリストパネスのくだりである。

人間にんげんはもともと背中合せなかあわせの一体いったい(アンドロギュノス)であったが、かみによって2たいはなされた。このため人間にんげんたがいにうしなわれた半身はんしんもとめ、おとこらしいおとこおとこもとめ、おんならしいおんなおんなもとめ、おおくの中途半端ちゅうとはんぱ人間にんげんたがいに異性いせいもとめるのだ、というもの。この部分ぶぶんはテクストの文脈ぶんみゃくはなれてしばしば参照さんしょうされる有名ゆうめい部分ぶぶんである。配偶はいぐうしゃのことをone's better half, one's other halfたましい半身はんしん)というのは、この説話せつわ由来ゆらいする。

『ヒュペリオーン』への影響えいきょう

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ソクラテスが言及げんきゅうするディオティマは、「こいのことでもそののことでも、なににでもつうじる知者ちしゃ」とされる。ヘルダーリンの『ヒュペーリオン』に登場とうじょうするディオティーマの造形ぞうけいはこれにおおっている。ディオティマは紀元前きげんぜん430ねんごろにはアテナイにいた実在じつざい人物じんぶつのようにかれているが、一般いっぱんにプラトンの創作そうさく人物じんぶつであるとかんがえられている。ただしフェミニズム哲学てつがくでは、ディオティマの実在じつざいせい主張しゅちょうし、女性じょせい哲学てつがくしゃとしての地位ちいあたえようとするこころみがある[よう出典しゅってん]

おも日本語にほんごやく

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脚注きゃくちゅう

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  1. ^ したそのいさむすりプラトン『饗宴きょうえん』の考察こうさつ : ガリソンのデューイ主義しゅぎ手引てびきに」『創価大学そうかだいがく人文じんぶん論集ろんしゅうだい26ごう創価大学そうかだいがく人文じんぶん学会がっかい、2014ねん、41-71ぺーじISSN 0915-3365NAID 120005820107 
  2. ^ 意訳いやくてきに「こいについて」(角川かどかわ山本やまもとやくなど)や「あいについて」(新潮しんちょうもりやくなど)とやくされる場合ばあいもある。
  3. ^ プラトンの次兄じけいで、『国家こっか』『パルメニデス』にも登場とうじょうする、グラウコンか。
  4. ^ a b c 饗宴きょうえん久保くぼつとむわけ 岩波いわなみ文庫ぶんこ p45
  5. ^ 当時とうじのアテナイでは、パイデラスティアー(paiderastia少年しょうねんあい)という年齢ねんれいうえのものがしたのものを愛人あいじんとし、さまざまな庇護ひご社会しゃかいについての知識ちしきあたえるのが通例つうれいであった。
  6. ^ ヘシオドスの『かみみつる』を典拠てんきょとした、「天空てんくうしんウーラノスの陰茎いんけいからまれた」というせつ
  7. ^ ゼウスとディオーネーのむすめとしてまれたというせつ場合ばあい

関連かんれん項目こうもく

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