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アクスム王国おうこく

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アクスム王国おうこく
መንግሥተ አኵስም
:en:Dʿmt 100ねんごろ - 940ねんころ ミドゥリ・バリ
エチオピア帝国
:en:Kingdom of Makuria
:en:Alodia
アクスム王国の位置
アクスム王国おうこく最盛さいせい版図はんと
公用こうよう ゲエズ
首都しゅと アクスム
国王こくおう
2世紀せいきごろ - xxxxねん ゾスカレス
270ねん - 300ねんエンデュビス
面積めんせき
350ねんごろ1,250,000km²
変遷へんせん
成立せいりつ 100ねんころ
滅亡めつぼう940ねんころ

アクスム王国おうこく(アクスムおうこく)は、過去かこエチオピア東北とうほくエリトリア地域ちいきさかえた交易こうえきこくである。

概要がいよう

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紀元前きげんぜん5世紀せいきころから紀元きげん1世紀せいきまでに交易こうえきこくになった。325ねんまたは328ねんコプトキリスト教きりすときょう伝来でんらいした。7世紀せいき衰退すいたいはじめ、内陸ないりく高地こうちいやられてクシけいのアガウ (Agaw) ぞくおんな族長ぞくちょうグディット(Gudit;ジュディット〈Judith〉、ヨディット〈Yodit〉とも)によって950ねんころほろぼされたとされる。ただし、グディットはただたんキリスト教徒きりすときょうとないしユダヤきょういたずらであって、彼女かのじょ支配しはいのち、アクスム王朝おうちょうながれをむアンベッサ・ウディム (Anbessa Wudim) が即位そくいしてからしばらくして、アガウぞく地域ちいきまで進出しんしゅつしたところで、1137ねんにアクスム王国おうこく滅亡めつぼうしたというせつもある。面積めんせきは350ねんやく350まん平方へいほうキロメートル広大こうだいだった。

歴史れきし

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エザナおう石柱せきちゅうたかさ23メートルたっする。
アクスム北側きたがわにある石柱せきちゅうのある公園こうえん。アクスム王国おうこく墓地ぼちでもある。中央ちゅうおうにエザナおう石柱せきちゅうひだり中央ちゅうおうたおれた「大石おおいしはしら (great stele)」がえる。

一般いっぱんに、アクスムは現在げんざいイエメンたるみなみアラビアから紅海こうかいえてきたセムけいのサバ(シェバ)にん中心ちゅうしんになって建国けんこくされたとかんがえられている。一方いっぽうすくなくとも紀元前きげんぜん1000ねんにはセムけい民族みんぞく存在そんざいしたこととサバ移民いみんすうじゅうねんしかエチオピアにとどまっていなかったことを示唆しさする証拠しょうこしめして 、アクスムはよりふる土着どちゃくのダモト(D'mtないしDa'amot)王国おうこくあとまましいだしゃたちくにである、と主張しゅちょうする学者がくしゃもいる。

おうたちは、ソロモンおうシバの女王じょおうであるメネリク1せい血筋ちすじいているとして、みずからの正当せいとうせい主張しゅちょうし、“negusa nagast”(「おうなかおう」)と公称こうしょうしていた。

アクスム王国おうこくインドローマのちひがしマ帝国まていこくはアクスムに多大ただい影響えいきょうあたえた)とおも交易こうえきした。象牙ぞうげ鼈甲べっこうきむエメラルド輸出ゆしゅつし、きぬ香辛料こうしんりょう手工業しゅこうぎょう製品せいひん輸入ゆにゅうした。2世紀せいきにアクスムは紅海こうかいえてアラビア半島はんとう属国ぞっこくとなるようせまり、またきたエチオピアを征服せいふくした。350ねんにはクシュ王国おうこく(メロエ王国おうこく)を征服せいふくした。

アクスム王国おうこく独自どくじ硬貨こうかったアフリカで最初さいしょくにで、エンデュビス (Endubis) おうからアルマー (Armah) おういた治世ちせいあいだ大体だいたい270ねんから670ねんまで)どう時代じだいローマの通貨つうか模倣もほうした金貨きんか銀貨ぎんか銅貨どうか鋳造ちゅうぞうされていた。硬貨こうかつくられたことにより、取引とりひき簡単かんたんになりそして同時どうじ硬貨こうか便利べんりなプロパガンダの道具どうぐ、また王国おうこく収入しゅうにゅうげんであった。

アクスム王国おうこく最盛さいせい現在げんざいエリトリア北部ほくぶエチオピア、イエメン、北部ほくぶソマリアジブチ北部ほくぶスーダン、にひろがっていた。首都しゅとアクスム現在げんざい北部ほくぶエチオピアにあった。主要しゅよう都市としにイェハ (Yeha)、ハウルティ (Hawulti)、そして現在げんざいエリトリアにある重要じゅうよう港湾こうわん都市としアドゥリス (Adulis) をはじめとしてマタラ (Matara) およびコハイト (Qohaito) がある。このときアクスムの住民じゅうみんは、エチオピアとみなみアラビアにいるセムけい民族みんぞくとハムけい民族みんぞくざりって構成こうせいされていた。

アクスムは7世紀せいきイスラム教いすらむきょうこるまで、強大きょうだいくにつよ交易こうえきりょくっていたが、段々だんだん新興しんこうのイスラム帝国ていこく圧迫あっぱくされていった。アクスムはヒジュラ預言よげんしゃムハンマド最初さいしょ信者しんじゃたちかくまったため、イスラム帝国ていこく紅海こうかいナイルがわおおくの支配しはいけんて、アクスムが経済けいざいてき孤立こりつしていってもアクスムとムスリム友好ゆうこう関係かんけいたもち、アクスムが侵攻しんこうされたり、イスラムされたりすることはなかった。

11世紀せいきもしくは12世紀せいきにアクスムがあった土地とちにはザグウェあさ (Zagwe) がおこった。ザグウェの領土りょうどはアクスムの領土りょうどよりかぎられていた。その最後さいごのザグウェおうころした、イクノ・アムラク (Yekuno Amlak) が祖先そせんあとぎ、最後さいごのアクスムおうディル=ニード(またはディナオード;Dil Na'od)の支配しはいけんいで、近代きんだいエチオピア帝国ていこくにまで系譜けいふがたどれるソロモンちょう英語えいごばんひらいた。

文化ぶんか

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3世紀せいきのものとおもわれるアクスムの戦勝せんしょうには、ゼウスポセイドーンアレースなど、ギリシャのかみられる。このことから、この時代じだいおうは、ギリシャローマなど、地中海ちちゅうかい世界せかい影響えいきょうつよけていたとかんがえられている[1]西暦せいれき325ねんごろエザナおうもとで、王国おうこくはそれまでの多神教たしんきょう信仰しんこうわってキリストきょう受容じゅようした。エチオピア正教会せいきょうかい典礼てんれいでは現在げんざいでもアクスム王国おうこく言語げんごであるゲエズもちいられている。アクスムはプレスター・ジョン伝説でんせつ候補こうほひとつとしてげられていた。

アクスムは国際こくさいてき文化ぶんかてき重要じゅうようくにだった。エジプト、スーダン、アラビア、中東ちゅうとう、インドといった様々さまざま文化ぶんかつど場所ばしょで、アクスムの都市としにはユダヤ教徒きょうとヌビアひとキリスト教徒きりすときょうと仏教徒ぶっきょうとさえいた。

王国おうこく初期しょき西暦せいれき300ねんごろ、キリストきょう伝来でんらいするまえてられたとかんがえているオベリスクが、現在げんざいまでのこっている。

出典しゅってん

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参考さんこう文献ぶんけん

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  • Stuart Munro-Hay. Aksum: A Civilization of Late Antiquity., Edinburgh: University Press. 1991. ISBN 0748601066
  • Yuri M. Kobishchanov. Axum (Joseph W. Michels, editor; Lorraine T. Kapitanoff, translator). University Park, Pennsylvania: University of Pennsylvania, 1979. ISBN 0271005319
  • グレアム=コナーちょ近藤こんどう義郎よしお河合かわい信和のぶかずわけ 『熱帯ねったいアフリカの都市とし国家こっか形成けいせい』 河出書房新社かわでしょぼうしんしゃ、1993ねん
    • 原著げんちょ) Connah,Graham1986, African Civilization, Cambridge University Press. ISBN 4309222552
  • タムラト,T.ちょ松田まつだ凡訳 「アフリカのかく地域ちいき」『ユネスコ アフリカの歴史れきしだい4かん所収しょしゅう同朋どうほうしゃ出版しゅっぱん、1992ねんISBN 4-8104-1096-X

関連かんれん項目こうもく

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