(Translated by https://www.hiragana.jp/)
スカイラブ4号 - Wikipedia コンテンツにスキップ

スカイラブ4ごう

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
スカイラブ4ごう
帰還きかんする4ごう搭乗とうじょういん撮影さつえいした、地球ちきゅう背景はいけいにするスカイラブの最後さいご姿すがた
運用うんようしゃNASA
COSPAR ID1973-090A
SATCAT №6936
任務にんむ期間きかん84にち
1あいだ15ふん30びょう
飛行ひこう距離きょり55,500,000キロメートル
周回しゅうかいすう1214
特性とくせい
宇宙うちゅうアポロ司令しれい機械きかいせん
CSM-118
製造せいぞうしゃロックウェル・インターナショナル
重量じゅうりょう20,847キログラム
乗員じょういん
乗員じょういんすう3めい
乗員じょういんジェラルド・カー
エドワード・ギブソン
ウイリアム・ポーグ
任務にんむ開始かいし
1973ねん11月16にち
14:01:23 UTC
ロケットサターンIBがたロケット SA-208
打上うちあ場所ばしょケネディ宇宙うちゅうセンター
だい39発射はっしゃ施設しせつ
任務にんむ終了しゅうりょう
回収かいしゅう担当たんとうUSSニューオリンズ
着陸ちゃくりく1974ねん2がつ8にち
15:16:53 UTC
着陸ちゃくりく地点ちてん北緯ほくい3118ふん 西経せいけい11948ふん / 北緯ほくい31.300 西経せいけい119.800 / 31.300; -119.800
軌道きどう特性とくせい
参照さんしょう座標ざひょう地球ちきゅう周回しゅうかい軌道きどう
体制たいせいてい軌道きどう
きんてん高度こうど422キロメートル
とおてん高度こうど437キロメートル
傾斜けいしゃかく50.0
軌道きどう周期しゅうき93.11ふん
もと1974ねん1がつ21にち[1]
スカイラブ本体ほんたいのドッキング(捕捉ほそく
ドッキング 前方ぜんぽうドッキングこう
ドッキング(捕捉ほそくにち 1973ねん11月16にち
21:55:00 UTC
分離ぶんり 1974ねん2がつ8にち
02:33:12 UTC
ドッキング時間じかん 83にち
4あいだ38ふん12びょう

NASA上層じょうそうのミスにより、スカイラブの記章きしょうしるされている数字すうじ実際じっさい飛行ひこう番号ばんごうとはことなるものとなった

(ひだりからみぎに) カー、ギブソン、ポーグ
スカイラブ計画けいかく
有人ゆうじん宇宙うちゅう飛行ひこう

スカイラブ4ごう (SL-4またはSLM-3ともしょうされる[2]) は、アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくはつ宇宙うちゅうステーションであるスカイラブにおける、3番目ばんめ最後さいごとなる有人ゆうじん宇宙うちゅう飛行ひこうである。

1973ねん11月16にち、3めい宇宙うちゅう飛行ひこう搭乗とうじょうするサターンIBがたロケットフロリダしゅうケネディ宇宙うちゅうセンターから発射はっしゃされ、84にち1あいだ16ふん飛行ひこう終了しゅうりょうした。6,051あいだにおよぶそう活動かつどう時間じかんなかで、4ごう飛行ひこうらは医療いりょう太陽たいよう観測かんそく地球ちきゅう資源しげん探査たんさコホーテク彗星すいせい観測かんそくその分野ぶんや関連かんれんする科学かがく実験じっけんおこなった。

スカイラブの有人ゆうじん飛行ひこうには公式こうしきにはスカイラブ2、3、4ごう名称めいしょうあたえられていたが、上層じょうそう連絡れんらくミスにより記章きしょうにはスカイラブI、II、3しるされることになった[2][3]

飛行ひこう[編集へんしゅう]

ほん搭乗とうじょういん[編集へんしゅう]

地位ちい 飛行ひこう
船長せんちょう ジェラルド・カー (Gerald P. Carr)
唯一ゆいいつ飛行ひこう
科学かがく飛行ひこう エドワード・ギブソン (Edward G. Gibson)
唯一ゆいいつ飛行ひこう
飛行ひこう ウイリアム・ポーグ (William R. Pogue)
唯一ゆいいつ飛行ひこう

4ごう飛行ひこうは、全員ぜんいん宇宙うちゅうくのはこれがはじめてだった。同様どうよう事例じれいはNASAの歴史れきしでこれまでに5かいあり、4ごうはそのなかで4番目ばんめのものである。にはジェミニ4ごうジェミニ7ごうジェミニ8ごうスペースシャトルSTS-2がある。

予備よび搭乗とうじょういん[編集へんしゅう]

地位ちい 飛行ひこう
船長せんちょう ヴァンス・ブランド (Vance D. Brand)
科学かがく飛行ひこう ウィリアム・レノワー (William B. Lenoir)
飛行ひこう ドン・リンド (Don L. Lind)

支援しえん飛行ひこう[編集へんしゅう]

しょもと[編集へんしゅう]

ドッキング[編集へんしゅう]

  • ドッキング開始かいし : 1973ねん11月16にち – 21:55:00 UTC
  • ドッキング終了しゅうりょう : 1974ねん2がつ8にち – 02:33:12 UTC
  • ドッキング期間きかん : 83にち4あいだ38ふん12びょう

ふねがい活動かつどう[編集へんしゅう]

  • ギブソンおよびポーグせんがい活動かつどう (Extra Vehicular Activity, EVA) 1
  • EVA1 開始かいし : 1973ねん11月22にち 17:42 UTC
  • EVA1 終了しゅうりょう : 11月23にち 00:15 UTC
  • 時間じかん : 6あいだ33ふん
  • カーおよびポーグ : – EVA2
  • EVA2 開始かいし : 1973ねん12月25にち 16:00 UTC
  • EVA2 終了しゅうりょう : 12月25にち 23:01 UTC
  • 時間じかん : 1あいだ01ふん
  • カーおよびギブソン – EVA3
  • EVA3 開始かいし : 1973ねん12月29にち 17:00 UTC
  • EVA3 終了しゅうりょう : 12月29にち 20:29 UTC
  • 時間じかん : 3あいだ29ふん
  • カーおよびギブソン – EVA4
  • EVA4 開始かいし : 1974ねん2がつ3にち 15:19 UTC
  • EVA4 終了しゅうりょう : 2がつ3にち 20:38 UTC
  • 時間じかん : 5あいだ19ふん

主要しゅよう任務にんむ[編集へんしゅう]

スカイラブ3ごう飛行ひこういていったダミー人形にんぎょうのうちの一体いったい。4ごう飛行ひこう撮影さつえい
気密きみつとびらから廃棄はいきぶつ貯蔵ちょぞうタンクにゴミを投棄とうきしようとしているポーグ (ひだり) とカー
アポロ搭載とうさい望遠鏡ぼうえんきょう撮影さつえいされた太陽たいようプロミネンス。1973ねん12月19にち

4ごうは、スカイラブ最後さいご飛行ひこうであった。

ステーションに到着とうちゃくすると、飛行ひこうらは船内せんないだれ先客せんきゃくがいるのにづいた。よくるとそれはまえの3ごうアラン・ビーン、ジャック・ルーズマ、オーウェン・ギャリオットらがのこしていった船内せんないふくた3たい人形にんぎょうで、計画けいかく記章きしょう名札なふだまでちゃんとにつけていた[4]

飛行ひこうらは全員ぜんいん宇宙うちゅう飛行ひこうをするのはこれがはじめてであったため、作業さぎょうしつ起動きどうするさいかれらの先輩せんぱいたちとおな水準すいじゅん労働ろうどうりょうおこなうことは困難こんなんだった。任務にんむはまず、かれらがポーグの宇宙うちゅう初期しょき症状しょうじょう医師いしから隠蔽いんぺいしようとしたことで、だしからつまずいてしまった。この事実じじつ管制かんせいかんらが船内せんない音声おんせい録音ろくおんをダウンロードしたことで発覚はっかくした。飛行ひこうらはまずはじめに、これからの長期間ちょうきかん宇宙うちゅう滞在たいざい必要ひつようとなるすうせんもの機材きざいろしや収納しゅうのうからはじめなければならなかったが、この作業さぎょう膨大ぼうだいなものだった。またステーションの起動きどう手順てじゅんには、実行じっこうすべき多岐たきにわたる作業さぎょうともななが労働ろうどう時間じかん必要ひつようとされ、かれらはすぐに自分じぶんたちが疲労ひろうしスケジュールにおくれていることを自覚じかくした。

スカイラブの起動きどう作業さぎょうすすむにつれ、飛行ひこうらはあまりにも過酷かこく労働ろうどういられることに不満ふまんべはじめた。一方いっぽう地上ちじょう管制かんせいかんらはこれには同意どういせず、ぎゃくかれらの労働ろうどう時間じかんりょう不十分ふじゅうぶんだとかんじていた。任務にんむすすむにつれかれらの不満ふまんはつのり、ある無線むせん会議かいぎ頂点ちょうてんたっし、いかりを爆発ばくはつさせることになった。このできごとののち作業さぎょうスケジュールは修正しゅうせいされ、任務にんむ終了しゅうりょうするまでに飛行ひこうらは発射はっしゃまえ予定よていされていたものよりもおおくの作業さぎょう遂行すいこうすることができた。飛行ひこう管制かんせいかんあいだこったこのできごとは、その有人ゆうじん宇宙うちゅう飛行ひこう作業さぎょうスケジュールを設定せっていするさい貴重きちょう経験けいけんとなった。

感謝かんしゃさいに、ギブソンとポーグは6あいだはんおよふねがい活動かつどう実行じっこうした。その前半ぜんはん太陽たいよう観測かんそく装置そうちのフィルムを交換こうかんすることについやされ、のこりの時間じかん故障こしょうしたアンテナを修理しゅうりした。

食事しょくじかんしては飛行ひこうらにそれほど不満ふまんはなかったが、あじがややうすく、できればもっと調味ちょうみりょうやしてほしいと報告ほうこくした。かれらが使用しようできるしおりょう医学いがくてき観点かんてんから制限せいげんされており、消費しょうひされる食事しょくじりょう種類しゅるい厳密げんみつ体調たいちょう管理かんりのもとで入念にゅうねんにコントロールされていた。

飛行ひこう7にち姿勢しせい制御せいぎょ装置そうちジャイロスコープ異常いじょう発生はっせいし、任務にんむ早期そうき終了しゅうりょうしてしまいかねなくなる危機ききおちいった。スカイラブには3大型おおがたのジャイロスコープが搭載とうさいされていた。機体きたい制御せいぎょ操縦そうじゅうはそのうちのどれか2機能きのうしていればのぞどおりのことができるようになっており、3の2のうちのどれかが故障こしょうしたさいのバックアップとして作動さどうしていた。この故障こしょう潤滑油じゅんかつゆ不足ふそくしていたことによるもので、飛行ひこう後期こうき番目ばんめのジャイロにも同様どうよう問題もんだい発生はっせいしたが、特別とくべつ温度おんど管理かんりおこな負荷ふからしたことで機能きのうたもったため、それ以上いじょう問題もんだい発生はっせいしなかった。

Kohoutek-uv
ふねがい活動かつどうさいとお紫外線しがいせん電子でんしカメラで撮影さつえいされたコホーテク彗星すいせい加工かこう画像がぞう。1973ねん12月25にち

飛行ひこうらは地球ちきゅう調査ちょうさ研究けんきゅうおおくの時間じかんいた。カーとポーグは交代こうたい配置はいちにつき、観測かんそく装置そうち操作そうさして地球ちきゅう表面ひょうめん特徴とくちょうから抽出ちゅうしゅつされたものを計測けいそく写真しゃしん撮影さつえいした。また太陽たいよう観測かんそくおこない、Xせんとお紫外線しがいせん可視かし光線こうせんなどによるやく7まん5000まい太陽たいよう写真しゃしん望遠鏡ぼうえんきょうあらたに撮影さつえいした。

ギブソンは任務にんむ終了しゅうりょうちかづいても太陽たいよう表面ひょうめん観測かんそくつづけていた。1974ねん1がつ21にち太陽たいよう表面ひょうめん活動かつどう領域りょういきてるてん形成けいせいされ、急激きゅうげきあかるさを成長せいちょうしていった。ギブソンはただちにこのてるてんがっていく過程かてい撮影さつえいはじめた。この映像えいぞう太陽たいようフレア発生はっせい宇宙うちゅうから記録きろくしたはじめてのものとなった。

12月13にち飛行ひこうらは太陽たいよう観測かんそく装置そうち携帯けいたいカメラの照準しょうじゅんわせ、コホーテク彗星すいせい観測かんそくはじめた。撮影さつえい彗星すいせい太陽たいよう接近せっきんするまでつづけられ、とお紫外線しがいせんカメラでスペクトルが収集しゅうしゅうされた[5]。12月30にち、カーとギブソンはふねがい活動かつどうをしているさいに、彗星すいせい太陽たいよう背後はいごかくれたことを確認かくにんした。

飛行ひこうらはまた、軌道きどうじょうからの地球ちきゅう撮影さつえい継続けいぞくした。このときかれらは、指示しじでは禁止きんしされていたにもかかわらず (おそらくは偶然ぐうぜんに) エリア51撮影さつえいしてしまった。この秘密ひみつ施設しせつ写真しゃしん公開こうかいするべきかかについては、関係かんけいしょ機関きかんあいだ若干じゃっかん議論ぎろんこった。最終さいしゅうてきにはのすべてのスカイラブにかんするNASAの記録きろく写真しゃしんとともに発表はっぴょうされたが、すうねんあいだこのけんについてづかれることはなかった[6]

4ごう飛行ひこうらは地球ちきゅうを1,214しゅうし、よんかいにわたるふねがい活動かつどうそう時間じかんは22あいだ13ふんたっした。また84にち1あいだ16ふんで、5,550まんキロメートルを飛行ひこうした。

飛行ひこうらは3にんとも1960年代ねんだいなかばにアポロ計画けいかく飛行ひこうとしてNASAに採用さいようされ、ポーグとカーは飛行ひこう中止ちゅうしになったアポロ19ごう乗員じょういん候補こうほだった。4ごう乗員じょういんらはこののちアポロ・ソユーズテスト計画けいかく飛行ひこうにはえらばれず、またスペースシャトル初号しょごう発射はっしゃされるまえにNASAを退官たいかんしたため、結局けっきょくだれ再度さいど宇宙うちゅうくことはなかった。科学かがくしゃ宇宙うちゅう飛行ひこうとして訓練くんれんんだギブソンは、カリフォルニアしゅうロサンゼルスのエアロスペースしゃ (Aerospace Corp.) の主任しゅにん研究けんきゅういん科学かがくしゃとしてスカイラブでられた宇宙うちゅう空間くうかん物理ぶつりがくのデータを解析かいせきするため、1974ねん12月にNASAを退官たいかんした。

画像がぞう[編集へんしゅう]

宇宙船うちゅうせん現在げんざい状態じょうたい[編集へんしゅう]

スミソニアン科学かがく博物館はくぶつかん展示てんじされている4ごう司令しれいせん

4ごう司令しれいせんは、現在げんざいワシントンD.C.国立こくりつ航空こうくう宇宙うちゅう博物館はくぶつかん展示てんじされている。

飛行ひこう記章きしょう[編集へんしゅう]

三角形さんかっけい記章きしょうおおきな数字すうじの「3」と、飛行ひこうらが遂行すいこうしたみっつの分野ぶんや研究けんきゅうかこにじ特徴とくちょうとなっている。飛行ひこうちゅう搭乗とうじょういんらは記章きしょうについて以下いかのような説明せつめいをした :

記章きしょうなかにあるは、任務にんむちゅうおこなわれた研究けんきゅうみっつの主要しゅよう分野ぶんやあらわしている。人間にんげん自然しぜん環境かんきょう象徴しょうちょうであり、地球ちきゅう資源しげんについての研究けんきゅう発展はってんさせる目的もくてきのことである。水素すいそ原子げんし万物ばんぶつ基本きほんてき元素げんそであり、人類じんるい自然しぜんかいへの探求たんきゅう知識ちしき応用おうよう技術ぎじゅつ発展はってん象徴しょうちょうしている。また太陽たいようしゅとして水素すいそから構成こうせいされていることから、水素すいそ原子げんし任務にんむ目的もくてきである太陽たいよう物理ぶつりがくのことでもある。人間にんげんかげ人類じんるいと、自然しぜん環境かんきょうへの敬意けいいによってきたえられた英知えいち技術ぎじゅつ管理かんりする人間にんげん能力のうりょく象徴しょうちょうである。またスカイラブでおこなわれた、人類じんるいそれ自体じたいについての医療いりょう研究けんきゅうのことでもある。聖書せいしょだい洪水こうずい物語ものがたりから採用さいようされたにじは、人類じんるいせられた約束やくそく象徴しょうちょうである。このにじ人物じんぶつと、そこからひろがって水素すいそ原子げんしまでをもかこみ、我々われわれ科学かがくてき知識ちしき人文じんぶんがくてき応用おうようすることで技術ぎじゅつ自然しぜん調和ちょうわさせるという、人類じんるい重要じゅうよう役割やくわり強調きょうちょうしている。」記章きしょうほかのバージョンのなかには、任務にんむちゅうおこなわれたコホーテク彗星すいせい研究けんきゅうあらわすため、上部じょうぶ曲線きょくせんなか彗星すいせいえがいているものもある。

参照さんしょう[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ McDowell, Jonathan. “SATCAT”. Jonathan's Space Pages. 2014ねん3がつ23にち閲覧えつらん
  2. ^ a b Skylab Numbering Fiasco”. Living in Space. William Pogue Official WebSite (2007ねん). 2009ねん2がつ8にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2009ねん2がつ7にち閲覧えつらん
  3. ^ Pogue, William. “Naming Spacecraft: Confusion Reigns”. collectSPACE. 2011ねん4がつ24にち閲覧えつらん
  4. ^ Photo-sl3-113-1587”. spaceflight.nasa.gov. 2015ねん5がつ21にち閲覧えつらん
  5. ^ SP-404 Skylab's Astronomy and Space Sciences”. 2004ねん11月13にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2013ねん5がつ14にち閲覧えつらん
  6. ^ The Space Review: Secret Apollo published November 26, 2007
  7. ^ William Pogue's Seiko 6139 Watch Flown on Board the Skylab 4 Mission, from his Personal Collection... The First Automatic Chronograph to be Worn in Space.
  8. ^ The “Colonel Pogue” Seiko 6139, dreamchrono.com.

参考さんこう書籍しょせき[編集へんしゅう]

  • Gilles Clement, Fundamentals of Space Medicine, Microcosm Press, 2003. pp. 212.
  • Lattimer, Dick (1985). All We Did was Fly to the Moon. Whispering Eagle Press. ISBN 0-9611228-0-3.

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]