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タッグ・オブ・ウォー

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
『タッグ・オブ・ウォー』
ポール・マッカートニースタジオ・アルバム
リリース
録音ろくおん 1980ねん12月-1981ねん2~12がつ AIR Studios Montserrat,
AIR Studios London,
Parkgate Studio Sussex,
Strawberry Studios South Surrey,
Odyssey Studios London
ジャンル ロック
時間じかん
レーベル イギリスの旗MPL/パーロフォン
アメリカ合衆国の旗MPL/コロムビア(オリジナルばん
MPL/キャピトル(リイシューばん
プロデュース ジョージ・マーティン
専門せんもん評論ひょうろんによるレビュー
ポール・マッカートニー アルバム 年表ねんぴょう
マッカートニーII
(1980ねん
タッグ・オブ・ウォー
(1982ねん
パイプス・オブ・ピース
(1983ねん
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タッグ・オブ・ウォー』(Tug of War)は、1982ねん発表はっぴょうされたポール・マッカートニーの3まい オリジナルアルバム。ビートルズのプロデューサーであるジョージ・マーティンむかえて制作せいさくされ、ジャケットのデザインはイギリスのデザイン集団しゅうだんヒプノシスがけている。

概要がいよう

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1980ねん1がつのマッカートニーの逮捕たいほ、マッカートニーひきいるウイングス活動かつどう停滞ていたいし、メンバーのソロ活動かつどう開始かいししていた。しかし、同年どうねん8がつごろにはデニー・レイン再会さいかいし、ほんさくとうのデモ・レコーディングがおこなわれた。また、10月には当時とうじのウイングスのメンバーがスタジオにそろい、8がつにレコーディングしたデモ音源おんげんもとにしたリハーサルセッションもおこなわれ、ほんさくがウイングスのアルバムとして発売はつばいされる可能かのうせいもあったとのこと[1]

そんななか、マッカートニーは1980ねんあきごろ音楽おんがくプロデューサーのジョージ・マーティンにプロデュースを依頼いらいする。これは、マッカートニーがつぎのアルバムをソロ、しくはウイングスとしてすかまよった結果けっかのことである[1]。その、10月のすえごろにマッカートニーのソロ名義めいぎのシングル「ウィ・オール・スタンド・トゥゲザー」のレコーディングがマーティンのプロデュースによっておこなわれた[1]

その同年どうねん12がつ初旬しょじゅんごろよりマーティンが所有しょゆうするロンドンのAIRスタジオにてレコーディングを開始かいし。「ボールルーム・ダンシング」、「キープ・アンダー・カヴァーとうは12月初旬しょじゅん最初さいしょのレコーディングがおこなわれている[2]。 ところが同年どうねん12がつ8にちビートルズ時代じだい盟友めいゆうであるジョン・レノンがニューヨークで銃撃じゅうげきされるという事件じけん発生はっせい。レノンのげられたマッカートニーは平静へいせいたもつためスタジオにこもり、レインとともに「レインクラウズ」のレコーディングにかった[3]。しかし、マッカートニーのショックはおおきなもので、マッカートニーは数カ月すうかげつあいだ自宅じたくきこもることとなる[4]

その、1981ねんの2がつ1にちから3がつ4にちにかけて、マッカートニーはカリブ海かりぶかいモントセラトしまごすことになる。そして、モントセラトとう存在そんざいするマーティンが所有しょゆうしていたAIRスタジオに場所ばしょうつしレコーディングを再開さいかいした[1]。 この場所ばしょでのレコーディングには、レインも同行どうこうしたほか、スティーヴ・ガッドスタンリー・クラークリンゴ・スターカール・パーキンススティーヴィー・ワンダー豪華ごうかメンバーが参加さんかしている[1]

マッカートニーはレインといいになり[1]、レインは途中とちゅうでモントセラトとうのちにする。そして、ロンドンのスタジオにもどりレコーディングを続行ぞっこう。その最中さいちゅうであった4がつ27にちにレインが脱退だったい表明ひょうめいし、ウイングスは正式せいしき解散かいさんとなった。そこでさら時間じかんをかけてレコーディングをおこなうことが決定けっていし、結果けっかてきおおくの楽曲がっきょく録音ろくおんされ、2まいぐみ相当そうとうするほどの楽曲がっきょく完成かんせいした[1]ちなみに、アルバムに収録しゅうろくだったきょく一部いちぶつぎのアルバム『パイプス・オブ・ピース』に収録しゅうろくされた。

楽曲がっきょく

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このアルバムでもっと有名ゆうめい楽曲がっきょくはアルバムの最後さいごかざるスティーヴィー・ワンダーとのデュエットきょく「エボニー・アンド・アイボリー」である。マーティンのスタジオがあったモントセラトしまかれたこのきょくは、双方そうほうにとってだいヒットした作品さくひんのひとつとなった[ちゅう 1]日本にっぽんでもおよそ10まんまいげている。作曲さっきょくしゃとしてワンダーのはクレジットはされていないが、作曲さっきょく共同きょうどう作業さぎょうおこなわれたという。ちなみに、ワンダーにとってこのシングルがはつのイギリスでの首位しゅい獲得かくとくきょくとなったことについて、マッカートニーは「このきょくのレコーディングには随分ずいぶん時間じかんをかけたが、それだけやっておいてよかった」と発言はつげんしている。このアルバムには、かれらが制作せいさくしたもうひとつのともさく「ホワッツ・ザット・ユアー・ドゥイン」も収録しゅうろくされた。また、「ゲット・イット」では、マッカートニーはかれ少年しょうねん時代じだいのアイドルてき存在そんざいのひとりだったカール・パーキンスとデュエットしている。

このアルバムからの2きょく全米ぜんべいトップ10ヒットとなった「テイク・イット・アウェイ」は、元々もともとリンゴ・スターの1981ねんのアルバム『バラのかおりを』のためにかれたものだったが、ポールは自分じぶんうたったほうがてきしているとかんがえてみずからレコーディングした。リンゴはスティーヴ・ガッドとツインでドラムをたたいている。

りし日々ひび」でジョージ・ハリスンがレノンをしのんだように、ポールもかれへの追悼ついとうヒア・トゥデイ」を作曲さっきょくした。ポールはジョージに自分じぶんきょくにも参加さんかしてほしいとかんがえ、「ワンダーラスト」のギターソロをいてもらおうとかんがえていたが、実現じつげんはしなかった。「放浪癖ほうろうへき」を意味いみするこのきょくのタイトルは、かれがウイングス時代じだいのアルバム『ロンドン・タウン』のレコーディングでヴァージン諸島しょとう滞在たいざいしていたさいに、宿泊しゅくはくしていたヨットの名前なまえからきている。

収録しゅうろくきょく

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  1. タッグ・オブ・ウォー - Tug of War
  2. テイク・イット・アウェイ - Take It Away
  3. サムバディ・フー・ケアーズ - Somebody Who Cares
  4. ホワッツ・ザット・ユアー・ドゥイン - What's That You're Doing? (&スティービーワンダー)
  5. ヒア・トゥデイ - Here Today
  6. ボールルーム・ダンシング - Ballroom Dancing
  7. ザ・パウンド・イズ・シンキング - The Pound is Sinking
  8. ワンダーラスト - Wanderlust
  9. ゲット・イット - Get It(カールパーキンスとデュエット)
  10. ビー・ホワット・ユー・シー - Be What You See
  11. ドレス・ミー・アップ・アス・ア・ラバー - Dress Me Up as a Robber
  12. エボニー・アンド・アイボリー - Ebony and Ivory(スティービーワンダーとデュエット)
  13. Ebony and Ivory(Solo version)

※13は2007ねん、iTunes Store販売はんばいばんのボーナス・トラック。(12”収録しゅうろくバージョン)

クレジット

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チャート

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アルバム

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国名こくめい チャート セールス
最高さいこう順位じゅんい 登場とうじょうしゅうすう 認定にんてい
アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくビルボード 1(3しゅう連続れんぞく) 29 [1] Platinum
英国えいこく 1(2しゅう連続れんぞく) 27[2] Gold
日本にっぽん(オリコン) 1 18[3] 177,000
スウェーデン 1 10[4]
オーストリア 2 24

シングル

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とし 曲名きょくめい 国名こくめい チャート 最高さいこう順位じゅんい 登場とうじょうしゅうすう
1982 エボニー・アンド・アイボリー 北米ほくべい ビルボード/Hot100 1 19
1982 エボニー・アンド・アイボリー イギリス ミュージック・ウィーク 1 10
1982 エボニー・アンド・アイボリー スウェーデン   2 9
1982 エボニー・アンド・アイボリー スイス   2 16
1982 エボニー・アンド・アイボリー 日本にっぽん オリコン 26 17
1982 テイク・イット・アウェイ 北米ほくべい ビルボード/Hot100 10 16
1982 テイク・イット・アウェイ イギリス ミュージック・ウィーク 15 10
1982 タッグ・オブ・ウォー イギリス ミュージック・ウィーク 53 3
1982 タッグ・オブ・ウォー 北米ほくべい ビルボード/Hot100 53 8

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ ポールにとってはビートルズ解散かいさん、ウイングス時代じだいふくめてイギリス・アメリカ両方りょうほうくにで1獲得かくとくしたはじめて、かつ唯一ゆいいつきょくとなった。

出典しゅってん

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  1. ^ a b c d e f g MUSIC LIFE ザ・ビートルズ 1980年代ねんだい蘇生そせい シンコーミュージック・エンタテイメント 2018ねん7がつ29にち
  2. ^ Keep Under Cover”. The Paul Mccartney project. 2022ねん12月29にち閲覧えつらん
  3. ^ ビートルズ辞典じてん 藤本ふじもと国彦くにひこちょ まことぶんどう新光しんこうしゃ
  4. ^ BIOGRAPHY”. 2022ねん12月29にち閲覧えつらん

参考さんこう文献ぶんけん

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  • 『ポール・マッカートニー・コレクション⑬ タッグ・オブ・ウォー』日本にっぽんばんライナーノーツ、北野きたの知行ともゆきちょ東芝とうしばEMI ASIN B00005659M
  • 『ビートルズ解散かいさんの4にん あい反目はんもく日々ひび』 デヴィッド・ベナハム編著へんちょ中村なかむら美夏みかやくシンコーミュージック ISBN 978-4401613564
  • 『ウイングスパン』 2002ねん10がつ 出版しゅっぱんしゃ:Bulfinch
  • 『ポール・マッカートニー 告白こくはく』 2016ねん6がつ 出版しゅっぱんしゃDU BOOKS
  • 『1980年代ねんだいのポール・マッカートニー』月刊げっかんビートルズ臨時りんじ増刊ぞうかんごう 2019ねん9がつ 出版しゅっぱんしゃBCC出版しゅっぱん