オフコース
![]() |
テレビ |
オフコース | |
---|---|
| |
![]() | |
ジャンル | |
1967 | |
レーベル | |
| |
オフコース | |
オフコース(
概略 [編集 ]
オフコースの
1972
1982
音 作 り[編集 ]
オフコースは5
解散 時 のメンバー[編集 ]
小田 和正 (おだ かずまさ、1947年 9月 20日 (76歳 ) - ) ボーカル・キーボード・ギター清水 仁 (しみず ひとし、1950年 11月25日 (73歳 ) - ) ベース・コーラス・ペダルシンセサイザー大 間 ジロー(おおま じろー、1954年 5月14日 (70歳 ) - ) ドラムス松尾 一彦 (まつお かずひこ、1954年 8月 7日 (69歳 ) - ) ・ギター・ハーモニカ・コーラス・キーボード
解散 前 に脱退 したメンバー[編集 ]
地主 道夫 (じぬし みちお) ギター須藤 尊 史 (すどう たかふみ) ドラムス小林 和行 (こばやし かずゆき)ベース吉田 浩二 (よしだ こうじ) コーラス鈴木 康博 (すずき やすひろ、1948年 2月 18日 (76歳 ) - ) ボーカル・ギター
来歴 [編集 ]
- 1964
年 - 12月、
高校 2年 のクリスマス・パーティーでバンドの生 演奏 をしたことがきっかけとなり、翌年 の文化 祭 (聖 光 祭 )のステージに立 つことを目指 しメンバーの中 から小田 和正 、鈴木 康博 、地主 道夫 、須藤 尊 史 の4人 でグループが結成 される[5]。
- 1965
年 - 11月3
日 、聖 光 学院 文化 祭 に出演 [† 5]。高校 卒業 後 、鈴木 康博 は東京工業大学 制御 工学科 に、小田 和正 は東北大学 建築 科 にそれぞれ進学 [† 6]、離 ればなれになる。しかし、休日 に鈴木 が車 に機材 を積 み込 んで仙台 まで行 って練習 は続 けられた。
- 1966
年 - 8
月 17日 、「第 1回 FOLK SONGの…」開催 (横浜 勤労 会館 )。
- 1967
年 - 3月27
日 、「第 2回 FOLK SONGの…」開催 (横浜 勤労 会館 )。コンサートの後 、彼 らは名前 のなかったこのグループに“THE OFF? COURSE”と命名 する。彼 らの音楽 活動 を支援 し、コンサートのためにいつも中心 となって動 く聖 光 野球 部 OB会 “オフコース(OF COURSE)”に敬意 を表 してその名 をもらった[5][7]。大学 時代 、自主 コンサートを毎年 開催 するほか、聖 光 学院 時代 の友達 から頼 まれて演奏 したり、他 の大学 の文化 祭 に呼 ばれるなど、3人 は活発 な演奏 活動 を続 けた。
- 1968
年 - 4
月 4日 、「第 3回 FOLK SONGの…」開催 (神奈川 県立 青少年 センター)。大学 三 年 になった彼 らにとって、解散 コンサートのつもりで開催 された[8]。
- 1969
年 - 7
月 20日 、第 3回 ヤマハ・ライト・ミュージック・コンテスト(LMC)仙台 地区 予選 (仙台 西花苑 [† 7])にフォーク部門 から出場 、第 2位 [† 8]。8月31日 、宮城 県 予選 (宮城 県民 会館 )に出場 、第 1位 を獲得 。9月、東北 地区 本選 大会 (仙台 電力 ホール)に出場 、第 1位 を獲得 し、全国 大会 へ進出 。11月2日 、LMC全国 グランプリ大会 (新宿 厚生 年金 会館 大 ホール)第 2位 [† 9][† 10][† 11]。
- 1970
年 - 4
月 5日 、シングル『群衆 の中 で ⁄陽 はまた昇 る』でデビュー。10月、小田 ・鈴木 の聖 光学 院 の後輩 だった小林 和行 がベーシストとして加入 。11月14日 、赤 い鳥 と「8人 の音楽 会 」開催 (大手町 サンケイホール)。
- 1971
年 - 2
月 、地主 が建築 の道 へ進 むためにグループを脱退 。5月、パシフィック・エンタープライズに所属 、ボン・ミュージックと音楽 出版 契約 。10月5日 にシングル『夜明 けを告 げに ⁄美 しい世界 』を発売 。
- 1972
年 - 4
月 25日 、シングル『おさらば ⁄悲 しきあこがれ』発売 。グループ名 を「オフ・コース」とする。5月13日 に「第 1回 東京 音楽 祭 」に出場 (日本武道館 )、「おさらば」を歌 う。当時 のオフコースのマネージャーだった吉田 浩二 がコーラスとして加入 。5月19日 、メンバーが小田 ・鈴木 の二人 となる。6月9日 、ラジオ関東 『ヤングヤングミュージック・イン・テクニクス』初 出演 。のちに『オフコースの小 さな部屋 』のテーマソング「小 さな部屋 」が生 まれた。9月13日 、第 1回 リサイタル“オフコース・コンサート・イン・横浜 ”開催 (横浜 市 教育 会館 )。
- 1973
年 - 2
月 1日 、杉田 二郎 と「サブミュージック・パブリッシャーズ・オフィス」を設立 [† 12]。5月1日 、“ラブ・ジェネレーション・コンサート”を全国 12か所 で開催 (5月 25日 まで)[† 13]。6月5日 、ファースト・アルバム『オフ・コース1 ⁄僕 の贈 りもの』発売 。9月9日 、第 2回 オフコース・リサイタル“グリーン・ラブ”開催 (日仏会館 )。11月26日 、アルバム・レコーディング開始 (1974年 3月 10日 まで)。11月30日 、ラジオ関東 “ヤングヤングミュージック・イン・テクニクス”にレギュラー出演 。
- 1974
年 - 1
月 10日 、札幌 ・道新 ホールにてコンサート。観客 は僅 か13人 で、それがいつまでもエピソードとして何 回 も出 ることになる[11]。3月14日 、渋谷 ジァン・ジァンにてコンサート。3月28日 、東京 で「オフコース・ファミリー・コンサート」開催 (岩波 ホール)。4月5日 、シングル『もう歌 は作 れない ⁄ はたちの頃 』発売 。5月5日 、アルバム『この道 をゆけば ⁄ オフ・コース・ラウンド2』発売 。5月7日 、第 3回 オフコース・リサイタル“明日 への歩 み”開催 (日本 青年 館 大 ホール)。10月20日 、シングル『忘 れ雪 ⁄水 いらずの午後 』発売 。10月26日 、第 4回 オフコース・リサイタル“秋 ゆく街 で”開催 (中野 サンプラザホール)[† 14]。12月20日 、アルバム『秋 ゆく街 で ⁄ オフ・コース・ライヴ・イン・コンサート』発売 。10月26日 に行 われたコンサートの模様 を収録 したライブ・アルバム。
- 1975
年 - 3月22
日 、“オフコースの小 さな部屋 Vol.1”-なぜ音楽 活動 を続 けるか-開催 (日本 青年 館 大 ホール ゲスト:山本 コウタロー、南 高節 、斉藤 哲夫 、イルカ)[† 15]。4月、武藤 敏史 がオフコースの担当 ディレクターとなる。4月27日 、“オフコースの小 さな部屋 Vol.2”–お帰 りなさいジローちゃん–開催 (神田 共立 講堂 ゲスト:杉田 二郎 )。6月8日 、“オフコースの小 さな部屋 Vol.3”–みつはしちかこさんを迎 えて–開催 (日本 青年 館 大 ホール ゲスト:みつはしちかこ、イルカ)。7月2日 、シングル、アルバム・レコーディング開始 (11月6日 まで)。8月17日 、“オフコースの小 さな部屋 Vol.4”–フォーク史 をたどる–開催 (日本 青年 館 大 ホール ゲスト:石川 鷹 彦、新田 和 長 )。8月 20日 、文化放送 “ハロー・パーティー”出演 。8月26日 、“オフコース・ファミリー・コンサート”開催 (新宿 安田 生命 ホール)。10月4日 、第 5回 オフコース・リサイタル“秋 ゆく街 でII”開催 (中野 サンプラザホール)。11月2日 、聖 光 祭 に出演 [† 16]。11月24日 、“オフコースの小 さな部屋 Vol.5”-コーラスの世界 -開催 (日本 青年 館 大 ホール)。12月8日 、文化 放送 “歌 そして仲間 ”出演 (1976年 1月 25日 オンエア)。12月20日 、シングル『眠 れぬ夜 ⁄昨日 への手紙 』とアルバム『ワインの匂 い』を同時 発売 。新宿 ルイードでのチャリティーコンサートに出演 。12月23日 、信越放送 “クリーン・フォーク”出演 。
- 1976
年 - 1
月 18日 、「オフ・コースとイルカの年賀状 コンサート」開催 (日本 青年 館 ゲスト:なぎら健壱 )。2月、小田 、早稲田大学 大学院 を卒業 。2月16日 、新宿 ルイード(共演 :イルカ)。2月19日 、文化 放送 “花 のフォークタウン”出演 (渋谷 公会堂 )。2月26日 、シングル『ひとりで生 きてゆければ』レコーディング開始 (2月 29日 まで)。プロデューサー武藤 敏史 が以前 ディレクターとして担当 していた「ザ・ジャネット」の元 メンバーの大 間 ジローをレコーディングに参加 させる。5月5日 、シングル『ひとりで生 きてゆければ ⁄ あいつの残 したものは』発売 。同日 より、大 間 ジロー参加 。5月23日 、“オフコースの小 さな部屋 Vol.6”-音楽 の多様 性 その1:音楽 はいかに映像 を助 けるか、また映像 はいかに音楽 を助 けるか-開催 (日本 青年 館 大 ホール ゲスト:加藤 和彦 )。清水 仁 が初 参加 [† 17]。8月1日 、それまで所属 していたサブミュージック・パブリッシャーズ・オフィスから独立 、マネージメント会社 「オフコース・カンパニー」を設立 。8月15日 、アルバム・レコーディング開始 (9月 15日 まで)。9月5日 、“オフコース・ファミリー・コンサート”開催 (全電通 ホール)。10月5日 、シングル『めぐる季 節 ⁄ ランナウェイ』発売 。10月23日 、第 6回 オフコース・リサイタル“秋 ゆく街 でIII”開催 (中野 サンプラザホール)。大 間 と清水 に加 え松尾 一彦 が参加 、大 間 ・清水 ・松尾 を観客 に紹介 。10月24日 、学園 祭 ライブ回 り(11月23日 まで)。オフコース史上 最高 の10校 。11月5日 、アルバム『SONG IS LOVE』発売 。清水 は「ザ・バッド・ボーイズ」としての契約 がまだ残 っていたためレコーディングでは演奏 には不参加 だが、この頃 から実質 的 に5人 のバンドとなった。11月10日 、シングル・レコーディング開始 (12月7日 まで)。11月21日 、白百合女子大 学園 祭 公演 。初 めてアンコールをもらう。[要 出典 ]
- 1977
年 - 2
月 5日 、シングル『こころは気紛 れ ⁄ あなたがいれば』発売 。両 曲 とも清水 仁 が参加 、このシングルで後 の正式 メンバー5人 が全員 揃 う。4月8日 、初 の全国 ツアー、「春 のコンサート・ツアー」開始 (9月 28日 まで:全国 37か所 )。4月25日 、“オフコースの小 さな部屋 Vol.7”–音楽 の多様 性 その2:弦 カル・トマトを迎 えて。ひとつの音 がいくつか集 まるとどのような音楽 において、どんな風 に音 の広 がりが出 てくるか–開催 (九段会館 )。5月9日 、シングル、アルバム・レコーディング開始 (7月 22日 まで)。8月5日 、シングル『秋 の気配 ⁄恋人 よそのままで』発売 。このシングルからアーティスト表記 が「オフ・コース」から「オフコース」となる。8月18日 、ツアー・リハーサル開始 (9月 14日 まで)。9月5日 、アルバム『JUNKTION』発売 。10月9日 、「秋 のコンサート・ツアー」開始 (1978年 2月 27日 まで:全国 39か所 )。10月23日 、第 7回 オフコース・リサイタル“秋 ゆく街 でIV”開催 (中野 サンプラザホール、昼夜 2回 公演 )。11月20日 、シングル『ロンド ⁄思 い出 を盗 んで』発売 。「ロンド」は日本 テレビ系 ドラマ「ひまわりの家 」主題歌 となる。12月14日 、FM東京 “スカイ・ホリデー”録音 (1978年 1月 1日 オンエア)。冬 、プロモート・ディスク『ANTHOLOGY』配布 。
- 1978
年 - 1
月 18日 、シングル・レコーディング開始 (2月 22日 まで)。3月10日 、「春 のコンサート・ツアー」開始 (7月 24日 まで:全国 41か所 )。4月5日 、“オフコースの小 さな部屋 Vol.8”–78年度 オフコース大賞 –開催 (渋谷 公会堂 ゲスト:財津 和夫 )。4月5日 、シングル『やさしさにさようなら ⁄通 りすぎた夜 』発売 。4月19日 、アルバム・レコーディング開始 (8月 8日 まで)。4月27日 、FM東京 “ニュー・ミュージック’78”出演 。5月5日 、ベスト・アルバム『SELECTION 1973-78』発売 。7月8日 、“オフコース・ファミリー・コンサート”開催 (神奈川 県民 会館 小 ホール)。7月 20日 、シングル『あなたのすべて ⁄海 を見 つめて』発売 。8月22日 、ツアー・リハーサル開始 (8月 31日 まで)。9月1日 、軽井沢 にて、ツアー・リハーサル合宿 (9月 10日 まで)。9月13日 、全国 ツアー用 リハーサル(江東 公会堂 )。9月20日 、「秋 のコンサート・ツアー」開始 (1979年 1月 31日 まで:全国 60か所 [† 18])。この年 初 めて、それまで東京 のみで行 われてきたリサイタル“秋 ゆく街 で”を、リサイタル・ツアーとして全国 57か所 で公演 する。まだ地方 によっては半分 も人 の埋 まらない会場 もあった[15]。10月5日 、アルバム『FAIRWAY』発売 。10月20日 、TBSラジオ“ニュー・ミュージック・ワールド”出演 (11月28日 オンエア)。10月21日 、シングル・レコーディング開始 (11月7日 まで)。11月20日 、島根 県 浜田 市 での公演 後 、大 間 が腹痛 を訴 え、翌日 入院 。次 の二 公演 を延期 し、大 間 が回復 するまでの代役 として向山 テツを入 れる。しかし大 間 はこのツアーに復帰 することができなかったため、向山 が13ステージ、残 りの18ステージを、城間 正博 が受 け持 った[15]。
- 1979
年 - 1
月 20日 、シングル『愛 を止 めないで ⁄美 しい思 い出 に』発売 。ジャケットにメンバー5人 のライブ写真 を使用 。3月1日 、河口湖 サニーデ・スタジオにて、ツアー・リハーサル合宿 (3月 12日 まで)。3月14日 、シングル・レコーディング開始 (4月 2日 まで)。3月22日 、「春 のコンサート・ツアー」開始 (8月 5日 まで:全国 61か所 62回 公演 )。5月16日 、アルバム・レコーディング開始 (8月 28日 まで)。6月5日 、シングル『風 に吹 かれて ⁄恋 を抱 きしめよう』発売 。8月1日 、松尾 ・清水 ・大 間 が、正式 にバンドメンバーとなる。8月4日 、「オフコース田園 コロシアム」開催 (8月 5日 まで)[† 19]。8月31日 、アルバム・ジャケット撮影 のため沖縄 へ移動 。9月3日 、沖縄 から羽田空港 へ到着 。9月13日 、河口湖 サニーデ・スタジオにて、ツアー・リハーサル合宿 (9月 22日 まで)。9月24日 、シングル・レコーディング開始 (10月 8日 まで)。9月27日 、河口湖 サニーデ・スタジオにて、ツアー・リハーサル合宿 (10月 4日 まで)。10月16日 、「OFF COURSE CONCERT “Three and Two”」開始 (1980年 2月 25日 まで:全国 51か所 63回 公演 )。10月20日 、アルバム『Three and Two』発売 。ジャケットは表 に新 加入 の清水 ・大 間 ・松尾 の3人 、裏 に小田 と鈴木 が、それぞれ写 った。11月3日 、ラジオ関東 “ニュー・ミュージック一直線 ”出演 。12月1日 、シングル『さよなら ⁄汐 風 のなかで』発売 。同 作 はオリコンシングルチャートで第 2位 を記録 し、同年 の年間 ランキングで9位 を記録 した[17]。一躍 人気 「ニューミュージック・バンド」と呼 ばれるようになる。[要 出典 ]。12月11日 、FM東京 “歌謡 バラエティ”出演 。
- 1980
年 - 3月3
日 、シングル・レコーディング開始 (4月 21日 まで)。3月5日 、シングル『生 まれ来 る子供 たちのために ⁄ この海 に誓 って』発売 。4月2日 、FM東京 “ニューミュージック共和 国 ”録音 (4月 12日 オンエア)。NHK-FM“マイ・ラブリー・ポップス”録音 (4月 20・26日 オンエア)。4月14日 、ツアー・リハーサル合宿 (4月 19日 まで)。5月1日 、「OFF COURSE CONCERT LØVE」開始 (6月 28日 まで:オフコース初 の日本武道館 公演 を含 む全国 15か所 21回 公演 )。5月5日 、アルバム『LIVE』発売 。5月11日 、NHK教育 テレビのドキュメンタリー番組 『若 い広場 』「牛尾 治朗 と若者 たち」に小田 が出演 。6月21日 、シングル『Yes-No ⁄愛 の終 わる時 』発売 。6月29日 、木田 高 介 ・阿部 晴彦 追悼 コンサートに出演 (日比谷 野外 音楽 堂 )。8月6日 、アルバム・レコーディング開始 (9月 25日 まで)。9月28日 、トラックダウンのため、渡米 。ハワイ経由 で10月 15日 に帰国 。10月21日 、伊豆 市 の別荘 地 「伊豆 エメラルドタウン」にて、ツアー・リハーサル合宿 (10月 26日 まで)。11月4日 、ラン・スルー・リハーサル(朝霞 市民 会館 )。11月10日 、「OFF COURSE CONCERT “We are”」開始 (1981年 3月 28日 まで:日本武道館 4日間 公演 を含 む全国 47か所 58回 公演 )11月21日 、アルバム『We are』発売 。初 めてオリコンチャートで1位 を獲得 する。11月25日 、小田 和正 サウンドプロデュースシングル『夜明 けのグッドバイ』(イルカ)発売 (SIDE Aのみ)。11月27日 、“オフコースの小 さな部屋 ”札幌 ・道新 ホールにて開催 。1974年 の観客 13人 を吹 っ切 るために企画 された公演 [5][† 20]。12月1日 、シングル『時 に愛 は ⁄僕 等 の時代 』発売 。12月21日 、小田 和正 サウンド・プロデュース・アルバム『我 が心 の友 へ』(イルカ)発売 (11曲 中 6曲 )。年末 、鈴木 が「オフコースを抜 けて違 う音楽 をやってみたい」との意思 を小田 に伝 える。
- 1981
年 - 2
月 7-10日 、日本武道館 公演 。最終 日 の10日 に本格 的 にライブ撮影 、その映像 は後 にフェアで使用 。4月、シングル・レコーディング開始 。5月25日 、小田 和正 サウンド・プロデュース・シングル『Follow Me』(イルカ)発売 (SIDE A のみ)。6月5日 、鈴木 康博 プロデュース・シングル『君 が好 き』(あんべ光俊 )発売 。6月21日 、シングル『I LOVE YOU ⁄夜 はふたりで』発売 。6月29日 、伊豆 合宿 (7月 1日 まで)。7月19日 、小田 、文化 放送 “ハッピー・フォーク”出演 。8月16日 、アルバム制作 開始 。ロサンゼルスにてトラックダウン(10月 30日 まで)。9月1日 、ベスト・アルバム『SELECTION 1978-81』発売 。11月15日 、アルバム制作 開始 (1982年 6月 6日 まで)。11月23日 、NHK教育 テレビ『若 い広場 』に出演 。12月31日 、『We are』が「第 23回 日本 レコード大賞 」“ベスト・アルバム賞 ”を受賞 [19][† 21]。
- 1982
年 - 1
月 3日 、アルバム『over』の制作 過程 を追 ったドキュメンタリーが、NHK教育 テレビ『若 い広場 』で「オフコースの世界 」と題 して放送 された[† 22]。1月21日 、 フジテレビ系 『笑 ってる場合 ですよ!』「明石家 さんまの減点 マネージャー」に清水 ・大 間 ・松尾 と、マネージャーの富樫 要 が出演 。1月22日 、「Off course Concert 1982 “over”」開始 (6月 30日 まで:全国 28か所 69回 公演 )。観客 動員 数 約 25万 人 。2月1日 、シングル「言葉 にできない ⁄君 におくる歌 」発売 。6月10日 、シングル『YES-YES-YES ⁄ メインストリートをつっ走 れ』発売 。6月15日 、日本武道館 連続 10日間 公演 実施 (6月 30日 まで)。コンサートへのチケット抽選 応募 葉書 は約 53万 通 にも及 んだ[20]。その後 約 3年間 、ライブ活動 を休止 する[† 23]。7月1日 、アルバム『I LOVE YOU』発売 。7月、オフコース初 のTVスペシャル『NEXT』の制作 開始 。9月21日 、アルバム『NEXT SOUND TRACK』発売 。9月29日 、TBS系 特別 企画 オフコース・スペシャル『NEXT』放映 [† 24]。9月29日 、フィルム・コンサート「Off Course Concert 1982.6.30」開始 (1983年 1月 31日 まで:全国 240か所 393回 上映 )。
- 1983
年 - 3月、
海外 用 デモテープ・レコーディング[† 25]。8月29日 、栃木 県 のジュンクラシックカントリークラブ(ゴルフ場 )にて行 われた合宿 でメンバー、スタッフを含 むミーティング実施 。4人 での再 出発 を決 める(9月 1日 まで)。8月31日 、鈴木 、正式 脱退 。10月21日 、アルバム用 プリプロダクション開始 (1984年 5月 4日 まで)。11月3日 、ベスト・アルバム『YES-YES-YES』発売 。12月8日 、清水 の友人 、リッキー&リボルバーの誘 いで急遽 、渋谷 エッグマンで行 われたジョン・レノン追悼 コンサートに飛 び入 り出演 。「Long Tall Sally」など3曲 を演奏 [21]、4人 での最初 の演奏 [5]。
- 1984
年 - 1
月 7日 、アルバム『The Best Year of My Life』レコーディング開始 。2月14日 、 フジテレビ系 『笑 っていいとも!』の「テレフォンショッキング」に明石家 さんまからの紹介 で小田 が出演 、翌 15日 のお友達 に星野 仙 一 を紹介 する[5][† 26]。4月21日 、シングル『君 が、嘘 を、ついた ⁄愛 よりも』発売 。これも同 じくオリコンシングルチャートで第 2位 。このシングルより、小田 ・松尾 ・清水 ・大 間 の4人 となる。6月23日 に放送 のフジテレビ系 『オレたちひょうきん族 』の「ひょうきんベストテン」に第 1位 で出演 、「君 が、嘘 を、ついた」のプロモーションビデオ・プレミアム鑑賞 会 を行 う。7月6日 、「夏 の日 」プロモーション・フィルム制作 (7月 20日 まで)。7月18日 、シングル『夏 の日 ⁄君 の倖せを祈 れない』発売 。8月30日 、「緑 の日々 」プロモーション・フィルム制作 (9月 24日 まで)。9月21日 、シングル『緑 の日々 ⁄ CITY NIGHTS』発売 。11月21日 、シングル・レコーディング開始 (1985年 1月 14日 まで)。
- 1985
年 - 1
月 、アメリカでのアーティスト契約 への足 がかりとして自身 の曲 を全 て英訳 したアルバムのレコーディングを開始 (3月 8日 まで)。2月3日 、シングル・レコーディング開始 (3月 8日 まで)。2月21日 、シングル『call ⁄ 2度目 の夏 』発売 。3月11日 、ツアー・リハーサル開始 (4月 24日 まで)。4月、ファンクラブ向 けビデオ『RUNNING THROUGH '84』発売 。4月26日 、「OFF COURSE CONCERT '85 “The Best Year of My Life”」開始 (10月 17日 まで:全国 42か所 56回 公演 )。約 26万 人 動員 。5月22日 、シングル『たそがれ ⁄ LAST NIGHT』発売 。6月1日 、松任谷 由実 ・小田 和正 ・財津 和夫 共 作 のシングル『今 だから』発売 。6月15日 、国立 競技 場 で行 なわれた国際 青年 年 記念 イベント“ALL TOGETHER NOW”に出演 。吉田 拓郎 のバックバンドを担当 したほか[† 27]、小田 は同 イベントのテーマソング「今 だから」を松任谷 由実 、財津 和夫 と共 に歌 った(演奏 はSadistic Yuming Band)。7月13日 、LIVE AID出演 。「ENDLESS NIGHTS」を歌 う。7月31日 、シングル・レコーディング開始 (8月 8日 まで)。8月1日 、同年 初頭 にレコーディングされた英語 詞 の楽曲 をまとめたアルバム『Back Streets of Tokyo』発売 。9月21日 、シングル『夏 から夏 まで ⁄ ぜんまいじかけの嘘 』発売 。10月15日 、国立 代々木 競技 場 ・第 一 体育館 にて追加 公演 (17日 まで)。11月30日 、シングル『ENDLESS NIGHTS ⁄ EYES IN THE BACK OF MY HEART』発売 。
- 1987
年 - 3月4
日 、シングル『IT'S ALL RIGHT (ANYTHING FOR YOU) ⁄ IT'S QUITE ALL RIGHT (INSTRUMENTAL)』発売 。3月5日 、ツアー・リハーサル開始 (4月 16日 まで)。月 28日 、アルバム『as close as possible』発売 。4月17日 、「OFF COURSE TOUR 1987 “as close as possible”」開始 (9月 6日 まで:全国 50か所 69回 公演 )。前回 同様 、約 26万 人 動員 。5月25日 、シングル『もっと近 くに (as close as possible) ⁄ Tiny Pretty Girl』発売 。7月5日 、ベスト・アルバム『IT'S ALL RIGHT OFF COURSE SELECTION Ⅲ 1984-1987』発売 (CDも初 めて同時 発売 )。7月15日 、シングル・レコーディング開始 (7月 17日 まで)。11月5日 、清水 仁 ソロ・プロジェクト“Project ONE”シングル『二人 だけの海 ⁄二 人 だけの海 (Instrumental Version)』発売 。11月25日 、Project ONE アルバム『ONE NIGHT』発売 。11月25日 、ビデオ『OFF COURSE TOUR 1987 -as close as possible-』発売 。
- 1988
年 - 1
月 25日 、シングル『君 住 む街 へ ⁄君 住 む街 へ -INSTRUMENTAL VERSION-』発売 。2月16日 、「君 住 む街 へ」プロモーション・ビデオ撮影 。3月5日 、小田 和正 ソロ・シングル『僕 の贈 りもの ⁄ After Forever』発売 。3月5日 、小田 和正 ソロ・アルバム『BETWEEN THE WORD & THE HEART』発売 。3月30日 、アルバム『Still a long way to go』レコーディング開始 (5月 2日 まで)。5月9日 、ツアー・リハーサル開始 (5月 31日 まで)。6月9日 、アルバム『Still a long way to go』発売 。6月9日 、「OFF COURSE TOUR 1988-'89 “STILL a long way to go”」開始 (1989年 2月 3日 まで:全国 83か所 102回 公演 )。7月25日 、シングル『she's so wonderful ⁄陽射 しの中 で』発売 。8月5-6日 、「広島 ピースコンサート」出演 。8月7日 、「SOUND SPARK'88」(愛媛 県 津 島 町南 レクグラウンド)出演 。10月25日 、解散 前 最後 のシングル『夏 の別 れ ⁄逢 いたい』発売 。11月、ファンクラブ会員 に「To Our Friends」と題 して解散 を告知 [5]。
- 1989
年 - 2
月 1日 、アルバム『君 住 む街 へ 1984→1988』発売 。2月3日 、日本武道館 での「STILL a long way to go」ツアー最終 日 、小田 がステージから飛 び降 りる。2月26日 、東京 ドームにてスタッフが企画 し、実現 にこぎつけたスペシャル・ライブ、“The Night with Us”開催 [† 28][† 29][† 30]。このラストライブをもって解散 [5]した。
解散 後 [編集 ]
※
- 1999
年 -
- 3月、
清水 、松尾 、大 間 が「A.B.C.」を結成 。
- 3月、
- 2000
年 -
- 11月2
日 、A.B.C.『ABC VOL.1』発売 。
- 11月2
- 2001
年 -
- 9月26
日 、DVD『Off Course 1969-1989 Digital dictionary』発売 。
- 9月26
- 2002
年
- 2003
年 -
- 12月22
日 、A.B.C.『ABC VOL.2』発売 。
- 12月22
- 2006
年
- 2015
年
- 2016
年
- 2019
年
- 2020
年 -
- 6月3
日 、『コンプリート・シングル・コレクションCD BOX』発売 。デビュー50周年 記念 アイテムとして、東芝 EMIからリリースされたシングル24作品 とFUN HOUSEから発表 された12作品 の全 36シングルを12cmの紙 ジャケットにて復刻 [32]。 - 10月28
日 、『コンプリート・アルバム・コレクションCD BOX』発売 。デビュー50周年 を記念 してオリジナルアルバム、ライブ盤 、ベスト盤 、サウンドトラックなど、東芝 EMI時代 に発表 した15タイトル、FUN HOUSE時代 にリリースした5タイトルの計 20作品 を紙 ジャケット仕様 で収 めたもの[33]。
- 6月3
- 2022
年 -
- 6月29
日 、『Off Course 1982・6・30武道館 コンサート40th Anniversary』発売 。これまで映像 作品 としてのみリリースされていた1982年 6月 30日 のライブ音源 を、最新 リマスタリングにてCD化 [34]。
- 6月29
ディスコグラフィ[編集 ]
シングル[編集 ]
1st〜2ndは「ジ・オフ・コース」、3rd〜10thは「オフ・コース」
# | タイトル | ||||
---|---|---|---|---|---|
EXPRESS ⁄ | |||||
1 | 1970 |
7inch | EP-1224 | ||
2 | 1971 |
ETP-2527 | |||
3 | おさらば / |
1972 |
ETP-2647 | ||
4 | 1973 |
ETP-2809 | |||
EXPRESS ⁄ | |||||
5 | もう |
1974 |
7inch | ETP-2996 | |
6 | 1974 |
ETP-20074 | |||
7 | 1975 |
ETP-20214 | 48 | ||
8 | ひとりで |
1976 |
ETP-20259 | ||
9 | めぐる |
1976 |
ETP-10081 | ||
10 | こころは |
1977 |
ETP-10158 | ||
11 | 1977 |
ETP-10270 | |||
12 | ロンド / |
1977 |
ETP-10343 | 89 | |
13 | やさしさにさようなら / |
1978 |
ETP-10400 | ||
14 | あなたのすべて / |
1978 |
ETP-10444 | 82 | |
15 | 1979 |
ETP-10524 | 31 | ||
16 | 1979 |
ETP-10583 | 41 | ||
17 | さよなら / |
1979 |
ETP-10655 | ||
18 | 1980 |
ETP-10707 | 48 | ||
19 | Yes-No / |
1980 |
ETP-17003 | ||
20 | 1980 |
ETP-17100 | 35 | ||
21 | I LOVE YOU / |
1981 |
ETP-17169 | ||
22 | 1981 |
ETP-17230 | 23 | ||
23 | 1982 |
ETP-17280 | 37 | ||
24 | YES-YES-YES / メインストリートをつっ |
1982 |
ETP-17362 | ||
ファンハウス(1984 | |||||
25 | 1984 |
7inch | 07FA-1001 | ||
26 | 1984 |
07FA-1008 | 15 | ||
27 | 1984 |
07FA-1011 | 14 | ||
28 | call / 2 |
1985 |
07FA-1023 | ||
29 | たそがれ / LAST NIGHT | 1985 |
07FA-1037 | ||
30 | 1985 |
07FA-1055 | |||
31 | ENDLESS NIGHTS / EYES IN THE BACK OF MY HEART | 1985 |
07FA-1061 | 26 | |
32 | IT'S ALL RIGHT (ANYTHING FOR YOU) / IT'S QUITE ALL RIGHT (INSTRUMENTAL) | 1987 |
07FA-1107 | 20 | |
33 | もっと |
1987 |
07FA-1113 | 29 | |
34 | 1988 |
07FA-1150 | 11 | ||
1988 |
10FD-3001 | ||||
35 | she's so wonderful / |
1988 |
|
|
80 |
36 | 1988 |
|
82 | ||
ユニバーサルミュージック | |||||
- | 2016 |
UPCY-9476 | 61 |
アルバム[編集 ]
1st〜5thアルバムは「オフ・コース」
# | タイトル | ||||
---|---|---|---|---|---|
EXPRESS ⁄ | |||||
1 | オフ・コース1 ⁄ |
1973 |
ETP-8258 | ||
EXPRESS ⁄ | |||||
2 | この |
1974 |
LP |
ETP-8293 | |
Live | 1974 |
ETP-72024 | |||
3 | ワインの |
1975 |
ETP-72123 | 62 | |
4 | SONG IS LOVE | 1976 |
ETP-72212 | 34 | |
5 | JUNKTION | 1977 |
ETP-72269 | 21 | |
Best | SELECTION 1973-78 | 1978 |
ETP-80015 | 16 | |
6 | FAIRWAY | 1978 |
ETP-80040 | ||
7 | Three and Two | 1979 |
ETP-80107 | ||
Live | LIVE | 1980 |
2LP | ETP-60380-1 | 16 |
8 | We are | 1980 |
LP |
ETP-90038 | |
Best | SELECTION 1978-81 | 1981 |
ETP-90106 | ||
9 | over | 1981 |
ETP-90150 | ||
10 | I LOVE YOU | 1982 |
ETP-90180 | ||
OST | NEXT SOUND TRACK | 1982 |
ETP-90200 | ||
ファンハウス(1984 | |||||
11 | The Best Year of My Life | 1984 |
LP |
28FB-2002 | |
12 | Back Streets of Tokyo | 1985 |
28FB-2020 | ||
13 | as close as possible | 1987 |
28FB-2081 | ||
Best | IT'S ALL RIGHT OFF COURSE SELECTION III 1984-1987 | 1987 |
|
|
11 |
14 | Still a long way to go | 1988 |
|
非 監修 ベスト・アルバム[編集 ]
# | タイトル | |||||
---|---|---|---|---|---|---|
1 | YES-YES-YES | 1983 |
EXPRESS ⁄ |
LP | ETP-90257 | |
2 | BEST COLLECTION | 1985 |
ETP-90344 | |||
3 | BEST NOW OFF COURSE | 1987 |
2CD | CA32-1363/4 | ||
4 | ニューベストナウ 70 | 1988 |
CD | CT32-9014 | ||
5 | Autumn Winds BEST FROM OFF COURSE | 1988 |
CT32-5274 | |||
6 | スーパー・ベスト30 さよなら | 1989 |
2CD | CT20-5401/2 | 36 | |
7 | バラード | CD | CT23-5403 | 91 | ||
8 | SELECTION ODA | CT23-5404 | ||||
9 | SELECTION SUZUKI | CT23-5405 | ||||
10 | アコースティック | CT23-5406 | ||||
11 | レア | CT23-5407 | 92 | |||
12 | 1989 |
ファンハウス | 28FD-7058 | 17 | ||
13 | Spring Time Best From OFF COURSE | 1989 |
EXPRESS ⁄ |
CT30-5409 | ||
14 | SUMMER JUNCTION BEST FROM OFF COURSE | 1989 |
CT30-5461 | |||
15 | OFF COURSE Singles 21 1973→1982 | 1989 |
3CD | TOCT-5620/2 | ||
OFF COURSE Singles | 1998 |
TOCT-10250/2 | ||||
15 | オフコーススペシャル ⁄ |
1990 |
CD | TOCT-5675 | ||
16 | スーパー・ベスト | 1990 |
3CD | TOCT-5816-8 | ||
17 | winter collection White Lyrics | 1990 |
CD | TOCT-5927 | ||
18 | シングルスVol.1 | 1990 |
TOCT-5966 | |||
19 | シングルスVol.2 | TOCT-5967 | ||||
20 | シングルスVol.3 | TOCT-5968 | ||||
21 | オフコース・コレクション〜 |
1991 |
TOCT-5999 | |||
22 | Summer Song Best Collection | 1991 |
TOCT-6172 | |||
23 | off course love story |
1991 |
TOCT-6234 | |||
24 | off course love story |
TOCT-6235 | ||||
25 | off course love story |
TOCT-6236 | ||||
26 | Yes-No〜シングルA |
1994 |
TOCT-8347 | |||
27 | TWIN BEST | 1996 |
2CD | TOCT-9631/2 | ||
28 | Off Course GREATEST HITS 1969-1989 | 1998 |
ファンハウス | 3CD | FHCF-2418/20 | 94 |
29 | 2000 BEST Off Course | 2000 |
EXPRESS ⁄ |
CD | TOCT-24351 | 47 |
30 | i(ai) | 2006 |
2CD+DVD | TOCT-26151/2 | ||
31 | ever | 2015 |
EXPRESS ⁄ UNIVERSAL MUSIC | SHM-CD | UPCY-7071 |
映像 作品 [編集 ]
# | タイトル | ||||
---|---|---|---|---|---|
1 | NEXT VIDEO PROGRAM | 1982 |
TOSHIBA EMI | TT15-1030 | |
パイオニア | SM048-3211 | ||||
2 | Off Course 1982・6・30 -Concert in Budokan- | 1983 |
TOSHIBA EMI | VHS |
TT18-1040H |
パイオニア | LD |
SM048-3211 | |||
3 | Movie The Best Year of My Life | 1984 |
TOSHIBA EMI | VHS |
88FE-1002HI |
4 | RUNNING THROUGH '84 | 1985 |
580FF-01 | ||
5 | OFF COURSE TOUR 1987 as close as possible | 1987 |
TOSHIBA EMI | 98FE-1010HI | |
パイオニア | LD |
SM068-3202 | |||
6 | Off Course 1969-1989 Digital dictionary | 2001 |
ハンズオン・エンタテインメント | ORDX-1007 | |
7 | Off Course 1981.Aug.16〜Oct.30 |
2002 |
TOSHIBA EMI | TOBH-7038 | |
8 | Off Course 1982.6.30 |
2007 |
2DVD | TOBF-5529-30 |
その他 のアルバム[編集 ]
タイトル | |||
---|---|---|---|
オフコース・クラシックス | 2019 |
UNIVERSAL MUSIC | UICZ-4462 |
非 監修 ライブ・アルバム[編集 ]
- Off Course 1982・6・30
武道館 コンサート40th Anniversary(2022年 6月 29日 2SHM-CD:UPCY-7781/2)映像 作品 『Off Course 1982・6・30武道館 コンサート』としてのみリリースされていた1982年 6月 30日 のライブのCD化 。これまでに発売 された映像 作品 の音源 を元 にリマスタリング、SHM-CDフォーマットでの発売 。
BOXセット[編集 ]
- コンプリート・シングル・コレクションCD BOX(2020
年 6月 3日 36CD:UPCY-9918)- デビュー・シングル『
群衆 の中 で』から『YES-YES-YES』まで、東芝 EMIから発売 された24枚 (48曲 )と、『君 が、嘘 を、ついた』からラスト・シングル『夏 の別 れ』まで、FUN HOUSE(現 SONY MUSIC LABELS / Ariola Japan)から発売 された12枚 (24曲 )を、全 てオリジナルの7インチ・シングルをミニチュア再現 した12cm紙 ジャケットCD36枚 組 ボックス。2020年 最新 リマスター音源 による完全 生産 限定 盤 。音楽 評論 家 の小貫 信昭 による楽曲 解説 掲載 ブックレット付 き[35]。
- デビュー・シングル『
- コンプリート・アルバム・コレクションCD BOX(2020
年 10月 28日 21CD:UPCY-9923)- ファースト・アルバム『
僕 の贈 りもの』から『NEXT SOUND TRACK』まで、東芝 EMIから発売 された15作品 (16枚 )と、『The Best Year of My Life』からラスト・アルバム『Still a long way to go』まで、FUN HOUSE(現 SONY MUSIC LABELS / Ariola Japan)から発売 された5作品 (5枚 )を、全 てオリジナルの12インチLPをミニチュア再現 した12cm紙 ジャケットCD21枚 組 ボックス。2020年 最新 リマスター音源 による完全 生産 限定 盤 。音楽 評論 家 の小貫 信昭 による楽曲 解説 掲載 ブックレット付 き[36]。
- ファースト・アルバム『
関連 作品 [編集 ]
第 3回 全日本 ライトミュージック・コンテスト グランプリ1969 3rd ALL JAPAN LIGHT MUSIC CONTEST GRAND PRIX / FOLK(1970年 4月 LP:MR-1059)- 1969
年 11月2日 に新宿 厚生 年金 会館 大 ホールにて開催 されたLMC全国 グランプリ大会 フォーク部門 を収録 したライブアルバム。ジ・オフ・コースが2位 に入賞 したステージより「Jane Jane」、「One Boy」を収録 。
- 1969
海 と空 と太陽 の祭典 第 一 回 合歓 作曲 コンクール入賞 曲 集 !(1970年 5月 LP:EP-7750)- 1969
年 にヤマハ主催 で行 われた第 一 回 合歓 作曲 コンクールの入賞 曲 を集 めたアルバム。主 にヤマハの講師 達 の作曲 による楽曲 を、東芝 所属 のアーティストがレコーディングしたもの。ジ・オフ・コースの歌 による「グラジュエイト Graduate」を収録 。
- 1969
- ラブ・ジェネレーション LOVE GENERATION LIVE IN CONCERT(1973
年 8月 5日 2LP:ETP-7695-6) - コルサの
歌 -ヨコハマが似合 う奴 -(1978年 EP:ERS-1331) - MUSIC FROM THE MOTION PICTURE OF“RONIN”〜ORIGINAL SOUND TRACK〜(1986
年 1月 18日 LP:28K-100)- 1986
年 製作 の映画 『幕末 青春 グラフィティ Ronin坂本 竜馬 』のサウンドトラック。「時代 のかたすみで (せめて今 だけ)」を収録 。当 楽曲 は『IT'S ALL RIGHT OFF COURSE SELECTION III 1984-1987』にて再 録 。
- 1986
コンサート[編集 ]
ツアー[編集 ]
タイトル | |||||
---|---|---|---|---|---|
1985 |
OFF COURSE CONCERT ’85 The Best Year of My Life | 4 |
|||
1987 |
OFF COURSE TOUR 1987 as close as possible |
4 |
4 17 |
||
1988 |
OFF COURSE TOUR 1988 - '89 STILL a long way to go |
6月9 |
6 09 |
ツアー |
解散 公演 [編集 ]
タイトル | ||||
---|---|---|---|---|
1989 |
OFF COURSE
The Night with Us at Tokyo Dome |
2 |
書籍 [編集 ]
- FAIRWAY フォト&
楽譜 集 (ペップ出版 1978年 10月 15日 発行 ) - OFF COURSE Three and Two(
八 曜社 1979年 10月 30日 発行 )
写真 集 [編集 ]
- オフコース
写真 集 [We are](小学館 1980年 12月19日 )- ISBN 4-09-363045-3 - Off Course 1969〜1982(
新興 楽譜 出版 社 1982年 10月 1日 )- ISBN 4-401-62037-2 - OFF COURSE YEAR BOOK '84(
扶桑社 1984年 10月 31日 )- ISBN 4-89353-062-3 - OFF COURSE YEAR BOOK '85(
扶桑社 1985年 12月18日 )- ISBN 4-89353-064-X - OFF COURSE -as close as possible(
学習研究社 1987年 12月20日 ) - 1989.2.26 -OFF COURSE FINAL(ワニブックス 1989
年 4月 20日 )
関連 書籍 [編集 ]
- 『Off Course—Now The Time』GB-SPECIAL CBS・ソニー
出版 (1982年 7月 15日 発行 雑誌 62935-16) - 『スナップ・ショット—オフコースその
夏 まで』藤沢 映子 著 CBS・ソニー出版 (1982年 7月 25日 発行 ISBN 4-7897-0046-1) - 『Give up オフコース・ストーリー』
山際 淳司 著 飛鳥新社 (1982年 8月 1日 発行 全国 書誌 番号 :83035915) - 『オフコースの
道 はじめの一 歩 』 オフコース・ファミリー著 サンリオ (1983年 8月 15日 発行 全国 書誌 番号 :84007237) - 『Give up オフコース・ストーリー(
文庫 版 )』山際 淳司 著 角川 文庫 (1983年 6月 25日 発行 ISBN 4-04-154001-1) - 『INNER DOCUMENT OFF COURSE』
藤沢 映子 著 旺文社 (1984年 4月 14日 ISBN 4-01-009811-2) - 『Maybe The Best Year of My Life』 オフコース
詩集 新潮 文庫 (1985年 12月 20日 ISBN 4-10-143901-X)
楽曲 提供 [編集 ]
- アーティスト
名 は50音 順 、曲名 は発売 順 に列記 。作品 はグループ在籍 期間 に限定 。松尾 一彦 は松尾 一彦 #楽曲 提供 を参照 。
小田 和正 [編集 ]
アーティスト | ||||
---|---|---|---|---|
ザ・バッド・ボーイズ | アイツのせい | ⁄ アイツのせい |
1975 | |
さよならの |
Fly Like A Bird | 1978 | ||
ルームライト『オリジナル・ア・ラ・カルト』 | 1973 |
鈴木 康博 [編集 ]
アーティスト | ||||
---|---|---|---|---|
HAPPY STREET |
アパートメント1109 APARTMENT 1109 |
1972 | ||
FOUR | 1980 |
参加 作品 [編集 ]
アーティスト | |||||
---|---|---|---|---|---|
1972 |
アパートメント1109 APARTMENT 1109 |
LP:ETP-8197 | あの OPEN THE DOOR |
||
YOU'RE SLEEPIN' |
|||||
AIR PLANE SONG |
|||||
LONESOME SQUARE |
|||||
YOUNGER GENERATION |
|||||
ひとりにばれば LONELINESS |
|||||
HAPPY STREET |
|||||
GROOMY SPRING |
|||||
1973 |
ルームライト『オリジナル・ア・ラ・カルト』 | LP:ETP-8238 | |||
1977 |
LP:ETP-72244 | Seishun no fumikiri-de |
|||
Hanayome dorobo |
ブラス・セクション・アレンジメント: | ||||
Kanashimi no yesterday |
ストリングス・アレンジメント: | ||||
Gogatsu ni nareba |
ホーンセクション(シンセサイザー)・アレンジメント: | ||||
サンライズサンセット Sunrise sunset |
ストリングス & ブラスセクション・アレンジメント: オフコース:Chorus | ||||
Sannenme no kesshin |
ブラス・セクション・アレンジメント: オフコース:Chorus | ||||
やさしさはほしいけれど Yasashisa wa hoshiikeredo |
ストリングス・アレンジメント: | ||||
1977 |
16の ⁄ |
7inch:ETP-10269 | 16の |
コーラス・アレンジメント: | |
1977 |
LP:ETP-72282 | コーラス・アレンジメント: | |||
もえる |
オフコース:Chorus | ||||
1977 |
アイリーン | ⁄ |
7inch:ETP-10338 | AI NO UTA |
|
1978 |
STOP MOTION | LP:ETP-80022 | ストリングス & オーボエ・アレンジメント: | ||
ストップ モーション | ストリングス・アレンジメント: | ||||
ラスト キッス | ストリングス・アレンジメント: | ||||
1978 |
PRISMY | LP:ETP-80050 | ストリングス | ||
コズミック ブルー | ストリングス | ||||
ストリングス | |||||
1978 |
あんべ |
LP:ETP-80045 | |||
Chorus by OFF COURSE Kazumasa Oda ⁄ Yasuhiro Suzuki | |||||
Chorus by OFF COURSE Kazumasa Oda ⁄ Yasuhiro Suzuki | |||||
12月の |
|||||
ストリングス | |||||
25 |
ストリングス | ||||
1980 |
オリンポスの |
LP:ETP-80134 | |||
ラスト ショウ | |||||
1980 |
イルカ | LP:GWP-1003 | ふりむけばそこに | ||
ジェレミーの | |||||
まあるいいのち | |||||
1981 |
FOLLOW ME | LP:GWP-1011 | Follow Me | ||
1981 |
あんべ |
Born to be Wild | LP:ETP-90017 | さよならMy Boy | |
Single Girl | |||||
ふり |
|||||
そして |
|||||
Born to be Wild | |||||
ねえ |
|||||
365 |
|||||
1982 |
7inch:ETP-17347 | コーラスアレンジ & コーラス: |
CMソング[編集 ]
CMのために
- エッソ(1972
年 ) - マツダ・サバンナ(1973
年 ) 日本 リーバ・ラーマ(1973年 )- ミカレディー(1973
年 ) - エチケット・ライオン(1973
年 ) 資生堂 ・赤 い花 見 つけた(1974年 )- コカ・コーラ(1974
年 ) 花王 石鹸 (1974年 )- ナショナル・
楽園 (1974年 ) 三菱 (1974年 )- ニッタケ
食品 (1975年 ) - ミリンダ(1975
年 ) - スプライト(1975
年 ) 明治 ブルガリアヨーグルト(1975年 )江崎 グリコ・グリコ天然 ジュース(1976年 )- カネボウ・キャンディ(1976
年 ) - カルピス・ソーダ(1976
年 ) - カシオトロン(1976
年 ) - グリコ・ナッチェル(1976
年 ) - ワコール(1976
年 ) - キッコーマン・ソース(1976
年 ) 明治 梅酒 ソーダ川村 サイクル住友金属 富士 ゼロックス- ライオン・ネオスマイル
花王 トニック・シャンプー- LOVE
化粧 品 日本 リーバ・ブルックボンド紅茶 味 の素 - ニーナ
仁丹 日本石油 - ネッスル・コーヒー
- ハウス・ジャワ・カレー
日産 スカイライン(1976年 )月星化成 ベンチャー花王 ・エッセンシャルシャンプー(1976年 )丸井 - ライオン・エメロンクリームリンス
日立 冷凍 冷蔵庫 (1976年 )明治 ・ポテト・スティック- ファンタ(1976
年 、1977年 ) 花王 ・ソフィーナ- ケロッグ
- ダイエー
花王 エッセンシャル・リンス(1976年 )- コーセー
化粧 品 (1976年 ) - グリコ・セシル・チョコレート
- グリコ・コメッコ(1976
年 、1977年 ) - コーセー・リリカル・リップ(1976
年 ) - コーセー・ミニバーグ(1976
年 ) - ブルボン・アルル(1976
年 ) - ヤマハ・スキー(1976
年 ) - ライオン・エメロンオイルリンス
- シャープ(1976
年 ) - ジョンソン(1976
年 ) - トーリ・クッションフロア(1977
年 ) 全日空 ・秋 の北海道 ツアー(1977年 )不二家 (1977年 )- バネット・ライオン(1977
年 ) - リボンシトロン(1978
年 ) - サンテ
目薬 (1978年 ) - トヨタ・コルサ(1978
年 ) タイガ ー魔法瓶 (1978年 )- カネボウ・カナディアンソフト(1978
年 ) 日石 チューンナップジョッキーテーマ(1973年 )- RKBラジオ・ステーションジングル
エピソード[編集 ]
- “オフコース (OFF COURSE)”という
名前 はコンサートのためにいつも中心 となって動 く聖 光 野球 部 OBが作 った草 野球 チームの名前 が“勝 ってof course”、“of course勝 つ”という意味 で“OF COURSE”だったことから。コンサートを始 めてなにか名前 をつけるということで“調子 っ外 れ”とひっかけて“OFF COURSE (THE OFF? COURSE)”にしたという[8]。 - 「さよなら」、「Yes-No」、「YES-YES-YES」、「
君 が、嘘 を、ついた」などのヒットで当時 、TBSの人気 番組 『ザ・ベストテン』に何 度 となくランクインしたが、この番組 を含 むすべての音楽 番組 には出演 しなかったため、「オフコースの皆 さんはコンサート活動 に専念 するため…」とお詫 びのお辞儀 をする久米 宏 の姿 が毎週 のように見 られた。[独自 研究 ?]「YES-YES-YES」では一 度 、レコーディング・スタジオから中継 で小田 が単独 でコメントを出 したことがある。その一方 で『笑 っていいとも』と『オレたちひょうきん族 』には出演 したので、フジテレビの音楽 番組 担当 プロデューサーは、バラエティ担当 プロデューサーを羨 ましがったという。[要 出典 ] - オリコンシングルチャートでは『さよなら』、『
君 が、嘘 を、ついた』が最高 2位 止 まり、アルバムチャートでは『We are』と『over』が1位 になっている。なお、小田 が作 った曲 のシングルチャート1位 は、ソロのシンガーソングライターとしてデビュー後 、『ラブ・ストーリーは突然 に』で達成 した。 八 曜社刊 『Three and Two』でのインタビュー[要 文献 特定 詳細 情報 ]で小田 は「去年 初 めて『銀河 鉄道 999』の(映画 )音楽 をやらないかって話 があってね、さんざん考 えた末 、やろうっていう気 になったら映画 会社 とかレコード会社 の問題 とか、いろいろいきさつがあって、結局 ゴダイゴということになっちゃって」と、実現 しなかったいきさつを語 っている。- ’80
年 11月に開催 されたコンサート・ツアー“We are”は、日本武道館 での4日間 公演 も含 め、メンバーとスタッフが一丸 となって力 を発揮 した。最終 地 である仙台 公演 のラスト、「愛 を止 めないで」のエンディングにさしかかった瞬間 、舞台 の袖 から沢山 のカーネーションがスタッフの手 によって演奏 中 のメンバーに向 かって投 げられた。後 に小田 は「僕 たちの制作 するものの中 で特 に、レコーディングとステージに関 しては何 がどうなっているか知 らぬ部分 はない。だから、僕 らの想像 を超 えて何 かが創造 されるということは全 く考 えたことがなかった。しかしそれは起 こった。他人 が聞 けば他愛 のないシャレに過 ぎないかも知 れないが、それが僕 にとっては今度 のアルバム・レコーディング、そしてこのコンサート・ツアーのすべてが覆 されるほどの衝撃 だった。だから僕 は『ヤラレタ…』と思 ったのだった。そして、あんなことが起 こったのが心 から嬉 しかった」[37] と語 っている。ベスト・アルバム『SELECTION 1978-81』の中袋 に掲載 されている下段 の写真 は、その時 の様子 を捉 えたもの。 - 「I LOVE YOU」のエンディングのコーラスは
当初 、少年 合唱 団 によるテイクを予定 していたが、結果 的 にはレコーディングスタジオ近 くの公園 にいた子供 たちやその親 を迎 え、さらにそこにメンバーやスタッフも加 わってレコーディングしたテイクに変更 された。また、この曲 はアルバム『I LOVE YOU』収録 の際 、ビル・シュネーの友人 がジョン・レノン死亡 の新聞 記事 をニュース調 に読 み上 げたナレーションが間奏 部 に挿入 された[38]。[要 出典 ] - 「YES-YES-YES」に
女性 の声 (ねぇ、私 のこと好 き?)が入 っていると、テレビのオカルト番組 で取 り上 げられることがあるが、この声 の主 はレコーディングのとき、同 じ録音 スタジオを使 っていた“レモン・トリー”という男女 デュオの女性 である合沢 尚子 で、意図 的 に収録 されていることが当時 の音楽 雑誌 『ギターブックGB』(ソニー・マガジンズ)の記事 [要 文献 特定 詳細 情報 ]に掲載 されている。 - 1982
年 の日本武道館 10日間 公演 中 の6月 23日 、ツアーの追加 公演 という形 で横浜 スタジアムでのコンサートが8月 に計画 されたが、7月 5日 に鈴木 からの「区切 りをつけたい」との申 し入 れにより中止 となった。横浜 スタジアム公演 は後 に小田 がソロとして1992年 8月 29日 、 30日 の“MY HOME TOWN”で実現 させている。 - 「
僕 等 の時代 」は1987年 から1991年 まで、名古屋 テレビのオープニングBGMとして使 われた。 - 「
僕 等 の時代 」の詞 がオフコースの写真 ・プロフィールと共 に、教育 出版 発行 の中学校 国語 教科書 『伝 え合 う言葉 』に採用 されている。[要 出典 ] - 「
言葉 にできない」のフェードアウトで曲 が終 わる直前 に、当時 の解散 を示唆 する「We are」「over」「thank you」のナレーションが収録 されている。[要 出典 ] - シングルのA
面 はほとんどが小田 の曲 だが、最初 から小田 の作品 がA面 と決 められていたわけではなく、メンバー(ほとんどは小田 か鈴木 )が曲 を持 ち寄 り、コンペティションを行 った結果 だった。このことは小田 が『たしかなこと』[39] で、鈴木 が自身 のホームページでのファンからの質問 への回答 で、それぞれ異口同音 に語 っている。結果 として小田 の曲 が多 くA面 に採用 されたことについて、小田 は「ヤス(鈴木 )に対 して申 し訳 ないと思 っていた」、鈴木 は「そういう結果 だから仕方 ないと思 っていた」と語 っている。鈴木 はよく自身 のオフコース時代 を“B面 人生 ”と自嘲 したりしたことがあったが、A面 の選 ばれ方 自体 には特 にわだかまりは無 いと思 われる。[独自 研究 ?] 全米 デビューへの足 がかりの一環 として『Back Streets of Tokyo』が制作 された1985年 以前 に、全米 デビューを打診 されていたことがある。松尾 によれば、『We are』と『over』を聴 いてオフコースを気 に入 ったBS&Tの元 メンバーで当時 キャピトル・レコードのプロデューサーだったBobby Colombyから「きかせて」と「せつなくて」で是非 アメリカ・デビューを、との話 をもらったという。すぐに英 詞 の仮 歌 によるデモテープが制作 されたものの、直後 に鈴木 の離籍 とグループの解散 問題 が浮上 したため、それきりになったという[40]。
脚注 [編集 ]
注釈 [編集 ]
- ^ その
数少 ないテレビ出演 も歌 番組 ではなくオレたちひょうきん族 等 のバラエティ番組 でファンを驚 かせた。[要 出典 ] - ^
大 間 はSoul & Beat Unit天地人 を2003年 に結成 。 - ^
小田 は2004年 12月25日 放送 の『クリスマスの約束 』でオフコースを取 り上 げているが、それは元 メンバーに対 して「(オフコースは)終 わった」、「オフコース(の再 結成 )はもうないよ」というメッセージだという旨 の発言 をし、言葉 をつまらせている。また、2004年 10 - 12月放送 の『風 のようにうたが流 れていた』では、「オフコースは学校 のようなもの。学校 はいずれ卒業 する時 が来 る」と語 っている。[要 出典 ]鈴木 の考 えは鈴木 康博 の項 参照 。 - ^
大阪 の中学 時代 の同級生 だった廣田 龍 人 (リッキー)(ジョン担当 )と清水 仁 (ポール担当 )を中心 に1969年 結成 されたビートルズコピーバンド。メンバーは廣田 ・清水 のほか、ダンスホールのオーディションに彼 らと共 に来 ていた他 のバンドの川端 孝博 (ジョージ担当 )と、廣田 の弟 の友人 の城間 正博 (リンゴ担当 )。1973年 9月 20日 にアルバム『MEET THE BAD BOYS』 (LP:ETP-8269)でデビュー、同年 10月 20日 にシングル『ビートルズが教 えてくれた ⁄ チークを踊 ろう』 (EP:ETP-2924)をリリース。1975年 8月 20日 に2枚 目 のシングル『僕 と踊 ろう ⁄ アイツのせい』 (EP:ETP-20166)をリリース後 、同年 冬 に解散 。 - ^
当初 は本編 の前座 的 な意味合 いで午前 中 に登場 、「グリーン・スリーブス」や「イエロー・バード」などフォークのヒット曲 を演奏 し歌 ったが評判 となり、閉会 式 の前 にアンコールでステージに立 った。このとき味 わった喜 びが、その後 の小田 ・鈴木 ・地主 の音楽 を通 じての交流 に繋 がった。[要 出典 ] - ^ 「そこなら
十分 に受 かるだろう」と言 われていたことから高校 三 年生 の時 、千葉大学 医学部 を受験 するつもりで、キャンパスを見 に行 った。しかし、校舎 、教室 、白衣 を着 た学生 たちの雰囲気 が暗 かったことから、志望 を変 えた[6]。 - ^ 「
西花苑 」は、現 :仙台 市 青葉 区 西花苑 にあった遊 園地 。1963年 (昭和 38年 )から昭和 40年代 まで存続 し、小西 造園 が運営 していた。ヘルスセンター(南 欧風 ジャングル大 浴場 ・200畳 の大広間 )、花 のコーナー(温室 ・花壇 ・熱帯 植物 園 )、子供 用 の遊具 などで構成 されていた。仙台 地区 予選 は温室 で開催 された。 - ^
仙台 地区 からの出場 は、関東 地区 から出場 すれば非常 に競争 が激 しいだろうという計算 もあってのことだったが、実際 には関東 地区 よりも仙台 地区 のほうがレベルが高 かった。申 し込 みに行 くと早速 、係員 に全国 大会 までの日程 を尋 ねた。合計 四 回 行 われる大会 について詳 しく聞 いてゆくと、係員 は途中 からまるで真剣 に取 り合 わなかったという。前年 の「第 3回 FOLK SONGの…」を最後 に解散 と考 えていたが、もうひとつ、客観 的 な尺度 での評価 を受 けたいとの希望 からの出場 だった。その一方 で、「うまくすれば全国 大会 まで進 めるかもしれない」という自信 もあった。[要 出典 ] - ^
第 1位 は赤 い鳥 - ^ この
時 のレパートリーは「One Boy」(ミュージカル『バーディー・バーディー』挿入歌 )と「Jane Jane」(ピーター・ポール&マリー)、小田 は最優秀 歌唱 賞 を受賞 。 - ^
自分 たちの演奏 には絶対 の自信 があり、優勝 して「ジ・オフ・コース」とアマチュア音楽 活動 を終 え社会 人 になるつもりだったが、2位 にとどまったことで小田 ・鈴木 は気持 ちに決着 がつかなくなった。鈴木 はミュージシャンになることを親 に反対 されていたが、これで音楽 で生 きて行 く決心 が固 まり、内定 を取 っていた安川電機 への就職 を辞退 した。[要 出典 ] - ^ パシフィック・エンタープライズが、プロダクション
業務 以外 の事業 を、並行 して行 うことに決 まり、それまでも事務所 の方針 に疑問 を感 じることがあったミュージシャン達 は、これを機 に全員 事務所 から脱退 した[9]。加藤 和彦 、杉田 二郎 はそれぞれ独立 事務所 を設立 することになり、オフコースは両方 から誘 いを受 けた。加藤 の事務所 はプロダクションとPA会社 “ギンガム”を併合 したもので音楽 的 に魅力 があった。片 や杉田 には一緒 にコンサートを回 るうちに人間 的 に惹 かれ結局 、杉田 の「俺 について来 い」の一言 で意 を決 した[9]。後 に小田 は、加藤 にそう決 まったことを報告 したら、「二郎 のところもいいけど、音楽 、全然 違 うじゃん」と言 ったのを覚 えているという[10]。 - ^
東芝 レコード所属 アーティストによるイベント・コンサート。出演 :トワ・エ・モワ、イースト、オフ・コース、アリス、シュリークス、はしだのりひことエンドレス、ザ・ラニアルズ、チューリップ、りりィ、杉田 二郎 、加藤 和彦 とサディスティック・ミカ・バンド、赤 い鳥 。 - ^ このコンサートの
数日 前 に新曲 「忘 れ雪 」(作詞 :松本 隆 、作曲 :筒美 京平 )が発売 されたが、自分 たちが望 んでリリースした曲 ではないとの理由 で演奏 しなかった。この出来事 はファンの間 で“「忘 れ雪 」事件 ”と呼 ばれるようになり[12]、この曲 はその後 も演奏 されることはなかった。 - ^
以前 にレギュラー出演 していたラジオの公開 番組 からヒントを得 た、当時 のマネージャー上野 博 の発案 で計画 されたシリーズ・コンサート。ひと味 違 った人 たちと触 れ合 う中 で何 か新鮮 なものを見 つけ、色彩 の豊 かなコンサートにしようという目的 で[13]、この年 に5回 、全部 で計 8回 開 かれた。 - ^
聖 光 祭 実行 委員 会 のイベント担当 者 が依頼 したところ、音響 設備 だけ手配 すればとの条件 で、ノーギャラでの出演 をOKした。このコンサートの開始 前 には、オフコースの2人 と同期 にあたる当時 の世界 史 担当 の斉藤 教諭 と在校生 との座談 会 を実施 。座談 会 には、10月4日 の“秋 ゆく街 でII”で「オフコース万 歳 」と叫 んだ声 がライブ・アルバムにも収録 された当時 の現役 聖 光生 も出演 した。コンサート終了 後 、在校生 が花束 贈呈 とともにステージ上 で「オフコース万 歳 」と叫 んだ。[要 出典 ] - ^
清水 の参加 に、鈴木 は「最初 は俺 は、ヒトシさんがメンバーになることに反対 していたんだよ(笑)。というのもさ、それまで(小泉 )良司 にベースをやってもらっていたんだけど、彼 の方 が器用 で、テクニック的 にもうまかったからね、そういう音楽 的 な意味 でさ、ヒトシじゃない方 がいいんじゃないかと思 っていたわけ(笑)。でも小田 が「絶対 オフコースにはヒトシのような人柄 の人間 が必要 だ。ヒトシの方 が絶対 いい」って引 き下 がらないんでね(笑)、多少 納得 しきれないところもあったんだけど、まあいいだろうってことになった。でも、やっぱり人間 的 な雰囲気 はすごくよかったからね、結果 的 には小田 の言 う通 りになった(笑)」[14] と、後 に語 っている。 - ^ “
全国 60か所 ”というのはというのは県庁 所在地 クラスの都市 40か所 以上 を回 る、一流 の証 だという。[要 出典 ][誰 によって?] - ^
曲目 :季 節 は流 れて - やさしさにさようなら -眠 れぬ夜 -恋 を抱 きしめよう -通 り過 ぎた夜 - あなたのすべて -新 しい門出 - ひとりで生 きてゆければ -潮 の香 り -秋 の気配 - California Dreamin' -想 い出 のサンフランシスコ -君 を待 つ渚 -愛 の唄 -老人 のつぶやき - HERO -心 は気紛 れ - ランナウェイ - のがすなチャンスを -愛 を止 めないで - (アンコール)風 に吹 かれて -眠 れぬ夜 - ランナウェイ - さわやかな朝 を迎 えるために - のがすなチャンスを - いつもいつも[16] - ^
曲目 :愛 を止 めないで -眠 れぬ夜 - おまえもひとり - こころは気紛 れ -愛 の唄 - Today - A Soalin' -僕 の贈 りもの - でももう花 はいらない - Day By Day -秋 の気配 -風 に吹 かれて - Yes-No -一 億 の夜 を越 えて - のがすなチャンスを -私 の願 い - きかせて -僕 等 の時代 -時 に愛 は[18] - ^
他 に松任谷 由実 『水 の中 のASIAへ』、大滝 詠一 『A LONG VACATION』も同 賞 を受賞 。 - ^ それまでテレビメディアの
取材 をほとんど受 けなかったため、当時 異例 の番組 だった。アルバム『over』のレコーディング・リハーサル初日 (8月 16日 )から終了 (10月 30日 )までの約 2か月 半 を密着 取材 。レコーディングの様子 のほか、2月 10日 の日本武道館 公演 の模様 も放送 された。[要 出典 ] - ^
最終 日 には小田 が「言葉 にできない」で感極 まり、歌 に詰 まっている。[要 出典 ] - ^ ストーリーは1982
年 夏 の武道館 コンサート後 に解散 し、それぞれの道 を歩 んでいたメンバーが5年 後 の1987年 夏 に無理矢理 再 結成 させられ、9月21日 に再 び武道館 でコンサートを行 うというもの。6月30日 の武道館 のライヴ映像 がダイジェストで使 われた。共演 は謎 の男役 に中村 敦夫 、再 結成 についてコメントをする近藤 真彦 (声 は田原 俊彦 )・具志堅 用 高 ・小森 和子 (の物真似 )で片岡 鶴太郎 がそれぞれ出演 したほか、メンバーを連 れ去 る2人 組 としてスタッフの富樫 要 と柿崎 譲二 も出演 した)。 - ^
当時 の彼 らのプライベート・スタジオ名 にちなんで“GETTING BETTER DEMO”と題 されたこのときのレコーディング曲 は「SAYONARA(さよなら)」、「CITY NIGHTS(哀 しいくらい)」、「YES-YES-YES (YES-YES-YES)」、「QUIET AS THE NIGHT(きかせて)」、「THE LITTLE ONES(生 まれ来 る子供 たちのために)」、「THE PRICE OF FAME(NEXTのテーマ〜僕 等 がいた)」、「MYSTERY IN MY LIFE(哀 しき街 )」、「IT'S NOT MY AFFAIR(せつなくて)」、「GOOD TO HAVE YOU HERE (Yes-No)」の計 9曲 。[要 出典 ] - ^ タモリは、
自身 のラジオ番組 でオフコースについて「見 せかけだけの優 しさ」と批判 し、「フォークソングは暗 くて嫌 い」とも発言 していた[22]。これによりオフコースのファンから所属 事務所 へカミソリ入 りの脅迫 状 が届 くまでになったが、小田 本人 はタモリのことは「けっこう好 き」と雑誌 『ギターブック』でファンからの質問 に回答 し、このときの出演 も簡単 にOKした。[要 出典 ] - ^
曲目 :おまえが欲 しいだけ(吉田 拓郎 ) - Yes-No - ^ ライブの
開催 について、後 に小田 は「俺 は、“本当 にスタッフのみんながやりたいって言 ってるのか?”って、そう尋 ねたのさ。そしたら、“そうだ。やりたいと、言 ってる”って。“じゃあ、やろう”。この時 は、メンバーの間 でのわだかまりも、すでになかった」[23] と、インタビューで答 えていた。 - ^
曲目 :緑 の日々 -君 住 む街 へ - LAST NIGHT -夏 の日 - こころは気紛 れ -逢 いたい -時 に愛 は -言葉 にできない - きかせて - たそがれ -夏 の別 れ - IT'S ALL RIGHT (ANYTHING FOR YOU) - She's so wonderful -君 が、嘘 を、ついた - ぜんまいじかけの嘘 - Tiny Pretty Girl - YES-YES-YES -生 まれ来 る子供 たちのために -君 住 む街 へ - (アンコール)Yes-No -眠 れぬ夜 -愛 を止 めないで - いつもいつも[24] - ^
小田 の弾 き語 りソロでパフォーマンスされた8曲 目 の「言葉 にできない」の曲 中 、感極 まったのか突然 小田 のボーカルが途絶 えた(中略 )。音 だけが流 れてゆく。会場 から声 がとぶ。それはやがて大 きな拍手 となって、ステージの小田 に降 り注 ぐ。その声援 に気 を取 り直 したかのように歌 い終 えた小田 は、一言 「だから歌 いたくなかったんだよね、この歌 は」と、誰 に語 りかける風 でもなく、ポツリとつぶやいた[25]。 - ^
小田 にとってグループ解散 後 初 の、元 メンバーの楽曲 へのレコーディング参加 作品 。
出典 [編集 ]
- ^ a b c Eremenko, Alexey. Off Course | Biography & History - オールミュージック. 2020
年 6月 20日 閲覧 。 - ^ a b “オフコース(オフコース)の
情報 まとめ”. OKMusic. ジャパンミュージックネットワーク株式会社 . 2021年 1月 13日 閲覧 。 - ^
田中 隆信 (2020年 5月 17日 ). “デビューから50年 !オフコースの歩 みと伝説 の武道館 コンサート”. ホミニス (スカパーJSAT) 2020年 6月 27日 閲覧 。 - ^ a b c d e NHK
教育 『若 い広場 』「オフコースの世界 」(1982年 1月 3日 放送 )[出典 無効 ] - ^ a b c d e f g “バイオグラフィー”. オフコース (UNIVERSAL MUSIC LLC) 2021
年 1月 23日 閲覧 。 - ^ 『Give up オフコース・ストーリー』
株式会社 飛鳥新社 、1982年 8月 1日 、137-166頁 。全国 書誌 番号 :83035915。"第 四 章 グッドバイ"。 - ^ “ドラマ『OUR HOUSE』
主題歌 「愛 を止 めないで」のオフコース、“OFF COURSE”の“F”はなぜ2つなのか”. BARKS (ジャパンミュージックネットワーク). (2016年 4月 20日 ) 2020年 6月 27日 閲覧 。 - ^ a b 『はじめの
一 歩 (1)』株式会社 サンリオ、1983年 8月 15日 、56-70頁 。全国 書誌 番号 :84007237。"第 一 章 FOLK SONGの…"。 - ^ a b 『はじめの
一 歩 (1)』株式会社 サンリオ、1983年 8月 15日 、113-114頁 。全国 書誌 番号 :84007237。"第 二 章 サブミュージック・パブリシャーオフィス"。 - ^ 『YES-NO
小田 和正 ヒストリー』株式会社 角川書店 、1998年 12月18日 、78-111頁 。ISBN 4-04-883529-7。"第 4章 建築 への決別 "。 - ^ 「Best of GB」『
別冊 ギターブック Off Course -Now The Time』、株式会社 CBS・ソニー出版 、1982年 7月 15日 、179-199頁 。 - ^
田家 秀樹 (2016年 1月 27日 ). “オフコース珠玉 のライブ音源 2作 を独占 先行 配信 !”. e-onkyo music (オンキヨー株式会社 ) 2021年 1月 15日 閲覧 。 - ^ 『OFF COURSE CONCERT '85 THE BEST YEAR OF MY LIFE』OFF COURSE COMPANY CO., LTD.、1985
年 、40-41頁 。"FOOT STEPS 1975"。 - ^ 『オフコース/Three and Two』
株式会社 八 曜社、1979年 10月 30日 、211-233頁 。0095-00102-6998。"Part.4 フライング・アングル座談 会 ・オフコース新 時代 清水 仁 VS大 間 ジローvs松尾 一彦 vs鈴木 康博 vs小田 和正 世界 をめざして最長 不倒 距離 を… テクニックより人間 性 重視 "。 - ^ a b 『はじめの
一 歩 (1)』株式会社 サンリオ、1983年 8月 15日 、259-268頁 。全国 書誌 番号 :84007237。"第 四 章 コンサート・ツアー"。 - ^ 『はじめの
一 歩 (2)』株式会社 サンリオ、1983年 8月 15日 、246-258頁 。全国 書誌 番号 :84007237。"資料 コンサート全曲 目 "。 - ^ スージー
鈴木 『1979年 の歌謡 曲 』彩 流 社 、121頁 。ISBN 4-7791-7038-9。 - ^ 『はじめの
一 歩 (1)』株式会社 サンリオ、1983年 8月 15日 、246-258頁 。全国 書誌 番号 :84007237。"第 四 章 一 九 七 七 〜七 八 年 "。 - ^ “
活動 〜日本 レコード大賞 〜”.日本 作曲 家 協会 . 2020年 6月 27日 閲覧 。 - ^ “オフコース
色 あせない人気 最後 のライブ試写 会 にファン多数 ”. カナロコ by神奈川 新聞 (神奈川新聞社 ). (2016年 5月 13日 ) 2020年 6月 27日 閲覧 。 - ^ 『OFF COURSE CONCERT '85 THE BEST YEAR OF MY LIFE』OFF COURSE COMPANY CO., LTD.、1985
年 、40-41頁 。"FOOT STEPS 1983"。 - ^ “「フォークは
嫌 い」タモリと“冷戦 ”を繰 り広 げた小田 和正 <共演 NG?【犬猿 の仲 】の有名人 >”. リアルライブ (株式会社 フェイツ). (2019年 8月 4日 ) 2020年 12月16日 閲覧 。 - ^ 『YES-NO
小田 和正 ヒストリー』株式会社 角川書店 、1998年 12月18日 、148-179頁 。ISBN 4-04-883529-7。"第 6章 ザ・ベスト・イヤー・オブ・マイ・ライフ〜四 人 のオフコース"。 - ^
原 信治 「The Scene 1 さよなら! オフコース。たくさんの思 い出 をどうもありがとう!!」『週刊 FM』第 19巻 第 8号 、株式会社 音楽之友社 、1989年 4月 3日 、10-11頁 、雑誌 20901 4/3“1989.2.26「The Night with Us」曲 順 表 ” - ^
原 信治 「The Scene 1 さよなら! オフコース。たくさんの思 い出 をどうもありがとう!!」『週刊 FM』第 19巻 第 8号 、株式会社 音楽之友社 、1989年 4月 3日 、10-11頁 、20901 4/3“'89年 2月 26日 /オフコース・ファイナル ライブ・レポート” - ^ “オリコン
週間 CDアルバムランキング 2006年 12月18日 〜2006年 12月24日 ”. ORICON STYLE. オリコン (2007年 1月 1日 ). 2016年 3月 2日 時点 のオリジナルよりアーカイブ。2021年 1月 15日 閲覧 。 - ^ “18
年 前 に解散 したオフコースが、今 売 れている理由 ”. ORICON NEWS (オリコン). (2007年 2月 1日 ) 2021年 1月 13日 閲覧 。 - ^ “オフコースの
魅力 を1枚 に凝縮 した究極 のベスト盤 が遂 に発売 ”. TOWER RECORDS ONLINE. タワーレコード (2015年 12月14日 ). 2021年 1月 13日 閲覧 。 - ^ “オフコース、ファンリクエストで
作 るデビュー45周年 記念 ベスト”.音楽 ナタリー (株式会社 ナターシャ). (2015年 10月 17日 ) 2021年 1月 13日 閲覧 。 - ^ “「
愛 を止 めないで」フジテレビ系 日 9ドラマ『OUR HOUSE』主題歌 に決定 !シングル「愛 を止 めないで」初 CD化 、ベスト・アルバム『ever』期間 限定 盤 リリースも決定 !”. UNIVERSAL MUSIC JAPAN. (2016年 3月 30日 ) 2020年 6月 27日 閲覧 。 - ^ MatsuoKazuhikoのツイート(1122632837721518080)
- ^ “オフコース、デビュー50
周年 記念 シングルコレクション発売 ”.音楽 ナタリー (株式会社 ナターシャ). (2020年 3月 31日 ) 2021年 1月 15日 閲覧 。 - ^ “デビュー50
周年 のオフコース、全 アルバムを網羅 したコンプリートBOX発売 ”.音楽 ナタリー (株式会社 ナターシャ). (2020年 8月 12日 ) 2021年 1月 16日 閲覧 。 - ^ “オフコース40
年 前 の武道館 公演 が初 CD化 、CHEMISTRYら参加 のクラシックコンサートも決定 ”.音楽 ナタリー (株式会社 ナターシャ). (2022年 4月 8日 ) 2022年 6月 12日 閲覧 。 - ^ “デビュー50
周年 企画 !初 のオールタイム・シングルBOX発売 決定 !”. UNIVERSAL MUSIC JAPAN (2020年 3月 31日 ). 2021年 1月 13日 閲覧 。 - ^ “デビュー50
周年 !初 のオールタイム・アルバムBOX発売 決定 !”. UNIVERSAL MUSIC JAPAN (2020年 8月 12日 ). 2021年 1月 13日 閲覧 。 - ^ 『OFF COURSE CONCERT '85 THE BEST YEAR OF MY LIFE』OFF COURSE COMPANY CO., LTD.、1985
年 、40-41頁 。"FOOT STEPS 1981"。 - ^ 『
月刊 カドカワ』角川書店 VOL.9 NO.6(1991年 )雑誌 コード13533-6総力 特集 小田 和正 [いい時 も悪 い時 も] ”本人 自身 による全 作品 解説 ” 68頁 2段落 目 - ^
小貫 信昭 『たしかなこと小田 和正 インタビュー』ソニー・マガジンズ、2005年 3月 18日 。ISBN 4-7897-2511-1。[要 ページ番号 ] - ^ Gallery-Untitled
松尾 一彦 公式 サイト内 BBS “2677 Re:2674 I always cry at christmas。”投稿 日 :2009/12/25(Fri) 18:15[リンク切 れ]
関連 項目 [編集 ]
- 1970
年 の音楽 #デビュー -同 じ年 にデビューした歌手 - GETTING BETTER DEMO -
日 の目 を見 なかった、全米 進出 用 のデモテープ及 びセッション
外部 リンク[編集 ]
- UNIVERSAL MUSIC JAPAN
-
- オフコース –
公式 サイト - オフコース | OFF COURSE – アーティスト
紹介 ページ - オフコース
公式 (UM) (@offcourseUM) - X(旧 Twitter)
- オフコース –