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ポール・バターフィールド

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ポール・バターフィールド
Paul Butterfield
ポール・バターフィールド(1979ねん
基本きほん情報じょうほう
出生しゅっしょうめい Paul Vaughn Butterfield
生誕せいたん (1942-12-17) 1942ねん12月17にち
出身しゅっしん アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく イリノイしゅうシカゴ
死没しぼつ (1987-05-04) 1987ねん5月4にち(44さいぼつ
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく カリフォルニアしゅうノース・ハリウッド
ジャンル ブルースシカゴ・ブルースブルー・アイド・ソウルブルースロック
職業しょくぎょう ミュージシャン
担当たんとう楽器がっき ハーモニカボーカルギター
活動かつどう期間きかん 1963ねん - 1987ねん
レーベル エレクトラ、Bearsville
共同きょうどう作業さぎょうしゃ ポール・バターフィールド・ブルース・バンド、ポール・バターフィールズ・ベター・デイズ、ニック・グラヴェナイティス、マイク・ブルームフィールドリック・ダンコ

ポール・バターフィールドPaul Butterfield1942ねん12月17にち1987ねん5月4にち)は、アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくブルース歌手かしゅハーモニカ奏者そうしゃ

はじめはクラシック音楽おんがくフルートまなんだが、ブルース・ハープかれた。シカゴマディ・ウォーターズなどにうことができ、激励げきれいされ、ジャム参加さんかした。すぐにブルース信者しんじゃニック・グラヴェナイティスやエルヴィン・ビショップとも演奏えんそうをはじめた。

1963ねん、ポール・バターフィールド・ブルース・バンド結成けっせいなんまいかのアルバムをリリースし、サンフランシスコのフィルモア・ウェスト、ニューヨークフィルモア・イーストモントレー・ポップ・フェスティバルウッドストック・フェスティバル演奏えんそうするなど1960年代ねんだい後半こうはんのコンサート、フェスティバル・シーンで人気にんきはくした。かれらは、エレクトリックなシカゴ・ブルースとロックの緊迫きんぱくかん融合ゆうごうしたこと、そしてジャズ・フュージョンのパフォーマンスとレコーディングの先駆せんくしゃてき存在そんざいとしてられることとなった。

1971ねんにバンドを解散かいさんすると、バターフィールドはあらたなバンド、ポール・バターフィールズ・ベター・デイズ、あおぐマディ・ウォーターズ、ザ・バンドのメンバーらとツアーやレコーディングをつづけた。レコーディングやコンサート活動かつどうつづけるなか、バターフィールドは1987ねん偶発ぐうはつてき薬物やくぶつ過剰かじょう摂取せっしゅにより、44さい他界たかいした。

ソロとして2006ねんブルースの殿堂でんどうりを、ポール・バターフィールド・ブルース・バンドとして2015ねんロックの殿堂でんどうりをたしている[1]

来歴らいれき[編集へんしゅう]

シカゴまれ。法律ほうりつ画家がかであった。シカゴ大学だいがく附属ふぞく学校がっこう入学にゅうがくシカゴ交響こうきょう楽団がくだん団員だんいんフルートならった[2]

運動うんどう選手せんしゅでもあり、陸上りくじょう推薦すいせんブラウン大学だいがくからさそわれていたものの、ひざのケガとブルースへの愛着あいちゃくから陸上りくじょうみちへはすすまなかった。ギタリストでシンガー・ソングライターのニック・グラヴェナイティスと出会であい、かれとブルースにたいする情熱じょうねつ共有きょうゆうする仲間なかまとなり、一緒いっしょにプレイをするようになった[3]

1950年代ねんだいまつにブルース・クラブで演奏えんそうはじめ、マディ・ウォーターズハウリン・ウルフリトル・ウォルターオーティス・ラッシュなどと出会であい、みとめられ、ともにジャムをおこなった。「ニックとポール」として大学だいがく周辺しゅうへんのコーヒー・ハウスで演奏えんそうする[4]

1960年代ねんだい初期しょきシカゴ大学だいがく入学にゅうがく、ギタリストのエルヴィン・ビショップ出会であ[5][6]。ビショップによると、出会であった当初とうしょバターフィールドはハープよりはギターをいていたが、6ヶ月かげつったころにはハープに真剣しんけんむようになり、見違みちがえるように上達じょうたつしていた。そして、バターフィールドのヴォーカルとハーモニカにビショップがギターで伴奏ばんそうするかたちで、シカゴのノースサイドにあるフォーク・クラブ「ビッグ・ジョンズ」でレギュラーのギグのオファーをけたのだった[7]

かれ2人ふたりハウリン・ウルフのツアー・バンドからジェローム・アーノルド(ベース)とサム・レイがくわわるかたちで、1963ねんグループを結成けっせい。このバンドでのビッグ・ジョンズでのギグはだい成功せいこうおさめ、プロデューサーのポール・ロスチャイルド(ドアーズなどを製作せいさく)のまることとなった[8]

バターフィールド・ブルース・バンド時代じだい(ギタリストのブルームフィールドと)[編集へんしゅう]

マイク・ブルームフィールド出会であう。ロスチャイルドは2人ふたりあいだ化学かがく反応はんのうてブルームフィールドをバンドにれるようバターフィールドを説得せっとくする。ブルームフィールドの加入かにゅうエレクトラ・レコード契約けいやくする。

1964ねん12月はつ録音ろくおん。「Born in Chicago」の初期しょきバージョンは1965ねんのエレクトラのコンピレーション・アルバム『Folksong '65』に収録しゅうろくされ、注目ちゅうもくされる(このはつ録音ろくおん音源おんげんは、1995ねんのアルバム『オリジナル・ロスト・エレクトラ・セッション』にすべて収録しゅうろく)。

ロスチャイルドはかれらをライブ録音ろくおんし、ライブ・アルバムをつくることにする[9]。1965ねんはる、ニューヨークのCafe Au Go Goで録音ろくおんかれらの演奏えんそう東海岸ひがしかいがんのミュージシャンに注目ちゅうもくされる[10]。3度目どめ録音ろくおんでスタジオにはい[11]

ボブ・ディランと共演きょうえん(1965ねん[編集へんしゅう]

1965ねんの7がつにニューポート・フォーク・フェスティバルにブッキングされ、おおくの観客かんきゃくあつめる。このころボブ・ディランのマネージャー、アルバート・グロスマン契約けいやくむすぶ。

マリア・マルダーおっとジェフ・マルダーと一緒いっしょにその演奏えんそうて「衝撃しょうげきてきだった」と回想かいそうした。おおくのフォーク・ファンにとって、激烈げきれつなエレクトリック・ブルース・コンボるのははじめてのことだった。

フェスティバルにレギュラー出演しゅつえんしていたディランはそのかれらをバックバンド指名しめいし、翌日よくじつ、エレクトリックで4きょく演奏えんそうした。これが「電気でんきディラン論争ろんそう」のはじまりである。バンドにとっては大衆たいしゅうられる機会きかいとなった。

1965ねんにようやくデビュー・アルバム『ポール・バターフィールド・ブルース・バンド』を録音ろくおん発売はつばいさい録音ろくおんの「Born in Chicago」がアルバムのトーンをめた。アルバムにはブルース・スタンダードの「Shake Your Moneymaker」「Blues with a Feeling」「Look Over Yonders Wall」や自作じさくきょく収録しゅうろくされた。翌年よくねんビルボードで123となる[12]。セールス以上いじょうおおきな影響えいきょうりょくあたえた。

代表だいひょうさく『イースト・ウェスト』[編集へんしゅう]

1966ねん7がつ、2さく『イースト・ウェスト』を録音ろくおん翌月よくげつ発売はつばいロバート・ジョンソンの「Walkin' Blues」、マイク・ネスミスの「Mary, Mary」、アラン・トゥーサン作曲さっきょくソロモン・バーク歌唱かしょうの「Get Out of My Life, Woman」、ジャズのナット・アダレイ作曲さっきょくの「Work Song」などのカバー収録しゅうろく。チャートでは65だった。

13ぶんのインストきょく「East-West」はインドのラーガからけた影響えいきょうと、最初さいしょフュージョンブルースロックこころみがかんじられ、バターフィールドおよび2人ふたりのギタリスト、ブルームフィールドとビショップによるながいソロが展開てんかいされている[13]どうきょくはライブでは1あいだほど演奏えんそうされ、サンフランシスコのフィルモアで演奏えんそうされると市内しないのジャムバンドはバターフィールド・バンド一色いっしょくになった[14]

エルヴィン・ビショップいわく「クイックシルヴァービッグ・ブラザーデッドなどのバンドはコードをかきらしていただけだった。かれらはフォーク・バンドみたいなもの。ブルームフィールドはどんなスケールきこなし、かれらをノックアウトした」。

この時期じきの『イースト・ウェスト』のライブ・バージョンは、1996ねんのアルバム『East-West Live』でける。

ピーター・グリーンと共演きょうえん(1966ねんふゆ[編集へんしゅう]

1966ねんふゆにイギリスにいたとき、ピーター・グリーン在籍ざいせきジョン・メイオール&ザ・ブルースブレイカーズ(アルバム『ジョン・メイオールとピーター・グリーン/ブルースの世界せかい完成かんせい直後ちょくご[15]すうきょく録音ろくおんした(ボーナストラックき『ジョン・メイオールとピーター・グリーン/ブルースの世界せかい再発さいはつばん収録しゅうろく)。バターフィールドもメイオールもうたい、バターフィールドのハープもける。4きょくがイギリスで45回転かいてんEPとして1967ねん1がつに『John Mayall's Bluesbreakers with Paul Butterfield』のタイトルで発売はつばいされた[16]

後期こうきバターフィールド・ブルース・バンド[編集へんしゅう]

ブルームフィールドは自身じしんのバンド、エレクトリック・フラッグ結成けっせい

3さくのアルバム『ピグボーイ・クラブショー』を1967ねん発表はっぴょう。52記録きろくチャールズ・ブラウンの「Driftin' Blues」を「Driftin' and Driftin'」の題名だいめいで、また、オーティス・ラッシュ「Double Trouble」、ジュニア・パーカーのヴァージョンでられる「Driving Wheel」をカバー[17]

1967ねん6がつモントレー・ポップ・フェスティバル公演こうえん[18][19]

1968ねん、4さくのアルバム『イン・マイ・オウン・ドリーム』でソウルとホーン・サウンドにさらに接近せっきん。3きょくだけうたった[20]。ビルボード79。1968ねんまつ、ビショップとマーク・ナフタリンが脱退だったい

ジャニス・ジョプリンとの邂逅かいこう[編集へんしゅう]

1969ねん4がつ、マディ・ウォーターズのバックをオーティス・スパン、マイク・ブルームフィールド、サム・レイ、ドナルド・ダック・ダン、バディ・マイルスとともにつとめる。ウォーターズの代表だいひょうきょく「Forty Days and Forty Nights」「I'm Ready」「Baby, Please Don't Go」「Got My Mojo Working」などを録音ろくおん、アルバム『ファーザーズ・アンド・サンズ』として発表はっぴょう[21]。ここでの演奏えんそうをバターフィールドの最高さいこう演奏えんそうとするものもいる[22]

ウッドストックで1969ねんなつに7きょく演奏えんそう映画えいがには登場とうじょうしなかったが、「Love March」がサントラ『「ウッドストック」オリジナル・サウンドトラック』(1970ねん)に収録しゅうろくされた。同年どうねんジャニス・ジョプリンと、永遠えいえん名曲めいきょく「One Night Stand」を録音ろくおん、14ねん1983ねんにジョプリンのアルバム『白鳥はくちょううた』に収録しゅうろくされたさいにヒットした。

1969ねん、5さくのアルバム『キープ・オン・ムーヴィング』は、ベテランR&Bプロデューサー/ソングライターのジェリー・ラゴヴォイ制作せいさく[2][23]批評ひひょう熱狂ねっきょうてきなファンのけはわるかったが、ビルボード102記録きろく[12]

ライブ2まいぐみアルバム『ライヴ』は、1970ねんにザ・トルバドゥールで録音ろくおん。このころはホーンセクションが4にんだった[24]

ソウルふうアルバム『サムタイムズ・アイ・ジャスト・フィール・ライク・スマイリン』を1971ねん発表はっぴょうし、解散かいさん

1972ねん、ベスト・アルバム『Golden Butter: The Best of the Paul Butterfield Blues Band』がエレクトラから発売はつばい

ベター・デイズ時代じだいとソロ時代じだい[編集へんしゅう]

しんバンドは、ディランやザ・バンド面々めんめんんでいたウッドストック周辺しゅうへん仲間なかまつくり、ポール・バターフィールズ・ベター・デイズ(Paul Butterfield's Better Days)となった。

メンバーは、クリス・パーカー(ドラムス)、エイモス・ギャレット(ギター)、ジェフ・マルダー(ボーカル)、ロニー・バロン(ピアノ)、ビリー・リッチ(ベース)。

1972ねんと1973ねんに、アルバム『ポール・バターフィールズ・ベター・デイズ』『イット・オール・カムズ・バック』をアルバート・グロスマンのBearsvilleレコードから発表はっぴょうルーツ音楽おんがく、フォークをげた[25]

1973ねん音源おんげん『ライヴ・アット・ウィンターランド』が、1999ねん発売はつばいされている[26]

1979ねんもとザ・バンドのリック・ダンコと

ベター・デイズ解散かいさん、ソロ活動かつどう開始かいし。1975ねん、マディ・ウォーターズのチェス・レコードでの最後さいご作品さくひん『マディ・ウォーターズ - ウッドストック・アルバム』に参加さんか[27]リヴォン・ヘルムのウッドストック・スタジオで、ガース・ハドソンや、ウォーターズのツアーバンドと一緒いっしょ録音ろくおんされた。

1976ねん、ザ・バンドの『ラスト・ワルツ』に出演しゅつえん。「Mystery Train」をうたい、マディ・ウォーターズの「Mannish Boy」のうしろでハープをいた[28]

リヴォン・ヘルム&ザ・RCOオールスターズとツアーし、1977ねん録音ろくおん[6]

1979ねんリック・ダンコとツアー。1984ねん、ダンコとリチャード・マニュエルとの演奏えんそう録音ろくおんされ、『ライヴ・アット・ザ・ローン・スター・カフェ1984』として2011ねん発売はつばいされた[29]

ツアーをつづけ、「セルアウト、オーバー・プロデュースされた、方向ほうこうせい間違まちがっている」とされたアルバム『プット・イット・イン・ユア・イアー』を1976ねんに、『ノース・サウス』を1981ねん発表はっぴょう後者こうしゃストリングスシンセふくみ、ペラペラのファンク・サウンドだった[2]。1986ねん最後さいごのスタジオ録音ろくおんアルバム『伝説でんせつ』を発表はっぴょう。「最新さいしんロック・サウンドで復活ふっかつしようとした失敗しっぱいさく」とひょうされた。

1987ねん、「B.B.キング & フレンズ」コンサートに、エリック・クラプトンエタ・ジェイムズアルバート・キングスティーヴィー・レイ・ヴォーンなどと参加さんか[30]

死去しきょ[編集へんしゅう]

ポール・バターフィールドは、1987ねん5がつに44さい死去しきょした。ノース・ハリウッドのアパートで遺体いたい発見はっけんされ、モルヒネヘロインいため)の過剰かじょう摂取せっしゅ鑑識かんしきされた。1980年代ねんだい初頭しょとうから、がた激痛げきつうをともなう腹膜炎ふくまくえんなん手術しゅじゅつけていた[31]

マリア・マルダーはバターフィールドについてこうコメントしている。「かれは、感性かんせい音楽おんがくせい、そして完璧かんぺき理解りかいするアプローチをすべそなえていました ... かれ努力どりょくをしてあらゆるものを自分じぶんなかみ、ブルースのエッセンスを具現ぐげんしていました。不幸ふこうなことに、かれ少々しょうしょうそういうかたをやりすぎたのです[32]。」

ディスコグラフィ[編集へんしゅう]

スタジオ・アルバム[編集へんしゅう]

バターフィールド・ブルース・バンド[編集へんしゅう]

  • 『ポール・バターフィールド・ブルース・バンド』 - The Paul Butterfield Blues Band (1965ねん)
  • 『イースト・ウェスト』 - East-West (1966ねん)
  • 『ピグボーイ・クラブショー』 - The Resurrection of Pigboy Crabshaw (1967ねん)
  • 『イン・マイ・オウン・ドリーム』 - In My Own Dream (1968ねん)
  • 『キープ・オン・ムーヴィング』 - Keep On Moving (1969ねん)
  • 『サムタイムズ・アイ・ジャスト・フィール・ライク・スマイリン』 - Sometimes I Just Feel Like Smilin' (1971ねん)

ポール・バターフィールズ・ベター・デイズ[編集へんしゅう]

ポール・バターフィールド[編集へんしゅう]

  • 『プット・イット・イン・ユア・イアー』 - Put It in Your Ear (1976ねん)
  • 『ノース・サウス』 - North-South (1981ねん)
  • 伝説でんせつ』 - The Legendary Paul Butterfield Rides Again (1986ねん)

ライブ・アルバム[編集へんしゅう]

  • 『ライヴ』 - Live (1970ねん、2005ねんにボーナストラックを付加ふかしたうえでさい発売はつばい)
  • Strawberry Jam (1996ねん) ※1966ねん–1968ねん録音ろくおん
  • East-West Live (1996ねん) ※1966ねん–1967ねん録音ろくおん
  • 『ライヴ・アット・ウィンターランド』 - Live at Winterland Ballroom (1999ねん) ※ポール・バターフィールズ・ベター・デイズ名義めいぎ。1973ねん録音ろくおん
  • Rockpalast: Blues Rock Legends, Vol. 2 (2008ねん) ※1978ねん録音ろくおん
  • 『ライヴ・アット・ザ・ローン・スター・カフェ1984』 - Live at the Lone Star (2011ねん) ※1984ねん録音ろくおん with リック・ダンコリチャード・マニュエル
  • 『ガット・ア・マインド・トゥ・ギヴ・アップ・リヴィング - ライブ 1966』 - Got A Mind To Give Up Living-Live 1966 (2016ねん) ※1966ねん録音ろくおん

コンピレーション・アルバム[編集へんしゅう]

  • Golden Butter: The Best of the Butterfield Blues Band (1972ねん)
  • 『オリジナル・ロスト・エレクトラ・セッション』 - The Original Lost Elektra Sessions (1995ねん) ※1964ねん録音ろくおん発表はっぴょう音源おんげんしゅう
  • 『アンソロジー (ベスト・オブ・エレクトラ・イヤーズ)』 - An Anthology: The Elektra Years (1997ねん)
  • Paul Butterfield's Better Days: Bearsville Anthology (2000ねん) ※ポール・バターフィールズ・ベター・デイズ
  • Hi-Five: The Paul Butterfield Blues Band (2006ねん) ※EP

発掘はっくつばん共演きょうえんビデオ[編集へんしゅう]

  • Folksongs '65 (1965ねん)
  • 『ホワッツ・シェイキン』 - What's Shakin' (1966ねん)
  • ニューポート・フォーク・フェスティバル英語えいごばん』 - Festival (1967ねん) ※ドキュメンタリー映画えいが。1965ねんボブ・ディラン共演きょうえんしたときの様子ようす収録しゅうろくされている。
  • 『ユー・アー・ホワット・ユー・イート』 - You Are What You Eat (1968ねん) ※映画えいがのオリジナル・サウンドトラック
  • 『「ウッドストック」オリジナル・サウンドトラック』 - Woodstock: Music from the Original Soundtrack and More (1970ねん) ※1969ねん録音ろくおん
  • 『「ウッドストック2」オリジナル・サウンドトラック』 - Woodstock 2 (1971ねん) ※1969ねん録音ろくおん
  • An Offer You Can't Refuse (1972ねん) ※1963ねん録音ろくおん。ウォルター・ホートンとのスプリットばん
  • Woodstock '79 (1991ねん) ※ビデオ。1979ねん収録しゅうろく
  • Woodstock: Three Days of Peace and Music (1994ねん) ※1969ねん録音ろくおん
  • The Monterey International Pop Festival June 16–17–18 30th Anniversary Box Set (1997ねん) ※1967ねん録音ろくおん
  • The Complete Monterey Pop Festival (2002ねん) ※ビデオ。1967ねん収録しゅうろく
  • Woodstock: 40 Years On: Back to Yasgur's Farm (2009ねん) ※1969ねん録音ろくおん
  • 『ウッドストック〜40周年しゅうねん記念きねんボックスセット』 - Woodstock: 40th Anniversary Ultimate Collector's Edition (2009ねん) ※ビデオ。1969収録しゅうろく

参加さんかアルバム[編集へんしゅう]

トリビュート・アルバム[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ 『Heart Attack』のレビューでは、「4きょくでハープのポール・バターフィールドをフィーチャーしている(かれ最後さいご録音ろくおんであるとしんじられている)」とべられている[33]

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ Rock & Roll Hall of Fame: The Paul Butterfield Blues Band
  2. ^ a b c Huey, Steve. “Paul Butterfield — Biography”. Allmusic. Rovi. 2013ねん7がつ23にち閲覧えつらん
  3. ^ Wolkin, Keenom 2000, p. 40.
  4. ^ Milward 2013, p. 66.
  5. ^ Field 2000, pp. 212–214.
  6. ^ a b Paul Butterfield — Biography”. Rolling Stone. 2013ねん9がつ13にち閲覧えつらん
  7. ^ Erlewine 1996, p. 41.
  8. ^ Leggett, Steve. “The Paul Butterfield Blues Band — Biography”. Allmusic. Rovi Corp.. 2013ねん9がつ14にち閲覧えつらん
  9. ^ Rothchild 1995, pp. 1–4.
  10. ^ Rothchild 1995, p. 3. Rothchild also recalled Holzman's approval came with the warning, "Rothchild, do not fuck this up!".
  11. ^ Ellis 1997
  12. ^ a b Paul Butterfield — Awards”. Allmusic. Rovi Corp. 2013ねん7がつ23にち閲覧えつらん
  13. ^ Tamarkin, Jeff (1996). "East-West". All Music Guide to the Blues. Miller Freeman Books. p. 42. ISBN 0-87930-424-3
  14. ^ Houghton 2010, p. 195.
  15. ^ Schinder, Scott (2003). A Hard Road — Expanded Edition (Media notes). John Mayall & the Bluesbreakers. Deram Records. pp. 10, 14. B0001083-02。
  16. ^ Presumably because of licensing restrictions, the EP was marked "For sale in the U.K. only", although it soon found its way to some specialty record retailers in the U.S. The songs were later included as bonus tracks on the 2003 expanded 2-CD reissue of A Hard Road with most of Peter Green's recordings with Mayall.
  17. ^ Erlewine, Michael [in 英語えいご] (1996). "The Resurrection of Pigboy Crabshaw". All Music Guide to the Blues. Miller Freeman Books. p. 42. ISBN 0-87930-424-3
  18. ^ Billy Davenport played the drums and Keith Johnson contributed trumpet in place of David Sanborn on saxophone. Former bandmate Mike Bloomfield also performed the same day at Monterey with his new group Electric Flag.
  19. ^ Perone, James (2005). Woodstock: An Encyclopedia of the Music and Art Fair. Greenwood Publishing Group. p. 3. ISBN 978-0-31333-057-5 
  20. ^ Eder, Bruce. “In My Own Dream —Album Review”. Allmusic. Rovi Corp.. 2013ねん9がつ13にち閲覧えつらん
  21. ^ Gordon 2002, p. 207.
  22. ^ Herzhaft 1992, p. 371.
  23. ^ Campbell, Al. “Keep on Moving — Album review”. Allmusic. Rovi Corp.. 2013ねん7がつ23にち閲覧えつらん
  24. ^ Eder, Bruce. “Live — Album Review”. Allmusic. Rovi Corp.. 2013ねん7がつ23にち閲覧えつらん
  25. ^ Paul Butterfield's Better Days — Album Review”. Allmusic. Rovi Corp.. 2013ねん9がつ14にち閲覧えつらん
  26. ^ Live at Winterland Ballroom”. Allmusic. 2013ねん9がつ24にち閲覧えつらん
  27. ^ Gordon 2002, p. 247.
  28. ^ Gordon 2002, p. 253.
  29. ^ Rick Danko, Richard Manuel & Paul Butterfield Live at the Lone Star 1984 — Overview”. Allmusic. Rovi Corp.. 2013ねん9がつ14にち閲覧えつらん
  30. ^ B.B. King & Friends: A Night of Blistering Blues — Overview”. Allmusic. Rovi Corp.. 2013ねん9がつ14にち閲覧えつらん
  31. ^ “Musician's Death Laid to Overdose”. Los Angeles Times. (June 13, 1987). http://articles.latimes.com/1987-06-13/news/mn-6920_1_drug-overdose 2013ねん7がつ23にち閲覧えつらん. 
  32. ^ Ellis III 1997.
  33. ^ Frantz, Niles J.. “Little Mike & the Tornados: Heart Attack – Review”. AllMusic. 2013ねん8がつ4にち閲覧えつらん

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

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  • Gioia, Ted (2008). Delta Blues. W. W. Norton. ISBN 978-0-393-33750-1 
  • Gordon, Robert (2002). Can't Be Satisfied: The Life and Times of Muddy Waters. Little, Brown. ISBN 0-316-32849-9 
  • Herzhaft, Gerard (1992). "Paul Butterfield". Encyclopedia of the Blues. University of Arkansas Press. ISBN 1-55728-252-8
  • Houghton, Mick (2010). Becoming Elektra: True Story Of Jac Holzman's Visionary Record Label. Jawbone Press. ISBN 978-1906002299 
  • Marcus, Greil (2006). Like a Rolling Stone: Bob Dylan at the Crossroads. Public Affairs. ISBN 978-1586483821 
  • Milward, John (2013). Crossroads: How the Blues Shaped Rock 'n' Roll (and Rock Saved the Blues). Northeastern. ISBN 978-1555537449 
  • Rothchild, Paul (1995). The Original Lost Elektra Sessions (Media notes). Paul Butterfield Blues Band. Elekrtra Traditions/Rhino Records. R2 73305。
  • Shadwick, Keith (2001). "Paul Butterfield". The Encyclopedia of Jazz & Blues. Oceana. ISBN 978-0-681-08644-9
  • Wolkin, Jan Mark; Keenom, Bill (2000). Michael Bloomfield — If You Love These Blues: An Oral History. Backbeat Books. ISBN 978-0879306175 

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]