この項目 こうもく では、沖縄 おきなわ 県 けん と鹿児島 かごしま 県 けん 奄美 あまみ 群島 ぐんとう のシャーマンについて説明 せつめい しています。その他 た の用法 ようほう については「ユタ (曖昧 あいまい さ回避 かいひ ) 」をご覧 らん ください。
祈祷 きとう 活動 かつどう をするユタ(1955年 ねん 頃 ごろ )
ユタ は、沖縄 おきなわ 県 けん と鹿児島 かごしま 県 けん 奄美 あまみ 群島 ぐんとう の民間 みんかん 霊媒 れいばい 師 し (シャーマン )であり、霊的 れいてき 問題 もんだい や生活 せいかつ の中 なか の問題 もんだい 点 てん のアドバイス、解決 かいけつ を生業 せいぎょう とする。
桜井 さくらい 徳太郎 とくたろう によれば、日本 にっぽん 列島 れっとう 弧 こ において最 もっと もシャーマン の活動 かつどう が顕著 けんちょ なのは東北 とうほく 地方 ちほう と南西諸島 なんせいしょとう である。もっぱら死霊 しりょう の憑依 ひょうい を受 う けてトランス に入 はい り、第一人称 だいいちにんしょう でその託宣 たくせん を述 の べるものを一般 いっぱん に口寄 くちよ せ巫女 ふじょ と称 しょう する。東北 とうほく 地方 ちほう のイタコ 等 ひとし と同様 どうよう に口寄 くちよ せ巫女 ふじょ としての巫 みこ 儀 ぎ を展開 てんかい している呪術 じゅじゅつ 宗教 しゅうきょう 職能 しょくのう 者 しゃ は、南西諸島 なんせいしょとう ではユタ ・ホゾン ・トキ (奄美 あまみ 群島 ぐんとう ・沖縄諸島 おきなわしょとう )、カンカカリャ ・サス (宮古列島 みやこれっとう )、ムヌチ ・ニゲービー ・カンピトゥ (八重山列島 やえやまれっとう )等 とう と呼 よ ばれている[1] 。
琉球 りゅうきゅう の民間 みんかん 社会 しゃかい において、民衆 みんしゅう の宗教 しゅうきょう 的 てき 機能 きのう を担 にな う職能 しょくのう 者 しゃ は、女性 じょせい 司祭 しさい 者 しゃ の祝 しゅく 女 おんな (ノロ/ヌル) 、根 ね 神 しん (ニーガン)、サス・司 つかさ (ツカサ)等 とう の神人 しんじん (カミンチュ)と、シャーマンとしてのユタ等 とう の類 るい に分 わ かれる。前者 ぜんしゃ は主 しゅ として御嶽 みたけ (ウタキ) やグスク 等 ひとし の聖地 せいち や御願 ごがん 所 しょ (ウグヮンジョ)とか拝 はい 所 しょ (ウガンジュ)において部落 ぶらく や村落 そんらく の公的 こうてき 祭祀 さいし や共同 きょうどう 体 たい の祈願 きがん 行事 ぎょうじ の司祭 しさい をする。後者 こうしゃ は部落 ぶらく や村落 そんらく の個々 ここ の家 いえ や家族 かぞく に関 かん する運勢 うんせい (ウンチ)、吉凶 きっきょう の判断 はんだん (ハンジ)、禍 わざわい 厄 やく の除 じょ 災 わざわい (ハレー)、病気 びょうき の平癒 へいゆ 祈願 きがん (ウグヮン)など私的 してき な呪術 じゅじゅつ 信仰 しんこう 的 てき 領域 りょういき に関与 かんよ している。神人 しんじん が聖地 せいち の司祭 しさい をするにあたり死 し 穢 けがれ や婦人 ふじん の血 ち の忌 い み、出産 しゅっさん の不浄 ふじょう を忌避 きひ するのに対 たい して、ユタは全 まった く反対 はんたい に死者 ししゃ 儀礼 ぎれい や死霊 しりょう 供養 くよう に密着 みっちゃく した。その性格 せいかく 、生態 せいたい 、機能 きのう など多 おお くの点 てん で両者 りょうしゃ は相 あい いれないもののようだが、両者 りょうしゃ とも沖縄 おきなわ 民間 みんかん 信仰 しんこう の底辺 ていへん を流 なが れるシャマニズム であり、沖縄 おきなわ の民間 みんかん 信仰 しんこう を支 ささ える車 くるま の両輪 りょうりん と言 い える、と桜井 さくらい 徳太郎 とくたろう は述 の べている[2] 。
ユタは、凡人 ぼんじん にはなし得 え ない霊界 れいかい のすがたや動 うご きを見通 みとお すことのできる霊 れい 能力 のうりょく 者 もの であると見 み なされているが[3] 、ユタ信仰 しんこう は迷信 めいしん だという観念 かんねん は沖縄 おきなわ の教育 きょういく 者 しゃ や知識 ちしき 人 じん の間 あいだ に一般 いっぱん 化 か しており、公式 こうしき の場 ば では穢 けが らわしい、はしたないと軽蔑 けいべつ して口 くち にも出 だ さない[4] 。特 とく に公的 こうてき な場 ば で活躍 かつやく することが多 おお い男性 だんせい からは、体裁 ていさい をつくろうため軽蔑 けいべつ 冷笑 れいしょう される傾向 けいこう が強 つよ かったため、家庭 かてい を内的 ないてき に支 ささ える女性 じょせい が一家 いっか の代表 だいひょう 者 しゃ としてユタのもとへ赴 おもむ く。これにより、家庭 かてい の外 そと では知 し らぬ顔 かお をしている男性 だんせい も、家 いえ の中 なか ではユタの指示 しじ に従 したが って行動 こうどう する家族 かぞく の在 あ り方 かた に巻 ま き込 こ まれていく。また、ユタへの依頼 いらい 者 しゃ は労働 ろうどう 者 しゃ ・農民 のうみん ・漁民 ぎょみん のみならず、高 たか い地位 ちい の官僚 かんりょう ・自治体 じちたい 役員 やくいん ・教職員 きょうしょくいん ・ビジネスマンが高 たか い確 かく 率 りつ で含 ふく まれる[5] 。
個人 こじん レベルあるいは共同 きょうどう 体 たい レベルにおいて、人為 じんい の限 かぎ りを尽 つ くしても、なお解決 かいけつ し得 え ない問題 もんだい につきあたったとき、その最終 さいしゅう 的 てき 決断 けつだん を下 くだ すきっかけをユタの吉凶 きっきょう 判断 はんだん (ハンジ)に求 もと めようとする傾向 けいこう は、現在 げんざい でも薄 うす れていない[5] 。
こうしたユタを利用 りよう する行為 こうい は「ユタ買 か い(ユタコーヤー)」といわれ、通常 つうじょう は2〜3人 にん のユタの判断 はんだん を仰 あお ぐ。依頼 いらい 者 しゃ はかなりの額 がく の費用 ひよう を厭 いと うことなくユタに支払 しはら う[4] 。沖縄 おきなわ 県 けん には「医者 いしゃ 半分 はんぶん 、ユタ半分 はんぶん 」ということわざが古 ふる くからある。
桜井 さくらい 徳太郎 とくたろう は、神 かみ と人 ひと との間 あいだ の仲介 ちゅうかい 役 やく は神意 しんい を鋭敏 えいびん に感 かん じ取 と ることのできるセンシブルな存在 そんざい でなくてはならず、それを良 よ くなしえるのは古来 こらい から感受性 かんじゅせい の強 つよ い女性 じょせい であったと述 の べている[6] 。ユタは本来 ほんらい 女性 じょせい がなるべきものとされていたが、男性 だんせい のユタは若干 じゃっかん 存在 そんざい する[7] 。
ユタには後述 こうじゅつ する弾圧 だんあつ の歴史 れきし がある。そのため、自身 じしん ではユタと言 い う称号 しょうごう を用 もち いず、また他人 たにん からそう呼 よ ばれることに対 たい し反感 はんかん を抱 いだ く者 もの がいる[7] 。彼 かれ らは神人 しんじん (カミンチュ)、御願 ごがん 者 しゃ (ウグヮンサー)、御願 ごがん を捧 ささ げる人 ひと (ウグヮンウサギヤー)、判断 はんだん (ハンジ)など神 かみ に仕 つか えることを表 あらわ す名称 めいしょう を好 この む。また、祭祀 さいし ・巫 みこ 儀 ただし ・卜 ぼく 占 うらない の区別 くべつ が曖昧 あいまい になってきている昨今 さっこん の状況 じょうきょう を受 う け、侮蔑 ぶべつ 的 てき 語感 ごかん を伴 ともな うユタという名称 めいしょう より易者 えきしゃ を意味 いみ する三 さん 人 にん 相 しょう (サンジンゾー)や風水 ふうすい を判断 はんだん する風水 ふうすい 師 し (フンシー)などの称号 しょうごう を用 もち いる者 もの がいる[7] 。
『琉球 りゅうきゅう 史 し 辞典 じてん 』ではユタの語源 ごげん を「おしゃべり(ユンタ)」あるいは神 かみ がかりのときに体 からだ が「ユタめく(揺 ゆ れる)」ことから名付 なづ けられたのではないかと述 の べている[8] 。ユタと言 い う職業 しょくぎょう はどの様 よう に成立 せいりつ したのか、以下 いか のように諸説 しょせつ あり断定 だんてい されていない。
伊波 いは 普猷 ふゆう は、神託 しんたく を宣伝 せんでん するべき神人 しんじん の中 なか に、その様 よう な力 ちから を持 も っていない名義 めいぎ ばかりの者 もの がおり、これらにかわって神託 しんたく を宣伝 せんでん する者 もの が民間 みんかん に出 で て、とうとう職業 しょくぎょう とするようになったのがトキまたはユタと称 しょう するものであると述 の べ、ユタが神人 しんじん から分化 ぶんか したとの考 かんが えを示 しめ した。また、ユタという語 かたり とユンタ(しゃべる)という語 かたり との間 あいだ には内容 ないよう 上 じょう の関係 かんけい があるかもしれないとも述 の べている[9] 。
桜井 さくらい 徳太郎 とくたろう は、部落 ぶらく 共同 きょうどう 体 たい のシャーマンであった祝 しゅく 女 おんな や根 ね 神 しん が中央 ちゅうおう 集権 しゅうけん 的 てき 琉球 りゅうきゅう 王 おう 府 ふ の官僚 かんりょう 的 てき 祭司 さいし 体制 たいせい に編入 へんにゅう される際 さい に、公共 こうきょう 祭祀 さいし 以外 いがい の宗教 しゅうきょう 的 てき 機能 きのう を担 にな った呪術 じゅじゅつ 的 てき 宗教 しゅうきょう 者 しゃ が現 あらわ れたとし、そうしたアウトローの呪術 じゅじゅつ 的 てき 宗教 しゅうきょう 者 しゃ は地域 ちいき 社会 しゃかい の民間 みんかん 信仰 しんこう といっそう密着 みっちゃく しながら、在地 ざいち 性 せい を発揮 はっき して民衆 みんしゅう の要望 ようぼう に応 こた えることになった。そして終 つい に官僚 かんりょう 化 か した司祭 しさい 者 しゃ 祝 しゅく 女 おんな と袂 たもと を分 わ かったのだと述 の べている[6] 。
佐々木 ささき 宏 ひろし 幹 みき によると、沖縄 おきなわ 本島 ほんとう においては、シマあるいはマキヨと呼 よ ばれる村 むら ごとに総 そう 本家 ほんけ となる根 ね 所 しょ (ニイドゥクル)があり、その主人 しゅじん である根 ね 人 じん (ニンチュ)の姉妹 しまい が根 ね 神 しん (ニーガン)と言 い われ、神 かみ がかりして村落 そんらく の人々 ひとびと に生活 せいかつ 指針 ししん を与 あた えた。やがて、8〜9世紀 せいき になると按司(アンジ) が村 むら 々を併合 へいごう し、郡 ぐん 程度 ていど の領域 りょういき を統治 とうち するようになったが、彼 かれ の姉妹 しまい や妻 つま は祝 しゅく 女 おんな (ノロ)と呼 よ ばれ、やはり神 かみ がかりして領域 りょういき 内 ない の人々 ひとびと に生活 せいかつ 指針 ししん を与 あた えた。これらシャーマニックな女性 じょせい の活動 かつどう なくしては根 ね 人 じん や按司の統治 とうち も完全 かんぜん たりえなかったが、後代 こうだい になると国家 こっか 統一 とういつ と中央 ちゅうおう 集権 しゅうけん 化 か に伴 ともな って根 ね 神 しん や祝 しゅく 女 おんな はシャーマン的 てき 性格 せいかく を失 うしな って司祭 しさい 化 か し、シャーマン的 てき 機能 きのう はユタに移 うつ っていたのだという[10] 。[注 ちゅう 1]
桜井 さくらい 徳太郎 とくたろう は、依頼 いらい 者 しゃ が巫 みこ 家 か (ユタヌヤー)を訪 おとず れるケース調 しら べ、その結果 けっか ユタの業務 ぎょうむ を以下 いか のように整理 せいり している[11] 。
新年 しんねん になったとき、正月 しょうがつ 中 ちゅう かそれに近 ちか い月内 げつない にその年 とし の初 はつ 運勢 うんせい (ハチウンチ)を託宣 たくせん する。
病気 びょうき や傷害 しょうがい など身体 しんたい 的 てき 欠陥 けっかん に関 かん する健康 けんこう 上 じょう の問題 もんだい の相談 そうだん 。医師 いし の診断 しんだん によっても容易 ようい に治癒 ちゆ しない場合 ばあい に、その原因 げんいん を正 ただ すための判断 はんだん (ハンジ)を授 さづ ける。
家庭 かてい 内 ない や部落 ぶらく 内 ない の交際 こうさい や親族 しんぞく 関係 かんけい に気 き がかりがあるものに判断 はんだん を授 さづ ける。また不吉 ふきつ な予感 よかん がすると訪 おとず れたものにも判断 はんだん を授 さづ ける。
夢見 ゆめみ の分析 ぶんせき をおこない判断 はんだん を授 さづ ける。
商売 しょうばい ・農作業 のうさぎょう ・漁業 ぎょぎょう などの事業 じぎょう に不運 ふうん が続 つづ く者 もの の相談 そうだん を受 う ける。
新 あたら しく事業 じぎょう を起 お こすとき、仕事 しごと 換 か えがあるとき、船 ふね の新造 しんぞう 、店舗 てんぽ の開店 かいてん などの際 さい に先行 さきゆ きを占 うらな う。
家 いえ の新 しん 改築 かいちく の際 さい の風水 ふうすい 見 み (フンシーミー)をおこなう。
紛失 ふんしつ 物 ぶつ があった際 さい に、その所在 しょざい を占 うらな う。
結婚 けっこん の際 さい 、相性 あいしょう などの適 てき ・不適 ふてき を占 うらな う。
元祖 がんそ 事 ごと (グヮンスグトゥ。供養 くよう ・位牌 いはい 祭祀 さいし など先祖 せんぞ に関 かん した事柄 ことがら )に不振 ふしん が生 しょう じた場合 ばあい 、正 ただ しい在 あ り方 かた を判断 はんだん し指示 しじ する。
洗 あらい 骨 こつ や移 うつり 葬 そう の際 さい の死霊 しりょう 供養 くよう をおこなう。
抜霊(ヌジファ)、魂 たましい 分 ぶん (マブイワカシ)、若 わか 焼香 しょうこう (ワカジューコー。1〜7年 ねん 忌 き )、終 お わり焼香 しょうこう (ウワイジューコー。13年 ねん 忌 き 、25年 ねん 忌 き 、特 とく に33年 ねん 忌 き )など死者 ししゃ 供養 くよう の回向 えこう をおこなう。
男系 だんけい 継承 けいしょう 者 しゃ が廃絶 はいぜつ した場合 ばあい 、正 ただ しい継承 けいしょう 者 しゃ を捜 さが し求 もと めるために先祖 せんぞ に祈願 きがん して判断 はんだん を受 う ける。
魂 たましい 籠 こめ (マブイグミ)の呪術 じゅじゅつ や、魔物 まもの (マジムン)・生霊 いきりょう (イチジャマ)などの悪霊 あくりょう 邪 よこしま 霊 れい の祟 たた りを祓 はらい 除 じょ するための呪法 じゅほう をおこなう。
「旅立 たびだ ち」の際 さい の安全 あんぜん 祈願 きがん をする。
また、地域 ちいき 社会 しゃかい における公共 こうきょう 生活 せいかつ の側面 そくめん においては以下 いか のことをおこなう[11] 。
祝 しゅく 女 おんな ・根 ね 神 しん ・クデなど神人 しんじん たる神 かみ 女 おんな 選定 せんてい にあたり、その最終 さいしゅう 決定 けってい をおこなう。
祝 しゅく 女 おんな がおこなっていた部落 ぶらく 祭祀 さいし の担 にな い手 て として活動 かつどう する。
その他 た 、ユタが活動 かつどう している具体 ぐたい 例 れい として、御嶽 おんたけ から盗 ぬす まれた神器 じんぎ の行方 ゆくえ が分 わ からなくなった際 さい 、御嶽 おんたけ の司祭 しさい 者 しゃ である祝 しゅく 女 おんな や村人 むらびと が、協議 きょうぎ の上 うえ でユタの判断 はんだん (ハンジ)を求 もと めた例 れい もある[5] 。
「ユタになる運命 うんめい は生 う まれたときから定 さだ まっていると、かたく信 しん じている沖縄 おきなわ の人々 ひとびと は少 すく なくない」と桜井 さくらい 徳太郎 とくたろう は述 の べているが、彼 かれ が面接 めんせつ したユタもまた例外 れいがい なくユタになるのは宿命 しゅくめい であったと答 こた えている。では宿命 しゅくめい であると考 かんが える理由 りゆう は何 なに かと問 と うと、サーダカンマリ [注 ちゅう 2] であるからとの返事 へんじ がかえってくるという[12] 。「性 せい 高 たか い生 う まれ」と訳 やく される[注 ちゅう 3] この資質 ししつ は、神霊 しんれい ・死霊 しりょう ・精霊 せいれい の霊界 れいかい と交渉 こうしょう を持 も ち、巫女 ふじょ として超 ちょう 自然 しぜん 的 てき 超越 ちょうえつ 者 しゃ の意志 いし を聞 き くことのできる聖職 せいしょく 者 しゃ となるために備 そな え持 も たなくてはならない基本 きほん 資質 ししつ であり、ユタのみならず祝 しゅく 女 おんな など神人 しんじん (カミンチュ)にとっても不可欠 ふかけつ な要件 ようけん である[12] 。
サーダカンマリの素質 そしつ は神 かみ に選 えら ばれた者 もの のみに与 あた えられるとユタは信 しん じているが、そうした選民 せんみん 観 かん をユタは最初 さいしょ から所有 しょゆう しているわけではなく、巫 みこ 事 ごと (ユタグトゥ)を積 つ み重 かさ ねるうち次第 しだい に修理 しゅうり 固 かた 成 な されていく[12] 。
沖縄 おきなわ では幻覚 げんかく 症状 しょうじょう を伴 ともな った無意識 むいしき 行動 こうどう を取 と ることをターリィと言 い い、その内容 ないよう が神事 しんじ (カミグトゥ)、つまり神 かみ 々に関係 かんけい がある場合 ばあい にカミダーリィ と言 い う。[注 ちゅう 4] しかし夢遊病 むゆうびょう 者 もの 的 てき 行動 こうどう に出 で るのは、神 かみ の導 みちび きによって生起 せいき すると見 み られるので、ターリィ全般 ぜんぱん をカミダーリィということが多 おお い。このカミダーリィは、精神病 せいしんびょう 者 しゃ である狂人 きょうじん (フリムン)、物狂 ものぐる い(フリトゥーン)、狂暴 きょうぼう (フラグゥ)とは区別 くべつ される[13] 。
カミダーリィは、初期 しょき には単 たん なる病気 びょうき としか思 おも えないが、やがて幻覚 げんかく の中 なか に現 あらわ れるカミまたはカミの使者 ししゃ の「お知 し らせ(ウシラシ)」を受 う け、神事 しんじ (カミグトゥ)に入 はい らないとターリィは癒らないと脅 おど される。しかし、多 おお くのユタたちの告白 こくはく によれば、家庭 かてい を犠牲 ぎせい にすることやユタとして生計 せいけい を立 た てられるか等 とう の不安 ふあん から神事 しんじ に入 はい ることを躊躇 ちゅうちょ し、殆 ほとん どの人 ひと が「お知 し らせ」を無視 むし したり、聞 き かないふりをして正常 せいじょう な生活 せいかつ を維持 いじ しようと試 こころ みる。だが、その様 よう な判断 はんだん のもとに進 すす むとまたカミダーリィに襲 おそ われ、今度 こんど はカミまたはカミの使者 ししゃ から、入 にゅう 巫 みこ しないと不幸 ふこう になる・病気 びょうき が重 おも くなる等 とう の威嚇 いかく めいた催促 さいそく (セイジュク)[注 ちゅう 5] を受 う け、心身 しんしん の苦痛 くつう はいよいよ烈 はげ しく迫 せま ってくる[14] 。
カミダーリィはユタになるまでに必 かなら ず通過 つうか し、体験 たいけん しなければならない関門 かんもん で、ユタの告白 こくはく によるとカミダーリィは必 かなら ず原因 げんいん 不明 ふめい の病気 びょうき が随伴 ずいはん する[13] 。佐々木 ささき 宏 ひろし 幹 みき は、カミダーリィが巫 みこ 病 びょう の性格 せいかく ・内容 ないよう を典型 てんけい 的 てき に備 そな えたものであると述 の べている[15] 。
こうして岐路 きろ に立 た たされ、悩 なや み悩 なや んだ末 すえ 、ついにユタの判断 はんだん (ハンジ)を求 もと めて巫 みこ 家 か (ユタヌヤー)へ赴 おもむ き、そこでユタに頼 たの み御願 ごがん (ウグヮン)をしてユタになる道順 みちじゅん の手 て ほどきを受 う ける。この道程 どうてい にあるユタ志願 しがん 者 しゃ を一般 いっぱん にナライユタという。手 て ほどきを受 う けるユタの選定 せんてい はナライユタ自身 じしん の自発 じはつ 的 てき 意思 いし によっておこなわれるので、学生 がくせい が自己 じこ の希望 きぼう で講師 こうし を選択 せんたく するように、何人 なんにん ものユタを渡 わた り歩 ある いて巫 みこ 法 ほう を覚 おぼ える。このため、イタコなどのように固定 こてい された師弟 してい 関係 かんけい を結 むす ぶことがない。ナライユタは、必要 ひつよう に応 おう じて巫 みこ 家 か へ赴 おもむ いてユタの手法 しゅほう を見守 みまも ったり、御願 ごがん のために聖地 せいち を巡拝 じゅんぱい するユタに随伴 ずいはん し、線香 せんこう (ウコウ)の供 そな え方 かた や御 ご 意趣 いしゅ (グイス。巫 みこ 儀 ぎ の導入 どうにゅう 部 ぶ )の際 さい の唱 とな え文句 もんく を覚 おぼ える[14] 。
こうして巫 みこ 家 か を歴訪 れきほう して神事 しんじ に精 せい を出 だ し、各地 かくち の聖地 せいち へ御願 ごがん 回 まわ り(ウグヮンマァーイ)をするうち、噂 うわさ を聞 き いた近所 きんじょ の家 いえ から巫 みこ 儀 ぎ をお願 ねが いされ、良 よ い評判 ひょうばん が取 と れれば次第 しだい に客 きゃく が増 ふ えて知 し らず知 し らずのうちに一 いち 人前 にんまえ のユタが成立 せいりつ する[14] 。このようにユタとして独 ひと り立 だ ちした状態 じょうたい は道 みち あけ と呼 よ ばれる[16] 。しかし、カミダーリィ状態 じょうたい にあった人 ひと が、必 かなら ず道 みち あけするとは限 かぎ らない。道 みち あけは、霊的 れいてき 存在 そんざい から賦与 ふよ された能力 のうりょく を人々 ひとびと の救済 きゅうさい のために具体 ぐたい 的 てき に行使 こうし できるようになったことを意味 いみ するが、そこへ至 いた るのが容易 ようい ではないからである[17] 。カミダーリィにありながら道 みち あけできない状態 じょうたい にあることを「サバキキレナイ」状態 じょうたい と呼 よ ぶが、こうした道 みち あけできない人々 ひとびと は身内 みうち にユタや霊 れい 高 たか い(セジ ダカイ)人 ひと を持 も たないことが多 おお い[18] 。
以上 いじょう のような成 なり 巫 みこ 過程 かてい ため、イタコの「神 かみ 憑け」のような成 なり 巫 みこ 儀礼 ぎれい はおこなわれず、ユタの成立 せいりつ は入 にゅう 巫 みこ のけじめが見 み られないという特徴 とくちょう がある[14] [注 ちゅう 6] 。
これらユタとなった者 もの の多 おお くは、その生涯 しょうがい において不遇 ふぐう な経験 けいけん をしている。リーブラ(William P. Lebra)は結婚 けっこん の失敗 しっぱい ・家庭 かてい 内 ない 不和 ふわ ・数 すう 度 ど の離婚 りこん などの経験 けいけん を報告 ほうこく し[19] 、桜井 さくらい 徳太郎 とくたろう はこれらに加 くわ え医者 いしゃ にかかっても癒らない性 せい の悪 わる い腹 はら 障 ざわ り・頭痛 ずつう ・喘息 ぜんそく ・神経痛 しんけいつう などの発症 はっしょう をあげている[7] 。佐々木 ささき 宏 ひろし 幹 みき は、リーブラがあげる家族 かぞく の人間 にんげん 関係 かんけい における相克 そうこく ・葛藤 かっとう 、桜井 さくらい 徳太郎 とくたろう があげる身体 しんたい 的 てき 異常 いじょう が、多 おお くの場合 ばあい カミダーリィ前後 ぜんこう に併行 へいこう し複 ふく 合 ごう 化 か して現出 げんしゅつ すると述 の べ、この事例 じれい として宮古島 みやこじま 市 し [注 ちゅう 7] の男性 だんせい の場合 ばあい をあげている。彼 かれ は失恋 しつれん などの後 のち にノイローゼ 症状 しょうじょう と医者 いしゃ に診断 しんだん されたが、彼 かれ の姉 あね は「神 かみ の道 みち へ入 い れと言 い う知 し らせであり、入 はい らないと生命 せいめい にかかわる」と述 の べ、そのうち身体 しんたい に異常 いじょう をきたして彼 かれ 自身 じしん もカミダーリィを自覚 じかく したことが紹介 しょうかい されている[20] 。
さらに佐々木 ささき 宏 ひろし 幹 みき は、離婚 りこん によって夢 ゆめ と不眠 ふみん に悩 なや まされ、ユタの判断 はんだん (ハンジ)によって異常 いじょう 行動 こうどう に拍車 はくしゃ がかかり、加 くわ えて親族 しんぞく 知人 ちじん からサーダカンマリであるとの刻印 こくいん を押 お されて「仕方 しかた がないからユタにならざるを得 え ない」と思 おも っているカミダーリィの女性 じょせい を例 れい にあげ、このような人々 ひとびと が多数 たすう いるとも述 の べている[15] 。
ユタは入 にゅう 巫 みこ や成 なり 巫 みこ の過程 かてい で創出 そうしゅつ した特殊 とくしゅ な神 かみ を奉 ほう じ、それが生涯 しょうがい にわたる守護神 しゅごじん として信仰 しんこう の対象 たいしょう となる[5] 。
ユタはこの神霊 しんれい の名 な において精霊 せいれい の世界 せかい の1分野 ぶんや に即応 そくおう する巫 みこ 儀 ぎ の執行 しっこう 者 しゃ となる。い換 いか えればユタごとに、それぞれ管掌 かんしょう する専門 せんもん 領域 りょういき が限定 げんてい され、先祖 せんぞ の系統 けいとう を捜 さが すのが得意 とくい なユタ、死 し んで間 あいだ もない人 ひと についての判断 はんだん (ハンジ)が得意 とくい なユタなど、その専門 せんもん 分野 ぶんや が分 わ かれている[5] 。
ユタは神 かみ の存在 そんざい と力 ちから 能 のう を強調 きょうちょう するが、その構成 こうせい 内容 ないよう は神道 しんとう の神 かみ であったり、十二支 じゅうにし の神 かみ であったり、祖 そ 霊 れい 、死霊 しりょう 、精霊 せいれい であったりする。ユタは自 みずか らに憑依 ひょうい する霊的 れいてき 存在 そんざい が祖 そ 霊 れい ・死霊 しりょう ・精霊 せいれい のいずれであるかは重視 じゅうし しないと言 い う超 ちょう 自然 しぜん 観 かん を持 も つが、神 かみ 観念 かんねん の曖昧 あいまい 性 せい がその影響 えいきょう 度 ど を低下 ていか させることもないようである[21] 。桜井 さくらい 徳太郎 とくたろう は那覇 なは 市 し [注 ちゅう 8] に在住 ざいじゅう するユタの巫 みこ 家 か (ユタヌヤー)の様子 ようす を報告 ほうこく しているが、その神棚 かみだな (カンタナ)にはミフシ と呼 よ ばれる守護神 しゅごじん の図像 ずぞう が掲 かか げられていた。卯 う 年 ねん 生 う まれのこのユタは文殊 もんじゅ 菩薩 ぼさつ がミフシであったが、ミフシは十二支 じゅうにし の生 う まれ年 ねん に即応 そくおう して決 き められているので、他 た の年 とし の生 う まれであれば千手観音 せんじゅかんのん などがミフシとされる[22] 。
ユタの能力 のうりょく はオカルティックであり、その実在 じつざい を裏付 うらづ ける科学 かがく 的 てき 根拠 こんきょ はないため、ユタを騙 かた って金儲 かねもう けをする者 もの が後 こう を絶 た たなかった(現在 げんざい も多数 たすう 存在 そんざい する)。また一方 いっぽう で、在野 ざいや のシャーマンであるユタは日常 にちじょう 的 てき に人々 ひとびと と神 かみ を親 した しくする存在 そんざい であり、中央 ちゅうおう 集権 しゅうけん や体制 たいせい 強化 きょうか 、近代 きんだい 化 か を進 すす めたい支配 しはい 階層 かいそう は、ユタの存在 そんざい を脅威 きょうい や障害 しょうがい と捉 とら えることが多 おお かった。そのため、時 とき の権力 けんりょく 層 そう から「後進 こうしん 的 てき な存在 そんざい であり、世間 せけん を惑 まど わす」として、幾度 いくど も弾圧 だんあつ 、摘発 てきはつ を受 う けている。主 おも なものは以下 いか 。
琉球 りゅうきゅう 王国 おうこく 行政 ぎょうせい 官 かん の蔡温 によるユタ禁止 きんし 令 れい
明治 めいじ 期 き の自治体 じちたい レベルでのユタ禁止 きんし 令 れい
大正 たいしょう 期 き の「ユタ征伐 せいばつ 」運動 うんどう
昭和 しょうわ 10年代 ねんだい の戦時 せんじ 体制 たいせい 下 か のユタ弾圧 だんあつ
これらの時代 じだい 、ユタは違法 いほう 的 てき 存在 そんざい として警察 けいさつ 力 りょく に拘束 こうそく 、抑留 よくりゅう されるなどしている。
これらの受難 じゅなん の時代 じだい を経 へ て現在 げんざい もなおユタは存続 そんぞく しているが、ユタにまつわる事件 じけん は今 いま も起 お こっている[23] 。
ユタを求 もと める人 ひと の多 おお くは精神 せいしん 的 てき に弱 よわ っていたり、問題 もんだい を抱 かか えて困 こま っている。そのため、敢 あ えて不安 ふあん を煽 あお るような事 こと を言 い い、お金 かね を騙 だま し取 と るユタもいる。いわゆる霊感 れいかん 商法 しょうほう の一 いち 面 めん も持 も っている。そのため沖縄 おきなわ には「ユタコーヤーヤ、チュオーラセー(ユタを買 か う人 ひと は、人々 ひとびと を争 あらそ わせる人 ひと である)」という言葉 ことば もあり、ユタを買 か う行為 こうい 自体 じたい が問題 もんだい の元 もと となる事 こと もある。
堀 ほり 一郎 いちろう によれば、シャーマニズムとシャーマンの概念 がいねん は学者 がくしゃ によって異 こと なる定義 ていぎ づけがなされ、諸 しょ 学者 がくしゃ 間 あいだ に一致 いっち した見解 けんかい は現状 げんじょう もたれていない[24] 。桜井 さくらい 徳太郎 とくたろう もこれと同様 どうよう のことを述 の べている[25] 。そこで、本節 ほんぶし ではユタが成 なり 巫 みこ 過程 かてい とトランス状態 じょうたい の内容 ないよう 面 めん から見 み た場合 ばあい 、どのように分類 ぶんるい されるかを以下 いか にあげる。
その成 なり 巫 みこ 過程 かてい から見 み た場合 ばあい 、ユタは召命型 がた シャーマン とされる。召命型 がた シャーマンとは、ある日 ひ 突然 とつぜん に神霊 しんれい が憑依 ひょうい し、その召命によって入 にゅう 巫 みこ するシャーマンである。これに対 たい しイタコなどは師 し 巫 みこ に弟子 でし 入 い りし、修行 しゅぎょう の後 のち 、神 かみ 憑けのイニシエーションを経 へ て一 いち 人前 にんまえ の成 なり 巫 みこ になる修行 しゅぎょう (学習 がくしゅう )型 がた シャーマンと言 い える[1] 。桜井 さくらい 徳太郎 とくたろう は、シャーマンになるための入 にゅう 巫 みこ 動機 どうき が、生計 せいけい を立 た てるためとか、世襲 せしゅう 継承 けいしょう の原理 げんり に基 もと づくとかにあるのではなく、心身 しんしん 異常 いじょう の巫 みこ 病 びょう に罹 かか り、苦悩 くのう のすえ神霊 しんれい の召命を受 う けてそれを克服 こくふく し、ついにシャーマンへと成 なり 巫 みこ する、という過程 かてい が最 もっと も自然 しぜん なシャーマン的 てき プロセスであるとするなら、沖縄 おきなわ のシャーマンはその典型 てんけい 的 てき タイプであると述 の べている[1] 。
トランス状態 じょうたい の内容 ないよう 面 めん から見 み た場合 ばあい 、ユタはポゼッション型 がた (憑依 ひょうい 型 がた )シャーマン とされる。佐々木 ささき 宏 ひろし 幹 みき は、マッカロック(J.A.MacCulloch)、エリアーデ 、ファース(Raymond Firth )のシャーマンの規定 きてい が「トランス状態 じょうたい になり得 え る人物 じんぶつ である」と言 い う点 てん で一致 いっち していることに着目 ちゃくもく し、トランスの内容 ないよう からシャーマンの霊魂 れいこん が体 からだ の外 そと にでるエクスタシー型 がた (脱 だつ 魂 たましい もしくは脱 だつ 我 が 型 がた )と、外部 がいぶ の精霊 せいれい がシャーマンの肉体 にくたい に憑依 ひょうい するポゼッション型 がた (憑依 ひょうい 型 がた )に分類 ぶんるい した。この分類 ぶんるい では、ユタは典型 てんけい 的 てき なポゼッション型 がた シャーマンであると佐々木 ささき 宏 ひろし 幹 みき は述 の べている[26] 。
ボクとおば~のフシギな話 はなし 1 (ボーダーコミックス)
^ 根 ね 神 しん (ニーガン)の教権 きょうけん が祝 しゅく 女 おんな に移 うつ り、やがて祝 しゅく 女 おんな の教権 きょうけん も聞得大君 おおきみ を頂点 ちょうてん とした中央 ちゅうおう 集権 しゅうけん 体制 たいせい に組織 そしき 化 か されていく過程 かてい は 『琉球 りゅうきゅう 宗教 しゅうきょう 史 し の研究 けんきゅう 』1965年 ねん に詳 くわ しく述 の べられている。
^ サーダカウマリ とも表記 ひょうき される。
^ サーダカの語源 ごげん は「灼(あら)たか」の異 い 読で、霊験 れいけん を有 ゆう する人 ひと や状態 じょうたい を意味 いみ する。「性 せい 」や「高 こう 」という表記 ひょうき を用 もち いるのは後世 こうせい の誤解 ごかい に基 もと づく当 あ て字 じ である。
^ 『シャーマニズムの世界 せかい 』1992年 ねん 「第 だい 1部 ぶ 憑霊 1 人 にん 間 あいだ 苦 く と憑霊のあいだ - カリスマ的 てき 職能 しょくのう 者 しゃ 誕生 たんじょう の心理 しんり と論理 ろんり - カミダーリィの発現 はつげん 」で、佐々木 ささき 宏 ひろし 幹 みき はカミダーリィ を神 かみ 祟 たた り と訳 やく している。また、桜井 さくらい 徳太郎 とくたろう はターリィを標準 ひょうじゅん 語 ご の「祟 たた り(タタリ)」と同 おな じ語源 ごげん とみることに関 かん し、もしタタリと同 どう 源 みなもと だとすると、今日 きょう では頻 しき りと災害 さいがい や禍 わざわい 厄 やく を下 くだ す場合 ばあい のみに用 もち いる祟 たた りが、元来 がんらい はカミの示現 じげん を意味 いみ した言葉 ことば であったことの原点 げんてん にかえってみて、ターリィこそまさにタタリの古 こ 態 たい を最 もっと も的確 てきかく に現 あらわ していると述 の べている。『桜井 さくらい 徳太郎 とくたろう 著作 ちょさく 集 しゅう 6 日本 にっぽん シャマニズムの研究 けんきゅう 下 か ‐ 構造 こうぞう と機能 きのう ‐』1988年 ねん 「第 だい 7章 しょう 召名巫 みこ の生態 せいたい と入 にゅう 巫 みこ ‐沖縄 おきなわ のユタ‐ 第 だい 3節 せつ ユタの成 なり 巫 みこ 過程 かてい 」の脚注 きゃくちゅう (9)より。
^ あるいは請求 せいきゅう という単語 たんご があてられる。
^ 福田 ふくだ 晃 あきら の調査 ちょうさ では、「ボンダテ」という成 なり 巫 みこ 式 しき が存在 そんざい するとされる。“成 なり 巫 みこ 儀礼 ぎれい と神 かみ 口 こう ・神 かみ 語 かた り―宮古 みやこ カンカカリヤーをめぐって― ” (PDF). 福田 ふくだ 晃 あきら (文学 ぶんがく 博士 はかせ ・立命館大学 りつめいかんだいがく 名誉 めいよ 教授 きょうじゅ ). 2023年 ねん 4月 がつ 17日 にち 閲覧 えつらん 。
^ 原文 げんぶん では平良 たいら 市 し 。平良 たいら 市 し は2005年 ねん 10月 がつ 1日 にち に町村 ちょうそん 合併 がっぺい で宮古島 みやこじま 市 し となった。
^ 原文 げんぶん では首 くび 里 さと 市 し 。首 くび 里 さと 市 し は1954年 ねん 9月 がつ 1日 にち に那覇 なは 市 し と合併 がっぺい した。
^ a b c 『桜井 さくらい 徳太郎 とくたろう 著作 ちょさく 集 しゅう 6 日本 にっぽん シャマニズムの研究 けんきゅう 下 か ‐ 構造 こうぞう と機能 きのう ‐』1988年 ねん 「第 だい 7章 しょう 召名巫 みこ の生態 せいたい と入 にゅう 巫 みこ ‐沖縄 おきなわ のユタ‐ はじめに‐召名巫 みこ のユタ‐」より。
^ 『桜井 さくらい 徳太郎 とくたろう 著作 ちょさく 集 しゅう 6 日本 にっぽん シャマニズムの研究 けんきゅう 下 か ‐ 構造 こうぞう と機能 きのう ‐』1988年 ねん 「第 だい 7章 しょう 召名巫 みこ の生態 せいたい と入 にゅう 巫 みこ ‐沖縄 おきなわ のユタ‐ 第 だい 1節 せつ 沖縄 おきなわ のシャーマン‐ユタとユタマンチャー‐ 1 女性 じょせい 神 かみ 役 やく と民間 みんかん 巫女 ふじょ 」より。
^ 『桜井 さくらい 徳太郎 とくたろう 著作 ちょさく 集 しゅう 6 日本 にっぽん シャマニズムの研究 けんきゅう 下 か ‐ 構造 こうぞう と機能 きのう ‐』1988年 ねん 「第 だい 7章 しょう 召名巫 みこ の生態 せいたい と入 にゅう 巫 みこ ‐沖縄 おきなわ のユタ‐ 第 だい 3節 せつ ユタの成 なり 巫 みこ 過程 かてい 」より。
^ a b 『桜井 さくらい 徳太郎 とくたろう 著作 ちょさく 集 しゅう 6 日本 にっぽん シャマニズムの研究 けんきゅう 下 か ‐ 構造 こうぞう と機能 きのう ‐』1988年 ねん 「第 だい 7章 しょう 召名巫 みこ の生態 せいたい と入 にゅう 巫 みこ ‐沖縄 おきなわ のユタ‐ 第 だい 1節 せつ 沖縄 おきなわ のシャーマン‐ユタとユタマンチャー‐ 4 ユタマンチャーの出現 しゅつげん 」より。
^ a b c d e 『桜井 さくらい 徳太郎 とくたろう 著作 ちょさく 集 しゅう 6 日本 にっぽん シャマニズムの研究 けんきゅう 下 か ‐ 構造 こうぞう と機能 きのう ‐』1988年 ねん 「第 だい 7章 しょう 召名巫 みこ の生態 せいたい と入 にゅう 巫 みこ ‐沖縄 おきなわ のユタ‐ 第 だい 2節 せつ ユタの社会 しゃかい 的 てき 役割 やくわり 2 地域 ちいき 社会 しゃかい での機能 きのう 」より。
^ a b 『桜井 さくらい 徳太郎 とくたろう 著作 ちょさく 集 しゅう 6 日本 にっぽん シャマニズムの研究 けんきゅう 下 か ‐ 構造 こうぞう と機能 きのう ‐』1988年 ねん 「第 だい 7章 しょう 召名巫 みこ の生態 せいたい と入 にゅう 巫 みこ ‐沖縄 おきなわ のユタ‐ 第 だい 1節 せつ 沖縄 おきなわ のシャーマン‐ユタとユタマンチャー‐ 3 ユタの成立 せいりつ 」より。
^ a b c d 『桜井 さくらい 徳太郎 とくたろう 著作 ちょさく 集 しゅう 6 日本 にっぽん シャマニズムの研究 けんきゅう 下 か ‐ 構造 こうぞう と機能 きのう ‐』1988年 ねん 「第 だい 7章 しょう 召名巫 みこ の生態 せいたい と入 にゅう 巫 みこ ‐沖縄 おきなわ のユタ‐ 第 だい 3節 せつ ユタの成 なり 巫 みこ 過程 かてい 1 ユタ成立 せいりつ の要件 ようけん 」より。
^ 『琉球 りゅうきゅう 史 し 辞典 じてん 』1969年 ねん より。
^ 伊波 いは 普猷 ふゆう 「ユタの歴史 れきし 的 てき 研究 けんきゅう 」より。「ユタの歴史 れきし 的 てき 研究 けんきゅう 」は『伊波 いは 普猷 ふゆう 全集 ぜんしゅう 第 だい 9巻 かん 』1975年 ねん の「民俗 みんぞく 論考 ろんこう 」に所収 しょしゅう されている。
^ 『シャーマニズムの世界 せかい 』1992年 ねん 「第 だい 2部 ぶ シャーマン 5 祭司 さいし ・シャーマン・王 おう シャーマン王 おう と祭司 さいし 王 おう 」より。
^ a b 『桜井 さくらい 徳太郎 とくたろう 著作 ちょさく 集 しゅう 6 日本 にっぽん シャマニズムの研究 けんきゅう 下 か ‐ 構造 こうぞう と機能 きのう ‐』1988年 ねん 「第 だい 7章 しょう 召名巫 みこ の生態 せいたい と入 にゅう 巫 みこ ‐沖縄 おきなわ のユタ‐ 第 だい 2節 せつ ユタの社会 しゃかい 的 てき 役割 やくわり 1 依頼 いらい の条件 じょうけん 」より。
^ a b c 『桜井 さくらい 徳太郎 とくたろう 著作 ちょさく 集 しゅう 6 日本 にっぽん シャマニズムの研究 けんきゅう 下 か ‐ 構造 こうぞう と機能 きのう ‐』1988年 ねん 「第 だい 7章 しょう 召名巫 みこ の生態 せいたい と入 にゅう 巫 みこ ‐沖縄 おきなわ のユタ‐ 第 だい 3節 せつ ユタの成 なり 巫 みこ 過程 かてい 2 サーダカンマリ(saadaka?Nmari)」より。
^ a b 『桜井 さくらい 徳太郎 とくたろう 著作 ちょさく 集 しゅう 6 日本 にっぽん シャマニズムの研究 けんきゅう 下 か ‐ 構造 こうぞう と機能 きのう ‐』1988年 ねん 「第 だい 7章 しょう 召名巫 みこ の生態 せいたい と入 にゅう 巫 みこ ‐沖縄 おきなわ のユタ‐ 第 だい 3節 せつ ユタの成 なり 巫 みこ 過程 かてい 3 カミダーリィ(Kamidaarii)」より。
^ a b c d 『桜井 さくらい 徳太郎 とくたろう 著作 ちょさく 集 しゅう 6 日本 にっぽん シャマニズムの研究 けんきゅう 下 か ‐ 構造 こうぞう と機能 きのう ‐』1988年 ねん 「第 だい 7章 しょう 召名巫 みこ の生態 せいたい と入 にゅう 巫 みこ ‐沖縄 おきなわ のユタ‐ 第 だい 3節 せつ ユタの成 なり 巫 みこ 過程 かてい 4 イニシエーションの過程 かてい 」より。
^ a b 『シャーマニズムの世界 せかい 』1992年 ねん 「第 だい 2部 ぶ シャーマン 6 シャーマンと夢 ゆめ イニシエーション的 てき 夢 ゆめ の心理 しんり - 社会 しゃかい 的 てき 背景 はいけい について」より。
^ 『シャーマニズムの世界 せかい 』1992年 ねん 「第 だい 1部 ぶ 憑霊 1 人 にん 間 あいだ 苦 く と憑霊のあいだ - カリスマ的 てき 職能 しょくのう 者 しゃ 誕生 たんじょう の心理 しんり と論理 ろんり - 」の脚注 きゃくちゅう (9)より。
^ 『シャーマニズムの世界 せかい 』1992年 ねん 「第 だい 2部 ぶ シャーマン 4 霊的 れいてき 存在 そんざい とシャーマン シャーマン化 か とシャーマン儀礼 ぎれい 」より。
^ 『シャーマニズムの世界 せかい 』1992年 ねん 「第 だい 1部 ぶ 憑霊 1 人 にん 間 あいだ 苦 く と憑霊のあいだ - カリスマ的 てき 職能 しょくのう 者 しゃ 誕生 たんじょう の心理 しんり と論理 ろんり - 「カミダーリィ」から「ユタ」へ」より。
^ 『沖縄 おきなわ の宗教 しゅうきょう と社会 しゃかい 構造 こうぞう 』1974年 ねん より。
^ 『シャーマニズムの世界 せかい 』1992年 ねん 「第 だい 1部 ぶ 憑霊 1 人 にん 間 あいだ 苦 く と憑霊のあいだ - カリスマ的 てき 職能 しょくのう 者 しゃ 誕生 たんじょう の心理 しんり と論理 ろんり - カミダーリィと人間 にんげん 苦 く 」より。
^ 『シャーマニズムの世界 せかい 』1992年 ねん 「第 だい 1部 ぶ 憑霊 1 人 にん 間 あいだ 苦 く と憑霊のあいだ - カリスマ的 てき 職能 しょくのう 者 しゃ 誕生 たんじょう の心理 しんり と論理 ろんり - 神霊 しんれい 観 かん -人間 にんげん 苦 く -カミダーリィ」より。
^ 『桜井 さくらい 徳太郎 とくたろう 著作 ちょさく 集 しゅう 6 日本 にっぽん シャマニズムの研究 けんきゅう 下 か ‐ 構造 こうぞう と機能 きのう ‐』1988年 ねん 「第 だい 8章 しょう 巫 みこ 俗 ぞく の実 じつ 修 おさむ 第 だい 1節 せつ ハンジの実 じつ 修 おさむ 2 ユタヌヤー(巫 みこ 堂 どう )の様子 ようす 」より。
^ 「沖縄 おきなわ に5000人 にん いる!霊媒 れいばい 師 し 「ユタ」って何 なに ? お祓 はら い中 ちゅう 、中学生 ちゅうがくせい 5人 にん 体調 たいちょう 不良 ふりょう で病院 びょういん へ 」『夕刊 ゆうかん フジ 』2008年 ねん 10月 がつ 27日 にち 。2008年 ねん 10月 がつ 28日 にち 閲覧 えつらん 。オリジナル の2009年 ねん 9月 がつ 13日 にち 時点 じてん におけるアーカイブ。
^ 『日本 にっぽん のシャーマニズム』1971年 ねん 「2 聖 ひじり の領域 りょういき に入 はい る - シャーマニズムとは何 なに か - 1 エクスタシー シャーマンの一般 いっぱん 的 てき 特色 とくしょく 」より。
^ 『桜井 さくらい 徳太郎 とくたろう 著作 ちょさく 集 しゅう 6 日本 にっぽん シャマニズムの研究 けんきゅう 下 か ‐ 構造 こうぞう と機能 きのう ‐』1988年 ねん 「第 だい 7章 しょう 召名巫 みこ の生態 せいたい と入 にゅう 巫 みこ ‐沖縄 おきなわ のユタ‐ 第 だい 3節 せつ ユタの成 なり 巫 みこ 過程 かてい 」の脚注 きゃくちゅう (3)より。
^ 『シャーマニズムの世界 せかい 』1992年 ねん 「第 だい 2部 ぶ シャーマン 10 シャーマニズムとは何 なに か エクスタシーの類型 るいけい 」より。
^ FE ファーイースト 公式 こうしき サイト at Archive.is (archived 2013-07-02)
^ “『西郷 さいごう どん』19話 わ 、心 しん を開 ひら き始 はじ める吉之助 よしのすけ とぅまとの仲 なか にも変化 へんか が… ”. クランクイン!- エンタメの「今 いま 」がわかる 映画 えいが &エンタメニュースサイト (2018年 ねん 5月 がつ 19日 にち ). 2023年 ねん 8月 がつ 4日 にち 閲覧 えつらん 。
(原著 げんちょ Lebra, William P (1966). Okinawan Religion - Belief, Ritual and Social Structure . Honolulu, Hawaii: University of Hawaii Press )
伊波 いは 普猷 ふゆう 『伊波 いは 普猷 ふゆう 全集 ぜんしゅう 第 だい 9巻 かん 』平凡社 へいぼんしゃ 〈伊波 いは 普猷 ふゆう 全集 ぜんしゅう 〉、1975年 ねん 11月。
桜井 さくらい 徳太郎 とくたろう 『桜井 さくらい 徳太郎 とくたろう 著作 ちょさく 集 しゅう 6 日本 にっぽん シャマニズムの研究 けんきゅう 下 か ‐ 構造 こうぞう と機能 きのう ‐』吉川弘文館 よしかわこうぶんかん 〈桜井 さくらい 徳太郎 とくたろう 著作 ちょさく 集 しゅう 〉、1988年 ねん 3月 がつ 。ISBN 4-642-07340-X 。
『日本 にっぽん シャマニズムの研究 けんきゅう 下 か 』には『沖縄 おきなわ のシャマニズム』より抜粋 ばっすい したものが掲載 けいさい されている。このため、両 りょう 書 しょ で内容 ないよう が同 おな じものについては、『日本 にっぽん シャマニズムの研究 けんきゅう 下 か 』を本 ほん 記事 きじ の出典 しゅってん とした。