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レイ・オブ・ライト (マドンナのきょく)

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
「レイ・オブ・ライト」
マドンナシングル
初出しょしゅつアルバム『レイ・オブ・ライト
リリース
録音ろくおん 1997ねん
ジャンル EDM
時間じかん
レーベル マーヴェリック/ワーナー・ブラザース・レコード
作詞さくし作曲さっきょく マドンナ、ウィリアム・オービット、カーティス・マドゥーン
プロデュース マドンナ、ウィリアム・オービット
マドンナ シングル 年表ねんぴょう
フローズン
(1998ねん)
レイ・オブ・ライト
(1998ねん)
ドラウンド・ワールド
(1998ねん)
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レイ・オブ・ライト」(Ray of Light)は、アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくシンガーソングライターマドンナ楽曲がっきょく。7まいのスタジオアルバム『レイ・オブ・ライト』(1998)のタイトル・トラックであり、1998ねん4がつ27にちにマーヴェリック・レコードからアルバムのセカンド・シングルとしてリリースされた。ベスト・アルバムGHV2』(2001)と『セレブレイション 〜マドンナ・オールタイム・ベスト〜』(2009)にも収録しゅうろくされている。

楽曲がっきょくはマドンナ、ウィリアム・オービット、クライヴ・モルドゥーン、デイブ・カーティス、クリスティン・リーチによってかれ、マドンナとオービットがプロデュースした。楽曲がっきょくはカーティス・マドゥーンの「セフェリン」にもとづいており、きょくのジャンルとしてはテクノトランスユーロダンス、ディスコの要素ようそふくんだエレクトロニックダンス・ミュージック要素ようそがある。「レイ・オブ・ライト」は、おもにシンセサウンドと、エレキギターのリフで構成こうせいされており、楽曲がっきょく歌詞かし自由じゆうをテーマにしている。

このきょくはクラブによく似合にあうエレクトロニックなサウンド、歌詞かし、そして「エモーショナルなあたたかさ」をかんじさせること音楽おんがく評論ひょうろんからたか評価ひょうかあつめた。このきょくはグラミーしょう最優秀さいゆうしゅうレコードしょう最優秀さいゆうしゅうダンス・レコーディングしょう最優秀さいゆうしゅう短編たんぺんミュージックビデオしょうの3部門ぶもんにノミネートされ、そのうち後者こうしゃ2部門ぶもん受賞じゅしょうした。

「レイ・オブ・ライト」はBillboard Hot 100では5はつ登場とうじょうし、これまでのマドンナのシングルのはつ登場とうじょう順位じゅんいなかでは最高さいこうとなった。また、ダンス・クラブ・チャートでも1となった。世界せかいてきにもカナダ、フィンランド、イギリスでトップ5に到達とうたつし、ギリシャ、スコットランド、スペインでは1となっている。

ミュージック・ビデオは、ジョナス・アカーランド監督かんとくつとめ、マドンナはビデオのなか世界中せかいじゅうのさまざまな都市とし背景はいけいをバックにこのきょくうたっている。ビデオは非常ひじょうたか評価ひょうかされ、グラミーしょう最優秀さいゆうしゅう短編たんぺんミュージックビデオしょう受賞じゅしょうした。ほかにも1998ねんMTV Video Music Awardsでも5つのしょう受賞じゅしょうした。後年こうねん、ステファノ・サルヴァティは、1994ねんにビアージョ・アントナッチにけて監督かんとくしたミュージックビデオのコンセプトを盗用とうようされたとして彼女かのじょ非難ひなんしている。

このきょくはこれまでマドンナがおこなった3つのコンサート・ツアーでも演奏えんそうされ、そのなかでもThe Celebration Tour (2023ねん)がもっとあたらしい。楽曲がっきょくおおくのアーティストや大衆たいしゅう文化ぶんかげられ、ドラマ『Glee/グリー』や様々さまざま広告こうこくキャンペーンなどでも使用しようされている。

背景はいけいとリリース

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「The Celebration Tour」でこのきょくうたうマドンナ(2023ねん

1996ねん、マドンナはむすめのルルドを出産しゅっさんしたり、東方とうほう神秘しんぴ主義しゅぎカバラ興味きょうみったり、ミュージカル『エビータ』の映画えいがでは主演しゅえんつとめるなど、おおくの「人生じんせいえる出来事できごと」を経験けいけんした。1ねん彼女かのじょは7まいのスタジオ・アルバム『レイ・オブ・ライト』の制作せいさくかる。マドンナはアルバムのためにウィリアム・オービット、パトリック・レナード、リック・ノウェルズ、ベイビーフェイスらと一緒いっしょきょくいた[1]。このアルバムは彼女かのじょ人生じんせいこった変化へんか反映はんえいしたものとなっている。著者ちょしゃのキャロル・ベンソンはアルバムが「とても精神せいしんてきなダンス・レコード」であり、それらは彼女かのじょのキャリア、たび、そしてアイデンティティがベースになっているであろうと推定すいていした。子供こどもんでそだてるということ彼女かのじょ感情かんじょうをよりマイルドなものにし、それがうた反映はんえいされている。彼女かのじょのアイデアとしてはこれまでのダンスナンバーよりよりふかく、パーソナルなものにしたいとかたっていた[2]

マーヴェリック・レコードでマドンナのマネージャーをつとめるガイ・オセアリーがウィリアム・オービットに電話でんわをかけ、いくつかのきょくをマドンナにおくってしいと提案ていあんしたのち、オービットはアルバムのかくとしてふかかかわることとなった[3]かれは13きょくりのデジタルオーディオテープ(DAT)をマドンナにおくったが、「レイ・オブ・ライト」はそのなかいちきょくだった。楽曲がっきょく英国えいこくのフォークミュージック・デュオのカーティス・マドゥーンによるトラック「セフェリン」(1971)をベースにしている[4]。1996ねん、マルドゥーンのめいである英国えいこくのシンガーソングライター、クリスティン・リーチはデュオの作品さくひんはもちろん、そのなかでも「セフェリン」を大変たいへんにいっており、彼女かのじょのバージョンの「セフェリン」を録音ろくおんした、オービットはそのデモ制作せいさくかかわっており、そのさいかれんでいたメロディーのうえに「セフェリン」をかぶせたデモを録音ろくおんした。このときリーチはコーラスをなおし、もときょくからすうビットをのぞいている[4] [5]。オービットはそのきょくはリーチがきょくいたものとかんがえてDATにふくめていた[1]。そのDATにおさめられていたそのきょくいたマドンナは楽曲がっきょくり、あらたに歌詞かしなおして「レイ・オブ・ライト」を完成かんせいさせた [4]

楽曲がっきょくは1998ねん4がつ27にちにイギリスでアルバムからのセカンド・シングルとしてリリースされた。米国べいこくでは1998ねん6がつ23にちに、40,000のビデオ・シングルとともにリリースされた。カーチスは、マドンナが「セフェリン」を「レイ・オブ・ライト」として録音ろくおんしていることをラジオからながれてくる楽曲がっきょくいてはじめてった。かれは「しんじられなかった」とし、最初さいしょすこ腹立はらだたしくおもったものの、マドンナがかれ楽曲がっきょく使つかったこと満足まんぞくした[4]。またかれ楽曲がっきょくのソングライターの一人ひとりとしてった15%の使用しようりょうにも満足まんぞくしていた。この楽曲がっきょくのロイヤリティはマドンナが30%をり、そのの15%はマルドゥーンのエステートにあたえられ、のこりはマドンナのレコード会社かいしゃ獲得かくとくしている[6]。マドンナはこのきょくについて「もとのバージョンのながさは10ふんをはるかにえていた。わたしはそのバージョンが大好だいすきだった。しかし適度てきどきょくながさにカットすることになりそれは悲痛ひつうことだった」とべている。オリジナルのバージョンは『ベロニカ・エレクトロニカ』というリミックス・アルバムに収録しゅうろくされる予定よていだったが、そのアルバムが結局けっきょくリリースされることかった [7] 。カーティスは2017ねん1がつ雑誌ざっし『オーストラリアン』のインタビューのなかで「セフェリン」のコンテンポラリー・ジャズ・バージョンを録音ろくおんしたことをかたっている[5]

レコーディング

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「レイ・オブ・ライト」は、1997ねんなかばにカリフォルニアしゅうノースハリウッドのLarrabee North Studioでアルバムのほか楽曲がっきょくとともに一緒いっしょ録音ろくおんされた。マスタリングはニューヨークのスターリング・スタジオでテッド・ジェンセンによっておこなわれた。そのDATにはニューヨークのマドンナのいえおこなわれたデモ・セッション、およびヒット・ファクトリー・スタジオで録音ろくおんされたきょく主要しゅよう部分ぶぶん収録しゅうろくされていた。楽曲がっきょく録音ろくおんされたシンセサウンドはRolandJuno-106でプレイされたもの。マドンナとオービットはロサンゼルスでドラマーえらびのセッションをおこなったが、上手うまくいかなかった。そこでオービットはかれにドラムサンプルをおくったFergus Gerrandに連絡れんらくった。オービットはかれらにReCycle!のような自動じどう編集へんしゅうソフトウェアを使用しようするわりに、かれ自身じしんワークステーションあたえ、それらをったものを使用しようした[8]

ほん楽曲がっきょくアシッドエレクトロニカのスタイルに影響えいきょうけている[9]。マドンナの伝記でんきいた作家さっかルーシー・オブライエンによると、オービットはマドンナが彼女かのじょのダンスミュージックのルーツにかかわってより電子でんしてきなサウンドをもとめるのにたいし、トラックに感覚かんかくてき雰囲気ふんいきつくことこたえたとしている[9] [10] 。Musicnotes.comが発行はっこうしている楽譜がくふによると、きょく一般いっぱんてききょくながさに設定せっていされており、1ふんあたり126ビート適度てきどはやいグルーブのテンポだとされている。それはB メジャーのキーで構成こうせいされており、マドンナのボーカルは2オクターブとB 3からB 5までの1半音はんおんにまたがり、きょくわりちかくには高音こうおんびているとしている。楽曲がっきょくは、コード進行しんこうとしてB –E –B–E–B 基本きほんシーケンスを[11]

きょくはイギリスのオルタナティヴ・ロック・バンド、オアシス音楽おんがく匹敵ひってきするようなエレキギターのリフはじまる[12]。コードはたがいに調和ちょうわし、それは22秒間びょうかんつづ[13]つぎにテクノのメロディーがはじまり、メインのシンセサウンドが主要しゅよう音符おんぷなか振動しんどうし、 EQが低音ていおん高音こうおんあいだ移動いどうする[9][13]。「きのない」ビートには、ロックにインスパイアされたコードリフがともない、マドンナのこえのピッチはアルバムのほかのトラックよりもたかくなっている[13] [14]録音ろくおんちゅう、オービットはきょくのキーを歌手かしゅ限界げんかいよりも半音はんおんたかたもち、ボーカルに緊張きんちょうくわえた。「レコーディングの最中さいちゅう彼女かのじょはフラストレーションをかんじていたが、それは歌手かしゅ限界げんかい到達とうたつしてほしい意図いとがあった。きょくちゅう彼女かのじょこえがしゃがれたときにそれをいつわりなくこと出来できるだろう」とかれ回想かいそうした[9]最後さいごのコーラスのまえに、1970年代ねんだいのプロロックレコードを彷彿ほうふつとさせるシンセ・ソロがふたたびある。Rikky Rooksbyによるとこれは「セフェリン」のきょく起源きげんへのリンクだとしている [13]

歌詞かしとしてはトラックに見合みあったあかるいテーマをつ。マドンナによると宇宙うちゅうたいしての神秘しんぴてき見方みかたであり、自分じぶんたちは宇宙うちゅうくらべてどれほどちいさいかをあらわしている[1]。マドンナとしてはだれかがけてはじめて世界せかいときのような不思議ふしぎ気持きもちを歌詞かしとらえて表現ひょうげんしたかったとした[15]。マドンナはNMEなかで、宇宙うちゅうひろさのなかでのちいささをつたえたかったとかたった。また歌詞かし日常にちじょう生活せいかつひかりはやさのようにぎていくが、そこからして客観きゃっかんてき視点してんつめるということうたっている[16]

評価ひょうか

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「レイ・オブ・ライト」は音楽おんがく評論ひょうろんからたか評価ひょうかけた。アルバム全体ぜんたいのレビューでオールミュージックスティーヴン・トマス・アールワインきょくを「くらくらする」と表現ひょうげんした[17]。マキシCDシングルのレビューで、おなじウェブサイトのLiana Jonasはこのトラックを「ひどくいクラブソング」であり、「音響おんきょうてき進歩しんぽてきでありながらリスナーにやさしい」とひょうした。さら彼女かのじょはマドンナのボーカルをこれまでとくらべて「クラブの歌姫うたひめからてん女神めがみ」へ変化へんかしたと賞賛しょうさんした[18]Qのスチュアート・マッコニーは「タイトル・トラックは強烈きょうれつなレイブ・アンセムにまるでそぐわないようなアルペジオのギターがざり構築こうちくされている」と「レイ・オブ・ライト」のレビューのなかいている。さらに「するど音楽おんがくせいだがケミカル・ブラザーズ楽曲がっきょくよりあかるい」とも記述きじゅつ[19]

ビルボードのラリー・フリックは楽曲がっきょくをマドンナのベストだと表現ひょうげんし、「精神せいしんてきたかまった、おも詩的してきうた」とんだ。かれとく柔軟じゅうなんなボーカルとレコーディング・アーティストとしてのマドンナの進歩しんぽについて言及げんきゅうしている[20]ローリング・ストーンはアルバム全体ぜんたいのレビューのなかで、「スウィム」や「ドラウンド・ワールド」などといったほか楽曲がっきょくくらべ、ほん楽曲がっきょくなかでのマドンナは「積極せっきょくてき凶暴きょうぼう」にこえるといている[12] 。Slant MagazineのSal Cinquemaniはこのきょくは「おいの狂乱きょうらん」のようであるとして、マドンナの高揚こうようした歌声うたごえ言及げんきゅうした[21]。『GHV2』のレビューのなかで、Cinequemaniはつぎのようにいている。

最近さいきんヒットしたほかのマドンナの楽曲がっきょくとはことなり、「レイ・オブ・ライト」は、まるでおいの熱狂ねっきょうなかにマドンナがいるようだ。それがスピリチュアルなものであろうと音速おんそくてきなものであろうと、楽曲がっきょくからかんじる彼女かのじょ高揚こうようかんまぎれもないものである。オービットのアナログシンセとエレキギターのリックのサイクルは、マドンナのあたらしく訓練くんれんされた声帯せいたい弾力だんりょくせい完全かんぜん補完ほかんする役割やくわりたしている。それは「ディーパー・アンド・ディーパー」からのながれではじまったものとはちが[22]

スプートニク・ミュージックのレビュアーはこの楽曲がっきょくを『レイ・オブ・ライト』のアルバムのなかのおすすめのきょくとしてリストした[23]。オブライエンはこのトラックが「そらへの恍惚こうこつとした賛美さんび」であることにづいた[9]。AVクラブのスティーブン・トンプソンは「がったタイトルトラックは、当然とうぜんのスマッシュになるはずだ」とコメントした[24]。ボルティモア・サンのJDコンシジンは、「マドンナのあたらしいつよさは「レイ・オブ・ライト」のような躍動やくどうしたナンバーであきらかであり、そらたかがるようなコーラスはつかゆめはしのようだ」と記述きじゅつ[25]。デビッド・ブラウンはエンターテインメント・ウィークリーの『レイ・オブ・ライト』のレビューのなかでこのきょくを「サイレンのようなテクノグリッターボール」だと記述きじゅつした[26]。アイドレーターのスティーブン・シアーズはほん楽曲がっきょくふくめてアルバム全体ぜんたいでのマドンナのボーカルは「ゲームチェンジャー」だとべ、映画えいが『エビータ』の撮影さつえい期間きかんちゅうのボイストレーニングがもたらした影響えいきょうだとした。かれは「たしかに 「レイ・オブ・ライト」をディスコ・ヘヴンにげるのに聖歌せいかたい必要ひつようない」とべてレビューをめくくっている。マドンナは完璧かんぺきなタイミングで高音こうおんはっしており、3ふん27びょうや4ふん14びょうにそれは顕著けんちょだとした[27]。マドンナの60さい誕生たんじょう記念きねんしてガーディアンおこなわれた歴代れきだいシングルのランキングのなかでジュード・ロジャースはほん楽曲がっきょくを「もっとたのしいエレクトロニックポップシングルの1つ」とんだ[28]

チャート成績せいせき

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米国べいこくBillboard Hot 100では1998ねん7がつ11にちけのごう楽曲がっきょくが5はつ登場とうじょうしたと発表はっぴょうした。彼女かのじょはつ登場とうじょう順位じゅんいとしては当時とうじ史上しじょう最高さいこうであり、「あいをこえて」(1995)と「フローズン」(1998)で記録きろくした8上回うわまわった。楽曲がっきょくはマドンナにとっての37きょくとなるトップ40ヒットとなり、マドンナはコニー・フランシス記録きろくかしてHot 100でもっともトップ40にチャートインした女性じょせいになった[29]。「レイ・オブ・ライト」はHot 100に合計ごうけい20週間しゅうかんチャートインし、年末ねんまつチャートでは75にランクインした。このきょくはビルボードのダンス・クラブチャートのトップにも到達とうたつし、合計ごうけい4週間しゅうかんトップの位置いちとどまった。1998ねん9がつにはアメリカレコード協会きょうかい(RIAA)からゴールド認定にんていけ、全米ぜんべいで50まんまいのシングルを出荷しゅっか。カナダでは、RPMにて85でデビューし、8しゅうには3たっした[30]。チャートには合計ごうけい30週間しゅうかんインした[31]

オーストラリアでは1998ねん5がつ24にちに6はつ登場とうじょう最高さいこうもまた同様どうようであった。チャートには合計ごうけい17週間しゅうかんランクインし、オーストラリアレコード産業さんぎょう協会きょうかい(ARIA)からは35,000のシングルの出荷しゅっかでゴールド認定にんていけた。ARIAの年末ねんまつチャートでは、1998ねんのオーストラリアで57番目ばんめれたシングルとされた。ニュージーランドでは、RIANZシングルチャートの9はつ登場とうじょう最高さいこう順位じゅんい同様どうよう。チャートには合計ごうけい14週間しゅうかんランクイン。

イギリスでは1998ねん5がつ9にちに2はつ登場とうじょう、1おなしゅうにデビューしたオール・セインツの「アンダー・ザ・ブリッジ/レディ・マーマレード」だった[32]英国えいこくレコード産業さんぎょう協会きょうかい(BPI)は「レイ・オブ・ライト」にたいしてシルバー認定にんていさづけた。オフィシャル・チャート・カンパニーによると、楽曲がっきょくは2008ねん8がつ時点じてんで275,000まいげた [33]。ユーロチャートホット100では1998ねん5がつ16にちけで9はつ登場とうじょう[34]。ベルギーでは「Ray of Light」はフランデレンワロン両方りょうほう地域ちいきでそこそこ成功せいこうおさめ、フランデレンでは25、ワロンで33最高さいこうたっした。オランダでは45はつ登場とうじょうし、1998ねん5がつ16にちに22最高さいこう記録きろく、その位置いちに3週間しゅうかんとどまった。フィンランドでは2しゅう連続れんぞくで2記録きろくし、合計ごうけい5週間しゅうかんチャートインした。スウェーデンでは14最高さいこうであり、チャートには10週間しゅうかんものあいだとどまった。スイスの シュヴァイツァー・ヒットパラーデでは「レイ・オブ・ライト」は1998ねん5がつ24にちけでで最高さいこう32はつ登場とうじょう。スペインでは3しゅう連続れんぞくの1記録きろくした [35]

ミュージック・ビデオ

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「レイ・オブ・ライト」のミュージック・ビデオ監督かんとく過去かこ物議ぶつぎかもしたプロディジーの「スマック・マイ・ビッチ・アップ」(1997ねん)のクリップを監督かんとくしたジョナス・アカーランドつとめた[36]。マドンナは、モハーヴェ砂漠さばくまえのシングル「フローズン」のビデオを撮影さつえいしていたときからほん楽曲がっきょくのビデオについて計画けいかくてていた。「スマック・マイ・ビッチ・アップ」のビデオは当時とうじのマドンナのおりであり、それもあって彼女かのじょはアカーランドに監督かんとく依頼いらいした [37]。マドンナは、アルバムをつくるときは「たましいめる」とべているが、ミュージック・ビデオでは監督かんとくとの協力きょうりょくがはるかに重要じゅうようとなる。『レイ・オブ・ライト』のアルバムからのビデオでは、彼女かのじょはこれまでよりも新鮮しんせん表現ひょうげん、およびあらたなディレクターとのコラボレーションをもとめた。彼女かのじょはアカーランドの「特別とくべつはたらかた」がきで、電話でんわかれはなした。かれらの会話かいわは6かげつ以上いじょうつづき、ほとんどの時間じかんはビデオの最終さいしゅうてきなコンセプトをかんがすのについやされたものだった[38] [39]。アカーランドはスウェーデンの新聞しんぶんAftonbladetとのインタビューでつぎのようにべている。

わたしきょくわないアイデアを2つっていた。わたし彼女かのじょがどうビデオでうつるかについてのより明確めいかくなアイデアをっていても彼女かのじょはノーとった。わたしべつのアイデアにみ、それらをわせて彼女かのじょせた。わたし出来できることはすべてやった。(中略ちゅうりゃくかえってみると結果けっかてき最初さいしょのアイデアよりも楽曲がっきょくてきしたビデオがつくれたので気分きぶんい。マドンナはスタイル、音楽おんがく、ビジネス、どれにおいても素晴すばらしい軌道きどう辿たどってきた。彼女かのじょはすべてのことにくばり、自分じぶん自身じしん完全かんぜん満足まんぞくするまではけっしてあきらめない。そしてミュージック・ビデオのなかでの彼女かのじょは、片手間かたてま仕事しごとおこなことはなく、彼女かのじょは100パーセントのクオリティを証明しょうめいしたんだ [38]

マドンナはこのクリップについて「地球ちきゅうの1にちえがいており、1900年代ねんだいわりにけて全速力ぜんそくりょくいそいでいることをしめしている。ジョナスはわたしに2日間にちかんくるったようにおどらせたが、それはきょくたいしてのすぐれた解釈かいしゃくだったとおもう。かれはタフな監督かんとくだ」とかたった [38]。レビュアーはそれを1982ねんのアメリカの実験じっけん映画えいがコヤニスカッツィ』と比較ひかくした。コヤニスカッツィとは都市としタイムラプス映像えいぞうしめしたもの [40]。マドンナのシーンは、1998ねん3がつ25にちから26にちまで、ロサンゼルスのMTV/VH1スタジオで撮影さつえいされた。背景はいけいシーンは、ロサンゼルス、ニューヨーク、ロンドン、ラスベガス、ストックホルムなどのさまざまな都市とし撮影さつえいされた [36] [38]。ストックホルムで撮影さつえいされたテストショットはあくまでビデオのイメージをつたえるためにマドンナに提示ていじされたものだったが、ビデオで使用しようするのにもてきしているとなされた [41]

撮影さつえいちゅう、アカーランドにはスウェーデンじんの3にん従業じゅうぎょういん写真しゃしんのHenrik Halvarsson、プロダクションデザイナーのMattias Lindgren、編集へんしゅうしゃのMaxVitaliが同行どうこうした。また、マドンナのむすめルルドもセットにいた[38]。アカーランドは撮影さつえい翌日よくじつミック・ジャガーからローリング・ストーンズあたらしいミュージック・ビデオを監督かんとくするようびかけられたことをおもしたが、「レイ・オブ・ライト」のプロダクションに時間じかんがかかっていたためもう辞退じたいしなければならなかった[38]かれらは14日間にちかん以上いじょう撮影さつえいし、そのあいだかれは1だいくるま乗組のりくみいんせ、 35mmカメラのアングルを調整ちょうせいし、1まいずつそれらが撮影さつえいされるのをった [41]かれはずっとポケットにれなければならず、それはかれらが撮影さつえいしたすべてのフレームのすべての計画けいかくかれていた。10びょうごとに1フレームをキャプチャし、30ふんつづけてやく5びょう映像えいぞう取得しゅとく。その結果けっか「レイ・オブ・ライト」は、アカーランドのミュージック・ビデオとしては史上しじょう最長さいちょう撮影さつえい時間じかんとなった[40]。また、かれらはカメラをバスにけシーンをキャプチャするためにニューヨークをはしまわった[41]

マドンナは「フローズン」のビデオのあいだに、クリス・カニンガム監督かんとくとのわせのためかれ編集へんしゅうおこなっていたロンドンになんおこなったりたりした経験けいけんがあり、その工程こうていかえしたくなかったため、アカーランドにビデオはロサンゼルスで編集へんしゅうする必要ひつようがあると主張しゅちょうした。これはアカーランドとかれのチームが撮影さつえい期間きかんちゅう米国べいこくまなければならないことを意味いみした。かれらはホテルにみ、かえよう中華ちゅうか料理りょうりべ、クリップを完成かんせいさせた[38]。すべてのシーンが高速こうそくされたうえきょくながかったため、撮影さつえいしたすべての映像えいぞう実際じっさいのビデオになった[41]

ビデオは1998ねん5がつ12にちにMTVライブではつ公開こうかいされた[36]。ビデオはまず、太陽たいようのぼり、男性だんせいいえのカーテンをけるところからはじまる。「コヤニスカッツィ」にインスピレーションをたセクションにすすむまで、地下鉄ちかてつっているひともの注文ちゅうもんしているひと、ボウリングをしているひと教室きょうしつ子供こどもたち、高速こうそく道路どうろなど、日常にちじょう生活せいかつをタイムラプスで撮影さつえいした映像えいぞうつづく。それらを背景はいけいにマドンナがうたったりおどったりしている。日暮ひぐれのシーンがわると、マドンナがディスコおどっているシーンとなり、その彼女かのじょはダンスフロアでねむりにちるような素振そぶりをせ、ビデオは地球ちきゅう回転かいてんショットでわる。

1998ねん6がつ23にちにはWarner Music Visionから40,000限定げんていばんとしてシングルビデオがVHSでリリースされた。リリース翌月よくげつには7,381げ、ニールセンサウンドスキャン時代じだいのベストセラービデオシングルとなった[42]。ビルボードのミュージックビデオ販売はんばいチャートには合計ごうけい13週間しゅうかんチャートされた [43]。リリースの数日すうじつ、イタリアの監督かんとくステファノ・サルヴァティはマドンナとワーナー・レコード非難ひなんした。かれ監督かんとくしたビアージョ・アントナッチの1994ねんのシングル「Non è Mai Stato Subito」のコンセプトを盗用とうようしたとマーヴェリックにたいしてうったえをこした。 サルヴァティによるとかれのビデオのコピーは、「レイ・オブ・ライト」のビデオが撮影さつえいされるまえにマーヴェリックに提出ていしゅつされたが採用さいようされなかったとした。両方りょうほうのビデオの共通きょうつうこうとして歌手かしゅ背景はいけい高速こうそく画像がぞうもちいたことげられる。しかし、結局けっきょくかれ歌手かしゅ彼女かのじょ会社かいしゃうったえなかった[44]

「レイ・オブ・ライト」のビデオでマドンナはながいブロンドのかみとブロンズのボディをそなえた彼女かのじょあらたな「アース・マザー」ルックを披露ひろうしている [27] [45]。ジョージズ・クロード・ギルバートは、かれ著書ちょしょなかで、彼女かのじょ外見がいけんは、歌手かしゅアラニス・モリセットやベネチアの絵画かいがにも匹敵ひってきするといている。マドンナによると彼女かのじょはイタリアのルネサンスのような外見がいけんもとめ、画家がかのラファエロとボッティチェッリの作品さくひん参考さんこうにした[46]。ギルベールはそれが時代じだい精神せいしん調和ちょうわしたポストモダニズム対応たいおうしていることを発見はっけんし、それが彼女かのじょのイメージチェンジの1つにすぎないとべた。マドンナはこのルックにきて、そののアルバムからのシングルでは黒髪くろかみあたらしいルックを披露ひろうしたとされている[47] 。『 Ex-foliations:Reading Machines and the Upgrade Path』というほんなか著者ちょしゃのTerry Harpoldは、タイムラプスの演出えんしゅつについて「日常にちじょう生活せいかつ無益むえき生存せいぞんこころみとして描写びょうしゃしているとかんじ、子宮しきゅうない胎児たいじちょう音波おんぱ検査けんさとハムスターが車輪しゃりんうえはしっている様子ようすしめべつのショットをうつことによってそれは強調きょうちょうされている」とコメントした[48]SantiagoFouz-Hernándezは、ビデオのなかのマドンナを秘教ひきょうてきであると説明せつめいした [49] [50]。このビデオは、『ベスト・ヒット・コレクション 93-99』(1999)および『セレブレイション~マドンナ・オールタイム・ベストDVD』(2009)に収録しゅうろくされている[51] [52]

受賞じゅしょう評価ひょうか

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1999ねん、「レイ・オブ・ライト」はだい41かいグラミーしょう最優秀さいゆうしゅうダンス・レコーディングしょう最優秀さいゆうしゅう短編たんぺんミュージック・ビデオしょう受賞じゅしょうした。最優秀さいゆうしゅうレコードしょうにもノミネートされたが、セリーヌ・ディオンの「マイ・ハート・ウィル・ゴー・オン」にやぶれた[53] [54]。さらに Village Voiceは、Pazz&Jopの批評ひひょう投票とうひょうで1998ねんに4番目ばんめすぐれているとランクけした[55]。1999ねん米国べいこく作曲さっきょく作詞さくし出版しゅっぱんしゃ協会きょうかいではダンスソング部門ぶもんのトップを受賞じゅしょうした。おなねんのASCAPポップアワードでももっと演奏えんそうされたきょくのカテゴリーでしょう獲得かくとく[56] [57] 。1999ねんアイヴァー・ノヴェロしょうではインターナショナル・ヒット・オブ・ザ・イヤーのカテゴリーにノミネートした[58]

「レイ・オブ・ライト」は1990年代ねんだい最高さいこうきょくの1つとしてランクけされることもよくある[14]。 2003ねん、Qはほん楽曲がっきょくを「史上しじょう最高さいこうの1001きょく」のリストで609にランクけした[59]。2005ねん、このきょくはBlenderの「あなたがまれてからの最高さいこうきょく500せん」で401にランクけしている[60] 。Slant Magazineの「1990年代ねんだいのベストシングル」リストのなかでは16にランクインし、レビュアーはこのきょくについて「きのないビート」、「レイ・オブ・ライト」は「傑出けっしゅつしたシングル」であるとひょうした[14]ビルボードは「マドンナの最高さいこうきょくランキング」でほん楽曲がっきょくを5にランクけし「彼女かのじょかがやかしいキャリアのあたらしいしょうをマークした」とべた[61]ローリング・ストーンによる歌手かしゅのグレイテスト・ソング50のランキングでも、「レイ・オブ・ライト」が8にランクインし、雑誌ざっしのライターはマドンナの「これまでのマドンナの楽曲がっきょくなかもっと力強ちからづようたわれたボーカル」に注目ちゅうもくした[15]。2018ねん5がつ、ビルボードは1998ねんのトップソングをめるランキングのなかで「レイ・オブ・ライト」を9にランクけした。ジョー・リンチはこの楽曲がっきょくについて「ラジオにもっとたのしく、活気かっきにあふれ、人生じんせい肯定こうていするダンス・バンガーをあたえた。すうねんわた若手わかてとなえられていたが、39さいははがTOP40にふたたびチャートインしたこと最終さいしゅうてきにはふたた彼女かのじょった」としている。1かげつ、ガーディアンはほん楽曲がっきょくをマドンナの4番目ばんめすぐれたシングルとしてリストした[28]同様どうように、エンターテインメント.ウィークリーはほん楽曲がっきょく彼女かのじょの5番目ばんめ素晴すばらしいシングルとしてランクけした[62]

ミュージック・ビデオは1998ねんMTV Video Music Awardsで8つの部門ぶもんにノミネートされ、最終さいしゅうてきに5部門ぶもん最優秀さいゆうしゅうビデオしょう最優秀さいゆうしゅう女性じょせいビデオしょう最優秀さいゆうしゅうビデオディレクションしょう最優秀さいゆうしゅう編集へんしゅうしょう最優秀さいゆうしゅう振付ふりつけしょう)を獲得かくとくした。これは彼女かのじょのキャリアのなか当時とうじ最多さいたとなる[63]最優秀さいゆうしゅうビデオしょう受賞じゅしょうしたのははじめてであり、マドンナはMTVがビデオを評価ひょうかしたことたいして感謝かんしゃした[39]。インターナショナル・ダンス・ミュージック・アワードでは、最優秀さいゆうしゅうダンスビデオしょうのトロフィーを獲得かくとく[64]、マッチ・ミュージック・ビデオ・アワードでも、ベスト・インターナショナル・ビデオしょうのトロフィーを獲得かくとくした[65]。1998ねんのミュージックビデオ制作せいさく協会きょうかい式典しきてんでも受賞じゅしょうし、ベスト・ポップ・ビデオ・オブ・ザ・イヤーのカテゴリーを受賞じゅしょうした[66]。このビデオは、2006ねん8がつにチャンネルの25周年しゅうねん記念きねんしてMTVが発行はっこうした「ルールをやぶったビデオトップ10」のランキング上位じょういにランクインした[67]。2016ねん、 ローリング・ストーンはBilge Ebiriとともに、「マドンナの20の最高さいこうのビデオ」のランキングでほん楽曲がっきょくを2にランクけし、「マドンナがVMAを受賞じゅしょうするためのエレクトロニカの大胆だいたん抱擁ほうよう」とんだ[40]

ライヴ・パフォーマンス

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「The Celebration Tour」でこのきょくうたうマドンナ(2023ねん

1998ねん2がつ、マドンナはアルバムを宣伝せんでんするためにロキシーNYCナイトクラブでおこなわれたサプライズ・コンサートちゅうに「レイ・オブ・ライト」をはつ披露ひろうした[68] 。3かげつ彼女かのじょオプラ・ウィンフリー・ショー出演しゅつえんし、アルバムきょくの「リトル・スター」と一緒いっしょほん楽曲がっきょく披露ひろうした[69] 。1998ねんMTV Video Music Awardsでは黒髪くろかみサリーけたマドンナがまず「シャンティ/アシュタンギ」を披露ひろう、そのレニー・クラヴィッツがギターをいて登場とうじょうし、「レイ・オブ・ライト」をうたった。世界せかいヴィシュヌ協会きょうかい(WVA)とばれる宗教しゅうきょう団体だんたいは、彼女かのじょあたまヒンドゥーきょうのシンボルをけてったパフォーマンスでヒンドゥー教徒きょうとおこらせたと主張しゅちょう協会きょうかいのスポークスパーソンは、マーク(オームばれる)は純潔じゅんけつ調和ちょうわ純粋じゅんすいさの象徴しょうちょうであり、「かみへの献身けんしん」をしめすように設計せっけいされているとべた。代表だいひょうしゃはまた、マドンナが性行為せいこういをシミュレートし、マークをけたままステージじょうでシースルーのタンクトップを着用ちゃくようしたため、ヒンズー教徒きょうととヨギ教徒きょうと両方りょうほうおこらせたとべた [70]。マドンナの広報こうほうは、彼女かのじょ侮辱ぶじょく意図いとく、なぜWVAが動揺どうようしたのか理解りかいしていなかったとべた[70]。しかし、WVAのふく社長しゃちょうは、「世界中せかいじゅうのヒンズー教徒きょうとのコミュニティと東部とうぶ精神せいしんてき探求たんきゅうしゃは、マドンナがさとりをひらいた人生じんせいしん関心かんしんっているというてんで、マドンナに満足まんぞくしているはずです」とべた[71]

「レイ・オブ・ライト」は、マドンナのコンサート・ツアーのセットリストに3まれている。1度目どめは2001ねんのドラウンド・ワールド・ツアーで、パンクふうふく演奏えんそうしたネオパンク・セグメントの5きょくとして演奏えんそうされた。背景はいけい画面がめんにはきょくのミュージック・ビデオが編集へんしゅうしてながされた。このさいモンテ・ピットマンがエレキギターいた[72]。Music OMHのMichael Hubbardはパフォーマンスについて『単純たんじゅん崇高すうこうさがつたわってくるいちきょくだった』とべた。2005ねん、マドンナはLIVE 8慈善じぜんコンサート[73]で「レイ・オブ・ライト」を演奏えんそうし、1ねんのカリフォルニアしゅうインディオで開催かいさいされた2006ねんコーチェラ・フェスティバルでもほん楽曲がっきょく演奏えんそうした[74]。2度目どめのコンサート・ツアーでの披露ひろうは 2006ねんコンフェッションズ・ツアーで、マドンナはショーのだい3まくであるグラムパンク・セグメントの2きょくとして「レイ・オブ・ライト」のロック・バージョンを披露ひろうした。このパフォーマンスではマドンナはエレキギターをき、聴衆ちょうしゅうにジャンプするようにあおったりした。彼女かのじょはシンクロしたけをするくろふくしろいネクタイをた6にん男性だんせいのバックアップダンサーをともなっていた [75]。ローリング・ストーンはパフォーマンスを「ハードロッキング」とんだ [76]

「レイ・オブ・ライト」は、2007ねんにロンドンのウェンブリー・スタジアムで開催かいさいされたライブ・アースのコンサートで、ふたた演奏えんそうされた[77]、イベントでのマドンナのパフォーマンスは450まんにん人々ひとびとられた[78] 。3度目どめ披露ひろうとなる2008–09ねんスティッキー・アンド・スウィート・ツアーでは、ショーの最終さいしゅうセグメントの3きょくとして披露ひろう。マドンナはふたたびエレキギターをき、胸板むないたみじかいかつらを着用ちゃくようした未来みらいてき衣装いしょうていた。彼女かのじょおなじく未来みらいてき衣装いしょうてロボットふうけをおこなったダンサーをともなっていた[79]。ニューヨーク・デイリー・ニュースのジム・ファーバーは、このきょくのパフォーマンスをショーの「もっともエネルギーのたかい」ダンスナンバーの1つとんだ [80] 。2016ねん12月6にち、マドンナは『レイト×2ショー with ジェームズ・コーデン』のカープール・カラオケの企画きかく出演しゅつえんし、このきょくをコーデンと一緒いっしょうたった[81]。2017ねん7がつ27にちにフランスのサントロペ開催かいさいされたレオナルド・ディカプリオ主催しゅさいによるチャリティー・イベントだった[82]。その、2023ねんの「The Celebration Tour」でも披露ひろうされた。

カバーとその使用しよう

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アル・ヤンコビック写真しゃしん)は、「レイ・オブ・ライト」をカバーした最初さいしょのレコーディング・アーティストであり、かれのメドレー「PolkaPower!」に収録しゅうろくされた。

アル・ヤンコビックの 1999ねんのアルバム「ランニング・ウイズ・シザーズ」に収録しゅうろくされている「ポルカパワー・メドレー」ではポルカ・バージョンのほん楽曲がっきょくのコーラスがまれている[83] 。2004ねんのコンピレーション・アルバム『Platinum Blonde NRG, Vol. 2: Nrgised Madonna Classics』ではFuture ForceによってHi-NRGふうにカバーされたものが収録しゅうろくされた[84]。イギリスの歌手かしゅナターシャ・ベディングフィールドが、BBCラジオ1の40周年しゅうねん記念きねんして「レイ・オブ・ライト」のカバー・バージョンを録音ろくおんした。そのナターシャのバージョンは2007ねん9がつ19にちの『クリス・モイルズ・ショー』で演奏えんそうされ、『Radio 1 Establish 1967』のコンピレーションに収録しゅうろくされている。ナターシャは「そのうたうたうのがどれほどむずかしいかをまなんだのちわたしはマドンナをとても尊敬そんけいしています。彼女かのじょ素晴すばらしいこえっています。このうたうたうのに必要ひつよう音域おんいきしんじられないほどです」とべた。2008ねんイギー・ポップザ・ストゥージズは、ロックの殿堂でんどう受賞じゅしょうしたマドンナへのトリビュートとして授賞じゅしょうしきで「バーニング・アップ」とともにほん楽曲がっきょく演奏えんそうした [85] 。2010ねん、このきょく映画えいがバーレスク』でも挿入歌そうにゅうかとして使用しようされた[86]。2012ねん後半こうはん、アメリカの歌手かしゅアダム・ランバートは、VH1 Divasのライヴのなか司祭しさいくろしろのチュニックを着用ちゃくようしながらほん楽曲がっきょくのカバーを披露ひろうした[87]

このきょくは2001ねんWindows XP広告こうこくキャンペーンでも使用しようされた。内容ないよう男性だんせいみどり野原のはらえて、れたそらりるところからはじまる。これは、Windows XPのデフォルトの背景はいけい画像がぞうでもある[88]。また、Windows XPを使用しようしてリアルタイム通信つうしんおこなったり、風通かぜとおしのいレストランで共同きょうどう作業さぎょうしたり、んでいる人々ひとびとのデジタル画像がぞう中継ちゅうけいしたり、ビデオをたり、音楽おんがくいたりする人々ひとびとのシーンがそれにつづき、つぎきょく歌詞かし抜粋ばっすいつづ[88]。その抜粋ばっすいアメリカ同時どうじ多発たはつテロ事件じけんのち一部いちぶえられた [88] 。2008ねん、Sunsilkのシャンプーのコマーシャルでは、マリリン・モンローシャキーラのちにマドンナが登場とうじょうし、そのさいほん楽曲がっきょく使用しようされた。つたえられるところによると、マドンナはこのきょく使用しようたいして1,000まんドルをった[89]。このコマーシャルはだい42かいスーパーボウルはじめて放送ほうそうされた[89]。 2010ねん米国べいこくテレビドラマGlee/グリー』のマドンナへのトリビュート・エピソード「マドンナパワー」において、学校がっこうのチアリーダーチームのシーンで、「レイ・オブ・ライト」が挿入歌そうにゅうかとして使用しようされた[90] 2011ねんの『ファミリー・ガイ』のエピソード「あたらしい腎臓じんぞうまちにやってくる」では、主人公しゅじんこうのピーター・グリフィンが、レッドブルんだのちに「レイ・オブ・ライト」のビデオをるというシーンがある[91]

トラックリスト

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クレジット

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  • マドンナ:ボーカル、作詞さくし作曲さっきょく、プロデューサー
  • ウィリアム・オービット:作詞さくし作曲さっきょく、プロデューサー
  • クライブ・モルドゥーン:作詞さくし作曲さっきょく
  • デイブ・カーティス:作詞さくし作曲さっきょく
  • クリスティン・リーチ:作詞さくし作曲さっきょく
  • パット・マッカーシー:エンジニア

チャート

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脚注きゃくちゅう

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出典しゅってん

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