「レイ・オブ・ライト 」(Ray of Light )は、アメリカ合衆国 あめりかがっしゅうこく のシンガーソングライター のマドンナ の楽曲 がっきょく 。7枚 まい 目 め のスタジオアルバム『レイ・オブ・ライト 』(1998)のタイトル・トラックであり、1998年 ねん 4月 がつ 27日 にち にマーヴェリック・レコードからアルバムのセカンド・シングルとしてリリースされた。ベスト・アルバム 『GHV2 』(2001)と『セレブレイション 〜マドンナ・オールタイム・ベスト〜 』(2009)にも収録 しゅうろく されている。
楽曲 がっきょく はマドンナ、ウィリアム・オービット、クライヴ・モルドゥーン、デイブ・カーティス、クリスティン・リーチによって書 か かれ、マドンナとオービットがプロデュースした。楽曲 がっきょく はカーティス・マドゥーンの「セフェリン」に基 もと づいており、曲 きょく のジャンルとしてはテクノ 、トランス 、ユーロダンス 、ディスコの要素 ようそ を含 ふく んだエレクトロニック ダンス・ミュージック の要素 ようそ がある。「レイ・オブ・ライト」は、主 おも にシンセサウンドと、エレキギター のリフで構成 こうせい されており、楽曲 がっきょく の歌詞 かし は自由 じゆう をテーマにしている。
この曲 きょく はクラブによく似合 にあ うエレクトロニックなサウンド、歌詞 かし 、そして「エモーショナルな暖 あたた かさ」を感 かん じさせる事 こと が音楽 おんがく 評論 ひょうろん 家 か から高 たか い評価 ひょうか を集 あつ めた。この曲 きょく はグラミー賞 しょう で最優秀 さいゆうしゅう レコード賞 しょう 、最優秀 さいゆうしゅう ダンス・レコーディング賞 しょう 、最優秀 さいゆうしゅう 短編 たんぺん ミュージックビデオ賞 しょう の3部門 ぶもん にノミネートされ、その内 うち の後者 こうしゃ 2部門 ぶもん を受賞 じゅしょう した。
「レイ・オブ・ライト」はBillboard Hot 100 では5位 い に初 はつ 登場 とうじょう し、これまでのマドンナのシングルの初 はつ 登場 とうじょう 順位 じゅんい の中 なか では最高 さいこう 位 い となった。また、ダンス・クラブ・チャートでも1位 い となった。世界 せかい 的 てき にもカナダ、フィンランド、イギリスでトップ5に到達 とうたつ し、ギリシャ、スコットランド、スペインでは1位 い となっている。
ミュージック・ビデオは、ジョナス・アカーランド が監督 かんとく を務 つと め、マドンナはビデオの中 なか で世界中 せかいじゅう のさまざまな都市 とし の背景 はいけい をバックにこの曲 きょく を歌 うた っている。ビデオは非常 ひじょう に高 たか く評価 ひょうか され、グラミー賞 しょう の最優秀 さいゆうしゅう 短編 たんぺん ミュージックビデオ賞 しょう を受賞 じゅしょう した。ほかにも1998年 ねん のMTV Video Music Awards でも5つの賞 しょう を受賞 じゅしょう した。後年 こうねん 、ステファノ・サルヴァティは、1994年 ねん にビアージョ・アントナッチに向 む けて監督 かんとく したミュージックビデオのコンセプトを盗用 とうよう されたとして彼女 かのじょ を非難 ひなん している。
この曲 きょく はこれまでマドンナが行 おこな った3つのコンサート・ツアーでも演奏 えんそう され、その中 なか でもThe Celebration Tour (2023年 ねん )が最 もっと も新 あたら しい。楽曲 がっきょく は多 おお くのアーティストや大衆 たいしゅう 文化 ぶんか に取 と り上 あ げられ、ドラマ『Glee/グリー 』や様々 さまざま な広告 こうこく キャンペーンなどでも使用 しよう されている。
「The Celebration Tour」でこの曲 きょく を歌 うた うマドンナ(2023年 ねん )
1996年 ねん 、マドンナは娘 むすめ のルルドを出産 しゅっさん したり、東方 とうほう の神秘 しんぴ 主義 しゅぎ やカバラ に興味 きょうみ を持 も ったり、ミュージカル『エビータ 』の映画 えいが 化 か では主演 しゅえん を務 つと めるなど、多 おお くの「人生 じんせい を変 か える出来事 できごと 」を経験 けいけん した。1年 ねん 後 ご 、彼女 かのじょ は7枚 まい 目 め のスタジオ・アルバム『レイ・オブ・ライト』の制作 せいさく に取 と り掛 か かる。マドンナはアルバムの為 ため にウィリアム・オービット、パトリック・レナード、リック・ノウェルズ、ベイビーフェイス らと一緒 いっしょ に曲 きょく を書 か いた[ 1] 。このアルバムは彼女 かのじょ の人生 じんせい に起 お こった変化 へんか を反映 はんえい したものとなっている。著者 ちょしゃ のキャロル・ベンソンはアルバムが「とても精神 せいしん 的 てき なダンス・レコード」であり、それらは彼女 かのじょ のキャリア、旅 たび 、そしてアイデンティティがベースになっているであろうと推定 すいてい した。子供 こども を産 う んで育 そだ てるという事 こと は彼女 かのじょ の感情 かんじょう をよりマイルドなものにし、それが歌 うた に反映 はんえい されている。彼女 かのじょ のアイデアとしてはこれまでのダンスナンバーよりより深 ふか く、パーソナルなものにしたいと語 かた っていた[ 2] 。
マーヴェリック・レコードでマドンナのマネージャーを務 つと めるガイ・オセアリーがウィリアム・オービットに電話 でんわ をかけ、いくつかの曲 きょく をマドンナに送 おく って欲 ほ しいと提案 ていあん した後 のち 、オービットはアルバムの核 かく として深 ふか く関 かか わる事 こと となった[ 3] 。彼 かれ は13曲 きょく 入 い りのデジタルオーディオテープ(DAT)をマドンナに送 おく ったが、「レイ・オブ・ライト」はその中 なか の一 いち 曲 きょく だった。楽曲 がっきょく は英国 えいこく のフォークミュージック・デュオのカーティス・マドゥーンによるトラック「セフェリン」(1971)をベースにしている[ 4] 。1996年 ねん 、マルドゥーンの姪 めい である英国 えいこく のシンガーソングライター、クリスティン・リーチはデュオの作品 さくひん はもちろん、その中 なか でも「セフェリン」を大変 たいへん 気 き にいっており、彼女 かのじょ のバージョンの「セフェリン」を録音 ろくおん した、オービットはそのデモ制作 せいさく に関 かか わっており、その際 さい に彼 かれ が取 と り組 く んでいたメロディーの上 うえ に「セフェリン」を被 かぶ せたデモを録音 ろくおん した。この時 とき リーチはコーラスを書 か き直 なお し、元 もと の曲 きょく から数 すう ビットを取 と り除 のぞ いている[ 4] [ 5] 。オービットはその曲 きょく はリーチが曲 きょく を書 か いたものと考 かんが えてDATに含 ふく めていた[ 1] 。そのDATに収 おさ められていたその曲 きょく を聴 き いたマドンナは楽曲 がっきょく を気 き に入 い り、新 あら たに歌詞 かし を書 か き直 なお して「レイ・オブ・ライト」を完成 かんせい させた [ 4] 。
楽曲 がっきょく は1998年 ねん 4月 がつ 27日 にち にイギリスでアルバムからのセカンド・シングルとしてリリースされた。米国 べいこく では1998年 ねん 6月 がつ 23日 にち に、40,000部 ぶ のビデオ・シングルとともにリリースされた。カーチスは、マドンナが「セフェリン」を「レイ・オブ・ライト」として録音 ろくおん している事 こと をラジオから流 なが れてくる楽曲 がっきょく を聴 き いて初 はじ めて知 し った。彼 かれ は「信 しん じられなかった」とし、最初 さいしょ は少 すこ し腹立 はらだ たしく思 おも ったものの、マドンナが彼 かれ の楽曲 がっきょく を使 つか った事 こと に満足 まんぞく した[ 4] 。また彼 かれ は楽曲 がっきょく のソングライターの一人 ひとり として受 う け取 と った15%の使用 しよう 料 りょう にも満足 まんぞく していた。この楽曲 がっきょく のロイヤリティはマドンナが30%を受 う け取 と り、その他 た の15%はマルドゥーンのエステートに与 あた えられ、残 のこ りはマドンナのレコード会社 かいしゃ が獲得 かくとく している[ 6] 。マドンナはこの曲 きょく について「元 もと のバージョンの長 なが さは10分 ふん をはるかに超 こ えていた。私 わたし はそのバージョンが大好 だいす きだった。しかし適度 てきど な曲 きょく の長 なが さにカットする事 こと になりそれは悲痛 ひつう な事 こと だった」と述 の べている。オリジナルのバージョンは『ベロニカ・エレクトロニカ』というリミックス・アルバムに収録 しゅうろく される予定 よてい だったが、そのアルバムが結局 けっきょく リリースされる事 こと は無 な かった [ 7] 。カーティスは2017年 ねん 1月 がつ の雑誌 ざっし 『オーストラリアン』のインタビューの中 なか で「セフェリン」のコンテンポラリー・ジャズ ・バージョンを録音 ろくおん したことを語 かた っている[ 5] 。
「レイ・オブ・ライト」は、1997年 ねん 半 なか ばにカリフォルニア州 しゅう ノースハリウッドのLarrabee North Studioでアルバムの他 ほか の楽曲 がっきょく とともに一緒 いっしょ に録音 ろくおん された。マスタリングはニューヨークのスターリング・スタジオでテッド・ジェンセン によって行 おこな われた。そのDATにはニューヨークのマドンナの家 いえ で行 おこな われたデモ・セッション、およびヒット・ファクトリー・スタジオで録音 ろくおん された曲 きょく の主要 しゅよう 部分 ぶぶん が収録 しゅうろく されていた。楽曲 がっきょく で録音 ろくおん されたシンセサウンドはRolandJuno-106でプレイされたもの。マドンナとオービットはロサンゼルスでドラマー選 えら びのセッションを行 おこな ったが、上手 うま くいかなかった。そこでオービットは彼 かれ にドラムサンプルを送 おく ったFergus Gerrandに連絡 れんらく を取 と った。オービットは彼 かれ らにReCycle! のような自動 じどう 編集 へんしゅう ソフトウェアを使用 しよう する代 か わりに、彼 かれ 自身 じしん のワークステーション を与 あた え、それらを切 き り取 と ったものを使用 しよう した[ 8] 。
本 ほん 楽曲 がっきょく はアシッドエレクトロニカ のスタイルに影響 えいきょう を受 う けている[ 9] 。マドンナの伝記 でんき を書 か いた作家 さっか ルーシー・オブライエンによると、オービットはマドンナが彼女 かのじょ のダンスミュージックのルーツに拘 かかわ ってより電子 でんし 的 てき なサウンドを求 もと めるのに対 たい し、トラックに感覚 かんかく 的 てき な雰囲気 ふんいき を作 つく り出 だ す事 こと で応 こた えたとしている[ 9] [ 10] 。Musicnotes.comが発行 はっこう している楽譜 がくふ によると、曲 きょく は一般 いっぱん 的 てき な曲 きょく の長 なが さに設定 せってい されており、1分 ふん あたり126ビート の適度 てきど に速 はや いグルーブのテンポだとされている。それはB ♭ メジャー のキーで構成 こうせい されており、マドンナのボーカルは2オクターブとB ♭ 3 からB 5 までの1半音 はんおん にまたがり、曲 きょく の終 お わり近 ちか くには高音 こうおん が帯 お びているとしている。楽曲 がっきょく は、コード進行 しんこう としてB ♭ –E ♭ –B–E–B ♭ の基本 きほん シーケンスを持 も つ[ 11] 。
曲 きょく はイギリスのオルタナティヴ・ロック ・バンド、オアシス の音楽 おんがく に匹敵 ひってき するようなエレキギターのリフ で始 はじ まる[ 12] 。コードは互 たが いに調和 ちょうわ し、それは22秒間 びょうかん 続 つづ く[ 13] 。次 つぎ にテクノのメロディーが始 はじ まり、メインのシンセ サウンドが主要 しゅよう な音符 おんぷ の中 なか で振動 しんどう し、 EQが低音 ていおん と高音 こうおん の間 あいだ を移動 いどう する[ 9] [ 13] 。「落 お ち着 つ きのない」ビートには、ロック にインスパイアされたコードリフが伴 ともな い、マドンナの声 こえ のピッチはアルバムの他 ほか のトラックよりも高 たか くなっている[ 13] [ 14] 。録音 ろくおん 中 ちゅう 、オービットは曲 きょく のキーを歌手 かしゅ の限界 げんかい よりも半音 はんおん 高 たか く保 たも ち、ボーカルに緊張 きんちょう を加 くわ えた。「レコーディングの最中 さいちゅう 、彼女 かのじょ はフラストレーションを感 かん じていたが、それは歌手 かしゅ に限界 げんかい を到達 とうたつ してほしい意図 いと があった。曲 きょく 中 ちゅう で彼女 かのじょ の声 こえ がしゃがれた時 とき にそれを偽 いつわ りなく聴 き く事 こと が出来 でき るだろう」と彼 かれ は回想 かいそう した[ 9] 。最後 さいご のコーラスの前 まえ に、1970年代 ねんだい のプロロックレコードを彷彿 ほうふつ とさせるシンセ・ソロが再 ふたた びある。Rikky Rooksbyによるとこれは「セフェリン」の曲 きょく の起源 きげん へのリンクだとしている [ 13] 。
歌詞 かし としてはトラックに見合 みあ った明 あか るいテーマを持 も つ。マドンナによると詩 し は宇宙 うちゅう に対 たい しての神秘 しんぴ 的 てき な見方 みかた であり、自分 じぶん たちは宇宙 うちゅう と比 くら べてどれほど小 ちい さいかを表 あらわ している[ 1] 。マドンナとしては誰 だれ かが目 め を開 あ けて初 はじ めて世界 せかい を見 み た時 とき のような不思議 ふしぎ な気持 きも ちを歌詞 かし で捉 とら えて表現 ひょうげん したかったとした[ 15] 。マドンナはNME の中 なか で、宇宙 うちゅう の広 ひろ さの中 なか での小 ちい ささを伝 つた えたかったと語 かた った。また歌詞 かし は日常 にちじょう 生活 せいかつ は光 ひかり の速 はや さのように過 す ぎていくが、そこから抜 ぬ け出 だ して客観 きゃっかん 的 てき な視点 してん で見 み つめるという事 こと も歌 うた っている[ 16] 。
「レイ・オブ・ライト」は音楽 おんがく 評論 ひょうろん 家 か から高 たか い評価 ひょうか を受 う けた。アルバム全体 ぜんたい のレビューでオールミュージック のスティーヴン・トマス・アールワイン は曲 きょく を「くらくらする」と表現 ひょうげん した[ 17] 。マキシCDシングルのレビューで、同 おな じウェブサイトのLiana Jonasはこのトラックを「ひどく良 よ いクラブソング」であり、「音響 おんきょう 的 てき に進歩 しんぽ 的 てき でありながらリスナーに優 やさ しい」と評 ひょう した。更 さら に彼女 かのじょ はマドンナのボーカルをこれまでと比 くら べて「クラブの歌姫 うたひめ から天 てん の女神 めがみ 」へ変化 へんか したと賞賛 しょうさん した[ 18] 。Q のスチュアート・マッコニーは「タイトル・トラックは強烈 きょうれつ なレイブ・アンセムにまるでそぐわないようなアルペジオのギターが混 ま ざり構築 こうちく されている」と「レイ・オブ・ライト」のレビューの中 なか で書 か いている。更 さら に「鋭 するど い音楽 おんがく 性 せい だがケミカル・ブラザーズ の楽曲 がっきょく より明 あか るい」とも記述 きじゅつ [ 19] 。
ビルボード のラリー・フリックは楽曲 がっきょく をマドンナのベストだと表現 ひょうげん し、「精神 せいしん 的 てき に高 たか まった、主 おも に詩的 してき な歌 うた 」と呼 よ んだ。彼 かれ は特 とく に柔軟 じゅうなん なボーカルとレコーディング・アーティストとしてのマドンナの進歩 しんぽ について言及 げんきゅう している[ 20] 。ローリング・ストーン はアルバム全体 ぜんたい のレビューの中 なか で、「スウィム」や「ドラウンド・ワールド」などといった他 ほか の楽曲 がっきょく と比 くら べ、本 ほん 楽曲 がっきょく の中 なか でのマドンナは「積極 せっきょく 的 てき で凶暴 きょうぼう 」に聞 き こえると書 か いている[ 12] 。Slant MagazineのSal Cinquemaniはこの曲 きょく は「おいの狂乱 きょうらん 」のようであるとして、マドンナの高揚 こうよう した歌声 うたごえ に言及 げんきゅう した[ 21] 。『GHV2 』のレビューの中 なか で、Cinequemaniは次 つぎ のように書 か いている。
最近 さいきん ヒットした他 ほか のマドンナの楽曲 がっきょく とは異 こと なり、「レイ・オブ・ライト」は、まるでおいの熱狂 ねっきょう の中 なか にマドンナがいるようだ。それがスピリチュアルなものであろうと音速 おんそく 的 てき なものであろうと、楽曲 がっきょく から感 かん じる彼女 かのじょ の高揚 こうよう 感 かん は紛 まぎ れもないものである。オービットのアナログシンセとエレキギターのリックのサイクルは、マドンナの新 あたら しく訓練 くんれん された声帯 せいたい の弾力 だんりょく 性 せい を完全 かんぜん に補完 ほかん する役割 やくわり を果 は たしている。それは「ディーパー・アンド・ディーパー 」からの流 なが れで始 はじ まったものとは違 ちが う[ 22] 。
スプートニク・ミュージックのレビュアーはこの楽曲 がっきょく を『レイ・オブ・ライト』のアルバムの中 なか のおすすめの曲 きょく としてリストした[ 23] 。オブライエンはこのトラックが「空 そら への恍惚 こうこつ とした賛美 さんび 歌 か 」であることに気 き づいた[ 9] 。AVクラブのスティーブン・トンプソンは「盛 も り上 あ がったタイトルトラックは、当然 とうぜん のスマッシュになるはずだ」とコメントした[ 24] 。ボルティモア・サンのJDコンシジンは、「マドンナの新 あたら しい強 つよ さは「レイ・オブ・ライト」のような躍動 やくどう したナンバーで明 あき らかであり、空 そら 高 たか く舞 ま い上 あ がるようなコーラスは束 つか の間 ま の夢 ゆめ の橋 はし のようだ」と記述 きじゅつ [ 25] 。デビッド・ブラウンはエンターテインメント・ウィークリー の『レイ・オブ・ライト』のレビューの中 なか でこの曲 きょく を「サイレンのようなテクノグリッターボール」だと記述 きじゅつ した[ 26] 。アイドレーターのスティーブン・シアーズは本 ほん 楽曲 がっきょく を含 ふく めてアルバム全体 ぜんたい でのマドンナのボーカルは「ゲームチェンジャー」だと述 の べ、映画 えいが 『エビータ』の撮影 さつえい 期間 きかん 中 ちゅう のボイストレーニングがもたらした影響 えいきょう だとした。彼 かれ は「確 たし かに 「レイ・オブ・ライト」をディスコ・ヘヴンに持 も ち上 あ げるのに聖歌 せいか 隊 たい は必要 ひつよう ない」と述 の べてレビューを締 し めくくっている。マドンナは完璧 かんぺき なタイミングで高音 こうおん を発 はっ しており、3分 ふん 27秒 びょう や4分 ふん 14秒 びょう にそれは顕著 けんちょ だとした[ 27] 。マドンナの60歳 さい の誕生 たんじょう 日 び を記念 きねん してガーディアン で行 おこな われた歴代 れきだい シングルのランキングの中 なか でジュード・ロジャースは本 ほん 楽曲 がっきょく を「最 もっと も楽 たの しいエレクトロニックポップシングルの1つ」と呼 よ んだ[ 28] 。
米国 べいこく のBillboard Hot 100 では1998年 ねん 7月 がつ 11日 にち 付 づ けの号 ごう で楽曲 がっきょく が5位 い に初 はつ 登場 とうじょう したと発表 はっぴょう した。彼女 かのじょ の初 はつ 登場 とうじょう 順位 じゅんい としては当時 とうじ の史上 しじょう 最高 さいこう であり、「愛 あい をこえて 」(1995)と「フローズン 」(1998)で記録 きろく した8位 い を上回 うわまわ った。楽曲 がっきょく はマドンナにとっての37曲 きょく 目 め となるトップ40ヒットとなり、マドンナはコニー・フランシス の記録 きろく を抜 ぬ かしてHot 100で最 もっと もトップ40にチャートインした女性 じょせい になった[ 29] 。「レイ・オブ・ライト」はHot 100に合計 ごうけい 20週間 しゅうかん チャートインし、年末 ねんまつ チャートでは75位 い にランクインした。この曲 きょく はビルボードのダンス・クラブチャートのトップにも到達 とうたつ し、合計 ごうけい 4週間 しゅうかん トップの位置 いち に留 とど まった。1998年 ねん 9月 がつ にはアメリカレコード協会 きょうかい (RIAA)からゴールド認定 にんてい を受 う け、全米 ぜんべい で50万 まん 枚 まい のシングルを出荷 しゅっか 。カナダでは、RPM にて85位 い でデビューし、8週 しゅう 目 め には3位 い に達 たっ した[ 30] 。チャートには合計 ごうけい 30週間 しゅうかん インした[ 31] 。
オーストラリアでは1998年 ねん 5月 がつ 24日 にち に6位 い で初 はつ 登場 とうじょう し最高 さいこう 位 い もまた同様 どうよう であった。チャートには合計 ごうけい 17週間 しゅうかん ランクインし、オーストラリアレコード産業 さんぎょう 協会 きょうかい (ARIA)からは35,000部 ぶ のシングルの出荷 しゅっか でゴールド認定 にんてい を受 う けた。ARIAの年末 ねんまつ チャートでは、1998年 ねん のオーストラリアで57番目 ばんめ に売 う れたシングルとされた。ニュージーランドでは、RIANZシングルチャートの9位 い に初 はつ 登場 とうじょう し最高 さいこう 順位 じゅんい も同様 どうよう 。チャートには合計 ごうけい 14週間 しゅうかん ランクイン。
イギリスでは1998年 ねん 5月 がつ 9日 にち に2位 い に初 はつ 登場 とうじょう 、1位 い は同 おな じ週 しゅう にデビューしたオール・セインツ の「アンダー・ザ・ブリッジ/レディ・マーマレード」だった[ 32] 。英国 えいこく レコード産業 さんぎょう 協会 きょうかい (BPI)は「レイ・オブ・ライト」に対 たい してシルバー認定 にんてい を授 さづ けた。オフィシャル・チャート・カンパニーによると、楽曲 がっきょく は2008年 ねん 8月 がつ の時点 じてん で275,000枚 まい を売 う り上 あ げた [ 33] 。ユーロチャートホット100では1998年 ねん 5月 がつ 16日 にち 付 づ けで9位 い に初 はつ 登場 とうじょう [ 34] 。ベルギーでは「Ray of Light」はフランデレン ・ワロン 両方 りょうほう の地域 ちいき でそこそこ成功 せいこう を収 おさ め、フランデレンでは25位 い 、ワロンで33位 い の最高 さいこう 位 い に達 たっ した。オランダでは45位 い で初 はつ 登場 とうじょう し、1998年 ねん 5月 がつ 16日 にち に22位 い の最高 さいこう 位 い を記録 きろく 、その位置 いち に3週間 しゅうかん 留 とど まった。フィンランドでは2週 しゅう 連続 れんぞく で2位 い を記録 きろく し、合計 ごうけい 5週間 しゅうかん チャートインした。スウェーデンでは14位 い が最高 さいこう 位 い であり、チャートには10週間 しゅうかん もの間 あいだ 留 とど まった。スイスの シュヴァイツァー・ヒットパラーデ では「レイ・オブ・ライト」は1998年 ねん 5月 がつ 24日 にち 付 づ けでで最高 さいこう 位 い 32位 い で初 はつ 登場 とうじょう 。スペインでは3週 しゅう 連続 れんぞく の1位 い を記録 きろく した [ 35] 。
「レイ・オブ・ライト」のミュージック・ビデオ の監督 かんとく は過去 かこ に物議 ぶつぎ を醸 かも したプロディジー の「スマック・マイ・ビッチ・アップ」(1997年 ねん )のクリップを監督 かんとく したジョナス・アカーランド が務 つと めた[ 36] 。マドンナは、モハーヴェ砂漠 さばく で前 まえ のシングル「フローズン」のビデオを撮影 さつえい していたときから本 ほん 楽曲 がっきょく のビデオについて計画 けいかく を立 た てていた。「スマック・マイ・ビッチ・アップ」のビデオは当時 とうじ のマドンナのお気 き に入 い りであり、それもあって彼女 かのじょ はアカーランドに監督 かんとく を依頼 いらい した [ 37] 。マドンナは、アルバムを作 つく るときは「魂 たましい を込 こ める」と述 の べているが、ミュージック・ビデオでは監督 かんとく との協力 きょうりょく がはるかに重要 じゅうよう となる。『レイ・オブ・ライト』のアルバムからのビデオでは、彼女 かのじょ はこれまでよりも新鮮 しんせん な表現 ひょうげん 、および新 あら たなディレクターとのコラボレーションを求 もと めた。彼女 かのじょ はアカーランドの「特別 とくべつ な働 はたら き方 かた 」が好 す きで、電話 でんわ で彼 かれ と話 はな した。彼 かれ らの会話 かいわ は6か月 げつ 以上 いじょう 続 つづ き、ほとんどの時間 じかん はビデオの最終 さいしゅう 的 てき なコンセプトを考 かんが え出 だ すのに費 つい やされたものだった[ 38] [ 39] 。アカーランドはスウェーデンの新聞 しんぶん Aftonbladet とのインタビューで次 つぎ のように述 の べている。
私 わたし は曲 きょく に合 あ わないアイデアを2つ持 も っていた。私 わたし は彼女 かのじょ がどうビデオで映 うつ るかについてのより明確 めいかく なアイデアを持 も っていても彼女 かのじょ はノーと言 い った。私 わたし は別 べつ のアイデアに取 と り組 く み、それらを組 く み合 あ わせて彼女 かのじょ に見 み せた。私 わたし は出来 でき ることは全 すべ てやった。(中略 ちゅうりゃく )振 ふ り返 かえ ってみると結果 けっか 的 てき に最初 さいしょ のアイデアよりも楽曲 がっきょく に適 てき したビデオが作 つく れたので気分 きぶん が良 よ い。マドンナはスタイル、音楽 おんがく 、ビジネス、どれにおいても素晴 すば らしい軌道 きどう を辿 たど ってきた。彼女 かのじょ はすべてのことに気 き を配 くば り、自分 じぶん 自身 じしん が完全 かんぜん に満足 まんぞく するまでは決 けっ して諦 あきら めない。そしてミュージック・ビデオの中 なか での彼女 かのじょ は、片手間 かたてま で仕事 しごと を行 おこな う事 こと はなく、彼女 かのじょ は100パーセントのクオリティを証明 しょうめい したんだ [ 38] 。
マドンナはこのクリップについて「地球 ちきゅう の1日 にち を描 えが いており、1900年代 ねんだい の終 お わりに向 む けて全速力 ぜんそくりょく で急 いそ いでいることを示 しめ している。ジョナスは私 わたし に2日間 にちかん 狂 くる ったように踊 おど らせたが、それは曲 きょく に対 たい しての優 すぐ れた解釈 かいしゃく だったと思 おも う。彼 かれ はタフな監督 かんとく だ」と語 かた った [ 38] 。レビュアーはそれを1982年 ねん のアメリカの実験 じっけん 映画 えいが 『コヤニスカッツィ 』と比較 ひかく した。コヤニスカッツィとは都市 とし のタイムラプス 映像 えいぞう を示 しめ したもの [ 40] 。マドンナのシーンは、1998年 ねん 3月 がつ 25日 にち から26日 にち まで、ロサンゼルスのMTV/VH1スタジオで撮影 さつえい された。背景 はいけい シーンは、ロサンゼルス、ニューヨーク、ロンドン、ラスベガス、ストックホルムなどのさまざまな都市 とし で撮影 さつえい された [ 36] [ 38] 。ストックホルムで撮影 さつえい されたテストショットはあくまでビデオのイメージを伝 つた えるためにマドンナに提示 ていじ されたものだったが、ビデオで使用 しよう するのにも適 てき していると見 み なされた [ 41] 。
撮影 さつえい 中 ちゅう 、アカーランドにはスウェーデン人 じん の3人 にん の従業 じゅうぎょう 員 いん 、写真 しゃしん 家 か のHenrik Halvarsson、プロダクションデザイナーのMattias Lindgren、編集 へんしゅう 者 しゃ のMaxVitaliが同行 どうこう した。また、マドンナの娘 むすめ ルルドもセットにいた[ 38] 。アカーランドは撮影 さつえい の翌日 よくじつ 、ミック・ジャガー からローリング・ストーンズ の新 あたら しいミュージック・ビデオを監督 かんとく するよう呼 よ びかけられたことを思 おも い出 だ したが、「レイ・オブ・ライト」のプロダクションに時間 じかん がかかっていた為 ため 、申 もう し出 で を辞退 じたい しなければならなかった[ 38] 。彼 かれ らは14日間 にちかん 以上 いじょう 撮影 さつえい し、その間 あいだ に彼 かれ は1台 だい の車 くるま に乗組 のりくみ 員 いん を乗 の せ、 35mmカメラ のアングルを調整 ちょうせい し、1枚 まい ずつそれらが撮影 さつえい されるのを待 ま った [ 41] 。彼 かれ はずっとポケットに図 ず を入 い れなければならず、それは彼 かれ らが撮影 さつえい したすべてのフレーム のすべての計画 けいかく が書 か かれていた。10秒 びょう ごとに1フレームをキャプチャし、30分 ふん 続 つづ けて約 やく 5秒 びょう の映像 えいぞう を取得 しゅとく 。その結果 けっか 「レイ・オブ・ライト」は、アカーランドのミュージック・ビデオとしては史上 しじょう 最長 さいちょう の撮影 さつえい 時間 じかん となった[ 40] 。また、彼 かれ らはカメラをバスに取 と り付 つ けシーンをキャプチャするためにニューヨークを走 はし り回 まわ った[ 41] 。
マドンナは「フローズン」のビデオの間 あいだ に、クリス・カニンガム監督 かんとく との打 う ち合 あ わせの為 ため に彼 かれ が編集 へんしゅう を行 おこ なっていたロンドンに何 なん 度 ど も行 おこな ったり来 き たりした経験 けいけん があり、その工程 こうてい を繰 く り返 かえ したくなかったため、アカーランドにビデオはロサンゼルスで編集 へんしゅう する必要 ひつよう があると主張 しゅちょう した。これはアカーランドと彼 かれ のチームが撮影 さつえい 期間 きかん 中 ちゅう 米国 べいこく に住 す まなければならないことを意味 いみ した。彼 かれ らはホテルに住 す み、持 も ち帰 かえ り用 よう の中華 ちゅうか 料理 りょうり を食 た べ、クリップを完成 かんせい させた[ 38] 。すべてのシーンが高速 こうそく 化 か された上 うえ に曲 きょく が長 なが かったため、撮影 さつえい したすべての映像 えいぞう が実際 じっさい のビデオになった[ 41] 。
ビデオは1998年 ねん 5月 がつ 12日 にち にMTVライブで初 はつ 公開 こうかい された[ 36] 。ビデオはまず、太陽 たいよう が昇 のぼ り、男性 だんせい が家 いえ のカーテンを開 あ けるところから始 はじ まる。「コヤニスカッツィ」にインスピレーションを得 え たセクションに進 すす むまで、地下鉄 ちかてつ に乗 の っている人 ひと 、食 た べ物 もの を注文 ちゅうもん している人 ひと 、ボウリングをしている人 ひと 、教室 きょうしつ の子供 こども たち、高速 こうそく 道路 どうろ など、日常 にちじょう 生活 せいかつ をタイムラプスで撮影 さつえい した映像 えいぞう が続 つづ く。それらを背景 はいけい にマドンナが歌 うた ったり踊 おど ったりしている。日暮 ひぐ れのシーンが終 お わると、マドンナがディスコ で踊 おど っているシーンとなり、その後 ご 、彼女 かのじょ はダンスフロアで眠 ねむ りに落 お ちるような素振 そぶ りを見 み せ、ビデオは地球 ちきゅう の回転 かいてん ショットで終 お わる。
1998年 ねん 6月 がつ 23日 にち にはWarner Music Visionから40,000部 ぶ の限定 げんてい 版 ばん としてシングルビデオがVHSでリリースされた。リリース後 ご 、翌月 よくげつ には7,381部 ぶ を売 う り上 あ げ、ニールセンサウンドスキャン時代 じだい のベストセラービデオシングルとなった[ 42] 。ビルボードのミュージックビデオ販売 はんばい チャートには合計 ごうけい 13週間 しゅうかん チャートされた [ 43] 。リリースの数日 すうじつ 後 ご 、イタリアの監督 かんとく ステファノ・サルヴァティはマドンナとワーナー・レコード を非難 ひなん した。彼 かれ が監督 かんとく したビアージョ・アントナッチの1994年 ねん のシングル「Non è Mai Stato Subito」のコンセプトを盗用 とうよう したとマーヴェリックに対 たい して訴 うった えを起 お こした。 サルヴァティによると彼 かれ のビデオのコピーは、「レイ・オブ・ライト」のビデオが撮影 さつえい される前 まえ にマーヴェリックに提出 ていしゅつ されたが採用 さいよう されなかったとした。両方 りょうほう のビデオの共通 きょうつう 項 こう として歌手 かしゅ の背景 はいけい に高速 こうそく 画像 がぞう を用 もち いた事 こと が挙 あ げられる。しかし、結局 けっきょく 彼 かれ は歌手 かしゅ や彼女 かのじょ の会社 かいしゃ を訴 うった えなかった[ 44] 。
「レイ・オブ・ライト」のビデオでマドンナは長 なが いブロンドの髪 かみ とブロンズのボディを備 そな えた彼女 かのじょ の新 あら たな「アース・マザー」ルックを披露 ひろう している [ 27] [ 45] 。ジョージズ・クロード・ギルバートは、彼 かれ の著書 ちょしょ の中 なか で、彼女 かのじょ の外見 がいけん は、歌手 かしゅ のアラニス・モリセット やベネチアの絵画 かいが にも匹敵 ひってき すると書 か いている。マドンナによると彼女 かのじょ はイタリアのルネサンスのような外見 がいけん を求 もと め、画家 がか のラファエロとボッティチェッリの作品 さくひん を参考 さんこう にした[ 46] 。ギルベールはそれが時代 じだい 精神 せいしん と調和 ちょうわ したポストモダニズム に対応 たいおう していることを発見 はっけん し、それが彼女 かのじょ のイメージチェンジの1つにすぎないと述 の べた。マドンナはこのルックに飽 あ きて、その後 ご のアルバムからのシングルでは黒髪 くろかみ の新 あたら しいルックを披露 ひろう したとされている[ 47] 。『 Ex-foliations:Reading Machines and the Upgrade Path』 という本 ほん の中 なか で著者 ちょしゃ のTerry Harpoldは、タイムラプスの演出 えんしゅつ について「日常 にちじょう 生活 せいかつ を無益 むえき な生存 せいぞん の試 こころ みとして描写 びょうしゃ していると感 かん じ、子宮 しきゅう 内 ない の胎児 たいじ の超 ちょう 音波 おんぱ 検査 けんさ とハムスターが車輪 しゃりん の上 うえ を走 はし っている様子 ようす を示 しめ す別 べつ のショットを映 うつ す事 こと によってそれは強調 きょうちょう されている」とコメントした[ 48] 。 SantiagoFouz-Hernándezは、ビデオの中 なか のマドンナを秘教 ひきょう 的 てき であると説明 せつめい した [ 49] [ 50] 。このビデオは、『ベスト・ヒット・コレクション 93-99 』(1999)および『セレブレイション~マドンナ・オールタイム・ベストDVD』(2009)に収録 しゅうろく されている[ 51] [ 52] 。
1999年 ねん 、「レイ・オブ・ライト」は第 だい 41回 かい グラミー賞 しょう で最優秀 さいゆうしゅう ダンス・レコーディング賞 しょう と最優秀 さいゆうしゅう 短編 たんぺん ミュージック・ビデオ賞 しょう を受賞 じゅしょう した。最優秀 さいゆうしゅう レコード賞 しょう にもノミネートされたが、セリーヌ・ディオン の「マイ・ハート・ウィル・ゴー・オン 」に敗 やぶ れた[ 53] [ 54] 。さらに Village Voice は、Pazz&Jopの批評 ひひょう 家 か の投票 とうひょう で1998年 ねん に4番目 ばんめ に優 すぐ れているとランク付 づ けした[ 55] 。1999年 ねん の米国 べいこく 作曲 さっきょく 家 か 作詞 さくし 家 か 出版 しゅっぱん 者 しゃ 協会 きょうかい ではダンスソング部門 ぶもん のトップを受賞 じゅしょう した。同 おな じ年 ねん のASCAPポップアワードでも最 もっと も演奏 えんそう された曲 きょく のカテゴリーで賞 しょう を獲得 かくとく [ 56] [ 57] 。1999年 ねん のアイヴァー・ノヴェロ賞 しょう ではインターナショナル・ヒット・オブ・ザ・イヤーのカテゴリーにノミネートした[ 58] 。
「レイ・オブ・ライト」は1990年代 ねんだい の最高 さいこう の曲 きょく の1つとしてランク付 づ けされることもよくある[ 14] 。 2003年 ねん 、Qは本 ほん 楽曲 がっきょく を「史上 しじょう 最高 さいこう の1001曲 きょく 」のリストで609位 い にランク付 づ けした[ 59] 。2005年 ねん 、この曲 きょく はBlenderの「あなたが生 う まれてからの最高 さいこう の曲 きょく 500選 せん 」で401位 い にランク付 づ けしている[ 60] 。Slant Magazineの「1990年代 ねんだい のベストシングル」リストの中 なか では16位 い にランクインし、レビュアーはこの曲 きょく について「落 お ち着 つ きのないビート」、「レイ・オブ・ライト」は「傑出 けっしゅつ したシングル」であると評 ひょう した[ 14] 。ビルボード は「マドンナの最高 さいこう の曲 きょく ランキング」で本 ほん 楽曲 がっきょく を5位 い にランク付 づ けし「彼女 かのじょ の輝 かがや かしいキャリアの新 あたら しい章 しょう をマークした」と述 の べた[ 61] 。ローリング・ストーン による歌手 かしゅ のグレイテスト・ソング50のランキングでも、「レイ・オブ・ライト」が8位 い にランクインし、雑誌 ざっし のライターはマドンナの「これまでのマドンナの楽曲 がっきょく の中 なか で最 もっと も力強 ちからづよ く歌 うた われたボーカル」に注目 ちゅうもく した[ 15] 。2018年 ねん 5月 がつ 、ビルボードは1998年 ねん のトップソングを決 き めるランキングの中 なか で「レイ・オブ・ライト」を9位 い にランク付 づ けした。ジョー・リンチはこの楽曲 がっきょく について「ラジオに最 もっと も楽 たの しく、活気 かっき にあふれ、人生 じんせい を肯定 こうてい するダンス・バンガーを与 あた えた。数 すう 年 ねん に渡 わた り若手 わかて が褒 ほ め称 とな えられていたが、39歳 さい の母 はは がTOP40に再 ふたた びチャートインした事 こと で最終 さいしゅう 的 てき には再 ふたた び彼女 かのじょ が乗 の っ取 と った」としている。1か月 げつ 後 ご 、ガーディアンは本 ほん 楽曲 がっきょく をマドンナの4番目 ばんめ に優 すぐ れたシングルとしてリストした[ 28] 。同様 どうよう に、エンターテインメント.ウィークリーは本 ほん 楽曲 がっきょく を彼女 かのじょ の5番目 ばんめ に素晴 すば らしいシングルとしてランク付 づ けした[ 62] 。
ミュージック・ビデオは1998年 ねん のMTV Video Music Awards で8つの部門 ぶもん にノミネートされ、最終 さいしゅう 的 てき に5部門 ぶもん (最優秀 さいゆうしゅう ビデオ賞 しょう 、最優秀 さいゆうしゅう 女性 じょせい ビデオ賞 しょう 。最優秀 さいゆうしゅう ビデオディレクション賞 しょう 、最優秀 さいゆうしゅう 編集 へんしゅう 賞 しょう 、最優秀 さいゆうしゅう 振付 ふりつけ 賞 しょう )を獲得 かくとく した。これは彼女 かのじょ のキャリアの中 なか で当時 とうじ 最多 さいた となる[ 63] 。最優秀 さいゆうしゅう ビデオ賞 しょう を受賞 じゅしょう したのは初 はじ めてであり、マドンナはMTVがビデオを評価 ひょうか した事 こと に対 たい して感謝 かんしゃ した[ 39] 。インターナショナル・ダンス・ミュージック・アワードでは、最優秀 さいゆうしゅう ダンスビデオ賞 しょう のトロフィーを獲得 かくとく し[ 64] 、マッチ・ミュージック・ビデオ・アワードでも、ベスト・インターナショナル・ビデオ賞 しょう のトロフィーを獲得 かくとく した[ 65] 。1998年 ねん のミュージックビデオ制作 せいさく 協会 きょうかい の式典 しきてん でも受賞 じゅしょう し、ベスト・ポップ・ビデオ・オブ・ザ・イヤーのカテゴリーを受賞 じゅしょう した[ 66] 。このビデオは、2006年 ねん 8月 がつ にチャンネルの25周年 しゅうねん を記念 きねん してMTVが発行 はっこう した「ルールを破 やぶ ったビデオトップ10」のランキング上位 じょうい にランクインした[ 67] 。2016年 ねん 、 ローリング・ストーンはBilge Ebiriとともに、「マドンナの20の最高 さいこう のビデオ」のランキングで本 ほん 楽曲 がっきょく を2位 い にランク付 づ けし、「マドンナがVMAを受賞 じゅしょう する為 ため のエレクトロニカの大胆 だいたん な抱擁 ほうよう 」と呼 よ んだ[ 40] 。
「The Celebration Tour」でこの曲 きょく を歌 うた うマドンナ(2023年 ねん )
1998年 ねん 2月 がつ 、マドンナはアルバムを宣伝 せんでん するためにロキシーNYCナイトクラブで行 おこな われたサプライズ・コンサート中 ちゅう に「レイ・オブ・ライト」を初 はつ 披露 ひろう した[ 68] 。3か月 げつ 後 ご 、彼女 かのじょ はオプラ・ウィンフリー・ショー に出演 しゅつえん し、アルバム曲 きょく の「リトル・スター」と一緒 いっしょ に本 ほん 楽曲 がっきょく を披露 ひろう した[ 69] 。1998年 ねん のMTV Video Music Awards では黒髪 くろかみ でサリー を身 み に付 つ けたマドンナがまず「シャンティ/アシュタンギ」を披露 ひろう 、その後 ご 、レニー・クラヴィッツ がギターを弾 ひ いて登場 とうじょう し、「レイ・オブ・ライト」を歌 うた った。世界 せかい ヴィシュヌ派 は 協会 きょうかい (WVA)と呼 よ ばれる宗教 しゅうきょう 団体 だんたい は、彼女 かのじょ が頭 あたま にヒンドゥー教 きょう のシンボルを身 み に着 つ けて行 い ったパフォーマンスでヒンドゥー教徒 きょうと を怒 おこ らせたと主張 しゅちょう 。協会 きょうかい のスポークスパーソンは、マーク(オーム と呼 よ ばれる)は純潔 じゅんけつ 、調和 ちょうわ 、純粋 じゅんすい さの象徴 しょうちょう であり、「神 かみ への献身 けんしん 」を示 しめ すように設計 せっけい されていると述 の べた。代表 だいひょう 者 しゃ はまた、マドンナが性行為 せいこうい をシミュレートし、マークを付 つ けたままステージ上 じょう でシースルーのタンクトップを着用 ちゃくよう したため、ヒンズー教徒 きょうと とヨギ教徒 きょうと の両方 りょうほう を怒 おこ らせたと述 の べた [ 70] 。マドンナの広報 こうほう は、彼女 かのじょ に侮辱 ぶじょく の意図 いと は無 な く、なぜWVAが動揺 どうよう したのか理解 りかい していなかったと述 の べた[ 70] 。しかし、WVAの副 ふく 社長 しゃちょう は、「世界中 せかいじゅう のヒンズー教徒 きょうと のコミュニティと東部 とうぶ の精神 せいしん 的 てき な探求 たんきゅう 者 しゃ は、マドンナが悟 さと りを開 ひら いた人生 じんせい に真 しん に関心 かんしん を持 も っているという点 てん で、マドンナに満足 まんぞく しているはずです」と述 の べた[ 71] 。
「レイ・オブ・ライト」は、マドンナのコンサート・ツアーのセットリストに3度 ど 組 く み込 こ まれている。1度目 どめ は2001年 ねん のドラウンド・ワールド・ツアーで、パンク 風 ふう の服 ふく を着 き て演奏 えんそう したネオパンク・セグメントの5曲 きょく 目 め として演奏 えんそう された。背景 はいけい 画面 がめん には曲 きょく のミュージック・ビデオが編集 へんしゅう して流 なが された。この際 さい モンテ・ピットマンがエレキギター を弾 ひ いた[ 72] 。Music OMHのMichael Hubbardはパフォーマンスについて『単純 たんじゅん に崇高 すうこう さが伝 つた わってくる一 いち 曲 きょく だった』と述 の べた。2005年 ねん 、マドンナはLIVE 8 の慈善 じぜん コンサート[ 73] で「レイ・オブ・ライト」を演奏 えんそう し、1年 ねん 後 ご のカリフォルニア州 しゅう インディオで開催 かいさい された2006年 ねん のコーチェラ・フェスティバル でも本 ほん 楽曲 がっきょく を演奏 えんそう した[ 74] 。2度目 どめ のコンサート・ツアーでの披露 ひろう は 2006年 ねん のコンフェッションズ・ツアー で、マドンナはショーの第 だい 3幕 まく であるグラムパンク・セグメントの2曲 きょく 目 め として「レイ・オブ・ライト」のロック・バージョンを披露 ひろう した。このパフォーマンスではマドンナはエレキギターを弾 ひ き、聴衆 ちょうしゅう にジャンプするように煽 あお ったりした。彼女 かのじょ はシンクロした振 ふ り付 つ けをする黒 くろ い服 ふく と白 しろ いネクタイを着 き た6人 にん の男性 だんせい のバックアップダンサーを伴 ともな っていた [ 75] 。ローリング・ストーンはパフォーマンスを「ハードロッキング」と呼 よ んだ [ 76] 。
「レイ・オブ・ライト」は、2007年 ねん にロンドンのウェンブリー・スタジアムで開催 かいさい されたライブ・アース のコンサートで、再 ふたた び演奏 えんそう された[ 77] 、イベントでのマドンナのパフォーマンスは450万 まん 人 にん の人々 ひとびと に見 み られた[ 78] 。3度目 どめ の披露 ひろう となる2008–09年 ねん のスティッキー・アンド・スウィート・ツアー では、ショーの最終 さいしゅう セグメントの3曲 きょく 目 め として披露 ひろう 。マドンナは再 ふたた びエレキギターを弾 ひ き、胸板 むないた と短 みじか いかつらを着用 ちゃくよう した未来 みらい 的 てき な衣装 いしょう を着 き ていた。彼女 かのじょ は同 おな じく未来 みらい 的 てき な衣装 いしょう を着 き てロボット風 ふう の振 ふ り付 つ けを行 おこな ったダンサーを伴 ともな っていた[ 79] 。ニューヨーク・デイリー・ニュースのジム・ファーバーは、この曲 きょく のパフォーマンスをショーの「最 もっと もエネルギーの高 たか い」ダンスナンバーの1つと呼 よ んだ [ 80] 。2016年 ねん 12月6日 にち 、マドンナは『レイト×2ショー with ジェームズ・コーデン 』のカープール・カラオケの企画 きかく に出演 しゅつえん し、この曲 きょく をコーデンと一緒 いっしょ に歌 うた った[ 81] 。2017年 ねん 7月 がつ 27日 にち にフランスのサントロペ で開催 かいさい されたレオナルド・ディカプリオ 主催 しゅさい によるチャリティー・イベントだった[ 82] 。その後 ご 、2023年 ねん の「The Celebration Tour 」でも披露 ひろう された。
アル・ヤンコビック (写真 しゃしん )は、「レイ・オブ・ライト」をカバーした最初 さいしょ のレコーディング・アーティストであり、彼 かれ のメドレー「PolkaPower!」に収録 しゅうろく された。
アル・ヤンコビック の 1999年 ねん のアルバム「ランニング・ウイズ・シザーズ」に収録 しゅうろく されている「ポルカパワー・メドレー」ではポルカ・バージョンの本 ほん 楽曲 がっきょく のコーラスが組 く み込 こ まれている[ 83] 。2004年 ねん のコンピレーション・アルバム『Platinum Blonde NRG, Vol. 2: Nrgised Madonna Classics』ではFuture ForceによってHi-NRG 風 ふう にカバーされたものが収録 しゅうろく された[ 84] 。イギリスの歌手 かしゅ ナターシャ・ベディングフィールド が、BBCラジオ1の40周年 しゅうねん を記念 きねん して「レイ・オブ・ライト」のカバー・バージョンを録音 ろくおん した。そのナターシャのバージョンは2007年 ねん 9月 がつ 19日 にち の『クリス・モイルズ・ショー』で演奏 えんそう され、『Radio 1 Establish 1967』のコンピレーションに収録 しゅうろく されている。ナターシャは「その歌 うた を歌 うた うのがどれほど難 むずか しいかを学 まな んだ後 のち 、私 わたし はマドンナをとても尊敬 そんけい しています。彼女 かのじょ は素晴 すば らしい声 こえ を持 も っています。この歌 うた を歌 うた うのに必要 ひつよう な音域 おんいき は信 しん じられないほどです」と述 の べた。2008年 ねん 、イギー・ポップ とザ・ストゥージズ は、ロックの殿堂 でんどう を受賞 じゅしょう したマドンナへのトリビュートとして授賞 じゅしょう 式 しき で「バーニング・アップ」とともに本 ほん 楽曲 がっきょく を演奏 えんそう した [ 85] 。2010年 ねん 、この曲 きょく は映画 えいが 『バーレスク 』でも挿入歌 そうにゅうか として使用 しよう された[ 86] 。2012年 ねん 後半 こうはん 、アメリカの歌手 かしゅ アダム・ランバート は、VH1 Divasのライヴの中 なか で司祭 しさい の黒 くろ と白 しろ のチュニックを着用 ちゃくよう しながら本 ほん 楽曲 がっきょく のカバーを披露 ひろう した[ 87] 。
この曲 きょく は2001年 ねん のWindows XP の広告 こうこく キャンペーンでも使用 しよう された。内容 ないよう は男性 だんせい が緑 みどり の野原 のはら を飛 と び越 こ えて、晴 は れた空 そら に飛 と び降 お りるところから始 はじ まる。これは、Windows XPのデフォルトの背景 はいけい 画像 がぞう でもある[ 88] 。また、Windows XPを使用 しよう してリアルタイム通信 つうしん を行 おこな ったり、風通 かぜとお しの良 よ いレストランで共同 きょうどう 作業 さぎょう したり、飛 と んでいる人々 ひとびと のデジタル画像 がぞう を中継 ちゅうけい したり、ビデオを見 み たり、音楽 おんがく を聴 き いたりする人々 ひとびと のシーンがそれに続 つづ き、次 つぎ に曲 きょく の歌詞 かし の抜粋 ばっすい が続 つづ く[ 88] 。その抜粋 ばっすい はアメリカ同時 どうじ 多発 たはつ テロ事件 じけん の後 のち に一部 いちぶ が変 か えられた [ 88] 。2008年 ねん 、Sunsilkのシャンプーのコマーシャルでは、マリリン・モンロー とシャキーラ の後 のち にマドンナが登場 とうじょう し、その際 さい 本 ほん 楽曲 がっきょく が使用 しよう された。伝 つた えられるところによると、マドンナはこの曲 きょく の使用 しよう に対 たい して1,000万 まん ドルを受 う け取 と った[ 89] 。このコマーシャルは第 だい 42回 かい スーパーボウル で初 はじ めて放送 ほうそう された[ 89] 。 2010年 ねん 、米国 べいこく のテレビドラマ 『Glee/グリー 』のマドンナへのトリビュート・エピソード「マドンナパワー」において、学校 がっこう のチアリーダーチームのシーンで、「レイ・オブ・ライト」が挿入歌 そうにゅうか として使用 しよう された[ 90] 2011年 ねん の『ファミリー・ガイ 』のエピソード「新 あたら しい腎臓 じんぞう が町 まち にやってくる」では、主人公 しゅじんこう のピーター・グリフィンが、レッドブル を飲 の んだ後 のち に「レイ・オブ・ライト」のビデオを観 み るというシーンがある[ 91] 。
A. "Ray of Light" (Sasha's Strip Down Mix) – 5:00
B. "Ray of Light" (Orbit's Ultra Violet Mix) – 6:59
A1. "Ray of Light" (Sasha's Ultraviolet Mix) – 10:43
A2. "Ray of Light" (Sasha's Strip Down Mix) – 5:00
B1. "Ray of Light" (Victor Calderone Club Mix) – 9:29
B2. "Ray of Light" (William Orbit Liquid Mix) – 8:06
C1. "Ray of Light" (Sasha Twilo Mix) – 10:58
C2. "Ray of Light" (Victor Calderone Drum Mix) – 5:26
D1. "Ray of Light" (Orbit's Ultra Violet Mix) – 6:59
D2. "Ray of Light" (Album Version) – 5:19
A1. "Ray of Light" (Sasha's Ultraviolet Mix) – 10:43
A2. "Ray of Light" (William Orbit Liquid Mix) – 8:06
B1. "Ray of Light" (Victor Calderone Club Mix) – 9:29
B2. "Ray of Light" (Album Version) – 5:19
"Ray of Light" (Album Version) – 5:19
"Has to Be" (Non-Album Track) – 5:15
"Ray of Light" (Sasha's Ultraviolet Mix) – 10:43
"Ray of Light" (Album Version) – 5:19
"Has to Be" (Non-Album Track) – 5:15
"Ray of Light" (Album Version) – 5:19
"Ray of Light" (Sasha's Ultra Violet Mix) – 10:43
"Ray of Light" (William Orbit Liquid Mix) – 8:06
"Ray of Light" (Victor Calderone Club Mix) – 9:29
"Ray of Light" (Sasha's Twilo Mix) – 10:58
"Ray of Light" (Sasha's Strip Down Mix) – 5:00
"Ray of Light" (Victor Calderone Drum Mix) – 5:26
"Ray of Light" (Orbit's Ultra Violet Mix) – 6:59
マドンナ :ボーカル、作詞 さくし 作曲 さっきょく 、プロデューサー
ウィリアム・オービット:作詞 さくし 作曲 さっきょく 、プロデューサー
クライブ・モルドゥーン:作詞 さくし 作曲 さっきょく
デイブ・カーティス:作詞 さくし 作曲 さっきょく
クリスティン・リーチ:作詞 さくし 作曲 さっきょく
パット・マッカーシー:エンジニア
チャート (1999年 ねん )
順位 じゅんい
全米 ぜんべい ダンス・セールス (ビルボード)[ 138]
38
^ a b c Black, Johnny (August 2002). “Making of Ray of Light”. Q 17 (8). ISSN 0955-4955 .
^ Metz & Benson 1999 , pp. 25–26
^ Walter, Barry (April 1998). “Madonna Just Made Her Most Daring Album in Years...” . Spin 14 (4). ISSN 0886-3032 . https://books.google.com/books?id=Jq-A2xEoAHIC November 1, 2011 閲覧 えつらん 。 .
^ a b c d “Curtis Maldoon. Sepheryn ”. Purple Records. April 15, 2012時 じ 点 てん のオリジナル よりアーカイブ。May 25, 2014 閲覧 えつらん 。
^ a b Howe, Alan (January 3, 2017). “Madonna's Ray of Light: track reborn as a dance hit” . The Australian . http://www.theaustralian.com.au/life/madonnas-ray-of-light-track-reborn-as-a-dance-hit/news-story/25364e7ac8fa3e638f0fae0e2204ece0 January 28, 2017 閲覧 えつらん 。
^ Priddey 2014 , p. 198
^ Flick, Larry (February 21, 1998). “WB Expects Madonna To 'Light' Up International Markets” . Billboard 110 (8): 83. ISSN 0006-2510 . https://books.google.com/books?id=GQ8EAAAAMBAJ&pg=PA83 December 8, 2012 閲覧 えつらん 。 .
^ Kot (July 1998). “The Methods and Machinery Behind Madonna's Ray of Light ”. Keyboard . October 9, 1999時 じ 点 てん のオリジナル よりアーカイブ。April 7, 2016 閲覧 えつらん 。
^ a b c d e O'Brien 2008 , pp. 326–327
^ Goldberg (January 27, 1998). “Madonna Reinvents Herself As Queen of Electro-Pop ”. MTV News . October 18, 2011 閲覧 えつらん 。
^ “Madonna Ciccone 'Ray of Light' Sheet Music ”. Musicnotes.com. December 18, 2012 閲覧 えつらん 。
^ a b Sheffield, Rob (April 2, 1998). “Ray Of Light” . Rolling Stone . https://www.rollingstone.com/music/albumreviews/ray-of-light-19980402 October 18, 2011 閲覧 えつらん 。 .
^ a b c d Rooksby 2004 , p. 52
^ a b c Cole (January 9, 2011). “The 100 Best Singles of the 1990s: Madonna, 'Ray of Light' ”. Slant Magazine . p. 17. October 18, 2011 閲覧 えつらん 。
^ a b “Madonna's 50 Greatest Songs: Ray of Light No. 8 ”. Rolling Stone (July 27, 2016). February 1, 2017 閲覧 えつらん 。
^ Patterson, Sylvia (March 7, 1998). “Madonna: The Mother of All Things Pop Is Back” . NME : 38. ISSN 0028-6362 . https://www.nme.com/news/music/madonna-623-1393493 January 30, 2017 閲覧 えつらん 。 .
^ Thomas Erlewine. “Madonna > Ray of Light ”. AllMusic . May 25, 2014 閲覧 えつらん 。
^ Jonas. “Ray of Light [Single] ”. AllMusic . October 18, 2011 閲覧 えつらん 。
^ Maconie , Stuart (April 1998). “Expressing herself”. Q : 105.
^ Flick, Larry (May 16, 1998). “Reviews & Previews” . Billboard 110 (20): 24. ISSN 0006-2510 . https://books.google.com/books?id=QQ0EAAAAMBAJ&pg=PA24 May 25, 2014 閲覧 えつらん 。 .
^ Cinquemani. “Madonna: Ray Of Light ”. Slant Magazine . October 18, 2011 閲覧 えつらん 。
^ Cinquemani (November 8, 2001). “Madonna – GHV2 ”. Slant Magazine . 30 December 2017 閲覧 えつらん 。
^ “Madonna – Ray of Light ”. Sputnikmusic (August 13, 2006). July 14, 2013 閲覧 えつらん 。
^ Thompson, Stephen (March 29, 2002). “Madonna: Ray Of Light” . The A.V. Club . https://www.avclub.com/review/madonna-emray-of-lightem-21034 May 27, 2014 閲覧 えつらん 。 .
^ Considine, J.D. (March 3, 1998). “Seeing, hearing the light Review: Madonna's depth and deft feel for techno pop should sway any nonbelievers.” . The Baltimore Sun . http://articles.baltimoresun.com/1998-03-03/features/1998062049_1_madonna-techno-new-album May 27, 2014 閲覧 えつらん 。
^ Browne, David (March 6, 1998). “Madonna: Ray of Light (1998)” . Entertainment Weekly . https://ew.com/article/1998/03/06/ray-light-2/ May 27, 2014 閲覧 えつらん 。
^ a b Sears (March 4, 2013). “Madonna's 'Ray Of Light' Turns 15: Backtracking ”. Idolator . May 27, 2014 閲覧 えつらん 。
^ a b Rogers (August 16, 2018). “Every one of Madonna's 78 singles – ranked! ”. The Guardian . August 26, 2018 閲覧 えつらん 。
^ Bronson, Fred (July 11, 1998). “With 'Light', Madonna's Life Begins At 40” . Billboard 110 (28): 88. ISSN 0006-2510 . https://books.google.com/books?id=-AkEAAAAMBAJ&pg=PA94 July 15, 2013 閲覧 えつらん 。 .
^ “Top RPM Singles: Issue 3552 ”. RPM . Library Archives of Canada. July 15, 2013 閲覧 えつらん 。
^ “Top RPM Singles: Issue 6984 ”. RPM . Library Archives of Canada. July 15, 2013 閲覧 えつらん 。
^ Patterson, Colin (October 14, 2014). “Ten hits you may not know were cover versions” . BBC News . https://www.bbc.com/news/entertainment-arts-29568083 November 28, 2016 閲覧 えつらん 。
^ “Madonna: The Official Top 40 ”. MTV UK. October 10, 2010時 じ 点 てん のオリジナル よりアーカイブ。December 20, 2010 閲覧 えつらん 。
^ a b “Hits of the World Continued” . Billboard 110 (20): 51. (May 5, 1998). ISSN 0006-2510 . https://books.google.com/books?id=QQ0EAAAAMBAJ&pg=PA50 July 15, 2013 閲覧 えつらん 。 .
^ a b “Hits of the World Continued” . Billboard 110 (21): 63. (May 23, 1998). ISSN 0006-2510 . https://books.google.com/books?id=QQ0EAAAAMBAJ&pg=PA50 July 15, 2013 閲覧 えつらん 。 .
^ a b c “Madonna Takes It To The Dance Floor For 'Ray Of Light' Video ”. MTV News (May 12, 1998). March 2, 2014 閲覧 えつらん 。
^ “Madonna On 'Light' Mysticism, 'Smack My Bitch Up' Video ”. MTV News (April 23, 1998). January 31, 2017 閲覧 えつらん 。
^ a b c d e f g Ericzén, Bobo (May 8, 1998). “Madonna är cool, skön att jobba med [Madonna is cool, comfortable to work with]” (スウェーデン語 ご ). Aftonbladet : pp. 1–2. http://wwwc.aftonbladet.se/puls/9805/08/jonas.html May 25, 2014 閲覧 えつらん 。
^ a b Hay, Carla (September 26, 1998). “MTV Video Music Awards Offers Additional Appel In Its Spetacle” . Billboard 110 (39): 145. ISSN 0006-2510 . https://books.google.com/books?id=GgoEAAAAMBAJ&pg=PA145 May 24, 2014 閲覧 えつらん 。 .
^ a b c Ebiri (July 7, 2016). “Strike a Pose: Madonna's 20 Greatest Videos: Ray of Light (1998) ”. Rolling Stone . January 31, 2017 閲覧 えつらん 。
^ a b c d Ebiri (February 25, 2015). “Express Yourself: The Making of Madonna's 20 Greatest Music Videos: Ray of Light (1998) ”. Rolling Stone . January 31, 2017 閲覧 えつらん 。
^ Ray, Carla (July 18, 1998). “Video Singles Look For Higher Retail Profile” . Billboard 110 (29): 83. ISSN 0006-2510 . https://books.google.com/books?id=9wkEAAAAMBAJ&pg=PA83 May 24, 2014 閲覧 えつらん 。 .
^ “[0 =ss_chart_search_title%3A%22Ray%20Of%20Light%22&f[1]=itm_field_chart_id%3A388&refine=1 Chart Search: Madonna 'Ray of Light']”. Billboard . February 2, 2017 閲覧 えつらん 。
^ “Italian Director Claims Plagiarism In Madonna Video ”. MTV News (June 29, 1998). October 18, 2011 閲覧 えつらん 。
^ Fouz-Hernández & Jarman-Ivens 2004 , p. 93
^ Guilbert 2002 , p. 172
^ Guilbert 2002 , p. 174
^ Harpold 2009 , p. 240
^ Fouz-Hernández & Jarman-Ivens 2004 , p. 44
^ Fouz-Hernández & Jarman-Ivens 2004 , p. 91
^ Basham, David (October 8, 1999). “Madonna Offers Up New Video Compilation” . MTV News. http://www.mtv.com/news/1431573/madonna-offers-up-new-video-compilation/ April 7, 2016 閲覧 えつらん 。
^ Greenblatt, Leah (August 26, 2009). “Madonna's 'Celebration' track list revealed: Are the greatest hits all there?” . Entertainment Weekly . https://www.ew.com/article/2009/08/26/madonna-celebration-track-list July 6, 2016 閲覧 えつらん 。
^ “41st annual Grammy nominees ”. CNN (January 5, 1999). May 25, 2014 閲覧 えつらん 。
^ “General Categories” . Los Angeles Times . (February 25, 1999). https://articles.latimes.com/1999/feb/25/news/mn-11684 May 25, 2014 閲覧 えつらん 。
^ “Pazz & Jop 1998: Critics Poll ”. Robert Christgau (March 2, 1999). October 18, 2011 閲覧 えつらん 。
^ Hazelwood, Darrell T. (May 28, 1999). “Flash! / The latest entertainment news and more...”. Newsday : A.16. ISSN 0278-5587 .
^ Pride, Dominic (October 30, 1999). “Lange Aces PRS Awards: Writers Of Most-Played U.S. Songs Feted”. Billboard 111 (44): 70. ISSN 0006-2510 .
^ Hunter, Nigel (April 29, 2000). “Shania Twain Garners 4 Novello Nominations”. Billboard 112 (18): 71. ISSN 0006-2510 .
^ Q - 1001 best songs ever (2003)
^ Staff, Blender (October 2005). “The 500 Greatest Songs Since You Were Born” . Blender . http://www.blender.com/guide/articles.aspx?ID=1759 February 1, 2017 閲覧 えつらん 。 .
^ “Madonna's 15 Best Songs: Billboard Staff Picks ”. Billboard (September 9, 2015). February 1, 2017 閲覧 えつらん 。
^ Arnold (August 15, 2018). “Madonna's 60 best singles, ranked ”. Entertainment Weekly . September 28, 2018 閲覧 えつらん 。
^ “1998 Video Music Awards ”. MTV. May 31, 2014 閲覧 えつらん 。
^ “14th Annual International Dance Music Awards ”. Winter Music Conference . March 6, 2011時 じ 点 てん のオリジナル よりアーカイブ。December 6, 2010 閲覧 えつらん 。
^ “1998 Much Music Video Awards – Winners ”. Much Music Video Awards . June 1, 2008時 じ 点 てん のオリジナル よりアーカイブ。December 15, 2010 閲覧 えつらん 。
^ Hay, Carla (April 24, 1999). “Squarepusher Pulls In Three At MVPA Music Video Awards” . Billboard 111 (17): 76. ISSN 0006-2510 . https://books.google.com/books?id=eigEAAAAMBAJ .
^ “Madonna tops MTV 'groundbreaking' videos poll ”. Hürriyet Daily News (July 25, 2006). January 31, 2017時 じ 点 てん のオリジナル よりアーカイブ。January 20, 2017 閲覧 えつらん 。
^ “Madonna plays the Roxy, NYC ”. Madonna.com (February 16, 1998). February 9, 2014 閲覧 えつらん 。
^ “Madonna Steps Into The Media 'Light' With Oprah, Firms Up Film Work ”. MTV News (May 25, 1998). May 13, 2012 閲覧 えつらん 。
^ a b “Madonna's VMA Performance Draws Ire Of Hindu Organization ”. MTV News (September 15, 1998). May 31, 2014 閲覧 えつらん 。
^ “Madonna Draws Praise From Leader Of Previously Critical Hindu Group ”. MTV News (September 17, 1998). May 27, 2014 閲覧 えつらん 。
^ Clerk 2002 , p. 172
^ “The Live 8 Event” . BBC News . https://www.bbc.co.uk/music/thelive8event/ June 14, 2005 閲覧 えつらん 。
^ “Coachella Day Two: Madonna Makes It Quick, Gnarls Goes 'Crazy' ”. Billboard (May 1, 2006). August 12, 2020 閲覧 えつらん 。
^ Gonzalez (August 23, 2006). “Madonna: Confessions Tour ”. Slant Magazine . October 15, 2009 閲覧 えつらん 。
^ Baltin, Steve (May 22, 2006). “Madonna Launches Tour With Disco Crucifixion” . Rolling Stone . https://www.rollingstone.com/music/news/madonna-launches-tour-with-disco-crucifixion-20060522 July 14, 2013 閲覧 えつらん 。
^ Lewis, Derence (July 7, 2007). “Madge closes Live Earth with a bouncing, planet-saving set” . MTV News. http://www.mtv.co.uk/live-earth/news/madonna-jump-for-earth May 21, 2009 閲覧 えつらん 。
^ Sweney, Mark (July 9, 2007). “Complaints over Live Earth swearing” . The Guardian (London). https://www.theguardian.com/media/2007/jul/09/broadcasting.bbc May 11, 2010 閲覧 えつらん 。
^ Liss, Sarah (October 20, 2008). “Live review: Madonna feels it in her heartbeat” . Canadian Broadcasting Corporation . http://www.cbc.ca/newsblogs/arts/the-buzz/2008/10/live-review-madonna-feels-it-in-her-heartbeat.html November 6, 2009 閲覧 えつらん 。
^ Farber, Jim (August 24, 2008). “Madonna rocks hard, wears little in Sticky and Sweet start” . Daily News (New York). http://www.nydailynews.com/entertainment/music-arts/madonna-rocks-hard-wears-sticky-sweet-start-article-1.314015 July 14, 2013 閲覧 えつらん 。
^ Kelley (December 8, 2016). “Madonna Twerks, Vogues and Talks Kissing Michael Jackson in Full Carpool Karaoke (Watch) ”. Variety . January 20, 2019 閲覧 えつらん 。
^ Gardner (July 27, 2017). “Madonna Makes Surprise Appearance at Leonardo DiCaprio's St. Tropez Fundraiser ”. The Hollywood Reporter . October 31, 2017 閲覧 えつらん 。
^ Considine, J.D. (July 23, 1999). “Running with Scissors Review” . Entertainment Weekly . https://ew.com/article/1999/07/23/running-scissors-6/ April 1, 2012 閲覧 えつらん 。
^ “Various Artists - Platinum Blonde NRG, Vol. 2: Nrgised Madonna Classics ”. Allmusic. Rovi Corporation. July 15, 2013 閲覧 えつらん 。
^ “Madonna Has Her Say At Rock Hall Ceremony” . CBS News . (March 18, 2008). https://www.cbsnews.com/news/madonna-has-her-say-at-rock-hall-ceremony/ May 18, 2010 閲覧 えつらん 。
^ “Burlesque ” (ポルトガル語 ご ). Terra Networks . July 15, 2013 閲覧 えつらん 。
^ “Miley Cyrus, Demi Lovato and Adam Lambert unleash their inner divas... ”. MTV Australia (December 18, 2012). July 16, 2013 閲覧 えつらん 。
^ a b c “Microsoft Campaign Borrows Madonna's 'Ray'” . Billboard . (October 16, 2001). https://www.billboard.com/music/music-news/microsoft-campaign-borrows-madonnas-ray-78081/ July 15, 2013 閲覧 えつらん 。
^ a b Elliott, Stuart (January 14, 2008). “I'm Gonna Wash That Brand Right Into My Hair” . The New York Times . http://mediadecoder.blogs.nytimes.com/2008/01/14/im-gonna-wash-that-brand-right-into-my-hair/ May 27, 2014 閲覧 えつらん 。
^ Stack, Tim (October 21, 2009). “'Glee' Exclusive: Madonna is on board! Is Adam Lambert next?” . Entertainment Weekly . https://ew.com/article/2009/10/21/glee-exlcusive-madonna-is-in-is-adam-lambert-next/ March 4, 2010 閲覧 えつらん 。
^ Deeken (January 10, 2011). “'Family Guy' Patriarch Covers Madonna, Causes 'Price Is Right' Mayhem ”. TV Squad. January 10, 2011 閲覧 えつらん 。
^ Ray of Light (US 12" vinyl liner notes). Madonna. Maverick Records. 1998. SAM 3269。
^ Ray of Light (US 2 x 12" vinyl liner notes). Madonna. Maverick Records. 1998. 9 44523-0。
^ Ray of Light (EU 12" vinyl liner notes). Madonna. Maverick Records. 1998. W 0444 T。
^ Ray of Light (EU CD Single liner notes). Madonna. Maverick Records. 1998. 9362 44535-2。
^ Ray of Light (US 7" vinyl liner notes). Madonna. Maverick Records. 1998. 7-17206。
^ Ray of Light (US CD Single liner notes). Madonna. Maverick Records. 1998. 9 17206-2。
^ Ray of Light (AU えーゆー CD Single liner notes). Madonna. Maverick Records. 1998. 5439-17209-2。
^ Ray of Light (JP CD Single liner notes). Madonna. Maverick Records. 1998. WPCR-10525。
^ Ray of Light (UK cassette single liner notes). Madonna. Maverick Records. 1998. W0444C。
^ Ray of Light (UK Maxi-CD liner notes). Madonna. Maverick Records. 1998. 9 44523-2。
^ Ray of Light (AU えーゆー Maxi-CD liner notes). Madonna. Maverick Records. 1998. 9362-44521-2。
^ Ray of Light (EU Maxi-CD liner notes). Madonna. Maverick Records. 1998. W 0444 CD。
^ Ray of Light (JP Maxi-CD liner notes). Madonna. Maverick Records. 1998. WPCR-1860。
^ Ray of Light (UK CD single 1 liner notes). Madonna. Maverick Records. 1998. W 0444 CD。
^ Ray of Light (UK CD single 2 liner notes). Madonna. Maverick Records. 1998. W 0444 CD2。
^ "Australian-charts.com – {{{artist}}} – {{{song}}}" . ARIA Top 50 Singles .
^ "Austriancharts.at – {{{artist}}} – {{{song}}}" (in German). Ö3 Austria Top 40 .
^ "Ultratop.be – {{{artist}}} – {{{song}}}" (in Dutch). Ultratop 50 .
^ "Ultratop.be – {{{artist}}} – {{{song}}}" (in French). Ultratop 50 .
^ ERROR: Billboard chart was invoked without providing an artist. Artist is a mandatory field for this call. "{{{artist}}} Chart History (Canadian Hot 100)" . Billboard .
^ “HR Top 20 Lista ”. Croatian Radiotelevision . May 24, 1998時 じ 点 てん のオリジナル よりアーカイブ。March 7, 2021 閲覧 えつらん 。
^ “European Radio Top 50” . Music & Media : 20. (June 13, 1998). https://worldradiohistory.com/UK/Music-and-Media/90s/1998/MM-1998-06-13.pdf July 31, 2019 閲覧 えつらん 。 .
^ "{{{artist}}}: {{{song}}}" (in Finnish). Musiikkituottajat – IFPI Finland .
^ "Lescharts.com – {{{artist}}} – {{{song}}}" (in French). Les classement single .
^ "Musicline.de – {{{artist}}} Single-Chartverfolgung" (in German). Media Control Charts . PhonoNet GmbH.
^ “Top National Sellers” . Music & Media 15 (23): 16. (June 6, 1998). https://worldradiohistory.com/UK/Music-and-Media/90s/1998/MM-1998-06-06.pdf May 4, 2018 閲覧 えつらん 。 .
^ a b “Top National Sellers” . Music & Media 15 (21): 22. (May 23, 1998). https://worldradiohistory.com/UK/Music-and-Media/90s/1998/MM-1998-05-23.pdf June 8, 2020 閲覧 えつらん 。 .
^ “Íslenski Listinn Topp 40 (NR. 272 Vikuna 14.5. – 21.5. 1998)” (アイスランド語 ご ). Dagblaðið Vísir : p. 22. (May 15, 1998). https://timarit.is/page/2969265#page/n7/mode/2up July 6, 2018 閲覧 えつらん 。
^ "Dutchcharts.nl – {{{artist}}} – {{{song}}}" (in Dutch). Single Top 100 .
^ "Charts.org.nz – {{{artist}}} – {{{song}}}" . Top 40 Singles .
^ "Swedishcharts.com – {{{artist}}} – {{{song}}}" . Singles Top 100 .
^ "Swisscharts.com – {{{artist}}} – {{{song}}}" . Swiss Singles Chart .
^ "{{{artist}}}: Artist Chart History" . Official Charts Company .
^ ERROR: Billboard chart was invoked without providing an artist. Artist is a mandatory field for this call. "{{{artist}}} Chart History (Hot 100)" . Billboard .
^ ERROR: Billboard chart was invoked without providing an artist. Artist is a mandatory field for this call. "{{{artist}}} Chart History (Adult Pop Songs)" . Billboard .
^ ERROR: Billboard chart was invoked without providing an artist. Artist is a mandatory field for this call. "{{{artist}}} Chart History (Dance Club Songs)" . Billboard .
^ ERROR: Billboard chart was invoked without providing an artist. Artist is a mandatory field for this call. "{{{artist}}} Chart History (Pop Songs)" . Billboard .
^ "Music Video Sales: {{{date}}}" . Billboard .
^ ERROR: Billboard chart was invoked without providing an artist. Artist is a mandatory field for this call. "{{{artist}}} Chart History (Rhythmic)" . Billboard .
^ “ARIA Charts – End of Year Charts – Top 100 Singles 1998 ”. Australian Recording Industry Association. October 18, 2011 閲覧 えつらん 。
^ “RPM's Top 100 Hit Tracks of '98” . RPM 63 (12): 20. (December 14, 1998). http://rpmimages.3345.ca/pdfs/Volume+68-No.+12-December+14%2C+1998.pdf March 23, 2019 閲覧 えつらん 。 .
^ “Eurochart Hot 100 Singles 1998” . Music & Media 15 (51): 8. (December 19, 1998). OCLC 29800226 . https://worldradiohistory.com/UK/Music-and-Media/90s/1998/MM-1998-12-19.pdf December 24, 2018 閲覧 えつらん 。 .
^ “Classement Singles année 1998 ” (フランス語 ふらんすご ). Syndicat National de l'Édition Phonographique. September 5, 2012時 じ 点 てん のオリジナル よりアーカイブ。December 20, 2012 閲覧 えつらん 。
^ “Best Sellers of 1998 – Singles Top 100”. Music Week : 7. (January 16, 1999).
^ “Najlepsze single na UK Top 40-1998 wg sprzedaży ” (ポーランド語 ご ). June 4, 2015時 じ 点 てん のオリジナル よりアーカイブ。April 30, 2019 閲覧 えつらん 。
^ a b c “Billboard Year End Issue 1998 ”. Billboard . p. 90. August 28, 2010 閲覧 えつらん 。
^ “1999 the year in music: Dance: Hot Dance Maxi -Singles Sales” . Billboard 111 (52): YE-61. (December 25, 1999). https://worldradiohistory.com/Archive-All-Music/Billboard/90s/1999/BB-1999-12-25.pdf April 8, 2021 閲覧 えつらん 。 .
1980年代 ねんだい
82年 ねん 83年 ねん 84年 ねん 85年 ねん 86年 ねん 87年 ねん 88年 ねん 89年 ねん
1990年代 ねんだい
90年 ねん 91年 ねん 92年 ねん 93年 ねん 94年 ねん 95年 ねん 96年 ねん 97年 ねん 98年 ねん 99年 ねん
2000年代 ねんだい
00年 ねん 01年 ねん 02年 ねん 03年 ねん 05年 ねん 06年 ねん 07年 ねん 08年 ねん 09年 ねん
2010年代 ねんだい
2020年代 ねんだい