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ロールス・ロイス クレシー

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』

クレシー英語えいご:Crecy )とは、イギリスロールス・ロイス開発かいはつした実験じっけんてき航空こうくうようエンジンである。排気はいきりょうやく26リットル (1,536in3) の2ストローク、90Vがた12気筒きとうえきひやしきで、スリーブバルブ直接ちょくせつ燃料ねんりょう噴射ふんしゃ装置そうち特徴とくちょうである。ほんエンジンは、1941ねんから1945ねんあいだ開発かいはつすすめられ[1]飛行ひこう試験しけんスーパーマリン スピットファイアへの採用さいようかんがえられていたが、結局けっきょくいずれの機体きたいにももちいられず、ジェットエンジン開発かいはつ進展しんてんにより1945ねん12月に中止ちゅうしさせられた。

名前なまえ由来ゆらい[編集へんしゅう]

ほんエンジンの名前なまえクレシーのたたか由来ゆらいし、このがロールス・ロイスの2ストロークエンジンの名前なまえとしてまることとなった。しかし、量産りょうさんされることなく、こののちはジェットエンジンがかわ名前なまえづけられることになる[2]

設計せっけい開発かいはつ[編集へんしゅう]

えい連邦れんぽう航空こうくう研究けんきゅう諮問しもん委員いいんかい (ARC) 委員いいんちょうであったヘンリー・ティザードきょうは、1935ねんにはドイツ航空こうくう戦力せんりょく脅威きょういかんじて強力きょうりょく短距離たんきょり走者そうしゃsprintてきなエンジンを提唱ていしょうしその必要ひつようせいうったえた。このうったえはティザードの個人こじんてき友人ゆうじんのハリー・リカルドを感化かんかし、クレシーとしてられるものの開発かいはつにつながった[3]。このあんはじめて公式こうしき議論ぎろんされたのは、1935ねん12月のエンジンしょう委員いいんかいであった。

"議長ぎちょうはもし空軍くうぐんしょう短距離たんきょり走者そうしゃてき国土こくど防衛ぼうえいのためのエンジンをほっしたならば我々われわれはどれだけ燃料ねんりょう軽視けいしできるのか質問しつもんせねばならないとった。リカルドはこのてんについて最近さいきん談話だんわでの要望ようぼうで、一定いってい状況じょうきょうはげしい燃料ねんりょう消費しょうひ許容きょようされないかもしれず、もしそうならば魅力みりょくてきな2ストローク・ガソリンエンジンの可能かのうせいにつながる研究けんきゅう必要ひつようだといった。"

1927ねんと1930ねんもちいられたケストレルエンジンの経験けいけんは、空軍くうぐんしょうとの契約けいやくつうじて2ストロークとスリーブバルブ設計せっけい研究けんきゅう価値かち証明しょうめいした。どちらも最初さいしょのうちは原型げんけいよりてい出力しゅつりょく機械きかいてき故障こしょう顕著けんちょ増加ぞうかられるディーゼルのスリーブバルブしきかわそうされた。

1937ねんにプロジェクトエンジニアのハリー・ウッドのもとでたんがた開発かいはつがリカルドの設計せっけいした試験しけんユニットをもちいて開始かいしされた。最初さいしょかんがえられたのは、圧縮あっしゅく点火てんかエンジンとしてであったが、ロールス・ロイスが本腰ほんごしれて開発かいはつはじめると空軍くうぐんしょう決定けっていでより保守ほしゅてき火花ひばな点火てんかしきあらためられた。

技術ぎじゅつてき特徴とくちょう[編集へんしゅう]

最初さいしょ完全かんぜんな12気筒きとうがたはハリー・ウッドとチーフディレクターのエディー・ガスにひきいられたチームの設計せっけいで1941ねん完成かんせいした。内径ないけい5.1 in (129.5 mm)、行程こうてい6.5 in (165.1 mm)、圧縮あっしゅく7:1、重量じゅうりょう 1,900 lb (862 kg)[4]点火てんか時期じき 30° BTDC、 15 lbf/in2 (100 kPa) のスーパーチャージャーによるブーストが特徴とくちょうてきだった。ベンチテストでは1,400馬力ばりき (1,000 kW) を発揮はっきしたが、ピストンとスリーブ冷却れいきゃく振動しんどうなどに問題もんだいしょうじた[5]騒々そうぞうしい2ストローク機関きかんからされる排気はいき由来ゆらい推力すいりょく最大さいだい出力しゅつりょくでは30%増大ぞうだいさせるとみられている。この特徴とくちょう興味深きょうみぶかいものであり高速こうそくこう高度こうどにおいてマーリン研究けんきゅうちゅうだったジェットエンジンのあいだのつなぎとして有用ゆうようかもしれなかった。ロールス・ロイスの慣習かんしゅうでは正面しょうめんから時計とけいまわりの回転かいてんしきエンジンにあたえられる偶数ぐうすうのシリアルナンバーをあたえられた。

テスト総括そうかつひょう[編集へんしゅう]

以下いか試験しけん運転うんてん時間じかん特記とっきすべき失敗しっぱいについてまとめたひょうである。

データの出典しゅってん:[6]

エンジン 期間きかん 備考びこう 試験しけん時間じかん
クレシー2 1941ねん4がつ11にち はつ稼動かどう。シリンダーヘッドブロックいち体型たいけい。ピストンの不調ふちょうのためテスト中止ちゅうし 69
1942ねん11月 –
1942ねん12月
この期間きかんちゅうに3かいのリビルド。ピストンがいたため35あいだ試験しけん中止ちゅうし 67
1943ねん2がつ
1943ねん7がつ
シリンダーヘッドを分離ぶんりしたMkIIがたえ。この期間きかんで3かいのリビルド。空軍くうぐんしょう承認しょうにんテストを通過つうか 38
1944ねん3がつ
1944ねん7がつ
5かいのリビルドをおこなう。おなながさのインジェクターこう改良かいりょうがたきゅう装置そうちけ。スーパーチャージャーの故障こしょうとスリーブバルブのきをこす 82
1944 –
November 1944
完成かんせいたかかたがテストに合格ごうかくする(112 あいだ)。コネクティングロッドにおけるビグエンド、ピストン、減速げんそくケースのひびれとスリーブバルブの異常いじょう動作どうさなどが運転うんてんあきらかになった 150
1945ねん3がつ
1945ねん4がつ
耐久たいきゅう試験しけんおこなわれ27あいだでピストンが故障こしょう。2かいのリビルドをおこな 49
(Total hours: 461)
クレシー4 1941ねん11月 報告ほうこくなし 55
1942ねん7がつ
1942ねん8がつ
3かいのリビルド。50あいだ耐久たいきゅう試験しけん成功せいこうし、2度目どめ試験しけんシリンダーブロックがクラッキングにより破損はそん中止ちゅうしされる 80
1942ねん9がつ
1942ねん10がつ
リビルド2かい。 25あいだ耐久たいきゅう稼動かどう成功せいこうし、つぎ試験しけんでスリーブバルブの破損はそんにより中止ちゅうし 55
(Total hours: 293)
クレシー6 1943ねん7がつ
1944ねん2がつ
Mk IIがたとして製造せいぞうされただい1号機ごうき。 8かいのリビルド。スーパーチャージャーの故障こしょう、スリーブバルブの異常いじょう動作どうさ、ボルトの破砕はさいなどがこす 126
1944ねん3がつ
1944ねん9がつ
4かいのリビルド。スーパーチャージャーの円滑えんかつ動作どうさ失敗しっぱい、スリーブバルブのきがこす 93
1944ねん11月 –
1945ねん2がつ
3かいのリビルド、メインベアリングとピストンの故障こしょう発生はっせい 128
1945ねん7がつ
1945ねん8がつ
リビルドは1かい耐久たいきゅう試験しけんは95あいだでスリーブバルブの故障こしょうにより中止ちゅうし。プロペラをけた稼動かどうを40あいだ 132
(Total hours: 481)
クレシー8 1943ねん9がつ
1944ねん3がつ
8かいのリビルド。耐久たいきゅう試験しけん完遂かんすい成功せいこう 207
1944ねん4がつ スーパーチャージャーが故障こしょう 73
1944ねん7がつ
1944ねん9がつ
5かいのリビルド。故障こしょう報告ほうこくされず 32
1944ねん10がつ
1945ねん12月
2かいのリビルド。ピストンの故障こしょう排気はいきタービンの 22
(Total hours: 336)
クレシー10 1944ねん8がつ
1945ねん2がつ
6かいのリビルド。7あいだ運転うんてん吸気きゅうき集合しゅうごうかん溶解ようかい、その4あいだでスリーブバルブのき。2のインジェクターポンプの故障こしょう 53
1945ねん3がつ
1945ねん7がつ
ピストンの故障こしょうにより1かいのリビルド 30
1945ねん7がつ
1945ねん9がつ
2かいのリビルド。排気はいきタービンをけ、なんかスーパーチャージャーなしで運転うんてん。 スリーブバルブとスーパーチャージャーが故障こしょう 82
(Total hours: 166)
クレシー12 1945ねん1がつ
1945ねん10がつ
4かいのリビルド。排気はいきタービンのけ。タービン、ピストン、スリーブバルブが故障こしょう (Total hours: 67)

計画けいかく中止ちゅうし[編集へんしゅう]

ジェットエンジンの開発かいはつ進展しんてんによりクレシーやエンジンの改修かいしゅう不要ふようになった。その結果けっか、8Vがた2気筒きとう計画けいかくちゅう追加ついか生産せいさんされていたがまだ6試験しけん完成かんせいするのみだった1945ねん12月に中止ちゅうしとなった。クレシーは1,798馬力ばりき達成たっせいし、1944ねん12月21にち排気はいきタービンをけてからは2,500馬力ばりき達成たっせいした。つづいて1気筒きとうだけでの試験しけんでは、完全かんぜんなエンジンの場合ばあいなら5,000馬力ばりき相当そうとうするとかんがえられる出力しゅつりょく達成たっせいした。1945ねん7がつ時点じてん総計そうけい1,060あいだ稼動かどうを12気筒きとうエンジンでおこない、さらに2気筒きとうで8,600あいだ試験しけんのこされたクレシーがどうなったかはさだかではない。

搭載とうさい予定よてい[編集へんしゅう]

ホーカー ヘンリー[編集へんしゅう]

もしクレシーが飛行ひこうすることがあれば、1943ねん3がつ28にちえのためハックナルにとどけられたL3385(ホーカー ヘンリー)が使用しようしたとかんがえられる。この機体きたいは1945ねん9がつ11にちまでハックナルにのこされたまま、エンジンをかわそうされることなくスクラップにされた。

スーパーマリン スピットファイア[編集へんしゅう]

1941ねんなつ、ホーカー ヘンリーの到着とうちゃくから2ねん経過けいかし、P7674(スーパーマリン スピットファイア Mk. II)が、カウルやシステムの詳細しょうさい設計せっけいのためのモックアップを搭載とうさいするためハックナルに到着とうちゃくした。また1942ねん初期しょき生産せいさんがたのスピットファイア Mk IIIが飛行ひこうえうるクレシーのために手配てはいされたが結局けっきょくとどけられることはなかった[7]。1942ねん3がつロイヤル・エアクラフト・エスタブリッシュメント報告ほうこくしょ (No. E.3932) では、クレシーを搭載とうさいしたスピットファイアはグリフォン61がた強化きょうかがた搭載とうさいしたものに匹敵ひってきするとかんがえられるとしている。この報告ほうこくしょはクレシーの最大さいだい出力しゅつりょくはスピットファイアの機体きたいフレームにはあまるが、その出力しゅつりょく抑制よくせいばんならばグリフォン搭載とうさいをかなりえる性能せいのう発揮はっきするだろうとしている[8]

仕様しよう[編集へんしゅう]

出典しゅってん The Rolls-Royce Crecy[4]

一般いっぱん仕様しよう[編集へんしゅう]

  • 形式けいしき:12シリンダーきゅうえきひや2ストロークピストンエンジン
  • 内径ないけい:5.1インチ(129.5 mm)
  • 行程こうてい:6.5インチ(165.1 mm)
  • 排気はいきりょう:1,536立法りっぽうインチ(26リットル)
  • 空虚くうきょ重量じゅうりょう:1,900ポンド(862 kg)

構成こうせい要素ようそ[編集へんしゅう]

  • バルブ・トレーン:クランクシャフト駆動くどうスリーブバルブ往復おうふく
  • スーパーチャージャー:ギア駆動くどう遠心えんしんしきスーパーチャージャ(最大さいだいで24psi(165 kPa) のブーストまでのむかいかく可変かへんインペラーブレード装備そうび
  • ターボチャージャー:3のエンジンが排気はいきタービンを搭載とうさい。(Whittle W.1タービンの50%スケール)
  • 燃料ねんりょう系統けいとう:直接ちょくせつ燃料ねんりょう噴射ふんしゃ装置そうち,2 × CAV 6シリンダーポンプ
  • 燃料ねんりょう:100オクタンガソリン
  • すべり系統けいとう:ギアポンプ
  • 冷却れいきゃくけいとう:えきひや
  • 減速げんそくギア: 0.451:1(左手ひだりて牽引けんいん

性能せいのう[編集へんしゅう]

  • 出力しゅつりょく:2,729馬力ばりき
  • 出力しゅつりょく:1.77 hp/in³ (78.2 kW/L)
  • 圧縮あっしゅくりつ: 7:1
  • 燃料ねんりょう消費しょうひりょう: 85.4 gal/hr (388.2 L/hr、2,500 rpm
  • 燃料ねんりょう消費しょうひりつ:0.55 pints/hp/hr(排気はいきタービン利用りようで1,800 rpm
  • 出力しゅつりょく重量じゅうりょう:1.43 hp/lb (2.36 kW/kg)

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ Gunston 1986, p.143.
  2. ^ Nahum, Foster-Pegg, Birch 1994, p.40.
  3. ^ Nahum, Foster-Pegg, Birch 1994, p.26.
  4. ^ a b Nahum, Foster-Pegg, Birch 1994, pp.42–44.
  5. ^ Rubbra 1990, p.149.
  6. ^ Nahum, Foster-Pegg, Birch 1994, pp.127-131.
  7. ^ Production of the Spitfire Mk III did not proceed beyond a prototype aircraft
  8. ^ Nahum, Foster-Pegg, Birch 1994, pp.103–104

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • Nahum, A., Foster-Pegg, R.W., Birch, D. The Rolls-Royce Crecy, Rolls-Royce Heritage Trust. Derby, England. 1994 ISBN 1-872922-05-8
  • Gunston, Bill. World Encyclopedia of Aero Engines. Cambridge, England. Patrick Stephens Limited, 1989. ISBN 1-85260-163-9
  • Hiett,G.F., Robson, J.V.B. A High-Power Two-Cycle Sleeve-Valve Engine for Aircraft: A Description of the Development of the Two-Cycle Petrol-Injection Research Units Built and Tested in the Laboratory of Messrs Ricardo & Co. Ltd. Journal: Aircraft Engineering and Aerospace Technology. Year: 1950 Volume: 22 Issue: 1 Page: 21 - 23. ISSN 0002-2667
  • Lumsden, Alec. British Piston Engines and their Aircraft. Marlborough, Wiltshire: Airlife Publishing, 2003. ISBN 1-85310-294-6.
  • Rubbra, A.A. Rolls-Royce Piston Aero Engines - a designer remembers: Historical Series no 16 :Rolls Royce Heritage Trust, 1990. ISBN 1-87292-200-7

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]