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三浦 実生(みうら じつお、1883年(明治16年)11月[1] - 1957年〈昭和32年〉11月8日[2])は、日本の農商務・内務官僚。官選県知事。
広島県出身。三浦新平の二男として生まれる[1][3]。山口高等学校を卒業[4]。1905年、東京帝国大学法科大学法律学科(独法)を卒業後、大学院に進んだ。1907年11月、文官高等試験行政科試験に合格。農商務に入省し保険事務官補となる[1][3][4]。
以後、山林事務官兼農商務書記官、林務官、山林局書記官兼農商務書記官、秋田大林区署長、農商務書記官兼同参事官、製鐵所理事、特許局次長、農商務省山林局長などを歴任[1][3]。
1924年(大正13年)12月17日、山形県知事に就任。小作争議の対策に尽力した[3]。また、1926年(大正15年)4月26日から経営不振で休業した山形銀行[5]への対策に奔走し、7月13日に営業再開に結びつけた[6]。同年9月28日、香川県知事に転任し、同県でも小作争議の解決に尽力した[7]。1927年(昭和2年)5月17日に知事を休職[8]。1928年(昭和3年)1月10日に依願免本官となり退官した[9]。
その後、帝国競馬協会常務理事、日本競馬会監事、農機具配給 (株) 社長、農機具工業組合聯合会理事長、農機具商業組合聯合会理事長、農機具輸出組合理事長などを務めた[1]。
- ^ a b c d e 『人事興信録』第13版 下、ミ5。
- ^ 『50年の歩み』165頁。
- ^ a b c d 『新編日本の歴代知事』196頁。
- ^ a b 『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』189頁。
- ^ 山形銀行が休業『大阪毎日新聞』大正15年4月27日(『大正ニュース事典第7巻 大正14年-大正15年』本編p145 大正ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
- ^ 山形銀行が払い戻し開始『山形新聞』大正15年7月13日(『大正ニュース事典第7巻 大正14年-大正15年』本編p146)
- ^ 『新編日本の歴代知事』899頁。
- ^ 『官報』第113号、昭和2年5月18日。
- ^ 『官報』第308号、昭和3年1月11日。
- 歴代知事編纂会編『新編日本の歴代知事』歴代知事編纂会、1991年。
- 秦郁彦編『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』東京大学出版会、2001年。
- 人事興信所編『人事興信録』第13版 下、1941年。
- 50年史編輯室編『50年の歩み』佐藤造機、1964年。
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