(Translated by https://www.hiragana.jp/)
人生いろいろ - Wikipedia コンテンツにスキップ

人生じんせいいろいろ

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
人生じんせいいろいろ」
島倉しまくら千代子ちよこシングル
Bめん はなごよみ
リリース
規格きかく シングル
録音ろくおん 1987ねん1がつ23にち[1]
ジャンル 演歌えんか歌謡かようきょく
時間じかん
レーベル 日本にほんコロムビア
作詞さくし作曲さっきょく 作詞さくし中山なかやまだい三郎さぶろう
作曲さっきょく浜口はまぐち庫之助くらのすけ
ゴールドディスク
チャート最高さいこう順位じゅんい
  • 週間しゅうかん16オリコン
  • 1988年度ねんど年間ねんかん54(オリコン)
  • 1989年度ねんど年間ねんかん72(オリコン)
  • 登場とうじょう回数かいすう86かい(オリコン)
  • 島倉しまくら千代子ちよこ シングル 年表ねんぴょう
    浅草あさくさメロドラマ
    (1987ねん
    人生じんせいいろいろ
    1987ねん
    浪花なにわ姉妹しまい
    (1987ねん
    音楽おんがく音声おんせい外部がいぶリンク
    人生じんせいいろいろ」 (アルバム『究極きゅうきょくベスト』より) - YouTube
    テンプレートを表示ひょうじ

    人生じんせいいろいろ」(じんせいいろいろ)は、1987ねん4がつ21にち島倉しまくら千代子ちよこ発表はっぴょうしたシングルである。自身じしん最大さいだいのヒット(オリコンチャートうえ)・代表だいひょうきょくった。

    概要がいよう

    [編集へんしゅう]

    TBS同局どうきょく放送ほうそうしたテレビドラマさんどしま』の主題歌しゅだいか制作せいさく日音にちおん依頼いらいして制作せいさくされた楽曲がっきょく島倉しまくら代表だいひょうきょくでもある[2][3]浜口はまぐち函館はこだてまちをイメージしてつくった「さかのあるまち」が原曲げんきょく当初とうしょ作詞さくししゃ中山なかやま予定よていした曲名きょくめいは「わらいばなしにして」[3]で、「はなごよみ」のBめんきょくだった[3]当初とうしょさけさをらす歌詞かしさけまない島倉しまくらわせて一部いちぶ歌詞かし変更へんこう[3]。レコーディング同席どうせきした村上むらかみつかさ山田やまだひろさく判断はんだんにより、タイトルをかりやすい「人生じんせいいろいろ」に変更へんこう[1][4]、Aめんきょくになった[4]

    ほん楽曲がっきょく話題わだいになりはじめたのは、1987ねん10がつ13にちの「だい20かい日本にっぽん作詩さくし大賞たいしょう」の受賞じゅしょうがきっかけである[5]同年どうねんには「だい29かい日本にっぽんレコード大賞たいしょう」で作詞さくししょう受賞じゅしょうし、さらには当時とうじフジテレビオレたちひょうきんぞく』の「ひょうきんベストテン」コーナーで、山田やまだ邦子くにこ島倉しまくらものまねをしながらほんきょく歌唱かしょうしたことで、徐々じょじょにオリコンチャートや有線ゆうせん放送ほうそうチャートを上昇じょうしょうしてだいヒットとなり人気にんきはさらに拡大かくだいした[6][7]どう時期じきのものまねタレントでは、コロッケなどもほんきょく披露ひろうしていた[8]。「100まんまい記念きねんパーティー」では、山田やまだとコロッケが招待しょうたいされて本人ほんにんまえで、島倉しまくら物真似ものまねによる「人生じんせいいろいろ」を熱唱ねっしょう。これにたい島倉しまくらは、「山田やまだ邦子くにこさんとコロッケさんのおかげで、『人生じんせいいろいろ』がわかほうにもしたしまれるようになり、光栄こうえいです」と2人ふたり賞賛しょうさんする。ただしコロッケにたいして、「コロッケさんはひどいとおもときもありますが」ともつづけて冗談じょうだんべていた。それでもコロッケ本人ほんにんには「もっとふざけてやっていいのよ」とはなしていたという。

    のち2人ふたりには感謝かんしゃ気持きもちからとく島倉しまくら大切たいせつにしていた高価こうか着物きもの贈呈ぞうていしており、山田やまだには『だい39かいNHK紅白こうはく歌合戦うたがっせん歌唱かしょう衣装いしょうで、美術館びじゅつかん展示てんじできるほどの価値かちがある大変たいへん高価こうか純白じゅんぱく金銀きんぎんづるんでいる模様もよう着物きもの金色きんいろおび1989ねん年明としあけに『お年玉としだまでご褒美ほうびに』とわれていただいたと山田やまだかたっており、いままでに田村たむら亮子あきこなどの披露宴ひろうえん出席しゅっせきたそうで、2020ねん1がつ2にち放送ほうそうのBSテレひがし日本にっぽん歌手かしゅ協会きょうかい新春しんしゅん12あいだ歌謡かようさい出演しゅつえん島倉しまくら専属せんぞく担当たんとうだったヘアメイクや着付きつにおねがいしてこの着物きもの島倉しまくらのものまねをしながら久々ひさびさにこのきょく熱唱ねっしょうした。コロッケにはどうきょくのシングルばんジャケット写真しゃしん島倉しまくら実際じっさいていたおながら着物きものをコロッケの体型たいけいわせて仕立したてて、つステージじょうはやえができるようにと特別とくべつめんファスナーをけて贈呈ぞうていして、このおぞろいの着物きもの一緒いっしょにテレビ番組ばんぐみ出演しゅつえんしている。逝去せいきょのインタビューで2人ふたり島倉しまくら形見かたみとなった着物きもの現在げんざいもとても大切たいせつ所有しょゆうしているそうでプライベートでも島倉しまくらからは大変たいへん可愛かわいがっていただいたとかたっている。1988ねんには「だい8かいメガロポリス歌謡かようさい」の演歌えんか大賞たいしょう、「だい30かい日本にっぽんレコード大賞たいしょう」の金賞きんしょう最優秀さいゆうしゅう歌唱かしょうしょう受賞じゅしょうする[6]累計るいけい売上うりあげは130まんまいたっした[9]

    ほんきょく歌唱かしょうする島倉しまくら姿すがた往時おうじのファンをすくなからずおどろかせた。ポップス調ちょうのサウンドにせて、全盛期ぜんせいき歌唱かしょうりょくくらべてゆたかとはえない声量せいりょうでビブラートをかさねる様子ようすは、一部いちぶからヘタウマ歌手かしゅとのひょうた(ものまねの格好かっこう題材だいざいとなった)[10]

    1957ねんの『だい8かいNHK紅白こうはく歌合戦うたがっせん』から1986ねんまで『だい37かいNHK紅白こうはく歌合戦うたがっせん』に30かい連続れんぞくで『NHK紅白こうはく歌合戦うたがっせん』に出場しゅつじょうしていた島倉しまくらだったが、ほん楽曲がっきょく発表はっぴょうされた1987ねん、「30かいという数字すうじよごしたくない」と卒業そつぎょう宣言せんげんをして『だい38かいNHK紅白こうはく歌合戦うたがっせん』への出場しゅつじょう辞退じたいした。しかし上述じょうじゅつだいヒットにくわえて、当時とうじ病気びょうき療養りょうようちゅうだった作曲さっきょくしゃ浜口はまぐち[注釈ちゅうしゃく 1]に「うた姿すがた元気げんきになってもらいたい」というおもいから、よく1988ねんの『だい39かいNHK紅白こうはく歌合戦うたがっせん』に2ねんぶりに復帰ふっき出場しゅつじょうほんきょく歌唱かしょう[注釈ちゅうしゃく 2][注釈ちゅうしゃく 3]以後いご紅白こうはくでは、1994ねんだい45かいNHK紅白こうはく歌合戦うたがっせん』、2004ねんだい55かいNHK紅白こうはく歌合戦うたがっせん』と、けい3かい歌唱かしょうされている[4]2005ねんスキウタ〜紅白こうはくみんなでアンケート〜では、べにぐみの76にランクインした。

    TBS『ザ・ベストテン』では1987ねん11月26にち、「今週こんしゅうのスポットライト」のコーナーへどう番組ばんぐみにおいて、島倉しまくら自身じしん最初さいしょ最後さいご出演しゅつえんたしている[13]

    島倉しまくらほんきょくを「だい2のデビューきょく」とおもっているとかたった[11]

    2004ねんには、当時とうじ内閣ないかく総理そうり大臣だいじん小泉こいずみ純一郎じゅんいちろう衆議院しゅうぎいん決算けっさん行政ぎょうせい監視かんし委員いいんかいで、民主党みんしゅとう岡田おかだ克也かつや質疑しつぎたいして「人生じんせいいろいろ、会社かいしゃもいろいろ、社員しゃいんもいろいろ」と、ほんきょく使つかって答弁とうべんした[14]

    2003ねんの『27あいだテレビ』(フジテレビ)ないちびまるちゃんのスペシャルアニメで島倉しまくら本人ほんにんやく出演しゅつえんしたさい、このかいのみのエンディングテーマとしてほんきょく使用しようされた。

    2008ねん12月14にちからは、島倉しまくら地元じもと東京とうきょう品川しながわにある京急けいきゅう本線ほんせん青物あおもの横丁よこちょうえきにおいて接近せっきんメロディとして使用しよう編曲へんきょく塩塚しおつかはく手掛てがけた[15][16]。このこときつけた島倉しまくらは、2009ねん1がつ実際じっさい青物あおもの横丁よこちょうえきおとずれてメロディにみみかたむけ、後日ごじつ京浜急行電鉄けいひんきゅうこうでんてつてて礼状れいじょうあらためて送付そうふした[17]

    2013ねん島倉しまくら逝去せいきょしたときには、告別こくべつしき出棺しゅっかんときほんきょくながされ、けい3000にん参列さんれつしゃ手拍子てびょうしわせた[18]

    同年どうねん11/25づけオリコン週間しゅうかんカラオケランキング(集計しゅうけい期間きかん:11/11~17)で50圏外けんがいから急上昇きゅうじょうしょうし、AKB48こいするフォーチュンクッキー」にぐ2にランクイン[19]

    また坂本さかもと冬美ふゆみ[20]八代やしろ亜紀あき[21]テレサ・テン伍代ごだい夏子なつこなど、多数たすう女性じょせい演歌えんか歌謡かよう歌手かしゅによってカバーされている。

    本木もとぎ雅弘まさひろ出演しゅつえんしたマンダム「ギャツビー」のCM(2001ねん)にももちいられていた[22][23][24]

    2021ねん、テレビドラマ「寺西てらにし一浩かずひろドラマ〜人生じんせいいろいろ〜」(TOKYO MX)のオープニングとしてもちいられた。

    2022ねんローラ出演しゅつえんしているDMM.com証券しょうけん(DMM FX)のCMにうた使用しようされた。なお、ローラは島倉しまくら誕生たんじょうおなじである。

    収録しゅうろくきょく

    [編集へんしゅう]
    1. 人生じんせいいろいろ
    2. はなごよみ

    そののカバー

    [編集へんしゅう]
    • High-style(2006ねん、オムニバスアルバム『スター☆ヒットパレード 昭和しょうわ名曲めいきょくアレンジベストばん』)
    • カバーソング・ドールズ(2007ねん、カバーアルバム『Cover Song Dolls』)

    参考さんこう文献ぶんけん

    [編集へんしゅう]
    • 昭和しょうわ歌謡かよう100名曲めいきょく part.3』(塩澤しおざわみのるしん・ブレーン) ISBN 978-4864270830

    関連かんれん項目こうもく

    [編集へんしゅう]

    脚注きゃくちゅう

    [編集へんしゅう]

    注釈ちゅうしゃく

    [編集へんしゅう]
    1. ^ 2ねん1990ねん12月2にち死去しきょ
    2. ^ 島倉しまくら前年ぜんねん出場しゅつじょう辞退じたい浜口はまぐち報告ほうこくしたところ、「紅白こうはくで『人生じんせいいろいろ』がけないのか」とかえされたことをかしている[11]
    3. ^ ただし、この復帰ふっき出場しゅつじょうたいして「紅白こうはく卒業そつぎょうするとったのに」との批判ひはんこえ一部いちぶあった[12]

    出典しゅってん

    [編集へんしゅう]
    1. ^ a b 読売新聞社よみうりしんぶんしゃ文化ぶんか『このうたこの歌手かしゅ運命うんめいのドラマ120〈した〉』現代げんだい教養きょうよう文庫ぶんこ、1997ねん、251-255ぺーじISBN 4390116029
    2. ^ 『このうたこの歌手かしゅ運命うんめいのドラマ120〈した〉』254-255ぺーじ
    3. ^ a b c d 昭和しょうわ歌謡かよう100名曲めいきょく part.3』302ページ
    4. ^ a b c 昭和しょうわ歌謡かよう100名曲めいきょく part.3』303ページ
    5. ^ 『このうたこの歌手かしゅ運命うんめいのドラマ120〈した〉』256ぺーじ
    6. ^ a b 『このうたこの歌手かしゅ運命うんめいのドラマ120〈した〉』259ぺーじ
    7. ^ 島倉しまくらさんモノマネ山田やまだ邦子くにこ無念むねん ご褒美ほうび着物きものいま大切たいせつに」 - スポニチアネックス 2013ねん11月8にち
    8. ^ コロッケ沈痛ちんつう「『もっとふざけてもいい』とこえかけてくれた」 - サンケイスポーツ 2013ねん11月8にち
    9. ^ サンケイスポーツ』2013ねん11月9にちづけ大阪おおさか本社ほんしゃばん12はん、26めん
    10. ^ 島倉しまくら千代子ちよこうたとしても波瀾万丈はらんばんじょうだった “天才てんさい少女しょうじょ時代じだいからの歌声うたごえ変化へんか辿たど,Real Sound,2013ねん11月9にち
    11. ^ a b 島倉しまくら-これがわたし遺言ゆいごん
    12. ^ 紅白こうはく50かい』56ぺーじ
    13. ^ 「ザ・ベストテンかん」スポットライト出演しゅつえんアーティスト変遷へんせん その3(1986ねん→1989ねん
    14. ^ だい159かい国会こっかい 衆議院しゅうぎいん決算けっさん行政ぎょうせい監視かんし委員いいんかい だい7ごう (平成へいせい16ねん6がつ2にち)発言はつげん№.099 ないかく総理そうり大臣だいじん 小泉こいずみ純一郎じゅんいちろう”. 国会こっかい会議かいぎろく検索けんさくシステム. 国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかん (2004ねん6がつ2にち). 2020ねん2がつ5にち閲覧えつらん
    15. ^ 16えきえきメロディ採用さいようきょく決定けっていいたしました!”. 京浜急行電鉄けいひんきゅうこうでんてつ報道ほうどう発表はっぴょう資料しりょう. 京浜急行電鉄けいひんきゅうこうでんてつ. 2008ねん12月1にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2020ねん4がつ22にち閲覧えつらん
    16. ^ 塩塚しおつかはく. “テレビ、ちゃいました。”. ☆♪☆ てつのみゅーじしゃん ☆♪☆. 2020ねん4がつ22にち閲覧えつらん
    17. ^ 島倉しまくら千代子ちよこさん、青物あおもの横丁よこちょうえきながれる「人生じんせいいろいろ」に感謝かんしゃ手紙てがみ スポーツ報知ほうち 2013ねん11月9にち閲覧えつらん
    18. ^ 島倉しまくら千代子ちよこさん:「人生じんせいいろいろ」に3000にん手拍子てびょうし見送みおく毎日新聞まいにちしんぶんデジタル(まんたんウェブ)、2013ねん11月14にち
    19. ^ 人生じんせいいろいろ」カラオケ躍進やくしん、AKB48「こいチュン」に週間しゅうかん2に。,ナリナリドットコム,2013ねん11月27にち
    20. ^ EMI MUSIC Japan:坂本さかもと冬美ふゆみ ヒットカバー名曲めいきょくしゅう、2002ねん
    21. ^ コロムビアミュージックエンタテイメント:八代やしろ亜紀あき 名曲めいきょくカバー傑作けっさくせん、2009ねん
    22. ^ GATSBY ナチュラルブリーチカラーしんいろTVCMについて』(プレスリリース)マンダム株式会社かぶしきがいしゃ、2003ねん8がつ1にちhttps://www.mandom.co.jp/release/pdf/2003080002.pdf2024ねん7がつ1にち閲覧えつらん 
    23. ^ 「ギャツビー」誕生たんじょう25周年しゅうねんブランドヒストリー』(プレスリリース)マンダム株式会社かぶしきがいしゃ、2003ねん8がつ1にちhttps://www.mandom.co.jp/release/pdf/2003080001.pdf2024ねん7がつ1にち閲覧えつらん 
    24. ^ 〈CM総研そうけんインサイト〉 ヒットCMと音楽おんがく活用かつよう変遷へんせん音楽おんがく映像えいぞう際立きわだたせる役割やくわりからCM表現ひょうげん主軸しゅじくへ ー”. 株式会社かぶしきがいしゃ東京とうきょう企画きかく (2022ねん9がつ29にち). 2024ねん7がつ1にち閲覧えつらん

    外部がいぶリンク

    [編集へんしゅう]