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制覇せいは

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制覇せいは
監督かんとく 中島なかじま貞夫さだお
脚本きゃくほん 中島なかじま貞夫さだお
西沢にしざわ裕子ゆうこ
出演しゅつえんしゃ 三船みふね敏郎としお
岡田おかだ茉莉子まりこ
菅原すがわら文太ぶんた
名高なだか達郎たつお
中井なかい貴恵きえ
秋吉あきよし久美子くみこ
松尾まつお嘉代かよ
梅宮うめみや辰夫たつお
清水しみず健太郎けんたろう
にしきのあきら
大信田おおしだ礼子あやこ
高岡たかおか健二けんじ
丹波たんば哲郎てつろう
加山かやま麗子れいこ
舟倉ふなくらたまき
かつらつぶ
小沢おざわぞう
宮内みやうちひろし
草薙くさなぎ幸二郎こうじろう
今井いまい健二けんじ
鹿内しかないたかし
まち田京たきょうかい
寺田てらだみのり
曽根そね晴美はるみ
品川しながわ隆二りゅうじ
岸田きしだもり
小池こいけ朝雄あさお
小林こばやしあさひ
若山わかやま富三郎とみさぶろう
鶴田つるた浩二こうじ
製作せいさく会社かいしゃ 東映とうえい京都きょうと撮影さつえいしょ
配給はいきゅう 東映とうえい
公開こうかい 日本の旗 1982ねん10月30にち
上映じょうえい時間じかん 140ふん
製作せいさくこく 日本の旗 日本にっぽん
言語げんご 日本語にほんご
配給はいきゅう収入しゅうにゅう 7.5おくえん[1]
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制覇せいは』(せいは)は、1982ねん10月30にち公開こうかいされた日本にっぽん映画えいが[2]東映とうえい京都きょうと撮影さつえいしょ製作せいさく東映とうえい配給はいきゅう[3]

概要がいよう

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実際じっさいこったさん代目だいめ山口組やまぐちぐみ代目だいめ松田組まつだぐみとのこうそう事件じけん、「大阪おおさか戦争せんそう」をモデルとしており、ベラミ事件じけんこった1978ねん7がつから山本やまもと健一けんいちくなり、やまくみよん代目だいめ襲名しゅうめいあらそいがはじまる1982ねんころまでのタイムラグのほとんどないリアルタイムでの暴りょくだん内部ないぶ覇権はけんあらそいをえが[4][5]撮影さつえい当時とうじ文献ぶんけんに「やまくみよん代目だいめ襲名しゅうめい映画えいが制覇せいは』」[5]やまくみをモデルにした映画えいが制覇せいは』」[6]一雄かずおやまくみさんもく組長くみちょうフミ子ふみこ未亡人みぼうじんをモデルに、組長くみちょう狙撃そげき事件じけんから病死びょうしまでの組織そしき動揺どうよう渦中かちゅう人間にんげんたちのあい対立たいりつえがく」[7]かれた文献ぶんけんもあり、脚色きゃくしょくおおいもののこうそう大筋おおすじ実録じつろくたかく、東映とうえいビデオオフィシャルサイトでも「実録じつろくきょへん」とうたっている[8]監督かんとく中島なかじま貞夫さだお著書ちょしょでそれぞれモデルはだれかを解説かいせつしている[9]

その「大阪おおさか戦争せんそう」の陣頭じんとう指揮しきっていた山本やまもと健一けんいちが1982ねん2がつくなったため、製作せいさくいそぎ、公開こうかいはやめた[5][10]

あらすじ

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出演しゅつえん

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スタッフ

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  • 監督かんとく中島なかじま貞夫さだお
  • 企画きかくしゅんふじひろししげる高岩たかいわあわ田岡たおかみつる
  • プロデューサー:佐藤さとう雅夫まさお厨子ずし稔雄としお福井ふくい良春よしはる
  • 原作げんさくこころざし茂田しげた景樹かげき徳間とくま文庫ぶんこかん
  • 脚本きゃくほん中島なかじま貞夫さだお西澤にしざわ裕子ゆうこ
  • 撮影さつえい鈴木すずき達夫たつお
  • 照明しょうめい金子かねこ凱美
  • 録音ろくおん中山なかやま茂二しげじ
  • 美術びじゅつ佐野さの義和よしかず
  • 編集へんしゅう市田いちだいさむ
  • 音楽おんがく山本やまもと直純なおずみ
  • 助監督じょかんとく藤原ふじわら敏之としゆき
  • 記録きろく石田いしだあきら
  • せいおん荒川あらかわ輝彦てるひこ
  • 装置そうち野尻のじりひろし
  • 装飾そうしょく窪田くぼたおさむ
  • 背景はいけい西村にしむら三郎さぶろう
  • 衣裳いしょうもりまもる
  • なずらえ上野うえの隆三りゅうぞう
  • 美粧びしょう結髪けっぱつ東和とうわ美粧びしょう
  • スチール:中山なかやま健司けんじ
  • 宣伝せんでんまるこくかん佐々木ささき嗣郎つぎお若林わかばやしけんかち
  • 演技えんぎ事務じむ藤原ふじわらまさる
  • 進行しんこう主任しゅにん野口のぐち忠志ただし
  • 協力きょうりょくうら株式会社かぶしきがいしゃ、リビングプラグFAC 京都きょうとちゅうがわ商事しょうじ株式会社かぶしきがいしゃ醍醐だいごプラザホテル、大阪おおさかにちにち新聞しんぶん東映とうえい京都きょうと美術びじゅつセンター、東映とうえい俳優はいゆうセンター、ふじ映像えいぞうコーポレーション

製作せいさく

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1980ねん前後ぜんこう東映とうえいは、角川かどかわ映画えいが劇場げきじょうアニメ作品さくひんがプログラムにることが[11][12]東映とうえい自社じしゃ製作せいさく映画えいがはめっきりった[13]東映とうえい伝統でんとうヤクザ映画えいがも1980ねん、1981ねんと1ほん公開こうかいされない状況じょうきょう[14]岡田おかだしげる東映とうえい社長しゃちょうは1982ねん2がつの『映画えいがジャーナル』のインタビューで「やくざ映画えいがいまはむつかしいですね。やっぱり時代じだいげきおなじようにかまえた大作たいさく社会しゃかいてき話題わだいげかけるような仕掛しかけの出来でき題材だいざいえらばなくちゃ出来できないとおもいますね。役者やくしゃむかしのやくざ映画えいが登場とうじょうしたようなにおいをすぐらい、まったくフレッシュなかおぶれでつくるとか、そういう方向ほうこう目指めざすべきでしょうね。なんねんかぶりにこのたね題材だいざいひとつとして『制覇せいは』を準備じゅんびちゅうですが、あきの11月、営業えいぎょうほう是非ぜひやりたいとってているので、話題わだい大作たいさく仕上しあがる内容ないようかたまればGOをかけたいとかんがえてます」とべている[14]。「なめたらいかんぜよ!」の流行りゅうこうんだ『おにりゅういん花子はなこ生涯しょうがい』のヒットにをよくし、ふたた任侠にんきょう映画えいが色気いろけはじめたとされ[7][15]岡田おかだしげる夏目なつめ雅子まさこ[16][17]、かつての"ふじ純子じゅんこゆめをもう一度いちど"と、夏目なつめ主演しゅえんおんなから任侠にんきょうどうえが任侠にんきょう路線ろせん復活ふっかつさせようと[16][17]夏目なつめほんさく主演しゅえんをオファーしたが、あっさりことわられていた[17]いちゆうが1981ねん7がつ23にちくなってよん代目だいめ跡目あとめ問題もんだい激化げきかするとんで[5]企画きかく立案りつあんされ、秘密裏ひみつり準備じゅんびすすめた[5]そう製作せいさく10おくえん(キャストだけで2おくえん[15][18]。このとしなつの『おにりゅういん花子はなこ生涯しょうがい』のだいヒットで[15]東映とうえい社員しゃいん士気しきがっていた[15]

任侠にんきょう映画えいが東映とうえい黄金おうごん時代じだいきずいたしゅんふじひろししげるプロデューサーが、ふたた口説くどとされてされた」とかれた文献ぶんけんがあることから[6]企画きかくしゅんふじではなく、東映とうえいのプロデューサーのだれかで、プロデューサーとして田岡たおかみつるはいっているとはいえ、やまくみ破門はもんになるしゅんふじ親友しんゆう菅谷すがや政雄まさおえんじ若山わかやま富三郎とみさぶろう)の出番でばんおおく、現在げんざい進行しんこうちゅう映画えいがでもあり、万全ばんぜんしてしゅんふじにプロデューサーをたのんだものとられる。しゅんふじは「組長くみちょうおくさん、息子むすこむすめさんの生活せいかつ密着みっちゃく取材しゅざいして組長くみちょう死後しご一家いっかがどうきているか、疎外そがいされたヤクザの世界せかいと、その周辺しゅうへんきるひとたちのロマンをつくりたい。最近さいきん芸術げいじゅつてき評価ひょうかにして、ワケのからん映画えいがつくりすぎだ。ミーちゃん、ハーちゃんたのしめる理屈りくつきで面白おもしろ映画えいがつくるよ」などとはな[6]しゅんふじ中島なかじま監督かんとくとも「準備じゅんびいちねんかけた」とはなしている[6]

製作せいさく会見かいけん

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撮影さつえいちゅうの1982ねん7がつ29にち東京とうきょうプリンスホテル製作せいさく発表はっぴょう記者きしゃ会見かいけんがあり[19]三船みふね敏郎としお岡田おかだ茉莉子まりこ大物おおものスターが勢揃せいぞろいする豪華ごうか記者きしゃ会見かいけんとなった[19]席上せきじょうひさしぶりに製作せいさくするヤクザ映画えいがに、岡田おかだ東映とうえい社長しゃちょうのボルテージもがり、「乾坤一擲けんこんいってき勝負しょうぶさく任侠にんきょう・ヤクザ映画えいが決定けっていばんにする」などと力説りきせつした[19][20]中島なかじま貞夫さだお監督かんとくは「大人おとな鑑賞かんしょうえられるような映画えいがです。暴力ぼうりょく世界せかいきる人間にんげんたちの愛憎あいぞういかり、つめる人間にんげんドラマにしたい」などと責任せきにん重大じゅうだいさに緊張きんちょう気味ぎみはなした[19]

脚本きゃくほん

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ほんさくおな中島なかじま監督かんとくの1979ねん総長そうちょうくび』のかりとどうじ、ベラミ事件じけんであるが[9][21]当時とうじ渦中かちゅうだったので、そのままではれなかったが、ほんさく製作せいさく当時とうじはもうおさまっていたため、問題もんだいはなかった、と中島なかじまはなしている[22]川内かわうちひろしえんじ岸田きしだもり)が射殺しゃさつされるのが喫茶店きっさてんではなくくみ事務所じむしょだったり、いくらか変更へんこうてんはあるが、こうそう大筋おおすじ事実じじつそくしたもので、『仁義じんぎなきたたか』のように、登場とうじょう人物じんぶつ役名やくめい実名じつめいをモジった名前なまえとなっており、だれかすぐにかる。若山わかやま富三郎とみさぶろうふんする人物じんぶつ名前なまえは、モデル・菅谷すがや政雄まさお通称つうしょう“ボンノ”をモジった“ゴンノ”である。1977ねんの『北陸ほくりく代理だいり戦争せんそう以降いこうは、フィクショナル実録じつろく映画えいがつづいたが、ほんさく実録じつろくたかいものとなっている。しゅんふじは「『日本にっぽん首領しゅりょう』より『制覇せいは』のほうさん代目だいめ周辺しゅうへん出来事できごとをいろいろこまかくあつかっているけど、というて実録じつろくではけっしてない。わたしとしては現実げんじつをネタに壮大そうだいなフィクションをこしらえた。そもそもこのシャシンはやくざの世界せかい題材だいざいにしているというても、ポイントは人間にんげんドラマ、家族かぞくのドラマにある。全国ぜんこく制覇せいはすすめつつあるドンが急死きゅうししたら、そのよめはんはいったいどんな境遇きょうぐうたされるんだろう。ドンのむすめはどうするやろう。そこをえがいたら面白おもしろいのではないかと。任侠にんきょう映画えいがはひとことでいって『おとこ映画えいが』だ。このことに間違まちがいはない。だけど、わたし手掛てがけてきた任侠にんきょう映画えいがはたとえおとこ主人公しゅじんこうになっていても、おんなえがかんものはなかったはずや。やっぱり映画えいがおとこおんなえがかなくては」などとべている[21]一般人いっぱんじんである家族かぞく描写びょうしゃは、いちゆう子供こどもが3にんいたり、田岡たおか〇伎の結婚けっこん相手あいて喜多きたろうではなく、新聞しんぶん記者きしゃだったりする。田岡たおかみつるとついだ東映とうえい女優じょゆう中村なかむら英子えいこえんじ秋吉あきよし久美子くみこ)が自宅じたく自殺じさつするのは映画えいがとおりだが、自殺じさつ理由りゆうはあまりかたられないが、ほんさくでは理由りゆうかたられる。中島なかじまによれば、秋吉あきよしにはもっと出番でばんおおくする予定よていだったが、さわりがあり、やくちいさくなってしまったという[9]鶴田つるた浩二こうじがヤクザでなく、医者いしゃえんじているのは、鶴田つるた当時とうじ肝臓かんぞうわるくして身体しんたいこわしていたからという[9]

中島なかじま監督かんとくしゅんふじプロデューサーとのはなしなかで、『日本にっぽん首領しゅりょう 完結かんけつへん』ののちからのはなしかないといけないとかんがえ、さん代目だいめおくさんやねえさんたち中心ちゅうしんつくったらいいと、ヤクザのおくさんを主役しゅやくにしたのちの『極道ごくどうつまたち』(1985ねんしゃ英雄えいゆう監督かんとくてき発想はっそうまれたとはなしている[22]たしかに岡田おかだ茉莉子まりこ松尾まつお嘉代かよ大信田おおしだ礼子あやこといった主演しゅえんきゅう女優じょゆうがヤクザのおくさん(ごくつま)にキャスティングされ、ごくつまではないが、中井なかい貴恵きえ秋吉あきよし久美子くみこらも出演しゅつえんしており、従来じゅうらいヤクザ映画えいがではかんがえられないほど、ヤクザの家庭かていえがかれる[2]しゅんふじは「過去かこ15ねんわたってこのたね映画えいがつくってきたが、これだけのオールスターがそろったもははじめて」とはなした[18]。いつもおとこのうしろでひかえめにしてるのが本来ほんらいきょくつまのため[23]ファンタジーである『極道ごくどうつまたち』ほど[24]ごくつま前面ぜんめんさないが、『極道ごくどうつまたち』のぜん段階だんかいのような映画えいがである[9]原作げんさくこころざし茂田しげた景樹かげきであるが、志茂しも原作げんさく映画えいがしたのではなく、危害きがいくわえられるのをおそれ、志茂しも原作げんさくいてもらったという[22]。『仁義じんぎなきたたか』を製作せいさくするさい美能みのう幸三こうぞう手記しゅきをそのまま映画えいがせずに、飯干いいぼし晃一こういちにアンカーマンをたのんだのとおな手法しゅほう勿論もちろん田岡たおかみつるにもプロデューサーとしてはいってもらった[9]いちゆうくなっているため、映画えいが製作せいさくあぶない状況じょうきょうではあった[9]志茂しもは「いままでのヤクザものは暴力ぼうりょくこうそうなど派手はでなものがおもで、人間にんげんはそのかげかくれてしまっていた。わたしはそのなかつづけていかなければならないナマの人間にんげんたちの葛藤かっとうえがいたつもりだ」などとはなした[18]

志茂しも中島なかじま取材しゅざいき、箱根はこねまりんで脚本きゃくほんいた[22]西澤にしざわ裕子ゆうこ女性じょせいはなしおおいのではいってもらったものだが、しゅんふじがヤクザ映画えいが女性じょせいるのはきでないため[9]色々いろいろ注文ちゅうもんけ、かなりけずられたという[9]題名だいめいの『制覇せいは』は、中島なかじま監督かんとくオファーをけた時点じてんでもうまっていたとはなしていることから、岡田おかだ社長しゃちょう命名めいめいかもしれない。

キャスティング

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映画えいが全盛期ぜんせいき正月しょうがつのオールスター映画えいがおもわす豪華ごうかなキャスティングは[20]、ヤング映画えいがアイドル映画えいが)が各社かくしゃはじめた当時とうじとしては時代じだい錯誤さくごであった[20]田岡たおか文子ふみこえんじる岡田おかだ茉莉子まりこは4ねんぶりの映画えいが[25]女優じょゆう生活せいかつ32ねん映画えいが出演しゅつえんやく200ほん[25]日本にっぽん映画えいが黄金おうごん時代じだいささえた女優じょゆう一人ひとりだけに、貫禄かんろく芝居しばいせる[25]東映とうえい作品さくひん出演しゅつえんは1977ねんの『日本にっぽん仁義じんぎ』、1978ねんの『赤穂あこうじょう断絶だんぜつ』につづくものだが、岡田おかだは「はじめての東映とうえい出演しゅつえんはやはり緊張きんちょうしました」とはなしたが[25]、『人間にんげん証明しょうめい』で夫婦ふうふやくえんじた旧知きゅうち三船みふね敏郎としお再度さいど夫婦ふうふやくで、リラックスしてきびしいことでらす東映とうえい京都きょうと撮影さつえいしょでの撮影さつえいのぞんだ[25]。「31年間ねんかんはあっというあいだだったわねえ。デビュー当初とうしょめることばっかりかんがえていたけど、もうこうなったらぬまで女優じょゆうつづけるしかないって気持きもち。でも、映画えいが全盛期ぜんせいき仕事しごと出来できしあわせでしたよ。農家のうか主婦しゅふ以外いがいやく全部ぜんぶやったわねえ。よく俳優はいゆうには、才能さいのう努力どりょくとチャンスの三拍子さんびょうしそろわないと大成たいせいしないとわれるけど、最近さいきんになってやっとその意味いみかるようながするの。舞台ぶたいつようになって16ねんになるけど、やっぱり映画えいがはいいわねえ。映画えいが出演しゅつえんはなしがあったときにすぐにおうじられるように、舞台ぶたいでウデをみがいているとったらいいすぎかしら」などと[25]、ドン夫人ふじんのオファーをけた理由りゆうは「ヤクザ映画えいが意識いしきしていません。台本だいほんのそこにえがかれた女性じょせいぞう興味きょうみったから出演しゅつえんけたんです。良妻賢母りょうさいけんぼがたのごく普通ふつうおんなそこかくされているつよさ、おっと死後しごそのつよ部分ぶぶんがじわーっと表面ひょうめんてくるところがなかなか魅力みりょくなのよ。彼女かのじょ偶然ぐうぜんヤクザのつまだっただけで、どんな境遇きょうぐうおんなおおかれすくなかれそんなつよさをうちめているんじゃないかしら」などとはなした[25]。また岡田おかだえばつよ女優じょゆうとして有名ゆうめいであるが[25][26]、インタビューでも「女優じょゆうというのは、家庭かてい主婦しゅふくらべればすごい労働ろうどうりょうだとおもう。現場げんばけば、男女だんじょべつなくおな労働ろうどうをするわけだし。撮影さつえいはじまれば生理せいり休暇きゅうかもないし非常ひじょうに"こく"な仕事しごとですよねえ。食事しょくじ制限せいげんなんかしてせたら、つやがなくなって女優じょゆうじゃなくなっちゃうから。いま職場しょくばおおすぎる時代じだいなのよ。パッとデビューしてうたったり、テレビにたり、ちょっとげば映画えいがられるし。でもわたしたちがそだった時代じだいというのは、新聞しんぶん記事きじはあっても、週刊しゅうかんもテレビもない時代じだいであるのは映画えいがだけ。だから映画えいが一生懸命いっしょうけんめいやるしかない時代じだいだった。それがたりまえだったから、映画えいが会社かいしゃらないぶんだけ、きっちりそだててくれたわね。なに10ねんきびしくおしえられたし、くやきしながらからだおぼえたものがおおいから、ながくやれるわけ。テレビでそだったひとは、すぐウケる芝居しばいにつけてしまうから、おおきな映画えいがのスクリーンではちいさくえてしまう。これはタレント女優じょゆうちがい。タレントとアクター、アクトレスのちがいよ」などと今日きょうなら紛糾ふんきゅうしそうなはなしをした[26]岡田おかだは1984ねんおな東映とうえい京都きょうとじょまい』で主役しゅやく名取なとり裕子ゆうこつよたり[27]名取なとりから"岡田おかだ茉莉子まりこ体験たいけん"として「"おそろしい世界せかいだ"とおもった。それもときによりけりで、ぎると痛々いたいたしいですよね。時代じだいちがうんだから、アップ・トゥ・デイトでないとね。これからは女優じょゆうわっていっていいとおもう。時代じだいながれだから、そのときはそれでかったけど、いま時代じだいのカッコさって、そういうんじゃないとおもう。すくなくともわたし美意識びいしきではそうね」などと批判ひはんされた[27]

川内かわうちひろしえんじる岸田きしだもりは、撮影さつえい最初さいしょの1982ねん6がつまつか7がつあたまころされるシーンをったが、菅原すがわら文太ぶんたとのがらみのシーンがのこっていて、8がつまつはいって岸田きしだ事務所じむしょから「体調たいちょうわるい」とわれたため、代役だいやくてようかとおもってたら、岸田きしだ本人ほんにんが「どうしてもやる」と連絡れんらくしてて、本来ほんらい実際じっさい舞台ぶたいである北陸ほくりく撮影さつえい予定よていしていたが、なにかあったらすぐに京大きょうだい病院びょういん連絡れんらく出来できるよう琵琶湖びわことセット撮影さつえい変更へんこうした[9]

中原なかはらひろしやく菅田すげたほん作品さくひん髪型かみがたパンチパーマにしていたが、ほん作品さくひん出演しゅつえんした直後ちょくごに『仮面かめんライダーZX』で主役しゅやく起用きようされ、パンチパーマ姿すがたでヒーローをえんじることとなった[28]

田所たどころ悠子ゆうこ中井なかい貴恵きえ)と山田やまだ日出男ひでお名高なだか達郎たつお)の結婚式けっこんしきのシーンで、ノンクレジットで高岩たかいわあわ東映とうえい京都きょうと撮影さつえいしょ所長しょちょう仲人なこうどやくで、しゅんふじひろししげる名高なだかちちやく出演しゅつえんしている(セリフなし)。また原作げんさくしゃこころざし茂田しげた景樹かげきおなじシーンで来賓らいひんとして出演しゅつえんし、乾杯かんぱい音頭おんどをとる。

撮影さつえい

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1982ねん7がつ9にちクランクイン[18]。ラストちかくで田所たどころ政雄まさお三船みふね敏郎としお)と田所たどころひろ岡田おかだ茉莉子まりこ)があるくのは京都きょうと天龍寺てんりゅうじほか[9]天龍寺てんりゅうじ撮影さつえいのトラブルで東映とうえいには絶対ぜったい使つかわさないとわれていたが[9]なん10ねんぶりかに撮影さつえい許可きょかりたという[9]。1982ねん9がつ18にちクランクアップ[18]

宣伝せんでん

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ラストちかくで岡田おかだ茉莉子まりこ組長くみちょう遺言ゆいごん幹部かんぶしゅつたえる場面ばめんは、ほん作中さくちゅう白眉はくびともいうべきめいシーンだが[4][21]、ここでのセリフ「あのひと言葉ことばつたえます」は[8][15]当時とうじテレビCMスポット大量たいりょうながされ、流行りゅうこうにもなった[4]脚本きゃくほん段階だんかいでは、中井なかい貴恵きえ新聞しんぶん記者きしゃ恋人こいびと名高なだか達郎たつおがドンとむすめ写真しゃしん依頼いらいしていたと自宅じたく電話でんわしてきて、これに岡田おかだ茉莉子まりこが「いいにならないで!」といいはなつセリフを予定よていだったが、かるいと判断はんだんされ却下きゃっかされ、「あのひと言葉ことばつたえます」一本いっぽんすことになった[15]公開こうかいまえの1982ねん10がつ読売新聞よみうりしんぶん大量たいりょう新聞しんぶん広告こうこくつなど[15]暴力団ぼうりょくだん内部ないぶ覇権はけんあらそいをえがいた映画えいがのCMが大量たいりょうながされたのは、視点してん今日きょううつせばない事例じれいである[4]

興行こうぎょう

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大日本帝国だいにっぽんていこく』はいちねん公開こうかいばしてこのとしなつ一本いっぽん興行こうぎょうおこなわれたため、映画えいが公開こうかい時期じき流動的りゅうどうてきだった[14]岡田おかだ東映とうえい社長しゃちょうは1982ねん2がつの『映画えいがジャーナル』のインタビューで「1982ねん11月3にちから『野獣やじゅう刑事けいじ』か『制覇せいは』をやる予定よていです」とはなしていた[14]。1982ねんあきは『楢山節考ならやまぶしこう』も公開こうかい予定よていがあって[29]結局けっきょく、『野獣やじゅう刑事けいじ』が『誘拐ゆうかい報道ほうどう』を予定よていしていた1982ねん10がつ2にち公開こうかいになり、『誘拐ゆうかい報道ほうどう』は洋画ようがけい劇場げきじょうされた[30]。『制覇せいは』はあきのメインさくとして本番ほんばんせん公開こうかいされた[30]

作品さくひん評価ひょうか

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興行こうぎょう成績せいせき

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キネマ旬報きねまじゅんぽう』は、「(同年どうねんなつだいヒットしたヤクザ映画えいがおにりゅういん花子はなこ生涯しょうがい』の場合ばあいは、はだかパブリシティ競演きょうえん話題わだいげて注目ちゅうもくあつめ、劇場げきじょうあしはこんだ観客かんきゃく作品さくひん満足まんぞくした結果けっかだった。たいして『制覇せいは』はオールスターが成否せいひうらな要因よういんとなろうが、残念ざんねんながらオールスターではく。東映とうえいたんなるドンパチでなく、ドンファミリーをえがくことで人間にんげんドラマとして女性じょせい観客かんきゃく吸引きゅういんするとっているが、これまた不足ふそくだろう。女性じょせい観客かんきゃくポルノチックな作品さくひん充分じゅうぶん興味きょうみっているのであり、『おにりゅういん花子はなこ生涯しょうがい』をえるパブリシティ活動かつどうは、まず無理むりかんがえられる。またヤクザ路線ろせん中心ちゅうしんてきスター・高倉たかくらけん出演しゅつえんしていないことも画竜点睛がりょうてんせいかれ出演しゅつえんしていればなにもオールスターとわずとも、かれ一人ひとりすパブリシティ展開てんかいもできたろう。そのかれどう時期じき東宝とうほうの『海峡かいきょう』に出演しゅつえんしているのも皮肉ひにくめぐわせとえる。東映とうえいでははいおさむ10おくえん大台おおだいねらってるが、結論けつろんとして7~8おくえんのベースとられる」などと興行こうぎょう不安ふあんしていた[20]

ヒットとかれた文献ぶんけんもあるが[21]不振ふしんかれたものもあり[31]、『映画えいが年鑑ねんかん』では「なぜいまさら製作せいさくするのかという疑問ぎもんぬぐえず観客かんきゃく共感きょうかんられないところから興行こうぎょうてき失敗しっぱい、ヤクザ路線ろせん復活ふっかつはならなかった」とかれている[32]。また東映とうえい全体ぜんたいれば「成功せいこうかえしで、まさに功罪こうざいしょうなかばするいちねんであったが、そういうなかから女性じょせい映画えいがたいするノウハウにぎみかけた。これを今後こんご如何いか本物ほんものとしていくかが課題かだいである」とその暗示あんじする批評ひひょうがなされた[32]

批評ひひょうひょう

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大高おおだかひろしゆうは「組織そしきないのモメごととともに、ドンの家庭かていないのいざこざがえがかれるのがほんさくおおきな特徴とくちょうとなっている、ただ残念ざんねんながら、その両者りょうしゃはうまくわない。ヤクザ映画えいがに、やはりホームドラマてき描写びょうしゃ似合にあわないということだろう。わかあたま補佐ほさ若山わかやま富三郎とみさぶろうがただ一人ひとりいかり、くるうヤクザをだい迫力はくりょくえんじて印象いんしょうてきだが、それをおさめるのが菅原すがわら文太ぶんたというのでは、くびをかしげたくなるキャスティング」などとひょうしている[33]

脚注きゃくちゅう

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出典しゅってん

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  1. ^ 「1982ねん邦画ほうが4しゃ封切ふうきりはいおさむベスト作品さくひん>」『キネマ旬報きねまじゅんぽう1983ねん昭和しょうわ58ねん2がつ下旬げじゅんごうキネマ旬報社きねまじゅんぽうしゃ、1983ねん、118ぺーじ 
  2. ^ a b 制覇せいは”. 日本にっぽん映画えいが製作せいさくしゃ連盟れんめい. 2023ねん2がつ28にち閲覧えつらん
  3. ^ 制覇せいは
  4. ^ a b c d 浪漫ろうまんアルバム 2018, pp. 308–317.
  5. ^ a b c d e 邦画ほうが新作しんさく情報じょうほう」『キネマ旬報きねまじゅんぽう』1982ねん4がつ下旬げじゅんごうキネマ旬報社きねまじゅんぽうしゃ、189ぺーじ 
  6. ^ a b c d 大物おおもの俳優はいゆうが"アニさん"とした映画えいがかい最後さいごのゴッドファーザー しゅんふじひろししげる 66さい」『週刊宝石しゅうかんほうせき』1982ねん9がつ11にちごう光文社こうぶんしゃ、15–17ぺーじ 
  7. ^ a b 「CINEMAシネマよみがえるか任侠にんきょう路線ろせん!?東映とうえいが『制覇せいは製作せいさくへ」『週刊しゅうかん明星みょうじょう』1982ねん7がつ15にちごう集英社しゅうえいしゃ、148ぺーじ 
  8. ^ a b 制覇せいは | 東映とうえいビデオオフィシャルサイト
  9. ^ a b c d e f g h i j k l m ゆうげき美学びがく 2015, pp. 56–61.
  10. ^ 日本にっぽん映画えいがシアター トピックス」『ロードショー』1982ねん5がつごう集英社しゅうえいしゃ、245ぺーじ 
  11. ^ 活動かつどう人生じんせい 2012, pp. 87-100、156-157、242-245.
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参考さんこう文献ぶんけん

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外部がいぶリンク

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