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合唱がっしょうのためのコンポジション

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』

合唱がっしょうのためのコンポジション(がっしょうのためのコンポジション、えいComposition for Chorus)は、日本にっぽん作曲さっきょく間宮まみや芳生よしお1958ねんから作曲さっきょくつづけている合唱がっしょうきょくのシリーズ。2018ねん現在げんざいだい17ばんまで存在そんざいするが、だい8・9ばんのみ出版しゅっぱんとなっている(だい13ばん下記かき理由りゆうにより入手にゅうしゅ困難こんなん)。

概要がいよう[編集へんしゅう]

コンポジション (composition) とは「作品さくひん」、または(作曲さっきょくによる)「構成こうせい」という意味いみつ。当初とうしょ日本にっぽん伝統でんとう音楽おんがくとく民謡みんようわらべうた作品さくひん構成こうせいにあたっての中心ちゅうしんであったが、やがて間宮まみや日本にっぽん国外こくがい音楽おんがくおもきをくようになった。

長年ながねんわた世界せかい各地かくち伝承でんしょう音楽おんがく研究けんきゅうは、スカンジナビア半島はんとうヨーイクばれる民謡みんようや、アメリカインディアン古代こだいアルメニア口承こうしょうジャズ、そして仏教ぶっきょう音楽おんがくをコンポジションシリーズにむきっかけとなった。

番号ばんごうかぞかたとしてはしゅとして、「合唱がっしょうのためのコンポジション△」(△はローマ数字すうじ)と、「合唱がっしょうのためのコンポジションだいばん」(○はアラビア数字すうじ)の2とおりがある。だい4ばん1963ねん)のころまではナンバリングがおこなわれていなかったようであるが、1965ねん音楽之友社おんがくのともしゃが「合唱がっしょう名曲めいきょくコレクション」の一部いちぶとしてだい1ばんだい3ばんをそれぞれ出版しゅっぱんしたさいに、前者ぜんしゃ採用さいようされた。だい2ばん初演しょえん混声こんせい合唱がっしょう打楽器だがっきのためのコンポジション」というタイトルであり、番号ばんごうはいっていなかったのだが、『音楽おんがく芸術げいじゅつ』の付録ふろく掲載けいさいされたさい1966ねん)に、「合唱がっしょうのためのコンポジションNo.2」とづけられている(後年こうねんどうコレクションに収録しゅうろくされるにあたって「合唱がっしょうのためのコンポジションII」となった)。一方いっぽう、「だいばん」というかたは、すくなくとも「だい6ばん」の初演しょえん演奏えんそうかいまでさかのぼることができる。全音楽譜出版社ぜんおんがくふしゅっぱんしゃだい4ばんからだい7ばんだい15ばんからだい17ばん刊行かんこう)やカワイ出版しゅっぱんだい10ばんからだい12ばん刊行かんこう)もこの形式けいしきったため、呼称こしょう統一とういつしょうじることとなった。ただし、作曲さっきょく自身じしん音楽之友社おんがくのともしゃからの出版しゅっぱん作品さくひんふくめて後者こうしゃ呼称こしょうつづけている。このこうでは後者こうしゃ統一とういつする。

間宮まみやは、「合唱がっしょうのためのコンポジション」をうたうためのエチュード目的もくてきとして、「Etudes for Chorus」というきょくしゅうつくっている。本稿ほんこうではこれについてもべる。

個々ここ作品さくひんについて[編集へんしゅう]

だい1ばん[編集へんしゅう]

きょく概説がいせつ背景はいけい、その影響えいきょう

初演しょえんは「混声こんせい合唱がっしょうのためのコンポジション」として発表はっぴょう1958ねん作曲さっきょく。4楽章がくしょうから伴奏ばんそう混声こんせい合唱がっしょうきょくだが、だい1楽章がくしょうのみがテノールバリトンのソロをともな伴奏ばんそう男声だんせい合唱がっしょうきょくである。日本にっぽん民謡みんようから抽出ちゅうしゅつされた囃子詞はやしことば作品さくひん材料ざいりょうとなっている。

日本にっぽん民謡みんよう興味きょうみっていた間宮まみやがこの分野ぶんや研究けんきゅう本格ほんかくてきむようになったのは、民謡みんようによる新作しんさくもとめていた声楽せいがく内田うちだるりとの出会であいによってであった。NHK音楽おんがく資料しりょうしつ毎週まいしゅうかよい、民謡みんようのレコードをきながらきょくえら作業さぎょうおこなっていた。1955ねんから断続だんぞくてき編曲へんきょくされ、のちに「日本にっぽん民謡みんようしゅうだい1しゅうだい5しゅうとしてまとまることになる(なお、彼女かのじょ没後ぼつごだい6しゅうまれた)。

選曲せんきょく編曲へんきょくおこないながら、間宮まみや独自どくじに、民謡みんようについての研究けんきゅうはじめた。その研究けんきゅうとは、日本にっぽん民謡みんようかたち旋律せんりつ構造こうぞう形式けいしき、および民謡みんよう登場とうじょうする囃子詞はやしことば調しらべ、分析ぶんせき分類ぶんるいしていく作業さぎょうであった。1957ねんには『音楽おんがく芸術げいじゅつ』(音楽之友社おんがくのともしゃじょうで「日本にっぽん民謡みんようにおけるリズム」という論文ろんぶん発表はっぴょうしている(全音楽譜出版社ぜんおんがくふしゅっぱんしゃの『日本にっぽん民謡みんようしゅう巻末かんまつ収録しゅうろく)。この民謡みんよう研究けんきゅう中途ちゅうと挫折ざせつしてしまうのだが、囃子詞はやしことば面白おもしろさにかれたかれは、東京とうきょう混声こんせい合唱がっしょうだん以下いか、「ひがしこん」と略称りゃくしょう)の委嘱いしょく民謡みんよう編曲へんきょくではなく、囃子詞はやしことば素材そざいとする合唱がっしょうきょくつくるという、当時とうじとしては画期的かっきてきであったアイデアにたどりつく。かれにとってのはじめての合唱がっしょう作品さくひんはこうしてまれた。

初演しょえんは「面白おもしろすぎる」という非難ひなんけるほどの成功せいこうをおさめ、ひがしこん以後いごこのきょくを「うた」としてすうおおくの再演さいえんかさねていくことになる。アマチュア合唱がっしょうだんもコンクールや定期ていき演奏えんそうかいすすんでげ、ひがしこん委嘱いしょく作品さくひんとしてはもっと人気にんきたか作品さくひんとなった。

この作品さくひんの、作曲さっきょくへの影響えいきょう限定げんていてきなものであった(囃子詞はやしことば素材そざいにする作品さくひん乱作らんさくされる状況じょうきょうにはならなかった。一方いっぽう民謡みんよう編曲へんきょくは、日本にっぽん合唱がっしょうかいのそれへの需要じゅようたかかったことからぎゃく結果けっかとなった)が、この作品さくひんすうねんまれた外山とやま雄三ゆうぞうの「れき落」は数少かずすくない影響えいきょうれいえるだろう。

内容ないよう

  • だい1楽章がくしょう江戸えど新潟にいがた木遣きやりによる。アぎょう、ハぎょう、ヤぎょうなどの開放かいほうてきひびきのハヤシコトバがほとんどをめる。テノールパートの合唱がっしょうひがしこん歌唱かしょうしたCD――ビクターから発売はつばい――ではあえてヘテロフォニーふうにリズムをずらしているが、実際じっさいにはユニゾン)からはじまり、ソロとコーラス、あるいはテノール、バリトンかくソロのいによって進行しんこうする。この楽章がくしょうもそうであるが、「合唱がっしょうのためのコンポジションだい1ばん」においては全体ぜんたいてきにテノールソロの比重ひじゅうがバリトンソロよりもたかく(女声じょせいソロは登場とうじょうしない)、かれ出来でき不出来ふでききょく成功せいこうおおきくかかわる。
  • だい2楽章がくしょうくち唱歌しょうか(くちしょうが)太鼓たいこ)や、青森あおもりけん八戸はちのへ地方ちほうつたわる「代掻しろかうた」が素材そざい中心ちゅうしんであり、に「草取くさとりうた」などが引用いんようされている。ぜん楽章がくしょう母音ぼいん重視じゅうしとはってわって、ここでは子音しいんとく濁音だくおんおおくをめ、はっきりとしたはくぶし特徴とくちょうとなっている。ここでもテノールソロが登場とうじょうする。
  • だい3楽章がくしょう子守こもりうたやわらべうたのスタイルをとった、なるきゅうなるさん構成こうせい。「きゅう」は東北とうほく地方ちほうのわらべうた「てでぼこ」などから引用いんようされたものであり、女声じょせいのみでうたわれる。ナぎょう、ラぎょうおと中心ちゅうしん
  • だい4楽章がくしょう神楽かぐら形式けいしきで、ふたたくち唱歌しょうかともなう。今度こんど太鼓たいこだけでなく(つづみ)ふえ口真似くちまねじって色彩しきさいゆたかになり、さらにテノールソロがはなえる。Prestoにおいては全員ぜんいんくち唱歌しょうか展開てんかいしながら、ソロが確定かくてい音程おんていうらはくつ(作曲さっきょくおおくの作品さくひんれたジャズの影響えいきょうはここでもあきらかである)。最後さいごはテノールソロもしくは指揮しきしゃによるシュプレヒシュティンメまくじる。なお最後さいごは、東京とうきょう小河内おかうち鹿島かしまおどりの「三番叟さんばそう」からの引用いんようである。

初演しょえん岩城いわき宏之ひろゆき指揮しき。この作品さくひんにより間宮まみやだい13かい文化庁ぶんかちょう芸術げいじゅつさい奨励しょうれいしょう毎日まいにち音楽おんがくしょう受賞じゅしょうした。2ばんわせて音楽之友社おんがくのともしゃより出版しゅっぱんされている。

だい2ばん[編集へんしゅう]

1962ねんに、混声こんせい合唱がっしょうフルート打楽器だがっきのためにかれた1楽章がくしょう作品さくひん打楽器だがっき奏者そうしゃは4にん必要ひつよう初演しょえんのタイトルは「混声こんせい合唱がっしょう打楽器だがっきのためのコンポジション」。田中たなか信昭のぶあき指揮しきにより東京とうきょう混声こんせい合唱がっしょうだん初演しょえんした。1ばんわせて音楽之友社おんがくのともしゃより出版しゅっぱんされている。

だい1ばんだい1楽章がくしょうおなじく、テノール合唱がっしょうによる木遣きやりのスタイルからはじまるが、前作ぜんさくことなりユニゾンではなく8こえかれてヘテロフォニーを形成けいせいする。この部分ぶぶんでは拍子ひょうし記号きごうがなく、歌詞かしアルファベット記載きさいされ、音韻おんいんてき要素ようそつよいものとなっている。間宮まみやはこの作品さくひんくにあたって、ルイジ・ノーノ参考さんこうにしたという。打楽器だがっきはいると拍子ひょうし記号きごうかれ、フルート、合唱がっしょうのこりのパートも登場とうじょうする。歌詞かしおおくはやはり囃子詞はやしことば形成けいせいされているが、だい1ばんくらべて、民謡みんよう以外いがい日本にっぽんのさまざまな民俗みんぞく芸能げいのうおおれられているのが特徴とくちょうであり、ここでは歌詞かしは2とおりのかた、すなわちアルファベットとカタカナで記載きさいされている。日本にっぽん各地かくちつたわる念仏ねんぶつおどり触発しょくはつされている。

前作ぜんさくよりも難易なんいたかく、また5にん奏者そうしゃ必要ひつようとするため実演じつえん回数かいすうおおくない。

だい3ばん[編集へんしゅう]

1963ねん伴奏ばんそう男声だんせい合唱がっしょうのためにかれたもので、初演しょえん翌年よくねんはじめに木下きのしたたもつ指揮しき慶應義塾けいおうぎじゅくワグネル・ソサィエティー男声だんせい合唱がっしょうだんによっておこなわれた。初演しょえんのタイトルは「男声だんせい合唱がっしょうのためのコンポジション」。初演しょえんおなねんに、『音楽おんがく芸術げいじゅつ』(音楽之友社おんがくのともしゃだい22かんだい10ごう付録ふろくとしてはつ出版しゅっぱんのちに、同社どうしゃの「合唱がっしょう名曲めいきょくコレクション」に収録しゅうろくされたさいに「合唱がっしょうのためのコンポジションIII」とされている。

とも(ろ)」「羯皷(かっこ)」「念佛ねんぶつ」の3つの楽章がくしょうからる。演奏えんそう頻度ひんどだい1ばんならぶほどのたかさであり、日本にっぽん男声だんせい合唱がっしょうだん海外かいがい公演こうえんおこなさいに、また海外かいがい団体だんたい日本にっぽん演奏えんそうするさいえらばれることがおおい。また、「コンポジション」シリーズのなかでも録音ろくおんめぐまれており、『Compositions for chorus 1958~'68』(ビクター/東京とうきょう混声こんせい合唱がっしょうだん;LPのみ)、『日本にっぽん合唱がっしょうきょく全集ぜんしゅう 間宮まみや芳生よしお作品さくひんしゅう』(日本にっぽん伝統でんとう文化ぶんか振興しんこう財団ざいだん東京とうきょう混声こんせい合唱がっしょうだん東京放送とうきょうほうそう合唱がっしょうだん)、『合唱がっしょう名曲めいきょくコレクション23』(東芝とうしばEMI/早稲田大学わせだだいがくグリークラブ)、『合唱がっしょう名曲めいきょくコレクション44』(東芝とうしばEMI/AROUND SINGERS)、『日本にっぽん作曲さっきょく・21世紀せいきへのあゆみ20』(「日本にっぽん作曲さっきょく・21世紀せいきへのあゆみ」実行じっこう委員いいんかい東京とうきょう混声こんせい合唱がっしょうだん)がある。

作曲さっきょくにあたって、間宮まみや自身じしん中学ちゅうがく2年生ねんせいときのエピソードを参照さんしょうした。当時とうじ青森あおもりけん中学校ちゅうがっこうでブラスバンドに所属しょぞくしていたかれは、慰問いもん演奏えんそうのためにどうけん深浦ふかうらまちおとずれ、そのさい深浦ふかうら漁師りょうしたちによる大謀網だいぼうあみ様子ようす見学けんがくする機会きかいた。そこでいた船頭せんどう音頭おんどと、それにこたえる漁師りょうしたちのうたたいする作者さくしゃ感動かんどうが、この作品さくひんのきっかけとなったのである。音楽之友社おんがくのともしゃより出版しゅっぱんされている。

  • だい1楽章がくしょう「艪」は前述ぜんじゅつのエピソードがもっと反映はんえいされている楽章がくしょうである。2ぐんかれたすうにんのテノールが音頭おんどり、それ以外いがいさん合唱がっしょう(テノール、バリトン、バス)がけをつとめるというかたちになっている。秋田あきたけんハタハタりょううた(艪押し、およびあみおこしのさいのもの)が主要しゅよう素材そざいとなっており、千葉ちばけん漁村ぎょそんつたわる、地引網じびきあみさいごえ使つかわれている。合唱がっしょうパートに頻出ひんしゅつする、ちょう3ないしは4ないの3つのおとは、作曲さっきょく中学生ちゅうがくせいころいた僧侶そうりょたちの読経どきょうにヒントをたものである。そのうたはじめは各人かくじんによって音程おんていがばらばらであったのだが、やがてホ、嬰ニ、イおんの3つのおとへと収斂しゅうれんしていったのだという。
  • だい2楽章がくしょう「羯皷」は3つの部分ぶぶんから男声だんせいよん合唱がっしょう最初さいしょ、および最後さいごでは福島ふくしまけん相馬そうまぐん田打たうちうたが、中間なかまでは東京とうきょう小河内おかうち鹿島かしまおどりからの一部いちぶうたわれる。きょくのタイトルは楽器がっき名前なまえである(鞨鼓かれることがおおい)。バリトンやバスのくち唱歌しょうかによる羯皷にって、テノール合唱がっしょうおよびテノールソリ、バリトンソリが鹿島かしまおどりなかの「三番叟さんばそう」「さんころりん」をうたう。
  • だい3楽章がくしょう念佛ねんぶつ」は岩手いわてけんおに剣舞けんぶ主要しゅよう素材そざいとする。太鼓たいこささらくち唱歌しょうかや、おどしゅ囃子詞はやしことばともないながら、念仏ねんぶつによって悪霊あくりょうたちをしずめてゆく勇壮ゆうそう部分ぶぶん前後ぜんごに、かれらが成仏じょうぶつしていく様子ようすなかくかたちである。

だい4ばん子供こども領分りょうぶん[編集へんしゅう]

NHKからの委嘱いしょくによって1963ねん児童じどう合唱がっしょうと2かん編成へんせいオーケストラのために作曲さっきょく同年どうねんもりただし指揮しき西六郷にしろくごう少年しょうねん少女しょうじょ合唱がっしょうだん、フィルハーモニア・オーケストラによって放送ほうそう初演しょえんされた。題名だいめいドビュッシーのピアノきょくしゅう子供こども領分りょうぶん参照さんしょう)からの借用しゃくようであり、日本にほんコロムビアから発売はつばいされたレコード「現代げんだい日本にっぽん音楽おんがく2」にChildren's Cornerと表記ひょうきされていた。だが、全音楽譜出版社ぜんおんがくふしゅっぱんしゃからの楽譜がくふではChildren's Fieldとなっている。同社どうしゃからは合唱がっしょうのみが一般いっぱん発売はつばいされており、パートとオーケストラスコアはレンタル。

東京とうきょう都内とない小学生しょうがくせいがその当時とうじうたっていたわらべうたがきょく素材そざいである。ぜん3さくくらべると、歌詞かし現代げんだいてきなのはもちろんのこと、囃子詞はやしことばがなくなり、わりに歌詞かし意味いみせい前面ぜんめんされているのが特徴とくちょうである。「ゆかいなうた」「なつかしいうた その1」「かきうた」「なつかしいうた その2」「FINALE」のぜん5楽章がくしょうもととなったわらべうたは小泉こいずみ文夫ふみおへん『わらべうたの研究けんきゅう』(稲葉いなば印刷所いんさつしょ)に収録しゅうろくされている。作品さくひん素材そざいとしてもちいられたうたは50以上いじょうにのぼる。

子供こども合唱がっしょうとオーケストラのためのコンチェルト・グロッソという着想ちゃくそうをもとにつくられている。オーケストラはわらべうたのエネルギーを一層いっそうきさせるものとして駆使くしされていて、たんなる伴奏ばんそうまらずおおくの部分ぶぶん主役しゅやくになっている。そのためたびたび依頼いらいされたというピアノ伴奏ばんそうばん作成さくせい作曲さっきょく意向いこうによりおこなわれていない。

だい5ばん鳥獣ちょうじゅう戯画ぎが[編集へんしゅう]

NHKの委嘱いしょく作品さくひん1966ねん同人どうじんグループ映像えいぞうしゃ(監督かんとく松川まつかわはちしまつよし)によって製作せいさくされた短編たんぺん映画えいが鳥獣ちょうじゅう戯画ぎが」の音楽おんがくをもとに、演奏えんそうかいよう作成さくせいされたものである。同年どうねんの10がつ6にちに、作曲さっきょく指揮しき東京放送とうきょうほうそう合唱がっしょうだんによって放送ほうそう初演しょえんされた。間宮まみやは、この映画えいが音楽おんがく、および合唱がっしょうきょくにおいて、「こえおとぶりによって『可笑おかしさ』『わらい』をあらわすというあらたな実験じっけん」をおこなったと、自著じちょ現代げんだい音楽おんがく冒険ぼうけん』にいている。その結果けっかは、後半こうはん楽章がくしょうとくにうかがえる。かれ絵巻えまきから、自分じぶん自身じしんの「視覚しかくてきイメージ」(楽譜がくふ前書まえがき)をたようであるが、作曲さっきょくちゅうにそのイメージがだんだん絵巻えまきそのものからはなれていったともかしている。

混声こんせい合唱がっしょうに、2人ふたり打楽器だがっき奏者そうしゃすず数珠じゅずたけすず鳴子なるこ〕、おけどうらく太鼓たいこ拍子木ひょうしぎギロシンバルボンゴ)とコントラバス必要ひつようとする。コントラバスは、ピチカートコル・レーニョ多用たようによって、旋律せんりつ楽器がっきとしてよりも、むしろ打楽器だがっきちかあつかわれかたをしている。いっぽう、歌詞かしだい部分ぶぶん囃子詞はやしことばであり、だい3ばんまでの路線ろせん踏襲とうしゅうしている。全音楽譜出版社ぜんおんがくふしゅっぱんしゃにより出版しゅっぱんされている。

だい1楽章がくしょう男声だんせい中心ちゅうしんかれていて、女声じょせい最後さいごの2小節しょうせつにしか登場とうじょうしない。だい1ばんだい2ばんおなじくテノールからはじまる。うたわれる素材そざい声明せいめい東大寺とうだいじ修二しゅうじかいのもの)と囃子詞はやしことばからり、仏教ぶっきょう音楽おんがくと、俗謡ぞくよう混交こんこうさせた野性やせいてき世界せかい展開てんかいされる。

だい2楽章がくしょうはテノールソロからはじまり、しばらくはかれ中心ちゅうしんにしてきょく進行しんこうする。この楽章がくしょうから基本きほんてき囃子詞はやしことばのみになる。ジャズをおもわせるようなコントラバスのうごきが特徴とくちょう愛媛えひめけん大洲おおす草取くさとりうたがモチーフとなっている。

だい3楽章がくしょう女声じょせい合唱がっしょうからはじまり、およそ50小節しょうせつあいだを、彼女かのじょらのとりのような歌声うたごえ独占どくせんする。やがて、テノールソロが、いで、2人ふたりのバスソロ、そしてテノール合唱がっしょう彼女かのじょらにってはいむ。おとこたちのなか1人ひとりはからかい[1]、また1人ひとりよろこいさ[2]、もう1人ひとりだれかにあしまれたらしい[3]。テノールたちは集団しゅうだんはしっているらしく、いきあら[4]。やがて、さまざまな種類しゅるいわらいと悲鳴ひめいこる。

だい4楽章がくしょうは、冒頭ぼうとうからいきなり合唱がっしょうだんいん全員ぜんいんわらう。それも「はらのそこから」。“爆笑ばくしょう場面ばめん”はこののち随時ずいじてくる。そのあいだくち唱歌しょうかあらわれ、さながらだい1ばんおわり楽章がくしょうのようなはなやかさをせる[5]。コーダではまえ3楽章がくしょう素材そざい再現さいげんされ[6]最後さいご威勢いせいじる。なお、この楽章がくしょうには、新潟にいがたけん刈羽かりわぐんつたわる綾子あやこまいしょう原木げんぼくおどりと、ウガンダつたわるヒストリック・ソングが素材そざいとしてもちいられている。

だい6ばん[編集へんしゅう]

1968ねん作曲さっきょく。3楽章がくしょう伴奏ばんそう男声だんせい合唱がっしょうきょく(ただし最終さいしゅう楽章がくしょうのみ拍子木ひょうしぎ必要ひつようとする)であり、同年どうねん東京とうきょうろく大学だいがく合唱がっしょう連盟れんめい定期ていき演奏えんそうかいにおいて、田中たなか信昭のぶあき法政大学ほうせいだいがくアリオンコールによって初演しょえんされた。番号ばんごう副題ふくだい初演しょえんから存在そんざいし、そのパンフレットにおいて作曲さっきょくしゃは(だい3ばんも「男声だんせい合唱がっしょうのためのコンポジション」とづけていたため)、「男声だんせい合唱がっしょうのためのコンポジションだい2ばん」ともんでいた。全音楽譜出版社ぜんおんがくふしゅっぱんしゃにより出版しゅっぱんされている。

だい3ばんいでよく演奏えんそうされる(法政ほうせいアリオンの定期ていき演奏えんそうかいかぎっても、2011ねん現在げんざい、10かい再演さいえんされている)。また、だい2楽章がくしょうはスウェーデンの男声だんせい合唱がっしょうだんオルフェイ・ドレンガー英語えいごばんによって録音ろくおんされている。日本にっぽん民俗みんぞく音楽おんがくによるポリフォニー様式ようしき志向しこうしたという。

  • だい1楽章がくしょうふくたてせんによって3つにけられている。最初さいしょ練習れんしゅう番号ばんごう4まで)と最後さいご練習れんしゅう番号ばんごう8から)は、岩手いわてけん和賀わがぐん岩崎いわさきむらげん北上ほくじょう)のひえ搗唄による。ひえ作業さぎょうにあたってひとやとうのだが、そのやとわれたがわからのうたである。最初さいしょほうでは、「おまえたちやとがわ)は(我々われわれが)ひえきをしているあいだは(我々われわれに)お世辞せじうけれど、いてしまえば『アバエ(=アバヨ)』とめてしまう」という内容ないよううたわれる。最後さいごの「にしねやま」は西根にしねまち雫石しずくいしまちあたりにルーツをつと作曲さっきょくしゃ類推るいすいしている。いっぽう、中間なかま練習れんしゅう番号ばんごう5から7)の囃子詞はやしことばは、どうけん亀ヶ森かめがもりむらげん 花巻はなまき)につたわる田植たうえおどりの、「掻田うた」から引用いんようされている。終盤しゅうばん練習れんしゅう番号ばんごう8)の、おとだか確定かくていなかけごえ(2箇所かしょ)は、作曲さっきょくしゃのオリジナル。平成へいせい13年度ねんどれい2年度ねんど全日本ぜんにほん合唱がっしょうコンクール課題かだいきょく
  • ゆったりとしたテンポのぜん楽章がくしょう対照たいしょうてきに、だい2楽章がくしょうはすこぶる快速かいそく(Presto)に、そして威勢いせいはじまる。青森あおもりけん八戸はちのへ神楽かぐらの「権現ごんげんまい」に登場とうじょうするうた主要しゅよう素材そざいとしている。テノール、バリトン、バスそれぞれ2つに分割ぶんかつされ、さらに3ぐんのソリ(テノール・バリトン・バス)を必要ひつようとする。歌詞かしあいだに、あるいは歌詞かしってはいるかたちでかけごえ登場とうじょうあたまの×(この作品さくひんについてはおとだか特定とくていしないという意味いみ。シュプレヒシュティンメとほぼ同義どうぎ)が多用たようされる。
  • だい3楽章がくしょう最初さいしょ素材そざいは、兵庫ひょうごけん三原みはらぐん南淡なんだんまちげんみなみあわじ)にある亀岡かめおか神社じんじゃの「風流ふうりゅうおどり」から「はなおどり」である。いで、木場きば東京とうきょう)の労働ろうどううたが、テノールソリと合唱がっしょうパートのかけあいによって展開てんかいされ、大分おおいたけん南海部みなみあまべぐん蒲江かまえげん佐伯さいき)の「大漁たいりょう囃子ばやし」のかけごえがれる。ぜん10ページ(出版しゅっぱん)のうち、後半こうはん5ページのあたまがすべて×というユニークな楽章がくしょうである。最後さいごに2種類しゅるいめくくりが用意よういされていて、うたはいずれかをえらぶことができる。楽譜がくふじょうには明示めいじしていないが、作曲さっきょくしゃ両方りょうほうえらんでもかまわないともいている(CD『日本にっぽん合唱がっしょうきょく全集ぜんしゅう 間宮まみや芳生よしお作品さくひんしゅう』)。

この作品さくひんつくられたすぐに、だい1ばんからだい6ばんまでがまとめて日本にほんビクターからレコードとして発売はつばいされ、このレコードはだい23かい文化庁ぶんかちょう芸術げいじゅつさいしょう受賞じゅしょうした。


だい7ばん「マンモスのはか[編集へんしゅう]

だい8ばん翌年よくねん1972ねん)、ニッポン放送にっぽんほうそう芸術げいじゅつさい参加さんか作品さくひんとして作曲さっきょく初演しょえん田中たなか信昭のぶあき指揮しき、ひばり児童じどう合唱がっしょうだんによりおこなわれ、だい27かい文化庁ぶんかちょう芸術げいじゅつさいラジオ部門ぶもん大賞たいしょう合唱がっしょうきょく)を受賞じゅしょうした。全音楽譜出版社ぜんおんがくふしゅっぱんしゃにより出版しゅっぱんされている。

3楽章がくしょうから伴奏ばんそう児童じどう合唱がっしょうきょく(3合唱がっしょう)である。環境かんきょう問題もんだいをテーマとした作品さくひんで、だい4ばんよりもいっそう歌詞かし意味いみ内容ないようがはっきりとしている。また、それまでの「コンポジション」シリーズでは、歌詞かしがさまざまな素材そざいから構成こうせいされていたが、この作品さくひんだい3楽章がくしょうでは例外れいがいてきに1つのみ、それも作曲さっきょくしゃみずからつくったもちいられている。この作品さくひんから、作曲さっきょくしゃによるメッセージがひょうあらわれるようになる。かれは、だい7ばん以降いこう路線ろせんについて、「うちなる自然しぜんうしなって暴走ぼうそうする人間にんげん肥大ひだいした文明ぶんめいへの批判ひはんや、自然しぜん人間にんげんとの調和ちょうわ恢復かいふくのねがいという主題しゅだい」(『日本にっぽん合唱がっしょうきょく全集ぜんしゅう 合唱がっしょうのためのコンポジション』VICG-60151)が存在そんざいするとしている。

  • だい1楽章がくしょう(Allegro non troppo): 歌詞かしだい部分ぶぶんは、柳田やなぎだ國男くにお蝸牛かぎゅう異名いみょう分布ぶんぷひょう』によってしめされた、カタツムリ方言ほうげんでのさまざまな呼称こしょうを、作曲さっきょくしゃがそのまま、もしくは変形へんけいくわえて構成こうせいしたものである。近代きんだいによって、かけることがすくなくなったこのものがえそうとしている。2おとによる単純たんじゅんなわらべうたが、やがて5こえによるトーン・クラスターふう和音わおんへと発展はってんしていく。最後さいごに、作曲さっきょくしゃ子供こどもころ友達ともだち祖母そぼからいたという昔話むかしばなし主人公しゅじんこう名前なまえ斉唱せいしょううたわれる。
  • だい2楽章がくしょう(Andante): 2つ(名古屋なごや地域ちいき山梨やまなしけん)の子守こもりうたもとづく。子守こもりうた登場とうじょうするような環境かんきょう、あるいはそのうたそのものがうしなわれようとしていることをほのめかしている。コーダの手鞠てまりうたもそうした文脈ぶんみゃく登場とうじょうする。
  • だい3楽章がくしょう「マンモスのはか」(Allegretto): かたがマンモスの墓参はかまいりをしに、「マンモスむら」にある「マンモスてら」をおとずれ、そこの和尚おしょうからこの動物どうぶつ滅亡めつぼういたったはなしくという体裁ていさいをとっている。マンモスは、あまりに巨大きょだい体躯たいくゆえにべてもべても空腹くうふくなやまされ、ついには時間じかんをも食事しょくじにあてざるをず、そうして「寝不足ねぶそく」でんだのだ。作曲さっきょくしゃがこのはなし(「科学かがくてきにはなん根拠こんきょもないわらばなし」と明記めいきしているが)を「肥大ひだいした文明ぶんめい」になぞらえているのはうまでもない。かたが「かなしい」はなしだとかんじているのとは対照たいしょうてきに、音楽おんがく一貫いっかんしてユーモラスであるのは(マンモスがくさ様子ようすかぞうたあらわすなど)、もちろんアイロニーをねらってのことである。だい1楽章がくしょうおなじくわらべうたのスタイルを基調きちょうとしており、共通きょうつうのモティーフが随所ずいしょられる。

だい8ばん[編集へんしゅう]

1971ねん日本にっぽんプロ合唱がっしょうだん連合れんごう二期会にきかい合唱がっしょうだん日本にっぽん合唱がっしょう協会きょうかい東京放送とうきょうほうそう合唱がっしょうだん東京とうきょう混声こんせい合唱がっしょうだん)の委嘱いしょくにより作曲さっきょく。3にん指揮しきしゃと3ぐん混声こんせい合唱がっしょう必要ひつようとする。初演しょえんでは、田中たなか信昭のぶあき宮本みやもと昭嘉あきよしもりただし指揮しき担当たんとうした。出版しゅっぱん

青ヶ島あおがしまつたわる金山かなやま祭文さいぶんをモチーフに作曲さっきょくされた。架空かくう神社じんじゃ奉納ほうのうされる架空かくう伝統でんとう芸能げいのうといったシアター・ピース志向しこうされている。2008ねん2人ふたり指揮しきしゃと2ぐん混声こんせい合唱がっしょうのために改訂かいてい。このはん同年どうねん12がつに、作曲さっきょくしゃ田中たなか信昭のぶあき指揮しき東京とうきょう混声こんせい合唱がっしょうだん初演しょえんした。また指揮しきしゃ一人ひとりでも演奏えんそう可能かのうとしている。

だい9ばん変幻へんげん[編集へんしゅう]

1974ねん日本にっぽんプロ合唱がっしょうだん連合れんごう委嘱いしょくにより作曲さっきょくされ、田中たなか信昭のぶあき指揮しき初演しょえんされた。混声こんせい合唱がっしょうオルガン、2つのハープ、2つのコントラバス、打楽器だがっき。テキストは黒田くろだ喜夫よしお同名どうめいと、農民のうみん一揆いっきについての古文書こもんじょ出典しゅってんさんいち書房しょぼうによる日本にっぽん庶民しょみん生活せいかつ史料しりょう集成しゅうせいだい6かん)である。初演しょえんされたきり37ねんあいだ再演さいえん機会きかいにめぐまれなかったが、2011ねんトウキョウ・カンタートにおいて再演さいえんされた。出版しゅっぱんではあるが、作曲さっきょくしゃ本人ほんにん著書ちょしょ現代げんだい音楽おんがく冒険ぼうけん」において楽譜がくふ一部いちぶられる。作曲さっきょくしゃ本人ほんにんは「コンポジションよりむしろオラトリオか、または特定とくてい多数たすうみん受難じゅなんきょく」とかたっている。また規模きぼおおきさはだいきゅうということが意識いしきされている。

だい10ばん「オンゴー・オーニ」[編集へんしゅう]

1981ねん、NHK大阪おおさか放送ほうそうきょくからの委嘱いしょくにより混声こんせい合唱がっしょうとピアノのために作曲さっきょく。NHKラジオにて山田やまだ一雄かずお指揮しき合唱がっしょうだん京都きょうとエコー、野島のじまみのるピアノにより放送ほうそう初演しょえんされ、だい36かい文化庁ぶんかちょう芸術げいじゅつさいラジオ部門ぶもん大賞たいしょう作品さくひんとなった。ぜん4楽章がくしょうカワイ出版しゅっぱんより出版しゅっぱんされている。

だい1楽章がくしょうは「ねがい」、だい2楽章がくしょうは「おそれ」、だい3楽章がくしょうは「よろこび」、そしてだい4楽章がくしょうは「陶酔とうすい」をあらわす。だい1,3楽章がくしょう伊豆いず青ヶ島あおがしまつたわる祭文さいぶん触発しょくはつされかれた、作曲さっきょくしゃ自身じしんによるけられている。またぜんへんわたり、ラップランド民謡みんようヨーイク影響えいきょうけており、言葉ことば表現ひょうげんすること必然ひつぜんではなく、メロディのかたちによってもまた表現ひょうげんができることしめされている。ヨーイクはいまさく以外いがいにも11ばん、12ばん、14ばん、15ばんあらわれる。

だい11ばん[編集へんしゅう]

東京とうきょう混声こんせい合唱がっしょうだん1984ねん委嘱いしょく作品さくひん混声こんせい合唱がっしょうに引鏧(いんきん)[7]とすず(ハンドベル)、およびらく琵琶びわまれる。初演しょえん指揮しき岩城いわき宏之ひろゆき東儀とうき博昭ひろあきらく琵琶びわ担当たんとうした。カワイ出版しゅっぱんより出版しゅっぱんされている。農村のうそんにおけるごろし(あいだ)がテーマで、「アエーヤー(くちよせ)」「まえもつかずつゆのいのち」「まんじ(まんじ)」「はなつみ」のぜん4楽章がくしょう。テキストは作曲さっきょくによる。間引まびきされることなくこのきているものからの(あのものへの)びかけと、間引まびかれた子供こどもからの(このものへの)ごえ対照たいしょうさせる構成こうせいとなっている。作曲さっきょくしゃ楽譜がくふまえがきにおいて、後者こうしゃを「たなかった人生じんせいのかわりに、永遠えいえん透明とうめいな『いのち』をきつづけ」ているとかんがえている。

だい1楽章がくしょう「アエーヤー(くちよせ)」は、ppppの引鏧からはじまる。SATBそれぞれ最大さいだい3パートにかれ、さらにアルトソロ、テノールソロ、バスソロがくわわる。かれらはんだ子供こどもせようとしている。途中とちゅう男声だんせいによる無声むせい摩擦音まさつおんやぶおと参加さんかする。なお、この楽章がくしょうくにあたって、おそれやまイタコ口寄くちよ参照さんしょうしたという。

だい12ばん「はるかなあしたから」[編集へんしゅう]

1986ねん作曲さっきょく児童じどう女声じょせい合唱がっしょう弦楽げんがく合奏がっそう(もしくはリダクションされた4ピアノ)。作曲さっきょくしゃ自身じしんによるもので、過去かこ現在げんざい未来みらいとおした「いのち」がテーマである。

作曲さっきょくしゃはこの作品さくひんについて「この12ばんでは、ミサきょくきたいとおもいました。特定とくていのどんな宗教しゅうきょうのためでもないミサきょく、つまり、あらゆる宗教しゅうきょうしんずるひとのため、そして宗教しゅうきょうしんじないひとのためでもあるような、宗教しゅうきょうの、しかし宗教しゅうきょうてきなミサきょくきたいとおもいました。[8]」とべている。

うみあきらプランクトン)」「さかなあきら遡上そじょうするさけ)」「くじらあきら」「ひとのあきら」「ひかりあきら(またはときあきら)」のぜん5楽章がくしょうからなる。初演しょえん1986ねん古橋ふるはし富士雄ふじお指揮しき東京放送とうきょうほうそう児童じどう合唱がっしょうだん東京とうきょうメトロポリタン室内しつないアンサンブルによりおこなわれた。カワイ出版しゅっぱんより出版しゅっぱんされている。

だい13ばんしろかいおんな[編集へんしゅう]

混声こんせい合唱がっしょう打楽器だがっきのために1993ねんかれた。アメリカ・インディアン、ナハボぞく創世そうせい神話しんわもとづいて間宮まみや作詞さくしした。同年どうねんといもと英一ひでかず指揮しき東京とうきょう混声こんせい合唱がっしょうだん加藤かとう訓子くにこによって初演しょえんされた。ぜん1楽章がくしょう前年ぜんねん国立こくりつ劇場げきじょうから委嘱いしょくされた「しろふうニルチッイ・チガイがとおみち」のながれをんでいる。楽譜がくふ東京とうきょう混声こんせい合唱がっしょうだんの「ひがしこん作曲さっきょく委嘱いしょく支持しじかい」により合唱がっしょう音楽おんがく振興しんこうかいから出版しゅっぱんされたものの非売品ひばいひんであり[9]一般いっぱん入手にゅうしゅ困難こんなんである。

だい14ばん[編集へんしゅう]

男声だんせい合唱がっしょう打楽器だがっきヘルシンキ大学だいがく合唱がっしょうだん(Ylioppilaskunnan Laulajat, YL) の日本にっぽんツアーのために、1994ねん作曲さっきょくされた。初演しょえん指揮しきしゃマッティ・ヒヨッキ初演しょえん団体だんたい特性とくせいまえた委嘱いしょくのリクエストから、おな男声だんせい合唱がっしょうだい3ばんだい6ばんよりもこえかつひろ音域おんいきもちいてかれている。YLから出版しゅっぱんされていたが、のちに誤植ごしょくとう修正しゅうせいした浄書じょうしょばん全音楽譜出版社ぜんおんがくふしゅっぱんしゃから出版しゅっぱんされた。

仏教ぶっきょう題材だいざいもとめ「外来がいらいがにほんおとになってゆく歴史れきし」をえがいた作品さくひん。「Shingon(真言しんごん)」「Kanjô(勧請かんじょう)」「Kassatzu(ごうころせ)」の3楽章がくしょうからる。だい部分ぶぶん真言宗しんごんしゅう豊山とよやま声明せいめいのいくつかの経文きょうもんからとられていて、サンスクリット古代こだい中国ちゅうごく日本語にほんごもちいられている。楽譜がくふはYLにより出版しゅっぱんされていたが、不注意ふちゅういなミスプリントがおおいとの理由りゆうで[2018年版ねんばん]として誤植ごしょく訂正ていせいされたはん全音楽譜出版社ぜんおんがくふしゅっぱんしゃから刊行かんこうされている。YLばん出版しゅっぱん巻末かんまつされたPekka Lehtisaloによる解説かいせつに「これらの言語げんごうえの3つの言語げんごのこと〕は、仏教ぶっきょうが、まれたであるインドから、中国ちゅうごく経由けいゆして日本にっぽんへとひろまっていったことをあらわしている」とある。

だい1楽章がくしょう真言しんごん」は、バリトン中心ちゅうしんにしてかれており、グリッサンドぜんおん随所ずいしょもちいられている。きょく後半こうはんでは、バリトンソロが即興そっきょうてきに「盧舎那仏るしゃなぶつ(hiroshadafu)」ととなえる。出典しゅってんサンスクリット経典きょうてんよんさとし梵語ぼんご」。

だい2楽章がくしょう勧請かんじょう」は、ほとんどがフォルテ以上いじょう演奏えんそうされるはげしいきょくである。全般ぜんぱんてきにホモフォニックであるが、バリトンソロが登場とうじょうすると、かくパートが次々つぎつぎさけす。出典しゅってん漢語かんご経典きょうてん」。中間ちゅうかんのアンダンテ部分ぶぶん岩手いわてけん毛越寺もうつじのべねんから拍子ひょうし変形へんけいされた引用いんよう

だい3楽章がくしょうごうころせ」は、瞑想めいそうあらわしたものであり、ぜん楽章がくしょうとは対照たいしょうてきに、しずかでおごそかな雰囲気ふんいきつ。テノールによるこう音域おんいきのグリッサンドが特徴とくちょうてきである。日本語にほんごしたサンスクリットの3つの単語たんご歌詞かし構成こうせいしている。

だい15ばんそらがおれのゆくところへついてくる」[編集へんしゅう]

児童じどう合唱がっしょう打楽器だがっき、ピアノ。2002ねん東京放送とうきょうほうそう児童じどう合唱がっしょうだん委嘱いしょくにより作曲さっきょくされた。初演しょえん籾山もみやま真紀子まきこ指揮しき岩波いわなみ佳代子かよこがピアノを担当たんとうした。本来ほんらい児童じどう合唱がっしょうのためのものであるが、後述こうじゅつの17ばん初演しょえんには「おじさん、おばさんがうたってもいいことにした」と作曲さっきょくしゃみずからの公認こうにんへんごえ合唱がっしょう編成へんせいでもうたわれた。全音楽譜出版社ぜんおんがくふしゅっぱんしゃにより出版しゅっぱんされている。

1きょくそらが」はアメリカ・インディアンのチッペワぞく、2きょくかみ誕生たんじょう」は古代こだいアルメニア、3きょく「きいろいちょうたち」はアメリカ・インディアンのホピぞく口承こうしょうもとになっている。3きょくのみ、ピアノ伴奏ばんそうくわわる。1,3きょく訳詞やくしきむせき寿夫としお、2きょく訳詞やくし作曲さっきょくしゃ本人ほんにん

だい16ばん[編集へんしゅう]

2004ねん東京とうきょう混声こんせい合唱がっしょうだん委嘱いしょくにより作曲さっきょくされた、伴奏ばんそう混声こんせい合唱がっしょうきょく。「うばらまい」「くさには」のぜん2きょく構成こうせい田中たなか信昭のぶあき指揮しきにより初演しょえん全音楽譜出版社ぜんおんがくふしゅっぱんしゃにより出版しゅっぱんされている。

だい1楽章がくしょう「うばらまい(うばばばとうまい)」は、青ヶ島あおがしまつたわる巫女ふじょ神楽かぐら祭文さいぶん」の伝承でんしょうをもとに、自由じゆうつくされたもの。「とお次元じげんからのこえ」と注記ちゅうきされたアルトソロ、「ピカピカに、かんだかく」などとしるされたソプラノソロなどにられるように、終始しゅうし呪術じゅじゅつてき世界せかい展開てんかいされる。だい2楽章がくしょうのテキストは、詩人しじん木島きしまはじめ同名どうめいよんぎょう詩集ししゅう『われたまご』による)と、いくつかのハヤシコトバからり、「だい1楽章がくしょうのはしゃぎをしずめる」(作曲さっきょくによる、楽譜がくふ前書まえがき)のを目的もくてきとしている。おおむね、せんてき書法しょほうかれており、きょく最後さいごでは16こえによるポリフォニーがおこなわれる。

だい17ばん[編集へんしゅう]

2007ねん8がつ12にち初演しょえん伴奏ばんそう混声こんせい合唱がっしょう組曲くみきょく。「つくかい委嘱いしょく初演しょえん指揮しき田中たなか信昭のぶあき菅江すがえ真澄ますみのこした民謡みんよう詞華集しかしゅう「ひなのひとふし」と、たび日記にっき文章ぶんしょうもとにした、なな宇曾牡鹿おじかという東北とうほく地名ちめいがタイトルのぜん3楽章がくしょう構成こうせい青森あおもり田植たうえうた宮城みやぎむぎ搗唄を素材そざいとしている。2楽章がくしょう必要ひつようとする。全音楽譜出版社ぜんおんがくふしゅっぱんしゃにより出版しゅっぱんされている。

合唱がっしょうのためのエチュード[編集へんしゅう]

1982ねんブルガリアおとずれた間宮まみやは、現地げんち民族みんぞく発声はっせいもちいる少女しょうじょ合唱がっしょうだん演奏えんそうかいいた。作曲さっきょくは、コンサートのまえおこなわれた発声はっせい練習れんしゅういており、「いちばん興味きょうみをひかれた」(楽譜がくふ前書まえがき)といている。これをに、西洋せいよう声楽せいがく作品さくひんとはことなるこえもとめられる「合唱がっしょうのためのコンポジション」にむための作品さくひんくことをかんがえ、1983ねんから1999ねんにかけて8きょく作曲さっきょくした。1きょくと2きょく間宮まみや指揮しき日本にっぽん合唱がっしょう協会きょうかいによって、3きょくと4きょくおなじく間宮まみや指揮しきで、横浜よこはま女声じょせい合唱がっしょうだんによって初演しょえんされた。5きょくから8きょくまでは、音楽之友社おんがくのともしゃ企画きかくによるCD『21世紀せいき合唱がっしょう名曲めいきょくせん』のために、同社どうしゃから委嘱いしょく出版しゅっぱんされたものである。桑原くわばら妙子たえことマルベリー・クワイアによって録音ろくおんされた。2015ねん12月に2きょくあらたに作曲さっきょくぜん10きょくとなった。

声明せいめい日本にっぽん伝統でんとう音楽おんがくのほか、アイヌスカンディナヴィアのサーミぞく、ハンガリー、中央ちゅうおうアフリカにつたわる民族みんぞく音楽おんがく作曲さっきょく素材そざいとして採用さいようされている。「Etude VI furyu 風流ふうりゅう」にはタンバリン、「Etude VII rhythm and shōga リズム エチュード・《唱歌しょうか》」には太鼓たいこのパートがある。

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ 楽譜がくふつぎのようにしめされている。以下いかおなじ。「ファルセット(からかうように)」。
  2. ^ 「(さけぶ)…『よろこびいさかんじ』」。
  3. ^ さけぶ(あしをふまれたように)」。
  4. ^ 「いきせききってはしるように」。
  5. ^ 途中とちゅうでテノールソロが「キタマダマダマダ……tr tr tr……」とうたうシーンがあるが、まったくおなじシチュエーションがだい1ばんだい4楽章がくしょうにもられる
  6. ^ たとえば、男声だんせいによってうたわれる「ニョゼ」「ニョイ」(練習れんしゅう番号ばんごう9)は冒頭ぼうとう楽章がくしょうの「如是にょぜ」「如意にょい」に対応たいおうし、おな練習れんしゅう番号ばんごうにあるソプラノソロの甲高かんだか悲鳴ひめいは、だい3楽章がくしょう最後さいごられる。
  7. ^ 用意よういできないときにはすず(れい)の使用しようみとめている。
  8. ^ 東京放送とうきょうほうそう児童じどう合唱がっしょうだんライブ(Victor、VDR-5175)ブックレットより
  9. ^ しろかいおんな:アメリカ・インディアン、ナバホぞく神話しんわによる:合唱がっしょうのためのコンポジションだい13ばん国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんサーチ

参考さんこう文献ぶんけん外部がいぶリンク[編集へんしゅう]

楽譜がくふ、CDの解説かいせつ以外いがい参考さんこうにしたのはつぎとおりである。

  • 間宮まみや芳生よしお現代げんだい音楽おんがく冒険ぼうけん岩波いわなみ新書しんしょ、1990ねん
  • 日本にっぽん作曲さっきょくシリーズ4 間宮まみや芳生よしお」(『ハーモニー』No.88、全日本ぜんにほん合唱がっしょう連盟れんめい、1994ねん
  • 法政大学ほうせいだいがくアリオンコール70ねん編集へんしゅう委員いいんかいへん法政大学ほうせいだいがくアリオンコール70ねん法政大学ほうせいだいがくアリオンコールOBかい、1998ねん
  • 法政大学ほうせいだいがくアリオンコールOBかい - 法政大学ほうせいだいがくアリオンコールだい48かい定期ていき演奏えんそうかいパンフレット(PDFばん - ウェイバックマシン(2014ねん2がつ3にちアーカイブぶん))に、14ばんについての作曲さっきょくしゃによる寄稿きこう掲載けいさいされている。
  • 『ハーモニー』No.116、全日本ぜんにほん合唱がっしょう連盟れんめい、2001ねん
  • 『ハーモニー』No.192、全日本ぜんにほん合唱がっしょう連盟れんめい、2020ねん
  • 渡邊わたなべ唯夫ただお奥多摩おくたま民衆みんしゅう芸能げいのうやま文芸ぶんげいしゃ、2002ねん
  • 深沢ふかざわ眞二しんじ『なまずのまご 3びきめ』メロス音楽おんがく出版しゅっぱん、2002ねん
  • 慶應義塾けいおうぎじゅくワグネル・ソサィエティー男声だんせい合唱がっしょうだん - 「だい3ばん初演しょえん録音ろくおんや、作曲さっきょく文章ぶんしょうがおさめられている(だい88かい定期ていき演奏えんそうかい)。なお、どうサイトの「演奏えんそうライブラリー」でだい3ばん演奏えんそうおよびだい6ばんくことができる。
  • 『Tokyo Cantat 2011』プログラム、2011ねん