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家永教科書裁判いえながきょうかしょさいばん

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最高裁判所さいこうさいばんしょ判例はんれい
事件じけんめい 損害そんがい賠償ばいしょう請求せいきゅう事件じけん
事件じけん番号ばんごう 昭和しょうわ61(オ)1428
1993ねん平成へいせい5ねん)3がつ16にち
判例はんれいしゅう みんしゅう だい47かん5ごう3483ぺーじ
裁判さいばん要旨ようし
  1. 学校がっこう教育きょういくほういちじょういちこう昭和しょうわよんねん法律ほうりつだいよんはちごうによる改正かいせいまえのもの)、いちじょう昭和しょうわよんきゅうねん法律ほうりつだいななごうによる改正かいせいまえのもの)、きゅう教科きょうかよう図書としょ検定けんてい規則きそく昭和しょうわさんねん文部省もんぶしょうれいだいよんごう)、きゅう教科きょうかよう図書としょ検定けんてい基準きじゅん昭和しょうわさんさんねん文部省もんぶしょう告示こくじだいはちろくごう)にもとづく教科書きょうかしょ検定けんてい制度せいどは、憲法けんぽういちじょういちこう憲法けんぽういちじょうこう前段ぜんだん憲法けんぽうさんじょう憲法けんぽうろくじょう教育きょういく基本きほんほういちじょう違反いはんしない。
  2. 学校がっこう教育きょういくほういちじょういちこう昭和しょうわよんねん法律ほうりつだいよんはちごうによる改正かいせいまえのもの)、いちじょう昭和しょうわよんきゅうねん法律ほうりつだいななごうによる改正かいせいまえのもの)、きゅう教科きょうかよう図書としょ検定けんてい規則きそく昭和しょうわさんねん文部省もんぶしょうれいだいよんごう)、きゅう教科きょうかよう図書としょ検定けんてい基準きじゅん昭和しょうわさんさんねん文部省もんぶしょう告示こくじだいはちろくごう)にもとづく高等こうとう学校がっこうよう教科きょうかよう図書としょ検定けんていにおける合否ごうひ判定はんていとう判断はんだんは、文部もんぶ大臣だいじん合理ごうりてき裁量さいりょうにゆだねられているが、文部もんぶ大臣だいじん諮問しもん機関きかんである教科きょうかよう図書としょ検定けんてい調査ちょうさ審議しんぎかい判断はんだん過程かていに、申請しんせい原稿げんこう記述きじゅつ内容ないようまた欠陥けっかん指摘してき根拠こんきょとなるべき検定けんてい当時とうじ学説がくせつ状況じょうきょうとうについての認識にんしきや、検定けんてい基準きじゅん違反いはんするとの評価ひょうかとうかんして看過かんかがた過誤かごがあり、文部もんぶ大臣だいじん判断はんだんがこれに依拠いきょしてされたとみとめられる場合ばあいには、みぎ判断はんだんは、裁量さいりょうけん範囲はんい逸脱いつだつしたものとして、国家こっか賠償ばいしょうほうじょう違法いほうとなる。
だいさんしょう法廷ほうてい
裁判さいばんちょう 可部かべ恒雄つねお
陪席ばいせき裁判官さいばんかん 坂上さかがみ壽夫としお 園部そのべ逸夫いつお 佐藤さとう庄市しょういちろう
意見いけん
多数たすう意見いけん 全員ぜんいん一致いっち
意見いけん なし 
反対はんたい意見いけん なし
参照さんしょう法条ほうじょう
学校がっこう教育きょういくほう21じょう1こう昭和しょうわ45ねん法律ほうりつだい48ごうによる改正かいせいまえのもの),学校がっこう教育きょういくほう51じょう昭和しょうわ49ねん法律ほうりつだい70ごうによる改正かいせいまえのもの),きゅう教科きょうかよう図書としょ検定けんてい規則きそく昭和しょうわ23ねん文部省もんぶしょうれいだい4ごう)1ないし3じょう憲法けんぽう21じょう憲法けんぽう23じょう憲法けんぽう26じょう教育きょういく基本きほんほう10じょう国家こっか賠償ばいしょうほう1じょう1こう
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最高裁判所さいこうさいばんしょ判例はんれい
事件じけんめい 損害そんがい賠償ばいしょう
事件じけん番号ばんごう 平成へいせい6(オ)1119
1997ねん平成へいせい9ねん)8がつ29にち
判例はんれいしゅう みんしゅう だい51かん7ごう2921ぺーじ
裁判さいばん要旨ようし
  1. 教科きょうかよう図書としょ検定けんていたり文部もんぶ大臣だいじん原稿げんこう記述きじゅつ訂正ていせい削除さくじょまた追加ついかなどの措置そちをしたほう教科きょうかよう図書としょとしてよりくなるものとして指摘してきする改善かいぜん意見いけんは、これにおうずることを合格ごうかく条件じょうけんとはせず、文部もんぶ大臣だいじん助言じょげん指導しどう性質せいしつゆうするものであって、これをすることは、教科きょうかよう図書としょ執筆しっぴつしゃまた出版しゅっぱんしゃがそのはんしてこれにふくさざるをなくなるなどの特段とくだん事情じじょうのないかぎり、その意見いけんとう不当ふとうにかかわらず、原則げんそくとして、国家こっか賠償ばいしょうほうじょう違法いほうとならない。
  2. 昭和しょうわはちねん申請しんせいされた高等こうとう学校がっこうよう日本にっぽん教科きょうかよう図書としょ改訂かいてい検定けんていおこなうにたり、文部もんぶ大臣だいじんが、七三一部隊ななさんいちぶたいかんする記述きじゅつにつき、現時点げんじてんではまだ信用しんようこた学問がくもんてき研究けんきゅう論文ろんぶんないし著書ちょしょ発表はっぴょうされていないので、これをげるのは時期じき尚早しょうそうであるとの理由りゆうで、みぎ記述きじゅつ全部ぜんぶ削除さくじょする必要ひつようがあるとの修正しゅうせい意見いけんし、みぎ削除さくじょ合格ごうかく条件じょうけんとしたことには、みぎ検定けんてい当時とうじ七三一部隊ななさんいちぶたいかんして多数たすう文献ぶんけん資料しりょう公刊こうかんされ、七三一部隊ななさんいちぶたい存在そんざいとう否定ひていする学説がくせつ存在そんざいしなかったか、すくなくとも一般いっぱんにはられていなかったなど判示はんじ事実じじつ関係かんけいしたにおいては、その判断はんだん過程かていに、検定けんてい当時とうじ学説がくせつ状況じょうきょう認識にんしきおよ検定けんてい基準きじゅん違反いはんするとの評価ひょうかかんして看過かんかがた過誤かごがあり、裁量さいりょうけん範囲はんい逸脱いつだつした違法いほうがある。
だいさんしょう法廷ほうてい
裁判さいばんちょう 大野おおの正男まさお
陪席ばいせき裁判官さいばんかん 園部そのべ逸夫いつお 千種ちくさ秀夫ひでお 尾崎おざき行信ゆきのぶ 山口やまぐちしげる
意見いけん
多数たすう意見いけん 大野おおの正男まさお 園部そのべ逸夫いつお 千種ちくさ秀夫ひでお 尾崎おざき行信ゆきのぶ 山口やまぐちしげる論点ろんてん1については全員ぜんいん一致いっち論点ろんてん2については補足ほそく反対はんたい意見いけんり)
反対はんたい意見いけん 大野おおの正男まさお 尾崎おざき行信ゆきのぶ論点ろんてん2の一部いちぶについて)千種ちくさ秀夫ひでお 山口やまぐちしげる論点ろんてん2の一部いちぶについて)
参照さんしょう法条ほうじょう
学校がっこう教育きょういくほう21じょう1こう51じょうきゅう教科きょうかよう図書としょ検定けんてい規則きそく昭和しょうわ52ねん文部省もんぶしょうれいだい32ごう)1じょうきゅう教科きょうかよう図書としょ検定けんてい規則きそく昭和しょうわ52ねん文部省もんぶしょうれいだい32ごう)2じょうきゅう教科きょうかよう図書としょ検定けんてい規則きそく昭和しょうわ52ねん文部省もんぶしょうれいだい32ごう)3じょうきゅう教科きょうかよう図書としょ検定けんてい規則きそく昭和しょうわ52ねん文部省もんぶしょうれいだい32ごう)4じょうきゅう教科きょうかよう図書としょ検定けんてい規則きそく昭和しょうわ52ねん文部省もんぶしょうれいだい32ごう)9じょう国家こっか賠償ばいしょうほう1じょう1こう
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家永教科書裁判いえながきょうかしょさいばん(いえながきょうかしょさいばん)は、高等こうとう学校がっこう日本にっぽん教科書きょうかしょしん日本にっぽん』(三省堂さんせいどう)の執筆しっぴつしゃである家永いえなが三郎さぶろうが、教科きょうかよう図書としょ検定けんてい教科書きょうかしょ検定けんてい)にかんして、日本国にっぽんこく政府せいふ相手あいてこした一連いちれん裁判さいばん1965ねん提訴ていそだいいち訴訟そしょう1967ねん提訴ていそだい訴訟そしょう1984ねん提訴ていそだいさん訴訟そしょうがある。1997ねんだいさん訴訟そしょう最高裁判所さいこうさいばんしょ判決はんけつをもって終結しゅうけつはつ提訴ていそより終結しゅうけつまでけい32ねんようしたため、「もっとなが民事みんじ訴訟そしょう」としてギネス世界せかい記録きろく認定にんていされた[1](そのアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくおこなわれたべつ裁判さいばんにより記録きろく更新こうしんされた[2])。

訴訟そしょう内容ないよう[編集へんしゅう]

訴訟そしょうにおける最大さいだい争点そうてんが「教科書きょうかしょ検定けんてい日本国にっぽんこく憲法けんぽう違反いはんである」とするむね家永いえなががわ主張しゅちょうであったが、最高裁さいこうさいは「一般いっぱん図書としょとしての発行はっこうなんさまたげるものではなく、発表はっぴょう禁止きんし目的もくてき発表はっぴょうまえ審査しんさなどの特質とくしつがないから、検閲けんえつにあたらない」とし、教科書きょうかしょ検定けんてい制度せいど合憲ごうけんとしたうえで、原告げんこく主張しゅちょう大半たいはん退しりぞけ、家永いえなががわ実質じっしつてき敗訴はいそ確定かくていした。一方いっぽう検定けんてい内容ないよう適否てきひについては、一部いちぶ家永いえなががわ主張しゅちょうみとめられ、くにがわ裁量さいりょうけん逸脱いつだつがあったことが認定にんていされた。

だいいち訴訟そしょう[編集へんしゅう]

家永いえながらが執筆しっぴつした『しん日本にっぽん』が1962ねん教科書きょうかしょ検定けんてい戦争せんそうくら表現ひょうげんしすぎているひとし理由りゆうにより合格ごうかくとされ(修正しゅうせいくわえたのち1963ねん検定けんていでは条件じょうけんづけ合格ごうかくとなった)、1962年度ねんど・1963年度ねんど検定けんていにおける文部もんぶ大臣だいじん措置そちにより精神せいしんてき損害そんがいこうむったとして提起ていきした国家こっか賠償ばいしょう請求せいきゅう訴訟そしょう

  • だいいちしん事件じけん記録きろく符号ふごう昭和しょうわ40ねん(ワ)だい4949ごう
  • だいしん昭和しょうわ49ねん(ネ)だい1773ごう昭和しょうわ50ねん(ネ)だい1143ごう
    • 1974ねん7がつ26にち原告げんこく控訴こうそ1986ねん3月19にち判決はんけつ東京とうきょう高裁こうさい
    • 判決はんけつ鈴木すずき判決はんけつ)は、くに主張しゅちょう全面ぜんめんてき採用さいようし、また裁量さいりょうけん濫用らんようもないとして請求せいきゅうすべ棄却ききゃく家永いえなが全面ぜんめん敗訴はいそとなった。
  • 上告じょうこくしん昭和しょうわ61ねん(オ)だい1428ごう
    • 1986ねん3がつ20日はつか原告げんこく上告じょうこく1993ねん3月16にち判決はんけつ最高裁さいこうさいだいさんしょう法廷ほうてい
    • 判決はんけつ可部かべ恒雄つねお裁判さいばんちょう)は、だいしん判決はんけつをほぼ踏襲とうしゅうし、上告じょうこく棄却ききゃく家永いえなが全面ぜんめん敗訴はいそとなった。

だい訴訟そしょう[編集へんしゅう]

1966ねん検定けんていにおける『しん日本にっぽん』の合格ごうかく処分しょぶん取消とりけしもとめる行政ぎょうせい訴訟そしょう

  • だいいちしん昭和しょうわ42ねんくだりウ)だい85ごう
    • 1967ねん6月23にち提訴ていそ1970ねん7がつ17にち判決はんけつ東京とうきょう地裁ちさい
    • 判決はんけつ杉本すぎもと判決はんけつ)は、国民こくみん教育きょういくけんろん展開てんかいして、(教科書きょうかしょ検定けんてい制度せいど自体じたいは「違憲いけんとまではえない」としつつも)教科書きょうかしょ記述きじゅつ内容ないよう当否とうひおよ検定けんてい憲法けんぽう21じょう2こう禁止きんしする「検閲けんえつ」にたると同時どうじに、教育きょういく基本きほんほう10じょう教育きょういくへの不当ふとう支配しはい禁止きんし)にも違反いはんするとし、処分しょぶん取消とりけし請求せいきゅう認容にんようした。家永いえなが主張しゅちょうをほぼ全面ぜんめんてきみとめた画期的かっきてき勝訴しょうそとなった。
  • だいしん昭和しょうわ45ねんくだりコ)だい53ごう
    • 1970ねん7がつ24にち被告ひこく控訴こうそ1975ねん12月20日はつか判決はんけつ東京とうきょう高裁こうさい
    • 判決はんけつ畔上うねがみ判決はんけつ)は、検定けんてい判断はんだん行政ぎょうせいとしての一貫いっかんせいくという理由りゆうで、くに控訴こうそ棄却ききゃく家永いえなが勝訴しょうそとなった。
  • 上告じょうこくしん昭和しょうわ51ねんくだりツ)だい24ごう
    • 1975ねん12月30にち被告ひこく上告じょうこく1982ねん4がつ8にち判決はんけつ最高裁さいこうさい
    • 判決はんけつ中村なかむら判決はんけつ)は、処分しょぶん当時とうじ学習がくしゅう指導しどう要領ようりょうがすでに改訂かいていされているから、原告げんこく処分しょぶん取消とりけし請求せいきゅうするうったえの利益りえきがあるかかが問題もんだいになるとして、破棄はき差戻さしもど判決はんけつくだした。
  • 差戻さしもどししん昭和しょうわ57ねんくだりコ)だい38ごう
    • 1989ねん6月27にち判決はんけつ東京とうきょう高裁こうさい
    • 判決はんけつ丹野たんの判決はんけつ)は、学習がくしゅう指導しどう要領ようりょう改訂かいていにより、原告げんこく処分しょぶん取消とりけし請求せいきゅうする利益りえきうしなったとして、だいいちしん判決はんけつ破棄はきうったえを却下きゃっかした。

だいさん訴訟そしょう[編集へんしゅう]

1982ねん検定けんてい不服ふふくとして家永いえながこした国家こっか賠償ばいしょう請求せいきゅう訴訟そしょう

  • だいいちしん昭和しょうわ59ねん(ワ)だい348ごう
    • 1984ねん1がつ19にち提訴ていそ、1989ねん10がつ3にち判決はんけつ東京とうきょう地裁ちさい
    • 判決はんけつ加藤かとう判決はんけつ)は、検定けんてい制度せいど自体じたい合憲ごうけんとしながらも検定けんていにおける裁量さいりょうけん逸脱いつだつ一部いちぶみとめ、草莽そうもうたい記述きじゅつかんする検定けんてい違法いほうとし、くにがわに10まんえん賠償ばいしょう命令めいれいした。
  • だいしん平成へいせい元年がんねん(ネ)だい3428ごう平成へいせい2ねん(ネ)だい2633ごう
    • 1989ねん10がつ13にち原告げんこく控訴こうそ、1993ねん10がつ20日はつか判決はんけつ東京とうきょう高裁こうさい
    • 原告げんこくがわ証人しょうにんとして、芦部あしべ信喜しき東京とうきょう大学だいがく名誉めいよ教授きょうじゅ学習院大学がくしゅういんだいがく教授きょうじゅ)が1992ねん4がつ10日とおか出廷しゅっていした[4]
    • 判決はんけつ川上かわかみ判決はんけつ)は、検定けんてい制度せいど自体じたい合憲ごうけんとしながらも検定けんていにおける裁量さいりょうけん逸脱いつだつ一部いちぶみとめ、草莽そうもうたいくわ南京なんきんだい虐殺ぎゃくさつ、「ぐん婦女ふじょ暴行ぼうこう」の記述きじゅつかんする検定けんてい違法いほうとし、くにがわに30まんえん賠償ばいしょう命令めいれいした。
  • 上告じょうこくしん平成へいせい6ねん(オ)だい1119ごう
    • 1993ねん10がつ25にち原告げんこく上告じょうこく1997ねん8がつ29にち判決はんけつ最高裁さいこうさいだいさんしょう法廷ほうてい
    • 判決はんけつ大野おおの正男まさお裁判さいばんちょう)は、検定けんてい制度せいど自体じたい合憲ごうけんとしながらも検定けんていにおける裁量さいりょうけん逸脱いつだつを7けんちゅう4けんみとめ、草莽そうもうたいによる年貢ねんぐ半減はんげん公約こうやく南京なんきんだい虐殺ぎゃくさつ中国ちゅうごく戦線せんせんにおける日本にっぽんぐん残虐ざんぎゃく行為こういきゅう満州まんしゅう731部隊ぶたい記述きじゅつかんする検定けんてい違法いほうとし、くにがわに40まんえん賠償ばいしょう命令めいれいした(原告げんこくうったえのなか却下きゃっかされた検定けんていは、「にちしん戦争せんそう朝鮮ちょうせん人民じんみん反日はんにち抵抗ていこう」「南京なんきんせんでの日本にっぽんぐん中国人ちゅうごくじん婦女ふじょ暴行ぼうこう」「沖縄おきなわせん」である)。

沖縄おきなわせんかんして[編集へんしゅう]

家永教科書裁判いえながきょうかしょさいばんではだいさん訴訟そしょう沖縄おきなわせんでの住民じゅうみん犠牲ぎせいについてあらそわれた。争点そうてんは、集団しゅうだん自決じけつ記述きじゅつせよとの文部省もんぶしょう検定けんてい意見いけん適当てきとうか、集団しゅうだん自決じけつ住民じゅうみん殺害さつがい(いわゆる住民じゅうみん虐殺ぎゃくさつ)はどちらがおおいか、集団しゅうだん自決じけつ様相ようそうはどんなものだったか、などであった。法廷ほうていでは双方そうほう証人しょうにんてて沖縄おきなわせんでの住民じゅうみん犠牲ぎせい有様ありさま陳述ちんじゅつした。

だいいちしんでは原告げんこくがわ大田おおた昌秀まさひで琉球大学りゅうきゅうだいがく教授きょうじゅ)、金城きんじょう重明しげあき沖縄キリスト教短期大学おきなわきりすときょうたんきだいがく教授きょうじゅ)、あんひとし政昭まさあき沖縄国際大学おきなわこくさいだいがく教授きょうじゅ)、山川やまかわそうしげる沖縄おきなわ県立けんりつ普天間ふてんま高等こうとう学校がっこう教諭きょうゆ)がち、被告ひこくくにがわ曽野その綾子あやこ作家さっか)、いちとみじょうもと防衛庁ぼうえいちょう戦史せんし教官きょうかん)がった。
だいしんでは、原告げんこくがわ石原いしはらあきら沖縄国際大学おきなわこくさいだいがく教授きょうじゅ)、被告ひこくがわ波多野はたの澄雄すみお筑波大学つくばだいがく教授きょうじゅ)がった。

大田おおたは、沖縄おきなわせん特徴とくちょう住民じゅうみん殺害さつがいと「集団しゅうだん自決じけつ」などの住民じゅうみん犠牲ぎせいにあることをべた。金城きんじょう自身じしんの「集団しゅうだん自決じけつ」の体験たいけん証言しょうげんし、それが自発じはつてき意志いしではなく日本にっぽんぐんまれたものであることをべた。あんひとしは、みずからの20ねん以上いじょうものなが住民じゅうみんへの証言しょうげん聴取ちょうしゅ経験けいけん背景はいけいに、住民じゅうみん虐殺ぎゃくさつも「集団しゅうだん自決じけつ」もおなじく日本にっぽんぐん責任せきにんがあり、ぐんそう指揮しきかんにその意図いと命令めいれい)があったこと、直接的ちょくせつてき軍命ぐんめいがなくても、ぐんつくした状況じょうきょう自体じたい決定的けっていてきだとした。また、「赤松あかまつよしみが、集団しゅうだん自決じけつ命令めいれいした、命令めいれいしなかったという事件じけんよりも、住民じゅうみん処刑しょけいのほうがもっと問題もんだいだ」とべた。山川やまかわ沖縄おきなわせん学習がくしゅうじょうきょう説明せつめいし、検定けんてい意見いけんでは間違まちがった内容ないよう生徒せいとつたわるとの意見いけんべた。曽野そのは、渡嘉敷島とかしきじまでの自分じぶん取材しゅざい経緯けいい説明せつめいし、「集団しゅうだん自決じけつ」のときぐんからの命令めいれいがあったという証言しょうげんはなかったとべた。いちとみ住民じゅうみんみずからの意志いしぐん協力きょうりょくし、また自決じけつしたと確信かくしんしているとべた。石原いしはらは、そのなが証言しょうげん取材しゅざい経験けいけんから住民じゅうみん犠牲ぎせい態様たいようさんじゅうほどに分類ぶんるいし、住民じゅうみん虐殺ぎゃくさつも「集団しゅうだん自決じけつ」もともに日本にっぽんぐん原因げんいんがあり、まれたものと説明せつめいした。波多野はたの住民じゅうみん虐殺ぎゃくさつと「集団しゅうだん自決じけつ」はちが分類ぶんるいとしたが、ともに日本にっぽんぐんいられたものという説明せつめいおこなった。

曽野そのだいいちしん証人しょうにんとしておおくの質問しつもんこたえている。それによれば、渡嘉敷島とかしきじまには10日間にちかん程度ていど1人ひとり滞在たいざいして取材しゅざいした、当時とうじ兵事へいじ主任しゅにんであり軍命ぐんめいけたと証言しょうげんしている富山とみやましんじゅんについて、「かれがそれだけのことをっているのならばびついて、すぐに取材しゅざいをしていたはずだが、むらだれもそのようなことはわなかった」とし、富山とやま自身じしん曽野そのったと証言しょうげんしたが、曽野その富山とやまには取材しゅざいはしていないと証言しょうげんした。住民じゅうみんおおくの証言しょうげん収録しゅうろくされている『沖縄おきなわけんだい10かん』はんでいない、自著じちょ批判ひはんした『てつ暴風ぼうふう』の執筆しっぴつしゃ太田おおた良博よしひろから批判ひはんがあり『沖縄おきなわタイムスじょう論争ろんそうをしたこと、自著じちょの「ある神話しんわ背景はいけい」では「集団しゅうだん自決じけつ」の強制きょうせいとなる証拠しょうこ見当みあたらなかったということいたつもりだ、とべた。

判決はんけつだいいちしんからだいさんしんまで検定けんてい意見いけん適法てきほうとし、くに勝訴しょうそした。そのまえ事実じじつ認定にんていとしては住民じゅうみん殺害さつがいより集団しゅうだん自決じけつほうかずおおいとはかならずしもえない、集団しゅうだん自決じけつについては「学会がっかい状況じょうきょうにもとづいて判断はんだんすると、本件ほんけん検定けんてい当時とうじにおける沖縄おきなわせんかんする学会がっかい状況じょうきょうは(中略ちゅうりゃく日本にっぽんぐん命令めいれいによりあるいはいつめられた戦況せんきょうなか集団しゅうだん自決じけついやられたものがそれぞれ多数たすうにのぼることはおおむ異論いろんのないところであり」とし、集団しゅうだん自決じけつ原因げんいんについては、「集団しゅうだんてき狂気きょうき極端きょくたんすめらぎみん教育きょういく日本にっぽんぐん存在そんざいとその誘導ゆうどう守備しゅびたい隊長たいちょう命令めいれい鬼畜きちくべいえいへの恐怖きょうふしんぐん住民じゅうみんたいする防諜ぼうちょう対策たいさく沖縄おきなわ共同きょうどうたいかたなど様々さまざま要因よういん指摘してきされ、戦闘せんとういん煩累はんるいつための崇高すうこう犠牲ぎせいてき精神せいしんによるものと美化びかするのはたらないとするのが一般いっぱんてき」とした(だいさん訴訟そしょう高裁こうさい判決はんけつぶん)。


脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ 1974ねん 家永教科書裁判いえながきょうかしょさいばん”. www.jicl.jp. 2020ねん10がつ15にち閲覧えつらん
  2. ^ Longest running civil court case by an individual” (英語えいご). Guinness World Records. 2022ねん9がつ7にち閲覧えつらん
  3. ^ 当初とうしょは5がつ中旬ちゅうじゅん提訴ていそ予定よていだった。これはテレビドラマ判決はんけつ』(日本にっぽん教育きょういくテレビ東映とうえい)のいちへんとして、教科書問題きょうかしょもんだいをテーマに制作せいさくされた「佐紀子さきこにわ」が同年どうねん5がつ19にち放送ほうそう予定よていであったことと関連かんれんする。家永いえながはこの作品さくひん脚本きゃくほん協力きょうりょくとしてたずさわっており、この放送ほうそうどう時期じき提訴ていそすることをかんがえていた。しかし、内容ないよう問題もんだいされたことで放送ほうそう中止ちゅうしとなったため、提訴ていそも6がつ12にち延期えんきしたという経緯けいいがある[よう出典しゅってん]
  4. ^ ジュリスト』 1026ごう [ようページ番号ばんごう]

関連かんれん文献ぶんけん[編集へんしゅう]

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]