(Translated by https://www.hiragana.jp/)
梅沢節男 - Wikipedia コンテンツにスキップ

梅沢うめざわ節男せつお

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
うめざわ せつお

梅沢うめざわ 節男せつお
生誕せいたん (1931-05-09) 1931ねん5月9にち
滋賀しがけん大津おおつ
死没しぼつ (2013-11-12) 2013ねん11月12にち(82さいぼつ
出身しゅっしんこう 京都大学きょうとだいがく法学部ほうがくぶ
職業しょくぎょう 官僚かんりょう
テンプレートを表示ひょうじ

梅沢うめざわ 節男せつお(うめざわ せつお、1931ねん5月9にち - 2013ねん11月12にち)は、滋賀しがけん大津おおつ出身しゅっしんもと大蔵おおくら官僚かんりょう国税庁こくぜいちょう長官ちょうかん公正こうせい取引とりひき委員いいんかい委員いいんちょうなどを歴任れきにんした。

来歴らいれき人物じんぶつ

[編集へんしゅう]

旧制きゅうせい滋賀しが県立けんりつ膳所ぜぜ中学校ちゅうがっこうげん滋賀しが県立けんりつ膳所ぜぜ高等こうとう学校がっこう)をて、京都大学きょうとだいがく法学部ほうがくぶ卒業そつぎょう同年どうねん大蔵省おおくらしょう新制しんせい後期こうきぐみ入省にゅうしょう同期どうき西垣にしがきあきら海外かいがい経済けいざい協力きょうりょく基金ききん総裁そうさい大蔵おおくら事務次官じむじかん主計しゅけい局長きょくちょう大臣だいじん官房かんぼうちょう理財りざい局長きょくちょう経済企画庁けいざいきかくちょう長官ちょうかん官房かんぼうちょう)、大竹おおたけひろししげる大和銀行だいわぎんこう総合そうごう研究所けんきゅうじょ初代しょだい理事りじちょう経済企画庁けいざいきかくちょう事務次官じむじかん経済けいざい企画きかく審議しんぎかん)ら。

1982ねん当時とうじ次官じかんだった高橋たかはしはじめもと主税局しゅぜいきょくちょうで、田中たなか角栄かくえい内閣ないかくにおいて税制ぜいせい課長かちょうだったさい自動車じどうしゃ新税しんぜい企画きかく立案りつあんするなどぜいのエキスパートとしてられていた。省内しょうないではだい臨調りんちょうした「増税ぞうぜいなき財政ざいせい再建さいけん」が建前たてまえにすぎず、いずれ大型おおがた増税ぞうぜいることを予想よそうし、従来じゅうらい主計しゅけい局長きょくちょう - 大蔵おおくら事務次官じむじかんという省内しょうないバランスをくずして主税しゅぜい出身しゅっしん高橋たかはし次官じかんえ、福田ふくだ幸弘ゆきひろ主税局しゅぜいきょくちょう(のち国税庁こくぜいちょう長官ちょうかん)とのラインでその布陣ふじんいた。そして、その秘蔵ひぞとして大阪おおさか国税局こくぜいきょくちょうから異例いれいだんびで梅沢うめざわ主税局しゅぜいきょくちょう抜擢ばってきされ、どう総務そうむ課長かちょうには内海うつみまこと(のち財務ざいむかん)が就任しゅうにんした。

主税局しゅぜいきょくちょう在任ざいにんちゅうは、消費しょうひぜい導入どうにゅう問題もんだいや、少額しょうがく貯蓄ちょちく非課税ひかぜい制度せいど通称つうしょう マル優まるゆう改革かいかく、さらにグリーンカード導入どうにゅうさいぜい徴収ちょうしゅう問題もんだいなどにたる。利子りし配当はいとう課税かぜい問題もんだい紛糾ふんきゅうしたさい梅沢うめざわは、課税かぜい公平こうへいたもつには、マル優まるゆう預金よきん郵便ゆうびん貯金ちょきん利子りしにも定率ていりつ課税かぜいすべきだと主張しゅちょう与野党よやとう300余人よにん郵政ゆうせいぞく議員ぎいんもう反発はんぱつしたが、これにほとんど1人ひとりかい、自民党じみんとう税調ぜいちょう最後さいごまですじとおした[1]

国税庁こくぜいちょう長官ちょうかん時代じだい女性じょせい査察ささつかん主人公しゅじんこうにした伊丹いたみ十三じゅうざ監督かんとくのヒット映画えいがマルサのおんな」の制作せいさくでは、「内容ないようにはくちはさまないので、自由じゆうにやってください」と全面ぜんめん協力きょうりょくした[1]

長官ちょうかん退職たいしょく公正こうせい取引とりひき委員いいんかい委員いいんちょう日本興業銀行にほんこうぎょうぎんこうふく頭取とうどり歴任れきにんした。公取委こうとりい委員いいんちょう在任ざいにんは、豊富ほうふ政財界せいざいかい人脈じんみゃく駆使くしし、公取委こうとりい職員しょくいんともなわずおしのびで法案ほうあんなどの根回ねまわしをおこなった[2]1991ねん5月、公取委こうとりいゼネコン業界ぎょうかい談合だんごう組織そしきである埼玉さいたま土曜会どようかい検査けんさはいり、刑事けいじ告発こくはつうごきをとる。これをめぐって、中村なかむら喜四郎きしろう衆議院しゅうぎいん議員ぎいん告発こくはつ回避かいひするよう梅沢うめざわ圧力あつりょくをかけたことががねとなり、ゼネコン汚職おしょく事件じけん表面ひょうめんした。

2013ねん11月12にちしも咽頭いんとうがんのため死去しきょ[3]。82さいぼつ

略歴りゃくれき

[編集へんしゅう]
  • 旧制きゅうせい滋賀しが県立けんりつ膳所ぜぜ中学校ちゅうがっこうげん滋賀しが県立けんりつ膳所ぜぜ高等こうとう学校がっこう卒業そつぎょう
  • 1953ねん 京都大学きょうとだいがく法学部ほうがくぶ卒業そつぎょう同年どうねん大蔵省おおくらしょう新制しんせい後期こうきぐみ入省にゅうしょう銀行局ぎんこうきょく検査けんさ
  • 1953ねん8がつ 銀行局ぎんこうきょく特殊とくしゅ金融きんゆう
  • 1955ねん7がつ みなみ九州きゅうしゅう財務局ざいむきょく金融きんゆう
  • 1957ねん10がつ 大阪おおさか国税局こくぜいきょく総務そうむ
  • 1958ねん11月 管財かんざいきょく接収せっしゅう貴金属ききんぞく監理かんりかんづけ
  • 1959ねん6がつ 管財かんざいきょく貴金属ききんぞくだいいち企画きかく係長かかりちょう[4]
  • 1960ねん7がつ 紋別もんべつ税務署ぜいむしょちょう
  • 1961ねん7がつ 甲府こうふ税務署ぜいむしょちょう
  • 1962ねん7がつ 国税庁こくぜいちょう長官ちょうかん官房かんぼう会計かいけい課長かちょう補佐ほさ
  • 1964ねん9がつ 東京とうきょう国税局こくぜいきょく総務そうむ総務そうむ課長かちょう
  • 1966ねん8がつ 主計しゅけいきょく主計しゅけいかん補佐ほさ労働ろうどうがかり
  • 1968ねん7がつ 主計しゅけいきょく主計しゅけいかん補佐ほさ防衛ぼうえいだいいちがかり
  • 1969ねん8がつ 新東京国際空港公団しんとうきょうこくさいくうこうこうだん経理けいり課長かちょう
  • 1971ねん7がつ 行政管理庁ぎょうせいかんりちょう行政ぎょうせい管理かんりきょく管理かんりかん
  • 1973ねん7がつ 主計しゅけいきょく主計しゅけいかん厚生こうせい労働ろうどう担当たんとう
  • 1976ねん6がつ 主税局しゅぜいきょく総務そうむ課長かちょう
  • 1978ねん6がつ 名古屋なごや国税局こくぜいきょくちょう
  • 1979ねん7がつ 主税局しゅぜいきょく担当たんとう審議しんぎかん
  • 1981ねん 大阪おおさか国税局こくぜいきょくちょう
  • 1982ねん 主税局しゅぜいきょくちょう
  • 1985ねん6がつ 国税庁こくぜいちょう長官ちょうかん(1987ねん6がつまで)
  • 1987ねん9がつ 公正こうせい取引とりひき委員いいんかい委員いいんちょう(1992ねんまで)

脚注きゃくちゅう

[編集へんしゅう]
  1. ^ a b 市場いちば検察けんさつ』p.138
  2. ^ 市場いちば検察けんさつ』p.15
  3. ^ 梅沢うめざわ節男せつお死去しきょ もと公正こうせい取引とりひき委員いいんちょう. 日本経済新聞にほんけいざいしんぶん. (2013ねん11月28にち). https://www.nikkei.com/article/DGXNASDG2802E_Y3A121C1000000/ 2013ねん11月28にち閲覧えつらん 
  4. ^ 職員しょくいんろく 昭和しょうわ35年版ねんばん 上巻じょうかん大蔵省おおくらしょう印刷いんさつきょく、1960ねん1がつ発行はっこう、344ぺーじ

参考さんこう関連かんれん書籍しょせき

[編集へんしゅう]
先代せんだい
楢崎ならさきやすしあきら
国税庁こくぜいちょう名古屋なごや国税局こくぜいきょくちょう
1978ねん - 1979ねん
次代じだい
岡崎おかざきひろし
先代せんだい
ふじなか貞一さだいち
国税庁こくぜいちょう大阪おおさか国税局こくぜいきょくちょう
1981ねん - 1982ねん
次代じだい
岸田きしだ俊輔しゅんすけ
先代せんだい
福田ふくだ幸弘ゆきひろ
大蔵省おおくらしょう主税局しゅぜいきょくちょう
1982ねん - 1985ねん
次代じだい
水野みずのまさる