欽ちゃんのどこまでやるの!

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欽どこから転送てんそう
欽ちゃんのどこまでやるの!
ジャンル バラエティ番組ばんぐみ
企画きかく あき房子ふさこ
構成こうせい (パジャマとう
永井ながいじゅん
大岩おおいわしょうかい
むら博史ひろふみ
鈴木すずきしゅんじ
(サラダとう
君塚きみづか良一りょういち
鶴間つるま政行まさゆき
益子ましこつよし
大倉おおくら利晴としはる
  ・
岩城いわき未知みちおとこ
  ・
あき房子ふさこ
脚本きゃくほん 君塚きみづか良一りょういち
益子ましこつよし
岩城いわき未知みちおとこ
演出えんしゅつ いちすぎ丈夫たけお
出演しゅつえんしゃ 萩本はぎもと欽一きんいち
しん順子じゅんこ
藤本ふじもと正則まさのり
斉藤さいとうきよしろく
しょうさかいいち
関根せきねつとむ
ほか
製作せいさく
プロデューサー 日野ひのひろし
すめらぎ達也たつや(CP)
制作せいさく テレビ朝日てれびあさひ
放送ほうそう
放送ほうそうこく地域ちいき日本の旗 日本にっぽん
放送ほうそう期間きかん1976ねん10がつ6にち - 1986ねん9がつ24にち
放送ほうそう時間じかん水曜すいよう 21:00 - 21:54
放送ほうそうぶん54ふん
欽ちゃんのどこまでやるの!
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欽ちゃんのどこまでやるの!』は、1976ねん10がつ6にちから1986ねん9がつ24にちまでNETテレビテレビ朝日てれびあさひ系列けいれつ放送ほうそうされた萩本はぎもと欽一きんいち主演しゅえんバラエティ番組ばんぐみである。通称つうしょう「欽どこ」。放送ほうそう時間じかん毎週まいしゅう水曜すいよう 21:00 - 21:54 (JST) 。

概要がいよう[編集へんしゅう]

ステージにセットを観客かんきゃくれた公開こうかい録画ろくが放送ほうそうで、ホームドラマのような形式けいしき収録しゅうろくされた。舞台ぶたいとなる萩本はぎもとは、前期ぜんき地方ちほう都市としのアパートの一室いっしつ海辺うみべまち一軒家いっけんや中期ちゅうきはとある農村のうそん一軒家いっけんや後期こうき東京とうきょうのアパートという設定せっていだった[注釈ちゅうしゃく 1]毎回まいかいゲストが1人ひとり来客らいきゃくする。

「おちゃあいだドラマ」といわれた公開こうかいコメディーの設定せってい以下いかのとおり。

  • 萩本はぎもとしん夫婦ふうふえんじる。
  • 1977ねん12月 長男ちょうなんのちに『見栄みえはれ』と命名めいめい誕生たんじょう
  • 1978ねん1がつ 最初さいしょ引越ひっこし(目黒めぐろのアパート)。
  • 1978ねん5がつ スタートから3ねん見栄みえはれ3さいになり、人形にんぎょうから子役こやく西澤にしざわ祐一郎ゆういちろう)に。
  • 1979ねん2がつ おんなのち長女ちょうじょ・のぞみ、次女じじょ・かなえ、さんじょ・たまえと命名めいめい誕生たんじょう。そのつぎしゅう千葉ちばけん団地だんち引越ひっこし。
  • 1980ねん4がつ 茨城いばらきけんす。
  • 1981ねん 東京とうきょういちはしす。このころから人形にんぎょうから子役こやく星野ほしの舞子まいこ星野ほしの亜矢あや星野ほしの真紀まき)となる。
  • 1982ねん9がつ 東北とうほく地方ちほうのとある田舎いなかむら引越ひっこし、かつ8ねんという設定せっていで、大人おとなになった息子むすこむすめたち、見栄みえはれ見栄みえはれ)、のぞみ(高部たかべ知子ともこ)、かなえ(倉沢くらさわ淳美あつみ)、たまえ(高橋たかはし真美まみ)が登場とうじょうおんなたちはのちにわらべとして歌手かしゅデビューする。
  • 1983ねん以降いこう のぞみがしばらくてこなくなる(後述こうじゅつ理由りゆうによる)。
  • 1985ねん7がつ 同年どうねん4がつからの3かげつあいだ充電じゅうでん東京とうきょうのアパートにもどってくる。見栄みえはれ、たまえはしばらくず、のぞみもつづきしばらくず、かなえを鳥居とりいかほりつとめていた。
  • 1986ねん4がつ 見栄みえはれ長浜ながはま芳弘よしひろ)、のぞみ(倉橋くらはしルイ子るいこ)、たまえ(別所べっしょ光代みつよ)がさい登場とうじょう。かなえも野咲のさきたみこ交代こうたい

番組ばんぐみおも舞台ぶたいであるちゃかれたカラーテレビ(NECホームエレクトロニクスせい、スポンサー)にはつね電源でんげんはいっており、画面がめんブルーバック時期じきによってあか一色いっしょく)で番組ばんぐみのタイトル(のちりゃくタイトル「欽どこ」)がうつっている。このテレビから突然とつぜん番組ばんぐみはじまり、アナウンサーが萩本はぎもと(と観客かんきゃく視聴しちょうしゃ)にけてニュースを放送ほうそうする設定せっていであった。なお、アナウンサーは「いつものアナウンサー」、「不慣ふなれなアナウンサー」(のちに「すこれたアナウンサー」に)」をて、斉藤さいとうきよしろくえんじる「たよりないアナウンサー」が登場とうじょう清六せいろく担当たんとうしていた「むら時間じかん、の時間じかん」では「あぜみちカット」「バイナララナイバ」などの名言めいげんまれ、そのは「ほんとのアナウンサー」であるテレビ朝日てれびあさひアナウンサー・藤井ふじいあきら交代こうたいした。清六せいろく時代じだいのぞき、そのアナウンサーがスポンサーおこなった。前期ぜんきでは、当時とうじ萩本はぎもと出演しゅつえんしていた小西こにしろく写真しゃしん工業こうぎょう番組ばんぐみ初期しょき筆頭ひっとうスポンサー)の写真しゃしんフィルム「サクラカラー」の広告こうこくがこのテレビから毎週まいしゅうそのままながされた。またこのテレビから時々ときどき近所きんじょのニュースがながれる(ほとんどが萩本はぎもとからむものであった)。

また、あらかじめ食事しょくじ内容ないよう献立こんだてメニューは5種類しゅるい)をせて、ゲストがどの順番じゅんばんべていくかを萩本はぎもとたにあきらたい一般いっぱん出場しゅつじょうしゃ対戦たいせん形式けいしき推理すいりする「推理すいりドラマ」というコーナーもあった(のちに一般いっぱん出場しゅつじょうしゃ同士どうし、さらに一般いっぱん出場しゅつじょうしゃペア同士どうし対戦たいせんとなる)。正解せいかいしたかずおおほう勝利しょうりとなるが、5つ全問ぜんもん正解せいかいだと外国がいこく旅行りょこうがプレゼントされた。正解せいかいのBGMは「○○ペア 大当おおあたり」や「みなさんみなさん 大当おおあたり」というコーラスがながれる。最後さいご食事しょくじ献立こんだては、萩本はぎもとが「○○はどうだ」という。

初期しょきでは、エンディングのまえに「名作めいさく劇場げきじょう」というシリアスな内容ないようのミニドラマのコーナーが存在そんざいした。このミニドラマの演出えんしゅつ萩本はぎもと担当たんとうしていた。

このほかにも前期ぜんきには「世界せかい一番いちばんみじかいドラマ」(いちまい写真しゃしん視聴しちょうしゃがタイトルをけて投稿とうこう、そのタイトルの面白おもしろさをきそ視聴しちょうしゃ参加さんかがたコーナー)、「ホームドラマ」(ホームはホームでも、日本にっぽんのどこかのえきのプラットホームの風景ふうけい毎回まいかい紹介しょうかいするもの)といったミニコーナーが存在そんざいした。

1978ねん8がつ30にち放送ほうそう100かい突破とっぱしたさい三木みきのりへいむか例外れいがいてき全編ぜんぺん時代じだいげきであった。

1980ねん8がつ6にち放送ほうそう200かい突破とっぱ

最盛さいせいには平均へいきん視聴しちょうりつが30%だい記録きろく最高さいこう視聴しちょうりつは42.0%(1983ねん6がつ22にち放送ほうそう)。それまでドラマや映画えいが中心ちゅうしんとした大人おとなけの番組ばんぐみ主流しゅりゅうであったよる9だいに、1あいだのファミリーけバラエティ番組ばんぐみ進出しんしゅつする先駆さきがけとなった番組ばんぐみのひとつである。

1982ねんに、番組ばんぐみ大幅おおはばなリニューアルを敢行かんこう。「○○ドラマ」とうりやめ、これまで子役こやくタレントが担当たんとうした見栄みえはれと、「萩本はぎもとの3にんむすめ」が中高生ちゅうこうせいとなって成長せいちょうしていくようになったので、番組ばんぐみではそれをめるオーディション実施じっし。「3にんむすめ」(のぞみ・かなえ・たまえ)からなるユニット「わらべ」が1983ねんめだかの兄妹きょうだい」でデビューしだいヒット。そのも1984ねんに「もしも明日あしたが…。」「時計とけいめて」をそれぞれヒットさせている。その3にんむすめ名称めいしょうは、「希望きぼうのぞみ)かなえたまえ」をひとつずつはなしたことに由来ゆらいしている。

1983ねん、のぞみやく高部たかべニャンニャン事件じけん影響えいきょうでわらべを脱退だったい番組ばんぐみ降板こうばん以降いこうのぞみやく空席くうせきとなった。

1985ねん3がつ萩本はぎもと充電じゅうでん期間きかんのために萩本はぎもとしん一旦いったん降板こうばん藤本ふじもと、わらべののこ2人ふたり降板こうばんし、そのあいだには生放送なまほうそうしょうさかい関根せきねおとこたたかえよびぐみ担当たんとうした。

1985ねん7がつのリニューアルで、萩本はぎもとしん二人ふたり復帰ふっき、3にん子供こどもたちをしんキャストでさいスタート。しょうさかいいち鳥居とりいかほり藤井ふじいあきらによるサンドイッチ結成けっせいされ、レコードが発売はつばいされた。しかしこのリニューアルはとくに見栄みえはれと3にんむすめやくそうえとなってしまったことが視聴しちょうしゃかられられず[注釈ちゅうしゃく 2]、4がつ以来いらい視聴しちょうりつ低下ていか歯止はどめがかからなくなってしまい、[注釈ちゅうしゃく 3]結局けっきょく1986ねん9がつ24にち放送ほうそうをもって10ねん歴史れきしにピリオドをった。最終さいしゅうかいではエンディングでゲストの堀内ほりうち孝雄たかお萩本はぎもとのためにつくった「欽ちゃんのうた」を熱唱ねっしょうしたのち萩本はぎもと出演しゅつえんしゃ最後さいご挨拶あいさつをして番組ばんぐみめくくった。

1986ねん4がつ、エンディングテーマきょくが「ハンリーラ」(うた堀内ほりうち孝雄たかお倉橋くらはしルイ子るいこ)にわると、最後さいごのCMけにおける提供ていきょうクレジットでは、そのインストをBGMとして、観客かんきゃくからの拍手はくしゅとともに出演しゅつえんしゃ全員ぜんいんよこ整列せいれつしてりながらまく画面がめんいっぱいにまでりていくという演出えんしゅつだったが、最終さいしゅうかいでは「もしも明日あしたが…」の終端しゅうたん部分ぶぶんをBGMにせながら、観客かんきゃく総立そうだちするシーンで終了しゅうりょうとなった。ただ、両者りょうしゃとも「欽ちゃんのどこまでやるの! おわり」のエンドテロップはなかった。

出演しゅつえんしゃ[編集へんしゅう]

  • 萩本はぎもと欽一きんいち(おとうさん)
  • しん順子じゅんこ(おかあさん)
  • 西澤にしざわ祐一郎ゆういちろう長男ちょうなん見栄みえはれ=2代目だいめ
  • 藤本ふじもと正則まさのり長男ちょうなん見栄みえはれ=3代目だいめ
    • 藤本ふじもと正則まさのり現在げんざい使用しようしている芸名げいめい見栄みえはれ」はこの番組ばんぐみ由来ゆらいする。「見栄みえはれ」の名前なまえ視聴しちょうしゃからの一般いっぱん公募こうぼにより決定けっていした。なお、初代しょだい人形にんぎょうでこれはいもうと同様どうようである。
  • 高部たかべ知子ともこいもうと・のぞみ=3代目だいめ
  • 倉沢くらさわ淳美あつみいもうと・かなえ=3代目だいめ
  • 高橋たかはし真美まみいもうと・たまえ=3代目だいめ
    • のぞみ、かなえ、たまえがあかちゃんだったころ人形にんぎょう製作せいさく費用ひようは30まんえんだった。
    • 93ねん年末ねんまつSPでは、かなえは野々村ののむらしんと(3ケ月かげつまえに)結婚けっこんした設定せっていになっていたが、このとき倉沢くらさわえんじていたため鳥居とりいえんじていた4代目だいめかなえとはことなる設定せっていとなった。
    • たまえがふくよかであることから93ねん年末ねんまつSPではほそせるためぞうあいだ竜也たつや結婚けっこんしている設定せっていになっていた。
  • 関根せきねつとむクロ子くろこ→グレ
    • 当初とうしょはかなえ(倉沢くらさわ淳美あつみ)の同級生どうきゅうせいやくだったが、高校生こうこうせいにしてはけた年齢ねんれいだということに萩本はぎもとづき、登場とうじょうすうかいクロ子くろこまわされた。この番組ばんぐみ出演しゅつえんでラビット関根せきねから改名かいめい。ちなみにしょうさかいいち関根せきねクロ子くろこまわまえ番組ばんぐみリニューアル)にグレに「昇格しょうかく」していた。また、かなえの同級生どうきゅうせいやく出演しゅつえんしていたときはかなえとからこと一切いっさいなく、萩本はぎもととしかからまなかった。
  • しょうさかいいち訪問ほうもん販売はんばいいんクロ子くろこ→グレのちにかなえ(鳥居とりいかほり)のおっと
    • 訪問ほうもん販売はんばいいんとき小柳こやなぎみゆきと一緒いっしょ登場とうじょう小柳こやなぎ降板こうばんによりクロ子くろこにされ、一人ひとりでフリートークをおこなった。グレに「昇格しょうかくしばらくして関根せきねクロ子くろこまわり、自然しぜん発生はっせいてきに「クロ子くろことグレのどこまでやるの」というコーナーができあがった[注釈ちゅうしゃく 4]。その、かなえの夫役ぶやくになったが、その初回しょかい関根せきねしょうさかいまえあらわれてねたむという楽屋落がくやおちネタが挿入そうにゅうされた。
      • 93ねん年末ねんまつSPでは前述ぜんじゅつのとおりかなえやく倉沢くらさわもどったことでかなえの夫役ぶやくという設定せっていがなくなり、グレもどされた。
  • 北野きたの英二えいじ(いつものアナウンサー)
    • テレビ朝日てれびあさひのアナウンサーではなく、フリーアナウンサーである。
  • 中島なかじまつもる(ふなれなアナウンサー→すこしなれたアナウンサー)
  • 斉藤さいとうきよしろく初代しょだいクロ子くろこ、たよりないアナウンサー)
    • 「たよりないアナウンサー」時代じだいは「むら時間じかん」というローカル番組ばんぐみ担当たんとうしているという設定せっていで、「むら時間じかん時間じかんです。」というセリフとともにおちゃあいだにあるテレビに登場とうじょうめのあいさつは「バイなら」。のちにテレビではなくおちゃあいだ片隅かたすみまわ舞台ぶたい要領ようりょう登場とうじょうするようになった。また当初とうしょ髪型かみがたを「あぜみちカット」としょうしてなかあたりでけていたが、のちにいろいろな髪型かみがたをするようになった。
  • 鳥居とりいかほりいもうと次女じじょ・かなえ=4代目だいめ
    • 前述ぜんじゅつのとおり、小堺こさかいがかなえのおっとえんじた。鳥居とりいはこの番組ばんぐみ藤井ふじいあきら出会であった。なお、この時期じき見栄みえはれやのぞみとたまえは別居べっきょしているという設定せってい登場とうじょうしなかった。
  • 長浜ながはま芳弘よしひろ長男ちょうなん見栄みえはれ=4代目だいめ
  • 倉橋くらはしルイ子るいこいもうと長女ちょうじょ・のぞみ=4代目だいめ
  • 野咲のさきたみこいもうと次女じじょ・かなえ=5代目だいめ
  • 別所べっしょみつよ(いもうとさんじょ・たまえ=4代目だいめ
  • 近江おうみ俊郎としお (番組ばんぐみ改編かいへんとうに、近所きんじょ下宿げしゅくせい近江おうみトーシロー」として、学生がくせいふく姿すがた出演しゅつえん)
  • わかはら一郎いちろう(この番組ばんぐみ人気にんき復活ふっかつする)
  • わかはらひとみ
  • 蟇目ひきめりょう
  • たにあきら萩本はぎもと居候いそうろうしている作家さっか初期しょきの「推理すいりドラマ」コーナーではめい探偵たんていふんし、萩本はぎもと推理すいり勝負しょうぶをしていた)
  • マーガレット・ポー
  • 住吉すみよしみちはくげん住吉すみよし正博まさひろ
  • 下條しもじょうアトムさびしいお寿司すしさん)
  • 秋野あきの太作たいさく
  • もり昌子まさこ
    • 秋野あきの太作たいさく親子おやこやく共演きょうえんじつ年齢ねんれい秋野あきのほううえだが、もりけメイクで年老としおいた母親ははおやえんじていた。
  • 太川たがわ陽介ようすけ
    • 番組ばんぐみエンディングではわらべがうたう「もしも明日あしたが…」の間奏かんそうしょうさかい関根せきねとともに登場とうじょう様々さまざま扮装ふんそうおどうたもどるととも舞台ぶたいそでにはける役回やくまわりをになっていた。
  • 堀内ほりうち孝雄たかお
    • アリス解散かいさんソロ歌手かしゅてんじるもかずばずがつづいていた時期じきながやく出演しゅつえん。これを演歌えんか歌謡かようきょく路線ろせん転向てんこうふたたびヒットをばしていくこととなるほか萩本はぎもととも親交しんこうつことになる。番組ばんぐみにもテーマソングとして「ハンリーラ」を提供ていきょうしたほか、萩本はぎもと誕生たんじょうに「大将たいしょう」を作詞さくし作曲さっきょくしておくった。
  • 小柳こやなぎみゆき(げん小柳こやなぎとも貴美たかみ
    • しょうさかいいちんで訪問ほうもん販売はんばいいんえんじていたが、小堺こさかいクロ子くろこになってからは登場とうじょうしなくなった。しょうさかいによると、小柳こやなぎ降板こうばんは「欽ドン! わる普通ふつう」へまわることになったためであった。
  • 藤井ふじいあきら(ほんとのアナウンサー)
  • 細川ほそかわたかし
    • 勝手かっててひとしきりうんちくをかたったのちうたうたってかえやくはじめは題名だいめいかったそのうたが、1982ねんだい24かい日本にっぽんレコード大賞たいしょう受賞じゅしょうした『きた酒場さかば』である。
      • 細川ほそかわがレギュラーりした背景はいけいにはその以前いぜんかれが『8だョ!全員ぜんいん集合しゅうごう』の本番ほんばんちゅうアキレス腱あきれすけんだんきれってしまいすうヶ月かげつにわたる休養きゅうよう余儀よぎなくされたことがある。復帰ふっきはつ仕事しごとが『欽どこ』へのゲスト出演しゅつえんだったのだがそのさい細川ほそかわ自分じぶん出番でばんわってもなかなかかえろうとせず「テレビにられるって、いいなあ」と感慨かんがいふかげにはなしていた姿すがた萩本はぎもとが「よかったら、来週らいしゅうない?」とこえけた経緯けいいが、萩本はぎもと著書ちょしょでたびたびかたられる。
  • 前川まえかわきよし
    • ラーメンくるくるのき出前でまえち。「はっぽーさい」をくぐもってしゃべるのが特徴とくちょうてき
  • 萬田まんだ久子ひさこ
  • かのうかず貴子たかこ斉藤さいとうきよしろく番組ばんぐみちゅうドラマ『さすらいの刑事けいじ』で共演きょうえん
  • 田中たなか好子よしこ
    • キャンディーズ解散かいさん引退いんたい状態じょうたいだった田中たなか芸能げいのうかい復帰ふっきだい1さく萩本はぎもと著作ちょさくんだ田中たなかが、萩本はぎもと自宅じたくを、いわゆるアポなしで直接ちょくせつ訪問ほうもんしたことがきっかけで実現じつげんした。
  • 石野いしの陽子ようこげんいしのようこ
  • 杏里あんり
  • 石橋いしばし雅史まさしこわかお隣人りんじんじつ先生せんせい
  • 倉田くらたまりげん坪田つぼたまり、その生徒せいと
  • おおみかよ(その生徒せいと
  • 人見ひとみきよし(ふとめの大家たいかさん)
  • 森川もりかわ公也きみや推理すいりドラマのめい調子ちょうしこえのみの出演しゅつえん
  • 高橋たかはしひとし代役だいやくグレ別名べつめい公募こうぼし「はとぽっぽ高橋たかはし」とばれていた)

見栄みえはれ・のぞみ・かなえ・たまえの“初代しょだい”は人形にんぎょうである。のぞみ・かなえ・たまえの2代目だいめ子役こやく少女しょうじょたち(名字みょうじは「星野ほしの」で、さん姉妹しまい星野ほしの舞子まいこ星野ほしの亜矢あや星野ほしの真紀まき)。

備考びこう[編集へんしゅう]

  • この『欽ちゃんのどこまでやるの!』、『欽ドン!』、『欽ちゃんの週刊しゅうかん欽曜』が放送ほうそうされていた1983ねんには、フジテレビテレビ朝日てれびあさひTBS各局かくきょく垣根かきねえて、はるあき改編かいへん年末ねんまつまわりで、3番組ばんぐみ合体がったいした欽ちゃんファミリーそう出演しゅつえん特番とくばん放送ほうそうされた。
  • 萩本はぎもと著書ちょしょによれば、『欽ドン!』にてよる8だいでの成功せいこうをおさめた萩本はぎもとよる9だいへの挑戦ちょうせん目指めざして企画きかくしたのがとう番組ばんぐみであったが、TBSは当時とうじドラマ全盛ぜんせいでありフジも当時とうじあいだたいでドラマを放送ほうそう視聴しちょうりつではTBSの後塵こうじんはいしていたが「いつかは逆転ぎゃくてんするるとしんじている。だからいまここであきらめるわけにはいかない」とことわられたことを著書ちょしょあきらかにしている)していたため企画きかくことわられ、結局けっきょく当時とうじのNETだけが「いいよ。うちの水曜すいようよる9だいいているからやってごらん」とおうじたという。
    • その当番とうばんぐみ成功せいこうけるかたちでフジも『欽ドン!』を月曜げつようよる9だい移動いどうさせ、TBSも金曜きんようよる9だいで『週刊しゅうかん欽曜』をスタートさせることになる。
  • 現在げんざいこのわくではテレ朝てれあさ水曜すいよう21わく刑事けいじドラマ放送ほうそうしているが、とう番組ばんぐみ放送ほうそう当時とうじはこののちの22わくげんわく直接ちょくせつ前身ぜんしんにあたる刑事けいじドラマ『特捜とくそう最前線さいぜんせん』であった。
  • 番組ばんぐみ放送ほうそう当時とうじしんは『あかきずな』で山口やまぐち百恵ももえ敵役かたきやくえんじていたがそのために視聴しちょうしゃ反感はんかん苦悩くのうしていた。そこで萩本はぎもとはドラマがわったら『欽どこ』出演しゅつえんにかけるウェイトをおおきくするようアドバイスをおくってしん勇気ゆうきづけた。さらにそのときに「順子じゅんこさんを日本一にっぽんいちいおかあさんにしてあげよう!」とかんがえて誕生たんじょうさせたのがのぞみ・かなえ・たまえであった。
  • いまではたりまえ使つかわれているピンマイク民放みんぽうでは本格ほんかくてき使用しようした番組ばんぐみである。当時とうじのピンマイクは性能せいのうわるく、角度かくどによっておとひろえない場合ばあいがあり、通常つうじょう風防ふうぼうはずしたハンドマイクをくびけるのが普通ふつうであった。だが萩本はぎもとえて性能せいのうわるいピンマイクを使つかことで、ピンマイクの製造せいぞうメーカーに性能せいのう向上こうじょううながねらいがあった。実際じっさいこのことがきっかけで、ピンマイクの性能せいのうがっている。
    • ちなみにこのマイクは日本にっぽんソニーせいであったが当時とうじ日本にっぽん放送ほうそうかいではまった使つかわれておらず、萩本はぎもとがその存在そんざいったのはブロードウェイにミュージカルの視察しさつおとずれたさいであった(そのマイクにづいて萩本はぎもとが「どこのくに製品せいひんですか?日本にっぽんのテレビにもれたいんです」とたずねたところ、演出えんしゅつから「なにっているんだい?これは日本にっぽん製品せいひんだよ」と怪訝けげんかおをされた、と著書ちょしょかたっている)。
  • 番組ばんぐみスタッフの視聴しちょうしゃ大切たいせつにする親身しんみ姿勢しせいにも評価ひょうかたか番組ばんぐみであった。萩本はぎもと著書ちょしょによると、ある萩本はぎもときょくかんむり番組ばんぐみ視聴しちょうおとずれたファンから「ここのきょくは(スタジオが)満員まんいんだからといって部屋へやにもれてもらえなかった」と不満ふまんをこぼされたが、そのさいに「そこへいくと『欽どこ』はいよ。あの番組ばんぐみは(スタジオは満員まんいんでも)あたたかい部屋へやとおしてくれたうえにお土産みやげまでたせてくれたからね」と当番とうばんぐみ絶賛ぜっさんしてくれたという。そこで萩本はぎもと当該とうがい番組ばんぐみのスタッフに『欽どこ』の現場げんば視察しさつさせたところ、スタジオ観覧かんらんからあふれたファンにたいしても番組ばんぐみADがきっきりで手厚てあつ対応たいおうしてくれていた(しかも自発じはつてきに)とかたっている。
    • その反面はんめん番組ばんぐみ成功せいこうさせるためにスタッフは萩本はぎもとによってつね緊張きんちょうかんたされていたという。たとえば番組ばんぐみ開始かいし当初とうしょ視聴しちょうりつがなかなか上昇じょうしょうしなかったさい萩本はぎもとが「(これだけ努力どりょくしているのに視聴しちょうりつがらないのは)だれかがうんっていってしまっているからだ」として、プロデューサーのすめらぎ達也たつやったばかりのマンションのかぎかわてる羽目はめになり、演出えんしゅついちすぎ丈夫たけおは「番組ばんぐみたらなかったら会社かいしゃめる」と辞表じひょうかされたという[注釈ちゅうしゃく 5]。また「あたたかい部屋へやなか会議かいぎをやっているから、緊張きんちょうかんがなくなっていアイデアもない」とのかんがえからわざわざ寒風かんぷうすさ屋上おくじょうこごえながら企画きかく会議かいぎをやる羽目はめになったこともあったがそれを視聴しちょうりつ上向うわむきになっていった、と萩本はぎもと著書ちょしょかたっている。
  • CS放送ほうそうテレ朝てれあさチャンネルでは原則げんそく毎週まいしゅう過去かこ放送ほうそうじゅんしたがってさい放送ほうそうおこなっている。ただしさい放送ほうそうされないかいや、一部いちぶカットされるかいがある。
  • 番組ばんぐみ最高さいこう視聴しちょうりつはのぞみやく高部たかべ知子ともこ不祥事ふしょうじこし番組ばんぐみ出演しゅつえんできず、急遽きゅうきょ全編ぜんぺん生放送なまほうそう放送ほうそうしエンディングで高部たかべ知子ともこ電話でんわ出演しゅつえんしたかい[注釈ちゅうしゃく 6]視聴しちょうりつ42.0%記録きろくした。これはテレビ朝日てれびあさひのバラエティ番組ばんぐみなかでは歴代れきだいもっとたかく、1977ねん9がつ26にち以降いこう放送ほうそうされた芸能げいのう・バラエティ番組ばんぐみなかでも『8だョ!全員ぜんいん集合しゅうごう』(TBSけい)にいで2番目ばんめたかい。
  • 番組ばんぐみ終了しゅうりょうから25ねんの2012ねん1がつ3にち放送ほうそうされた『中居なかい正広まさひろあやしいうわさあつまる図書館としょかん新春しんしゅんスペシャル』で、ゲストに萩本はぎもと出演しゅつえんし「欽ちゃんの衝撃しょうげき伝説でんせつSP」とだいして、欽どこの真相しんそうについて検証けんしょうおこなった。そのさい、これまで封印ふういんされていた上述じょうじゅつ生放送なまほうそうかい映像えいぞう久々ひさびさ公開こうかいされた。
  • オレたちひょうきんぞく』(フジテレビけい)の「ひょうきんベストテン」で「めだかの兄妹きょうだい」がランクインしたとき本番ほんばんぐみのパロデイがおこなわれた。ビートたけしが萩本はぎもとふんし「むら時間じかん時間じかん」が再現さいげんされ太平たいへいシローが倉沢くらさわふんうたったが3ばんのみでひどにあわされるというものだった。
  • 1978ねん萩本はぎもとだい1かい総合そうごう司会しかいつとめた日本にほんテレビ系列けいれつの『24あいだテレビ「あい地球ちきゅうすくう」』において、新潟にいがたうち老人ろうじんホームから桜田さくらだ淳子じゅんこがリポーターをつとめて中継ちゅうけいむすんださい女性じょせい高齢こうれいしゃが、きょくテレビ朝日てれびあさひ)の番組ばんぐみである「水曜日すいようびの(よる)9からはじまる『欽ちゃんどこまでやるの』たのしみに毎週まいしゅうてます」と発言はつげんしてしまい、萩本はぎもとが「生放送なまほうそうですから、なにはじまるかかりません!」とあわててフォローする場面ばめんがあった。この当時とうじ新潟にいがたけんでは『24あいだテレビ』[注釈ちゅうしゃく 7]と『欽どこ』[注釈ちゅうしゃく 8]は、おな新潟総合にいがたそうごうテレビ(NST)[注釈ちゅうしゃく 9]放送ほうそうされていた。

復活ふっかつばん[編集へんしゅう]

  • 1993ねん12月29にち 1830ふん - 2054ふんに『テレビ朝日てれびあさひ開局かいきょく35周年しゅうねん記念きねんばん 欽ちゃんのどこまでやるの!スペシャル』が放送ほうそうされた。
    • このとき見栄みえはれ、かなえ、たまえがそれぞれ3代目だいめ藤本ふじもと倉沢くらさわ高橋たかはしに、また4代目だいめかなえ(鳥居とりい)の夫役ぶやくだった小堺こさかいもグレもどされ、前述ぜんじゅつのとおりかなえの夫役ぶやくにはあらたに野々村ののむらが、そしてたまえの夫役ぶやくぞうあいだ配役はいやくされた。
      • 一方いっぽうで4代目だいめ以降いこう演者えんじゃなどについてはほとんどれられることもなく(VTR紹介しょうかいすらなかった)、事実じじつじょうその存在そんざい白紙はくしもどされた格好かっこうになっていた。
    • また、3代目だいめのぞみの高部たかべも、スタジオにかおすことはなかったがエンディングにて手紙てがみ写真しゃしんなんまい同封どうふうしており、そのなかの1まい画面がめんでも紹介しょうかいされた)と電話でんわによる出演しゅつえんたし、10ねんしで久々ひさびさ萩本はぎもと一家かずやとの会話かいわ実現じつげんしている。
    • 推理すいりドラマ」も復活ふっかつ。ただしたにあきら登場とうじょうせずウッチャンナンチャン二人ふたりが2もん勝負しょうぶ(1もん松村まつむら邦洋くにひろ、2もん浅香あさか光代みつよさる)で対決たいけつし、完全かんぜん正解せいかいした場合ばあいは「ペアでハワイ旅行りょこう招待しょうたい」というものだった。
      • プロデューサーによればハワイ旅行りょこう冗談じょうだんのつもりであったが、2もん内村うちむら完全かんぜん正解せいかいしてしまい本当ほんとうにハワイ旅行りょこう進呈しんていすることになった(番組ばんぐみちゅうのテロップでもそのむね表示ひょうじされた)。
  • 2002ねん1がつ2にちに『しゅく!!2002年版ねんばん 欽ちゃんのどこまでやるの!』として18:00からの3あいだ特別とくべつ番組ばんぐみとして復活ふっかつした。
    • ただしこのとき萩本はぎもと小堺こさかい以外いがい出演しゅつえんしゃ一切いっさい登場とうじょうせず、番組ばんぐみ内容ないようも「欽どこ」とははるかにかけはなれたもので、ただたん萩本はぎもと主演しゅえん特別とくべつ番組ばんぐみのタイトルに『欽どこ』のかんしただけであった。コント55ごうのコント「おどりの師匠ししょう」のみ2005ねん発売はつばいされたBOXに収録しゅうろくされた。
  • 2009ねん1がつ31にち放送ほうそうテレビ朝日てれびあさひ開局かいきょく50周年しゅうねん記念きねん50あいだテレビ SMAP☆がんばりますっ!!』で生放送なまほうそう復活ふっかつ
    • このときは萩本はぎもと見栄みえはれ高橋たかはし関根せきね小堺こさかい当時とうじ役柄やくがらのまま出演しゅつえんし、『仮装かそう大賞たいしょう』(日本にほんテレビ)で萩本はぎもと共演きょうえんしている香取かとり慎吾しんごはは順子じゅんこやくと「慎吾しんごママ」のやく出演しゅつえんした。
    • このときは『欽どこ』はつハイビジョン放送ほうそうおこなったが、セットにまれたテレビはほん放送ほうそう当時とうじのNECせいのタッチチャンネルしきのアナログテレビであった。

スタッフ[編集へんしゅう]

レギュラー放送ほうそう(1976ねん10がつ - 1986ねん9がつ[編集へんしゅう]

1993ねん復活ふっかつばん[編集へんしゅう]

ネットきょく[編集へんしゅう]

系列けいれつはレギュラーばん放送ほうそう当時とうじのもの。

放送ほうそう対象たいしょう地域ちいき 放送ほうそうきょく 系列けいれつ ネット形態けいたい 備考びこう
関東かんとう広域こういきけん テレビ朝日てれびあさひ テレビ朝日てれびあさひ系列けいれつ 制作せいさくきょく 1977ねん3がつまではNETテレビ
北海道ほっかいどう 北海道ほっかいどうテレビ 同時どうじネット
青森あおもりけん 青森放送あおもりほうそう 日本にほんテレビ系列けいれつ
テレビ朝日てれびあさひ系列けいれつ
おくれネット
岩手いわてけん 岩手いわて放送ほうそう TBS系列けいれつ げん:IBC岩手いわて放送ほうそう
宮城みやぎけん 東日本放送ひがしにっぽんほうそう テレビ朝日てれびあさひ系列けいれつ 同時どうじネット
秋田あきたけん 秋田放送あきたほうそう 日本にほんテレビ系列けいれつ おくれネット
山形やまがたけん 山形やまがたテレビ フジテレビ系列けいれつ
テレビ朝日てれびあさひ系列けいれつ
1980ねん3がつまで
山形放送やまがたほうそう 日本にほんテレビ系列けいれつ
テレビ朝日てれびあさひ系列けいれつ
同時どうじネット 1980ねん4がつから
福島ふくしまけん 福島中央ふくしまちゅうおうテレビ おくれネット 1981ねん9がつまで
福島放送ふくしまほうそう テレビ朝日てれびあさひ系列けいれつ 同時どうじネット 1981ねん10がつ開局かいきょくから
山梨やまなしけん テレビ山梨てれびやまなし TBS系列けいれつ おくれネット
新潟にいがたけん 新潟総合にいがたそうごうテレビ フジテレビ系列けいれつ
テレビ朝日てれびあさひ系列けいれつ
同時どうじネット げん:NST新潟総合にいがたそうごうテレビ、1983ねん9がつまで
新潟にいがたテレビ21 テレビ朝日てれびあさひ系列けいれつ 1983ねん10がつ開局かいきょくから
長野ながのけん 信越放送しんえつほうそう TBS系列けいれつ おくれネット 1980ねん9がつ30にちまで[1]
テレビ信州てれびしんしゅう 日本にほんテレビ系列けいれつ
テレビ朝日てれびあさひ系列けいれつ
同時どうじネット 1980ねん10がつ1にち開局かいきょくから[2]
静岡しずおかけん 静岡放送しずおかほうそう TBS系列けいれつ おくれネット 静岡しずおかけんみんテレビ開局かいきょくもスポンサー事情じじょうで1978ねん9がつまで継続けいぞく
静岡しずおかけんみんテレビ テレビ朝日てれびあさひ系列けいれつ 同時どうじネット げん静岡朝日しずおかあさひテレビ
1978ねん10がつから
富山とやまけん 北日本放送きたにほんほうそう 日本にほんテレビ系列けいれつ おくれネット
石川いしかわけん 北陸放送ほくりくほうそう TBS系列けいれつ
福井ふくいけん 福井放送ふくいほうそう 日本にほんテレビ系列けいれつ 土曜どよう22:00から放送ほうそうテレビ朝日てれびあさひのスポンサーき、現在げんざいの『相棒あいぼう』『特捜とくそう9』『刑事けいじ7にん』もこの時間じかん放送ほうそう
中京ちゅうきょう広域こういきけん 名古屋なごやテレビ テレビ朝日てれびあさひ系列けいれつ 同時どうじネット
近畿きんき広域こういきけん 朝日放送あさひほうそう げん朝日放送あさひほうそうテレビ
鳥取とっとりけん島根しまねけん 日本海にほんかいテレビ 日本にほんテレビ系列けいれつ おくれネット
広島ひろしまけん 広島ひろしまホームテレビ テレビ朝日てれびあさひ系列けいれつ 同時どうじネット
山口やまぐちけん 山口放送やまぐちほうそう 日本にほんテレビ系列けいれつ
テレビ朝日てれびあさひ系列けいれつ
おくれネット
徳島とくしまけん 四国放送しこくほうそう 日本にほんテレビ系列けいれつ 1979ねん3がつ時点じてんでは土曜どよう13:00から放送ほうそう[3]
岡山おかやまけん 岡山放送おかやまほうそう フジテレビ系列けいれつ
テレビ朝日てれびあさひ系列けいれつ
同時どうじネット 1979ねん3がつまで
電波でんぱ相互そうごれで瀬戸内海放送せとないかいほうそう一本いっぽん
香川かがわけん

香川かがわけん岡山おかやまけん
瀬戸内海放送せとないかいほうそう テレビ朝日てれびあさひ系列けいれつ 1979ねん3がつまでの放送ほうそうエリアは香川かがわけんのみ
1979ねん4がつ電波でんぱ相互そうごれにともな岡山おかやまけんにもエリア拡大かくだい
愛媛えひめけん 愛媛放送えひめほうそう フジテレビ系列けいれつ おくれネット げんテレビ愛媛えひめ
高知こうちけん テレビ高知てれびこうち TBS系列けいれつ [注釈ちゅうしゃく 10]
福岡ふくおかけん 九州朝日放送きゅうしゅうあさひほうそう テレビ朝日てれびあさひ系列けいれつ 同時どうじネット
長崎ながさきけん 長崎放送ながさきほうそう TBS系列けいれつ おくれネット
熊本くまもとけん 熊本放送くまもとほうそう
大分おおいたけん テレビ大分てれびおおいた 日本にほんテレビ系列けいれつ
フジテレビ系列けいれつ
テレビ朝日てれびあさひ系列けいれつ
同時どうじネット
宮崎みやざきけん テレビ宮崎てれびみやざき 同時どうじネット
おくれネット
[注釈ちゅうしゃく 11]
鹿児島かごしまけん 鹿児島かごしまテレビ 同時どうじネット 1982ねん9がつまで
鹿児島放送かごしまほうそう テレビ朝日てれびあさひ系列けいれつ 1982ねん10がつ開局かいきょくから
沖縄おきなわけん 琉球放送りゅうきゅうほうそう TBS系列けいれつ おくれネット

DVD[編集へんしゅう]

  • 欽どこ! クロ子くろことグレのどこまでやるの!?(2005ねんポニーキャニオン) - 欽どこからおもに「クロ子くろことグレ」のミニコントの大半たいはん抜粋ばっすい特典とくてん映像えいぞうとして現在げんざい関根せきね小堺こさかいがコントをまじえて裏話うらばなしかたるロケ企画きかく収録しゅうろく見栄みえはれもロケ後半こうはん合流ごうりゅう)。レンタル可能かのうである。
  • 欽ちゃんのどこまでやるの! DVDボックス(2006ねん、ポニーキャニオン) - 番組ばんぐみめい場面ばめんシーンや、「推理すいりドラマ」などの映像えいぞう収録しゅうろく山口やまぐち百恵ももえ夏目なつめ雅子まさこ豪華ごうかなゲストが出演しゅつえんしたとき貴重きちょう映像えいぞう収録しゅうろくされている。3まいぐみセット。こちらは2017ねん12がつ現在げんざいレンタルである。

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ 萩本はぎもと住所じゅうしょは、当初とうしょテレビ朝日てれびあさひのある東京とうきょうみなと六本木ろっぽんぎ近辺きんぺんで、東京とうきょう目黒めぐろ五本木ごほんぎ千葉ちばけんかしわ豊四季とよしき静岡しずおかけん三島みしま茨城いばらきけん鹿島かしまぐん神栖かみすまちげん神栖かみす二本松にほんまつ東京とうきょうみなといちはし数珠繋じゅずつなぎのように引越ひっこしていった。
  2. ^ このため後述こうじゅつ復活ふっかつばんでは子供こどもたちが藤本ふじもと高橋たかはし倉沢くらさわの3にんもどされ、リニューアルしんキャストはその存在そんざい自体じたいがなかったことにされている。
  3. ^ 前述ぜんじゅつ藤本ふじもと正則まさのりとわらべののこりの2人ふたり(倉沢くらさわ淳美あつみ高橋たかはし真美まみ)の降板こうばんくわえて、1985ねん4がつからは裏番組うらばんぐみとして、フジテレビ月曜げつよう22放送ほうそうしたよるのヒットスタジオ水曜すいよう21わく移動いどうしたうえで、放送ほうそう時間じかんを2あいだ拡大かくだい大幅おおはばリニューアルしたよるのヒットスタジオDELUXE放送ほうそう開始かいししたため
  4. ^ この番組ばんぐみでは「コサラビ→コサキン」の名称めいしょう使つかわれていない。なお、『コサキンDEワァオ!』のエンディングではっしていた「バッホーン!」というさけびは元々もともとこのコーナーでやっていたものである。
  5. ^ ほかに最近さいきん彼女かのじょ出来できたばかりのADがいたが、萩本はぎもとの「番組ばんぐみのために彼女かのじょわかれろというのは、さすがに可哀想かわいそう」との配慮はいりょで、ADのほうをほかの番組ばんぐみ移動いどうさせたという。
  6. ^ このかいのスタッフロールは、前回ぜんかいまで「のぞみ(改行かいぎょう高部たかべ知子ともこ」となっていたのが「のぞみ(改行かいぎょう)●●●」になっていた。
  7. ^ NSTは、だい1かい(1978ねん)からだい3かい(1980ねん)まで参加さんかテレビ新潟にいがた(TNN→TeNY)は、開局かいきょくして最初さいしょかいであるだい4かい(1981ねん)から参加さんか
  8. ^ NSTでは、1983ねん9がつまで同時どうじネットで放送ほうそう。1983ねん10がつ以降いこう新潟にいがたテレビ21(NT21→UX)に番組ばんぐみ移行いこう
  9. ^ 当時とうじのNSTはフジテレビ系列けいれつFNSFNN)、日本にほんテレビ系列けいれつNNSNNN)、テレビ朝日てれびあさひ系列けいれつANN)の3系列けいれつクロスネットだった。
  10. ^ 高知放送こうちほうそう放送ほうそうされていた時期じきあり。
  11. ^ 1985ねん10がつに『よるのヒットスタジオ』(フジテレビ)ネット復帰ふっき以後いご本番ほんばんぐみおくれネットとなった。

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ 1980ねん9がつ30にち 信濃毎日新聞しなのまいにちしんぶん テレビらん
  2. ^ 1980ねん10がつ1にち 信濃毎日新聞しなのまいにちしんぶん テレビらん
  3. ^ 四国しこく新聞しんぶん』1979ねん3がつ31にちづけ朝刊ちょうかん22めん、テレビらん
NET→テレビ朝日てれびあさひ系列けいれつ 水曜すいよう21だい
ぜん番組ばんぐみ 番組ばんぐみめい 番組ばんぐみ
欽ちゃんのどこまでやるの!