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1988ねんのル・マン24あいだレース

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1988としル・マン24あいだレース
前年ぜんねん: 1987 翌年よくねん: 1989
1988ねんのコース

1988ねんのル・マン24あいだレース24 Heures du Mans 1988 )は、56かいル・マン24あいだレースであり、1988ねん6月11にち[1]から6月12にち[2]にかけてフランスのサルト・サーキットおこなわれた。

概要がいよう

[編集へんしゅう]

1982ねんのル・マン24あいだレース以来いらい燃費ねんぴ規制きせい根本こんぽんにあることにたいする反発はんぱつがあり、国際こくさいスポーツ委員いいんかい(FISA、げん国際こくさい自動車じどうしゃ連盟れんめい)から「燃費ねんぴにしてスローダウンする光景こうけいられるのはレースではない」という意見いけんるなどレースらしい競争きょうそうもとめるこえおおきくなりつつあり、このころから車両しゃりょう規則きそくめぐってあたらしいうごきが具体ぐたいはじめた[1]具体ぐたいてきにFISAからたのはフォーミュラ1おなじ3,500ccの自然しぜん吸気きゅうきエンジンでたたかうというあんであった[1]

ユノディエールは全面ぜんめんさい舗装ほそうされていた[3]

ポルシェ・962Cはふるさをかくせず[3]一時いちじVがた8気筒きとうエンジンを搭載とうさいする新型しんがた投入とうにゅうするうごきもあった[3]が、長年ながねんロスマンズ支援しえん終焉しゅうえん[3]あらたなスポンサーがあらわれなければ試作しさくもできない状況じょうきょう[3]で、車両しゃりょう規則きそくわる可能かのうせいたことがポルシェしんシャシ開発かいはつ断念だんねん後押あとおしした[1]。すでにワークスはスポーツカー世界せかい選手権せんしゅけん参戦さんせんしておらず[4][5][1]、ル・マン24あいだレースのみへの参戦さんせんとした[4][5][1]。チームマネージャーのピーター・フォーク、デザイナーけんエンジニアのノルベルト・ジンガーにとりまさにこのレースが最後さいご仕事しごとで、ジンガーはのちに「まだやりのこした仕事しごとがある、という気分きぶんだった。962Cはまだ充分じゅうぶんたたかえる。だったら、最後さいごにひとはなかせてやろうじゃないか、とぎゃく闘志とうしいたものさ」とかたっており[3]連覇れんぱを8にばすべく努力どりょくした。当初とうしょ到底とうていジャガーてきわないとおもわれていたが、エンジンマネージメントシステムをボッシュ共同きょうどう[5]従来じゅうらいの6MBマイクロプロセッサ1個いっこ搭載とうさい[6]のモトロニックMP1.2にわって20MBプロセッサを5搭載とうさい[6]するMP1.7という新型しんがた開発かいはつ[5][3]、フルデジタル[6]して制御せいぎょをきめこまかく[1][6]して燃費ねんぴ大幅おおはば向上こうじょう[5]しながらも圧縮あっしゅく9.5[6]から決勝けっしょうブーストでも常時じょうじ700PS実現じつげん[6]して燃費ねんぴ出力しゅつりょく両立りょうりつ[1][6]、ル・マン24あいだレースのためだけに3.2リットル水冷すいれいエンジンを準備じゅんび[1][注釈ちゅうしゃく 1][注釈ちゅうしゃく 2]、ヴァイザッハの風洞ふうどうでロングテールの形状けいじょう検討けんとう[6]高速こうそく走行そうこう有利ゆうりなようにひくくし[1][5]既存きそんシャシナンバー007、008にくわシャシ番号ばんごう010を新規しんき制作せいさくしてけい3だい投入とうにゅう[5]するなど連勝れんしょう記録きろく伸長しんちょう意欲いよくせた[1]外観がいかんシェルカラーにえられていた[5]勝利しょうりたいする意気込いきごみはものすごく、エースカーの17号車ごうしゃにはル・マン2しょうハンス=ヨアヒム・スタック/ル・マン3しょうクラウス・ルドヴィック/ル・マン5しょうデレック・ベル実績じっせきつドライバーをそろえた[4]勝利しょうりだけでなくアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくでの宣伝せんでん考慮こうりょし3だいのワークスカー19号車ごうしゃにはアメリカレースかいのスーパースター、マリオ・アンドレッティ/マイケル・アンドレッティ/ジョン・アンドレッティ親子おやこはいした[4]

前年ぜんねん惜敗せきはいしたジャガートム・ウォーキンショーは「前年ぜんねんはしりでなにりなかったのか、つためにはどうすればいいのかがわかった」と[4]じつにスタッフ107めい[4]、ワークス車両しゃりょうはヨーロッパから3だいアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくから2だい[4]、1号車ごうしゃ、2号車ごうしゃ、3号車ごうしゃ、21号車ごうしゃ、22号車ごうしゃ[7]ジャガー・XJR-9けい5だい[1][4]投入とうにゅう必勝ひっしょう体制たいせいんだ。またなにがあっても現場げんば混乱こんらんしないよう、だれなんなんふんなにをすべきか行動こうどうスケジュールと役割やくわり作成さくせい全員ぜんいん徹底てっていした[4]従来じゅうらい耐久たいきゅうレースとはペースががったとは基本きほんてきには着実ちゃくじつにマイペースではしり、ながはしったチームが優勝ゆうしょうするものだとかんがえられてたが、トム・ウォーキンショーは「1あいだごとにする燃料ねんりょう補給ほきゅうのピットインからピットインまでをひとつのスプリントレースとかんがえ、それを24かいおこない、そのなかでトラブルやミスのすくないチームがつのだ」というあたらしいかんがかた前提ぜんてい作戦さくせんてて準備じゅんびしたのである[1]本社ほんしゃのバックアップも物凄ものすごく、また今年ことしこそはル・マン24あいだレースでの総合そうごう優勝ゆうしょうられるとしんじてドーバー海峡かいきょうわたったジャガー応援おうえんだんは5まんにん[4]ともわれた[1]

メルセデス・ベンツ新型しんがたザウバー・C9み、世界せかい選手権せんしゅけんではジャガーとタイトルあらそいをするなどあなどれない存在そんざいとなりつつあった。

プジョー関係かんけいしゃ構成こうせいされる小規模しょうきぼチームのWMセカテバは、前年ぜんねんつづ成績せいせきよりもユノディエールでの最高さいこう速記そっきろく注力ちゅうりょくし、前年ぜんねんがたP87くわえ、P87をベースに改良かいりょうされたP88の2だい体制たいせい参戦さんせんした。

トヨタ自動車とよたじどうしゃシャシ改良かいりょうにより完成かんせいたかくはなっていたが、レース戦闘せんとうりょく優勝ゆうしょうねら能力のうりょくはなかった[1]

日産自動車にっさんじどうしゃはエンジンが弱点じゃくてんとの反省はんせいもとづき大幅おおはば改良かいりょうくわえたが全体ぜんたいのバランスはくなかった[1]はじめてニスモ単独たんどくチームを結成けっせいし、日本人にっぽんじんぐみの23号車ごうしゃ外国がいこくじんぐみの32号車ごうしゃ参戦さんせんした[1]。チームルマン前年ぜんねん雪辱せつじょくマーチ・88Vを2だいんだ[4][注釈ちゅうしゃく 3]

マツダ1987ねんのル・マン24あいだレース7入賞にゅうしょうおおきな反響はんきょうがあり、本社ほんしゃ宣伝せんでん多用たようした[4]。そしておもこしげ、とうとうレース活動かつどう本気ほんきむようになった[1]。4ローターエンジンを開発かいはつ[1][4]新型しんがたマツダ・767搭載とうさいし2だい、その3ローターのマツダ・757を1だい投入とうにゅうした。7入賞にゅうしょう自信じしんがつきチームりょく向上こうじょうした[4]本社ほんしゃのバックアップも強化きょうかされててはいたが、まだトップクラスには力不足ちからぶそくであった[1]。また本社ほんしゃなかでは大橋おおはしたかしいたりたいするねたみもおおくなった[4]大橋おおはしたかしいたり国際こくさい自動車じどうしゃスポーツ連盟れんめいげん国際こくさい自動車じどうしゃ連盟れんめい、FISA)と交渉こうしょうすえ最低さいてい重量じゅうりょうを3ローター時代じだいおなじ794kgでみとめさせることに成功せいこうしていたが、ほとんど報道ほうどうされなかった[4]

予選よせん

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ユノディエールのさい舗装ほそうによりラップタイムは大幅おおはば短縮たんしゅくされた[3]

ポルシェのエースカー、ポルシェ・962C、17号車ごうしゃ

初日しょにち、2にちつうじポルシェの独壇場どくだんじょうとなった[4]ハンス=ヨアヒム・スタック[5][3]が17号車ごうしゃ、シャシナンバー010の950PSとも1,000PSともわれる予選よせんブーストでコースレコードを6びょう短縮たんしゅくする[5][4]3ふん15びょう64[1][4][3]平均へいきん速度そくど250.164km/h[3]記録きろくしてポールポジションを獲得かくとく[3][5]、2は3ふん18びょう62、3はマリオ・アンドレッティの3ふん21びょう78とポルシェワークスで3までを独占どくせんした[5]。ユーノディエールでの最高さいこうそくは391km/h[3]たっし、これにより本命ほんめい一角いっかくであることをしめした。

ジャガーは勝利しょうり意識いしきしたからこそ予選よせんにはこだわらなかった[1]。セッティングにくるしみながらも2だい初日しょにちからタイムアタックできるまでに煮詰につまっており[4]最高さいこうマーティン・ブランドル[3]が1号車ごうしゃした[3]3ふん21びょう78[1][2][3]で4[5][1][2]。その6[1][2]、9[1][2]、11[1]、12[1]となった。ターボエンジンのポルシェがきゅうあつげることで一時いちじてき出力しゅつりょく向上こうじょうはかれるのにたいして自然しぜん吸気きゅうきエンジンのジャガーは不利ふりであり[5]、それで4はいったのは相当そうとう能力のうりょくをうかがわせる結果けっかとなった。

ザウバーはストレート走行そうこうちゅうにタイヤがバーストした[5]。タイヤを供給きょうきゅうしていたミシュランは「良品りょうひんまぎんだだけで再発さいはつ可能かのうせいはない」とした[3]が、チーム代表だいひょう監督かんとくだったペーター・ザウバー予選よせん終了しゅうりょう翌日よくじつ金曜日きんようび「タイヤの安全あんぜんせい問題もんだいがある」とし[4]、3だいすべ[3]メルセデス・ベンツの事前じぜん承諾しょうだくないまま決勝けっしょうレースまえ撤退てったいめた[1][4]。メルセデス・ベンツはこれを非難ひなんせず追認ついにんした[4]。この一連いちれん決定けってい背後はいごには1955ねんのル・マン24あいだレースきただい事故じこ記憶きおくがあった[4]

これまで予選よせんくるしんできたトヨタ自動車とよたじどうしゃ好調こうちょう[4]トムスジェフ・リース/関谷せきや正徳まさのり/星野ほしのかおるぐみ[1][4]予選よせん9[4]、37号車ごうしゃ予選よせん10[4]獲得かくとく予選よせんベスト10はいった車両しゃりょうさい車検しゃけんようするためトムスのかんは「へたに予選よせんでいいタイムをしたら、面倒めんどう手続てつづきがあってたいへんだよ」と満面まんめんみで優越ゆうえつかんひたった[4][注釈ちゅうしゃく 4]。これが日本にっぽんしゃ最高さいこうであり、日本にっぽんしゃ過去かこ最高さいこう更新こうしんしたが、これは予選よせんようきゅうあつげて記録きろくしたものであった[1]

日産自動車にっさんじどうしゃ、ニスモは23号車ごうしゃが3ふん29びょう44で14、32号車ごうしゃが3ふん34びょう66で23であった[4]。チームルマン花輪はなわ知夫ともお最適さいてきなセッティングをつけられずに苦悩くのうし、ターボトラブルまで発生はっせいさせた[4]

マツダは本格ほんかくてきなタイムアタックをおこなわず、マツダ・767の201号車ごうしゃが26、202号車ごうしゃが31マツダ・757の203号車ごうしゃが40るわなかったが、それでもおおくの記者きしゃ決勝けっしょうになればマツダが日本にっぽんしゃ最速さいそくになるだろうとかんがえていた[4]

決勝けっしょう

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出走しゅっそうは49だい[2][8]

これまでル・マン24あいだレースでは一見いっけんスプリントにえるレース展開てんかいではあっても相手あいて出方でかたうかがいながら計算けいさんされたバトルであって、500kmレースとおな速度そくどで24あいだはしるなどということはけっしてなかったが、ジャガーのジョン・ワトソンはレースまえから「今年ことしのル・マンは24あいだにわたってきびしいたたかいがおこなわれ、もっとも過激かげきはしりにえられるクルマが勝利しょうりおさめることになるだろう」、すなわち24あいだ耐久たいきゅうレースではなく24あいだのスプリントレースになるむね予言よげんしていた[4]

15[1][3]決勝けっしょうはじまると同時どうじにジャガー5だいすべ[4]とポルシェ3だいすさまじいスピードではし[1]いち様相ようそうとなった[5]。はじめはほとんどだれもが最初さいしょ給油きゅうゆ終了しゅうりょうかせいぜい3にんのドライバーが最初さいしょ運転うんてんえるまでにスプリントレースてき展開てんかいわるとかんがえていたが、そうはならず、延々のびのびスプリントレースがつづいた[4]

前年ぜんねん問題もんだいとなったガソリンの品質ひんしつ問題もんだいなかった[4]

ジョン・ニールセンのジャガー1号車ごうしゃが2あいだぎたところでミュルサンヌにてグラベルにし、牽引けんいんあいだすくなくとも1しゅう相当そうとうする5ふんうしなった[3]

ポルシェ陣営じんえいのエースカーであったポルシェ17号車ごうしゃが2あいだはん[5]または3あいだ[1][4][3]燃料ねんりょうフィルターのまりでコースわきとままり[5]っていたクラウス・ルドヴィックはスターターモーターを使つかってピットにもど[5][3]ピットイン、2しゅううしな[1][5][3]5[3]または8[5]または3しゅうおくれの9[4]後退こうたいした。3から2がったボブ・ウォレク/サレル・ヴァン・デ・マーウェぐみ[1]のポルシェ18号車ごうしゃがジャガーからトップをうばかえしたがみずれをこして後退こうたい、そのエンジントラブルでリタイアした。上位じょうい走行そうこうしていたアンドレッティ親子おやこのポルシェ19号車ごうしゃみずれや燃料ねんりょうパイプ亀裂きれつなどで後退こうたい[1]し、エンジントラブルを発生はっせいさせたがピーター・フォークは使つかものにならないシリンダー1ほんあきらめプラグをいて5気筒きとう走行そうこうさせた[4]。ポルシェ17号車ごうしゃは3ふん22びょう51というレース最速さいそく周回しゅうかい記録きろくつくるなどでげたが、ペースアップは燃費ねんぴ悪化あっか意味いみしており、そこまでの玉砕ぎょくさい戦法せんぽうれなかった[1]

ジャガー陣営じんえいもトラブルがおおかった。3号車ごうしゃは8あいだ[7]にトランスミッションをこわして[4]リタイア。21号車ごうしゃは11あいだ駆動くどうけいのトラブルを発生はっせいさせたがトム・ウォーキンショーはリタイヤさせずクラッチからうしろをすべ交換こうかんさせる作業さぎょうはいった[4]。エースカーの1号車ごうしゃはスピンしておおきくおくれたうえに19あいだ[7]にエンジントラブル[1]でリタイアした[1]。ジャガー2号車ごうしゃこまかいロスタイムをかさねた[1]

WMセカテバは52号車ごうしゃのP87がトランスミッショントラブルのため、5あいだに22しゅうでリタイア。51号車ごうしゃのP88もエンジントラブルでピットインを余儀よぎなくされるが、修理しゅうりてコースに復帰ふっきし、ユノディエールで405 km/hのさい高速こうそく記録きろくした。そのもトラブルがつづき、スタートから12あいだに59しゅうでリタイアした。

日本にっぽんしゃは2だいワークスのあらそいから完全かんぜんのこされ、4あいだ経過けいか時点じてん日本にっぽんしゃ最高さいこうのマツダですら首位しゅいから5しゅうはなされていた[4]。4ローターのマツダ・767あさまで快走かいそうしたが、2だいとも相次あいついで排気はいきかんれとベルトの損傷そんしょうでピットインした[1][4]

予選よせん快調かいちょうだったトヨタ自動車とよたじどうしゃであるが決勝けっしょうはまるでちがっていた[4]。3S-GTを設計せっけいした山口やまぐち武久たけひさ燃料ねんりょう大量たいりょうおくんでエンジンを冷却れいきゃくし24時間じかんたせるという作戦さくせんかんがえ、くろけむりきながらはしった[4]。しかしこの作戦さくせんでは非常ひじょう燃費ねんぴわるくなるため決勝けっしょうペースに3ふん40びょうから45びょう想定そうていせざるをず、これは日本にっぽんしゃの3ワークスチームのなかでは一番いちばんおそかった[4]

チームルマンは5あいだはん、74しゅうと86しゅうでエンジントラブルにてリタイア、よるになるまえ片付かたづけることになった[4][注釈ちゅうしゃく 5]

レース終盤しゅうばんあめして燃費ねんぴ制約せいやくよわくなったうえに、ポルシェ17号車ごうしゃ最後さいごのドライバーとなったハンス=ヨアヒム・スタックあめつよく、猛烈もうれつ追撃ついげきせた[5]。トップをはしるジャガー2号車ごうしゃジョニー・ダンフリーズはプレッシャーによわいとわれており[3]、またアンディ・ウォレスはル・マン24あいだレースはつ挑戦ちょうせんであった[3]

しかしル・マン24あいだレースにはめずらしくセーフティーカーはいちはいらなかった[3]あめったのはコースの南側みなみがわだけで、時間じかんも30ふんだけだったため大勢おおぜい影響えいきょうあたえなかった[3]

テルトルルージュからポルシェカーブにかけての路面ろめんがかなりれてきてスリックのままではしるかインターミディエイトにえるかでなやんだドライバーもいたが、2では意味いみがないハンス=ヨアヒム・スタックには選択せんたく余地よちがなかった[3]一度いちどポルシェカーブでスライドしかべにペイントをのこしたがそのまま走行そうこうした[3]

じつはジャガー3号車ごうしゃがリタイアするすこまえにトランスミッションからおおきなサンピングおん発生はっせいしていたが、それとおなおんが2号車ごうしゃでもていた。しかし運転うんてんしていたヤン・ラマース無線むせんでも報告ほうこくせず、シフトチェンジの回数かいすう極力きょくりょくらしてトランスミッションをねぎらわりつつ、ハンス=ヨアヒム・スタックついはし注意深ちゅういぶかかんし、そのペースにわせてはしっていた[3]。この問題もんだいをトム・ウォーキンショーをはじめとするジャガーピットは最後さいごのピットインからラマースがさい発進はっしんするときおとがついたが、もはやなすすべなくラマースにまかせることになった[3]

結果けっか

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完走かんそうは25だい[8]

優勝ゆうしょうしたジャガー・XJR-9LM、2号車ごうしゃ

最後さいごはジャガー2号車ごうしゃをポルシェ17号車ごうしゃがじりじりげる展開てんかいになり、終了しゅうりょう1あいだまえにはどういち周回しゅうかいはいったが、結局けっきょくまえにレースが終了しゅうりょうヤン・ラマース[2]/ジョニー・ダンフリーズ/アンディ・ウォレス[8]くみジャガー・XJR-9LMの2号車ごうしゃが24あいだで5,332[2][7].780km[8][注釈ちゅうしゃく 6]平均へいきん速度そくど211.665km/h[2][7]はしって優勝ゆうしょうした。ジャガーは1957ねんのル・マン24あいだレース以来いらい31ねんぶり[7][5]勝利しょうりとなった。2との半周はんしゅう[1]、2ふん37びょう[4]しかなかった。この走行そうこう距離きょり1971ねんのル・マン24あいだレースポルシェ・917した記録きろくにはわずかにおよばなかったものの前年ぜんねんおおきく上回うわまわ[1]ものであった。

2のポルシェ17号車ごうしゃ燃料ねんりょうざんりょうはわずか1.5リットルで、レースがこう1しゅうあったら間違まちがいなくガスかけでストップしていたざんりょうだった[5]。ポルシェは翌朝よくあさイギリスドイツ新聞しんぶんに「ジャガーチームのみなさんに、しんからの祝福しゅくふくおくります」という広告こうこく掲載けいさいした[3]。これには、ジョン・イーガンきょう感激かんげきし、「ポルシェはまさに最高さいこうのライバルだ。」とかたった。

WMセカテバは完走かんそうこそできなかったが、51号車ごうしゃP88が405 km/hというル・マンの最高さいこう速記そっきろくのこした。よく1989ねんにはメルセデス・ベンツザウバー・C9がレースちゅうに400 km/hを記録きろくするが、P88の記録きろくにはおよばず、1990ねんにユノディエールに2かしょのシケインがもうけられたことで記録きろく更新こうしん事実じじつじょう不可能ふかのうとなった。

日本にっぽんしゃ完走かんそうりつたかかったが、ポルシェの完走かんそうおおトヨタ・88Cの12最高さいこうであった[1]

マツダは757203号車ごうしゃ1987ねんのル・マン24あいだレースにおける7入賞にゅうしょうより26しゅうおおい344しゅうはしって15完走かんそうしたものの全体ぜんたいにペースアップがいちじるしくベスト10にもれず、ほとんどだれにも評価ひょうかされなかった[4]

順位じゅんい クラス 号車ごうしゃ チーム ドライバー シャシ タイヤ 周回しゅうかいすう
エンジン
1[7] C1[7] 2[7] ジャガー・XJR-9LM[7] D 394[7]
ジャガー・7,000cc[9]Vがた12気筒きとう[9]
2 C1 17 ドイツの旗 ポルシェ ポルシェ・962C D 394
ポルシェ・935がた3.2リットル[1]水平すいへい対向たいこう6気筒きとうターボ
3 C1 8 ドイツの旗 ブラウプンクトヨースト・レーシング ポルシェ・962C G 385
ポルシェ・935がた2.8リットル水平すいへい対向たいこう6気筒きとうターボ
4[7] C1[7] 22[7] ジャガー・XJR-9LM[7] D 383[7]
ジャガー・7,000cc[9]Vがた12気筒きとう[9]
5 C1 7 ドイツの旗 ブラウプンクトヨースト・レーシング
ポルシェ・962C G 380
ポルシェ・935がた2.8リットル水平すいへい対向たいこう6気筒きとうターボ
6 C1 19 ドイツの旗 ポルシェ ポルシェ・962C D 375
ポルシェ・935がた3.2リットル[1]水平すいへい対向たいこう6気筒きとうターボ
7 C1 5 スイスの旗 レプソールブルン・モータースポーツ
ポルシェ・962C M 372
ポルシェ・935がた3.0リットル水平すいへい対向たいこう6気筒きとうターボ
8 C1 11 ドイツの旗 レイトンハウスクレマー・レーシング ポルシェ・962C Y 371
ポルシェ・935がた3.0リットル水平すいへい対向たいこう6気筒きとうターボ
9 C1 10 ドイツの旗 ケンウッドクレマー・レーシング ポルシェ・962CK6 Y 370
ポルシェ・935がた2.8リットル水平すいへい対向たいこう6気筒きとうターボ
10 C1 33 オーストラリアの旗 武富士たけふじ・シュパン・レーシング ポルシェ・962C D 359
ポルシェ・935がた3.0リットル水平すいへい対向たいこう6気筒きとうターボ
11 C1 72 フランスの旗 プリマガス
  • ドイツの旗 ユルゲン・ラシック
  • フランスの旗 ピエール・イベール
  • イギリスの旗 ダドリー・ウッド
ポルシェ・962C G 356
ポルシェ・935がた2.8リットル水平すいへい対向たいこう6気筒きとうターボ
12 C1 36 日本の旗 トヨタ・チーム・トムス トヨタ・88C B 351
トヨタ自動車とよたじどうしゃ・3S-GTがた 直列ちょくれつ4気筒きとうターボ
13 C2 111 イギリスの旗 スパイス・エンジニアリング
スパイス・SE88C G 351
フォードコスワース・DFLがた3.3リットルVがた8気筒きとう
14 C1 32 日本の旗 ニスモ 日産にっさん・R88C B 344
日産自動車にっさんじどうしゃ・VRH30がた3.0リットルVがた8気筒きとうターボ
15 GTP 203 日本の旗 マツダスピード マツダ・757 D 337
マツダ13Gがた2.0リットル3ローター
16[7] C1[7] 21[7] ジャガー・XJR-9LM[7] D 331[7]
ジャガー・7,000cc[9]Vがた12気筒きとう[9]
17 GTP 201 日本の旗 マツダスピード マツダ・767 D 330
マツダ・13Jあらためがた2.6リットル4ローター
18 C2 115 イギリスの旗 ADA エンジニアリング
ADA・03 G 318
フォードコスワース・DFLがた3.3リットルVがた8気筒きとう
19 GTP 202 日本の旗 マツダスピード. マツダ・767 D 305
マツダ・13Jあらためがた2.6リットル4ローター
20 C2 123
  • イギリスの旗 チャールズ・アイヴィ・レーシング
  • イギリスの旗 チーム・イステル
Tiga GC287 D 301
ポルシェ・935がた2.8リットル水平すいへい対向たいこう6気筒きとうターボ
21 C2 124 フランスの旗 MTスポーツレーシング
  • フランスの旗 ジャン・メッサウディ
  • フランスの旗ピエール=フランソワ・ルースロ
  • フランスの旗 ジャン=リュック・ロワ
Argo・JM19C A 300
フォードコスワース・DFRがた3.3リットルVがた8気筒きとう
22 C2 177 フランスの旗 オトモビリ・ルイ・デカルト
  • フランスの旗ジャック・ユクラン
  • フランスの旗ルイ・デカルト
  • フランスの旗 ドミニク・ラコー
ALD・04 A 294
BMW・M80がた3.5リットル直列ちょくれつ6気筒きとう
23 C2 198 イギリスの旗 ロイ・ベイカー・レーシング
  • アメリカ合衆国の旗 マイク・アリソン
  • イギリスの旗 デヴィッド・アンドリュース
  • アメリカ合衆国の旗 スティーヴ・ハインズ
Tiga・GC286 D 294
フォードコスワース・DFLがた3.3リットルVがた8気筒きとう
24 C1 37 日本の旗 トヨタ・チーム・トムス トヨタ・88C B 283
トヨタ自動車とよたじどうしゃ・3S-GTがた2.1リットル直列ちょくれつ4気筒きとうターボ
25 C1 117 ノルウェーの旗 チーム・ラッキーストライク・シャンシェ
  • ノルウェーの旗 マルティン・シャンシェ
  • イギリスの旗 ロビン・スミス
  • イギリスの旗 ロビン・ドノヴァン
Argo・JM19C G 278
フォードコスワース・DFLがた3.3リットルVがた8気筒きとう
26
NC
C2 113 フランスの旗 プリマガス
  • モロッコの旗 マックス・コーエンオリバー
  • ベルギーの旗 パトリック・ド・ラディゲス
クーガー・C12 ? 273
フォードコスワース・DFLがた3.3リットルVがた8気筒きとう
27
NC
C2 151 スイスの旗 ピエール=アラン・ロンバルディ
  • スイスの旗 ピエール=アラン・ロンバルディ
  • フランスの旗 ブルーノ・ソッティ
ロンドー・M379 A 271
フォードコスワース・DFLがた3.0リットルVがた8気筒きとう
28
DNF
C1[7] 1[7] ジャガー・XJR-9LM[7] D 306
ジャガー・7,000cc[9]Vがた12気筒きとう[9]
29
DNF
C1 23 日本の旗 ニスモ 日産にっさん・R88C B 286
日産自動車にっさんじどうしゃ・VRH30がた3.0リットルVがた8気筒きとうターボ
30
DNF
C2 103 イギリスの旗スパイス・エンジニアリング スパイス・SE88C G 281
フォードコスワース・DFLがた3.3リットルVがた8気筒きとう
31
DNF
C2 131 フランスの旗 グラフ・レーシング
  • フランスの旗 ジャン=フィリップ・グラン
  • フランスの旗 ジャック・テリアン
  • フランスの旗 モーリス・ゲヌン
スパイス・SE86C ? 263
フォードコスワース・DFLがた3.3リットルVがた8気筒きとう
32
DNF
C1 24 イタリアの旗 ドロップ・レーシング
  • イタリアの旗 ニコラ・マロッツォ
  • スイスの旗 ジャン=ピエール・フレイ
  • イタリアの旗 ラニエーリ・ランダッチョ
ランチア・LC2 D 255
フェラーリ・308Cがた3.0リットルVがた8気筒きとうターボ
33
DNF
C2 127 イギリスの旗 チェンバレン・エンジニアリング
  • イギリスの旗 ニック・アダムス
  • アイルランドの旗 マーティン・ビレーン
  • イギリスの旗 リチャード・ジョーンズ
スパイス・SE86C A 223
ハート・418Tがた1.8リットル直列ちょくれつ4気筒きとうターボ
34
DNF
C1 18 ドイツの旗 ポルシェ
ポルシェ・962C D 192
ポルシェ・935がた3.0リットル水平すいへい対向たいこう6気筒きとうターボ
35
DNF
C1 42 フランスの旗 ノエル・デル・ベロレーシング
  • スイスの旗 ベルナール・サンタル
  • フランスの旗 ノエル・デル・ベロ
  • ベルギーの旗 ベルナール・ド・ドライヴァー
ザウバー・C8 G 157
メルセデス・ベンツ・M117がた5.0リットルVがた8気筒きとうターボ
36
DNF
C2 121 イギリスの旗 コスミックGPモータースポーツ
スパイス・SE87C G 145
フォードコスワース・DFLがた3.3リットルVがた8気筒きとう
37
DNF
C2 191 イギリスの旗 PCオートモーティブ
  • アメリカ合衆国の旗 オリンド・イアコベリ
  • フランスの旗 アラン・イアネット
  • カナダの旗 ジョン・グラハム
Argo・JM19C G 130
フォードコスワース・DFLがた3.3リットルVがた8気筒きとう
38
DNF
C1[7] 3[7] ジャガー・XJR-9LM[7] D 129
ジャガー・7,000cc[9]Vがた12気筒きとう[9]
39
DNF
C1 13 フランスの旗 プリマガス クーガー・C20B M 120
ポルシェ・935がた3.0リットル水平すいへい対向たいこう6気筒きとうターボ
40
DNF
C2 178 フランスの旗 オトモビリ・ルイ・デカルト
  • フランスの旗 シルヴァン・ブーレイ
  • フランスの旗 ジェラール・トランブレイ
  • フランスの旗 ミシェル・ラテステ
ALD・04 A 103
BMW・M80がた3.5リットル直列ちょくれつ6気筒きとう
41
DNF
C1 4 スイスの旗 キャメルブルン・モータースポーツ
ポルシェ・962C M 91
ポルシェ・935がた3.0リットル水平すいへい対向たいこう6気筒きとうターボ
42
DNF
C1 85
  • 日本の旗 伊太利屋いたりやスポーツ
  • 日本の旗 チームルマン
マーチ・88S Y 74
日産自動車にっさんじどうしゃ・VG30ETがた3.2リットルVがた6気筒きとうターボ
43
DNF
C1 86
  • 日本の旗 伊太利屋いたりやスポーツ
  • 日本の旗 チームルマン
マーチ・88S Y 69
日産自動車にっさんじどうしゃ・VG30ETがた3.2リットルVがた6気筒きとうターボ
44
DNF
C1 30 フランスの旗クラージュ・コンペティション クラージュ・C22 M 66
ポルシェ・935がた2.8リットル水平すいへい対向たいこう6気筒きとうターボ
45
DNF
C1 51 フランスの旗 WMセカテバ
  • フランスの旗 ロジャー・ドルシー
  • フランスの旗 クロード・ハルディ
  • フランスの旗 ジャン=ダニエル・ローレ
WM・P87 M 59
プジョーZNS4かた2.8リットルVがた6気筒きとうターボ
46
DNF
C2 132 フランスの旗 ローランド・バサラー
  • フランスの旗 ジャン=フランソワ・イヴェール
  • フランスの旗 ローランド・バサラー
  • フランスの旗 レミー・ポショヴァン
ザウバー・SHS C6 A 53
BMW・M80がた3.5リットル直列ちょくれつ6気筒きとう
47
DNF
C1 52 フランスの旗 WMセカテバ
  • フランスの旗 パスカル・ペシオ
  • フランスの旗 ジャン=ダニエル・ローレ
WM・P88 M 22
プジョーZNS4かた3.0リットルVがた6気筒きとうターボ
48
DNF
C2 107 イギリスの旗 チェンバレン・エンジニアリング
  • フランスの旗 クロード・バローレナ
  • フランスの旗 ジャン=ルイ・リッチ
  • フランスの旗 ジャン=クロード・アンドリュー
スパイス・SE88C A 17
フォードコスワース・DFLがた3.3リットルVがた8気筒きとう
49 C1 20 イギリスの旗 チーム・デイビー
  • イギリスの旗 ティム・リー・デイビー
  • イギリスの旗 トム・ドットノーブル
Tiga・GC88 D 5
フォードコスワース・DFLがた3.3リットルVがた8気筒きとうターボ
DNS C2 181 イタリアの旗 ルイジ・タヴェルナ・テクノレーシング
  • イタリアの旗 ルイジ・タヴェルナ
  • イタリアの旗 ファビオ・マニャーニ
  • イタリアの旗 ロベルト・ラガッツィ
Olmas・GLT-200 A -
フォードコスワース・DFLがた3.3リットルVがた8気筒きとう
DNS C1 61 スイスの旗 チーム・ザウバーメルセデス ザウバー・C9 M -
メルセデス・ベンツ・M117がた5.0リットルVがた8気筒きとうターボ
DNS C1 62 スイスの旗 チーム・ザウバーメルセデス ザウバー・C9 M -
メルセデス・ベンツ・M117がた5.0リットルVがた8気筒きとうターボ

注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ 『Racing On』466ごうp.22は「2,994cc」とする。
  2. ^ 『Racing On』466ごうp.49は最終さいしゅうバージョンとなる3,164ccエンジン搭載とうさいを1990ねんとする。
  3. ^ en:1988 24 Hours of Le Mansでは88Sとなっている。
  4. ^ 『ルマン 伝統でんとう日本にっぽんチームのたたかい』p.108は「リース/関谷せきや/星野ほしのぐみ予選よせん8み、日本にっぽんしゃでは過去かこ最高さいこう予選よせん成績せいせきとなった」とする
  5. ^ en:1988 24 Hours of Le Mansでは74しゅうと69しゅうとなっている。
  6. ^ 『ルマン 伝統でんとう日本にっぽんチームのたたかい』p.109は「5332.8km」とする。

出典しゅってん

[編集へんしゅう]
  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao ap aq ar as at au 『ルマン 伝統でんとう日本にっぽんチームのたたかい』pp.27-154「ルマン24あいだレースの歴史れきし」。
  2. ^ a b c d e f g h i j k 『ルマン 伝統でんとう日本にっぽんチームのたたかい』pp.224-231「資料しりょう2」。
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag 『Racing On』466ごう pp.58-62「ポルシェがやぶれた」。
  4. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao ap aq ar as at au av aw 『ル・マン 偉大いだいなるくさレースの挑戦ちょうせんしゃたち』pp.133-174「裏切うらぎりと侮蔑ぶべつ絶望ぜつぼうのル・マン」。
  5. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x 『Racing On』466ごう p.20-25「ワークスポルシェ最後さいご咆哮ほうこう」。
  6. ^ a b c d e f g h 『Racing On』466ごう pp.42-53「最強さいきょうのCを死守ししゅせよ!」。
  7. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao 『ル・マンの英国えいこくしゃ』p.139「1988」。
  8. ^ a b c d 『ル・マン 偉大いだいなるくさレースの挑戦ちょうせんしゃたち』pp.298-303。
  9. ^ a b c d e f g h i j 『ル・マンの英国えいこくしゃ』p.144。

参考さんこう文献ぶんけん

[編集へんしゅう]
  • 『ルマン 伝統でんとう日本にっぽんチームのたたかい』グランプリ出版しゅっぱん ISBN 4-87687-161-2
  • 『Gr.Cとル・マン』学研がっけん ISBN 978-4-05-604601-4
  • 黒井くろい尚志ひさし『ル・マン 偉大いだいなるくさレースの挑戦ちょうせんしゃたち』集英社しゅうえいしゃ ISBN 4-08-780158-6
  • ドミニク・パスカルちょ日沖ひおき宗弘むねひろわけ『ル・マンの英国えいこくしゃネコ・パブリッシング ISBN 4-87366-068-8
  • Racing On466ごう 特集とくしゅう ポルシェ962C』三栄書房さんえいしょぼう 2013ねん9がつ14にち発行はっこう ISBN 978-4-7796-1905-2