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ワールドアスレティックス

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
IAAFから転送てんそう
ワールドアスレティックス
World Athletics
設立せつりつ 1912ねん
種類しゅるい 国際こくさい競技きょうぎ連盟れんめい
本部ほんぶ モナコの旗 モナコ
会員かいいんすう
212のくに地域ちいき
公用こうよう 英語えいご, フランス語ふらんすご
会長かいちょう イギリスの旗セバスチャン・コー
職員しょくいんすう
70めい
ウェブサイト www.worldathletics.org
かつての
えい: International Amateur Athletics Federation
ふつ: Fédération Internationale d'Athlétisme Amateur
(1912 - 2001)
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ワールドアスレティックスえい: World Athletics)は、陸上りくじょう競技きょうぎ国際こくさい競技きょうぎ連盟れんめい英語えいご略称りゃくしょうWA競技きょうぎ規則きそく整備せいび加盟かめい団体だんたい統括とうかつ世界せかいてき競技きょうぎ大会たいかい運営うんえいになう。

2019ねん11月11にち国際こくさい陸上りくじょう競技きょうぎ連盟れんめい(こくさいりくじょうきょうぎれんめい、えい: International Association of Athletics Federations, IAAFふつ: Association Internationale des Fédérations d'Athlétisme)から名称めいしょう変更へんこうされた[1]日本にっぽん陸上りくじょう競技きょうぎ連盟れんめいでは『ワールドアスレティックス』と呼称こしょうし、日本語にほんご略称りゃくしょうを『世界せかい陸連りくれん』としている[2]

歴史れきし

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組織そしき

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初代しょだい会長かいちょうジークフリード・エドストレーム

19世紀せいき中頃なかごろよりイギリスアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく中心ちゅうしんにアマチュア陸上りくじょう競技きょうぎ勃興ぼっこうした[3]各国かっこく選手権せんしゅけん大会たいかいやアマチュア陸上りくじょう競技きょうぎ連盟れんめい創設そうせつされ、1890年代ねんだいはいると国際こくさいてき対抗たいこうせんおこなわれた。1896ねんアテネだい1かい近代きんだいオリンピック開催かいさいされると陸上りくじょう競技きょうぎは12種目しゅもく実施じっし、9カ国かこくから63めい選手せんしゅ出場しゅつじょうした。1908ねんロンドンオリンピックになると26種目しゅもく実施じっしされて20カ国かこく431めい出場しゅつじょうする規模きぼいたった。1912ねん6がつストックホルムオリンピック終了しゅうりょうストックホルム陸上りくじょう競技きょうぎかんする国際こくさいてき統括とうかつ組織そしき規則きそく策定さくてい世界せかい記録きろく認定にんていもとめる17カ国かこく代表だいひょうあつまり会議かいぎ開催かいさいされた。オーストラリアオーストリアベルギーカナダチリデンマークエジプトフィンランドフランスドイツギリシャハンガリーノルウェーロシアスウェーデン・イギリス・アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく出席しゅっせきしたこのだい1かい総会そうかいによりIAAFは創設そうせつされた[4]。IAAFは1913ねんベルリンだい2かい総会そうかい開催かいさいして憲章けんしょう採択さいたくジークフリード・エドストレーム会長かいちょう就任しゅうにん本部ほんぶストックホルム設置せっちした[4]。IAAF創設そうせつはベルリンでおこなわれただい2かい総会そうかいによるとする文献ぶんけんもある[3][5]本部ほんぶ1946ねんロンドンへ、1993ねん10月にモナコ移転いてんした。

IAAFは1914ねん競技きょうぎ規則きそくさだめて世界せかい記録きろく公認こうにん開始かいしした[6]1912ねんストックホルムオリンピックではストップウォッチによる1/10びょう単位たんい手動しゅどう計時けいじおこなわれていたが、計時けいじ技術ぎじゅつ年月としつき経過けいかとも発展はってんせ、1964ねん東京とうきょうオリンピックからクォーツ時計とけい使用しようした電動でんどう計時けいじが、1972ねんに1/100びょう単位たんいまでの計測けいそく開始かいしされた[7]1977ねん、IAAFは400m以下いか世界せかい記録きろく公認こうにん条件じょうけんとして電動でんどう計時けいじによる1/100びょう単位たんいまでの計測けいそく義務付ぎむづけた。

アマチュア陸上りくじょう競技きょうぎ勃興ぼっこう以来いらい陸上りくじょう競技きょうぎ男子だんし中心ちゅうしん競技きょうぎであったが、1910年代ねんだいはいるとヨーロッパ各国かっこく女子じょし陸上りくじょう競技きょうぎ興隆こうりゅうした[8]各国かっこく女子じょし陸上りくじょう競技きょうぎ連盟れんめい創設そうせつのち1921ねんアリス・ミリア夫人ふじんらが中心ちゅうしんとなり女子じょし陸上りくじょう競技きょうぎ国際こくさいてき統括とうかつ団体だんたいである国際こくさい女子じょしスポーツ連盟れんめい(FSFI)が創設そうせつされた。FSFIはオリンピック陸上りくじょう競技きょうぎ女子じょし種目しゅもく実施じっしもとめて活動かつどう1928ねんアムステルダムオリンピックで5種目しゅもく開催かいさいけている。FSFIはその実施じっし種目しゅもくすう増加ぞうかもとめてIOCやIAAFとの交渉こうしょうつづけたがみのらず、機能きのうをIAAFに吸収きゅうしゅうされて消滅しょうめつした。

IAAFは1928ねん総会そうかいでドーピング規則きそく承認しょうにんして興奮こうふんざい使用しよう禁止きんし1964ねん東京とうきょうオリンピックとき医事いじ委員いいんかい組織そしき1989ねんから選手せんしゅたいする平時へいじ検査けんさ開始かいしし、2011ねん世界せかい選手権せんしゅけん以降いこう出場しゅつじょう選手せんしゅ全員ぜんいんたいして大会たいかい血液けつえき検査けんさ義務付ぎむづけるなどドーピング対策たいさく歴史れきし[4][9][10]陸上りくじょう競技きょうぎ選手せんしゅのドーピング事例じれい過去かこに1980年代ねんだいひがしドイツなど社会しゃかい主義しゅぎ国家こっかによる組織そしきてきドーピング、ベン・ジョンソン選手せんしゅ資格しかく剥奪はくだつバルコ・スキャンダルなどが発生はっせいした[11][12]。IAAFは憲章けんしょうにフェアプレーの推進すいしんとドーピングの撲滅ぼくめつかかげており[13]今日きょうWADAとも密接みっせつ協力きょうりょく関係かんけいきずいてアンチドーピングを推進すいしんする[14][15]

2011ねん現在げんざい、IAAFは会長かいちょう以下いかだいいちふく会長かいちょう1めいふく会長かいちょう3めい名誉めいよ会計かいけい1めい地域ちいき陸連りくれん代表だいひょう6めい、カウンシルメンバー15めい事務じむ総長そうちょう1めいがカウンシルを構成こうせいし、組織そしき運営うんえいたる。総会そうかいはIAAFの最高さいこう決定けってい機関きかん[13] であり、カウンシルと212の加盟かめい団体だんたい代表だいひょう参加さんかして重要じゅうよう事項じこう審議しんぎおこなう。また4ねんおきに会長かいちょうふく会長かいちょう・カウンシルメンバー・委員いいん選出せんしゅつする[16]総会そうかいは1991ねん以降いこう世界せかい選手権せんしゅけん開催かいさいわせて2ねんごとに実施じっしされており、2019ねんまでに52かいかぞえる[17]。IAAFは1988ねんより年間ねんかん最優秀さいゆうしゅう選手せんしゅしょうであるワールド・アスリート・オブ・ザ・イヤー表彰ひょうしょう開始かいしした。

マラソンハーフマラソン競歩きょうほ世界せかい記録きろく公認こうにん2004ねん開始かいしし、オリンピックと世界せかい選手権せんしゅけん実施じっし種目しゅもくすべてが世界せかい記録きろくとして公認こうにんされることになった[18]世界せかいしん記録きろく樹立じゅりつしゃにはIAAFオフィシャルパートナーから賞金しょうきん授与じゅよされる。

2019ねん11月11にちもってこれまでの国際こくさい陸上りくじょう競技きょうぎ連盟れんめいからワールドアスレティックスに組織そしきめい変更へんこうした[1][2]

アマチュアリズムの変遷へんせん

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IAAFはふるくからアマチュアリズムかかげ、規約きやくもうけて選手せんしゅ金品きんぴん獲得かくとく制限せいげんしており違反いはんしゃには資格しかく剥奪はくだつ処分しょぶんくだされた。ジム・ソープマイナーリーグ所属しょぞく経験けいけんがあったために資格しかく剥奪はくだつ処分しょぶんけ、さらにIOCによってきんメダルが剥奪はくだつされた。この規定きていのために選手せんしゅながきにわたって陸上りくじょう競技きょうぎ選手せんしゅとして生計せいけいてられなかった[19]。1968ねんメキシコシティオリンピック男子だんし100mかねメダリストのジム・ハインズはオリンピックにプロアメリカンフットボールのNFL選手せんしゅ転身てんしんしている。しかし、1960年代ねんだいからのスポーツがアマチュア規定きてい次々つぎつぎ廃止はいしし、時代じだいながれはIOCが1974ねんオリンピック憲章けんしょう参加さんか規定きてい変更へんこうするまでにいたった[20]陸上りくじょう競技きょうぎも1970年代ねんだい以降いこうマラソン大会たいかい中心ちゅうしんテレビ局てれびきょくやスポンサーから有力ゆうりょく選手せんしゅ公然こうぜん出場しゅつじょうりょう賞金しょうきん支払しはらわれる状況じょうきょうになり[21]競技きょうぎ生活せいかつのために金銭きんせん必要ひつようとする背景はいけい選手せんしゅにも存在そんざいした[19][22]1981ねんプリモ・ネビオロ会長かいちょう就任しゅうにんするとIAAFはアマチュアリズムと決別けつべつ放映ほうえいけんりょうとスポンサーりょうによる商業しょうぎょう推進すいしん賞金しょうきんレースの導入どうにゅう出場しゅつじょうりょう支払しはらいを開始かいしした[23]。IAAFは1982ねん総会そうかい選手せんしゅ賞金しょうきん出場しゅつじょうりょうることをみとめるルール改正かいせいおこない、以後いご選手せんしゅのプロ一気いっきすすんだ[24]。IAAFは1991ねんにオフィシャルパートナー12しゃ締結ていけつしたスポンサー契約けいやくが4ねん100おくえん日本にほんテレビ提供ていきょうした世界せかい選手権せんしゅけん日本にっぽん国内こくない放映ほうえいけんりょうはワールドアスレチックシリーズすう大会たいかいふくめても1ねん40おくえんのぼるなど急激きゅうげき商業しょうぎょうすすめた[25][26]。この時代じだいにIAAFは地域ちいき開発かいはつセンターを世界せかい10都市とし設置せっちして、加盟かめい団体だんたい指導しどうしゃ育成いくせい・ジュニア選手せんしゅ養成ようせい援助えんじょした[4]世界せかい選手権せんしゅけん成功せいこう評価ひょうかされる一方いっぽうで、バーリー時代じだいのアマチュア路線ろせんから商業しょうぎょうてき拡大かくだい路線ろせんへの転換てんかんには批判ひはんてき意見いけんられた[23][27]。IAAFは発足ほっそく以来いらい正式せいしき名称めいしょうAmateurの7文字もじいただいていたが、2001ねん総会そうかいにおいて International Association of Athletics Federations へとあらためた。

世界せかい選手権せんしゅけんとグランプリレースの創設そうせつ

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だい12かい世界せかい選手権せんしゅけんは2009ねん8がつベルリン開催かいさいされた

IAAFは、しん陸上りくじょう競技きょうぎ世界せかい王者おうじゃ決定けっていする世界せかい最高峰さいこうほう競技きょうぎ大会たいかい世界せかい陸上りくじょう競技きょうぎ選手権せんしゅけん大会たいかい創設そうせつし、1983ねんだい1かいヘルシンキ大会たいかい開催かいさいした[28]

それまで陸上りくじょう競技きょうぎ最高峰さいこうほう競技きょうぎ大会たいかいオリンピックであったが[29]人種じんしゅ問題もんだい冷戦れいせんによる政治せいじてき対立たいりつはらんで選手せんしゅだんのボイコットが発生はっせいし、東西とうざい陣営じんえい足並あしなみはそろわず、世界せかい王者おうじゃ決定けっていせんとしての機能きのううしなっていた[30][31]

1990年代ねんだいはい賞金しょうきんレースの拡充かくじゅうともない、賞金しょうきんレースは選手せんしゅ出場しゅつじょう辞退じたい増加ぞうかした[32]。そんな状況じょうきょうでも世界せかい選手権せんしゅけん創設そうせつ当時とうじより賞金しょうきん授与じゅよされない大会たいかいであったために、1993ねんシュトゥットガルト大会たいかい出場しゅつじょうをめぐり、カール・ルイスヌールディン・モルセリらがIAAFにたいして賞金しょうきん要求ようきゅうする事態じたい発生はっせいしている[32]。IAAFは1997ねんアテネ大会たいかい以降いこう世界せかい選手権せんしゅけん賞金しょうきんレースとした[33]

IAAFは1985ねんに、トラック&フィールド男女だんじょ16種目しゅもく対象たいしょうとした賞金しょうきんレース・IAAFグランプリ導入どうにゅうした。スポンサー企業きぎょうめいかんしてIAAFモービルグランプリともしょうされるこのシリーズせんは、世界せかい17都市とし競技きょうぎかい舞台ぶたいりひろげられ、かく競技きょうぎかい入賞にゅうしょうしゃ賞金しょうきん授与じゅよされた[34]最終さいしゅうせんIAAFグランプリファイナルかく種目しゅもく年間ねんかん王者おうじゃ決定けっていせんとして実施じっしされ、3までの選手せんしゅ年間ねんかん賞金しょうきん授与じゅよされた。その、IAAFグランプリはIAAFゴールデンリーグIAAFスーパーグランプリIAAFワールドアスレチックファイナルて、IAAFダイヤモンドリーグIAAFワールドチャレンジミーティングスがれる。

歴代れきだい会長かいちょう

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ラミーヌ・ディアック(みぎから2人ふたり
セバスチャン・コー

設立せつりつ以来いらい以下いかの6めい会長かいちょう就任しゅうにんした。

氏名しめい 国籍こくせき 在任ざいにん期間きかん
ジークフリード・エドストレーム  スウェーデン 1913–1946
デヴィッド・バーリー イギリスの旗 イギリス 1946–1976
アドリアン・ポーレン オランダの旗 オランダ 1976–1981
プリモ・ネビオロ イタリアの旗 イタリア 1981–1999
ラミーヌ・ディアック セネガルの旗 セネガル 1999–2015
セバスチャン・コー イギリスの旗 イギリス 2015–

地域ちいき陸上りくじょう競技きょうぎ連盟れんめい

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6地域ちいき地域ちいき区分くぶん

世界せかい陸連りくれんは6地域ちいき分類ぶんるいされた212のくに地域ちいき加盟かめい団体だんたい傘下さんか[35]加盟かめい団体だんたいは1こくにつき1組織そしきのみが承認しょうにんされている。イスラエル陸上りくじょう競技きょうぎ連盟れんめい中東ちゅうとう情勢じょうせいによる政治せいじてき事情じじょうのために、アジア陸上りくじょう競技きょうぎ連盟れんめいからヨーロッパ陸上りくじょう競技きょうぎ連盟れんめいへと所属しょぞくうつした。

名称めいしょう 略称りゃくしょう 承認しょうにんねん
    アジア陸上りくじょう競技きょうぎ連盟れんめい AAA 1974
    アフリカ陸上りくじょう競技きょうぎ連盟れんめい CAA 1974
    みなみアメリカ陸上りくじょう競技きょうぎ連盟れんめい CONSUDATLE 1968
    ヨーロッパ陸上りくじょう競技きょうぎ連盟れんめい EAA 1970
    きた中米ちゅうべいカリブ陸上りくじょう競技きょうぎ連盟れんめい NACAC 1989
    オセアニア陸上りくじょう競技きょうぎ連盟れんめい OAA 1972

主催しゅさい大会たいかい

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ワールドアスレチックスシリーズ

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世界せかい陸上りくじょう競技きょうぎ選手権せんしゅけん大会たいかいはワールドアスレティックス主催しゅさい大会たいかい最高峰さいこうほう位置いちづけられている
大会たいかいめい 開催かいさい周期しゅうき 設立せつりつねん
世界せかい陸上りくじょう競技きょうぎ選手権せんしゅけん大会たいかい 2ねん 1983
世界せかい室内しつない陸上りくじょう競技きょうぎ選手権せんしゅけん大会たいかい 2ねん 1985
世界せかいクロスカントリー選手権せんしゅけん大会たいかい 2ねん 1973
世界せかいロードランニング選手権せんしゅけん大会たいかい 2ねん 1992
U20世界せかい陸上りくじょう競技きょうぎ選手権せんしゅけん大会たいかい 2ねん 1986
世界せかい競歩きょうほチーム選手権せんしゅけん大会たいかい 2ねん 1961
世界せかいリレー 2ねん 2014
世界せかい陸上りくじょうアルティメット選手権せんしゅけん大会たいかい 2026

1にち競技きょうぎかい

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2010ねんIAAFダイヤモンドリーグ表彰ひょうしょうしき様子ようす ダイヤモンドトロフィーをかかげる種目しゅもくべつ年間ねんかん優勝ゆうしょうしゃとディアック
大会たいかいめい 設立せつりつねん
ダイヤモンドリーグ 2010
ワールドアスレティックスコンチネンタルツアー 2020
ワールドアスレティックスインドアツアー 2016
ワールドアスレティックスラベルロードレース 2008
クロスカントリーパーミットミーティングス 1999
世界せかい混成こんせい競技きょうぎチャレンジ 1998
世界せかい競歩きょうほチャレンジ 2003

廃止はいしされた大会たいかい

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特記とっき事項じこう

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世界せかい陸連りくれんは、FIFA(国際こくさいサッカー連盟れんめい)、ワールドラグビー、FIBA(国際こくさいバスケットボール連盟れんめい)とともに、「命名めいめいけん排除はいじょ」を主催しゅさい大会たいかいにおける原則げんそくとしていて、これらの主催しゅさい大会たいかいでは原則げんそくとして命名めいめいけんかんした競技きょうぎじょう会場かいじょうとすることができない。このため、命名めいめいけんによる名称めいしょう使用しようせず正式せいしき名称めいしょうとう使用しようしなければならないほか、命名めいめいけんによる会場かいじょうめい世界せかい陸連りくれん公式こうしきスポンサー以外いがい広告こうこくるいなどをおおかくすなどの措置そちこうじなければならない。

日本にっぽんにおけるれいとして、「日産にっさんスタジアム」は正式せいしき名称めいしょうの「横浜よこはま国際こくさい総合そうごう競技きょうぎじょう」とび、観客かんきゃくせきシートの「NISSAN」表記ひょうきおおかくさねばならない。関西かんさいでは長居ながい陸上りくじょう競技きょうぎじょう(ヤンマースタジアム長居ながい)が該当がいとうする。

協力きょうりょく団体だんたい

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脚注きゃくちゅう

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  1. ^ a b 英語えいご)『We're now World Athletics』(HTML)(プレスリリース)World Athletics、2019ねん11月11にちhttps://www.worldathletics.org/news/news/now-world-athletics2019ねん12月2にち閲覧えつらん 
  2. ^ a b IAAF組織そしき名称めいしょう変更へんこうかんするおらせ』(HTML)(プレスリリース)日本にっぽん陸上りくじょう競技きょうぎ連盟れんめい、2019ねん11月22にちhttps://www.jaaf.or.jp/news/article/13372/2019ねん12月2にち閲覧えつらん 
  3. ^ a b 図説ずせつ陸上りくじょう競技きょうぎ事典じてん 上巻じょうかん大島おおしまがまきち1971ねん講談社こうだんしゃ、22-28ページ
  4. ^ a b c d THE ORGANISATIONAL FRAMEWORK FOR ATHLETE IAAF. 2011ねん9がつ16にち閲覧えつらん
  5. ^ 陸上りくじょう競技きょうぎのルーツをさぐる』 おか惠市けいいち1996ねん文理ぶんりかく、25-26ページ
  6. ^ 近代きんだい陸上りくじょう競技きょうぎ歴史れきしじょVII
  7. ^ 読売新聞よみうりしんぶん』1996ねん7がつ14にち東京とうきょう朝刊ちょうかん社会しゃかいめん、39ページ
  8. ^ 陸上りくじょう競技きょうぎのルーツをさぐる』 おか惠市けいいち1996ねん文理ぶんりかく、30-37ページ
  9. ^ 日本にっぽん陸上りくじょう競技きょうぎ連盟れんめい70ねん』 377、444ページ
  10. ^ World Athletics 2011: IAAF launches Daegu blood tests BBC (2011-08-11). 2011ねん9がつ16にち閲覧えつらん
  11. ^ 読売新聞よみうりしんぶん』1996ねん3がつ29にち大阪おおさか朝刊ちょうかん2、40めん、33ページ
  12. ^ 毎日新聞まいにちしんぶん』2007ねん10がつ6にち東京とうきょう夕刊ゆうかん運動うんどうめん、3ページ
  13. ^ a b 国際こくさい陸上りくじょう競技きょうぎ連盟れんめい憲章けんしょう 日本にっぽん陸上りくじょう競技きょうぎ連盟れんめい. 2011ねん9がつ17にち閲覧えつらん
  14. ^ Gatlin faces prospect of life ban BBC (2006-07-30). 2011ねん9がつ17にち閲覧えつらん
  15. ^ IAAF COMPETITION RULES 2010-2011 CHAPTER3 ANTI-DOPING Archived 2011ねん6がつ5にち, at the Wayback Machine. IAAF. 2011ねん9がつ17にち閲覧えつらん
  16. ^ 『IAAF世界せかい陸上りくじょう2007大阪おおさか大会たいかい報告ほうこくしょ』 32ページ
  17. ^ IAAF Congress IAAF. 2011ねん9がつ15にち閲覧えつらん
  18. ^ 日本経済新聞にほんけいざいしんぶん』2003ねん8がつ27にち夕刊ゆうかん、19ページ
  19. ^ a b 近代きんだい陸上りくじょう競技きょうぎ歴史れきしじょVIII
  20. ^ 日本にっぽん陸上りくじょう競技きょうぎ連盟れんめい70ねん』 295ページ
  21. ^ 読売新聞よみうりしんぶん』1993ねん2がつ6にち東京とうきょう夕刊ゆうかん海外かいがいめん、2ページ
  22. ^ 読売新聞よみうりしんぶん』1996ねん4がつ3にち東京とうきょう夕刊ゆうかん夕刊ゆうかんスポーツAめん、3ページ
  23. ^ a b 読売新聞よみうりしんぶん』1995ねん8がつ4にち東京とうきょう朝刊ちょうかん解説かいせつめん、17ページ
  24. ^ 日本にっぽん陸上りくじょう競技きょうぎ連盟れんめい70ねん』 296ページ
  25. ^ 日本経済新聞にほんけいざいしんぶん』1991ねん8がつ13にち朝刊ちょうかん、29ページ
  26. ^ 日本経済新聞にほんけいざいしんぶん』1991ねん8がつ14にち朝刊ちょうかん、29ページ
  27. ^ 『アスリートよ永遠えいえんなれ』 青木あおきはんしる伊藤いとうおさむへん1986ねん早稲田大学わせだだいがく出版しゅっぱん、25-33ページ
  28. ^ 『IAAF世界せかい陸上りくじょう2007大阪おおさか大会たいかい報告ほうこくしょ』 10ページ
  29. ^ 日本にっぽん陸上りくじょう競技きょうぎ連盟れんめい70ねん』 304ページ
  30. ^ 読売新聞よみうりしんぶん』1997ねん7がつ26にち東京とうきょう朝刊ちょうかん、スポーツAめん、23ページ
  31. ^ 日本経済新聞にほんけいざいしんぶん』1987ねん12月12にち朝刊ちょうかん、27ページ
  32. ^ a b 読売新聞よみうりしんぶん』1995ねん7がつ28にち東京とうきょう朝刊ちょうかん、スポーツBめん、18ページ
  33. ^ 日本経済新聞にほんけいざいしんぶん』1997ねん7がつ28にち朝刊ちょうかん、37ページ
  34. ^ 読売新聞よみうりしんぶん』1999ねん4がつ25にち大阪おおさか朝刊ちょうかん朝刊ちょうかん特集とくしゅうEめん、15ページ
  35. ^ IAAF National Member Federations IAAF. 2011ねん9がつ16にち閲覧えつらん

参考さんこう文献ぶんけん

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  • ロベルト・L・ケルチェターニちょ近代きんだい陸上りくじょう競技きょうぎ歴史れきし 1860-1991 誕生たんじょうから現代げんだいまで<男女だんじょべつ>』 スボすぼル・マガジン社るまがじんしゃ 1992ねん ISBN 4-583-02945-4
  • 日本にっぽん陸上りくじょう競技きょうぎ連盟れんめいななじゅうねん編集へんしゅう委員いいんかい日本にっぽん陸上りくじょう競技きょうぎ連盟れんめいななじゅうねん日本にっぽん陸上りくじょう競技きょうぎ連盟れんめい 1995ねん
  • 読売新聞よみうりしんぶん大阪おおさか本社ほんしゃへん 『IAAF世界せかい陸上りくじょう2007大阪おおさか大会たいかい報告ほうこくしょ』 IAAF世界せかい陸上りくじょう2007大阪おおさか大会たいかい組織そしき委員いいんかい 2008ねん
  • History - Introduction IAAF

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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