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とく伽羅きゃら

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とく伽羅きゃら梵文ぼんぶん:pudgala,Pudgalāstikāya;ともえとしpuggala),またわけためぶく伽羅きゃらどる伽羅きゃら译为かずおもむき佛教ぶっきょう术语,泛指通常つうじょうしょ说的“有情うじょう”、“众生あるわが。這個術語じゅつごげん於古印度いんど哲學てつがくざい不同ふどう沙門しゃもん教派きょうは傳統でんとうちゅう使用しよう這個術語じゅつごらい建立こんりゅう自身じしん學說がくせつ佛教ぶっきょう也是其中いち

釋義しゃくぎ

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ざい佛教ぶっきょう经典,とく伽羅きゃら泛指にんなんてきひと[1]いん此也やくため有情うじょうあるひと[2][3]佛陀ぶっだざい經藏きょうぞうちゅうじょりょう施設しせつりょう眾多とく伽羅きゃら,也對其含ゆうしょ解釋かいしゃくれい如《ぞう支部しぶ·いや恨品·A.5.161》:

いんためとく伽羅きゃらあずか業報ごうほうゆうみつきり關聯かんれんざい印度いんど宗教しゅうきょうあるため迴的主體しゅたい[らいみなもと請求せいきゅう]

概論がいろん

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佛教ぶっきょうみとめためわが(ātman)たい五蘊ごうんてき錯誤さくご認識にんしき[5]ただこれ假名かめい[6][7]しょさかいみなため非我ひがわがところそく一切いっさいほう無我むがよし此在ひっさげいた主體しゅたい多用たようとく伽羅きゃららい代替だいたい

もと於論しょ如《俱舍ろんとうてき說法せっぽう學術がくじゅつかいたい佛教ぶっきょう理論りろんてき一種いっしゅゆう代表だいひょうせい解讀かいどく[らいみなもと請求せいきゅう]しょう相對そうたい佛教ぶっきょう而言てき外道げどうところみとめためてきわがしょうはなれ蘊我[8]們認ためざい五蘊ごうんこれがい存在そんざいいち真正しんせいてき自我じがあるかみpuruṣa)、いのちjīvaえいjiva),它是常住じょうじゅう不變ふへんてき單一たんいつてきゆう支配しはいこうのうてき[9]佛教ぶっきょう反對はんたい這種見解けんかいみとめため五蘊ごうんよし业的牵引逐渐产生变异,ぼつゆう主体しゅたいてき支配しはいただ遵循因果いんが规律。

犢子及其ささえみとめためとく伽羅きゃらあずか五蘊ごうんそくはなれたてじつゆうてき不可ふかせつ」,其他みとめためとく伽羅きゃらわかじつゆうのり類同るいどう於外どう所說しょせつわが[10]とく伽羅きゃらただこれ五蘊ごうん而說てき假名がなぼつゆう獨立どくりつ實存じつぞんてき自性じしょう[11]

歷史れきし源流げんりゅう

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ざいおもね含經ちゅう使用しようとく伽羅きゃらpudgalaらいゆびだい迴之主體しゅたい”,わけためひと”,而不使用しようわが」(ātman)這個。《ともえとし論藏ろんぞう也有やゆうそうしゅう佛陀ぶっだ施設しせつ各種かくしゅとく伽羅きゃらてきひと施設しせつろん》,對應たいおう於漢やく分別ふんべつせつ舍利しゃりどるおもね毘曇ろん·といぶん·人品じんぴん》。佛教ぶっきょう主張しゅちょう無我むが所以ゆえん不承認ふしょうにんとく伽羅きゃら具有ぐゆう獨立どくりつ實存じつぞんてき自性じしょう勝義まさよしとく伽羅きゃら),ただしためりょう方便ほうべん解說かいせつ,而假名かめいためとく伽羅きゃら世俗せぞくとく伽羅きゃら)。

ろんごと記載きさいりょう佛教ぶっきょうてき許多きょた主張しゅちょう,其中一個議題是補特伽羅是否具有獨立實存的自性。犢子承認しょうにんとく伽羅きゃらためじつゆうしょうためとく伽羅きゃらろんしゃ,遭到《ろんごとかずだい毘婆すなろんてきしつなん

分類ぶんるい

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とく伽羅きゃらあきら轉生てんせいしょみちおもむきてき差別さべつふんためみち眾生:地獄じごくみち餓鬼がきみち畜生ちくしょうみち人道じんどう天道てんとうあるしょう阿修羅あしゅらべつりつため一道いちどう,而為六道ろくどう

以貪あいてきらいげんふんなり三界さんがい

  • 欲界よくかい地獄じごく人間にんげん欲界よくかいてんきょ於此かいてき眾生いんためたい飲食いんしょく睡眠すいみん情欲じょうよくとう世俗せぞく欲望よくぼうおこりむさぼあい所以ゆえんしょうため欲界よくかい
  • いろかいいろかいてん,其众せい有形ゆうけいたい,於色かいよんぜんおこりむさぼあい
  • 無色むしょくかい無色むしょくかいてん,其众せいぼつ有形ゆうけいたいただ以神识的形式けいしき存在そんざい,於無しょくかいよんじょうおこりむさぼあい

あきら出生しゅっしょう方式ほうしきてき差別さべつふんためよんせい卵生らんせい胎生たいせいしめなま化生かせい

かく宗派しゅうは闡述

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佛教ぶっきょうちゅうせつ一切いっさいゆう迦多衍尼はつさとしろん主張しゅちょうとく伽羅きゃら[12]後來こうらいひさげばばしつらえ識身ろん自稱じしょうせい空論くうろんしゃはた支持しじゆうとく伽羅きゃらてき宗派しゅうは概括がいかつすべたたえためとく伽羅きゃらろんしゃ包括ほうかつざい其中てき包括ほうかつりょう主張しゅちょうとく伽羅きゃら自體じたいじつゆうてき犢子[13]及其ささえせいりょうひとしみとめためゆう勝義まさよしとく伽羅きゃらてきせつてん[14]ひとし

佛教ぶっきょうてき各種かくしゅ學派がくはたい迴的うけたまわ主體しゅたいゆう各自かくじてき解說かいせつ

佛教ぶっきょう

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せつ一切いっさいゆう

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せつ一切いっさいゆう提出ていしゅつ假名がなせつみとめためとく伽羅きゃらただかげしょ形成けいせいてき假名がななみぼつゆう實質じっしつてき存在そんざい

犢子

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佛教ぶっきょうちゅう最早もはや提出ていしゅつとく伽羅きゃら學說がくせつてき犢子。犢子みとめため,眾生ざい迴之ちゅう必定ひつじょうゆう主體しゅたいざい轉移てんい,這個主體しゅたいそくとく伽羅きゃらまたしょうためそくはなれ蘊我、不可ふかせつとく伽羅きゃら攜帶ちょごう從前じゅうぜん轉生てんせいいたり後世こうせい形成けいせい各種かくしゅ不同ふどうてき生命せいめいがたたい

後人こうじんそうゆい犢子しょみとめためてきとく伽羅きゃらゆうさん特徵とくちょう

  1. これてき主體しゅたい[15]
  2. これ記憶きおくてき主體しゅたい[16]
  3. これろくてき主體しゅたい[17]

けいりょう

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けいりょう提出ていしゅつ種子しゅしせつみとめためぎょうりょくてきつて遞,如同植物しょくぶつ一般いっぱんゆう種子しゅし相續そうぞく結果けっかさん階段かいだん。眾生いんため業報ごうほうざいしん識中かおるしげる種子しゅし種子しゅし流轉るてんいた後世こうせい再度さいど發芽はつが形成けいせい一生いっしょう

赤銅しゃくどう鍱部

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ともえとし经藏记载,补特とぎ罗是具有ぐゆう连贯业力てき轮回义上てきじん有情うじょう[18]ざい赤銅しゃくどう鍱部《论事》ちゅう,认为补特とぎ罗并“谛义、胜义”[19]うえてき存在そんざい,而是世俗せぞく概念がいねんじょうてきほどこせ设。

大乘だいじょう佛教ぶっきょう

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ちゅうかん

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せつ一切いっさいゆうまとせつ法被はっぴちゅうかん繼承けいしょう反對はんたいとく伽羅きゃらじつゆうてきみとめためいんため存在そんざいとく伽羅きゃら我執がしゅう誤認ごにんためかげせき聚是じつゆうてきさいかいゆずる眾生流轉るてん

唯識ゆいしき

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唯識ゆいしきざいけいりょうてき種子しゅしせつてき基礎きそじょう提出ていしゅつはちせつみとめため存在そんざいいちしゅ細微さいびてきこころ識,たたえためおもねよりゆき耶識,它是生死せいしてき根本こんぽん

如來にょらいぞう學派がくは

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如來にょらいぞう學派がくは心性しんせいもときよしてき如來にょらいぞうせつ為真ためざになみぶんためそらせいてきそら如來にょらいぞうかずふつほう功德くどくてき不空ふくう如來にょらいぞう

註釋ちゅうしゃく

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  1. ^ げん奘譯《ほう蘊足ろんまき2:「うんなんためぜんいいふつ弟子でしまたしょ所有しょゆうとく伽羅きゃら戒具とくはなれしょきずけがれなり調ちょうぜんほうこらえ紹師。」
  2. ^ 一切經いっさいきょう音義おんぎまき48:「とく伽羅きゃらあん梵本:此云すうとくとぎ此云おもむき名取なとりうんすうおもむきいいすうすう往來おうらいしょおもむき也。きゅうまたさくどる伽羅きゃらこぼしめいためいれげん捨天かげにゅう人陰ひとかげ,捨人陰ひとかげにゅう畜生ちくしょうかげきん是也これやけいちゅうさくぶく伽羅きゃらあるげんとみ伽羅きゃらまたさくとみとく伽耶かや,梵音てん也,譯者やくしゃみなこぼしためじんげん六趣ろくしゅどおり名人めいじん也,斯謬甚矣。ひとしゃまたげん有意ゆういおもえよしゆう智慧ちえめいためじん也。おに、畜無此,なに名人めいじん?斯皆譯者やくしゃしつ也。」
  3. ^ 翻譯ほんやく名義めいぎしゅうまき2:「とく伽羅きゃらあるぶく伽羅きゃらあるとみとく伽羅きゃら,此云すうおもむきいいしょ有情うじょうおこり惑造ぎょうそくため能取のとろ當來とうらいおもむきめいためおもむきいにしえやくため趣向しゅこう中陰ちゅういん有情うじょうおもむき往前せいゆえ。俱舍うんいたりおういたりしょおういたりしょそく六趣ろくしゅ也。またろんうん死生しせいゆうちゅう五蘊ごうんめい中有ちゅうういいためおもむき涅槃ねはんうん中有ちゅううかげ肉眼にくがん天眼てんがん所見しょけん。瑜珈論說ろんせつはちしゅじんだいろくめいとく伽羅きゃらいいすうすうしょおもむきある於此能生のう於彼。正能しょうのう生者しょうじゃそくじんまたこぼし有情うじょうまたこぼしじん。」
  4. ^ ひさげばばしつらえおもね達磨だるま識身あしろん》:「せい空論くうろんしゃさく如是にょぜごと:『たい義勝よしかつとく伽羅きゃらしょう現有げんゆうとうゆうゆうとく伽羅きゃら。』とく伽羅きゃらろんしゃといごと:『ことぶき!慈何所緣しょえん?』こたえごと:『諸法しょほうせいゆうとうゆうゆかりそうとうおもえ假說かせつ有情うじょう,於此ちゅう,慈緣受諸蘊相續そうぞく。』かれもん:『なんじせつ慈緣受蘊相續そうぞく耶?』此答ごと:『なんじ。』かれふくといごと:『なんじしか此不?いいちぎりけいちゅう世尊せそんぜんぜんぜんせつとう使つかい有情うじょうしょ快樂かいらく如是にょぜ思惟しいにゅう慈等いたり。』此答ごと:『なんじかれさくごとなんじ聽墮まけ。』」
  5. ^ ざつおもね含經》まき13〈306けい〉:「所以ゆえんしゃなにいろえんせい眼識がんしきさんこと和合わごうさわさわ俱生受、おもえおもえ。此四無色むしょくかげいろ,此等法名ほうみょうためじん,於斯とうほうさくじんおもえ、眾生、[しょう/うさぎ]闍、ばばおっとぶく伽羅きゃら、耆婆、ぜんあたままた如是にょぜせつ:『わがしょくわがみみ聞聲,わがはな嗅香,わがした嘗味,我身わがみさとしさわわが意識いしきほう。』かれ施設しせつまた如是にょぜ言說げんせつ:『尊者そんじゃ如是にょぜめい如是にょぜせい如是にょぜせい如是にょぜしょく如是にょぜ受苦じゅくらく如是にょぜ長壽ちょうじゅ如是にょぜ久住ひさずみ如是にょぜことぶきぶんひとし。』比丘びく是則これのりためおもえ是則これのりため是則これのり言說げんせつ,此諸ほうみな無常むじょう有為ゆういおもえねがいえんせいわか無常むじょう有為ゆういおもえねがいえん生者しょうじゃかれそく。」
  6. ^ 真諦しんたいやくおもね達磨だるま俱舍しゃくろんまき22〈やぶせつわがしな〉:「於經中佛ちゅうふつ世尊せそんりょうせつうんただし於五かげせつ假名がなじん。於〈ひとけいちゅうせつ:『えんしょくなま眼識がんしきよしさん和合わごうせいさわ共生きょうせい受想作意さくいとうよんしゅ無色むしょくかげ,及眼并色,ただ如此りょうせつ名人めいじん。於此中立ちゅうりつしょいい薩埵、[しょう/うさぎ]闍、ばばどる伽羅きゃらときばばぬの灑、ぜん。於中立言りつげんわがよししょく。於中有ちゅううでんうん:此命しゃ,如此めい,如此せい,如此種類しゅるい,如此しょく,如此受苦じゅくらく,如此長壽ちょうじゅ,如此久住ひさずみ,如此ことぶきぎわ比丘びく,如此ごとただめいためりょうただげんためりょうただでんためりょう。如此とう一切いっさいほう無常むじょう有為ゆうい故意こいしょづくりゆかり因緣いんねんせい。』」
    げん奘譯《おもね達磨だるま俱舍ろんまき49〈やぶわがしな〉:「如〈ひとちぎりけいさく如是にょぜせつ:『及色ためえんなま眼識がんしきさん和合わごうさわ,俱起受想おもえ,於中よん無色むしょく蘊,はつ及色,めいためしょく蘊。ただゆかり此量,せつめいためじんそく於此ちゅうずい差別さべつ假立かりだちめいおもえあるいい有情うじょうえつせい、儒童、やしなえしゃいのちしゃ生者しょうじゃとく伽羅きゃらまた自稱じしょうごとわがしょくふくずい世俗せぞくせつ,此具ことぶきゆう如是にょぜめい如是にょぜ種族しゅぞく如是にょぜせいるい如是にょぜ飲食いんしょく如是にょぜ受樂,如是にょぜ受苦じゅく如是にょぜ長壽ちょうじゅ如是にょぜ久住ひさずみ如是にょぜことぶきぎわ。苾芻當知とうち,此唯めいおもえ,此唯自稱じしょうただしずい世俗せぞくかり施設しせつゆう如是にょぜ一切いっさい無常むじょう有為ゆういしたがえ眾緣せいよしおもえしょづくり。』」
  7. ^ げん奘譯《瑜伽ゆがろんまき50〈本地ほんじぶん〉:「うんなん施設しせついい蘊。由依ゆい此故,施設しせつわが有情うじょういのちしゃ生者しょうじゃのう養育よういくしゃとく伽羅きゃらせい、儒童とうしょそうとうおもえかり用言ようげんせつ。及依此故,施設しせつ如是にょぜ名字みょうじ如是にょぜ生類しょうるい如是にょぜ種姓すじょう如是にょぜ飲食いんしょく如是にょぜりょう受苦じゅくらく如是にょぜ長壽ちょうじゅ如是にょぜ久住ひさずみ如是にょぜことぶきりょうあたりさいひとししょそうとうおもえかり用言ようげんせつ。」
  8. ^ おやおもね達磨だるま俱舍ろん》:「此法がいもろしょわがそく於蘊,相續そうぞく假立かりだちゆう真實しんじつはなれ蘊我ゆかり我執がしゅうりょくしょ煩惱ぼんのうせいさんゆう迴,よう解脫げだつ。」
  9. ^ なりろんまき5:「以今さく後作あとさくつねいち不變ふへんめいため。」
  10. ^ おやおもね達磨だるま俱舍ろん》:「しか犢子ゆうとく伽羅きゃら,其體あずか蘊,いちこと。此應おもえためみのるためかりじつゆうかりゆうそうべつうんなにべつ有事ゆうじぶつじつゆうしょう,如色ごえとうただしゆう聚集,かりゆうしょう,如乳酪にゅうらくとうもとじつもとかりかくゆうなんしつからだわかおうあずか蘊異,ゆうべつせい,如別べつ蘊;またゆう實體じったい,必應ゆういんあるおう無為むい便びんどう外道げどうまたおう無用むようじつゆうからだわかかり便びんどうせつ。」
  11. ^ おやおもね達磨だるま俱舍ろん》:「佛經ぶっきょうちゅう自決じけつ此義,いいただ於諸蘊說とく伽羅きゃら。」
    窺基ことむね論述ろんじゅつ》:「其經りょうほんむね同義どうぎ:……ゆう勝義まさよしとく伽羅きゃらただし微細びさいなん施設しせつそくみのわが也;不同ふどうせいりょうとうそく蘊、はなれ蘊,蘊外調ちょうしかゆうべつからだ也。」
    ほうたから俱舍ろん》:「わがゆうしゅいち五蘊ごうん聚集,假名かめいためわがあるそく蘊,はなれ蘊,べつ一物いちもつ,以為じつ五蘊ごうんかりたがえきょうろんぬし不破ふわべつじつたがえ其理きょうさわ出離しゅつりいんろんぬしいまやぶ。」「わがむねそく蘊假せつためわがそく蘊是外道げどう妄執もうしゅうゆうべつじつあずか蘊一、ことゆかりわがいちなりふつ。」
  12. ^ しんそうとぎばつきよしわけ鞞婆すなろん》:「とい曰。なに以故かれさくけいしゃ迦旃延子のぶこたて此經(おもね毘曇はち犍度ろん)。こたえ曰。……あるさん事故じこ增益ぞうえきさとしひらきゆえはなれけいひと。……はなれけいひとしゃ。誦爾しょおもね毘曇まえなに如是にょぜよんせつけいひと一切いっさいちゅうせつ無我むがぎょう眾生、非命ひめいちょうやしなえそらきよし聚也。以三ごとえきさとしひらきはなれけいひとさく此經。」
    きたすずか浮陀ばつわけおもね毘曇毘婆すなろん》:「ふくさんいん緣故えんこ尊者そんじゃ迦旃延子のぶこ造作ぞうさく此經(おもね毘曇はち犍度ろん)。いちため增益ぞうえきさとし。二為開覺意故。さんためだんひと。……だん我人われひとしゃかれ尊者そんじゃづくりおもね毘曇けい曾說有我ありがひと。於一切處常說無我無人。以如とう眾因緣故えんこかれ尊者そんじゃづくりおもね毘曇けい。」
    げんわけおもね達磨だるまだい毘婆すなろん》:「ふく尊者そんじゃ迦多衍尼)以さん因緣いんねんせいづくり此論(おもね達磨だるまはつさとしろん)。いちため增益ぞうえきさとし。二為開覺意故。さんためさえぎけい。……さえぎけいしゃ尊者そんじゃしょづくりおもね達磨だるま曾說ゆうとく伽羅きゃらつねあらわ諸行しょぎょうそら有我ありが。以如とう種種しゅじゅ因緣いんねんかれ尊者そんじゃせいづくり此論。」
  13. ^ しんそうとぎひさげばばわけおもね毘曇はち犍度ろん》:「如ひと不可ふか空也くうやまえこころじゅうこころうんなん憶本所作しょさこたえ曰:眾生ほうちゅうとく如此さとし,憶本所作しょさ。」
    きたすずか浮陀ばつわけおもね毘曇毘婆すなろん》:「以何とう?如ひと不可ふか乃至ないしこうせつとい曰:何故なぜさく此論?こたえ曰:ためとめ他人たにんあるゆうせつしゃゆうひと,以有ひと,憶本所作しょさ。……以何とうひと不可ふか,……まえこころ往後しん,而能憶本所作しょさ。……こたえ曰:眾生これほうとく如是にょぜ相似そうじ習智。」
    げんわけおもね達磨だるまだい毘婆すなろん》:「とく伽羅きゃらすんで不可ふかまたぜんしん往後心理しんりなにえんのう憶本所作事しょさごと乃至ないしこうせつとい何故なぜさく此論?こたえためとめ他宗たしゅうあらわおのれゆえいいあるゆうとく伽羅きゃら自體じたいじつゆう,如犢子かれさくせつわがもと有我ありが可能かのう憶念おくねんほん所作事しょさごとさきりょうおさめこん憶故,わか無我むがしゃなにえんのう憶本所作事しょさごと?……とく伽羅きゃらすんで不可ふかまたぜんしん往後心理しんりなにえんのう憶本所作事しょさごとこたえ有情うじょう於法,ゆかりくし習力,とく如是にょぜどうぶんさとし。」
  14. ^ きたすずか浮陀ばつわけおもね毘曇毘婆すなろん》:「於實ちゅうにん不可ふかとく。」
    げんわけおもね達磨だるまだい毘婆すなろん》:「たい義勝よしかつとく伽羅きゃら不可ふかとく。」
    姚秦しつやくじゅうはちろん》:「かれ相續そうぞく根本こんぽんしゃ:……ゆうだい一人ひとり。」
    真諦しんたいわけ異論いろん》:「せつよしほん:……ゆう真實しんじつじん。」
    げんわけことむねろん》:「其經りょうほんむね同義どうぎいいせつしょ薀有したがえ前世ぜんせいてんいたり後世こうせいだてせつてんめい。……ゆう勝義まさよしとく伽羅きゃら。」
  15. ^ ことむねろん》:「其犢ほんむね同義どうぎ,......諸法しょほうわかはなれとく伽羅きゃら從前じゅうぜんてんいたり後世こうせいとく伽羅きゃらせつゆう移轉いてん。」
  16. ^ だい毗婆すなろんまき11:「犢子せつわがもと有我ありが可能かのう憶念おくねんほん所作事しょさごとさきりょうおさめこん憶故。」
  17. ^ 大乘だいじょう成業せいぎょうろん》:「わがからだじつゆう與六よろく識為しょとめ。」
  18. ^ みなみ传巴经藏·ぞう支部しぶ·鹿住かずみ》:おもね难!愚痴ぐち聪明女人にょにん鹿住かずみ优婆えびす,以女じんとし了知りょうちじんあずかひと补特とぎ罗优れつ[](purisapuggalaparopariye)几何耶?おもね难!间存ゆう十之补特伽罗。何等なんらじゅう耶?おもね难!此处ゆう一类之补特伽罗,破戒はかい而灭其破戒使无余,かれ不能ふのう如实了知りょうちしん解脱げだつとし解脱げだつかれそく听闻,闻,以见不能ふのうどおり达,とく解脱げだつかれ坏命终,退すさ不能ふのう胜进,ただ退すさしつ不能ふのう胜进。おもね难!复次,此处ゆう一类之补特伽罗,破戒はかい而灭其破戒使无余,かれのう如实了知りょうちしん解脱げだつとし解脱げだつかれゆう听闻,闻,以见ぜんのうどおり达,とく解脱げだつかれ坏命终,胜进而不退すさただ胜进而不退すさしつおもね难!此中,ゆう筹量しゃ,筹量而曰:‘此人またゆう如是にょぜほうかれにんまたゆう如是にょぜほううんなんゆう其一しゃれつ,其一しゃ优耶?’おもね难!わか如是にょぜ[筹量],于长よるとく不利ふり恼。おもね难!此中,破戒はかい而灭其破戒使无余,のう如实了知りょうちしん解脱げだつとし解脱げだつ,且有听闻,ゆう闻,以见ぜんのうどおり达,とく解脱げだつ补特とぎ罗者,さき前之まえの补特とぎ罗更优胜。なに以故耶?おもね难!ほうりゅうのうわたりかれ如来にょらい谁能了知りょうち此别耶?おもね难!于补とくとぎ罗勿筹量,于补とくとぎ罗勿计量おもね难!于补とくとぎ罗计りょうひと衰亡すいぼうおもね难!わがあるとう于我しゃとうのう于补とくとぎ罗计りょう
    ぞう支部しぶ·无戏论品》:“诸比丘びく!此等よんおもえ议,无须思惟しい思惟しい于此とうしゃとく狂乱きょうらん痛苦つうくよんしゃ为何?诸比丘びく!诸佛ふつ境界きょうかいおもえ议,无须思惟しい思惟しい此者,とく狂乱きょうらん苦痛くつう。诸比丘びくおさむじょうしゃてい境界きょうかいおもえ议,无须思惟しい思惟しい此者,とく狂乱きょうらん苦痛くつう。诸比丘びく业异じゅくおもえ议,无须思惟しい思惟しい此者とく狂乱きょうらん苦痛くつう比丘びく世界せかい思惟しいおもえ议,无须おもえ议;思惟しい此者とく狂乱きょうらん苦痛くつう。诸比丘びく!此等四种之不思议,无须思惟しい思惟しい此者,とく狂乱きょうらん苦痛くつう。”
  19. ^ 觉音ちゅう释:「谛义、胜义」しゃ,此中谛义不可ふか认为依すえ幻影げんえい、阳炎とう无实たいもの实在ぶつ(bhūtaṭṭho)。胜义不可ふかすえ传说认为最上さいじょうぶつ(uttamaṭṭho)……蕴处かいとうじゅうなな种分别法(dhammappabhedo)实在如依自性じしょう义(bhūtena sabhāvathena)而得,なんじ补特とぎ罗可とく耶?

相關そうかん條目じょうもく

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