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Shiji : 世家 : 楚世家 - Chinese Text Project
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すわえ

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1 すわえ:
すわえ先祖せんぞ出自しゅつじみかど顓頊だかこうしゃみかどまごあきら之子ゆきこ也。こうせいたたえしょうせいまきあきらまき章生あきおじゅうはじむじゅうはじむためみかど嚳高からしきょただし,甚有功ゆうこうのうこうとおる天下でんかみかど嚳命曰祝融しゅくゆうきょうこうさくみだれみかど嚳使じゅうはじむ誅之而不盡ふじんみかど乃以かのえとら誅重はじむ,而以其弟くれかい為重ためしげはじむふくきょただしため祝融しゅくゆう

2 すわえ:
回生かいせいりくおわりりく終生しゅうせいろくにん,坼剖而產焉。其長いち曰昆われ曰參えびすさん曰彭よん曰會じん曰曹せいろく曰季れん,羋姓,すわえ其後也。こんわれなつこれ嘗為こうはく,桀之めつ。彭祖いんこれ嘗為こうはくいん末世まっせめつ彭祖れんせい沮,沮生穴熊あなぐま。其後ちゅうほろある在中ざいちゅうこくあるざい蠻夷ばんいどるのう其世。

3 すわえ:
しゅうぶんおうときれん苗裔びょうえい曰鬻ぐま。鬻熊ごとぶんおうのみそつ。其子曰熊うららくまうらら生熊いくまきょうくまきょう生熊いくま繹。くま繹當しゅうしげるおうとき,舉文、たけ勤勞きんろう後嗣こうし,而封ぐま繹於すわえ蠻,ふう以子おとこせい羋氏,きょ丹陽たんようすわえぐま繹與魯公はく禽、まもるかん叔子よしこ牟、すすむこう燮、ひとしふとし公子こうしりょ伋俱ごとなりおう

4 すわえ:
くま繹生ぐまもぐさくまもぐさ生熊いくま亶,くま亶生ぐましょうくま勝以かつもちおとうとぐま楊為くま楊生ぐまみぞ

5 すわえ:
くまみぞ生子おいごさんねんとうしゅうえびすおうとき王室おうしつほろ諸侯しょこうあるあさそうくまみぞ甚得江漢こうかんあいだみん,乃興へいいさお、楊蠆,いたり于鄂。くまみぞ曰:「わが蠻夷ばんい也,あずか中國ちゅうごくこれごう謚。」乃立其長子ちょうしやすしため亶王,中子なかごあかため鄂王,少子しょうしきずためこしあきらおうみなざい江上こうじょうすわえ蠻之。及周厲王とき暴虐ぼうぎゃくくまみぞかしこ其伐すわえまた其王。

6 すわえ:
こうためぐま毋康,毋康のみくまみぞそつぐま摯紅りつ。摯紅そつ,其弟弒而だいりつ,曰熊のべくまのべ生熊いくまいさむ

7 すわえ:
くまいさみろくねん,而周じんさくみだれおさむ厲王,厲王出奔しゅっぽん彘。くまいさみじゅうねんそつおとうとぐまげんため

8 すわえ:
くまげんじゅうねんそつ有子ゆうこよんにん長子ちょうしはくしも中子なかごなかゆき次子じし叔堪,少子しょうし徇。くまげんそつ長子ちょうしはくしもだいりつためぐましも

9 すわえ:
くましも元年がんねんしゅうせんおうはつだてくましもろくねんそつさんおとうとそうりつなかゆき;叔堪ほろび避難ひなん於濮;而少おとうと徇立,ためぐま徇。くまじゅうろくねんてい桓公かんこうはつふう於鄭。じゅうねんくま徇卒,ぐま咢立。くまきゅうねんそつぐまりつためわか敖。

10 すわえ:
わかじゅうねんしゅうかそけおうためけんえびすしょ弒,周東しゅうとう徙,而秦じょうおおやけはじめれつため諸侯しょこう

11 すわえ:
じゅうななねんわか敖卒,ぐま坎立,ため霄敖。霄敖ろくねんそつぐま眴立,ため蚡冒。蚡冒じゅうさんねんすすむはじめみだれ,以曲沃之ゆえ。蚡冒じゅうななねんそつ。蚡冒おとうとぐまどおり弒蚡おかせ而代りつためすわえたけおう

12 すわえ:
たけおうじゅうななねんすすむこれきょく沃莊はく弒主こくすすむこうこうじゅうきゅうねんていはくおとうとだんさくらんじゅういちねんていおかせ天子てんしじゅうさんねんまもる弒其くん桓公かんこうじゅうきゅうねん,魯弒其君かくれこうさんじゅういちねんそう太宰だざいはなとく弒其くん殤公。

13 すわえ:
さんじゅうねんすわえずいずい曰:「わが無罪むざい。」すわえ曰:「わが蠻夷ばんい也。こん諸侯しょこうみなため叛相おかせある相殺そうさいわがゆう敝甲,よく以觀中國ちゅうごくせい,請王しつみことわれごう。」ずい人為じんいしゅう,請尊すわえ王室おうしつ聽,かえほうすわえさんじゅうななねんすわえぐまどおりいか曰:「われさき鬻熊,ぶんおう也,のみおわりなりおう舉我さきおおやけ,乃以おとこれいきょすわえ蠻夷ばんいみなりつふく,而王わが自尊じそんみみ。」乃自立じりつためたけおうあずかずいじんめい而去。於是はじめひらき濮地而有

14 すわえ:
じゅういちねんしゅう召隨こうすう以立すわえためおうすわえいか,以隨おのれずいたけおうそつちゅう而兵やめぶんおうぐま貲立,はじめ郢。

15 すわえ:
ぶんおうねんさる鄧,鄧人曰「すわえおうえき」,鄧侯もと也。ろくねん蔡,とりこ蔡哀こう以歸,やめ而釋すわえつよしりょう江漢こうかんあいだ小國しょうこく小國おぐにみなかしここれじゅういちねんひとし桓公かんこうはじめ霸,すわえまたはじめだい

16 すわえ:
じゅうねん鄧,めつじゅうさんねんそつぐま艱立,ためそう敖。そうねんよくころせ其弟ぐま惲,惲奔したがえあずかずいかさね弒莊敖代りつためなりおう

17 すわえ:
なりおう惲元ねんはつ即位そくいぬのとくほどこせめぐみゆいきゅうこう於諸こう使つかいじんけんじ天子てんし天子てんしたまもの胙,曰:「鎮爾南方なんぽうえびすえつみだれおかせ中國ちゅうごく。」於是すわえ千里せんり

18 すわえ:
じゅうろくねんひとし桓公かんこう以兵おかせすわえいたり陘山。すわえなりおう使將軍しょうぐんこごめかん以兵これあずか桓公かんこうめい桓公かんこうすう以周不入ふにゅう王室おうしつすわえもと,乃去。

19 すわえ:
じゅうはちねんなりおう以兵きたもともとくんにく袒謝,乃釋じゅうねんじゅうろくねんめつえい

20 すわえ:
さんじゅうさんねんそうじょうおおやけほしためめいかい,召楚。すわえおういか曰:「召我,わがはたこう往襲はずかしめこれ。」遂行すいこういたり盂,とげはずかしめそうこうやめ而歸さんじゅうよんねんていぶんこう南朝なんちょうすわえすわえなりおうきたそうはい泓,しゃきずそうじょうおおやけじょうおおやけとげびょうそう

21 すわえ:
さんじゅうねんすすむ公子こうしじゅうみみすわえなりおう以諸こうきゃくれいきょう,而厚おくこれ於秦。

22 すわえ:
さんじゅうきゅうねん,魯僖こうらい請兵以伐ひとしすわえ使さるこう將兵しょうへいひとしこくおけひとし桓公かんこう雍焉。ひとし桓公かんこうななみな奔楚,すわえつき以為じょう大夫たいふめつ夔,夔不まつ祝融しゅくゆう、鬻熊也。

23 すわえ:
なつそうそうつげきゅう於晉,すすむすくいそうなりおうやめ將軍しょうぐん子玉こだま請戰,なりおう曰:「じゅうみみほろびきょがいひさそつはんくにてんところひらく不可ふかとう。」子玉こだまかた請,乃與しょう而去。すすむはてはい子玉こだま於城濮。なりおういか,誅子だま

24 すわえ:
よんじゅうろくねんはつなり王將おうしょう以商しんため太子たいしれいいんじょうじょう曰:「きみ也,而又內寵,絀乃らん也。すわえこく舉常ざいしょうしゃ。且商しんはち而豺ごえにんじん也,不可ふかりつ也。」おう聽,だてまたよく立子たつこしょく而絀太子たいししょうしんしょうしん聞而審也しんやつげ其傅はんたかし曰:「なに以得其實?」たかし曰:「きょうおう寵姬ちょうきこう羋而勿敬也。」しょう臣從しんじゅうこう羋怒曰:「むべ乎王よくころせわか而立じりつしょく也。」しょうしんつげはんたかし曰:「しん矣。」たかし曰:「能事のうじ乎?」曰:「不能ふのう。」「のうほろび乎?」曰:「不能ふのう。」「能行よしゆき大事だいじ乎?」曰:「のう。」ふゆじゅうがつしょうしん以宮衛兵えいへいかこえなりおうなりおう請食ぐま蹯而聽。丁未ていみなりおう絞殺こうさつしょうしんだいりつためきよしおう

25 すわえ:
きよし王立おうりつ,以其太子たいしみやはんたかし使つかいためたいてのひら國事こくじきよしおうさんねんめつよんねんめつろくたでろくたで,皋陶これはちねんひねじゅうねんそつそうおう侶立。

26 すわえ:
そうおう即位そくいさんねん不出ふしゅつ號令ごうれいにちよるためらくれいこくちゅう曰:「ゆう敢諫しゃ赦!」舉入諫。そうおうひだりだきていひめみぎだきえつおんなすわ鐘鼓しょうこあいだ舉曰:「ねがいゆうしんかくれ。」曰:「有鳥あっとりざい於阜,三年不蜚不鳴,なんちょう也?」そうおう曰:「さんねん蜚,蜚將沖天ちゅうてんさんねんはたおどろきじん。舉退矣,われ知之ともゆき矣。」きょすうがついんえき甚。大夫たいふしたがえ乃入諫。おう曰:「わか聞令乎?」たい曰:「ころせ以明くんしんねがい也。」於是乃罷淫樂いんらく,聽政,しょ誅者すうひゃくにんところすすむしゃすうひゃくにんにん舉、したがえ以政,國人くにびとだいせつこれさいほろびいさおろくねんそうひゃくじょう

27 すわえ:
はちねんりく渾戎,とげいたりらく觀兵かんぺい於周郊。しゅうじょうおう使つかいおうまご滿まんろうすわえおうすわえおうといかなえしょうだい輕重けいちょうたい曰:「ざいとく不在ふざいかなえ。」そうおう曰:「阻九かなえすわえこくおりかぎ喙,そく以為きゅうかなえ。」おうまご滿まん曰:「嗚呼ああ君王くんのう其忘乎?むかしおそれなつもり遠方えんぽうみないたりみつぎきんきゅうまきかなえぞうぶつ,百物而為之備,使つかいみんしんかん。桀有らんとくかなえ遷於いんまつろくひゃくいん紂暴しいたげかなえ遷於しゅう德之のりゆききゅうあきら,雖小必重;其姦かい昏亂,雖大必輕。むかしなりおうていかなえ于郟鄏,ぼくさんじゅうぼくねんななひゃくてんしょいのち也。しゅういさお雖衰,天命てんめいあらためかなえ輕重けいちょうとい也。」すわえおう乃歸。

28 すわえ:
きゅうねんあいわか敖氏。ひとある讒之おうおそれ誅,反攻はんこうおうおう擊滅げきめつわか敖氏ぞくじゅうさんねんめつ舒。

29 すわえ:
じゅうろくねんひねころせなつちょう舒。しるし舒弒其君,誅之也。やめやぶひねそくけん群臣ぐんしん皆賀みながさる叔時使つかいひとしおうとえたい曰:「鄙語ひご曰,牽牛けんぎゅうみちじんおも其牛。みちしゃそくちょく矣,これうしまた甚乎?且王以陳みだれ而率諸侯しょこうこれ,以義これ而貪其縣,またなに以復れい於天!」そうおう乃復こくひね

30 すわえ:
じゅうななねんはるすわえそうおうかこえていさんがつ克之かつゆきにゅうすめらぎもんていはくにく袒牽ひつじ以逆,曰:「てん能事のうじくんくんようなつけいか,以及敝邑,つみ也。敢不おもんみいのち聽!まろうど南海なんかいわか以臣わらわたまもの諸侯しょこうまたおもんみいのち聽。若君わかぎみ忘厲、せん、桓、たけぜっ社稷しゃしょく使つかいあらためごとくんねがい也,しょ敢望也。敢布腹心ふくしん。」すわえ群臣ぐんしん曰:「おう勿許。」そうおう曰:「其君のう下人げにん,必能信用しんよう其民,いさおぜっ乎!」そうおう手旗てばた左右さゆう麾軍,引兵さんじゅうさと而舍,とげもとたいらはん尪入めいりょうしつなつろくがつすすむすくいていあずかすわえせん大敗たいはいすすむ河上かわかみとげいたり衡雍而歸。

31 すわえ:
じゅうねんかこえそう,以殺すわえ使也。かこえそうがつ城中じょうちゅう食盡しょくじんえき而食,析骨而炊。そうはなもとつげ以情。そうおう曰:「君子くんし哉!」とげやめへい

32 すわえ:
じゅうさんねんそうおうそつどもおうしんりつ

33 すわえ:
きょうおうじゅうろくねんすすむていていつげきゅうともおうすくいていあずかすすむへいせん鄢陵,すすむはいすわえしゃ中共ちゅうきょうおうともおう召將ぐんはんはん嗜酒,從者じゅうしゃ豎陽こくしんしゅよいおういか射殺しゃさつはんとげやめへい

34 すわえ:
さんじゅういちねんきょうおうそつやすしおう招立。かん王立おうりつじゅうねんそついんりつため郟敖。

35 すわえ:
かんおうちょうおとうと公子こうしかこえ皙、棄疾。郟敖さんねん,以其ちちやすしおうおとうと公子こうしかこえためれいいんしゅ兵事へいじよんねんかこえ使ていみち聞王やまし而還。十二月じゅうにがつおのれとりかこえにゅうといおうやまししぼ而弒とげころせ其子莫及ひらなつ使つかい使赴於てい舉問曰:「だれため?」たい曰:「寡大夫たいふかこえ。」舉更曰:「きょうおう之子ゆきこかこえためちょう。」奔晉,而圍りつためれいおう

36 すわえ:
れいおうさんねんろくがつすわえ使使つげすすむよくかい諸侯しょこう諸侯しょこうみなかいすわえ于申。舉曰:「むかしなつあきらゆうひとしだいきょうしょうゆうけい亳之いのちしゅうたけしおうゆうめいちかいなりおうゆう岐陽あいだかんおうゆう豐宮とよみやあさきよしおうゆう涂山これかいひとし桓有召陵すすむぶんゆう踐土めいきみ其何よう?」れいおう曰:「もちい桓公かんこう。」ていさんざい焉。於是すすむそう、魯、まもる往。れいおうやめめいゆうおごいろ舉曰:「桀為ゆう仍之かいゆう緡叛。紂為はじむさんこれかい東夷あずまえびす叛之。かそけおうためたいしつめいえびす、翟叛くん其慎おわり!」

37 すわえ:
なながつすわえ以諸こうへいかこえしゅかたはちがつ克之かつゆきしゅうけいふうじめつ其族。以封徇,曰:「無效むこうひとしけいふう弒其くん而弱其孤,以盟しょ大夫たいふ!」ふうはん曰:「莫如すわえどもおう庶子しょしかこえ弒其くんけい之子ゆきこいん而代だて!」於是れいおう使(棄)やましころせこれ

38 すわえ:
ななねん,就章はなだいしたれい內亡じん

39 すわえ:
はちねん使つかい公子こうし棄疾將兵しょうへいめつひねじゅうねん,召蔡こうよい而殺使つかい棄疾てい蔡,いんためひね蔡公。

40 すわえ:
じゅういちねんじょ以恐くれれいおう於乾豀以まちおう曰:「ひとしすすむ、魯、まもる,其封みな受寶わがどくこんわれ使使しゅうもとむかなえ以為ぶん,其予わが乎?」析父たい曰:「其予君王くんのう哉!むかしわが先王せんおうぐま繹辟ざい荊山,蓽露あい蔞以しょ草莽そうもう跋涉ばっしょう山林さんりん以事天子てんしただももとげ以共王事おうじひとしおうしゅうと也;すすむ及魯、まもるおうははおとうと也:すわえ以無ぶん而彼みなゆうしゅういまあずか四國しこくふくごと君王くんのうはたおもんみいのちしたがえあに敢愛かなえ?」れいおう曰:「むかしわが皇祖こうそ伯父おじこんわれきゅうもとたくこんていじんむさぼ其田そのだわがいまわがもとめこれ,其予わが乎?」たい曰:「しゅうあいかなえていやすし敢愛でん?」れいおう曰:「むかし諸侯しょこうとおわが而畏すすむこんわれ大城おおきひね、蔡、あつものみなせんじょう諸侯しょこうかしこわが乎?」たい曰:「かしこ哉!」れいおう曰:「析父善言ぜんげん古事ふるごと焉。」

41 すわえ:
じゅうねんはるすわえれいおうらくいぬい豀,不能ふのう也。國人くにびと苦役くえきはつれいおうかいへい於申,僇越大夫たいふつねことぶきころせ大夫たいふかんおこりおこりしたがえほろびざい,乃勸くれおうすわえためあいだえつ大夫たいふつねことぶき而作みだれためくれあいだ使つかい公子こうし棄疾いのち公子こうし於晉,いたり蔡,あずかえつへいよくかさね蔡。れい公子こうし見棄みすてやましあずかめい於鄧。とげにゅうころせれいおう太子たいし祿ろく立子たつこためおう公子こうし皙為れいいん,棄疾ため司馬しばさきじょ王宮おうきゅうかんしたがえしたがえ于乾豀,れいすわえ眾曰:「國有こくゆうおう矣。さきふく爵邑田室たむろ後者こうしゃ遷之。」すわえ眾皆つぶせれいおう而歸。

42 すわえ:
れいおう太子たいし祿ろく也,とうしゃ,而曰:「ひと愛子あいこまた如是にょぜ乎?」侍者じしゃ曰:「甚是。」おう曰:「殺人さつじん之子ゆきこ矣,のう及此乎?」みぎいん曰:「請待於郊以聽國人くにびと。」おう曰:「眾怒不可ふかはん。」曰:「且入大縣おおがた而乞於諸こう。」おう曰:「みな叛矣。」また曰:「且奔諸侯しょこう以聽大國たいこくおもんばか。」おう曰:「大福だいふくさい,祗取はずかしめみみ。」於是おう乘舟のりぶねしょうほしにゅう鄢。みぎいんおう不用ふよう其計,懼俱またおうほろび

43 すわえ:
れいおう於是どくはた偟山ちゅう野人やじん莫敢いれおうおうこうぐう其故鋗人,いい曰:「ためわがもとめしょくわがやめしょくさんにち矣。」鋗人曰:「しんおうほうゆう敢閒おうしたがえ王者おうじゃつみ及三ぞく,且又所得しょとくしょく。」おういんまくら其股而臥。鋗人また以土だい,逃去。おうさとし而弗とげひだるどるのうおこりいもいんさる宇之さる曰:「われちち再犯さいはん王命おうめいおうどる誅,おん孰大焉!」乃求おうぐうおうひだる於釐さわたてまつこれ以歸。なつがつみずのとうしおうさるさるじょしたがえ,并葬

44 すわえ:
すわえこく雖已りつためおうかしこれいおうふくらいまた聞靈おうかんしたがえいいはつおう曰:「ころせ棄疾,雖得こくなお受禍。」おう曰:「にん。」したがえ曰:「ひとはたにんおう。」おう聽,乃去。棄疾國人くにびと每夜まいよおどろき,曰:「れいおうにゅう矣!」おつよる,棄疾使船人ふなびとしたがえ江上こうじょうはしよび曰:「れいおういたる矣!」國人くにびといよいよおどろきまた使つかい曼成しかつげはつおう及令いん皙曰:「おういたる矣!國人くにびとはたころせきみ司馬しばすすむいたり矣!くんのみはずかしめ焉。眾怒如水にょすい不可ふかすくい也。」はつおう及子皙遂自殺じさつへいたつ,棄疾即位そくいためおう改名かいめいぐま為平ためひらおう

45 すわえ:
ひらおう以詐弒兩おう自立じりつおそれ國人くにびと及諸こう叛之,乃施めぐみ百姓ひゃくしょうふくひね蔡之而立じりつ其後如故,かえりていおかせそん恤國ちゅうおさむ政教せいきょう以楚らんりつ以歸。ひらおういいかんしたがえ:「ほしいままなんじしょほっ。」ほしためぼくいんおうもと

46 すわえ:
はつきょうおうゆうちょうにんてきりつ,乃望さいぐんしん,請神けつ使つかいぬし社稷しゃしょく,而陰あずかともえひめうめ璧於しつ內,召五公子こうしとき而入。かんおうまたがこれれいおうひじ皙皆とおこれひらおうようだき其上而拜,あつひもやすしおう以長りついたり其子しつかこえためれいおう,及身而弒;ためおうじゅうにち皙不とくりつまた俱誅。よんみな絕無ぜつむただどく棄疾りつ為平ためひらおう,竟續すわえまつ,如其しん

47 すわえ:
はつすすむかん宣子のぶことい叔向曰:「其濟乎?」たい曰:「就。」宣子のぶこ曰:「どう惡相あくそうもとめ,如市賈焉,なにため就?」たい曰:「あずか同好どうこうだれあずかどうあく國有こくゆうなんゆうちょう無人むじん一也かずや有人ゆうじん無主むしゅ也;ゆうぬし無謀むぼう三也みつやゆうはかりごと而無みんよん也;ゆうみん而無とく也。ざいすすむじゅうさんねん矣,すすむすわえしたがえ聞通しゃいい無人むじん矣;ぞくつきしん叛,いい無主むしゅ矣;釁而どういい無謀むぼう矣;ため終世しゅうせいいいみん矣;ほろびあいちょういいとく矣。おうしいたげ而不わたるなん以弒くんだれのうずみゆうすわえこくしゃ,其棄やまし乎?くんひね、蔡,方城ほうじょうがいぞく焉。苛慝不作ふさく盜賊とうぞくふくかくれ私欲しよくたがえみん怨心。さきしんいのち國民こくみん信之のぶゆき。羋姓ゆうみだれ,必季じつだてすわえつね也。かんのりみぎいん也;すう其貴ちょうのり庶子しょし也;以神しょいのちのりまたとおこれみんふところ焉,はたなに以立?」宣子のぶこ曰:「ひとし桓、すすむぶんまた乎?」たい曰:「ひとし桓,まもるひめ之子ゆきこ也,ゆうちょう於釐こうゆうあわび叔牙、まろうど須無、隰朋以為輔,ゆう莒、まもる以為がいぬし有高ありだかくに以為內主。したがえぜん如流,ほどこせめぐみ倦。ゆうこくまたむべ乎?むかしわがぶんこうきつねひめ之子ゆきこ也,ゆうちょう於獻こう好學こうがく倦。なまじゅうななねんゆうにんゆうさきだい夫子ふうしあまりはん以為腹心ふくしんゆう犫、賈佗以為股肱ここうゆうひとしそうはたすわえ以為がいぬしゆう欒、郤、きつねさき以為內主。ほろびじゅうきゅうねんまもりこころざしわたるあつしめぐみふところ棄民,みんしたがえ而與ぶん公有こうゆうこくまたむべ乎?ほどこせ於民,無援むえん於外,すすむすすむおくすわえすわえむかえなに以有こく!」はて終焉しゅうえんそつりつしゃ棄疾,如叔こうげん也。

48 すわえ:
ひらおうねん使つかい如秦ため太子たいしけんこのみいたりさきせつたいらおう曰:「はたおんなこのみめとため太子たいしさらもとめ。」ひらおう聽之,そつめとしんおんな生熊いくまちんさらため太子たいしめとおごため太子たいしふとしでんためしょうでんちょう太子たいしつね讒惡太子たいしけんけんねんじゅう矣,其母蔡女也,ちょう於王,おうややえき疏外けん也。

49 すわえ:
ろくねん使つかい太子たいしけん居城きょじょうちちもりまた日夜にちや太子たいしけん於王曰:「いれしんおんな太子たいし怨,また不能ふのうもち於王,おうしょう備焉。且太子たいし居城きょじょうちち,擅兵,外交がいこう諸侯しょこう,且欲にゅう矣。」ひらおう召其でんおごせめおご讒,乃曰:「おう柰何以小しん骨肉こつにく?」曰:「こんせい後悔こうかい也。」於是おうとげしゅうおご。[而召其二子而告以免父死]乃令司馬しば奮揚召太子たいしけんよく誅之。太子たいし聞之,ほろび奔宋。

50 すわえ:
曰:「おごゆうころせしゃためすわえこく患。盍以めん其父召之,必至ひっし。」於是おう使つかい使いいおご:「のうのりせい不能ふのうしょう。」おご曰:「なおいたり,胥不いたり。」おう曰:「なに也?」おご曰:「尚之なおゆきためじんれんぶし,慈孝而仁,聞召而免ちち必至ひっし顧其。胥之ためじんさとし而好はかりごといさむ而矜こう知來ちらい必死ひっし,必不らいしかためすわえこくゆうしゃ必此。」於是おう使つかいじん召之,曰:「われめんなんじちち。」なおいい胥曰:「聞父めん而莫奔,孝也たかやちち戮莫むくい無謀むぼう也;のうにんごと知也ともや其行矣,わが其歸。」なおとげ胥彎ゆみぞく使者ししゃ,曰:「ちち有罪ゆうざいなに以召其子ため?」はた使者ししゃかえはしとげ出奔しゅっぽんおご聞之,曰:「胥亡,すわえこく危哉。」すわえじんとげころせおご及尚。

51 すわえ:
じゅうねんすわえ太子たいしけんははざいきょひらきくれくれ使公子こうしこうすわえとげはいひね、蔡,太子たいしけんはは而去。すわえおそれしろ郢。はつあたり邑卑はりあずか楚邊そべ邑鐘はなれ小童こわっぱそうくわ兩家りょうけ交怒しょうおさむめつ卑梁じん。卑梁大夫たいふいかはつ邑兵おさむかねはなれすわえおう聞之いかはつこくへいめつ卑梁。くれおう聞之だいいかまたはつへい使つかい公子こうしこういんけんははおさむすわえとげめつがねはなれきょすわえ乃恐而城郢。

52 すわえ:
じゅうさんねんひらおうそつ將軍しょうぐんつね曰:「太子たいしめずらししょう,且其はは乃前太子たいしけんしょとうめと也。」よくりつれいいん西にし西にしたいらおう庶弟也,ゆう西にし曰:「國有こくゆう常法じょうほうさらりつそくみだれげんのり致誅。」乃立太子りったいしめずらしためあきらおう

53 すわえ:
あきらおう元年がんねんすわえ眾不せつ,以其讒亡太子たいしけんころせおごちちあずか郤宛。あてそうせいはく氏子うじこ及子胥皆奔吳,へいすうおかせすわえすわえじん怨無甚。すわえれいいんつね誅無以說眾,眾乃

54 すわえ:
よんねん三公みつきみ奔楚,すわえふう以捍くれねんすわえろくせんななねんすわえ使つね大敗たいはいすわえ於豫あきら

55 すわえ:
じゅうねんふゆおう闔閭、胥、はくあずかから、蔡俱伐すわえすわえ大敗たいはいくれへいとげにゅう郢,はずかしめひらおうはか,以伍胥故也。くれへいすわえ使つね以兵むかえ,夾漢すいじんはいつねつねほろび奔鄭。すわえへいはしじょうかち逐之,せん及郢。おのれあきらおう出奔しゅっぽんかのえたつくれじんにゅう郢。

56 すわえ:
あきらおうほろび也至くもゆめくもゆめ不知ふち其王也,しゃきずおうおうはし鄖。鄖公おとうとふところ曰:「たいらおうころせわれちちいまわがころせ其子,また乎?」鄖公どめしかおそれ其弒あきらおう,乃與おう出奔しゅっぽんずいくれおう聞昭おう往,そく進擊しんげきしたがえいいずいじん曰:「しゅう子孫しそんふう於江かんあいだしゃすわえつきめつ。」よくころせあきらおうおうしたがえ臣子しんし綦乃ふか匿王,以為おういいずいじん曰:「以我くれ。」ずいじんぼくくれ不吉ふきつ,乃謝くれおう曰:「あきらおうほろび不在ふざいずい。」請入さくずい聽,またやめ

57 すわえ:
あきらおう郢也,使つかいさるあわび胥請すくい於秦。はた以車ひゃくじょうすくいすわえすわえまたおさむあまりへいあずかしんげきくれじゅういちねんろくがつはい於稷。かいくれおうおとうとおっとがいくれおうへいきずはい,乃亡自立じりつためおう。闔閭聞之,引兵すわえかえりげきおっとがいおっとがいはい,奔楚,すわえふうどう谿,ごうためどう谿氏。

58 すわえ:
すわえあきらおうめつとうきゅうがつにゅう郢。じゅうねんふくすわえばんすわえおそれ郢,きた徙都鄀。

59 すわえ:
じゅうろくねん孔子こうししょう魯。じゅうねんすわえめつとみめつえびすじゅういちねんおう闔閭伐こしえつおう踐射きずくれおうとげゆかり此怨えつ而不西にしすわえ

60 すわえ:
じゅうななねんはるひねすわえあきらおうすくいぐんじょうちちじゅうがつあきらおうびょう於軍ちゅうゆうあかくも如鳥,夾日而蜚。あきらおうもん周太しゅうたふとし曰:「がい於楚おうしかうつり於將しょう。」はた相聞そうもんごと,乃請以身禱於しんあきらおう曰:「しょうしょう股肱ここう也,こんうつりいさお乎!」どる聽。ぼく而河ためたたり大夫たいふ請禱かわあきらおう曰:「われ先王せんおう受封,もちこうかん,而河しょざい也。」とめもと孔子こうしざいひね,聞是ごと,曰:「すわえあきらおうどおり大道だいどう矣。其不しつこくむべ哉!」

61 すわえ:
あきらおうびょう甚,乃召しょ公子こうし大夫たいふ曰:「佞,さいはずかしめすわえ國之くにゆきこん乃得以天壽てんじゅおわり幸也ゆきや。」ゆずる其弟公子こうしさるためおう不可ふかまた讓次じょうじおとうと公子こうしゆいまた不可ふか。乃又讓次じょうじおとうと公子こうし閭,ゆずる,乃後もとためおうはたたたかえかのえとらあきらおうそつ於軍ちゅう閭曰:「おうびょう甚,捨其ゆずる群臣ぐんしんしん所以ゆえんもとおう,以廣おう也。こん君王くんのうそつしんあに敢忘君王くんのう乎!」乃與西にし綦謀,ふく閉涂,むかいえつおんな之子ゆきこあきらりつためめぐみおうしかやめへいそうあきらおう

62 すわえ:
めぐみおうねん西にし召故ひらたおう太子たいしたて之子ゆきこかち於吳,以為大夫たいふごう曰白こうはくこうこうへい而下よくほうかたきろくねんはくこう請兵れいいん西にしていはつはくこうちちけんほろびざいていていころせこれはくこうほろびはし西にしふく召之,以此怨鄭,ほしこれ西にしもと而未ためはつへいはちねんすすむていていつげきゅうすわえすわえ使西にしすくいてい,受賂而去。しろおおやけしょういか,乃遂あずかいさむつとむせき乞等かさねころせれいいん西にし綦於あさいんこうめぐみおうおけ高府たかふよく弒之。めぐみおう從者じゅうしゃこごめかたおうほろびはしあきらおう夫人ふじんみやしろこう自立じりつためおう月餘げつよかいこうらいすくいすわえすわえめぐみおういたずらあずかきょうおさむはくこうころせこれめぐみおう復位ふくいとし也,めつひね而縣

63 すわえ:
じゅうさんねんおうおっとつよしりょうひとしすすむすわえじゅうろくねんえつめつくれよんじゅうねんすわえめつ蔡。よんじゅうよんねんすわえめつ杞。あずかしんたいらこしやめめつくれ不能ふのう正江まさえ、淮北;すわえひがしおかせ廣地ひろちいたり泗上。

64 すわえ:
じゅうななねんめぐみおうそつ簡王中立ちゅうりつ

65 すわえ:
簡王元年がんねんきためつ莒。はちねんぶんこうかん武子たけこちょう桓子はじめれつため諸侯しょこう

66 すわえ:
じゅうよんねん,簡王そつごえおうとうだてこえおうろくねんとうころせごえおう悼王ぐまうたぐだて。悼王ねん,三晉來伐楚,いたりじょうおか而還。よんねんすわえしゅうていころせきゅうねんかんきびじゅういちねん,三晉伐楚,はいわがだいはり、榆關。すわえあつまいないしんあずかたいらじゅういちねん,悼王そつ肅王臧立。

67 すわえ:
肅王よんねんしょくすわえ茲方。於是すわえため捍關以距じゅうねんたかしわが魯陽。じゅういちねん,肅王そつたて其弟ぐま良夫よしおためせんおう

68 すわえ:
せんおうろくねんしゅう天子てんしはたけんじこうはたはじめふくつよし,而三すすむえきだいめぐみおうひとしおうゆうつよしさんじゅうねんはたふうまもる鞅於しょう南侵なんしんすわえねんせんおうそつおうぐましょうりつ

69 すわえ:
おうろくねんしゅうあらわおう文武ぶんぶ胙於はためぐみおう

70 すわえ:
ななねんひとしはじめ嘗君ちち嬰欺すわえすわえおうひとしはい於徐しゅう,而令ひとし必逐嬰。嬰恐,ちょううしにせいいすわえおう曰:「おう所以ゆえん戰勝せんしょう於徐しゅうしゃ盼子不用ふよう也。盼子しゃ有功ゆうこう於國,而百姓ひゃくしょう為之ためゆきよう。嬰子どるぜん而用さるさるしゃ大臣だいじん百姓ひゃくしょう不為ふためようおう勝之かつゆき也。こんおう逐嬰,嬰子逐,盼子必用ひつよう矣。ふく搏其士卒しそつ以與おうぐう,必不便びん於王矣。」すわえおういんどる逐也。

71 すわえ:
じゅういちねんおうそつふところおうぐまえんじゅりつ聞楚すわえわが陘山。

72 すわえ:
ふところおう元年がんねんちょうただしはじめしょうはためぐみおうよんねんはためぐみおうはつしょうおう

73 すわえ:
ろくねんすわえ使ばしら國昭くにあき將兵しょうへい而攻やぶこれ於襄りょうとくはち邑。またうつりへい而攻ひとしひとしおう患之。ひね軫適ためしん使つかいひとしひとしおう曰:「為之ためゆき柰何?」ちん軫曰:「おう勿憂,請令やめこれ。」そく往見あきらぐんちゅう,曰:「ねがい聞楚國之くにゆきほうやぶぐんころせしょうしゃなん以貴?」あきら曰:「其官ためじょうはしらこくふうじょう爵執珪。」ちん軫曰:「其有於此しゃ乎?」あきら曰:「れいいん。」ちん軫曰:「いまくんやめためれいいん矣,此國かんむりうえしん請得たとえひとゆうのこ其舍じんいち卮酒しゃ舍人とねりしょういい曰:『すうにんいん此,不足ふそく以遍,請遂ためへびへびさきなりしゃどくいん。』一人ひとり曰:『われへびさきなり。』舉酒而起,曰:『われのう為之ためゆきあし。』及其為之ためゆきあし,而後成人せいじんだつこれしゅ而飲,曰:『へびかたあしいま為之ためゆきあし是非ぜひへび也。』いまくんしょうすわえ而攻やぶぐんころせはたこう莫大ばくだい焉,かんうえ不可ふか以加矣。いままたうつりへい而攻ひとしおさむひとし勝之かつゆき官爵かんしゃく於此;おさむかち爵奪,ゆう毀於すわえ:此為へびためあしせつ也。わか引兵而去以德ひとし,此持滿之まんしじゅつ也。」あきら曰:「ぜん。」引兵而去。

74 すわえ:
つばめかんくんはつしょうおうしん使ちょうただしあずかすわえひとししょうかいめいかじくわ

75 すわえ:
じゅういちねんはたやくしたがえ山東さんとうろく國共こっきょうおさむはたすわえふところおうためしたがえちょういたりはこたにせきはた出兵しゅっぺいげきろくこく,六國兵皆引而歸,ひとしどくじゅうねんひとし湣王はいちょうぐんはたまたはいかんあずかひとしそうちょう

76 すわえ:
じゅうろくねんはたよくひとし,而楚あずかひとししたがえおやはためぐみおう患之,乃宣言せんげんちょうただしめんしょう使つかいちょうただしみなみすわえおういいすわえおう曰:「敝邑おうしょ甚說しゃさき大王だいおう,雖儀これしょ甚願ためもんたけなわ廝者またさき大王だいおう。敝邑おうしょ甚憎しゃさきひとしおう,雖儀これしょ甚憎しゃまたさきひとしおう。而大おう和之かずゆき以敝邑之おうとくごとおう,而令またとくためもんたけなわ廝也。おうため閉關而絕ひとしこん使つかい使者ししゃしたがえ西にし笔秦しょぶんすわえしょう於之地方ちほうろくひゃく如是にょぜのりひとしじゃく矣。きたじゃくひとし西にしいさお於秦,わたししょう於以ためとみ,此一計而三利俱至也。」ふところおうだいえつ,乃置しょう璽於ちょうただしにちあずかおけしゅ宣言せんげんわれふくとくわれしょう於之」。群臣ぐんしん皆賀みなが,而陳軫獨ちょうふところおう曰:「何故なぜ?」ちん軫對曰:「はたところ為重ためしげ王者おうじゃ,以王ゆうひとし也。いまとく而齊交先ぜっすわえ也。おっとはたまたなんじゅうこく哉,必輕すわえ矣。且先而後ぜっひとしのりしんけい不為ふためさきぜっひとし而後せめのり必見ひっけん欺於ちょうただし欺於ちょうただしのりおう必怨。怨之,西にしおこりしん患,きたぜっひとし交。西にしおこりしん患,きたぜっひとし交,のり兩國りょうこくへい必至ひっししんちょう。」すわえおうどる聽,いん使いち將軍しょうぐん西にし受封

77 すわえ:
ちょうただしいたりしんしょうよい墜車,しょうびょう不出ふしゅつさんがつ不可ふかとくすわえおう曰:「以吾ぜっひとしためなおうすよこしま?」乃使勇士ゆうしそうのこきたはずかしめひとしおうひとしおうだいいかおりすわえ而合於秦。はたひとし交合こうごうちょうただし乃起あさいいすわえ將軍しょうぐん曰:「なん受地?したがえぼういたりぼうこうろくさと。」すわえ將軍しょうぐん曰:「しん所以ゆえんいのちしゃろくひゃくろくさと。」そく以歸ほうふところおうふところおうだいいかきょうはたしんひね軫又曰:「はたけい也。如因まいないいちめいあずかこれひとしわがほろび於秦,つぐなえ於齊おさい也,われこくなおぜんこんおうやめぜっ於齊おさい而責欺於しんわれごうはたひとし交而らい天下てんかへい也,くに必大きず矣。」すわえおう聽,とげぜっ於秦,はつへい西にしおさむしんはたまたはつへいげき

78 すわえ:
じゅうななねんはるあずかしんせん丹陽たんようはた大敗たいはいぐんかぶとはちまんとりこわが大將たいしょうぐんこごめ丐、裨將ぐん逢侯うしとうななじゅう餘人よにんとげかん中之なかのぐんすわえふところおうだいいか,乃悉こくへいふくかさねしんせん於藍大敗たいはいすわえぐんかん聞楚こま,乃南かさねすわえいたり於鄧。すわえ聞,乃引へい

79 すわえ:
じゅうはちねんはた使つかい使やくふくあずかすわえおやふんかんちゅうはん以和すわえすわえおう曰:「ねがいとくちょうただしねがいとく。」ちょうただし聞之,請之すわえしんおう曰:「すわえ且甘こころ於子,柰何?」ちょうただし曰:「しんぜん左右さゆう靳尚,靳尚またのうとくごと於楚おうみゆきひめていそでそでしょげん從者じゅうしゃ。且儀以前いぜん使つかいすわえ以商於之やくいまはたすわえ大戰たいせんゆうあくしんめんしゃすわえかい。且大おうざいすわえむべ敢取まこところせ以便こくしんねがい也。」とげ使すわえ

80 すわえ:
いたりふところおういん而囚ちょうただしよくころせこれわたし於靳なお,靳尚ため請懷おう曰:「かかわちょうただしはたおう必怒。てん下見したみすわえはた,必輕おう矣。」またいい夫人ふじんていそで曰:「しんおう甚愛ちょうただし,而王よくころせこれいまはた以上いじょういさおこれろくけんまいないすわえ,以美じん聘楚おう,以宮ちゅうぜんしゃ為之ためゆき媵。すわえおうしげるはたおんな必貴,而夫じん必斥矣。夫人ふじんわかげん而出。」ていそでそつげんちょうただし於王而出ふところおういんぜんぐういんせつすわえおう以叛したがえやく而與しんあいおややく婚姻こんいんちょうただしやめこごめげん使つかいしたがえひとし,諫王曰:「なにちょうただし?」ふところおう悔,使つかいじんついどる及。これさいはためぐみおうそつ

81 すわえ:
じゅうろくねんひとし湣王ほしためしたがえちょうあくすわえあずかしんあい,乃使使のこすわえおうしょ曰:「寡人患楚察於尊名そんめい也。こんはためぐみおうたけ王立おうりつちょうただしはしぶなうらやまし公孫こうそん衍用,而楚ごとしんおっとぶなうらやましぜん乎韓,而公まご衍善乎魏;すわえ必事しんかんたかしおそれ,必因にんもとめあい於秦,のりつばめちょうまたむべことしん四國しこくそうごとしんのりすわえためぐんけん矣。おうなんあずか寡人并力おさむかんつばめちょうあずかためしたがえ而尊しゅうしつ,以案へいいきみんれい於天?莫敢らく聽,のりおうめいなり矣。おうりつ諸侯しょこう并伐,やぶしん必矣。おうたけせきしょくかんこれわたしえつとみ而擅かいかんわりじょうとう西にしうすはこだにのりすわえつよしひゃくまん也。且王欺於ちょうただしほろびかんちゅうへい銼藍天下てんか莫不だいおうなつけいかこん乃欲さきごとしんねがい大王だいおう孰計。」

82 すわえ:
すわえおうぎょうやめよくかず於秦,ひとしおうしょ猶豫ゆうよけつしも其議群臣ぐんしん群臣ぐんしんあるげんしんある曰聽ひとしあきら雎曰:「おう雖東於越,不足ふそく以刷はじ;必且取於秦,而後足あとあし以刷はじ於諸こうおう如深ぜんひとしかん以重ぶなうらやまし如是にょぜそくおうとくかんひとしこれじゅう以求矣。はたやぶかんむべ,而韓なおふくごとしんしゃ,以先おうはかざいひら,而秦たけとげこれななじゅう,以故ゆうかしこはたしかはたおさむ三川みかわちょうおさむじょうとうすわえおさむかわがいかん必亡。すわえすくえかん不能ふのう使かんほろびしかそんかんしゃすわえ也。かんやめたけとげ於秦,以河やまためふさがしょ報德ほうとく莫如すわえあつしん以為其事おう必疾。ひとしこれ所信しょしん於韓しゃ,以韓公子こうし眛為ひとしあい也。かんやめたけとげ於秦,おう甚善使つかい以齊、かんしげるぶなうらやましやましとくひとしかんこれじゅう,其主どる敢棄やまし也。こんまたえき以楚おもぶな里子さとご必言しんふくあずかすわえおかせ矣。」於是ふところおうもと,竟不あいしん,而合ひとし以善かん

83 すわえ:
じゅうよんねんばいひとし而合しんはたあきらおうはつだて,乃厚まいない於楚。すわえ往迎じゅうねんふところおういれあずかはたあきらおうめいやく於黃とげはたふくあずかすわえうえいさおじゅうろくねんひとしかんためすわえ其從おや而合於秦,さん國共こっきょうすわえすわえ使太子たいし入質にゅうしち於秦而請すくいはた乃遣きゃくきょうどおり將兵しょうへいすくいすわえ,三國引兵去。

84 すわえ:
じゅうななねんはた大夫たいふゆうわたしあずかすわえ太子たいし鬬,すわえ太子たいしころせ而亡じゅうはちねんはた乃與ひとしかんどもおさむすわえころせすわえはたから眛,わがじゅうおか而去。じゅうきゅうねんはたふくおさむすわえ大破たいはすわえすわえぐん死者ししゃまんころせわが將軍しょうぐんけいかけふところおうおそれ,乃使太子たいしためしつ於齊おさい以求たいらさんじゅうねんはたふくすわえ八城やしろはたあきらおうのこすわえおうしょ曰:「はじめ寡人あずかおうやくためおとうとけいめい于黃とげ太子たいしためしついたり驩也。太子たいしりょうころせ寡人重臣じゅうしんしゃ而亡,寡人まことかちいか使つかいへいおかせ君王くんのうあたりこん聞君おう乃令太子たいししつ於齊おさい以求たいら。寡人あずかすわえせっさかい壤界,ため婚姻こんいんしょしたがえしょうおやひさ矣。而今しんすわえ驩,のり以令諸侯しょこう。寡人ねがいあずか君王くんのうかいたけせき面相めんそうやく結盟けつめい而去,寡人ねがい也。敢以聞下執事しつじ。」すわえふところおうしんおうしょ,患之。よく往,おそれ欺;往,こわはたいかあきら雎曰:「おう毋行,而發へいもりみみはた虎狼ころう不可ふかしんじゆう并諸こうしん。」ふところ王子おうじらんすすむおうこう,曰:「柰何ぜっはた驩心!」於是往會はたあきらおうあきらおういつわりれい一將軍伏兵武關,ごうためしんおうすわえおういたるのり閉武せきとげあずか西にしいたり咸陽,あさしょうだい,如蕃しんあずか亢禮。すわえふところおうだいいか,悔不よう昭子あきこげんはたいんとめすわえおうよう以割みこ、黔中之なかのぐんすわえおうよくめいはたよくさきとくすわえおういか曰:「はたいつわりわが而又つよしようわが以地!」ふくもとしんはたいんとめ

85 すわえ:
すわえ大臣だいじん患之,乃相あずかはかりごと曰:「われおうざいはたかえよう以割,而太子たいしためしつ於齊おさいひとしはたごうはかりごとのりすわえくに矣。」乃欲りつふところ王子おうじ在國ざいこくしゃあきら雎曰:「おう與太よた俱困於諸こう,而今またばい王命おうめい而立じりつ其庶よろし。」乃詐赴於ひとしひとし湣王いい其相曰:「わかとめ太子たいし以求すわえ淮北。」あい曰:「不可ふか,郢中立ちゅうりつおうわれだきそらしつ而行不義ふぎ於天也。」ある曰:「しか。郢中立ちゅうりつおういんあずか其新おう曰『わがした東國とうごくわれためおうころせ太子たいししかはた與三よそうこく共立きょうりつ』,しかのり東國とうごく必可とく矣。」ひとしおうそつよう其相けい而歸すわえ太子たいし太子たいしよこいたりたてためおうためごろじょうおう。乃告于秦曰:「よりゆき社稷しゃしょく神靈しんれい國有こくゆうおう矣。」

86 すわえ:
ころじょうおうよこ元年がんねんはたかなめふところおう不可ふかとくすわえりつおう以應しんはたあきらおういかはつへいたけせきおさむすわえ大敗たいはいすわえぐん斬首ざんしゅまんじゅうしろ而去。ねんすわえふところおうほろび逃歸にげかえはたさとしさえぎすわえどうふところおうおそれ,乃從閒道かんどうはしちょう以求ちょうしゅちちざいだい,其子めぐみおうはつだてぎょう王事おうじおそれ敢入すわえおうすわえおうほっはしはたついいたりとげあずかしん使ふくはたふところおうとげ發病はつびょうころじょうおうさんねんふところおうそつ于秦,はた其喪于楚。すわえじんみな憐之,如悲親戚しんせき諸侯しょこうよしちょくしんはたすわえぜっ

87 すわえ:
ろくねんはた使つかいしろおこりかん於伊闕,大勝たいしょう斬首ざんしゅじゅうよんまんはた乃遺すわえおうしょ曰:「すわえばいはたはた且率諸侯しょこうすわえそう一旦いったんこれいのちねがいおう飭士そつとくいちらくせん。」すわえごろじょうおう患之,乃謀ふくあずかしんたいらななねんすわえむかえ於秦,はたすわえふくたいら

88 すわえ:
じゅういちねんひとしはたかく自稱じしょうためみかど月餘げつよ復歸ふっきみかどためおう

89 すわえ:
じゅうよんねんすわえごろじょうおうあずかはたあきらおうよしみかい于宛,ゆい和親わしんじゅうねんすわえおうあずかはたさんすすむつばめどもひとし淮北。じゅうろくねんあずかはたあきらおうよしみかい於鄢。其秋,ふくあずかしんおうかいみのる

90 すわえ:
じゅうはちねんすわえじんゆうこう以弱ゆみほろ繳加かりうえしゃごろじょうおう聞,召而といたい曰:「しょうしんこう鶀鴈,鸗,しょうはつ也,なんそくため大王だいおう道也みちや。且稱すわえだいいん大王だいおうけんしょ弋非ちょく此也。むかししゃさんおう以弋道德どうとく霸以弋戰こくはたつばめちょうしゃ,鶀鴈也;ひとし、魯、かんまもるしゃあおくび也;騶、、郯、邳者,鸗也。そと其餘そく不足ふそくしゃとりろくそう,以王なにおうなん以聖人為じんいゆみ,以勇ため繳,ちょう而射?此ろくそうしゃとく而囊載也。其樂とくあさむかしらく也,其獲とくけりかりじつ也。王朝おうちょうちょうゆみ而射だいはりみなみ其右ひじ而徑ぞく於韓,すなわち中國ちゅうごくみちぜっ而上蔡之ぐん壞矣。かえ圉之ひがしかいひだりひじ而外げきていすえのり東外ひがしそと棄而だいそうほうあずかぐんしゃ舉矣。且魏だんひじ,顛越矣;膺擊郯國,だいはりとく而有也。おう綪繳蘭臺らんだいいん西河にしがわていだいはり,此一發いっぱつらく也。わかおう於弋まことこう而不いやのりたからゆみ,碆新繳,しゃ噣鳥於東おひがしかいかえぶた長城ちょうじょう以為ぼうあさしゃひがし莒,ゆうはつ浿丘,よるそくすみ,顧據うまどうすなわち長城ちょうじょうあずまおさむ太山たいざんきた舉矣。西結にしむすぶさかい於趙而北たち於燕,さんこくぬのづるのりしたがえまちやく而可なり也。きたゆう於燕遼東りゃおとん而南のぼりのぞむ於越かい稽,此再發さいはつらく也。わかおっと泗上じゅう諸侯しょこうひだり縈而みぎはらい一旦いったん而盡也。こんはたやぶかん以為ちょうゆうとくれつじょう而不敢守也もりや而無こうげきちょう而顧びょうのりはたたかしいさむつとむこごめ矣,すわえかんちゅう、析、酈可とく而復ゆう也。おういずるたからゆみ,碆新繳,わたる鄳塞,而待しん倦也,山東さんとうかわ內可とく一也かずやろうみんきゅう眾,南面なんめんしょうおう矣。曰秦ため大鳥おおとりうみ內而しょ東面とうめん而立じりつひだりひじよりどころちょう西南せいなんみぎひじでんすわえ鄢郢,膺擊かんたかしたれあたま中國ちゅうごくしょすんでがた便びんいきおいゆう,奮翼づるぽうさん千里せんりのりはたとくどく招而よるしゃ也。」よく激怒げきどじょうおうたい以此ごとじょうおういん召與とげげん曰:「おっと先王せんおうためしんしょ欺而客死かくし於外,怨莫だい焉。こん匹夫ひっぷゆう怨,なおゆうほうまんじょうはくこう是也これやこんすわえ地方ちほう千里せんりおびかぶとひゃくまんなおあし以踴躍中野なかの也,而坐受困,しん竊為大王だいおうどる也。」於是ごろじょうおう使つかい於諸こうふくためしたがえよく以伐しんはた聞之,はつへいらいすわえ

91 すわえ:
すわえほしあずかひとしかんれんはたいんほっしゅうしゅうおう赧使たけこういいすわえしょう昭子あきこ曰:「三國以兵割周郊地以便輸,而南以尊すわえしん以為しかおっと弒共ぬししんくん大國たいこくおや;以眾おびえ寡,小國おぐに大國たいこくおや小國おぐに不可ふか以致名實めいじつ名實めいじつ不足ふそく以傷みんおっとゆうしゅうこえ所以ゆえんためごう也。」昭子あきこ曰:「乃圖しゅうそくこれ。雖然,しゅう何故なにゆえ不可ふか也?」たい曰:「ぐんおさむじょうじゅうかこえおっと一周いっしゅうためじゅうすすむおおやけところ知也ともやかん嘗以じゅう萬之眾辱於晉之城下,するどちゅうきず,而晉不拔ふばつおおやけ百韓以圖周,此天ところ知也ともやおっと怨結りょうしゅう以塞騶魯しん,交絕於齊おさいこえしつ天下でんか,其為事しごと危矣。おっと危兩しゅう以厚さんがわ方城ほうじょうそと必為かんじゃく矣。なに以知其然也?西にしあまねこれぜっちょうたんひゃくさとめいため天下でんかどもぬしきれ其地不足ふそく以肥こくとく其眾不足ふそく以勁へい。雖無おさむめいため弒君。しか好事こうじきみおさむしんはつごう用兵ようへい嘗不以周ため終始しゅうしなん也?祭器さいきざい焉,よくいたり而忘弒君らんこんかん以器ざいすわえしんおそれ天下でんか以器讎楚也。しん請譬おっととらにく臊,其兵にんなおおさむ也。わか使つかい澤中さわなかおうしかこうむとらかわにんおさむまん於虎矣。きれすわえそく以肥こく;詘楚めいそく以尊ぬし今子いまこすすむ以欲誅殘天下でんかきょうあるじきょさんだいつて,吞さんろくつばさ,以高ぬしむさぼ而何?《しゅうしょ》曰『よくおこりさき』,うつわみなみそくへいいたり矣。」於是すわえけい輟不ぎょう

92 すわえ:
じゅうきゅうねんはたすわえすわえぐんはいわりうえいさおかん北地きたじしんじゅうねんはたすすむしろおこり拔我西陵せいりょうじゅういちねんはたすすむしろおこりとげ拔我郢,しょう先王せんおうえびすりょうすわえじょうおうへいとげふくせん東北とうほく於陳じょうじゅうねんはたふく拔我みこ、黔中ぐん

93 すわえ:
じゅうさんねんじょうおう乃收ひがしへいとくじゅうあまりまんふく西にししんしょ拔我こうつくりじゅう邑以ためぐん,距秦。じゅうななねん使つかいさん萬人助三晉伐燕。ふくあずかしんたいら,而入太子たいしためしつ於秦。すわえ使ひだりさむらい太子たいし於秦。

94 すわえ:
さんじゅうろくねんごろじょうおうびょう太子たいしほろびあきごろじょうおうそつ太子たいしぐまもとだいりつためこうれつおうこうれつおう以左ためれいいんふう以吳,ごうはるさるくん

95 すわえ:
こうれつおう元年がんねんおさめしゅう于秦以平いたいらすわええきじゃく

96 すわえ:
ろくねんはたかこえ邯鄲かんたんちょうつげきゅうすわえすわえ將軍しょうぐんけいすくいちょうななねんいたり新中しんなかしんへいじゅうねんはたあきらおうそつすわえおう使はるさるくんちょうほこら于秦。じゅうろくねん秦莊はたしょうじょうおうそつはたおうちょうまさしりつじゅうねんあずか諸侯しょこうどもはた不利ふり而去。すわえひがし徙都ことぶきはるいのち曰郢。

97 すわえ:
じゅうねんこうれつおうそつかそけおう悍立。えんころせはるさるくんかそけおうさんねんはたたかしすわえしんしょうりょ韋卒。きゅうねんはためつかんじゅうねんかそけおうそつ同母どうぼおとうとなおだいだてためあいおうあい王立おうりつがつあまりあいおう庶兄芻之かさねころせあいおう而立じりつ芻為おうこれさいはたとりこちょうおう遷。

98 すわえ:
おう芻元ねんつばめ太子たいし使荊軻とげしんおうねんはた使つかい將軍しょうぐんすわえ大破たいはすわえぐんほろびじゅうあまりじょうさんねんはためつよんねんはたすすむおう翦破ぐん於蘄,而殺將軍しょうぐんこうつばめ

99 すわえ:
ねんはたすすむおう翦、こうむとげやぶすわえこくとりこすわえおう芻,めつすわえめいためすわえぐんうん

100 すわえ:
ふとしおおやけ曰:すわえれいおうかたかい諸侯しょこう於申,誅齊けいふうさくあきらはなだいもとめしゅうきゅうかなえときこころざししょう天下でんか;及餓死がし于申いえため天下でんかわらい操行そうこう,悲夫!いきおい於人也,まきあずか?棄疾以亂立らんりつ,嬖淫しんおんな,甚乎哉,いくさい亡國ぼうこく

URN: ctp:shiji/chu-shi-jia