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Shiji : 世家 : 韓世家 - Chinese Text Project
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かん

Books referencing 《かん Library Resources
1 かん:
かんこれさきあずかしゅう同姓どうせいせいひめ。其後苗裔びょうえいごとすすむとくふう於韓ばら,曰韓武子たけし武子たけし三世有韓厥,したがえふうせいためかん

2 かん:
かん厥,すすむけいこうさんねんすすむ寇屠がん賈將さくみだれ,誅靈こうぞくちょうたてちょうたてやめ矣,よく誅其ちょうさくかん厥止賈,賈不聽。厥告ちょうさくれいほろびついたち曰:「必能ぜっちょうまつ恨矣。」かん厥許。及賈誅趙,厥稱やまし不出ふしゅつほど嬰、公孫こうそん杵臼きなうすぞうちょうちょう武也たけや,厥知

3 かん:
けいこうじゅういちねん,厥與郤克將兵しょうへいはちひゃくじょうひとしはいひとしころおおやけ于鞍,逢丑ちち。於是晉作しんさくろくきょう,而韓厥在いちきょうくらいごうためけんじ

4 かん:
すすむけいこうじゅうななねんやめぼく大業おおわざとげしゃためたたりかん厥稱ちょうしげる季之としゆきこう今後こんごまつ,以感けいこうけいこうとい曰:「なおゆう乎?」厥於げんちょうたけし,而復あずかちょう氏田うじた邑,ぞくちょうまつ

5 かん:
すすむ悼公じゅう)[ななねんかんけんじろうけんじそつ宣子のぶこだいせん徙居しゅう

6 かん:
晉平しんぺいおおやけじゅうよんねんさつ使すすむ,曰:「すすむ國之くにゆきせいそつ於韓、ちょう矣。」すすむごろおおやけじゅうねんかん宣子のぶこあずかちょうどもぶん祁氏、ひつじしたじゅうけんすすむていおおやけじゅうねん宣子のぶこあずかちょう簡子おかせ范、なかこう宣子のぶこそつ貞子さだこだいりつ貞子さだこ徙居ひら

7 かん:
貞子さだこそつ簡子だい。簡子そつそうだいそうそつ康子やすこだい康子やすこあずかちょうじょう桓子どもはいはくふん其地,えきだいだい於諸こう

8 かん:
康子やすこそつ武子たけしだい武子たけしねんていころせ其君かそけおおやけじゅうろくねん武子たけしそつけいこうりつ

9 かん:
けいほうけん元年がんねんてい雍丘。ねんていはいわがきび

10 かん:
ろくねんあずかちょう俱得れつため諸侯しょこう

11 かん:
きゅうねんていかこえわが翟。けいこうそつ列侯れっこう取立とりたて

12 かん:
列侯れっこうさんねん,聶政ころせかんしょう俠累。きゅうねんはたわがよろしろく邑。じゅうさんねん列侯れっこうそつぶんこうりつとしぶんこうそつ

13 かん:
ぶんこうねんていじょうそういた彭城,そうくんななねんひとしいたりくわおかていはんすすむきゅうねんひとしいたりれいおかじゅうねんぶんこうそつあいこうりつ

14 かん:
あいこう元年がんねんあずかちょうぶんすすむこくねんめつていいん徙都てい

15 かん:
ろくねんかんいわお弒其くんあいこう。而子懿侯りつ

16 かん:
懿侯ねんはいわがうまりょうねんあずかめぐみおうかいたくきゅうねんはいわが澮。じゅうねん,懿侯そつあきらこうりつ

17 かん:
あきらこう元年がんねんはたはいわが西山にしやまねんそうわがしゅろくねんあずまあまねりょうかん、邢丘。

18 かん:
はちねんさるがいしょうかんおさむじゅつ行道ぎょうどうくに內以諸侯しょこうらいおかせ

19 かん:
じゅうねんかんひめ弒其くん悼公。じゅういちねんあきらこう如秦。じゅうねんさるがいじゅうよんねんはたらい拔我むべ

20 かん:
じゅうねんひでりさくだかもんこごめよろしうす曰:「あきらこう不出ふしゅつ此門。なに也?不時ふじわれ所謂いわゆるときしゃ時日じじつ也,にんかた有利ゆうり不利ふりあきらこう嘗利矣,不作ふさくだかもん往年おうねんしん拔宜今年ことしひでりあきらこう以此卹民きゅう,而顧えきおご,此謂『とき絀舉贏』。」じゅうろくねん高門たかかどなりあきらこうそつはて不出ふしゅつ此門。せんめぐみ王立おうりつ

21 かん:
せんめぐみおうねんちょうただししょうしんはちねんはいわがはたかん舉。じゅういちねんくんごうためおうあずかちょうかいねずみじゅうよんはたはいわが鄢。

22 かん:
じゅうろくねんはたはいわがおさむぎょとりことくかんすすむ鯁、さる於濁さわかんきゅうおおやけなかいいかんおう曰:「與國よこく恃也。こんしんほしすわえひさ矣,おう如因ちょうただしため於秦,まいないいちめいかぶとあずかこれみなみすわえ,此以いちえきけい也。」かんおう曰:「ぜん。」乃警こう仲之なかのゆきはた西にし購於しんすわえおう聞之だいおそれ,召陳軫告ひね軫曰:「はたほしすわえひさ矣,いままたとくかんめいいち而具かぶとはたかん并兵而伐すわえ,此秦しょ禱祀而求也。いまやめとく矣,すわえこく必伐矣。おう聽臣為之ためゆき警四さかい內,おこりげんすくいかんいのち戰車せんしゃ滿まん道路どうろ發信はっしんしん其車,じゅう其幣,使つかいしんおうすくえおのれ也。たてかん不能ふのう聽我,かん必德おう也,必不為ふためかりぎょう以來いらいはたかん和也かずやへい雖至,すわえ大病たいびょう也。ためのう聽我ぜっ於秦,はた必大いか,以厚怨韓。かんみなみ交楚,必輕しんけいはた,其應しん必不けいいんはたかんへい而免すわえこく患也。」すわえおう曰:「ぜん。」乃警よんさかい內,きょうげんすくいかんいのち戰車せんしゃ滿まん道路どうろ發信はっしんしん其車,じゅう其幣。いいかんおう曰:「こくこく雖小,やめ悉發矣。ねがい大國たいこくとげ肆志於秦,こくはた以楚殉韓。」かんおう聞之だいせつ,乃止こう仲之なかのゆきおおやけなか曰:「不可ふかおっと以實わがものはた也,以虛めいすくいしゃすわえ也。おう恃楚虛名きょめい,而輕ぜっつよししんてきおう必為天下でんかだいわらい。且楚かん兄弟きょうだいくに也,またもとやく而謀しん也。やめゆうかたちいんはつへいげんすくいかん,此必ひね軫之はかりごと也。且王やめ使じんほう於秦矣,こんくだり欺秦也。おっとけい欺彊しん而信すわえはかりごとしんおそれおう必悔。」かんおう聽,とげぜっ於秦。はたいんだいいかえきかぶとかん大戰たいせんすわえすくいいたりかんじゅうきゅうねん大破たいはわがきしもん太子たいしくらただし於秦以和。

23 かん:
じゅういちねんあずかしんどもおさむすわえはいすわえはたこごめ丐,斬首ざんしゅはちまん於丹これさいせんめぐみおうそつ太子たいしくらりつためじょうおう

24 かん:
じょうおうよんねんあずかはたたけしおうかい臨晉。其秋,はた使つかいあましげるおさむわがよろしねんはた拔我むべ斬首ざんしゅろくまんはたたけしおうそつろくねんはたふくあずかわがとげきゅうねんはたふくわがとげじゅうねん太子たいし嬰朝しん而歸。じゅういちねんはたわがみのるあずかはたすわえはいすわえはたから眛。

25 かん:
じゅうねん太子たいし嬰死。公子こうしとがめ公子こうし蟣蝨そうため太子たいしとき蟣蝨しつ於楚。だいいいかんとがめ曰:「蟣蝨ほろびざいすわえすわえおうよく內之甚。こんすわえへいじゅうあまりまん在方ざいかたじょうそとおおやけなんれいすわえおう筑萬室之都雍氏之旁,かん必起へい以救おおやけ必將矣。おおやけいん以韓すわえへいたてまつ蟣蝨而內,其聽こう必矣,必以すわえかんふう公也きみや。」かんとがめしたがえ其計。

26 かん:
すわえかこえ雍氏,かんもとむすくい於秦。はたためはつ使つかい公孫こうそん昧入かんおおやけなか曰:「以秦ため且救かん乎?」たい曰:「しんおうげん曰『請道みなみてい藍田あいだ出兵しゅっぺい於楚以待こう』,殆不あい矣。」おおやけなか曰:「以為はて乎?」たい曰:「しんおう必祖ちょうただし故智こちすわえおうおさむはり也,ちょうただしいいしんおう曰:『あずかすわえおさむおり而入於楚,かんかた其與こく也,しん也。出兵しゅっぺい以到すわえ大戰たいせんはた西河にしがわそと以歸。』こん其狀げんあずかかん,其實かげぜんすわえおおやけまちしん而到,必輕あずかすわえせんすわえかげとくしん不用ふよう也,必易あずかおおやけしょうささえ也。おおやけせん而勝すわえとげあずかおおやけじょうすわえほどこせさんがわ而歸。おおやけせんかちすわえすわえふさが三川みかわ守之もりゆきおおやけ不能ふのうすくい也。竊為こう患之。司馬しばかのえさんはん於郢,あましげるあずかあきらぎょぐう於商於,其言おさむ璽,るいゆうやく也。」おおやけなかおそれ,曰:「しかのり柰何?」曰:「おおやけ必先かん而後しんさき而後ちょうただしおおやけ如亟以國あい於齊おさいすわえひとしすわえ必委こく於公。おおやけこれしょ惡者わるものちょうただし也,其實なおしん也。」於是すわえかい雍氏かこえ

27 かん:
だいまたいいはたふとしきさきおとうと羋戎曰:「おおやけ叔伯嬰恐しんすわえ內蟣しらみ也,おおやけなん不為ふためかんもとむしつ於楚?すわえおう入質にゅうしち於韓,のりこう叔伯嬰知しんすわえ以蟣しらみ為事しごと,必以かんあい於秦すわえはたすわえはさみかん以窘たかし敢合於齊おさいひとし也。おおやけまたためはたもとむしつ於楚,すわえ聽,怨結於韓。かんはさみひとし以圍すわえすわえ必重こうおおやけはさみしんすわえじゅう以積とく於韓,おおやけ叔伯嬰必以國まちこう。」於是蟣蝨竟不とくかえりかんかんたてとがめため太子たいしひとしおうらい

28 かん:
じゅうよんねんあずかひとしおうどもげきしんいたりはこたに而軍焉。じゅうろくねんはたあずかわがかわがい及武とげじょうおうそつ太子たいしとがめりつため釐王。

29 かん:
釐王さんねん使つかい公孫こうそんりつしゅうおさむしんはたはいわがじゅうよんまんとりこ闕。ねんはた拔我あてろくねんあずかはたたけしとげひゃくさとじゅうねんはたはい夏山なつやまじゅうねんあずかはたあきらおうかい西にししゅう而佐はたおさむひとしひとしはい,湣王ほろびじゅうよんねんあずかしんかいりょうしゅうあいだじゅういちねん使つかい暴捐すくいためしんしょはい,捐走開封かいふう

30 かん:
じゅうさんねんちょうおさむわが華陽かようかんつげきゅう於秦,はたすくいかん相國しょうこくいいひね筮曰:「こときゅうねがいこう雖病,ためいち宿しゅくこれぎょう。」ちん筮見みのるこうみのるこう曰:「こときゅう乎?使つかいこうらい。」ちん筮曰:「きゅう也。」みのるこういか曰:「以為こうおも使乎?おっとかんむりぶたしょうもちつげ敝邑甚急,おおやけらいげんきゅうなに也?」ちん筮曰:「かれかんきゅうのりはたへん而佗したがえ,以未きゅうふくらいみみ。」みのるこう曰:「おおやけおう,請今はつへいすくいかん。」はちにち而至,はいちょう於華したこれさい,釐王そつ桓惠王立おうりつ

31 かん:
桓惠おう元年がんねんつばめきゅうねんはた拔我陘,しろ汾旁。じゅうねんはたげきわが於太ぎょうわがうえとうぐんもり以上いじょうとうぐんくだちょうじゅうよんねんはた拔趙じょうとうころせふくそつよんじゅうあまりまん於長たいらじゅうななねんはた拔我じょうきびじゅうねんはたあきらおうそつじゅうよんねんはた拔我じょう皋、滎陽。じゅうろくねんはた悉拔わがうえとうじゅうきゅうねんはた拔我じゅう三城みき

32 かん:
さんじゅうよんねん,桓惠おうそつおう安立あんりゅう

33 かん:
おうやすねんはたおさむかんかんきゅう使つかいかん使つかいしんはたとめいんころせこれ

34 かん:
きゅうねんはたとりこおうやすつきにゅう其地,ため潁州ぐんかんとげほろび

35 かん:
ふとしおおやけ曰:かん厥之かんすすむけいこう,紹趙之子ゆきこたけ,以成ほど嬰、公孫こうそん杵臼きなうすよし,此天下之したのかげ德也とくやかんこう,於晉睹其だいしゃ也。しかあずかちょうおわりため諸侯しょこうじゅうせいむべ乎哉!

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