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づか

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
中山道なかせんどう垂井たるい一里塚いちりづか
アルゼンチンプエルトデセアドみなみにある貝塚かいづか

づか(つか、きゅう字体じたいづか󠄁英語えいご: Mound)とは、その周囲しゅうい地面じめんより、こんもりとまるがった場所ばしょし、具体ぐたいてきにはなにかが集積しゅうせき堆積たいせきしたがりや、ちいさなやまおか古墳こふんなどである。または、それらの場所ばしょや、特別とくべつ意味いみのある場所ばしょに、建立こんりゅうされた石造せきぞう木造もくぞうなどのほこらとういしぶみなど。

遺跡いせきとしてのづか古墳こふん(こふん Kofun)・塚山つかやま(つかやま Barrow)・墳丘ふんきゅう(ふんきゅうぼ Tumulus)を参照さんしょう。その人工じんこうてき地盤じばんがり(Mound)は、るい盛土もりつち参照さんしょう

概要がいよう

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はかづか関係かんけい

づかには、かならずしも遺骸いがい埋葬まいそうされているとはかぎらず、身分みぶんのある一族いちぞく埋葬まいそうされていることすことがおおとうといものとされている。通常つうじょう家系かけい戸主こしゅまもつたえる私的してきはかではなく、ひろまんにんとむらうようなはかをさし、れい信仰しんこう枠組わくぐみからはずれてしまうような、縁故えんこのないものたましいまつったはかづか(ぎちょう)と特別とくべつ呼称こしょうした。一方いっぽう特定とくてい多数たすう縁故えんこのないものたましい霊魂れいこん)だけでなく、無念むねんってんだ有力ゆうりょくしゃなどを積極せっきょくてきまつり、づかまんにん鎮魂ちんこん信仰しんこうした側面そくめんもある。古墳こふん時代じだい朝廷ちょうてい豪族ごうぞくはかとされる古墳こふんも、その形状けいじょうからだけでなくまんにん慰霊いれいしたことが、名称めいしょうづかおおもちいられている理由りゆうともかんがえられる。

伏見ふしみ稲荷いなり大社たいしゃの「おづか」のひと
信仰しんこう

具体ぐたいてきには日本にっぽん民間みんかん信仰しんこうである神道しんとうに、密教みっきょう道教どうきょう陰陽いんようぎょう思想しそうなどとの習合しゅうごうした様々さまざま信仰しんこうにおいて、祈願きがん祈念きねん感謝かんしゃ慰霊いれい記念きねんとして、おおくは小高こだかったうえ建立こんりゅうした自然しぜんのままのいわほこら木造もくぞう石造せきぞう)や石塔せきとうなどのいしぶみである。

神道しんとう由来ゆらいする観念かんねんとして、無念むねんったものたましい神霊しんれいとなり、こうぶるかみにならぬようまつったものでもあり、神道しんとう根幹こんかんをなす、万物ばんぶつかみいのち宿やどるという観念かんねんから、感謝かんしゃ祈願きがんをこめて器物きぶつ道具どうぐなど)やものまつったものでもある。

結界けっかいかみ習合しゅうごう
さるせき山王さんのう権現ごんげんおんな

古事記こじきイザナギイザナミが、常世とこよ(とこよ・黄泉よみくに)からかえときに、鬼神きじんふせぐために、「千引せんびきがん」(ちびきのいわ)を結界けっかいとしてもちいたことと、いわさかいいわ信仰しんこう)がむすびつき、「結界けっかいかみ」である「さいかみ」(さいのかみ・こうかみ)がうまれ、づか結界けっかいとしての意味いみつようになっていき、いわ信仰しんこうから派生はせいしたといわれる石造せきぞうおもとしたものになっていった。さる田彦たびこだまし、ニニギノミコト道案内みちあんないをさせ、のち夫婦ふうふとなったアメノウズメ神話しんわから「衢神」(ちかたのかみ・ちまたのかみ)という「みちかみ」がうまれ、「さいかみ」とわせてこのふたつが習合しゅうごう道祖神どうそじん信仰しんこうとなり、この道祖神どうそじんにとなっていった。道祖神どうそじん信仰しんこうたび無事ぶじ祈願きがんした「手向とうげしん」(たむけのかみ)とも習合しゅうごうし、一里塚いちりづかとうげづかなど集落しゅうらくからはなれた場所ばしょにも、づか建立こんりゅうされるようになった。

(「○○づか」という表記ひょうきがまったくおなじでも、その建立こんりゅうされた意図いと意味いみ場所ばしょ別々べつべつ)がちがうものもあり、様々さまざまである。れいとして「ひめづか」は古墳こふん名称めいしょうであるづかと「とあるひめ」がくなったことを祈念きねんした「ひめづか」がある。項目こうもく分類ぶんるい便宜べんぎてきなものであり、密教みっきょうづかのように信仰しんこうかかわる祈念きねんとしての側面そくめんつものや、くじらづかのように感謝かんしゃだけでなく慰霊いれい側面そくめんつものもある)

祭礼さいれい

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古来こらいから日本にっぽんでは、森羅万象しんらばんしょう神霊しんれいいのち宿やどかんがえてきた。これは、文化ぶんか人類じんるいがくにおけるアニミズムろんでもいわれるように、世界中せかいじゅう初期しょき文明ぶんめいにおいて、押並おしなべて自然しぜん発生はっせいてきまれた信仰しんこうおなじくするものである。神道しんとうともいい、その起源きげんかっているだけでも、縄文じょうもん時代じだいまでさかのぼり、縄文じょうもん神道しんとうともいわれるが、封建ほうけん社会しゃかい近代きんだいしてもなお、このような原始げんし宗教しゅうきょうともいわれる世界せかいかんわせるくにすくなく、づか建立こんりゅう日本にっぽん独特どくとくはぐくまれてきた観念かんねんからの祭礼さいれいでもある。づからした一族いちぞくではないのふとどきしゃばちけ、一族いちぞくとははなれた場所ばしょちいさなづかつくり、ほうむられることもしばしばあった。

まつり・記念きねん

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高名こうみょう人々ひとびと足跡あしあと業績ぎょうせきたいし、敬意けいい信望しんぼうからたてまつった(たてまつった)ものや、人々ひとびと安寧あんねいねがい、ある信仰しんこう思想しそう流布るふ象徴しょうちょう経塚きょうづかさけづかなど)として建立こんりゅうされたづかである。

  • はれ明塚あかつか - はれ明塚あかつかとは嵯峨さが嵐山あらしやまはれあきら神社じんじゃなどにあり、安倍晴明あべのせいめい時代じだい後世こうせい祈祷きとういたる安倍晴明あべのせいめい祖師そしとして祈念きねんし、日本にっぽん各地かくちてたづか
  • 芭蕉ばしょうづか - 芭蕉ばしょうづかとは松尾まつお芭蕉ばしょうんだった日本にっぽん各地かくちでそれらを記念きねんしててられたづか
    • みのづか(みのつか) - 新潟にいがた中央ちゅうおう西堀にしぼり善導寺ぜんどうじそうげんてらにあり、松尾まつお芭蕉ばしょうがこの土地とちったことを記念きねんして後世こうせい建立こんりゅうされたふるくなったみの道具どうぐづかでもあるが、なぜみのなのかはかっていないが「うみる あめこいしき うわ宿やど」というをこのおとずれたときんだといわれていて「あめ」の一文いちぶんみの関連かんれん示唆しさされる。
    • 綿弓わたゆみづか(わたゆみつか) - 1684ねん貞享ていきょう元年がんねん)に松尾まつお芭蕉ばしょう門人もんじん一人ひとりである千里せんりえん(ゆかり)の葛城かつらぎ竹内たけうちで「綿弓わたゆみ琵琶びわになぐさむたけのおく」というんだ。これを記念きねんして千里せんり屋敷やしきあと興善こうぜんあん1809ねん文化ぶんか6ねん)に句碑くひてられた。
    • 笠塚かさづか(かさづか) - 栃木とちぎけん鹿沼かぬまにある曹洞宗そうとうしゅうてらひかり太寺たいでらには、られたうえ石碑せきひがあり、「芭蕉ばしょう居士こじ 嵐雪らんせつ居士こじ」とられている。このてら芭蕉ばしょうったさいわすれていったかさを、芭蕉ばしょう死後しごめてとむらったもので笠塚かさづかばれている。ただし石塚いしづか後世こうせい建立こんりゅうされたもので背後はいごにあるいわ本来ほんらい笠塚かさづかわれている。
  • 法華ほっけづか - 法華ほっけづかとは経塚きょうづかひとつでもあり、法華経ほけきょうづかともいい日蓮にちれん伊豆いず流刑りゅうけいされていたとき鎌倉かまくら生誕せいたんである安房あわこくおも安寧あんねい仏教ぶっきょうこうまりを祈念きねんし、写経しゃきょうした法華経ほけきょうめたづか

まつり・慰霊いれい

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福岡ふくおかひがし志賀島しかのしまこうむづか

神道しんとう神道しんとうにおいて、神霊しんれいふたつ(よんたましいというかんがえもある)の様相ようそう荒御魂あらみたま(あらみたま)・和御魂にぎみたま(にぎみたま)ともいい、くるときなごやかないたときがあり、わざわいぶくをもたらすとかんがえられている。またれい信仰しんこう自然しぜん崇拝すうはいから、無念むねんともなってくなった生命せいめい荒御魂あらみたまになり、わざわいをもたらすこともあるとかんがえていたので、その御霊代みたましろ(みたましろ・だい)としてづか建立こんりゅう慰霊いれいして歴史れきしがある。「まつり」の本来ほんらい漢字かんじ意味いみ慰霊いれいである。

  • くびづか - くびづかとは戦場せんじょうたたかいにおいてさばかれたりくなった人々ひとびとくび埋葬まいそうちょういやこうぶるかみにならないようまつったづか戦場せんじょうではてき味方みかた区別くべつ建立こんりゅうされたものもある。
  • どうづか - どうづかとは戦場せんじょうたたかいにおいてくなった人々ひとびと胴体どうたいあつめて埋葬まいそうちょういやこうぶるかみにならないようまつったづか
  • かたなづか - かたなづかとは戦場せんじょうたたかいにおいてくなった人々ひとびと武具ぶぐあつめて埋葬まいそうとむらまつったづか戦場せんじょうあとでのかたな泥棒どろぼうなどから遺品いひんまもったというせつもある。
  • こうむづか - こうむづかとはもと寇(こうむ襲来しゅうらいのときに戦場せんじょうたたかいにおいてくなったこうむふる人々ひとびと埋葬まいそうちょういやこうぶるかみにならないようまつったづか

まつり・感謝かんしゃ

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室町むろまち時代ときよころから軽工業けいこうぎょう発達はったつにより、都市とし中心ちゅうしんに、消費しょうひ社会しゃかい傾向けいこうはじめていた。それまでは、自然しぜん崇拝すうはいれい崇拝すうはいであった観念かんねんが、家畜かちく器物きぶつ生活せいかつ道具どうぐ)にまでおよび、「もの」を粗末そまつにしないようにとのおもいから、づけ喪神そうしんなどの神霊しんれい観念かんねんまれ、江戸えど時代じだいまでがれた。そして、昨今さっこん研究けんきゅうによれば、江戸えど時代じだい世界せかいれいない資源しげん還元かんげんリサイクル社会しゃかいであったといわれている。

  • くじらづか - くじらづかとはながくじらくじらなどを受動じゅどうてき捕鯨ほげいした地域ちいき捕鯨ほげい生業せいぎょうにしている地域ちいきにおいてくじら感謝かんしゃとむらまつったづか類似るいじするものとしてくじらくじらくじら供養くようとうなどが日本にっぽん各地かくち存在そんざいする。くわしくは捕鯨ほげい文化ぶんか参照さんしょう
  • 道具どうぐづか - 道具どうぐづかとは普段ふだん使つかっている生活せいかつ道具どうぐ使用しようできない状態じょうたいになったとき感謝かんしゃめてめたり、様々さまざま職業しょくぎょう道具どうぐ感謝かんしゃしそのしょく技術ぎじゅつ向上こうじょう祈願きがんしててられたづか
  • 庖丁ほうちょうづか包丁ほうちょうづか) - 庖丁ほうちょうづかとは使つかふるされたり使つかえなくなってしまった包丁ほうちょう感謝かんしゃめてめたり、包丁ほうちょうさばきの技術ぎじゅつ向上こうじょう祈願きがんしててられたづか。または、庖丁ほうちょうはふるくはかたな転用てんようしてつくられておりたましいれなければ使用しようできなかったその入魂じっこんのためのづか
  • 人形にんぎょうづか - 人形にんぎょうづかとはふるくなったりかざることが出来できなくなった人形にんぎょう感謝かんしゃしてめたり、身代みがわりとしてやくとす祈願きがんをした人形にんぎょうめたづか

境界きょうかい

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神道しんとう世界せかいかんは、現実げんじつ世界せかいとしての現世げんせい(うつしよ)と神域しんいきかみくに死後しご世界せかいとしての常世とこよ(とこよ)・(かそけ「かくりよ」とも)にかれており、かみ奈備(かむなび)やいわさかい(いわさか)やかみませ(ひもろぎ)などは、その神域しんいきとのはしさかいであるとかんがえられ、結界けっかいとしての注連縄しめなわられ、ときには禁足きんそくともなった。場所ばしょだけでなく、逢魔時おうまがとき丑三うしみのように、いちにち時刻じこくにもその神域しんいきさそう、はしさかいがあるとかんがえられた。これらが時代じだいるにしたがい、みち形状けいじょう特徴とくちょうてきみねとうげさかや、ときにははしもんむらさかいまちさかいなどの集落しゅうらく境界きょうかいや、みち交差こうさするつじなども、その神域しんいきとのはしさかいかんがえられた。

道標どうひょう

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長野ながのけん軽井沢かるいざわまち道祖神どうそじん

もともとは、「みちまよわないよう」にとつくられた道標どうひょう(みちしるべ)でもあるが、「集落しゅうらくわざわいおよばないよう」にとのおもいからの結界けっかいでもある。同時どうじに、たびみちすがらの安全あんぜんねがって建立こんりゅうされたづかや、それにるいする石造いしづくりのぞうが、今日きょうでも信仰しんこうされ路傍ろぼうにひっそりとたたずんでいる。

権利けんり紛争ふんそう

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入山いりやまけんやま帰属きぞくむらさかいまちさかいをめぐって紛争ふんそうがあり、人々ひとびと無念むねんおもいや被害ひがいがあったことや、その場所ばしょがいわゆる神域しんいきなどの神聖しんせい場所ばしょであったことから、そこに宿やどかみ紛争ふんそういのちとしたものにたいして、まつったづか日本にっぽん各地かくち存在そんざいする。

ひと動物どうぶつ集積しゅうせき

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基本きほんてきには、なにかがあつまった状態じょうたいで、ひとものによってきずかれる小山こやまも、づかといった。みずづか見方みかたえれば、緊急きんきゅうのための食料しょくりょう集積しゅうせきした貯蔵庫ちょぞうこであるし、密教みっきょうづか宗教しゅうきょうてき意味合いみあいもあるが、貝塚かいづか同様どうよう残滓ざんし集積しゅうせきでもある。

残滓ざんし

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  • 貝塚かいづか - ふる時代じだい遺跡いせきとしても有名ゆうめい世界せかい各地かくち海浜かいひんでみられ文字通もじどおり、かい中心ちゅうしんとした食物しょくもつ残滓ざんし堆積たいせきしたものである。くわしくは「貝塚かいづか」を参照さんしょう
  • わらづか - わらづかとはわらぐろ、わらしょうせきなどともばれる。べい収穫しゅうかくえ、のこったいねわら利用りようするため集積しゅうせき保存ほぞんした状態じょうたい。ちなみに利用りようれいとしては注連縄しめなわ草鞋わらじ納豆なっとうゆかスサたたみゆかべいたわら飼料しりょう肥料ひりょうなど多岐たきわたる。
  • 草鞋わらじづか - 草履ぞうりづかとはいねわら利用りようでありひとうしうま明治めいじ以前いぜん蹄鉄ていてつではなかった)のいていた草鞋わらじ肥料ひりょうにするため集積しゅうせき保存ほぞんした状態じょうたい
  • 密教みっきょうづか - 密教みっきょうづかとは疫病えきびょう流行はやったときいえ家財道具かざいどうぐをすべてやしてうつむということが、ふるくからおこなわれていた。そのことを祈念きねんのこったはいあつめてめた場所ばしょとされる。

食料しょくりょう貯蔵ちょぞう

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  • みずづか - みずづかとは群馬ぐんまけん地方ちほうにみられる水害すいがいのときの避難ひなん施設しせつであり、つちうえ木造もくぞうかいてのとうじょう建物たてもので1かい味噌みそ食料しょくりょう貯蔵ちょぞう家財道具かざいどうぐ一時いちじ保管ほかん場所ばしょで2かい居住きょじゅう空間くうかんとなっている。そのにも堤防ていぼう利用りようしたものや、かならずしもつちうえにないものなど様々さまざま形態けいたいがある。

生物せいぶつ活動かつどう

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ヨーロッパモグラのモグラづか
  • 土竜むぐらもちづか(モグラづか) - モグラづかとはモグラ生活せいかつ活動かつどうあとであり地中ちちゅうから時々ときどき地面じめんちかくにてきたときにがった場所ばしょをさす。
  • 蟻塚ありづか(アリづか) - 蟻塚ありづかとはシロアリつくるために体液たいえき植物しょくぶつぜてつくったとうじょうやま
  • くそづか(フンづか) - くそづかとはタヌキなどの動物どうぶつマーキング習性しゅうせいとしてまった場所ばしょくそをしたためにやまじょうになった場所ばしょ

関連かんれん項目こうもく

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づか類例るいれい

そのづか

外部がいぶリンク

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