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系図 - Wikipedia

系図けいず(けいず、英語えいご: family tree)は、ある一族いちぞく代々だいだい系統けいとうあらわした図表ずひょう

系譜けいふ(けいふ)ともいうが、系譜けいふった場合ばあい血縁けつえん関係かんけいのみならず、学芸がくげい師匠ししょうから弟子でしへの師承ししょう関係かんけいあらわした図表ずひょうをいう場合ばあいおおい。なお、特定とくていいえ家督かとく相続そうぞく継承けいしょう系統けいとう家系かけい)をしるした系図けいず家系かけい(かけいず)、いえ(かふ)ともいう。

系図けいず調査ちょうさ作成さくせいするいとなみを「系譜けいふがく」(英語えいご: genealogy)という。

概要がいよう

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系図けいずは、その作成さくせい用途ようとによって、家系かけいのみならず、その家系かけいちゅう人物じんぶつなま没年ぼつねんさい高官こうかんなどをれたりする。日本にっぽん江戸えど時代じだいいえのように、詳細しょうさい経歴けいれきれたものもある。また養子ようしとして家督かとくまましいだしゃしるすため、家系かけいとしての系図けいずは、かならずしも血筋ちすじ血統けっとう)と同義どうぎではない。

その形態けいたいは、現代げんだい日本にっぽんでよくられる個人こじん名前なまえせんつなげて親子おやこ関係かんけいしめしたものや、中国ちゅうごく朝鮮ちょうせん歴史れきししょぞくられるように上段じょうだんから下段げだんけて世代せだい関係かんけいしめしたひょう形状けいじょうをなすもの、西にしアジアイスラームイスラム教いすらむきょう社会しゃかいられるように名前なまえれたえんがたじょうつらねたものなど様々さまざまである。

また、女性じょせいあつかかた系図けいずによって多様たようである。家系かけいのこ社会しゃかいおおくは男系だんけい男子だんし血統けっとう男子だんし血筋ちすじ)をおもんじる社会しゃかいであり、中国ちゅうごく正史せいしせる系図けいずでは男性だんせいのみをしめすものがおおいが、朝鮮ちょうせんぞくではむすめとその婚姻こんいんさきしるすものもある。また、日本にっぽん系図けいずでは一人ひとりいちにん男性だんせい婚姻こんいん相手あいてしるわりに、母親ははおやについては明示めいじされないことがおおいが、ヨーロッパでは婚姻こんいん相手あいて母親ははおやをはっきりれる。このような女性じょせいあつかかたちがいは、女性じょせい身分みぶんちがい、嫡出ちゃくしゅつ嫡出ちゃくしゅつあつかいのちがいなど、それぞれの社会しゃかい固有こゆう家族かぞく制度せいど濃厚のうこう反映はんえいしている。

日本にっぽんにおける系図けいず

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日本にっぽんは、中国ちゅうごく大陸たいりく朝鮮半島ちょうせんはんとうとはことなり、科挙かきょなどの試験しけんによる採用さいようではなく、律令りつりょう体制たいせい崩壊ほうかいは、一切いっさい家業かぎょういえげいくにであるといえる。公家くげ武家ぶけはもとより、あかりほう博士はかせ文章ぶんしょう博士はかせなどの文官ぶんかんなども、それぞれそれを家業かぎょうとする一族いちぞく従事じゅうじした。公家くげ藤原ふじわら一族いちぞくはじめ、嵯峨さがはじめ村上むらかみはじめそのほかであり、武家ぶけ清和せいわはじめ桓武かんむたいらじんりゅう藤原ふじわらしゅうきょうりゅう藤原ふじわらみちけんりゅう藤原ふじわらみなもととおるりゅう嵯峨さがはじめ大江おおえたちばなその文官ぶんかん坂上さかがみ中原なかはら大江おおえその有名ゆうめいである。その一族いちぞくつらなるものでなければ、そのしょくくことは困難こんなんであった。公家くげ藤原ふじわら一族いちぞくまれたならば、どれほどひいでていようと武士ぶしになることは出来できなかった。武士ぶしになるには傍流ぼうりゅう庶流えだ裔であろうと清和せいわはじめ桓武かんむたいらあるいはしゅうきょうりゅう藤原ふじわらそのつらなり、そのながれをむことが都合つごうかった。それゆえ、そのことをしめ系図けいず必要ひつようとされたのである。その意味いみで、家系かけい本人ほんにんぞくするいえ由来ゆらいあきらかにする資料しりょうとして、江戸えど時代じだい以前いぜん封建ほうけん社会しゃかいにあって、とくおもんじられた。

日本にっぽん系図けいずは、親子おやこ関係かんけいうえからしたじゅん記載きさいしたたて系図けいずと、親子おやこ関係かんけいたてせん兄弟きょうだい姉妹しまい横線おうせんつないだよこ系図けいずけられる[1]

最古さいこ部類ぶるい系図けいずには、とも9世紀せいきから10世紀せいき製作せいさくされた滋賀しがけん大津おおつ三井寺みいでら所蔵しょぞうの『和毛にこげ系図けいず』や京都きょうと宮津みやづかご神社じんじゃ所蔵しょぞうの『海部かいふ系図けいず』などがある。また系図けいずしゅうとしては、室町むろまち時代じだい公卿くぎょう左大臣さだいじんつとめたほらいん公定こうていが、源平げんぺいふじたちばな系図けいず収集しゅうしゅうし、校訂こうていのち発刊はっかんした『尊卑そんぴ分脈ぶんみゃく』がある[2]

ぶん正記まさき』には、室町むろまち時代ときよ応仁おうにんらんころに「凡下ぼんげこれしゃ」が農作業のうさぎょうめて武術ぶじゅつまなび、系図けいずい、さむらいしょうすなど、系図けいず売買ばいばいがなされていたことが記述きじゅつされる。江戸えど時代じだいにおいては家系かけい現在げんざい履歴りれきしょのようなもので、武士ぶし仕官しかんするさいや、富裕ふゆう農民のうみん商人しょうにん郷士ごうしになったり、苗字みょうじ帯刀たいとう苗字みょうじ公称こうしょう大刀たち小刀こがたなすこと)をゆるされるときなど、いえ由緒ゆいしょしめすものとして必要ひつようとされ、装飾そうしょくてきというよりもはるかに実用じつようてき意味いみっていたことは否定ひてい出来できない。しかし、ほとんどのいえには家系かけいなどはなく、そのため家系かけい必要ひつよう場合ばあいからつくらざるをないが、結果けっかとして、零落れいらくしたぞく名門めいもん名家めいか末裔まつえい系図けいずるか、おな苗字みょうじ過去かこぞくとの関係かんけい創作そうさくして、先祖せんぞ名家めいかぞくむすびつけた系図けいず数多かずおお存在そんざいする。織田おだ桓武かんむたいらであったり、徳川とくがわ清和せいわはじめとしたりするような系譜けいふ同様どうよう創作そうさくされたものである。当時とうじの『兵家へいか茶話ちゃばなし』(別名べつめい同志どうし夜話やわ日夏ひなつしげるだか 1721ねんとおる6ねん)のじょあり)では、「近世きんせい系図けいずりといふものゆうて、諸家しょか系図けいずを妄作して其祖をあやまひとは甚おおし、(中略ちゅうりゃくまた多々良たたらげんしんうん盲人もうじんあり諸家しょか系図けいずみことのりむねしてもちしたがえて妄さくはべる」と記述きじゅつされる。

数多かずおお戦国せんごく大名だいみょうなかで、平安へいあん時代じだい末期まっきから鎌倉かまくら時代じだい初期しょきにかけての出自しゅつじ明確めいかくになっている大名だいみょうには、薩摩さつま島津しまつ安芸あき毛利もうりげられる[3]

江戸えど時代じだいになると、幕府ばくふしょ大名だいみょう家系かけい提出ていしゅつもとめ、それらをもとに『寛永かんえい諸家しょか系図けいずでん』や『寛政かんせいじゅうおさむ諸家しょか』などが編纂へんさんされた[4]

江戸えど時代じだい中期ちゅうきになると、幕府ばくふかくはん当局とうきょくによって大名だいみょう旗本はたもと御家人ごけにん藩士はんし郷士ごうし、また庄屋しょうやなどの富裕ふゆう農民のうみん商人しょうにんらの家系かけいさかんにつくられた。また、近年きんねん研究けんきゅうでは、農民のうみん町人ちょうにん苗字みょうじ帯刀たいとうゆるされていなくとも、苗字みょうじ自体じたいっているものおおかった。

なお、出自しゅつじ調しらべて家系かけい作成さくせいするために戸籍こせき謄本とうほんることはみとめられてはいるが、直系ちょっけい戸籍こせきしか取得しゅとくできないため、注意ちゅうい必要ひつようである。素人しろうと自分じぶん家系かけい作成さくせいするために先祖せんぞ氏名しめいその情報じょうほうあつめるにあたっては、

  1. 祖父母そふぼ親戚しんせき直接ちょくせつく。
  2. 戸籍こせき謄本とうほんす。
  3. 法務局ほうむきょくで、きゅう土地とち台帳だいちょう閲覧えつらんする。

の3つがもっと一般いっぱんてきである。

大半たいはんはかには氏名しめい戒名かいみょうぼついてあるだけで、自分じぶんとの続柄つづきがら故人こじん本籍ほんせき誕生たんじょうなどまではからないことがほとんどであり、また過去かこちょう同和どうわ問題もんだい太平洋戦争たいへいようせんそうにおける戦犯せんぱん問題もんだいなど、子孫しそん不利益ふりえきあたえかねないデリケートなものであるため、個人こじん情報じょうほう保護ほご観点かんてんから一般人いっぱんじんへの公開こうかいこばてらおおく、簡単かんたんにはることができない。上記じょうきとおり、戸籍こせき謄本とうほん遺産いさん相続そうぞくなど特別とくべつ理由りゆうがないかぎりは直系ちょっけい親族しんぞくものしか取得しゅとくできない。そのため、とお親戚しんせき関係かんけいみついえ場合ばあい相当そうとう広範囲こうはんい系図けいず出来上できあがる。

戸籍こせきぜん国民こくみんつくられるようになったのは明治めいじはいってからなので、素人しろうと先祖せんぞ系図けいず調査ちょうさをしようとしても、江戸えど時代じだい後期こうきから明治めいじくらいまでが限界げんかいである。また、戦災せんさいひとしのために戸籍こせき消滅しょうめつしていることもすくなくない。系図けいず調査ちょうさ行政ぎょうせい書士しょしなどの業者ぎょうしゃ委託いたくすることもできる。業者ぎょうしゃによっては、江戸えどよりまえ時代じだいまでさかのぼれるだけさかのぼって調しらべると宣伝せんでんしているところもあるが、てら制度せいど普及ふきゅうした17世紀せいき以前いぜん人名じんめい記録きろくきわめてすくないため、清和せいわはじめ桓武かんむたいらにつながる系図けいずつくることは事実じじつじょう困難こんなんである。

明治めいじ時代じだい大正たいしょう時代じだいには鈴木すずきしんねん中田なかたけんしん全国ぜんこく系図けいず収集しゅうしゅうした。どう時代じだい系譜けいふがく提唱ていしょうした太田おおたあきら家系かけい調査ちょうさ歴史れきしがくてき役割やくわりについて、家系かけい調査ちょうさ郷土きょうど研究けんきゅう寄与きよし、ひいては日本にっぽん歴史れきし研究けんきゅうにも貢献こうけんするとべている[5]太田おおたしょう歴史れきし研究けんきゅうやく家系かけいとはみずか調しらべあげ、歴史れきしてきうらづけが証明しょうめいできる部分ぶぶん推測すいそく部分ぶぶん明確めいかくけた系図けいずである[5]

1975ねん発足ほっそくした日本にっぽん系図けいず学会がっかい賀陽かようくにことぶきもと賀陽かようみやくにことぶきおう)が名誉めいよ会長かいちょうを、こう藤彦ふじひこたけ会長かいちょうつとめたが1979ねんいち閉会へいかいしている。1980ねん丹羽にわはじめ会長かいちょうつとめて再建さいけんし、のち武田たけだ光弘みつひろつづいてたから寿男としお会長かいちょうつとめて現在げんざいつづいている。また同年どうねん家系かけい研究けんきゅう協議きょうぎかい設立せつりつされている。

歴史れきし研究けんきゅうにおいて、系図けいず資料しりょう文書ぶんしょじょう登場とうじょうする人物じんぶつ比定ひてい関係かんけい把握はあくするため史料しりょうとしてもちいられているが、近年きんねん中世ちゅうせい分野ぶんや中心ちゅうしん系譜けいふ史料しりょうそのものの成立せいりつ経緯けいい制作せいさく意図いと由緒ゆいしょ伝承でんしょうやその歴史れきしてき背景はいけいなどを考察こうさつする系譜けいふ史料しりょうろん検討けんとうされている。

うまにおける系図けいず

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人間にんげん以上いじょう詳細しょうさい血統けっとう記録きろくされている競走きょうそう競技きょうぎでも系図けいず作成さくせいすること可能かのうである。人間にんげんとはちがい、養子ようしなどはかんがえなくてもよいので、実際じっさい親子おやこ関係かんけいのみのつながりを図表ずひょうあらわしている。

父子ふしつながりをあらわ父系ふけいほかに、ははむすめつながりをあらわめすけい母系ぼけいもある。

一般いっぱんてき表記ひょうきほうリボー父系ふけい場合ばあい

このほか、様々さまざま表記ひょうきほうがある。表記ひょうきほうについてはサイアーライン父系ふけい)あるいはファミリーライン母系ぼけい)を参照さんしょう実際じっさい系図けいずマッチェムけい1724ねんまれたゴドルフィンアラビアン父系ふけい)や1ごうぞく1650年代ねんだいまれたトレゴンウェルズ・ナチュラル・バルブ・メアのめすけい)などがある。

生命せいめい科学かがくにおける家系かけい

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家系かけいれい

医学いがく生物せいぶつがくにおける家系かけいは、先祖せんぞから子孫しそん生物せいぶつ遺伝子いでんしがた表現ひょうげんがたがどのように伝達でんたつされているかをしめしたである。

脚注きゃくちゅう参考さんこう文献ぶんけん

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  1. ^ 戦国せんごく大名だいみょう経歴けいれき詐称さしょうする』、2024ねん1がつ10日とおか発行はっこう渡邉わたなべ大門だいもん柏書房かしわしょぼう、P13
  2. ^ 戦国せんごく大名だいみょう経歴けいれき詐称さしょうする』、2024ねん1がつ10日とおか発行はっこう渡邉わたなべ大門だいもん柏書房かしわしょぼう、P13~14。
  3. ^ 戦国せんごく大名だいみょう経歴けいれき詐称さしょうする』、2024ねん1がつ10日とおか発行はっこう渡邉わたなべ大門だいもん柏書房かしわしょぼう、P1
  4. ^ 戦国せんごく大名だいみょう経歴けいれき詐称さしょうする』、2024ねん1がつ10日とおか発行はっこう渡邉わたなべ大門だいもん柏書房かしわしょぼう、P14
  5. ^ a b 太田おおたあきら家系かけい系図けいず合理ごうりてき研究けんきゅうほうじょ立命館大学りつめいかんだいがく出版しゅっぱん、1930ねん、1-5ぺーじdoi:10.11501/1225338https://dl.ndl.go.jp/pid/1225338/1/4 

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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