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御用邸 - Wikipedia

御用邸ごようてい

天皇てんのう皇族こうぞく別荘べっそう
葉山はやま御用邸ごようていから転送てんそう

御用邸ごようてい(ごようてい)とは、天皇てんのう皇后こうごう皇太子こうたいし皇女おうじょ皇太后こうたいごう別荘べっそうである。としすうかい静養せいようねて避暑ひしょ避寒ひかんおとずれる。宮内庁くないちょう定義ていぎでは、一定いってい規模きぼ建造けんぞうぶつ敷地しきちゆうするものを離宮りきゅうとし、小規模しょうきぼのものを御用邸ごようていしょうしている。

葉山はやま御用邸ごようてい

御用邸ごようてい役割やくわり

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幕末ばくまつから明治めいじにかけて天皇てんのう子供こどもたちの夭折ようせつがあまりにもおおいことから1883ねん明治めいじ16ねん)に侍医じいらが連名れんめい改善かいぜんあんをまとめた上申じょうしんしょ提出ていしゅつし、そのなか避暑ひしょのための離宮りきゅう建設けんせつがあったことから、箱根はこね離宮りきゅうとともに日光にっこう山内やまうち御用邸ごようてい建設けんせつされた[1]。しかし、明治天皇めいじてんのう自身じしん脚気かっけなやみながらもこれらをいち利用りようしなかった[1]

皇后こうごう東宮とうぐうよしみじん親王しんのう大正天皇たいしょうてんのう)はひとおな施設しせつどう時期じき利用りようすることはしないため、明治めいじ皇女おうじょごとに御用邸ごようてい創設そうせつされたが、皇女おうじょ結婚けっこん不要ふようとなり関東大震災かんとうだいしんさい廃止はいしされた[2]御用邸ごようていないでも一人ひとりいちむね御殿ごてん付属ふぞくてい)を用意よういする方法ほうほうは、よしみじん親王しんのう皇子おうじにもがれ[3]よしみじん親王しんのう成長せいちょうわせ、避暑ひしょ避寒ひかんなどの医学いがくてき見地けんちによる私的してき生活せいかつ空間くうかんから執務しつむしつなど公的こうてき機能きのうくわえたちいさな皇居こうきょへと役割やくわりわった[4]

御用邸ごようてい一見いっけん質素しっそえつつも、和風わふう建築けんちくとして最高さいこう材料ざいりょう技術ぎじゅつつくられており、継続けいぞくてきなメンテナンスをおこなうために、御用邸ごようてい周囲しゅういにメンテナンス技術ぎじゅつ職人しょくにん集積しゅうせきしていた。葉山はやままち守谷もりや表具ひょうぐてんもそれらのひとつで、戦前せんぜんより葉山はやま御用邸ごようていふすま障子しょうじのメンテナンスを担当たんとうしている[5]

現存げんそんする御用邸ごようてい

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那須なす御用邸ごようてい(なすごようてい)
栃木とちぎけん那須なすぐん那須なすまち北緯ほくい375ふん16.7びょう 東経とうけい1401ふん25.2びょう / 北緯ほくい37.087972 東経とうけい140.023667 / 37.087972; 140.023667 (那須なす御用邸ごようてい))、1926ねん大正たいしょう15ねん / 昭和しょうわ元年がんねん) -
おもに8月 - 9月におとずれている。
那須なす湯本ゆもと温泉おんせんちかくに位置いちし、東京とうきょうドーム142ぶん皇居こうきょの6ばいちか広大こうだい敷地しきちである[6]
本邸ほんていは1926ねん7がつ付属ふぞくていは1935ねん昭和しょうわ10ねん完成かんせい[7]。「ご休憩きゅうけいしょ」の嚶鳴(おうめい)ちんもある[7]
2008ねん平成へいせい20ねん)には天皇てんのう皇后こうごう意向いこうけ、はじめてあき時期じき(10がつ24にち - 27にち)におとずれた。
2011ねん平成へいせい23ねん)には、同年どうねん3月11にち発生はっせいした東日本ひがしにっぽん大震災だいしんさいにより、福島ふくしまけんから避難ひなんした被災ひさいしゃたいし、風呂ふろなどの一部いちぶ施設しせつ天皇てんのう皇后こうごう意向いこうにより開放かいほうした[8]
ゆたかな自然しぜん環境かんきょう保護ほごしつつ、国民こくみん自然しぜん直接ちょくせつふれあえるとして活用かつようしてはどうかというだい125だい天皇てんのう明仁あきひと意向いこうけて、2007ねん平成へいせい19ねん)に御用邸ごようてい敷地しきちやく半分はんぶんの570ヘクタール宮内庁くないちょうから環境省かんきょうしょう移管いかんされ、一般いっぱん開放かいほうけて自然しぜん環境かんきょうのモニタリング調査ちょうさや、フィールドセンターとう施設しせつ整備せいび遊歩道ゆうほどうなどの整備せいびすすめられ、2011ねん平成へいせい23ねん5月22にち、「天皇陛下てんのうへいか在位ざいい20ねん」という節目ふしめ機会きかい日光にっこう国立こくりつ公園こうえん那須なす平成へいせいもりとして開園かいえんした[9]新型しんがたコロナウイルス感染かんせんしょう流行りゅうこうにより那須なす御用邸ごようていでの静養せいようひかえられたが2023ねん8がつに4ねんぶりに利用りようされた[6]
葉山はやま御用邸ごようてい(はやまごようてい)
神奈川かながわけん三浦みうらぐん葉山はやままち北緯ほくい3515ふん40.7びょう 東経とうけい13934ふん41.4びょう / 北緯ほくい35.261306 東経とうけい139.578167 / 35.261306; 139.578167 (葉山はやま御用邸ごようてい))、1894ねん明治めいじ27ねん) -
おもに2月 - 3月におとずれている。大正天皇たいしょうてんのう崩御ほうぎょしたところである。
1894ねん明治めいじ27ねん着工ちゃっこうよしみじん親王しんのうようしょう健康けんこうすぐれず、侍医じいエルヴィン・フォン・ベルツ葉山はやま保養ほようとしてすすめたという[10]1916ねん大正たいしょう5ねん公的こうてき建物たてもの増設ぞうせつ[3]
1926ねん大正たいしょう15ねん12月25にち大正天皇たいしょうてんのう崩御ほうぎょともない、皇太子こうたいし裕仁ひろひと親王しんのう践祚せんそした。葉山はやま御用邸ごようてい隣接りんせつする場所ばしょには裕仁ひろひと親王しんのう践祚せんそ記念きねん設置せっちされている。
1971ねん昭和しょうわ46ねん)に建物たてもの焼失しょうしつ葉山はやま御用邸ごようてい放火ほうか事件じけん)したが、1981ねん昭和しょうわ56ねん)に再建さいけんされた。
1987ねん昭和しょうわ62ねん)に付属ふぞくてい跡地あとち葉山はやましおさい公園こうえんとして開園かいえんした[11]公園こうえんないのしおさい博物館はくぶつかんには昭和しょうわ天皇てんのう採集さいしゅうした生物せいぶつ標本ひょうほんなどが展示てんじされている。
葉山はやまは、横須賀よこすかこうから直接ちょくせつおとずれること可能かのうだったことから、海軍かいぐんぞくしていた東伏見ひがしふしみみやじん親王しんのうなどが葉山はやま別邸べってい建設けんせつし、最盛さいせいには御用邸ごようていふくめていえ皇族こうぞく別邸べっていならんだ[12]
須崎すさき御用邸ごようてい(すざきごようてい)
静岡しずおかけん下田しもだ須崎すさき北緯ほくい3440ふん6.9びょう 東経とうけい13858ふん32.1びょう / 北緯ほくい34.668583 東経とうけい138.975583 / 34.668583; 138.975583 (須崎すさき御用邸ごようてい))、1971ねん昭和しょうわ46ねん) -
おもに7月 - 8がつおとずれている。かつての三井みつい財閥ざいばつ別荘べっそう敷地しきちを、日本国にっぽんこく政府せいふ御用邸ごようていにした。
やしきないにはプライベートビーチがある。

かつて存在そんざいした御用邸ごようてい

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1930ねん昭和しょうわ5ねん)、みや内省ないせい離宮りきゅう御用邸ごようてい整理せいり計画けいかく策定さくてい名古屋なごやじょうのほか、武庫むこ離宮りきゅう静岡しずおか御用邸ごようてい熱海あたみ御用邸ごようてい鎌倉かまくら御用邸ごようてい小田原おだわら御用邸ごようてい宮ノ下みやのした御用邸ごようてい廃止はいしされた[13]が、実際じっさい廃止はいし時期じきにはばらつきがた。

出典しゅってん

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  1. ^ a b 明治めいじ16ねんどう21ねん上申じょうしんしょからみた明治天皇めいじてんのう皇子おうじおんな夭折ようせつ問題もんだい深瀬ふかせやすしだん日本にっぽん史学しがく雑誌ざっし だい61かんだい2ごう(2015)
  2. ^ a b c d e f g h 小沢おざわ 2008, p. 156.
  3. ^ a b 小沢おざわ 2008, p. 157.
  4. ^ a b 小沢おざわ 2008, p. 158.
  5. ^ 小沢おざわ 2008, p. 163.
  6. ^ a b 天皇てんのう一家いっか4ねんぶり 那須なすなつ静養せいよう【Q&Aでくわしく】2023ねん8がつ21にち 1939ふん NHK
  7. ^ a b 那須なす御用邸ごようてい早期そうきえを」老朽ろうきゅう地元じもと署名しょめい活動かつどう 産経新聞さんけいしんぶん 2019ねん4がつ19にち
  8. ^ asahi.com(朝日新聞社あさひしんぶんしゃ):御用邸ごようてい風呂ふろ被災ひさいしゃ提供ていきょう 眞子しんじさまらタオルぶくろめ - 社会しゃかい
  9. ^ 那須なす平成へいせいもり 開園かいえん経緯けいい
  10. ^ 澤村さわむら[2014:20-70]
  11. ^ 日本にっぽん国内こくないすぐれた日本にっぽん庭園ていえん選出せんしゅつするしおさいランキング由来ゆらいとなっている
  12. ^ 小沢おざわ 2008, p. 168.
  13. ^ 廃止はいし決定けっていしたいち離宮りきゅう御用邸ごようてい東京日日新聞とうきょうにちにちしんぶん昭和しょうわ5ねん8がつ24にち夕刊ゆうかん(『昭和しょうわニュース事典じてんだい2かん 昭和しょうわ4ねん-昭和しょうわ5ねん本編ほんぺんp113 昭和しょうわニュース事典じてん編纂へんさん委員いいんかい 毎日まいにちコミュニケーションズかん 1994ねん
  14. ^ 小沢おざわ 2008, p. 167.
  15. ^ 小沢おざわ 2008, p. 156-157.

文献ぶんけん

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  • 澤村さわむら修治しゅうじ天皇てんのうのレゾート 御用邸ごようていをめぐる近代きんだい』2014ねん 図書としょ新聞しんぶん ISBN 978-4-88611-460-0
    • 上記じょうきほん御用邸ごようてい一般いっぱんかんしてもくわしい。
  • 小沢おざわ朝江あさえ明治めいじ皇室こうしつ建築けんちく吉川弘文館よしかわこうぶんかん、2008ねん11月1にちISBN 978 4-642-05663-2 

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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