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エリック・クラプトン - Wikipedia コンテンツにスキップ

エリック・クラプトン

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』

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エリック・クラプトン
Eric Clapton

CBE
USA・ニューヨーク公演こうえん (2015ねん5がつ)
基本きほん情報じょうほう
別名べつめい スローハンド(Slowhand)
生誕せいたん (1945-03-30) 1945ねん3月30にち(79さい
出身しゅっしん イングランドの旗 イングランド
リプリー
ジャンル ブルース
ブルースロック
フォークロック
ハードロック
サイケデリック・ロック
職業しょくぎょう ミュージシャン
シンガー・ソングライター
ギタリスト
美術家びじゅつか
レコード・プロデューサー
アレンジャー
担当たんとう楽器がっき ボーカル
ギター
活動かつどう期間きかん 1963ねん - 現在げんざい
共同きょうどう作業さぎょうしゃ ヤードバーズ
ジョン・メイオール&ザ・ブルースブレイカーズ
パワーハウス
クリーム
フリー・クリーク
ブラインド・フェイス
ザ・ダーティー・マック
JJ・ケイル
デラニー&ボニー&フレンズ
デレク・アンド・ザ・ドミノス
プラスティック・オノ・バンド
ザ・ビートルズ
エルトン・ジョン
フィル・コリンズ
ザ・ローリング・ストーンズ
ルチアーノ・パヴァロッティ
ザ・バンド
フレディ・キング
B.B.キング
公式こうしきサイト ericclapton.com
著名ちょめい使用しよう楽器がっき

ブラッキー
ブラウニー
ギブソン・SG
ギブソン・ES-335

ギブソン・レスポール
B.B.キング
ロバート・ジョンソン
アルバート・キング
エルモア・ジェイムズなど

エリック・クラプトン(Eric Clapton, CBE1945ねん3月30にち - )は、イングランド出身しゅっしんミュージシャンシンガーソングライター

「スローハンド」とばれるギターの名手めいしゅとしてられ、ソングライティングすぐれた世界せかいてきなアーティスト。ジェフ・ベックジミー・ペイジなら世界せかい3だいロック・ギタリストの一人ひとりとされている。

ロックの殿堂でんどう』を3(ヤードバーズ、クリーム、ソロ)受賞じゅしょう。2015ねんブルースの殿堂でんどうり。ローリング・ストーン選出せんしゅつもっと偉大いだいな100にんのギタリスト」だい2

概要がいよう

1960年代ねんだいからヤードバーズクリームなどのバンドでギタリストとして活動かつどう。その演奏えんそうについて、エリック・クラプトンはかみだとロンドン市内しない落書らくがきされた。「スローハンド[ちゅう 1]」というニックネームられる[ちゅう 2]

1970年代ねんだいには薬物やくぶつ依存いぞんしょう1980年代ねんだいにはアルコール依存いぞんしょう交通こうつう事故じこ胃潰瘍いかいよう経験けいけんつまパティ・ボイド親友しんゆうジョージ・ハリスン前妻ぜんさい)と結婚けっこんしていたが、イボンヌ・ケリーといちねんわたって関係かんけいち、1985ねんの1がつむすめのルースを出産しゅっさん[ちゅう 3]。1986ねんにはイタリアひと女優じょゆうローリ・デル・サントとのあいだ息子むすこをもうけ、1988ねんにパティとは離婚りこん成立せいりつした。しかし1991ねん3がつ息子むすこコナー(4さい)がニューヨーク高層こうそうマンション53かいまどから転落てんらくする。波乱万丈はらんばんじょう人生じんせいおくりながらも、だい規模きぼなワールドツアーやアルバム制作せいさくなどで創作そうさく活動かつどうつづけている。

デビューからヤードバーズ脱退だったいまで

クラプトンのキャリアは、ルースターズからはじまる。クラプトンは1963ねん1がつから8がつまで在籍ざいせき。その、ケイシー・ジョーンズ・アンド・ジ・エンジニアズに参加さんか。ほどなくロンドンでも注目ちゅうもくあつめていたバンド、ヤードバーズむかえられる。1963ねんあきである。ヤードバーズでのプレイがみとめられ、その存在そんざい注目ちゅうもくされるようになったが、バンドはポップ路線ろせん志向しこうするようになり、クラプトンはのメンバーと意見いけん対立たいりつ1965ねんにバンドをることになる。そのジェフ・ベックジミー・ペイジ相次あいついで「ヤードバーズ」に参加さんかする。

ブルースブレイカーズ

ヤードバーズ脱退だったいジョン・メイオール・ブルースブレイカーズ参加さんかオーティス・ラッシュフレディ・キングらのきょくさかんに演奏えんそうした。かれらの楽曲がっきょくはそののクラプトンのキャリアにおいても度々たびたびげられたほか本人ほんにんたちとの共演きょうえんおこなっている。このころ、ロンドンのまちちゅうに“CLAPTON IS GOD”の落書らくがきがあらわれ、「ギターのかみ」とばれるようになった[1]

クリーム〜ブラインド・フェイス時代じだい

そのジャック・ブルースジンジャー・ベイカーらと「クリーム」を結成けっせい[2]。メンバーの即興そっきょう演奏えんそう中心ちゅうしんとしたジャム・セッションや実験じっけんてき音楽おんがく追求ついきゅう。しかし、メンバーの人間にんげん関係かんけい悪化あっかにより、バンドは空中くうちゅう分解ぶんかいするかたち解散かいさん。その直後ちょくごスティーヴ・ウィンウッドさきのベイカーらとブラインド・フェイス結成けっせいし、1まいのアルバムをのこして解散かいさんした。

「レイラ」の発表はっぴょうとソロ活動かつどう開始かいし

クラプトンは新天地しんてんちもとめてアメリカわたり、アメリカ南部なんぶのミュージシャンとデレク・アンド・ザ・ドミノス結成けっせいデュアン・オールマンをゲストにむかえて「レイラ」を録音ろくおんした。

そのもクラプトンは様々さまざまなセッションにギタリストとして参加さんかする。その一方いっぽう本格ほんかくてきなソロ活動かつどうもスタートした。1974ねん9月14にちづけのシングルチャートではボブ・マーリーのカバーきょくである、「アイ・ショット・ザ・シェリフ」 (I Shot The Sheriff) でナンバー1を獲得かくとくしている[ちゅう 4]

ジョージ・ハリスンとの共演きょうえん

1991ねんジョージ・ハリスンのサポートとして自分じぶんのバンドをれて日本にっぽんだけのツアーを敢行かんこう。コンサートのなかほどで(ジョージの休憩きゅうけいねて)みずからの楽曲がっきょく演奏えんそうするコーナーもあった。ジョージからは世界せかいツアーの提案ていあんもなされたが、くなった自分じぶん息子むすこささげる楽曲がっきょく録音ろくおんのため、クラプトンはこれをことわった(ジョージは、これが最後さいごのツアーとなった)。このとき録音ろくおんされたのが「ティアーズ・イン・ヘヴン」 (Tears In Heaven) である。このきょく1992ねん全米ぜんべいシングルチャートだい2記録きろくし、1993ねんには年間ねんかん最優秀さいゆうしゅうきょくえらばれ、このうた収録しゅうろくされたアルバムも最優秀さいゆうしゅうアルバムしょう獲得かくとく

1996ねん映画えいがフェノミナン』にカバーきょく、「チェンジ・ザ・ワールド」を提供ていきょうしている(元々もともとはカントリー・シンガーのワイノナ・ジャッドうたっている)。このきょくでクラプトンはグラミーしょうのソング・オブ・ザ・イヤーを獲得かくとくしている。プロデューサーはベイビーフェイス

1998ねんにはB.B.キングらとともにアメリカ映画えいがブルース・ブラザース2000』に出演しゅつえんした。1999ねんには、かねてから自身じしん所有しょゆうするドラッグ更生こうせい診療しんりょうしょ「クロスロードセンター」への資金しきん捻出ねんしゅつのために所有しょゆうするギター104ほんニューヨーククリスティーズのオークションに出品しゅっぴんした。そのなかには「いとしのレイラ」をレコーディングしたストラトキャスター「ブラウニー」がふくまれていた。

受勲じゅくんと「ブラッキー」の売却ばいきゃく

ファイル:EricClaptonCrash12002.jpg
(2002ねん)

2002ねんのイギリス女王じょおう即位そくい50周年しゅうねん式典しきてんのライヴでは、ジョージ・ハリスン死去しきょへの追悼ついとうとしてポール・マッカートニーともに、ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス演奏えんそうし、当時とうじ録音ろくおん同様どうようリードギター担当たんとうし、くわえて特別とくべつにリードボーカルも担当たんとうする。2004ねん11月3にち、イギリス政府せいふより、ナイトの爵位しゃくいぐ「だいえい帝国ていこく勲章くんしょう CBE」が授与じゅよされた。

2004ねん6がつ24にちには自身じしんのギターコレクションの2度目どめのオークションを開催かいさい出品しゅっぴんされた56ほんなかにはかれ使用しようしたギターでもっと有名ゆうめい長年ながねん愛用あいようしたブラッキー('56ねんせいフェンダー・ストラトキャスター)の愛称あいしょうつギターもふくまれていた。「ブラッキー」は当初とうしょ落札らくさつ予想よそう価格かかく大幅おおはば最終さいしゅうてきに95まん9,500ドル(およそ1おく520まんえん)の価格かかくがつけられ当時とうじ世界一せかいいち値段ねだんたかいギター」となった(現在げんざいえられている)。

2005ねんにはクリームのさい結成けっせいライヴが5月に4公演こうえん(5がつ2、4、5、6にち)、ロンドンのロイヤル・アルバート・ホール、10月にニューヨークマディソン・スクエア・ガーデンで3連続れんぞく当時とうじのオリジナルメンバーでおこなわれた。

2007ねん5月19にちには旧友きゅうゆうスティーヴ・ウィンウッドのライヴにゲスト参加さんかし、同年どうねん7がつ28にち開催かいさいされたクロスロード・ギター・フェスティバルでは、ウィンウッドがクラプトンのステージにゲスト参加さんかした[3]。そして、2008ねん2がつにはマディソン・スクエア・ガーデンで3にちにわたってウィンウッドとの共演きょうえんライヴをおこない、その模様もよう2009ねんにライヴ・アルバム『ライヴ・フロム・マディソン・スクエア・ガーデン』として発表はっぴょうされた。

近年きんねん

2015ねん、『ブルースの殿堂でんどう[4]

2016ねん通算つうさん21かい来日らいにち公演こうえんたし[5]初日しょにちはクラプトンのファンであるエドシーランがりで参加さんかした。

2017ねん9がつ17にちには、リリー・フィニー・ザナック監督かんとくによる自身じしんのドキュメンタリー映画えいが、『Eric Clapton: Life in 12 Bars』がトロント映画えいがさいにて上映じょうえいされた。

2018ねん1がつにはみずからの聴覚ちょうかく障害しょうがいや、ギターをくのがむずかしい状態じょうたいであることをかしている[6]


日本にっぽんにおけるクラプトン

30ねん以上いじょうコンスタントにワールドツアーをおこない、日本にっぽん公演こうえん多数たすう(2019ねんはる=22かい)。とく日本武道館にほんぶどうかん公演こうえん外国がいこくじんアーティストとしては最多さいた公演こうえん回数かいすう91かい公演こうえんおこなった。

日本にっぽんでのアルバムげは1999ねん発売はつばいのベストアルバム『BEST OF』が200まんまい[7]1992ねん発売はつばいのライブアルバム『アンプラグド』が120まんまい[8]ぜん世界せかいでは1500まんまい

2000ねん日本にっぽんツアーは18まんにん驚異きょういてき動員どういんすうほこった。

エヴァンゲリオンのキャラクターデザイナーさだ本義ほんぎぎょうのファンであり、自身じしんのアルバムPilgrim(1998)のジャケット制作せいさく依頼いらいしている。

日本にっぽん公演こうえん

ウェールズカーディフミレニアム・スタジアムにおける津波つなみ救済きゅうさいコンサートで演奏えんそうするクラプトン(2005ねん1がつ22にち
10月31にち・11月1にち・2にち 日本武道館にほんぶどうかん
11月5にち・6にち 大阪おおさか厚生こうせい年金ねんきん会館かいかん
10月22にち・23にち フェスティバルホール
10月24にち 京都きょうと会館かいかん
10月27にち 北九州きたきゅうしゅう市立しりつ総合そうごう体育館たいいくかん
10月29にち 静岡しずおか駿府すんぷ会館かいかん
1がつ1にち・2にち 日本武道館にほんぶどうかん
9月26にち・10月1にち フェスティバルホール
9月27にち 岡山おかやまけん体育館たいいくかん
9月29にち 京都きょうと会館かいかん
9月30にち 名古屋なごや公会堂こうかいどう
10月4にち 真駒内まこまないアイスアリーナ
10月6にち・7にち 日本武道館にほんぶどうかん
11月23にち 茨城いばらき県立けんりつ県民けんみん文化ぶんかセンター
11月25にち 名古屋なごや公会堂こうかいどう
11月26にち 京都きょうと会館かいかん
11月27にち 大阪おおさか厚生こうせい年金ねんきん会館かいかん
11月28にち 広島ひろしま郵便ゆうびん貯金ちょきんホール
11月30にち 新日鐵しんにってつ大谷おおや体育館たいいくかん
12月1にち 大阪おおさか府立ふりつ体育館たいいくかん
12月3にち・4にち 日本武道館にほんぶどうかん
12月6にち みちりつ産業さんぎょう共進きょうしん会場かいじょう
11月27にち 新潟にいがた県民けんみん会館かいかん
11月30にち 愛知あいち厚生あつお年金ねんきん会館かいかん
12月1にち フェスティバルホール
12月3にち 福岡ふくおかサンパレス
12月4にち 京都きょうと会館かいかん
12月7にち 日本武道館にほんぶどうかん
12月8にち 横浜よこはま文化ぶんか体育館たいいくかん
12月9にち 東京厚生年金会館とうきょうこうせいねんきんかいかん
10月5にち・6にち 国立こくりつ代々木よよぎ競技きょうぎじょうだいいち体育館たいいくかん
10月7にち 大阪おおさか厚生こうせい年金ねんきん会館かいかん
10月9にち 名古屋なごや市民しみん会館かいかん
10がつ10日とおか フェスティバルホール
10月11にち 福岡ふくおかサンパレス
  • opning act : ロバート・クレイ・バンド
11月2にち・4にち・5にち 日本武道館にほんぶどうかん
11月7にち 愛知あいちけん体育館たいいくかん
11月9にち 大阪城おおさかじょうホール
エリック・クラプトン with エルトン・ジョン & マーク・ノップラー
10月31にち 名古屋なごやレインボーホール
11月2にち 東京とうきょうドーム
11月4にち 日本武道館にほんぶどうかん
11月5にち 大阪おおさかスタヂアム
12月4にち・5にち・6にち 日本武道館にほんぶどうかん
12月9にち 国立こくりつ代々木よよぎだいいち体育館たいいくかん
12月10にち 名古屋なごやレインボーホール
12月11にち 大阪城おおさかじょうホール
12月13にち 横浜よこはまアリーナ
ジョージ・ハリスン with エリック・クラプトン and ヒズ・バンド
12月1にち 横浜よこはまアリーナ
12月2にち・3にち10日とおか・12にち 大阪城おおさかじょうホール
12月5にち 名古屋なごや国際こくさい展示てんじじょう
12月6にち 広島ひろしまサンプラザ
12月9にち 福岡ふくおか国際こくさいセンター
12月14にち・15にち・17にち 東京とうきょうドーム
10月12にち・13にち・21にち・22にち・25にち・26にち・27にち・31にち 日本武道館にほんぶどうかん
10月14にち 名古屋なごやレインボーホール
10月17にち 福岡ふくおか国際こくさいセンター
10月23にち・30にち 横浜よこはまアリーナ
10月1にち・3にち・5にち・6にち 国立こくりつ代々木よよぎだいいち体育館たいいくかん
10月8にち・9にち 大阪城おおさかじょうホール
10月11にち・12にち・13にち 日本武道館にほんぶどうかん
10月13にち・14にち・16にち・17にち・27にち・28にち・30にち・31にち 日本武道館にほんぶどうかん
10がつ20日はつか マリンメッセ福岡ふくおか
10月21にち・22にち 大阪城おおさかじょうホール
10月24にち 広島ひろしまグリーンアリーナ
10月25にち 名古屋なごやレインボーホール
11月9にち・19にち20日はつか・22にち・26にち・27にち・29にち・30にち 日本武道館にほんぶどうかん
11月11にち 愛知あいちけん体育館たいいくかん
11月13にち マリンメッセ福岡ふくおか
11月15にち・16にち・17にち 大阪城おおさかじょうホール
11月24にち 横浜よこはまアリーナ
11月19にち20日はつか・21にち 大阪城おおさかじょうホール
11月24にち 愛知あいちけん体育館たいいくかん
11月26にち マリンメッセ福岡ふくおか
11月28にち・30にち・12月3にち・4にち・5にち10日とおか・11にち 日本武道館にほんぶどうかん
12月8にち 宮城みやぎけん総合そうごう運動公園うんどうこうえん総合そうごう体育館たいいくかん
12月14にち・15にち 横浜よこはまアリーナ
11月15にち 広島ひろしまグリーンアリーナ
11月17にち・19にち20日はつか 大阪城おおさかじょうホール
11月22にち 名古屋なごやレインボーホール
11月24にち さいたまスーパーアリーナ
11月26にち・27にち 横浜よこはまアリーナ
11月29にち・30にち・12月2にち・3にち・9にち10日とおか・12にち・13にち 日本武道館にほんぶどうかん
12月5にち 宮城みやぎけん総合そうごう運動公園うんどうこうえん総合そうごう体育館たいいくかん
12月7にち 札幌さっぽろドーム
11月11にち・12にち・14にち・15にち 大阪城おおさかじょうホール
11月17にち・18にち 名古屋なごやレインボーホール
11月20にち・21にち・23にち・24にち・29にち・30にち・12月5にち・6にち・8にち・9にち 日本武道館にほんぶどうかん
11月26にち 札幌さっぽろドーム
12月2にち さいたまスーパーアリーナ
2がつ12にち・13にち 大阪城おおさかじょうホール
2がつ15にち・18にち・19にち・24にち・25にち・27にち・28にち 日本武道館にほんぶどうかん
エリック・クラプトン & ジェフ・ベック
2がつ21にち・22にち さいたまスーパーアリーナ
エリック・クラプトン & スティーブ・ウインウッド
11月17にち 北海ほっかいきたえーる
11月19にち 横浜よこはまアリーナ
11月21にち・22にち 大阪城おおさかじょうホール
11月24にち マリンメッセ福岡ふくおか
11月26にち 広島ひろしまグリーンアリーナ
11月28にち いしかわ総合そうごうスポーツセンター メインアリーナ
11月30にち 日本にっぽんガイシホール
12月2・3にち・6・7・10にち 日本武道館にほんぶどうかん
2がつ18にち20日はつか・21にち・28にち 日本武道館にほんぶどうかん
2がつ23にち 横浜よこはまアリーナ
2がつ25にち 愛知あいちけん体育館たいいくかん
2がつ26にち 大阪城おおさかじょうホール
※2がつ18にち公演こうえんは、来日らいにち公演こうえん200かい[9]
4がつ13にち・15にち・16にち・18にち・19にち 日本武道館にほんぶどうかん[10]
4がつ13にち・15にち・17にち・18にち20日はつか 日本武道館にほんぶどうかん

ディスコグラフィ

愛用あいよう使用しようギター

フェンダー・ストラトキャスター(ブラッキー)
マーティン・000-28EC

ギターコレクターであり、すうひゃくほんものギターをコレクションしたりオークションにしている。それらギターのなかでもとりわけ使用しよう頻度ひんどたかいものをげる。

  • フェンダー・テレキャスター
    おもにヤードバーズ時代じだい使用しようしていた。またサンバーストのテレキャスターをブラインド・フェイスの1969ねん6がつのハイドパーク公演こうえんでメインで使用しようしているのが映像えいぞう確認かくにんできる[11]。この個体こたいはネックがストラトキャスターのものに変更へんこうされている。
  • ギブソン・レスポール・スタンダード(サンバースト)
    1960ねんせいフレディ・キングの1954ねんせいレスポール・ゴールド・トップにあこがれて購入こうにゅうジョン・メイオール&ザ・ブルースブレイカーズ時代じだい使用しようしていた。ピックアップのカバーは両方りょうほうはずされている。ピックアップのボビンがフロントはダブルホワイト、リアはダブルブラック。ペグがグローバー。先述せんじゅつジョン・メイオール&ザ・ブルースブレイカーズ時代じだいのアルバム・「BluesBreakers」でレスポールとマーシャルアンプのわせを確立かくりつした。
  • ギブソン・ES-335
    クリーム時代じだい使つかっていた。1964ねんせい。ブロックポジション・インレイ、グローバー・ペグ仕様しよう。2005ねんにギブソン・カスタムショップから世界せかい限定げんてい250ほん復刻ふっこくされた。
  • ギブソン・SG
    ストラトキャスターのまえにメインとして使つかっていたエレクトリックギター。サイケデリックペイントがほどこされておりクリーム時代じだい使つかっていた。ドキュメンタリー映画えいがなかで「レスポールモデルとおなじネックであたらしいギター。」とんでいる。
  • フェンダー・ストラトキャスター
    なんほん所有しょゆうしているが、とりわけ以前いぜん所有しょゆうしていたカスタマイズド・ストラトキャスターの通称つうしょうブラッキーいろはブラック)が有名ゆうめい[ちゅう 5]そのはフェンダーが開発かいはつした自身じしんのシグネチャーモデルやニューヨークで活動かつどうするアートディレクター、クラッシュほどこしたグラフィティ・ペイントのストラト(クラッシュキャスター)を使用しようしていたが、2006ねんのジャパン・ツアーではニューカラーのメタリックグレー(ピューター)のストラトにえていた。
    なお、フィンガービブラートをしゅとしてトレモロ・アームでのビブラートはしない、またアームプレイはしないためトレモロ・アームをはずし、トレモロ・ユニット自体じたいのブロックをはめんで固定こていしてある。(ジミ・ヘンドリクストリビュートアルバムで"Stone Free"を演奏えんそうしたさいには、はじめてトレモロ・アームを使用しようしたという)[ちゅう 6]。ストラトでは、21フレットネックも22フレットネックも使用しようする。また、シグネチャーモデルは、ミッドブースター回路かいろ特徴とくちょうである。
  • マーティン000-28000-42
    アンプラグドで使用しようしたのがビンテージの000-42である。
    近年きんねんのライブツアーでは、000-28や、自身じしんのオリジナルモデルである000-28ECをおも使つかっている。マーティンにとっては公式こうしきにははじめてとなるアーティストモデルのギターでもあった。
    ヘリンボーン・トリムが特徴とくちょう
  • 000-28ECモデルはなん発売はつばいされ、Bellezza Neraというくろしろのモデルまで発売はつばいされている。

慈善じぜん事業じぎょう

1993ねんから1997ねんまで、薬物やくぶつ・アルコール依存いぞんしゃ治療ちりょうセンター「クラウズ・ハウス」のディレクター、役員やくいんつとめた。1994ねんから1999ねんまで、ケミカル・ディペンデンシー・センターの役員やくいんつとめた。このふたつの組織そしきは、2007ねんにAction on Addictionに統合とうごうされた。

1998ねんカリブ海かりぶかいアンティグアにクロスロード・センターを設立せつりつ薬物やくぶつとアルコール依存いぞんしょうしゃ回復かいふくたすけるための施設しせつである。この施設しせつへの募金ぼきんつのるために、クロスロード・ギター・フェスティバルを2004ねん、2007ねん、2010ねん、2013ねん開催かいさいした。

趣味しゅみ

フェラーリ SP12EC

スポーツカー、そのなかでもフェラーリのコレクターとして世界せかいてき有名ゆうめいで、2012ねんにはワンオフモデル(世界せかいに1だい特別とくべつ注文ちゅうもんモデル)の「SP12EC」をフェラーリに発注はっちゅうしたことで話題わだいとなった。

関連かんれん人物じんぶつ

脚注きゃくちゅう

注釈ちゅうしゃく

  1. ^ おとすうおお場合ばあいでもチョーキング(ベンド)を多用たようするためゆびうごきがおそいようにえる、こだわるのでチューニング(つるえ)がおそい、の2つの理由りゆうから。
  2. ^ このニックネームの由来ゆらいについては、ヤードバーズ時代じだいマネージャー、バンドのメンバーであったクリス・ドレヤ、そして本人ほんにん複数ふくすうせつかたっている。 Slowhand: How did Eric get his nickname?
  3. ^ クラプトンとケリーはむすめ誕生たんじょうについて一切いっさい公表こうひょうしておらず、ボイドは1991ねんまでルースの存在そんざいらなかった
  4. ^ 現在げんざいところ、クラプトンのシングルだい1は、この1きょくのみとなっている
  5. ^ ブラッキーはすうほんのストラトキャスターのった部分ぶぶん自分じぶんわせたもの。
  6. ^ 「フィクストブリッジはきではない」とのことで、裏面りめんのスプリングの共鳴きょうめいかれおとこのみを左右さゆうしているものとかんがえられる。
  7. ^ 結婚けっこん直後ちょくごにクラプトンは浮気うわきをしている。

出典しゅってん

  1. ^ Gibson Eric Clapton 1960 Les Paul”. Gibson.com. Gibson. 2014ねん12月30にち閲覧えつらん
  2. ^ クリームの誕生たんじょう解散かいさん〜ロックあらたな潮流ちょうりゅうしたトリオバンドの強烈きょうれつなグルーヴと不協和音ふきょうわおん - TAP the POP
  3. ^ 『ライヴ・フロム・マディソン・スクエア・ガーデン』日本にっぽんばんCD(WPCR-13545/6)ライナーノーツ(大友おおともひろし、2009ねん4がつ
  4. ^ Eric Clapton 2015 Blues Hall Of Fame Inductee THE ERIC CLAPTON FAN CLUB MAGAZINE 2015ねん2がつ19にち
  5. ^ エリック・クラプトン、2016ねん4がつ来日らいにち公演こうえん決定けってい - RO69
  6. ^ “エリック・クラプトン、聴覚ちょうかく障害しょうがい告白こくはく. ローリング・ストーン. (2018ねん1がつ24にち). http://rollingstonejapan.com/articles/detail/27956 2018ねん1がつ23にち閲覧えつらん 
  7. ^ international newsワーナーミュージック・ジャパン、2000ねん5がつ29にち。(インターネットアーカイブのキャッシュ)
  8. ^ エリック・クラプトン 最新さいしんアルバム100まんまい突破とっぱ中日ちゅうにちスポーツ、1999ねん10がつ15にち。(インターネットアーカイブのキャッシュ)
  9. ^ エリック・クラプトン2014ねん2がつ来日らいにち公演こうえん決定けってい ユニバーサルミュージック公式こうしきサイト 2013ねん10がつ18にちづけ
  10. ^ 聖地せいちへ、ふたたび。5限定げんていの、武道館ぶどうかん公演こうえん決定けってい ワーナーミュージック・ジャパン公式こうしきサイト 2015ねん11月16にちづけ
  11. ^ Blind FaithLondon Hyde Park 1969』(2006、DVD、EAN 0060768842397)

参考さんこう文献ぶんけん

外部がいぶリンク