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F4U (航空機こうくうき)

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F4U コルセア

飛行するF4U-4 96832号機 (1950年代撮影)

飛行ひこうするF4U-4 96832号機ごうき
(1950年代ねんだい撮影さつえい)

F4U コルセアChance Vought F4U Corsair)は、アメリカチャンス・ヴォートしゃ開発かいはつし、だい世界せかい大戦たいせん朝鮮ちょうせん戦争せんそうアメリカ海軍かいぐん海兵かいへいたい運用うんようしたレシプロ単発たんぱつ単座たんざ戦闘せんとう愛称あいしょうの「コルセア (Corsair、コーセア)」は、バルバリア海賊かいぞく

ヴォートしゃほかグッドイヤーしゃブルースター・エアロノーティカルしゃにも生産せいさん移管いかんされ、グッドイヤーしゃせい機体きたいFG、ブルースターしゃせい機体きたいF3Aという制式せいしき名称めいしょうあたえられた。また、AUえーゆーという呼称こしょう攻撃こうげきかた存在そんざいする。

経緯けいい

開発かいはつ

国家こっか航空こうくう諮問しもん委員いいんかいでテストちゅうのXF4U-1

開発かいはつ[1][2][3][4][5][6][7][8][9][10]


1938ねん2がつ、アメリカ海軍かいぐんF2A バッファロー艦上かんじょう戦闘せんとうなどの後継こうけいとなる高速こうそく艦上かんじょう戦闘せんとう開発かいはつ要求ようきゅう告知こくちした。4月にはグラマンしゃやベルしゃ、チャンス・ヴォートしゃから1,200馬力ばりききゅうエンジンを搭載とうさいするV-166Aあんと、2,000馬力ばりききゅうエンジン搭載とうさいのV-166Bあん提出ていしゅつされ、6がつ後者こうしゃあんがXF4U-1として海軍かいぐんから試作しさく発注はっちゅうされた。当時とうじ戦闘せんとうようエンジンの出力しゅつりょくは1,000馬力ばりき以下いか標準ひょうじゅんであり、およそばい出力しゅつりょくほこる2,000馬力ばりききゅうエンジンを搭載とうさいすることになったコルセアは、これまでにたこともないほどの巨大きょだいなプロペラをつけたもっとおも艦上かんじょう戦闘せんとうとなった。

はつ飛行ひこうは1940ねん5がつ29にちおこなわれ、試作しさく一度いちど着陸ちゃくりく事故じここしたものの、10月1にちには速度そくどで405mph(651.8km/h)を記録きろく水平すいへい飛行ひこうはじめて400mphのかべえたアメリカ戦闘せんとうとなった。降下こうかテストでは890km/hにたっしたが損傷そんしょう発生はっせいし、最終さいしゅうてきには高度こうど1まんフィートからの降下こうか制限せいげんした速度そくど860km/hを記録きろくした。

地上ちじょう直径ちょっけい13フィート以上いじょうある大型おおがたのプロペラをまわ場合ばあい地面じめんたらないようにしゅあしながくする必要ひつようがあるが、前方ぜんぽう視界しかい悪化あっかするひとし欠点けってんがあり艦載かんさいにはかない設計せっけいとなる。そこでつばさがたぎゃくガルつばさ採用さいようされ、しゅあしみじか頑丈がんじょうつくりにできた。F6Fこしたような、ちゃくかん衝撃しょうげきえられずにあし破損はそんするといった事例じれいはほとんどなかった。さらにしゅあしばしら前方ぜんぽうにダイブブレーキパネルを配置はいちし、しゅあしをダイブブレーキモードで展開てんかいする場合ばあいしゅあしとダイブブレーキパネルのみ展開てんかいさせることができた。制限せいげん速度そくどしゅあしてんはりで730km/hにたっしたが、展開てんかいするさい制限せいげん速度そくどは481km/hであり、それ以上いじょう速度そくどでは完全かんぜん展開てんかいされなかった。[10]戦場せんじょうでは、おもに60以上いじょう急降下きゅうこうか爆撃ばくげき使用しようされており、空戦くうせんちゅう減速げんそくのために使用しようされている場合ばあいもあった。[11]しかし、戦闘せんとうでは展開てんかい速度そくど制限せいげんえて機能きのう異常いじょうこすことがおおかったことにくわえて、速度そくどうしなった機体きたいてき攻撃こうげきさらされやすくなるため、ダイブブレーキを使用しようせずにおこなわれた場合ばあいがほとんどである。[12][13]

フラップは主翼しゅよくぎゃくガルつばさだったので、さん分割ぶんかつされるような形状けいじょうになった。展開てんかいには主翼しゅよく形状けいじょう関係かんけいでフラップあいだ隙間すきましょうじるので、それをめるパネルも展開てんかいされた。展開てんかいかく最大さいだい50であり(英語えいごばんは60)、10ずつの間隔かんかく調節ちょうせつすることができた。限界げんかい速度そくどは50 (100%) で244km/h、20 (40%) で380km/hであった。フラップはオーバーロードリリーフシステムで保護ほごされ、速度そくどおうじて展開てんかいかく自動的じどうてき調整ちょうせいするブローアップシステムをそなえていた。形式けいしきは、NACAスロッテッドタイプとしてたか効果こうか発揮はっきし、F4Uが重量じゅうりょうきゅう高速こうそく戦闘せんとうにもフラップを使用しようして、ひく失速しっそく速度そくどするど旋回せんかい可能かのうとした。

エルロンは骨組ほねぐみと表面ひょうめん両方りょうほう木材もくざいつくられ、表面ひょうめんにははねぬのがかぶせられた。木材もくざい合板ごうはんからなる表面ひょうめんは、かたくかつなめらかで航空こうくう力学りきがくてきすぐれていることが判明はんめいした。被弾ひだん試験しけんでもぜん金属きんぞくせいエルロンと比較ひかくして空気くうき抵抗ていこうのぞましくない突起とっきないという利点りてんがあり、金属きんぞくせいよりも優先ゆうせんして採用さいようされた。完成かんせいされたエルロンにより、テストパイロットによる飛行ひこう試験しけん毎秒まいびょう180横転おうてん実現じつげんした。また、ひだりエルロンはトリムタブを装着そうちゃくして飛行ひこうちゅうにトリム調整ちょうせい可能かのうなようにした。

昇降しょうこうかじはねぬのかぶせられたアルミニウム合金ごうきん構造こうぞうで、突出とっしゅつバランスがとられた形状けいじょうブーストタブとトリムタブ設置せっちされた。これにより飛行ひこうちゅうのトリム調整ちょうせい可能かのうであり、操縦そうじゅう桿の操作そうさりょくきわめてかるくなった。

ラダーははねぬのかぶせられたアルミニウム合金ごうきん構造こうぞうで、垂直すいちょく尾翼びよく大半たいはんめており、突出とっしゅつバランスを保有ほゆうしている形状けいじょうであった。尾翼びよくのほとんどがうごくことになるため非常ひじょうたか効果こうかっていたが、ぎゃくにラダーを操舵そうだしたさいには尾翼びよく固定こていフィンの面積めんせきすくなく安定あんていせいひくかった。安定あんていした状態じょうたいからの素早すばやうごきを可能かのうにしたが、ひく安定あんていせいは、ちゃくかんには不適ふてきだった。(?きのいラダーはむしろ艦載かんさいには有用ゆうようおもわれるが?) ラダーにも可動かどうトリムタブが装着そうちゃくされていたので、F4Uはロール、ピッチ、ヨーすべてのじくたいして飛行ひこうちゅうのトリム調整ちょうせい可能かのうだった。

骨格こっかく艦載かんさいとしてあらゆる状況じょうきょう対応たいおうできるように丈夫じょうぶつくられ、量産りょうさん武装ぶそう胴体どうたい燃料ねんりょう満載まんさいした12,000lbsの戦闘せんとう重量じゅうりょうで7.5Gの制限せいげん荷重かじゅう達成たっせいした。[10]これは戦闘せんとう重量じゅうりょうで6.6GのF6F[14]や7.0GのF8F[15]よりすぐれていた。運用うんよう期間きかんちゅう機体きたい補強ほきょうおこなわれたF6Fとはことなり、F4Uは退役たいえきまで骨格こっかく補強ほきょう必要ひつようとしなかった。このような頑丈がんじょう骨格こっかくのために、高速こうそくでのきゅう機動きどう問題もんだいなくこなすことができた。

飛行ひこうちゅう初期しょきがたF4U-1

前方ぜんぽう胴体どうたいには、自動じどうぼう燃料ねんりょうタンクがあり、補助ほじょ燃料ねんりょうタンクとして使用しようすることができる主翼しゅよくない燃料ねんりょうタンクもそなえていた。主翼しゅよくないのインテグラルしき燃料ねんりょうタンクはぼうゴムがけられないため、二酸化炭素にさんかたんそ自動じどう消化しょうか装置そうちそなえていた。主翼しゅよくない燃料ねんりょうタンクは、空母くうぼ運用うんようするF4U-1Dからは撤去てっきょされた。

防弾ぼうだん装備そうびは150lbsほどのキャノピー前面ぜんめん防弾ぼうだんガラスと、座席ざせき後方こうほう防弾ぼうだんばんであった。F4U-1Aからはキャノピーカービンののち上方かみがたにも防弾ぼうだんばん設置せっちされ、F4U-1Dからは座席ざせき底部ていぶにも防弾ぼうだんばん追加ついかされた。

量産りょうさんがたF4U-1のはつ飛行ひこうは1942ねん6がつ25にちであった。初期しょき量産りょうさんは12,060lbsの戦闘せんとう重量じゅうりょうで3,000ft/min以上いじょう海面かいめん上昇じょうしょうりょく、668km/hのさい高速度こうそくど、37,000フィートの実用じつよう上昇じょうしょう限度げんどというスペックであった。

1942ねん9がつ25にちには護衛ごえい空母くうぼCVE-26でちゃくかんテストがおこなわれ、すぐにF4U-1の問題もんだいあきらかとなった。なが機首きしゅくわえ、カウルフラップのアクチュエータからんでくる油圧ゆあつえきとバルブプッシュロッドからんでくるエンジンオイルにより、ちゃくかん視界しかい最悪さいあくであった。アクチュエータの問題もんだいはF4FとPB4Y-1にならい、エンジンオイルの問題もんだいはカウルフラップの上部じょうぶセクションを固定こていしきえギャップをくすことで解決かいけつした。しかし、1943ねん実戦じっせん投入とうにゅうされたのちも、カウルフラップの上部じょうぶセクションがくなっていないF4U-1があり、エンジンオイルの問題もんだい完全かんぜん解決かいけつされたのは、F4U-1Aの登場とうじょう時点じてんであった。そのほかにも、メインギアのかた緩衝かんしょう装置そうち機体きたいがらせ、ロータイプテールギアと巨大きょだいなフラップは方向ほうこう安定あんていせい問題もんだいこした。また着陸ちゃくりくさい減速げんそくちゅう突然とつぜん失速しっそく転覆てんぷくしたりなどする事故じこ発生はっせいした。

結局けっきょくこのままではF4Uは空母くうぼ運用うんようするには不適ふてきとされ、初期しょき生産せいさんがたのほとんどは海兵かいへいたいわたされた。しかしVF-17のように、F4Uをこの部隊ぶたいごと空母くうぼから地上ちじょう部隊ぶたいへと変更へんこうされた海軍かいぐん飛行ひこうたい存在そんざいした。

運用うんようちゅう活躍かつやく

戦闘せんとう記録きろく
[4][5][7][8][9][16][17][18][19][20][21][22][23][24][25][26][27]

1943ねん

F4Uの初戦しょせんは1943ねん、ガダルカナルに進出しんしゅつした、F4Uの平均へいきん運用うんよう時間じかんが30あいだぎない[23][28][27]VMF-124であった。かず練度れんどまさ日本にっぽん海軍かいぐんよんそらそらはちそら[29]機体きたい交戦こうせんした結果けっかべいぐんがわが8損失そんしつ[30]日本にっぽんがわれいせん1自爆じばくという一方いっぽうてき損害そんがいけ、のちに「セントヴァレンタインデーの虐殺ぎゃくさつ」とばれるだい敗北はいぼくきっした。

「セントヴァレンタインデーの虐殺ぎゃくさつ」は、1943ねん2がつ14にちきた。たいかん攻撃こうげきため侵攻しんこうする9PB4Y プライヴァティア爆撃ばくげきを12のVMF-124所属しょぞくのF4Uがちょく掩し、10べい陸軍りくぐん339FS、347FS所属しょぞくP-38 ライトニング戦闘せんとう高空こうくう援護えんごしていた。日本にっぽんがわはブインより出撃しゅつげきよんそら所属しょぞくの13れいせん、バラより出撃しゅつげきそら所属しょぞくの14〜17れいせん、ショートランド基地きちより出撃しゅつげきはちそら所属しょぞくの11しきみずせん邀撃ようげきし、うち31交戦こうせんした。乱戦らんせん結果けっか日本にっぽんがわ圧勝あっしょうであった。べいぐん損失そんしつ8には、新鋭しんえいF4Uが2ふくまれていた。撃墜げきついされたF4Uはリヨン中尉ちゅうい・ステュアート中尉ちゅうい機体きたいだった。ステュアート中尉ちゅういみずからの機体きたい格闘かくとう戦中せんちゅう燃料ねんりょうタンクに被弾ひだんしたため、僚機にわかれをげて2まんフィートから機体きたい降下こうかさせて海面かいめん衝突しょうとつした。リヨン中尉ちゅういてき空中くうちゅう衝突しょうとつした。二人ふたりども行方ゆくえ不明ふめい (MIA) とされた。その撃墜げきついされた4のP-38と2のPB4Yのパイロットもまた行方ゆくえ不明ふめい (MIA) と処理しょりされた。べいぐん行方ゆくえ不明ふめいしゃなか生存せいぞんしゃは、P-38パイロット2にんでそのなか1人ひとり捕虜ほりょとなった。一方いっぽう日本にっぽんがわ損失そんしつは、被弾ひだんによりF4Uと衝突しょうとつ自爆じばくしたとされているそら機体きたいのみであった。新鋭しんえい初陣ういじんにもかかわらず損失そんしつがあったことにあわてたべいぐんは、当分とうぶんのあいだ昼間ひるまばくげき中断ちゅうだんし、F4Uのパイロットたちたいしてすぐに日本にっぽんがわつよさと戦術せんじゅつ教育きょういくした[4]

以後いご、F4Uは機体きたい自体じたい高性能こうせいのう機関きかんじゅう6ちょうという当時とうじとしてはたか火力かりょく利用りようして『ごう作戦さくせんごろには、汚名おめい返上へんじょうする活躍かつやくせた。しかしこの時期じきのF4Uをくるしめたのは、機体きたいとエンジンの信頼しんらいせいであった。 ソロモン戦域せんいき劣悪れつあく作戦さくせん環境かんきょうあたらしい機体きたい整備せいびプールの不足ふそくにより、さまざまな問題もんだい発生はっせいした。この時期じきのR-2800は、点火てんか装置そうちへの電波でんぱ干渉かんしょうからの保護ほご不足ふそくしてこう高度こうどでエンジンが停止ていしするなどの問題もんだい発生はっせいし、カウリングからはオイルが風防ふうぼうガラスをおおって、胴体どうたいない燃料ねんりょうタンクでも燃料ねんりょうれるなど、1943ねんまつまでのF4U-1は高性能こうせいのうではあるが危険きけん戦闘せんとうだった。 F4U-1Aの登場とうじょう時点じてんではエンジンの問題もんだい改善かいぜん、オイルの問題もんだいはカウリング上方かみがたのパネルを固定こていしきえ、燃料ねんりょう問題もんだい胴体どうたいにテーピングをすることで改善かいぜんした。F4UとF6FはR-2800をエンジンとした最初さいしょ戦闘せんとうとしてたがいの開発かいはつ密接みっせつ関連かんれんがあり、F4Uの改善かいぜん過程かていはカビュレーターのきをのぞおなじエンジンを使用しようしたF6Fにフィードバックされ、ほとんどの初期しょき不良ふりょう問題もんだい解決かいけつしてから実戦じっせん参加さんかすることができた。兵器へいき研究けんきゅう大塚おおつか好古よしふるは、その著書ちょしょべい海軍かいぐん戦闘せんとう」のなかでR-2800エンジンの初期しょき不良ふりょうについてれ、「問題もんだいほとん解決かいけつしたのち実用じつようされたF6F非常ひじょう幸運こううんだった」とひょうしている。

ちゃくかん問題もんだいによる先入観せんにゅうかんとはちがい、飛行ひこうちゅうのF4Uは基本きほんてき失速しっそく特性とくせい良好りょうこうだった。すうねんにわたるグッドイヤー、ブリュースター、ヴォート・エアクラフト・インダストリーズのすべての機體きたい生産せいさん監察かんさつ報告ほうこくしょによると、基本きほんてき失速しっそく特性とくせいは、きざしが良好りょうこう進行しんこうゆるやかで回復かいふく容易よういであるということだった。[31][32][33]しかし着陸ちゃくりくあし、フラップ、ダイブブレーキパネルをすべて展開てんかいしてスロットルをくだした着陸ちゃくりくでは失速しっそく前兆ぜんちょうほとんどなく突然とつぜんつばさはし失速しっそく発生はっせいし、とく空母くうぼかんする場合ばあいには危険きけんだった。

海兵かいへいたいのF4U航空こうくうたいたちは連合れんごうぐん矛先ほこさきとして、1943ねんまつには「ソロモンのはしご」とばれる進出しんしゅつえて、1944ねんはるまでさい精鋭せいえいであったラバウル航空こうくうたい激戦げきせんひろげた。F4Uがはじめて配備はいびされた1943ねんはるから、この期間きかん、1944ねんはるまでに、ソロモン戦域せんいきあらたに配置はいちされたF4Uのパイロットたちは、戦場せんじょう配備はいびされた時点じてんでの実戦じっせん経験けいけんがないか、水上すいじょうばくげきりとして訓練くんれんされたが突然とつぜん戦闘せんとうへの機種きしゅ転換てんかんえたものであったり、平均へいきんてき戦闘せんとう経験けいけん練度れんどひくかったので、操縦そうじゅう技能ぎのう駆使くしする格闘かくとうせんけ、機体きたい性能せいのう優位ゆういせいかしてたたか一撃いちげき離脱りだつ戦法せんぽうと、すぐれた防御ぼうぎょりょく利用りようした編隊へんたい空戦くうせんおももちいた。[27][34]

プロペラのあつい6501A-0、別名べつめい「パドル」プロペラブレードを装備そうびして作戦さくせんちゅうのVF-17のF4U-1A。

そして1943ねんわりからコックピット付近ふきんさい設計せっけいして信頼しんらいせい問題もんだい解決かいけつしたF4U-1Aが配備はいびされ、1944ねんはじめからみずメタノール噴射ふんしゃ装置そうち装備そうびしたF4U-1Aの後期こうき生産せいさんがた配置はいちされた。この時期じき地上ちじょう作戦さくせんするF4Uの一部いちぶはアレスティングフックを撤去てっきょしたり、直径ちょっけい13フィート1インチの6501A-0新型しんがたプロペラブレードを装着そうちゃくして性能せいのうたかめた。性能せいのうすぐれたF4Uを空母くうぼ搭載とうさいするために、ヴォートしゃ海軍かいぐん様々さまざま努力どりょくかたむけた。 F4U-1Aは、コックピット位置いちげるさい設計せっけいにより視界しかいくなり、あらたにながあしばしら設置せっちしてタキシングや離着陸りちゃくりくのAOAをげた。右翼うよくはストールをゆるやかにしてくれるスポイラーを設置せっちした。これらの改良かいりょうおこなった陸上りくじょうよう戦闘せんとうとしてのF4U-1Aは、武装ぶそう機内きない燃料ねんりょう満載まんさいした戦闘せんとう重量じゅうりょう状態じょうたいで693km/ hの速度そくど達成たっせいし、陸軍りくぐんのP-51Bとの比較ひかくでは、加速かそく起動きどう上昇じょうしょうりょく優勢ゆうせいであり、速度そくど海面かいめん高度こうど一部いちぶ領域りょういきまさ性能せいのうしめした。[35][36]一方いっぽう、このような改造かいぞうおこなわれず、13フィート4インチ直径ちょっけいの6443A-21旧型きゅうがたプロペラブレードをそなえた生産せいさんラインの基本きほんてきなF4U-1Aの公式こうしき最高さいこう速度そくどは671km/ hであった。[37]すべての改善かいぜんてん生産せいさんラインじょう完全かんぜん反映はんえいされたのは、F4U-1D生産せいさん時期じきであった。

F4Uの部隊ぶたいはソロモン諸島しょとう北上ほくじょうしながら、最終さいしゅうてきにラバウル方面ほうめん活躍かつやくして日本にっぽんぐん航空こうくう戦力せんりょく消耗しょうもうさせた。日本にっぽんぐん空母くうぼ部隊ぶたいだいいち航空こうくう艦隊かんたいだい航空こうくう艦隊かんたいなどの精鋭せいえい航空こうくう戦力せんりょく地上ちじょう基地きち派遣はけんしており、これらの消耗しょうもうにより艦隊かんたい航空こうくう戦力せんりょく弱体じゃくたいした。しかし、ラバウル航空こうくうたいすぐれた技量ぎりょうにより、べい海兵かいへい航空こうくうたいとVF-17のF4Uもおおくの被害ひがいこうむった。岩本いわもと徹三てつぞうのように、最終さいしゅうてきすうじゅうのF4U撃墜げきつい報告ほうこくしたパイロットもあった。[38]この期間きかんちゅうにVF-17のF4Uは空母くうぼかんしてさい補給ほきゅう正常せいじょう運用うんようされることで艦載かんさい復帰ふっきへの可能かのうせいしめした。

以後いご弱体じゃくたいされた日本にっぽん航空こうくう戦力せんりょくたいし、本格ほんかくてき空母くうぼ機動きどう部隊ぶたい所属しょぞくするF6Fだい活躍かつやくした。ソロモン戦域せんいき消耗しょうもうせんとはことなり、空母くうぼ機動きどう部隊ぶたい支援しえんけて集中しゅうちゅう運用うんようされたF6F艦載かんさいとしての優位ゆういせいかし、積極せっきょくてき戦果せんかかさねていった。マリアナ海戦かいせんF6F日本にっぽん艦隊かんたい航空こうくう勢力せいりょく壊滅かいめつさせているあいだ、F4Uは地上ちじょうしばられていたため、空中くうちゅうせん活躍かつやくする機会きかいがほとんどなかった。

1944ねん

一方いっぽう様々さまざま問題もんだい完全かんぜん解決かいけつされたF4U-1Aから、さら空母くうぼ運用うんようのための改良かいりょう完了かんりょうしたF4U-1Dは、1944ねん4がつ22にち、VF-11のゴードンキャディ中佐ちゅうさ、VF-1のバーナードストリン中佐ちゅうさ、VMF-223のジョン・スミス大佐たいさによって、護衛ごえい空母くうぼせまいデッキにおいてF6F-5と比較ひかくされた。 3週間しゅうかんわた評価ひょうか試験しけんされた結論けつろんによれば、F4U-1DはF6F-5にくらべてうたがいの余地よちなく高速こうそくであり、F6F-5の機動きどうせいF6F-3よりかったがF4U-1Dにはおよばず、F4U-1DはF6F -5より上昇じょうしょうりょくすぐれていて、とく高速こうそく上昇じょうしょう性能せいのう目立めだつことがあきらかになった。 F4U-1Dは操作そうさかる軽快けいかいでよりばしやすい航空機こうくうきであり、固定こてい武装ぶそう配置はいちもより実戦じっせんきであると評価ひょうかされた。とく重要じゅうよう利点りてんは、武器ぶきのプラットフォームとして安定あんていしておりばくげきとロケット発射はっしゃ有利ゆうりであることだった。しかし、空母くうぼかんには、ちゃくかん視界しかいひろF6F-5がよりすぐれているてん確認かくにんされた。[4][7][39]

1944ねん5がつ16にち空母くうぼ運用うんよう能力のうりょく強化きょうかされたF4U-1Dにたいして「一般いっぱんてきにF4UはF6F比較ひかくして、より戦闘せんとう・よりばくげきであり、同等どうとう空母くうぼ運用うんよう能力のうりょくつということが理事りじかい見解けんかいであり、艦載かんさい戦闘せんとう艦上かんじょう爆撃ばくげきをF4Uにえることがつよ推奨すいしょうされる」という結論けつろんくだされ、本格ほんかくてき艦載かんさいとしての能力のうりょく証明しょうめいすることになった。

1944ねん8がつには、ばくだん搭載とうさいりょう劇的げきてき進展しんてんがあった。太平洋たいへいよう海兵かいへい飛行ひこうたい訪問ほうもんしたチャールズ・リンドバーグによってF4Uの最大さいだい搭載とうさいりょうは、2,000lbsばくだん1はつと1,000lbsばくだん2はつ最大さいだい4,000lbsにまで向上こうじょうした。しかしこのようなだい重量じゅうりょうばくだん搭載とうさいはほとんどおこなわれなかった。離陸りりく滑走かっそう距離きょりながくなってしまったため、リンドバーグでさえカーブしながら離陸りりくする古典こてんてきなテクニックをもちいる必要ひつようがあった。

1944ねん10がつ、メリーランドしゅうNASパタクセント・リバーで、米国べいこく英国えいこく捕獲ほかくされた日本にっぽん戦闘せんとうによる合同ごうどう戦闘せんとう競技きょうぎがあり、ここでもF4U-1Dは、たか評価ひょうかけた。最高さいこう艦載かんさいであり、最高さいこう戦闘せんとう爆撃ばくげきとしてえらばれており、たか機動きどうせい優秀ゆうしゅう性能せいのうおおくの支持しじけた。参加さんかした英国えいこくのパイロットもF4Uのすぐれた高速こうそく機動きどうせい戦闘せんとう能力のうりょくたか評価ひょうかした。最終さいしゅうてきにF4U-1Dは、この比較ひかくのプログラムで量産りょうさんなかでは総合そうごう性能せいのうもっとすぐれていることを考慮こうりょされた。好評こうひょうけたF4U-1Dだったが、コクピットのレイアウトと自動じどう、25,000フィート以上いじょうでの性能せいのうは、改善かいぜんすべきてんとして指摘してきされて以降いこうのF4U-4やF4U-5は、基本きほん性能せいのうげながら、その機能きのう改善かいぜんする方向ほうこう発展はってんした。[40][41]

1944ねん12月28にちから空母くうぼ配備はいびされたF4U-1Dは戦闘せんとう爆撃ばくげきとしての頭角とうかくせ、硫黄いおうとう沖縄おきなわへの攻撃こうげき活躍かつやくした。地上ちじょう兵士へいしたちにはF4Uの心強こころづよ地上ちじょう支援しえん好評こうひょうであり、たたかいがわるころには「沖縄おきなわ恋人こいびと(Okinawa Sweet-heart)」とばれた。F4U-1Dは太平洋戦争たいへいようせんそうにおいて最高さいこう急降下きゅうこうか爆撃ばくげきひとつとされるSBD ドーントレスにくらべ、まったくおとらないばくだん搭載とうさいりょう正確せいかく急降下きゅうこうか性能せいのうっているとされた。

損傷そんしょうけて帰還きかんしたF4U-1D

1944ねんとはことなり、1945ねんからはF4Uも本格ほんかくてき空母くうぼ運用うんようされたのでだい一線いっせん空中くうちゅうせんをすることになった。F4Uの脅威きょういとなる紫電しでん疾風しっぷう優秀ゆうしゅう性能せいのうっていたが、パイロットのてい練度れんど信頼しんらいせい不良ふりょうでF4Uがおおむね優勢ゆうせいだった。紫電しでん疾風しっぷう両方りょうほうたたかった経験けいけんがあり、ソロモン戦域せんいきでVF-17所属しょぞく活動かつどうしていたVF-84のエースパイロット、ロジャー・ヘンドリックは「F4U-1Dは、日本にっぽん最新さいしんのモデルにくらべてすぐれていると判明はんめいした。疾風しっぷう紫電しでんとの性能せいのうおおきくないが、積極せっきょくてき攻撃こうげきにより勝利しょうりするのに十分じゅうぶんである。」とした。一方いっぽう、VMF-441は、航空機こうくうき活動かつどう報告ほうこくしょに「てきのパイロットはわたしたちにくらべて経験けいけんりず、積極せっきょくてきではないようにえた。てきわたしたちに発砲はっぽうしていなかったし、かれらのすぐれた機動きどうせい利用りようすることもできなかった。」とかたった。しかし、この時期じきのF4Uもロケットランチャーとスタブパイロンとドロップタンクなどの搭載とうさいにより、空中くうちゅう戦闘せんとう制約せいやくおお状態じょうたいであったため、速度そくど優位ゆういせいかすことがむずかしく機動きどうせい低下ていかした。F4Uがおも配置はいちされた新設しんせつ戦闘せんとうばくげき飛行ひこうたい (VBF) の平均へいきんてき空中くうちゅうせん経験けいけん技量ぎりょうも、再編さいへん過程かていもと雷撃らいげき急降下きゅうこうか爆撃ばくげきのパイロットが多数たすう参加さんかしており、F6F飛行ひこうたいくらべると不足ふそくであった。士気しき練度れんどたかかった343航空こうくうたい紫電しでんあらためとのたたかいでは、戦術せんじゅつによる状況じょうきょう優位ゆうい勝敗しょうはいけた。おたが奇襲きしゅう成功せいこうさせたほう勝利しょうりし、かずおおく、より自由じゆうたたかうことができるほう優勢ゆうせいだった。[42][43][44]

1944ねんまつから海軍かいぐん供給きょうきゅうされたZ-2あずか圧服あっぷくは、機体きたい構造こうぞう頑丈がんじょう高速こうそく機動きどうせいすぐれたF4Uとの相性あいしょう非常ひじょういことをしめし、その価値かち証明しょうめいした。343航空こうくうたい紫電しでんあらためかこまれた2のF4Uがドロップタンクをつけたまますうてき優位ゆうい紫電しでんあらため降下こうか攻撃こうげきたいしてブラックアウトギリギリのきゅう機動きどうおこない、むしろ紫電しでんあらため相次あいついで撃墜げきついして突破とっぱした事例じれいもあった。[42]

1945ねん

1945ねんには、あたらしいCシリーズR-2800エンジンと4まいプロペラのF4U-4が配備はいびされた。海兵かいへい飛行ひこうたいのF4U-4は、沖縄おきなわせんから本格ほんかくてき運用うんよう開始かいししたが、海軍かいぐんのF4U-4はほとんど活躍かつやくしていなかった。例外れいがいてき修理しゅうりのために真珠湾しんじゅわん入港にゅうこうしたハンコックだけは、航空こうくう母艦ぼかんよりはやくF4U-4を受領じゅりょうすることができたので、日本にっぽん本土ほんど攻撃こうげき運用うんようすることができた。だい大戦たいせんちゅうにおける最後さいご形式けいしきであるF4U-4は、ロケットランチャーとスタブパイロンしで弾薬だんやく燃料ねんりょう搭載とうさいしたうえで746km/hもの速度そくどすことができる圧倒的あっとうてき性能せいのうっていたが、空中くうちゅうせん機会きかいはほとんどなかった。数少かずすくない記録きろくちゅう、VMF-223の活動かつどう報告ほうこくしょによると、飛行ひこうだい47戦隊せんたい疾風しっぷう相手あいてに「てきはF4U-4に圧倒あっとうされた。かれらの頭上ずじょうおさすぐれた速度そくど発揮はっきした。」とされている。[44]

1945ねん本土ほんど攻撃こうげきで、日本にっぽん新型しんがたなどのこう火力かりょくにさらされることがおおかったF4Uは、たかたい弾性だんせい生存せいぞんりつしめした。F4Uは紫電しでん攻撃こうげきにより搭載とうさい弾薬だんやく爆発ばくはつして主翼しゅよくさんわりんだり、40mmほうによって主翼しゅよく中央ちゅうおう区画くかくがほぼ喪失そうしつした状態じょうたいでも、生還せいかんした事例じれいがあった。VMF-124のエースだったケネス・A・ウォルシュは、「わたしたちのひく損失そんしつりつは、F4Uのその速度そくど丈夫じょうぶさに起因きいんする。」とべた。しかし、米国べいこくがわ統計とうけいによると被弾ひだん生存せいぞんりつは、よりひろ主翼しゅよくとよりおおきい胴体どうたいF6Fにはおよばなかったとされている。[42][43][45]

大戦たいせんちゅうべい海軍かいぐん期待きたいになったF4Uであったが、戦後せんご記録きろく集計しゅうけいした結果けっか空中くうちゅうせんでの成果せいかとキルレシオの両方りょうほうF6Fよりおとることが判明はんめいした。べい海軍かいぐんは19:1のキルレシオを記録きろくし、もっとおおくのてき撃墜げきついしたとされたF6Fを、太平洋戦争たいへいようせんそう最高さいこう戦闘せんとうであると判定はんていした。べい海軍かいぐんべい海兵かいへいたいのF4Uは、だい世界せかい大戦たいせんちゅうに2,140撃墜げきついしながら189うしない、11.3:1の空中くうちゅうせんキルレシオを記録きろくした。しかしこれらの集計しゅうけい結果けっかは、海兵かいへいたいのF4UがF6Fよりもさきに、はるか劣勢れっせい作戦さくせん環境かんきょうでより練度れんどたか日本にっぽんのパイロットを相手あいて苦戦くせんした戦場せんじょう状況じょうきょうとう考慮こうりょしていない数字すうじだった。実際じっさいに1943ねんにおけるF4Uの戦闘せんとう出撃しゅつげき回数かいすう戦争せんそう全体ぜんたい出撃しゅつげきすうの5%程度ていどであったが、空中くうちゅうせんでの損失そんしつたいする割合わりあい全体ぜんたいの50%にたっした。これはラバウル航空こうくうたいをはじめ、日本にっぽんぐんすぐれた技量ぎりょう初期しょきF4U-1がっていた様々さまざま問題もんだい海兵かいへいたいパイロットのひく平均へいきん練度れんど原因げんいんであるが、統計とうけい資料しりょうでは無視むしされている。

さらにF6Fたか戦果せんかは、さきたたかっていた海軍かいぐん海兵かいへい飛行ひこうたい陸軍りくぐんだい5、だい13空軍くうぐん執拗しつよう消耗しょうもうせんにおいて、日本にっぽんぐん航空こうくう勢力せいりょく戦力せんりょくいちじるしく消耗しょうもうさせたことに影響えいきょうされている。実際じっさいに1944ねん2がつにラバウルから戦闘せんとう撤退てったいしたのち、パイロットの平均へいきん技量ぎりょうべいぐんがわ優位ゆういとなり、6月のマリアナ海戦かいせんまで南太平洋みなみたいへいよう日本にっぽん航空こうくう勢力せいりょく累積るいせきされた損害そんがい回復かいふくできず、日本にっぽんがわ指揮しきかんにとって技量ぎりょう戦力せんりょく双方そうほう不足ふそく問題もんだいとなった。

こうして戦況せんきょう有利ゆうりになってから艦上かんじょう戦闘せんとうとして配備はいびされ空戦くうせん活躍かつやくし、前任ぜんにんのF4Fでの経験けいけんかすことができたF6Fにたいし、どう時期じき飛行場ひこうじょうから戦闘せんとうばくげき任務にんむ配備はいびされることのおおかったF4Uでは、撃墜げきつい戦果せんかにおいて明暗めいあんかれる結果けっかとなった。F4Uは1945ねん空母くうぼでの運用うんよう開始かいししたのちも、パイロットの平均へいきん技量ぎりょうすぐれたF6Fくらべ、よりすぐれた機体きたい性能せいのうかした戦果せんかげられなかった。大戦たいせんちゅう海軍かいぐんおよ海兵かいへいたいにおけるF4Uの戦闘せんとう出撃しゅつげき回数かいすうは64,051かいのぼったが、うち空母くうぼからの出撃しゅつげきは9,581かいぎなかった。[20]

ばくだん装備そうびしたF4U-1A

だい世界せかい大戦たいせん

戦後せんご、アメリカがわ統計とうけいデータは自軍じぐん記録きろくにのみもとづき日本にっぽんがわ記録きろく反映はんえいされておらず、べいぐんがわ数値すうち信頼しんらいせいたかいものの、日本にっぽんがわ損失そんしつ出撃しゅつげき回数かいすうなどの数値すうちには疑問ぎもんがあることあきらかになった。交戦こうせん記録きろくさい検証けんしょうした結果けっか実際じっさい撃墜げきつい戦果せんかほかてき識別しきべつあやまりもおおかったことが判明はんめいした。たとえばF4Uの海兵かいへいたいパイロットの場合ばあい、343航空こうくうたいの(紫電しでんことなり、正面しょうめんからていつばさ配置はいちなのがあきらかな)紫電しでんあらため新型しんがたとして識別しきべつできず、ほとんどすべてがれいせん飛燕ひえん鍾馗しょうき疾風しっぷうとして報告ほうこくされた。ぎゃく日本にっぽんがわのパイロットがF4UをF6F (グラマン) と識別しきべつした場合ばあい確認かくにんされている。[42][43][45]

一方いっぽう地上ちじょう攻撃こうげきにおけるF4Uの活躍かつやくおおきかった。F6Fとはぎゃくに、地上ちじょう攻撃こうげきおおくの経験けいけんんだF4Uはちょう低空ていくう飛行ひこうし、正確せいかくばくげき機銃きじゅう掃射そうしゃをすることでたか評価ひょうかた。海兵かいへいたいパイロットは硫黄いおうとうで、陸軍りくぐんのP-51パイロットに近接きんせつ航空こうくう支援しえんのノウハウを伝授でんじゅしたりした。そしてばくだんやロケットだん搭載とうさい低空ていくう地上ちじょう攻撃こうげきおこなうF4Uは、日本にっぽんぐん迎撃げいげき被害ひがいもあった。F4Uは戦争せんそうちゅう14171トンのばくだん投下とうかし、これは太平洋戦争たいへいようせんそうべいぐん戦闘せんとう投下とうかしたばくだん全体ぜんたいの70%に相当そうとうするりょうであった。[20]

とく戦争せんそうちゅう様々さまざま比較ひかく飛行ひこうなどでられたノウハウが反映はんえいされ、戦争せんそうわりに登場とうじょうしたF4U-4は、これらの性能せいのう一段いちだん死角しかくがない高性能こうせいのうとして大戦たいせん最強さいきょうのレシプロ戦闘せんとうひとつであった。[46]1944ねん比較ひかく一緒いっしょ参加さんかした以降いこう競争きょうそう相手あいてであるF8Fとは2まん5せんフィート以上いじょうでのこう高度こうど性能せいのう維持いじしながら、すべてのパフォーマンスをバランスよく向上こうじょうさせたF4U-4と、1だんきゅう装備そうびしててい高度こうど性能せいのう焦点しょうてんてたF8F-1でまったべつこたえをした。べいぐん公式こうしき性能せいのう文書ぶんしょによると、りょう戦闘せんとう高度こうど6,000フィート以上いじょうではF4U-4、それ以下いかではF8F-1が優勢ゆうせいだったとされている。[47][15]

以後いご、F4U-5は大型おおがたされたサイドホイールスーパーチャージャーをそなえ、もう一度いちどたか高度こうど性能せいのう向上こうじょうさせる一方いっぽう全体ぜんたいてきなパフォーマンスをいち段階だんかいげた。それにくらべて当時とうじ競争きょうそう相手あいてであったF8F-2は、スーパーチャージャーを改良かいりょうしてこう高度こうど対応たいおうしたが、てい高度こうど性能せいのう低下ていかして重量じゅうりょう大幅おおはば増加ぞうかし、こう高度こうど性能せいのうもF4U-5にはおよばず、全体ぜんたいてきにF4U-5に劣勢れっせいであった。これはF4U-5がサイズに余裕よゆうがあり、2だんスーパーチャージャーを維持いじしながら、重量じゅうりょう増加ぞうかともな性能せいのう低下ていかすくなかったからである。F4U-5は、スーパーチャージャーとカウルフラップコントロールが自動じどうされ、主翼しゅよく外側そとがわパネルをぜん金属きんぞくえ、ラダーにブーストタブの追加ついか昇降しょうこうかじのブーストタブにスプリングを設置せっちし、さらにすぐれた操縦そうじゅうせいっていた。べいぐん公式こうしき性能せいのうデータによると、F4U-5は陸軍りくぐんのP-51Hと比較ひかくしても、互角ごかく性能せいのうっており、究極きゅうきょくのレシプロ戦闘せんとうひとつであった。[48][49][50]

当機とうきはエンジンの交換こうかん電子でんしポッドの装備そうびなど、すうおおくの派生はせいがた存在そんざいしている。これは当機とうき大型おおがたであったうえ馬力ばりきにもかなり余裕よゆうをもって設計せっけいされているためにできたことである。

ジェット時代じだい

大戦たいせん戦闘せんとうのジェットエンジンすすんだが、初期しょきのジェット戦闘せんとう木造もくぞう甲板かんぱん空母くうぼでの使用しようなんがあったため、戦後せんごもF4Uの生産せいさんつづけられた。純粋じゅんすい戦闘せんとうとしての任務にんむはジェット戦闘せんとうゆずり、レシプロ戦闘せんとう爆撃ばくげきとして使つかわれることになったが、F4Uはこの目的もくてきにぴったりであり、生産せいさんは1950年代ねんだいまでつづいた。この時期じき、チャンス・ヴォートしゃちょう音速おんそく戦闘せんとうであるF8Uの開発かいはつ着手ちゃくしゅしており、そのかたわらでレシプロであるほん生産せいさん継続けいぞくしていた。朝鮮ちょうせん戦争せんそうでは海兵かいへいたい所属しょぞくとして開戦かいせん当初とうしょ活躍かつやくした。しかし、だい世界せかい大戦たいせんくらべて発展はってんした対空たいくう火力かりょくによってF4Uもおおくの被害ひがいこうむった。とく主翼しゅよくのリーディングエッジ付近ふきん存在そんざいするオイルラジエーターは正面しょうめんからの攻撃こうげきたいして脆弱ぜいじゃくで、おおくのF4Uが油圧ゆあつ低下ていかによるエンジンの出力しゅつりょく損失そんしつ不時着ふじちゃくした。ほとんどの機体きたいは20mm機関きかんほう装備そうびしたF4U-4BやF4U-5系列けいれつ機体きたいだったが、12.7mm機関きかんじゅうっただい2大戦たいせん形式けいしきのF4U-4も参加さんかして、たか装弾そうだんすう信頼しんらいせい地上ちじょう攻撃こうげきにあって、より効果こうかてきだという評価ひょうかけた。空中くうちゅうせん性能せいのうかす機会きかいはほとんどなかったが、たまに遭遇そうぐうしたYakやLaについては、圧倒的あっとうてき優勢ゆうせいせた。MiG-15を撃墜げきついした事例じれいもあった。1952ねん9がつ10日とおか地上ちじょう攻撃こうげきのために、海辺うみべ上空じょうくう横切よこぎっていたポルモ大佐たいさはウイングマンのダニエル中佐ちゅうさ一緒いっしょに4のMiG-15に攻撃こうげきされて1のMiG-15を撃墜げきついした。しかし、そのさらに4のMiG-15が攻撃こうげきしてきて、かれのF4U-4Bは、以降いこう交戦こうせん撃墜げきついされた。様々さまざま活躍かつやくによって価値かち証明しょうめいしたF4UはF4U-5NLやAUえーゆー-1のような戦争せんそうなか要件ようけん改善かいぜんしたモデルの追加ついか契約けいやく獲得かくとくし、ジェット時代じだいにも生産せいさん継続けいぞくした。[51][52]

他国たこくでの使用しよう

F4Uはだい2世界せかい大戦たいせん当時とうじイギリス海軍かいぐんにも供与きょうよされ、本格ほんかくてき運用うんようは1944ねんから終戦しゅうせんまでと期間きかんてきにはみじかかったものの、アメリカ海軍かいぐんよりもさきの1943ねん時点じてん空母くうぼイラストリアスで運用うんようおこなった。イギリス海軍かいぐんではひだり旋回せんかいしつつちゃくかん寸前すんぜんまで視界しかい確保かくほしながらのアプローチをおこない、アメリカ海軍かいぐん問題もんだいとされた視界しかい不良ふりょう緩和かんわできた。F4U-1はコルセア Mk.I、F4U-1AとF4U-1Dはコルセア Mk.IIと命名めいめいされ、F3A-1はコルセアIII、FG-1とFG-1Dは、コルセアIVと命名めいめいされた。IIからIVでは天井てんじょうひくいイギリス空母くうぼ格納庫かくのうこへの収容しゅうようのため、主翼しゅよくつばさはしとされていた。アメリカで製造せいぞうされたコルセアはクォンセット・ポイントなどから護衛ごえい空母くうぼでイギリスへとはこばれた。戦艦せんかんティルピッツを攻撃こうげきするタングステン作戦さくせんでは、ばくげき部隊ぶたい護衛ごえいとしてその役割やくわりたした。大戦たいせん末期まっきにはイギリス太平洋艦隊たいへいようかんたい編入へんにゅうされた空母くうぼ同行どうこうし、日本にっぽん近海きんかいでも作戦さくせん従事じゅうじした。

また戦後せんごはアメリカの同盟どうめいこく供給きょうきゅうされ、ラテンアメリカ諸国しょこくではながらく現役げんえきにあった。

フランスぐん所属しょぞくAUえーゆー-1は、1954ねんディエンビエンフーのたたかいに参加さんかし、7週間しゅうかん1,442かい出撃しゅつげきをし、7週間しゅうかんばくだん投下とうか1,567トン、ロケット発射はっしゃ850はつ機銃きじゅう掃射そうしゃ130,000を記録きろくした。以後いご、フランス海軍かいぐんはスエズ、アルジェリアなどでもF4U-7を使用しようした。1969ねんのサッカー戦争せんそうにおいても使用しようされ、レシプロ戦闘せんとう同士どうし最後さいご空中くうちゅうせんおこなった。同年どうねん7がつ17にち、ホンジュラスとエルサルバドル国境こっきょう付近ふきんきた2空中くうちゅうせんにおいて、ホンジュラス空軍くうぐんフェルナンド・ソト・エンリケス大尉たいい操縦そうじゅうするF4U-5が、エルサルバドル空軍くうぐんのF-51D (べい軍用ぐんよう命名めいめい規則きそく変更へんこうでのP-51Dの制式せいしきめい) 1とFG-1D (グッドイヤーしゃせいF4U-1Dの呼称こしょう) 2撃墜げきついし、レシプロ戦闘せんとう最後さいご空中くうちゅうせんでの勝者しょうしゃとなった。ソト大尉たいいは「最後さいごのコルセア・ライダー」としてられる存在そんざいである。

性能せいのう

だい世界せかい大戦たいせんちゅうにはおも戦闘せんとう爆撃ばくげきとして頭角とうかくあらわし、せいそら戦闘せんとうとしてのポテンシャルをほとんどかせなかったF4Uだったが、その性能せいのう艦上かんじょう戦闘せんとうという制約せいやくえるすぐれたものだった。速度そくどどう時期じきのP-51をのぞき、2まんから2まん5せんフィート以下いかではのほとんどのべいぐん戦闘せんとうよりもはやかった。加速かそく性能せいのうでは捕獲ほかくしたれいせん飛燕ひえん陸軍りくぐんのP-51Bと海軍かいぐんF6Fよりもたかいと評価ひょうかされたが、旧式きゅうしきプロペラブレードを採用さいようした初期しょきのF4U-1では高速こうそくいき効率こうりつち、初期しょき加速かそくにはすぐれているが最終さいしゅうてきにP-51におくれをとることが確認かくにんされた。[53]

上昇じょうしょう性能せいのう低速ていそくいきでは平凡へいぼんだったが、高速こうそくいきではすぐれていた。F4U-1は1942ねん捕獲ほかくしたれいせん比較ひかくした場合ばあい高速こうそくいきでの上昇じょうしょう性能せいのうはよりすぐれており、持続じぞく上昇じょうしょう場合ばあいほぼ同等どうとうか、スーパーチャージャーシフト高度こうど過熱かねつされた場合ばあいすこおくれをとると評価ひょうかされ、TAICレポートのれいせん52がた比較ひかくされたF4U-1Dの場合ばあい持続じぞく上昇じょうしょう場合ばあい1まんフィートまで同等どうとう以降いこうはよりすぐれていると評価ひょうかされた。また、鹵獲ろかくした飛燕ひえんとの比較ひかくでは、F4U-1Dが高速こうそく上昇じょうしょうで、はるかに優勢ゆうせいであり、低速ていそく上昇じょうしょうにもすべての高度こうど優勢ゆうせい評価ひょうかされた。F6F-5との比較ひかくでも優勢ゆうせいで、とく高速こうそく上昇じょうしょうははるかにすぐれた姿すがたせた。[54][55][56][57]

旋回せんかいりょくおおむF6Fていたが、パイロットの反応はんのうると、すこおと水準すいじゅんだった。捕獲ほかくしたFw190との比較ひかくでは、F6F一緒いっしょに「旋回せんかいとループで圧倒的あっとうてき」という評価ひょうかけTAICの捕獲ほかくしたれいせんとの比較ひかくでは、1まんフィートで1回転かいてんちゅう制圧せいあつされるP-38、P-47、P-51とはことなり、F6Fおなじ3.5回転かいてんあいだちこたえることができたとされており、れいせん立場たちばでは、F6F実質じっしつてきがないと評価ひょうかされた。しかし、3まんフィートでれいせん旋回せんかいおなじレベルになるF6Fとはことなり、F4Uは非常ひじょうにわずか (only slight) ののちになるとされており、表現ひょうげんのままのいていることがかった。しかし、コンバットフラップを使用しようしたF4Uはれいせんに150ノートまでけできる唯一ゆいいつべいぐん戦闘せんとうとして、すぐれた旋回せんかいりょくしめした。[55][56]

一部いちぶ書籍しょせき[53]では、計器けいき速度そくど (IAS) をベースにした3Gストール速度そくどもとづいて、F4Uのスポイラーは最大さいだい揚力ようりょく係数けいすうおおきくげたと主張しゅちょうしてNACAのレポート[58]引用いんようし、F4UがF6FはもちろんP-38、P-47 、P-51などの陸上りくじょうよりも旋回せんかい半径はんけいがはるかにひろいものとべている。しかし、NACAのレポートで設置せっちされた大型おおがたのシャープリーディングエッジは、レポートにかれたとお揚力ようりょく低下ていかおおきいうえ位置いちじょうりたたみウィング機能きのう使用しようしないようにされている問題もんだいてんがあったし、実際じっさい量産りょうさんには、インストールされていなかった。量産りょうさん装備そうびされたスポイラーは小型こがたでシンプルな形状けいじょうのもので、上記じょうきした比較ひかくレポートでF4U-1Dがしめした旋回せんかいりょくやこれのインストールのF4U-1DやF4U-4などを対象たいしょうとした監察かんさつレポート[59]教範きょうはん[10][60]のPEC (position error correction) を適用てきようしたCIAS (corrected IAS) のストール速度そくどると、上記じょうき主張しゅちょう事実じじつ符合ふごうしていなかった。また、比較ひかく飛行ひこうでは、P-51の旋回せんかいサークルない様子ようす確認かくにんされている。[40]べい海軍かいぐん公式こうしき性能せいのう文書ぶんしょ[61][62]は、初期しょきのF4U-1AとF4U-1Dがおな揚力ようりょく係数けいすうっていることをしめしている。

パイロットからの評価ひょうか

F4Uは速度そくど機動きどうせいすぐれた戦闘せんとうだった。速度そくどおと相手あいてでは機動きどうせいに、機動きどうせいおと相手あいてには速度そくどたたかうことができた。バランスだけのとれたものではなくつよみもたしかだった。とくにエルロンと昇降しょうこうかじのブーストタブにより、高速こうそく瞬間しゅんかん機動きどうせいすぐれていたので、おおきさとはことなり、大変たいへん素早すばや戦闘せんとうであった。このように、機体きたい自体じたい性能せいのう戦闘せんとうりょくすぐれていたため、戦場せんじょうとはことなり、試験しけん飛行ひこう比較ひかく飛行ひこうのように、おな条件じょうけんおなじパイロットが戦闘せんとう交互こうご搭乗とうじょうして比較ひかくした場合ばあい、F4Uは大変たいへんたか評価ひょうかけた。

当機とうきのロール性能せいのうはP-38、P-47、P-51、F6Fなどのほかのアメリカの戦闘せんとうよりもすぐれ、鹵獲ろかくしたFw190との比較ひかくでは、同等どうとう評価ひょうかされた。しかし、エルロンにブーストタブがインストールされていない初期しょきのF4U-1は、高速こうそくではP-38、P-47、P-51におとると評価ひょうかされた。

これは戦後せんごつづいてぐん退役たいえきパイロットに結成けっせいされたSETP (Socioty of Expermental Test Pilots) は、1989ねんにシンポジウムをひらき、現代げんだい技術ぎじゅつ利用りようしてFG-1Dコルセア、P-47D-40サンダーボルト、F6F-5、P-51Dマスタングの4機種きしゅ比較ひかくして、軽量けいりょう快適かいてき操縦そうじゅうりょく良好りょうこうなパフォーマンス、十分じゅうぶんなストールアラート、ゆるやかなストールの特性とくせい理由りゆうにFG-1Dをドッグファイト最高さいこう機体きたいえらんだ。FG-1Dは、内部ないぶ燃料ねんりょう弾薬だんやく満載まんさいした作戦さくせん機体きたいより1,000lbsかるく92%の重量じゅうりょうち、88%で1,200lbsかるP-51D、86%で、2,000lbsかるF6F-5、80%で3,000lbsかるいP-47D-40にくらべて重量じゅうりょうめんもっと不利ふりし、主翼しゅよく装着そうちゃくされたスタブパイロンによりそらりょくめんでもペナルティをけたが、テストでは、すぐれた機動きどうせい披露ひろうした。一方いっぽうこう旋回せんかいでは、不利ふり条件じょうけんもありF6Fされたが、かる操縦そうじゅうりょく迅速じんそくなロール性能せいのうにより、敏捷びんしょうせいテストの横転おうてんぜた180機首きしゅ転換てんかんは、の3機種きしゅ比較ひかくして圧倒的あっとうてき優勢ゆうせいであり、そら対空たいくう追跡ついせきテストのはげしい横転おうてんぜた連続れんぞく旋回せんかいにおいてももっとすぐれた姿すがたせた。これはコルセアがたか機動きどうせい特性とくせいしめすもので、戦争せんそうちゅうコルセアに搭乗とうじょうしていたパイロットの証言しょうげん証明しょうめいするものである。[63]

空戦くうせん能力のうりょくすなわ旋回せんかい能力のうりょく定義ていぎしていた日本にっぽんぐんのパイロットのなかには、これらのF4Uの戦法せんぽう運動うんどうせいひくいためであるとひく評価ひょうかすることおおかった。ラバウルで活動かつどうしていた日本にっぽんのエース谷水たにみず竹雄たけおは「機動きどうせいたかく、高速こうそく横転おうてん可能かのうだったF6Fもっともタフな相手あいてでした。P-38やF4Uはこまかい機動きどうをせずにいちげき離脱りだつをするだけだったからです。」と評価ひょうかした。しかし、のちにTAICの捕獲ほかくしたれいせんべいぐん戦闘せんとう比較ひかく飛行ひこう結果けっか、F4Uの旋回せんかいりょくF6Fのような機種きしゅ大差たいさがなく、むしろ効率こうりつてきなフラップにより、よりちいさな旋回せんかい可能かのうであることが判明はんめいした。[55]さらに、米国べいこく日本にっぽん資料しりょう交差こうさ検証けんしょうした結果けっか、1943ねんまつのラバウル航空こうくうせん期間きかんちゅうにラバウル航空こうくうたいもっとおおくの空中くうちゅうせん被害ひがいあたえた機種きしゅは、P-38やF6Fではなく、F4Uだったことが判明はんめいした。[21][22]

1943ねん5がつ21にち、フロリダしゅうのElgin AAFBではじめてF4U-1に搭乗とうじょうした陸軍りくぐんパイロットはF4U-1を大変たいへん賞賛しょうさんした。P-38、P-39、P-40、P-47、P-51などの陸上りくじょうとの模擬もぎ戦闘せんとうでF4U-1は2まんフィート以下いかでは、どのような陸軍りくぐん戦闘せんとう対戦たいせん相手あいてができないことを立証りっしょうした。2まんフィート以上いじょうでは、P-47とP-51が優勢ゆうせいだった。陸軍りくぐんパイロットはF4U-1に圧倒あっとうされたかんじをけ、山本やまもと暗殺あんさつ作戦さくせん活躍かつやくしたベテランP-38パイロットであるレックスTバーバーは、米国べいこくひとつの機体きたい戦争せんそうつためにならF4Uしかないと評価ひょうかした[64][4][5][53]

メダルオブオナーとネイビークロス受勲じゅくんしゃであるVF-3のエドワード「ブッチ」オヘア英語えいごばんは、VF-12のジョーイ・クリフトンがひきいるF4U飛行ひこうたいとの模擬もぎ空戦くうせんでF4Uの速度そくど機動きどうせい優位ゆういせい体感たいかんし、F6FではF4Uの相手あいてにならず、F4Uは海軍かいぐんっている最高さいこう戦闘せんとうであると評価ひょうかした。かれはハワイで自分じぶんF6Fたい配備はいびされたとき、かれ専用せんようのF4Uをってきていた。かれかれF6F飛行ひこうたいは、F4U飛行ひこうたいと2まんフィートまでの上昇じょうしょうけをしたが敗北はいぼくしたこともあった。[4][39]

F4U-4とF8F-1をはじめ、45ねんという期間きかんあいだ様々さまざま航空機こうくうき搭乗とうじょうしていた海軍かいぐん大佐たいさであり、テストパイロット、エアロエンジニアだったリチャード・ボブズ・リンネキーンはF4U-4について「F4Uは素晴すばらしいアクロバット飛行機ひこうきでした。」と評価ひょうかしてF8Fと比較ひかくして「F4Uは適切てきせつ不快ふかいでない操縦そうじゅうりょく安定あんていした戦闘せんとうでした。巡航じゅんこうには快適かいてきさと耐久たいきゅうせいかんじることができているにもかかわらず起動きどう応答おうとうはやく、比較的ひかくてき操縦そうじゅうしやすかったです。それはF8Fほどはやくはなかったが、いくつかの領域りょういきにおいては、より操縦そうじゅうせいっていました。わたし主観しゅかんてき印象いんしょうとしては、グラマンのいずれかよりもF4Uでより操縦そうじゅうせい調和ちょうわがありました」とした。[65]

朝鮮ちょうせん戦争せんそう作戦さくせんちゅうのF4U-5N

英国えいこく著名ちょめいなテストパイロットであり、空母くうぼかんのスペシャリストであったエリック・ブラウン大佐たいさによる評価ひょうかたかくなかった。かれ大戦たいせんちゅうのイギリスでコルセアIのテストパイロットをつとめ、その前後ぜんごいたほんでコルセアにたいしての悪評あくひょうべている。かれ自分じぶんほんで、コルセアIIはFw 190 A-4の相手あいてにならず、ヘルキャット F Mk.IとFw 190ではパイロットの実力じつりょくにより勝敗しょうはいけっするとひょうした。[66]のパイロットとはことなり、ブラウンはコルセアの昇降しょうこうかじおもく、特異とくい離着陸りちゃくりく性能せいのうきになれず、視界しかい不良ふりょうだとひょうした。しかし、著書ちょしょにて、コルセアは評価ひょうかするのがむずかしい航空機こうくうきであることをみとめ、ヴォートしゃのチーフテストパイロットの身長しんちょうが193cmであることに言及げんきゅうし、F4Uのコックピット設計せっけい自分じぶんの170cmの身長しんちょうわなかったので視野しや操縦そうじゅう不便ふべんかんじたことを吐露とろした。[67]実際じっさいブラウンは身体しんたいてき限界げんかい理由りゆう同僚どうりょうのテストパイロットとくらべてひく評価ひょうかされることがあった。[68]ブラウンは、テストパイロットとしてながあいだコルセアに搭乗とうじょうしていたにもかかわらず、「なん好感こうかんてなかった」とくわえた。

アメリカ海軍かいぐん空母くうぼボクサー」からはつかんするF4U-4B (1951ねん)

一方いっぽう実戦じっせんでコルセアIIを運用うんようした英国えいこく王立おうりつ海兵かいへいたい唯一ゆいいつのエースだったロナルド・カスバート・ヘイ中佐ちゅうさはコルセアIIにたいして「コルセアは戦争せんそうにぴったりの戦闘せんとうでした。ヘルキャットより頑丈がんじょうはやく、航続こうぞく距離きょりすぐれていた。」とたか評価ひょうかしている。改善かいぜんされたコクピットについては「まるで部屋へや安楽椅子あんらくいすすわっているようにかんじるでしょう。それほどコクピットは巨大きょだいでした。操縦そうじゅうしゃはMk.IIのはんバブルキャノピーをとおして事実じじつじょう無限むげん可視かしせいと、まさ王座おうざのようにかんじるでしょう。」と好感こうかんしめした。[5]しかし、英国えいこく王立おうりつ海軍かいぐんなかF6Fはじめて搭乗とうじょうした804 NASのエースだったスタンレー・ゴードン・オアは、「F6F間違まちがいなく最高さいこう海軍かいぐん戦闘せんとうでした。F4Uの失速しっそく視野しや問題もんだいは (F6Fでは) 発生はっせいしておらず、飛行ひこうちゃくかんらく航空機こうくうきでした。それはパイロットに多大ただい自信じしんあたえ、当時とうじとしては重要じゅうようなことでした。」と回想かいそうし、F4UはF6Fくらべると空母くうぼでの運用うんようむずかしかったことを指摘してきした。[69]またシーファイア戦闘せんとう飛行ひこう隊長たいちょうだったマイク・クロスレイ少佐しょうさは、シーファイアにくら時速じそく260km/h以上いじょうでの補助ほじょつばさ操作そうさ必要ひつようちから半分はんぶんみ、操縦そうじゅうせきからの前方ぜんぽう上方かみがた視界しかい良好りょうこう側面そくめん視界しかいくなかったとひょうしている。

戦後せんご尋問じんもんでもラバウルの陸軍りくぐん海軍かいぐん両方りょうほうは、最高さいこうのアメリカの戦闘せんとうでF4Uをげた。くさ鹿しか中将ちゅうじょう指揮しき海軍かいぐんは「F4Uは高速こうそくじゅう武装ぶそう防御ぼうぎょりょくたか撃墜げきついするのはむずかしい素晴すばらしい飛行機ひこうきであった。F4Uがもっと戦闘せんとうだったとおもう」とし、今村いまむら陸軍りくぐん大将たいしょう指揮しき陸軍りくぐんは「その機動きどうせいにとってF4Uを最高さいこう戦闘せんとうだとおもう。たか装甲そうこうって大変たいへんはやいからでもある。」とした。[70]

名称めいしょうについて

当時とうじアメリカ海軍かいぐん軍用ぐんよう命名めいめい規則きそくは、同一どういつ機体きたい設計せっけいであっても、製造せいぞう会社かいしゃなどのこまかな差異さいのために複数ふくすう制式せいしき名称めいしょうあたえていた。チャンス・ヴォートしゃてられた製造せいぞう会社かいしゃ記号きごうUであるため、開発元かいはつもとのチャンス・ヴォートしゃ製造せいぞうした機体きたいであれば、この機体きたい同社どうしゃにとって4番目ばんめ海軍かいぐん戦闘せんとうなのでF4Uとなる。一方いっぽうで、グッドイヤー・エアクラフトしゃ (記号きごうG) が製造せいぞうした機体きたいでは、グッドイヤーしゃはこれまで海軍かいぐん戦闘せんとう製造せいぞうしたことはかったのでFGとなる。また、ブルースター・エアロノーティカルしゃ (記号きごうはAで、これまで2しゅ海軍かいぐん戦闘せんとう製造せいぞう) 製造せいぞう機体きたいF3Aである。さらに、チャンス・ヴォートしゃ製造せいぞうしたF4Uの攻撃こうげきかたは、チャンス・ヴォートしゃにとってはつ海軍かいぐん攻撃こうげきとなったためAUえーゆーという記号きごうがついた。

一方いっぽうおなF4とついているグラマンしゃF4F ワイルドキャットとはまったくべつ機体きたいである。このため、運用うんようがわ (とく整備せいびめん) ではしばしば混乱こんらんしょうじていたという。

愛称あいしょうの「コルセア (Corsair、発音はつおんちか表記ひょうきするとコゥセア) 」とはだい航海こうかい時代じだい以降いこうフランスにおいて、サン・マロ拠点きょてん英仏海峡えいふつかいきょう活動かつどうしたわたしかすめせん通称つうしょう「コルセール」の英語えいごみである。なおフランスにはコルセールフライ (Corsairfly) という航空こうくう会社かいしゃ存在そんざいする。

アメリカ海軍かいぐんは1966ねん配備はいびしたA-7にコルセアIIの愛称あいしょうあたえている。

なお、日本にっぽん海軍かいぐんでは同機どうきおも「シコルスキー」呼称こしょうしていた。これは、F4Uがつくられたときのヴォートしゃ正式せいしき社名しゃめい「ヴォート・シコルスキー・エアクラフト (Vought-Sikorsky Aircraft、正確せいかくにはシコースキー) 」に由来ゆらいする。この社名しゃめいは、1926ねんにヴォートしゃコネチカットしゅうストラトフォード本社ほんしゃ移転いてんしたさいに、ユナイテッド・エアクラフトの1部門ぶもんだったシコルスキー・エアクラフト合併がっぺいして以降いこう使用しようされていたものである。のちにだい世界せかい大戦たいせんの1954ねん同社どうしゃ併合へいごうされていたユナイテッド・エアクラフトから独立どくりつし、社名しゃめい再度さいどチャンス・ヴォート・エアクラフトとした。

運用うんようこく

1945ねん (昭和しょうわ20ねん) 2がつ16にち関東かんとう上空じょうくう邀撃ようげきせんにおいて空母くうぼベニントン搭載とうさいだい123海兵かいへい戦闘せんとう飛行ひこうたい所属しょぞくのロバート・M・シース少尉しょうい操縦そうじゅうのF4U-1Dが対空たいくう砲火ほうかによって茨城いばらきけん霞ヶ浦かすみがうら海軍かいぐん飛行場ひこうじょう付近ふきん撃墜げきついされ、鹵獲ろかくされた。[71]

また同年どうねん3月18にちには宮崎みやざきけん北部ほくぶとみだか基地きち攻撃こうげきするために発進はっしんした空母くうぼエセックス搭載とうさいだい83戦闘せんとうばくげき飛行ひこうたい所属しょぞくのF4U-1D16たい上空じょうくう哨戒しょうかいちゅうだい〇三海軍航空隊戦闘せんとうだいさんいち飛行ひこうたい浅井あさいいくみやつこ大尉たいい以下いか4邀撃ようげきたい戦闘せんとうだいさんさん飛行ひこうたい岡嶋おかじまきよしぐま少佐しょうさ以下いか32戦闘せんとうさんいち飛行ひこうたいはやし美博よしひろ大尉たいい以下いか25くわわり空中くうちゅうせん展開てんかいワーレン・O・シグマン中尉ちゅういウィリアム・F・ガーナー中尉ちゅうい操縦そうじゅうの2帰還きかんとなりガーナー中尉ちゅうい海上かいじょう不時ふじ着水ちゃくすいし、シグマン中尉ちゅうい鹿児島かごしまけんかさはら海軍かいぐん飛行場ひこうじょう付近ふきん不時着ふじちゃく鹵獲ろかくされた。[72]

派生はせいがた

F4U/FG/F3A Corsair[73]

V-166
当機とうき社内しゃない呼称こしょう
XF4U-1
原型げんけい呼称こしょう完成かんせいにはXR-2800試作しさくエンジン (1,800馬力ばりき) 搭載とうさいのちにR-2800-4エンジン (2,000馬力ばりき) 搭載とうさい。2.4kgそら対空たいくう小型こがたばくだん主翼しゅよく下面かめんカ所かしょに4はつずつ搭載とうさいするばく弾倉だんそうっていた[74]
F4U-1
F4U-1 特徴とくちょうてきぎゃくガルつばされる
R-2800-8エンジン搭載とうさい初期しょき生産せいさんがた1942ねん6月はつ飛行ひこう、7がつ配備はいび開始かいし海軍かいぐんでは使用しようされず、海兵かいへいたいにまわされた。わくおおキャノピー形状けいじょうから、「バードケージ (とりかご) 」と通称つうしょうされる。
F3A-1
ブルースター・エアロノーティカルしゃ製造せいぞうされたF4U-1の呼称こしょう生産せいさん品質ひんしつ問題もんだいから空中くうちゅう分解ぶんかい事故じこ発生はっせいさせたため、機体きたいかる負荷ふか制限せいげんけられた訓練くんれんようとしてのみ運用うんようされた。
FG-1
グッドイヤーしゃ製造せいぞうされたF4U-1の呼称こしょう。なお、主翼しゅよくりたたみ装置そうち廃止はいしされており、陸上りくじょうでの使用しよう前提ぜんていとなっている。
F4U-1A
前方ぜんぽう視界しかい向上こうじょうのための操縦そうじゅうせき位置いちを178mm上昇じょうしょうさせ、キャノピーをわくすくないバブルがた変更へんこうさらあしをいくらかたかくして機体きたいさんてん姿勢しせい角度かくどらした。戦争せんそうちゅうべいぐん公式こうしき文書ぶんしょではF4U-1Aは存在そんざいせず、初期しょきがたのようにF4U-1とばれた。生産せいさん途中とちゅうばくだんけらればくげき任務にんむへの使用しよう可能かのうになった。F4U-1よりかん容易よういになり、1943ねん11月に空母くうぼバンカー・ヒルで正常せいじょう運用うんようされた。
F4U-1B
イギリス供与きょうよされた機体きたい米国べいこくうち呼称こしょう(総称そうしょう)。
F4U-1C
1Dがた搭載とうさい機銃きじゅうAN/M2 12.7mm機関きかんじゅう×6からAN-M2 20mm機関きかんほう×4に変更へんこうしたモデル。
アメリカ海軍かいぐんのF4U-1D (1945ねん)
F4U-1D
みず噴射ふんしゃ装置そうちきR-2800-8Wエンジンを装備そうびした機体きたいしゅあし改良かいりょうによりちゃくかん容易よういになり、空母くうぼ使用しようされはじめる。
F3A-1D
ブルースターしゃ製造せいぞうされたF4U-1Dの呼称こしょう
FG-1D
グッドイヤーしゃ製造せいぞうされたF4U-1Dの呼称こしょう
FG-1E
グッドイヤーしゃ製造せいぞうされたF4U-1Dにレーダーを搭載とうさいしたかた
F4U-1P
F4U-1を改修かいしゅうした写真しゃしん偵察ていさつ仕様しよう
F4U-1WM
F4U-1のエンジンをプラット・アンド・ホイットニー R-4360"ワスプメジャー"にかわそうした試験しけんがた[9]。1943ねん3がつにバードケージキャノピーの初期しょきがたF4U-1(BuNo.02460)から1改造かいぞうされ、とくおおきな問題もんだいしょうじなかったことから、本格ほんかくてき発展はってんがた開発かいはつ決定けってい以後いご開発かいはつがグッドイヤーしゃ発注はっちゅうされ"F2G"となる。
F4U-2[75]
機上きじょう迎撃げいげきレーダーポッドを装備そうびした夜間やかん戦闘せんとうかた搭載とうさい武装ぶそう従来じゅうらいがたよりも減少げんしょう。F4U-1Dより実験じっけんてきさき空母くうぼ運用うんようされており、マリアナ海戦かいせんでも夜間やかん迎撃げいげきに、ごく少数しょうすうのF4U-2が参加さんかした。
XF4U-3
(1944ねん撮影さつえい)
XF4U-3,-3B[76][77]
ターボきゅう装備そうびしたこう高度こうど戦闘せんとうがた既存きそん機体きたい改良かいりょうした3のプロトタイプが製作せいさくされ、それぞれXF4U-3 (F4U-1 BuNo02157) 、XF4U-3A (F4U-117516) 、XF4U-3B (F4U-1A BuNo49664) と命名めいめいされた。23,000ft以下いかでは、F4U-4にくらべて利点りてんがないと判断はんだんされてキャンセルされた。最大さいだい出力しゅつりょく 3,000馬力ばりき高度こうど8,382mで784km/h、高度こうど12,344mで731km/h。
FG-3
グッドイヤーしゃ製造せいぞうされたF4U-1Dに2だんターボきゅうきのR-2800-14Wを搭載とうさいしたこう高度こうど戦闘せんとうがた[9]。Bureau Numbers:76450の1のみ生産せいさん
XF4U-4[78]
F4U-4の原型げんけい。5生産せいさんされたなかでF4U-1の改造かいぞうである最初さいしょの2はF4U-4Xとばれ1944ねん4がつ19にちはつ飛行ひこうおこなった。
F4U-4[79]
R-2800-18WまたはR-2800-42Wエンジンを装備そうびしただい生産せいさんがただい世界せかい大戦たいせんなか最終さいしゅう生産せいさんがたで1947ねんまで生産せいさんされた。センターラインのハードポイントが撤去てっきょされ、装着そうちゃく可能かのうばくだんかずがF4U-1Dにくらべて1つすくなかった。
F4U-4B
英国えいこく供与きょうよされる予定よていだったF4U-4、戦争せんそうわって供与きょうよはキャンセルされてF4U-4CがF4U-4Bにさい分類ぶんるいされた。
F4U-4C
搭載とうさい機銃きじゅうAN-M3 (T-31) 20mm機関きかんほう×4に変更へんこうしたF4U-4。戦後せんごF4U-4Bにさい分類ぶんるいされた。
F4U-4E
機上きじょう迎撃げいげきレーダーポッド (AN/APS-4) を装備そうびした夜間やかん戦闘せんとう仕様しようF4U-4。
F4U-4N
1946ねん完成かんせい機上きじょう迎撃げいげきレーダーポッド (AN/APS-6) を装備そうびした夜間やかん戦闘せんとう仕様しようF4U-4。テスト飛行ひこうのみで量産りょうさんされなかった。
F4U-4P
F4U-4を改修かいしゅうした写真しゃしん偵察ていさつがた
FG-4
グッドイヤーしゃ製造せいぞうされるF4U-4(BuNo. 67255~67754)にあたえられる予定よてい名称めいしょうであったが、ぜんがキャンセルされた[9]
F4U-5[80][81]
武装ぶそうAN-M3 (T-31) 20mm機関きかんほう×4、R-2800-32Wエンジンを装備そうびしたこう高度こうど戦闘せんとうがた。スーパーチャージャー、カウルフラップ、インタークーラードア、オイルクーラードアの自動じどう制御せいぎょ機能きのうおよび、戦闘せんとう出力しゅつりょくシステムの自動じどうおこなわれている。F4U-4から除去じょきょされたセンターラインのハードポイントがさいインストールされて2,000lbsばくだん運用うんよう能力のうりょく回復かいふくした。223生産せいさん
夜間やかん戦闘せんとうがたのF4U-5N (1949ねん撮影さつえい)
F4U-5N
機上きじょう迎撃げいげきレーダーポッド (AN/APS-19) を装備そうびした夜間やかん戦闘せんとう仕様しようF4U-5。214生産せいさん
F4U-5NL
F4U-5Nの寒冷かんれい対応たいおうがた。101生産せいさん
F4U-5P
F4U-5の長距離ちょうきょり写真しゃしん偵察ていさつがた。30生産せいさん
XF4U-6
飛行ひこうちゅうAUえーゆー-1 (1952ねん)
F4U-5を原型げんけいとして改良かいりょうされ、R-2800-83Wエンジンを装備そうびした低空ていくう攻撃こうげきかた原型げんけい
AUえーゆー-1[82][83]
R-2800-83WAエンジンを装備そうびした攻撃こうげきがた基本きほん性能せいのう低下ていかえにばくだん搭載とうさいりょうが8,200lbs (3,719kg) まで増加ぞうかしている。朝鮮ちょうせん戦争せんそう期間きかんちゅう指摘してきされたオイルクーラーの弱点じゃくてん除去じょきょし、ハードポイントと防弾ぼうだんプレートが増設ぞうせつされた。戦争せんそう後半こうはん活躍かつやくし、戦後せんごはフランスぐん所属しょぞくでディエンビエンフーのたたかいに参加さんかしたりした。ジェット時代じだいにも、新規しんき生産せいさん獲得かくとくして111だい生産せいさんされた。
フランス海軍かいぐん供与きょうよされ現存げんそんするF4U-7
F4U-7[77][83]
最終さいしゅう生産せいさんがた軍事ぐんじ援助えんじょ計画けいかくによりフランス海軍かいぐん供与きょうよ機体きたいのフレームは、AUえーゆー-1のものだったが、エンジンはF4U-4のR-2800-18Wであった。94生産せいさん。1952ねん12月に最終さいしゅう完成かんせい
コルセア Mk.I
F4U-1のイギリス海軍かいぐんにおける呼称こしょう
コルセア Mk.II
F4U-1Aのイギリス海軍かいぐんにおける呼称こしょう最後さいご供与きょうよされた150形式けいしきは、F4U-1Dであった。[67]
コルセア Mk.III
F3A-1Dのイギリス海軍かいぐんにおける呼称こしょう
コルセア Mk.IV
FG-1Dのイギリス海軍かいぐんにおける呼称こしょう
F2G
グッドイヤーしゃ開発かいはつした、エンジンをプラット・アンド・ホイットニー R-4360(3,000馬力ばりき)に変更へんこうした能力のうりょく強化きょうか発展はってんがた戦争せんそう終結しゅうけつジェット機じぇっとき実用じつようにより、FG-1改造かいぞう試作しさく試験しけん(XF2G)4、FG-1からの改造かいぞうおよび完全かんぜん新造しんぞう試作しさく / 先行せんこう量産りょうさんがた(XF2G-1)が2 / 3量産りょうさんがた陸上りくじょうがた(F2G-1)5および艦上かんじょうがた(F2G-2)5生産せいさんされたのみにとどまる。
生産せいさんされた機体きたい戦後せんご民間みんかんはらげられてエアレーサーとして活躍かつやくした。

しょもと

機体きたいめい F4U-1[84] F4U-1D[85]
全長ぜんちょう 33ft 4.13in (10.16m)
全幅ぜんぷく 40ft 11.73in (12.49m) → 17ft 0.375in (5.19m) ※主翼しゅよくたたとき
ぜんこう 14ft 8.5in (4.48m) → 16ft 4.13in (4.98m) ※主翼しゅよくたたとき
つばさ面積めんせき 314ft² (29.17m²)
プロペラ[86] ブレード3まい 直径ちょっけい13ft 1in (3.99m)
エンジン Pratt & Whitney R-2800-8/8W (2,000Bhp 最大さいだい:2,130Bhp) ×1 Pratt & Whitney R-2800-8W (2,000Bhp 最大さいだい:2,250Bhp) ×1
空虚くうきょ重量じゅうりょう 8,982lbs (4,074kg) 9,014lbs (4,089kg)
戦闘せんとう重量じゅうりょう 12,039lbs (5,461kg) 12,086lbs (5,482kg)
つばさめん荷重かじゅう 187.21kg/m2 187.93kg/m2
燃料ねんりょう[87] 237gal (897ℓ)
最高さいこう速度そくど 359mph/S.L. (578km/h 海面かいめん高度こうど)
417mph/19,900ft (671km/h 高度こうど6,066m)
358mph/S.L. (576km/h 海面かいめん高度こうど)
409mph/19,900ft (658km/h 高度こうど6,066m)[88]
上昇じょうしょう能力のうりょく 2,890ft/m S.L. (14.68m/s 海面かいめん高度こうど)
20,000ft (6,096m) まで7ふん42びょう
3,370ft/m S.L. (17.12m/s 海面かいめん高度こうど)
20,000ft (6,096m) まで7ふん6びょう
実用じつよう上昇じょうしょう限度げんど 37,000ft (11,278m) 40,000ft (12,192m)
航続こうぞく距離きょり[89] 1,665st.mile (2,680km) ※1×175galタンク搭載とうさい
2,140st.mile (3,444km) ※つばさない124gal + 1×175galタンク搭載とうさい
2,220st.mile (3,573km) ※FERRY 搭載とうさい燃料ねんりょう536gal (2,029ℓ)
1,500st.mile (2,414km) ※1×150galタンク搭載とうさい
1,895st.mile (3,050km) ※2×150galタンク搭載とうさい
2,510st.mile (4,039km) ※FERRY 搭載とうさい燃料ねんりょう712gal (2,695ℓ)
武装ぶそう AN/M2 12.7mm機関きかんじゅう×6 (たますうけい2,350はつ) AN/M2 12.7mm機関きかんじゅう×6 (たますうけい2,400はつ)[90]
ばくそう ばくだん2,000lbs (907kg) ばくだん3,000lbs (1,361kg) + HVAR×8 / A.R.×8[91]
機体きたいめい F4U-4[92] F4U-5[93]
全長ぜんちょう 33ft 8in (10.26m) 34ft 6.15in (10.52m)
全幅ぜんぷく 41ft (12.5m) → 17ft 0.5in (5.19m) ※主翼しゅよくたたとき 40ft 11.726in (12.49m) → 17ft 0.5in (5.19m) ※主翼しゅよくたたとき
ぜんこう 14ft 9.13in (4.5m) → 16ft 4.13in (4.98m) ※主翼しゅよくたたとき 14ft 9.85in (4.52m) → 16ft 3.64in (4.97m) ※主翼しゅよくたたとき
つばさ面積めんせき 314ft2 (29.17m2)
プロペラ[94] ブレード4まい 直径ちょっけい13ft 2in (4.01m)
エンジン Pratt & Whitney R-2800-18W (2,100Bhp 最大さいだい:2,800Bhp)[95] ×1 Pratt & Whitney R-2800-32W (2,300Bhp 最大さいだい:2,760Bhp)[96] ×1
空虚くうきょ重量じゅうりょう 9,167lbs (4,158kg) 9,691lbs (4,396kg)
戦闘せんとう重量じゅうりょう 12,480lbs (5,661kg) 12,901lbs (5,852kg)
つばさめん荷重かじゅう 194.07kg/m2 200.62kg/m2
燃料ねんりょう[97] 234gal (886ℓ)
最高さいこう速度そくど 325kn/S.L. (602km/h 海面かいめん高度こうど)
393kn/20,500ft (728km/h 高度こうど6,248m)[98]
347kn/S.L. (643km/h 海面かいめん高度こうど)
408kn/27,000ft (756km/h 高度こうど8,230m)
上昇じょうしょう能力のうりょく 4,770ft/m S.L. (24.23m/s 海面かいめん高度こうど)
20,000ft (6,096m) まで4ふん54びょう
4,840ft/m S.L. (24.59m/s 海面かいめん高度こうど)
20,000ft (6,096m) まで4ふん42びょう
実用じつよう上昇じょうしょう限度げんど 38,500~42,000ft (11,735~12,802m)[99] 43,500ft (13,259m)
航続こうぞく距離きょり[89] 1,005n.mile (1,861km) ※1×150galタンク搭載とうさい
1,300n.mile (2,408km) ※2×150galタンク搭載とうさい
1,228n.mile (2,274km) ※1×150galタンク搭載とうさい
1,575n.mile (2,917km) ※2×150galタンク搭載とうさい
武装ぶそう AN/M2 12.7mm機関きかんじゅう×6 (たますうけい2,400はつ)[100] AN-M3 (T-31) 20mm機関きかんほう×4 (たますうけい924はつ)
ばくそう ばくだん2,000lbs (907kg) / Tiny Tim×2 + HVAR×8 / A.R.×8[101] ばくだん5,200lbs (2,359kg) + HVAR×8 / A.R.×8[102]
機体きたいめい F2G-2[103] FG-3[104]
全長ぜんちょう 33ft 10in (10.31m) 33ft 7.22in (10.24m)
全幅ぜんぷく 40ft 11.75in (12.49m) → 17ft 0.5in (5.19m) ※主翼しゅよくたたとき 40ft 11.75in (12.49m) → 17ft 0.63in (5.2m) ※主翼しゅよくたたとき
ぜんこう 14ft 11.56in (4.56m) → 16ft 3.88in (4.98m) ※主翼しゅよくたたとき 14ft 9.75in (4.51m) → 16ft 4.13in (4.98m) ※主翼しゅよくたたとき
つばさ面積めんせき 314ft2 (29.17m2)
プロペラ[105] ブレード4まい 直径ちょっけい13ft 6in (4.11m) ブレード4まい 直径ちょっけい13ft 2in (4.01m)
エンジン Pratt & Whitney R-4360-4 (3,000Bhp) ×1 Pratt & Whitney R-2800-14W (2,100Bhp 最大さいだい:2,600Bhp) ×1
空虚くうきょ重量じゅうりょう 10,249lbs (4,649kg) 9,545lbs (4,330kg)
戦闘せんとう重量じゅうりょう 13,346lbs (6,054kg) 12,800lbs (5,806kg)
つばさめん荷重かじゅう 207.54kg/m2 199.04kg/m2
燃料ねんりょう[106] 309gal (1,170ℓ) 237gal (897ℓ)
最高さいこう速度そくど 399mph/S.L. (642km/h 海面かいめん高度こうど)
431mph/16,900ft (694km/h 高度こうど5,151m)[107]
363mph/S.L. (584km/h 海面かいめん高度こうど)
460mph/33,400ft (740km/h 高度こうど10,180m)[108]
上昇じょうしょう能力のうりょく 4,400ft/m S.L. (22.35m/s 海面かいめん高度こうど)
20,000ft (6,096m) まで5ふん42びょう
4,210ft/m S.L. (21.39m/s 海面かいめん高度こうど)
20,000ft (6,096m) まで5ふん
実用じつよう上昇じょうしょう限度げんど 38,800ft (11,826m) 45,700ft (13,929m)
航続こうぞく距離きょり[89] 1,610st.mile (2,591km) ※1×150galタンク搭載とうさい
1,955st.mile (3,146km) ※2×150galタンク搭載とうさい
2,040st.mile (3,283km) ※FERRY 搭載とうさい燃料ねんりょう609gal (2,305ℓ)
1,575st.mile (2,535km) ※1×150galタンク搭載とうさい
1,960st.mile (3,154km) ※2×150galタンク搭載とうさい
2,150st.mile (3,460km) ※FERRY 搭載とうさい燃料ねんりょう537gal (2,033ℓ)
武装ぶそう AN/M2 12.7mm機関きかんじゅう×4 (たますうけい1,200はつ) AN/M2 12.7mm機関きかんじゅう×6 (たますうけい2,400はつ)
ばくそう ばくだん3,200lbs (1,451kg)[109] ばくだん3,200lbs (1,451kg) + HVAR×8 / A.R.×8[110]

現存げんそんする機体きたい

製造せいぞうされたかずさんしゃ合計ごうけいして12,582おおく7ヶ国かこく8ぐんにおいて使用しようされたためいまなお非常ひじょうおおくの機体きたい現存げんそんしており、飛行ひこう可能かのう機体きたい多々たたある。[111] したひょうくにべつべいごうニュージーランドえいふつアルゼンチンおうかん北朝鮮きたちょうせんソロモン諸島しょとうブラジルホンジュラスという、かず五十音ごじゅうおんじゅん分類ぶんるいしてある。

状態じょうたい機体きたい状態じょうたいそのものをあらわしているため、飛行ひこう可能かのうでも飛行ひこうおこなわれているとはかぎらない。

型名かためい   番号ばんごう  機体きたい写真しゃしん     所有しょゆうしゃ 公開こうかいじょうきょう 状態じょうたい 備考びこう
アメリカ
F4U-1 02449
写真しゃしん ヴァルチャーズ・ロウ・エイヴィエーションしゃ[112]
(Vultures Row Avition)
非公開ひこうかい 修復しゅうふくちゅう [8]
F4U-1 02465
写真しゃしん 国立こくりつ海軍かいぐん航空こうくう博物館はくぶつかん[113] 非公開ひこうかい 修復しゅうふくちゅう ヴォート・シコースキー製造せいぞうされ、海軍かいぐん航空局こうくうきょく番号ばんごう BuNo.50375をあたえられてイリノイしゅうグレンヴュー海軍かいぐん航空こうくうステーション所属しょぞくとなった。1943ねん6月12にち訓練くんれん飛行ひこうちゅうミシガン墜落ついらくしたが、操縦そうじゅう生還せいかんした[114]。2010ねんにミシガンよりげられ、左記さき施設しせつ修復しゅうふくされている。
F4U-1A 17799
3884
プレーンズ・オブ・フェイム航空こうくう博物館はくぶつかん[115] 公開こうかい 飛行ひこう可能かのう 現存げんそんする飛行ひこう可能かのうなコルセアのなかもっと初期しょき生産せいさん機体きたい。1943ねんヴォート・シコースキー製造せいぞうされ、だい84戦闘せんとう航空こうくうたい(VF-84)に配備はいびされた。1944ねん1がつからだい14戦闘せんとうばくげき航空こうくうたい(VBF-14)、1945ねん2がつからだい98戦闘せんとうばくげき航空こうくうたい(VBF-98)、1945ねん4がつから6がつあいだだい33輸送ゆそう任務にんむ補助ほじょたい(CASU-33)に所属しょぞく。1945ねん8がつ31にち退役たいえき

1970ねん左記さき博物館はくぶつかん取得しゅとくし1976ねん再度さいど飛行ひこう可能かのうとなった。エンジンはオリジナルのだんそくしききゅうきのR-2800-8から、A-26使用しようされていた一段いちだんそくしききゅうR-2800-79かわそうされている。連邦れんぽう航空局こうくうきょく登録とうろくナンバー N83782。[116]

F4U-1D 50375
5622
国立こくりつ航空こうくう宇宙うちゅう博物館はくぶつかん別館べっかん
スティーヴン・F・ウドヴァーヘイジーセンター[117]
公開こうかい 静態せいたい展示てんじ ヴォート・シコースキーで製造せいぞうされ、1944ねん4がつ26にち海軍かいぐん航空局こうくうきょく番号ばんごう BuNo.50375をあたえられて海軍かいぐんだい10戦闘せんとう航空こうくうたい(VF-10)に納入のうにゅうされた。10月にアトランティックシティ海軍かいぐん航空こうくう基地きちだい89戦闘せんとう航空こうくうたい(VF-89)にうつされ、11月に航空こうくうたいがオウシアナ・ノーフォークりょう基地きち(NAS Oceana, NAS Norfolk)に移動いどうしたのちもアトランティックシティ基地きちのこった。1945ねん2がつ海軍かいぐんより退役たいえきし、ヴァージニアしゅうクァンティコの余剰よじょう航空機こうくうき保管ほかん施設しせつうつされた。1980ねん国立こくりつ航空こうくう宇宙うちゅう博物館はくぶつかん職人しょくにんによって取得しゅとく修理しゅうりされ、海兵かいへいたいのF4U-1D「Sun Setter」(1940ねん製造せいぞうで、1944ねん7がつ空母くうぼエセックスづけのマーシャル諸島しょとうエンゲビに展開てんかいしていたVMF-113に配備はいびされていた機体きたい)の塗装とそうほどこされた。[118]
FG-1A 13459
国立こくりつ海兵かいへいたい博物館はくぶつかん[119][120] 公開こうかい 静態せいたい展示てんじ グッドイヤー・エアクラフト・カンパニー製造せいぞうされ、1944ねん1がつ海軍かいぐん航空局こうくうきょく番号ばんごう BuNo.13459をあたえられ海軍かいぐん納入のうにゅうされ、1952ねん退役たいえきし、1975ねんまで製造せいぞう工場こうじょうかれていた。その左記さき博物館はくぶつかん寄付きふされて修復しゅうふくされた。現在げんざいは13486号機ごうき塗装とそう展示てんじされている。
FG-1D 67070
3997
ルイス・エア・レジェンズ[121] 公開こうかい 飛行ひこう可能かのう 1945ねん9がつにグッドイヤー・エアクラフト・カンパニーで製造せいぞうされ、同月どうげつ海軍かいぐん航空局こうくうきょく番号ばんごう BuNo.67070をあたえられて海軍かいぐん納入のうにゅうされ、1957ねん2がつ29にち退役たいえきぐにエルサルバドル空軍くうぐんへとされ、不時着ふじちゃくでの損傷そんしょういつつ1975ねんまで運用うんようされた。退役たいえきのちアメリカへもどされ、ヴィンテージウィングス[122]取得しゅとく。2005ねん飛行ひこう可能かのう修復しゅうふくされ、翌年よくねんりにされて左記さき団体だんたい取得しゅとく連邦れんぽう航空局こうくうきょく登録とうろくナンバー N29VF。
FG-1D 67087
4014
アンティーク・エアロ[123]
(Antique Aero)
非公開ひこうかい 飛行ひこう可能かのう グッドイヤー・エアクラフト・カンパニーで製造せいぞうされ、海軍かいぐん航空局こうくうきょく番号ばんごう BuNo.67087をあたえられて海軍かいぐん納入のうにゅうされた。退役たいえき軍事ぐんじ援助えんじょ売却ばいきゃく(MAS)の一環いっかんでエルサルバドル空軍くうぐん部品ぶひんスペアとしてられたが、使用しようのまま1988ねんにCCエアしゃ(CC Air Corp.)によってられ飛行ひこう可能かのう状態じょうたいまで修復しゅうふくされた。現在げんざいCCエアしゃ運営うんえい左記さき団体だんたい所有しょゆう連邦れんぽう航空局こうくうきょく登録とうろくナンバー N11Y。
FG-1D 67089
4016
エレンヴィルしゃ[124]
(Ellenville LLC)
非公開ひこうかい 飛行ひこう可能かのう グッドイヤー・エアクラフト・カンパニーで製造せいぞうされ、海軍かいぐん航空局こうくうきょく番号ばんごう BuNo.67089をあたえられて海軍かいぐん納入のうにゅうされた。1953ねん退役たいえきし5ねん保管ほかんのちN4716Cを、1977ねんにはN4715Cを取得しゅとくし、タイアド・アイアン・レーシングチームのレースに#82「ウォート・ホッグ(Wart Hog)」として出場しゅつじょう。そのN93GM、N83JCを現在げんざい左記さき施設しせつ所有しょゆうしている。[125]
FG-1D 76628
2490
ヴァルチャーズ・ロウ・エイヴィエーションしゃ[126] 非公開ひこうかい 修復しゅうふくちゅう
FG-1D 76671
2533
MAPS航空こうくう博物館はくぶつかん[127] 公開こうかい 修復しゅうふくちゅう
FG-1D 88026
2840
ケン・マクブライド[128]
(Ken McBride)
非公開ひこうかい 修復しゅうふくちゅう
FG-1D 88086
2900
世界せかい最高さいこう航空機こうくうきコレクションしゃ[129]
(Worlds Greatest Aircraft Collection Inc.)
非公開ひこうかい 修復しゅうふくちゅう
FG-1D 88090
2904
ベリー・アヴェント[130]
(Barry Avent)
非公開ひこうかい 飛行ひこう可能かのう グッドイヤー・エアクラフト・カンパニーで製造せいぞうされ、海軍かいぐん航空局こうくうきょく番号ばんごう BuNo.88090をあたえられて海軍かいぐん納入のうにゅうされ、そのニュージーランド空軍くうぐんへNZ5612としておくられたのち1949ねん退役たいえき民間みんかん取得しゅとく修復しゅうふく輸送ゆそう技術ぎじゅつ博物館はくぶつかん所有しょゆうしていたが、1974ねんからロス・ジャラット(Ross Jarratt)がF4U-1A/NZ5503を使つか飛行ひこう可能かのうへと修復しゅうふくした。
FG-1D 88303
3117
フライング・ヘリテージ・コレクション[131] 公開こうかい 飛行ひこう可能かのう
FG-1D 88368
3181
ペイトリオッツ・ポイント海軍かいぐん海事かいじ博物館はくぶつかん 公開こうかい 静態せいたい展示てんじ 1945ねん4がつ28にちにグッドイヤー・エアクラフト・カンパニーで製造せいぞうされ、海軍かいぐん航空局こうくうきょく番号ばんごう BuNo.88368をあたえられて海軍かいぐん納入のうにゅうされた。6月にフィリピンに展開てんかいしていたVMF-211に配備はいびされ、1946ねんなつ本土ほんどもどる。海軍かいぐん航空こうくうステーションを転々てんてんとし、1947ねんにシアトルのステーションに移動いどうされた。同年どうねん6がつワシントンしゅうワシントン不時ふじ着水ちゃくすいし、機体きたい水没すいぼつ。1984ねん6がつげられ、以来いらい左記さき施設しせつ所有しょゆうである。
FG-1D 88382
3196
ミュージアム・オブ・フライト 公開こうかい 静態せいたい展示てんじ 1945ねん4がつにグッドイヤー・エアクラフト・カンパニーで製造せいぞうされ、海軍かいぐん航空局こうくうきょく番号ばんごう BuNo.88382をあたえられて海軍かいぐん納入のうにゅうされ空母くうぼイントレピッド配備はいびされた。戦後せんご予備よびやくうつされ、1950ねんにワシントンしゅうシアトルピュージェットわん海軍かいぐん基地きち配備はいびされた。同年どうねん7がつ、ラルフ・ミルソン中佐ちゅうさ(Ralph Milleson)の操縦そうじゅうでの飛行ひこうちゅうのコルセアと接触せっしょくしワシントン不時ふじ着水ちゃくすいし、1983ねん回収かいしゅうされた。ほんのレストアにあたり、1989ねん4がつ13にち殉職じゅんしょくしたジェローム・リース・スチュカート大尉たいい(Jerome Reese Schucart)とすべての軍人ぐんじん搭乗とうじょういん記念きねんてきささげられることとなった。なおほんは、所有しょゆうしゃである国立こくりつ海軍かいぐん航空こうくう博物館はくぶつかんから貸与たいよされている。[132]
FG-1D 92013
3274
国立こくりつアメリカ海軍かいぐん博物館はくぶつかん[133] 公開こうかい 静態せいたい展示てんじ グッドイヤー・エアクラフト・カンパニーで製造せいぞうされ、海軍かいぐん航空局こうくうきょく番号ばんごう BuNo.92013をあたえられて海軍かいぐん納入のうにゅうされた。はらげにより1965ねんロバート・ガードナー(Robert Gardner)が取得しゅとくし、N1978Mの番号ばんごうる。その海兵かいへいたい博物館はくぶつかん海軍かいぐん航空こうくう博物館はくぶつかんて1988ねんより左記さき施設しせつにおいて、だい17戦闘せんとう飛行ひこうたい(VF-17)指揮しきかんJ・T・ブラックバーンじょうのF4U-1A 17649「Big Hog」の塗装とそう展示てんじされている。
FG-1D 92050
3311
戦闘せんとう遺産いさん基金ききん博物館はくぶつかん[134]
(Warbird Heritage Foundation Museum & Hangar)
公開こうかい 静態せいたい展示てんじ
FG-1D 92085
3346
セルフリッジ軍事ぐんじ航空こうくう博物館はくぶつかん[135]
(Selfridge Military Air Museum)
公開こうかい 修復しゅうふくちゅう [9]
FG-1D 92095
3356
エヴァーグリーン航空こうくう宇宙うちゅう博物館はくぶつかん[136] 公開こうかい 飛行ひこう可能かのう グッドイヤー・エアクラフト・カンパニーで製造せいぞうされ、海軍かいぐん航空局こうくうきょく番号ばんごう BuNo.92095をあたえられて海軍かいぐん納入のうにゅうされ、1957ねん退役たいえき。エルサルバドル空軍くうぐんおくられたが、1974ねんにアメリカじんらが取得しゅとくしアメリカへ輸送ゆそう。N62344、N67HPと登録とうろくされ、個人こじん所有しょゆうののち1990ねん左記さき施設しせつ取得しゅとく。オリジナル塗装とそう機体きたいめいは「ルースレス2(Ruthless II)」。
FG-1D 92132
3393
写真しゃしん 3しゅう戦闘せんとう博物館はくぶつかん[137] 公開こうかい 静態せいたい展示てんじ
FG-1D 92246
3507
国立こくりつ海軍かいぐん航空こうくう博物館はくぶつかん 公開こうかい 静態せいたい展示てんじ
FG-1D 92304
3575
DBエアロしゃ[138]
(DB Aero Inc)
非公開ひこうかい 修復しゅうふくちゅう
FG-1D 92399
3660
キャヴァナー飛行ひこう博物館はくぶつかん[139] 公開こうかい 飛行ひこう可能かのう
FG-1D 92436
3697
オリンピック飛行ひこう博物館はくぶつかん[140] 公開こうかい 静態せいたい展示てんじ
FG-1D 92460
3721
写真しゃしん コネティカット航空こうくう宇宙うちゅうセンター[141] 公開こうかい 修復しゅうふくちゅう [10]
FG-1D 92463
3724
ブライアン・オ・ファレル航空こうくうしゃ[142]
(Brian O'Farrell Aviation Inc)
非公開ひこうかい 修復しゅうふくちゅう
FG-1D 92468
3729
記念きねん空軍くうぐん(CAF)[143] 公開こうかい 飛行ひこう可能かのう
FG-1D 92471
3732
写真しゃしん グラバー・ウィリアム・スコット[144]
(Glover William Scott)
非公開ひこうかい 飛行ひこう可能かのう
FG-1D 92489
FAS 209
3750
テキサス・フライング・レジェンズ博物館はくぶつかん[145]
(Texas Flying Legends Museum)
公開こうかい 飛行ひこう可能かのう
FG-1D 92490
3751
ブライアン・オ・ファレル航空こうくうしゃ[146] 非公開ひこうかい 修復しゅうふくちゅう
FG-1D 92508
3769
軍事ぐんじ航空こうくう博物館はくぶつかん[147] 公開こうかい 飛行ひこう可能かのう
FG-1D 92509
3770
エア・ズー航空こうくう宇宙うちゅう科学かがく博物館はくぶつかん 公開こうかい 静態せいたい展示てんじ
FG-1D 92618
3879
ブライアン・オ・ファレル航空こうくうしゃ[148] 非公開ひこうかい 修復しゅうふくちゅう
FG-1D 92629
3890
パームスプリングス航空こうくう博物館はくぶつかん[149] 公開こうかい 飛行ひこう可能かのう
FG-1D 92642
3903
ドイル・ドゥアン・トラスティー[150] 非公開ひこうかい 修復しゅうふくちゅう
FG-1D 92643
3904
ブライアン・オ・ファレル航空こうくうしゃ[151] 非公開ひこうかい 修復しゅうふくちゅう
F3A-1 04634
国立こくりつだい世界せかい大戦たいせん航空こうくう博物館はくぶつかん[152][153][154]
(National Museum of World War II Aviation)
公開こうかい 飛行ひこう可能かのう 現存げんそんする唯一ゆいいつのF3Aで、なおかつ飛行ひこう可能かのう機体きたいブルースター・エアロノーティカル製造せいぞうされ、海軍かいぐん航空局こうくうきょく番号ばんごう BuNo.04634をあたえられて海軍かいぐん納入のうにゅうされた。1944ねん12月にノースカロライナしゅうチェリーポイント(Cherry Point)付近ふきん湿地しっちたい不時着ふじちゃくした。機体きたいはほぼ無傷むきず着地ちゃくちしたが、操縦そうじゅう脱出だっしゅつはか死亡しぼうした。1992ねん、レックス・W・クラレー(Lex W. Cralley)が機体きたい回収かいしゅう修復しゅうふく。2010ねんにイーゼルしゃにより飛行ひこう状態じょうたい回復かいふく。2018ねん7がつ4にち、74ねんぶりに飛行ひこうした。[11][12]
XF4U-4 80759 ニューイングランド航空こうくう博物館はくぶつかん[155] 公開こうかい 静態せいたい展示てんじ
F4U-4 81164
7889
ウェストパック・リストレイションズ[156]
(Westpac Restorations)
非公開ひこうかい 修復しゅうふくちゅう
F4U-4 81698
8423
ウォー・イーグルス航空こうくう博物館はくぶつかん[157] 公開こうかい 静態せいたい展示てんじ
F4U-4 81857
8582
ロバート&ドンナ・オデガード・ファミリーしゃ[158]
(Robert and Donna Odegaard Family Ltd)
非公開ひこうかい 修復しゅうふくちゅう
F4U-4 96885
9039
空母くうぼミッドウェイ博物館はくぶつかん[13] 公開こうかい 静態せいたい展示てんじ [14]
F4U-4 97142
9296
ピマ航空こうくう宇宙うちゅう博物館はくぶつかん[159] 公開こうかい 静態せいたい展示てんじ
F4U-4 97143
9297
トーブル・ジェイムズ・R[160]
(Tobul James R)
公開こうかい 静態せいたい展示てんじ
F4U-4 97259
9413
EAA航空こうくう博物館はくぶつかん[161] 公開こうかい 静態せいたい展示てんじ
F4U-4 97264
9418
コマンシェ・ウォーバーズしゃ[162]
(Comanche Warbirds Inc)
非公開ひこうかい 飛行ひこう可能かのう F4U-4B 62940と塗装とそうされている。かつての塗装とそう
F4U-4 97280
9434
コーセア・エンタープライジーズしゃ[163]
(Corsair Enterprises Inc)
非公開ひこうかい 修復しゅうふくちゅう
F4U-4 97286
9440
ファンタジー・オブ・フライト[164] 公開こうかい 飛行ひこう可能かのう
F4U-4 97302
9456
コーセア・エンタープライジーズしゃ[165] 非公開ひこうかい 修復しゅうふくちゅう
F4U-4 97349
9503
国立こくりつ海軍かいぐん航空こうくう博物館はくぶつかん[166] 公開こうかい 静態せいたい展示てんじ
F4U-4B 97359
9513
写真しゃしん トレント・レットソー[167]
(Torrent Latshaw)
非公開ひこうかい 飛行ひこう可能かのう F4U-4 82050と塗装とそうされている。きゅう塗装とそう:
F4U-4 97369
9523
国立こくりつ海兵かいへいたい博物館はくぶつかん[168] 公開こうかい 静態せいたい展示てんじ
F4U-4 97382
9536
ヴァルチャーズ・ロウ・エイヴィエーションしゃ[169] 非公開ひこうかい 修復しゅうふく
F4U-4 97388
FAH-610
9542
ファーゴ航空こうくう博物館はくぶつかん[170][171][172]/ウィングス・オブ・ザ・ノース[173]
(Fargo Air Museum, Wings of the North)
公開こうかい 飛行ひこう可能かのう
F4U-4B 97390
9544
ヤンクス航空こうくう博物館はくぶつかん[174] 公開こうかい 修復しゅうふくちゅう
F4U-4 不明ふめい 国立こくりつだい世界せかい大戦たいせん博物館はくぶつかん[175] 公開こうかい 静態せいたい展示てんじ G・ボイントンじょうで「883」の塗装とそうがされていたF4U-1A 17833が所属しょぞくしていたVMF-214所属しょぞくとされているが、「883」ではなく「833」の塗装とそうがされていたのはF4U-1A 17833で、実際じっさいにはVMF-223所属しょぞくM・E・カールじょうである。詳細しょうさい機体きたい番号ばんごうなどは不明ふめいとされる。
F4U-5NL 121881 ローンスター飛行ひこう博物館はくぶつかん[176] 公開こうかい 飛行ひこう可能かのう
F4U-5P
F4U-5N
122179 ジャン・ピエール・パリ(Jean-Pierre Parizon) 非公開ひこうかい 修復しゅうふくちゅう 1986ねんに123168、1988ねんには124692へと部品ぶひん一部いちぶ提供ていきょうした。
F4U-5NL 122184 写真しゃしん ストーンヘンジ航空こうくう博物館はくぶつかん[177]
(Stonehenge Air Museum)
公開こうかい 静態せいたい展示てんじ
F4U-5N 122189
飛行ひこう海兵かいへい航空こうくう博物館はくぶつかん[178] 公開こうかい 静態せいたい展示てんじ F4U-5Pのマーキングがされている。
F4U-5P
F4U-5N
123168
ファイターズ・レジェンズ株式会社かぶしきがいしゃ[179]
(Fighters & Legends LCC)
非公開ひこうかい 飛行ひこう可能かのう 122の部品ぶひん使用しようして修復しゅうふくされた。
F4U-5NL 124447 写真しゃしん ミッドアメリカン航空こうくう博物館はくぶつかん[180][181][182]
(Mid-American Air Museum)
公開こうかい 静態せいたい展示てんじ
F4U-5N 124486 写真しゃしん 空中くうちゅうせん博物館はくぶつかん[183] 公開こうかい 飛行ひこう可能かのう
F4U-5NL 124560 写真しゃしん ゼウス・フライト2しゃ[184]
(Zeus Flight II LLC)
非公開ひこうかい 飛行ひこう可能かのう
F4U-5NL 124692 コリングス財団ざいだん[185] 公開こうかい 飛行ひこう可能かのう
F4U-7 133704 サンディエゴ航空こうくう宇宙うちゅう博物館はくぶつかん[186] 公開こうかい 静態せいたい展示てんじ
AUえーゆー-1
F4U-7
133714 BA 1945 LCC[187] 非公開ひこうかい 飛行ひこう可能かのう 129378号機ごうき塗装とそうとなっている。
AUえーゆー-1
F4U-7
133722 ティラムック航空こうくう博物館はくぶつかん
(エリクソン航空機こうくうきコレクション[188])
公開こうかい 飛行ひこう可能かのう
レプリカ 不明ふめい ウィングス・オブ・アナー博物館はくぶつかん
(Wings of Honor Museum)
公開こうかい 静態せいたい展示てんじ 2ぶんの1スケールのF4U-1として展示てんじされている。
レプリカ (92132) プラウド・バード・レストラン
(Proud Bird Restaurant)
公開こうかい 静態せいたい展示てんじ FG-1D 92132号機ごうき塗装とそう展示てんじされている。
レプリカ N86RD オレゴン航空こうくう宇宙うちゅう博物館はくぶつかん 公開こうかい 静態せいたい展示てんじ
オーストラリア
F4U-1 02270
写真しゃしん クラシックジェッツ戦闘せんとう博物館はくぶつかん[189][190]
(Classic Jets Fighter Museum)
非公開ひこうかい 修復しゅうふくちゅう
F4U-1D 82640
4487
写真しゃしん ウォーバード・アドヴェンチャーズ[191]
(Warbird Adventures)
非公開ひこうかい 修復しゅうふくちゅう
F4U-5NL 124493
FAH-608
グレイアム・ホスキング[192]
(Graham Hosking)
非公開ひこうかい 飛行ひこう可能かのう
ニュージーランド
F4U-1 10508
5203
ロス・ジョウィット[193]
(Ross Jowitt)
非公開ひこうかい 修復しゅうふくちゅう
F4U-1A 50000
5247
ロス・ジョウィット[194]
FG-1D 88391
3205
オールドスティック&ラダー・カンパニー[195]
(Old Stick and Rudder Company)
非公開ひこうかい 飛行ひこう可能かのう 92844号機ごうき塗装とそうがされている。
イギリス
FG-1A
コルセア Mk.IV
14862
KD431
1871
イギリス海軍かいぐん航空こうくう博物館はくぶつかん[196] 公開こうかい 静態せいたい展示てんじ
FG-1D 88297
3111
ザ・ファイター・コレクション[197] 公開こうかい 飛行ひこう可能かのう KD345号機ごうき塗装とそう飛行ひこうしている。
フランス
F4U-5NL 124541 Les Ailes de l'Aero[198] 公開こうかい 飛行ひこう可能かのう F4U-5NL 123176の塗装とそうがされている。一部いちぶ情報じょうほうではF4U-7とされているが、番号ばんごうがF4U-5NLのものである。
F4U-5NL 124724 サリス飛行ひこう博物館はくぶつかん[199]
(Salis Flying Museum)
公開こうかい 飛行ひこう可能かのう 1951ねんにヴォート・シコースキーで製造せいぞうされ、同年どうねん9がつ26にち海軍かいぐん航空局こうくうきょく番号ばんごう BuNo.124724をあたえられて海軍かいぐん納入のうにゅう。1952ねん4がつにVC-3にてられ、12月から6ヶ月かげつあいだ空母くうぼヴァリー・フォージ所属しょぞく韓国かんこくにてDet.B、翌年よくねん8がつから3ヶ月かげつ空母くうぼボクサー所属しょぞくでDet.Hの機体きたいとして運用うんようされた。その保管ほかんされたが、1956ねん3がつから78ねんまではホンジュラスで運用うんようされ、80ねんにハリウッド・ウィングしゃ修復しゅうふくし、86ねんから左記さき施設しせつ所有しょゆう[200]
アルゼンチン
F4U-5 121928 アルゼンチン海軍かいぐん航空こうくう博物館はくぶつかん[201]
(Museo de Aviacion Naval)
公開こうかい 静態せいたい展示てんじ
オーストリア
F4U-4 96995 フライング・ブルズ[202]
(Flying Bulls、レッドブルしゃ運営うんえい)
公開こうかい 飛行ひこう可能かのう [203]
カナダ
FG-1D 92106
3367
ヴィンテージ・ウィングス・オブ・カナダ[204]
(Vintage Wings of Canada)
公開こうかい 修復しゅうふくちゅう イギリス海軍かいぐんへも派遣はけんされた、カナダ海軍かいぐん操縦そうじゅうであったロバート・ハンプトン・グレイ(Robert Hampton Gray、女川湾おながわわんたたかいで死亡しぼう[205])の塗装とそう飛行ひこうしている。2019ねん7がつ3にちにオタワのイベントで着陸ちゃくりく失敗しっぱいして滑走かっそう逸脱いつだつ破損はそんした[206]
韓国かんこく
F4U-4 81415
8040
写真しゃしん 韓国かんこく航空こうくう博物館はくぶつかん 公開こうかい 静態せいたい展示てんじ ヴォート・シコースキーで製造せいぞうされ、海軍かいぐん航空局こうくうきょく番号ばんごう BuNo.81415をあたえられて海軍かいぐん納入のうにゅう。1959ねんにホンジュラス空軍くうぐんられるまえにロバート・ビーン(Robert Bean)がり、73ねんまで解体かいたい状態じょうたいであったが、74ねん左記さき施設しせつい、修復しゅうふくうえ展示てんじしている。
北朝鮮きたちょうせん
F4U-4 96918
9072
写真しゃしん 祖国そこく解放かいほう戦争せんそう勝利しょうり記念きねんかん 公開こうかい 静態せいたい展示てんじ
ソロモン諸島しょとう
F4U-1 ソロモン諸島しょとう ガダルカナルしゅう ヴィル戦争せんそう博物館はくぶつかん
(Vilu War Museum)
公開こうかい 静態せいたい展示てんじ
ブラジル
F4U-1A 17995
4078
TAM博物館はくぶつかん(TAM Museum)[207] 公開こうかい 静態せいたい展示てんじ 完全かんぜん状態じょうたい現存げんそんするF4U-1A初期しょきがた、いわゆるバードケージコルセア。
ホンジュラス
F4U-5N 124715
FAH-609
ホンジュラス航空こうくう博物館はくぶつかん[208]
(Museo del Aire)
公開こうかい 静態せいたい展示てんじ 1969ねん7がつ17にちエンリケス大佐たいさ操縦そうじゅうで、サッカー戦争せんそうにおける「史上しじょう最後さいごのレシプロ同士どうし空戦くうせん」でエルサルバドル空軍くうぐんのFG-1DとF-51D撃墜げきついした機体きたい戦後せんご退役たいえきしたさい左記さき博物館はくぶつかん寄贈きぞうされた。かつての写真しゃしん

登場とうじょう作品さくひん

映画えいが

硫黄いおうとうからの手紙てがみ
父親ちちおやたちの星条旗せいじょうき
地獄じごく戦場せんじょう
アメリカ海兵かいへいたい所属しょぞく登場とうじょう日本にっぽんぐん占領せんりょうしている孤島ことう上陸じょうりくする海兵かいへい隊員たいいんたちの上陸じょうりく支援しえんおこなうほか、クライマックスにて、日本にっぽんぐんロケットほう陣地じんち爆撃ばくげきする。
撮影さつえいには、アメリカ海兵かいへいたい全面ぜんめん協力きょうりょく実物じつぶつ使用しようされている。

ゲーム

バトルフィールドシリーズ
BF1942
べい海兵かいへいたい戦闘せんとうとして登場とうじょうする。
BF1943
べい海兵かいへいたい戦闘せんとうとして登場とうじょうする。
BFBC2
シングルプレイに登場とうじょう主人公しゅじんこうらの潜入せんにゅうわせてしま空爆くうばくする。
BFV
べいぐん戦闘せんとうとして登場とうじょうする。
War Thunder
アメリカぐん航空機こうくうきとしてのほか鹵獲ろかく機体きたいなどとして登場とうじょうする。

脚注きゃくちゅう

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    F4U-1D:胴体どうたいない237gal + つばさない124galの機体きたいない燃料ねんりょうタンク361gal (1,367ℓ)、落下らっかぞうそうタンクを150gal (568ℓ) ×2 + 175gal (662ℓ) ×1の合計ごうけい712gal (2,695ℓ)
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    MK5-1装備そうびは358mph/S.L. (576km/h 海面かいめん高度こうど)、409mph/19,900ft (658km/h 高度こうど6,066m)
    MK5-1・パイロンども装備そうびは366mph/S.L. (589km/h 海面かいめん高度こうど)、417mph/20,000ft (671km/h 高度こうど6,096m)
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  97. ^ 搭載とうさい可能かのう燃料ねんりょう機体きたいない燃料ねんりょうタンクに234gal (886ℓ)、落下らっかぞうそうタンクを150gal (568ℓ) ×2の合計ごうけい534gal (2,021ℓ)
  98. ^ MK5-1 (ロケットランチャー) およびパイロン装備そうびは318kn/S.L. (589km/h 海面かいめん高度こうど)、384kn/20,400ft (711km/h 高度こうど6,218m)
    MK5-1装備そうびは325kn/S.L. (602km/h 海面かいめん高度こうど)、393kn/20,500ft (728km/h 高度こうど6,248m)
    MK5-1・パイロンども装備そうびは333kn/S.L. (617km/h 海面かいめん高度こうど)、403kn/20,600ft (746km/h 高度こうど6,279m)
  99. ^ 38,500ftは500fpm R/Cでの実用じつよう上昇じょうしょう限度げんど
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    FG-3:[Propeller:HAMILTON STANDARD C.S.、Blade:No.6501A-O(×4)、Diameter:13ft 2in (4.01m)、Area:12.65m²]
  106. ^ 搭載とうさい可能かのう燃料ねんりょう
    F2G-2:機体きたいない燃料ねんりょうタンクに309gal (1,170ℓ)、落下らっかぞうそうタンクを150gal (568ℓ) ×2の合計ごうけい609gal (2,305ℓ)
    FG-3:機体きたいない燃料ねんりょうタンクに237gal (897ℓ)、落下らっかぞうそうタンクを150gal (568ℓ) ×2の合計ごうけい537gal (2,033ℓ)
  107. ^ MK5-1 (ロケットランチャー) およびパイロン装備そうびは391mph/S.L. (629km/h 海面かいめん高度こうど)、422mph/16,800ft (679km/h 高度こうど5,121m)
    MK5-1装備そうびは399mph/S.L. (642km/h 海面かいめん高度こうど)、431mph/16,900ft (694km/h 高度こうど5,151m)
    MK5-1・パイロンども装備そうびは407mph/S.L. (655km/h 海面かいめん高度こうど)、440mph/17,000ft (708km/h 高度こうど5,182m)
  108. ^ MK5-1 (ロケットランチャー) およびパイロン装備そうびは356mph/S.L. (573km/h 海面かいめん高度こうど)、451mph/33,200ft (726km/h 高度こうど10,119m)
    MK5-1装備そうびは363mph/S.L. (584km/h 海面かいめん高度こうど)、460mph/33,400ft (740km/h 高度こうど10,180m)
    MK5-1・パイロンども装備そうびは370mph/S.L. (595km/h 海面かいめん高度こうど)、469mph/33,600ft (755km/h 高度こうど10,241m)
  109. ^ 翼下よくかパイロン (1,600lbs) ×2
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関連かんれん項目こうもく

外部がいぶリンク