F4U コルセア
飛行 ひこう するF4U-4 96832号機 ごうき (1950年代 ねんだい 撮影 さつえい )
F4U コルセア (Chance Vought F4U Corsair )は、アメリカ のチャンス・ヴォート 社 しゃ が開発 かいはつ し、第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん と朝鮮 ちょうせん 戦争 せんそう でアメリカ海軍 かいぐん と海兵 かいへい 隊 たい が運用 うんよう したレシプロ 単発 たんぱつ 単座 たんざ 戦闘 せんとう 機 き 。愛称 あいしょう の「コルセア (Corsair、コーセア)」は、バルバリア海賊 かいぞく の意 い 。
ヴォート社 しゃ の他 ほか にグッドイヤー 社 しゃ とブルースター・エアロノーティカル 社 しゃ にも生産 せいさん は移管 いかん され、グッドイヤー社 しゃ 製 せい の機体 きたい はFG 、ブルースター社 しゃ 製 せい の機体 きたい はF3A という制式 せいしき 名称 めいしょう が与 あた えられた。また、AU えーゆー という呼称 こしょう の攻撃 こうげき 機 き 型 かた も存在 そんざい する。
経緯 けいい
開発 かいはつ
国家 こっか 航空 こうくう 諮問 しもん 委員 いいん 会 かい でテスト中 ちゅう のXF4U-1
開発 かいはつ 史 し [ 1] [ 2] [ 3] [ 4] [ 5] [ 6] [ 7] [ 8] [ 9] [ 10]
1938年 ねん 2月 がつ 、アメリカ海軍 かいぐん はF2A バッファロー 艦上 かんじょう 戦闘 せんとう 機 き などの後継 こうけい となる高速 こうそく 艦上 かんじょう 戦闘 せんとう 機 き の開発 かいはつ 要求 ようきゅう を告知 こくち した。4月にはグラマン社 しゃ やベル社 しゃ 、チャンス・ヴォート社 しゃ から1,200馬力 ばりき 級 きゅう エンジンを搭載 とうさい するV-166A案 あん と、2,000馬力 ばりき 級 きゅう エンジン搭載 とうさい のV-166B案 あん が提出 ていしゅつ され、6月 がつ に後者 こうしゃ の案 あん がXF4U-1として海軍 かいぐん から試作 しさく 発注 はっちゅう された。当時 とうじ の戦闘 せんとう 機 き 用 よう エンジンの出力 しゅつりょく は1,000馬力 ばりき 以下 いか が標準 ひょうじゅん であり、およそ倍 ばい の出力 しゅつりょく を誇 ほこ る2,000馬力 ばりき 級 きゅう エンジンを搭載 とうさい することになったコルセアは、これまでに見 み たこともないほどの巨大 きょだい なプロペラをつけた最 もっと も重 おも い艦上 かんじょう 戦闘 せんとう 機 き となった。
初 はつ 飛行 ひこう は1940年 ねん 5月 がつ 29日 にち に行 おこな われ、試作 しさく 機 き は一度 いちど 着陸 ちゃくりく 事故 じこ を起 お こしたものの、10月1日 にち には速度 そくど で405mph(651.8km/h)を記録 きろく 、水平 すいへい 飛行 ひこう で初 はじ めて400mphの壁 かべ を越 こ えたアメリカ戦闘 せんとう 機 き となった。降下 こうか テストでは890km/hに達 たっ したが損傷 そんしょう が発生 はっせい し、最終 さいしゅう 的 てき には高度 こうど 1万 まん フィートからの降下 こうか で制限 せいげん した速度 そくど 860km/hを記録 きろく した。
地上 ちじょう で直径 ちょっけい 13フィート以上 いじょう ある大型 おおがた のプロペラを回 まわ す場合 ばあい 、地面 じめん に当 あ たらないように主 しゅ 脚 あし を長 なが くする必要 ひつよう があるが、前方 ぜんぽう の視界 しかい が悪化 あっか する等 ひとし の欠点 けってん があり艦載 かんさい 機 き には向 む かない設計 せっけい となる。そこで翼 つばさ 型 がた に逆 ぎゃく ガル翼 つばさ が採用 さいよう され、主 しゅ 脚 あし は短 みじか く頑丈 がんじょう な作 つく りにできた。F6F が起 お こしたような、着 ちゃく 艦 かん の衝撃 しょうげき に耐 た えられずに脚 あし が破損 はそん するといった事例 じれい はほとんどなかった。さらに主 しゅ 脚 あし 柱 ばしら 前方 ぜんぽう にダイブブレーキパネルを配置 はいち し、主 しゅ 脚 あし をダイブブレーキモードで展開 てんかい する場合 ばあい に主 しゅ 脚 あし とダイブブレーキパネルのみ展開 てんかい させることができた。制限 せいげん 速度 そくど は主 しゅ 脚 あし 展 てん 張 はり 時 じ で730km/hに達 たっ したが、展開 てんかい する際 さい の制限 せいげん 速度 そくど は481km/hであり、それ以上 いじょう の速度 そくど では完全 かんぜん に展開 てんかい されなかった。[ 10] 戦場 せんじょう では、主 おも に60度 ど 以上 いじょう の急降下 きゅうこうか 爆撃 ばくげき 時 じ に使用 しよう されており、空戦 くうせん 中 ちゅう 、減速 げんそく のために使用 しよう されている場合 ばあい もあった。[ 11] しかし、戦闘 せんとう では展開 てんかい 時 じ の速度 そくど 制限 せいげん を超 こ えて機能 きのう 異常 いじょう を起 お こすことが多 おお かったことに加 くわ えて、速度 そくど を失 うしな った機体 きたい は敵 てき の攻撃 こうげき に晒 さら されやすくなるため、ダイブブレーキを使用 しよう せずに行 おこな われた場合 ばあい がほとんどである。[ 12] [ 13]
フラップは主翼 しゅよく が逆 ぎゃく ガル翼 つばさ だったので、三 さん 分割 ぶんかつ されるような形状 けいじょう になった。展開 てんかい 時 じ には主翼 しゅよく 形状 けいじょう の関係 かんけい でフラップ間 あいだ に隙間 すきま が生 しょう じるので、それを埋 う めるパネルも展開 てんかい された。展開 てんかい 角 かく は最大 さいだい 50度 ど であり(英語 えいご 版 ばん は60度 ど )、10度 ど ずつの間隔 かんかく で調節 ちょうせつ することができた。限界 げんかい 速度 そくど は50度 ど (100%) で244km/h、20度 ど (40%) で380km/hであった。フラップはオーバーロードリリーフシステムで保護 ほご され、速度 そくど に応 おう じて展開 てんかい 角 かく を自動的 じどうてき に調整 ちょうせい するブローアップシステムを備 そな えていた。形式 けいしき は、NACAスロッテッドタイプとして高 たか い効果 こうか を発揮 はっき し、F4Uが重量 じゅうりょう 級 きゅう の高速 こうそく 戦闘 せんとう 機 き にもフラップを使用 しよう して、低 ひく い失速 しっそく 速度 そくど と鋭 するど い旋回 せんかい を可能 かのう とした。
エルロンは骨組 ほねぐ みと表面 ひょうめん の両方 りょうほう が木材 もくざい で作 つく られ、表面 ひょうめん には羽 はね 布 ぬの がかぶせられた。木材 もくざい 合板 ごうはん からなる表面 ひょうめん は、堅 かた くかつ滑 なめ らかで航空 こうくう 力学 りきがく 的 てき に優 すぐ れていることが判明 はんめい した。被弾 ひだん 試験 しけん でも全 ぜん 金属 きんぞく 製 せい エルロンと比較 ひかく して空気 くうき 抵抗 ていこう を増 ま す望 のぞ ましくない突起 とっき が出 で ないという利点 りてん があり、金属 きんぞく 製 せい よりも優先 ゆうせん して採用 さいよう された。完成 かんせい されたエルロンにより、テストパイロットによる飛行 ひこう 試験 しけん で毎秒 まいびょう 180度 ど の横転 おうてん を実現 じつげん した。また、左 ひだり エルロンはトリムタブを装着 そうちゃく して飛行 ひこう 中 ちゅう にトリム調整 ちょうせい が可能 かのう なようにした。
昇降 しょうこう 舵 かじ は羽 はね 布 ぬの を被 かぶ せられたアルミニウム合金 ごうきん 構造 こうぞう で、突出 とっしゅつ バランスがとられた形状 けいじょう にブーストタブとトリムタブ が設置 せっち された。これにより飛行 ひこう 中 ちゅう のトリム調整 ちょうせい が可能 かのう であり、操縦 そうじゅう 桿の操作 そうさ 力 りょく が極 きわ めて軽 かる くなった。
ラダーは羽 はね 布 ぬの を被 かぶ せられたアルミニウム合金 ごうきん 構造 こうぞう で、垂直 すいちょく 尾翼 びよく の大半 たいはん を占 し めており、突出 とっしゅつ バランスを保有 ほゆう している形状 けいじょう であった。尾翼 びよく のほとんどが動 うご くことになる為 ため 、非常 ひじょう に高 たか い効果 こうか を持 も っていたが、逆 ぎゃく にラダーを操舵 そうだ した際 さい には尾翼 びよく の固定 こてい フィンの面積 めんせき が少 すく なく安定 あんてい 性 せい が低 ひく かった。安定 あんてい した状態 じょうたい からの素早 すばや い動 うご きを可能 かのう にしたが、低 ひく い安定 あんてい 性 せい は、着 ちゃく 艦 かん 時 じ には不適 ふてき だった。(?効 き きの良 よ いラダーはむしろ艦載 かんさい 機 き には有用 ゆうよう と思 おも われるが?) ラダーにも可動 かどう トリムタブが装着 そうちゃく されていたので、F4Uはロール、ピッチ、ヨーすべての軸 じく に対 たい して飛行 ひこう 中 ちゅう のトリム調整 ちょうせい が可能 かのう だった。
骨格 こっかく は艦載 かんさい 機 き としてあらゆる状況 じょうきょう に対応 たいおう できるように丈夫 じょうぶ に作 つく られ、量産 りょうさん 機 き は武装 ぶそう と胴体 どうたい 燃料 ねんりょう を満載 まんさい した12,000lbsの戦闘 せんとう 重量 じゅうりょう で7.5Gの制限 せいげん 荷重 かじゅう を達成 たっせい した。[ 10] これは戦闘 せんとう 重量 じゅうりょう で6.6GのF6F [ 14] や7.0GのF8F[ 15] より優 すぐ れていた。運用 うんよう 期間 きかん 中 ちゅう に機体 きたい 尾 お 部 ぶ の補強 ほきょう が行 おこな われたF6F とは異 こと なり、F4Uは退役 たいえき 時 じ まで骨格 こっかく の補強 ほきょう を必要 ひつよう としなかった。このような頑丈 がんじょう な骨格 こっかく のために、高速 こうそく での急 きゅう 機動 きどう を問題 もんだい なくこなすことができた。
飛行 ひこう 中 ちゅう の初期 しょき 型 がた F4U-1
前方 ぜんぽう 胴体 どうたい には、自動 じどう 防 ぼう 漏 も 燃料 ねんりょう タンクがあり、補助 ほじょ 燃料 ねんりょう タンクとして使用 しよう することができる主翼 しゅよく 内 ない の燃料 ねんりょう タンクも備 そな えていた。主翼 しゅよく 内 ない のインテグラル式 しき 燃料 ねんりょう タンクは防 ぼう 漏 も ゴムが付 つ けられないため、二酸化炭素 にさんかたんそ 自動 じどう 消化 しょうか 装置 そうち を備 そな えていた。主翼 しゅよく 内 ない の燃料 ねんりょう タンクは、空母 くうぼ で運用 うんよう するF4U-1Dからは撤去 てっきょ された。
防弾 ぼうだん 装備 そうび は150lbsほどのキャノピー前面 ぜんめん 防弾 ぼうだん ガラスと、座席 ざせき 後方 こうほう の防弾 ぼうだん 板 ばん であった。F4U-1Aからはキャノピーカービンの後 のち 上方 かみがた にも防弾 ぼうだん 板 ばん が設置 せっち され、F4U-1Dからは座席 ざせき 底部 ていぶ にも防弾 ぼうだん 板 ばん が追加 ついか された。
量産 りょうさん 型 がた F4U-1の初 はつ 飛行 ひこう は1942年 ねん 6月 がつ 25日 にち であった。初期 しょき の量産 りょうさん 機 き は12,060lbsの戦闘 せんとう 重量 じゅうりょう で3,000ft/min以上 いじょう の海面 かいめん 上昇 じょうしょう 力 りょく 、668km/hの最 さい 高速度 こうそくど 、37,000フィートの実用 じつよう 上昇 じょうしょう 限度 げんど というスペックであった。
1942年 ねん 9月 がつ 25日 にち には護衛 ごえい 空母 くうぼ CVE-26で着 ちゃく 艦 かん テストが行 おこな われ、すぐにF4U-1の問題 もんだい が明 あき らかとなった。長 なが い機首 きしゅ に加 くわ え、カウルフラップのアクチュエータから飛 と んでくる油圧 ゆあつ 液 えき とバルブプッシュロッドから飛 と んでくるエンジンオイルにより、着 ちゃく 艦 かん 時 じ の視界 しかい は最悪 さいあく であった。アクチュエータの問題 もんだい はF4FとPB4Y-1に倣 なら い、エンジンオイルの問題 もんだい はカウルフラップの上部 じょうぶ セクションを固定 こてい 式 しき に変 か えギャップを無 な くすことで解決 かいけつ した。しかし、1943年 ねん に実戦 じっせん に投入 とうにゅう された後 のち も、カウルフラップの上部 じょうぶ セクションが良 よ くなっていないF4U-1があり、エンジンオイルの問題 もんだい が完全 かんぜん に解決 かいけつ されたのは、F4U-1Aの登場 とうじょう 時点 じてん であった。そのほかにも、メインギアの硬 かた い緩衝 かんしょう 装置 そうち は機体 きたい を飛 と び上 あ がらせ、ロータイプテールギアと巨大 きょだい なフラップは方向 ほうこう 安定 あんてい 性 せい の問題 もんだい を起 お こした。また着陸 ちゃくりく の際 さい に減速 げんそく 中 ちゅう に突然 とつぜん 失速 しっそく し転覆 てんぷく したりなどする事故 じこ も発生 はっせい した。
結局 けっきょく このままではF4Uは空母 くうぼ で運用 うんよう するには不適 ふてき とされ、初期 しょき 生産 せいさん 型 がた のほとんどは海兵 かいへい 隊 たい に引 ひ き渡 わた された。しかしVF-17のように、F4Uを好 この み部隊 ぶたい ごと空母 くうぼ から地上 ちじょう 部隊 ぶたい へと変更 へんこう された海軍 かいぐん 飛行 ひこう 隊 たい も存在 そんざい した。
運用 うんよう 中 ちゅう の活躍 かつやく
戦闘 せんとう 記録 きろく [ 4] [ 5] [ 7] [ 8] [ 9] [ 16] [ 17] [ 18] [ 19] [ 20] [ 21] [ 22] [ 23] [ 24] [ 25] [ 26] [ 27]
1943年 ねん
F4Uの初戦 しょせん は1943年 ねん 、ガダルカナルに進出 しんしゅつ した、F4Uの平均 へいきん 運用 うんよう 時間 じかん が30時 じ 間 あいだ に過 す ぎない[ 23] [ 28] [ 27] VMF-124であった。数 かず と練度 れんど で勝 まさ る日本 にっぽん 海軍 かいぐん の二 に 〇四 よん 空 そら 、二 に 五 ご 二 に 空 そら 、八 はち 〇二 に 空 そら [ 29] の機体 きたい と交戦 こうせん した結果 けっか 、米 べい 軍 ぐん 側 がわ が8機 き 損失 そんしつ [ 30] 、日本 にっぽん 側 がわ は零 れい 戦 せん 1機 き 自爆 じばく という一方 いっぽう 的 てき な損害 そんがい を受 う け、後 のち に「セントヴァレンタインデーの虐殺 ぎゃくさつ 」と呼 よ ばれる大 だい 敗北 はいぼく を喫 きっ した。
「セントヴァレンタインデーの虐殺 ぎゃくさつ 」は、1943年 ねん 2月 がつ 14日 にち に起 お きた。対 たい 艦 かん 攻撃 こうげき の為 ため 侵攻 しんこう する9機 き のPB4Y プライヴァティア爆撃 ばくげき 機 き を12機 き のVMF-124所属 しょぞく のF4Uが直 ちょく 掩し、10機 き の米 べい 陸軍 りくぐん 339FS、347FS所属 しょぞく のP-38 ライトニング戦闘 せんとう 機 き が高空 こうくう で援護 えんご していた。日本 にっぽん 側 がわ はブインより出撃 しゅつげき の二 に 〇四 よん 空 そら 所属 しょぞく の13機 き の零 れい 戦 せん 、バラより出撃 しゅつげき の二 に 五 ご 二 に 空 そら 所属 しょぞく の14〜17機 き の零 れい 戦 せん 、ショートランド基地 きち より出撃 しゅつげき の八 はち 〇二 に 空 そら 所属 しょぞく の11機 き の二 に 式 しき 水 みず 戦 せん が邀撃 ようげき し、うち31機 き が交戦 こうせん した。乱戦 らんせん の結果 けっか は日本 にっぽん 側 がわ の圧勝 あっしょう であった。米 べい 軍 ぐん の損失 そんしつ 8機 き には、新鋭 しんえい 機 き F4Uが2機 き 含 ふく まれていた。撃墜 げきつい されたF4Uはリヨン中尉 ちゅうい ・ステュアート中尉 ちゅうい の機体 きたい だった。ステュアート中尉 ちゅうい は自 みずか らの機体 きたい が格闘 かくとう 戦中 せんちゅう に燃料 ねんりょう タンクに被弾 ひだん した為 ため 、僚機に別 わか れを告 つ げて2万 まん フィートから機体 きたい を降下 こうか させて海面 かいめん に衝突 しょうとつ した。リヨン中尉 ちゅうい 機 き は敵 てき 機 き と空中 くうちゅう 衝突 しょうとつ した。二人 ふたり 共 ども 行方 ゆくえ 不明 ふめい (MIA) とされた。その他 た 撃墜 げきつい された4機 き のP-38と2機 き のPB4Yのパイロットもまた行方 ゆくえ 不明 ふめい (MIA) と処理 しょり された。米 べい 軍 ぐん の行方 ゆくえ 不明 ふめい 者 しゃ の中 なか の生存 せいぞん 者 しゃ は、P-38パイロット2人 にん でその中 なか の1人 ひとり は捕虜 ほりょ となった。一方 いっぽう 、日本 にっぽん 側 がわ の損失 そんしつ は、被弾 ひだん によりF4Uと衝突 しょうとつ ・自爆 じばく したとされている二 に 五 ご 二 に 空 そら の機体 きたい のみであった。新鋭 しんえい 機 き の初陣 ういじん にも関 かか わらず損失 そんしつ があったことに慌 あわ てた米 べい 軍 ぐん は、当分 とうぶん のあいだ昼間 ひるま 爆 ばく 撃 げき を中断 ちゅうだん し、F4Uのパイロット達 たち に対 たい してすぐに日本 にっぽん 側 がわ の強 つよ さと戦術 せんじゅつ を教育 きょういく した[ 4] 。
以後 いご 、F4Uは機体 きたい 自体 じたい の高性能 こうせいのう と機関 きかん 銃 じゅう 6丁 ちょう という当時 とうじ としては高 たか い火力 かりょく を利用 りよう して『い号 ごう 作戦 さくせん 』頃 ごろ には、汚名 おめい を返上 へんじょう する活躍 かつやく を見 み せた。しかしこの時期 じき のF4Uを苦 くる しめたのは、機体 きたい とエンジンの信頼 しんらい 性 せい であった。 ソロモン戦域 せんいき の劣悪 れつあく な作戦 さくせん 環境 かんきょう と新 あたら しい機体 きたい の整備 せいび プールの不足 ふそく により、さまざまな問題 もんだい が発生 はっせい した。この時期 じき のR-2800は、点火 てんか 装置 そうち への電波 でんぱ 干渉 かんしょう からの保護 ほご が不足 ふそく して高 こう 高度 こうど でエンジンが停止 ていし するなどの問題 もんだい が発生 はっせい し、カウリングからはオイルが漏 も れ風防 ふうぼう ガラスを覆 おお って、胴体 どうたい 内 ない の燃料 ねんりょう タンクでも燃料 ねんりょう が漏 も れるなど、1943年 ねん 末 まつ までのF4U-1は高性能 こうせいのう ではあるが危険 きけん な戦闘 せんとう 機 き だった。 F4U-1Aの登場 とうじょう 時点 じてん ではエンジンの問題 もんだい は改善 かいぜん 、オイルの問題 もんだい はカウリング上方 かみがた のパネルを固定 こてい 式 しき に変 か え、燃料 ねんりょう の問題 もんだい は胴体 どうたい にテーピングをすることで改善 かいぜん した。F4UとF6F はR-2800をエンジンとした最初 さいしょ の戦闘 せんとう 機 き として互 たが いの開発 かいはつ に密接 みっせつ な関連 かんれん があり、F4Uの改善 かいぜん 過程 かてい はカビュレーターの向 む きを除 のぞ き同 おな じエンジンを使用 しよう したF6Fにフィードバックされ、殆 ほとん どの初期 しょき 不良 ふりょう 問題 もんだい を解決 かいけつ してから実戦 じっせん に参加 さんか することができた。兵器 へいき 研究 けんきゅう 家 か の大塚 おおつか 好古 よしふる 氏 し は、その著書 ちょしょ 「米 べい 海軍 かいぐん 戦闘 せんとう 機 き 」の中 なか でR-2800エンジンの初期 しょき 不良 ふりょう について触 ふ れ、「問題 もんだい が殆 ほとん ど解決 かいけつ した後 のち で実用 じつよう 化 か されたF6F は非常 ひじょう に幸運 こううん だった」と評 ひょう している。
着 ちゃく 艦 かん 問題 もんだい による先入観 せんにゅうかん とは違 ちが い、飛行 ひこう 中 ちゅう のF4Uは基本 きほん 的 てき な失速 しっそく 特性 とくせい が良好 りょうこう だった。数 すう 年 ねん にわたるグッドイヤー、ブリュースター、ヴォート・エアクラフト・インダストリーズのすべての機體 きたい の生産 せいさん 監察 かんさつ 報告 ほうこく 書 しょ によると、基本 きほん 的 てき な失速 しっそく の特性 とくせい は、兆 きざ しが良好 りょうこう で進行 しんこう が緩 ゆる やかで回復 かいふく が容易 ようい であるということだった。[ 31] [ 32] [ 33] しかし着陸 ちゃくりく 脚 あし 、フラップ、ダイブブレーキパネルをすべて展開 てんかい してスロットルを下 くだ した着陸 ちゃくりく 時 じ では失速 しっそく の前兆 ぜんちょう が殆 ほとん どなく突然 とつぜん の翼 つばさ 端 はし 失速 しっそく が発生 はっせい し、特 とく に空母 くうぼ に着 き 艦 かん する場合 ばあい には危険 きけん だった。
海兵 かいへい 隊 たい のF4U航空 こうくう 隊 たい たちは連合 れんごう 軍 ぐん の矛先 ほこさき として、1943年 ねん 末 まつ には「ソロモンのはしご」と呼 よ ばれる進出 しんしゅつ を終 お えて、1944年 ねん の春 はる まで最 さい 精鋭 せいえい であったラバウル航空 こうくう 隊 たい と激戦 げきせん を繰 く り広 ひろ げた。F4Uが初 はじ めて配備 はいび された1943年 ねん 春 はる から、この期間 きかん 、1944年 ねん 春 はる までに、ソロモン戦域 せんいき に新 あら たに配置 はいち されたF4Uのパイロットたちは、戦場 せんじょう に配備 はいび された時点 じてん での実戦 じっせん 経験 けいけん がないか、水上 すいじょう 機 き や爆 ばく 撃 げき 機 き 乗 の りとして訓練 くんれん されたが突然 とつぜん の戦闘 せんとう 機 き への機種 きしゅ 転換 てんかん を終 お えた者 もの であったり、平均 へいきん 的 てき な戦闘 せんとう 経験 けいけん と練度 れんど が低 ひく かったので、操縦 そうじゅう 技能 ぎのう を駆使 くし する格闘 かくとう 戦 せん を避 さ け、機体 きたい 性能 せいのう の優位 ゆうい 性 せい を生 い かして戦 たたか う一撃 いちげき 離脱 りだつ 戦法 せんぽう と、優 すぐ れた防御 ぼうぎょ 力 りょく を利用 りよう した編隊 へんたい 空戦 くうせん を主 おも に用 もち いた。[ 27] [ 34]
プロペラの根 ね が厚 あつ い6501A-0、別名 べつめい 「パドル」プロペラブレードを装備 そうび して作戦 さくせん 中 ちゅう のVF-17のF4U-1A。
そして1943年 ねん の終 お わりからコックピット付近 ふきん を再 さい 設計 せっけい して信頼 しんらい 性 せい の問題 もんだい を解決 かいけつ したF4U-1Aが配備 はいび され、1944年 ねん 初 はじ めから水 みず メタノール噴射 ふんしゃ 装置 そうち を装備 そうび したF4U-1Aの後期 こうき 生産 せいさん 型 がた が配置 はいち された。この時期 じき 地上 ちじょう で作戦 さくせん するF4Uの一部 いちぶ はアレスティングフックを撤去 てっきょ したり、直径 ちょっけい 13フィート1インチの6501A-0新型 しんがた プロペラブレードを装着 そうちゃく して性能 せいのう を高 たか めた。性能 せいのう に優 すぐ れたF4Uを空母 くうぼ に搭載 とうさい するために、ヴォート社 しゃ と海軍 かいぐん は様々 さまざま な努力 どりょく を傾 かたむ けた。 F4U-1Aは、コックピット位置 いち を上 あ げる再 さい 設計 せっけい により視界 しかい が良 よ くなり、新 あら たに長 なが い尾 お 輪 わ の脚 あし 柱 ばしら を設置 せっち してタキシングや離着陸 りちゃくりく 時 じ のAOAを下 さ げた。右翼 うよく はストールを緩 ゆる やかにしてくれるスポイラーを設置 せっち した。これらの改良 かいりょう を行 おこな った陸上 りくじょう 用 よう 戦闘 せんとう 機 き としてのF4U-1Aは、武装 ぶそう と機内 きない に燃料 ねんりょう を満載 まんさい した戦闘 せんとう 重量 じゅうりょう 状態 じょうたい で693km/ hの速度 そくど を達成 たっせい し、陸軍 りくぐん のP-51Bとの比較 ひかく では、加速 かそく 、起動 きどう 、上昇 じょうしょう 力 りょく で優勢 ゆうせい であり、速度 そくど も海面 かいめん 高度 こうど と一部 いちぶ の領域 りょういき で勝 まさ る性能 せいのう を示 しめ した。[ 35] [ 36] 一方 いっぽう 、このような改造 かいぞう が行 おこな われず、13フィート4インチ直径 ちょっけい の6443A-21旧型 きゅうがた プロペラブレードを備 そな えた生産 せいさん ラインの基本 きほん 的 てき なF4U-1Aの公式 こうしき 最高 さいこう 速度 そくど は671km/ hであった。[ 37] すべての改善 かいぜん 点 てん が生産 せいさん ライン上 じょう で完全 かんぜん に反映 はんえい されたのは、F4U-1D生産 せいさん の時期 じき であった。
F4Uの部隊 ぶたい はソロモン諸島 しょとう を北上 ほくじょう しながら、最終 さいしゅう 的 てき にラバウル方面 ほうめん で活躍 かつやく して日本 にっぽん 軍 ぐん の航空 こうくう 戦力 せんりょく を消耗 しょうもう させた。日本 にっぽん 軍 ぐん の空母 くうぼ 部隊 ぶたい は第 だい 一 いち 航空 こうくう 艦隊 かんたい や第 だい 二 に 航空 こうくう 艦隊 かんたい などの精鋭 せいえい 航空 こうくう 戦力 せんりょく を地上 ちじょう 基地 きち に派遣 はけん しており、これらの消耗 しょうもう により艦隊 かんたい 航空 こうくう 戦力 せんりょく が弱体 じゃくたい 化 か した。しかし、ラバウル航空 こうくう 隊 たい の優 すぐ れた技量 ぎりょう により、米 べい 海兵 かいへい 航空 こうくう 隊 たい とVF-17のF4Uも多 おお くの被害 ひがい を被 こうむ った。岩本 いわもと 徹三 てつぞう のように、最終 さいしゅう 的 てき に数 すう 十 じゅう 機 き のF4U撃墜 げきつい を報告 ほうこく したパイロットもあった。[ 38] この期間 きかん 中 ちゅう にVF-17のF4Uは空母 くうぼ に着 き 艦 かん して再 さい 補給 ほきゅう 後 ご 、正常 せいじょう に運用 うんよう されることで艦載 かんさい 機 き 復帰 ふっき への可能 かのう 性 せい を示 しめ した。
以後 いご 弱体 じゃくたい 化 か された日本 にっぽん の航空 こうくう 戦力 せんりょく に対 たい し、本格 ほんかく 的 てき に空母 くうぼ 機動 きどう 部隊 ぶたい に所属 しょぞく するF6F が大 だい 活躍 かつやく した。ソロモン戦域 せんいき の消耗 しょうもう 戦 せん とは異 こと なり、空母 くうぼ 機動 きどう 部隊 ぶたい の支援 しえん を受 う けて集中 しゅうちゅう 運用 うんよう されたF6F は艦載 かんさい 機 き としての優位 ゆうい 性 せい を活 い かし、積極 せっきょく 的 てき に戦果 せんか を重 かさ ねていった。マリアナ海戦 かいせん でF6F が日本 にっぽん の艦隊 かんたい 航空 こうくう 勢力 せいりょく を壊滅 かいめつ させている間 あいだ 、F4Uは地上 ちじょう に縛 しば られていたため、空中 くうちゅう 戦 せん で活躍 かつやく する機会 きかい がほとんどなかった。
1944年 ねん
一方 いっぽう 、様々 さまざま な問題 もんだい が完全 かんぜん に解決 かいけつ されたF4U-1Aから、更 さら に空母 くうぼ 運用 うんよう のための改良 かいりょう も完了 かんりょう したF4U-1Dは、1944年 ねん 4月 がつ 22日 にち 、VF-11のゴードンキャディ中佐 ちゅうさ 、VF-1のバーナードストリン中佐 ちゅうさ 、VMF-223のジョン・スミス大佐 たいさ によって、護衛 ごえい 空母 くうぼ の狭 せま いデッキにおいてF6F -5と比較 ひかく された。 3週間 しゅうかん に渡 わた る評価 ひょうか 試験 しけん で出 だ された結論 けつろん によれば、F4U-1DはF6F -5に比 くら べて疑 うたが いの余地 よち なく高速 こうそく であり、F6F -5の機動 きどう 性 せい はF6F -3より良 よ かったがF4U-1Dには及 およ ばず、F4U-1DはF6F -5より上昇 じょうしょう 力 りょく が優 すぐ れていて、特 とく に高速 こうそく 上昇 じょうしょう 性能 せいのう が目立 めだ つことが明 あき らかになった。 F4U-1Dは操作 そうさ が軽 かる く軽快 けいかい でより飛 と ばしやすい航空機 こうくうき であり、固定 こてい 武装 ぶそう の配置 はいち もより実戦 じっせん 向 む きであると評価 ひょうか された。特 とく に重要 じゅうよう な利点 りてん は、武器 ぶき のプラットフォームとして安定 あんてい しており爆 ばく 撃 げき とロケット発射 はっしゃ に有利 ゆうり であることだった。しかし、空母 くうぼ 着 ぎ 艦 かん には、着 ちゃく 艦 かん 時 じ の視界 しかい が広 ひろ いF6F -5がより優 すぐ れている点 てん も確認 かくにん された。[ 4] [ 7] [ 39]
1944年 ねん 5月 がつ 16日 にち 、空母 くうぼ 運用 うんよう 能力 のうりょく が強化 きょうか されたF4U-1Dに対 たい して「一般 いっぱん 的 てき にF4UはF6F と比較 ひかく して、より良 よ い戦闘 せんとう 機 き ・より良 よ い爆 ばく 撃 げき 機 き であり、同等 どうとう の空母 くうぼ 運用 うんよう 能力 のうりょく を持 も つということが理事 りじ 会 かい の見解 けんかい であり、艦載 かんさい 戦闘 せんとう 機 き と艦上 かんじょう 爆撃 ばくげき 機 き をF4Uに切 き り替 か えることが強 つよ く推奨 すいしょう される」という結論 けつろん が下 くだ され、本格 ほんかく 的 てき に艦載 かんさい 機 き としての能力 のうりょく を証明 しょうめい することになった。
1944年 ねん 8月 がつ には、爆 ばく 弾 だん 搭載 とうさい 量 りょう に劇的 げきてき な進展 しんてん があった。太平洋 たいへいよう の海兵 かいへい 飛行 ひこう 隊 たい を訪問 ほうもん したチャールズ・リンドバーグによってF4Uの最大 さいだい 搭載 とうさい 量 りょう は、2,000lbs爆 ばく 弾 だん 1発 はつ と1,000lbs爆 ばく 弾 だん 2発 はつ の最大 さいだい 4,000lbsにまで向上 こうじょう した。しかしこのような大 だい 重量 じゅうりょう の爆 ばく 弾 だん 搭載 とうさい はほとんど行 おこな われなかった。離陸 りりく 滑走 かっそう 距離 きょり が長 なが くなってしまったため、リンドバーグでさえカーブしながら離陸 りりく する古典 こてん 的 てき なテクニックを用 もち いる必要 ひつよう があった。
1944年 ねん 10月 がつ 、メリーランド州 しゅう のNASパタクセント・リバー で、米国 べいこく と英国 えいこく と捕獲 ほかく された日本 にっぽん の戦闘 せんとう 機 き による合同 ごうどう 戦闘 せんとう 機 き 競技 きょうぎ があり、ここでもF4U-1Dは、高 たか い評価 ひょうか を受 う けた。最高 さいこう の艦載 かんさい 機 き であり、最高 さいこう の戦闘 せんとう 爆撃 ばくげき 機 き として選 えら ばれており、高 たか い機動 きどう 性 せい と優秀 ゆうしゅう な性能 せいのう で多 おお くの支持 しじ を受 う けた。参加 さんか した英国 えいこく のパイロットもF4Uの優 すぐ れた高速 こうそく 機動 きどう 性 せい と戦闘 せんとう 能力 のうりょく を高 たか く評価 ひょうか した。最終 さいしゅう 的 てき にF4U-1Dは、この比較 ひかく のプログラムで量産 りょうさん 機 き の中 なか では総合 そうごう 性能 せいのう が最 もっと も優 すぐ れていることを考慮 こうりょ された。好評 こうひょう を受 う けたF4U-1Dだったが、コクピットのレイアウトと自動 じどう 化 か 、25,000フィート以上 いじょう での性能 せいのう は、改善 かいぜん すべき点 てん として指摘 してき されて以降 いこう のF4U-4やF4U-5は、基本 きほん 性能 せいのう を上 あ げながら、その機能 きのう を改善 かいぜん する方向 ほうこう に発展 はってん した。[ 40] [ 41]
1944年 ねん 12月28日 にち から空母 くうぼ に配備 はいび されたF4U-1Dは戦闘 せんとう 爆撃 ばくげき 機 き としての頭角 とうかく を見 み せ、硫黄 いおう 島 とう や沖縄 おきなわ への攻撃 こうげき に活躍 かつやく した。地上 ちじょう の兵士 へいし たちにはF4Uの心強 こころづよ い地上 ちじょう 支援 しえん が好評 こうひょう であり、戦 たたか いが終 お わる頃 ころ には「沖縄 おきなわ の恋人 こいびと (Okinawa Sweet-heart)」と呼 よ ばれた。F4U-1Dは太平洋戦争 たいへいようせんそう において最高 さいこう の急降下 きゅうこうか 爆撃 ばくげき 機 き の一 ひと つとされるSBD ドーントレスに比 くら べ、まったく劣 おと らない爆 ばく 弾 だん 搭載 とうさい 量 りょう と正確 せいかく な急降下 きゅうこうか 性能 せいのう を持 も っているとされた。
損傷 そんしょう を受 う けて帰還 きかん したF4U-1D
1944年 ねん とは異 こと なり、1945年 ねん からはF4Uも本格 ほんかく 的 てき に空母 くうぼ で運用 うんよう されたので第 だい 一線 いっせん で空中 くうちゅう 戦 せん をすることになった。F4Uの脅威 きょうい となる紫電 しでん と疾風 しっぷう は優秀 ゆうしゅう な性能 せいのう を持 も っていたが、パイロットの低 てい 練度 れんど と信頼 しんらい 性 せい 不良 ふりょう でF4Uがおおむね優勢 ゆうせい だった。紫電 しでん と疾風 しっぷう の両方 りょうほう と戦 たたか った経験 けいけん があり、ソロモン戦域 せんいき でVF-17所属 しょぞく で活動 かつどう していたVF-84のエースパイロット、ロジャー・ヘンドリックは「F4U-1Dは、日本 にっぽん の最新 さいしん のモデルに比 くら べて優 すぐ れていると判明 はんめい した。疾風 しっぷう と紫電 しでん との性能 せいのう 差 さ は大 おお きくないが、積極 せっきょく 的 てき な攻撃 こうげき により勝利 しょうり するのに十分 じゅうぶん である。」とした。一方 いっぽう 、VMF-441は、航空機 こうくうき の活動 かつどう 報告 ほうこく 書 しょ に「敵 てき のパイロットは私 わたし たちに比 くら べて経験 けいけん が足 た りず、積極 せっきょく 的 てき ではないように見 み えた。敵 てき 機 き は私 わたし たちに発砲 はっぽう していなかったし、彼 かれ らの優 すぐ れた機動 きどう 性 せい を利用 りよう することもできなかった。」と語 かた った。しかし、この時期 じき のF4Uもロケットランチャーとスタブパイロンとドロップタンクなどの搭載 とうさい により、空中 くうちゅう 戦闘 せんとう に制約 せいやく が多 おお い状態 じょうたい であったため、速度 そくど の優位 ゆうい 性 せい を生 い かすことが難 むずか しく機動 きどう 性 せい も低下 ていか した。F4Uが主 おも に配置 はいち された新設 しんせつ の戦闘 せんとう 爆 ばく 撃 げき 飛行 ひこう 隊 たい (VBF) の平均 へいきん 的 てき な空中 くうちゅう 戦 せん の経験 けいけん と技量 ぎりょう も、再編 さいへん の過程 かてい で元 もと 雷撃 らいげき 機 き や急降下 きゅうこうか 爆撃 ばくげき 機 き のパイロットが多数 たすう 参加 さんか しており、F6F飛行 ひこう 隊 たい に比 くら べると不足 ふそく であった。士気 しき と練度 れんど が高 たか かった343航空 こうくう 隊 たい の紫電 しでん 改 あらため との戦 たたか いでは、戦術 せんじゅつ による状況 じょうきょう 優位 ゆうい が勝敗 しょうはい を分 わ けた。お互 たが い奇襲 きしゅう を成功 せいこう させた方 ほう が勝利 しょうり し、数 かず が多 おお く、より自由 じゆう に戦 たたか うことができる方 ほう が優勢 ゆうせい だった。[ 42] [ 43] [ 44]
1944年 ねん 末 まつ から海軍 かいぐん に供給 きょうきゅう されたZ-2与 あずか 圧服 あっぷく は、機体 きたい 構造 こうぞう が頑丈 がんじょう で高速 こうそく 機動 きどう 性 せい に優 すぐ れたF4Uとの相性 あいしょう が非常 ひじょう に良 よ いことを示 しめ し、その価値 かち を証明 しょうめい した。343航空 こうくう 隊 たい の紫電 しでん 改 あらため に囲 かこ まれた2機 き のF4Uがドロップタンクをつけたまま数 すう 的 てき に優位 ゆうい な紫電 しでん 改 あらため の降下 こうか 攻撃 こうげき に対 たい してブラックアウトギリギリの急 きゅう 機動 きどう を行 おこな い、むしろ紫電 しでん 改 あらため を相次 あいつ いで撃墜 げきつい して突破 とっぱ した事例 じれい もあった。[ 42]
1945年 ねん
1945年 ねん には、新 あたら しいCシリーズR-2800エンジンと4枚 まい プロペラのF4U-4が配備 はいび された。海兵 かいへい 飛行 ひこう 隊 たい のF4U-4は、沖縄 おきなわ 戦 せん から本格 ほんかく 的 てき に運用 うんよう を開始 かいし したが、海軍 かいぐん のF4U-4はほとんど活躍 かつやく していなかった。例外 れいがい 的 てき に修理 しゅうり のために真珠湾 しんじゅわん に入港 にゅうこう したハンコックだけは、他 た の航空 こうくう 母艦 ぼかん より早 はや くF4U-4を受領 じゅりょう することができたので、日本 にっぽん 本土 ほんど 攻撃 こうげき に運用 うんよう することができた。第 だい 二 に 次 じ 大戦 たいせん 中 ちゅう における最後 さいご の形式 けいしき であるF4U-4は、ロケットランチャーとスタブパイロン無 な しで弾薬 だんやく と燃料 ねんりょう を搭載 とうさい したうえで746km/hもの速度 そくど を出 だ すことができる圧倒的 あっとうてき 性能 せいのう を持 も っていたが、空中 くうちゅう 戦 せん の機会 きかい はほとんどなかった。数少 かずすく ない記録 きろく 中 ちゅう 、VMF-223の活動 かつどう 報告 ほうこく 書 しょ によると、飛行 ひこう 第 だい 47戦隊 せんたい の疾風 しっぷう を相手 あいて に「敵 てき 機 き はF4U-4に圧倒 あっとう された。彼 かれ らの頭上 ずじょう を抑 おさ え優 すぐ れた速度 そくど を発揮 はっき した。」とされている。[ 44]
1945年 ねん の本土 ほんど 攻撃 こうげき で、日本 にっぽん の新型 しんがた 機 き などの高 こう 火力 かりょく にさらされることが多 おお かったF4Uは、高 たか い耐 たい 弾性 だんせい と生存 せいぞん 率 りつ を示 しめ した。F4Uは紫電 しでん の攻撃 こうげき により搭載 とうさい 弾薬 だんやく が爆発 ばくはつ して主翼 しゅよく の三 さん 割 わり が吹 ふ き飛 と んだり、40mm砲 ほう によって主翼 しゅよく 中央 ちゅうおう 区画 くかく がほぼ喪失 そうしつ した状態 じょうたい でも、生還 せいかん した事例 じれい があった。VMF-124のエースだったケネス・A・ウォルシュは、「私 わたし たちの低 ひく い損失 そんしつ 率 りつ は、F4Uのその速度 そくど と丈夫 じょうぶ さに起因 きいん する。」と述 の べた。しかし、米国 べいこく 側 がわ の統計 とうけい によると被弾 ひだん 時 じ の生存 せいぞん 率 りつ は、より広 ひろ い主翼 しゅよく とより大 おお きい胴体 どうたい を持 も つF6F には及 およ ばなかったとされている。[ 42] [ 43] [ 45]
大戦 たいせん 中 ちゅう 、米 べい 海軍 かいぐん の期待 きたい を担 にな ったF4Uであったが、戦後 せんご に記録 きろく を集計 しゅうけい した結果 けっか 、空中 くうちゅう 戦 せん での成果 せいか とキルレシオの両方 りょうほう でF6F より劣 おと ることが判明 はんめい した。米 べい 海軍 かいぐん は19:1のキルレシオを記録 きろく し、最 もっと も多 おお くの敵 てき 機 き を撃墜 げきつい したとされたF6F を、太平洋戦争 たいへいようせんそう 最高 さいこう の戦闘 せんとう 機 き であると判定 はんてい した。米 べい 海軍 かいぐん と米 べい 海兵 かいへい 隊 たい のF4Uは、第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん 中 ちゅう に2,140機 き を撃墜 げきつい しながら189機 き 失 うしな い、11.3:1の空中 くうちゅう 戦 せん キルレシオを記録 きろく した。しかしこれらの集計 しゅうけい 結果 けっか は、海兵 かいへい 隊 たい のF4UがF6F よりも先 さき に、はるか劣勢 れっせい な作戦 さくせん 環境 かんきょう でより練度 れんど が高 たか い日本 にっぽん のパイロットを相手 あいて に苦戦 くせん した戦場 せんじょう の状況 じょうきょう 等 とう を考慮 こうりょ していない数字 すうじ だった。実際 じっさい に1943年 ねん におけるF4Uの戦闘 せんとう 出撃 しゅつげき 回数 かいすう は戦争 せんそう 全体 ぜんたい の出撃 しゅつげき 数 すう の5%程度 ていど であったが、空中 くうちゅう 戦 せん での損失 そんしつ に対 たい する割合 わりあい は全体 ぜんたい の50%に達 たっ した。これはラバウル航空 こうくう 隊 たい をはじめ、日本 にっぽん 軍 ぐん の優 すぐ れた技量 ぎりょう と初期 しょき F4U-1が持 も っていた様々 さまざま な問題 もんだい と海兵 かいへい 隊 たい パイロットの低 ひく い平均 へいきん 練度 れんど が原因 げんいん であるが、統計 とうけい 資料 しりょう では無視 むし されている。
さらにF6F の高 たか い戦果 せんか は、先 さき に戦 たたか っていた海軍 かいぐん と海兵 かいへい 飛行 ひこう 隊 たい 、陸軍 りくぐん の第 だい 5、第 だい 13空軍 くうぐん が執拗 しつよう な消耗 しょうもう 戦 せん において、日本 にっぽん 軍 ぐん 航空 こうくう 勢力 せいりょく の戦力 せんりょく を著 いちじる しく消耗 しょうもう させたことに影響 えいきょう されている。実際 じっさい に1944年 ねん 2月 がつ にラバウルから戦闘 せんとう 機 き が撤退 てったい した後 のち 、パイロットの平均 へいきん 技量 ぎりょう は米 べい 軍 ぐん 側 がわ が優位 ゆうい となり、6月のマリアナ海戦 かいせん まで南太平洋 みなみたいへいよう の日本 にっぽん の航空 こうくう 勢力 せいりょく は累積 るいせき された損害 そんがい を回復 かいふく できず、日本 にっぽん 側 がわ 指揮 しき 官 かん にとって技量 ぎりょう と戦力 せんりょく 双方 そうほう の不足 ふそく が問題 もんだい となった。
こうして戦況 せんきょう が有利 ゆうり になってから艦上 かんじょう 戦闘 せんとう 機 き として配備 はいび され空戦 くうせん で活躍 かつやく し、前任 ぜんにん のF4Fでの経験 けいけん を活 い かすことができたF6Fに対 たい し、同 どう 時期 じき に飛行場 ひこうじょう から戦闘 せんとう 爆 ばく 撃 げき 任務 にんむ に配備 はいび されることの多 おお かったF4Uでは、撃墜 げきつい 戦果 せんか において明暗 めいあん が分 わ かれる結果 けっか となった。F4Uは1945年 ねん に空母 くうぼ での運用 うんよう を開始 かいし した後 のち も、パイロットの平均 へいきん 技量 ぎりょう で優 すぐ れたF6F と比 くら べ、より優 すぐ れた機体 きたい 性能 せいのう を活 い かした戦果 せんか を挙 あ げられなかった。大戦 たいせん 中 ちゅう の海軍 かいぐん 及 およ び海兵 かいへい 隊 たい におけるF4Uの戦闘 せんとう 出撃 しゅつげき 回数 かいすう は64,051回 かい に上 のぼ ったが、うち空母 くうぼ からの出撃 しゅつげき は9,581回 かい に過 す ぎなかった。[ 20]
爆 ばく 弾 だん を装備 そうび したF4U-1A
第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん 後 ご
戦後 せんご 、アメリカ側 がわ の統計 とうけい データは自軍 じぐん の記録 きろく にのみ基 もと づき日本 にっぽん 側 がわ の記録 きろく が反映 はんえい されておらず、米 べい 軍 ぐん 側 がわ の数値 すうち は信頼 しんらい 性 せい が高 たか いものの、日本 にっぽん 側 がわ の損失 そんしつ や出撃 しゅつげき 回数 かいすう などの数値 すうち には疑問 ぎもん がある事 こと が明 あき らかになった。交戦 こうせん 記録 きろく を再 さい 検証 けんしょう した結果 けっか 、実際 じっさい の撃墜 げきつい 戦果 せんか の他 ほか 、敵 てき 機 き 識別 しきべつ の誤 あやま りも多 おお かったことが判明 はんめい した。例 たと えばF4Uの海兵 かいへい 隊 たい パイロットの場合 ばあい 、343航空 こうくう 隊 たい の(紫電 しでん と異 こと なり、正面 しょうめん から見 み て低 てい 翼 つばさ 配置 はいち なのが明 あき らかな)紫電 しでん 改 あらため を新型 しんがた 機 き として識別 しきべつ できず、ほとんど全 すべ てが零 れい 戦 せん 、飛燕 ひえん 、鍾馗 しょうき 、疾風 しっぷう として報告 ほうこく された。逆 ぎゃく に日本 にっぽん 側 がわ のパイロットがF4UをF6F (グラマン) と識別 しきべつ した場合 ばあい も確認 かくにん されている。[ 42] [ 43] [ 45]
一方 いっぽう 、地上 ちじょう 攻撃 こうげき におけるF4Uの活躍 かつやく は大 おお きかった。F6F とは逆 ぎゃく に、地上 ちじょう 攻撃 こうげき で多 おお くの経験 けいけん を積 つ んだF4Uは超 ちょう 低空 ていくう で飛行 ひこう し、正確 せいかく な爆 ばく 撃 げき と機銃 きじゅう 掃射 そうしゃ をすることで高 たか い評価 ひょうか を得 え た。海兵 かいへい 隊 たい パイロットは硫黄 いおう 島 とう で、陸軍 りくぐん のP-51パイロットに近接 きんせつ 航空 こうくう 支援 しえん のノウハウを伝授 でんじゅ したりした。そして爆 ばく 弾 だん やロケット弾 だん を搭載 とうさい し低空 ていくう で地上 ちじょう 攻撃 こうげき を行 おこな うF4Uは、日本 にっぽん 軍 ぐん の迎撃 げいげき に被害 ひがい もあった。F4Uは戦争 せんそう 中 ちゅう 14171トンの爆 ばく 弾 だん を投下 とうか し、これは太平洋戦争 たいへいようせんそう で米 べい 軍 ぐん 戦闘 せんとう 機 き が投下 とうか した爆 ばく 弾 だん 全体 ぜんたい の70%に相当 そうとう する量 りょう であった。[ 20]
特 とく に戦争 せんそう 中 ちゅう の様々 さまざま な比較 ひかく 飛行 ひこう などで得 え られたノウハウが反映 はんえい され、戦争 せんそう の終 お わりに登場 とうじょう したF4U-4は、これらの性能 せいのう を一段 いちだん と引 ひ き上 あ げ死角 しかく がない高性能 こうせいのう 機 き として大戦 たいせん 最強 さいきょう のレシプロ戦闘 せんとう 機 き の一 ひと つであった。[ 46] 1944年 ねん の比較 ひかく に一緒 いっしょ に参加 さんか した以降 いこう の競争 きょうそう 相手 あいて であるF8Fとは2万 まん 5千 せん フィート以上 いじょう での高 こう 高度 こうど 性能 せいのう を維持 いじ しながら、すべてのパフォーマンスをバランスよく向上 こうじょう させたF4U-4と、1段 だん 過 か 給 きゅう 機 き を装備 そうび して低 てい 高度 こうど の性能 せいのう に焦点 しょうてん を当 あ てたF8F-1で全 まった く別 べつ の答 こた えを出 だ した。米 べい 軍 ぐん の公式 こうしき 性能 せいのう 文書 ぶんしょ によると、両 りょう 戦闘 せんとう 機 き は高度 こうど 6,000フィート以上 いじょう ではF4U-4、それ以下 いか ではF8F-1が優勢 ゆうせい だったとされている。[ 47] [ 15]
以後 いご 、F4U-5は大型 おおがた 化 か されたサイドホイールスーパーチャージャーを備 そな え、もう一度 いちど 高 たか 高度 こうど 性能 せいのう を向上 こうじょう させる一方 いっぽう 、全体 ぜんたい 的 てき なパフォーマンスを一 いち 段階 だんかい 引 ひ き上 あ げた。それに比 くら べて当時 とうじ の競争 きょうそう 相手 あいて であったF8F-2は、スーパーチャージャーを改良 かいりょう して高 こう 高度 こうど に対応 たいおう したが、低 てい 高度 こうど の性能 せいのう が低下 ていか して重量 じゅうりょう は大幅 おおはば に増加 ぞうか し、高 こう 高度 こうど 性能 せいのう もF4U-5には及 およ ばず、全体 ぜんたい 的 てき にF4U-5に劣勢 れっせい であった。これはF4U-5がサイズに余裕 よゆう があり、2段 だん スーパーチャージャーを維持 いじ しながら、重量 じゅうりょう の増加 ぞうか に伴 ともな う性能 せいのう 低下 ていか も少 すく なかったからである。F4U-5は、スーパーチャージャーとカウルフラップコントロールが自動 じどう 化 か され、主翼 しゅよく の外側 そとがわ パネルを全 ぜん 金属 きんぞく に置 お き換 か え、ラダーにブーストタブの追加 ついか 、昇降 しょうこう 舵 かじ のブーストタブにスプリングを設置 せっち し、さらに優 すぐ れた操縦 そうじゅう 性 せい を持 も っていた。米 べい 軍 ぐん の公式 こうしき 性能 せいのう データによると、F4U-5は陸軍 りくぐん のP-51Hと比較 ひかく しても、互角 ごかく の性能 せいのう を持 も っており、究極 きゅうきょく のレシプロ戦闘 せんとう 機 き の一 ひと つであった。[ 48] [ 49] [ 50]
当機 とうき はエンジンの交換 こうかん 、電子 でんし ポッドの装備 そうび など、数 すう 多 おお くの派生 はせい 型 がた が存在 そんざい している。これは当機 とうき が大型 おおがた であった上 うえ 、馬力 ばりき にもかなり余裕 よゆう をもって設計 せっけい されているためにできたことである。
ジェット時代 じだい
大戦 たいせん 後 ご は戦闘 せんとう 機 き のジェットエンジン化 か が進 すす んだが、初期 しょき のジェット戦闘 せんとう 機 き は木造 もくぞう 甲板 かんぱん 空母 くうぼ での使用 しよう に難 なん があったため、戦後 せんご もF4Uの生産 せいさん は続 つづ けられた。純粋 じゅんすい な戦闘 せんとう 機 き としての任務 にんむ はジェット戦闘 せんとう 機 き に譲 ゆず り、レシプロ機 き は戦闘 せんとう 爆撃 ばくげき 機 き として使 つか われる事 こと になったが、F4Uはこの目的 もくてき にぴったりであり、生産 せいさん は1950年代 ねんだい まで続 つづ いた。この時期 じき 、チャンス・ヴォート社 しゃ は超 ちょう 音速 おんそく 戦闘 せんとう 機 き であるF8Uの開発 かいはつ に着手 ちゃくしゅ しており、その傍 かたわ らでレシプロ機 き である本 ほん 機 き の生産 せいさん を継続 けいぞく していた。朝鮮 ちょうせん 戦争 せんそう では海兵 かいへい 隊 たい 所属 しょぞく 機 き として開戦 かいせん 当初 とうしょ に活躍 かつやく した。しかし、第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん に比 くら べて発展 はってん した対空 たいくう 火力 かりょく によってF4Uも多 おお くの被害 ひがい を被 こうむ った。特 とく に主翼 しゅよく のリーディングエッジ付近 ふきん に存在 そんざい するオイルラジエーターは正面 しょうめん からの攻撃 こうげき に対 たい して脆弱 ぜいじゃく で、多 おお くのF4Uが油圧 ゆあつ 低下 ていか によるエンジンの出力 しゅつりょく 損失 そんしつ に不時着 ふじちゃく した。ほとんどの機体 きたい は20mm機関 きかん 砲 ほう を装備 そうび したF4U-4BやF4U-5系列 けいれつ 機体 きたい だったが、12.7mm機関 きかん 銃 じゅう を持 も った第 だい 2次 じ 大戦 たいせん の形式 けいしき のF4U-4も参加 さんか して、高 たか い装弾 そうだん 数 すう と信頼 しんらい 性 せい で地上 ちじょう 攻撃 こうげき にあって、より効果 こうか 的 てき だという評価 ひょうか を受 う けた。空中 くうちゅう 戦 せん の性能 せいのう を生 い かす機会 きかい はほとんどなかったが、たまに遭遇 そうぐう したYak機 き やLa機 き については、圧倒的 あっとうてき な優勢 ゆうせい を見 み せた。MiG-15を撃墜 げきつい した事例 じれい もあった。1952年 ねん 9月 がつ 10日 とおか 、地上 ちじょう 攻撃 こうげき のために、海辺 うみべ の上空 じょうくう を横切 よこぎ っていたポルモ大佐 たいさ はウイングマンのダニエル中佐 ちゅうさ と一緒 いっしょ に4機 き のMiG-15に攻撃 こうげき されて1機 き のMiG-15を撃墜 げきつい した。しかし、その後 ご さらに4機 き のMiG-15が攻撃 こうげき してきて、彼 かれ のF4U-4Bは、以降 いこう の交戦 こうせん で撃墜 げきつい された。様々 さまざま な活躍 かつやく によって価値 かち を証明 しょうめい したF4UはF4U-5NLやAU えーゆー -1のような戦争 せんそう の中 なか の要件 ようけん を改善 かいぜん したモデルの追加 ついか 契約 けいやく を獲得 かくとく し、ジェット時代 じだい にも生産 せいさん を継続 けいぞく した。[ 51] [ 52]
他国 たこく での使用 しよう
F4Uは第 だい 2次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん 当時 とうじ イギリス海軍 かいぐん にも供与 きょうよ され、本格 ほんかく 的 てき な運用 うんよう は1944年 ねん から終戦 しゅうせん までと期間 きかん 的 てき には短 みじか かったものの、アメリカ海軍 かいぐん よりも先 さき の1943年 ねん の時点 じてん で空母 くうぼ イラストリアスで運用 うんよう を行 おこな った。イギリス海軍 かいぐん では左 ひだり 旋回 せんかい しつつ着 ちゃく 艦 かん 寸前 すんぜん まで視界 しかい を確保 かくほ しながらのアプローチを行 おこな い、アメリカ海軍 かいぐん で問題 もんだい とされた視界 しかい 不良 ふりょう を緩和 かんわ できた。F4U-1はコルセア Mk.I、F4U-1AとF4U-1Dはコルセア Mk.IIと命名 めいめい され、F3A-1はコルセアIII、FG-1とFG-1Dは、コルセアIVと命名 めいめい された。IIからIVでは天井 てんじょう の低 ひく いイギリス空母 くうぼ 格納庫 かくのうこ への収容 しゅうよう のため、主翼 しゅよく の翼 つばさ 端 はし が切 き り落 お とされていた。アメリカで製造 せいぞう されたコルセアはクォンセット・ポイントなどから護衛 ごえい 空母 くうぼ でイギリスへと運 はこ ばれた。戦艦 せんかん ティルピッツを攻撃 こうげき するタングステン作戦 さくせん では、爆 ばく 撃 げき 部隊 ぶたい の護衛 ごえい としてその役割 やくわり を果 は たした。大戦 たいせん 末期 まっき にはイギリス太平洋艦隊 たいへいようかんたい へ編入 へんにゅう された空母 くうぼ に同行 どうこう し、日本 にっぽん 近海 きんかい でも作戦 さくせん に従事 じゅうじ した。
また戦後 せんご はアメリカの同盟 どうめい 国 こく に供給 きょうきゅう され、ラテンアメリカ諸国 しょこく では長 なが らく現役 げんえき の座 ざ にあった。
フランス軍 ぐん 所属 しょぞく のAU えーゆー -1は、1954年 ねん ディエンビエンフーの戦 たたか いに参加 さんか し、7週間 しゅうかん 1,442回 かい の出撃 しゅつげき をし、7週間 しゅうかん 、爆 ばく 弾 だん 投下 とうか 1,567トン、ロケット発射 はっしゃ 850発 はつ 、機銃 きじゅう 掃射 そうしゃ 130,000を記録 きろく した。以後 いご 、フランス海軍 かいぐん はスエズ、アルジェリアなどでもF4U-7を使用 しよう した。1969年 ねん のサッカー戦争 せんそう においても使用 しよう され、レシプロ戦闘 せんとう 機 き 同士 どうし の最後 さいご の空中 くうちゅう 戦 せん を行 おこな った。同年 どうねん 7月 がつ 17日 にち 、ホンジュラスとエルサルバドル国境 こっきょう 付近 ふきん で起 お きた2度 ど の空中 くうちゅう 戦 せん において、ホンジュラス空軍 くうぐん のフェルナンド・ソト・エンリケス 大尉 たいい が操縦 そうじゅう するF4U-5が、エルサルバドル空軍 くうぐん のF-51D (米 べい 軍用 ぐんよう 機 き 命名 めいめい 規則 きそく 変更 へんこう 後 ご でのP-51Dの制式 せいしき 名 めい ) 1機 き とFG-1D (グッドイヤー社 しゃ 製 せい F4U-1Dの呼称 こしょう ) 2機 き を撃墜 げきつい し、レシプロ戦闘 せんとう 機 き 最後 さいご の空中 くうちゅう 戦 せん での勝者 しょうしゃ となった。ソト大尉 たいい は「最後 さいご のコルセア・ライダー」として知 し られる存在 そんざい である。
性能 せいのう
第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん 中 ちゅう には主 おも に戦闘 せんとう 爆撃 ばくげき 機 き として頭角 とうかく を現 あらわ し、制 せい 空 そら 戦闘 せんとう 機 き としてのポテンシャルをほとんど生 い かせなかったF4Uだったが、その性能 せいのう は艦上 かんじょう 戦闘 せんとう 機 き という制約 せいやく を越 こ える優 すぐ れたものだった。速度 そくど は同 どう 時期 じき のP-51を除 のぞ き、2万 まん から2万 まん 5千 せん フィート以下 いか では他 た のほとんどの米 べい 軍 ぐん 戦闘 せんとう 機 き よりも速 はや かった。加速 かそく 性能 せいのう では捕獲 ほかく した零 れい 戦 せん と飛燕 ひえん 、陸軍 りくぐん のP-51Bと海軍 かいぐん のF6F よりも高 たか いと評価 ひょうか されたが、旧式 きゅうしき プロペラブレードを採用 さいよう した初期 しょき のF4U-1では高速 こうそく 域 いき で効率 こうりつ が落 お ち、初期 しょき 加速 かそく には優 すぐ れているが最終 さいしゅう 的 てき にP-51に遅 おく れをとることが確認 かくにん された。[ 53]
上昇 じょうしょう 性能 せいのう は低速 ていそく 域 いき では平凡 へいぼん だったが、高速 こうそく 域 いき では優 すぐ れていた。F4U-1は1942年 ねん に捕獲 ほかく した零 れい 戦 せん と比較 ひかく した場合 ばあい 、高速 こうそく 域 いき での上昇 じょうしょう 性能 せいのう はより優 すぐ れており、持続 じぞく 上昇 じょうしょう の場合 ばあい ほぼ同等 どうとう か、スーパーチャージャーシフト高度 こうど で過熱 かねつ された場合 ばあい 少 すこ し遅 おく れをとると評価 ひょうか され、TAICレポートの零 れい 戦 せん 52型 がた と比較 ひかく されたF4U-1Dの場合 ばあい 、持続 じぞく 上昇 じょうしょう の場合 ばあい 1万 まん フィートまで同等 どうとう 、以降 いこう はより優 すぐ れていると評価 ひょうか された。また、鹵獲 ろかく した飛燕 ひえん との比較 ひかく では、F4U-1Dが高速 こうそく 上昇 じょうしょう で、はるかに優勢 ゆうせい であり、低速 ていそく 上昇 じょうしょう にもすべての高度 こうど で優勢 ゆうせい と評価 ひょうか された。F6F-5との比較 ひかく でも優勢 ゆうせい で、特 とく に高速 こうそく 上昇 じょうしょう ははるかに優 すぐ れた姿 すがた を見 み せた。[ 54] [ 55] [ 56] [ 57]
旋回 せんかい 力 りょく は概 おおむ ねF6F と似 に ていたが、パイロットの反応 はんのう を見 み ると、少 すこ し劣 おと る水準 すいじゅん だった。捕獲 ほかく したFw190 との比較 ひかく では、F6F と一緒 いっしょ に「旋回 せんかい とループで圧倒的 あっとうてき 」という評価 ひょうか を受 う けTAICの捕獲 ほかく した零 れい 戦 せん との比較 ひかく では、1万 まん フィートで1回転 かいてん 中 ちゅう に制圧 せいあつ されるP-38、P-47、P-51とは異 こと なり、F6F と同 おな じ3.5回転 かいてん の間 あいだ に持 も ちこたえることができたとされており、零 れい 戦 せん の立場 たちば では、F6F と実質 じっしつ 的 てき に差 さ がないと評価 ひょうか された。しかし、3万 まん フィートで零 れい 戦 せん と旋回 せんかい が同 おな じレベルになるF6F とは異 こと なり、F4Uは非常 ひじょう にわずか (only slight) の差 さ で後 のち になるとされており、表現 ひょうげん のままの差 さ が付 つ いていることが分 わ かった。しかし、コンバットフラップを使用 しよう したF4Uは零 れい 戦 せん に150ノートまで追 お い付 つ けできる唯一 ゆいいつ の米 べい 軍 ぐん 戦闘 せんとう 機 き として、優 すぐ れた旋回 せんかい 力 りょく を示 しめ した。[ 55] [ 56]
一部 いちぶ の書籍 しょせき [ 53] では、計器 けいき 速度 そくど (IAS) をベースにした3Gストール速度 そくど に基 もと づいて、F4Uのスポイラーは最大 さいだい 揚力 ようりょく 係数 けいすう を大 おお きく下 さ げたと主張 しゅちょう してNACAのレポート[ 58] を引用 いんよう し、F4UがF6F はもちろんP-38、P-47 、P-51などの陸上 りくじょう 機 き よりも旋回 せんかい 半径 はんけい がはるかに広 ひろ いものと述 の べている。しかし、NACAのレポートで設置 せっち された大型 おおがた のシャープリーディングエッジは、レポートに書 か かれた通 とお り揚力 ようりょく の低下 ていか が大 おお きい上 うえ 、位置 いち 上 じょう 折 お りたたみウィング機能 きのう を使用 しよう しないようにされている問題 もんだい 点 てん があったし、実際 じっさい の量産 りょうさん 機 き には、インストールされていなかった。量産 りょうさん 機 き に装備 そうび されたスポイラーは小型 こがた でシンプルな形状 けいじょう のもので、上記 じょうき した比較 ひかく レポートでF4U-1Dが示 しめ した旋回 せんかい 力 りょく やこれのインストール後 ご のF4U-1DやF4U-4などを対象 たいしょう とした監察 かんさつ レポート[ 59] と教範 きょうはん [ 10] [ 60] のPEC (position error correction) を適用 てきよう したCIAS (corrected IAS) のストール速度 そくど を見 み ると、上記 じょうき の主張 しゅちょう は事実 じじつ と符合 ふごう していなかった。また、比較 ひかく の飛行 ひこう では、P-51の旋回 せんかい サークル内 ない に食 く い込 こ む様子 ようす も確認 かくにん されている。[ 40] 米 べい 海軍 かいぐん 公式 こうしき 性能 せいのう 文書 ぶんしょ [ 61] [ 62] は、初期 しょき のF4U-1AとF4U-1Dが同 おな じ揚力 ようりょく 係数 けいすう を持 も っていることを示 しめ している。
パイロットからの評価 ひょうか
F4Uは速度 そくど と機動 きどう 性 せい に優 すぐ れた戦闘 せんとう 機 き だった。速度 そくど で劣 おと る相手 あいて では機動 きどう 性 せい に、機動 きどう 性 せい で劣 おと る相手 あいて には速度 そくど で戦 たたか うことができた。バランスだけのとれたものではなく強 つよ みも確 たし かだった。特 とく にエルロンと昇降 しょうこう 舵 かじ のブーストタブにより、高速 こうそく と瞬間 しゅんかん 機動 きどう 性 せい が優 すぐ れていたので、おおきさとは異 こと なり、大変 たいへん 素早 すばや い戦闘 せんとう 機 き であった。このように、機体 きたい 自体 じたい の性能 せいのう と戦闘 せんとう 力 りょく は優 すぐ れていたため、戦場 せんじょう とは異 こと なり、試験 しけん 飛行 ひこう や比較 ひかく 飛行 ひこう のように、同 おな じ条件 じょうけん で同 おな じパイロットが他 た の戦闘 せんとう 機 き と交互 こうご に搭乗 とうじょう して比較 ひかく した場合 ばあい 、F4Uは大変 たいへん 高 たか い評価 ひょうか を受 う けた。
当機 とうき のロール性能 せいのう はP-38、P-47、P-51、F6F などの他 ほか のアメリカの戦闘 せんとう 機 き よりも優 すぐ れ、鹵獲 ろかく したFw190との比較 ひかく では、同等 どうとう に評価 ひょうか された。しかし、エルロンにブーストタブがインストールされていない初期 しょき のF4U-1は、高速 こうそく ではP-38、P-47、P-51に劣 おと ると評価 ひょうか された。
これは戦後 せんご も続 つづ いて軍 ぐん の退役 たいえき パイロットに結成 けっせい されたSETP (Socioty of Expermental Test Pilots) は、1989年 ねん にシンポジウムを開 ひら き、現代 げんだい の技術 ぎじゅつ を利用 りよう してFG-1Dコルセア、P-47D-40サンダーボルト、F6F -5、P-51D マスタングの4機種 きしゅ を比較 ひかく して、軽量 けいりょう 快適 かいてき な操縦 そうじゅう 力 りょく 、良好 りょうこう なパフォーマンス、十分 じゅうぶん なストールアラート、緩 ゆる やかなストールの特性 とくせい を理由 りゆう にFG-1Dをドッグファイト最高 さいこう 機体 きたい に選 えら んだ。FG-1Dは、内部 ないぶ 燃料 ねんりょう と弾薬 だんやく を満載 まんさい した作戦 さくせん 機体 きたい より1,000lbs軽 かる く92%の重量 じゅうりょう を持 も ち、88%で1,200lbs軽 かる いP-51D 、86%で、2,000lbs軽 かる いF6F -5、80%で3,000lbs軽 かる いP-47D-40に比 くら べて重量 じゅうりょう の面 めん で最 もっと も不利 ふり し、主翼 しゅよく に装着 そうちゃく されたスタブパイロンにより空 そら 力 りょく 面 めん でもペナルティを受 う けたが、テストでは、優 すぐ れた機動 きどう 性 せい を披露 ひろう した。一方 いっぽう 向 こう 旋回 せんかい では、不利 ふり な条件 じょうけん もありF6F に押 お されたが、軽 かる い操縦 そうじゅう 力 りょく と迅速 じんそく なロール性能 せいのう により、敏捷 びんしょう 性 せい テストの横転 おうてん を混 ま ぜた180度 ど 機首 きしゅ 転換 てんかん は、他 た の3機種 きしゅ と比較 ひかく して圧倒的 あっとうてき に優勢 ゆうせい であり、空 そら 対空 たいくう 追跡 ついせき テストの激 はげ しい横転 おうてん を混 ま ぜた連続 れんぞく 旋回 せんかい においても最 もっと も優 すぐ れた姿 すがた を見 み せた。これはコルセアが持 も つ高 たか い機動 きどう 性 せい の特性 とくせい を示 しめ すもので、戦争 せんそう 中 ちゅう コルセアに搭乗 とうじょう していたパイロットの証言 しょうげん を証明 しょうめい するものである。[ 63]
空戦 くうせん 能力 のうりょく 即 すなわ ち旋回 せんかい 能力 のうりょく と定義 ていぎ していた日本 にっぽん 軍 ぐん のパイロットの中 なか には、これらのF4Uの戦法 せんぽう を運動 うんどう 性 せい が低 ひく いためであると見 み て低 ひく く評価 ひょうか する事 こと も多 おお かった。ラバウルで活動 かつどう していた日本 にっぽん のエース谷水 たにみず 竹雄 たけお は「機動 きどう 性 せい が高 たか く、高速 こうそく 横転 おうてん が可能 かのう だったF6F は最 もっと もタフな相手 あいて でした。P-38やF4Uは細 こま かい機動 きどう をせずに一 いち 撃 げき 離脱 りだつ をするだけだったからです。」と評価 ひょうか した。しかし、後 のち にTAICの捕獲 ほかく した零 れい 戦 せん の米 べい 軍 ぐん 戦闘 せんとう 機 き の比較 ひかく 飛行 ひこう 結果 けっか 、F4Uの旋回 せんかい 力 りょく はF6F のような機種 きしゅ と大差 たいさ がなく、むしろ効率 こうりつ 的 てき なフラップにより、より小 ちい さな旋回 せんかい が可能 かのう であることが判明 はんめい した。[ 55] さらに、米国 べいこく と日本 にっぽん の資料 しりょう を交差 こうさ 検証 けんしょう した結果 けっか 、1943年 ねん 末 まつ のラバウル航空 こうくう 戦 せん 期間 きかん 中 ちゅう にラバウル航空 こうくう 隊 たい に最 もっと も多 おお くの空中 くうちゅう 戦 せん 被害 ひがい を与 あた えた機種 きしゅ は、P-38やF6F ではなく、F4Uだったことが判明 はんめい した。[ 21] [ 22]
1943年 ねん 5月 がつ 21日 にち 、フロリダ州 しゅう のElgin AAFBで初 はじ めてF4U-1に搭乗 とうじょう した陸軍 りくぐん パイロットはF4U-1を大変 たいへん 賞賛 しょうさん した。P-38、P-39、P-40、P-47、P-51などの陸上 りくじょう 機 き との模擬 もぎ 戦闘 せんとう でF4U-1は2万 まん フィート以下 いか では、どのような陸軍 りくぐん 戦闘 せんとう 機 き も対戦 たいせん 相手 あいて ができないことを立証 りっしょう した。2万 まん フィート以上 いじょう では、P-47とP-51が優勢 ゆうせい だった。陸軍 りくぐん パイロットはF4U-1に圧倒 あっとう された感 かん じを受 う け、山本 やまもと 暗殺 あんさつ 作戦 さくせん で活躍 かつやく したベテランP-38パイロットであるレックスTバーバーは、米国 べいこく が一 ひと つの機体 きたい で戦争 せんそう に勝 か つためにならF4Uしかないと評価 ひょうか した[ 64] [ 4] [ 5] [ 53] 。
メダルオブオナーとネイビークロス受勲 じゅくん 者 しゃ であるVF-3のエドワード「ブッチ」オヘア (英語 えいご 版 ばん ) は、VF-12のジョーイ・クリフトンが率 ひき いるF4U飛行 ひこう 隊 たい との模擬 もぎ 空戦 くうせん でF4Uの速度 そくど と機動 きどう 性 せい の優位 ゆうい 性 せい を体感 たいかん し、F6F ではF4Uの相手 あいて にならず、F4Uは海軍 かいぐん が持 も っている最高 さいこう の戦闘 せんとう 機 き であると評価 ひょうか した。彼 かれ はハワイで自分 じぶん のF6F 隊 たい が配備 はいび されたとき、彼 かれ 専用 せんよう のF4Uを持 も ってきていた。彼 かれ と彼 かれ のF6F 飛行 ひこう 隊 たい は、F4U飛行 ひこう 隊 たい と2万 まん フィートまでの上昇 じょうしょう 賭 か けをしたが敗北 はいぼく したこともあった。[ 4] [ 39]
F4U-4とF8F-1をはじめ、45年 ねん という期間 きかん の間 あいだ 、様々 さまざま な航空機 こうくうき に搭乗 とうじょう していた海軍 かいぐん 大佐 たいさ であり、テストパイロット、エアロエンジニアだったリチャード・ボブズ・リンネキーンはF4U-4について「F4Uは素晴 すば らしいアクロバット飛行機 ひこうき でした。」と評価 ひょうか してF8Fと比較 ひかく して「F4Uは適切 てきせつ で不快 ふかい でない操縦 そうじゅう 力 りょく を持 も つ安定 あんてい した戦闘 せんとう 機 き でした。巡航 じゅんこう 時 じ には快適 かいてき さと耐久 たいきゅう 性 せい を感 かん じることができているにも関 かか わらず起動 きどう 応答 おうとう は速 はや く、比較的 ひかくてき 操縦 そうじゅう しやすかったです。それはF8Fほど速 はや くはなかったが、いくつかの領域 りょういき においては、より良 よ い操縦 そうじゅう 性 せい を持 も っていました。私 わたし の主観 しゅかん 的 てき な印象 いんしょう としては、グラマンのいずれかよりもF4Uでより良 よ い操縦 そうじゅう 性 せい の調和 ちょうわ がありました」とした。[ 65]
朝鮮 ちょうせん 戦争 せんそう で作戦 さくせん 中 ちゅう のF4U-5N
英国 えいこく の著名 ちょめい なテストパイロットであり、空母 くうぼ 着 ぎ 艦 かん のスペシャリストであったエリック・ブラウン大佐 たいさ による評価 ひょうか は高 たか くなかった。彼 かれ は大戦 たいせん 中 ちゅう のイギリスでコルセアIのテストパイロットを務 つと め、その前後 ぜんご に書 か いた本 ほん でコルセアに対 たい しての悪評 あくひょう を述 の べている。彼 かれ は自分 じぶん の本 ほん で、コルセアIIはFw 190 A-4の相手 あいて にならず、ヘルキャット F Mk.IとFw 190ではパイロットの実力 じつりょく により勝敗 しょうはい が決 けっ すると評 ひょう した。[ 66] 他 た のパイロットとは異 こと なり、ブラウンはコルセアの昇降 しょうこう 舵 かじ は重 おも く、特異 とくい な離着陸 りちゃくりく 性能 せいのう は好 す きになれず、視界 しかい も不良 ふりょう だと評 ひょう した。しかし、後 ご の著書 ちょしょ にて、コルセアは評価 ひょうか するのが難 むずか しい航空機 こうくうき であることを認 みと め、ヴォート社 しゃ のチーフテストパイロットの身長 しんちょう が193cmであることに言及 げんきゅう し、F4Uのコックピット設計 せっけい が自分 じぶん の170cmの身長 しんちょう に合 あ わなかったので視野 しや と操縦 そうじゅう で不便 ふべん を感 かん じたことを吐露 とろ した。[ 67] 実際 じっさい ブラウンは身体 しんたい 的 てき な限界 げんかい を理由 りゆう に他 た の同僚 どうりょう のテストパイロットと比 くら べて低 ひく く評価 ひょうか されることがあった。[ 68] ブラウンは、テストパイロットとして長 なが い間 あいだ コルセアに搭乗 とうじょう していたにも関 かか わらず、「何 なん の好感 こうかん も持 も てなかった」と付 つ け加 くわ えた。
アメリカ海軍 かいぐん の空母 くうぼ 「ボクサー 」から発 はつ 艦 かん するF4U-4B (1951年 ねん ) 一方 いっぽう 、実戦 じっせん でコルセアIIを運用 うんよう した英国 えいこく 王立 おうりつ 海兵 かいへい 隊 たい 唯一 ゆいいつ のエースだったロナルド・カスバート・ヘイ中佐 ちゅうさ はコルセアIIに対 たい して「コルセアは戦争 せんそう にぴったりの戦闘 せんとう 機 き でした。ヘルキャットより頑丈 がんじょう で速 はや く、航続 こうぞく 距離 きょり も優 すぐ れていた。」と高 たか く評価 ひょうか している。改善 かいぜん されたコクピットについては「まるで部屋 へや で安楽椅子 あんらくいす に座 すわ っているように感 かん じるでしょう。それほどコクピットは巨大 きょだい でした。操縦 そうじゅう 者 しゃ はMk.IIの半 はん バブルキャノピーを透 とお して事実 じじつ 上 じょう 無限 むげん の可視 かし 性 せい と、正 まさ に王座 おうざ のように感 かん じるでしょう。」と好感 こうかん を示 しめ した。[ 5] しかし、英国 えいこく 王立 おうりつ 海軍 かいぐん の中 なか でF6F に初 はじ めて搭乗 とうじょう した804 NASのエースだったスタンレー・ゴードン・オアは、「F6F は間違 まちが いなく最高 さいこう の海軍 かいぐん の戦闘 せんとう 機 き でした。F4Uの失速 しっそく と視野 しや の問題 もんだい は (F6Fでは) 発生 はっせい しておらず、飛行 ひこう と着 ちゃく 艦 かん が楽 らく な航空機 こうくうき でした。それはパイロットに多大 ただい な自信 じしん を与 あた え、当時 とうじ としては重要 じゅうよう なことでした。」と回想 かいそう し、F4UはF6F と比 くら べると空母 くうぼ での運用 うんよう が難 むずか しかったことを指摘 してき した。[ 69] またシーファイア戦闘 せんとう 機 き の飛行 ひこう 隊長 たいちょう だったマイク・クロスレイ少佐 しょうさ は、シーファイアに比 くら べ時速 じそく 260km/h以上 いじょう での補助 ほじょ 翼 つばさ の操作 そうさ に必要 ひつよう な力 ちから は半分 はんぶん で済 す み、操縦 そうじゅう 席 せき からの前方 ぜんぽう ・上方 かみがた 視界 しかい は良好 りょうこう 、側面 そくめん 視界 しかい は良 よ くなかったと評 ひょう している。
戦後 せんご の尋問 じんもん でもラバウルの陸軍 りくぐん と海軍 かいぐん の両方 りょうほう は、最高 さいこう のアメリカの戦闘 せんとう 機 き でF4Uを挙 あ げた。草 くさ 鹿 しか 中将 ちゅうじょう 指揮 しき 下 か の海軍 かいぐん は「F4Uは高速 こうそく 、重 じゅう 武装 ぶそう に防御 ぼうぎょ 力 りょく も高 たか く撃墜 げきつい するのは難 むずか しい素晴 すば らしい飛行機 ひこうき であった。F4Uが最 もっと も良 よ い戦闘 せんとう 機 き だったと思 おも う」とし、今村 いまむら 陸軍 りくぐん 大将 たいしょう 指揮 しき 下 か の陸軍 りくぐん は「その機動 きどう 性 せい にとってF4Uを最高 さいこう の戦闘 せんとう 機 き だと思 おも う。高 たか い装甲 そうこう を持 も って大変 たいへん 速 はや いからでもある。」とした。[ 70]
名称 めいしょう について
当時 とうじ のアメリカ海軍 かいぐん 軍用 ぐんよう 機 き の命名 めいめい 規則 きそく は、同一 どういつ の機体 きたい 設計 せっけい であっても、製造 せいぞう 会社 かいしゃ などの細 こま かな差異 さい のために複数 ふくすう の制式 せいしき 名称 めいしょう を与 あた えていた。チャンス・ヴォート 社 しゃ に割 わ り当 あ てられた製造 せいぞう 会社 かいしゃ 記号 きごう はU であるため、開発元 かいはつもと のチャンス・ヴォート社 しゃ が製造 せいぞう した機体 きたい であれば、この機体 きたい は同社 どうしゃ にとって4番目 ばんめ の海軍 かいぐん 戦闘 せんとう 機 き なのでF4U となる。一方 いっぽう で、グッドイヤー・エアクラフト 社 しゃ (記号 きごう G) が製造 せいぞう した機体 きたい では、グッドイヤー社 しゃ はこれまで海軍 かいぐん 戦闘 せんとう 機 き を製造 せいぞう したことは無 な かったのでFG となる。また、ブルースター・エアロノーティカル 社 しゃ (記号 きごう はAで、これまで2種 しゅ の海軍 かいぐん 戦闘 せんとう 機 き を製造 せいぞう ) 製造 せいぞう の機体 きたい はF3A である。さらに、チャンス・ヴォート社 しゃ が製造 せいぞう したF4Uの攻撃 こうげき 機 き 型 かた は、チャンス・ヴォート社 しゃ にとって初 はつ の海軍 かいぐん 攻撃 こうげき 機 き となったためAU えーゆー という記号 きごう がついた。
一方 いっぽう 、同 おな じF4 とついているグラマン 社 しゃ のF4F ワイルドキャット とはまったく別 べつ の機体 きたい である。このため、運用 うんよう 側 がわ (特 とく に整備 せいび 面 めん ) ではしばしば混乱 こんらん を生 しょう じていたという。
愛称 あいしょう の「コルセア (Corsair、発音 はつおん に近 ちか く表記 ひょうき するとコゥセア) 」とは大 だい 航海 こうかい 時代 じだい 以降 いこう のフランス において、サン・マロ を拠点 きょてん に英仏海峡 えいふつかいきょう で活動 かつどう した私 わたし 掠 かすめ 船 せん の通称 つうしょう 「コルセール」の英語 えいご 読 よ みである。なおフランスにはコルセールフライ (Corsairfly) という航空 こうくう 会社 かいしゃ が存在 そんざい する。
アメリカ海軍 かいぐん は1966年 ねん に配備 はいび したA-7 にコルセアIIの愛称 あいしょう を与 あた えている。
なお、日本 にっぽん 海軍 かいぐん では同機 どうき を主 おも に「シコルスキー」 と呼称 こしょう していた。これは、F4Uが作 つく られたときのヴォート社 しゃ の正式 せいしき な社名 しゃめい 「ヴォート・シコルスキー・エアクラフト (Vought-Sikorsky Aircraft、正確 せいかく にはシコースキー) 」に由来 ゆらい する。この社名 しゃめい は、1926年 ねん にヴォート社 しゃ がコネチカット州 しゅう ストラトフォード へ本社 ほんしゃ を移転 いてん した際 さい に、ユナイテッド・エアクラフト の1部門 ぶもん だったシコルスキー・エアクラフト と合併 がっぺい して以降 いこう 使用 しよう されていたものである。のちに第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん 後 ご の1954年 ねん 、同社 どうしゃ は併合 へいごう されていたユナイテッド・エアクラフトから独立 どくりつ し、社名 しゃめい を再度 さいど チャンス・ヴォート・エアクラフト とした。
運用 うんよう 国 こく
1945年 ねん (昭和 しょうわ 20年 ねん ) 2月 がつ 16日 にち の関東 かんとう 上空 じょうくう 邀撃 ようげき 戦 せん において空母 くうぼ ベニントン 搭載 とうさい の第 だい 123海兵 かいへい 戦闘 せんとう 飛行 ひこう 隊 たい 所属 しょぞく のロバート・M・シース少尉 しょうい 操縦 そうじゅう のF4U-1Dが対空 たいくう 砲火 ほうか によって茨城 いばらき 県 けん 霞ヶ浦 かすみがうら 海軍 かいぐん 飛行場 ひこうじょう 付近 ふきん に撃墜 げきつい され、鹵獲 ろかく された。[ 71]
また同年 どうねん 3月18日 にち には宮崎 みやざき 県 けん 北部 ほくぶ の冨 とみ 高 だか 基地 きち を攻撃 こうげき するために発進 はっしん した空母 くうぼ エセックス 搭載 とうさい の第 だい 83戦闘 せんとう 爆 ばく 撃 げき 飛行 ひこう 隊 たい 所属 しょぞく のF4U-1D16機 き に対 たい し上空 じょうくう 哨戒 しょうかい 中 ちゅう の第 だい 二 に 〇三海軍航空隊戦闘 せんとう 第 だい 三 さん 一 いち 二 に 飛行 ひこう 隊 たい 浅井 あさい 幾 いく 造 みやつこ 大尉 たいい 以下 いか 4機 き に邀撃 ようげき 隊 たい の戦闘 せんとう 第 だい 三 さん 〇三 さん 飛行 ひこう 隊 たい 岡嶋 おかじま 清 きよし 熊 ぐま 少佐 しょうさ 以下 いか 32機 き 、戦闘 せんとう 三 さん 一 いち 二 に 飛行 ひこう 隊 たい 林 はやし 美博 よしひろ 大尉 たいい 以下 いか 25機 き が加 くわ わり空中 くうちゅう 戦 せん を展開 てんかい 。ワーレン・O・シグマン 中尉 ちゅうい 、ウィリアム・F・ガーナー 中尉 ちゅうい 操縦 そうじゅう の2機 き が未 み 帰還 きかん となりガーナー中尉 ちゅうい 機 き は海上 かいじょう に不時 ふじ 着水 ちゃくすい し、シグマン中尉 ちゅうい 機 き は鹿児島 かごしま 県 けん 笠 かさ ノ原 はら 海軍 かいぐん 飛行場 ひこうじょう 付近 ふきん に不時着 ふじちゃく し鹵獲 ろかく された。[ 72]
派生 はせい 型 がた
F4U/FG/F3A Corsair [ 73]
V-166
当機 とうき の社内 しゃない 呼称 こしょう 。
XF4U-1
原型 げんけい 機 き 呼称 こしょう 。完成 かんせい 時 じ にはXR-2800試作 しさく エンジン (1,800馬力 ばりき ) 搭載 とうさい 、後 のち にR-2800-4エンジン (2,000馬力 ばりき ) 搭載 とうさい 。2.4kg空 そら 対空 たいくう 小型 こがた 爆 ばく 弾 だん を主翼 しゅよく 下面 かめん の五 ご カ所 かしょ に4発 はつ ずつ搭載 とうさい する爆 ばく 弾倉 だんそう を持 も っていた[ 74] 。
F4U-1
F4U-1 特徴 とくちょう 的 てき な逆 ぎゃく ガル翼 つばさ が見 み て取 と れる
R-2800-8エンジン搭載 とうさい の初期 しょき 生産 せいさん 型 がた 。1942年 ねん 6月初 はつ 飛行 ひこう 、7月 がつ 配備 はいび 開始 かいし 。海軍 かいぐん では使用 しよう されず、海兵 かいへい 隊 たい にまわされた。枠 わく の多 おお いキャノピー の形状 けいじょう から、「バードケージ (鳥 とり 籠 かご ) 」と通称 つうしょう される。
F3A-1
ブルースター・エアロノーティカル 社 しゃ で製造 せいぞう されたF4U-1の呼称 こしょう 。生産 せいさん 品質 ひんしつ の問題 もんだい から空中 くうちゅう 分解 ぶんかい 事故 じこ を発生 はっせい させたため、機体 きたい に掛 か かる負荷 ふか に制限 せいげん の掛 か けられた訓練 くんれん 用 よう としてのみ運用 うんよう された。
FG-1
グッドイヤー 社 しゃ で製造 せいぞう されたF4U-1の呼称 こしょう 。なお、主翼 しゅよく 折 お りたたみ装置 そうち は廃止 はいし されており、陸上 りくじょう での使用 しよう が前提 ぜんてい となっている。
F4U-1A
前方 ぜんぽう 視界 しかい 向上 こうじょう のための操縦 そうじゅう 席 せき 位置 いち を178mm上昇 じょうしょう させ、キャノピーを枠 わく の少 すく ないバブル型 がた に変更 へんこう 。更 さら に尾 お 脚 あし をいくらか高 たか くして機体 きたい の三 さん 点 てん 姿勢 しせい 角度 かくど を減 へ らした。戦争 せんそう 中 ちゅう 、米 べい 軍 ぐん の公式 こうしき 文書 ぶんしょ ではF4U-1Aは存在 そんざい せず、初期 しょき 型 がた のようにF4U-1と呼 よ ばれた。生産 せいさん 途中 とちゅう で爆 ばく 弾 だん 架 か が取 と り付 つ けられ爆 ばく 撃 げき 任務 にんむ への使用 しよう が可能 かのう になった。F4U-1より着 き 艦 かん が容易 ようい になり、1943年 ねん 11月に空母 くうぼ バンカー・ヒルで正常 せいじょう に運用 うんよう された。
F4U-1B
イギリス に供与 きょうよ された機体 きたい の米国 べいこく 内 うち 呼称 こしょう (総称 そうしょう )。
F4U-1C
1D型 がた の搭載 とうさい 機銃 きじゅう をAN/M2 12.7mm機関 きかん 銃 じゅう ×6からAN-M2 20mm機関 きかん 砲 ほう ×4に変更 へんこう したモデル。
アメリカ海軍 かいぐん のF4U-1D (1945年 ねん )
F4U-1D
水 みず 噴射 ふんしゃ 装置 そうち 付 つ きR-2800-8Wエンジンを装備 そうび した機体 きたい 。主 しゅ 脚 あし の改良 かいりょう により着 ちゃく 艦 かん が容易 ようい になり、空母 くうぼ で使用 しよう され始 はじ める。
F3A-1D
ブルースター社 しゃ で製造 せいぞう されたF4U-1Dの呼称 こしょう 。
FG-1D
グッドイヤー社 しゃ で製造 せいぞう されたF4U-1Dの呼称 こしょう 。
FG-1E
グッドイヤー社 しゃ で製造 せいぞう されたF4U-1Dにレーダーを搭載 とうさい した型 かた 。
F4U-1P
F4U-1を改修 かいしゅう した写真 しゃしん 偵察 ていさつ 機 き 仕様 しよう 。
F4U-1WM
F4U-1のエンジンをプラット・アンド・ホイットニー R-4360 "ワスプメジャー"に換 かわ 装 そう した試験 しけん 機 き 型 がた [ 9] 。1943年 ねん 3月 がつ にバードケージキャノピーの初期 しょき 型 がた F4U-1(BuNo.02460)から1機 き が改造 かいぞう され、特 とく に大 おお きな問題 もんだい を生 しょう じなかったことから、本格 ほんかく 的 てき な発展 はってん 型 がた の開発 かいはつ が決定 けってい 、以後 いご の開発 かいはつ がグッドイヤー社 しゃ に発注 はっちゅう され"F2G"となる。
F4U-2[ 75]
機上 きじょう 迎撃 げいげき レーダー ポッドを装備 そうび した夜間 やかん 戦闘 せんとう 機 き 型 かた 。搭載 とうさい 武装 ぶそう が従来 じゅうらい 型 がた よりも減少 げんしょう 。F4U-1Dより実験 じっけん 的 てき に先 さき に空母 くうぼ で運用 うんよう されており、マリアナ海戦 かいせん でも夜間 やかん 迎撃 げいげき に、ごく少数 しょうすう のF4U-2が参加 さんか した。
XF4U-3 (1944年 ねん 撮影 さつえい )
XF4U-3,-3B[ 76] [ 77]
ターボ過 か 給 きゅう 機 き を装備 そうび した高 こう 高度 こうど 戦闘 せんとう 機 き 型 がた 。既存 きそん の機体 きたい を改良 かいりょう した3機 き のプロトタイプが製作 せいさく され、それぞれXF4U-3 (F4U-1 BuNo02157) 、XF4U-3A (F4U-117516) 、XF4U-3B (F4U-1A BuNo49664) と命名 めいめい された。23,000ft以下 いか では、F4U-4に比 くら べて利点 りてん がないと判断 はんだん されてキャンセルされた。最大 さいだい 出力 しゅつりょく 3,000馬力 ばりき 、高度 こうど 8,382mで784km/h、高度 こうど 12,344mで731km/h。
FG-3
グッドイヤー社 しゃ で製造 せいぞう されたF4U-1Dに2段 だん ターボ過 か 給 きゅう 機 き 付 つ きのR-2800-14Wを搭載 とうさい した高 こう 高度 こうど 戦闘 せんとう 機 き 型 がた [ 9] 。Bureau Numbers:76450の1機 き のみ生産 せいさん 。
XF4U-4[ 78]
F4U-4の原型 げんけい 機 き 。5機 き 生産 せいさん された中 なか でF4U-1の改造 かいぞう 機 き である最初 さいしょ の2機 き はF4U-4Xと呼 よ ばれ1944年 ねん 4月 がつ 19日 にち に初 はつ 飛行 ひこう を行 おこな った。
F4U-4[ 79]
R-2800-18WまたはR-2800-42Wエンジンを装備 そうび した第 だい 二 に 期 き 生産 せいさん 型 がた 。第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん 中 なか の最終 さいしゅう 生産 せいさん 型 がた で1947年 ねん まで生産 せいさん された。センターラインのハードポイントが撤去 てっきょ され、装着 そうちゃく 可能 かのう な爆 ばく 弾 だん の数 かず がF4U-1Dに比 くら べて1つ少 すく なかった。
F4U-4B
英国 えいこく に供与 きょうよ される予定 よてい だったF4U-4、戦争 せんそう が終 お わって供与 きょうよ はキャンセルされてF4U-4CがF4U-4Bに再 さい 分類 ぶんるい された。
F4U-4C
搭載 とうさい 機銃 きじゅう をAN-M3 (T-31) 20mm機関 きかん 砲 ほう ×4に変更 へんこう したF4U-4。戦後 せんご F4U-4Bに再 さい 分類 ぶんるい された。
F4U-4E
機上 きじょう 迎撃 げいげき レーダーポッド (AN/APS-4) を装備 そうび した夜間 やかん 戦闘 せんとう 機 き 仕様 しよう F4U-4。
F4U-4N
1946年 ねん に完成 かんせい 。機上 きじょう 迎撃 げいげき レーダーポッド (AN/APS-6) を装備 そうび した夜間 やかん 戦闘 せんとう 機 き 仕様 しよう F4U-4。テスト飛行 ひこう のみで量産 りょうさん されなかった。
F4U-4P
F4U-4を改修 かいしゅう した写真 しゃしん 偵察 ていさつ 機 き 型 がた 。
FG-4
グッドイヤー社 しゃ で製造 せいぞう されるF4U-4(BuNo. 67255~67754)に与 あた えられる予定 よてい の名称 めいしょう であったが、全 ぜん 機 き がキャンセルされた[ 9] 。
F4U-5[ 80] [ 81]
武装 ぶそう をAN-M3 (T-31) 20mm機関 きかん 砲 ほう ×4、R-2800-32Wエンジンを装備 そうび した高 こう 高度 こうど 戦闘 せんとう 機 き 型 がた 。スーパーチャージャー、カウルフラップ、インタークーラードア、オイルクーラードアの自動 じどう 制御 せいぎょ 機能 きのう 及 およ び、戦闘 せんとう 出力 しゅつりょく システムの自動 じどう 化 か が行 おこな われている。F4U-4から除去 じょきょ されたセンターラインのハードポイントが再 さい インストールされて2,000lbs爆 ばく 弾 だん 運用 うんよう 能力 のうりょく を回復 かいふく した。223機 き 生産 せいさん 。
夜間 やかん 戦闘 せんとう 機 き 型 がた のF4U-5N (1949年 ねん 撮影 さつえい )
F4U-5N
機上 きじょう 迎撃 げいげき レーダーポッド (AN/APS-19) を装備 そうび した夜間 やかん 戦闘 せんとう 機 き 仕様 しよう F4U-5。214機 き 生産 せいさん 。
F4U-5NL
F4U-5Nの寒冷 かんれい 地 ち 対応 たいおう 型 がた 。101機 き 生産 せいさん 。
F4U-5P
F4U-5の長距離 ちょうきょり 写真 しゃしん 偵察 ていさつ 機 き 型 がた 。30機 き 生産 せいさん 。
XF4U-6
飛行 ひこう 中 ちゅう のAU えーゆー -1 (1952年 ねん ) F4U-5を原型 げんけい として改良 かいりょう され、R-2800-83Wエンジンを装備 そうび した低空 ていくう 攻撃 こうげき 機 き 型 かた の原型 げんけい 。
AU えーゆー -1[ 82] [ 83]
R-2800-83WAエンジンを装備 そうび した攻撃 こうげき 機 き 型 がた 。基本 きほん 性能 せいのう の低下 ていか と引 ひ き換 か えに爆 ばく 弾 だん 搭載 とうさい 量 りょう が8,200lbs (3,719kg) まで増加 ぞうか している。朝鮮 ちょうせん 戦争 せんそう 期間 きかん 中 ちゅう 指摘 してき されたオイルクーラーの弱点 じゃくてん を除去 じょきょ し、ハードポイントと防弾 ぼうだん プレートが増設 ぞうせつ された。戦争 せんそう の後半 こうはん に活躍 かつやく し、戦後 せんご はフランス軍 ぐん 所属 しょぞく でディエンビエンフーの戦 たたか いに参加 さんか したりした。ジェット時代 じだい にも、新規 しんき の生産 せいさん を獲得 かくとく して111台 だい 生産 せいさん された。
フランス海軍 かいぐん に供与 きょうよ され現存 げんそん するF4U-7
F4U-7[ 77] [ 83]
最終 さいしゅう 生産 せいさん 型 がた 。軍事 ぐんじ 援助 えんじょ 計画 けいかく によりフランス海軍 かいぐん へ供与 きょうよ 。機体 きたい のフレームは、AU えーゆー -1のものだったが、エンジンはF4U-4のR-2800-18Wであった。94機 き 生産 せいさん 。1952年 ねん 12月に最終 さいしゅう 機 き が完成 かんせい 。
コルセア Mk.I
F4U-1のイギリス海軍 かいぐん における呼称 こしょう 。
コルセア Mk.II
F4U-1Aのイギリス海軍 かいぐん における呼称 こしょう 。最後 さいご に供与 きょうよ された150機 き の形式 けいしき は、F4U-1Dであった。[ 67]
コルセア Mk.III
F3A-1Dのイギリス海軍 かいぐん における呼称 こしょう 。
コルセア Mk.IV
FG-1Dのイギリス海軍 かいぐん における呼称 こしょう 。
F2G
グッドイヤー社 しゃ が開発 かいはつ した、エンジンをプラット・アンド・ホイットニー R-4360 (3,000馬力 ばりき )に変更 へんこう した能力 のうりょく 強化 きょうか 発展 はってん 型 がた 。戦争 せんそう の終結 しゅうけつ とジェット機 じぇっとき の実用 じつよう 化 か により、FG-1改造 かいぞう の試作 しさく 試験 しけん 機 き (XF2G)4機 き 、FG-1からの改造 かいぞう および完全 かんぜん 新造 しんぞう の試作 しさく / 先行 せんこう 量産 りょうさん 型 がた (XF2G-1)が2 / 3機 き 、量産 りょうさん 型 がた の陸上 りくじょう 機 き 型 がた (F2G-1)5機 き および艦上 かんじょう 機 き 型 がた (F2G-2)5機 き が生産 せいさん されたのみにとどまる。
生産 せいさん された機体 きたい は戦後 せんご 民間 みんかん に払 はら い下 さ げられてエアレーサー として活躍 かつやく した。
諸 しょ 元 もと
機体 きたい 名 めい
F4U-1[ 84]
F4U-1D[ 85]
全長 ぜんちょう
33ft 4.13in (10.16m)
全幅 ぜんぷく
40ft 11.73in (12.49m) → 17ft 0.375in (5.19m) ※主翼 しゅよく 折 お り畳 たた み時 とき
全 ぜん 高 こう
14ft 8.5in (4.48m) → 16ft 4.13in (4.98m) ※主翼 しゅよく 折 お り畳 たた み時 とき
翼 つばさ 面積 めんせき
314ft² (29.17m²)
プロペラ[ 86]
ブレード3枚 まい 直径 ちょっけい 13ft 1in (3.99m)
エンジン
Pratt & Whitney R-2800-8/8W (2,000Bhp 最大 さいだい :2,130Bhp) ×1
Pratt & Whitney R-2800-8W (2,000Bhp 最大 さいだい :2,250Bhp) ×1
空虚 くうきょ 重量 じゅうりょう
8,982lbs (4,074kg)
9,014lbs (4,089kg)
戦闘 せんとう 重量 じゅうりょう
12,039lbs (5,461kg)
12,086lbs (5,482kg)
翼 つばさ 面 めん 荷重 かじゅう
187.21kg/m2
187.93kg/m2
燃料 ねんりょう [ 87]
237gal (897ℓ)
最高 さいこう 速度 そくど
359mph/S.L. (578km/h 海面 かいめん 高度 こうど ) 417mph/19,900ft (671km/h 高度 こうど 6,066m)
358mph/S.L. (576km/h 海面 かいめん 高度 こうど ) 409mph/19,900ft (658km/h 高度 こうど 6,066m)[ 88]
上昇 じょうしょう 能力 のうりょく
2,890ft/m S.L. (14.68m/s 海面 かいめん 高度 こうど ) 20,000ft (6,096m) まで7分 ふん 42秒 びょう
3,370ft/m S.L. (17.12m/s 海面 かいめん 高度 こうど ) 20,000ft (6,096m) まで7分 ふん 6秒 びょう
実用 じつよう 上昇 じょうしょう 限度 げんど
37,000ft (11,278m)
40,000ft (12,192m)
航続 こうぞく 距離 きょり [ 89]
1,665st.mile (2,680km) ※1×175galタンク搭載 とうさい 時 じ 2,140st.mile (3,444km) ※翼 つばさ 内 ない 124gal + 1×175galタンク搭載 とうさい 時 じ 2,220st.mile (3,573km) ※FERRY 搭載 とうさい 燃料 ねんりょう 536gal (2,029ℓ)
1,500st.mile (2,414km) ※1×150galタンク搭載 とうさい 時 じ 1,895st.mile (3,050km) ※2×150galタンク搭載 とうさい 時 じ 2,510st.mile (4,039km) ※FERRY 搭載 とうさい 燃料 ねんりょう 712gal (2,695ℓ)
武装 ぶそう
AN/M2 12.7mm機関 きかん 銃 じゅう ×6 (弾 たま 数 すう 計 けい 2,350発 はつ )
AN/M2 12.7mm機関 きかん 銃 じゅう ×6 (弾 たま 数 すう 計 けい 2,400発 はつ )[ 90]
爆 ばく 装 そう
爆 ばく 弾 だん 2,000lbs (907kg)
爆 ばく 弾 だん 3,000lbs (1,361kg) + HVAR ×8 / A.R. ×8[ 91]
機体 きたい 名 めい
F4U-4[ 92]
F4U-5[ 93]
全長 ぜんちょう
33ft 8in (10.26m)
34ft 6.15in (10.52m)
全幅 ぜんぷく
41ft (12.5m) → 17ft 0.5in (5.19m) ※主翼 しゅよく 折 お り畳 たた み時 とき
40ft 11.726in (12.49m) → 17ft 0.5in (5.19m) ※主翼 しゅよく 折 お り畳 たた み時 とき
全 ぜん 高 こう
14ft 9.13in (4.5m) → 16ft 4.13in (4.98m) ※主翼 しゅよく 折 お り畳 たた み時 とき
14ft 9.85in (4.52m) → 16ft 3.64in (4.97m) ※主翼 しゅよく 折 お り畳 たた み時 とき
翼 つばさ 面積 めんせき
314ft2 (29.17m2 )
プロペラ[ 94]
ブレード4枚 まい 直径 ちょっけい 13ft 2in (4.01m)
エンジン
Pratt & Whitney R-2800-18W (2,100Bhp 最大 さいだい :2,800Bhp)[ 95] ×1
Pratt & Whitney R-2800-32W (2,300Bhp 最大 さいだい :2,760Bhp)[ 96] ×1
空虚 くうきょ 重量 じゅうりょう
9,167lbs (4,158kg)
9,691lbs (4,396kg)
戦闘 せんとう 重量 じゅうりょう
12,480lbs (5,661kg)
12,901lbs (5,852kg)
翼 つばさ 面 めん 荷重 かじゅう
194.07kg/m2
200.62kg/m2
燃料 ねんりょう [ 97]
234gal (886ℓ)
最高 さいこう 速度 そくど
325kn/S.L. (602km/h 海面 かいめん 高度 こうど ) 393kn/20,500ft (728km/h 高度 こうど 6,248m)[ 98]
347kn/S.L. (643km/h 海面 かいめん 高度 こうど ) 408kn/27,000ft (756km/h 高度 こうど 8,230m)
上昇 じょうしょう 能力 のうりょく
4,770ft/m S.L. (24.23m/s 海面 かいめん 高度 こうど ) 20,000ft (6,096m) まで4分 ふん 54秒 びょう
4,840ft/m S.L. (24.59m/s 海面 かいめん 高度 こうど ) 20,000ft (6,096m) まで4分 ふん 42秒 びょう
実用 じつよう 上昇 じょうしょう 限度 げんど
38,500~42,000ft (11,735~12,802m)[ 99]
43,500ft (13,259m)
航続 こうぞく 距離 きょり [ 89]
1,005n.mile (1,861km) ※1×150galタンク搭載 とうさい 時 じ 1,300n.mile (2,408km) ※2×150galタンク搭載 とうさい 時 じ
1,228n.mile (2,274km) ※1×150galタンク搭載 とうさい 時 じ 1,575n.mile (2,917km) ※2×150galタンク搭載 とうさい 時 じ
武装 ぶそう
AN/M2 12.7mm機関 きかん 銃 じゅう ×6 (弾 たま 数 すう 計 けい 2,400発 はつ )[ 100]
AN-M3 (T-31) 20mm機関 きかん 砲 ほう ×4 (弾 たま 数 すう 計 けい 924発 はつ )
爆 ばく 装 そう
爆 ばく 弾 だん 2,000lbs (907kg) / Tiny Tim ×2 + HVAR ×8 / A.R. ×8[ 101]
爆 ばく 弾 だん 5,200lbs (2,359kg) + HVAR ×8 / A.R. ×8[ 102]
機体 きたい 名 めい
F2G-2[ 103]
FG-3[ 104]
全長 ぜんちょう
33ft 10in (10.31m)
33ft 7.22in (10.24m)
全幅 ぜんぷく
40ft 11.75in (12.49m) → 17ft 0.5in (5.19m) ※主翼 しゅよく 折 お り畳 たた み時 とき
40ft 11.75in (12.49m) → 17ft 0.63in (5.2m) ※主翼 しゅよく 折 お り畳 たた み時 とき
全 ぜん 高 こう
14ft 11.56in (4.56m) → 16ft 3.88in (4.98m) ※主翼 しゅよく 折 お り畳 たた み時 とき
14ft 9.75in (4.51m) → 16ft 4.13in (4.98m) ※主翼 しゅよく 折 お り畳 たた み時 とき
翼 つばさ 面積 めんせき
314ft2 (29.17m2 )
プロペラ[ 105]
ブレード4枚 まい 直径 ちょっけい 13ft 6in (4.11m)
ブレード4枚 まい 直径 ちょっけい 13ft 2in (4.01m)
エンジン
Pratt & Whitney R-4360-4 (3,000Bhp) ×1
Pratt & Whitney R-2800-14W (2,100Bhp 最大 さいだい :2,600Bhp) ×1
空虚 くうきょ 重量 じゅうりょう
10,249lbs (4,649kg)
9,545lbs (4,330kg)
戦闘 せんとう 重量 じゅうりょう
13,346lbs (6,054kg)
12,800lbs (5,806kg)
翼 つばさ 面 めん 荷重 かじゅう
207.54kg/m2
199.04kg/m2
燃料 ねんりょう [ 106]
309gal (1,170ℓ)
237gal (897ℓ)
最高 さいこう 速度 そくど
399mph/S.L. (642km/h 海面 かいめん 高度 こうど ) 431mph/16,900ft (694km/h 高度 こうど 5,151m)[ 107]
363mph/S.L. (584km/h 海面 かいめん 高度 こうど ) 460mph/33,400ft (740km/h 高度 こうど 10,180m)[ 108]
上昇 じょうしょう 能力 のうりょく
4,400ft/m S.L. (22.35m/s 海面 かいめん 高度 こうど ) 20,000ft (6,096m) まで5分 ふん 42秒 びょう
4,210ft/m S.L. (21.39m/s 海面 かいめん 高度 こうど ) 20,000ft (6,096m) まで5分 ふん
実用 じつよう 上昇 じょうしょう 限度 げんど
38,800ft (11,826m)
45,700ft (13,929m)
航続 こうぞく 距離 きょり [ 89]
1,610st.mile (2,591km) ※1×150galタンク搭載 とうさい 時 じ 1,955st.mile (3,146km) ※2×150galタンク搭載 とうさい 時 じ 2,040st.mile (3,283km) ※FERRY 搭載 とうさい 燃料 ねんりょう 609gal (2,305ℓ)
1,575st.mile (2,535km) ※1×150galタンク搭載 とうさい 時 じ 1,960st.mile (3,154km) ※2×150galタンク搭載 とうさい 時 じ 2,150st.mile (3,460km) ※FERRY 搭載 とうさい 燃料 ねんりょう 537gal (2,033ℓ)
武装 ぶそう
AN/M2 12.7mm機関 きかん 銃 じゅう ×4 (弾 たま 数 すう 計 けい 1,200発 はつ )
AN/M2 12.7mm機関 きかん 銃 じゅう ×6 (弾 たま 数 すう 計 けい 2,400発 はつ )
爆 ばく 装 そう
爆 ばく 弾 だん 3,200lbs (1,451kg)[ 109]
爆 ばく 弾 だん 3,200lbs (1,451kg) + HVAR ×8 / A.R. ×8[ 110]
現存 げんそん する機体 きたい
製造 せいぞう された数 かず が三 さん 社 しゃ 合計 ごうけい して12,582機 き と多 おお く7ヶ国 かこく 8軍 ぐん において使用 しよう された為 ため 、今 いま なお非常 ひじょう に多 おお くの機体 きたい が現存 げんそん しており、飛行 ひこう 可能 かのう な機体 きたい も多々 たた ある。[ 111] 下 した の表 ひょう は国 くに 別 べつ に米 べい 、豪 ごう 、ニュージーランド 、英 えい 、仏 ふつ 、アルゼンチン 、墺 おう 、加 か 、韓 かん 、北朝鮮 きたちょうせん 、ソロモン諸島 しょとう 、ブラジル 、ホンジュラス という、数 かず と五十音 ごじゅうおん の順 じゅん に分類 ぶんるい してある。
・状態 じょうたい は機体 きたい の状態 じょうたい そのものを表 あらわ しているため、飛行 ひこう 可能 かのう でも飛行 ひこう が行 おこな われているとは限 かぎ らない。
登場 とうじょう 作品 さくひん
映画 えいが
『硫黄 いおう 島 とう からの手紙 てがみ 』
『父親 ちちおや たちの星条旗 せいじょうき 』
『地獄 じごく の戦場 せんじょう 』
アメリカ海兵 かいへい 隊 たい 所属 しょぞく 機 き が登場 とうじょう 。日本 にっぽん 軍 ぐん が占領 せんりょう している孤島 ことう に上陸 じょうりく する海兵 かいへい 隊員 たいいん たちの上陸 じょうりく 支援 しえん を行 おこな うほか、クライマックスにて、日本 にっぽん 軍 ぐん のロケット砲 ほう 陣地 じんち を爆撃 ばくげき する。
撮影 さつえい には、アメリカ海兵 かいへい 隊 たい の全面 ぜんめん 協力 きょうりょく で実物 じつぶつ が使用 しよう されている。
ゲーム
『バトルフィールドシリーズ 』
『BF1942 』
米 べい 海兵 かいへい 隊 たい の戦闘 せんとう 機 き として登場 とうじょう する。
『BF1943 』
米 べい 海兵 かいへい 隊 たい の戦闘 せんとう 機 き として登場 とうじょう する。
『BFBC2 』
シングルプレイに登場 とうじょう 。主人公 しゅじんこう らの潜入 せんにゅう に合 あ わせて島 しま を空爆 くうばく する。
『BFV 』
米 べい 軍 ぐん の戦闘 せんとう 機 き として登場 とうじょう する。
『War Thunder 』
アメリカ軍 ぐん の航空機 こうくうき としての他 ほか に鹵獲 ろかく 機体 きたい などとして登場 とうじょう する。
脚注 きゃくちゅう
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^ 搭載 とうさい 可能 かのう 燃料 ねんりょう は
F4U-1:胴体 どうたい 内 ない 237gal + 翼 つばさ 内 ない 124galの機体 きたい 内 ない 燃料 ねんりょう タンク361gal (1,367ℓ)、落下 らっか 増 ぞう 槽 そう タンクを175gal (662ℓ) ×1の合計 ごうけい 536gal (2,029ℓ)
F4U-1D:胴体 どうたい 内 ない 237gal + 翼 つばさ 内 ない 124galの機体 きたい 内 ない 燃料 ねんりょう タンク361gal (1,367ℓ)、落下 らっか 増 ぞう 槽 そう タンクを150gal (568ℓ) ×2 + 175gal (662ℓ) ×1の合計 ごうけい 712gal (2,695ℓ)
^ MK5-1 (ロケットランチャー) 及 およ びパイロン装備 そうび 時 じ は350mph/S.L. (563km/h 海面 かいめん 高度 こうど )、400mph/19,900ft (644km/h 高度 こうど 6,066m)
MK5-1未 み 装備 そうび 時 じ は358mph/S.L. (576km/h 海面 かいめん 高度 こうど )、409mph/19,900ft (658km/h 高度 こうど 6,066m)
MK5-1・パイロン共 ども に未 み 装備 そうび 時 じ は366mph/S.L. (589km/h 海面 かいめん 高度 こうど )、417mph/20,000ft (671km/h 高度 こうど 6,096m)
^ a b c 航続 こうぞく 距離 きょり はF4U-1/F4U-1D/F4U-4では燃料 ねんりょう 消費 しょうひ 量 りょう +5%、F4U-5/FG-3/F2G-2では燃料 ねんりょう 消費 しょうひ 量 りょう +15%の補正 ほせい 後 ご に算出 さんしゅつ されている
^ F4U-1CはAN-M2 20mm機関 きかん 砲 ほう ×4 (弾 たま 数 すう 計 けい 924発 はつ )
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^ MK5-1 (ロケットランチャー) 及 およ びパイロン装備 そうび 時 じ は318kn/S.L. (589km/h 海面 かいめん 高度 こうど )、384kn/20,400ft (711km/h 高度 こうど 6,218m)
MK5-1未 み 装備 そうび 時 じ は325kn/S.L. (602km/h 海面 かいめん 高度 こうど )、393kn/20,500ft (728km/h 高度 こうど 6,248m)
MK5-1・パイロン共 ども に未 み 装備 そうび 時 じ は333kn/S.L. (617km/h 海面 かいめん 高度 こうど )、403kn/20,600ft (746km/h 高度 こうど 6,279m)
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^ FG-3 Corsair Specifications AIRPLANE CHARACTERISTICS & PERFORMANCE
^ F2G-2:[Propeller:HAMILTON STANDARD C.S.、Blade:No.6491A-20 (×4)、Diameter:13ft 6in (4.11m)、Area:13.30m²]
FG-3:[Propeller:HAMILTON STANDARD C.S.、Blade:No.6501A-O(×4)、Diameter:13ft 2in (4.01m)、Area:12.65m²]
^ 搭載 とうさい 可能 かのう 燃料 ねんりょう は
F2G-2:機体 きたい 内 ない 燃料 ねんりょう タンクに309gal (1,170ℓ)、落下 らっか 増 ぞう 槽 そう タンクを150gal (568ℓ) ×2の合計 ごうけい 609gal (2,305ℓ)
FG-3:機体 きたい 内 ない 燃料 ねんりょう タンクに237gal (897ℓ)、落下 らっか 増 ぞう 槽 そう タンクを150gal (568ℓ) ×2の合計 ごうけい 537gal (2,033ℓ)
^ MK5-1 (ロケットランチャー) 及 およ びパイロン装備 そうび 時 じ は391mph/S.L. (629km/h 海面 かいめん 高度 こうど )、422mph/16,800ft (679km/h 高度 こうど 5,121m)
MK5-1未 み 装備 そうび 時 じ は399mph/S.L. (642km/h 海面 かいめん 高度 こうど )、431mph/16,900ft (694km/h 高度 こうど 5,151m)
MK5-1・パイロン共 ども に未 み 装備 そうび 時 じ は407mph/S.L. (655km/h 海面 かいめん 高度 こうど )、440mph/17,000ft (708km/h 高度 こうど 5,182m)
^ MK5-1 (ロケットランチャー) 及 およ びパイロン装備 そうび 時 じ は356mph/S.L. (573km/h 海面 かいめん 高度 こうど )、451mph/33,200ft (726km/h 高度 こうど 10,119m)
MK5-1未 み 装備 そうび 時 じ は363mph/S.L. (584km/h 海面 かいめん 高度 こうど )、460mph/33,400ft (740km/h 高度 こうど 10,180m)
MK5-1・パイロン共 ども に未 み 装備 そうび 時 じ は370mph/S.L. (595km/h 海面 かいめん 高度 こうど )、469mph/33,600ft (755km/h 高度 こうど 10,241m)
^ 翼下 よくか パイロン (1,600lbs) ×2
^ 翼下 よくか パイロン (1,600lbs) ×2 + HVAR×8 / A.R.×8
^ 参考 さんこう :F4Uコルセア 現存 げんそん
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^ F4U-5N Number:124715
関連 かんれん 項目 こうもく
外部 がいぶ リンク
攻撃 こうげき 機 き (A)爆 ばく 撃 げき 機 き (B)爆 ばく 撃 げき 戦闘 せんとう 機 き (BF)爆 ばく 撃 げき 雷撃 らいげき 機 き (BT)偵察 ていさつ 爆撃 ばくげき 機 き (SB)雷撃 らいげき 機 き (T)雷撃 らいげき 爆撃 ばくげき 機 き (TB)雷撃 らいげき 偵察 ていさつ 機 き (TS)