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イスパノ・スイザ 20mm航空 こうくう 機関 きかん 砲 ほう イギリスによって独自 どくじ 改良 かいりょう されたモデルである、イスパノ Mk.V(Hispano Mark V)
イスパノ・スイザ HS.404 (Hispano-Suiza HS.404)[ 注 ちゅう 1] は、イスパノ・スイザ 社 しゃ が開発 かいはつ した20mm口径 こうけい の機関 きかん 砲 ほう 。第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん において航空 こうくう 機関 きかん 砲 ほう として広 ひろ く用 もち いられたほか、対空 たいくう 砲 ほう としても用 もち いられた。
イギリス でライセンス生産 せいさん /独自 どくじ 改良 かいりょう されたものは“Hispano Mark * ”、アメリカ合衆国 あめりかがっしゅうこく でライセンス生産 せいさん /独自 どくじ 改良 かいりょう されたものには“20mm M1/AN-M2/AN-M3 ”および“M24 ”の制式 せいしき 名称 めいしょう がつけられている。
20世紀 せいき に幅広 はばひろ く使用 しよう された航空 こうくう 兵器 へいき の1つで、イギリス 、アメリカ 、フランス などを始 はじ めとする多 おお くの軍隊 ぐんたい で採用 さいよう された。
開発 かいはつ 国 こく のフランスの他 ほか 、イギリスとアメリカ、その他 た にスウェーデン 、スイス 、アルゼンチン そしてユーゴスラビア で開発 かいはつ された航空機 こうくうき に搭載 とうさい されて広 ひろ く用 もち いられたが、第 だい 二 に 次 じ 大戦 たいせん 後 ご はDEFA などのリヴォルヴァーカノン やM61 を筆頭 ひっとう としたモーターガトリング砲 ほう の搭載 とうさい 機 き が増加 ぞうか していき、旧式 きゅうしき 機 き の引退 いんたい と共 とも に航空機 こうくうき 搭載 とうさい 用 よう としてはその姿 すがた を消 け していった。
なお、HS.404は原型 げんけい を開発 かいはつ したのはスペイン で創業 そうぎょう されスペインとフランスに拠点 きょてん を持 も った多 た 国籍 こくせき 軍需 ぐんじゅ 企業 きぎょう であるイスパノ・スイザ 社 しゃ であるが、広 ひろ く用 もち いられた型 かた は、いずれもイギリスとアメリカでライセンス を所得 しょとく した後 のち に両国 りょうこく において独自 どくじ に改良 かいりょう されたもので、それらの改良 かいりょう にはイスパノ・スイザ社 しゃ は間接 かんせつ 的 てき にのみ関 かか わっている。このため、原型 げんけい のイスパノ・スイザ HS.404とイギリスで改良 かいりょう された"Hispano Mark II"以降 いこう のイギリス製 せい モデル、およびアメリカで改良 かいりょう された"AN-M2/3"および"M24"は、設計 せっけい の祖 そ を同一 どういつ とする独自 どくじ の発展 はってん 型 がた と捉 とら えたほうが適切 てきせつ である。
イスパノ・スイザ 社 しゃ フランス支社 ししゃ (HSF)は、スイス のエリコン 社 しゃ が開発 かいはつ したエリコン FFS のライセンス生産 せいさん 権 けん を取得 しゅとく し、HS.7およびHS.9として生産 せいさん を行 おこな った。これは、イスパノ・スイザ 12Y 液 えき 冷 ひや V型 がた エンジン の上 うえ に砲 ほう を搭載 とうさい し、ギアボックスを介 かい して軸 じく を上方 かみがた に偏 へん 移 うつ させたプロペラ駆動 くどう 軸 じく を中空 ちゅうくう にしてその軸 じく 内 ない に砲身 ほうしん を通 とお す、という“モーターカノン (Moteur-canon)”方式 ほうしき に用 もち いるものとして、大 だい 口径 こうけい かつコンパクトな機関 きかん 砲 ほう を求 もと めていたためであった[ 注 ちゅう 2] 。しかし、HS.7/9の生産 せいさん 開始 かいし 直後 ちょくご 、エリコン社 しゃ との間 あいだ に特許 とっきょ を巡 めぐ る係争 けいそう が発生 はっせい し、両社 りょうしゃ の取引 とりひき 関係 かんけい は解消 かいしょう された。
1933年 ねん 、イスパノ社 しゃ の技術 ぎじゅつ 者 しゃ マルク・ビルキヒト (Mark Birkigt)は、アメリカの機関 きかん 銃 じゅう 設計 せっけい 者 しゃ 、カール・スウェビリウス(Carl Swebilius)が1919年 ねん 特許 とっきょ を取得 しゅとく した機構 きこう 、およびイタリア の銃器 じゅうき 設計 せっけい 者 しゃ であるアルフレド・スコッティ(Alfredo Scotti)が70口径 こうけい 20mm機関 きかん 砲 ほう に組 く み込 こ んだ機構 きこう に基 もと づいて、HS.7/9の作動 さどう 方式 ほうしき を変更 へんこう し、連射 れんしゃ 能力 のうりょく と砲 ほう 口 こう 初速 しょそく の向上 こうじょう といった改良 かいりょう を施 ほどこ し、弾薬 だんやく もほぼ同 どう 規格 きかく ながら仕様 しよう の異 こと なる20×110mm弾 だん を使用 しよう するものとして、タイプ 400(HS.400 )を完成 かんせい させた。更 さら に、タイプ402(HS.402 )、更 さら に実 じつ 銃 じゅう の製作 せいさく は行 おこな われず図面 ずめん 上 じょう のみのものであったがタイプ 403(HS.403 )を経 へ て、1936年 ねん にはタイプ 404(HS.404 )を完成 かんせい させた。エリコンFFSではAPI ブローバック だった作動 さどう 方式 ほうしき は、ブローバックの基本 きほん 動作 どうさ に加 くわ えて、ボルト開放 かいほう にガス圧 あつ を用 もち いたピストン を使用 しよう する併用 へいよう 方式 ほうしき に改 あらた められている。
HS.404シリーズは1938年 ねん にアメリカで特許 とっきょ を所得 しょとく した後 のち 、まずフランス空軍 くうぐん 向 む けに製造 せいぞう が開始 かいし された。モーターカノン用 よう の20mm HS.404の他 ほか 、銃身 じゅうしん 長 ちょう を1,000mmに短縮 たんしゅく して爆 ばく 撃 げき 機 き 他 た の銃 じゅう 塔 とう /防御 ぼうぎょ 機銃 きじゅう 用 よう としたHS.405 、23mm口径 こうけい とした銃 じゅう 塔 とう /防御 ぼうぎょ 機銃 きじゅう 用 よう (銃身 じゅうしん 長 ちょう 1,150mm)のHS.406 、23mm口径 こうけい でモーターカノン用 よう の長 ちょう 銃身 じゅうしん (銃身 じゅうしん 長 ちょう 1,600mm)型 がた HS.407 も開発 かいはつ された。ただし、HS.404以外 いがい は第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん の開戦 かいせん 時 じ で試作 しさく 品 ひん が1丁 ちょう ずつ完成 かんせい していたのみである
。
元来 がんらい の装弾 そうだん 数 すう は多 おお くても60発 はつ 装弾 そうだん のドラム型 がた 弾倉 だんそう のみであったため、飛行 ひこう 中 ちゅう に弾倉 だんそう を交換 こうかん することができない航空機 こうくうき では装弾 そうだん 数 すう 不足 ふそく が問題 もんだい になり、160発 はつ 装弾 そうだん のドラム型 がた 弾倉 だんそう も開発 かいはつ されたが、この大 だい 容量 ようりょう 弾倉 だんそう は150発 はつ 以上 いじょう を装填 そうてん すると途端 とたん に信頼 しんらい 性 せい の低下 ていか を起 お こした[ 3] 。1940年 ねん にはベルト給 きゅう 弾 だん システムの開発 かいはつ で解決 かいけつ が試 こころ みられたが、フランスの降伏 ごうぶく で計画 けいかく は頓挫 とんざ し、最終 さいしゅう 的 てき にはベルト給 きゅう 弾 だん 型 がた は試作 しさく 品 ひん と設計 せっけい 図 ず が密 ひそ かにイギリスに持 も ち出 だ されて、イギリスによる改良 かいりょう 型 がた として実現 じつげん した。
アメリカでの特許 とっきょ 申請 しんせい 書 しょ に記載 きさい されているHS.404の機関 きかん 部 ぶ の図 ず
HS.404の大 おお きな特徴 とくちょう として、2種類 しゅるい (ブローバックおよびガス圧 あつ 作動 さどう 方式 ほうしき )の作動 さどう 方式 ほうしき を併用 へいよう していることと、発砲 はっぽう 時 じ に前後 ぜんご 作動 さどう する部分 ぶぶん が非常 ひじょう に大 おお きいことが挙 あ げられる。
通常 つうじょう のブローバック方式 ほうしき の場合 ばあい 、撃 げき 発 はっ すると遊 ゆう 底 そこ は銃身 じゅうしん と噛 か み合 あ ったまま反動 はんどう により後退 こうたい し、所定 しょてい の距離 きょり を後退 こうたい したところでカムもしくはラッチの働 はたら きで遊 ゆう 底 そこ と銃身 じゅうしん の結合 けつごう が開放 かいほう され、以後 いご は遊 ゆう 底 そこ のみが後退 こうたい して排 はい 莢 さいかち するが、HS.404では銃身 じゅうしん と遊 ゆう 底 そこ の結合 けつごう の開放 かいほう は銃身 じゅうしん に開 あ けられたガス導入 どうにゅう 孔 あな から導 みちび かれた発射 はっしゃ ガスがピストンを動 うご かし、ピストンに連動 れんどう するロッドが遊 ゆう 底 そこ と銃身 じゅうしん の結合 けつごう を解除 かいじょ することによって行 おこな われる。この併用 へいよう 方式 ほうしき はAPI方式 ほうしき に比 くら べて発射 はっしゃ 速度 そくど を高 たか いものとしつつ銃身 じゅうしん を長 なが くすることが可能 かのう であったため、航空 こうくう 機銃 きじゅう では重要 じゅうよう な要素 ようそ となる砲 ほう 口 こう 初速 しょそく と発射 はっしゃ 速度 そくど を向上 こうじょう させることができた[ 3] 。
なお、ブローバック方式 ほうしき の銃器 じゅうき は遊 ゆう 底 そこ (ボルト) のみ、もしくはボルトと銃身 じゅうしん (※ショート/ロングリコイル方式 ほうしき )が撃 げき 発 はつ に伴 ともな い前後 ぜんこう に動 うご くことで動作 どうさ し、撃 げき 発 はつ に伴 ともな って後退 こうたい した機関 きかん 部 ぶ と銃身 じゅうしん を複 ふく 座 ざ させるばね (リコイルスプリング)は遊 ゆう 底 そこ の後方 こうほう 、もしくは銃身 じゅうしん に並行 へいこう あるいは銃身 じゅうしん を取 と り巻 ま くように配置 はいち されているが、HS.404ではリコイルスプリングが砲 ほう 口 くち 部 ぶ のすぐ後方 こうほう にある設計 せっけい になっている。これはモーターカノン 方式 ほうしき に用 もち いることを前提 ぜんてい として設計 せっけい されているためで、高 こう 初速 しょそく を求 もと めて長 ちょう 砲身 ほうしん としたため、長大 ちょうだい になった砲身 ほうしん のぶれを砲 ほう 口 くち 部 ぶ で保持 ほじ することで極力 きょくりょく 小 しょう なくするためと、通常 つうじょう の自動 じどう 火器 かき では前後 ぜんご に駆動 くどう する作動 さどう 部 ぶ を保持 ほじ する部分 ぶぶん (レシーバー )を、エンジンおよびそれに砲 ほう をマウントする部分 ぶぶん に兼用 けんよう させることでエンジンと砲 ほう を一体化 いったいか させ、機関 きかん 砲 ほう としては軽量 けいりょう 小型 こがた な設計 せっけい としていたためである[ 3] 。
この構造 こうぞう のため、HS.404には「砲 ほう 口 くち 部 ぶ を固定 こてい しなければ安定 あんてい して動作 どうさ しない」「砲 ほう 単体 たんたい で発砲 はっぽう すると作動 さどう 部分 ぶぶん の慣性 かんせい 重量 じゅうりょう が大 おお きいために射撃 しゃげき 時 じ の動揺 どうよう が大 おお きい」という欠点 けってん があった。
これらの問題 もんだい は本来 ほんらい の開発 かいはつ 目的 もくてき である“モーターカノンの搭載 とうさい 銃 じゅう ”として用 もち いる限 かぎ りさして問題 もんだい とならないはずであったが、エンジンの振動 しんどう が砲 ほう の作動 さどう に干渉 かんしょう して作動 さどう 不良 ふりょう の原因 げんいん になることや、モーターカノンではなく翼 つばさ 架 か や単独 たんどく の銃 じゅう 架 か に装備 そうび する際 さい に特別 とくべつ な銃 じゅう 架 か が必要 ひつよう になる、といった問題 もんだい が生 しょう じた[ 3] 。
ブリストル ボーファイター Mk.VI Fに搭載 とうさい されたイスパノ Mk.II
イギリス は航空機 こうくうき 搭載 とうさい 武装 ぶそう としては小 しょう 口径 こうけい の機銃 きじゅう を多数 たすう 装備 そうび する方針 ほうしん を採 と っていたが、弾頭 だんとう 威力 いりょく を重視 じゅうし する面 めん から大 だい 口径 こうけい 火器 かき の必要 ひつよう 性 せい も認識 にんしき されており、1935年 ねん より20mm口径 こうけい の航空機 こうくうき 搭載 とうさい 機銃 きじゅう の検討 けんとう に入 はい った。これにより選定 せんてい されたのがHS.404で、1939年 ねん にはイスパノ・スイザ タイプ404 (Hispano Suiza Type 404)の名称 めいしょう でイギリス空軍 くうぐん とイギリス海軍 かいぐん 艦隊 かんたい 航空 こうくう 隊 たい (Fleet Air Arm)に制式 せいしき 採用 さいよう された。
1940年 ねん にはイスパノ・スイザ社 しゃ およびフランス政府 せいふ から製造 せいぞう 許可 きょか を取 と りつけてイスパノ Mk.I (Hispano Mark I)として自国 じこく 生産 せいさん 品 ひん を完成 かんせい させ、“モーターカノン”方式 ほうしき でなくとも搭載 とうさい できるよう、"SAMM cradle"との名称 めいしょう が付 つ けられたマウントを用 もち い、ウェストランド ホワールウィンド へ搭載 とうさい している。バトル・オブ・ブリテン 中 なか にはスピットファイア Mk.IbおよびMk.IIにも搭載 とうさい されたが、作動 さどう 不良 ふりょう が多 おお く、旋回 せんかい 時 じ の装弾 そうだん 不良 ふりょう などから部隊 ぶたい での評判 ひょうばん は必 かなら ずしも良 よ くはなかった[ 3] 。
イスパノシリーズは後 ご のイギリス空軍 くうぐん 戦闘 せんとう 機 き に搭載 とうさい される標準 ひょうじゅん 武装 ぶそう になるが、当初 とうしょ 作動 さどう 不良 ふりょう を頻発 ひんぱつ したため、スピットファイアでは暫定 ざんてい 的 てき に20mm機関 きかん 砲 ほう 2門 もん と7.7mm機銃 きじゅう 4挺 てい のB翼 つばさ 装備 そうび で配備 はいび され、改善 かいぜん 後 ご に4門 もん 装備 そうび も可能 かのう な“ユニバーサルウィング(Universal Wing)”ことC翼 つばさ が標準 ひょうじゅん となり、タイフーン Mk.IB 以降 いこう 、テンペスト Mk.V でも4門 もん 装備 そうび であった。
上述 じょうじゅつ の作動 さどう 不良 ふりょう 問題 もんだい は、撃 げき 発 はつ 後 ご に膨張 ぼうちょう した薬莢 やっきょう が薬 くすり 室 しつ 内壁 ないへき に貼 は り付 つ いてしまうことと、薬莢 やっきょう が薬 くすり 室 しつ に装弾 そうだん される際 さい に、作動 さどう 部 ぶ の慣性 かんせい 重量 じゅうりょう が大 おお きいために閉鎖 へいさ 器 き によって閉鎖 へいさ 時 じ に僅 わず かに圧縮 あっしゅく されてしまい、結果 けっか 的 てき に撃 げき 針 はり の作動 さどう 距離 きょり が不足 ふそく することが原因 げんいん であることが判明 はんめい し、1941年 ねん には「薬 くすり 室 しつ 内壁 ないへき に細 こま かな溝 みぞ を設 もう け、溝 みぞ に発射 はっしゃ ガスの吹 ふ き返 かえ しが流 なが れることで薬莢 やっきょう の貼 は り付 つ きを防止 ぼうし する[ 注 ちゅう 3] 」「薬 くすり 室 しつ 全長 ぜんちょう を0.08インチ(約 やく 2mm)短 みじか くする」という改良 かいりょう を加 くわ え[ 3] 、装弾 そうだん 方式 ほうしき をドラム型 がた 弾倉 だんそう 方式 ほうしき から分離 ぶんり 式 しき 金属 きんぞく 製 せい 弾 たま 帯 たい によるベルト給 きゅう 弾 だん 式 しき に変更 へんこう したイスパノ Mk.II (Hispano Mark II)が開発 かいはつ ・採用 さいよう され、ブローニング機関 きかん 銃 じゅう 8挺 てい を装備 そうび していたホーカー ハリケーン Mk.Iと熱帯 ねったい 地 ち 用 よう のスピットファイアへ搭載 とうさい された。また、使用 しよう する20mm弾薬 だんやく も雷管 らいかん を改良 かいりょう したものに変更 へんこう されている。
イギリスは自国 じこく の生産 せいさん 力 りょく の負担 ふたん を軽減 けいげん するために、同 おな じくHS.404を自国 じこく 生産 せいさん したアメリカのM1(後述 こうじゅつ )の輸入 ゆにゅう に興味 きょうみ を示 しめ したが、試験 しけん のためにM1を受 う け取 と ると、その出来 でき の悪 わる さに失望 しつぼう したという。これはM1がオリジナルのHS.404と同 おな じ薬 くすり 室 しつ の設計 せっけい を持 も つことが問題 もんだい の原因 げんいん であると考 かんが え、1942年 ねん 4月 がつ にはイスパノ Mk.IIとその図面 ずめん が比較 ひかく のためアメリカに送 おく られた。しかし、この技術 ぎじゅつ 提供 ていきょう による品質 ひんしつ 向上 こうじょう が望 のぞ めなかったため、アメリカ製 せい HS.404の導入 どうにゅう は中止 ちゅうし された[ 3] 。
第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん も中盤 ちゅうばん に差 さ し掛 か かると、イギリスの兵器 へいき 製造 せいぞう 力 りょく も問題 もんだい ではないレベルまで向上 こうじょう していたため、イギリスではイスパノ Mk.IIの改良 かいりょう に着手 ちゃくしゅ し、砲 ほう 口 こう 初速 しょそく の低下 ていか を受忍 じゅにん して銃身 じゅうしん を短縮 たんしゅく して重量 じゅうりょう の軽減 けいげん と速射 そくしゃ 性 せい を高 たか め、、リコイルスプリングを砲 ほう 口 くち 部 ぶ 直後 ちょくご から銃身 じゅうしん 部 ぶ に移動 いどう させて銃 じゅう 架 か の汎用 はんよう 性 せい を向上 こうじょう させたイスパノ Mk.V (Hispano Mark V)を開発 かいはつ し、テンペスト Mk.Vなどに搭載 とうさい した[ 3] 。
イスパノシリーズは第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん 中 ちゅう だけでも各 かく 型 かた を合 あ わせると約 やく 42,500基 き がBirmingham Small Arms(BSA)によって製造 せいぞう され、大戦 たいせん 後 ご もイギリスの開発 かいはつ した初期 しょき のジェット戦闘 せんとう 機 き 他 た に搭載 とうさい されたが、航空機 こうくうき 搭載 とうさい 機銃 きじゅう としてはADEN 30mmリヴォルヴァーカノン が開発 かいはつ され、これに取 と って代 か わられている。
ダグラス A-1 スカイレイダー に搭載 とうさい された、アメリカ生産 せいさん 型 がた HS.404の改良 かいりょう 型 がた であるAN-M3
1936年 ねん 、アメリカ陸軍 りくぐん 航空 こうくう 隊 たい とアメリカ海軍 かいぐん は、それまでの航空機 こうくうき 搭載 とうさい 火器 かき の標準 ひょうじゅん であったAN-M2 7.62mm機関 きかん 銃 じゅう とAN-M2 12.7mm機関 きかん 銃 じゅう の混載 こんさい に替 か わる武装 ぶそう 強化 きょうか 策 さく として、口径 こうけい 15~20mmへの統一 とういつ 、もしくは20mmと12.7mmの混載 こんさい へ変更 へんこう する計画 けいかく を共同 きょうどう で立案 りつあん した。しかし、自国 じこく 開発 かいはつ による新型 しんがた 機関 きかん 砲 ほう の開発 かいはつ は難航 なんこう しており、早期 そうき に口径 こうけい 20mmクラスの機関 きかん 砲 ほう の国産 こくさん 開発 かいはつ は困難 こんなん とされたことから、欧州 おうしゅう 諸国 しょこく からの導入 どうにゅう が計画 けいかく され、ドイツ 、スイス 、およびデンマーク 製 せい の各種 かくしゅ 製品 せいひん が検討 けんとう されたが、ドイツとスイス
からの導入 どうにゅう は政治 せいじ 的 てき 事情 じじょう と予算 よさん の都合 つごう により見送 みおく られ、デンマークのマドセン (Madsen)社 しゃ [ 注 ちゅう 4] の23mm機関 きかん 砲 ほう が少数 しょうすう のみ試験 しけん 的 てき に購入 こうにゅう された。1936年 ねん 11月に行 おこな われたテストではアメリカ軍 ぐん 側 がわ を満足 まんぞく させる結果 けっか を得 え たものの、その後 ご のライセンス契約 けいやく に関 かん する交渉 こうしょう が遅々 ちち として進 すす まず[ 4] 、海軍 かいぐん は1938年 ねん にF2A 戦闘 せんとう 機 き に搭載 とうさい して試験 しけん を行 おこな うための追加 ついか 購入 こうにゅう を決定 けってい したが、弾薬 だんやく 局 きょく が「国産 こくさん の機体 きたい に海外 かいがい 製 せい の装備 そうび を搭載 とうさい することは望 のぞ ましくない」と強硬 きょうこう に反対 はんたい し、マドセン製 せい 機関 きかん 砲 ほう の導入 どうにゅう は見送 みおく られることになった。
これらに並行 へいこう してアメリカ軍 ぐん 関係 かんけい 者 しゃ が注目 ちゅうもく していたものに、同 どう 時期 じき に完成 かんせい して各国 かっこく の航空 こうくう 軍事 ぐんじ 関係 かんけい 者 しゃ に披露 ひろう されていたHS.404があり、1937年 ねん の2月 がつ にアメリカ海軍 かいぐん は担当 たんとう 者 しゃ をフランスのイスパノ・スイザ社 しゃ に派遣 はけん 、同年 どうねん 3月 がつ には陸軍 りくぐん の担当 たんとう 者 しゃ が同社 どうしゃ より入手 にゅうしゅ した資料 しりょう を本国 ほんごく に送 おく っている。一連 いちれん の予備 よび 調査 ちょうさ の結果 けっか 、HS.404に対 たい してアメリカ陸海 りくかい 軍 ぐん は大 おお いなる期待 きたい を寄 よ せ、イギリスがHS.404の導入 どうにゅう とライセンス生産 せいさん を計画 けいかく していることもこれを後押 あとお しした。同 おな じくフランス製 せい の航空 こうくう 機関 きかん 砲 ほう であるホチキス 社 しゃ 製 せい の25mm機関 きかん 砲 ほう にもアメリカ軍 ぐん の注目 ちゅうもく が向 む けられていたが、こちらの試験 しけん 購入 こうにゅう はフランス側 がわ より「機密 きみつ 兵器 へいき である」として拒否 きょひ されたため、HS.404が選定 せんてい され、同年 どうねん 7月 がつ には弾薬 だんやく を含 ふく めた試験 しけん 購入 こうにゅう の契約 けいやく が締結 ていけつ された。1936年 ねん にイスパノ・スイザ社 しゃ がフランス政府 せいふ に半 なか ば強制 きょうせい 的 てき に国有 こくゆう 化 か されたことの影響 えいきょう や、フランス国内 こくない での事前 じぜん 検査 けんさ の遅延 ちえん によって引 ひ き渡 わた しが遅 おく れたものの、1938年 ねん 2月 がつ には試験 しけん 購入 こうにゅう したものがアメリカに到着 とうちゃく して採用 さいよう 審査 しんさ が行 おこな われた。
審査 しんさ の結果 けっか 採用 さいよう と導入 どうにゅう はほぼ決定 けってい したものの、製造 せいぞう 権 けん 料 りょう その他 た の問題 もんだい でイスパノ・スイザ社 しゃ とアメリカ陸海 りくかい 軍 ぐん の間 あいだ でなかなか折 お り合 あ いがつかず、交渉 こうしょう は1939年 ねん を通 とお して行 おこな われ、同年 どうねん 12月 がつ にようやく最終 さいしゅう 的 てき な契約 けいやく が締結 ていけつ され、1940年 ねん 1月 がつ 、現時点 げんじてん での製造元 せいぞうもと であり、イスパノ・スイザ社 しゃ を国有 こくゆう 化 か したフランスの企業 きぎょう である「LaSociétéd'exploitation desmatériels」との契約 けいやく も成立 せいりつ 、同年 どうねん 2月 がつ および4月 がつ には最初 さいしょ の国外 こくがい 生産 せいさん 分 ぶん と弾薬 だんやく がアメリカに到着 とうちゃく 、実用 じつよう 試験 しけん が開始 かいし された。4月にはアメリカ海軍 かいぐん からライセンス契約 けいやく の費用 ひよう を半額 はんがく 負担 ふたん することが申 もう し出 で され、海軍 かいぐん での採用 さいよう も決定 けってい した。1940年 ねん 4月 がつ 29日 にち には陸軍 りくぐん への採用 さいよう が発表 はっぴょう され、アメリカ国内 こくない でのライセンス生産 せいさん を実際 じっさい に担当 たんとう する企業 きぎょう の選定 せんてい も始 はじ まり、競争 きょうそう 入札 にゅうさつ の結果 けっか 同年 どうねん 9月 がつ にはベンディックス社 しゃ (Bendix Aviation Corporation)に決定 けってい した。同社 どうしゃ では直 ただ ちに製造 せいぞう ラインを構築 こうちく して生産 せいさん に入 はい り、同年 どうねん 末 まつ には製造 せいぞう が開始 かいし された。なお、この際 さい に時間 じかん の短縮 たんしゅく のためにフランス製 せい の図面 ずめん がそのまま導入 どうにゅう され、これが後 のち に重大 じゅうだい な問題 もんだい を引 ひ き起 お こすこととなる。
アメリカ製 せい HS.404はまずは1941年 ねん 5月には陸軍 りくぐん 航空 こうくう 隊 たい に“Gun,Automatic,20 mm,M1 ”の制式 せいしき 名称 めいしょう で採用 さいよう された[ 注 ちゅう 5] 。なお、この時点 じてん では海軍 かいぐん はM1を14門 もん 引 ひ き渡 わた されだけに留 と まり、F2A戦闘 せんとう 機 き に搭載 とうさい して試験 しけん を行 おこな ったのみで、M1の海軍 かいぐん での運 うん 用例 ようれい はこれのみである。
M1は1941年 ねん 内 ない には「要求 ようきゅう されている生産 せいさん 数 すう は1社 しゃ のみでは達成 たっせい できない」としてベンディックス社 しゃ 以外 いがい にも生産 せいさん が委託 いたく されることになり、複数 ふくすう の軍需 ぐんじゅ 企業 きぎょう により、弾薬 だんやく の製造 せいぞう を含 ふく む大 だい 規模 きぼ な製造 せいぞう 体制 たいせい が構築 こうちく された。同時 どうじ に、イギリスにおいて装弾 そうだん 方式 ほうしき をドラム型 がた 弾倉 だんそう のみからベルト給 きゅう 弾 だん 式 しき に変更 へんこう し、“モーターカノン”方式 ほうしき を前提 ぜんてい としていた機体 きたい への装備 そうび 方法 ほうほう を主翼 しゅよく や胴体 どうたい に直接 ちょくせつ マウントできるように変更 へんこう した設計 せっけい とした改良 かいりょう 型 がた であるイスパノ Mk.IIが開発 かいはつ されたことから、アメリカにおいてもこの改良 かいりょう 型 がた に製造 せいぞう を切 き り替 か えることが決定 けってい され、"T9 "の名称 めいしょう でアメリカで独自 どくじ に開発 かいはつ されたベルト給 きゅう 弾 だん 機構 きこう を使用 しよう 可能 かのう とした改修 かいしゅう 型 がた の開発 かいはつ が進 すす められ、M1の生産 せいさん が終了 しゅうりょう していないにもかかわらず生産 せいさん ラインの切 き り替 か えが準備 じゅんび されている。
諸処 しょしょ の問題 もんだい はあったにせよ、M1は1942年 ねん には大量 たいりょう 生産 せいさん が軌道 きどう に乗 の っており、製造 せいぞう されたものが順次 じゅんじ 納入 のうにゅう されて配備 はいび されていたが、アメリカではイギリスにおいて問題 もんだい となった薬莢 やっきょう の貼 は り付 つ きと圧縮 あっしゅく の問題 もんだい を認識 にんしき していなかったこと、アメリカ軍 ぐん においては“大砲 たいほう ”に分類 ぶんるい して製造 せいぞう 公差 こうさ を決定 けってい した[ 3] [ 注 ちゅう 6] こと、更 さら にはメ め ートル法 とるほう で作図 さくず されていたフランス製 せい の図面 ずめん の数値 すうち をアメリカにおいてヤード・ポンド法 ほう に変換 へんかん したもの、それも生産 せいさん 開始 かいし を急 いそ ぐために急遽 きゅうきょ 作図 さくず したものが配布 はいふ されたことから、構造 こうぞう 的 てき 欠陥 けっかん が是正 ぜせい されていない上 うえ に部品 ぶひん の精度 せいど に問題 もんだい が生 しょう じ[ 注 ちゅう 7] 、製造 せいぞう されたM1は信頼 しんらい 性 せい に乏 とぼ しく、撃 げき 針 はり の打撃 だげき 力 りょく 不足 ふそく によって不発 ふはつ が多発 たはつ し、運用 うんよう 部隊 ぶたい からは「弾倉 だんそう への装填 そうてん 時 じ に弾薬 だんやく にグリスを多量 たりょう に塗布 とふ しなければ満足 まんぞく な作動 さどう が望 のぞ めない 」と評価 ひょうか される有様 ありさま だった。更 さら に、重量 じゅうりょう 軽減 けいげん のために空気圧 くうきあつ 式 しき の再 さい 装填 そうてん 装置 そうち を取 と り外 はず したため、飛行 ひこう 中 ちゅう に装弾 そうだん 不良 ふりょう や排 はい 莢 さいかち 不良 ふりょう が発生 はっせい すると回復 かいふく できない、という深刻 しんこく な問題 もんだい が生 しょう じた。また、20mm機関 きかん 砲 ほう は12.7mm機銃 きじゅう に対 たい して重 おも いため、翼 つばさ 内 ない 武装 ぶそう を12.7mmから20mmに変更 へんこう した機種 きしゅ では発砲 はっぽう 時 じ や高 こう 機動 きどう 時 じ の翼 つばさ のねじれが大 おお きくなり、命中 めいちゅう 精度 せいど が低下 ていか するという問題 もんだい が発生 はっせい した。
M1はイギリスへの供給 きょうきゅう が計画 けいかく されていたため、この不良 ふりょう 問題 もんだい を懸念 けねん したイギリスからは1942年 ねん 4月 がつ にイスパノ Mk.IIとその図面 ずめん (高 こう 精度 せいど のヤード・ポンド法 ほう 版 ばん )が提供 ていきょう された。これを受 う けて、前述 ぜんじゅつ の改良 かいりょう 型 がた であるT9の薬 くすり 室長 しつちょう を約 やく 1mm短縮 たんしゅく するなどした修正 しゅうせい を行 おこな うことで少 すこ しでも信頼 しんらい 性 せい を高 たか める努力 どりょく がなされ、T9に改修 かいしゅう を加 くわ えたものは陸海 りくかい 軍 ぐん 航空機 こうくうき の武装 ぶそう 統一 とういつ 計画 けいかく に伴 ともな い海軍 かいぐん にも導入 どうにゅう され、AN-M2 の統一 とういつ 制式 せいしき 番号 ばんごう が与 あた えられた[ 注 ちゅう 8] 。
M1で発生 はっせい した諸々 もろもろ の問題 もんだい は製造 せいぞう をAN-M2に切 き り替 か えた上 うえ でM1を回収 かいしゅう することで対処 たいしょ されたが、M1は既 すで に1942年 ねん 末 まつ の時点 じてん で機関 きかん 砲 ほう 本体 ほんたい を56,400基 き 余 あま り、弾薬 だんやく だけでも既 すで に4,000万 まん 発 はつ を製造 せいぞう しており、これが全 すべ て使用 しよう 不適 ふてき と見 み なされることになったのである。AN-M2の設計 せっけい も成功 せいこう とは言 い い難 がた く、不良 ふりょう 発生 はっせい 率 りつ は平均 へいきん して1,500発 はつ に1回 かい という高 たか いもので、更 さら にこの数値 すうち は砂塵 さじん の多 おお い環境 かんきょう では倍増 ばいぞう した[ 3] (ただし、これについては「整備 せいび マニュアルの不備 ふび 、および実際 じっさい の整備 せいび 体制 たいせい に大 おお きな問題 もんだい があった 」との考察 こうさつ もある)。結局 けっきょく 、AN-M2も1944年 ねん 2月 がつ には生産 せいさん が中止 ちゅうし され、アメリカ製 せい HS.404における不発 ふはつ と装弾 そうだん 不良 ふりょう の多発 たはつ の問題 もんだい は第 だい 2次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん 中 ちゅう には最後 さいご まで解消 かいしょう されることはなく、イギリスへの供給 きょうきゅう も断念 だんねん された。
B-29 の尾 お 部 ぶ 銃座 じゅうざ に搭載 とうさい されているAN-M2(3つある銃身 じゅうしん のうち上 じょう のものがAN-M2)
M1およびAN-M2は第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん 中 ちゅう に合 あ わせて134,663基 き が製造 せいぞう されているが、従来 じゅうらい の.50口径 こうけい 航空 こうくう 機銃 きじゅう から全面 ぜんめん 的 てき に切 き り替 か えられることはなく、第 だい 2次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん 中 ちゅう に実戦 じっせん 投入 とうにゅう された機体 きたい の搭載 とうさい 機銃 きじゅう としては、陸軍 りくぐん 航空 こうくう 隊 たい ではP-38 ライトニング [ 注 ちゅう 9] 、P-39 エアラコブラ の外国 がいこく 向 む け供与 きょうよ 型 がた およびP-61 夜間 やかん 戦闘 せんとう 機 き の他 ほか にはP-51 の試作 しさく 型 がた (NA-91)など数 すう 種 しゅ の試作 しさく 機 き に搭載 とうさい されたのみで、海軍 かいぐん /海兵 かいへい 隊 たい 航空 こうくう 隊 たい でもF6F やF4U の一部 いちぶ に対 たい 爆撃 ばくげき 機 き 用 よう や対地 たいち 攻撃 こうげき 任務 にんむ 用 よう の武装 ぶそう 変更 へんこう 型 がた として搭載 とうさい されたにすぎなかった。B-29 爆 ばく 撃 げき 機 き の防御 ぼうぎょ 武装 ぶそう としても搭載 とうさい されたが、不具合 ふぐあい が多 おお い上 うえ に有用 ゆうよう 性 せい が低 ひく いとされ、多 おお くの機体 きたい で運用 うんよう 開始 かいし 後 ご 順次 じゅんじ 撤去 てっきょ されている。
アメリカ海軍 かいぐん では1943年 ねん にはイギリスのイスパノ Mk.Vに倣 なら ってAN-M2の銃身 じゅうしん を短縮 たんしゅく し、リコイルスプリングの位置 いち を変更 へんこう して改良 かいりょう したものを開発 かいはつ し、これは最終 さいしゅう 的 てき にはT31 として完成 かんせい した。T31は1945年 ねん 5月 までに約 やく 32,346基 き がM1およびAN-M2より改修 かいしゅう されたが[ 3] 、やはり信頼 しんらい 性 せい の問題 もんだい は続 つづ いた。T31のうち新造 しんぞう されたものにはAN-M3 の制式 せいしき 名称 めいしょう が与 あた えられ、この名称 めいしょう は既存 きそん のT31にも適用 てきよう された[ 3] 。
戦争 せんそう が終結 しゅうけつ した後 のち の1945年 ねん 12月 の段階 だんかい でもAN 20mm機関 きかん 砲 ほう の改良 かいりょう 計画 けいかく は陸軍 りくぐん 長官 ちょうかん の承認 しょうにん のもとに続 つづ けられており、最終 さいしゅう 的 てき にアメリカ製 せい HS.404であるGun,Automatic,20 mmシリーズの信頼 しんらい 性 せい 問題 もんだい は、アメリカ陸軍 りくぐん 航空 こうくう 隊 たい 向 む けでは電動 でんどう 式 しき 再 さい 装填 そうてん 装置 そうち を追加 ついか 、薬 くすり 室 しつ の設計 せっけい を変更 へんこう したM24 (1947年 ねん のアメリカ空軍 くうぐん 発足 ほっそく に伴 ともな って制式 せいしき 番号 ばんごう が変更 へんこう されている)が、アメリカ海軍 かいぐん 向 む けではAM-N3の改良 かいりょう 型 がた であるMk-12 が開発 かいはつ されるまで解決 かいけつ しなかった[ 注 ちゅう 10] 。なお、Mk-12では発射 はっしゃ 速度 そくど は毎 まい 分 ぶん 1,000発 はつ に向上 こうじょう しており、弾薬 だんやく も独自 どくじ の20×110mm USN弾 だん (英語 えいご 版 ばん ) (20×110mm MK-100 series)を使用 しよう している[ 注 ちゅう 11] 。
AN-M2/3およびM24、そしてMk-12は第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん 後 ご にジェット機 じぇっとき が主流 しゅりゅう になった後 のち もアメリカ海 うみ 空軍 くうぐん で航空機 こうくうき 搭載 とうさい 機銃 きじゅう として使 つか われ続 つづ けたが、やはりリヴォルヴァーカノン (ポンティアック M39 )、そしてモーターガトリング砲 ほう (M61 バルカン )の開発 かいはつ とそれらを搭載 とうさい した航空機 こうくうき の導入 どうにゅう により、航空機 こうくうき 搭載 とうさい 機銃 きじゅう としては主流 しゅりゅう の座 ざ を退 しりぞ いた。
航空 こうくう 機関 きかん 砲 ほう としての運用 うんよう を終 お えたのち、アメリカ海軍 かいぐん では本 ほん 砲 ほう をエリコン 20 mm 機関 きかん 砲 ほう の後継 こうけい として艦載 かんさい 化 か し、AN-M3はMk 16 mod 4、M24はmod 5と改称 かいしょう された。海軍 かいぐん での運用 うんよう は1980年代 ねんだい までにおおむね終了 しゅうりょう したが、アメリカ沿岸 えんがん 警備 けいび 隊 たい では2022年 ねん 現在 げんざい でも一部 いちぶ で用 もち いられている。
イスパノ・スイザ HS.404をM45機関 きかん 銃 じゅう 架 か に搭載 とうさい したTCM-20対空 たいくう 機関 きかん 砲 ほう
第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん 時 じ のアメリカ合衆国 あめりかがっしゅうこく で、4挺 てい のM2重 じゅう 機関 きかん 銃 じゅう を装備 そうび したM45機関 きかん 銃 じゅう 架 か が開発 かいはつ され、車載 しゃさい 用途 ようと などで運用 うんよう された。第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん 後 ご 、イスラエル国防 こくぼう 軍 ぐん はM45機関 きかん 銃 じゅう 架 か のM2重 じゅう 機関 きかん 銃 じゅう を、2挺 てい のイスパノ・スイザHS.404に換 かわ 装 そう した2連装 れんそう の対空 たいくう 機関 きかん 砲 ほう としてTCM-20対空 たいくう 機関 きかん 砲 ほう を開発 かいはつ した[ 6] 。TCM-20はM3ハーフトラックやBTR-152 装甲車 そうこうしゃ に搭載 とうさい されて使用 しよう された。また自 じ 走 はし 型 がた 以外 いがい にも右 みぎ 写真 しゃしん のように地上 ちじょう 据置 すえおき で使用 しよう されたり、1軸 じく 2輪 りん のトレーラー に積載 せきさい して小型 こがた トラックで牽引 けんいん 可能 かのう としたものも見 み られた。1973年 ねん に発生 はっせい した第 だい 四 よん 次 じ 中東 ちゅうとう 戦争 せんそう でも、旧式 きゅうしき 兵器 へいき でありながら26機 き を撃墜 げきつい する活躍 かつやく を見 み せた。
TCM-20はイスラエル国防 こくぼう 軍 ぐん で余剰 よじょう 化 か した後 のち 、一部 いちぶ は南 みなみ レバノン軍 ぐん に供与 きょうよ されたほか、中南米 ちゅうなんべい やアフリカ諸国 しょこく に輸出 ゆしゅつ された[ 6] 。チリ陸軍 りくぐん では6x6のピラーニャ 装 そう 輪 わ 装甲車 そうこうしゃ にTCM-20を搭載 とうさい した自 じ 走 はし 対空 たいくう 車両 しゃりょう を保有 ほゆう している[ 7] 。
M1/M2[ 8]
AN-M3[ 9]
AN-M3 (T31)[ 10]
口径 こうけい
20mm
全長 ぜんちょう
93.7in (238cm)
77.7in (197.36cm)
77.75in (197.49cm)
砲身 ほうしん 長 ちょう
67.5in (171.45cm)
52.5in (133.35cm)
総 そう 重量 じゅうりょう
102lbs (46.27kg)
99.5lbs (45.13kg)
砲身 ほうしん 重量 じゅうりょう
47.5lbs (21.55kg)
26.2lbs (11.88kg)[ 注 ちゅう 12]
砲 ほう 口 こう 初速 しょそく
2,850fps (869m/s) ※HE-I 2,950fps (899m/s) ※AP-T
2,730fps (832m/s) ※HE-I
2,840fps (866m/s) ※HE-I 2,800fps (853m/s) ※AP-T
発射 はっしゃ 速度 そくど
600-700rpm
650-800rpm
750-850rpm
弾頭 だんとう 重量 じゅうりょう
HE-I M97:0.29lbs (131.54g)、AP-T M95:0.29lbs (131.54g)、AP-T M75:0.37lbs (167.83g)
弾薬 だんやく 総 そう 重量 じゅうりょう
HE-I M97:0.57lbs (258.55g)、AP-T M95:0.57lbs (258.55g)、AP-T M75:0.64lbs (290.30g)
搭載 とうさい 機 き
A-1 、A-3 、A2D 、B-29 、B-36 、B-47 、B-66 、SB2C F3D 、F6F 、F8F 、F9F 、F4U 、F2H 、F6U 、F7U 、F-89 、P-38 、P-39 、P-61
^ 原語 げんご のスペイン およびフランス語 ふらんすご では語頭 ごとう の「H」を発音 はつおん しないため、"Hispano"の日本語 にほんご 表記 ひょうき は“イスパノ”とするのが原音 げんおん に忠実 ちゅうじつ であるが、イギリスやアメリカなど英語 えいご 圏 けん では英語 えいご 読 よ みで語頭 ごとう のHが発音 はつおん され、日本 にっぽん でも“ヒスパノ”と表記 ひょうき されている例 れい が多々 たた ある。特 とく にイギリスがライセンス生産 せいさん したモデルは“ヒスパノ”とされることが多 おお い。
^ この方式 ほうしき は機首 きしゅ に武装 ぶそう を搭載 とうさい するにも関 かか わらず同調 どうちょう 装置 そうち を必要 ひつよう とせず、発砲 はっぽう 反動 はんどう をエンジンブロック全体 ぜんたい で受 う け止 と めることができるため、大 だい 口径 こうけい 機銃 きじゅう を比較的 ひかくてき 小型 こがた の単発 たんぱつ 機 き に安定 あんてい して搭載 とうさい することが可能 かのう となった。“モーターカノン”方式 ほうしき の武装 ぶそう を持 も つ戦闘 せんとう 機 き は第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん の勃発 ぼっぱつ 前 まえ からフランスで採用 さいよう され、フランス以外 いがい でも注目 ちゅうもく を集 あつ めた。日本 にっぽん でも1935年 ねん (昭和 しょうわ 10年 ねん )に研究 けんきゅう 用 よう としてドボワチン D.510 とともにモーターカノンをフランスから輸入 ゆにゅう している。
^ この「薬莢 やっきょう の張 は り付 つ きを防止 ぼうし するために薬 くすり 室 しつ 内壁 ないへき に溝 みぞ を設 もう ける」構造 こうぞう は“フルーテッドチャンバー(Fluted Chamber)”と呼 よ ばれる。
^ 当時 とうじ の正式 せいしき な社名 しゃめい は「Dansk Industri Syndikat A/S」で、“マドセン(社) しゃだんほうじん ”はこの時代 じだい にはブランド名 めい もしくは通称 つうしょう である。
^ なお、M1は書籍 しょせき 等 とう によっては“AN-M1”の名称 めいしょう で記載 きさい されていることがあるが、M1開発 かいはつ の段階 だんかい では陸軍 りくぐん 航空 こうくう 隊 たい にのみ採用 さいよう されているため、「陸海 りくかい 軍 ぐん (統一 とういつ )」を意味 いみ する"AN"の接頭 せっとう 記号 きごう (後述 こうじゅつ )はつけられていない。このアメリカ製 せい HS.404、"Gun,Automatic,20 mm"シリーズにおいて、"AN-M1"の統一 とういつ 形式 けいしき 番号 ばんごう は、装弾 そうだん システム(Mechanism, Feed, 20-mm, AN-M1)や電磁 でんじ 式 しき 撃 げき 発 はつ 機構 きこう (Electric Trigger, AN-M1)といった付随 ふずい 装備 そうび にのみ用 もち いられている。
^ これはアメリカ軍 ぐん においては口径 こうけい 0.60インチ(15.24mm)より口径 こうけい の大 おお きなものは「砲 ほう 」として分類 ぶんるい されるためである。砲 ほう の製造 せいぞう 公差 こうさ は「銃 じゅう 」よりは緩 ゆる く規定 きてい されていた。
^ アメリカにおいて製造 せいぞう されたHS.404シリーズには、MG42機関 きかん 銃 じゅう のアメリカ製 せい コピーであるT24 やMG 151 機関 きかん 砲 ほう のコピーであるT17 と並 なら んで「メ め ートル法 とるほう で作図 さくず されていた設計 せっけい 図 ず をヤード・ポンド法 ほう に修正 しゅうせい して設計 せっけい 図 ず を描 えが き直 なお したために部品 ぶひん の精度 せいど に問題 もんだい が生 しょう じ、コピーに失敗 しっぱい した 」と解説 かいせつ されていることがある。しかし、本 ほん 砲 ほう も含 ふく め、それらの説 せつ はいずれも別 べつ の複数 ふくすう の要因 よういん でアメリカにおける製造 せいぞう が失敗 しっぱい したことの誤認 ごにん もしくは誤解 ごかい に由来 ゆらい するもので、本 ほん 砲 ほう においても“作図 さくず の際 さい に単位 たんい の換算 かんさん を誤 あやま った”ことのみが失敗 しっぱい の原因 げんいん ではない。
^ AN-M*の“AN”とは"Army & Navy"の略 りゃく で、「陸海 りくかい 軍 ぐん (統一 とういつ )」を意味 いみ する。
^ なお、P-38では再 さい 装填 そうてん 装置 そうち が機体 きたい 側 がわ の装備 そうび として備 そな えられていたため、他 た の機種 きしゅ に搭載 とうさい されたものに比 くら べて飛行 ひこう 中 ちゅう に不具合 ふぐあい の対処 たいしょ が可能 かのう で、信頼 しんらい 性 せい が高 たか かった。
^ ただし、MK-12もF-8 クルセイダー 艦上 かんじょう 戦闘 せんとう 機 き に搭載 とうさい されてベトナム戦争 せんそう で用 もち いられた際 さい には「信頼 しんらい 性 せい に難 なん がある 」との評価 ひょうか が出 だ されている。
^ HS.404系列 けいれつ とは弾薬 だんやく の互換 ごかん 性 せい はない。
^ AN-M3 (T-31):26.1875lbs (11.8785kg)
Chinn, George M. (1951), The Machine Gun: History Evolution and Development of Manual, Automatic, and Airborne Repeating Weapons , I , Bureau of Ordnance , http://www.ibiblio.org/hyperwar/USN/ref/MG/I/index.html
Williams, Anthony G. (2022), Autocannon : A History of Automatic Cannon and Ammunition , Crowood Press, ISBN 978-1785009204
War Department (November 19, 1942), Technical Manual TM 9-227 20mm M1 Automatic Gun & 20mm AN-M2 Automatic Gun , https://archive.org/details/20mmautomaticgun00unit - アメリカ軍 ぐん の作成 さくせい したM1およびAN-M2のマニュアル