昭和 天皇 崩御
概要
1989
その
大行天皇 崩御 に際 しての竹下 内閣 総理 大臣 の謹話 [1]
大行天皇 崩御 の悲報 に接 し、誠 に哀 痛 の極 みであります。御 快癒 への切 なる願 いもむなしく、申 し上 げるべきことばもありません。
天皇 皇后 両 陛下 、皇太后 陛下 を始 め皇族 各 殿下 、御 近親 の方々 のお悲 しみはいかばかりかと、お察 しするに余 りあります。
大行天皇 におかせられましては、御 年 二 十 歳 で摂政 に御 就任 、御 年 二 十 五 歳 で皇位 を御 継承 になり、その御 在位 は六 十 二 年 の長 きにわたらせられました。顧 みれば、昭和 の時代 は、世界 的 な大 恐慌 に始 まり、悲 しむべき大戦 の惨禍 、混乱 と窮乏 極 まりなき廃 墟 からの復興 と真 の独立 、比類 なき経済 の成長 と国際 国家 への発展 と、正 に激動 の時代 でありました。この
間 、大行天皇 には、世界 の平和 と国民 の幸福 とをひたすら御 祈念 され、日々 実践 してこられました。お 躬行 心 ならずも勃 発 した先 の大戦 において、戦禍 に苦 しむ国民 の姿 を見 るに忍 びずとの御 決意 から、御 一身 を顧 みることなく戦争 終結 の御 英断 を下 されたのでありますが、このことは、戦後 全国 各地 を御 巡幸 になり、廃 墟 にあってなすを 術 知 らなかった国民 を慰 め、祖国 復興 の勇気 を奮 いたせて下 さったお姿 とともに、今 なお国民 の心 に深 く刻 み込 まれております。
爾 来 、我 が国 は、日本国 憲法 の下 、平和 と民主 主義 の実現 を目指 し、国民 のたゆまぬ努力 によって目 ざましい発展 を遂 げ、国際 社会 において重 きをなすに至 りました。これもひとえに、
日本 国 の象徴 であり、国民 統合 の象徴 としてのその御 存在 があったればこそとの感 を一入 強 く抱 くものであります。
大行天皇 の仁慈 の御 心 、公平 無私 かつ真 摯 誠実 なお姿 に接 して感銘 を受 けなかった者 はありません。その御 聖徳 は、永久 に語 り継 がれ、人々 の心 の中 に生 き続 けるものと確信 いたします。
新 陛下 におかせられましては、この清 きかき 明 御 心 を継承 しつつ、国民 とともに歩 む皇室 を念願 され、既 に、これまでも内外 各 分野 において種々 お努 めいただいているところであります。この度 の御 即位 により、皇室 と国民 とを結 ぶ敬愛 と信頼 のが、 絆 益々 強 く揺 るぎないものとなるとともに、諸 外国 との友好 親善 も更 に深 まることを念願 してやまない次第 であります。
癒 すのない 術 悲 しみを胸 に、ここに、国民 とともに、衷心 より哀悼 の意 を表 するものであります。
殯宮 移 御 後 一 日 祭 の儀 (平成 元年 1月 20日 )
明仁 謹 んで
御 父 大行天皇 の御霊 に申 し上 げます。
崩御 あそばされた後 も、優 しく厳 かなお姿 はまなかいに甦 り、慈 しみ深 いお声 は心耳 に響 いて、ひとときも忘 れることができません。
幽明 を隔 てて、哀 慕の情 はいよいよ切 なるものがあります。
ここに、正殿 を以って殯宮 に充 て、霊柩 をお遷 しして、心 からお祭 り申 し上 げます。
1989
追号 奉告 の儀 (平成 元年 1月 31日 )
明仁 謹 んで
御 父 大行天皇 の御霊 に申 し上 げます。
大行天皇 には、御 即位 にあたり、国民 の安寧 と世界 の平和 を祈念 されて昭和 と改元 され、爾来 、皇位 におわしますこと六 十 有余 年 、ひたすらその実現 に御 心 をお尽 くしになりました。
ここに、追号 して昭和 天皇 と申 し上 げます。
「崩御 」前後
記帳
1988
市民 の動 き
- 「
自粛 」ムード - 1988
年 (昭和 63年 )9月19日 の吐血 直後 から昭和 天皇 の闘病 中 にかけ、歌舞 音曲 を伴 う派手 な行事 ・イベントが自粛 (中止 または規模 縮小 )された。自粛 の動 きは大 規模 なイベントだけでなく、個人 の生活 (結婚式 などの祝宴 )にも波及 した[4]。具体 的 な行動 としては以下 のようなものが行 われ、「自粛 」は同年 の世相 語 となった[5]。このほか、目立 つような物価 の上昇 (インフレーション)は見 られなかった。- プロ
野球 優勝 イベントの自粛 京都 国体 にて、花火 の打 ち上 げを自粛 [9]。自衛隊 観閲 式 ・自衛隊 音楽 祭 など自衛隊 行事 を中止 [10][注釈 5]。各国 大使館 ・在 日米 軍 基地 にて、イベントの自粛 ・規模 縮小 [11]。広告 演出 の自粛 。- テレビ
番組 放送 ・演出 の自粛 派手 なバラエティ番組 を、映画 や旅行 番組 に差 し替 え[12]。- ギャグ
作品 であったテレビアニメ『ついでにとんちんかん』(フジテレビ)の1988年 9月 24日 放送 予定 だった第 42話 の放送 が中止 され、翌週 の10月 1日 放送 分 をもって打 ち切 りとなった。 - 2023
年 現在 でも制作 ・放送 されているテレビアニメ『それいけ!アンパンマン』(日本 テレビ)は自粛 ムードの最中 に放送 開始 (1988年 10月 3日 )となったため、新 番組 の告知 やイベントが余 り出来 ないまま、番組 がスタートする事態 になった[13]。 ロ ート製薬 一 社 提供 番組 (TBS『クイズダービー』、MBS『ひらめきパスワード』、KTV『愛 ラブ!爆笑 クリニック』[14])の冒頭 に放送 されるオープニングキャッチを当分 の間 (1988年 10月 から翌年 1月 の崩御 後 までの間 )自粛 [15]。- フジテレビの
昼 番組 『笑 っていいとも!』では、1988年 10月 から1989年 1月 までオープニングテーマ『ウキウキWATCHING』が自粛 、同時 に曜日 レギュラー紹介 などのOPも中断 され、いきなり「テレフォンショッキング」となった。 - フジテレビの
番組 対抗 期首 特番 『なるほど!ザ・春 (秋 )の祭典 スペシャル』の1988年 10月 3日 放送 分 は、『祭典 』を抜 かした『なるほど!ザ・秋 の祭典 スペシャル』にタイトル変更 。 在京 キー局 主催 (TBS独占 中継 の『日本 レコード大賞 』は除 く)歌謡 祭 番組 (当時 は『レコ大 』同様 のランキング形式 )の内 、(TBS除 く)各局 持 ち回 りの『日本 歌謡 大賞 』、日本 テレビ主催 の『日本 テレビ音楽 祭 』、テレビ朝日 主催 の『全日本 歌謡 音楽 祭 』の計 3本 が「自粛 」により中止 された。なお『第 30回 日本 レコード大賞 』と、フジテレビ主催 の『FNS歌謡 祭 』は通常 通 り放送 [注釈 6]、またテレビ東京 主催 の『メガロポリス歌謡 祭 』は放送 が同年 7月 1日 と、自粛 期間 ではなかったために通常 放送 された。同年 の『第 39回 NHK紅白 歌合戦 』についても中止 になるかと懸念 されていたが開催 された。しかし、結果 的 にこれが昭和 最後 の『NHK紅白 歌合戦 』となった。
百貨店 でのディスプレイを地味 なものに変更 [4]。神社 における祭 りを中心 とした、伝統 行事 の中止 ・規模 縮小 [4]。地域 イベントや商業 イベントでの「○○フェスティバル」「○○まつり」の自粛 ・名称 変更 [4]。幼稚園 や学校 の行事 自粛 [注釈 7]。年賀状 での「賀 」「寿 」「おめでとう」など、賀詞 の使用 自粛 [注釈 8]。- テレビ
番組 も同様 に、冒頭 「明 けましておめでとうございます」などの賀詞 が自粛 された[注釈 9]
- テレビ
- プロ
服喪 崩御 後 、竹下 改造 内 閣 (竹下 登 首相 )の閣議 決定 により崩御 当日 を含 め自治体 には6日間 ・民間 には2日間 弔意 を示 すよう協力 が要望 された[18]。その結果 、各地 での弔旗 掲揚 などの服喪 以外 に、以下 のようなスポーツ・歌舞 音曲 を伴 う行事 などの自粛 が行 われた。全 テレビ局 ・ラジオ局 でニュースおよび追悼 特番 のみの特別 放送 体制 (崩御 から2日間 、NHK教育 テレビ・衛星 第 1テレビ・NHKラジオ第 2放送 を除 く)。崩御 後 のTVCM放送 の大量 自粛 (崩御 から2日間 は完全 に自粛 、その後 はテレビ局 や番組 提供 のスポンサーが独自 に判断 、『水戸黄門 』(TBS)のようにアイキャッチが出 たままCMへ移行 せず音楽 のみが流 れた例 がある)。その穴埋 めとして公共 広告 機構 (現 ACジャパン)のCMが放送 された。ちなみに、同様 の事例 は1995年 (平成 7年 )1月 17日 に発生 した阪神 ・淡路 大震災 、2011年 (平成 23年 )3月11日 に発生 した東北 地方 太平洋 沖 地震 (東日本 大震災 )、2016年 (平成 28年 )4月 14日 に発生 した熊本 地震 でも起 きている。大相撲 初場所 の開催 延期 (初日 を1日 延期 して1月 9日 から)。昭和 64年度 の全国 高校 ラグビー大会 決勝 中止 (大阪 府 ・大阪工業大学 高等 学校 と茨城 県 ・茗溪学園 高等 学校 の両校 優勝 )。昭和 64年度 の全国 高校 サッカー選手権 が2日間 順延 。第 一 回 中山 競馬 および京都 競馬 の開催 順延 (1月 13日 - 16日 に開催 )。- 1989
年 (平成 元年 )1月 8日 のラジオ体操 の中止 。 各地 で1月 8日 の公演 (コンサート・演劇 ・寄席 など)を中止 ・延期 、「めでたい」内容 の変更 [21]。- 1
月 7日 - 1月 8日 は企業 ・商店 ・レジャー施設 が臨時 休業 や店内 放送 の自粛 。証券 取引 所 も株式 などの取引 が停止 された[22]。 - 1
月 7日 - 1月 8日 のJR各社 の払 い戻 し手数料 を無料 化 。 - 1
月 15日 の成人 式 にて、装飾 を地味 にしたり派手 なイベントを自粛 [23]
- その
後 も自粛 の動 き自体 は続 いた。テレビ番組 では歌舞 音曲 を控 えることからベストサウンドが再 放送 などで差 し替 えられるなどの影響 が出 た。 - この
後 、2月 24日 の大喪 の礼 では、再 び企業 ・商店 ・レジャー施設 が臨時 休業 した[24]。民間 での自粛 ・服喪 の動 きはこれをもって終息 に向 かった。 - 「
殉死 」 昭和 天皇 の崩御 後 は、確認 されているだけで数 名 の後追 い自殺 者 (殉死 )が出 た。崩御 と同日 に和歌山 県 で87歳 の男性 が[25]、茨城 県 でも元 海軍 少尉 の76歳 の男性 が[26]それぞれ自殺 した。1月12日 には福岡 県 で38歳 の男性 が割腹 自殺 を遂 げ[27]、3月3日 にも東京 都 で元 陸軍 中尉 の66歳 の男性 が自殺 している[28]。このように一部 の自殺 者 が出 た反面 、同年 の自殺 者 総数 が増加 するといった動向 にはなっていない。
マスメディア報道
1988
1989年 1月 7日 ・8日 およびそれ以後 のマスメディアの動 き
NHKでは、1989
7
1989
7
「
放送 局 開始 時刻 終了 時刻 総 放送 時間 NHK 総合 1 月 7日 5:241 月 9日 0:3538 時 間 34分 日本 テレビ1 月 7日 5:411 月 9日 1:0041 時 間 04分 TBSテレビ 1 月 7日 5:251 月 9日 2:2942 時 間 35分 フジテレビ 1 月 7日 5:281 月 9日 2:0042 時 間 04分 テレビ朝日 1 月 7日 5:281 月 9日 0:3040 時 間 35分 テレビ東京 1 月 7日 5:361 月 9日 0:3040 時 間 35分
脚注
注釈
- ^
代数 は皇統 譜 による。 - ^
崩御 の際 、御座所 には長男 ・次男 夫妻 の皇太子 明仁 親王 ・同妃 美智子 、常陸宮 正 仁 親王 ・同妃 華子 及 び竹下 登 内閣 総理 大臣 が詰 めていたとされる。 - ^ なお、NHKの
記者 であった橋本 大二郎 (後 に高知 県 知事 などを歴任 )も、当時 の藤森 昭一 宮内庁 長官 や高木 顯 皇室 医務 主管 (兼 侍医 長 )が発表 した経緯 から、「多 臓器 不全 の状態 だったのではないか」と語 っている。また、「腫瘍 の原発 部位 が十二指腸 なのか膵臓 なのかが分 からなかったようだ」とも語 っている。 - ^
大行天皇 (たいこうてんのう)とは、皇位 継承 が起 き即位 した新 天皇 と区別 するため、追号 されるまでの崩御 した先代 の天皇 に対 する呼称 。 - ^
全国 の地方 部隊 にも、行事 の中止 ・派手 なイベントの自粛 を通達 している。 - ^ ただし
会場 は、当時 開催 を行 っていた日本武道館 から、フジテレビ第 6スタジオに変更 。 - ^
文化 祭 (学園 祭 ・大学 祭 )を中止 したのは大妻女子大学 (校舎 が皇居 近 くにあるため)、防衛医科大 学校 (防衛庁 からの行事 自粛 通知 )[16]。 - ^
代 わりに「謹迎新年 」「清 嘉 新春 」が使用 された[17]。 - ^
当時 の恒例 特番 『新春 スターかくし芸 大会 』(フジテレビ)では、テーマ曲 『一 月 一 日 』は歌 を歌 わず、「内容 変更 」(東西 対抗 から紅白 対抗 に)のナレーションに変更 、また『輝 け!!人気 スターチーム対抗 大 合戦 !』(日本 テレビ)では、挨拶 が「新年 、いかがお過 ごしでしょうか」「お雑煮 、食 べましたか」にへ変更 された。ただし一部 自粛 しない番組 もあった(フジテレビ『オールスター爆笑 ものまね紅白 歌合戦 !!』など)。 - ^
日本 では癌 などの重 篤 な病名 を告知 するか否 かが医療 現場 で問題 となっている。 - ^
崩御 時 の新聞 号外 にこれらの断 り書 きが記 されている。『毎日新聞 』ほか。 - ^ 6
時 35分 からの宮内庁 会見 で宮尾 盤 次長 による危篤 発表 を受 けて、6時 36分 18秒 に緊急 放送 チャイムとともに「臨時 ニュース」と表示 され、全波 同時 放送 に切 り替 え。 - ^ 7
時 55分 からの宮内庁 会見 で藤森 昭一 長官 による崩御 発表 を受 けて、7時 57分 6秒 に緊急 放送 チャイムとともに黒地 に白 で「天皇陛下 崩御 」と表示 された。 - ^
緊急 放送 チャイムとともに「新 元号 決 まる」と表示 され、教育 テレビ・ラジオ第 2・衛星 第 2でも放送 される。 - ^
総合 テレビ・教育 テレビ・ラジオ第 1・ラジオ第 2・FM・衛星 第 1・衛星 第 2 - ^ 7
日 5時 24分 から6時 および7日 6時 36分 18秒 から8日 0時 5分 40秒 。7日 6時 から6時 36分 18秒 までのFMは通常 番組 『あさの音楽 散歩 』を放送 。 - ^ 1989
年 (昭和 64年 )1月 7日 のNHK朝 の『ニュース』(6時 36分 から10時 まで)の平均 視聴 率 は32.6%、大喪 の礼 の日 (2月 24日 )のNHK『ニューススペシャル・昭和 天皇 大喪 の日 』(8時 30分 から13時 10分 まで)の平均 視聴 率 は44.5%を記録 した(視聴 率 はビデオリサーチ調 べ、関東 地区 ・世帯 ・リアルタイム)。 - ^ 『
沖縄 タイムス』『琉球新報 』は昭和 天皇 の死 に際 して、沖縄 県民 の反 天皇 感情 から「崩御 」の文字 を使 うことは天皇 の神聖 視 と映 るため、反発 を招 くと判断 したため「ご逝去 」という表現 をした。また、日本 新聞 協会 加盟 の新聞 社 では前述 2紙 の他 に『苫小牧 民 報 』『日本海 新聞 』『長崎 新聞 』も「ご逝去 」として報道 した。 - ^
宮内庁 の正式 な発表 による7時 55分 の死去 を含 む。
出典
- ^ “
大行天皇 崩御 に際 しての竹下 内閣 総理 大臣 の謹話 (出典 :竹下 内閣 総理 大臣 演説 集 ,56−57頁 .)”. データベース「世界 と日本 」(代表 :田中 明彦 )日本 政治 ・国際 関係 データベース政策 研究 大学院 大学 ・東京大学 東洋 文化 研究所 (1989年 1月 7日 ). 2023年 4月 1日 閲覧 。 - ^ a b “
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年 9月 29日 朝日新聞 「陛下 ご闘病 で自粛 ムード派手 な服 もダメ市民 生活 にも広 がる」 - ^ 1988
年 12月31日 『読売新聞 』「'88社会 冷 えびえ流行 語 自粛 ムードもここまでにいたしとう…」 - ^ 1988
年 10月 08日 朝日新聞 「V竜 にナゴヤ酔 う興奮 と熱気 が街 包 む ビールかけ合 い中止 」 - ^ “
星野 竜 1988年 昭和 最後 の優勝 消 えた祝賀 ムード”.中日 スポーツ /東京 中日 スポーツ(2019年 4月 23日 作成 ). 2019年 5月 6日 閲覧 。 - ^ “「
自粛 ムード」で笑 いも消 えた。昭和 天皇 の健康 が悪化 した1988年 ”. ハフポスト日本 版 (2016年 8月 8日 作成 ). 2019年 4月 29日 閲覧 。 - ^ 1988
年 10月 15日 『朝日新聞 』「京都 国体 が開幕 陛下 ご闘病 中 の「自粛 」、最小限 にとどめ」 - ^ 1988
年 10月 18日 『朝日新聞 』「自衛隊 観閲 式 と自衛隊 音楽 祭 を中止 防衛庁 」 - ^ 1988
年 11月13日 『朝日新聞 』「米 ソも郷 に従 う横田 基地 とソ連 大使館 (自粛 の街 を歩 く)東京 」 - ^ 1988
年 9月 29日 『朝日新聞 』「番組 “自粛 ”に視聴 者 は複雑 (アングル・あんぐる)」 - ^
近藤 正 高 (2018年 10月 3日 ). “アンパンマン放送 30周年 ! 「まあ1年 続 けば……」と言 われたアニメが人気 爆発 したワケ”.週刊文春 . p. 1. 2023年 4月 23日 閲覧 。 - ^
同 番組 においてロ ート製薬 は前半 パートのみの提供 で、後半 は同社 以外 の複数 社 提供 であった。 - ^ ただし、1989
年 1月 2日 に放送 された『愛 ラブ!爆笑 クリニック正月 スペシャル』については同社 のオープニングキャッチが特別 的 に放送 された。 - ^ 1988
年 10月 06日 朝日新聞 「大学 祭 、天皇陛下 のご病状 配慮 の自粛 は少数 」 - ^ 1988
年 12月27日 『朝日新聞 』「印刷 業界 が見慣 れぬ年賀状 (自粛 の街 を歩 く)東京 」 - ^ 1989
年 1月 7日 『読売新聞 』「歌舞 音曲 控 えて協力 要請 を閣議 決定 /天皇陛下 崩御 」 - ^ “【
写真 ・図版 】昭和 天皇 逝去 で、派手 な色 の目立 つ看板 を覆 う広告 業者 =1989年 1月 7日 、東京 ・渋谷 ”.朝日新聞 (2016年 8月 8日 ). 2021年 5月 30日 閲覧 。 - ^ “【
写真 ・図版 】グリコの「走 る人 」の看板 や飲食 店 ネオンが消 え、服喪 の自粛 ムードが漂 う大阪 ・道頓堀 。いつもより薄暗 くなっていた=1989年 1月 7日 ”.朝日新聞 (2016年 8月 8日 ). 2021年 5月 30日 閲覧 。 - ^ 1989
年 1月 9日 『読売新聞 』「[SEE・SAW]昭和 天皇 “崩御 編成 ”に各局 苦心 音楽 会 中止 、舞台 は手直 し」 - ^ “【
写真 ・図版 】昭和 天皇 がお亡 くなりになって取引 が臨時 停止 し閑散 とした名古屋 証券 取引 所 =1989年 1月 7日 ”.朝日新聞 (2016年 8月 8日 ). 2021年 5月 30日 閲覧 。 - ^ 1989
年 1月 10日 『読売新聞 』「昭和 天皇 崩御 で戸惑 う各地 の成人 式 「晴 れ着 は?」など電話 殺到 」 - ^ “【
写真 ・図版 】大喪 の礼 の当日 、営業 自粛 を知 らせる札幌 市 の映画 館 の貼 り紙 とブラインドを下 ろしたチケット売 り場 =1989年 2月 24日 ”.朝日新聞 (2016年 8月 8日 ). 2021年 5月 30日 閲覧 。 - ^ 1989
年 1月 8日 読売新聞 「昭和 天皇 崩御 『お供 』と87歳 男性 が後追 い自殺 /和歌山 」 - ^ 1989
年 1月 9日 毎日新聞 「『一 兵士 としてお供 』と昭和 天皇 の後追 い自殺 -茨城 」 - ^ 1989
年 1月 13日 読売新聞 「また昭和 天皇 の後追 い自殺 38歳 男性 が割腹 し/福岡 ・博多 」 - ^ 1989
年 3月 4日 朝日新聞 「昭和 天皇 の後追 い自殺 東京 ・大塚 で短銃 使 い旧 軍人 」 - ^
日本 民間 放送 連盟 (編 )「放送 日誌 (′88年 9月 )」『月刊 民放 』第 18巻 第 12号 、日本民間放送連盟 、1988年 12月1日 、48 - 49頁 、NDLJP:3471036/25。 - ^ ニュース「
天皇陛下 の容体 に変化 の可能 性 あり」 - NHKクロニクル - ^ ニュース「
天皇陛下 のご病状 関連 」 - NHKクロニクル - ^ a b c d 「
天皇 関連 テレビニュース(NHK)の放送 内容 」『東洋大学 社会学部 紀要 = The bulletin of the Faculty of Sociology, Toyo University』第 27巻 第 1号 、東洋大学 社会学部 、1990年 3月 20日 、135 - 199頁 、NDLJP:2782815/71。 - ^
臨時 ニュース「天皇陛下 ご危篤 の状態 に」 - NHKクロニクル - ^ 「
天皇陛下 ご危篤 」 - NHKクロニクル - ^
臨時 ニュース「天皇陛下 崩御 」 - NHKクロニクル - ^
新 元号 決 まる - NHKクロニクル - ^
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