(Translated by https://www.hiragana.jp/)
アレハンドロ・バルベルデ - Wikipedia コンテンツにスキップ

アレハンドロ・バルベルデ

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
アレハンドロ・バルベルデ
Alejandro Valverde
基本きほん情報じょうほう
本名ほんみょう アレハンドロ・バルベルデ・ベルモンテ
Alejandro Valverde Belmonte
生年月日せいねんがっぴ (1980-04-25) 1980ねん4がつ25にち(44さい
国籍こくせき スペインの旗 スペイン
身長しんちょう 178cm
体重たいじゅう 61kg
選手せんしゅ情報じょうほう
所属しょぞく モビスター・チーム
分野ぶんや ロードレース
役割やくわり 選手せんしゅ
特徴とくちょう オールラウンダー
パンチャークライマー
クラシックスペシャリスト
プロ経歴けいれき
2002–2004
2005–2010
2012-
コミュニタ・バレンシアーナ/ケルメ
ケス・デパーニュ
モビスター・チーム
グランツール最高さいこう成績せいせき
ジロ・デ・イタリア 総合そうごう3 (2016)
ツール・ド・フランス 総合そうごう3 (2015)
ブエルタ・ア・エスパーニャ 総合そうごう優勝ゆうしょう (2009)
合計ごうけい 1(西にし1)
主要しゅようレース勝利しょうり

世界せかい選手権せんしゅけん

個人こじんロードレース 2018

ブエルタ・ア・エスパーニャ

総合そうごう優勝ゆうしょう 2009
ポイントしょう 2012,2013,2015,2018
ふくごうしょう 2009,2012
区間くかん通算つうさん12しょう

スペインの旗 スペイン国内こくない選手権せんしゅけん

個人こじんロードレース 2008,2015,2019
UCIプロツアー総合そうごう優勝ゆうしょう 2006,2008
UCIワールドツアー総合そうごう優勝ゆうしょう 2014,2015
リエージュ〜バストーニュ〜リエージュ 2006,2008,2015,2017
ドーフィネ・リベレ 2008,2009
カタルーニャ一周いっしゅう 2009,2017,2018
バスク一周いっしゅう 2017
フレッシュ・ワロンヌ 2006,2014,2015,2016,2017
クラシカ・サンセバスティアン 2008,2014
ボルタ・ア・ラ・コムニタ・バレンシアナ 2004,2007,2018
ブエルタ・ア・ブルゴス 2004,2009
ブエルタ・ア・アンダルシア 2012,2013,2014,2016,2017
ツール・ド・フランス 区間くかん通算つうさん3しょう
アブダビ・ツアー 2018、区間くかん1しょう
UAEツアー 区間くかん優勝ゆうしょう
獲得かくとくメダル
スペインの旗 スペイン
男子だんし 自転車じてんしゃ競技きょうぎ ロードレース
世界せかい選手権せんしゅけん自転車じてんしゃ競技きょうぎ大会たいかい
きむ 2018 インスブルック 個人こじんロード
ぎん 2003 ハミルトン 個人こじんロード
ぎん 2005 マドリード 個人こじんロード
どう 2006 ザルツブルク 個人こじんロード
どう 2012 リンブルフ 個人こじんロード
どう 2013 フィレンツェ 個人こじんロード
どう 2014 ポンフェラーダ 個人こじんロード
最終さいしゅう更新こうしん
2019ねん9月16にち

アレハンドロ・バルベルデ・ベルモンテAlejandro Valverde Belmonte 1980ねん4がつ25にち- )は、スペインムルシア出身しゅっしん自転車じてんしゃ競技きょうぎロードレース選手せんしゅ

経歴けいれき

[編集へんしゅう]

2005ねんまで

[編集へんしゅう]

アマチュア時代じだいはスペインの名門めいもんプロチーム・ケルメ(en:Kelme (cycling team))のアマチームにぞくし、プロもしばらくケルメにせきいたが、2005ねんからはじまるUCIプロツアーにケルメが出場しゅつじょうできないことから、ケス・デパーニュ移籍いせき

2003ねんブエルタ・ア・エスパーニャ総合そうごう3ふくごうしょう獲得かくとく世界せかい自転車じてんしゃ選手権せんしゅけん個人こじんロード2活躍かつやく2004ねんはブエルタで総合そうごう4はいる。

ケスに移籍いせきした2005ねんツール・ド・フランスではだい10ステージでランス・アームストロングとして区間くかん優勝ゆうしょう[1]するなど途中とちゅうまで奮闘ふんとうしたが、ひざ故障こしょうのためだい13ステージで棄権きけん一方いっぽう同年どうねん世界せかい選手権せんしゅけん個人こじんロードでは、怪我けがのため欠場けつじょうとなったどう種目しゅもく3かい優勝ゆうしょう実績じっせきしゃオスカル・フレイレ代役だいやくとしてスペインのリーダーをつとめ、トム・ボーネンつづく2はいった。

2006ねん

[編集へんしゅう]

4がつ19にちフレッシュ・ワロンヌせいすると、その4にち4がつ23にちおこなわれたリエージュ〜バストーニュ〜リエージュせいした[2]。そしてこの時点じてんでUCIプロツアー総合そうごう1トム・ボーネンからうばい、そのはついに1選手せんしゅゆずることなく、2かいとなるどう制度せいど優勝ゆうしょうしゃとなった。またこのとしブエルタ・ア・エスパーニャでは、総合そうごう優勝ゆうしょうたすことになるアレクサンドル・ヴィノクロフ熾烈しれつ総合そうごう優勝ゆうしょうあらそいをえん総合そうごう2。このほか世界せかい選手権せんしゅけん個人こじんロード3ツール・ド・ロマンディ区間くかん1しょうとポイントしょう獲得かくとく[3][4]

2007ねん

[編集へんしゅう]

フレッシュ・ワロンヌリエージュ〜バストーニュ〜リエージュでともに2はいり、クリテリウム・アンテルナシオナルでは総合そうごう3ツール・ド・フランスでは一時いちじ総合そうごう2につけた(最終さいしゅうてきには総合そうごう6)。しかし、同年どうねん8がつ29にちオペラシオン・プエルト関与かんよしているうたがいがたれ、国際こくさい自転車じてんしゃ競技きょうぎ連合れんごうより、同年どうねん世界せかいせん出場しゅつじょう禁止きんし処分しょぶんけたことからシーズン終盤しゅうばんぼうかたちとなった。同年どうねんUCIプロツアーでは総合そうごうだい4

2008ねん

[編集へんしゅう]

3がつ開催かいさいされたブエルタ・ア・ムルシア総合そうごう2連覇れんぱ達成たっせいアムステルゴールドレースでは3。そして4がつ27にちおこなわれたリエージュ〜バストーニュ〜リエージュでは、ダビデ・レベリンフランク・シュレクとのいをせいし、2度目どめどうレース優勝ゆうしょうたした。

ドーフィネ・リベレでは、だい1ステージおよ個人こじんタイムトライアルのだい3ステージを制覇せいはだい3ステージ終了しゅうりょうより総合そうごう首位しゅいち、カデル・エヴァンスリーヴァイ・ライプハイマーらの追撃ついげき退しりぞ総合そうごう優勝ゆうしょう。さらに、6月29にちおこなわれた国内こくない選手権せんしゅけん個人こじんロードもせいし、はつのスペインチャンピオンにかがやいた。

最高潮さいこうちょう調子ちょうしむかえたツール・ド・フランスでは、優勝ゆうしょう候補こうほげられ(イギリスブックメーカーによると、カデル・エヴァンスにぐ2ばん人気にんきされた。)、その期待きたいこたえるかのごとく、だい1ステージをせいして自身じしんはつマイヨ・ジョーヌ奪取だっしゅした。しかし、だい4ステージにまれた、苦手にがてとする個人こじんタイムトライアルでおくれをり(区間くかん23)、つづだい5ステージで落車。さらにツールマレーとうげはさだい10ステージでは先頭せんとう集団しゅうだんから脱落だつらくしたことから、この時点じてん総合そうごう14総合そうごう首位しゅいのエヴァンスとのタイムは4ふん41びょう)で、「今後こんご区間くかん優勝ゆうしょうねらいにえる」という、「敗北はいぼく宣言せんげん」をおこなった。そのアルプスのステージでは先頭せんとう集団しゅうだんらいつくはしりをせたものの、結局けっきょく総合そうごう9わった。

ツールのぜん日程にってい終了しゅうりょう6にちのレースとなったクラシカ・サンセバスティアンでは、11めいのスプリントあらそいをせいして優勝ゆうしょうUCIプロツアー個人こじんランキングでも首位しゅいおどて、そのまま首位しゅいまもりきって2度目どめ総合そうごう優勝ゆうしょうたした。また、ブエルタ・ア・エスパーニャではだい12ステージでの凡ミスがひびいて[5]総合そうごう5区間くかん1しょう)。

2009ねん

[編集へんしゅう]
マイヨ・オロるバルベルデ

ドーピングにかかる処分しょぶんけた直後ちょくご出場しゅつじょうしたカタルーニャ一周いっしゅうにおいて総合そうごう優勝ゆうしょうドーフィネ・リベレでは、カデル・エヴァンスアルベルト・コンタドールらをおさえて、総合そうごう2連覇れんぱ達成たっせいした。その後述こうじゅつとおり、ツール・ド・フランスには参加さんかできなくなったため、ブエルタ・ア・エスパーニャ照準しょうじゅんしぼることになった。その前哨ぜんしょうせんともいうべき、8がつ上旬じょうじゅんおこなわれたブエルタ・ア・ブルゴス総合そうごう優勝ゆうしょうたし、好調こうちょうムードのまま本番ほんばんむかえた。

本格ほんかくてき最初さいしょ山岳さんがくコースとなっただい8ステージにおいて、カデル・エヴァンスにいで2びょう総合そうごう2につけ、翌日よくじつおこなわれただい9ステージではボーナスタイムをしてエヴァンスから総合そうごう首位しゅい奪取だっしゅ区間くかん優勝ゆうしょういち経験けいけんできなかったが、その総合そうごう首位しゅい堅持けんじし、はつのブエルタおよグランツール制覇せいはたした。

2010ねん

[編集へんしゅう]

後述こうじゅつ#ドーピング問題もんだい)のように、5月31にちスポーツ仲裁ちゅうさい裁判所さいばんしょ(CAS)が2010ねん1がつ1にちから2012ねん1がつ1にちまでの2年間ねんかん、バルベルデを出場しゅつじょう停止ていし処分しょぶんとする裁定さいていくだしたため、出場しゅつじょう停止ていし期間きかん該当がいとうする2がつツール・メディテラネアン総合そうごう優勝ゆうしょう、3月のパリ〜ニース総合そうごう2、4がつGP・ミゲル・インドゥライン2バスク一周いっしゅう総合そうごう2同月どうげつ25にちおこなわれたリエージュ〜バストーニュ〜リエージュ3、4がつ27にち開幕かいまくツール・ド・ロマンディ総合そうごう優勝ゆうしょうなど、2010ねん記録きろくはすべて無効むこうとして剥奪はくだつされた。

2012ねん

[編集へんしゅう]

出場しゅつじょう停止ていし期間きかんけたことにともない、モビスター・チーム(ぜん所属しょぞくのケス・デパーニュの後継こうけいチーム)と契約けいやくしてレース活動かつどう再開さいかいした。

ツール・ド・フランス2012にて

2013ねん

[編集へんしゅう]
ブエルタ・ア・エスパーニャ2013にて


2014ねん

[編集へんしゅう]
ツール・ド・フランス2014にて
  • ブエルタ・ア・アンダルシア 総合そうごう優勝ゆうしょう区間くかん3しょう(プロローグ、だい1、2)[11][12][13][14]
  • フレッシュ・ワロンヌで2度目どめ優勝ゆうしょうたす[15]
  • リエージュ〜バストーニュ〜リエージュでは、記念きねんすべきだい100かい大会たいかい優勝ゆうしょうねらったが、ラストのスプリントでゲランズにおよばず2となった[16]
  • スペインの旗 スペイン国内こくない選手権せんしゅけん 個人こじんタイムトライアル 優勝ゆうしょう
  • ツール・ド・フランスでは昨年さくねん総合そうごう2だい躍進やくしんげたキンタナは欠場けつじょうしたため、単独たんどくエースとして出場しゅつじょう。ニバリの圧倒的あっとうてきちからにバルベルデ以外いがい選手せんしゅくっしていたなか、一時いちじ総合そうごう2をキープしていた。しかしだい18ステージでトゥルマレとうげくだりでの無茶むちゃなアタックを決行けっこう体力たいりょく浪費ろうひつづくオタカムとうげ失速しっそく総合そうごう4転落てんらくする。だい20ステージの個人こじんタイムトライアルでも逆転ぎゃくてんできず、総合そうごう4となった。
  • クラシカ・サンセバスティアン 優勝ゆうしょう[17]
  • ブエルタ・ア・エスパーニャでは、コンタドールとフルームにんで優勝ゆうしょうあらそいをえんじ、総合そうごう3となる。
  • UCIワールドツアー 総合そうごう優勝ゆうしょう

2015ねん

[編集へんしゅう]
ツール・ド・フランス2015にて
  • カタルーニャ一周いっしゅう 総合そうごう2区間くかん3しょうだい2、5、7)[18][19][20]
  • フレッシュ・ワロンヌでは若手わかてジュリアン・アラフィリップ追撃ついげきをかわし2連覇れんぱかざる。
  • リエージュ〜バストーニュ〜リエージュ 優勝ゆうしょう
  • スペインの旗 スペイン国内こくない選手権せんしゅけん 個人こじんロードレース 優勝ゆうしょう
  • ツール・ド・フランスではキンタナのアシストとして出場しゅつじょうだい2ステージでティンコフ・サクソ仕掛しかけた横風おうふう分断ぶんだん作戦さくせんにまたもはまってしまい、しかも今度こんどはキンタナもまれてしまう。だい10ステージでもフルームの独走どくそうゆるしてしまい、この時点じてん総合そうごう3につけていたキンタナでさえ3ぶんをつけられており、ライバルのニバリはトップ10圏外けんがいという結果けっかとなっていた。しかしだい19,20ステージとキンタナはおおきくタイムをかえし、バルベルデ自身じしんだい20ステージでフルームとどうタイムでフィニッシュ。さらにおくれていたニバリとコンタドールに決定的けっていてきをつけ、総合そうごう3となりはつのツール総合そうごう表彰台ひょうしょうだい登壇とうだんした。
  • ブエルタ・ア・エスパーニャ
    • 総合そうごう7
    • ポイントしょう
    • 区間くかん1しょうだい4)

2016ねん

[編集へんしゅう]
ツール・ド・フランス2017にて

2017ねん

[編集へんしゅう]

2018ねん

[編集へんしゅう]
世界せかい選手権せんしゅけん自転車じてんしゃ競技きょうぎ大会たいかい2018にて

前年ぜんねん骨折こっせつ影響えいきょうまったかんじさせないはしりでアブダビ・ツアーボルタ・シクリスタ・ア・カタルーニャなどで総合そうごう優勝ゆうしょうたす。アルデンヌ・クラシック3連戦れんせんでも優勝ゆうしょう候補こうほ筆頭ひっとうげられたが、5連覇れんぱ目指めざしたフレッシュ・ワロンヌではチームからのきびしいマークにジュリアン・アラフィリップやぶれ2リエージュ〜バストーニュ〜リエージュでもボブ・ユンゲルス独走どくそうゆるしてしまい、優勝ゆうしょうはならなかった。

ツール・ド・フランスではナイロ・キンタナミケル・ランダとともに異例いれいのトリプルエースせいのぞみ、だい11ステージで敢闘かんとうしょう獲得かくとく最終さいしゅうてきにランダが総合そうごう7、キンタナが総合そうごう10でフィニッシュ、自身じしんも14完走かんそうしチーム総合そうごうトップとなりパリの表彰台ひょうしょうだい登壇とうだんした。

ブエルタ・ア・エスパーニャではだい2ステージでミカル・クヴィアトコウスキーをマッチスプリントでやぶりブエルタ区間くかん通算つうさん10しょうをあげた。また、だい8ステージでもペーター・サガンダニー・ファン・ポッペルらをやぶ優勝ゆうしょうし、総合そうごう成績せいせきでも2につけていたがだい20ステージでだい失速しっそく一気いっきに3ふんものタイムをうしな総合そうごう5転落てんらくした。

世界せかい選手権せんしゅけんではロマン・バルデマイケル・ウッズトム・デュムランをスプリントでやぶって念願ねんがん個人こじんロードレース優勝ゆうしょうたし、マイヨ・アルカンシェルにそでとおした。

2019ねん

[編集へんしゅう]
  • ツール・ド・フランスでは前年ぜんねんつづナイロ・キンタナミケル・ランダともにトリプルエース体制たいせいのぞみ、ランダ総合そうごう6、キンタナ総合そうごう8つづ総合そうごう9でフィニッシュ。チーム総合そうごうれた。
  • ブエルタ・ア・エスパーニャではだい7ステージで優勝ゆうしょう。ステージをつうじて安定あんていした成績せいせきのこし、総合そうごう2でマドリードの表彰台ひょうしょうだいのぼった。また、チームメイトのキンタナが総合そうごう4マルク・ソレル総合そうごう9結果けっかのこし、チーム総合そうごう獲得かくとくした。

2020ねん

[編集へんしゅう]

成績せいせきるわず、最高さいこう順位じゅんいボルタ・ア・ラ・コムニタ・バレンシアナだい2ステージとチャレンジ・シクリスタ・マヨルカの1レースである「トロフェオ・セラ・デ・トラムンタナ」での2だった。ステージレースの総合そうごう優勝ゆうしょうく(最高さいこう順位じゅんいはボルタ・ア・ラ・コムニタ・バレンシアナとブエルタ・ア・エスパーニャの総合そうごう10) 、成績せいせき剥奪はくだつされた2010・2011ねんシーズンをのぞくとプロ1ねんの2002ねんシーズン以来いらいの、そして前身ぜんしんふくめたげんチームに所属しょぞくしてからははつ年間ねんかん0しょうわった。

ドーピング問題もんだい

[編集へんしゅう]

2006ねん発生はっせいしたオペラシオン・プエルト関連かんれんして、2007ねん3月8にち、バルベルデがイヴァン・バッソとともに、エリスロポエチン(EPO)使用しよううたがいがあるとする内部ないぶ文書ぶんしょがマドリード裁判所さいばんしょ提出ていしゅつされた[21]ことに関連かんれんして、国際こくさい自転車じてんしゃ競技きょうぎ連合れんごう(UCI)は、同年どうねん世界せかい自転車じてんしゃ選手権せんしゅけんへの出場しゅつじょう禁止きんし処分しょぶんくだした。これにたいしてバルベルデは、UCIの処分しょぶん不当ふとうだとしてCAS提訴ていそしたものの却下きゃっかされてしまう[22]。しかしながら、バルベルデを出場しゅつじょう停止ていし処分しょぶんとする確固かっこたる証拠しょうこがないことから、2008ねんシーズンについてはレース出場しゅつじょうみとめられてきた。

しかし2009ねんはいり、イタリアオリンピック委員いいんかい(CONI)が、イタリア領域りょういき通過つうかした2008ねんツール・ド・フランスだい15ステージにおけるDNAサンプルをもとめたことから、バルベルデのドーピング問題もんだい再燃さいねん[23]。さらにCONIは4がつ1にち、バルベルデから採取さいしゅした血液けつえきサンプルが、オペラシオン・プエルトにおける容疑ようぎしゃ血液けつえきバックから発見はっけんされたDNAの1つについて一致いっちしたことを理由りゆうに、イタリア国内こくないにおけるレースについて、2年間ねんかん出場しゅつじょう停止ていし処分しょぶんうながした[24]

これをけて同年どうねん5がつ11にち、ローマ・アンチドーピング裁判所さいばんしょは、バルベルデにイタリア国内こくないおこなわれるぜんレースを対象たいしょうに、2年間ねんかん出場しゅつじょう停止ていし処分しょぶんくだした[25]。これにより、同年どうねんツール・ド・フランスでは、だい16ステージにおいてイタリア領域りょういきはいることから、参加さんかすることができなかった。

2010ねん5月31にちスポーツ仲裁ちゅうさい裁判所さいばんしょ(CAS)は、2010ねん1がつ1にちから2012ねん1がつ1にちまでの2年間ねんかん、バルベルデを出場しゅつじょう停止ていし処分しょぶんとする裁定さいていくだした[26]。また、会長かいちょうのパット・マッケイドがこの裁定さいてい支持しじする意向いこうしめした[27]国際こくさい自転車じてんしゃ競技きょうぎ連合れんごう(UCI)は、裁定さいていもとづき、2010ねんシーズンに獲得かくとくしたバルベルデのUCIワールドランキングポイント同年どうねんシーズンにおけるぜん成績せいせき抹消まっしょう[28][29]することにったが、2009ねん以前いぜん記録きろく剥奪はくだつかんしてはCASが却下きゃっかしたため、2009ねんブエルタ・ア・エスパーニャ総合そうごう優勝ゆうしょうとう、2009ねんまでの実績じっせき剥奪はくだつされない。

特徴とくちょう

[編集へんしゅう]

オールラウンダーのなかでは比較的ひかくてきスプリントにつよく、のぼりがからんだとき単独たんどくスプリントりょくであれば、本職ほんしょくのスプリンターみの実力じつりょくしめす。そのためアルデンヌ・クラシックや1週間しゅうかん程度ていどのステージレースで数多かずおお勝利しょうりをあげており、総合そうごう優勝ゆうしょうねらっていくオールラウンダーの一人ひとりかぞえられる。ただグランツールとなると途中とちゅうでミスをおか総合そうごう戦線せんせんから後退こうたいしてしまうシーンもあり(06ブエルタの山岳さんがくでのおくれ、08ブエルタでの凡ミス、07と08ツールのTTでのおくれなど)、こう不調ふちょうなみはげしさもあり、TTがあま得意とくいではないため、オールラウンダーとうよりはパンチャー分類ぶんるいしたほう自然しぜんではある。そのため周囲しゅういからはわり成績せいせきあししつてき相性あいしょうクラシックスペシャリスト転向てんこうしたほうがよいのでは?などとささやかれていた。

栗村くりむらおさむはオールラウンダーでありながらスプリントが出来できることから、バルベルデがこれまでグランツールをれなかった理由りゆうについて「なんでも出来できちゃうから、色々いろいろやって自滅じめつしてしまう」とかたり、09ブエルタでやっと総合そうごう優勝ゆうしょうった理由りゆうたいし「やりたいことをさえ、最後さいご見据みすえるクレバーなはしりに変化へんかした」と解説かいせつした。実際じっさいこのとしのブエルタでは2や3ねらいのスプリントには積極せっきょくてき参加さんかしボーナスタイムを一方いっぽう山岳さんがくステージにてTTでおくれたモスケーラのアタックをスルーし、サンチェス、エヴァンス、バッソら総合そうごう上位じょういぜいのマークに専念せんねんしてタイムひろげさせないはしりが目立めだっていた。

現役げんえき晩年ばんねんにもなればぼしすくなくなり、若手わかてのアシストをつとめることもおおいロードレースかいで、35さいでのツール総合そうごう表彰台ひょうしょうだい、36さいでのジロ総合そうごう表彰台ひょうしょうだい、34~37さいまでフレッシュ・ワロンヌ4連覇れんぱ、38さい世界せかい選手権せんしゅけん個人こじんロードレース優勝ゆうしょうと、おとろえないはしりをせる。

エピソード

[編集へんしゅう]
  • 日本にっぽんではネットじょうなどで一部いちぶから『師匠ししょう』『バルベルデ師匠ししょう』『バ師匠ししょう』などとばれることもある。

おも戦績せんせき

[編集へんしゅう]

2002ねん

[編集へんしゅう]

2003ねん

[編集へんしゅう]

2004ねん

[編集へんしゅう]

2005ねん

[編集へんしゅう]

2006ねん

[編集へんしゅう]

2007ねん

[編集へんしゅう]

2008ねん

[編集へんしゅう]

2009ねん

[編集へんしゅう]

2012ねん

[編集へんしゅう]

2013ねん

[編集へんしゅう]

2014ねん

[編集へんしゅう]

2015ねん

[編集へんしゅう]

2016ねん

[編集へんしゅう]

2017ねん

[編集へんしゅう]

2018ねん

[編集へんしゅう]

2019ねん

[編集へんしゅう]

2020ねん

[編集へんしゅう]

2021ねん

[編集へんしゅう]

2022ねん

[編集へんしゅう]

グランツールの総合そうごう成績せいせき

[編集へんしゅう]
グランツール 2002 2003 2004 2005 2006 2007 2008 2009 2010 2011 2012 2013 2014 2015 2016 2017 2018 2019 2020 2021 2022
ジロ・デ・イタリア 3 11
ツール・ド・フランス DNF DNF 6 9 20 8 4 3 6 DNF 14 9 12 24
ブエルタ・ア・エスパーニャ DNF 3 4 2 5 1 2 3 3 7 12 5 2 10 DNF 12

脚注きゃくちゅう

[編集へんしゅう]
  1. ^ ツール・ド・フランス だい10ステージ: アームストロングつよし!バルベルデがはつツールではつステージ制覇せいは - CYCLINGTIME.com 2005ねん7がつ13にちづけ
  2. ^ 「ドワイエンヌ」せいしたはつのスペインじん。2連勝れんしょうでプロツアーリーダーの - CYCLINGTIME.com 2006ねん4がつ25にちづけ
  3. ^ バルベルデ、リエージュでの勝利しょうり彷彿ほうふつとさせるたくみなスプリントで勝利しょうり - CYCLINGTIME.com 2006ねん4がつ30にちづけ
  4. ^ 最終さいしゅうTT エヴァンスがトップタイムで逆転ぎゃくてん総合そうごう優勝ゆうしょう - CYCLINGTIME.com 2006ねん5がつ1にちづけ
  5. ^ 雨具あまぐりにチームカーの位置いちまでがっている最中さいちゅうにメイン集団しゅうだんがペースアップ。のこされる格好かっこうとなり、このステージだけで総合そうごう優勝ゆうしょうあらそいの選手せんしゅから3ふんはんちかうしなった。
  6. ^ 宮澤みやざわ崇史たかふみがエスケープ バルベルデが頂上ちょうじょう決戦けっせんせいし、ジェランスが首位しゅい浮上ふじょう - cyclowired.jp 2012ねん1がつ21にちづけ
  7. ^ 最速さいそくグライペルが3しょうまく グリーンエッジのジェランスが総合そうごう優勝ゆうしょう - cyclowired.jp 2012ねん1がつ22にちづけ
  8. ^ 大会たいかい制覇せいはおおきく前進ぜんしん 頂上ちょうじょうゴールをせいしたバルベルデが総合そうごうリーダーに - cyclowired.jp 2012ねん2がつ22にちづけ
  9. ^ モレーノが最終さいしゅう頂上ちょうじょうゴール制覇せいは バルベルデが総合そうごう優勝ゆうしょうかがや - cyclowired.jp 2012ねん2がつ24にちづけ
  10. ^ スペインでおこなわれた「太陽たいようのレース」 区間くかん2しょうのバルベルデが大会たいかい連覇れんぱ - cyclowired.jp 2013ねん2がつ21にちづけ
  11. ^ ルタデルソルでバルベルデが首位しゅい発進はっしん ウィギンズやポートもこうスタート - cyclowired.jp 2014ねん2がつ20にちづけ
  12. ^ ライバルの攻撃こうげきふうじた首位しゅいバルベルデが3きゅう山頂さんちょうフィニッシュ制覇せいは - cyclowired.jp 2012ねん2がつ21にちづけ
  13. ^ 1きゅう山頂さんちょうフィニッシュで総合そうごう首位しゅいのバルベルデがハットトリック達成たっせい - cyclowired.jp 2014ねん2がつ22にちづけ
  14. ^ 最終さいしゅうスプリントはホフランド バルベルデが3ねん連続れんぞくルタデルソル制覇せいは - cyclowired.jp 2012ねん2がつ24にちづけ
  15. ^ 2006ねんつづく2度目どめのフレーシュ制覇せいは げきざか攻略こうりゃくしたバルベルデ - cyclowired.jp 2014ねん4がつ24にちづけ
  16. ^ 100かい記念きねんのリエージュでサイモン・ゲランスが勝利しょうり はつのオーストラリアじん覇者はしゃかがや - cyclowired.jp 2014ねん4がつ28にちづけ
  17. ^ 難易なんいアップのバスクレースで独走どくそう バルベルデが2度目どめのタイトルをつか - cyclowired.jp 2014ねん8がつ3にちづけ
  18. ^ あめのカタルーニャ2にち バルベルデがだい集団しゅうだんスプリントで今季こんき2しょう - cyclowired.jp 2015ねん3がつ25にちづけ
  19. ^ 横風おうふう集団しゅうだん分裂ぶんれつ総合そうごう変動へんどう バルベルデが2しょうかざり、ポートが首位しゅい - cyclowired.jp 2015ねん3がつ28にちづけ
  20. ^ バルベルデがハットトリック達成たっせい ポートがUCIワールドツアー2連勝れんしょう - cyclowired.jp 2015ねん3がつ30にちづけ
  21. ^ サイクリングニュース2007ねん5がつ7にちづけ記事きじ
  22. ^ ヴェロニュース2007ねん11月15にちづけ記事きじ
  23. ^ サイクリングニュース2009ねん2がつ11にちづけ記事きじ
  24. ^ サイクリングタイム2009ねん4がつ2にちづけ記事きじ
  25. ^ サイクリングタイム2009ねん5がつ12にちづけ記事きじ
  26. ^ Valverde suspended for two years world-wide, keeps results - cyclingnews.com 5がつ31にちづけ記事きじ(英語えいご)
  27. ^ UCI welcomes Valverde decision, says justice has been done - cyclingnews.com 5がつ31にちづけ記事きじ(英語えいご)
  28. ^ Evans climbs to World Rankings lead - cyclingnews.com 5がつ31にちづけ記事きじ(英語えいご)
  29. ^ 2010ねんツール・ド・ロマンディシモン・シュピラックがって総合そうごう優勝ゆうしょう
  30. ^ 当初とうしょ総合そうごう3だったベルンハルト・コールがドーピング違反いはんにより失格しっかくとなり、繰上くりがみげで総合そうごう8となった。

外部がいぶリンク

[編集へんしゅう]