カデル・エヴァンス
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カデル・リー・エヴァンス Cadel Lee Evans | ||||||||||||||||||||||||
1977 | ||||||||||||||||||||||||
オーストラリア | ||||||||||||||||||||||||
174cm | ||||||||||||||||||||||||
68kg | ||||||||||||||||||||||||
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ロードレース | ||||||||||||||||||||||||
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オールラウンダー | ||||||||||||||||||||||||
プロ | ||||||||||||||||||||||||
2001 2002 2003-2004 2005-2009 2010-2015.1 |
サエコ マペイ チーム・テレコム ダヴィタモン・ロット プレディクトール・ロット サイレンス・ロット BMC・レーシング | |||||||||||||||||||||||
ツール・ド・フランス ジロ・デ・イタリア フレッシュ・ワロンヌ 2010 クリテリウム・アンテルナシオナル 2012 UCIプロツアー | ||||||||||||||||||||||||
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2012 |
カデル・リー・エヴァンス(Cadel Lee Evans、1977
経歴 [編集 ]
2006年 シーズンまで[編集 ]
- オーストラリア
選手権 U-17 XC MTB優勝
- マウンテンバイク
世界 選手権 ・ジュニア部門 - クロスカントリー(XC) 2
位
- クロスカントリー(XC) 2
- ジュニア
世界 選手権 自転車 競技 大会 - ロード
個人 タイムトライアル(ITT) 3位
- ロード
- マウンテンバイク
世界 選手権 ・ジュニア部門 - XC 3
位
- XC 3
- マウンテンバイク
世界 選手権 ・ジュニア部門 - XC 3
位
- XC 3
- マウンテンバイク
世界 選手権 ・U23部門 - XC 2
位
- XC 2
- UCIマウンテンバイクワールドカップ XC
部門 総合 優勝
- UCIマウンテンバイクワールドカップ XC
部門 総合 優勝 - ツアー・オブ・タスマニア
総合 優勝 (第 3ステージ優勝 ) - マウンテンバイク
世界 選手権 ・U23部門 - XC 2
位
- XC 2
- シドニーオリンピック、クロスカントリー 7
位
2001
2002
- ツアー・ダウンアンダー
山岳 賞 ・区間 1勝 (第 5)・総合 4位 - セッティマーナ・インテルナツィオナーレ・ディ・コッピ・エ・バルタリ
総合 3位 - バスク
一周 総合 6位 - ツール・ド・ロマンディ
総合 3位 - ジロ・デ・イタリアの
第 16ステージで総合 首位 に立 ちマリア・ローザを着用 、最終 的 には総合 14位 となる。 - コモンウェルスゲームズ
- ITT
優勝 個人 ロード 2位
- ITT
2003
- ツアー・ダウンアンダー
山岳 賞
- ブエルタ・ア・ムルシア
総合 3位 - オーストリア
一周 総合 優勝 - ジロ・ディ・ロンバルディア 4
位
2005
- パリ〜ニース
総合 8位 - フレッシュ・ワロンヌ 9
位 - リエージュ〜バストーニュ〜リエージュ 5
位 - ツール・ド・フランス
総合 8位 。ちなみにオーストラリア国籍 の選手 がツールの総合 成績 でベスト10入 りしたのは、フィル・アンダーソン以来 のこと。 - ドイツ・ツアー
区間 1勝 (第 7)・総合 5位
- バスク
一周 総合 8位 - ツール・ド・ロマンディ
区間 1勝 (第 5)・総合 優勝 - ツール・ド・スイス
総合 10位 - ツール・ド・フランス
総合 5位 - ツール・ド・ポローニュ
総合 2位
2007年 シーズン[編集 ]
- パリ〜ニース
総合 7位 - ツール・ド・ロマンディ
総合 4位 - ドーフィネ・リベレ
総合 2位 - 2007
年 のツール・ド・フランスでは、リドレーに乗 り、第 17ステージで総合 トップに立 ったアルベルト・コンタドールに続 いて2位 につけ、第 19ステージの個人 TTを終 わった時点 ではコンタドールに23秒 差 にまで迫 ったが、惜 しくも総合 2位 に終 わった(第 13ステージの個人 TTで2位 だったが、ステージ優勝 のアレクサンドル・ヴィノクロフ失格 により、繰上 げでステージ優勝 となった)。 - ブエルタ・ア・エスパーニャ
総合 4位 世界 自転車 選手権 個人 ロードレース5位 。上記 の戦績 を含 め、UCIプロツアー2007ポイントの2位 につけていたが、1位 であった同年 のジロ・デ・イタリア総合 優勝 者 のダニーロ・ディルーカが10月15日 、「オイル・フォー・ドラッグ」と言 われるドーピング事件 に関与 していた疑 いがもたれたことからイタリアオリンピック委員 会 から3ヶ月 間 の出場 停止 処分 を受 け、国際 自転車 競技 連合 もこれを受 けて、ディルーカがこれまで獲得 してきたUCIプロツアーポイントを全 て剥奪 の上 、順位 も取 り消 したことから、同 制度 最終 戦 となるジロ・ディ・ロンバルディアを前 にしてUCIプロツアー2007ランキングの首位 に立 った。ジロ・ディ・ロンバルディアでは終盤 まで優勝 争 いに絡 んで6位 に入 り、逆転 の可能 性 があったオスカル・フレイレが苦手 とする起伏 の激 しいコースに苦 しみ逆転 優勝 をあきらめて途中 棄権 したため、エヴァンスの総合 優勝 が決定 した。
2008年 シーズン[編集 ]
- ブエルタ・ア・アンダルシア
区間 1勝 (第 2)・総合 3位 - パリ〜ニース
区間 1勝 (第 4) - セッティマーナ・インテルナツィオナーレ・ディ・コッピ・エ・バルタリ
区間 1勝 (第 3)・総合 優勝 - バスク
一周 ではアルベルト・コンタドールに次 いで総合 2位 - 6
月 に行 われたドーフィネ・リベレではアレハンドロ・バルベルデに続 き総合 2位 - フレッシュ・ワロンヌ 2
位 - リエージュ〜バストーニュ〜リエージュ 7
位 - ドーフィネ・リベレ
総合 2位 - ツール・ド・フランスでは、
序盤 から安定 した走 りを見 せ、ピレネー越 えステージの第 10ステージ終了 時点 で総合 首位 に立 った。しかしアルプス越 えステージ第 1ラウンドとなる第 15ステージにおいて、カルロス・サストレ、シュレク兄弟 (フランク・シュレク、アンディ・シュレク)のチームCSC-サクソバンク勢 にレースをうまくコントロールされ、サストレや、デニス・メンショフ、ベルンハルト・コールといった総合 上位 の選手 に最後 の登 りで引 き離 されただけでなく、その時点 で僅差 で総合 2位 につけていたフランク・シュレクからも遅 れを取 り、マイヨ・ジョーヌを手放 してしまった。その後 の第 17ステージでも頂上 ゴールのラルプ・デュエズでサストレのアタックに着 いて行 けず、さらにタイム差 を広 げられてしまう。第 20ステージの個人 タイムトライアルで逆転 を狙 ったものの、1分 34秒 差 あった総合 1位 サストレとのタイム差 を僅 か29秒 しか挽回 することができず、当年 のツール・ド・フランスも総合 2位 という結果 に終 わった。 - ジロ・デッレミリア 6
位
2009年 シーズン[編集 ]
- セッティマーナ・インテルナツィオナーレ・ディ・コッピ・エ・バルタリ
区間 1勝 (第 5)・総合 2位 - 4
月 に行 なわれたバスク一周 では総合 4位 。 - フレッシュ・ワロンヌ 5
位 - ツール・ド・ロマンディ
総合 7位 - 6月のドーフィネ・リベレでは、2
回 行 なわれた個人 タイムトライアルにおいて、総合 優勝 のアレハンドロ・バルベルデや、同 3位 のアルベルト・コンタドールにいずれも先着 したものの、モン・ヴァントゥがゴールの第 5ステージでバルベルデに総合 首位 の座 を明 け渡 し、結果 、16秒 及 ばず、前年 に引 き続 き、同 レース総合 2位 に終 わった。
- ツール・ド・フランスでは、
第 4ステージのチームTTでユルヘン・ファンデンブルックの落車が原因 で遅 れを取 ると、その後 のアルプス山岳 ステージでも連日 大 きく遅 れるなど精彩 を欠 き、自身 ワーストの総合 30位 に終 わっている。
- ミスター2
位 という座 すら追 われ、背水 の陣 で望 んだブエルタ・ア・エスパーニャであったが、初 の山岳 ステージとなった第 8ステージでマイヨ・オロを入手 するものの、次 の第 9ステージで3位 争 いのスプリントに敗 れ、2秒 差 の2位 にいたアレハンドロ・バルベルデに1秒 先着 を許 すだけでなくボーナスタイム8秒 も加 わり9秒 を失 い2位 へ転落 する。そのまま2位 で勝負 所 の連続 山岳 デーに突入 、しかし第 13ステージでトップ争 いをしている中 パンクで1分 以上 を失 い、2位 から6位 まで一気 にダウン。その後 我慢 の走 りで第 19ステージまでに4位 まで復帰 、得意 のTTで2位 浮上 を狙 うがサムエル・サンチェスに阻 まれ3位 に終 わる。タラレバの話 になってしまうがあのパンクさえ無 ければトップから32秒 差 の2位 、場合 によっては総合 優勝 も狙 えただけに、運 の悪 さに破 れ悔 しいブエルタになってしまった。
- 9月27
日 にスイスのメンドリジオで行 われたロード世界 選手権 2009エリート男子 ロードレースで優勝 。中盤 でアシスト勢 が消 え、イタリア、スペイン勢 に加 え地元 スイスのファビアン・カンチェラーラ優勢 の展開 の中 、最後 の登 りで起死回生 のアタックを見事 成功 させ、ミスター2位 を返上 、マイヨ・アルカンシエルを手 にした。
- その
後 ワンデーではコッパ・サバティーニ、ジロ・ディ・ロンバルディアにて、結果 出場 4連勝 を飾 ることとなるフィリップ・ジルベールへの献身 的 なアシストが光 り、自身 も上位 で完走 するなど、前半 に比 べれば後半 はよい形 でシーズンオフを迎 えることになった。 - ジロ・デッレミリア 4
位 - 2009
年 シーズンをもってサイレンス・ロットから離脱 することを10月31日 に発表 。その後 、当時 プロフェッショナルコンチネンタルチームだったBMC・レーシングと契約 を結 んだ。
2010年 シーズン[編集 ]
- アルカンシエル
着用 での凱旋 となったツアー・ダウンアンダーでは、第 5ステージで一時 単独 逃 げを決 めるなど果敢 な走 りで敢闘 賞 に輝 き、総合 でも6位 に入 った。
- ティレーノ〜アドリアティコでは
総合 3位 と安定 した走 りを見 せながらも表彰台 の頂点 にはなかなか届 かなかった。 - クリテリウム・アンテルナシオナル
総合 6位 - フレッシュ・ワロンヌで
鮮 やかなラストスパートを決 めて優勝 。クラシック初 勝利 に加 えてアルカンシエルを着用 しての初 勝利 ともなった。 - リエージュ〜バストーニュ〜リエージュ 4
位 - 5月、2002
年 以来 8年 ぶりの参加 となったジロ・デ・イタリア第 2ステージで総合 首位 、翌 ステージで首位 の座 を明 け渡 すも泥 だらけとなった第 7ステージを勝利 [1]。イヴァン・バッソらと総合 争 いをするが、第 19ステージで、バッソ、ニバリ、スカルポーニのアタックに付 いていくことができず、3分 遅 れてゴール。最終 的 にマリア・ローザのバッソと3分 27秒 差 の総合 5位 に終 わる。また、ポイント賞 のジャージが、マリア・ロッソ・パッショーネ(赤 いジャージ)へと変更 になった元年 の大会 でもあったが、見事 同 賞 を獲得 した。
- ツール・ド・フランスでは、
序盤 から手堅 くレース運 びをし、第 8ステージ、スタート直後 落車に巻 き込 まれるが、先頭 集団 に追 いつき総合 首位 に躍 り出 る[2]。しかし、休日 明 けの第 9ステージ、最終 山岳 のマドレーヌ峠 で集団 がペースアップすると遅 れはじめ、ライバルのアンディ・シュレック、アルベルト・コンタドールらから8分 遅 れてゴール。マイヨ・ジョーヌ争 いから脱落 してしまう。ゴール後 、第 8ステージの落車で左 肘 を骨折 していたことを明 らかにした。その後 も怪我 に苦 しみながら完走 し、総合 26位 に終 わる。 - グランプリ・ド・ワロニー 3
位 連覇 を目指 したロード世界 選手権 2010では、常 にメイン集団 もしくは逃 げ集団 を追 いかける第 二 集団 に属 し、終盤 ではアタック潰 しで集団 を引 っ張 るなど積極 的 に動 いた。ゴール直前 の最終 局面 では20名 前後 からなるトップ集団 にいたものの、度重 なるアタック潰 しで力尽 きていたのかゴールスプリントに加 われず17位 に沈 んだ。
2011年 シーズン[編集 ]
- ティレーノ〜アドリアティコ
総合 優勝 &区間 1勝 (第 6)。 - カタルーニャ
一周 総合 8位 - ツール・ド・ロマンディ
総合 優勝 - クリテリウム・デュ・ドフィネ
総合 2位 - ツール・ド・フランス
-
総合 優勝 区間 1勝 (第 4)第 1ステージから終始 総合 2〜3位 をキープし、第 4ステージでアルベルト・コンタドールを制 して区間 優勝 。勝負 どころとなった第 18ステージ、イゾアール峠 でのアンディ・シュレックのアタックを見送 る。アンディは先行 していたチームメイトのアシストと合流 し、一時期 エヴァンスと4分 半 まで差 が開 くが、アシストがいないエヴァンス自 ら追 走 集団 を引 っ張 り、ガリビエ峠 の頂上 ゴールではアンディとの遅 れを2分 強 、総合 タイムで逆転 されるものの差 を1分 弱 に留 めた。続 く第 19ステージではコンタドールが序盤 でアタック。アンディ、エヴァンス、総合 首位 のトマ・ヴォクレールが反応 し4人 のグループが形成 される。エヴァンスはメカトラブルで遅 れ、追 走 集団 と合流 し、最終 山岳 のラルプ・デュエズの麓 で追 いつき、アンディとは同 タイムでゴール。山岳 ステージを全 て終 えた第 19ステージ終了 時点 で、総合 首位 のアンディ・シュレクに57秒 差 の総合 3位 で迎 えた第 20ステージのグルノーブルの個人 タイムトライアルにおいて、アンディに2分 38秒 差 をつけて逆転 。総合 では1分 34秒 差 となり、総合 優勝 を確定 させた。オーストラリア国籍 選手 としては史上 初 のツール・ド・フランス総合 優勝 者 となり、また34歳 での総合 優勝 は、第 二 次 世界 大戦 後 に行 われたツール・ド・フランスでは最年長 記録 である。
-
- UCIワールドツアー
個人 総合 2位
2012年 シーズン[編集 ]
- クリテリウム・アンテルナシオナル
総合 優勝 - クリテリウム・デュ・ドフィネ
- ポイント
賞 総合 3位 区間 1勝 (第 1)
- ポイント
- ツール・ド・フランス
総合 7位
2013年 シーズン[編集 ]
- ツアー・オブ・アルバータ
第 4ステージ優勝 - ツアー・オブ・オマーン
総合 3位 - ジロ・デル・トレンティーノ
総合 8位 - ジロ・デ・イタリア
総合 3位
2014年 シーズン[編集 ]
- ジロ・デル・トレンティーノ
総合 優勝 (第 1(TTT),3ステージ優勝 ) - ツアー・ダウンアンダー
総合 2位 (第 3ステージ優勝 ) - ツアー・オブ・ユタ
総合 6位 (第 6,7ステージ優勝 ) - ジロ・デ・イタリア
総合 8位
2015年 シーズン[編集 ]
- ツアー・ダウンアンダー
総合 3位 をもって引退 。
特徴 [編集 ]
TTで
もっとも、
脚注 [編集 ]
- ^
初 のステージ優勝 での表彰台 を経験 する(ステージ優勝 としては07ツールで経験 はしているが、ドーピングによる繰 り上 げで表彰台 には立 っていないため)。 - ^ 2009
年 ブエルタ、2010年 ジロ、ツールと365日 以内 に行 われたグランツール全 てで総合 首位 のリーダージャージを獲得 した。
外部 リンク[編集 ]
- カデル・エヴァンス Webサイト
- カデル・エヴァンス ロードレース
動画 集 - カデル・エヴァンス - サイクリングアーカイヴス(
英語 ) - カデル・エヴァンス - Olympedia(
英語 )