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ヴィンチェンツォ・ニバリ

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
ヴィンチェンツォ・ニバリ
Vincenzo Nibali
基本きほん情報じょうほう
本名ほんみょう Vincenzo Nibali
ヴィンチェンツォ・ニーバリ
愛称あいしょう 海峡かいきょうのサメ (lo squalo dello Stretto)
生年月日せいねんがっぴ (1984-11-14) 1984ねん11月14にち(39さい
国籍こくせき イタリアの旗 イタリア
身長しんちょう 181cm
体重たいじゅう 65kg
選手せんしゅ情報じょうほう
所属しょぞく アスタナ・カザフスタン・チーム
分野ぶんや ロードレース
役割やくわり 選手せんしゅ
特徴とくちょう オールラウンダー
クライマー[1]
プロ経歴けいれき
2005
2006–2012
2013–2016
2017–2019
2020–2021
2022
ファッサ・ボルトロ
リクイガス
アスタナ・プロチーム
バーレーン・メリダ
トレック・セガフレード
アスタナ・カザフスタン・チーム
グランツール最高さいこう成績せいせき
ジロ・デ・イタリア 総合そうごう優勝ゆうしょう (2013, 2016)
ツール・ド・フランス 総合そうごう優勝ゆうしょう (2014)
ブエルタ・ア・エスパーニャ 総合そうごう優勝ゆうしょう (2010)
合計ごうけい 4(2・ふつ1・西にし1)
主要しゅようレース勝利しょうり

ツール・ド・フランス

総合そうごう優勝ゆうしょう 2014
区間くかん通算つうさん6しょう

ジロ・デ・イタリア

総合そうごう優勝ゆうしょう 2013, 2016
区間くかん通算つうさん5しょう

ブエルタ・ア・エスパーニャ

総合そうごう優勝ゆうしょう 2010
コンビネーションしょう 2010
区間くかん通算つうさん2しょう
ティレーノ〜アドリアティコ 2012・2013
ジロ・ディ・ロンバルディア 2015・2017
ミラノ〜サンレモ 2018
GP西にしフランス・プルエー 2006
ジロ・デル・トレンティーノ 2008・2013
最終さいしゅう更新こうしん
2022ねん5月12にち

ヴィンチェンツォ・ニバリ(Vincenzo Nibali、1984ねん11月14にち- )は、イタリアメッシーナ出身しゅっしん自転車じてんしゃ競技きょうぎ選手せんしゅニーバリとも表記ひょうきされる。史上しじょう6にんぜんグランツール総合そうごう優勝ゆうしょう達成たっせいしゃ愛称あいしょうは『海峡かいきょうのサメ (lo squalo dello Stretto)』。誕生たんじょうの11月14にちベルナール・イノーおなじ (イノーが30ねんはやまれている)。おとうとのアントニオ・ニバリも自転車じてんしゃ競技きょうぎ選手せんしゅである。

経歴けいれき[編集へんしゅう]

2005ねん、ファッサ・ボルトロと契約けいやくむすんでプロ転向てんこう

2006ねん、リクイガス(リクイガス・キャノンデール)に移籍いせき

2007ねんはつ出場しゅつじょうたしたジロ・デ・イタリアだい1ステージ・チームタイムトライアルにおいて、チームの区間くかん優勝ゆうしょう貢献こうけん総合そうごう19はいる。

2008ねんはつ出場しゅつじょうツール・ド・フランスでは総合そうごう20はいった。

2009ねんツール・ド・フランスでは山岳さんがくステージで健闘けんとうせ、総合そうごう7新人しんじんしょう部門ぶもんでは2はいった。

2010ねんフランコ・ペッリツォッティのドーピング疑惑ぎわくにより急遽きゅうきょ出場しゅつじょうとなったジロ・デ・イタリアでは、だい14ステージを勝利しょうり。まただい4ステージからだい6ステージまでマリア・ローザを着用ちゃくようし、総合そうごう3はいった。

ブエルタ・ア・エスパーニャ総合そうごう優勝ゆうしょう[編集へんしゅう]

2010ねん、ジロ・デ・イタリアで総合そうごう3獲得かくとく、ツール・ド・フランスには参加さんかせず、ブエルタ・ア・エスパーニャ照準しょうじゅんさだめることになった。だい8ステージ終了しゅうりょう時点じてんで、総合そうごう首位しゅいイゴル・アントンにわずか2びょう総合そうごう3浮上ふじょうアンドラのバルノリュがゴールのだい11ステージではアントンに完敗かんぱいし45びょうひろげられるが、総合そうごう2へと浮上ふじょうした。そして転機てんきだい14ステージにやってくる。

どうステージのこやく6.5km地点ちてんでアントンが転倒てんとうみぎひじ骨折こっせつのため途中とちゅう棄権きけんとなってしまった。ニバリは区間くかん優勝ゆうしょうホアキン・ロドリゲスに20びょう区間くかん2はいり、総合そうごうではロドリゲスに4びょうながらも首位しゅいった。そのだい16ステージでロドリゲスに総合そうごう首位しゅいわたしたが、だい17ステージの個人こじんタイムトライアルにおけるロドリゲスのだいブレーキにより、総合そうごう2浮上ふじょうしたエセキエル・モスケラに39びょうをつけふたた総合そうごう首位しゅいへ。最後さいごのクライマックスとなった山岳さんがくコースのだい20ステージでは、モスケラの再三さいさんのアタックをふうじ、区間くかん優勝ゆうしょうをモスケラにゆずったものの、1びょう区間くかん2でゴールし決着けっちゃくをつけた。結果けっか区間くかん優勝ゆうしょういち経験けいけんできなかったが、ブエルタはつ出場しゅつじょう総合そうごう優勝ゆうしょう(コンビネーションしょう獲得かくとく)をげた。

ツール・ド・フランス2012にて

2012ねんティレーノ〜アドリアティコ ではだい5ステージで勝利しょうりだい6ステージ終了しゅうりょう時点じてんで、総合そうごう首位しゅいクリス・ホーナーたいし5びょうどう2だったが、最終さいしゅうだい7ステージの個人こじんタイムトライアルでホーナーに20びょうをつけ逆転ぎゃくてんし、劇的げきてき総合そうごう優勝ゆうしょうたした。また、ポイントしょう獲得かくとく。3ねんりの出場しゅつじょうとなったツール・ド・フランスではチームスカイブラッドリー・ウィギンスクリス・フルームのコンビにくるしむも、総合そうごう3はいった。

ジロ・デ・イタリア総合そうごう優勝ゆうしょう[編集へんしゅう]

2013ねんアスタナ移籍いせきティレーノ〜アドリアティコではクリス・フルームアルベルト・コンタドールおさ総合そうごう2連覇れんぱ達成たっせい好調こうちょうのままむかえたジロ・デ・イタリアではブラッドリー・ウィギンスカデル・エヴァンスなどとともに総合そうごう優勝ゆうしょう候補こうほされた。だい7ステージでライバルのウィギンスが1ふん24びょううしなうも、翌日よくじつ個人こじんタイムトライアルでウィギンスはステージ優勝ゆうしょうしたアレックス・ダウセットに10びょうおくれのステージ2はいる。たいするニバリはダウセットから21びょうおくれ、ウィギンスから11びょうおくれにめ、ここで総合そうごう首位しゅい浮上ふじょうする。ところがウィギンスはだい12ステージで3ふん17びょうおくれてしまい、完全かんぜん総合そうごうあらそいから脱落だつらく。ウィギンスは翌日よくじつ出走しゅっそうしなかった。これにより総合そうごうあらそいのライバルはエヴァンスとウィギンスのアシストであったリゴベルト・ウランとなるも、だい14ステージでライバルをはなしステージ2はいったことで総合そうごう2エヴァンスへのリードは1ふん26びょう拡大かくだい。そしてだい18ステージの20.6kmの山岳さんがく個人こじんTTでステージ2サムエル・サンチェスに58びょうをつけ圧勝あっしょう。ここでエヴァンスは総合そうごうで4ふん2びょうおくれ、ウランは4ふん12びょうおくれと事実じじつじょうここで総合そうごう優勝ゆうしょう確定かくていさせたも同然どうぜんをつける。トレチーメ・ディ・ラヴァレードへの頂上ちょうじょうフィニッシュとなっただい20ステージでものこり3kmから独走どくそう勝利しょうり自身じしんはつのジロ総合そうごう優勝ゆうしょうたした。

ツール・ド・フランス総合そうごう優勝ゆうしょう[編集へんしゅう]

2014ねんツール・ド・フランスはつ制覇せいは出場しゅつじょう。しかし、開幕かいまくまえクリス・フルームアルベルト・コンタドールの2きょう注目ちゅうもくあつまっており、ニバリは「だい3のおとこ」の位置付いちづけだった。もっとも、ニバリはこんシーズンツールにけてフランス国内こくない開催かいさいされるステージレースをはしってきたが、とくにこれといった成績せいせきのこすことができなかったことも影響えいきょうしていた。が、9つの山岳さんがくえる丘陵きゅうりょうコースであるだい2ステージの最終さいしゅうばんにアタック。後続こうぞく集団しゅうだん牽制けんせいムードになり、ニバリは勝利しょうりかざマイヨ・ジョーヌ獲得かくとく。ところが石畳いしだたみはしだい5ステージ途中とちゅうにフルームが両手りょうて骨折こっせつリタイア。もう1人ひとりのライバル、コンタドールはだい8セクターのエンヌヴラン・ポンティボーでおくれだす。MTB出身しゅっしんのニバリが快調かいちょう石畳いしだたみすす一方いっぽう、コンタドールはさらおくれていき、最終さいしゅうてきにニバリはステージ3はいりリードを拡大かくだいしたものの、コンタドールはステージ優勝ゆうしょうしたラース・ボームから2ふん54びょうおくれてフィニッシュ。総合そうごうでもトップ10圏外けんがいとなった。ヴォージュ山脈さんみゃくまえにしただい9ステージの終了しゅうりょうにニバリはトニー・ガロパンにマイヨをゆずったものの、つづだい10ステージでステージ2に15びょうをつけ優勝ゆうしょうしマイヨを奪取だっしゅする。コンタドールは1きゅう山岳さんがくプティ・バロンのくだりで落車しみぎ脛骨けいこつ骨折こっせつリタイアとなった。そのだい13ステージではフルームにわりスカイのエースとなっていた暫定ざんてい総合そうごう2リッチー・ポートだい失速しっそく。ポートの失速しっそく傍目はためにニバリはのこり7km地点ちてんでアタック。すぐに先頭せんとうはしラファウ・マイカレオポルド・ケーニッヒ合流ごうりゅうのこり3kmでアタックしたわけでもなくニバリがすとそのままって3しょうをあげる。総合そうごうでも2浮上ふじょうしたアレハンドロ・バルベルデたいし3ふん37びょうをつけた。だい18ステージではのこり10kmでアタックした昨年さくねんブエルタ覇者はしゃクリス・ホーナー唯一ゆいいつ合流ごうりゅう昨年さくねんそのブエルタでホーナーに惜敗せきはいしたニバリはペースががらないとしてすぐさまホーナーを千切せんぎり、先頭せんとうミケル・ニエベのこり8kmで独走どくそうこん大会たいかい4しょうをあげ、総合そうごう2ティボー・ピノに7ふん10びょうものをつけ勝負しょうぶだい20ステージへ。個人こじんTTを得意とくいとするニバリはこのもライバルたちを一蹴いっしゅう。トップから1ふん58びょうおくれのステージ4はいり、結果けっかてき逆転ぎゃくてん総合そうごう2獲得かくとくしたジャン=クリストフ・ペローたいし7ふん37びょうもの圧倒的あっとうてきをつけイタリアひととして1998ねんマルコ・パンターニ以来いらい16ねんりの個人こじん総合そうごう優勝ゆうしょう[2][3]同時どうじ史上しじょう6にんグランツール完全かんぜん制覇せいは達成たっせいしゃとなった。

ツールでの不振ふしんとブエルタでの失格しっかく[編集へんしゅう]

2015ねんイタリア国内こくない選手権せんしゅけん連覇れんぱし、こちらも連覇れんぱかるツール・ド・フランス出場しゅつじょう。しかしだい2ステージでティンコフ・サクソ仕掛しかけた横風おうふう分断ぶんだん作戦さくせんはまってしまい、さらにパンクと出遅でおくれてしまう。大会たいかい最初さいしょ本格ほんかく山岳さんがくステージとなっただい10ステージではステージ優勝ゆうしょうしたクリス・フルームから4ふん以上いじょうものタイムをうしなってしまう。だい19ステージでは途中とちゅうメカトラブルがきたフルームにたいして紳士しんし協定きょうてい無視むししてアタックを仕掛しかけ、そのまま先頭せんとうはしっていたピエール・ロラン合流ごうりゅう協調きょうちょうして集団しゅうだんはなす。そのローランをりにし、勝利しょうりおさめた。よくだい20ステージではパンクでおくれてしまい、連覇れんぱのがしたものの総合そうごう4区間くかん1しょうという成績せいせきのこした。つづブエルタ・ア・エスパーニャではだい2ステージで落車し、集団しゅうだん復帰ふっきするさいにチームカーにつかまってげられたことを理由りゆう失格しっかくとなった。ジロ・ディ・ロンバルディアでは最終さいしゅうばんくだりでするどいアタックを仕掛しかけて独走どくそう勝利しょうり。シーズン5しょうげた。[4]

2度目どめのジロ総合そうごう優勝ゆうしょう[編集へんしゅう]

2016ねんジロ・デ・イタリアでは序盤じょばん中盤ちゅうばんにかけて不調ふちょうあえいでいたが、チマ・コッピをえる頂上ちょうじょうゴールのだい19ステージにおいて、当初とうしょ総合そうごうで2以下いかに3ふん以上いじょうをつけて独走どくそうしていたステーフェン・クラウスヴァイクが落車し肋骨あばらぼね骨折こっせつ。これにより総合そうごうあらそいは一気いっき混沌こんとんし、ニバリはこのステージをせいして2浮上ふじょうすると、つぎ山岳さんがくだい20ステージでもアタックを成功せいこうさせ総合そうごう首位しゅいち、2度目どめ総合そうごう優勝ゆうしょう達成たっせいした。

ツール・ド・フランスではツールはつ出場しゅつじょうのチームエースファビオ・アルのアシストにてっしながら、随所ずいしょでステージ優勝ゆうしょうねら積極せっきょく果敢かかんうごきをせ、総合そうごう30完走かんそうした。リオオリンピックでは終盤しゅうばん先頭せんとうちメダル獲得かくとく期待きたいたかまったがダウンヒルでセルヒオ・エナオとともに落車してしまい、メダルは獲得かくとくならなかった。

バーレーン・メリダをひきいて[編集へんしゅう]

しんチームバーレーン・メリダのエースとして移籍いせき[5]連覇れんぱけてのぞんだジロ・デ・イタリアではクイーンステージであるだい16ステージでミケル・ランダとのマッチスプリントをせいしてステージ優勝ゆうしょう。このステージで総合そうごう首位しゅいだったトム・デュムランが雉撃ちによるだいブレーキを余儀よぎなくされ、デュムランとのタイム2ふん一気いっきちぢめることに成功せいこうだい19ステージのピアンカヴァッロのぼりでデュムランがおくれたため総合そうごう首位しゅいナイロ・キンタナ移動いどう。キンタナとのタイム最小限さいしょうげんたもちつつだい21ステージの個人こじんタイムトライアルをむかえる。キンタナとのタイムは39びょうで、ニバリの実力じつりょくならば逆転ぎゃくてん可能かのうなのだが、デュムランにたいするキンタナのリードは1ふんもなかった。デュムランはステージ優勝ゆうしょうしたヨス・ファン・エムデンつづくステージ2でフィニッシュし、キンタナとニバリはデュムランにされるかたちでそれぞれ1つずつ順位じゅんいげた。

ツールをパスしてのぞんだブエルタでは、だい3ステージで優勝ゆうしょう。その堅実けんじつはしりにてっし、レース中盤ちゅうばん総合そうごう2浮上ふじょう逆転ぎゃくてん総合そうごう優勝ゆうしょうねらっただい20ステージではアングリルのまえとうげくだりで落車。メイン集団しゅうだんにはいついたものの、落車の影響えいきょうでじわじわはなされていく。そして、総合そうごう首位しゅいクリス・フルーム先行せんこうゆるしてしまい、総合そうごう2となった。しかし、ジロ・ディ・ロンバルディアではその雪辱せつじょくたすプロ通算つうさん50しょうをあげた。

2018ねんむかえたはるだい一番いちばんミラノ〜サンレモでは、2008ねん大会たいかいファビアン・カンチェラーラ以来いらいどう大会たいかいにおける独走どくそう勝利しょうりおさめ、ショーン・ケリーつづロンバルディア・サンレモの連続れんぞく優勝ゆうしょうげた。

2ねんぶりの出場しゅつじょうとなったツール・ド・フランスでは、大会たいかい序盤じょばんの落車や石畳いしだたみ区間くかん無難ぶなん総合そうごう成績せいせきでも一時いちじ4につけていたが、だい12ステージに登場とうじょうしたラルプ・デュエズのぼりで観客かんきゃく接触せっしょくし落車。ステージは完走かんそうしたものの骨折こっせつ判明はんめいしリタイアとなった。

2019ねんジロ・デ・イタリアでは優勝ゆうしょう候補こうほ一角いっかくされていたが、リカルド・カラパス総合そうごう2結果けっかわった[6]つづいて出場しゅつじょうしたツール・ド・フランスでは総合そうごう優勝ゆうしょうあらそいにからむことこそなかったが、荒天こうてんのため短縮たんしゅくされただい20ステージでり、ミラノ〜サンレモ以来いらい1ねん4カ月かげつぶりの勝利しょうりげた[7]

トレック・セガフレード時代じだい[編集へんしゅう]

2020ねんシーズンは自身じしん出身しゅっしんこくであるイタリアのセガフレード・ザネッティしゃがセカンドスポンサーにいているトレック・セガフレード移籍いせきした。

しかしジロ・デ・イタリアでは4のステージいちけた順位じゅんいこそ記録きろくしたが、3しゅうでタイムをおおきくうしな総合そうごう優勝ゆうしょうから8ふん15びょうおくれの総合そうごう7わった。ジロのみならずシーズンをとおして成績せいせき急激きゅうげき悪化あっかしたわけではなかったものの、プロ1ねんの2005ねん以来いらいとなる年間ねんかん0しょうわった。

2021ねんシーズンはトレーニングちゅうの落車で右手みぎて骨折こっせつしたなかジロ・デ・イタリアではサポーターを着用ちゃくようして出場しゅつじょうし、総合そうごう18完走かんそうした。シーズン終盤しゅうばん開催かいさいされたジロ・ディ・シチリアでは最終さいしゅうステージで2に49びょうをつけてトレックに移籍いせきはつ優勝ゆうしょうたした。これにより、2017ねんツアー・オブ・クロアチア以来いらいとなるステージレースの総合そうごう優勝ゆうしょう総合そうごう10からの逆転ぎゃくてん達成たっせいした。

アスタナ復帰ふっき[編集へんしゅう]

2022ねんアスタナ・カザフスタン・チーム移籍いせき。6ねんぶりの古巣ふるす復帰ふっきとなった。

5月11にち出身しゅっしんメッシーナがゴール地点ちてん設定せっていされたジロ・デ・イタリアだい5ステージ終了しゅうりょう、2022ねんシーズンでの引退いんたい発表はっぴょうした[8]

おも戦績せんせき[編集へんしゅう]

2002ねん[編集へんしゅう]

2004ねん[編集へんしゅう]

2006ねん[編集へんしゅう]

2007ねん[編集へんしゅう]

2008ねん[編集へんしゅう]

2009ねん[編集へんしゅう]

2010ねん[編集へんしゅう]

2011ねん[編集へんしゅう]

2012ねん[編集へんしゅう]

2013ねん[編集へんしゅう]

2014ねん[編集へんしゅう]

  • イタリアの旗 イタリア選手権せんしゅけんロードレース 優勝ゆうしょう
  • ツール・ド・フランス 総合そうごう優勝ゆうしょう区間くかん4しょうだい2、だい10、だい13、だい18)

2015ねん[編集へんしゅう]

2016ねん[編集へんしゅう]

2017ねん[編集へんしゅう]

2018ねん[編集へんしゅう]

2019ねん[編集へんしゅう]

2021ねん[編集へんしゅう]

グランツールの総合そうごう成績せいせき[編集へんしゅう]

グランツール 2007 2008 2009 2010 2011 2012 2013 2014 2015 2016 2017 2018 2019 2020 2021
ジロ・デ・イタリア 19 11 3 2 1 1 3 2 7 18
ツール・ド・フランス 20 6 3 1 4 30 DNF 39 DNF
ブエルタ・ア・エスパーニャ 1 7 2 失格しっかく 2 59

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ 『ciclissimo 2022 No.65 選手せんしゅ名鑑めいかん2022』八重洲出版やえすしゅっぱん、2022ねん
  2. ^ クリス・フルームアルベルト・コンタドールの落車リタイアもあり優勝ゆうしょうした、とわれたくないと本人ほんにんかたっている。
  3. ^ ニーバリ「過酷かこくなステージでワンダフルな勝利しょうり。ツールの主役しゅやくうしなって残念ざんねんだ」 - ツール・ド・フランス2014だい10ステージ 選手せんしゅコメント - cyclowired.jp 2014ねん7がつ15にちづけ
  4. ^ 現在げんざいグランツール完全かんぜん制覇せいはとモニュメント優勝ゆうしょうたしているのは、ジャック・アンクティルフェリーチェ・ジモンディエディ・メルクスベルナール・イノー、ニバリの5めいのみ。
  5. ^ ヴィンチェンツォ・ニーバリ移籍いせき
  6. ^ [1] ジロ・デ・イタリア2019で南米なんべいエクアドルのカラパスが総合そうごうはつ優勝ゆうしょう
  7. ^ ニバリが渾身こんしんり ベルナルは総合そうごうリードまもってマイヨジョーヌ獲得かくとく
  8. ^ Vincenzo Nibali announces retirement at end of 2022”. cyclingnews (2022ねん5がつ12にち). 2022ねん5がつ12にち閲覧えつらん
  9. ^ アルベルト・コンタドールのドーピング違反いはんによるがり

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]