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ヴィンチェンツォ・ニバリ (Vincenzo Nibali、1984年 ねん 11月14日 にち - )は、イタリア ・メッシーナ 出身 しゅっしん の自転車 じてんしゃ 競技 きょうぎ 選手 せんしゅ 。ニーバリ とも表記 ひょうき される。史上 しじょう 6人 にん 目 め の全 ぜん グランツール 総合 そうごう 優勝 ゆうしょう 達成 たっせい 者 しゃ 。愛称 あいしょう は『海峡 かいきょう のサメ (lo squalo dello Stretto)』。誕生 たんじょう 日 び の11月14日 にち はベルナール・イノー と同 おな じ (イノーが30年 ねん 早 はや く生 う まれている)。弟 おとうと のアントニオ・ニバリも自転車 じてんしゃ 競技 きょうぎ 選手 せんしゅ である。
2005年 ねん 、ファッサ・ボルトロと契約 けいやく を結 むす んでプロ転向 てんこう 。
2006年 ねん 、リクイガス(後 ご の リクイガス・キャノンデール )に移籍 いせき 。
2007年 ねん 、初 はつ 出場 しゅつじょう を果 は たしたジロ・デ・イタリア の第 だい 1ステージ・チームタイムトライアルにおいて、チームの区間 くかん 優勝 ゆうしょう に貢献 こうけん 。総合 そうごう 19位 い に入 はい る。
2008年 ねん 、初 はつ 出場 しゅつじょう のツール・ド・フランス では総合 そうごう 20位 い に入 はい った。
2009年 ねん 、ツール・ド・フランス では山岳 さんがく ステージで健闘 けんとう を見 み せ、総合 そうごう 7位 い 。新人 しんじん 賞 しょう 部門 ぶもん では2位 い に入 はい った。
2010年 ねん 、フランコ・ペッリツォッティ のドーピング疑惑 ぎわく により急遽 きゅうきょ の出場 しゅつじょう となったジロ・デ・イタリア では、第 だい 14ステージを勝利 しょうり 。また第 だい 4ステージから第 だい 6ステージまでマリア・ローザを着用 ちゃくよう し、総合 そうごう 3位 い に入 はい った。
ブエルタ・ア・エスパーニャ総合 そうごう 優勝 ゆうしょう [ 編集 へんしゅう ]
2010年 ねん 、ジロ・デ・イタリアで総合 そうごう 3位 い を獲得 かくとく 後 ご 、ツール・ド・フランスには参加 さんか せず、ブエルタ・ア・エスパーニャ に照準 しょうじゅん を定 さだ めることになった。第 だい 8ステージ終了 しゅうりょう 時点 じてん で、総合 そうごう 首位 しゅい のイゴル・アントン にわずか2秒 びょう 差 さ の総合 そうごう 3位 い に浮上 ふじょう 。アンドラ のバルノリュがゴールの第 だい 11ステージではアントンに完敗 かんぱい し45秒 びょう に差 さ を広 ひろ げられるが、総合 そうごう 2位 い へと浮上 ふじょう した。そして転機 てんき が第 だい 14ステージにやってくる。
同 どう ステージ残 のこ り約 やく 6.5km地点 ちてん でアントンが転倒 てんとう 。右 みぎ 肘 ひじ 骨折 こっせつ のため途中 とちゅう 棄権 きけん となってしまった。ニバリは区間 くかん 優勝 ゆうしょう のホアキン・ロドリゲス に20秒 びょう 差 さ の区間 くかん 2位 い で入 はい り、総合 そうごう ではロドリゲスに4秒 びょう 差 さ ながらも首位 しゅい に立 た った。その後 ご 、第 だい 16ステージでロドリゲスに総合 そうごう 首位 しゅい の座 ざ を明 あ け渡 わた したが、第 だい 17ステージの個人 こじん タイムトライアルにおけるロドリゲスの大 だい ブレーキにより、総合 そうごう 2位 い に浮上 ふじょう したエセキエル・モスケラ に39秒 びょう 差 さ をつけ再 ふたた び総合 そうごう 首位 しゅい へ。最後 さいご のクライマックスとなった山岳 さんがく コースの第 だい 20ステージでは、モスケラの再三 さいさん のアタックを封 ふう じ、区間 くかん 優勝 ゆうしょう をモスケラに譲 ゆず ったものの、1秒 びょう 差 さ の区間 くかん 2位 い でゴールし決着 けっちゃく をつけた。結果 けっか 、区間 くかん 優勝 ゆうしょう は一 いち 度 ど も経験 けいけん できなかったが、ブエルタ初 はつ 出場 しゅつじょう で総合 そうごう 優勝 ゆうしょう (コンビネーション賞 しょう も獲得 かくとく )を成 な し遂 と げた。
ツール・ド・フランス2012 にて2012年 ねん 、ティレーノ〜アドリアティコ では第 だい 5ステージで勝利 しょうり 。第 だい 6ステージ終了 しゅうりょう 時点 じてん で、総合 そうごう 首位 しゅい のクリス・ホーナー に対 たい し5秒 びょう 差 さ の同 どう 2位 い だったが、最終 さいしゅう 第 だい 7ステージの個人 こじん タイムトライアルでホーナーに20秒 びょう の差 さ をつけ逆転 ぎゃくてん し、劇的 げきてき な総合 そうごう 優勝 ゆうしょう を果 は たした。また、ポイント賞 しょう も獲得 かくとく 。3年 ねん 振 ふ りの出場 しゅつじょう となったツール・ド・フランス ではチームスカイ のブラッドリー・ウィギンス とクリス・フルーム のコンビに苦 くる しむも、総合 そうごう 3位 い に入 はい った。
ジロ・デ・イタリア総合 そうごう 優勝 ゆうしょう [ 編集 へんしゅう ]
2013年 ねん 、アスタナ へ移籍 いせき 。ティレーノ〜アドリアティコ ではクリス・フルーム とアルベルト・コンタドール を抑 おさ え総合 そうごう 2連覇 れんぱ を達成 たっせい 。好調 こうちょう のまま迎 むか えたジロ・デ・イタリア ではブラッドリー・ウィギンス やカデル・エヴァンス などとともに総合 そうごう 優勝 ゆうしょう 候補 こうほ に推 お された。第 だい 7ステージでライバルのウィギンスが1分 ふん 24秒 びょう を失 うしな うも、翌日 よくじつ の個人 こじん タイムトライアルでウィギンスはステージ優勝 ゆうしょう したアレックス・ダウセット に10秒 びょう 遅 おく れのステージ2位 い に入 はい る。対 たい するニバリはダウセットから21秒 びょう 遅 おく れ、ウィギンスから11秒 びょう 遅 おく れに留 と め、ここで総合 そうごう 首位 しゅい に浮上 ふじょう する。ところがウィギンスは第 だい 12ステージで3分 ふん 17秒 びょう 遅 おく れてしまい、完全 かんぜん に総合 そうごう 争 あらそ いから脱落 だつらく 。ウィギンスは翌日 よくじつ 出走 しゅっそう しなかった。これにより総合 そうごう 争 あらそ いのライバルはエヴァンスとウィギンスのアシストであったリゴベルト・ウラン となるも、第 だい 14ステージでライバルを引 ひ き離 はな しステージ2位 い に入 はい ったことで総合 そうごう 2位 い エヴァンスへのリードは1分 ふん 26秒 びょう に拡大 かくだい 。そして第 だい 18ステージの20.6kmの山岳 さんがく 個人 こじん TTでステージ2位 い のサムエル・サンチェス に58秒 びょう の差 さ をつけ圧勝 あっしょう 。ここでエヴァンスは総合 そうごう で4分 ふん 2秒 びょう 遅 おく れ、ウランは4分 ふん 12秒 びょう 遅 おく れと事実 じじつ 上 じょう ここで総合 そうごう 優勝 ゆうしょう を確定 かくてい させたも同然 どうぜん の差 さ をつける。トレチーメ・ディ・ラヴァレードへの頂上 ちょうじょう フィニッシュとなった第 だい 20ステージでも残 のこ り3kmから独走 どくそう し勝利 しょうり 。自身 じしん 初 はつ のジロ総合 そうごう 優勝 ゆうしょう を果 は たした。
ツール・ド・フランス総合 そうごう 優勝 ゆうしょう [ 編集 へんしゅう ]
2014年 ねん 、ツール・ド・フランス 初 はつ 制覇 せいは を懸 か け出場 しゅつじょう 。しかし、開幕 かいまく 前 まえ はクリス・フルーム とアルベルト・コンタドール の2強 きょう に注目 ちゅうもく が集 あつ まっており、ニバリは「第 だい 3の男 おとこ 」の位置付 いちづ けだった。もっとも、ニバリは今 こん シーズンツールに向 む けてフランス 国内 こくない で開催 かいさい されるステージレースを走 はし ってきたが、特 とく にこれといった成績 せいせき を残 のこ すことができなかったことも影響 えいきょう していた。が、9つの山岳 さんがく を超 こ える丘陵 きゅうりょう コースである第 だい 2ステージの最終 さいしゅう 盤 ばん にアタック。後続 こうぞく 集団 しゅうだん は牽制 けんせい ムードになり、ニバリは逃 に げ切 き り勝利 しょうり を飾 かざ りマイヨ・ジョーヌ も獲得 かくとく 。ところが石畳 いしだたみ を走 はし る第 だい 5ステージ途中 とちゅう にフルームが両手 りょうて を骨折 こっせつ しリタイア 。もう1人 ひとり のライバル、コンタドールは第 だい 8セクターのエンヌヴラン・ポンティボーで遅 おく れだす。MTB 出身 しゅっしん のニバリが快調 かいちょう に石畳 いしだたみ を進 すす む一方 いっぽう 、コンタドールは更 さら に遅 おく れていき、最終 さいしゅう 的 てき にニバリはステージ3位 い に入 はい りリードを拡大 かくだい したものの、コンタドールはステージ優勝 ゆうしょう したラース・ボーム から2分 ふん 54秒 びょう も遅 おく れてフィニッシュ。総合 そうごう でもトップ10圏外 けんがい となった。ヴォージュ山脈 さんみゃく を前 まえ にした第 だい 9ステージの終了 しゅうりょう 後 ご にニバリはトニー・ガロパン にマイヨを譲 ゆず ったものの、続 つづ く第 だい 10ステージでステージ2位 い に15秒 びょう 差 さ をつけ優勝 ゆうしょう しマイヨを奪取 だっしゅ する。コンタドールは1級 きゅう 山岳 さんがく プティ・バロンの下 くだ りで落車し右 みぎ 脛骨 けいこつ を骨折 こっせつ 。リタイア となった。その後 ご の第 だい 13ステージではフルームに代 か わりスカイ のエースとなっていた暫定 ざんてい 総合 そうごう 2位 い のリッチー・ポート が大 だい 失速 しっそく 。ポートの失速 しっそく を傍目 はため にニバリは残 のこ り7km地点 ちてん でアタック。すぐに先頭 せんとう を走 はし るラファウ・マイカ とレオポルド・ケーニッヒ に合流 ごうりゅう 、残 のこ り3kmでアタックしたわけでもなくニバリが抜 ぬ け出 だ すとそのまま押 お し切 き って3勝 しょう 目 め をあげる。総合 そうごう でも2位 い に浮上 ふじょう したアレハンドロ・バルベルデ に対 たい し3分 ふん 37秒 びょう 差 さ をつけた。第 だい 18ステージでは残 のこ り10kmでアタックした昨年 さくねん のブエルタ 覇者 はしゃ のクリス・ホーナー に唯一 ゆいいつ 合流 ごうりゅう 。昨年 さくねん そのブエルタでホーナーに惜敗 せきはい したニバリはペースが上 あ がらないとしてすぐさまホーナーを千切 せんぎ り、先頭 せんとう を行 い くミケル・ニエベ も残 のこ り8kmで追 お い抜 ぬ き独走 どくそう 。今 こん 大会 たいかい 4勝 しょう 目 め をあげ、総合 そうごう 2位 い ティボー・ピノ に7分 ふん 10秒 びょう もの差 さ をつけ勝負 しょうぶ の第 だい 20ステージへ。個人 こじん TTを得意 とくい とするニバリはこの日 ひ もライバルたちを一蹴 いっしゅう 。トップから1分 ふん 58秒 びょう 遅 おく れのステージ4位 い に入 はい り、結果 けっか 的 てき に逆転 ぎゃくてん で総合 そうごう 2位 い を獲得 かくとく したジャン=クリストフ・ペロー に対 たい し7分 ふん 37秒 びょう もの圧倒的 あっとうてき な差 さ をつけイタリア 人 ひと として1998年 ねん のマルコ・パンターニ 以来 いらい 16年 ねん 振 ふ りの個人 こじん 総合 そうごう 優勝 ゆうしょう を成 な し遂 と げ[2] [3] 、同時 どうじ に史上 しじょう 6人 にん 目 め のグランツール 完全 かんぜん 制覇 せいは 達成 たっせい 者 しゃ となった。
ツールでの不振 ふしん とブエルタでの失格 しっかく [ 編集 へんしゅう ]
2015年 ねん 、イタリア 国内 こくない 選手権 せんしゅけん を連覇 れんぱ し、こちらも連覇 れんぱ の懸 か かるツール・ド・フランス に出場 しゅつじょう 。しかし第 だい 2ステージでティンコフ・サクソ が仕掛 しか けた横風 おうふう 分断 ぶんだん 作戦 さくせん に嵌 はま ってしまい、更 さら にパンクと出遅 でおく れてしまう。大会 たいかい 最初 さいしょ の本格 ほんかく 山岳 さんがく ステージとなった第 だい 10ステージではステージ優勝 ゆうしょう したクリス・フルーム から4分 ふん 以上 いじょう ものタイムを失 うしな ってしまう。第 だい 19ステージでは途中 とちゅう メカトラブルが起 お きたフルームに対 たい して紳士 しんし 協定 きょうてい を無視 むし してアタックを仕掛 しか け、そのまま先頭 せんとう を走 はし っていたピエール・ロラン と合流 ごうりゅう 、協調 きょうちょう して集団 しゅうだん を引 ひ き離 はな す。その後 ご ローランを置 お き去 ざ りにし、逃 に げ切 き り勝利 しょうり を収 おさ めた。翌 よく 第 だい 20ステージではパンクで遅 おく れてしまい、連覇 れんぱ は逃 のが したものの総合 そうごう 4位 い と区間 くかん 1勝 しょう という成績 せいせき を残 のこ した。続 つづ くブエルタ・ア・エスパーニャ では第 だい 2ステージで落車し、集団 しゅうだん 復帰 ふっき する際 さい にチームカーに掴 つか まって引 ひ き上 あ げられたことを理由 りゆう に失格 しっかく となった。ジロ・ディ・ロンバルディア では最終 さいしゅう 盤 ばん の下 くだ りで鋭 するど いアタックを仕掛 しか けて独走 どくそう 勝利 しょうり 。シーズン5勝 しょう 目 め を上 あ げた。[4]
2度目 どめ のジロ総合 そうごう 優勝 ゆうしょう [ 編集 へんしゅう ]
2016年 ねん 、ジロ・デ・イタリア では序盤 じょばん 〜中盤 ちゅうばん にかけて不調 ふちょう に喘 あえ いでいたが、チマ・コッピを越 こ える頂上 ちょうじょう ゴールの第 だい 19ステージにおいて、当初 とうしょ 総合 そうごう で2位 い 以下 いか に3分 ふん 以上 いじょう の差 さ をつけて独走 どくそう していたステーフェン・クラウスヴァイク が落車し肋骨 あばらぼね を骨折 こっせつ 。これにより総合 そうごう 争 あらそ いは一気 いっき に混沌 こんとん 化 か し、ニバリはこのステージを制 せい して2位 い に浮上 ふじょう すると、次 つぎ の山岳 さんがく 第 だい 20ステージでもアタックを成功 せいこう させ総合 そうごう 首位 しゅい に立 た ち、2度目 どめ の総合 そうごう 優勝 ゆうしょう を達成 たっせい した。
ツール・ド・フランス ではツール初 はつ 出場 しゅつじょう のチームエースファビオ・アル のアシストに徹 てっ しながら、随所 ずいしょ でステージ優勝 ゆうしょう を狙 ねら う積極 せっきょく 果敢 かかん な動 うご きを見 み せ、総合 そうごう 30位 い で完走 かんそう した。リオオリンピック では終盤 しゅうばん 先頭 せんとう に立 た ちメダル獲得 かくとく の期待 きたい も高 たか まったがダウンヒルでセルヒオ・エナオ とともに落車してしまい、メダルは獲得 かくとく ならなかった。
バーレーン・メリダを率 ひき いて [ 編集 へんしゅう ]
新 しん チームバーレーン・メリダ のエースとして移籍 いせき [5] 。連覇 れんぱ を懸 か けて臨 のぞ んだジロ・デ・イタリア ではクイーンステージである第 だい 16ステージでミケル・ランダ とのマッチスプリントを制 せい してステージ優勝 ゆうしょう 。このステージで総合 そうごう 首位 しゅい だったトム・デュムラン が雉撃ちによる大 だい ブレーキを余儀 よぎ なくされ、デュムランとのタイム差 さ 2分 ふん を一気 いっき に縮 ちぢ めることに成功 せいこう 。第 だい 19ステージのピアンカヴァッロ の登 のぼ りでデュムランが遅 おく れたため総合 そうごう 首位 しゅい はナイロ・キンタナ に移動 いどう 。キンタナとのタイム差 さ を最小限 さいしょうげん に保 たも ちつつ第 だい 21ステージの個人 こじん タイムトライアルを迎 むか える。キンタナとのタイム差 さ は39秒 びょう で、ニバリの実力 じつりょく ならば逆転 ぎゃくてん 可能 かのう なのだが、デュムランに対 たい するキンタナのリードは1分 ふん もなかった。デュムランはステージ優勝 ゆうしょう したヨス・ファン・エムデン に続 つづ くステージ2位 い でフィニッシュし、キンタナとニバリはデュムランに押 お し出 だ される形 かたち でそれぞれ1つずつ順位 じゅんい を下 さ げた。
ツール をパスして臨 のぞ んだブエルタ では、第 だい 3ステージで優勝 ゆうしょう 。その後 ご は堅実 けんじつ な走 はし りに徹 てっ し、レース中盤 ちゅうばん で総合 そうごう 2位 い に浮上 ふじょう 。逆転 ぎゃくてん 総合 そうごう 優勝 ゆうしょう を狙 ねら った第 だい 20ステージではアングリルの前 まえ の峠 とうげ の下 くだ りで落車。メイン集団 しゅうだん には追 お いついたものの、落車の影響 えいきょう でじわじわ離 はな されていく。そして、総合 そうごう 首位 しゅい クリス・フルーム の先行 せんこう を許 ゆる してしまい、総合 そうごう 2位 い となった。しかし、ジロ・ディ・ロンバルディア ではその雪辱 せつじょく を果 は たすプロ通算 つうさん 50勝 しょう 目 め をあげた。
2018年 ねん 、迎 むか えた春 はる の大 だい 一番 いちばん ・ミラノ〜サンレモ では、2008年 ねん 大会 たいかい のファビアン・カンチェラーラ 以来 いらい の同 どう 大会 たいかい における独走 どくそう 勝利 しょうり を収 おさ め、ショーン・ケリー に続 つづ くロンバルディア ・サンレモの連続 れんぞく 優勝 ゆうしょう を成 な し遂 と げた。
2年 ねん ぶりの出場 しゅつじょう となったツール・ド・フランス では、大会 たいかい 序盤 じょばん の落車や石畳 いしだたみ 区間 くかん を無難 ぶなん に乗 の り切 き り総合 そうごう 成績 せいせき でも一時 いちじ 4位 い につけていたが、第 だい 12ステージに登場 とうじょう したラルプ・デュエズ の登 のぼ りで観客 かんきゃく と接触 せっしょく し落車。ステージは完走 かんそう したものの骨折 こっせつ が判明 はんめい しリタイアとなった。
2019年 ねん 、ジロ・デ・イタリア では優勝 ゆうしょう 候補 こうほ の一角 いっかく と目 め されていたが、リカルド・カラパス に次 つ ぐ総合 そうごう 2位 い の結果 けっか に終 お わった[6] 。続 つづ いて出場 しゅつじょう したツール・ド・フランス では総合 そうごう 優勝 ゆうしょう 争 あらそ いに絡 から むことこそなかったが、荒天 こうてん のため短縮 たんしゅく された第 だい 20ステージで逃 に げ切 き り、ミラノ〜サンレモ以来 いらい 1年 ねん 4カ月 かげつ ぶりの勝利 しょうり を挙 あ げた[7] 。
トレック・セガフレード時代 じだい [ 編集 へんしゅう ]
2020年 ねん シーズンは自身 じしん の出身 しゅっしん 国 こく であるイタリアのセガフレード・ザネッティ 社 しゃ がセカンドスポンサーに就 つ いているトレック・セガフレード に移籍 いせき した。
しかしジロ・デ・イタリア では4度 ど のステージ一 いち 桁 けた 順位 じゅんい こそ記録 きろく したが、3週 しゅう 目 め でタイムを大 おお きく失 うしな い総合 そうごう 優勝 ゆうしょう から8分 ふん 15秒 びょう 遅 おく れの総合 そうごう 7位 い に終 お わった。ジロのみならずシーズンを通 とお して成績 せいせき が急激 きゅうげき に悪化 あっか した訳 わけ ではなかったものの、プロ1年 ねん 目 め の2005年 ねん 以来 いらい となる年間 ねんかん 0勝 しょう に終 お わった。
2021年 ねん シーズンはトレーニング中 ちゅう の落車で右手 みぎて を骨折 こっせつ した中 なか 、ジロ・デ・イタリア ではサポーターを着用 ちゃくよう して出場 しゅつじょう し、総合 そうごう 18位 い で完走 かんそう した。シーズン終盤 しゅうばん に開催 かいさい されたジロ・ディ・シチリア では最終 さいしゅう ステージで2位 い に49秒 びょう 差 さ をつけてトレックに移籍 いせき 後 ご 初 はつ 優勝 ゆうしょう を果 は たした。これにより、2017年 ねん のツアー・オブ・クロアチア 以来 いらい となるステージレースの総合 そうごう 優勝 ゆうしょう を総合 そうごう 10位 い からの逆転 ぎゃくてん で達成 たっせい した。
2022年 ねん 、アスタナ・カザフスタン・チーム に移籍 いせき 。6年 ねん ぶりの古巣 ふるす 復帰 ふっき となった。
5月11日 にち 、出身 しゅっしん 地 ち メッシーナ がゴール地点 ちてん に設定 せってい されたジロ・デ・イタリア 第 だい 5ステージ終了 しゅうりょう 後 ご 、2022年 ねん シーズンでの引退 いんたい を発表 はっぴょう した[8] 。
イタリア 選手権 せんしゅけん ロードレース 優勝 ゆうしょう
ツール・ド・フランス 総合 そうごう 優勝 ゆうしょう 、区間 くかん 4勝 しょう (第 だい 2、第 だい 10、第 だい 13、第 だい 18)
グランツールの総合 そうごう 成績 せいせき [ 編集 へんしゅう ]
^ 『ciclissimo 2022 No.65 選手 せんしゅ 名鑑 めいかん 2022』八重洲出版 やえすしゅっぱん 、2022年 ねん 。
^ クリス・フルーム とアルベルト・コンタドール の落車リタイアもあり優勝 ゆうしょう した、と言 い われたくないと本人 ほんにん は語 かた っている。
^ ニーバリ「過酷 かこく なステージでワンダフルな勝利 しょうり 。ツールの主役 しゅやく を失 うしな って残念 ざんねん だ」 - ツール・ド・フランス2014第 だい 10ステージ 選手 せんしゅ コメント - cyclowired.jp 2014年 ねん 7月 がつ 15日 にち 付 づけ
^ 現在 げんざい グランツール 完全 かんぜん 制覇 せいは とモニュメント優勝 ゆうしょう を果 は たしているのは、ジャック・アンクティル 、フェリーチェ・ジモンディ 、エディ・メルクス 、ベルナール・イノー 、ニバリの5名 めい のみ。
^ ヴィンチェンツォ・ニーバリ移籍 いせき
^ [1] ジロ・デ・イタリア2019で南米 なんべい エクアドルのカラパスが総合 そうごう 初 はつ 優勝 ゆうしょう
^ ニバリが渾身 こんしん の逃 に げ切 き り ベルナルは総合 そうごう リード守 まも ってマイヨジョーヌ獲得 かくとく へ
^ “Vincenzo Nibali announces retirement at end of 2022 ”. cyclingnews (2022年 ねん 5月 がつ 12日 にち ). 2022年 ねん 5月 がつ 12日 にち 閲覧 えつらん 。
^ アルベルト・コンタドール のドーピング違反 いはん による繰 く り上 あ がり